中之条簡易裁判所 昭和34年(ろ)57号 判決 1962年1月23日
判 決
本籍ならびに住居
群馬県群馬郡倉賀野町一七一四番地
自動車運転手
鈴木藤作
大正五年六月二四日生
右の者に対する業務上過失傷害(予備的訴因道路交通取締法違反)被告事件について昭和三四年一〇月二九日付にて中之条簡易裁判所裁判官渋谷亀三の発した略式命令に対し被告人から適法な正式裁判の請求があつたので、当裁判所は検察官湯浅充親出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。
主文
被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。
被告人が右の罰金を完納出来ないときは金五〇〇円を一日の割合に換算した期間右の被告人を労役場に留置する。
訴訟費用中、証人斎藤千秋、同鎌須賀城吉、同豊田嘉雄の三名が昭和三六年一〇月二二日証人として出頭したのに対し右各証人に支給した分は被告人の負担とし、その余の分は被告人に負担させない。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は昭和一〇年頃自動車の運転免許を受け、昭和二七年一月頃から高崎市柳川町一番地群馬観光自動車株式会社に運転手として就職し、爾来同会社の観光客輸送用貸切大型旅客自動車の運転操縦業務に従事するものであるが、昭和三四年七月二七日午後三時三〇分頃高崎市本町二丁目子供会(代表者相馬照司外約五〇名)の団体観光客を前記会社所有の大型観光バス(群二あ〇一〇六号車)に乗せて、これを運転し、群馬県吾妻郡長野原町大字川原湯温泉所在の旅館敬業館みよし屋の前庭から発車し国鉄川原湯駅方面に通ずる通路上にでて間もなく、同日午後三時三〇分過頃同郡同町大字川原湯五一六番地煙草雑貨小売商土屋栄太郎方前路上にさしかかり時速約二キロ乃至三キロメーターで徐行中、該道路右側土屋栄太郎方の庇下に「日よけ」が張出してあり、その一端に被告人の運転していた前記自動車の右前外側のバックミラーを接触させたことに気付いた被告人は、一旦自動車をそのまま停車させて運転手席の窓から手を出し、右バックミラーの位置を正常に直した後前方を注視したところ該道路上前方約三〇メーター余の郵便局前に小型自動車の停車しているのを発見し、クラクションを吹鳴した上、前方および右側方に注意しつつ該自動車を発進させるに際し、該地点の道路は同所附近において幅員約四メーター前後でその附近からやや下り匂配の坂道となり、左にカーブし、道路の左端には高さ約三〇センチメーター(頂上平面の幅一〇乃至一七センチメーター)のコンクリート製車止めを設置してあり、その外側は下方に向い約四メーターの石垣式崖となつており、この道路の沿道の前方および後方等の両側には温泉旅館、共同浴場、郵便局、土産品販売店等が建ち並び、常時観光客や一般人車等が来往することの比較的多い場所であるのに、被告人の運転していた自動車は全長九メーター余、横巾二メーター二五センチの大型観光用バスであつて、右ハンドルでもあり、通行人等が左前方から接近し、左側方を通行するような場合には被告人の着席している位置からは十分これらの通行人の位置、姿態、動作等の一部始終を見きわめることが困難なこともあり得るので、そのような場合には同乗の車掌等に十分連絡をとり、又は一時停車を継続し、被告人自ら自己の自動車の周囲を点検し、通行人や道路の状況に対応し、自己の車は勿論、他の通行人等の安全な通行や避譲を確認した上で、自己の自動車の運転操縦をすべきであるのに拘らず、被告人は右の場合、かような状況のもとにおいて十分な処置をつくさないで、主として前方および右側方に気をとられたまま漫然自車を発進させ、もつて道路および交通の状況に応じ、公衆に危害を及ぼさないような方法で右自動車を操縦運転しなかつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(公訴事実―所謂本位的訴因に対する判断)
一、本位的訴因。
本件起訴状記載の公訴事実すなわち検察官の予備的追加のなされる以前の訴因(所謂本位的訴因)によれば、
「被告人は普通自動車の運転業務に従事する者であるところ、昭和三四年七月二七日午後三時四〇分頃群二あ〇一〇六号普通自動車を運転し、川原湯温泉から国鉄川原湯駅に向つて時速三粁で進行し、吾妻郡長野原町大字川原湯五一六番地煙草雑貨商土屋栄太郎方前幅三・五米の道路の緩い左曲角の手前に差しかかつたところ、曾根朝起(五九年)等が前方約三〇米の道路左側を対面して歩いて来るのを認めたがそのまま進行し、前記土屋方前に差しかかつた際、同家「日よけ」の一端が自動車の右側バックミラーに引懸つたため、一旦停車して再び発進しようとしたが、右のように前方道路左側を対面して歩行してくる曾根朝起等を認めていることであり、その上、同所は右のように道幅が極めて狭く被告人の自動車がその中央部を進行するときは、左側は極度に狭くなり人が安全に通行し得なくなるので若し通行人があれば忽ち接触して事故の発生する危険があつたので、かかる場合、自動車の運転者として前方並びに右側を注視するは勿論車掌をして見させる等左側を注視し、その安全を確認した上、発進すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、これを怠り、前方並びに右側を一瞥したのみで不注意にも発車し時速約三粁で進行した過失により、その後、進んで同自動車と擦れ違おうとして偶々同自動車左側運転台附近を歩いていた曾根朝起に自動車の左側車体を接触させて左側石垣下に転落させよつて同人に安静加療約一二週間を要する第七胸椎圧迫骨折、腰部挫傷、右臀部挫傷兼変形性背椎症を負わせたものである」というのである。
二、問題点。
前掲各証拠によつて検討するに、右の当初の公訴事実(本位的訴因)は前記有罪認定をした予備的訴因たる事実と同一である範囲においてはこれを肯認出来るのであるが、問題となるのは、曾根朝起の転落負傷の結果が被告人の判示運転行為と相当因果関係をもつかどうかということである。
換言すれば刑法第二一一条の業務上過失傷害罪の構要件として「業務上必要なる注意を怠り因て人を死傷に致したる者」という場合における「因て人を死傷に致す行為」という場合、注意義務の懈怠による過失行為と死傷の結果との間に刑法上因果関係の存立すること、しかもその因果関係は相当因果関係でなければならない。
本件において具体的事実関係を各証拠によつて仔細に検討すると、被告人の自動車は、判示の通り判示場所で一旦停車し被告人がバックミラーをなおす間停車状態を継続してをり、次に発進した際も、ブレーキをかければすぐに停車出来る程度の速度で人が歩るく位いの速度と表現せられている。
そして二度目に停車する迄に進行した距離は二メーター乃至三メーターと考えられる。
又、曾根に先行した斎藤善一郎は自動車に接触しないで車側と判示「車止め」との間を無事通り抜けており、曾根は右斎藤から二歩か三歩おくれて進んだというのである。そして自動車と「車止め」との間の間隔は検証結果によると、最も狭い所で約四〇センチメーターであり、広い所では約一メーター前後ある。しかして最も狭い箇所は「車止め」がカーブしているため一箇所出来るだけである。
次に、前記各証拠のうち、曾根朝起の転落の模様を目撃した各証人の供述によると、一致して、同人が転落直前前記「車止め」の頂上の平面部に右足で立つてをり、左足を浮かし右足を軸にして身体を左へ廻転し仰向けの姿勢(背泳の際の状態)に転化し、空中に仰向けに浮かぶような姿で落下した趣旨を述べている。
右各証拠のうち、証人佐藤久敏の尋問調書の記載によると、「その人(曾根の意味)は「車止め」の脇を歩いて来てバスが来たのでその「車止め」の上にあがりました。それからその車止めの上を一メーター位歩きました。五歩位です。問、その人は左手に何か持つて居たか。答、左手には洋服を持つて居りました。(中略)問、その人はバスに接触したのか。答、服はバスにさわつたかも知れませんが、人は全然さわりません。よろめいてから落下しました。問、落下した人は何時頃「車止め」の上へ上がつたのか。答、バスの前部より前にコンクリートの上に上がりました。問、どんな格構で落ちたか。答、背中から落ちました。格構は大体平らの状態でした。」
となつている。
右の証拠によれば曾根は判示コンクリート製「車止め」の頂上の平面部を数歩あるいて後よろめき転落したものと認定出来る。又もしこの認定をもつて事案の真相にあらずとするとしても、曾根朝起の転落状況や負傷の模様から推論すると同人が道路上を歩行中判示自動車に接触したため道路端の「車止め」を越えて落下したものと認定するには証明が充分でない。
しかして、当審の取調べた証拠全部を綜合して検討するに、被告人の判示運転行為には判示のように、自動車の左側に対する配慮が十分なされていなかつたという欠陥はあるが、その行為と曾根朝起の転落負傷の結果との間には、因果関係論中所謂条件説に言う条件と結果との関係はあり得るとしても、両者の間に「相当因果関係」の存立を肯定することは出来ない。この点は本件の具体的状況から見て当然の帰結としなければならない。
それ故、被告人に対する当初の公訴事実にもとづく、業務上過失傷害罪の成立はこれを否定せざるをえない。
よつて判示の如く予備的訴因について有罪認定をする。
(法令の適用)
被告人の判示所為は道路交通取締法第八条第一項、第二九条第一号、道路交通法附則第一四条に該当するので情状によつて所定刑中罰金刑を選択し、その所定罰金額の範囲で被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。なお刑法第一八条を適用し被告人が右の罰金を完納出来ない場合には金五〇〇円を一日の割合に換算した期間、右の被告人を労役場に留置する。
なお前記のように予備的訴因について有罪の認定をしたので本位的訴因については特に無罪の言渡はしない。
訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項を適用し、そのうち証人斎藤千秋、同鎌須賀城吉、同豊田嘉雄の三名が昭和三六年一〇月二二日証人として出頭したのに対し、右各証人に支給した分は被告人の負担とし、その余の分は被告人に負担させない。
以上の理由によつて主文のとおり判決する。
昭和三七年一月二三日
中之条簡易裁判所
裁判官 藤 本 孝 夫