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さいたま地方裁判所熊谷支部 平成25年(ワ)364号 判決 2015年3月23日

原告

同法定代理人成年後見人

同訴訟代理人弁護士

本橋美智子

被告

社会福祉法人Y

同代表者理事

同訴訟代理人弁護士

国吉真弘

栗木祥子

小屋野匡

主文

一  原告と被告との間において、浦和地方法務局所属公証人C作成の平成○年第○号遺言公正証書による亡Dの遺言が無効であることを確認する。

二  被告は、原告に対し、二〇二九万三一〇三円及びこれに対する平成二五年一〇月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文と同旨(附帯請求は訴状送達の日の翌日)

第二事案の概要

一  本件は、被告が経営する養護盲老人ホームに入所していた亡D(以下「亡D」という。)による、亡Dが被告に葬儀費用等を除いた財産全部を包括遺贈する旨の公正証書遺言について、亡Dの長女である原告が、被告に対し、同公正証書遺言の無効確認を求めるとともに、不当利得に基づき、同公正証書遺言により被告が利得した二〇九三万三一〇三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二五年一〇月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  前提事実(証拠を掲記した事実以外の事実は、当事者間に争いがないか、当事者が積極的に争わない事実である。)

(1)  当事者

原告は、亡D(大正○年○月○日生)と亡E(平成二年○月○日死亡。以下「亡E」という。)の長女(昭和○年○月○日生)で、成年被後見人である。

A司法書士(以下「原告後見人」という。)は、原告の法定代理人成年後見人である。

被告は、養護盲老人ホームa園(以下「a園」という。)を経営する社会福祉法人である。

B(以下「B」という。)は、被告の代表者理事であり、全盲である。

(2)  亡Dは、全盲であり、平成八年四月、a園に入所した。

(3)  亡Dについて、浦和地方法務局所属公証人C作成の平成一二年一二月一九日付け遺言公正証書(以下「本件遺言」という。)がある。本件遺言の証人二名は、a園の寮母であった。本件遺言の内容は、要旨、以下のとおりである。

第一条 遺言者は、遺言者の葬儀費用並びにb寺への納骨埋葬費用を除いた残りの遺言者所有の遺産全部を包括して、a園に遺贈する。

第二条 遺言者は、遺言執行者をa園と指定する。

第三条 遺言者は、遺言執行者に対し、本遺言執行のために、遺言者名義の預貯金等を解約・受領する権限を付与する。

第四条(付言事項) 長女X(原告。知的障害者援護施設c園に入所中)長男F(d病院入院中)が、施設の生活や入院生活等でお金を必要とする場合及び両人が死亡した際の葬儀並びにb寺への納骨埋葬費用を、私の寄付金から支出して頂くようa園園長にお願いいたします。

(4)  亡Dは、平成二二年八月一四日、死亡した。

(5)  亡Dの法定相続人は、亡Dと亡Eの長男亡F(昭和○年○月○日生。以下「亡F」という。)と原告であり、法定相続分は各二分の一である。

(6)  亡Fは、平成二二年一二月○日、死亡し、亡Fの唯一の法定相続人である原告が亡Fの財産を相続した。

(7)  亡Dの遺産から葬儀費用等を控除した残額は、四〇八二万一九五八円であり、被告はこれを利得した。

(8)  原告は、平成二三年、被告から亡Dの遺産のうち二〇五二万八八五五円を受領した(原告後見人)。

三  争点

(1)  本件遺言の方式違背の有無

(原告の主張)

本件遺言には、以下のとおり方式違背があるから、無効である。

ア 口授がないこと

本件遺言作成に当たり、Bが遺言の文案を作成し、これを公証人に提示し、公証人は、Bが作成した遺言の文案に従って、本件遺言の文案を作成した。公証人は、a園において、遺言の文案どおり本件遺言を作成した。本件遺言作成前に、本件遺言と同じ内容の遺言書の文案が亡Dに呈示されていない。本件遺言の文案は、公証人からBに呈示されただけと思われる。

よって、本件遺言は、亡Dが遺言の趣旨を口授したといえず、無効である。

イ 亡Dが全盲であること

亡Dは、本件遺言当時、全盲であり、本件遺言の筆記の正確なことを自ら確認することができない。

よって、本件遺言は、亡Dが筆記の正確なことを承服したものとはいえず、無効である。

ウ 証人となることができない者が証人となっていること

本件遺言は、遺言者の葬儀費用等を除いた残りの亡Dの財産全部を、被告が経営するa園に包括遺贈する内容である。しかるに、本件遺言の二人の証人は、いずれも受遺者であるa園の寮母である。

推定相続人及び受遺者並びにこれらの配偶者及び直系血族を証人欠格者と定めた民法九七四条二号の類推適用により、受遺者と強い利害関係を有する受遺者の従業員である者は、公正証書遺言の証人となることができないと解するべきである。

よって、本件遺言は、民法九七四条二号に違反し無効である。

エ 嘱託人が亡Dでないこと

本件遺言には、「この正本はe市f町g番地養護盲老人ホームa園において前同日作成し嘱託人Gに之を交付する。」と記載されており、嘱託人が亡Dではない。

よって、本件遺言は、亡Dの遺言としては無効である。

(被告の主張)

否認ないし争う。

ア 口授のないこと

否認ないし争う。

イ 亡Dが全盲であること

亡Dが本件遺言作成当時、全盲であったことは認め、その余は否認ないし争う。

ウ 証人となることができない者が証人となっていること

本件遺言の証人二名が、本件遺言作成当時、a園寮母であったことは認め、原告の主張は、争う。

a園と上記証人は、単なる雇用者と被雇用者の関係にあり、強い利害関係にない。民法九七四条二項を類推適用する合理性もない。

エ 嘱託人が亡Dでないこと

否認ないし争う。

原告主張の記載は、単なる誤記である。

(2)  錯誤無効の成否

(原告の主張)

ア 亡Dは、いずれも精神障害を有する原告及び亡Fの療養及び将来の生活を非常に気にかけており、自分の遺産は、原告及び亡Fの生活のために使うことを強く希望していた。原告及び亡Fはいずれも遺産の管理能力に欠けていたので、亡Dの遺産に関する真意は、亡Dの全ての遺産を原告及び亡Fに二分の一ずつ相続させ、a園園長が亡Dの預貯金等の財産を管理することにあった。しかし、亡Dは、全盲であり、かつ遺言の作成方法やその効力等の法律に無知であったため、全財産を被告に遺贈し、付言事項として原告及び亡Fの生活費等を被告に負担させることを記載した本件遺言をした。亡Dは、付言事項が法的拘束力を有しないことについて全く知らず、自分の遺産は全て原告及び亡Fの生活のために使用されるものと誤認していた。

よって、本件遺言は、錯誤により無効である。

イ 亡Dは、遅くとも平成一八年頃には判断能力がなく、平成一七年の時点では、全盲のほかやや難聴があり、中度の記憶障害、不安、幻覚、妄想の精神障害もあった。亡Dが、遅くとも平成五年頃から全盲となり、家族である原告や亡Fにも精神障害等があったことなどからみて、亡Dは、本件遺言作成当時、遺言の内容やその法的効力を十分に理解する能力がかなり低かったことも、錯誤の判断において考慮されるべきである。

ウ 本件遺言と、本件遺言に先立って、亡Dが述べた遺言の内容を、Bが職員に指示してまとめさせた別紙遺言書と題する書面(以下「本件遺言骨子」という。)とでは大きなそごがある。同書面では、亡D死亡後に亡Dの財産から原告及び亡Fの生活費や入院費を支払い、原告及び亡Fの死亡後に亡Dの財産がある場合には、被告から寄付するというものであった。本件遺言は、本件遺言骨子と大きく異なり、亡Dの真意とかけ離れた内容になっている。

(被告の主張)

否認する。

ア 亡Dは、平成一二年二月頃、Bに対し、遺言の作成方法を尋ねるとともに、遺言を作成したい旨の申し出をした。

その後、Bが期間をおきながら数か月掛けて、亡Dの希望する遺言の内容を聞いたところ、亡Dの意思が変わらなかったため、Bは、同年六月、亡Dから遺言内容を聞き取り、本件遺言骨子を作成した。Bは、同年七月、亡Dのおいで身元引受人であったH(以下「H」という。)、Hの妻及びe市の福祉事務所員をa園に招いて、亡D同席の下、遺言意思やその内容の確認を行った。その後、本件遺言骨子に含まれていたマンションの売却代金や墓の処分については、Bの尽力により解決した。

亡Dは、公証人に対しても、遺言の意思を伝えた。

本件遺言は、平成一二年二月から同年一二月まで約一一か月の期間を経て作成されたものであり、この間、相談・打合せを多数回した。本件遺言には亡Dの真意が十分に反映されており、亡Dにおいて錯誤の働く余地はなかった。

イ 亡Dの判断能力が本件遺言作成時において、遺言作成に支障を来す程度に低下していたという事実はない。

(3)  詐欺取消、追認又は法定追認の有無、信義則違反

(原告の主張)

亡Dは、少なくとも亡Dの死亡後に亡Fの生活費が不足した場合、被告が亡Dの遺産から、亡Fの生活費を支払ってくれるものと信じていた。しかしながら、被告は、亡Dの真意を知りながら、平成二二年五月○日、亡Dからの生活費の援助を拒否し、原告及び亡Fに対する生活費の援助を行わないばかりか、平成二二年八月四日には亡Dの預金を無断で払い戻し、平成二三年一月○日には、亡Fの貯金から払い戻しをしている。被告は、Bを通じて、亡Dを欺罔して本件遺言を作成させたものである。相続人である原告は、平成二六年三月○日の本件弁論準備手続期日において、本件遺言を取り消す旨の意思表示をした。

(被告の主張)

否認する。

被告は欺罔行為など一切行っていない。原告からは、具体的な欺罔行為や錯誤についての主張がなく、失当である。

また、原告後見人は、原告の法定代理人として、平成二三年二月○日、本件遺言第一条により、亡Dの遺産が被告に帰属していることを前提として、遺留分減殺請求を行い、本件遺言第四条に基づく原告の生活費の請求をした。かかる行為は、本件遺言の追認行為や「履行の請求」(民法一二五条二号)に該当する。

原告遺言書に則った請求をしておきながら、遺言の取消しを主張するのは信義則違反(禁反言)である。

(4)  解除条件の成就

(原告の主張)

本件遺言は、被告及びBが亡D死亡後に原告及び亡Fの生活費の負担をしないことを解除条件とする遺贈であったと解される。

被告及びBは、亡Fの生活費の負担を拒否し、亡Fが生活保護を受給した時点で、上記解除条件が成就しており、本件遺言はその効力を失った。

(被告の主張)

争う。

(5)  不当利得返還請求の成否

(原告の主張)

前記(2)ないし(4)のとおり、本件遺言は無効である。

亡Dの遺産は四〇八二万一九五八円である。亡Dの遺産は、原告及び亡Fが各二分の一ずつ相続により取得し、亡Fの死亡により、亡Fの遺産を原告が相続した。

被告は、亡Dの遺産のうち二〇五二万八八五五円を原告に支払った。

よって、原告は、被告に対し、不当利得に基づき、上記各金員の差額二〇二九万三一〇三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二五年一〇月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払請求権を有する。

(被告の主張)

争う。

第三当裁判所の判断

一  争点(1)について

(1)  口授がないとの主張について

原告は、本件遺言において、亡Dが遺言の趣旨を口授したとはいえない旨主張する。

しかし、本件遺言には、遺言者である亡Dの口授を筆記して、証書を作成し、遺言の内容を読み聞かせ証人が自書し、原告については公証人が代署した旨の記載があるところ、亡Dが遺言の趣旨を口授しなかったと認めるに足りる証拠はない。

よって、原告の上記主張は採用できない。

(2)  亡Dが全盲であるとの主張について

原告は、亡Dが、本件遺言当時、全盲の者であり、本件遺言の筆記の正確なことを自ら確認することができず、従って、本件遺言は、亡Dが筆記の正確なことを承服したものとはいえず、無効である旨主張する。

民法九六九条三号は、公証人が遺言者の口述を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせるか、閲覧させることのいずれかを行うことを定めているところ、遺言者が全盲であっても、遺言者が口授し、公証人が遺言の内容を読み聞かせることによってその内容を確認でき、それで足りるというべきであるから(最高裁昭和五五年一二月四日第一小法廷判決・民集三四巻七号八三五頁参照)、全盲の者が作成した公正証書遺言も、遺言者が口授し、公証人が遺言の内容を読み聞かせれば有効であると解される。そして、本件遺言において、亡Dが口授し、公証人が遺言の内容を亡Dを含む列席者に対し読み聞かせていることが認められる。

よって、原告の上記主張は採用できない。

(3)  証人の適格性がないとの主張について

原告は、本件遺言の証人が、受遺者であるa園の寮母であり、民法九七四条二項類推適用により、これらの者は公正証書遺言の証人となることができないから、本件遺言は無効である旨主張する。

民法九七四条二号は、受遺者の配偶者及び直系血族を証人となることができないとしているところ、受遺者の寮母(職員)が、民法九七四条二号その他の同条の証人欠格事由に該当するといえない。民法九七四条二号は、遺言に関して強い利害関係を持つ者を証人から排除する趣旨と解するのが相当であるが、受遺者の職員が、受遺者の配偶者及び直系血族(これらの者は受遺者の相続人となり得る者であるから、遺言について間接的に利害関係を有している。)と同様の利害関係を有するとはいえないから、受遺者の職員について、民法九七四条二号を類推適用するのが相当と解することはできない。

よって、原告の上記主張は採用できない。

(4)  嘱託人が亡Dでないとの主張について

原告は、本件遺言の嘱託人が「G」とされているから、本件遺言が無効である旨主張する。

しかし、本件遺言の前文や当事者の表示、署名押印の各欄に「D」の記載があることからすれば、上記「G」の記載が「D」の誤記であることは、一見して明らかである上、本件遺言について、上記「G」は、「D」の誤記である旨の平成二二年八月一一日付け誤記証明書が存するのであるから、かかる誤記は、本件遺言の有効性に影響を及ぼさない。

よって、原告の上記主張は採用できない。

(5)  したがって、本件遺言に方式違背がある旨の被告の主張は採用できない。

二  争点(2)について

(1)  後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ア 原告と亡Fの状況や亡Dとの関係

(ア) 原告は、未熟児で仮死状態で生まれ、小中学校は普通学級に通ったが、オール一の成績であった。原告は、中学校卒業後、在宅で生活し、主にEより生活面の介助を受けたが、同人による介助が困難となり、昭和六二年三月、知的障害者更生施設であるh県立c園に入所した。原告の平成一九年時点の診断名は最重度精神遅滞等であった。

亡Dは、平成一三年三月、施設入所中の原告とも面会をし、施設の職員に対し、原告の健康状態、金銭が足りているのかを心配し、送金するとの申出をしていた。亡Dは、平成二一年三月時点で、c園の職員に対し、亡Dが死亡した際に、亡Dの遺産が原告に渡るかを心配していた。

(イ) 亡Fは、生まれつきの精神遅滞と精神障害があり、昭和四三年頃、統合失調症を発症し、平成四年五月から、精神科のあるd病院に入院した。

亡Dは、平成四年五月から平成一八年までの間、入院中の亡Fと度々面会し、d病院に対し、亡Fの入院費が足りているかを問い合わせたり、亡Fに対し、小遣いの送金や荷物の送付等をしていた。d病院のケースワーカーが、平成一二年一一月頃、亡Dに対し、亡Fの生活費が不足しているため、生活費の援助を求めたこともあった。

イ 亡Dの生活状況等

(ア) 亡Dは、以前より白内障と緑内障を患って視力が低下し、平成五年頃、全盲となった(弁論の全趣旨)。

(イ) 亡Dは、h県e市所在のマンション(以下「自宅マンション」という。)に暮らしていたが、平成八年四月、a園に転居し、同年九月○日、自宅マンションを売却したが、同売却代金は、亡Dのおいで、a園入所に関する亡Dの身元引受人であるHが管理していた。

ウ 本件遺言作成の経緯及び状況等

(ア) 亡Dは、平成一二年二月頃、Bに遺言書作成の質問をした。

(イ) 亡Dは、同年四月及び同年五月、Bに遺言書を作成したい旨申し出た(なお、原告は業務日報が改ざんされており、信用できない旨主張するが、上記認定及び後記の認定をする限りにおいて、その信用性に疑問を抱かせる事情があるとは認められない。)。

(ウ) 亡Dは、同年六月五日頃、作成したい遺言の内容を述べ、その内容を被告職員が本件遺言骨子第一項ないし第五項記載のとおりにまとめた。

(エ) e市社会福祉事務所の職員は、被告の依頼を受け、同年七月四日、亡Dの意思を確認するため、a園を訪れて、Hとその妻同席の下、亡Dに意思を確認した。その際、本件遺言骨子第二項の亡Dの自宅マンションの売却代金について記載に変更があるが、その余は、変更がないとされた。

その後、Hが管理していた自宅マンション売却代金が、亡Dに支払われるなどしたため、自宅マンションの売却代金の件(遺言骨子第二項)は解決した。

(オ) 亡Dのi霊園の墓地の処分とh県e市所在のb寺への埋葬予約の件(遺言骨子第一項、第三項)は、同年九月、i霊園にある○○家の墓地を処分し、h県e市所在のb寺に移動する手続等を取ることにより解決した。

(カ) 亡Dは、同年一一月、Bに対し、公正証書遺言を年内に作成したい旨申し出たため、Bは、その頃、公証人と連絡を取り、亡Dが希望する遺言の概略や前記(エ)(オ)の自宅マンションの件と墓地の件が解決済みであることなどを述べ、被告職員が公証人に本件遺言骨子をファックスした。

(キ) 平成一二年一二月一九日、本件公正証書遺言が作成された後、Bは、a園において、本件遺言を保管していた。本件遺言作成後、本件遺言について亡DとBの間で話題に上ったことはなかった。

エ 亡Fは、平成二二年一一月○日、h県e市福祉事務所長に対し、生活費を賄えないとして、生活保護の申請をした。

オ 被告代理人弁護士は、平成二三年三月○日付け通知書において、原告後見人に対し、本件遺言第四条は法的拘束力はないと考えているなどと主張し、原告の生活費の要求には応じられない旨回答するなどした。また、被告代理人弁護士は、原告後見人からの原告の生活費の請求に対する、同年八月○日付け意見書において、本件遺言第四条の付言事項は、「a園園長に対し、原告と亡Fの二人が施設や病院に居られなくなった場合には、宜しくお願い致しますということで、法的拘束力を伴う強制ではなく任意的履行を求めているのです。」と述べ、生活費の請求には応じられないとした。

(2)  遺言は、遺言者の最終的な意思表示であり、しかも死後においては自らその内容、動機等を説明することができないのであるから、錯誤の認定は慎重になされることが必要であるところ、錯誤により遺言が無効とされる場合とは、当該遺言における遺言者の真意が確定された上で、それについて遺言者に錯誤が存するとともに、遺言者が遺言の内容となった事実についての真実を知っていたならば、かかる遺言をしなかったといえることが必要である。

ア 前記(1)ア及びウ(ア)ないし(カ)の事実、本件遺言骨子の内容からすれば、亡Dは、平成一二年六月当時、本件遺言骨子記載の内容の遺言を実現することを希望していたものの、本件遺言骨子のうち、自宅マンションの売却代金の件(遺言骨子第二項)、亡Dのi霊園の墓地の処分とb寺への埋葬予約の件(遺言骨子第一項、第三項)は、平成一二年九月までに解決したと認められる。そうすると、同年一一月時点において、亡Dは、①原告と亡Fが施設の生活や入院生活等で金銭を必要とする場合は、Bにより亡Dの所有金から支出してもらいたいこと(遺言骨子第四項)、②亡D、原告、亡Fが死亡した場合は、Bによりその葬儀並びにb寺への納骨埋葬を執り行ってもらい、亡Dの所有金に残額がある場合は、その残額を被告に寄付すること(遺言骨子第五項)を実現するために本件遺言を作成するという意思を有していたと認められる。

また、原告及び亡Fの母親である亡Dは、生前、平素より、原告及び亡Fの生活や経済状態を心配していたところ、前記(1)アのとおりの原告や亡Fの生育歴、障害の内容、自立できない生活状況等や、夫のEも平成二年に死亡していたことからすれば、このような亡Dの心情は、親一般が子に抱く心情と比較しても、相当強かったと推認でき、また、このような亡Dの心情が変わるということも考え難い。

上記①②の内容や亡Dの心情等からすれば、平成一二年一一月から間もない本件遺言作成時の亡Dの意思は、上記①②を実現するというもの、具体的には、原告と亡Fが施設の生活や入院生活費等で金銭を必要とする場合、原告や亡Fが金銭に困ることのないよう、確実に被告(a園)により亡Dの所有金から金銭を支出し、亡D、原告及び亡Fが死亡した場合は、被告(a園)によりこれらの者の葬儀を執り行ってもらい、亡Dの所有金に残額があれば、残額を被告に寄付することにあったものと認められる。

イ しかるに、前記前提事実(3)のとおり、本件遺言において、亡Dは、亡Dの葬儀費用並びにb寺への納骨埋葬費用を除いた残りの遺言者所有の遺産全部を包括して、a園に遺贈する(第一条)ほか、付言事項として原告と亡Fが、施設の生活や入院生活等でお金を必要とする場合及び両人が死亡した際の葬儀並びにb寺への納骨埋葬費用を、私の寄付金から支出して頂くようa園園長にお願いする(第四条)とされている。原告や亡Fの生活費や入院生活費、葬儀、b寺への納骨埋葬費用を被告が支出することは付言事項であって「お願いする」に過ぎないことからすれば、本件遺言第四条は、受遺者であるa園(被告)に、原告や亡Fに生活費等を支払う法的義務を負わせるものではないと解される。また、本件遺言は、原告や亡F死亡前であっても、被告に葬儀費用等を除いた残りを包括遺贈する趣旨と認められる。

本件遺言の内容は、被告が原告や亡Fの生活費や入院生活費を支払うことが法的義務ではないという点や、亡Dのみならず原告や亡Fが死亡し、葬儀費用等を執り行い、亡D所有の金員に残額がある場合に、被告に亡Dの有する財産を遺贈するものではないという点において、本件遺言時における亡Dの前記①②を実現する意思とは内容が異なっている。

そして、亡Dの前記アの意思に照らせば、原告や亡Fに生活費等が確実に支払われることが亡Dにとって極めて重要であって、少なくとも被告が、原告と亡Fに対し生活費等を支払う法的義務を負わない(原告や亡Fは、被告が支払を拒んだ場合、生活費が必要であっても支払を強制して求めることができず、任意の履行を期待できるにすぎない。)と認識していれば、本件遺言をしなかったと認められる。亡Dが全盲であったことや、当時七九歳と高齢であったこと、法的知識を十分に有していたと認められないことにも照らせば、亡Dが、本件遺言時、亡Dの死亡後、被告が、確実に原告や亡Fに生活費等を支払ってくれるものとの誤信して本件遺言をしたものと推認できる。

ウ もっとも、平成一二年一一月時点での亡Dの意思が、前記アのとおりであったとしても、その後、亡Dが、公証人との打合せ等を経て認識を何らかの形で変化させ、被告が原告や亡Fに生活費等を支払う法的義務を負わないなどの遺言内容であってもよいとの認識を有するに至り、本件遺言当時、錯誤に陥ってなかった可能性もないとはいえない。

しかし、Bも、本人尋問で、本件遺言骨子の内容と本件遺言第四条の内容の変化について、あまり意識しなかった、理由は分からないと供述するにとどまり、Bや被告職員が亡Dに対し本件遺言の内容や意思を確認したことはなかった。また、被告がe市福祉事務所やHに本件遺言の内容を知らせ、e市福祉事務所職員やHが亡Dの意向を確認したといった事情も認められない。仮に亡Dが本件遺言において被告が原告や亡Fに生活費等を支払う法的義務を負わない(任意の履行を期待するにとどまる。)ことを認識していたとすれば、亡Dが、亡Dの死後、原告や亡Fへの生活費等の任意の支払を被告に滞りなくしてもらえるよう、a園の園長であるBに重ねて生活費等の支払を依頼することも考えられるが、Bや亡Dの間で、本件遺言作成後、本件遺言のことが話題に上ったことはなかった。そして、ほかに、平成一二年一一月から本件遺言を作成した同年一二月○日までの間に亡Dの意思が変わったことをうかがわせる事情も認められないことからすれば、本件遺言時においても、亡Dは、上記意思を有していたものと認められるから、前記イのとおり、亡Dは本件遺言時に錯誤に陥っていたと認められる。

エ そうすると、本件遺言について、被告が原告や亡Fに生活費等を支払う法的義務を負っていないという点について亡Dに錯誤があると認められる。

(3)  以上からすれば、本件遺言は、争点(3)(4)を判断するまでもなく、亡Dの錯誤により無効であると認められる。

三  争点(5)について

前記二のとおり本件遺言は無効であるところ、前記前提事実(5)(6)のとおり、亡Dの法定相続人は原告と亡Fであり、亡Fの死亡により亡Fの財産は原告が相続した。そうすると、亡Dの相続財産は、亡Dの死亡により原告と亡Fが各二分の一ずつ相続し、その後、原告が亡Fの財産を全て相続したことになる。

そして、前記前提事実(7)(8)のとおり、亡Dの死亡時の遺産から葬儀費用等を控除した残額は、四〇八二万一九五八円であり、既に原告が受領した二〇五二万八八八五円を控除した残金は、二〇二九万三一〇三円となるから、被告は、法律上の原因なしに上記二〇二九万三一〇三円を利得し、原告には同額の損失があると認められる。

よって、被告は、不当利得に基づき、原告に対し、二〇二九万三一〇三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二五年一〇月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。

第四結論

以上のとおり、原告の請求はいずれも理由があるから、これらを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 塩原学)

別紙<省略>

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