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さいたま家庭裁判所 平成13年(少)2853号 決定 2001年9月05日

少年 K・T(昭和58.6.9生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(罪となるべき事実)

少年は、A及びBと共謀の上、平成13年7月23日午前2時20分ころから同日午前2時50分ころまでの間、福島県郡山市○○町○△字○△××番地所在の△△コーポ前駐車場において、C(当時19歳)に対し、こもごも多数回にわたり、その顔面、頭部、肩部、脚部等を平手及び手拳で殴打あるいは足蹴りし、前記Aが前記Cの頭部を鷲づかみにして同町○△字○△××番地所在の□□方北側壁面に数回叩きつけた上、同日午前2時50分ころ、前記Aが前記Cの頭部を鷲づかみにして前記△△コーポ階段東側壁面に数回叩きつけ、さらに、そのころから同日午前3時30分ころまでの間、前記△△コーポ×××号室内において、こもごも多数回にわたり、前記Cの顔面、頭部、腹部、肩部等を手挙で殴打あるいは足蹴りするなどの暴行を加え、同人に急性硬膜下血腫等の傷害を負わせ、よって同月26日午前5時10分ころ、同市△□×丁目×××番地所在の財団法人△□病院において、前記傷害による肺動脈血栓症により同人を死亡させたものである。

(法令の適用)

刑法60条、205条

(処遇の理由)

1  本件は、合宿制の自動車学校において、たまたま教習時期の重なった生徒たちの間で生じた傷害致死事件である。少年及び共犯者らの3名は、自動車学校入校当初から、自己の少年院歴や暴走族の経験を吹聴するなどして悪ぶっているように見えた被害者に対し、それぞれがあまり快い印象を持っておらず、陰口をたたくなどしていた。少年らは、当初は遊び半分で、被害者を鴨にして賭トランプで金を巻き上げたり、被害者のゲーム機等を盗むなどの悪戯をするようになったが、それでは飽きたらず、本件当日は、被害者に「ヤキを入れよう」という話になり、被害者を散々挑発したものの、全く取り合う様子のないことに憤りを募らせ、飲酒の上での勢いもあって、次第に激しい暴力へと発展していき、1時間以上にわたる一方的な暴行の末、最終的に被害者死亡という取り返しのつかない結果となったものである。このように本件は、少年らが被害者を気に入らないという、ただそれだけの理由に端を発しており、動機の面で少年らに酌むべき事情はないのみならず、その行為態様をみても、特に、人体の枢要部分である頭部に対して、多数回手拳で殴打又は足蹴にしたほか、壁に打ち付けたり、鍋で変形するほど強打するなど、執拗かつ強度の打撃を与えており、凄惨なものである。また、暴力に加えて、フォークやたばこの火を目に突きつけて脅したり、虫を食べさせようとしたり、ライターオイルを体にふりかけた上で火をつける真似をするなど、怯える被害者をいたぶって楽しんでいるかのような残虐性も見受けられる。もとより被害者にはこのような扱いを受ける謂われは全くないのであるが、それにもかかわらず、少年らに対して自らの態度を詫びて許しを請い、少年院に入って親に迷惑をかけたから同じ過ちを繰り返すわけにはいかず喧嘩はできない旨切々と訴え、終始無抵抗で非情な暴力に甘んじていた被害者の気持ちを考えると、本件の結果は余りに残酷で無念というほかない。また、少年らは、犯行後も、救急車を呼ぶまでに意識不明の被害者を約30分間放置した上、屋外に運び出したりして、証拠隠滅行為に奔走しているのであって、この期に及んで、被害者の生命よりも自分たちの保身を考えるその身勝手さには目に余るものがある。その結果、19歳という若さで尊い命が奪われており、結果は誠に重大であって、遺族の被害感情にも強いものがある。以上の事実に照らせば、少年らの責任は重いといわざるを得ない。本件において、少年は、被害者に対する一連のいじめ、暴行に関して、最初から一貫して関与し、自らも相応の暴行を被害者に働いていることを考えると、決してその役割を軽視することはできない。本件は、故意行為により被害者を死亡させたものであり、少年法20条2項に該当する原則逆送事案であることを考えると、前記のような事案の悪質性に鑑みて、少年については、原則どおり検察官送致として、刑事裁判を通じてその責任を間うとすることにも十分理由があると考えられるところである。

2  しかしながら、他方で、少年の共犯者間における位置づけを見ると、本件のきっかけを作り、最後の瞬間に至るまで終始主導的に振る舞っていたのは、共犯者のAであり、それに続いてBが重要な位置を占め、少年は、1学年先輩である共犯者ら2人に同調する形で追従的に振る舞っていたことは関係証拠から明らかである。そして、被害者に対する暴行の程度や回数についても、共犯者ら2人と比較して劣っていることが認められ、とりわけ、被害者の死因は脳障害によるものであるところ、関係証拠によれば、少年は頭部に対しては強度の暴行を加えていないものと認められる。したがって、共犯者ら2人に比して、少年の本件に対する責任の重さは自ずと異なると考えることができる。

3  また、以下に述べるとおり、少年が本件に関与することになった原因を考えると、その問題の改善のためには、刑事処分よりも保護処分の方が適するものと考えられる。

まず、鑑別結果に指摘のとおり、少年には、自信のなさの裏返しとして、虚勢を張って自分を実力以上に強く見せようとする傾向が認められ、それが本件へ関与する一因となっている。すなわち、自動車学校内において、少年は、初めて顔を合わす同年代の者たちの間で過ごすこととなったが、馬鹿にされたくないという意識が強く働き、当初から虚勢を張り、現役の暴走族であると偽って盛んに不良顕示している。本件事件においても、共犯者らの目を意識し、共犯者から促されると、それまで虚勢を張っていた手前、自分も加担しないと格好がつかないと引くに引けずに暴行に参加している。そして、悪ぶっていた被害者が、一転して、年下の自分に頭を下げ、許しを請う体勢となると、「自分の方が上になった気がした」と優越感に浸っている。ただし、少年には、本質的に粗暴性があるわけではなく、好んで暴力を振るおうとするまでの気質は認められない。むしろ、少年が終始関与することとなったのは、周囲からの影響を受けやすく主体性の乏しいところがあり、特に強い権威的な人の前では萎縮して必要な自己主張も躊躇してしまい、結果的に追従的、同調的に行動しやすいところがあるためと思われる。本件において、共犯者Aは、少年にとって威圧的な存在であり、元来の気の弱さから、ここで止めたらAにどう思われるかという意識のみが念頭にあり、先の見通しなどには全くといっていいほど考えが及んでいない。実際のところは、少年に限らず、共犯者らもまたそれぞれ虚勢を張り、背伸びして不良顕示していたのが実情であるが、付合いの浅い者同士であったがために、互いに牽制し合っているうちに、収拾がつかなくなり、今回のような悲劇につながってしまっている。

また、少年は、他人に暴力を振るうことの危険性についての認識が甘く、状況判断力に問題がある点が指摘できる。すなわち、少年は、共犯者らから、被害者に「ヤキを入れに行こう」との話が出た時点では、被害者に不快の念を抱いていたことから多少ならいいであろうなどと思っており、Aが被害者を挑発し侮辱するような態度に出ても、当初は笶ったりしてその場の雰囲気を楽しんでおり、被害者に対する暴行についても、最初のうちはさほど躊躇を感じていない。しかし、もう暴行は十分であろうと思っているうちに、少年の予想を超えて、Aの行為がエスカレートしていってしまい、次第に、少年自身が、止めたりしたら逆に自分がやられてしまうのではないかと不安になり、止めることもできなくなっている。少年は、審判において、刃物や挙銃などの区器を使用せずに、殴ったり蹴ったりしただけで人が簡単に死ぬとは思わなかった旨神妙な面もちで述べたが、本件は少ない暴行で予想外の結果を生じた事案ではなく、最悪の結果が十分予想されるだけの執拗な暴行を加えているのであって、その様子を目の当たりにしながら、危機感を抱けずに安易に同調姿勢を維持しているところに、少年の状況判断力の悪さが見て取れる。

4  合宿制の自動車学校という、ある意味非日常的な空間の中で、このような行動に出た少年の背景には、これまでの少年の家庭環境も影響していると思われる。少年は、両親と妹2人の5人家族の一員として、厳格な父のもと、大きく生活態度を崩すことなく成長してきている。しかし、偉大な父を尊敬する反面、父の権威に圧倒され、萎縮してものも言えず、何事に対しても自信を持てずにいる。その反動で、不良がかった格好をして虚勢を張ることで、そうした自分の弱さを補償しようとしてきている。

また、少年は、中学を卒業して父の仕事の手伝いを始めたころから、家庭でも職場でも終始父と一緒の毎日となったため、次第に強いストレスを感じるようになり、幾度となく父から逃避する形で親戚宅に無断外泊するなどしていたが、遊んでいても絶えず憂鬱な気分に支配されており、平成12年の夏ころには、過敏腸症候群という身体的症状を呈するまでに深刻化していた。医者からは神経性のものであると言われ、今でも腹が痛むことがあるという。本件当時、少年は、自宅を離れ、父の重圧から逃れて過ごしていたことで、「生まれて初めてパチンコをしたり、夜中の2時、3時に外をブラブラした」りして、開放感に浸り、暴走族に加入しているなどと偽って「自分が自分でないような」自己拡大感を抱いていたことが窺われ、このことも少年を本件に関与させる一因となっている。

以上のような本件関与の原因となった少年の性格、行動傾向等は、いずれも精神的ないし社会的に未成熟であるがゆえの問題行動として理解することができるものである。そして、これらの問題点に対しては、矯正教育を施すことによって、少年に自己の問題点を認識させ、本件行為の重大性を自覚させた上で、正しい形での自信や主体性を身につけさせ、状況に応じた適切な行動が取れるよう改善に向けて指導していくことが望ましい対応であると考える。

5  少年の両親は、けじめのあるしっかりとした生活方針の持ち主で、少年に対しても愛情をもって教育してきており、表面的には、家庭的な負因は見あたらない。両親ともに今回の事件を深刻に受け止め、遺族宅を訪問して謝罪を行うなどの誠意も見せている。しかし、本件のような場面において、少年の行動が前記のような形に出たとすると、家族のあり方についても、今後見直していく必要があると思われる。少年は、審判において、「父に対する恐怖心」に常につきまとわれて辛かった旨述べるが、父に特段厳しく叱責されたわけでも体罰を加えられたわけでもなく、なぜ恐怖心が拭えないのか、その原因については、少年自身まだ整理できていない状態である。父も今回の一連の措置を通して、認識を新たにしており、今後、本人に対する接し方を見直していく気持ちを持っている。父も少年もともに、将来的には父の仕事を継ぐことを希望しており、そのためには避けては通れない課題であるが、原因が解明できていない現状では、今後、父と少年が円滑に意思疎通できるようになるまでには、専門家の助言指導を受けつつ、時間をかけて親子関係の調整を図っていくことが必要であろうと思われる。

6  また、少年は、入鑑当初は、緊張感や深刻さに乏しいと思われる態度が見られるなどしていたが、観護措置を経て徐々に内省も進み、審判においては、決して共犯者らに責任を転嫁することなく、自分の問題として本件を真摯に受け止めている様子が窺われた。しかしながら、人がこれほど簡単に死ぬとは思わず、命というものについて初めて深く考えた旨述べている少年が、被害者死亡という現実を真の意味で理解するまでには、まだ相応の時間を要するというべきである。

7  以上のとおり、本件は、原則逆送事案であり、前記のような事案の重大性、悪質性からすれば、少年についても刑事処分相当との見方も十分考えられるところではあるが、一方で、本件において少年の果たした役割は決して軽視できるものではないものの、少なくとも主導的立場ではなく、少年の暴行が致命傷を与えたものではないと思われること、本件に見られる少年の行動傾向等の問題点は、いずれも矯正教育による指導、改善が適すると思われるところ、少年にはこれまで非行歴もなく、まだ18歳になったばかりで矯正可能性はあると思われることなどを考慮すれば、少年に対しては保護処分の範囲内で、施設に収容して安定した環境の中で矯正教育を受けさせることが相当であると考える。そして、その期間については、少年の内面的な問題点を見つめ直し、贖罪教育を受け、死亡という重大な結果を真正面から受け止めて被害者やその遺族に対する気持ちを整理していき、加えて父との心理的な葛藤を解きほぐしていくためには、相当長期間の処遇が必要であると考え、その旨勧告する次第である。

よって、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用して少年を中等少年院に送致することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 澤井知子)

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