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京都地方裁判所 平成10年(わ)646号 判決 2002年2月22日

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実)

被告人は,平成9年3月21日午後9時10分ころ,京都市z区【以下省略】所在の学校法人甲学園乙専門学校駐車場において,A(当時66歳)に対し,殺意をもって,同女の胸部など数か所を刃物で突き刺し,よって,同月22日午前零時27分ころ,同市y区【以下省略】所在のa大学医学部附属病院において,肝臓刺切創に基づく失血により同女を死亡させて殺害したものである。

(当裁判所の判断)

以下において,証拠に付したかっこ内の数字は証拠の標目番号である。標目番号のみ記載されているものは検察官請求証拠であり,標目番号に「弁」と付されているものは弁護人ら請求証拠である。また,証人及び被告人の公判供述を要約して記載する場合,かっこ内には該当する公判回数を記載し,必要に応じて証人の氏名及び公判調書(速記録)中の該当頁も記載する。なお,公判調書中の証人及び被告人の供述部分についても,公判供述と表記する。

第1本件殺人事件の発生

検視調書(5),死体検案書(7),解剖立会結果報告書(8),Xの検察官調書(9)及び同人の公判供述(第27回公判)等関係証拠によれば,以下の事実を認めることができる。

1  平成9年3月21日午後9時13分ころ(以下,特に断わらない限り,月又は月日のみの表記は,平成9年である),京都市z区【以下省略】所在の学校法人甲学園経営の乙専門学校(以下,特に区別して表示する必要のない限り,学校法人甲学園,乙専門学校,同法人及び同校の建物をいずれも「甲学園」と表記する)から約15メートル南側にあるお好み焼き屋bの入口前で,A(当時66歳。以下「被害者」という)が,胸部,腹部等を刃物で刺されて倒れているところを発見された。そして,被害者は,同市y区【以下省略】所在のa大学医学部附属病院に救急車で搬送され,治療を受けたが,同月22日午前零時27分,肝臓刺切創に基づく失血により死亡した(以下,この殺人事件を「本件」又は「本件犯行」という)。

なお,被害者は,その当時,現金約15万円,キャッシュカード,携帯電話等を所持していたが,その所持品が奪われた様子はなかった。

2  被害者の遺体は,鑑定処分許可状に基づき,同日午前10時39分から,解剖された。

その結果は,要旨次のとおりである。

被害者の両手掌部に防御創と思われる刺切創が認められたほか,右胸部上部から上腹部にかけて7か所の刺切創が認められた。各刺切創は,それぞれ長さが約0.9センチメートルから約4センチメートル,深さが約1.7センチメートルから約14センチメートル,幅が約0.1センチメートルから約0.2センチメートルで,いずれも片方の創端が「コ」の字状になっていた。このうち,右乳房下部や上腹部中央の刺切創が,肝臓右葉や胃を貫通していたほか,右側胸下部の刺切創は,深さが約14センチメートルで,肝臓右葉下部を切離した上,門脈や右肝動脈,右肝静脈を離断しており,創縁が分岐し,のこぎり状になった部分も認められた。

第2本件犯行現場の状況

関係証拠により本件犯行現場であると認められる甲学園駐車場及びその付近について,本件犯行があった3月21日の午後9時50分から実況見分が実施された。その結果は,要旨次のとおりである(実況見分調書(12))。

甲学園は,その建物敷地が,西側において,南北に延びる××通に面し,その北側及び南側も道路に,東側は道路及び民家と,それぞれ接している。このうち,××通は,歩車道の区別があり,甲学園前付近においては,歩道の幅員が約3.4メートル,車道の幅員が約16メートルある。そして,車道は,中央に幅員約1.1メートルの分離帯があって,片側2車線となっており,交通量が多い。他方,甲学園の北側,東側及び南側の各道路は,いずれも幅員が約2メートルから約5メートルで,交通量の少ない道路である。

甲学園は,ほぼ敷地一杯に建物が建てられ,敷地の南西隅が露天の駐車場(以下「本件駐車場」という)になっている。同駐車場は,タイル張りで,南北に約9.95メートル,東西に約3.75メートルのほぼ長方形をしている。

同駐車場には,被害者が使用していた普通乗用自動車(ベンツ。左ハンドル。以下「被害者のベンツ」という)1台のみが,前部を南東に向けて駐車されており(別紙図面【省略】参照),建物に最も接近している前部左端と建物西壁との距離は約0.35メートルで,同前部左端から南側道路までは約4.5メートルの距離があった。

本件駐車場に面した甲学園西壁のうち,南端から約4.5メートルまでの部分は,アルミサッシ枠のガラス窓となって内側に若干くぼんでおり,その窓枠の下端は,被害者のベンツのバンパーと同じくらいの高さにある。その窓枠上で建物の南端から北へ約0.77メートルの位置(被害者のベンツより南側)に,ピアス式のブローチが落ちており,その裏面には血痕様のものが付着していたほか,同ブローチがあった付近の窓枠上にも,血痕様のものが認められた。また,本件駐車場には,同ブローチがあった位置から西に約1メートルの所にネックレスがちぎれた状態で落ちていたほか,北へ約1メートル先の西壁のふもとに毛髪が5本残され,その付近に血痕様のものが認められた。

被害者のベンツは,各ドアの施錠が外され,ワイパーが約30度の角度で停止しており,エンジンキーボックスに鍵は差し込まれていなかった。その車体には顕著な擦過痕や凹損は認められず,車内にも血液・血痕や微物の付着及び破損は認められなかった。そして,ボンネット上(左前部)には帽子が裏向けの状態で置かれていた。

なお,実況見分を始めたころは雨が降っていたため,本件駐車場から微物や血痕等を採取することができなかった。そこで,3月22日午後2時から,被害者のベンツを移動させた上,本件駐車場全体にわたり血痕予備検査(ルミノール検査)を行ったところ,上記ブローチがあった窓枠付近から西に向かって扇状にタイルの目地部分に血痕反応が認められた。

第3被害者の身上関係及び本件直前までの生活状況等

Cの公判供述(第8回及び第9回各公判),除籍謄本(10),報告書2通(54,55),捜査報告書(11)等関係証拠によれば,以下の事実を認めることができる。

1  被害者は,昭和6年1月22日生まれで,夫Bと婚姻し,長男C及び長女をもうけているところ,本件当時,学校法人甲学園の理事長をしていた。

2  学校法人甲学園は,昭和6年に,理容美容学校の経営を目的として,Bの父が設立し,その後,Bが経営を引き継ぎ,一時,同人の弟であるDが,経営に携わるようになったものの,昭和45年ころから,再びBが同学園を経営するようになった。被害者は,平成6年5月1日にBが死亡したことから,同学園の理事長に就任して,同学園を経営するようになった。なお,被害者は,それ以前から,美容材料の販売を目的とする有限会社丙を設立し経営していた。

3  被害者は,平成7年ころ,Dの紹介で,台湾の美術商であるEと知り合い,その後,同人から美術品を預かって自宅に保管し展示するようになり,Dが,その美術品の鑑賞や購入を希望する客を被害者方に連れて来るようになった。平成8年ころからは,Dが客を連れて来る際に,Dの友人であるFが,客を連れて来ることもあった。もっとも,被害者は,Dの客に応対するのみであり,Fやその客の相手をすることはなかった。なお,Fは,昭和50年代初めころ,被害者に不動産の商談を持ち込んだことから,被害者とは面識があった。

4  被害者は,平成8年3月ころ,Dから,Eが,岐阜にある美術館にリースした兵馬俑や中国陶磁器等の美術品を取り戻して他に売却することを希望していると聞かされて,その交渉及び取引への参加を持ち掛けられ,Dらと共にその取引に関与するようになった。そして,その取引による利益は,当初は,E,被害者及びDで3等分するという案が出され,その後,Eが2分の1を取得し,その余を被害者やDらで分配するという案が出るなどしていた。

5  Dは,Eの知人であるGと共に,同年10月,Eから,同人の代理人として,岐阜にある兵馬俑や陶磁器についての取引に関する一切を委任された。ところで,これとは別に,マカオにある兵馬俑28体と大阪にある兵馬俑1体も購入する話が進んでいたところ,被害者は,Dから,マカオにある兵馬俑28体を購入するので,その手付金を貸してくれるよう頼まれた。しかし,被害者は,Dを信用することができなかったことから,これを断わった。平成9年2月になると,大阪とマカオにある兵馬俑合計29体を被害者が購入する話が持ち上がり,被害者も,Eに迷惑をかけるのを避けるため,Dをはずして,自分自身がこれらの兵馬俑を買い受けることにした。そして,被害者は,同月26日,台湾に行きEと交渉した結果,大阪にある兵馬俑を1000万円で買い受ける旨の契約を結んで,その代金を支払った。その際,Eは,岐阜にある兵馬俑や陶磁器につき,先に代理人として一切を委任したD及びGを解任した上,被害者を代理人に選任し,マカオにある兵馬俑についても被害者に売り渡す旨合意し,被害者は同月27日帰国した。

6  Dは,間もなく,被害者が,Dらを差し置いて兵馬俑を買い受けたことを知り,同月末日か3月1日ころ抗議の電話をかけたほか,EからDに対する3月5日付解任通知書を受け取った後も,Cに抗議の電話をかけた。

7  なお,被害者が購入した兵馬俑は,本件発生後の平成11年7月21日の時点でも,Cが倉庫に保管しているところ,本件発生前に支払った頭金を除く残代金は支払われておらず,Eからも請求されていない。

8  被害者は,本件当日である3月21日午前11時ころ甲学園に出勤後,外出して百貨店で買い物や食事をし,同日午後2時30分ころから午後3時ころまでの間に甲学園に戻った。そして,同日午後3時30分ころから午後4時ころまでの間に一時帰宅した後,同日午後6時30分ころ,本件駐車場に被害者のベンツを止めて,再び百貨店に行って買い物をし,午後7時ころから友人と食事をして,同日午後8時40分ころ,「c屋の前から乗るわ」と言って,その友人と別れた。

第4被害者及び目撃者らの供述等に基づく本件の実行犯の人物像

1  被害者の供述

証人H(第7回公判)及び証人C(第8回及び第9回各公判)の各公判供述並びに報告書(弁1)によれば,以下の事実を認めることができる。

3月21日午後9時13分ころ,本件発生の通報を受けて,その約5分後にお好み焼き屋bに到着した警察官Hは,被害者が救急車で病院に搬送されようとしているのを見て,その救急車に同乗し,その車内及び搬送された病院の救急治療室内で,被害者から事情を聴取した。

被害者は,同警察官の事情聴取に対し,苦しそうな様子で途切れ途切れに,「車に乗ろうと思ったら,後ろから犯人が来て,一緒に来てくれと言われて断ると,5,6か所ほど刺してきた」「中で短刀を半分回したから,プロだと思う」「台湾人」「dホテルに……来い」などと話したほか,犯人につき「50歳くらい,丸顔,小太り,五分刈りの白髪まじり,眼鏡,ナイフで刺された」「知らない人」と言った。

その後,被害者は,手術のため搬送された集中治療室内にCと長女を呼び入れ,同人らに対し,犯人は「50歳前後,小太り,白髪まじりの五分刈り頭,眼鏡をかけ,知らん顔」で,「車に乗ろうとしたら,いきなり男が来て,『dホテルに台湾の人が来ている。一緒に来てくれ』と言って,『いやや』と断ったら,いきなり刃渡り25センチくらいのナイフを出して,7か所も8か所も刺された。刺した時にねじったから,これはプロの仕業やと思う」「刺した時に,車のキーを取ろうとしたから,車のキーの指紋を調べてくれ」「Dやと思う。あんたも気をつけや。夜は車は絶対に学校には置かんように。身辺警護」などと話し,最後に「ばれたかな」と言った。被害者の口調は,はっきりしており,伝えるべきことを予め考えて用意していた様子で,目を開いてCらを見ながら語った。

2  目撃者らの供述

本件犯行は,当時,甲学園付近を通りかかったI及びJによって,その一部が目撃されているところ,同人らは,目撃した状況につき,要旨次のとおり供述している。

(1) Iの供述(第3回公判)。

自分は,3月21日午後9時10分ころ××通を挟んで甲学園の南西側にあるガソリンスタンドでの勤務を終えて,原動機付自転車に乗り××通を北向きに走行していると,甲学園の方から女性の悲鳴らしき声が聞こえた。そこで,同学園の方を見ながらゆっくり走っていると,さらに2,3度,「助けて」という女性の声が聞こえたので,別紙図面【省略】の①辺りに原動機付自転車を止めて甲学園の駐車場(本件駐車場)を見ると,本件駐車場のうち,止まっていた自動車の南側,甲学園の壁付近において,白っぽい色で膝上丈のハーフコートを着た男性が,腰を折るようにして,若干かがんだ状態で東を向いているのが見えた。しばらくすると,その男性は,かがみながら西を向き,本件駐車場の南側に張ってあった鎖をまたいで,甲学園の南側の道路を東向きに走り去った。また,男性の奥(東側)には女性がしゃがんでいたようで,当初は男性に隠れて見えなかったが,男性が走り去った後,立ち上がって「助けて」と言いながら,本件駐車場に止まっていた自動車の後部辺りまで歩いていた。

自分の感覚では,2,3分の出来事であったと思う。この様子を見て,近所の人が夫婦げんかをしているのかなと思った。この時に見た女性が被害者であったことは,後で聞くまで知らなかった。

男性のコートの色が,ねずみ色であったか,薄ねずみ色であったか,ベージュ色であったかなどは分からず,白っぽいとしか言えない。また,男性が眼鏡をかけていたかとか,手に何かを持っていたかとかも分からない。自分の身長(約165センチメートル)よりは背が高い人であると思ったが,普通の高さくらいであり,太っているといった印象もなく,中肉中背の人であると思った。また,走り去る様子が機敏であったことから,本件犯行の6日後に警察官から事情を聴取された際は,男性は30歳くらいに思えた旨供述した。公判廷で見る被告人は,ぽっちゃりしており,自分が見た男性の印象とは違う。また,公判廷で,被告人が本件犯行当日の朝にATMを操作している写真(写真撮影報告書(27))を見たところ,その着ているコートは,本件駐車場で見た男性が着ていたコートと似ているかもしれないが,体格は,自分のイメージとは違うような気がする。

原動機付自転車に乗る際自分が着用するヘルメットは,帽子のような形で,目の前に覆いはなかった。また,本件犯行時は,小雨が降っており見通しが悪かったが,自分と本件駐車場との間にある対向車線(南行車線)は,先が赤信号で車が止まっていたため,車の間から本件駐車場の様子が見えた。

(2) Jの供述(第4回公判)

自分は,3月21日,軽四輪自動車を運転し,長男(中学生)を助手席に乗せて,××通の追越車線を南向きに走行していたところ,午後9時過ぎころ,前方の信号が赤になったため,甲学園の前,本件駐車場を左に見る位置(別紙図面【省略】②)で停車した。若い男性がふざけたときに発するような声が聞こえたので,声のする方を見たところ,ベージュ色で膝上丈のハーフコートを着た男性が,本件駐車場の南側で何かを跳び越えているところが見えた。その男性は,甲学園の南側の道路を東向きに走り去った。その後,本件駐車場の南西側で,女性が,むくっと立ち上がったのが見えた。女性は,何かぶつぶつ言いながら怒った様子で,傘を拾って南へ歩いて行った。信号が青に変わったので直ぐに車を発進させた。自分は,アベックがふざけているのかと思った。なお,最初に聞こえた声は,悲鳴のようなものではなかったものの,具体的な言葉までは聞こえなかった。

自分は,男性の後ろ姿を見た。首が見えたので,長髪ではなく普通の髪型だと思った。しかし,白髪であったかどうかは分からないし,眼鏡をかけていたかとか,手に何かを持っていたかとかも分からない。自分の夫は,身長が170センチメートルで中肉中背であるところ,その男の体格は,夫と同じくらいなので中肉中背であったと思う。コートの色は,白ではなくベージュで,白と肌色の中間のような色であった。

警察官から,被告人がその日の朝にATMを操作している写真(写真撮影報告書(27))を見せられたことがあるが,写真に写っている被告人は,白髪の点で,自分が見た男性とは違うと思ったものの,断定はできないので,同じ人物かどうかは分からないと答えた。法廷で被告人の後ろ姿を見ても,自分の見た男性と同じ人物かどうかは分からない。また,自分が見たコートと写真に写っている被告人のコートとは,同じような色であるとは思うが,形までは分からない。

助手席の長男は,シートを倒して横になっていた。当時,小雨が降っていたので,助手席の窓は閉めており,周囲は薄暗かった。甲学園付近には路上駐車は少なかった。

(3) I及びJは,いずれも甲学園関係者らと何ら利害関係がなく,たまたま通りかかった際,偶然,本件犯行の一場面を目撃したものである。

そして,Iが原動機付自転車を止めて目撃した位置は,本件駐車場から西北西約23.5メートルの地点で(実況見分調書(16)),同人と本件駐車場との間を遮るものはなかったと認められるところ,同人は,「助けて」という声を聞いて本件駐車場を注視していること,その視力は0.6で運転に支障がないこと,同人は,本件犯行発生時刻と同時刻ころに目撃状況を再現した実況見分においても,複数のコートの中から目撃したコートと似ているものがないか尋ねられたのに対し,色の違いは分からないと答えるなど(実況見分調書(19)),覚えていないことはその旨素直に供述しており,目撃した状況を歪曲して供述している様子も,虚偽を述べる動機もうかがわれないことなどに照らすと,同人は,記憶したままを,ありのままに供述していると認められる。

また,Jも,上記男性の跳び越えた位置から西北西に約10.9メートルの地点で目撃しているところ(実況見分調書(18)),奇声を聞いて本件駐車場を注視したこと,視力が0.7で運転に支障がないこと,見通しを遮るものはなかったこと,殊更虚偽を述べる動機がなく,覚えていないことはその旨素直に供述していること,助手席の淡いブラウン色が入った窓ガラスを通して目撃しているものの,これにより車外の物が違う色に見えることはないこと(電話受発信書(58))などに照らすと,同人も,記憶したままを,ありのままに供述していると認められる。

3  検討

被害者が供述する本件の犯人(以下「本件実行犯」という)と,I及びJが目撃した男性は,その状況等に照らし,同一人物であると解される。

そして,これら被害者,I及びJの各供述のほか,関係証拠を総合すれば,本件実行犯は,3月21日午後9時10分ころ,本件駐車場で,被害者がベンツに乗ろうとして施錠を外した際,後方からdホテルに来るよう声をかけて断られるや,同車左前部をすり抜けて逃げようとする被害者を追い掛け,本件駐車場内の前記ピアス式のブローチが落ちていた付近で,刃体の長さが14センチメートル程度,刃の背部の幅が0.2センチメートル程度の片刃の刃物を用い,殺意をもって,被害者の右胸部上部から上腹部にかけて7か所を強く刺した後,甲学園の南側の道路を,東方に走って逃げ去ったものと認められる。

ところで,本件実行犯の背格好や髪型についての被害者の供述内容とI及びJの各供述内容とでは一致しない部分が認められるものの,IやJの各目撃状況,特にIの目撃位置が本件現場から相当離れていることに比べ,被害者は,本件実行犯と間近で対面しており,現に,凶器の刃渡りにまで言及するほど,よく相手を見ていたと考えられること,理容学校を経営する学校法人の理事長として特に髪型等の特徴について正確に供述していると考えられることなどにかんがみ,特徴等で一致しない部分については,被害者の供述により本件実行犯の風貌を考えると,本件実行犯は,50歳前後の小太り,丸顔,五分刈りで白髪まじりの男性で,本件犯行当時,眼鏡をかけ,白と肌色の中間であるベージュ色で膝上丈のハーフコートを着ていたということになる。

また,被害者は,本件実行犯の顔には見覚えがなかったとするものの,兵馬俑取引に関連して自己に恨みを持っていたDが仕組んだものであると推測していたこと,被害者が当時所持していた金品が奪われていないことなども考えると,本件が,単なる物取り目当てで敢行された行きずりの犯行であるとは到底考えられない。

第5本件に関する捜査経過等

証人Y(第15回公判23頁,37頁,35頁,39頁,第16回公判69頁)及び証人N(第12回公判63頁)の各公判供述並びに捜査関係事項照会書2通(21,114)及び任意提出書(25)の各写し,電話受発信書(115),捜査報告書2通(29,83)等関係証拠によれば,以下の事実を認めることができる。

1  本件発生後,捜査機関は,実行犯を特定するため,本件現場付近の目撃者の聞込みや,被害者が指摘するDの周辺者を調べるなどした結果,事件の関係者として,京都市x区【以下省略】所在の株式会社丁(以下「丁」という)の経営者であるFの運転手をしていたという被告人が浮上した。そして,4月16日に,被告人名義の銀行口座の取引状況を照会し,同月17日には,本件当日,被告人が,京都市y区【以下省略】所在のe銀行f支店で預金を払い戻した旨の捜査報告書(23)を作成し(なお,同報告書には,被告人が本件の捜査対象者として浮上した旨記載されている),同月18日には,その時の様子を録画した防犯ビデオテープの任意提出を受けた。同月21日には,被告人の戸籍謄本(47)を取り寄せたほか,被告人の交通違反歴をもとに,同月25日,被告人が使用していた普通乗用自動車(登録番号京都34【以下省略】。300CEのベンツ。2ドアで,ガンメタとシルバーのツートンカラー。以下「ツートンのベンツ」という)の登録事項等証明書(90)を取り寄せ,4月末か5月ころ,被告人の通話記録から浮上したK方で同ベンツを発見した。

2  他方,本件犯行当日の甲学園付近の状況については,近隣住民であるL及びMから事情を聴取し,Mについては3月27日付で警察官調書(弁3)が,Lについては4月18日付で警察官調書(弁2)がそれぞれ作成された。その両名の供述を総合すると,3月21日午後零時から午後2時までの間,同日午後4時ころ及び同日午後7時30分ころ,××通南行車線の甲学園前付近に,付近の住民には見慣れない普通乗用自動車(Sクラス,4ドア,つやなし黒色のベンツ。その登録番号中,都道府県名の横にある数字は35であったとされ,これら型式や車両ナンバー等に照らすと,明らかにツートンのベンツとは異なるものである)が止められており,その車内にいた男性2人が甲学園の方を見ていたというのである。

なお,上記両名が供述したベンツについて,その所在等を含め,その後どのような捜査がなされたかは証拠上明らかでない。

3  また,4月23日には,被告人行きつけのスナックでホステスをしていたNの使用する携帯電話の電話番号を照会した上,6月から8月の間には,警察官が,事情聴取のためNに電話をかけたが,Nは,これに応じることを拒絶した。

4  そして,被告人名義の携帯電話の通話明細書を差し押さえるなどした上で,9月21日,被告人及び本件犯行当日までの数日間被告人と行動を共にしていたOに対し,警察署への任意同行を求めたところ,Oは,これに応じたものの,被告人は,「どついてでも蹴ってでも,交通違反ででも捕まえて連れて行ったらよろしいがな」と言って,任意同行を拒否した。なお,同日,被告人の居宅が捜索されたほか,ツートンのベンツの差押許可状が執行された。他方,Oは,翌22日に,実況見分に立ち会い,本件当日までの数日間被告人と行動を共にした場所や走行経路等を指示し,その旨の実況見分調書(37)が作成された。

5  その後,捜査機関は,被告人名義の銀行口座を照会するなどした上で,平成10年6月30日,被告人を本件の被疑事実で逮捕した。

第6検察官の主張

被告人は,捜査公判を通じ一貫して,本件犯行への関与を否認しているところ,検察官は,以下の理由により,被告人が本件実行犯であると推認できる旨主張する。

1  被告人は,兵馬俑取引を巡るトラブルに関して,Fら丁関係者から被害者方等の監視を依頼され,3月18日から,Oを雇って甲学園や被害者方を監視していたところ,その目的は,被害者を拉致・監禁したり,殺傷するなどの極めて反社会的な行為に及ぶことにあったと推定できる。

2  被告人は,本件犯行当時,甲学園付近にいたところ,本件実行犯の風貌や着衣は,当時の被告人のそれと合致する。

3  本件殺人事件発生後の被告人の次のような言動は,被告人が本件実行犯であるからにほかならない。

(1) Oに対して口止め工作をしている。

(2) Nに対して,本件直後に,人生を悲観する電話をかけたり,本件の数か月後に,人殺しの心境を語ったりしている。

(3) 友人であるPに対し,ある人物の名を出すわけにはいかないので,自首はできない旨語っている。

(4) 本件直後,被害者方等の監視に使用していたツートンのベンツを処分している。

(5) 本件後に衣類等を処分している。

(6) Fらから逃走資金の援助を受け,住居を転々としている。

4  被告人は,虚偽のアリバイを主張し,信用できない供述をしている。

第7本件犯行前後の被告人の行動

関係証拠を総合すれば,本件犯行当日である3月21日前後の被告人の行動は,おおむね以下のとおりであると認められる(証拠を摘示していない部分は,もっぱらOの各検察官調書の抄本3通(30,31,34)並びに第5回及び第6回各公判の供述による。なお,Oの供述は,自然な内容で,通話記録等の関係証拠とも符合している上,殊更被告人に不利にも有利にも供述しているとは認められないし,被告人を畏怖したり,かばったり,陥れたりする様子もうかがわれないことに照らせば,全体として信用できる)。

1  被害者方等の監視行動

被告人は,3月16日ころから,自身の運転手をしてくれる人物を,日当2万円のほか,その宿泊代や食費も被告人が負担するという条件で探してくれるよう友人に頼んでいたところ,同人は,Oにその話を持ち掛けた。Oは,その勤務先でかつて被告人が3か月間勤務したことがあり,その際,親しくしていたわけではないが,被告人のことを口数の少ない真面目な人物であると思っていたことから,これを引き受け,同月18日,その宿泊先として指示された京都市w区【以下省略】所在のgホテルに行って,被告人と会い,その指示により,同日から同月20日までの宿泊が予約されていたQ名義でチェックインの手続きをした。その際,住所については指示を受けなかったため,Oは,宿泊カード(その写しは捜査報告書(35)に添付)に同人の住民登録地である実家の住所を記載した。

被告人は,Oに対し,ツートンのベンツの運転手をするよう言った上で,被害者を探しており,被害者を見つけ次第,被害者のベンツに乗り込んで話をするので,その際はツートンのベンツを運転して帰ってほしいなどと頼み,同月18日から,同人にツートンのベンツを運転させて,被害者方及び甲学園前の監視を始めた。その際,被告人からOに対し,被害者を捕まえてどこかに連れて行くという話はなかった。

なお,Oの宿泊代等の決済は,Fの愛人であるR名義のキャッシュカードでなされた(捜査報告書(87),第15回公判Y47頁)。

被告人は,同日はアイボリー色の薄手のジャンパーを着ていたが,19日は膝上丈の白っぽいハーフコートを着ていた。

被告人は,同月18日から20日までは,被害者を見つけることができず,いずれも午後3時か4時ころにgホテルでOと別れた後は,同ホテルの駐車場にツートンのベンツを止めて,名古屋や大阪に行っていた(捜査報告書2通(35,29))。

被告人は,甲学園を監視する際は,もっぱら××通南行車線にツートンのベンツを止めて,Oと甲学園の様子をうかがい,本件駐車場から北へ50メートル程度離れた月極駐車場付近からが一番見やすいと言って,度々同所から甲学園を監視した(実況見分調書2通(37,125))。被告人は,監視しながら,携帯電話で,丁,麻雀仲間であるP,Z,名古屋の市外局番の電話等に連絡したり,ホテルの電話を使って,台湾に国際電話をかけたりしていた(捜査報告書2通(35,29))。その際,被害者が帰っていない旨話していたこともあった。

また,Oに対し,台湾マフィアも被害者を探しているので,それより先に見つけなければならないと,繰り返し話していた。さらに,警察官を警戒するなど,自分の行動を他人に目撃されるのを避けるようにしていた。ある時は,着替えをするためと言って,丁という表札のある家に立ち寄ったこともあった。

2  本件当日の行動

被告人は,同月21日午前8時54分,e銀行f支店のATMで4万円を引き出した。その際,被告人は,白っぽい卵色で膝上丈のハーフコートを着ていた(捜査報告書3通(23,28,89),写真撮影報告書(27))。

同日は,Oがgホテルからチェックアウトする日であったので,被告人は,京都市w区【以下省略】所在のhホテルにOを1泊させることにしたが,その後の予定は決まっておらず,Oには,翌日には一旦大阪に帰る旨伝えていた。hホテルのチェックイン手続きは被告人が行い,その際,氏名をQと名乗り,宿泊カード(その写しは捜査報告書(36)に添付)の住所欄にFの住所を記載した。

被告人とOは,甲学園前で監視を始め,同日午後1時半ころ,本件駐車場に被害者のベンツが止まっているのを認めて,様子をうかがっていたところ,同日午後2時か3時ころ,被害者が甲学園から出て同ベンツに乗り込み発進した。そこで,被告人は,ツートンのベンツに乗り,Oの運転で,被害者のベンツを追跡した。被告人は,追跡中,Oに対し,被害者に気づかれないよう,被害者のベンツとの間に車を1台入れるよう要求したり,「俺がええとこ来たら,出て行って,おばちゃんと話するから,おばちゃんの車に乗り込むから,おまえ,車持って帰っといてくれ」と指示したりした。しかし,40分ほど追跡したころ,Oが赤信号のため停車した際,被害者が急に発進したことから,被告人らは,被害者のベンツを見失った。被告人とOは,被害者を探すため,周囲を車で見て回ったものの,被害者を見つけることができず,同日午後5時20分ころ,hホテルに帰り,部屋に入った。

被告人は,車中でもホテルの部屋でも電話をして,被害者に逃げられたなどと報告した。この間に被告人が電話をかけた状況は,被告人名義の携帯電話で,同日午後4時2分に丁に数秒かけた後,同日午後4時3分に約2分間丁の関係者(S)に,同日午後5時9分,12分及び16分に各約3分間名古屋の市外局番の電話(電話をかけた先はいずれも同じであるが,同月20日以前の通話先とは異なっている)に連絡し,hホテルの電話を使用して,同月21日午後5時24分及び45分に各約3分間名古屋市内のコンビニエンスストアに,同日午後5時34分に約3分間台湾のTに,それぞれ連絡した(捜査報告書3通(35,29,36))。

被告人は,hホテルに駐車場がないため,同日午後6時ころ,ツートンのベンツに乗って帰ることにし,Oに対し,帰りがてらに,もう1度甲学園に寄り,被害者が帰っていないか見ると告げ,Oを残し,朝と同じハーフコートを着て同ホテルを出た(なお,hホテルから甲学園までは,車で約30分の時間を要する)。

被告人は,翌22日午前零時19分,大阪市内のホテルiに宿泊し(捜査報告書(87),第19回公判被告人25頁),同日午前零時57分,丁に電話をした(捜査報告書2通(83,84))。なお,被告人は,当時,携帯電話は1台しか持っていなかった旨供述するが(第19回公判被告人28頁),捜査報告書(84)によれば,被告人がOと連絡を取るのに用いていた携帯電話のほかにも被告人名義の携帯電話が存在し,その携帯電話は,これを被告人から借りていたスナックのホステスが,3月20日ころ被告人に返却していること,同携帯電話の通話料金明細表(その写しは捜査報告書(83)添付)によれば,同携帯電話を使って,同月19日の早朝までは愛知から,被告人がOと連絡を取るのに用いていた携帯電話に電話がかけられていたが,同月22日午前零時57分以降は,大阪等から被告人の知人等に電話がかけられていることに照らせば,遅くとも,この時点からは,被告人が同携帯電話も使用していたと認められる。

3  本件前後のOに対する連絡状況

被告人は,同月21日午後7時8分,Oに電話をかけ(捜査報告書(29)),「車があった」「おばちゃん帰ってきてるから。また何かあったら電話するから,俺もうちょっと見とくわ」「そのままホテルにおってくれ」などと言った。この時の被告人は,特に興奮しているとか,切羽詰まっているとかいった様子ではなく,普段と同じ様子であった。

そして,被告人は,同日午後9時22分,再びOに電話をかけ(捜査報告書(29)),「今日はもうええ。寝てくれたらええわ」と言った。この時も,被告人に特に変わった様子はなかった。

被告人は,翌22日午前7時47分,hホテルにいるOに電話をかけて(捜査報告書2通(83,84)),「やばいことになった。もうええし帰って」と言い,残りの報酬は,Oを紹介した者に渡しておく旨伝えた。

この点について,Oは,検察官からの尋問に対し,同月21日午後9時過ぎの電話で,被告人から「やばいことになった」と聞いた旨供述し(第5回公判O73頁),弁護人らから,Oの検察官調書の供述記載を引用して,「やばいことになった」と聞いたのは,同月22日朝の電話ではないかと尋問されるや,即座に供述を訂正し,検察官調書の内容の方が正しい旨供述しているところ(第6回公判O56頁),前述のとおり,Oが殊更虚偽の供述をしているとは認められないことに照らすと,検察官からの尋問に対する供述は,Oの勘違いであり,訂正後の供述の方が,同人の記憶に沿った供述であって,信用できるというべきである(検察官も,訂正後の供述に基づいて論告をしている)。

4  本件後の被告人の言動及び生活状況等

(1) 被告人は,同月27日前後に,Oに電話をかけ,被告人自身隠れている旨伝えた上,京都に行ったことは誰にも言わないよう頼んだ。また,7月か8月ころにも,Oに電話をかけ,警察官がOのもとに行くかもしれないが,その際には,Oは京都駅まで行ったが,直ぐ大阪に引き返したと言うよう頼んだ。いずれの電話でも,Oを脅すような口調ではなく,普通の様子であった。

(2) 被告人は,3月25日ころ,Kに,ツートンのベンツを預かってほしいと頼み,同月27日,同人に同ベンツを渡した。その後,Kは,被告人から同ベンツを20万円で買ってほしいと言われて,これに応じ,4月9日ころ,被告人の銀行口座に20万円を振り込んだ。しかし,5月ころ,被告人は,Kに電話をかけて,Kのもとにツートンのベンツを置いておくと迷惑をかけるので,返してほしいと頼み,翌日,K方から引き揚げた(Kの検察官調書(64))。ツートンのベンツは,同月に,Dが,知り合いの暴力団員Uと共に松山に運び,同人の伝で,事件物で名義を変更することができない車であるから,その存在が見つからないように乗るようにと言って,自動車業者に譲渡した(第22回公判U)。

(3) 被告人は,3月22日以後,一旦京都に来て大阪に戻り,愛知,奈良及び三重を転々とした後,同月24日からは愛知県内にいた(捜査報告書3通(29,83,84))。そして,4月初めから5月までの間,名古屋にあるVの住むマンションの部屋(以下「V方」という)に泊めてもらった。

(4) 被告人は,5月にV方を出た後,名古屋のjというマンションに移り,さらにk団地で暮らすようになった。9月21日,前述のとおり,警察官からの任意同行の要請を受けて断り,その後,同団地を引き払って大阪市内のlというマンションで暮らした。同マンションの賃貸手続きは,D及び丁の取締役であるSがしており,賃料はS名義で支払われていた(第15回公判Y42頁,第18回公判被告人81頁)。そして,平成10年6月30日に逮捕された時は,名古屋にあるm団地に居住していた。

(5) 被告人の銀行口座には,本件以前より「F(カタカナ表記)」等から振込入金されており,平成8年7月及び8月には「R(カタカナ表記)」から月約50万円ほど振込入金されていたところ(捜査関係事項照会回答書(82)),本件以後も,「R」「F」「丁」(いずれもカタカナ表記)等から毎月平均27万円が振込入金されており,平成9年5月から平成10年5月までに振り込まれた金額は合計324万円である(捜査関係事項照会回答書の写し12通(67ないし78),捜査関係事項照会回答書2通(80,82))。

第8本件後の被告人の言動に関する第三者の供述

1  Nの供述

(1) Nは,公判廷で,要旨次のとおり供述している。

ア 自分は,日系ブラジル人であり,1度日本に滞在して帰国した後,平成8年2月に再来日し,名古屋市内のnというスナックでホステスとして働きnの寮に住んでいた。平成9年3月末にnを辞め,4月半ばまでには寮を出て,nで一緒に働いていたVと一緒に同女方に住んでいた。同年6月からoというスナックで働くようになり,V方を出てpというマンションに住んでいた。oで2か月ほど働いた後,ほかのスナックで働くようになった(第12回公判2頁,26頁,54頁)。

イ 自分がnでの仕事を終えて寮にいる時,父のように慕っていた被告人から電話があり,大声でわあわあ泣きながら「別な人のせいで」「人生終わり」と言ってきたことがあった。自分は,被告人が,交際していたホステスと別れ,寂しくて電話してきたと思った。被告人は,後に,失敗した,電話をしなかったらよかったと言っていた。この電話は,自分がnの寮に住んでいた時のものであることは間違いないが,V方に移転する直前のことであったかどうかは覚えていない。被告人が泣きながら自分に電話をかけてきたのは,この時だけである(第12回公判14頁)。

ウ 場所や時間は覚えていないが,自分が被告人にお金儲けの話をした時,被告人から,被告人の恋人になればお金を稼げると言われたり,「ホステスの仕事が一番お金になる」といって,店で働き,誰かパトロンを見つけて,毎月お金をもらえばよいと言われたりした。そして,被告人が,「Nは,俺の女じゃない。俺の女になって一緒になったら儲かる仕事をさせてやる」「でも,今は俺の彼女じゃないからだめだ」というニュアンスのことを言うので,自分は,一旦「よく考えてから答えるわ」と答え,その後,「いいよ。恋人になるよ」と言うと,被告人は,びっくりして「お金儲けをしたいという気持ちが変わらなければ,1年間待つように」と言った。自分は,被告人が,年をとっていることにコンプレックスを持っており,自分に失望されることを心配して,もう少しよく考えるよう勧めたのだと思う(第14回公判5頁,23頁)。

この時,被告人は,「人を殺すことはお金になる。でも,人を殺すのはとても気持ちが悪い。普通の気持ちではできない。『助けて』という悲鳴が耳から離れない。夜も夢に出てきて,うなされて汗びっしょりになる」と言い,叫びたくなるようなストレスも恋人がいれば抑えられるとも言っていた。ただ,被告人の顔つきはいつもと同じで,自分は冗談であると思い,信じていなかった。被告人は,笑いながら,中国人には悪い人が多いと言い,「中国人の恋人なんか別れて,俺の彼女になれよ」などと言って,自分を恋人にしたがっていた。

自分には当時中国人の恋人があり,その人を守るため,被告人に対して,「人のことをそんなに悪く言うもんじゃないわよ」と言い,被告人が人殺しをしたと言ったことを指して,「あなただって悪い人なんだから,人のことを悪く言うもんじゃないわ」と言った。すると,被告人は,「殺しの世界はビジネスだ」「邪魔になったやつはペンや」と言って,右手の人指し指で小さな虫を弾くような動作をした。ただ,この時も,被告人はいつもと同じ顔つきで,自分は,被告人が本当のことを言っているとは信じていなかった(第14回公判14頁,70頁)。

エ 被告人は,自分に対し「台湾マフィアや,やくざと付き合いがあり,俺のことを話せば,俺が殺さなくても,仲間がお前を殺す」というようなことを言っていたが,これは,被告人自身を強く見せるための作り話だろうと思っており,全く信じておらず,怖くなかった。自分は,当時若く,中国人と交際していたので,被告人以外の人が,自分に対して何でもできるということを言ってきたのだと思う(第14回公判24頁)。

オ 被告人からは,何度も交際を迫られたが,肉体関係を求められたことはない。oを辞めた後,被告人と一時疎遠になったのは,自分が,被告人に,恋人がいないと嘘をついていたことと,被告人が,別のホステスとoに同伴出勤したことが原因である(第12回公判73頁,第14回公判21頁)。

その後,自分が,中国人の恋人との子を身ごもり,そのことで被告人に相談をするようになって,被告人との交流が復活した。平成10年のゴールデンウィーク直後ころ,被告人から生命保険の受取人を自分になるようにするので,名前を出すよう言われた。自分は,被告人が自分のことを心配してくれていると思い,大変美しい話であると思った(第14回公判25頁)。

(2) 他方,Nの検察官調書(40)には,要旨以下のとおりの供述が記載されている。

ア 被告人が泣きながら電話をしてきたのは,自分がV方に引っ越す直前の3月25日ころで,仕事から帰って寝ようとしていた午前4時から5時ころであった。

イ 被告人が「人を殺すことはお金になる」云々と言ったのは,6月から8月までのoで働いていた時期に,喫茶店で話した時のことであり,この時の被告人は,真に迫った真面目な表情であった。

ウ 被告人から台湾マフィアややくざの話を何度も聞くうちに,人殺しの話を他人に話さないよう口止めをしていると思うようになった。

エ そのような話を度々聞かされるようになった上,被告人が,執拗に肉体関係を求めてくるようになったので,8月ころから被告人とは会わないようにしていた。

(3) Nの供述の信用性について

ア 弁護人らは,Nの供述の信用性を争い,被告人も,Nに泣きながら電話をかけたのは平成8年秋のことであり,平成9年3月下旬ころは,しばしばNと一緒にいたので,電話をかけることはなかった(第17回公判26頁,第21回公判15頁),Nに人殺しの話をしたのも平成8年夏から秋のことで,Nの交際相手の中国人が,有名なマフィアで,人殺しでも何でもする人物なので,交際を控えた方がいいと助言しただけである(第17回公判29頁,第21回公判23頁),平成9年6月か7月ころから,警察が,被告人のことを調査している様子であったので,Nも事情聴取されるだろうと思い,個人的なことは知らないと答えた方がよいと助言した(第17回公判37頁,第21回公判29頁),また,平成10年6月ころ,Nの交際相手の中国人が逮捕された際,Nに対して,その事件については知らないと言っておいた方がいいとも助言したことがある(第18回公判37頁)などと供述する。

しかし,Nの供述のうち,被告人が,Nに対し,泣きながら人生を悲観する電話をかけたこと,Nの金儲けの話に端を発して,被告人が人殺しの心境を語ったこと及び台湾マフィアややくざとのつながりをほのめかして,Nに被告人のことを他言しないよう言ったことは,検察官調書でも公判廷でも供述しているところ,Nは,法廷への出頭を1度拒否し,被告人が,人殺しの心境を語ったことなどにつき,検察官からの主尋問に対しては「覚えていない」と答えた末,もっぱら弁護人らからの反対尋問に対して答えたものであるから,尋問者に誘導されたものとは認められない。また,検察官調書においても公判供述においても,被告人の言葉どおりの意味には理解しなかったなどと,できるだけ被告人に不利な供述はしたくないとの態度が看取できることからすると,被告人にとって不利な事項である上記諸点について虚偽を述べるとも考えがたいのであるから,これらの点に関するNの供述は信用できる。

イ さらに,Nの前記検察官調書について,被告人は,同調書が作成された平成10年6月ころ,Nの交際相手に続いて被告人が逮捕されたため,Nは精神的に滅入っていたところ,同調書は,Nが通常は休息する昼間に事情聴取されて作成されたものであり,Nは,交際相手を救うため,取調官に迎合して,被告人に不利な供述をしたものであるから信用できないなどと供述し(第18回公判37頁,第21回公判34頁),N本人も,公判廷で,検察官調書作成当時は,自分の恋人が逮捕され,その直後に被告人も逮捕されたと供述し(第14回公判N28頁),同調書では,取調官からいろいろ質問されて,頭が混乱した中で述べたものであり,はっきり覚えていないことも話したと供述している(第12回公判N23頁)。

しかし,Nの検察官調書のうち,被告人が泣きながら電話をかけてきた時期については,自分が引っ越した時期に関連付けて供述するなど,合理的な根拠に基づくものである上,Nの記憶の根拠となる個人的な事項について取調官が誘導ないし創作するとは考えがたいこと,人殺しの心境を語った時期については,検察官調書の中でも問答形式で供述を記載するなど,慎重に確認されており,時期を特定した根拠も自然であることからすると,Nが,これらの事項に関する記憶が曖昧なまま検察官に供述したとは認められない。

他方,公判廷では,Nは,被告人には父親に対するような親愛の感情を有していた反面(第12回公判N10頁,34頁),被告人の背後にいる人物を恐れて出頭を1度拒否しているし(第12回公判N41頁),前述のとおり,被告人に不利な事項につき,当初は覚えていないと供述している。

そうすると,Nが検察官に供述した際の情況には,特に不信感を抱かせる事情は認められないのに対し,公判廷では,Nには,被告人ないしその背後の者との関連で,素直に供述することを妨げる事情があったと推測されるのであるから,両者が相反する部分に関しては,検察官調書の方が特に信用できる情況下で作成されたものと認められる上,内容の自然さ等に照らしても,検察官調書の方が信用できるというべきである。なお,弁護人らは,Nが日本語をよく理解できなかった点も,同供述の信用性を減殺させる事情として指摘するが,Nは,接客を業とするスナックのホステスをしてきたものであるから,日本語の理解力にさほど問題はないと認められる上,Nが聞いたとする被告人の言葉は,別の言葉と取り違える余地のない特徴的なものであることからすると,Nが,日系ブラジル人であるからといって,その供述の信用性が減殺されるものではない。

2  Wの供述

(1) 被告人及びPの麻雀仲間であるWの検察官調書(41)には,3月終わりから4月終わりころまでの間のある日,Pのマンションで,被告人が,Pから「お前,そんなことしたんやったら自首せえ」と言われて,「うたえへんのや。わしはその人を表に出すわけにはいかんのや」と答えるのを聞いた旨の供述が記載されている。そして,Wは,公判準備期日における証人尋問において,検察官からの主尋問に対しては,前記検察官調書に記載されたとおりであると言って供述を拒否し,弁護人らからの反対尋問に対しては,同検察官調書に添付された図を作成した目的等通常忘れるとは考えがたい事項についても,ほとんど覚えていないとしながら,結局,曖昧ながらも,被告人とPとの間で上記の会話があったことを記憶しており,その際の様子は真剣であったため,一歩引き下がったなどと供述している(Wに対する裁判所の尋問調書52頁)。

(2) 公判準備期日におけるWの供述は,曖昧な点が多いところ,この期日には被告人も立ち会っていたことをも考慮すると,Wは,被告人への遠慮等から率直に供述するのをためらっていたと解されるから,W証人に対する裁判所の尋問調書よりも同人の検察官調書の方が,事実をよりありのままに供述しているものと認められる。

そして,Wの検察官調書では,Wが,被告人やPらと麻雀をするためPの住むマンションの室内に入った時,被告人とPとの間の前記会話が聞こえたとされているところ,弁護人らは,被告人らが,Wが来るのを知っていながら,そのような会話をする筈がないので,同検察官調書は,Wが取調官に迎合して作成されたものであって信用できない旨主張するが,Wの検察官調書には,被告人とPとの会話を聞いた際の状況についての供述が,図面を作成した上で明確かつ具体的に記載されており,被告人とPとの間の会話の内容を捜査官が誘導するとも考えられないこと,Wは,当該公判準備期日で,弁護人ら及び被告人からの質問に対して,このような会話を聞いたことを曖昧ながらも認めていることからすると,Wが,取調官に迎合して,体験していない事実を語ったとは認められないから,同人の検察官調書は信用できるというべきである。

3  Vの供述

Vは,公判廷において,4月初めから5月までの間,V方に被告人を泊めていたところ,被告人が,台所で,黒いゴミ袋に服と靴を入れて捨てようとしているのを見た旨供述している(第10回公判25頁)。

第9本件に関する被告人の供述

1  捜査段階における被告人の供述状況

被告人は,逮捕された当初,本件当日である3月21日は京都にはおらず,大阪か名古屋にいたと供述し(弁解録取書(111),警察官調書2通(49,112)),検察官加藤雄三の取調べに対しては,「刑務所に行く覚悟はできている」などと供述しながら,Fに対する信義を理由に「事件については否認し,質問については黙秘します」と述べて,本件に関する会話を拒否していた(第23回公判加藤雄三)。

2  公判廷における被告人の供述経過及び供述内容

被告人は,第1回公判期日では,本件公訴事実について身に覚えがない旨陳述し,第18回公判においては,弁護人らからの質問に対して,本件当日の夕方にhホテルを出てから甲学園前を通った際,本件駐車場に被害者のベンツが駐車されているのを見た,本件犯行時刻の直前に甲学園の様子を改めて見た際,同学園の出入口と本件駐車場の前に自動車が2台止まっているのを見た旨供述したものの,その際に見たことなどについては,それ以上話したくない旨供述していた(第18回公判117頁)。

しかし,第20回及び第21回各公判では,検察官からの質問に対し,本件に関係する事柄を一部供述するようになり,その後も断片的に公判廷で供述しているところ,これら被告人の公判供述のうち,本件に関連すると解される部分の要旨は,次のとおりである。

(1) 自分は,3月21日以前から,人に頼まれて被害者を監視していたが,依頼者の名前や依頼の趣旨などは言いたくない。それは,個人間であっても他言不可の守秘義務があるし,これらを話すと,自分や家族に危険が及ぶ可能性があるからである(第19回公判45頁)。もっとも,実際に自分が脅迫されたり,具体的な危険を感じたことはない(第19回公判54頁,第20回公判12頁)。また,依頼の趣旨は,やましいことではなく,殺人や拉致等の違法なことでもないが,それを軽々に話すと,実際には本件と関係があった場合に,依頼者に迷惑をかけることになるので,言いたくない(第19回公判17頁,第20回公判21頁)。

また,台湾マフィアが被害者を探していると聞いたことがあるが,聞いた内容等は,自分が依頼されたことと関係があるかもしれないので,言いたくない。自分が台湾マフィアのことを話すと,自分も殺されるかもしれない(第20回公判120頁)。本件後,自分なりに調べた結果,台湾マフィアが本件を起こした可能性もある(第20回公判124頁,129頁)。

(2) 自分は,3月21日,被害者のベンツを見つけて追跡したが逃げられ,hホテルに戻った後,朝と同じ服装で同ホテルを出て,甲学園前に行った(第20回公判72頁)。本件駐車場に被害者のベンツが止まっていた。普段,同駐車場には家族の自動車等も止まっているのに,この時は被害者のベンツ1台だけであったことや,甲学園はすべて消灯されていて,人が残っている様子がなかったことから,被害者はもう帰ってこないだろうと思った。自分は,Oに電話をかけてから,甲学園前の××通北行車線にツートンのベンツを止め,甲学園の南側にあるお好み焼き屋で食事をした。Oに電話をした際,甲学園前に来るようには言わなかった(第20回公判81頁,115頁,第28回公判7頁)。

食事をした後,自分は,甲学園より北側の××通南行車線にツートンのベンツを止め,助手席に座って甲学園の様子を見ていた。Oに電話をかける前から,甲学園前には黒っぽい乗用自動車が3台止まっていた。その中の1台だけ人が乗っており,2人以上いた(第20回公判80頁,81頁,83頁,86頁,92頁)。自分は,被害者に会いたがっている人物がいると聞いていたことから,その車両に乗っている人物が,その人かもしれないと思い(第20回公判117頁,第28回公判9頁),その車両に注目していた(第20回公判96頁,106頁)。その車種や特徴等については言いたくない(第20回公判92頁,第28回公判28頁)。なお,自分は,Oに運転手をさせるようになる前に,同じ車を,被害者方付近の寺や甲学園の近くにある地下鉄の駅入口付近で見たことがあり,乗っていた人物のうち1人は同じ人であった(第25回公判34頁,第28回公判22頁)。

(3) 甲学園の様子を見ていたところ,甲学園の北西角にタクシーが止まり,被害者が降りてきた(第20回公判97頁)。被害者は,透明のビニール傘をさし,被害者のベンツの方へ向かった(第21回公判59頁,61頁)。すると,自分の前に止まっていた車から男が降りて(第20回公判114頁),被害者に声をかけ,被害者も立ち止まって,その男と話をしていた。そして,被害者は,被害者のベンツのドアを開けて運転席に座り,窓越しにその男と話してから,再び降りて,その左前部付近で壁にもたれるようにして,男と向き合っていた。自分には2人が抱き合っているように見えた(第21回公判96頁,58頁,100頁)。

自分は,被害者を待っていた男が事件を起こすとは思っておらず,タクシーが止まった時点で,男が被害者と関係があると思った(第20回公判102頁)。また,被害者と男が抱き合ったような場面も,異常な事態とは思わなかったし(第20回公判113頁),男が被害者を刺し殺すとは思っておらず(第20回公判119頁),むしろ,被害者が,男とどこかへ行くか(第20回公判119頁),帰宅するだろうと思ったことや,自分も人と会う約束があったことから,車を運転してその場から去った(第20回公判114頁,116頁)。自分は,この時,被害者の悲鳴や物音などは聞いておらず,もし聞いていれば,その場にいて状況を見守ったと思う(第20回公判118頁)。被害者と抱き合っていた男については,自分には確実に話せる材料がないので,言及できない(第28回公判34頁)。なお,男が乗っていた車は,男が降りると走り去った(第28回公判15頁)。

(4) 逮捕された当初,3月21日に京都にいなかった旨供述したのは,その日を祭日と勘違いしており,祭日ならば,自分は,大阪で麻雀をしている筈であると考えたからである(第17回公判92頁)。

(5) 甲学園前から去った後,丁にツートンのベンツを止め(第19回公判26頁),午後11時に大阪で人と会い,大阪市内のビジネスホテルで宿泊した(第19回公判24頁)。丁に行く途中,Oに電話をして「休んでくれたらええよ」と伝えた(第20回公判104頁)。翌22日の朝,ホテルのテレビのニュースで本件を知り,自分も甲学園付近にいたのでびっくりして,Oに電話をして「えらいことになったんや」と伝えた(第20回公判135頁)。また,当時,甲学園前に止まっていた3台の車両が,本件に関係あるのかなと思った(第20回公判100頁)。なお,自分は,本件の犯人像に関する報道には接しておらず,自分が,その犯人像に似ているとは思っていなかった(第21回公判2頁)。自分は,本件の犯人に関心があり,自分が疑われるとは思っていなかったが,5月ころに,京都の人から「疑われるかもしれんよ」との連絡があって,自分が犯人と疑われるのではないかと心配するようになった(第20回公判138頁)。また,自分に監視を依頼した人物も,自分が実行犯ではないかと疑っていると思う(第28回公判30頁)。

第10検察官の主張の検討

1  被害者方等の監視行動をしていた点について

検察官が主張するように,被害者方等の監視行動をしている間,被告人は,丁に立ち寄ったり,何度も電話をかけたりしたこと,何者かに電話をして,被害者を見失った旨報告していたこと,Fの愛人であるR名義のカードで,宿泊代等を決済していることなどが認められることに照らすと,被告人の上記監視行動は,丁との関係でなされていたことが推認される。

この点について,被告人は,人に頼まれて被害者方等を監視していたと供述するのみで,依頼主が誰であるか等の詳細については口を固く閉ざしているところ,仮に,その依頼主が丁の関係者であるとしても,被告人がしていた監視行動の態様等からみて,当初から,被害者を殺傷するなどの目的で監視行動をしていたとは,にわかに考えがたい。

すなわち,被告人は,監視行動をする際,警察官に見られることを避けようとするなど,極度に警戒していたことは認められるものの,監視行動が,当初から被害者の殺傷等を目的としたものであれば,後になって,自己の犯行であることが発覚しないよう,同行する運転手の選定や,その後の動静等には,最大限の配慮をすると思料されるところ,被告人は,同行する運転手について,自ら人選をすることなく,特に条件も付さずに友人に紹介を頼み,かつて3か月間勤務したことがある職場にいたというだけの関係でしかないOを,真に信用できる者かどうかを特に確認することもなく雇っており,同人に対し,運転手として被告人に同行する間に見聞することを他言しないよう,事前に口止めをするということもしていない。

実際,Oは,取調官に対しても,公判廷においても,特に被告人を畏怖する様子はなく,被害者を監視するために被告人と行動を共にした状況について率直に供述しており,被告人がOを脅した様子もうかがわれない。

また,被告人らは,3月20日までは,殺傷等をする上で最も不都合な昼間のみ被害者方等を監視しており,被告人自身,夜は,ツートンのベンツをホテルに駐車したまま,名古屋や大阪に出かけている。さらに,ホテルの宿泊手続に際しては,Oに偽名を使わせてはいるものの,その住所については虚偽を書かせようとしていない上,hホテルでは,Fの住所・電話番号を記載し,Fの愛人であるR名義のクレジットカードで宿泊代を決済するなど,被害者に対する監視行動の依頼主とも疑われかねないFの存在を,特に隠そうともしていない。

そうすると,被告人が被害者の殺傷等を目的として監視行動をしていたと考えることは困難であるといわざるを得ない。

2  本件実行犯の風貌や着衣と被告人のそれとの異同について

(1) 被告人は,本件発生当時57歳で,身長約173センチメートル,腹の出た大柄な体格であり(被告人は,自分の体重について,約95キログラム(警察官調書(48))とか,約100キログラム(第18回公判1頁)と供述している),白髪まじりで丸坊主気味の短い角刈りという髪型に,眼鏡をかけており,3月21日は,白っぽい卵色で膝上丈のハーフコートを着ていたものと認められる。そして,これらの特徴は,年齢,髪型,眼鏡の使用及び着用していたハーフコートの形状の諸点で,被害者及び目撃者が供述する本件実行犯の人物像とほぼ合致している。

弁護人らは,被告人は,大柄の肥満体で顎長の受け口であるから,本件実行犯が小太りで丸顔であったという被害者の供述とは一致しない旨主張するところ,体型については,小太りという表現であっても,太っている様子を指すという意味では,肥満体の者を小太りと表現したとしても誤りであるとまではいえず,顔の形も,実行犯が五分刈りであったことから,これを合わせて丸顔と表現したとしても不自然ではないと解され,結局,被害者の表現力の問題であるとも考えられるから,被害者が,本件実行犯の特徴を小太り丸顔と述べたことから,直ちに,被告人の体型や顔の形が本件実行犯のそれと矛盾するとまではいえない。

(2) しかし,被害者が,本件実行犯の体格を小太りとのみ形容している点については,果たして被告人を見て,その体格を形容したものか,いささか疑問を差し挟む余地があることも否定できない。すなわち,被告人は,その身長体重が前述のとおりであって,小太りというよりは,むしろ大柄と評する方が適切であると思料される。現に,本件犯行当日の午前8時50分ころ,e銀行f支店のキャッシュコーナーにいる被告人を撮影録画した防犯ビデオテープを,再生して写真撮影した旨の写真撮影報告書(27)を作成した警察官は,その報告書の中で被告人の体格を大柄と記述している。また,gホテルのフロント係の女性が,3月17日に,中年で太っていて大柄で髪の毛が五分刈り風の男が現れ,明日から予約しているQの料金の支払いを,R名義のクレジットカードですると申し出た旨警察官に話している(捜査報告書(35))ところ,関係証拠によれば,その「中年で太っていて大柄で髪の毛が五分刈り風の男」とは被告人であると認められ,ホテルのフロント係も,被告人が大柄な体格であると描写している。Nの検察官調書(40)にも,同女が以前に勤務していたスナックの関係者から,本件の被疑者として被告人が逮捕された際,「Nのお客さんだったあのデブちゃん,人殺しで捕まったよ」と言われた旨の供述が記載されている(検察官は,この検察官調書の内容は信用性が高いとしている)。そして,被害者の身長は約155センチメートルであって(解剖立会結果報告書(8)),被告人と被害者との身長差が約18センチメートルあることや,被害者は,刃物を持った本件実行犯から襲われている最中に,間近でその男を見ていることなどを考慮すると,仮に,被告人が本件実行犯であるとすれば,被害者は,本件実行犯を実際以上に大きな人物であると感じるのが自然であろうから,被害者が,小太りと形容したのみで,実行犯の体格が大きいことをうかがわせるような言葉を述べていないのは,いささか不自然であり,本件犯行を目撃したI及びJの両名とも,本件実行犯の体格を中肉中背と述べていることも併せ考えると,被告人が,体格の点で,果たして本件実行犯の人物像と合致するのか,疑問が残るといわざるを得ない。

また,前記合致点のうち,例えば,3月中旬の夜間であればコートを着る者も多く,白っぽい卵色で膝上丈のハーフコートも,多く市販されているものであるなど,いずれもほかの者から区別できる程度に決定的な特徴を指す要素とはいえず,これらすべての要素を充足する人物が,被告人以外にいたとしても特に不自然ではない。

(3) なお,被害者は,本件実行犯は自分の知らない人物であったと供述しているのに対し,被告人は,4,5回,Fに連れられて被害者方に行ったことがあり,その際,短時間ではあるが被害者と言葉を交わしたことがある旨供述している(第21回公判93頁)。しかし,被告人の供述のとおり,被告人が,被害者方に行ったことがあり,被害者と言葉を交わしたことがあるとしても,被告人が供述する程度の会話をしたくらいでは,被害者が,被告人のことを記憶しているかどうか定かではないし,仮に,被告人が本件実行犯であったとしても,自己の命が危険にさらされているとき,とっさに,見覚えがある顔であるということに気付くとは限らないから,被害者が,前述のとおり供述していることをもって,被告人が本件実行犯であるとか,あり得ないということはできない。

3  本件後の被告人のOに対する発言について

被告人は,本件発生後である3月27日ころ及び7月か8月ころ,Oに電話をかけ,甲学園前等を監視したことを警察に話さないよう依頼しているところ,これは,本件犯行の口止めをしたものとまで評価し得るかはともかく,被告人が,本件犯行に何らかの関与をしていること(少なくとも,本件に関する事情を相当詳細に知っていること)を示すものと解し得る。

4  Nの供述について

被告人は,Nに対し,本件の約4日後である3月25日ころ,泣きながら,「別な人のせいで」「人生終わり」という電話をかけているところ,その時期や内容の唐突さからすれば,これが本件を念頭に置いた発言であると考えることもできないではない。しかし,もとより極めて抽象的な内容であるから,被告人が,本件を実行したことに対する悔悟の念等から発した言葉であるとまで断定することもできない。

また,その後も,被告人は,Nに対し「人を殺すことはお金になる。でも,人を殺すことはとても気持ちが悪い。普通の気持ちではとてもできない。『助けて』という悲鳴が耳から離れない。夜も夢に出てきて,うなされて汗びっしょりになる」「殺しの世界はビジネスだ」「邪魔になったやつはペンや」などと語って指を弾く動作(以下,これらを「Nに対する言動」という)をした点などは,それ自体,冗談で口にする内容とは到底解しがたいところ,その内容は,人を殺した時の心境を極めて迫真的に述べたものであり,特に「助けて」という悲鳴が耳から離れないと語った点は,被害者が,本件駐車場で襲われた際「助けて」と叫んだことと符合することから,本件に言及したものと解し得ないでもない。

しかし,「助けて」という言葉は,殺されそうになった者が,通常発する言葉であると解され,必ずしも本件を特徴付ける言葉であるとまではいいがたいのであるから,Nに対し「『助けて』という悲鳴が耳から離れない」と言ったことが,本件について一部自白したものとまでは評しがたいといわざるを得ない。

また,Nに対する言動は,被告人が,何者かから殺人を依頼され,これを実行したため多額の報酬を受け取ったという内容であると解されるところ,本件は,その実行犯が何者かから依頼されて,その意に沿って被害者を殺害したものであったか疑問の残る事案である。

すなわち,本件実行犯は,被害者に対し,ホテルへの同行を求めて拒否されるや,被害者を刃物で脅すなどして無理やり連行しようともせず,夜とはいえ,交通量の多い道路に面した本件駐車場において,顔を隠す様子もなく,被害者を刃物で7回も突き刺していることにかんがみると,本件実行犯が,その場で被害者を殺害することを予め決意していたとは認めがたく,むしろ,成行きで殺害行為に及んだのではないかとも考えられるところ,前述のとおり,被告人の監視行動が,当初から被害者の殺傷等を目的としたものであったとは認めがたいのであるから,仮に,被告人が本件実行犯であるとした場合,本件は,被害者に対する監視行動を依頼した者の意思にむしろ反する突発的な犯行であった可能性が高いことになる(実際,トラブルの発端と主張されている兵馬俑が,本件発生後に他人の手に渡った様子もない)。そうすると,Nに対する言動のうち,殺人を依頼されて報酬目的で引き受けたことを意味すると解される「人を殺すことはお金になる。でも,人を殺すことはとても気持ちが悪い」旨の被告人の発言とは整合しないことになる。

したがって,Nに対する言動自体から,これが,本件を念頭に置いてなされたものであると断じることは,いささか躊躇せざるを得ない。

5  Wの供述について

被告人が,Pから,自首を勧められたのに対し,ある人物の名前を出すわけにはいかないから,自首することができないと答えたことは,その時期に照らして,本件に関連する会話ではないかと考えられるから,被告人が,本件に関与しているのではないかと疑わせる一つの事情であるということができる。

6  ツートンのベンツを処分したことについて

被告人が,被害者方等を監視するために使用していたツートンのベンツを,本件の4日後にKに預けた上,Kに一旦は売却しながら,5月にはこれを取り戻して,Dらが事件物の自動車として処分していることなどに照らすと,同車及びこれを使用していた被告人が,本件犯行に何らかの形で関わっており,そのことを隠蔽するために,同車を処分したものであると解することは十分可能である。

7  Vの供述について

Vが供述するように,被告人が,4月初めから5月までの間,寄宿先であったV方の台所で,ゴミ袋に服と靴を入れて捨てようとしていたとしても,その服が上着なのかズボンなのかも不明であるし,捨てようとしていた服と靴が,本件とどのような関係にあるのかも不明であることにかんがみると,これが,本件とは全く無関係な行動である可能性も多分にあると考えられるので,被告人が本件実行犯であることを推認させる事実であるということはできない。

8  被告人が住居を転々としたことについて

被告人は,本件後,住居を転々としているところ,Oに対し,隠れていると伝えた上で,本件に関する口止めとも解されるようなことを頼んでいるのであるから,本件に関する捜査機関からの追及を免れるために,住居を変えたものと認められ,これも,被告人が,本件に関与していることを疑わせる一つの事情ということができる。

9  丁の関係者から振込送金を受けていたことについて

被告人が,Fら丁の関係者から振込送金を受けていたことについて,検察官は,本件後,被告人は,Fらから資金援助を受けて逃走生活を送っていたものである旨主張するが,被告人は,本件前から丁に所属し,Fら丁の関係者からの送金を受けていたのであり,本件の前後で送金額が変わったとも認められない上,被告人がしていた被害者方等の監視行動に丁の関係者が関与していることが推認されるということはできても,それを超えて,本件と丁との関連性が明確でない以上,本件後の送金をもって,逃走資金の趣旨であると認めることはできない。

10  被告人の供述について

被告人の供述のうち,本件に関連すると解される部分,特に,甲学園前には黒っぽい車が3台止まっており,うち1台には2人以上の人が乗っていたなどという部分は,本件当日の午後零時から午後2時までの間,午後4時ころ及び午後7時30分ころ,××通南行車線の甲学園前付近に,見慣れないベンツが停車しており,車内にいた男性2人が甲学園の方を見ていたという前記近隣住民の供述内容と符合する上,従前の黙秘態度を翻し,本件当時甲学園付近にいたという,自己に極めて不利益な事実を具体的に語ったものであることから,信用できるようにもみえる。

しかし,この供述のうち,被害者が,ベンツの運転席に座り,窓越しに男と話をしていたという点は,前述の被害状況と全く一致しない。すなわち,被害者は,車に乗ろうとした時,男から「一緒に来てくれ」と声をかけられ,断わるといきなり刺された旨供述しており,このようなことについて,重傷を負ってこれから手術を受けようという時に,集中治療室にわざわざ子を呼び入れて嘘を言う筈もなく,その供述内容にかんがみると,被害者が,襲われる直前にベンツに乗っていることはあり得ず,その運転席に座って窓越しに男と話をするということもあり得ない。たしかに,被害者のベンツは,本件犯行直後の実況見分の際,各ドアの施錠が外され,ワイパーが約30度の角度で停止していたのであるが,これは,乗車するつもりでドアを解錠した時,男から声を掛けられたため,各ドアの施錠が外されていたとみるのが相当であり,ワイパーが,途中で停止していたのは,被害者が,その日の午後6時30分ころ,本件駐車場にベンツを止める際,ワイパーを止めるのを忘れて,エンジンを切ったからであると解するのが相当である。

また,本件状況を目撃した場所に関して,第20回公判では,被害者のベンツの位置から北へ約92.5メートル離れたお食事処q前の路上(別紙図面【省略】③)にツートンのベンツを止め(第20回公判86頁,91頁,実況見分調書(125)),助手席側(右側)に座っていると,本件駐車場で被害者と男が抱き合っているのが見えたので,助手席側から降り運転席に座り直して出発した(第20回公判113頁)と供述していたのに対し,第21回公判では,被害者らが抱き合っているところを見たのは,ツートンのベンツを普通の速度で走らせている時で,被害者のベンツの位置から北へ約30.6メートル離れた甲学園北西角の交差点(別紙図面【省略】③’)付近から見た(第21回公判97頁,実況見分調書(125)),第28回公判では,止まっていたところから車を発進させ,直近では徐行しながら抱擁している状況を見て通り過ぎた(第28回公判14頁)などと供述を変遷させているところ,このように目撃した場所についての供述が変遷すること自体まことに不自然である上,実況見分調書(125)によれば,上記q前の路上からは,被害者のベンツの運転席側の様子や本件犯行現場付近を見ることができず,上記交差点からも,本件駐車場のうち同ベンツの右前部に立つ人物のみが見え,それより東側(壁側)や同ベンツの運転席側は見ることができないと認められることに照らすと,被告人が,上記q前の路上や上記交差点から,その供述するような光景を見ることはあり得ない。

そうすると,被害者が,男と話をしているところを見たという被告人の供述は,実際に見たことを供述したものではなく,虚偽を述べたものというほかない。本件犯行の時間帯の前後に目撃した状況として被告人が供述する内容は,にわかに信用できない。

加えて,被告人は,捜査段階で,虚偽のアリバイ主張をしたり,被害者の監視を人から依頼されたことを供述しながら,その詳細に関する供述を拒否したりしていることも考慮すると(もとより,被告人には黙秘権があるから,部分的にせよ供述を拒否している点を被告人に不利益な方向に考慮するには,自ずから限度がある),被告人が,何らかの形で本件犯行に関与しているのではないかという疑いを持たざるを得ない。

第11被告人と本件犯行との関わりについて

1  検察官は,本件犯行を被告人が単独で実行したものとして,本件公訴を提起しているので,これまで認定した各事実を総合して,被告人が本件実行犯であると認定できるかにつき検討する。

2  被告人が,本件犯行がなされた時間帯に甲学園付近にいた旨供述していること,本件発生後,Oに口止めとも解される発言をしたこと,Nに人生を悲観する電話をかけたこと,Pに自首はできないと語ったこと,ツートンのベンツを処分したこと及び捜査機関の追及から免れるため住居を転々としたことのほか,被告人の供述内容等を総合して検討すると,少なくとも,被告人は,本件犯行に何らかの関与をしたものと推認するのが相当である。そして,被告人のNに対する言動は,それ自体としては前述のような疑問があるとしても,その言動をした時期にかんがみると,本件に関する言及をしたものと解する余地があり,さらに,被告人の本件当時の風貌や着衣も本件実行犯のそれと矛盾するとまではいえないことも併せ考えると,被告人が本件実行犯であることが推認できるようにも考えられる。

しかし,前述のとおり,被告人が,体格の点で,被害者や目撃者が供述する本件実行犯の人物像と果たして合致するのか疑問を差し挟む余地があるほか,被告人が本件実行犯であるとすれば,以下のような疑問も残るといわざるを得ない。

3  すなわち,被告人が本件実行犯であるとすれば,Nに対する言動は,検察官が主張するように,本件犯行について言及したものであり,被告人は,Nに対する言動で示唆するとおり,依頼を受けて報酬目的で殺人を行ったということになる。そうすると,被告人は,3月21日夕方にOと別れてhホテルを出,甲学園付近に行って,午後7時8分にOに電話をかけた後に,初めて殺害を依頼されたと考えるべきである。なぜならば,前述のとおり,被告人がしていた監視行動は,被害者の殺傷等を意図したものとは認められないことに加え,被告人は,上記Oへの電話で,本件駐車場に被害者のベンツがあったので,しばらく様子を見る旨連絡しているところ,仮に,被告人が本件実行犯であれば,このような連絡をすること自体,被告人がその犯人であるとの嫌疑を招くものであるから,3か月間同じ職場にいただけの間柄でしかないOとの関係に照らしても,上記連絡が,これから被害者を殺害しようとする者の行動とは考えがたいからである(現に,捜査段階で,被告人はアリバイを主張したにもかかわらず,被告人から上記連絡を受けた旨をOが供述したことから,本件当時,被告人が甲学園付近にいたと認定されている)。したがって,被告人が本件実行犯であるとしても,午後7時8分にOに電話をかけた時点においては,被害者を殺害することを全く考えておらず,当然,被害者殺害の依頼も受けていなかったというべきである。

そして,被告人は,本件発生の約10分後である同日午後9時22分にOに電話をかけて,待機を解除する旨伝えているのであるが,被告人が,午後7時8分にOに電話をした後,本件犯行に出るまでに,被害者の殺害を依頼又は指示されて,殺害の意思を固めたとすると,なぜ,本件を敢行する前に,Oに待機を解除する旨連絡して,本件と被告人との関わりを隠匿しようとしなかったのか,疑問が生じる。

この点について,検察官は,被告人が,午後7時8分の電話でOに待機を指示していたことを,犯行直後に思い出し,そのまま放置すれば自身が犯人であることを看破されると察したため,午後9時22分にOに電話をかけた旨主張する。しかし,犯罪者の行動が常に合理的であるとは限らないとしても,午後7時8分に電話をかけた後,殺害を指示されて犯行を決意したとすれば,自己が殺害行為をしたと察せられないようにするために,本件を敢行する前に,Oに待機を解除する旨連絡して,本件との関わりを隠匿しようとする方が自然であると考えられる。それにもかかわらず,犯行直前にはOへの待機指示を思い出さず,犯行直後で精神的にも動揺していると解される時期になって,にわかにOに待機を指示していたことを思い出したというのは,あまりにも不自然である。仮に,被告人が本件実行犯であり,午後7時8分の電話でOに待機を指示していたことを犯行直後に思い出したとしても,犯行直後に,同人に電話をかけて待機の指示を取り消せば,そのころ,待機を不要とするような何かがあったのではないか,あるいは,その時刻ころまで,被告人が甲学園付近にいたのではないかと思われるのは必至であるから,むしろ,何もせずに待機の指示をそのままにしておいて,後日,何食わぬ顔をして,本件犯行の発生よりも前の時間帯に甲学園付近から離れたが,待機の指示を取り消す連絡をするのを忘れたと装う方が,本件を実行した者としては自然な行動であるとも考えられる。

さらに,被告人は,翌22日午前7時47分にOに電話をかけ,「やばいことになった。もうええし帰って」と伝えているが,その際,Oに対して,前夜の自己の行動につき弁解等をした節もない。

以上のとおり,Oに対する同月21日午後9時22分及び同月22日午前7時47分の電話が,本件実行犯からの電話であるとすると,なぜそのような電話をかけたのか疑問が残るといわざるを得ない。

4  また,本件犯行については,次のような未解明の点が残されている。

本件は,物取りの目的から偶発的に引き起こされた行きずりの犯行とは到底考えがたいところ,本件発生の約2時間前まで,甲学園付近には,ツートンのベンツ以外に,付近の住民にも見慣れない自動車が止まっており,同車内には2名の男が乗っていた事実が認められることに照らすと,被告人以外にも,甲学園の様子をうかがっていた者がいたのではないかとも考えられる。

のみならず,本件実行犯は,本件当時,雨天の中で被害者の帰還を待っていた筈であるから,自動車で甲学園付近まで来て,駐車した車内で被害者を待っていたとも考えられるところ,被害者と接触した際に,ホテルへ来るよう求めて被害者のベンツの鍵を奪おうとし,殺害後は,本件駐車場南側の道路を走って逃げていることからすると,実行犯が乗って来た自動車を運転して帰った者や,本件実行犯の逃走を手助けした者などがいたことも十分考えられる。

他方,被告人と被害者との人的関係等に照らせば,報酬目的で殺人を請け負うことは格別,被告人には被害者を殺害したいと考えるような個人的な動機が見当たらないことも事実である。被告人が本件実行犯であるとする検察官も,その背景に被告人に対して指示をしている人物がいることを念頭において立論していることは,冒頭陳述及び論告からも明らかであるところ(特に冒頭陳述では,兵馬俑取引に関するトラブルを巡って,Dらが,被害者殺害を被告人に依頼したと主張するかの如くである),最終的には,本件の背後関係に関する立証はほとんどなされなかったと評さざるを得ない。そして,被告人が,報酬目的で殺人を請け負い本件犯行に及んだとするには,疑問が残ることは前述のとおりである。

以上によれば,本件犯行には,実行犯以外にも複数の者が関わっていた可能性が高いところ,本件犯行当時,その現場付近には,被告人のほかにも,本件に関係しているのではないかとの疑いを払拭できない人物がいたのであり,かつ,その風貌や着衣等の特徴に照らし,被告人が本件実行犯と特定できるわけでないことは前述のとおりであるから,被告人が本件に何らかの関与をしていると考えることができることをもって,直ちに被告人が本件実行犯であると推認することは許されないというべきである。

換言すれば,被告人は,本件に何らかの関与をしていると認められ,被告人が本件実行犯であっても,証拠関係上認められる事実と矛盾しないとはいえるものの,被告人以外に本件実行犯がいて,被告人がその犯行やその後の逃走を容易にするなどの形で関与した可能性も,なお否定し得ないのである。

そして,検察官が,被告人が本件実行犯であることを推認させる事実として挙げるもののうち,本件への関与を疑わせる前記各事実は,いずれも被告人が本件実行犯であることまで推認させるものではなく,Nに対して「別な人のせいで」「人生終わり」との電話をかけた点や,Pに対して自首できない事情を語った点なども,実行犯以外の形態で本件犯行に関わった者の言動と考えても特に不合理ではない。

要するに,本件全証拠を総合しても,被告人が単独で本件犯行をしたことにつき,合理的な疑いを容れないほどの証明はできていないといわざるを得ない。

5  そこで,被告人が単独犯以外の形態で本件に関与したとして,その認定の可否について考えると(事案の性質上考えがたい教唆犯は除外する),まず,具体的な関与類型としては,①被告人自身が,本件の実行行為に出ているかはともかく(前述のとおり,被告人が本件の実行行為をしたという事実を認定するに足りる証拠はない),1人又は複数の氏名不詳者ら(以下,単に「氏名不詳者」という)と共謀の上,本件を行った場合(実行共同正犯又は共謀共同正犯),②氏名不詳者において本件を行うに際し,被告人がこれを幇助した場合(幇助犯),③被告人が,上記①及び②以外の刑法上の共犯には該当しない形態で本件に関与しているが,処罰の対象とならない場合のいずれかということになる。

このうち,訴因変更を前提として,被告人が,氏名不詳者と共謀の上,本件を行ったものと認定できるかについては,これまで被告人の単独犯ということで審理が行われてきており,共謀の点については,実際上,検察官から何らの主張も立証もなされておらず,公判廷に現れた全証拠によっても,共謀の認定はできないというほかない(それゆえ,当裁判所は,検察官に対し,訴因変更の意思の有無について釈明を求めることはしなかった)。

また,同様に訴因変更を前提として,氏名不詳者が本件を行うに際し,被告人がこれを幇助したとの認定の可否についても,被告人が,本件犯行の数時間前まで被害者を監視していたことや,被告人の供述によれば,本件犯行当時現場付近にいたことなどは認められるものの,それ以上に被告人がどのような行為をして,氏名不詳者による本件犯行を幇助したかに関し,何ら主張及び立証がなされていないのであるから,やはりその旨の認定は困難である(具体的な幇助行為の態様を明らかにしないまま,幇助犯の成立を認定することは,被告人の防御権を不当に侵害するものとして許されないことはいうまでもない)。

もとより,被告人の本件への関与が不可罰なものである可能性も残るのであるから,例えば,共同正犯又は幇助犯であるとのいわゆる択一的な認定(「被告人は,氏名不詳者と共謀の上,本件を行い,又は,氏名不詳者が本件犯行をするに際し,これを幇助した」旨認定)をすることも論外である。

第12結論

以上によれば,証拠上,被告人が何らかの形で本件に関与していることは認められるものの(被告人は,捜査及び公判を通じ,自己が本件実行犯ではない旨供述しつつ,他方で,本件当日,現場付近で真犯人とおぼしき人物を見ているかのような素振りまでしながら,合理的な理由も明らかにしないまま,肝心な部分についての供述を一切拒んで真相解明に非協力的な態度をとり続け,自己の防御権すら適切に行使しようとしないのであって,かかる応訴態度は,被告人の黙秘権を考慮に入れても,まことに遺憾というほかない),なお,全証拠を総合しても,被告人が単独で被害者を殺害した旨の本件公訴事実が,合理的な疑いを容れない程度にまで証明されたとはいえないといわざるを得ないから,疑わしきは被告人の利益にという原則に則り,刑事訴訟法336条により無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 楢崎康英 裁判官 井戸俊一)

裁判官 松田俊哉は海外出張のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 楢崎康英

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