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京都地方裁判所 平成10年(ワ)2229号 判決 2003年1月15日

当事者の表示<省略>

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  本件につき原告らのために控訴の付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1請求

別紙(1)請求の趣旨記載のとおり

第2事案の概要

本件は、原告A1、同A2、同A3、同A4、同A5及びA6が、第2次世界大戦中に当時の日本政府の政策に基づき、被告らによって昭和19年8月ころ中国から日本国内に強制連行されて同20年8月15日まで、被告会社の鉱山で強制労働をさせられた上、今日に至るまでその損害を回復する措置がされてないこと等を理由として、

1  被告国に対しては、

(1)  本件当時の中国民法に基づく不法行為による損害賠償

(2)  民法上の不法行為あるいは安全配慮義務違反または保護義務違反に基づく損害賠償

(3)  陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(いわゆるヘーグ陸戦条約)あるいは国際慣習法に基づく損害賠償(以上は選択的請求)を、

2  被告会社に対しては、

(1)  民法上の不法行為あるいは安全配慮義務違反または保護義務違反に基づく損害賠償(選択的請求)

(2)  事実上の労働関係に基づく賃金支払(主位的請求)あるいは不当利得返還(予備的請求)を

3  被告らに対しては、

本件当時の中国民法に基づく謝罪広告の掲載を、

それぞれ求めた事案である。

(以下において、原告A1、同A2、同A3、同A4、同A5及びA6を合わせて「原告ら6名」と、原告ら主張の強制連行と強制労働をそれぞれ「本件強制連行」「本件強制労働」と、両者を合わせて「本件強制行為」と称する。)

第3争点

1  原告らの不法行為の主張について

(1)  本件強制連行が被告国の権力作用の行使であるとして、国際私法の適用を排除することができるかどうか

(2)  本件強制行為が被告らの共同不法行為となるかどうか

(3)  本件強制行為について国家無答責の法理が適用されるかどうか

(4)  中国国内での不法行為について、法例11条3項により民法724条が累積的に適用されるかどうか

(5)  被告らの不法行為責任が、民法724条後段によって消滅するかどうか

2  原告らの安全配慮義務違反の主張について

(1)  被告会社が安全配慮義務を負っていたかどうか

(2)  被告国が安全配慮義務を負っていたかどうか

3  原告らが、被告会社に対して、賃金請求権または同額の不当利得返還請求権を取得するかどうか

4  被告会社の時効援用が権利濫用となるかどうか

5  原告らが国際法に基づいて損害賠償請求権を取得するかどうか

6  原告らが、ポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権を取得するかどうか

7  原告らが、本件当時の中華民国民法に基づいて、謝罪広告掲載請求権を有するかどうか

第4争点に対する当事者の主張

1  原告らの主張

別紙(3)「原告らの主張」記載のとおり

2  被告国の主張

別紙(4)「被告国の主張」記載のとおり

3  被告会社の主張

別紙(5)「被告会社の主張」記載のとおり

第5当裁判所の判断

1  証拠

(1)  甲第1号証ないし同第4号証、同第6号証、同第10号証、同第12号証、同第30号証、同第30号証の2、同第36号証ないし同第40号証、同第41号証の1ないし3、同第44号証の1ないし22、同第48号証、同第50号証の2、同第51号証の2、同第53号証、同第55号証、同第56号証、同第59号証、同第60号証ないし同第64号証、同第67号証、同第68号証、同第71号証、同第73号証ないし同第76号証、同第80号証、同第81号証

(2)  原告A1の尋問結果

(3)  争いのない事実、顕著な事実、弁論の全趣旨

(なお、以下においては、原文が旧仮名遣いの文書の記載は現代仮名遣いにし、年号と西暦は適宜使い分ける。)

2  認定事実

(1)  当事者

ア 原告ら6名

(ア) 原告A1(1930年生まれ。)は1944年当時、現在の中華人民共和国河南省獲嘉県に居住する農民であった。

(イ) 原告A2(1923年ころの生まれ。)は、1944年当時、同県に居住する農民であった。

(ウ) 原告A3(1923年生まれ。)は、1944年当時、同県に居住する農民であった。

(エ) 原告A4(1926年生まれ。)は、1944年当時、同県に居住する農民であった。

(オ) 原告A5(1924年生まれ。ただし、強制連行当時の名はCであった。)は、1944年当時、同県に居住する農民であった。

(カ) A6(1926年生まれ。)は、1944年当時、同県に居住する農民であった。A6は、平成11年2月16日に死亡した。

原告(亡A6訴訟承継人)B1はA6の長女、同B2はA6の次女、同B3はA6の三女、同B4はA6の長男、同B5はA6の次男、同B6はA6の三男である。

イ 被告国

被告国は、昭和17年11月27日に、当時の東条内閣において「華人労務者内地移入に関する件」と題する閣議決定(以下「本件閣議決定」という)をして、「華人労務者の内地移入」と称する政策(以下「本件移入政策」という)を実施した。

ウ 被告会社

被告会社は、昭和19年(1944年)当時、京都府与謝郡a村字bにある大江山鉱山で、軍需会社としてニッケル鉱の採掘事業をしていた。

(2)  原告ら6名の強制連行と強制労働及びその間の生活状況

原告ら6名が、前記の居住地から大江山鉱山に強制的に連行された経緯と、終戦まで大江山鉱山で労働を強制された状況、さらにその間の生活状況は、次のとおりである。

ア 強制連行の経緯

(ア) 原告A1

原告A1が14歳のとき、c村の保長であったおじから塹壕堀のいい仕事があるといわれて、1944年(昭和19年)8月に親戚のEと一緒に、県の役所に申込みに行った。ところが2人は日本の傀儡軍の兵士らに縛られ県の役所の中に閉じこめた。そして2人は新郷の「労工協会」に連行された。さらに2人は済南まで連行され、そこで施設内に閉じこめられた。同様に閉じこめられていた多くの人々が逃走しようとしたが、試みたものは全員が殺された。原告A1は、恐ろしくて、逃走できなかった。そこから青島に送られた。

(イ) 原告A2

原告A2(連行当時の名は「F」)は、1944年(昭和19年)8月ころ、自由市場に買い物に行ったところ、日本軍に捕まえられた。そしてコーツーチンという町に連行され、翌朝、歩かされて獲嘉県の県城(県庁)に到着した。さらに新郷、済南を経て青島に連れて行かれた。

(ウ) 原告A3

原告A3は、当時結婚後50日ほどしか経っていなかったが、1944年(昭和19年)8月ころ、生活のために県の労働者募集に応じることにして、同じ村のA6と出かけたところ、傀儡軍の兵士によって王朋庄に連れて行かれた。その後、d村の役所の庭に20人ほどが押し込められ、鍵をかけられた。そして、傀儡軍の兵士によって原告A3は、有蓋貨車に乗せられて新郷に連行され、次いで石家荘に送られ、さらに、済南の労働者専用の施設に入れられた。中には100人くらいの人がいたが、原告A3らより先に収容されていた者が、日本に連行されて働かされることになると教えてくれた。逃走する者もいたが、傀儡軍の兵士に銃で撃たれていた。そこから4人ずつ縛られて汽車に乗せられ、青島に向かう際、日本兵が同行していた。

(エ) 原告A4

原告A4は、1944年(昭和19年)8月ころ、村の人から3日くらいの稼ぎ仕事があると騙されて、新郷へ行ったら捕まえられて縛られたた。兵隊に監視されて新郷から石家荘に送られ、済南を経て青島に連れて行かれた。

(オ) 原告A5

原告A5は、1944年(昭和19年)9月ころ、労働者の募集に応じて出かけたら新郷へ行かされ、そこから山東省へ行く貨車に乗せられた。貨車には日本兵が乗っていて、自分たちが外に出られないように監視しており、自分たちは日本へ連れて行かれることがわかった。山東省に着くと兵隊に縛られて牢屋のような建物内に閉じこめられた。そこからさらに青島に連行された。

(カ) A6

A6は、1944年(昭和19年)8月ころ、父が甲長をしていた関係で、県からの臨時労働者募集(内容は、県に約10日間仕事に行き、毎日連合票10枚を貰えるというもの。)に応募した。村からは、4人が一緒に行き、上記のとおり、原告A3はそのうちの1人であった。ところが、A6らは傀儡軍兵に銃で脅されて王朋庄へ連れて行かれ、その後d村に連行された。その後の経緯は原告A3と同じである。

(キ) 原告ら6名が連行された青島では、国民党の軍服とゴム底の地下足袋を支給され、捕虜のような服装をさせられた。そして、原告ら6名は、昭和19年10月11日、青島港で日本の貨物船「梓丸」に乗せられ、日本に向かった。船内には約600名の中国人が詰め込まれて輸送された。船内では日本軍に監視された。

出航後、済州島で1泊し、約1週間後に日本の下関に到着した。さらに下関から列車で京都を経て大江山鉱山に連行された。

(ク) 被告会社は上記の強制連行に次のとおり関与した。

a 被告会社は華北労工協会との間で、昭和19年(民国33年)7月29日、同協会が被告会社に供出する労工使用についての契約等を交わした。

両者間の合意事項の中には、次のものが含まれていた。すなわち募集供出方法は同協会が華北より労工適格者を選出し所要地点に終結させ、目的地へ転送する。被告会社は労工100名につき1名の割合の現場管理人を華北に派遣し、そのうちの引率責任者が労工の引渡から現場到着まで労工を管理する。被告会社は供出人員1名につき80円を募集費として同協会に納入する。引き渡す労工は200名とし、その採用規格は、<1>身体強健で重筋肉労働に耐えうる者、<2>年齢は満16歳以上の若年者を優先的に選抜する、<3>思想的に不良ならざるものを選ぶ、<4>現地選衝に被告会社が立会うこととする。訓練として、到着後1か月間を訓練期間とし、最初は激務に従事させず、生活指導・日本語指導・団体訓練・作業訓練・現場教育を行う。そのほか労働条件等も具体的に定められていて、賃金額については日額5円とされていた。

b 被告会社の従業員2名が、大江山鉱山で就労させる中国人労働者の引取のため昭和19年8月7日に中国まで出かけ、同年10月に、済南の収容所で同協会から中国人200人(原告ら6名はこの中に含まれていた。)の引渡を受けた。一行は、同月11日青島から「梓丸」に乗船し、同月19日山口県下関に到着した。そして、上記200人の中国人(大江山鉱山に送り込まれた中国人は、その後に死亡した者があるため人数が減少しているが、以下「大江山関係中国人」と総称する。)は同月21日に大江山鉱山に着いた。

イ 本件強制労働及び原告ら6名の生活状況

被告会社は、大江山鉱山に送り込まれた大江山関係中国人に対し、次のような処遇をした。

(ア) 労働の開始

原告ら6名は、次のとおり大江山鉱山で被告会社のために労働させられたものである。しかし就労するについて、原告ら6名が被告会社と労働契約を交わしたことがなかったことはもとより、就労するかどうかについて意思を確認されたこともなかった。のみならず、本件移入政策において後記のとおり労働条件等に関する具体的な定めがなされていることを説明されたこともなかったし、本件強制労働の期間中この定めに従った取り扱いを受けることもなかった。

(イ) 労働内容

原告ら6名を含む大江山関係中国人は4小隊に分けられた。第1小隊から第3小隊までが、山腹をダイナマイトで爆破し2人1組になって鉱石をトロッコで乾燥場まで運ぶ採鉱作業と運搬作業に、第4小隊が鉱石を乾燥させる乾燥作業に従事させられた。

作業時間は1日12時間の定めであったが、実際は早朝の暗いうちから夜遅くなるまで、14時間以上も働かされていた。日本語でされる指示が理解できないでもたつくと、監督から棍棒などで殴られた。

(ウ) 拘束状態

大江山関係中国人の宿舎は、作業現場から数キロ離れた場所にある3棟の掘建小屋があてられ、そこにかためて居住させられた。宿舎の回りは尖った竹と木の板があり、その上は鉄条網が張り巡らされていた。夜間は宿舎の鍵をかけられ、監視員が置かれたので自由に行動することはできなかった。逃走した者もいたが、すぐに捕まえられた。監視員は見せしめのために、逃走者を残りの中国人に殴らせたりした。

(エ) 食糧事情

1日3食はあったが、その内容は大豆粕で作った饅頭(1食につき1個。約100グラム)が主食としてあてがわれた。しかし、質と量の両面で極めて貧弱なものであったため、重労働による空腹を満たすことはできなかった。

(オ) 居住状況

宿舎では、上下2枚の板を通した2段ベッドの1段が各自に与えられた。寝具も十分でなかったため、雪の降るような冬は寒さをしのげなかった。

(カ) 衣服

青島で国民党の軍服をあたえられたが、その後は、作業着や衣服の支給はなかったため、着替えもままならなかった。

(キ) 衛生・医療環境

重労働と貧弱な食事に加えて、衛生状態も極めて悪く、体の具合が悪くなっても、治療を受けることはできなかった。

大江山鉱山では、12人が死亡し、うち1人が自殺で、そのほかは病死(急性大腸炎など)であった。負傷者の正確な数は定かでないが相当数いた。

(ク) 賃金関係

原告ら6名は、終戦以前及び終戦後も、大江山鉱山における労働について賃金の支払を受けたことは一切なかった。

(3)  終戦により原告ら6名が中国に送還された経緯

ア 昭和20年(1945年)8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾し終戦の詔書を発布するとともに、翌15日にその旨が広く伝えられた。この日から、被告会社は原告ら6名を含めた大江山関係中国人に対して労働の強制をやめた。

イ 原告ら6名は、生存していた大江山関係中国人182人とともに(合計188人)、昭和20年11月29日に長崎県の佐世保に集結させられ、同年12月1日に南風崎から米軍の上陸用舟艇(LST)に乗り、同月上旬に塘沽に着いた。そこから、原告ら6名はそれぞれ自分の住居地に自力で戻った。

(4)  原告ら6名の帰国後の状況

原告ら6名がそれぞれ自宅に戻ってみると、原告A1の母親は精神を病み、原告A3の母は既に死亡しており、原告A5の母親は両目を失明していた。それだけではなく、周囲の中国人から、原告ら6名は戦争中に敵国である日本国内にいて中国に対する侵略行為に協力した人物であると、いわれのない非難をされて精神的な苦痛を受けた。

(5)  本件移入政策を決定・実行した経緯等

被告国が、本件閣議決定をするに至った経緯と、その後の本件移入政策の顛末は、おおよそ次のとおりである。

ア まず、上記経緯について節目というべき事実を時系列で見ると次のとおりである

(ア) 昭和13年12月16日に、中国占領地統治の中央機関として興亜院が発足した。

(イ) 昭和14年(1939年)7月に、北海道土木建築業連合会は、厚生・内務大臣宛に、中国人労働者を中国から移入する必要性を陳情した。

(ウ) 昭和15年(1940年)3月19日に、商工省燃料局内に「華人労務者移入に関する官民合同協議会」が設置され、石炭産業における中国人労働者の移入が協議された。

(エ) 同月20日に、王兆銘が中華民国国民政府を南京に樹立した。昭和13年に成立した中華民国臨時政府(王克敏)は「華北政務委員会」に改組された。

(オ) 昭和16年(1941年)7月に、華北労工協会が北京に設立された。

同協会は華北政務委員会の補助金及び企業の負担金によって設立されたもので、労働者の募集及び移送等の一切の事務を取り扱うものである。

(カ) 昭和17年(1942年)夏ころ、土木工業協会は、「支那苦力」使用を外務省・厚生省等に要請した。これに基づいて、企画院は同協会労務委員会に諮問をした。

(キ) 同年10月20日に、土木工業協会は、「華北労務者の使役に関する件」と題する案を作成し、その中において「移入要領」を定めた。また、このころ、石炭統制会も、「炭坑に俘虜並びに苦力使用の件」と題する案を作成し、中国人労働者の移入の具体化をはかった。

(ク) 同年11月27日に、以上の経過をふまえて本件閣議決定がなされた。

同決定の内容は別紙(6)のとおりである。これによって日本政府は本件移入政策を実施することになった。同日、企画院は、実施要領(以下「本件実施要領」という)を定めた。その内容は別紙(7)のとおりである。

(ケ) 同年12月19日に、被告国は華北労働事情視察団(政府・企業合同)を中国に派遣し、中国人労働者の実態の把握・調査をおこなった。

(コ) 昭和18年(1943年)3月2日に、内務省警保局は「華人労務者の内地試験移入並其の取扱に関する件」と題する通牒を作成した。

(サ) 同年4月に、本件移入政策に基づき、中国人労働者の内地への試験移入が開始された(同年11月まで続けられた)。

(シ) 同年5月3日に、「昭和18年度国民動員実施計画策定に関する件」が閣議決定された。

(ス) 昭和19年(1944年)2月28日に、上記試験移入の実施結果を良好と判断して、「華人労務者内地移入の促進に関する件」が次官会議で決定(以下「本件次官会議決定」という)された。その内容は別紙(8)のとおりである。これによって本格移入が実施されることになった。

(セ) 同年3月9日に、厚生省は「華人労務者内地移入手続」を作成し、具体的な実施細目を定めた。

(ソ) 同年3月23日に、上記本格移入の第1陣が、港運広島に到着した。

(タ) 同年4月4日に厚生次官、内務次官が「華人労務者内地移入に関する件」と題する通牒を発した。

これ以前に、「華人労務者内地移入に関する方針」及び「華人労務者内地移入要綱」が次官会議で決定された。

(チ) 同月6日に、内務省警保局長から各庁府県に「移入華人労務者取扱要領」と題する通牒が出された。

(ツ) 同年8月16日に、昭和19年度国民動員実施計画策定に関する件」及び「昭和19年度国家動員計画需要数」が閣議決定された。

同決定において、具体的人数を挙げて「移入」を「国民動員計画」中に算入し、朝鮮人労働者29万人、中国人労働者3万人を供給すると定めて、「移入」を実施した。

イ 本件移入政策の顛末は次のとおりである。

(ア) 上記のとおり、本件移入政策は、昭和18年4月から同年11月までの試験移入を経て、昭和19年3月から昭和20年5月までの本格移入という2段階で実施された。試験移入は、昭和18年4月に第1回として、華北の中国人約220人が荷役労働者として富山県伏木港に到着した。本格移入は昭和20年6月に四国のG銅山に到着した華北の中国人400人が最後である。その間に、試験移入の人数は1411人、本格移入は毎月約千人から三千人にのぼり、総数で3万7524人である。

(イ) 本件移入政策は、当初、企業労働者としての経験及び技能を有する中国人労働者を日本国内に移入することを主眼とし、移入対象者として素質が優良な俘虜及び帰順兵を想定し、これらの者に所要の職業訓練をした上で就労させること(本件閣議決定、本件次官会議決定)を予定して立案されていた。

(ウ) しかし、本件移入政策によって実際に日本に移入された中国人は、本件移入政策が予定していた経験や技能を有する労働者が極めて少なく、企業労働等の経験がない者が多かった。それにもかかわらず、これらの中国人は、なんらの職業訓練も実施されることがないままに、いきなり日本国内の事業所に割り当てられた。各事業所は、割り当てられた中国人を、さしたる技能や経験を有しない者でも担当できる単純作業で肉体的に過酷な重労働を要する部署に配置した。

(エ) 本件移入政策によって、総数3万8935人の中国人労働者が日本国内に移入され、鉱山業、土木建築業、港湾荷役業、造船業等の35企業の事業所135か所で就労し、その内6830名が死亡した。

(オ) 終戦を境として、日本政府は日本国内の上記中国人労働者の処遇方針を転換し、昭和20年8月17日に、内務主管防諜委員会幹事会を開いて、中国人労働者全員を急いで帰国させることを基本方針とする「華人労務者の取り扱いに関する件」を決定した。

中国人労働者は、昭和20年10月から新潟、博多、室蘭、長崎から船で帰国させられた。

(カ) 日本政府は、本件移入政策によって中国人労動者を受け入れた企業に対し、補償をした。

被告会社が受けた被告国からの政府補償の額は、77万1000円であった。

第6争点に対する判断

上記の認定事実(以下「本件認定事実」という)に基づいて、争点について順次検討する。

1  本件強制行為は被告らの不法行為であるとの主張について(争点1)

(1)  本件強制行為が、原告らの主張するとおりの不法行為となるかどうかを判断するためには、次の点がまず問題となる。

すなわち、本件認定事実によれば、本件強制連行のうち、その一部の行為は中国国内で旧日本軍によって行われたもの(以下「中国内連行行為」という)である。また、その余の強制連行行為と本件強制労働(以下「本件国内行為」という)は、中国国籍を有する原告ら6名について日本国内でなされたものであるから、本件強制連行及び本件強制労働のいずれの行為についても、国際私法上の問題が生じることになる。

ところが、被告国は、本件強制連行は権力作用であるから国際私法の適用がないと主張するので、この点について判断する。(争点1の(1))

ア はじめに中国内連行行為について検討してみる。

(ア) 本件認定事実によれば、中国内連行行為が、当時の中華民国民法において、不法行為となることは明らかである。そうであれば、法例11条1項によって準拠法が定まることになるはずである。

(イ) 被告国の上記主張は、本件強制連行が国家の権力作用に基づく極めて公法的色彩の強い行為であって、国家の利害と切り離して考えることができない行為であるから、国際私法の適用がないというものである。そこで、本件強制連行が権力作用に基づいた行為であったことが、証拠上認められるかどうかについて、みていくことにする。

(ウ) まず、原告ら6名が身柄を拘束され強制連行された経過は、既に認定したとおりである。すなわち、

a 拘束が開始された時の状況は次のとおりである。

(a) 原告A1は塹壕掘りの仕事をもらいに役所に行ったら兵士に拘束された。

(b) 原告A2は買い物に行った先で日本軍に捕まった。

(c) 原告A3は仕事の募集に応じたら兵士に連行された。

(d) 原告A4は仕事があると騙されて出かけたら兵士に捕まえられた。

(e) 原告A5は労働者募集に応募したら兵士に拘束された。

(f) A6は県の仕事に応募したら兵士に連行された。

b そして、原告ら6名は、そのまま家族と連絡を取ることも許されず、拘束の理由も告げられず、引き続き旧日本軍によって拘禁され、日本に強制連行された。これらの事実によれば、原告ら6名は、いきなり旧日本軍によって拘束されて連行されたものというよりほかはなく、このような態様の拘束と連行が日本法上許されるものでないことは明らかである。

(エ) 他方、拘束された原告ら6名が、旧日本軍によってそのまま日本に連行されて、被告会社で労働を強制された事実からすると、本件強制連行が、本件移入政策に基づいてなされたものであることは、間違いのないことである(このことは、当事者全員が認めて争わないところである)。

この事実のみからすると、戦時において、国家が機関決定した政策を実施するにあたり、その軍隊が当該政策の遂行行為として行った行為である本件強制連行は、国家が優越的地位に基づく権力作用として強制、命令した行為であったことを、疑う余地はないかのごとくである。そうであれば、本件強制連行を国際私法の問題とすることは許されないことになる。

(オ) ところが、本件移入政策が、移入対象とする中国人労働者の選定等について定めるところは、既に認定したように次のとおりである。

a 本件閣議決定は、「移入する華人労務者の募集又は斡旋は、華北労工協会をして、新民会其の他現地機関との連携の下に、当らしむる」(第二要領の三)、「移入に先立ち一定期間現地の適当なる機関において必要なる訓練をなす」(同五)、「華人労務者の契約期間は原則として二年とし、(中略)二年経過後適当の時期に於いて希望により一時帰国せしむる」(同七)と明記している。

b 本件実施要領は、本件閣議決定に基づいて実施要領を定めたものであるが、中国人労働者の供出方法について「供出斡旋は、華北労工協会をして之に当らしむることとし、第1次の供出は左記の方法による。荷役業;華北運輸会社に於いて訓練せる者を根幹とし編成せしむ。炭鉱業;炭坑中内地に同一系統の炭鉱を経営する鉱業会社をして内地に於ける炭坑に就労せしむるを条件とし、把頭を中心に編成せしむ」としている。

c 本件次官会議決定は、「華人労務者の供出又はその斡旋は、大使館現地軍並に国民政府(華北よりの場合は華北労工協会)をして之に当たらしむ。」「華人労務者は、訓練せる元俘虜又は元帰順兵の外、募集に依るものとする。」「華人労務者は移入に先立成るべく一定期間(一ヶ月以内)現地の適当なる機関に於いて必要なる訓練をなす。移入未経験労務者に付いては内地に於いても之を使用する工場事業場をして必ず一定期間必要なる訓練をなさしむる」「華人労務者の契約期間は原則として二年(略)とし、同一人を継続使用する場合に於いては二年経過後適当の時期に於いて希望により一時帰国せしむる」旨を定めている。

上記決定等の文言は、本件移入政策が、中国人労働者を選定する方法として、中国国内での募集行為あるいは現地機関のあっせん行為等を想定していたことを示していると読むより外に、読みようのない表現である。そればかりか、この移入政策を実施するにあたって、もし必要があれば国家としての権力作用を発動して、一方的に選定した中国人労働者を日本国内に連行することを予定していることを看取できる文言はどこにも見当たらない。

このことは、甲第53号証(日本建設工業会華鮮労務対策委員会H作成の活動記録)の26頁に、日本建設工業会のHが戦後に作成した記録において、「華北労工協会を訪れ幹部と会見、土建事業に於ける華人労務者供出に付懇談した結果同協会動員部長I氏より供出の順位、募集の困難性等を聴取し内地で考えているよりも六ヶしい事(ママ)を知って驚いた殊に賃金が1日1人5円と聞いて(中略)事情止むを得ずとして契約を締結した」旨を昭和19年3月の出来事として記載していることからも、うかがうことができる。

既に認定した被告会社と同協会との契約内容(甲第3号証の中に綴り込まれている「契約書」と題する文書及び「華北労務者対日供出実施細目」と題する文書の記載)によれば、被告会社が、同協会が募集したと称する200名の中国人を、募集費用を同協会に支払って引き取る契約をしたものであり、この事実は、Hが作成した上記文書の記載内容と正確に符合するものである。

(カ) これらの事実からすると、本件移入政策は、当時の日本政府が統治権に基づく権力作用を行使して、特定の中国人を移入労働者として選定し、強制的に日本国内まで連行して労働させることを構想しているものではなく、非権力的方法によって政策を実現しようとしているというべきである。

そして、前記認定の拘束時の状況によれば、原告ら6名が身柄を拘束された際に、それが本件移入政策の実施行為であるなどという説明は一切なされていなかったし、日本国内で労働することを勧誘されたわけでもなかったものである。しかも、本件移入政策がその具体的実施方法として、事情を知らない中国農民を旧日本軍が突然実力で拘束して連行すことなど、全く予定していたしていなかったことは上記のとおりであるから、本件強制連行は、本件移入政策が予定していた移入すべき中国人労働者の選定方法あるいは選抜態様、さらにはそこで定められていた労働契約の締結等の法的手続などに則ることなく、なされたものであったといわなければならない。

以上のとおりであるから、本件強制連行が本件移入政策の事実上の実行行為であったことの一事をもって、それが国家の権力作用の行使としてなされた行為であったと認めるわけにはいかない。

(キ) もっとも、「華人労務者就労事情調査報告書(要旨)」(甲第2号証105頁から)の7頁には、「華北労工協会扱いのものは其の約3分の1に当たる10667名は訓練生供出にして、大部分は元俘虜、帰順兵、土匪、囚人を訓練したるもの、他の約3分の2即ち4050名は行政供出に係るものにして華北政務委員会の行政命令に基く割当に応じ都市郷村より半強制的に供出せしめたるもの」「行政供出は中国側行政機関の供出命令に基く募集にして各省、道、県、郷村へと上級庁より下部機構に対し供出員数の割り当てをなし責任数の供出をなさしむるものなり」(甲第2号証の215頁)と記載されている。また、甲第67号証には、当時の華北における労働統制は、華北労工協会暫行条例によって華北政務委員会が華北労工協会に授権していたものであり、これによって同協会は地区別割り当て方式による労働者の徴集をしていたとの見解が記載(67頁、80頁)されている。甲第76号証にも同趣旨の記載がある。

これらの記載によれば、本件強制連行について、華北政務委員会の行政命令に基づいて一連の行政文書が作成されていた可能性がないとはいえない。しかし、上記報告書が、本件移入政策に基づく中国人労働者就労状況を終戦後に急いで調査し、昭和21年3月に作成されたものであること(同報告書1頁)を考慮すると、なんらの裏付資料もないままに、上記記載部分が事実を記載したものと見ることはできない。そこで本件全証拠を検討してみるに、そのような行政文書は見当たらないばかりか、華北政務委員会の行政命令と称されるものがいかなるものであり、それが本件強制連行の法的根拠となるものであることを示すにたる資料もない(のみならず、そのような命令が存在すれば、どうして本件強制連行が被告国の権力作用の行使になるのかについても全く不明である。)。

以上の次第であるから、本件強制連行が上記行政命令によるものであると認めることもできない。

さらに、当時の日本と中国は戦争状態にあり、中国各地で旧日本軍が戦闘行為を行っていたものであるから、本件強制連行に関与した旧日本軍も、戦闘行為の遂行を任務としていたことは否定できないところである。しかし、本件強制連行が、旧日本軍の戦闘行為や作戦活動あるいはこれに付随する行動としてなされたことを示す証拠はない。それどころか、前記認定の拘束開始時の状況からすれば、本件強制連行はそのような戦闘関連行為とは全く別のものであって、労働者募集の名目で求職者を募りこれに応募してきた中国人をいわば平穏裏に拘束したことすら窺わせるものである。そうであれば、本件強制連行が旧日本軍によって実行された事実のみから、それが国家の権力作用としてなされたものであったと認めることもできない。

(ク) 以上によれば、少なくとも原告ら6名については、本件移入政策による中国人の移入行為が、国家が公務を遂行するために認められている優越的な地位に基づく権力作用の発動として行なわれた命令あるいは強制であったと見る余地はない。

そうすると、本件移入政策の実施行為として原告ら6名が強制連行されたことについては、次のようにいうよりほかはないことに帰着する。

すなわち、当時の日本政府は、戦時下における労働力確保の要請に応える目的で、私経済政策である労働政策の一つとして本件移入政策を立案、実行した。ところが日本政府は、その実効性を確保するために、優越的地位に基づいた権力作用(公務遂行作用)を発動して強制連行ができる制度がないのに、実力行使を目的とする旧日本軍の優越的実力に基づいた強制力をなんらの法的根拠もないまま組織的に行使して、原告ら6名の中国人農民を有無をいわせず強制連行したものである。

イ 中国内連行行為を除くその余の本件強制連行について

中国内連行行為に引き続いてなされた被告国の連行行為は、前記の認定事実によれば、旧日本軍の中国内連行行為を前提として実行されたものであるといわなければならず、したがってまた、これらの強制連行も権力作用によるものではなかったといわなければならない。

ウ 以上のとおり、本件強制連行が権力作用に基づく行為であるとは認められないから、これを前提とする被告国の国際私法に関する上記主張を採用することはできない。(争点1の(1)の結論)

(2)  本件強制行為が、被告らの共同不法行為となるかどうか。(争点1の(2))

ア 前記の認定事実によれば、本件強制連行について中華民国民法及び民法上、被告国の不法行為が成立することは疑いがない。

イ 本件強制連行と被告会社との関係について検討する。

(ア) 被告会社が、本件移入政策に従って中国人労働者を受け入れることとし、上記の経過で旧日本軍が拘束した原告ら6名を含む200名の中国人労働者を済南で引き渡され、大江山鉱山に連れてきたことは、前記認定のとおりである。

したがって、被告会社は被告国とともに、上記引渡時から共同して本件強制連行を行ったものであり、それが中華民国民法及び民法上不法行為となることは、改めていうまでもないことである。

(イ) 被告会社は、戦時下において、時の政府が立案した戦時体制整備を目的とする本件移入政策に従わざるをえない状況があったから、被告会社が本件移入政策に基づいて本件強制連行及び強制労働に関与したことは、社会的相当性があり責められるべき行為ではないと主張する。

しかし本件移入政策は、既に見たように旧日本軍の実力行使による強制連行などはどこにも定めていないし、中国人労働者をその意に反して日本に連行し強制労働させることも予定していないものである。それにもかかわらず、被告会社は本件強制労働をさせる意図で本件強制連行を共同実行したものであるから、単に本件移入政策に従う意図であったということのみで、自己の行為を正当化することはできない。

ウ 次に、本件強制労働について検討する。

(ア) 本件強制連行が、民法によって被告らの不法行為となることは、上記のとおりである。

(イ) 本件強制労働は、前記のとおり被告会社が原告ら6名に対して強制したものであるから、民法によって被告会社の不法行為となることも、多言を要しないところである(この行為が社会的相当行為として正当化できないことは、本件強制連行について検討したとおりである。)。

(ウ) 本件強制労働と被告国との関係について検討する。

本件認定事実によれば、被告ら6名に本件強制労働をさせたのは被告会社であって、被告国は大江山鉱山において直接的に労働の強制をしていない。けれども、被告国は本件移入政策を立案し実施したばかりか、原告ら6名との関係で次のような具体的行為をしているものである。

a 被告国は、原告ら6名を日本国内の企業で強制労働させる意図で、身柄を違法に拘束した。

b 被告国は、原告ら6名含む大江山関係中国人200人を済南で被告会社に引き渡した後も、大江山鉱山まで被告会社の従業員とともに強制連行した。

c 被告国は、被告会社が原告ら6名を含む大江山関係中国人を大江山鉱山で強制労働させていることを知っていた。

d 被告国は、終戦をきっかけとして、本件移入政策に基づいて中国人を労働者として受け入れていた全企業に対し、直ちに就労させることのないように措置を執るべき旨を指示した。これに従って被告会社では、原告ら6名を含めた大江山関係中国人に就労させなくなった。

e 被告国は、本件移入政策に基づいて日本に労働者として移入されていた中国人全員を、すみやかに送還することとし、これによって原告ら6名を含む大江山関係中国人188人を中国の塘沽まで送還した。

f 被告国は、終戦後、本件移入政策によって被告会社に生じた損害を補償することとし、被告会社に77万1000円を支払った。

これらの事実によれば、被告国は、被告会社が原告ら6名に強制労働をさせることについて、違法な拘束をして身柄の確保を開始し、終戦によってその拘束を解除したものであるから、被告国は被告会社とともに本件強制労働についても不法行為を共同実行していたものといわなければならない。

エ 以上によれば、本件強制行為は、被告らの共同不法行為(ただし、被告会社の共同不法行為が開始したのは、被告国から原告ら6名の引渡を受けた時からである。)である。(争点1の(2)の結論)

(3)  被告国の不法行為について、国家無答責の法理が適用されるかどうか。(争点1の(3))

ア 原告らは、本件強制行為は一個の目的で連続的に行われたものであるから、中国国内の行為と日本国内の行為に分けて考えるべきではなく、全体を一体の不法行為とみて中国法を適用すべきである主張する。しかし行為地が明確に区分できる不法行為について、目的の共通性と行為の連続性のみでは、本件強制行為を1個の行為とする理由にはなりえない。

イ したがって、中国内連行行為について、法例11条の1項の適用を検討すべきことになる。

中国内連行行為が、中華民国民法と日本法のいずれによっても不法行為となることは、既にみたとおりである。そして、同項は不法行為について行為地法主義を採用しているので、中国内連行行為には中華民国民法が適用されることになる。

しかし、法例11条2項によって、中国内連行行為について日本民法が累積的に適用されることも疑いがない。

ウ 被告国は、中国内行為については日本法が累積的に適用され、本件国内行為については日本法が直ちに適用されるから、結局、当時の日本法で認められていた国家無答責の法理が、本件強制行為全体に適用されることになり、この法理によって、被告国の不法行為責任は成立しないと主張する。

しかし、被告国が主張する上記法理の内容は、そこで問題とされる国家の行為が公務のための権力作用である場合に、当該公務を保護するためのものであって、当該行為が公務のための権力作用にあたらない場合には、国の行為についても民法上の不法行為責任が成立することを当然のこととしているものである。したがって、国家無答責の法理が適用される国家の権力行為がかつて存在していたことを、一般論としては肯定できるとしても、少なくとも原告ら6名に対する強制行為は、既に検討したとおり不法行為であって、保護すべき権力作用ではなかったから、被告国の主張は、その前提を欠き失当であるといわなければならない。(争点1の(3)の結論)

なお、被告国の主張は、この法理の歴史的生成過程と学説及び裁判例の展開状況を詳細に述べるだけで、原告ら6名の拘束及び連行について、当時の日本政府がいかなる形で権力作用を行使したのかを、具体的な形で明確にしていないものである。このような主張は、要するに結論的意見を述べているだけであって、その結論が導き出されるべき事実関係の主張とはいえず、被告国の行為が権力作用であったとの点に関し、極めて概括的で曖昧かつ不特定なものであるといわざるをえない。それだけでなく、原告らが提出した、原告ら6名の拘束及び連行時の状況に関する証拠についても、反証活動を一切していないものであるから、証拠上からも、被告国の上記主張は裏付けられようがないものである。もっとも、原告らも、被告国が安全配慮義務を負うべきことの根拠として、「被告国は、原告ら中国人労働者に対し、その国家権力に基づき強制的に一定の業務に従事させる行為すなわち徴用行為を行ったのであるが、それは違法な権力行使だった」(平成11年7月23日付準備書面33頁)と主張している。この記載部分からすると、原告らはあたかも本件強制行為が被告国の権力作用であったことを認めるもののようであるけれども、原告らが本件強制行為について公権力の行使性を否定して、被告国の不法行為である旨を主張し、国家無答責の法理の適用を争っていることに照らせば、原告らが本件強制行為の権力作用性を争っていることはいうまでもない。

(4)  法例11条3項によって、中国内連行行為に民法が累積的に適用されることになるところ、原告らは、同項によって民法724条が累積適用されることはないと主張するので、これについて検討する。(争点1の(4))

法例11条第3項は、「被害者ハ日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス」と規定しているので、「損害賠償其他ノ処分」という文言部分に重点を置いて同項を読めば、時効及び除斥期間に関する民法の規定が累積適用されることにはならないかのごとくである。ところが、同条は、1項で事務管理、不当利得及び不法行為によって生じる3種の債権について、その成立及び効力は行為地法によることを定め、2項で当該事実が日本の法律によれば不法でないときを除外し、3項で上記のとおり定めて、不法行為については日本法を累積的に適用することを規定している。したがって、1ないし3項を全体として読むならば、同条が、不法行為については、日本法で認める範囲内においてのみ救済をはかり、それ以上の救済はしない趣旨の規定であることが看取できるものである。この見地から同条を見るなら、「損害賠償其他ノ処分」という文言部分は「日本ノ法律カ認メタル損害賠償」「日本ノ法律カ認メタル其他ノ処分」と読むべきであり、そうすると法例11条3項は、不法行為に基づく損害賠償請求について、日本法で許容される請求権の行使、すなわち請求権の効力の発生と存続及び請求権の内容について規定していると解するのが相当である。

以上の検討によれば、原告らの上記主張を採用することはできないから、民法724条が累積適用されることになる。(争点1の(4)の結論)

(5)  被告らの不法行為責任が、民法724条後段によって消滅するかどうか。(争点1の(5))

ア 以上で検討したところによれば、本件強制行為のすべてについて、日本法が適用されることになるところ、民法709条によれば、これらの行為が不法行為となることは既に述べたとおりである。

したがって、本件強制行為に基づく原告らの損害賠償債権が、民法724条後段(以下「本件規定」という)に定める期間の経過によって、消滅したものかどうかを検討すべきことになる。

イ 原告らは、本件規定は時効期間を定めた規定であって、除斥期間を定めたものではないから、その起算日から20年が経過したのみでは、本件損害賠償請求権が消滅することはないと主張する。しかし、この規定は、一定の時の経過によって法律関係を確定させるため、請求権の存続期間を画一的に定めた除斥期間の規定であると解すべきである(最高裁判所平成元年12月21日第1小法廷判決、民集43巻12号2209頁)から、原告らの主張を採用することはできない。

ウ 次に、原告らは、<1>権利の性質や加害者と被害者の関係などから時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性に乏しく、<2>義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御・採証上の困難がなく、<3>被害者の権利不行使について権利の上に眠る者との評価が妥当しない場合には、正義と公平の観点から本件規定の適用が、排除ないし制限されると解すべきであると主張する。そして本件については、i原告ら6名の被害の甚大さ、ii日中国交回復の遅延、iii中国の国内事情、iv原告ら6名の経済状態・来日可能性等と権利行使の不可能性、v本件強制連行・強制労働が被告国によって故意になされた不法行為であること、vi本件強制連行・強制労働による被告国の利得、vii終戦後における被告国の証拠隠滅・本件強制連行・強制労働の事実の否認、viii被告国の賠償責任の不履行などの事実が存在するので、正義・公平の観点から、原告らの損害賠償請求権の消滅を認めるべきではないと主張する。

しかし、本件規定には、その適用を排除すべき場合を定めた文言はなく、規定の趣旨が上記のとおり除斥期間を定めるものであることからすると、他に特別の規定がない限り、その適用を排除することはできない。

民法その他の法律をみても、原告らの上記主張内容を認めた条文はなく、上記主張内容を前提としていると解すべき規定もないから、適用排除についての原告らの主張を採用する余地はない。

エ さらに進んで、本件規定の適用制限について検討する。まず、民法724条は除斥期間の起算点について「不法行為の時より」と定めているので、本件強制連行及び本件強制労働について起算点がいつになるのかを検討する。

(ア) 本件強制行為が終了した経過と状況

a 本件認定事実によれば、本件強制行為が終了した経過は次のとおりである。

(a) 被告会社は、日本の敗戦が明らかとなった昭和20年8月15日に、大江山鉱山で強制労働させていた大江山関係中国人188人(原告ら6名を含む)に対し、労働を強制することをやめた。

(b) 被告国は、同年8月17日に、本件移入政策によって日本国内で働かされていた中国人約3万3千人について、全員即時帰国させる旨の基本方針を定めた。

(c) 連合軍の指示に従って、上記188人は、同年11月29日に他の中国人労働者とともに、長崎県佐世保市に終結させられ、遅くとも同年12月上旬に中国の塘沽に帰還した。

b また、証拠(甲第2)によれば、日本の敗戦が明らかとなった時から、本件移入政策によって日本に移入されていた中国人労働者は、自分の国が戦勝国となったことを知り、日本が自分たちに対してそれまで取った処遇が不当なものであったことを主張し始めたことが認められる。

(イ) 上記の事実によれば、昭和20年8月15日に、原告ら6名は本件強制労働から解放されるとともに、その処遇も完全に変えられたものである。しかも、その理由が日本の敗戦にあるため、戦勝国の国民である原告ら6名が、敗戦国の日本から再び強制労働を強いられる事態がないことを認識できたものであるところ、この認識は原告ら6名が昭和20年12月上旬に中国に帰還したことで確定的に裏付けられ、したがってまた、本件強制行為もこの時点で完全に終了したと認められる。

(ウ) 原告らは除斥期間の起算点は、本件損害賠償請求権が現実的に行使可能になったときから起算すべきであると主張する。しかし、本件規定は、除斥期間の起算点を不法行為の時と定めているから、不法行為が終了したことが認められる以上、その後において、損害賠償請求権を行使することができない事情が事後的に存在したとしても、そのことによって除斥期間の満了時期の確定に影響が生じる場合があるとしても、起算点が動かされることにはなりえないものである。

(エ) 以上のとおりであるから、原告ら6名の損害賠償請求権の除斥期間は、その起算点を遅くとも昭和20年12月上旬とするよりほかはない。

オ 次に、本件における除斥期間の満了について検討する。

上記の検討によれば、本件強制行為に基づく原告ら6名の損害賠償請求権について、上記起算点から20年の期間が経過した時期は昭和40年12月上旬となる。そして、原告ら6名が本件訴訟を提起したのは、平成10年8月14日であることが記録上明らかであるから、その間に29年以上の年月が経過している。

しかし、本件規定が定めている20年の除斥期間の満了時期については、起算点を確定する場合とは異なって、事後的事情を一切無視して考えることは相当でない。最高裁判所平成10年6月12日第2小法廷判決(民集52巻4号1087頁)は、このことを明らかにしたものであると解される。この点において、原告らが主張する前記の諸事情を検討してみなければならない。

(ア) 本件強制行為が被告らの故意による不法行為であること、これによって、原告ら6名が個人としての尊厳を犯され、回復しがたい被害を被ったこと、この事実が証拠によって証明されていることは、既にみてきたように原告らが主張しているとおりである。また、このような被害について、被告らが原告ら6名に対してなんらの措置も取っていなかったことも、原告らの主張するとおりである。

ところが、原告ら6名が被告らに対して本件訴訟を提起したのは、終戦によって原告ら6名が中国に帰った後、20年が経過した時点からさらに29年以上が経過した時点であるので、その間の事情としてどのようなことが生じていたものかについて検討する。

(イ) まず、原告ら6名に関する事情として、前掲各証拠及び証拠(甲第12号証ないし第14号証、第14号証の2、第15号証、第15号証の2、第16号証)によって、次の事実が認められる。

a 原告らは、平成9年8月3日に北京で日本の弁護士と出会って、本件強制行為について、被告らに対して賠償請求ができることを教えられたので、本件訴訟手続を開始した。

また、原告A1とA6は、平成9年12月5日に、被告会社の代表者宛に謝罪と賠償を求める文書を出した。

b それまで、原告ら6名が本件訴訟手続きを取らなかったのは、中華人民共和国では1986年(昭和61年)まで、国民が自由に海外渡航することが許されていなかったし、同年から原則的に自由化されたものの、国内の経済状態は、原告ら6名のような一般国民が日本に渡航できるほどの経済的余力を生じさせるものではなかったから、事実上原告ら6名が日本に来ることは困難であったためである。

c 日本と中華人民共和国との間では、昭和47年9月29日に日中共同声明が出され、同53年8月12日に日中平和条約が締結された。

d その後、中国国内において、日中共同声明で中国が放棄したのは国家間の賠償請求権であって、個人のそれについて日中共同声明は触れてないから、中国の民間人被害者及びその遺族は日本政府に対して損害の賠償を要求できるはずだという主張がされはじめた。

平成7年(1995年)3月7日の全国人民代表大会でJ外相は、対日戦争賠償問題について、昭和48年(1972年)の日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって、個人の賠償請求は含まれないとの見解を示し、補償の請求は国民の権利であり、政府は干渉できないと述べた旨の新聞報道がなされた。

(ウ) 上記の事実によれば、帰国した原告ら6名を取り巻く国内情勢が、本件訴訟の提起に踏み切ることを容易にする方向へと変化してきたことは明らかである。しかしその変化の内容は、本件訴訟の提起に関係する法律面での情報量が増加し、政治面での日中関係の円滑化がなされ、中国国内の経済面での事情が改善されて、原告ら6名の本件訴訟提起をより容易にする事実的条件が整ってきたというものであり、本件訴訟の提起を直接妨げる事情が当初は存在したとか、この事情が順次解消されて訴訟の提起がようやく可能になったというものではないといわなければならない。

そして、既に認定したところによれば、終戦をきっかけに原告ら6名は、戦勝国の国民として日本政府に対し正当な処遇を要求できることを知るとともに、被告らの不法行為がいかなるものであり、自分たちが被害の回復を請求できる立場にあることを認識していたものと推認することができる。

したがって、どんなに遅くとも、昭和53年に日中平和条約が締結されて日本と中国との国交が正常化した時には、原告ら6名は、終戦時の認識に基づいて被害の回復を要求する行動をとることに関して、情勢が整ったことを理解できたはずであるといわなければならない。それにもかかわらず、昭和40年12月上旬を起点とすれば約30年、日中平和条約の締結時からでは約20年が経過するまで、本件訴訟の提起が遅れたものである。

以上によれば、上記の遅れによる不利益を原告らに帰すことによって、原告らに対し著しく正義・公平の理念に反する結果となる事情があると認めるわけにはいかない。

(エ) 次に、被告国の戦後処理について、中国に関するものとして次の事実が証拠(乙A第33号証、第35号証、第41号証ないし43号証)によって認められる。

a 日本国及び日本国民の在外資産の処理

(a) 日僑財産処理弁法による日本財産の没収

中国は、1945年(昭和20年)10月、「日僑財産処理弁法」を公布し、領域内にある日本国民の資産を没収した。

(b) サンフランシスコ平和条約

同条約21条、同14条(a)2により、同条約の当事者ではなかった中国(中華人民共和国政府及び中華民国政府のいずれも)も、中国領域内に存在する被告国及び日本国民の所有する資産に対する処分権が認められた。そして終戦当時、中国領域内に存在した日本財産をその所在場所ごとにみると、台湾在外財産評価額425億4200万円、中華民国東北同1465億3200万円、華北同554億3700万円、華中・華南同367億1800万円であったと推計されていた。なお、同21年度の日本国の一般会計をみると、歳入は1188億円余り、同年度の国民総生産は4470億円余りであった。

(c) いわゆるポーレー中間案

被告国は、昭和20年(1945年)12月のアメリカ合衆国大統領に対する中間賠償計画に関する勧告案(いわゆるポーレー中間案)に基づき、余分な工業施設(資本設備)を撤去し、これを特にアジア近隣諸国に対する賠償の一部に充てた。すなわち、同25年(1950年)5月までに、合計4万3919台の工場機械等が梱包撤去された。これら引渡物件の評価額合計は同14年の円価格で1億6500万円、当時のドル価格に換算すると約4500万ドルであり、その引取国別評価額のうち、中国は54.1パーセントであった。

b 日本国と中華民国との間の平和条約(以下「日華平和条約」という。)

被告国は、昭和27年(1952年)4月28日、中華民国との間で日華平和条約を締結した。

日華平和条約は、1条において被告国と中華民国との間の戦争状態の終了を明らかにするとともに、11条において、「この条約及びこれを補足する文書に別段の定めがある場合を除く外、日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は、サン・フランシスコ条約の相当規定に従って解決するものとする。」と定めている。

そして、同条約議定書1(b)はこの「別段の定め」として、「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サン・フランシスコ条約14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。」とした。またこれを受けて、中華民国代表と被告国代表は、「同意された議事録」4において、中華民国がサン・フランシスコ条約21条に基づき、中華民国が受けるべき権利は同条約14条(2)2の権利であることを確認した。

c 日中共同声明

同声明は、第1項で日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する旨を、第5項で中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言した。

(オ) 上記の事実によれば、被告国と中国とは、戦後処理について紆余曲折はあったものの、最終的には国家間の問題はすべて解決済みとすることで合意したものであり、そのような合意が成立するに至る過程で、被告国は国家の財産のみならず国民の財産をも中国の処分に委ねるなどして、少なからざる経済的負担をしたものである。もちろん、このような外交交渉によって、原告ら6名の本件被害はなんら回復されたものではないし、上記の国家間の交渉過程において、原告ら6名の被害についてなんらの具体的配慮がされなかったことは明らかである。

しかし、被告国が、国家間の戦後処理について相手国である中国から最終的合意を取り付けたことは紛れもないことである。そのことは、原告ら6名のみならず本件移入政策の実施過程において不法行為の被害者となった中国人のことが、両国間の交渉において具体的に取り上げられていなかったとしても、両国は被告国の戦争中の行為のすべてを交渉の対象にした上で最終合意に到達して、被告国が戦後処理の責任を果たしたことを意味しているものというべきである。

そうであれば、被告国は、原告ら6名の被害に対してこれまでなんらの措置を取っていないことは間違いないけれども、原告ら6名がその構成員である中国に対しては戦後処理の責任を果たしているのであるから、被告国が戦後処理を放置して不誠実な態度を取っていたとはいえない。

これらの諸事情を考えるならば、被告国が原告ら6名の被害についてなんらの措置を取っていないからといって、本件訴訟の提起が遅れたことの不利益を原告らに帰すことが、著しく正義・公平の理念に反することになる事情があると認めるわけにはいかない。

カ 以上のとおりであるから、原告らの被告らに対する損害賠償請求権は、遅くとも昭和40年12月上旬に民法724条が定める20年の除斥期間が経過したことによって消滅したものというよりほかはない。(争点1の(5)の結論)

2  原告らの安全配慮義務違反の主張について。(争点2)

(1)  被告会社が安全配慮義務を負っていたかどうか。(争点2の(1))

ア 本件認定事実によれば、被告会社が本件強制連行に基づいて原告ら6名に強制していた労働と生活の実態は、次のとおりである。

(ア) 被告会社は、本件移入政策に基づいて、中国から中国人を移入し大江山鉱山で強制労働させることとした。

(イ) 被告会社は、華北労工協会との間で中国人労働者の供出に関する契約をした。その契約の文書上、供出される中国人労働者を被告会社が雇用することになっていた。同契約に基づき、同社は同協会から、大江山関係中国人200名を中国で引き渡しを受けた。

(ウ) 被告会社は、原告ら6名を含む上記200人を大江山鉱山で強制労働させるために、中国から強制連行した。

(エ) しかし、被告会社は、原告ら6名を含む上記200人に対し、本件移入政策で指示されている労働条件や華北労工協会との契約で定められた労働条件について、一切説明をしなかったばかりでなく、労働契約も締結しなかった。

(オ) のみならず、被告会社は上記の労働条件等を全く無視して、上記200人に対し過酷な労働を強制した。

(カ) 大江山鉱山での原告ら6名の労務内容は、鉱山での鉱石の採掘等の業務であり、就労態様等は大江山鉱山全体の作業手順に従って定められていた。

(キ) 大江山関係中国人に対する日常的な指揮命令と監督は、被告会社の関係者が行った。

(ク) 大江山鉱山において、大江山関係中国人は隊形式で系統的に編成されて、末端組織である小隊(班)ごとに宿舎指導員及び現場指導員がつけられて、終始監督指導がなされた。

(ケ) 大江山関係中国人の逃亡を防止するために、被告会社は宿舎に逃走防止用の塀を設置し、指導員に昼夜見張りをさせていた。

原告ら6名の生活状況は、逃走防止用の設備がなされた宿舎に閉じこめられ、ひたすら労働を強制された。

以上の事実からすれば、被告会社は原告ら6名を、自己の設置管理する鉱山の作業現場と宿舎に閉じこめて、その生活のすべてを掌握管理しながら労働及び拘禁生活を強制していたものであるが、このような強制をするについて原告ら6名との間で契約その他の法律関係はなんら存在しなかったものである。

イ 上記の事実に基づいて、被告会社が原告ら6名に対し安全配慮義務を負うかどうかについて検討する。

安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として、一般的に認められるべき義務である(最高裁判所昭和50年2月25日第3小法廷判決・民集29巻2号143頁)。そして、上記の法律関係が雇傭契約であれば、使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものである(最高裁判所昭和59年4月10日第3小法廷判決、民集38巻6号557頁)。

これを本件についてみれば、原告ら6名と被告会社との間には雇用契約その他の契約が締結されていないことは、上記のとおりであるから、安全配慮義務が生じる余地がないかのごとくである。ところが上記の事実によれば、原告ら6名と被告会社との関係は、被告会社が労務提供のため指定した作業場所で、そこに設置されている設備もしくは器具等を使用し、その指示のもとに原告ら6名が就労させられていたものである。そして、本件移入政策上は原告ら6名と雇用契約を締結することが予定されていることを、被告会社は十分に承知していたにもかかわらず、契約の締結を待つまでもなく労働関係が設定できると考えて、ことさら契約関係を結ばなかったために、両者間に契約等の法律関係が生じなかったものである。したがって、被告会社は、契約を締結することなくして、原告ら6名との間で、同人らが被告会社のために継続的に労務に服すべき労働関係を設定したものというべきである。そうであれば、被告会社は、故意の不法行為によって上記労働関係を形成、維持したものであるから、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったといわなければならず、したがって原告ら6名に対して安全配慮義務を負うものというべきである。(争点2の(1)の結論)

(2)  被告国が安全配慮義務を負っていたかどうか。(争点2の(2))

被告国が原告ら6名との間で、なんらの契約も締結していないことは、本件認定事実によって明らかである。しかし他方で、被告国が、被告会社とともに共同不法行為者となることは、既に見たとおりであり、当の共同不法行為者である被告会社が、原告ら6名に対して安全配慮義務を負うことは、上記で検討したところである。これらの事実からすると、被告国についても、契約等の法律関係がなくても安全配慮義務を負うべき事情があるかどうかについて検討しなければならない。

本件認定事実と前掲証拠によれば、次の事実が認められる。

ア 被告国は、本件移入政策の実施について、厚生省に事業場に対する労務者の配置と割当を、内務省に移入後の治安取締と管理の指導、外務省に移入事務の指導と華北との連絡、華北労工協会の運営指導を担当させた。

イ 被告国が本件移入政策の実施について関心を払ったのは、中国人労働者の移入によって、国内の治安上で問題を発生させないことであった。そのため、被告国は内務省警保局等を通じて、中国人労働者の逃亡防止、反抗防止について対策を講じさせた。

そのため、受け入れ企業に対しては、宿舎に設置すべき逃走防止設備の態様を指示したり、朝鮮半島から移入された朝鮮人労働者との隔離の徹底を指示した。

ウ 大江山鉱山は軍需産業の会社であったため、陸軍将校と憲兵が配置されていた。

エ 大江山鉱山には、時々当時の特高係の警察官が様子を見に来た。

オ 大江山鉱山で、就労させられていた中国人労働者が逃走を試みた事件では、地元の警察官や消防団員が捜索にあたった。

カ 以上の外、原告ら6名が大江山鉱山に到着して後は、被告国は直接原告ら6名と接触していない。

上記の事実と被告会社の安全配慮義務について検討したところで指摘した事実によれば、次のようにいわなければならない。原告ら6名を含む200人の中国人の日常生活を全面的に管理し、労働及び生活のすべてを事実上掌握、支配していたのは被告会社であり、原告ら6名との間で労働関係を設定していたのも被告会社である。被告国は、被告会社と大江山関係中国人との上記関係を前提として、これらの中国人の動向について治安維持上の観点から関心を持ち、その趣旨で管理、監督のための注意を払っていたものである。

したがって、被告国は、原告ら6名を本件強制連行によって大江山鉱山に閉じこめ、労働を強制される状態に追い込んだものであるが、両者の接触関係はその限度であって、被告国が原告ら6名に対し具体的な就労内容等を指示して労働させる関係を設定したものではなかったから、被告国と原告ら6名との間には、安全配慮義務を生じるような特別な社会的接触はなかった(被告国が、被告会社と上記のとおり共同不法行為者となるにもかかわらず、安全配慮義務については被告会社と共同負担する関係に立たないのは、上記のとおり被告会社が原告ら6名と労働関係を排他的に設定していたためである。)といわざるをえない。(争点2の(2)の結論)

3  原告らが、賃金請求権またはこれと同額の不当利得返還請求権を取得するかどうか。(争点3)

(1)  原告らの賃金請求権について

被告会社は、契約を締結することなくして、原告ら6名との間で、同人らが被告会社のために継続的に労務に服すべき労働関係を設定したものであることは、前記のとおりである。また、被告会社が、大江山関係中国人の供給について華北労工協会と契約した契約の内容には、被告会社が各中国人労働者に1日5円の賃金を支払うべき定めが存在したことも、既に認定したとことである。しかし、それだけのことで、原告ら6名が被告会社に対し日額5円の賃金請求権を取得する事実上の賃金支払関係が生じることになるものではない。

(2)  上記の検討によれば、賃金支払義務を負わない被告会社は、原告6名に対し不当利得の返還義務を負うものというべきであり、その額は1日当たり5円を下ることはないというのが相当である。

(3)  以上によれば、被告会社には、賃金支払義務ではなく不当利得返還義務が生じていたものである。(争点3の結論)

4  被告会社の時効援用が濫用となるか。(争点4)

(1)  被告会社が安全配慮義務を負うところ、本件認定事実によれば、被告会社が原告ら6名に対して<1>生命、健康を維持するのに十分な食料を与えず、<2>生命、健康を維持するのに足りる程度の労働条件(労働時間、公休日の設定、労務提供場所の安全設備の設置等)を超えた労働を課していたこと、<3>健康を維持し、人としての尊厳を保つことができる衛生環境・住環境で居住させ、適切な衣服等の日用品を提供するべき義務を怠っていたことが認められる。

したがって、被告会社には、原告ら6名に対し安全配慮義務違反による債務不履行責任が生じたものである。

(2)  被告会社が不当利得返還義務を負うことは上記のとおりである。

(3)  上記安全配慮義務の債務不履行は、本件認定事実によれば、遅くとも昭和20年12月上旬に原告ら6名が中国に帰還したときに完全に終了している。また、不当利得行為も遅くともそのころまでに終了している。

時効の起算点については、不法行為についての除斥期間の起算点で検討、説示したことが、そのままここにあてはまるものである。そうすると、昭和20年12月上旬から時効が進行するというべきである。

したがって、民法166条及び167条により昭和30年12月上旬に時効は完成する。

原告らが本件訴訟を提起したのは、上記の日時から約40年以上が経過した平成10年8月14日であるところ、被告会社は本件第1回口頭弁論期日(平成10年11月20日)に時効を援用するとの意思表示をした(被告会社が昭和20年8月16日を時効の起算点と主張する趣旨は、最も早い時点として主張しているものであって、それより遅い時期も順次主張していることは明らかである。)。

(4)  被告会社の時効援用が濫用となる事情の有無について検討する。

原告らが債務不履行あるいは不当利得返還請求権の発生原因として主張している事実関係は、すべて被告会社の不法行為として、原告らが本件訴訟で主張しているものである。それだけでなく、被告会社の時効援用が濫用となる理由として原告らが主張する事情も、すべて当該不法行為に対する除斥期間の適用を制限すべき理由として主張するものと同一である。

そして、上記不法行為について除斥期間を適用し、訴え提起が遅れたことによる不利益を原告らに帰しても、正義・公平の理念に反するものでないことは、既に説示したとおりである。このことは、時効の援用についても全く同一である。

同一の事実についての不法行為に基づく損害賠償請求、債務不履行に基づく損害賠償請求あるいは不当利得の返還請求は訴訟物が異なり、ひとつの請求権が消滅したからといって、当然に残りの請求権も消滅するものでないことはいうまでもないところである。しかし、不法行為による請求権が除斥期間の経過によって消滅している事実は、他方の請求権について時効の援用が濫用となるかどうかを判断するについて、やはり濫用を否定する要素の1つになりうるといわざるをえないものである。

そうすると、行為の時から約50年が経過して不法行為責任が消滅し、債務不履行による損害賠償請求権あるいは不当利得請求権の発生から約40年が経過し、日中平和条約からでも約20年が経過した後に、訴えが提起された本件について、被告会社の時効援用を濫用とすべき事情はないといわざるをえない。よって、被告会社の上記各債務は時効によって消滅した。(争点4の結論)

5  原告らが国際法に基づき損害賠償請求権を取得するかどうか。(争点5)

被告らの本件強制行為は共同不法行為であるところ、これに基づく原告らの損害賠償請求権は除斥期間の経過によって消滅したことは、既に述べたとおりである。このことは国内法である民法の定めにしたがった結果である。ところが原告らは、民法とは別に国際法が、原告らに対し本件強制行為に基づく損害賠償請求権を付与していると主張するので、そのような国際法上の根拠があるかどうか検討する

(1)  ヘーグ陸戦条約3条について

ヘーグ陸戦条約3条は、その附属規則に違反した締約国に損害賠償責任を課す旨の明文規定であるが、責任の相手方として被害者である個人を示す文言はない。同条約の全体を見ても、個人が損害賠償請求権を行使することを予定した規定もない。しかも同条は第1条で、締約国がその軍隊に対して条約の趣旨に適合する訓令を発すべき義務を謳っている。同条約における規定内容の構成及び文言に照らせば、同条約は締約当事者である国家間における責任を定めたものであって、国家に対する個人の損害賠償請求権の成否等について、特別の定めをしたものと解することはできない。しかも、本件強制連行は戦時下に旧日本軍によってなされたものであるが、戦争行為あるいは占領行為としてなされたものではないため、不法行為として民法に基づく損害賠償請求権の成否が問題となることは前記のとおりである。したがって、それとは別に同条約が被害者である原告らに対し損害賠償請求権を付与して、被害者の救済をはかろうとしているものと解する余地はない。

本件で原告らが主張するところは、民法上損害賠償請求権を取得しえない場合について、同条約を手がかりとして、民法上と同一の請求権の取得をはかろうとしているに過ぎないといわざるをえない。

(2)  国際慣習法について

個人に対して国家を義務者とする損害賠償請求権を付与する国際慣習法が成立していることを認めるべき証拠はない。

ヘーグ陸戦条約が個人に対して損害賠償請求権を付与したものでないことは、上記のとおりであり、他に、個人に対して損害賠償請求権を付与した条約はない。このような条約がなにもないにもかかわらず、国家に対する損害賠償請求権を個人に取得させることを内容とする国際慣習法が、既に成立していると考えることは困難である。

(3)  以上のとおりであるから、原告らが国際法によって損害賠償請求権を取得することはできない。(争点5の結論)

6  原告らが、被告らに対しポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権を取得するかどうか。(争点6)

(1)  本件認定事実によれば、日本政府がポツダム宣言を受諾した翌日である昭和20年8月15日に、本件強制労働は終了したものであり、被告らは直ちに原告ら6名を中国に送還する作業に着手し、遅くとも同年12月上旬に原告ら6名が中国に到着したものである。これによって、被告国が昭和19年に原告ら6名を不当に拘束したことに始まる本件強制行為自体は完全に終了したといわなければならない。その後においては、被告らが原告ら6名に対してなすべき原状回復行為は残ってなく、損害賠償責任の履行が残されていることになったものである。原告らが、ポツダム宣言受諾後の時点で、被告らが原告ら6名に対して保護義務を履行すべき行為の内容として主張するところは、実質的には上記損害賠償責任の履行をいうものである。

以上の検討によれば、原告らが主張する被告らの保護義務が存在することを認めることはできない。

(2)  上記のとおり、被告らの本件強制行為による不法行為は、原告ら6名が中国に帰還したことによって完全に終了しているから、その時点で、原告ら6名が被った被害も確定したといわなければならない。原告らが、新たな不法行為として主張する被告らの行為は、本件強制行為に基づく損害賠償責任に関する事実の解明及び責任の履行に関する行為であるところ、本件強制行為が被告らの共同不法行為であることは、既に述べたとおりであるから、原告らが主張する被告らの新たな行為によって、原告らにはなんら新たな損害は生じていないといわなければならない。したがって、原告らの主張する新たな不法行為によって損害賠償責任が生じたことを認めることはできない。(争点6の結論)

7  原告らが、本件当時の中華民国民法に基づいて、謝罪広告掲載請求権を有するかどうか。(争点7)

中国内連行行為について、当時の中国民法が適用されることは既に検討したとおりである。しかし上記行為について、民法の不法行為に関する規定が累積的に適用されることも、そこで述べたとおりである。そして、不法行為である本件強制行為に基づく損害賠償請求権が、除斥期間の経過によって消滅したことは、前記のとおりである。そのため、不法行為に基づく財産的損害に対する原状回復の方法である謝罪広告請求権も、消滅していることになる。

したがって、原告らが謝罪広告請求権を取得することはない。(争点7の結論)

第7結論

以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本件請求はいずれも理由がなく、棄却を免れない。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 楠本新 裁判官 浅田秀 裁判官 中野希美)

別紙(1) 請求の趣旨

1 被告らは、原告A1、同A2、同A3、同A4、同A5、同亡A6訴訟承継人B1、同B2、同B3、同B4、同B5及びB6に対し、各自、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞並びに人民日報(北京)、中国青年報(北京)、解放日報(上海市)、明報(香港)、河北日報(石家庄市)、山西日報(太原市)、遼寧日報(瀋陽市)の各朝刊の全国版下段広告欄に二段抜きで、別紙(2)謝罪広告記載の謝罪広告を、見出し及び被告の名は四号活字をもって、その他は5号活字をもって1回掲載せよ。

2 被告らは、原告A1、同A2、同A3、同A4、同A5に対し、連帯して、それぞれ2200万円及びこれに対する平成10年9月22日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 被告らは、原告亡A6訴訟承継人B1、同B2、同B3、同B4、同B5及びB6に対し、連帯して、それぞれ366万6666円及びこれに対する平成10年9月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4 被告会社は、原告A1、同A2、同A3、同A4、同A5に対し、それぞれ1495円及びこれに対する昭和20年8月16日から支払い済みまで年6分の割合による金員を支払え。

5 被告会社は、原告亡A6訴訟承継人B1、同B2、同B3、同B4、同B5及びB6に対し、それぞれ249円及びこれに対する昭和20年8月16日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

(請求の趣旨4及び5の予備的請求)

6 被告会社は、原告A1、同A2、同A3、同A4、同A5に対し、それぞれ1495円及びこれに対する昭和20年8月16日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

7 被告会社は、原告亡A6訴訟承継人B1、同B2、同B3、同B4、同B5及びB6に対し、それぞれ249円及びこれに対する昭和20年8月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

以上

別紙(2) 謝罪広告

日本国は、貴殿を第2次大戦中、中国本国において身体を拘束し監禁した上、日本へ強制的に連行しました。そして、貴殿は弊社管理下の事業場に強制的に送り込まれ、同事業場で1945年8月15日まで極めて過酷な条件の下で強制労働をさせられました。しかも貴殿は弊社より賃金も一切受け取られていません。

当時貴殿の祖国である中国と日本国は戦争状態にあり、貴殿が敵国である当国や弊社のために働くいかなる根拠もありませんでした。にもかかわらず、これを強制したことは貴殿の人格と中国人としての名誉を著しく蹂躙した全く不法なことであり、法律上も人道上も許されないことでした。

ここに日本国と弊社は、貴殿に対し深くお詫び申し上げるとともに、その名誉を回復するため本書を公表致します。

以上

別紙(3) 原告らの主張

第1不法行為について

1 本件強制連行に国際私法が適用されるかどうか

(1) 法例11条の適用対象

法例11条1項は、不法行為によって生じた債権の成立及び効力について、行為地法主義を採用する。旧民法草案人事編の法例12条も同主義を採用していた。その立法趣旨は、契約と異なって不法行為は公益のための制度であり、かつ当事者双方の意思によらないで債権の発生を認めることを考慮したところにある。なお、この「公益」が、法廷地や加害国ではなく、不法行為地のそれを意味することは、国家賠償責任が、個人に損害賠償請求権を与える点で私益に関するが、同時に公権力の行使を慎重ならしめる点で公益に関するものでもあることを考えれば、当然のことである。

次に、不法行為に関する各国の実質法を比較法的に検討すると、不法行為制度とは、「違法な行為によって他人に損害を与えた者をしてその損害を賠償せしめる制度であって、社会共同生活において生じた損害の公平な分配を目的とする」ということができる。そして、国際私法の目的は、まさに上記の場合に、どの国の実質法を適用すべきかを決定するところにある。このように考えれば、当該実質法における損害賠償規定の適否並びにその要件及び規定の趣旨は、国際私法の適用を検討するに当たり、問題とならないものである。

本件は、旧日本軍による強制連行・強制労働によって中国人に損害が発生したことについて、日本国が損害賠償責任を負うかという問題であり、まさしく国際私法上の不法行為の定義に当てはまる。したがって、国際私法の適用がある。

(2) 公法の属地的適用の原則

公法の属地的適用の原則によれば、日本の国家賠償法(以下「国賠法」という。)は、日本国内における日本の公務員の不法行為にのみ適用される。しかも、同原則によれば、外国で日本の公務員が不法行為をした場合には、当該外国の公法が適用されることはない。そして、日本の裁判所は自国の公法の適用範囲を超えた事件について、外国の公法を適用することはできないから、結局、このような事件には裁判管轄自体がないことになる。しかし、このような結論は不合理である。上記の事件で求められているのは、刑罰や行政処分の取消ではなく、単なる金銭賠償にすぎないから、たとえその準拠法が外国法であっても、日本の裁判所が金銭賠償を命じることはできるのであって、その管轄を否定すべき理由はない。

したがって、同原則の例外として、日本法の適用範囲外である場合も、当該外国の法に基づいて損害賠償を命じることができるというべきである。

(3) 外国法の適用

外国法の適用を必要かつ可能とする法律関係であるということは、まさにそれが国際私法の対象である渉外的私法関係であることを意味している。そして、通常の金銭賠償などについては、日本の裁判所が、準拠法が外国法であることを理由として裁判管轄を否定するわけにはいかないものである。このように法律関係が普遍的なものであれば、それは国際私法の対象であるといわなければならない。

(4) 法例11条適用説と公務員所属国法説

以上みてきたとおり、国家賠償責任は法例11条1項にいう「不法行為」に該当する法律関係といえる。もっとも、法例11条の例外として公務員所属国法が準拠法となる場合がある。しかし、本件の原告ら6名と被告国との関係は、原告ら6名が旧日本軍との「意図しない接触」により、その加害行為に巻き込まれたのであり、何らかの公法的法律関係を前提とするものではなかった。したがって、原告ら6名と被告国との間には、不法行為地法以外に両当事者にとって中立的な法は存在せず、本件加害行為は法例11条の適用対象となるということができる。

(5) 本件強制連行・強制労働についての法例11条1項の適用

本件強制連行において、不法行為の発生場所は当時の中華民国内であった。したがって、この連結点を介して適用されるのは中華民国民法となる。

次に、本件では原告ら6名は中国から日本国への強制連行のあと、日本国内において強制労働に従事させられた。そこで、本件強制連行及び強制労働を一連の不法行為とみて、中国が不法行為地になると考えるべきである。なぜなら、原告ら6名の損害は本国からの強制連行それ自体から発生したといえるからである。仮に、連行先が不法行為地になると考えた場合、強制連行の主体(加害者)である被告らが一方的に準拠法を決定できることとなるが、これは当事者双方にとって最も中立的な法を適用するべく不法行為地法主義を採用した法例11条の趣旨に反する結果となり、妥当でない。したがって、国際私法上の当事者利益の観点からは、中華民国民法を不法行為の準拠法として適用すべきである。

2 本件強制連行が被告らの共同不法行為となることについて

(1) 中華民国民法

ア 本件強制連行・強制労働は旧日本軍等及び被告会社が実行したものであり、代表権を有しない被用者の不法行為について法人が代わって責任を負うことを規定する中華民国民法188条が適用される。また、本件強制連行・強制労働については被告国の政府上層部及び被告会社代表者の決定があったことが窺われるので、同法184条の適用もあると考えられる。

なお、被告国は、自然人でも中華民国法上の外国法人でもないが、中華民国民法は相手方保護のために未認許の外国法人でも、とくに義務の負担については法的な責任帰属主体となることを認めている(同法15条)。

イ 不法行為責任の成否

同法188条の要件は、<1>行為者が被用者であること、<2>職務の執行による行為であること、<3>被用者について一般不法行為の成立要件が満たされていることである。

要件<1>については、事実上の雇用関係があれば足りる。本件強制連行・強制労働がこの要件を充足することは明らかである。要件<2>を充足していることは、本件強制連行・強制労働が、国策遂行のため、被告国の軍人らの職務の執行及び被告会社の社員がその職務として中国人を日本に移入し、大江山鉱山で強制的に労働させたものであることから明らかである。最後に、要件<3>についても、原告ら6名の強制連行・強制労働は、明らかにこれらの一般的不法行為の要件を満たしている。その結果、原告ら6名には、多大の肉体的・精神的・財産的な損害を与えたのであり、この損害と被告らの被用者の行為との因果関係は明らかである。

加えて、本件の強制連行や強制労働は、被告国や被告会社の上層部の指示によって実施されたのであるから、同法188条1項に掲げる免責事由の適用がないことも当然である。また使用者責任が成立するだけでなく、政府や企業の上層部が直接に関与していたのであるから、さらに被告国及び企業自体の一般的不法行為が成立していることになる。

以上により、被告らについては、同法184条により一般的不法行為が成立し、また同法188条により使用者責任が成立していることは明らかである。

(2) 日本民法

本件においては、法例11条2項により、日本法が累積適用される。そして、この点については後記のとおり、国家無答責の法理は適用されず、民法ないし現行の国賠法によって不法行為の成立を判断すべきことになる。そして、上記(1)で検討してきたところによれば、本件強制連行・強制労働に関し、被告らに民法715条及び同法709条による責任がそれぞれ成立することは明らかである。国賠法1条1項による賠償責任の成立も認められる。すなわち、本件の強制連行や強制労働に実施については、被告国の公権力の行使に当たる公務員が関与しており、その職務の執行として、故意により、原告ら6名に損害を加えたのであるから、被告国は賠償責任を負う。これらの行為は、国策として行われたものであったとはいえ、当時の実定国際法に違反していたのであるから、仮に日本の国内法上の根拠に基づくものであったとしても、その違法性は明らかである。

以上により、被告らには日本民法上共同不法行為が成立している。したがって、不法行為地法である中華民国法の適用は妨げられない。

(3) 損害

本件における原告らの体験は、軍人でもない一般人が、ある日突然、異国の軍隊によって暴力的に拉致され、愛する家族との別れを惜しむ間すら与えられずに引き裂かれ、極めて非人道的な方法によって、家畜のように異国に「移入」され、挙げ句の果てには、祖国を侵略している、侵略国の国策に資するための奴隷労働に従事させられたというものである。原告ら6名はいずれも、人として最も精力的に活動することができた年代を、強制連行によって、家族との関係を無理矢理引き裂かれ、異国における奴隷労働及び度重なる暴行による怪我や病気などの肉体的苦痛の中で過ごさざるをえなくされた。また、原告ら6名は、中国に帰国後もこれらの怪我や病気によって苦しい生活を強いられ、同胞からは白い目で見られるなど、物理的・精神的苦痛を被った。以上のとおりの原告ら6名の悲惨な経験から生じた財産的ないし精神的損害は、どれほど少なく見積もっても各2000万円を下ることはない。

また、原告ら6名は、本件訴訟を提起するにあたり、原告ら代理人らに委任せざるをえず、その費用は、各200万円が相当である。

3 本件強制連行について国家無答責の法理が適用されるかどうか

被告国は、法例11条2項規定によって日本法も累積適用される結果、いわゆる国家無答責の法理が適用されると主張する。

しかし、法例11条2項による日本法の累積適用の下でも、その準拠実質法の内部において適用されるべきは国家無答責の法理ではなく、民法ないし現行の国賠法というべきである。その理由には、<1>明治憲法下においても、国家の私経済作用・非権力的作用については、国家無答責の法理は適用されず、不法行為法の適用が認められていたところ、本件強制連行・強制労働は、行為地を中国、対象を中国人である原告ら6名とするものであり、被告国による「公権力の行使」は許されなかったこと(国家無答責の場所的適用範囲の限界)、<2>国家賠償法附則6項にいう「従前の例」には、実定法上の根拠を手続規定に置いていた国家無答責の法理は含まれないと解されること、また、本件強制連行・強制労働の不法行為には国家無答責の法理を「従前の例」に含めて解釈することは、時際法上の公序に反し、許されない(このように解すると本件には国賠法が適用される。)こと(国家無答責の時間的適用範囲の限界)が挙げられる。

また仮に、被告国の主張のとおり、国家無答責の法理とそれに基づく法制度の存在が本件当時に認められたとしても、日本国憲法98条、17条、76条3項に照らせば、本件に関し、現行憲法下の裁判所が「国家無答責」の法理に拘束され、これを裁判の基準とすることは許されないというべきである。現在の裁判所は国家無答責の法理を適用することは、憲法17条が明文で「国家無答責」の法理を否定し、国家賠償請求権を基本的人権の1つと認めた趣旨に反するのである。

したがって、本件において、裁判所が「国家無答責」の法理を適用し、被告国の責任を免れさせることは、憲法違反といわざるをえない。

以上によれば、日本法の累積適用によっても不法行為は成立し、原告らの請求は妨げられない。

4 中国国内での不法行為について、法例11条3項により民法724条が累積的に適用されるかどうか

法例11条3項によって、日本民法724条が適用されることはない。この点に関する被告国の主張は法例11条3項の解釈を完全に誤ったものである。以下、理由を述べる。

(1) 法例11条3項の文言

法例11条3項による日本法の累積適用が不法行為債権の消滅時効等にまでは及ばないのは、その文言をみれば明らかである。すなわち、同条1項が不法行為による「債権ノ成立及ヒ効力」について、不法行為地法の適用を定めているのに対して、同条3項は、「損害賠償其他ノ処分」についてのみ日本法の累積適用を定めている。同条1項によれば、不法行為債権の「効力」のすべての問題は、消滅時効等の問題も含めて、不法行為地の実質法が適用される。一方、法例11条3項による日本法の累積適用は、「損害賠償其他ノ処分」についてと規定されているのであるから、不法行為の直接的な効力である損害賠償の額及び方法の問題にまでしか及ばないものと解するほかない。

仮に立法者の意思が、累積適用を不法行為の効力のすべてに及ばせるものならば、わざわざ2項と3項を分ける必要はない。立法者が11条2項と3項を分け、さらに3項で「損害賠償其他ノ処分」という文言を用いたのは、同項による日本法の累積適用を不法行為の効力にまで及ばせる趣旨でないことを示すものであり、通説はこれを当然の前提としている。

(2) 立法経過からの考察

法例11条の立法過程をみれば、同法3項の趣旨は外国の法律が与える救済と日本の法律が与える救済との間でその方法が異なるときは、日本の法律が認めない救済方法を与えないことにある。名誉毀損における法廷での謝罪、罰金や私罰など日本法が認めない救済方法を認める必要はないというものである。罰金や私罰とは現在の用語法でいえば損害賠償を意味する。起草者は損害賠償に加えて法廷での謝罪などを求める立法がある(オランダ法)ことを念頭に置いて、「損害賠償其他ノ処分」と規定したと推測されるのである。

以上によれば、法例11条3項は損害賠償の方法及び程度にのみ関する規定であり、時効や除斥期間は含まれていないと解するのが合理的である。

(3) 時効と公序の関係

さらに立法過程においては、外国法上の時効期間が日本法上の時効期間よりも長い場合には、その外国法の適用を排除して、日本法を適用すべきであるとする規定も提案された。その後も、裁判例ないし学説上、時効期間の長短に関しては法例33条の公序の適否として議論されてきた。このような経緯は、法例11条3項による日本法の累積適用に時効・除斥の問題が含まれないことを示している。

また仮に同項の「損害賠償其他ノ処分」の中に時効・除斥の問題が含まれるとしたら、起草者の上記提案は、少なくとも不法行為債権の時効については重複することになる。確かに、法例の立法経緯における議論は、第1次的には契約債権の時効に関するものであるが、上記提案は契約債権と不法行為債権を区別しておらず、このような重複は指摘されていない。これは、まさしく法例11条3項による日本法の累積適用に時効・除斥の問題が含まれないことを示している。

以上の点は、国際私法のどの文献を見ても、法例11条3項により消滅時効の問題にまで日本法の累積適用が及ぶとしている学説が、現在まで一度として存在していないことからも明らかである。

(4) まとめ

以上のことから、法例11条3項によって民法724条が累積適用されることはない。

5 被告らの不法行為について、民法724条後段が適用されるかどうか

仮に、法例11条3項によって民法724条後段が累積適用されるとしても、以下のとおり、本件においてその適用は排除ないし制限される。

(1) 起算点について

被告らが主張する起算点から20年の期間を計算すると、その間に、日中両国の国交が断絶していた時期が存在する。そして、そのため原告らの権利行使が事実上不可能であったのであるから、それにもかかわらず、時の経過の一事をもって権利を消滅させることは正義・公平に著しく反することになる。その理由は後記(2)のとおりである。

(2) 民法724条後段の法的性質について

被告らはこれを除斥期間であると主張し、判例もその旨明言していると指摘する。しかし、除斥期間と解した場合、期間の中断が認められず、また期間の経過によって当然に権利消滅の効果が生じてしまうこととなり、事案によっては著しく正義に反し不合理な結論を導く。したがって、民法724条後段は除斥期間ではなく、消滅時効を規定したものと解するのが相当である。

(3) 民法724条後段の適用の排除・制限について

ア 適用排除について

本件は、日本国憲法の掲げる国際協調主義にも関わる重大な事案であり、このことも民法724条後段の適用に当たって十分斟酌されるべき要素である。戦争時になされた虐殺や奴隷的処遇のもとでの使役は、故意による極めて悪質な不法行為である。その被害者がなんら非難されるべき過失がないのに数十年間被害につき謝罪されることもなく、救済もされずに放置されていたときは、その被害について時が経過したからといって権利の消滅を説くよりも、被害を償うべきである。それこそが「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」(日本国憲法前文)と誓った被告国及び国民の信義ある立場というべきである。そして、現在の裁判所はこの憲法に基づいて裁判をなすべきである(憲法第76条3項)。そうであれば、現在の裁判所が、本件について上記のような結論を導く除斥期間を適用することができるかを判断するに当たっては「個人の尊厳、人格の尊重に根源的価値をおき、かつ、帝国日本の軍国主義等に関して否定的認識と反省を有する日本国憲法」の法意に照らし、真摯な検討が必要であり、その適用を排除するべきである。

イ 適用制限について

(ア) 最高裁平成元年12月21日判決が、民法724条後段の法的性質を除斥期間であると判断した後も、学説及び下級審の裁判例には、同解釈に従いつつ、除斥期間の硬直的適用を排し、事案の具体的妥当性を図る解決を試みているものがみられる。これらの下級審判決は、信義誠実の原則により、あるいは主張の濫用の法理により、または除斥期間適用の利益を享受することの放棄の意思を認め、さらには消滅時効の停止規定の類推適用によって、除斥期間の適用制限を認め、妥当な解決を導いている。また、学説はむしろ同法724条後段の法的性質について時効説が多数を占める傾向にあり、除斥期間と解する学説においても、上記最高裁判決のように事案の内容如何にかかわらず時の経過という一事によって当然に請求権が消滅すると解するのではなく、事案の内容や特殊性を考慮し、一定の判断基準のもとに被害者を保護するため、あるいは正義・公平を図るため、その適用を制限することを認めるようになっている。そして、次にみる平成10年最高裁判決は、こうした学説・下級審裁判例の動向の中で出されたものである。

(イ) 平成10年最高裁判決による適用制限の法理

同判決は除斥期間の適用の制限を認めたものである。そして、同判決の趣旨は、除斥期間であるという理由のみによって法的関係の早期確定の要請が時効よりも強く働くと結論付け、著しく正義や公平に反した場合にだけ例外的に適用制限を認めることは、個別事案の特殊性に応じて事案の妥当な解決を図るために存在する信義則や権利濫用法理の硬直化を招き、ひいては紛争解決に果たす裁判の役割が硬直化していくことになり、極めて不当な結果になるので、こうした硬直化した解決を回避し、個別事案の特殊性を十分考慮に入れながら正義・公平の観点から具体的妥当性ある解決を導くべきことにあると理解すべきである。

(ウ) 適用制限の判断要素

著しく正義・公平の理念に反する特段の事情があるかどうかの判断要素については、限定的に考慮するのではなく、広く多様な判断要素を考慮しながら総合的になされるべきである。この多様な判断要素として、従来の裁判例で用いられてきたのは次のようなものである。すなわち、<1>義務者による権利行使の阻害度、<2>権利行使条件の成熟度、<3>権利行使的要素の認定、<4>援用態様の不当性、<5>権利保護の必要性、<6>義務者保護の不適格性、<7>加害者の地位である。

これらの要素とともに、民法724条後段の趣旨が、法律関係を速やかに確定するという公益性、攻撃防御・採証上の困難からの加害者の保護、権利の上に眠る者は保護しないなどにあることを考慮すべきである。そうすると、i権利の性質や加害者と被害者の関係などから時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性に乏しく、ii義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御、iii採証上の困難がなく、iv被害者の権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当しない場合には、上記特段の事情があると言うべきであり、積極的に同法724条後段の適用を制限すべきである。

(エ) 本件事案へのあてはめ

a 本件不法行為は、被告国による中国の全面的侵略下において行われたものであり、権利侵害が重大・明白で、悪質極まりない。すなわち、被告国は、日中15年戦争において、住民虐殺、強制連行・労働、強姦など数限りない暴虐行為を繰り返し、900万人以上の中国人を殺害した。こうした中で、被告国により多数の中国人が中国国内から日本に連行されて過酷な労役を強いられ、その中で数限りない虐待行為、暴行、栄養失調などによって、多数の者が生命を失ったのである。被告らは共同関係に立って原告ら6名中国人民を暴力的行為によって日本に連行し、まさに牛馬のように使役したのである。これら被告らの加害行為は、故意に行われた残虐極まるものであり、重大な国際法違反(奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止違反、ヘーグ陸戦条約、人道に対する罪等の違反)かつ帝国憲法の下でも刑事犯罪に該当する重大な人権侵害行為であった。

加えて、被告らは原告らの権利行使を事実上阻害してきた。戦後においても、被告国は、中国を敵視し、台湾との友好関係を優先させ、長期間にわたり国交は断絶したままであった。国交断絶の主要な原因が被告国にあったことは明らかである。この間、原告らの権利行使が不可能であったことは言うまでもない。また、被告国は、昭和53年(1978年)に日中平和友好条約が締結された後においても、賠償問題は解決済であり、責任を負わない旨を公言し、そのため、後述するとおり、中国政府が対日関係を配慮したことから、原告らは、中国政府外相(当時)が個人の賠償請求に干渉しないと発言した平成7年(1995年)3月まで、客観的に権利行使のできない状況に置かれた。このような状況の主要な原因は被告国が負っているというべきである。さらに、被告らは、今日に至るまで、かかる姿勢を反省するどころか、一貫して責任を認めようとしない極めて不誠実な態度である。被告らは戦後本件当時の資料を破棄・隠滅するなどして、本件の実体解明を阻害してきただけでなく、現在においても閣僚の戦争犯罪そのものがなかったとする発言が後を絶たない。以上のとおり、被告らが原告らの権利行使を事実上阻害してきたのである。

b 時の経過にもかかわらず立証が十分になされ、義務違反すなわち損害賠償債務の存在が明白である。被告国は、昭和21年(1946年)3月1日、中国人に対する強制連行問題について、強制連行により配属された日本国内35社135事業場からの華人労務者就労事情調査報告書(事業場報告書)を作成し、現地調査を実施して中国人強制連行に関する事実の大要を認めたうえで、その責任の所在を明らかにした。これに、各証人尋問及び本人尋問等を加えれば、本件においては義務違反すなわち損害賠償債務の存在が明白である。

c 原告ら6名の権利行使がごく近年(平成7年3月)に至るまで客観的に不可能であったことは、前述したとおりである。そしてこの点について原告ら6名に何ら責められるべき事由がないこともこれまで述べてきたとおりである。

(4) まとめ

以上によれば、本件において、原告らの権利が消滅時効の完成や除斥期間の経過によって消滅したと解することは、著しく正義・公平の理念に反するものであることは明白である。よって、除斥期間の適用は排除ないし制限され、原告らの権利は消滅していない。

第2安全配慮義務違反について

1 準拠法

安全配慮義務とは、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」である。そして、本件の安全配慮義務は、国際私法上も、信義則にもとづく一種の法定債務をいうものである。したがって、法例11条1項を類推適用して、「原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律」によらせることが妥当であるから、本件では日本が原因事実発生地になる。

2 安全配慮義務の内容

(1) 上記の安全配慮義務は、様々な契約類型において認められているだけでなく、契約関係はないけれども、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間においても、安全配慮義務の存在が認められている。当事者間に契約関係がなくとも、当事者間に雇用契約や在学契約がある場合と全く同様に、それぞれの接触関係に伴う危険があり、その現実化によって法益が侵害され、損害を発生させる可能性があれば、そのようなことがないように配慮する義務が通常の一般市民法的義務よりも強く要請されることに変わりはないからである。この意味で、安全配慮義務は、信義則によって発生する法定義務という性格を有しているといえる。

なお、ここでいう「ある法律関係」が契約関係に限定されないことは、この義務について一般論を述べた、最高裁判所昭和50年2月25日の第3小法廷判決が自衛隊員の事故に関するものであったことからも明らかである。そして、安全配慮義務は、危険責任(危険を管理する者が、その危険から発生した被害につき責任を負うという原則)と報償責任(利益の帰するところに損失も帰するという原則)すなわち危険を内在している行為によって利益を得る者があれば、その者が損失も負うべきであるという原則にその根拠を有するものである。このことからすれば、安全配慮義務を発生させる「法律関係」とは、その法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、その接触関係によって、相手方の法益が侵害されて、損害を生じさせる可能性が増大するような危険を含む関係であって、しかも、当事者の一方又は双方が、他方に対して、上記の危険を管理し、あるいはその法律関係から利益を得ているという関係であるということができる。

以上によれば、安全配慮義務違反による責任の発生原因が契約に限定されないと同様に、安全配慮義務を発生させる法律関係も契約に限定されない。したがって、「ある法律関係」とは、元請企業と下請労働者間の事実上の使用従属関係のように、雇用関係はなくても、雇用関係と同視できるような事実上の関係をも含んでいるということができる。

(2) 被告らに安全配慮義務が発生する根拠

ア 本件強制労働の法律関係

(ア) 第2次世界大戦当時において、日本国内では、国家総動員法4条、国民徴用令によって、強制的に日本国民をある労働に従事させることができた。国家総動員法4条、国民徴用令によって、日本国民を強制的にある労働に従事させた場合の、国と当該日本国民の関係は、国家総動員法4条、国民徴用令に基づく公法上の権利義務関係である。他方で、その場合、徴用された国民と割り当てられた企業との間には雇用契約に準ずる私法上の関係が成立した。

この場合、強制的に日本国民をある労働現場で起居させ、そこで労働に従事させることによって、国、企業は、徴用された国民に対して、前述のような<1>生命、健康を維持するに十分な食料を与え、<2>生命、健康を維持していける程度の労働条件で働かせ、<3>健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与える義務を負っていたというべきである。

(イ) 外国人である原告ら6名に対しては、国家総動員法4条、国民徴用令を及ぼす余地はない。しかし、だからこそ、本件強制労働は、華北労工協会と原告ら6名との間の供出契約に基づき、被告会社は同協会から労働者の供給を受けるという外観を取って行われた。ところが、同協会と原告ら6名との間に労働契約は存在しなかったが、同協会の実体は被告国に管理掌握される団体であったから、被告国は、原告ら6名に対し、国家総動員法・国民徴用令を適用したのと同様、その国家権力に基づき強制的に一定の業務に従事させる行為すなわち徴用行為を行ったことになる。そして、それは違法な権力行使というべきである。

このように、被告国と原告ら6名とは、国民徴用令によって徴用された日本国民と国との間の公法上の関係に類似した関係となり、原告ら6名と被告会社とは、国民徴用令によって徴用された日本国民と割り当てられた企業との間の雇用契約に準ずべき私法上の関係に類似した関係となると認めることができる。そしてそれは当時の国際法と中国国内法に照らせば違法な法律関係であるけれども、その違法な法律関係に基づいて、次にみるとおり、被告らと原告ら6名との間には「特別な社会的接触の関係」が発生し、その結果として、生命、身体などの人格的利益について危険にさらされることとなったものである。このような法律関係において、危険を管理し、かつその法律関係から利益を得ている被告らは原告ら6名に対し安全配慮義務を負うのである。

(ウ) ここで、安全配慮義務は、有効な法律関係においてのみ発生するものではないことはいうまでもない。通常に雇用契約を締結した労働者に対して負うべき義務が、無効な法律関係、違法な法律関係にあっては免除されるいわれはないというべきである。

イ 特別な社会的接触の関係

(ア) 被告会社について

前述のとおり、被告会社と原告ら6名との間には、労働契約が存在する場合と同様の使用従属関係があり、被告会社が、原告ら6名の労働条件を具体的直接的に支配管理してきたばかりでなく、監視を置いて原告ら6名がそれぞれの事業場から逃亡することを防止し、その閉鎖された環境において、原告ら6名に対し衣食住を直接供給する立場にあったという特別な社会的接触の関係が存在した。

(イ) 被告国について

被告国は、原告ら6名を中国から強制連行し、各企業に供給した主体であり、かつ日本に連行した後も、被告会社の大江山事業場からの逃亡を防止し、外部との連絡を遮断して強制労働をさせた主体であって、しかも、被告会社に割り当てられた原告ら6名の労働条件や衣食住その他の処遇を定め、これを被告会社に守らしめ、仮に被告会社がこれを守らなければ是正を命じうる立場にあったという特別な社会的接触の関係である。以下、これを詳述する。

a 華北労工協会の設立と被告国の関与

同協会は、満州国における権力的な労務動員政策の実施に際し、満州国(関東軍)と華北(北支那方面軍)との利害調節が必要となったことから、華北における労働統制の一元化を図るものとして昭和16年(1941年)7月に設立されたものである。同協会の本部は北京に置かれ、その代表者には中国人が就任したが、実際の権限は日本人(実質は旧日本軍)が掌握していた。

b 強制連行の実施

華北労工協会の役割は、華北における労働者を募集・斡旋し、華北内外に対する労働力の供給配分を円滑にして労働対策の遂行を図ることである。しかし、労働者の募集・斡旋は、「兎狩り」「労工狩り」の言葉に代表されるように日本軍及びその支配下にあった傀儡政府によって強制的に何の罪もない農民や商人を有無を言わせず駆り立てるものであった。華北労工協会は塘沽などの収容所を管理し、旧日本軍によって拉致・拘禁された原告ら6名を含む中国人らをこの収容所に収容し、これに基づく強制連行がなければ、その後の日本での強制労働がなかったことは明らかである。

c 労務提供契約・実施細目策定における被告国の指示、命令

華北労工協会と企業との労務提供契約には「労工」の使用条件の内容として詳細な華人労務者対日供出実施細目が示されている。

本件当時、被告国は日本国民についても、国家総動員法を大改正して労務統制を一層強化しており、被告国が華人移入の閣議決定と同時に定めた移入華人の詳細な処遇条件は、国家総動員法6条の命令権限が政府にあることに則したものであり、これが事実上の命令となって本件の実施細目に具体化された。華人労務者対日供出実施細目は、国民動員計画において決定された華人移入の全過程に対する政府の統制措置に符合するものであり、実施細目において具体化されていることが明らかである。

以上によれば、労務提供契約及びその実施細目はいわば被告国の命令によって作られた約款というべき性質のものである。被告国の指示・命令が被告会社と原告ら6名との関係を規律していたということができる。特に、実施細目は中国人労働者の衣食住のすべてをカバーするだけでなく、労働災害扶助規定を含み、送還方法にまで及んでいる。

d 被告国による労働管理

被告国の指示・命令によって作られた約款というべき性質のものである労務提供契約及びその実施細目によって、原告ら6名は被告会社との間で、使用者と被使用者という実質的な労働法律関係に入った。そこで、被告国は自ら創り出した中国人労働者と被告会社の実質的な労働法律関係を維持・管理するための、包括的な管理者の役割を担うということができる。

実際に、被告国は労働管理を厚生省(労役)、運輸省(輸送)、内務省(取締)、大東亜省、農林省(食料)、各事業場並びに下級機関として地方庁、現地から同行させた日系指導員、国民職業指導所及び警察署が行うよう決定した(昭和19年11月28日の次官会議法定)。また、内務省においては、厚生省、軍需省と連名をもって関係地方庁に対し、中国人労働者の指導に開し通牒を発し、又は取締要領を定めその励行方を通牒していた。この取締要領においては、関係地方庁は中国人労働者の割当予定の通報を受けたときは事業場と連絡し、作業場宿舎等の選定、警戒対策の樹立その他取締上必要な諸般の準備をすること、事業場に対しては逃亡防止並びに外部との連絡遮断に処する確実なる施設の完備と華人労務者監督の貴任を負担させることなどと定められ、また各事業場において地方の警察が管理における重大な役割を果たしていた。宿舎側近に警官見張所を設置し、点呼並びに携帯品点検には警察官が立ち会い、事業場からの逃亡者には警察への連行が指示された。

e 被告国の関係企業に対する賃金補填

華北労工協会と各企業との間の労務提供契約において、各企業が中国人労働者に支払うことになっていた1日5円の日当のうち、半分は被告国が負担することになっていた。経済的にみても、被告国と被告会社が実質的には共同して原告ら6名を使用しているとすら言いうる関係があったということができるのである。

f 被告国は権力をもって各企業の従業員に対する労働条件を規律することができた。しかも、被告国による労働条件の規律の目的は、現在における労働者保護ではなく、国家総動員法に基づく労働者の使役であった。さらに、各企業が使用する施設、器具等も、国家総動員法の配給機構のもとでは、被告国が提供していたものと同視できる面もあった。特に中国人労働者の宿舎、その位置、構造等については内務省警保局外事課において立案し、関係各当局の協議において決定していたのであり、被告国は、食料はもとより、衣類、履物も配給制度のもとで最低限の保障をできる地位にあった。

また、そもそも、中国人労働者は、被告国が国策遂行のために中国から強制連行して被告会社等の各企業に割り当て、その逃亡を阻止するため、警察力を使って監視していたことからすれば、被告国こそが労働を強制していた主体とみることができる。このような関係は、まさしく勤務条件を具体的に支配管理するという直接的具体的な労務の支配管理性を有する関係にほかならないというべきものである。

以上によれば、被告国と原告ら6名との間の「特別な社会的接触の関係」が認められることは明らかである。

ウ 本件事案へのあてはめ

被告国は、原告ら6名と「特別な社会的接触の関係」に入り、それによって、国民徴用令によって徴用された日本国民との間で生じる公法上の関係に類似した、特殊な法律関係を原告ら6名との間に設定した。そして、これに伴う危険が現実化したことによって、原告ら6名の人格的利益が侵害された。被告国は、この危険を管理する立場にあるとともに、この法律関係から戦時における労働力の確保という利益を得ていたものである。したがって、被告らは、原告ら6名に対し、安全配慮義務を負っていたものということができる。

(3) 本件における安全配慮義務の内容と具体的事実

ア 本件における「安全配慮義務」の内容は、現在、通常の労働災害事件などで問題とされる「安全配慮義務」と相当に異なる。通常の労働災害事件における安全配慮義務は、積極的に安全施設を設け、安全教育を施すといった高いレベルの義務であるのに対し、本件の義務内容は、<1>生命、健康を維持するに十分な食料を与え、<2>生命、健康を維持していける程度の労働条件(ここには当然、労務の監督者から暴行されないことも含む。)で働かせ、<3>健康を維持し、人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与えるという最低限の、いわば原告ら6名を1人の人間として取扱う義務にすぎない。そのため、これら義務の違反があれば、原告ら6名のように、辛うじて生命を維持できたが、病気や障害に苦しむ者とほとんど変わることのない苦痛を与えられたことになり、損害の発生を認めることができるのである。以上3つの義務の具体的内容を詳述すると、以下のとおりとなる。

(ア) <1>について

a 原告ら6名の食糧事情

食事は、大豆粕で作った饅頭を1食につき1個だけ支給された。黒い雑穀を混ぜたパンのときもあった。これに時には、じゃがいものような野菜の葉の入った汁がつけられた。これらの質は、牛馬にやるようなものであった。また、水は一切支給されなかったため、原告ら6名は、雨水や作業場に流れてくる水を手ですくって飲んでいた。

b 被告らが取るべきであった措置

国際連合被拘禁者処遇最低基準規則(昭和32年(1957年)に国際連合経済社会理事会において採択・成立)20条(1)は、「すべての被収容者は、当局によって、通常の食事時間に、健康及び体力を保つのに十分な栄養価があり、衛生的な品質で、かつ適切に調理され配膳された食品を提供されなければならない。」と規定する。これは、同規則が成立した当時の、開発途上国も含めた国際社会の裁定の基準であることから、本件にも十分に妥当する原則であるといえる。

そして、この健康及び体力を保つのに十分な栄養価のある食料を具体的に考えると、まず、日本人の栄養所要量表によると、重い労作に従事する20歳代の男性の1日当たりの所要カロリー量は、3500キロカロリーとされる。この数字は現在のものであるが、必要とされるカロリー量という意味では当時にも当てはまる。また、当時の監獄法施行規則94条には、在監者の食料の種類及び分量は、飯(下白米10分の4、麦10分の6)、1人1回米172グラム、麦192グラム以下、菜1人1日5銭以下と定められていた。被収容者食糧給与規定(昭和18年8月9日施行)は、食糧事情の緊迫から消費の規制を図るため、飯量の等級を5等級とし、飯の熱量の4割は食で補い、米麦の最高を4合5勺、最低を2合3勺にし、これによって当時の被収容者に給与すべき米麦及び代用食(大豆、鶉豆等)が5等級に分けられ、その量が定められた。そして、重労作に従事する男性(20歳以上も未満も同じ。)の飯量の等級は1等(米258グラム・麦261グラム、大豆の場合285グラム、鶉豆の場合375グラム等)であり、免業その他の事由によって休業する日の飯量の等級は1等級分降下された。これをカロリーで概算すると、1等級は、2694キロカロリーないし2941キロカロリーとなる(なお、最も低い5等級でも、1383キロカロリーないし1512キロカロリーとなる。)。

以上は、当時の厳しい社会的・経済的状況下においても、なお必要な食事量とされていたものである。したがって、重労働に従事していた原告ら6名に必要な食事量は、仮に当時の逼迫した食糧事情を最大限考慮したとしても、2694キロカロリーを下回ることは許されなかったというべきである。

したがって、被告国は、監督官庁である商工省を通じて、被告会社をして、原告ら6名に対し、生命・健康を維持するために十分な食料として、少なくとも1人当たり、2694キロカロリーに相当する食料を供給させる義務があり、被告会社は同様の食料を供給する義務があったというべきである。

(イ) <2>について

a 原告らの労働条件

原告ら6名が従事していたのはニッケル鉱山における採掘労働であったが、まず、原告ら6名は、鉱山においては小隊ごとに労働に従事させられ、番号で呼ばれた。労働時間は、毎朝星のあるうちから夜暗くなって星が見えるころまでであり、時間にすれば14時間にもなった。労働時間中は、刀や棒を持った者の監視を受け、いつも、誰かが殴られていた。なお、中国人の監視は朝鮮人であったが、その他にも陸軍の現役将校が配属され、憲兵が常時監視していた。

b 被告らが取るべきであった措置

鉱夫労役扶助規則(大正5年制定)5条1項は、鉱夫の1日の労働時間を10時間以内とする。また、同規則10条は、休日、休憩について、16歳未満の者においては、1日の就業時間が6時間を超えるときは少なくとも30分、10時間を超えるときは少なくとも1時間の休憩時間を就業時間中に設けなければならないとし、また、毎月少なくとも2回の休日を設け、鉱夫を2組に分けて交代に午後10時から午前5時に至る間において就業させる場合は、少なくとも4日の休日を設けなけらばならない等と定めていた。そして、この内容は、当時においても鉱夫一般に、さらには鉱夫同様の重労作に従事する労働者一般に付与されるべき休日、休憩であったというべきである。なお、別段の規則がなくとも、監督に当たって労働者に暴力を振るうことが許されないのは当然である。

以上によれば、当時の社会情勢・経済情勢下においても、被告国には、監督官庁である商工省を通じて、原告ら6名に対し、生命・健康を維持していけるだけの労働条件として、1日の就業時間が6時間を超えるときは少なくとも30分、10時間を超えるときは少なくとも1時間の休憩時間を就業時間中に設けなければならないとし、また、毎月少なくとも2回の休日を設け、鉱夫を2組に分けて交代に午後10時から午前5時に至る間において就業させる場合は、少なくとも4日の休日を設け、また、監督に当たって暴力を振るってはならないことを、被告会社に守らせる義務があり、被告会社は、原告ら6名に対し、以上のとおりの休日・休憩を設け、また、暴力を振るってはならないという労働条件を遵守する義務があったというべきである。

(ウ) <3>について

a 原告ら6名の住環境及びその他の衛生条件

原告ら6名は青島で軍服を支給された以外、服の支給は受けなかった。当然洗濯はできず、作業で軍服はぼろぼろになったため、原告ら6名は、事業場に落ちているセメント袋や麻袋を各自で拾い、その袋に、首、両手、両足が出るような穴を開けて着用していた。また、毎日汗まみれになって労働に従事していたが、入浴は1度も許されなかった。そのため、原告ら6名は、作業場の中の水の流れている場所で、顔や体を洗い、同時にそこで水分を補給していた。飢えによりやせ細った体には蚤や虱が沸き、皮膚病にも罹患した。

b 被告らが取るべきであった措置

住環境及び衣服その他の衛生条件について、本件当時にも妥当したであろうと考えられる国際的な具体的基準としては、国際連合被拘禁者処遇最低基準規則がある。また日本法としても、鉱業警察規則(昭和4年制定)、鉱夫労役扶助規則、監獄法施行規則が存在する。そこで本件当時も、人を一定の場所に起居・生活させる場合は、健康を維持し、上記各規定に従い、人としての尊厳を保ちうるような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服その他衛生条件を整えるべく、十分な余裕のある清潔な就寝場所を提供すること、十分な暖房設備を整えること、蒲団や毛布などの寝具を与えること、清潔な衣服を与え、洗濯の機会を与えること、風呂を備え、十分な入浴の機会を与えること、皮膚病その他の病気になったときは、医師の治療を受けさせ、治るまで治療に専念させることなど(いわば「生命健康保障義務」とでもいうべきもの)が当然のこととして要求されていたというべきである。

以上によれば、当時の社会的・経済的状況下においても、被告国は、監督官庁である商工省を通じて、原告ら6名に対し、上記のような措置を被告会社に取らせる義務があり、被告会社は、原告ら6名に対し、上記のような措置を取るべき義務があったというべきである。

なお、本件は職場における労働者の安全と衛生を確保すべきであるという思想がまだ十分ではなかった第2次世界大戦中の事件である。しかし、原告らの主張する義務内容は、前述のとおり、強制連行をした被告らが、強制連行された原告ら6名に対して、その生活の安全と衛生を守るという最低限の義務にすぎないから、当時においても当然に認められるべきものということができる。

(3) 義務違反及び損害

被告らは、この程度の義務も果たさず、強制連行してきた中国人労働者に対して、十分な食料を与えず、いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかせ、寒さに凍え、皮膚病に悩むような劣悪な宿舎と衣服しか提供しなかった。これが、被告らの義務違反に該当する事実である。そして、十分な食料を与えられず、いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかされ、寒さに凍え、皮膚病に悩みながら生活させられるという、およそ人としての尊厳を踏みにじられた有り様を強いられた苦痛が、原告ら6名の損害なのである。その額は、不法行為について主張したとおりである。

第3賃金請求権または同額の不当利得返還請求権の取得について

1 準拠法

後述のとおり、被告会社は、原告らに対し、事実上の労働関係に基づく賃金支払義務ないし不当利得に基づく利得返還請求権を負っている。そして、前者については、法例11条1項の類推適用により、後者については同項の適用によって、準拠法は日本となる。

2 賃金請求権について

本件において、原告ら6名と被告会社との間には、労働契約その他何らの契約関係も存在しなかった。存在したのは、原告ら6名が被告会社のために労働をしたという厳然たる事実のみである。

しかし、労働関係においては、雇用契約ないし労働契約全体が無効ないし取り消された場合も、遡及的無効として不当利得関係などによって事態を処理することは、いたずらに法律関係を複雑にするだけであり、かつ労働者にかえって不利益を及ぼしかねないという理由から、いったん労務に服した以上は、賃金請求権等の法律効果は発生するというのが民法学界、労働法学界の通説的な見解である。そして、強制労働のような労働契約が不成立の場合においても、同様の考え方が妥当するものというべきである。

したがって、原告らは被告会社に対して事実上の労働関係に基づく賃金支払請求権を有している。

3 不当利得返還請求権について

仮に賃金支払義務がないとしても、それに代わり不当利得返還義務が成立する。すなわち、原告ら6名と被告会社との間には、およそ労働契約の外形も存在しなかった。

しかし、被告会社が原告ら6名の就労によって労働の成果を受益し(ないしは無償で労働をさせることによって賃金の支出を免れるという受益を得)、原告ら6名が労務を提供しながら何らの対価も得られないという損失を被っているということは疑う余地がない。この受益と損失の間には因果関係はあるが、これを正当化する法律上の原因はない。

したがって、原告らは被告会社に対して不当利得返還請求権を有している。

4 賃金ないし不当利得の額

被告会社は、原告ら6名に対し、1人当たり1日5円の割合で賃金を支払う義務がある。そして、原告ら6名が雇用されたと同視できる期間は、大江山工場で就労させられるべく中国の青島港を出港した昭和19年(1944年)10月11日から、日本の敗戦によって奴隷的強制労働が終了する同20年(1945年)8月15日までの299日ということができる。したがって、原告ら6名の1人当たりの賃金総額は、299日×5円=1495円である。

仮に、上記1が認められないとしても、華北労工協会と被告会社との間の、労働者移入契約においては、労働者1人当たりの賃金は1日5円であるとの定めがあることからすれば、これは当時の原告ら6名の労働に見合った賃金ということができる。そして、原告らが喪失した労働期間は前述のとおりであるから、被告会社の1人当たりの不当利得総額は、299日×5円=1495円である。

5 時効の中断

原告らの未払賃金支払債務の履行請求権は、短期1年の時効期間により時効にかかるものであるが(民法174条1号)、しかし、平成10年(1998年)2月19日に催告し、この日から6か月以内に提訴されているので、時効は中断した。

第4被告会社による時効援用が権利濫用であることについて

1 起算点について

被告会社は時効の起算点を昭和20年8月16日と主張するが、以下のとおり、同時点においては、原告ら6名は事実上権利行使することができなかったのであって、上記主張は妥当でない。以下では、どの時点を起算点とするべきかについて検討する。

(1) 被告国と中華人民共和国との国交断絶状態と国交回復

被告国は、中華人民共和国(1949年成立)に対する敵視政策を戦後一貫して取り続けた。そのために、被告国と中国は国交断絶の状態が続いた。昭和47年(1972年)の日中共同声明によって国交を正常化させることが政治的に明らかにされ、本格的かつ正常な国家関係の基礎が法的に打ち固められたのは同53年(1978年)の日中平和友好条約の締結によってであった。

(2) 中国における政治状況と原告らの権利行使可能性

中国において対日民間賠償請求問題が公の場で初めて取り上げられたのは1991年(平成3年)3月に行われた第7期全国人民代表大会(注:日本の国会に相当する)第4回会議である。最も早くみてこのころ、国家間の戦争賠償と民間の戦争被害賠償という2種類の賠償を法的に区別し、前者については日中共同声明で中国側は放棄したが、後者については共同声明では触れておらず、したがって中国の民間人被害者及びその遺族は日本政府に対して要求できるはずだという主張が現れたのである。ただし、その時点においてもなお、対日関係を配慮する中国政府の意図と影響の下にあっては、一般の中国人が、日本国に対して損害賠償を求めて裁判を提訴するという可能性は皆無であった。

1995年(平成7年)3月9日、全国人民代表大会でJ外相(当時)は、対日戦争賠償問題について、日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって、個人の賠償請求は含まれないとの見解を示し、補償の請求は国民の権利であり、政府は干渉すべきでないと述べた。この発言は中国政府がそれまでの対日政治考慮を優先する姿勢を変更したものであり、これによって、一般の中国国民が日本政府を相手に本件訴訟を起こすことについて、いわば政府の政治的「お墨付き」が与えられたと言える。この点で、原告らの権利は特殊な性格を帯びていたものと言うことができる。

(3) 中国における法的整備状況と原告らの権利行使可能性

昭和53年(1978年)12月の、file_4.jpg小平による「人治から法治へ」というスローガンに集約される法治国家建設をみても、当時における中国が「法的空白」状態にあったことは明らかである。中国においては、民法という基本法ひとつをとっても、わが国における民法総則部分に相当する通則に続いて物権に関する部分が制定されたのは最近であり、債権部分は未だ制定されるに至っていない。現在でもなお、中国が名実ともに「法治国家」の体をなすまでには、今後なお長期にわたる継続的努力が求められる状態である。法治国家建設の進捗状況と裏腹の関係にある中国人一般の法意識についても、中国人の法律に関する知識、ましてや、法律に基づいて自己の権利を主張するなどという発想は希薄である。

原告ら6名は、このような法意識の希薄あるいはほとんど欠落した一般的状況の下で生活している。日本の社会における法意識を念頭において、原告ら6名の権利行使の可能性を論ずるのは誤りであって、中国社会の法意識を前提に原告らの権利行使可能性を判断しなければならない。中国社会の法意識を前提にすれば、原告らは、本件訴訟弁護団との出会いがなければ権利行使をなし得なかった。

(4) 中国における旅券法と原告らの権利行使可能性

一般の中国人が自由に海外に渡航する根拠となるパスポートの取得が原則的に自由化されたのは、同61年(1986年)以後である。また、同年以降においても、パスポート取得の申請は公安機関になさねばならず、「国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがある」ときは出国を許可しないとされていた。この当時、対日関係に配慮していた中国政府の態度を考えると、平成7年3月のJ発言までは、一般中国人の出国は極めて困難だったと言うことができる。以上のことからすれば、本件原告らが、原告として日本に渡航できる現実的可能性は、同7年3月以降と考えられる。

(5) 中国における経済状況と原告らの権利行使可能性

中国における経済状況を考えると、私的目的のために海外渡航するだけの経済力を持つに至った中国人はまだ極めて少数であり、例外的であるというのが現状である。同7年(1995年)当時の農村家庭一人当たりの純収入は月額で131.5元(1元16円とすれば、日本円で約1100円)、都市家庭1人当たりの生活費収入は月額で325.2元(日本円で約5200円)であり、ほとんどの中国人戦争被害者及びその遺族にとって、自力で裁判の準備をして、日本に渡航し裁判に訴えるという経済的可能性は、現状ではないというほかない。

(6) 弁護士の説明による原告らの権利行使可能性

原告ら6名が本件強制連行・強制労働について、日本国における訴訟提起が可能であることを知り、現実に日本の弁護士に訴訟提起を委任できたのは、平成9年(1997年)8月3日になって、日本の弁護士に北京で会ったのが初めてであった。この際、日本の弁護士から日本で裁判が可能であること、訴訟費用については訴訟救助という方法があること、弁護士費用については法律扶助や人権救済基金という方法があることの説明を受けたのである。

したがって、原告らが、日本での裁判提起が可能になったと言えるのは、同9年8月3日である。この日をもって、原告らの請求権の消滅時効が進行を開始すると考えるべきである。なお、この点、遠州じん肺訴訟第一審判決(静岡地裁浜松支部昭和61年6月30日)は、弁護士による損害賠償請求訴訟の説明会を開催した日から、損害賠償請求権の消滅時効が進行すると判示している。

(7) 原告らの催告

原告A1とA6は、平成9年(1997年)12月5日に、被告会社の社長宛に謝罪と損害賠償を求める手紙をそれぞれ書いた。この手紙の返事は、同月19日に被告会社の常務取締役より輔佐人Kに宛てて出された。この返事には、「当社は中国人労働者の事実を十分認識していますが、法的には補償する責任はないと思っています。」と記載されていた。そして、原告ら代理人は、平成10年(1998年)2月19日に、被告会社の本社に行き、被告会社の常務取締役と面談して、原告らが、被告会社に対して、謝罪と損害賠償を望んでいることを伝えた。

(8) まとめ

以上のとおり、原告らが権利の行使が法的に可能であることを認識し得た可能性は、最も早い時期としても平成3年(1991年)以後と判断するしかない。そして、中国政府の「お墨付き」(前記J外相発言)のあった同7年(1995年)3月においてはじめて中国国内において、原告らの権利行使を実行に移す条件が具備されるに至ったというべきである。しかし、現実に権利行使の可能性を原告らが明確に認識するためには、同9年8月3日の本件訴訟弁護団との出会いが必要であった。したがって、権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、その権利行使が現実に期待できると言えるのは、同年8月3日であり、この日から原告らの請求権の消滅時効は進行すると解する。そして、原告らの本件訴訟の提起は、同10年8月14日であり、原告らの請求権の消滅時効期間は満了していない。

2 時効援用が原告らを害するものとして許されないこと(中華民国民法148条)

同法148条は「権利の行使は、公共の利益に反することができず、あるいは他人を害することを主要目的とすることができない」と規定している。本件においては、上記1の事実に加えて、被告会社は、戦後まもなく本件強制連行・強制労働に関する資料を隠滅し、また一貫してその責任を否定し、現在に至るまで、原告らに対し何らの賠償にも応じていないなどの事実がある。このような事実関係の下では、被告会社による本件における給付拒絶の抗弁権の行使は、「他人を害することを主要目的とする」場合に当たるということができる。

したがって、被告会社による時効の援用は中華民国民法148条に反し、許されない。

3 時効援用が権利濫用となることについて

(1) 被告会社による消滅時効の援用は、濫用にわたるものとして許されない。確かに、民法は、消滅時効期間が経過したときは、債務者が時効を援用することによって債権を消滅させるものと規定する。しかし、時効を援用することが著しく正義に反し、かえって時効制度が認められた趣旨に反する結果となるというような場合にまで、その援用を絶対無制限に許すというのは相当ではない。法が時の経過のみに効果の発生をゆだねることをせず、債務者において消滅時効を援用するか否かの選択の余地を残したところにも、より妥当な結果を得たいという法の思想が窺われるのである。

そこで、まず消滅時効制度の趣旨についてみるに、その根本は、債務者にとっての立証上の困難の回避(二重弁済の回避)にその根拠が求められる。反面、消滅時効によって真実の権利者がその権利を喪失する結果となるが、それは「権利の上に眠る者は保護しない」という点に根拠を求めることができる。以上の観点から、本件について検討する。

(2) まず、本件には次のような事実があり、かかる事実の下で被告会社が時効を援用することは著しく正義に反する。

a 原告ら6名は、本件当時、いずれもいわゆる「働き盛り」であり、家族の生活を支える立場にあったにもかかわらず、強制的・詐欺的に連行され、劣悪な環境での無償の強制労働に従事させられた。これによって、原告ら6名自身のみならずその家族らに対しても、多大な肉体的・精神的な苦痛を与えた。しかも、原告ら6名は帰国後、対日協力者として非難され、今日その立場についての理解は得られているものの、永きにわたり苦難の日々が続いた。

このように、原告らは、強制連行・強制労働時の肉体的・精神的苦痛に加えて、帰国後も長期にわたって精神的苦痛にさいなまれていたのであって、その被害は言語に絶する深刻さであると言わなければならない。

b 原告ら6名の上記苦痛は、被告らによる強制連行・強制労働によって生じたものであることは明らかである。そして、原告ら6名の労働現場を見た場合、たとえ強制的に連行し、強制的に労働に従事させたとしても、その労働に対して適切な賃金を支払わなければならないことはもちろん、適切な労働環境を与えることは至極当然のことであった。にもかかわらず、被告らがこのような措置を何らとらなかったために原告ら6名が更なる苦痛にさいなまれたこともまた明らかである。

このような事実に照らしてみると、本件被害が被告らの義務違反によって生じたものであることは明白である。

c 本件当時、戦時下というやや特殊な状況にあったとはいえ、敵国国民を強制的に連行し、強制労働に従事させるなど、何ら法的根拠もなく許されないことであったのは明らかである。にもかかわらず、被告国は、華北労工協会という傀儡組織までつくって本件強制連行を強行し、かつ、労働者の労働条件についても何ら省みていない。そして、被告会社も、強制連行された原告ら6名を何の疑問もなく積極的に受け取り、かつ、劣悪な環境下で強制労働に従事させたのである。しかも、この強制連行が、国策として国家と産業界が一体となって推進したことは、当時の各種文書で明らかであり、外務省報告書、事業場報告書などから、原告ら6名が劣悪な環境におかれていたことは被告らも十分に認識していたことであった。そして、これらの事情からすれば、被告らは、一連の強制連行・強制労働によって原告らに著しい苦痛を与えることを容認していたと評されるのである。

このように、被告らの義務違反の程度は極めて著しく、かつ、その義務違反の主観的態様においても極めて悪質である。

d 本件発生当時の日本は、戦線の拡大、それに伴う人的損害の拡大から、戦時下の基幹産業である鉱工業を中心に労働者の不足が深刻な状況にあった。この状況を打破したのは、まさに強制連行された労働者であり、皮肉にも彼らは破綻しかけていた日本の産業界や戦時経済を支える立場に立たされたのである。すなわち、戦後日本国の復興、被告会社の戦後から現在までの盛業の基礎ないし背景には、強制連行労働者の犠牲が存在するという関係にあることは明らかである。

f 以上のことを考えあわせれば、原告らを救済することはまさに被告らの責務であり、被告らには右責務を果たすことは強く求められているものと言わなければならない。そして、このような事情の下、被告会社が消滅時効を援用することは著しく正義に反するのである。

(3) 消滅時効制度の趣旨からの考察

被告会社による消滅時効の援用は、消滅時効制度の趣旨にも沿わない。

まず、本件では、強制連行された時点から長期間経過して後に原告らの提訴がなされていることは否定できない。しかしながら、これまでみてきたところによれば、原告ら6名に権利行使を怠った事情はみあたらず、「権利の上に眠る者」と評価することはとうていできない。

次に、確かに本件は、50年以上前の事実を問題にしているのであって、この時の経過が事実の存否に関する証拠の散逸をもたらし、被告らの立証を困難にするであろうことは、一般論としては容易に想像できる。しかしながら、被告会社が、原告らに何らの賠償をせず、賃金さえ支払っていないことは明らかであって、二重弁済の危険を考慮する余地はない。また、本件において損害発生の立証責任は原告らにあるのだから、立証の困難という事情は原告らにとってより大きいのであって、被告らの事情のみをとりたてて配慮するに及ばない。

以上検討したところによれば、被告会社の消滅時効の援用は、客観的にも著しく正義に反し、消滅時効制度の趣旨にも沿わない結果となるのであるから権利の濫用として許されないと言うべきである。

(4) 近時の判決例からの考察

a 福島地裁いわき支部昭和58年1月25日判決は、旧軍隊内での暴行による損害賠償請求訴訟であるが、「信義則に照らし時効の援用は許されない」と判示して、被告側の時効援用を排斥し、原告らの請求権を認定している。さらに同判決は、「724条後段を除斥期間と解したとしても右の結論を否定する理由はない」と判示した。

b 常磐炭鉱じん肺訴訟に関する福島地裁いわき支部平成2年2月28日判決は、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権に対する時効の援用について、被害の深刻さ、被害と義務違反との因果関係の明白性、義務違反の程度が著しくその主観的態様も悪質であることなどをあげ、「原告ら元従業員の救済はまさに被告の責任であり、被告には右責務を果たすことが強く求められている」とし、消滅時効制度の趣旨から見て被告に時効による保護を与える必要性が乏しいとして、「単に時効期間が経過したというだけの理由で原告らに対する損害賠償責任を否定することは著しく正義に反する。」と判示した。そして同判決は、周到な準備を経てようやく提訴が可能となるという事件の性質に照らして、原告らに時効による権利消滅の不利益を負わせることが相当でないことをあわせ考え、「被告の消滅時効の援用は客観的にも著しく正義に反し、消滅時効制度趣旨にも沿わない結果となるものであるから、権利の濫用として許されないというべきである。」と判示した。

(5) 以上によれば、被告会社による時効の援用は権利の濫用に当たり、許されないことは明らかである。

第5国際法に基づく損害賠償請求権の取得について

(1) 国際慣習法に基づく損害賠償請求権の取得について

ア 強制連行・強制労働の違法性

(ア) 奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止違反

奴隷制度の禁止は、国際法の中でも最も早くから一般国際法の強行規範、いわゆるユス・コーゲンスとみられてきたものであり、本件当時すでに国際慣習法として確立していた。奴隷条約が奴隷労働を奴隷制度と奴隷取引の禁止の観点から規制したのはその現れの一つである。そして、被告国の原告ら6名をはじめとする中国人に対する組織的な強制連行・強制労働政策は、奴隷条約が禁止する奴隷制度にほかならない。したがって、これらが違法であることは明らかである。

(イ) 人道に対する罪違反

第2次大戦中の日本軍の戦争犯罪のうち特に平和と人道に対する罪を犯した重大な戦争犯罪人に対しては極東国際軍事裁判所が設置され、日本の主要な戦争犯罪人が裁かれた。そして、被告国は、「日本国との平和条約」(サンフランシスコ講和条約)において極東国際軍事裁判所の裁判を受諾し(第11条)、日本国政府として同判決の正当性を承認した。そして、被告国による強制連行・強制労働は、極東軍事裁判所の「管轄に属する犯罪の遂行として又は之に関聯して為されたるもの」であり、その実体は、被占領下にある交戦国の一般住民に対する「奴隷的虐使」またはそれに匹敵する「非人道的行為」を行うための政策であったということができる。したがって、これらが違法であることは明らかである。

(ウ) ILO第29号条約「強制労働に関する条約」違反

日本は昭和7年(1932年)に「強制労働に関する条約」(強制労働条約)を批准した(条約第10号)。この条約において禁止される強制労働とは「或る者が処罰の脅威のもとに強制せられ且つ右の者が自ら任意に申し出たるに非らざる一切の労務をいう。」と定義されている(第2条1項)。そして、被告国による強制連行・強制労働は、上記定義の強制労働にほかならない。したがって、これらが違法であることは明らかである。

イ 国際公法における個人の法主体性に関する主張

外国人個人に対して国家が国際法上の違法行為をした場合、国際法上の平面における当該個人の損害回復は、所属国家の外交的保護権の行使によって図られると説明されるのが一般である。しかし、このような考えは個人の請求権の存在を論理的に前提としており、国家が外交保護権を行使するときも、個人の請求権が国家に吸収されるわけではなく、個人の請求権と所属国家の請求権とは併存しうる。

また、今日の国際人権法、国際人道法についての考え方は、国際人道法違反の行為によって被害を被った個人が、加害国家に対し、その国際法上の義務違反を追及し、直接損害賠償請求を行うことを、国際法上個人に賦与された権利として認めている。

したがって、個別の条約等の中に、明文の賠償規定が存在しない場合でも、原告らは被告国に対して国際慣習法の義務違反により被った損害を直接個人の資格において請求する権利を有する。

(2) ヘーグ陸戦条約に基づく損害賠償請求権の有無

ア  ヘーグ陸戦条約3条と個人の損害賠償請求主体性について

以下、条約の通常の解釈規則(文脈を考慮しつつ、用語の通常の意味に従って解釈する。)に従って、ヘーグ陸戦条約3条を解釈していくが、補完的に同条約の準備作業などを参照する。なおその際、「事後の実行」の検討はあくまで事件当時の有効な条約解釈を確認するために参照するべきであって、その後の解釈の発展の軌跡を確認するために参照するべきではない。

(ア) 文言解釈

ヘーグ陸戦条約3条の文言は、軍隊構成員が引き起こした一切の陸戦規則違反について所属国の賠償責任を規定する(無過失責任)。そして、この所属国の賠償責任を表現するに当たり、同条は、「賠償(compensation)」という語を用い、原状回復や陳謝・責任者処罰なども射程に入れた「reparation」という国家責任解除のための伝統的な用語は用いていない。このように、同条がきわめて広範な責任帰属の範囲を設定している趣旨は、国家責任法理一般ではなく、個人の保護を念頭に入れた交戦法規の法理ということができる(同条約前文のマルテンス条項参照)。以上によれば、同条に基づく損害賠償請求権の主体には、個人も含まれると解される。

(イ) 交戦法規としての性質

ヘーグ陸戦条約は陸戦の法規慣例を扱うものである以上、同条約3条も、交戦法規の法理を体現していると解される。交戦法規の法理は国際法の一分野として特殊な法制度を発展させてきている。交戦法規は、国家間の関係のみならず、国家と個人の関係をも規律の対象に取り込んでいる(ヘーグ陸戦条約前文第2段参照)。

(ウ) 準備作業

ヘーグ陸戦条約の起草者たちは交戦法規が個人に対して権利を付与してきた特殊な国際法分野であるという認識に立って、第2次ルートに関わる同条約3条について、個人の請求権を明瞭に認めていた。このことは、1907年(明治40年)第2回国際平和会議におけるヘーグ陸戦条約及び同規則の改正作業におけるドイツ提案が、明確に「中立の者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う」と述べ、賠償責任が個人に向けられることを認め、このことを前提として、スイス・イギリス・フランス・ロシア代表はいずれも議論していたという審議経過からみて明らかである。

また、上記会議においてはヘーグ陸戦規則52条に「成ルヘク速ニ之ニ対スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノトス」という文言が付加された。これは、「即金での支払いが不能な場合、徴発に相当する金員はなるべく速やかに、また、なるべく敵対行為中に支払わなければならない」ということを明らかにするものであり、交戦国民との関係においても、当然遵守が求められた。そして、ヘーグ陸戦条約3条は、このような第1次ルールの実現を担保するための規定であり、ここからも国家の賠償責任が個人に向けられていたことは窺える。

(エ) 国際機関における適用

1978年(昭和53年)の赤十字国際委員会コンメンタールは、ヘーグ陸戦条約3条(1977年の第1追加議定書91条に若干の修正を施しながら、ほぼそのままの形で再現されたもの)の注釈において、個人の賠償請求資格を明確に認めている。また、同コンメンタールは、ヘーグ陸戦条約3条及び第1追加議定書91条は、被害者が賠償を受ける権利を否定することはできないとするジュネーブ諸条約等と同じ原則に立脚していることを明らかにしている。

被告国は、現在に至るまでヘーグ陸戦条約3条に基づいて個人に対する損害賠償が実行された例はないと指摘する。しかし、これは戦争被害による個人の請求権処理が、その時々の政治的配慮に従って行政手続きを通じて日常的に、ひんぱんに行われていたことによるものにすぎない。現に、ドイツの裁判例では、ヘーグ陸戦条約3条を直接の根拠として個人の損害賠償請求権を認め、また同条約が個人の損害賠償請求に向けうるとの認識を示したものがある。

(オ) 以上検討したところを総合的に勘案するに、ヘーグ陸戦条約3条は個人を損害賠償の主体に取り込んだ規定であると解釈するべきである。

イ ヘーグ陸戦条約及び同規則の国内法的効力・自動執行力について

(ア) 国内法的効力について

憲法98条2項は、条約の誠実遵守義務を規定していること、憲法前文が国際協調主義を採っていることなどから、条約をそのままの形で国内法として効力を有するものと解されている(いわゆる一般的受容)。国際法の国内法的効力は、大日本帝国憲法下においても慣行上、少なくとも「法規の性質を有する事項を内容とする条約」については認められてきたところである。

裁判所は、以上のとおりの憲法の要請を受け、条約規定を国家間の関係を規律する特殊な法として認識するのではなく、基本的に憲法・法律と同じものと認識しなければならない。

(イ) 自動執行性又は直接適用可能性

国際法規が補完措置を伴うことなくそのままの形で適用される場合、当該法規は自働執行的である(直接適用可能である)といわれる。

この自動執行性の判断について、被告国は<1>主観的要件(条約の作成等の過程の事情により、私人の権利義務を定め、直接に国内裁判所で適用可能な内容のものにするという締約国の意思が確認できるか否か。)及び<2>客観的要件(私人の権利義務が明白、確定的、完全かつ詳細に定められてい………(る)か否か。)を充足する必要があるとする。

しかし、そもそも、条約はその実施形態の決定を各締約国の政策判断に委ねるのを通常とするのであって、要件<1>を充たす条約はまずありえない。したがって、要件<1>は不要と考えるべきである。

条約の自動執行性の問題は、裁判における個人による憲法以下の国内法令の援用の可否と同種の問題である。すなわち、一般には、内容が不明確な条約規定は非自動執行的と分類できる。当該規定が特定の紛争を解決するための裁判規範として不適切だからである。ただし、求められる明確さの度合いは「明白、確定的、完全かつ詳細」である必要はない。現に、日本国憲法の人権規定の多くは「明白、確定的、完全かつ詳細」とは見受けられないが、それでも裁判において適用されてきている。立証の対象は、規定の「明確さ」というより「不明確さ」である。条約といえども国内法である以上、司法審査基準として用いるのに「完全」に明確であるかが問われるべきではなく、司法審査基準たりえないほどに不明確かどうかが問われるべきである。

(ウ) ヘーグ陸戦条約3条の国内適用可能性

以下、ヘーグ陸戦条約3条の規定内容が裁判規範たりえないほど「不明確」か否かについて検討する。この点、同条は交戦当事国の損害賠償責任を明記しており、その規定態様は国賠法1条や民法709条と文言の精度において遜色ない。そして、そこにいう「損害」とは、ヘーグ陸戦条約に違反する行為から生じた個人または財産に対する損害をいうところ、ヘーグ陸戦規則の禁止する行為は、国際慣習法上戦争犯罪を構成すると観念されるほど違法性が高く、構成要件としても特定された行為であるし、その損害賠償責任の主体及び範囲についても明記されている。そして、同規則52条(同条は占領地域における徴発と課役について定める。)からすれば、同規則が占領地の一般住民と占領軍軍隊との個別の関係を規律するものであることは明らかである。

以上検討したところによれば、ヘーグ陸戦条約3条には自動執行性を認めることができる。

もちろん、同条が個人の請求権を設定するものであっても、当該請求権を行使するための国際的手続が設定されていない以上、その実現は国際的には不可能である。しかし、それは請求権が存在しないということを意味しない。ヘーグ陸戦条約をはじめ、国際法は条約の履行方法まで立ち入らないのが一般的であり、国際法の具体的実施方法は各国の法制度によって決定される。そして、我が国は国際法をそのまま受容するという立場にあるから、同条を裁判所で行使することができるということができるのである。

ウ  いわゆる総加入条項について

ヘーグ陸戦条約2条は「交戦国が悉く本条約の当事者なるときに限」り同条約及び同規則を適用するといういわゆる総加入条項を規定する。しかし、本件当時、被告国及び中国政府ともに同条約を批准していたから、本件当時の被告国及び中国政府に同条約及び同規則が適用されることは明らかである。

仮に、総加入条項が字義どおりの効果をもっていたとしても、当時成文化されていた交戦法規(ヘーグ陸戦条約を含む)は、第1次世界大戦における経験を経て、第2次世界大戦当時、上記総加入条項の存在にもかかわらず、すでに国際慣習法の宣明となっていたため、本件当時、国際慣習法として被告国を拘束していたことは間違いない。これは、後にニュルンベルク及び東京で開かれた国際軍事法廷のような戦争犯罪裁判において明確に確認された見解である。

したがって、ヘーグ陸戦条約2条の解釈にかかわらず、本件当時の被告国に同条約及び同規則が適用される。

エ あてはめ

本件強制連行・強制労働の実施時期及び場所は、旧日本軍が事実上原告ら6名の国を侵略戦争によって軍事的制圧下に置いていた時期であり、その実施場所は交戦相手国の領土内であった。そこで本件は、占領地における軍の権力の行使が問題となる場合ということができる(ヘーグ陸戦規則43条)。そして、占領地(中国)の当時の国内法(例えば、中国刑法296条、300条、302条)に、軍人でもない一般文民(住民)を軍隊による物理的脅迫の下に強制的に居住地から連行し、強制労働のため国外に移送する行為が違反することは明らかである。

以上によれば、被告国による強制連行・強制労働は、ヘーグ陸戦規則43条及び52条に違反する。したがって、被告国は、同条約及び同規則によって損害賠償責任を負うことが明らかである。

第6ポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権を取得するかどうか

1 保護義務違反について

(1) 保護義務の発生

ア 被告国は、強制連行によって、原告ら6名を故郷・家族から引き離し、被告会社における過酷な強制労働による酷使と虐待の法律関係に就かせた。そして、確かに、ポツダム宣言受諾後、このような強制労働は中止された。しかし、強制労働の中止によって原告ら6名の保護の必要性が直ちに消滅したわけではない。未払賃金の支給、衣食等必要物資の支給、帰郷のための費用支給を含む期間措置の保障、傷病に対する手当や補償、強制連行・強制労働という犯罪行為に対する慰謝の措置、同犯罪行為によって破壊された生活関係の修復のための費用や措置の保障等、被告国がなすべき課題は山積みであった。このような状況下において、本件強制連行・強制労働の主体である被告国が、強制労働自体の中止後も、なお、原告ら6名に対する保護を尽くし、法律関係の清算にあたるべきであったことは当然である。

イ 降伏文書調印に基づく被抑留者開放と保護義務の成立

ポツダム宣言10項は戦争犯罪人を厳重に処罰すべきことを規定する。また、「降伏文書」は、日本帝国政府及び日本帝国大本営に対し、現に日本国の支配下にある一切の連合国俘虜及び抑留者………の保護、手当、給養及び指示された場所への即時輸送のための措置をとることを命ずると記載していた。

以上によれば、太平洋戦争遂行のため、国策として原告ら6名を強制連行し、強制労働に従事させた被告らは、降伏文書の調印とそれに伴う強制連行、強制労働の目的の消滅によって、ことがらの性質上(条理上)、当然に認められる原状回復義務として、原告ら6名に対し、必要な保護を行う一般的な作為義務がある。このことは、被告国自身、内務省主管防諜委員会幹事会等において確認していたところであった。

ウ 被告国は、昭和20年10月18日に、旧厚生省が中国人らの引揚援護業務に関する中央責任官庁に決定され、その業務を担当していたのであるから、同省の援護業務担当部局の職員が、上記保護義務を負っていたというべきである。そして、同職員や被告会社はいずれも、被告らがこのような保護義務を怠れば、原告ら6名の生命、身体及び財産上等の原状回復が確保されないことを、当然に予測できた。

(2) 保護義務の内容

ア 原状回復の必要性について

被告らによる強制連行によって、原告ら6名は、約1年間、その自由を奪われ、拘束された。原告ら6名は、これにより人生を大きく狂わされ、家族との関係を含めその生活の根幹がさまざまに傷つけられた。このような原告ら6名に対し、被告らが、強制連行・強制労働の終了に伴いなすべきことは、<1>賃金の支払その他、閣議決定とその附属諸規定で定めた各種の給付、<2>強制連行・強制労働そのものによる原告ら6名の肉体的、精神的苦痛の慰謝、<3>傷ついた原告ら6名の生活を現状に戻し、狂った人生に対し償いをすることの3点である。

イ 情報提供の必要性について

被告らが、上記(ア)の措置を法的に講じていくためには、前提となる強制連行・強制労働についての事実関係の詳細な把握が必要であった(連合国最高司令官一般命令第1号はこの趣旨の規定である。)。

ウ 具体的義務内容

被告らが、原告ら6名に対する保護義務に基づき、かつ以上の現実的必要性を満足させるためになすべき具体的義務の内容は、次のとおりである。<1>未払賃金の支払、人たるに足りるだけの衣食・必要物資の支給、<2>帰郷費用の支給を含む帰還措置、<3>傷病を負った原告に対する十分な治療や療養の給付と補償、<4>強制連行・強制労働による肉体的・精神的苦痛に対する慰謝、<5>破壊された生活を回復していくための、家族関係と家庭生活を修復していくための補償と敵国に対する労務の提供という非難に対する名誉回復のための措置、<6>強制連行・強制労働の経過と実情についての事実関係情報の提供である。

そして、昭和22年(1947年)5月3日、日本国憲法が、同年10月27日には国賠法が施行されたことによって、被告らによる上記の保護義務の履行の必要性は、著しく高められることとなった。

(3) 保護義務違反

ア 履行の欠如

被告らは、原告ら6名を着の身着のままの状態で、原告ら6名の故郷ではない塘沽等に送り届けただけで、上記各義務を履行していない。

イ 被告による「持帰金」の着服

原告ら6名に支払われるべきであった持帰金は、昭和20年10月の華人労務者送還に際し、政府の決定に基づいて、いったん横浜正金銀行天津支店に送金されたが、同支店閉鎖のため、未払となって以後、結局原告ら6名には支払われないままである。

2 新たな不法行為に基づく損害賠償請求権の取得について

(1) 「新たな不法行為」との理解の必要性

以下に述べるとおり、戦後、被告らは、共謀して、外務省報告書及び事業場報告書を焼却し、中国人被害者の遺骨を秘匿し、国会において虚偽の答弁を繰り返しただけでなく、事実を解明しようとする者に対する妨害行為まで行った。

これらの行為は、原告ら6名に対する単なる保護義務違反を構成するにとどまらず、原告ら6名に新たな損害を発生させてきた。これら行為の格別の悪質さと、これによる原告ら6名の被害の拡大及び被害回復について原告ら6名の権利行使が事実上不可能となってきた点を考慮すれば、被告らの行為は新たな不法行為と評価されるべきものというべきである。

(2) 新たな加害行為

ア 戦犯追及の回避を目的とした外務省報告書の作成

被告国は、連合国側、特に中国調査団への説明に備えるために、中国人強制連行・強制労働の実情調査を開始した。しかし、その実質的な目的は、中国人に対する強制連行・強制労働問題が戦犯事案として追求されることを予測し、これに備える点にあった。外務省報告書はこのような目的で調査・作成されたものだったのである。そのため、その内容は、実情を反映せず、中国人に対する殺人やひどい虐待といった真相を覆い隠したものとなっている。

以上の外務省報告書の作成目的に照らせば、原告ら6名に対する新たな不法行為の起点は、同報告書作成のための調査の開始そのものにあったということができる。

イ 証拠資料の隠滅等

(ア) 各種証拠資料の焼却処分

被告国は、戦犯追及のおそれがなくなるやいなや、強制連行・強制労働の関係者らに「戦時中の華人および朝鮮人に対する統計資料、訓令其他の重要書類の焼毀」を指示し、これは実施された。こうして、被告らは、強制連行・強制労働の具体的事実を解明すると共に、原告ら6名に対して情報を提供するべきであったにもかかわらず、かえって、すべての証拠資料を隠滅し、歴史上から抹殺しようとしたのであり、これらの加害行為は、宣誓の上のものではないとはいえ、証拠隠滅罪にも相当するべき極めて違法性の強い行為であるということができる。

(イ) 遺骨の秘匿

戦後間もない昭和25年(1950年)ころ、強制労働のなされた各事業場において、当時の犠牲者たちの遺骨が野ざらしにされていることが問題となった。被告らにとって、日本の各地からそのような遺骨が続々と出てくること自体、強制連行・強制労働の歴史上からの抹殺のためには避けたい状況であった。そこで、被告国は、これら遺骨を収集し、ほかの場所に移動させて「秘匿」した。

こうした被告らの行為は、墓地、埋蔵等に関する法律4条に違反するほか、刑法189条(墳墓発掘)、190条(遺骨損壊、遺棄)、191条(墳墓発掘遺骨損壊、遺棄)をも構成する犯罪行為である。

ウ 国会答弁における強制連行・強制労働の事実等の隠蔽

(ア) 外務省報告書の存在の否定

被告国は、昭和33年(1958年)ころ、外務省報告書の現存の有無について、自ら特別に派遣した調査員を再度召集し、作成の有無等の事情を調査することが容易にできたにもかかわらず、これをせず、ただ同報告書の存在を否定することに終始していた。

(イ) 強制連行・強制労働の事実の否定

また、被告国は、強制連行・強制労働の歴史的な事実自体についても、これを否定し続けてきた。そして、このような被告国の不当な対応は、外務省報告書の存在が公的に確認され、その成立の真正を認める現在においても、基本的に変わるところはない。

以上のとおりの被告らによる証拠隠滅行為は、原告ら6名の損害賠償請求権の行使を積極的に妨害するものであり、新たな加害行為として不法行為を構成する。

エ 加害企業に対する刑事制裁義務の懈怠

被告国は、強制連行・強制労働の実行者に対する刑事制裁義務を負っている。にもかかわらず、被告国は、現在に至るまでそのための何らの調査も行わず、訴追者としての義務を完全に怠っている。それどころか、被告国は、被疑者である加害企業に手厚い国家補償(現在の時価に換算した場合、少なく見積もって400億円、多く見積もれば1100億円相当)をなしている。

このような被告国の行為は、たんに刑事制裁義務違反であるにとどまらず、事実の究明と関係者の処罰及び謝罪を待ちわびてきた原告ら6名に、新たな精神的損害を加えるものである。

この点、確かに、刑事制裁義務違反は直ちに被害者に対する不法行為を構成するものではない。しかしながら、東京高等裁判所平成12年11月30日判決(いわゆる宋信道判決)は、「国家による犯罪捜査の遅滞、捜査の不開始は、特別の事情がない限り原則として犯罪被害者に対する不法行為となるものではない」とし、言い換えれば、「特段の事情」のある場合の不法行為成立の余地を事実上肯定している。

そして、本件における被告国の行為は、刑事制裁義務を負う者が、犯罪の唯一無二の証拠資料を被疑者と一緒になって隠滅し、証拠資料が公然化しないよう一貫してこれを隠匿し続け、更に国会答弁等の公式の場においても「犯罪」そのものを否定し続けたというものである。このような事情は、まさに上記裁判例のいう「特段の事情」にあたるということができる。

したがって、本件においては、刑事制裁義務の懈怠は原告ら6名に対する不法行為を構成する。

オ 本件訴訟における不当な応訴態度

被告らには、訴訟手続上誠実に応答するべき義務がある(民訴法2条)。そして、外務省報告書の存在が公的に確認され、かつ、これが証拠として提出されている本訴訟において、被告らは、当然、事実の認否が可能な状態にある。

にもかかわらず、本件訴訟において、被告国は事実の認否をせず、被告会社は、当初、「あえて争わない」とした事実について、第1審口頭弁論終結間近になって「『争う』と答弁する」という。このような訴訟態度は、55年という長年月の末にようやく訴訟の場にたどり着き、権利を行使することができた原告ら6名を愚弄し、その心を傷つける、きわめて不当なものである。こうした被告らの訴訟態度からは、紛争解決に向けた一片の誠意さえ認められず、これは、前記のとおり、戦争直後に証拠資料を隠滅した際の姿勢と同様の対応であると断じざるをえない。

原告ら6名は、このような被告らの一連の応訴態度によって、筆舌に尽くしがたい被害を受けただけでなく、被害事実そのものを闇に隠されてきた原告ら6名にとり、一体いつまで苦しめられ続けなければならないのかという形の新たな精神的損害を与え続けられている。したがって、このような被告らの応訴態度も新たな加害行為として、不法行為(民法709条、715条、719条)を構成する。

(3) 損害

以上のとおりの被告らによる新たな加害行為の結果、原告ら6名は、以下のとおりの損害を被った。すなわち、被告らによる強制連行・強制労働の事実の隠蔽によって、権利行使ができない状況に追い込まれ、また、本国帰国後も「敵国の協力者」として名誉を傷つけられ続けた。そして、被告らが、加害企業に対して手厚い補償を行い、また刑事制裁に関しては、どのような捜査も行わず、漫然と放置することで、原告ら6名の受けた被害は確実に拡大し、精神的損害を加え続けている。

第7本件当時の中華民国民法に基づいて、謝罪広告掲載請求権の取得について

1 法例11条により適用される中華民国民法195条1項によると、「不法に他人の身体、健康、名誉あるいは自由を侵害した場合は、被害者は非財産上の損害といえども、また相当の金額の賠償請求をすることができる。その名誉が侵害された場合は、併せて名誉回復のための適当な処分を請求することができる」。すなわち、同条後段によれば、不法行為が名誉侵害を伴う場合には、「名誉回復のための適当な処分」の請求が認められる。この処分の具体例としては、謝罪広告の掲載、謝罪状の交付、法廷での公開の謝罪、被害者勝訴の判決書の新聞掲載などであるが、わけても謝罪広告の掲載が最も典型的な処分とされている。

2 本件当時、原告ら6名の祖国中国は、日本軍の侵略を受けてこれと戦う15年にわたる戦争の最後の段階にあり、極めて厳しい状況下にあった。したがって原告ら6名にとって日本のために働くことは利敵行為であり、これを行うことを強いられることは耐えられないことであった。原告ら6名は約4万人の同胞とともにこれを強制されたばかりか、強制労働のための宿舎(たこ部屋)に収容され、衣食住などの最低限の生活条件も保障されず、消耗品扱いの文字通り残酷な強制労働をさせられた。これが原告ら6名の人格を全く省みない暴虐であったことは勿論であるが、そればかりでなはない。原告ら6名は、その名誉感情を害されただけでなく、客観的にも名誉は完全に蹂躙された。原告ら6名は、帰国後、同胞から厳しい指弾を受けざるを得なかった。それは同胞が日本と戦っているときに敵国日本に出稼ぎに行き、敵国日本のために働き、利敵行為をしてきたというものであった。これは全く誤解に基づくものであったが、同胞が被った被害が大きいだけに、また当時情報が少ないこともあって、この誤解は容易に解けなかった。そのような誤解のために、被害者である原告ら6名ばかりか、その家族親類まで不利益を受けた者もあるくらいである。

そして、このような誤解が、長期間・容易に解けなかったことの要因の一つは、日本が強制連行・強制労働の事実を認めないことにある。

3 したがって、原告ら6名は、中華民国民法195条1項により、「名誉回復のための適当な処分」の請求が認められる。そして、以上のとおりのいわれのない汚 名を原告らが回復するには、別紙(2)のとおりの謝罪文の公表と掲載を必要とする。

以上

別紙(4) 被告国の主張

第1不法行為について

1 本件における法例11条の適用可能性について

原告らは、被告国の中国人に対する強制連行・強制労働政策、及び同政策に基づき強制連行・強制労働に関与した個々の旧日本軍の軍人等が行った不法行為について、被告国は、法例11条1項により準拠法となる中国民法184条、185条及び188条に基づき損害賠償をすべき義務を負う旨主張する。

しかし、原告らの主張する被告国の行為は、国家の権力的作用であり、極めて公法的色彩の強い行為であって、国家の利害というものから切り離して考えることはできず、かかる行為について、私法の適用を認め、私法規定の抵触の問題と捉え、一般抵触法規である法例を適用することはできない。すなわち、公権力行使に伴う国家賠償という法律関係については、被告国の国家利益が直接反映される法律関係ということができるから、国際私法の適用対象とはならないと考えるのが正当である。

以上に加え、本件当時の大日本帝国憲法下においては、被告国の権力的作用について、私法である民法の適用はないとされ、これに基づく被告国の損害賠償責任は否定されていた。

このように、被告国の権力的作用について、一般私法である民法の適用が否定されるとする当時の法制度をみても、公権力の行使に伴う不法行為については、法政策上国家利益が直接反映され、一般私法と異なる領域に属する法律関係として理解されていたことは明らかである。

以上の検討によれば、公権力行使に伴う国家賠償という法律関係については、国家利益が直接反映される法律関係ということができ、公法の領域に属する法律関係として取り扱われるから、国際私法の適用対象とはならないと解するのが正当である。

2 法例11条2項による国家無答責の法理の適否

以上のとおり、本件に法例11条の適用はない。仮に、原告らの主張するように同条の適用があると考えたとしても、同条2項によって、不法行為の成立については不法行為地法と法廷地法とが累積的に適用される。

本件において、原告らの主張する行為は、法廷地である被告国の国家賠償法施行前の行為であるところ、大日本帝国憲法下においては、被告国の権力的作用に対しては民法の適用が排除され、また、これを規律する法令上の根拠もなく、被告国の損害賠償責任は認められていなかった(いわゆる国家無答責の法理)。

そして、その後、日本国憲法17条に基づいて制定された国家賠償法においても、その附則6項が、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定めたことからも、被告国の国家賠償法施行前の行為を理由とする本件請求は、損害賠償請求の根拠を欠くものである。

3 上記1の損害賠償請求権の消減の有無

仮に、本件において法例11条が適用されるとしても、同条3項の適用により、不法行為の効力について不法行為地法と法廷地法とが累積的に適用される。

そして、原告らは、昭和20年8月15日をもって労働の強制は終了したと主張するから、同日が不法行為の終期となり、原告らは、この時点で、自らの損害と相手方を認識していたということができるから、除斥期間の起算日は同年8月16日となる。そして、原告らの訴訟提起は、その主張にかかる不法行為の時から既に20年以上が経過した後にされたものであるから、法廷地法である民法724条後段によりその請求権が消減していることは明らかである。

4 小括

以上述べたように、本件において原告らが主張する被告国の行為は、国家の権力的作用に属し、極めて公法的色彩の強い行為であって、私法規定の接触として処理しうる対象ではない。したがって、法例11条の適用を前提とする原告らの主張はそれ自体成り立たず、仮に法例11条の適用があるとしても、原告らの主張する結論を導くことはできない。

よって、原告らの国際私法に関する主張はいずれも失当である。

第2安全配慮義務違反について

1 損害賠償請求権の成否(被告国は安全配慮義務を負っていたか。)

(1) 安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別の社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随的義務として当事者の一方ないし双方が相手方に対して信義則上負う義務である。この安全配慮義務違反は、不完全履行の一種と解されているから、債権者は、まず、履行が不完全であった事実(履行過程に関連する付随的義務の存在)を主張・立証しなければならない。しかも、安全配慮義務の成立が間題とされる法律関係は一様ではなく、被害発生の種類・態様も千差万別であるから、債権者は、被害発生の具体的状況等を踏まえて、その義務内容を特定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張・立証する必要がある。特に、安全配慮義務は信義則に根拠を置くものであり、その信義則は事件当時の信義則にほかならないから、結果が発生した具体的状況を明らかにした上で、結果の予見可能性及び回避可能性を検討し、さらに当時の社会情勢、技術水準等諸般の事情に照らし、債務者に当該義務を負わせるのが相当か否かという観点から義務の存否を決する必要がある。

そうすると、原告らの挙げる、<1>生命、健康を維持するに十分な食料を与え、<2>生命、健康を維持していける程度の労働条件で働かせ、<3>健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与える義務というものは、当時の技術やその他の社会的な諸事情に照らした具体的な内容ではなく、一般的で概括的かつ抽象的な内容にとどまるものであって、それだけでは、被告国が採るべき具体的な措置の内容が明確にされていないし、個別具体的な状況に即した主張ということもできない。したがって、原告らの主張は、そもそも安全配慮義務違反を問うに当たり不可欠な要件事実の主張を欠くものとして主張自体失当として棄却を免れない。また、被告国の安全配慮義務の具体的内容として、被告国が、中国から強制連行した中国人労働者の供給先の各企業に対し、原告らの挙げる上記<1>ないし<3>の義務を履行させるように命じる義務(すなわち各企業を通じて上記<1>ないし<3>の義務を履行させる義務)と解しても、そのような義務は国の行政作用としての一般的な労働者保護政策上の責務をいうものであって、そのような義務をもって、私法上信義則に基づく安全配慮義務の内容とすることはできない。したがって、原告らが仮に被告国の安全配慮義務の内容として、上記の趣旨で主張されているものであるとすれば、それは安全配慮義務とは無関係であり、原告らの主張は失当を免れない。

(2) また、安全配慮義務違反が債務不履行を理由とする損害賠償責任であるから、「ある法律関係」に基づく「特別な社会的接触の関係」とは、不法行為規範が妥当する無限定かつ社会的な接触関係を意味するものではなく、雇用関係ないしこれに準ずる法律関係が存することが必要である。さらに、安全配慮義務が、労務ないし公務遂行にあたって支配管理する人的及び物的環境から生じ得べき危険の防止について信義則上負担するものであるから、その成立が認められるためには、当事者間に事実上の使用関係、支配従属関係、指揮監督関係が成立しており、使用者の設置ないし提供する場所・施設・器具等が用いられ、これらの物的側面ないし労務の性質が、労務者の生命・健康に危険を及ぼす可能性がある場合等当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められることが必要である。

しかしながら、原告らの主張によれば、原告らは一方的に強制連行されたというのであるから、その社会的接触は強制連行という「事実行為」によって設定されたものであって、「ある法律関係」によって設定されたものではなく、さらに原告らが主張する事実によっても、被告国と原告らとの間に「雇用契約ないしこれに準ずる法律関係」があるとも、「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があるとも認めることはできない。

したがって、原告らと被告国との間には、安全配慮義務の前提となる「ある法律関係」に基づく「特別の社会的接触」関係は存在しないということができる。

第3国際法に基づく損害賠償請求権について

1 国際法における法主体性

(1) 個人の国際法主体性について

国際法は、国家間の権利義務を規定するものであり、国際法の法主体は原則として国家である。個人に国際法上の権利が認められるためには、特にその旨を条約で明確に定めることが必要であり、個人が自らその権利を行使するための国際法上の実現手続を保持し、当事者としての適格(請求の主体としての資格)が特別に認められている必要がある。したがって、単に国際法が個人の生活関係・権利義務を対象とする規定を置いたということから直ちに個人に国際法上の権利義務が認められたということはできないし、これによって個人が直接国際法上何らかの請求の主体となることが認められるものではない。このことは、ある国家が国際法に違反する行為を行ったことにより直接個人が被害を受けた場合も同様であって、その国家に対して国際法上の責任を追及できる主体が国家であることは当然である。

(2) 国際慣習法について

国際慣習法とは、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(1945年国際司法裁判所規程38条)をいうとされ、これが成立するためには、<1>諸国家の行為の積重ねを通じて一定の国際的慣行が成立していること(一般慣行)及び<2>それを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要である。そして、個人が、加害国に対し、加害国の行為が国際慣習法をも含む国際法に違反することを理由に、直接損害賠償を求めうるかに関しては、個人に係る請求であっても、これを国際的に提起する資格を持つのは国家であるとの原則は、今日の国際慣習法においても維持されており、裁判例においても個人の国際法主体性を認めた国際慣習法の成立は否定されている。

(3) そうすると、本件において、原告らには国際法主体性を認めることはできず、国際法を根拠とする原告ら個人の請求はそもそも認められないから、原告らの請求はこの点においてすでに失当であり、その余の点を検討するまでもなく、棄却を免れない。

2 国際法違反に関する主張

このように、本件について、原告らには国際法主体性を認めることはできず、国際法を根拠とする原告ら個人の請求はそもそも認められないが、念のため、原告らの挙げる幾つかの国際法規について検討する。

(1) へーグ陸戦条約3条及びへーグ陸戦規則違反の主張について

へーグ陸戦条約3条は、同条約及び同規則に違反した交戦当事国がそれによって発生した損害を賠償する責任について規定したものであるが、その責任の履行として個人に損害賠償請求権を認めたものではない。そのことは、へーグ陸戦条約の趣旨・目的、文理解釈、起草過程からの解釈などから明らかである。

(2) ILO第29号条約違反、奴隷条約違反の主張について

ILO第29号条約、奴隷条約については、いずれも、個人の加害国に対する損害賠償請求権を根拠づける規定はなく、個人に対して加害国に対して直接損害賠償請求ができる法主体を認めたものということはできない。

(3) 人道に対する罪違反の主張について

原告らが主張する「人道に対する罪」は、違反行為者個人の国際刑事責任が追及されるという効果を有するにすぎず、違反者個人の所属する国家の民事的責任を基礎づけるものではない。ましてや加害国に対する損害賠償請求ができる法主体性を個人に認めたものでもない。

第4ポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び新たな不法行為について

1 原告らのポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権の主張は、それ自体漠然として行為及び行為者も不特定、不明確であるだけでなく、原告ら主張の事実と原告らとの関係さえ何ら具体的に明らかにされていない。したがって、主張自体失当である。

また、降伏文書の規定は、連合国が被告国に対して命令した政治的方針であって、その規定をもって被告国が原告らに対して法的義務を負ったとすることもできない。

2(1) また、原告らの主張が民法の適用を前提としているのであれば、そもそも法的根拠を欠くものというほかない。すなわち、原告らが、国家賠償法施行前の公務員の行為を問題とするのであれば、前記のとおり、同法施行前においては、国の権力的作用に基づく行為については、民法の適用が排除され、国が損害賠償責任を負うことはない。原告らが同法施行後の公務員の行為を間題としているとしても、同法施行後においても、公権力の行使に基づく損害賠償責任の領域に民法の適用がないことには変わりはない。したがって、民法709条、715条、719条に基づく請求は失当というべきである。

(2) 仮に、原告らの主張のうち国家賠償法施行後の行為に関する部分は、同法1条に基づく主張であると善解したとしても、被告国に原告ら等に対する保護義務違反を認めることはできない。

ア そもそも国家賠償法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、個別の国民等に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民等に損害を与えた場合に、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずることを規定したものであり、国自身が加害行為者となる不法行為の類型を想定するものではない。したがって、同条項に基づき損害賠償を請求するためには、まず加害公務員とその行為を特定した上で、当該公務員が当該国民等に対して、個別具体的に、いかなる内容の職務上の法的義務を負担しているか、その義務に違反して損害を与えたかについて判断する必要がある。

イ また仮に、原告ら主張のように、被告国に原告ら等に対する保護義務を認定するとしても、その内容は、敗戦国である我が国の社会、経済情勢、技術水準等、当時の諸般の事情を踏まえ、個々の原告ごとの状況を具体的に検討し、当時、我が国が原告らが主張するような何らかの具体的な対応が容易であり、これを行うことが原告ら個々人に対して、法的な義務として想定される程度のものであったかが検討されなければならない。

ところが、原告らの主張する義務内容は、終戦直後の敗戦国の混乱状況の下における事情を十分に検討したものではなく、当時の保護義務に係る主張としては失当である。

3 また、原告らは、被告国が行った不法行為として、ILO29号条約25条の強制労働を強要した被告会社の関係者に対する刑事処罰義務違反についての不作為を挙げる。

原告らがかかる不作為に民法の適用を主張することが失当であることは前記のとおりであり、また、国家賠償法1条1項の適用となっても、同条項の要件には該当しない。すなわち、国家賠償法1条1項の違法性が認められるためには、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を与える必要があるが、ILO29号条約25条に基づく国家の義務は、他の締約国に対して負うべきものであって、被害者個人との関係で負担する義務ではない。

したがって、原告らの主張は失当である。

第5日中共同声明、サン・フランシスコ平和条約について

1 我が国政府の「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(以下「日中共同声明」という。)についての見解は、いわゆる強制連行・強制労働問題を含めて、先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の間題については、「日本国との平和条約」(以下「サン・フランシスコ平和条約」という。)その他二国間の平和条約及びその他関連する条約等に従って誠実に対応してきているところであり、これら条約等の当事国との間では法的に解決済みであって、日本と中国との間の請求権の間題についても、1972年(昭和47年)9月29日に署名された日中共同声明(同声明5項は、「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とされている)発出後、個人の請求権の間題も含めて存在しておらず、このような認識は、中国政府も同様であると認識しているというものである。

2 サン・フランシスコ平和条約について

また、サン・フランシスコ平和条約14条(b)では、「連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する。」と規定された。この14条(b)の請求権の放棄の意味解釈について、条約締結当時の経過からすれば、「請求権の放棄」とは、日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして、これを拒絶することができる旨が定められたものと解すべきである。

3 まとめ

以上から明らかなように、日中間においては個人の請求権の問題が解決されていないと解するのは失当である。日華平和条約11条及びサン・フランシスコ平和条約14条(b)により、中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は、中国によって放棄されている(日中共同声明5項)。したがって、このような請求権は、サン・フランシスコ平和条約の当事国たる連合国の国民の請求権と同様、国家によって「放棄」されており、これに基づく請求に応ずべき法律上の義務は消減している。したがって、原告らの請求は、かかる観点からも認容される余地がない。

以上

別紙(5) 被告会社の主張

第1不法行為について

1 法例11条の適用の有無(中華民国民法が適用されるか。)

被告国の主張を援用する。

2 損害賠償請求権の成否

争う。

3 原告ら6名の使用の回避可能性の不存在ないし社会的相当性

(1) 従来の私人の国際法主体性、国家責任の法理によれば、被告国は、原告らの請求について、最終的に法的責任を免れることとなる。それにもかかわらず、国家総動員法の下、企業統制、経済統制がなされた状況において、戦争遂行のための国策に協力させられた被告会社だけが、原告らの請求を免れないという結論は、以下に述べるとおり、あまりに条理に反する。

(2) 被告会社は、前述のとおり、国家総動員法の下、被告国の国策に協力させられたものである。

原告らの主張によれば、昭和17年11月27日の「華人労務者内地移入に関する件」についてと題される閣議決定が本件の出発点となっており、これは内務省、厚生省等の主導の下に行われた。そして、移入方法として、旧日本軍による中国人民衆の、「労工狩り」、「兎狩り」といった無差別強制拉致の実行がなされた。その後に続く中国人労働者の内地移入が日本軍による強制連行であり、我が国においても事業所での管理は警察などが行うように定められていたとされる。

以上のことからすれば、被告会社の行為は、当時においては合法的であり、「社会的に相当な行為」だったのであり、または「不可抗力」であったといわなければならない。

(3) また、戦争は、国家間で行われる紛争であるから、その反射的行為として、戦争に関する損害の賠償も、国家と国家の間で解決されるべきである。そして、一般に、戦争は国の存亡に関わる非常事態であり、そうした状況下においては、国民の生命、身体及び財産に関する戦争犠牲又は戦争損害は、国民が等しく負担しなければならないものであった。加えて、このような戦争犠牲及び戦争損害は、憲法の予想しないところでもある。

この点、原告らの主張する損害は、いわゆる戦争賠償の典型的なものである。

(4) 以上によれば、被告会社は、総力戦下において、社会的に相当な行為(被告国の中国人移入政策への協力あるいは避けがたい行為)をしたにすぎないのであり、被告国と同様、損害賠償を負うべき理由はない。

第2安全配慮義務違反について

1 安全配慮義務の不存在

労働契約における付随義務としての安全配慮義務は、昭和22年5月3日の日本国憲法の施行及びこれに伴う労働者保護の思想の革命的な変容並びに生存権の確立、同年9月1日の労働基準法の施行などを背景として立法された労働安全衛生法の施行(同47年10月)を歴史的背景とする。そして、安全配慮義務の理論が判例上確立したのは、同50年2月25日のいわゆる陸上自衛隊八戸車両整備工場事件においてである。

これに対し、本件当時は、大日本帝国憲法下の出来事である。本件当時、刑法又は不法行為法上の一般的な問題として、他人の生命・身体を害してはならないとの規範は存在していたが、労働契約上の付随義務としての安全配慮義務が存在していたとは考えられない。

2 原告らの主張の不明確性

安全配慮義務違反を主張するにあたっては、

<1> 生命、健康等を侵害されたと主張する者ごとに、結果が発生した具体的状況

<2> 当該具体的状況の下における当該結果発生の予見可能性及び回避可能性

<3> 法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らして、当該結果発生を防止する措置を採ることを義務づけるのが相当であったかどうかといった事情を、具体的に明らかにしなければならない。

にもかかわらず、原告らの主張は、一般的・抽象的な安全配慮義務違反の主張にとどまって、これらの事情は全く明らかにしていない。このように、被告会社が負担するという安全配慮義務の具体的内容が特定されず、これに対する具体的な違反行為及び結果も特定されていない原告らの主張は、主張自体失当である。

3 安全配慮義務違反の不存在

仮に、同義務の存在が認められるとしても、被告会社に、同義務の違反はなかった。すなわち、本件において、食料、労働条件又は衛生状態がどの程度に達していれば、生命・身体を維持するのに足りたかは、本件当時の社会情勢に照らして判断するべきである。そして、原告らが主張する、被告会社における諸条件は、現在との対比で見た場合は確かに劣悪と評価されてもやむをえない。しかし、本件当時においては、日本国中が、十分とまではいえない食料で、長時間の肉体労働をし、毎日入浴することは難しいなどといった、原告ら6名と大差ない状態であった。加えて、被告会社は、原告ら6名の労働によって成果を上げなければならない立場にあったのだから、ことさらに原告ら6名の生命・健康を損なうようなことをする理由はない。

以上のことからすれば、被告会社には同義務違反はなかったというべきである。

第3賃金支払請求権または同額の不当利得返還請求権について

争う。

第4消滅時効の援用ないし除斥期間の経過による請求権の消滅について

仮に、被告会社が、原告らに対して不法行為ないし安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務、賃金支払債務ないし不当利得返還債務を負うとしても、これら債務はすべて、以下のとおり、消滅時効の完成ないし除斥期間の経過によって消滅している。

1 不法行為債務について

(1) 法例11条3項による民法724条の累積適用については被告国の主張を援用する。

本件について、民法724条の消滅時効・除斥期間を適用すると、次のとおりの結論となる。まず、起算点については、原告らの主張によれば、被告会社による原告ら6名の強制連行・強制労働が終了したのは、昭和20年8月15日である。原告ら6名はこの時点で自らが受けた損害及び加害者を知っていたと認められる。したがって、消滅時効・除斥期間の起算点は、いずれも同20年8月16日である。そうすると、同日から3年が経過した同23年8月15日の経過によって消滅時効が完成し、また、20年が経過した同40年8月15日の経過によって除斥期間が経過したものとなる。そして、被告会社は、本件第1回口頭弁論期日において、上記時効を援用するとの意思表示をしたから、被告会社の不法行為債務は消滅時効の完成ないし除斥期間の経過によって既に消滅している。

また、本件当時の中華民国民法によっても、上記債務の消滅時効は完成している。

なお、原告らの主張は、結局のところ、不法行為に基づく損害賠償請求権の存否、行使の可否に関する被害者の認識いかんや被害者の一身上の事情等による請求権行使に対する事実上の障害を主張するものにすぎず、認められない。

(2) これに対し、原告らは時効援用が原告ら6名を害すること、権利濫用にあたること、除斥期間の適用の排除・制限を主張する。しかし、被告会社には原告らを害する目的はない。権利濫用の主張については、これが認められるためには、債務者が積極的に債務履行に向けた行為を示すなどの一定の行為をしたことによって債権者が時効中断の措置を採らなかったこと及びそれがやむをえないと評価され、ひいては、債務者による時効の援用が道義に反し、社会的に許容されない不当な行動と認められる場合である必要があるが、被告会社にこのような事情は全く認められない。除斥期間の主張については、被告国の主張を援用する。

以上の次第であるから、原告らの主張はいずれも失当である。

2 安全配慮義務に基づく損害賠償債務、賃金支払債務ないし不当利得返還債務について

上記各債務は昭和20年8月16日に発生しているから、同日から10年の経過によって時効が完成している。被告会社は不法行為に基づく債務と合わせて上記のとおり時効を援用した。被告会社による消滅時効の援用が権利濫用とならないのは上記1(2)のとおりである。

なお、原告らは、平成10年2月19日をもって、賃金支払請求権の消滅時効の中断を主張するが、消滅時効完成後に、消滅時効の進行を中断することなどありえないから、主張自体失当である。

第5ポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び新たな不法行為に基づく損害賠償請求権の有無

争う。

第6本件当時の中華民国民法に基づく謝罪広告掲載請求権の有無

第1に、原告らの主張によれば、原告ら6名が受けた「名誉の侵害」は、いずれも中国民衆によるものである。第2に、原告らの主張が、被告国が強制連行・強制労働の事実を認めないことが、中国民衆による原告ら6名の「名誉の侵害」を起こしたというのであれば、これもやはり被告会社とは無関係なものである(なお、被告会社は、終戦当時から現在まで、強制連行・強制労働の事実を否定も肯定もしていない。)。第3に、原告ら6名が中国民衆から受けたいわれなき指弾は、原告ら自ら「全く誤解に基づくものであった」とし、「当時情報が少ないこともあって、この誤解は容易に解けなかった」と過去形で述べているとおり、現在まで継続している事態ではない。実際にも、賢明なる中国民衆が、現在に至るまで原告ら6名をして利敵行為をしてきたと指弾し続けているとはとうてい考えられないし、戦時下という異常かつ混乱の中で、原告ら6名が諸般の事情によって、やむなく日本に赴かざるをえなかったことについて、中国民衆の間においても理解が定着しているものと思われる。

以上によれば、原告らの請求は、すでに回復した名誉について謝罪広告の請求を求めるものであり、失当である。

第7日中共同声明による請求権の放棄について

被告国と中華人民共和国との間で、昭和47年9月29日に結ばれたいわゆる日中共同声明5項は、「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と定める。平和条約は、すべての紛争を同時にかつ最終解決するものでなければ、その目的を達せず、かえって新たな紛争を生起させることになる。仮に、民間賠償が条約の規制範囲外であると解すれば、同条約は、紛争を解決したことには全くならず、新たな紛争の種を宿すことになりかねない。国家は、国民の権利を消滅させることはできず、その外交保護権を放棄できるだけとの考え方は、戦争賠償・戦争被害の問題については、全く妥当しないのである。以上によれば、日中両国政府は、日中共同声明において、民間賠償の放棄も含めた最終的解決を目的として、これを締結したと考えられる。したがって、原告らの請求権は、日中共同声明により放棄されているというべきである。

以上

別紙(6) 「華人労務者内地移入に関する件」

第1方針

内地における労務需給、特に重筋労働部面における労力不足が著しい現状にかんがみ、大東亜共栄圏建設の遂行に協力させるため、華人労務者を内地に移入する。

第2要領

1 本方策によって内地に移入する華人労務者は、国民動員計画産業中、鉱業、荷役業、国防土木建築業及びその他の工場雑役に使用することとするが、さしあたり重要な鉱山、荷役及び工場雑役に限る。

2 移入する華人労務者は、主として華北の労務者とするが、事情によって、その他の地域からも移入することができる。ただし、緊急要員については、なるべく現地において使用中の同種労務者ならびに訓練している俘虜、帰順兵であって素質優良な者を移入する方途も考慮する。

3 移入する華人労務者の募集又はあっせんは、華北労工協会に、新民会その他の現地機関との連携のもと、あたらせる。

4 移入する華人労務者は、年齢約40歳以下の男子であって、心身健全な者を選抜することにし、家族は同伴させない。

5 華人労務者及びその指導者は、移入に先立って一定期間現地の適当な機関において、必要な訓練をする。

6 華人労務者の使用を認められる事業場は、華人労務者の相当数を集団的に就労させることができることを条件とし、関係庁が協議の上選定する。ただし、華人労務者を供給業者に取り扱わせることは原則として認めない。

7 華人労務者の契約期間は、原則として2年とし、同一人を継続して使用する場合には、2年経過後の適当な時期に希望によって一時帰国させる。

8 華人労務者の管理に関しては、華人の慣習に急激な変化を来さないよう、特に留意する。

9 華人労務者の食事は、米食とはせず、華人労務者の通常食を給仕することとし、この食料の手当については、内地において特別の措置を講じる。

10 労務者の所得は、支那現地において通常支払われるべき賃金を基準とし、残留家族に対する送金をも考慮して定める。

11 華人労務者に移入の時期、員数、輸送、防疫、防諜、登録その他移入に必要な具体的細目については、関係庁と協議した上で決定する。

12 華人労務者の家族送金及び持帰金については、原則として制限を付さないこととし、本方策の実施によって日支間国際収支に重大な影響を及ぼすような場合には、可能な範囲内で、内地から支那向けの適当な裏付物資の給付について考慮する。

第3措置

本方策の実施にあたっては、その成否の影響が大きいことにかんがみ、別に定めた要領によって試験的に行い、その成績によって暫時本方策の全面的実施に移るものとする。

以上

別紙(7) 華人労務者内地移入に関する件第3措置に基く華北労務者内地移入実施要領

華人労務者内地移入に関する件第3措置に基く第1次移入は概ね左記要領によるものとする。

1 産業種別ならびに供出期間

産業種別は荷役業及び炭鉱業とし、移入は現地及び内地における準備の完了をまってできる限り速やかに行う。

2 員数

荷役業・炭鉱業とも  第1次 各500名

3 供出方法

供出あっせんは、華北労工協会にあたらせることとし、第一次の供出は左記の方法による。

荷役業  華北運輸会社において訓練した者を根幹として編成させる。

炭鉱業  炭鉱中、内地に同一系統の炭鉱を経営する鉱業会社に、内地における炭鉱に就労させることを条件として、把頭を中心に編成させる。

4 契約期間

契約期間は満1か年とする。

5 経費

移入に要する一切の経費は、使用者の負担とし、労務者の賃金から控除しない。

1人あたりの費用概算及び内訳はおおがね左のとおりである。

募集費   50円

支度金  130円

安家費  150円

計   330円

ただし、右のほか集結地から就労地までの輸送費実費は使用者の負担とする。

6 使用条件

(1) 使用者は、現地から派遣するべき日系指導員を移入労務者の直接の責任者として連絡世話にあたらせる。

(2) 移入労務者の編成ならびに作業組織等については、業者間において、それぞれ協議するべきであるが、作業(に)関する命令は、日系指導員及び華系最高責任者(把頭)を通して発することとし、華人労務者に対する直接の命令は厳に慎むこととする。

(3) 移入労務者は、必ず集団的に就労させ、かつ、日本人及び特に朝鮮人労務者とは作業箇所を厳に区別する。

(4) 住宅は、湿気予防に特に留意の上、朝鮮人労務者住宅と接触しないように一廊を画して設置する。

(5) 主要食料品(小麦粉・栗・玉蜀忝・高梁等)及び特殊嗜好品(ごま油・落花生油・ニンニク・白酒等)の手当については、内地関係機関の責任においてこれを調達する。賄い方法については、業者間においてそれぞれ協議する。

(6) 慰安所ならびに娯楽施設について、適当な施設を講じる。なお、慰安所の設置に関しては、別途関係庁において協議するべきであるが、これに要する経費は、使用者の負担とする。

(7) 四大節のほか、旧正月3日ならびに端午節、仲秋節各1日は、必ず公休日の取扱いをすることとする。

(8) 賃金については、業者間においてそれぞれ協議すべきであるが、概ね毎月の家族の送金30円及び食費支弁のほか、帰還時における持帰金150円程度を最低保証とし、能卒(ママ)増進を図るため、出来高払制度を併用することとする。ただし、日系指導員、華系責任者(把頭)及び世話人については、業者間において協議する。

(9) 就業時間は内地の例による。

(10) 作業用品支給方法ならびに諸手当、諸奨励金、保健衛生・保護・救済その他については業者間においてそれぞれ協議する。

(11) 契約期間満了後、原則として使用者は旅費実費を負担し、移入労務者を集結地まで送還する。疾病その他の理由により就労を継続することができない状態に至った労務(者)についても、同様としなければならない。

(12) 使用者は、華系責任者及び世話人等を通し、移入労務者に、真に日本の偉大さを認識させるよう留意する。

7 移入労務者は、海路輸送することとし、その配船は内地関係機関においてする。ただし、輸送途中において、不慮の災害のため生じるべき経費に関しては別途考慮する。

8 移入労務者の管理事務の連絡にあたらせるため、就労(?)地に華北労工協会職員を駐在させる。

9 移入労務者に対しては、華北労工協会において労工証(対満労務者に対するものと同じ。)を発給し、これをもって労務者の身分証明書とする。

以上

別紙(8) 華人労務者内地移入の促進に関する件

昭和17年11月27日閣議決定に係る「華人労務者内地移入に関する件」によって実施しつつある試験移入の成績は、おおがね良好であることから、本件第3措置に基づいて、左記要領によって本格的移入を促進することとする。

第1通則

1 本件によって内地に移入する華人労務者(以下単に「華人労務者とする。)の供出又はそのあっせんは、大使館、現地軍ならびに国民政府(華北からの場合は華北政務委員会)指導の下に、現地労務統制機関(華北からの場合は華北労工協会)にあたらせる。

2 華人労務者は、訓練しているもと俘虜又はもと帰順兵の外、募集による者とする。

前項の労務者は年齢約40歳以下の男子であって素質優良、心身健全な者を選抜することとするが、できる限り30歳以下の独身男子を優先的に選抜するよう努力する。

3 華人労務者は、移入に先立って、できる限り一定期間(1か月以内)、現地の適当な機関において必要な訓練をなさしめる。

移入未経験労務者については、内地においても、これを使用する工場事業場が、必ず一定期間は必要な訓練をなさしめる。

4 華人労務者は、国民動員計画産業中鉱業、荷役業、国防土木建築業及び重要工業その他特に必要と認められるものに従事させることとする。

なお、就労地についてはできる限り分散させないように留意する。

5 華人労務者の契約期間は、原則として2年(ただし、往復途中の日数を含まない。)とし、同一人を継続使用する場合は、2年経過後適当な時期に、希望によって一時帰国させる。

6 華人労務者は、毎年度国民動員計画に計上し、計画的移入を図ることとする。

7 華人労務者に対する取扱い及び待遇に関しては、その民族性を考慮し、特に注意を払うとともに、業種又は就労地によって著しく差等を生じないようにする。

8 華人労務者の家族送金及び持帰金については、原則として特別の制限を付さない。

第2使用条件

1 華人労務者の使用を認められる工場事業場(以下単に工場事業場という。)は、華人労務者の相当数を集団的に就労させることができることを条件とし、関係庁と協議の上、厚生省がこれを選定する。

移入に関する細目手続は、別に定めるところによる。

2 華人労務者の管理については、特に左の諸点に留意の上、華人の慣習に急激な変化を来さないようにする。

(1) 工場事業場は、現地から同行した日系指導員を華人労務者の直接責任者として、この者に連絡世話にあたらせる。

(2) 華人労務者の使用にあたっては、できる限り供出時の編成を利用するようにし、かつ、作業に関する命令は、日系指導員及び華系責任者(隊長又は把頭)を通じて発することにし、華人労務者に対する直接の命令は厳に慎む。

(3) 華人労務者の作業場所は、朝鮮人労務者又は俘虜とは厳に区別する。

(4) 就労地到着後は十分な休養を与えた上で就労させる。

(5) 住宅は、湿気予防に留意の上、朝鮮人労務者住宅と近接しないように一廊を画して設置する。

(6) 食事は、できる限り華人労務者の通常食を給仕することとする。この食料の手当については、農商省において特別の措置を講じる。

(7) 慰安所ならびに娯楽施設については、工場事業場において適当な施策を講じる。

3 華人労務者の賃金は、内地における賃金を標準とするが、内地と現地の賃金及び物価の間に著しい格差がある実情であるから、残留家族に対する送金及び持帰金を確保するため、所要の措置を講じる。

賃金・手当その他の給与の具体的細目及びその支払方法、防疫、保険、衛生保護救済等については、別に定める。

4 就労時間は内地の例による。

5 四大節のほか、旧正月3日ならびに端午節、仲秋節各1日は、必ず公休日の取扱いとする。

第3移入及び送還方法

1 移入及び送還に要する経費は、労務者の賃金から控除しないこととし、原則として工場事業場の負担とするが、さしあたって必要とする場合は、国家補償等適当な方途を講じる。

2 華人労務者の輸送は、日満支関係機関において手配することとする。

3 華人労務者は契約期間満了後は、工場次号場において原則として集合地まで送還する。疾病その他の理由によって就労を継続することができない状態に至った労務者についても同様としなければならない。

第4その他

1 工場事業場は、華人労務者の防諜ならびに逃亡防止について、特段の配慮をしなければならない。

2 工場事業場の職員を指導員として、現地において訓練するために適当な措置を講じる。

訓練完了した指導員は、順次円滑に現地から同行させた日系指導員と交替させることとする。

3 華人青少年の内地における委託養成に関する措置については、別に定める。

4 国家補償の方法及び限度等については、別に定める。

以上

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