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さいたま地方裁判所熊谷支部 平成12年(ワ)333号 判決 2001年6月20日

原告 被相続人A野太郎遺言執行者 鏡光昭

同訴訟代理人弁護士 町田冨士雄

被告 株式会社 あさひ銀行

同代表者代表取締役 伊藤龍郎

同訴訟代理人弁護士 山本晃夫

同 高井章吾

同 杉野翔子

同 藤林律夫

同 尾崎達夫

同 鎌田智

同 伊藤浩一

同 金子稔

主文

一  被告は、原告に対し、六五〇万三八七八円及びうち四九二万八八七八円に対する平成一二年七月一一日から、うち七八万七五〇〇円に対する平成一二年三月一一日から、うち七八万七五〇〇円に対する平成一二年七月一八日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は、原告に対し、一一一〇万二〇九九円及びうち七五一万七八一八円に対する平成一二年七月一一日から、うち三五八万四二八一円に対する平成一一年七月一日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、公正証書遺言によって遺言執行者に指定された原告が、相続財産である預金の全額払戻を被告に申し入れた際、被告の担当者がこれを拒否したことが違法であるとして、不法行為に基づく損害の賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実及び証拠上明らかな関係事実

(1)  A野太郎(以下「遺言者」という。)は、平成八年七月一五日に死亡したところ、同人には、浦和地方法務局所属公証人川瀬義弘作成平成八年第五二号同年三月一三日付け遺言公正証書、同年第九四号同年四月一一日付け遺言公正証書(以下これらを併せて「本件公正証書」という。)がある。

(2)  本件公正証書のうち、三月一三日付け遺言公正証書には、遺言者所有の財産のうち、①金一〇〇〇万円と墨蹟、掛軸等美術品の全部を宗教法人B山寺に、②金一〇〇〇万円を宗教法人C川寺に、③①及び②の財産を除いた財産から遺言者の葬儀費用分三〇〇〇万円を控除した財産全部を社会福祉法人D原福祉会にそれぞれ遺贈すること、遺言執行者を原告に指定することなどの記載があり、四月一一日付け遺言公正証書には、遺言者所有の財産のうち行田市《番地省略》所在の田七七〇m2を遺言者の二男A野二郎に相続させること、遺言執行者を原告に指定すること、この遺言により三月一三日付け遺言公正証書によって社会福祉法人D原福祉会に遺贈するとした財産から行田市《番地省略》所在の田七七〇m2が除外されることになることなどが記載されている。また、いずれの遺言公正証書も原告及び鏡スミが証人として立会った旨が記載されている(《証拠省略》)。なお遺言者の二男A野二郎は、家庭裁判所の許可を得て名を「松夫」と変更していた。

(3)  遺言者は、被告行田支店に六口の預金(預金残高総額一億四五〇八万三九二二円、以下「本件預金」という。)を有していたところから、原告は、同支店に対し、遺言執行者として本件預金全額の払戻を求めたところ、同支店は相続人全員の承諾を求めるなどしてその払戻を拒んだ。

(4)  原告は、弁護士小寺智子に訴訟委任した上、平成一二年四月、浦和地方裁判所熊谷支部に被告を相手として本件預金の払戻を求める訴えを提起し、同裁判所は平成一二年六月二八日、その全部を認容する判決を言い渡し、その判決は上訴されることなく確定した。

(5)  被告は、平成一二年七月一〇日、原告に対し、上記判決に命じられた金額を支払った。

(6)  原告は、小寺弁護士に対し、平成一二年三月一〇日、手数料、着手金として七八万七五〇〇円、同年七月一八日、報酬として七八万七五〇〇円、合計一五七万五〇〇〇円を支払った。

三  争点

本件の主要な争点は、原告による預金の払戻請求に対する被告の対応の違法性、原告の預金払戻請求の時期の各点であり、これらに関する当事者双方の主張は次のとおりである。

(1)  原告

原告は、公正証書遺言によって指定された遺言執行者としての権限に基づき、平成一一年六月中から預金証書、戸籍謄本、本件公正証書などを示した上、数回に渡って払戻を求めた。しかるに被告は、相続人全員の承諾書がない限り絶対応じることはできないとし、裁判を起こしてもらうのが一番良いなどと言い出す始末であった。かかる被告の行為は不法行為を構成するものであり、預金払戻のためにやむなく訴訟を提起せざるをえなくなったのであるから、損害として、そのための弁護士費用、原告が預金払戻の請求をした後であることの明らかな平成一一年七月一日から払戻を受けた平成一二年七月一〇日までの間の払戻額に対する民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、原告が被告の行為によって被った精神的損害に対する慰謝料の支払を求めることができるというべきである。

(2)  被告

① 公正証書遺言であるからといって、その信用性は絶対的なものではなく、裁判で無効とされた例は少なくない。したがって、いかなる事情があろうと払戻を拒否することが違法行為となるとはいえない。

② 原告は、当初被告行田支店を訪れた段階から、相続人間で現に紛争中であり、遺言の執行をした場合には訴訟になりそうである旨を述べて被告の担当者に相談を持ちかけたのである。その後、遺言者の二男A野松夫は、被告に対し、本件公正証書の作成経緯やその内容を根拠として、これが遺言者の意思に基づくものではない旨を強く主張していたのであり、被告が原告に支払うつもりなら法的措置も辞さない旨の強硬な姿勢を示してきた。そして、すでに遺言者死亡から三年近くも経過していたことなどから、本件公正証書の真実性について一定の調査をしなければならないと判断し、関係者から事情を聴取するなどしていたところ、原告から払戻を求める訴訟を提起されたのである。したがって、被告の行為は、やむを得ないものであり、違法ではない。

③ 原告が被告に対して本件預金の払戻を請求したのは平成一一年一一月五日である。

第三当裁判所の判断

一  証拠によれば、次の事実を認めることができる。

(1)  遺言者は、宗教法人B山寺の住職であったが、晩年はその職を二男松夫に譲り、もっぱら社会福祉法人D原福祉会が運営するE田保育園に力を入れていた。なお、同社会福祉法人は、その後、遺言者の長女A田一江が引き継いでいる。

遺言者は、原告とその妻鏡スミに証人となることを依頼し、当時住んでいたA田一江方に公証人を招き、本件公正証書を作成した。

(2)  原告は、遺言者死亡後の平成八年八月ころ、遺言者の長女A田一江、二男A野松夫ら相続人五名を自宅に呼び、本件公正証書の存在とその内容を知らせたところ、その場では異議を述べる者はいなかったが、しばらくするうちに二男松夫が種々の不満を示すようになった。また、E田保育園の敷地が行田市の道路計画にかかり、その対応が必要だったことなどもあって、原告は、しばらく遺言の執行を放置していた。

(3)  平成一〇年一〇月ころ、原告は、遺言者の遺産のうち預金や有価証券などを一つの口座にとりまとめるため、遺言執行者としての口座を作り、証券会社や郵便局の口座を解約して現金化するなどしたが、体調を崩すなどしたため、職務の執行ははかどらず、平成一一年六月一八日ころに至って被告行田支店に赴いた。

(4)  同日、原告は、応対した被告行田支店課長の島崎勝治に対し、本件公正証書の写しを示して遺言執行者として本件預金を全額を払い戻し(解約し)、遺言の執行をすることを考えている旨を伝えたが、その際、相続人である遺言者の二男が本件公正証書に不満を持ち、遺言の執行を実行すると紛争化することになりかねない旨を述べた。

(5)  被告行田支店では、島崎課長とその上司である副支店長分須隆幸とがこの件に対応し、平成一一年一〇月ころまでの間に、原告、A田一江、A野松夫ら関係者と接触して事情聴取を進めた。その結果、原告やA田一江は本件公正証書の成立については疑問を抱いていないこと、A野松夫は、本件公正証書はA田一江宅で自分の知らないうちに作成されたので信憑性に問題があることのほか、原告の同人に対する対応やE田保育園の代表者がA田一江になっていること、行田市の道路計画に対する対応をA田一江が行っていることなどに対する不満を述べ、被告が原告の遺言執行に応ずるならば弁護士を立てると言っていることなどの事情が明らかになった。そこで、被告行田支店では、本部と相談の上、遺言の有効性について疑問が提起されているのに事実を確認することなく払戻をしたのでは後に責任を追及されることになると考え、相続人全員の承諾が得られない限り、原告から本件預金の全額払戻請求があってもこれには応じないこととした。

(6)  平成一一年一一月五日、原告は、預金払戻のために必要な書類を整えて被告行田支店に赴き、本件預金全額の払戻を請求したが、同支店はこれを拒否した。その後、原告は何度か同支店と交渉したが結論は変わらないため、小寺弁護士に解決方を依頼し、同弁護士は平成一二年三月二八日付け内容証明郵便で被告に対して本件預金全額の払戻を請求し、さらに前記訴訟を提起するに至った。

二  本件は、遺言によって遺言執行者に指定された原告が、就職を承諾した後、銀行である被告に対し、本件公正証書を示し、払い戻しに必要な書類を整えて、遺言者たる被相続人に属した預金の払戻を請求したが、被告がこれを拒否したというものである。

ところで、遺言執行者は、相続財産の管理など遺言の執行に必要な一切の権利義務を有する(民法一〇一二条一項)のであるから、本件のように遺贈の履行が必要とされ、そのために遺産のすべてを把握して管理することが必要となる場合には、被相続人の有していた預金について払戻を請求する権利があるというべきである。

前記事実によれば、原告が遺言によって遺言執行者に指定され、その就職を承諾していることや本件預金の預金者が遺言者であること、被告もそのように認識していたことは明らかである。そのような場合、銀行が払戻を拒むことは、それがやむを得ないと認められるような特別の事情がない限り、違法な行為と評価されると解すべきである。

三  被告が本件預金の払戻を拒否した理由は、結局のところ原告を含む関係者の言動により、本件公正証書の成立の真正に疑義が生じ、これを払拭することができなかったということである。

ところで、公正証書は、法律に定められた方法によって公務員たる公証人が作成する公文書であり、それ自体で債務名義にもなりうるというものであって、制度的に信用性が担保され、私文書とは異なった種々の法的効力が認められているものである。

被告は、本件公正証書の信憑性に疑問が投げかけられていた旨主張するが、私企業である銀行が調査を尽くしたとしても、銀行が公正証書の成立の真正を判断し、公文書たる公正証書の真否を結論づけることはできないものというほかはない。そうすると、結局、銀行においては公正証書の真否の判断ができない以上、訴訟によって効力を争うことでもしない限り、その真否を確認するための調査は意味のあるものとは思えない(意味があるとすれば、真否を確認するための調査ではなく、後の責任追求回避のための条件作りとしての調査又は供託要件確認のための調査であろうが、被告において供託を検討した形跡はない。)のであって、もし被告のような対応を適法であるとすると、およそ疑義を投げかける者が存在する限り、払戻を拒むことが正当化されることになりうる。しかしながら、公正証書より信用性の高い遺言は制度として存在しないし、そもそも相続開始後の紛争発生が心配されるような場合に、これを防ぐために公正証書遺言が作成さる例が少なくないのであり、これに不満を持つ相続人がいることは不自然なことではない。にもかかわらず、疑義を投げかける者がいるたびに遺産である預金の払戻が拒否されたのでは、遺言執行者は、遺言が有効であることの確認を求める訴えや預金払戻を求める訴えを提起するほかないことになりかねない。

確かに被告が主張するように、公正証書の真否が争われ、これを無効とした裁判例が存在することは確かであるが、裁判上の和解調書、調停調書でさえも判決により無効とされる例もあるのであって、無効とされる例があるからといって、制度上権利義務に関わる内容を公証するものとして存在する公正証書の信用性を私文書のそれと同一に解することはできない。

四  以上によれば、本件においては、被告が本件預金の払戻を拒否することがやむを得ないものということができる事情は存在しないといわざるを得ないから、被告の行為は違法であり、原告がこれによって被った損害を賠償すべき責任がある。

そこで、損害について検討するに、原告が被告に対して本件預金の払戻を請求した日の翌日である平成一一年一一月六日から払戻を受けた平成一二年七月一〇日までの間の払戻額に対する民事法定利率年五分の割合による金員(一億四五〇八万三九二二円×〇・〇五×二四八日÷三六五日≒四九二万八八七八円)と、原告が小寺弁護士に支払った一五七万五〇〇〇円は被告の行為と相当因果関係のある損害というべきである(これらに対する遅延損害金の起算日は、四九二万八八七八円については平成一二年七月一一日、弁護士費用についてはそれぞれ弁護士に対する支払日の翌日とするのが相当である。)。なお、原告は慰謝料を請求するけれども、本件は被告が違法に金銭の支払を遅延させたことを理由とするものであり、財産的損害が回復されることによって精神的損害も回復されるべきものであるから、慰謝料請求を認めることはできない。

五  よって、原告の本訴請求は、被告に対し、六五〇万三八七八円及びうち四九二万八八七八円に対する平成一二年七月一一日から、うち七八万七五〇〇円に対する平成一二年三月一一日から、うち七八万七五〇〇円に対する平成一二年七月一八日から各支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 若林辰繁)

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