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京都地方裁判所 平成10年(ワ)2254号 判決 2002年9月11日

主文

1  被告B1、同B2、同B3は、各自、原告A1に対し2679万7240円、原告A2、同A3、同A4に対しそれぞれ1782万6253円及びこれらに対する平成7年8月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告らの被告B1、同B2、同B3に対するその余の請求及び被告B4に対する請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用中、原告らに生じた費用の3分の2、被告B1、同B2、同B3に生じた費用の各3分の2、及び被告B4に生じた費用はいずれも原告らの連帯負担とし、原告ら及び被告B1、同B2、同B3に生じたその余の費用はいずれも被告B1、同B2、同B3の連帯負担とする。

4  この判決は、第1項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告らは、各自、原告A1に対し9222万3960円、その余の原告らに対しそれぞれ2407万4653円及びこれらに対する平成7年8月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(以下「暴対法」という。)により指定暴力団の指定を受けている暴力団の3次組織の組員が、対立する暴力団事務所の前で警戒中の警察官を組員と誤認して射殺したことから、誤殺された警察官の遺族が、上記誤殺は暴力団抗争の過程で敢行されたと主張し、実行犯2名、実行犯の直属組長、さらに、その系列最上位の指定暴力団組長に対し、使用者責任等を根拠に損害賠償を請求する事案である。

1  基本的事実(以下の事実は、いずれも当事者間に争いがないか、証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる。)

(1) 被告ら

被告B4は、暴対法3条所定の指定暴力団の指定を受けた五代目山口組(本部・神戸市内)の組長、Cは山口組直参組員、被告B1はCが組長である暴力団藤和会(事務所・大阪市北区)の組員、被告B2は被告B1が組長である暴力団山下組(事務所・京都市山科区)の組員、被告B3は山下組組員Dの組織する山強会の配下として、山下組組員と行動を共にしていた者である。

(2) 祇園事件の発生

平成7年8月24日(以下、特に断らない限り、年月日は平成7年である。)午後11時19分頃、山下組組員E(組長代行、以下「E」という。)、同組組員F(舎弟、以下「F」という。)及び二代目山崎組の元副長G(以下「G」という。)の3名が食事に出た先の京都市内の繁華街祇園で、指定暴力団会津小鉄の直参(小頭)である山浩組組長H(以下「H組長」又は「H」という。)、同じく河村組組長I(以下「I組長」又は「I」という。)、長谷川組組長J(以下「J組長」又は「J」という。)の3名と出会って挨拶を交わした際、FがIの態度に立腹し、拳銃を発砲してH組長の左腕に重傷を負わせ、EもFの発砲した流れ弾により負傷した(以下「祇園事件」という。)。

(3) 本件誤殺事件の発生

被告B2は、翌8月25日午前4時13分ころ、被告B3の運転する乗用車(山下組若頭登録名義)で京都市甲区乙町丙番地先山浩組事務所付近に乗り付け、同事務所前で警戒配備の職務についていた京都府警下鴨警察署巡査部長K(昭和26年3月15日生、以下「K警察官」という。)を山浩組組員であると誤認して拳銃3発を発射し、そのころその場で、大動脈損傷、右外側上胸部盲管銃創による失血より死亡させた(以下、「本件誤殺事件」ないし「本件誤殺行為」という。)。

(4) 原告らの身分関係

原告A1は、K警察官の妻、その余の原告らは同警察官の子であり、法定相続分に従って同警察官の権利すべてを相続した(なお、原告らは、他の相続人である子1名から原告らの法定相続分に従い相続分の譲渡を受け、譲渡人である当該相続人1名は、別途、固有の権利である遺族共済年金、遺族基礎年金の受給権を行使することで合意している。)。

(5) K警察官の死亡による公的給付等

ア 京都府退職手当金  1905万4332円

イ 遺族共済年金(警察共済組合から)

平成 7年9月分から平成 8年3月分  41万5622円

平成 8年4月分から平成 9年3月分  71万2496円

平成 9年4月分から平成10年3月分  71万2496円

平成10年4月分から平成11年3月分  72万5165円

平成11年4月分から平成12年3月分  72万9388円

平成12年4月分から平成13年3月分  72万9388円

ウ 遺族基礎年金(社会保険庁から)

平成 7年9月分から平成 8年3月分  76万5800円

平成 8年4月分から平成 9年3月分 131万2800円

平成 9年4月分から平成10年3月分 123万7500円

平成10年4月分から平成11年3月分 125万9496円

平成11年4月分から平成12年3月分 126万6996円

平成12年4月分から平成13年3月分 103万5600円

エ 公務災害遺族補償年金(地方公務員災害補償基金から)

平成 7年9月 から平成 8年5月分 552万5175円

平成 8年6月分から平成 9年3月分 613万9082円

平成 9年4月 から平成10年3月分 683万9500円

平成10年4月 から平成11年3月分 697万3700円

平成11年4月分から平成12年3月分 710万7800円

平成12年4月分から平成13年3月分 646万7199円

オ 公務災害葬祭補償金  120万2760円

カ なお、遺族共済年金、遺族基礎年金、公務災害遺族補償年金は、各年度(4月から翌年3月)ごとに6回に分けて支払われ、第1期分が6月に支払われ、以後、8、10、12、2、4月に支給される。

2  争点

(1) 被告B1の責任

ア 被告B1に、山下組組長として、被告B2らの本件誤殺行為の発生を防止すべき義務に違反した不法行為(民法709条、719条1項)が成立するか。

イ 本件誤殺行為について、被告B4に民法715条の適用のあることを前提に、被告B1に同B4の代理監督者責任(民法715条2項)が成立するか。

(2) 被告B4の責任

ア 本件誤殺行為が、被告B4の事業執行と密接に関連する行為として、同被告に使用者責任(民法715条1項)が成立するか。

イ 被告B4に、本件誤殺行為と相当因果関係を肯定すべき幇助行為(民法719条2項)が存するか。

ウ 被告B4に、山口組組長として、被告B2らの本件誤殺行為の発生を防止すべき義務に違反した不法行為(民法709条、719条1項)が成立するか。

(3) 損害(過失相殺、損益相殺)

3  責任論についての当事者の主張要旨

(1) 原告ら

原告らは、本件誤殺事件の実行犯である被告B2、同B3に対し、共謀のうえ、殺意をもってK警察官を殺害したものとして、民法709条、719条により損害賠償を求めるほか、同被告らの直属組長である被告B1、さらに、組織上最上位にある指定暴力団山口組組長である被告B4の責任を問うものであるが、その根拠としては、いずれも民法709条、719条、715条を主張するものであり、その要旨は以下のとおりである。

ア 山口組の組織について

暴対法3条の指定暴力団に指定されているとおり、山口組は、組長である被告B4を頂点として、同被告及び同被告と盃事を交わして親子・兄弟の擬制的血縁関係を結んだ各直参(以下「直系組長」という。)が1次組織を構成し(以下、便宜「総本部」ないし「本部」という。)、さらに、各直系組長が下部組織組員と盃事を交わして親子・兄弟の擬制的血縁関係を結んで2次組織を構成し、以下同様に3次、4次、5次組織(以下、2次組織以下を「傘下組織」という。)を構成し、これら各組織がそれぞれ一定の独立性を保ちつつ、被告B4を頂点とする巨大なピラミッド型組織の中に階層的に統制され強固に結合した単一の組織である。ちなみに、暴対法4条は「指定暴力団連合の指定」を規定しているが、兵庫県公安委員会は、山口組の実態に即し、同法3条の階層的構造を有する指定暴力団に指定している。このようにして成立している山口組は、本件誤殺事件前の平成7年2月15日現在において、1都1道2府38県に組員2万3100名の勢力を有しており、わが国最大の暴力団である。

イ 本件誤殺事件と民法715条

本件誤殺事件は、被告B4の事業に密接に関連する行為を、傘下組織である山下組組員の被告B2らが職務の執行として行ったものであるから、被告B4は使用者として、被告B1は代理監督者として責任を負担するべきである。

(ア) 使用者性について

上記のように、山口組は、暴対法3条の指定暴力団に指定されており、また、暴対法の指定を措いても、被告B4を頂点とし、盃事により成立し絶対的服従関係を旨とする擬制的血縁関係の連鎖によって結合した階層的構造を有する一個の組織である。この階層的構造を利用して、山口組の最終的意思決定者である被告B4の意思は、傘下組織の定例会で順次発表されることにより傘下組織の末端にまで伝達され徹底される。また、必要に応じ、「5代目総本部」名で直接参加組織にファクスされることにより傘下組織の末端にまで周知徹底される。加えて、被告B4は傘下組織を含む組員の脱退に関する権限を有し、傘下組織の組長を通じるなどして傘下組織の組員を管理し、傘下組織の解散権限及び傘下組織組員の生殺与奪の権限をも有しているから、同被告は傘下組織の組員を現実に支配しているというべきである。

したがって、被告B4には、傘下組織の末端の組員との間においても指揮監督関係が認められ、被告B2及び同B3に対しても使用者性が認められる。

他方、被告B1は、山口組藤和会山下組の組長として、被告B4に代わり、山下組組員である被告B2及び同B3を監督すべき地位にあったから、被告B4の代理監督者にあたるというべきである。

(イ) 事業執行性について

a 抗争の事業執行性

暴力団は組織の威力を背景に違法あるいは不当に資金を獲得することを最大の目的とし、暴対法3条1号も「名目上のいかんを問わず、当該暴力団の暴力団員が当該暴力団の威力を利用して生計の維持、財産の形成又は事業の遂行のための資金を得ることができるようにするため、当該暴力団の威力をその暴力団員に利用させ、又は当該暴力団の威力をその暴力団員が利用することを容認することを実質上の目的とするものと認められること」を指定暴力団の該当要件の一つとしているところ、暴力団における事業とは、暴力団としての威力を利用して資金獲得活動を行うことにほかならない。これを指定暴力団などの大規模暴力団の組長について言えば、事業とは、主に、傘下組織の組員が大規模暴力団としての威力を利用して資金獲得活動を行うことを積極的に容認し、その対価として上納金などの名目で傘下組織から資金を吸い上げることをいうというべきである。

上記のような事業を暴力団が行うにあたっては、資金獲得のための唯一の手段又は道具である威力(面子、対面)の維持拡大は不可欠であり、傘下組織の組員は暴力団の職務として資金獲得活動を行うとともに、威力の維持拡大活動をも行うから、威力の維持拡大活動が暴力団の事業と密接に関連する行為であることは当然である。したがって、大規模暴力団の傘下組織の組員が威力の維持拡大活動を行った場合、それは大規模暴力団の事業に密接に関連する行為にあたるものである。

そして、暴力団の抗争は、暴力団の威力の維持拡大活動の一つにあたる。なぜなら、暴力団にとって抗争はまさに威力と威力のぶつかり合いであり、抗争に勝ち抜いた暴力団は、その威力や縄張りを拡大することになるからである。

したがって、抗争は、暴力団の事業に密接に関連する行為として、常に事業執行性(密接関連性)を有するというべきである。

さらに、抗争原因のいかんを問わず、抗争に発展させるか、抗争をいかなる段階で停止して終結させるかについては、当該傘下組織を擁する大規模暴力団のトップが全体を統制していることからすれば、抗争は、組織全体の頂点に立つ大規模暴力団の組長により支配された戦闘行為であり、同組長にとって事業執行性を有するものである。

b 本件誤殺事件の事業執行性について

本件誤殺事件は、被告B4が山口組の代紋等の威力を利用して資金獲得活動を行うことを容認してきた傘下組織の組員が、対立組織である会津小鉄との抗争の一環として敢行したものであるから、同組員の職務執行に該当し、かつ被告B4にとって事業執行性を有するが、念のために述べると、抗争の経過は以下のとおりである。

すなわち、祇園事件は、会津小鉄の関係者が山下組組員の面前で「山下組がなんぼのもんじゃい。」との暴言を吐いたことを原因とするものであるが、上記発言は、山下組、ひいては山口組の看板に泥を塗るものであり、面子を最重要視する暴力団にとって到底看過できるものではなかった。しかも、当時、京都府下では拳銃発砲事件が相次ぎ、特に、6月14日から15日にかけては山口組と会津小鉄との間で14件の連続発砲事件が発生し、山口組としては会津小鉄に対して山口組としての威力を誇示することが必要な状況にあったが、祇園事件の衝突の相手方は14連発抗争の主役であり会津小鉄の最高幹部でもあるH組長であった(暴言を吐いたのは厳密には同組長の同伴者であるが、同じことである。)。そこで、被告B2は、会津小鉄の山口組に対する威力減殺行為に対して反撃するため、山口組で行われていた報償や昇格を期待し、山口組全体と会津小鉄全体の対立抗争の一貫として発砲行為を行ったものである。

上記抗争(以下「本件抗争」という。)は、現職警察官を誤殺するというアクシデントにより急速に終息したが、本件誤殺事件の際には山下組若頭所有の自動車が使用され、また、山口組総本部では緊急会議が開催されて被告B2及び同B3の実行犯両名を自首させることが決定され、自首に際しては山口組直系組長のL若頭(当時)が付き添って謝罪し、他方、被告B4は本件誤殺事件後に山下組の上部団体である藤和会のCを破門し山下組を含む藤和会の傘下組織を解散させるなどしたものであり、これらの事実は本件抗争を同被告が掌握していたことの証左である。

なお、本件抗争では、五代目山口組の傘下組織のうち山下組以外の組織は表面上は襲撃に関与していないし、祇園事件発生後一日足らずで終息しているが、これは、現職警察官の誤殺という予期せぬ事件が本件抗争初期に発生したからにすぎず、実際に襲撃に参加した組織が少ないことや期間が短いことを重視すべきでない。また、確かに、本件抗争は、直接的には山口組と会津小鉄の各傘下組織の間で発生しているが、暴力団にとって、傘下組織の面子をつぶされることは組織全体の面子をつぶされることと理解されており、「山下組がなんぼのもんじゃい。」と罵倒されたことは「山口組がなんぼのもんじゃい。」と罵倒されたと同じことであって、そのまま放置することは山口組全体の面子をつぶされたにもかかわらず放置することを意味し、山口組全体の組織の力がないものと見くびられる結果となるから、山口組全体と会津小鉄全体の抗争と見るべきである。

(ウ) システム化された暴力装置による論証

被告B4の同B2及び同B3に対する使用者性及び事業執行性は、被告B4が、山口組の威力を維持するため、山口組組員(傘下組織組員を含む。)に対し、山口組の威力や組織の維持拡大が要請される場面に遭遇したときには、同被告の命令を待つまでもなく山口組に対する威力や組織の減殺行為の排除に走る仕組み(システム化された暴力装置)を構築していることからも論証が可能である。

ウ 被告B4の共同不法行為責任について

(ア) 幇助による共同不法行為

民法719条2項は幇助による共同不法行為を認めているが、「幇助」の方法は、直接の違法行為の実行を補助し容易ならしめる行為であれば足りる。抗争は暴力不法行為集団である暴力団にとって集団の威力と外的イメージの維持増大を図るという本質に根ざすものであるところ、被告B4が主宰する山口組においては、抗争における活躍を基準として昇格システムが採用されるとともに、「抗争と思ったら、指示を受けることなく走れ。」などという上位者の指示を待たずに上位者の顔色を見通して対立組織を攻撃するような行動原理を組員に浸透させ、抗争参加者への放免祝が明記された慶弔規定(慶弔審議会決議事項)や金メダルや功労金の授受まで行って抗争への参加を賞揚しており、被告B2及び同B3もこれらによる心理的援助を受けて本件誤殺行為を行ったものである。

そして、被告B4は、山口組組員(傘下組織組員を含む。)が対立する暴力団員に対して暴力行為を行うことを概括的かつ潜在的にではあれ認容していたものであるから、同被告には少なくとも被告B2及び同B3に心理的援助を与えたことにつき重大な過失がある。

よって、被告B4は、本件誤殺事件につき幇助による共同不法行為責任を負うべきである。

(イ) 民法719条1項前段の共同不法行為

民法719条1項前段の共同不法行為が成立するためには、各人の行為が独立して不法行為(民法709条)の要件を備えていること、各行為者の間に共同関係(関連共同性)があることが必要であるところ、本件誤殺事件の約2ヶ月前に山口組と会津小鉄との間で14連発抗争事件が、また、本件誤殺事件の約5時間前に祇園事件が発生し、本件誤殺事件当時、京都においては山口組と会津小鉄とが一触即発の状況にあったことからすれば、被告B4は、(ア)で述べたような山口組組員の行動原理、山口組と会津小鉄の緊張した状況及び暴力団員同士のささいなトラブルも大規模抗争事件に発展する可能性が高いことを認識していたのであるから、当然、祇園事件発生の連絡を速やかに受け、祇園事件が山口組と会津小鉄との抗争に発展し同抗争の際に山口組組員が会津小鉄組員に対して殺傷行為を行うことも予見し得た。また、被告B4が、「抗争を開始すべきか、どこまで拡大すべきか、何時どのように終結すべきかについての決定権(抗争管理権)」を有し、本件でも現実に行使していること、傘下組織の末端に至るまで被告B4の意思伝達網が完備していること、山口組と波谷組との抗争の際には、山口組総本部名で抗争中止のファクシミリや抗争終結のファクシミリが流されていることからすれば、被告B4は、山口組が関与する抗争が発生した場合、警察官を含む市民が抗争の巻き添えになり被害が発生することを防止することが可能であったし、かつ、それを防止すべき義務があった。にもかかわらず、被告B4は、本件抗争において、本件誤殺事件発生までの間、速やかに抗争管理権を行使して山口組の傘下組織に伝達するなどの抗争防止措置を行わず、本件誤殺事件を発生させたものであるから、同被告には不作為による不法行為が成立する。そして、山口組が傘下組織を含めた1個の組織であること、山口組内部に被告B4を頂点とし被告B2をも組み込んだ前述のシステム化された暴力装置が構築されていること、被告B2の不法行為が抗争時になされていることからすれば、被告B4の上記不作為は本件誤殺事件と客観的に関連しているものである。

よって、被告B4は、本件誤殺事件について民法719条1項前段の共同不法行為責任を負う。

エ 被告B1の共同不法行為責任

被告B1には、山下組が関与する対立抗争等の過程で第三者に対する誤殺傷事件の発生を防止すべき作為義務に違反した不法行為が成立する。

すなわち、被告B1が、8月24日午後11時30分頃の段階で、山下組事務所当番から祇園事件発生の連絡を受けていたこと、この連絡の際に被告B1に知らされた祇園事件発生の場所(会津小鉄の縄張りである祇園)、被害者の特性(指定暴力団会津小鉄の最高幹部)、事件態様(拳銃使用による殺人未遂)、結果(重傷)からすれば、祇園事件が対立抗争事件に発展する可能性が高いことは明らかであったこと、京都府下では山口組と会津小鉄との間で14連発抗争事件が発生しており、この影響で、祇園事件発生当時、山口組と会津小鉄とは一触即発の状況にあったこと、被告B2ら山下組組員は、「抗争と思ったら指示を受けることなく先に走れ」という暴力団の行動原理を熟知していたこと、暴力団の対立抗争事件の際、暴力団事務所に警察の張り付け警戒がなされることは暴力団組長である被告B1にとって常識であり、第三者に対する被害発生の危険性も認識できたことからすれば、被告B1が本件誤殺事件の発生を容易に予見することができたことは明らかである。そして、被告B1は、上命下服の強固な規律のもとにある暴力団山下組組長として、山下組組員に対し、自宅待機を徹底するなどして会津小鉄に対する先制攻撃や報復攻撃を禁止することが可能であった。すなわち、被告B2は、8月25日午前2時頃に山下組組長代行Eと電話連絡をとっており、このときに禁止命令が同被告に伝えられていれば、本件誤殺事件は発生しなかった。ところが、被告B1は、山下組組員に対し、自宅待機すら徹底しなかったため、被告B2及び同B3は、同B1が「会津小鉄への攻撃を期待している。」と思いこみ、本件誤殺事件を惹起したものである。したがって、被告B1は、共同不法行為責任を免れない。

(2) 被告B4の反論

ア 被告B4も、五代目山口組が同被告と擬制親子・兄弟関係を結んだ122名の若中、舎弟(本件誤殺事件当時)から成る団体であることは否定するものではないが、原告らのいう傘下組織が山口組の組織の一部であることは強く否認するものである。確かに、日本のやくざは擬制血縁関係によって成立していて五代目山口組もその例外ではないが、血縁関係が擬制されるのは当該血縁関係を結んだ者相互間のみにおいてであって、それ以外の者との間において血縁関係が擬制されるものではなく、被告B4は、自らの組員との縁を解消することはできても、若中、舎弟とその組員等の末端に連なる者との関係を左右することはできない。そして、被告B4が盃事を交わした個々の組員は、それぞれの生い立ちと組加入の動機背景を異にし、また、組員の率いる組織(以下、原告らの表現を引用して、便宜「傘下組織」というが、五代目山口組との関係のないことは先のとおりである。)も同様に山口組とは関係のなかった博徒やテキ屋の親分であった者が数多くおり、その親分が、固有の歴史を持ったまま被告B4と擬制血縁関係を結んで五代目山口組の組員となっているだけである。それらの組の親分が被告B4と縁組をしたからといって、その子分が自分の親をおいて被告B4を絶対者と仰ぐわけでもない。実際、直属の組長の命令がその上位にある組の組長からの指示と一体性がない事例なども珍しくもなく、被告B4の命令などとは関係のないところでこれらの組織は動いている。現実的に考えても、傘下組織の組員がどのように考えどのように行動するかはおよそ被告B4の知りうるところではなく、その結果、被告B4の命令とは無関係にさまざまな出来事が発生している。また、被告B4は内部であろうと外部であろうと抗争を禁止しているにもかかわらず揉め事は発生している。

以上のように、傘下組織への加入・脱退も、そして、それ以外の統制も、すべて被告B4の権限の及ばざるところであり、仮に、傘下組織の組員が自ら山口組の組員であるとの認識を有しているとしても、そのこと故に彼らが五代目山口組組員になるわけではないし、傘下組織を含めた一体としての山口組が存在することになるわけでもない。また、五代目山口組組員でない者が、仮に、五代目山口組によかれと考えて行動したとしても、そのこと故に、その行動が五代目山口組としての行動になるわけでもない。五代目山口組を階層構造をなす1個の組織などという原告らの主張は全くの虚構であり、被告B2らは五代目山口組組員ではない。

イ 被告B4は、五代目山口組内において、誰を若中ないし舎弟にするか、絶縁、破門にするかという意味での組員人事については最終決定を行っているが、それ以外の事項については、すべて五代目山口組の執行部において決定している。被告B4としても、執行部の決定が定例会において五代目山口組組員に対し伝達され、あるいは山口組組員にファクシミリが流されることがあることは聞いているが、伝達されるのはあくまで執行部の決定であり、被告B4の意思ではない。前述のように、五代目山口組の運営は執行部において決定されているのであり、それが被告B4の意思であるという前提自体が誤りである。

ウ 山口組あるいは被告B4の事業についての原告らの主張も否認する。

暴対法3条による指定処分は、同法が定める中止命令等の団体規制を実施するために、その対象範囲を明確にするための技術的規定にすぎず、民法715条の使用者責任の範囲を限定する事業性を当然に根拠付けるものではない。

被告B4は、いうところの傘下組織の構成員ばかりか、五代目山口組の組員でさえどのようにして資金獲得活動をしているかは知らない。そもそも、山口組組員が山口組の威力を利用した資金獲得活動を行っているとの主張自体根拠がない。各組員は、それぞれが自らの考えによって生計の手段を講じているものであり、被告B4が指示して資金獲得活動をさせたことはないし、五代目山口組が団体として資金獲得活動をした事実もない。したがって、被告B4が、組員に対し山口組の威力を利用させ、あるいは容認しているというのは事実ではないし、五代目山口組では、組員が定期的に一定額の金員を会費として本部に納めているのも、執行部で管理して団体としての五代目山口組の運営費や義理掛け等に使用するためであって、組長である被告B4が個人的に取得する収入金ではない。この会費は金額等も明らかにされているが、当局によりこれが被告B4の事業所得と見なされたこともない。

エ 原告らは、山口組が暴力団であり、暴力団は営利追求集団であるとの前提に立ち、その営利追求集団の維持拡大が進んでいくと主張するが、そうであるならば、組織が寡占化するはずであるが、現実にはそのような状況にはなっていない。この現実は、擬制血縁関係が営利追求のために結ばれるものではないことを示しているのであり、これらは五代目山口組が暴力団であり、暴力団とは営利追求集団であるという前提そのものが誤りであることを明らかにしている。

オ 以上のように、傘下組織組員なるものと被告B4を結びつけることには承服できないが、そもそも、本件誤殺事件当時、原告らのいう抗争は存在しなかったし、被告B4は祇園事件の発生さえ知らなかったものであって、本件誤殺事件は山口組の威力や組織の維持拡大とは関わりのないところで発生している。すなわち、まず、五代目山口組が、京都府下に進出し、その組織や威力の維持拡大を図っていたという事実はない。また、原告ら主張の14連発抗争事件は、相互に関連して発生した事件ではなく、その和解が成立後の発砲事件も傘下組織間で発生したものである。五代目山口組と会津小鉄は、共存共栄を図るために親戚縁組や幹部同士が兄弟盃をして友好関係を保つ努力をしてきた。さらに、「山下組がなんぼのもんじゃい。」との発言は、山口組に対する重大な威力減殺行為などではない。祇園事件は、山下組組員と会津小鉄関係者間での拳銃発砲にまで至っているが、その実質は、酒に酔った者の発言にすぎず、個人的喧嘩にとどまるものである。酒に酔って暴言を発した山浩組の者に山下組の威力を減殺する意図があったとは窺えず、その言葉を受けた山下組組員も個人的には腹立ちを覚えても、組織としての反撃であるとは思っていなかった。したがって、上記発言が五代目山口組ないし傘下組織を含むと称する山口組全体に対する威力減殺行為などというのは牽強付会の議論といわねばならない。さらに、本件誤殺事件の結果、五代目山口組の若頭までもが警察に出頭し、警察に詫びを申し入れる事態になり、社会的非難もより強まったものであり、本件誤殺事件は五代目山口組の組織維持のマイナスにこそなれ、プラスになどなっていないのである。また、被告B2は、本件誤殺事件当時、原告らの主張する会津小鉄の組員の暴言、すなわち、祇園事件の発生原因は知らず、ただ、会津小鉄のI、H組長と山下組のE、Fが揉めたという程度の事件の経過しか聞いていなかった。その被告B2が行った本件誤殺事件が、会津小鉄の組員(の暴言)による山口組の威力減殺行為に対する報復であったという原告らの主張は事実に反するし、被告B2の頭の中では、「会津小鉄が動くなら、わしが先に行ってやる」という考えがあったとしても、客観的には抗争の報復になっておらず、不法行為の当事者の主観的な誤った認識によって事業密接関連性を根拠付けることはできない。また、組長である被告B1自身は抗争になるとは予想もせず、様子を見て待機の解除指示をするなど、山下組自体が抗争を回避する所為に出ているところ、組の方針に反して勝手な行動をとった被告B2の行動が山下組内において評価されるものでないことは勿論、五代目山口組にとっても、共存共栄を意図する会津小鉄を相手として、何らの利益のない抗争の火種となる行為を勝手にしたにすぎないことになり、被告B2の主観的動機から山口組の威力拡大や組織の維持拡大の場面でなされたとするのは相当でない。また、本件誤殺行為の経過をみても、被告B3は、同B2の報復攻撃の意思を知らないまま、同被告から車で迎えに来るように指示され、普段使用している山下組若頭名義の車両を運転して行っただけであり、本件誤殺事件の際に使用した車両が山口組に対する威力減殺行為に対する報復行為のために提供されたものではなく、山下組が組織として被告B2の行動を容認していたことにはならない。

さらに加えるならば、祇園事件後、五代目山口組は勿論、山下組が組織として抗争を行おうとして動きをした事実もない。被告B4ないし五代目山口組執行部においては祇園事件の発生自体知らず、当該組織の山下組ですら待機命令を組員に発したのみであって、組織として抗争に発展するような行為は何ら行っていない。当時、山下組の事務所当番をしていた者は、Fから連絡を受けて一旦は連絡可能な山下組組員に対して召集ではなく待機の連絡をとったものの、それすら15分後くらいには解除しているのであって、五代目山口組は勿論、山下組においてすら組織としての抗争行為に発展するような行動に出ていないのである。なお、自宅玄関ドアに拳銃を撃ち込まれたGは、祇園事件の発砲に至る喧嘩の発端を作った一人ではあるが、五代目山口組組員でも山下組組員でもない。L若頭が被告B2らの出頭に同行したのも、誤殺されたのが警察官であるから警察に詫びを申し述べるために同行したものであるが、被告B4の指示で被告B2らが出頭したりL若頭が同行したりしたものではなく、一部幹部の判断である。抗争管理権なるものは、警察官や原告らの想像の産物であるが、五代目山口組及び会津小鉄は組織として共存共栄の方針であり、当事者間で円満に解決できるよう関係者らと個人的に人脈のある五代目山口組幹部らが早期に仲介の労をとったのは当然のことである。山下組と山浩組との間で抗争が発生していたものでなく、本件誤殺事件後の五代目山口組と会津小鉄の幹部の動きをもって抗争管理権の行使というのは実態に合わない。

カ 被告B4の共同不法行為責任についても次のとおり反論する。

(ア) 幇助による共同不法行為について

慶弔審議委員会規定や金メダルの授与は、本件誤殺事件発生当時は存在せず、昇格システムというのは原告らの想像でしかない。仮に被告B2がやくざの行動原理や論功行賞を期待して本件誤殺行為に及んだとしても、その犯行動機について、被告B4は何ら関与していない。

(イ) 共同不法行為(民法719条1項前段)について

原告らの主張は、山下組組員が五代目山口組の構成員であるという前提に立って被告B4の共同不法行為責任を主張するものであるから、その前提自体が誤りであるが、原告らの誤った組織論に立脚しても、被告B4に共同不法行為責任は成立しない。すなわち、本件誤殺事件以前に、祇園事件は終息に向かい、Eの負傷はFの発砲によるものであることも判明していたのであって、抗争の可能性はなくなっていたが、被告B2はEが山浩組、河村組からやられたものと誤解して山浩組組員を狙ったものであって、被告B2の行為は当時の山下組組員ですら予見できなかったものである。ましてや、祇園事件の発生すら知らなかった被告B4が同B2の行動を予見することなど不可能であった。

原告らは、本件誤殺事件発生の可能性が高いことを根拠付ける事実として14連発抗争事件、祇園事件の発生、山口組と会津小鉄との緊張関係の3点を掲げるが、14連発抗争事件のうち8件は山浩組と福原組との金銭貸借を巡る紛争であって五代目山口組と会津小鉄との対立抗争ではなく、残りの6件に至ってはまったく関係がない。また、祇園事件は、GがIに「おー○○○か。」と呼ばれたことに対し、GがIとは気付かず、見知らぬ人間から呼び捨てにされたものと思って「あんたに呼び捨てにされる筋合いはないわい。」と言い返し、喧嘩になったものであり、F、Eは、相手のIやH組長が会津小鉄の組員であることすら知らず、14連発抗争事件やその他の抗争事件とは全く関係がなく発生した個人的喧嘩である。また、被告B4の認識につき、原告らは、山口組組長である被告B4は山口組組員の行動原理を当然に熟知していたと主張するが、原告らのいう2万人にも及ぶ山口組組員にあまねく存在する行動原理なるものがあるとは常識的に考えても不合理であり、ましてや、これら多数の人物が考えていることなど被告B4は知るべくもない。しかも、京都にいる被告B1やH組長ですら、祇園事件が大規模な抗争事件に発展する可能性が極めて高いとは考えていなかったのであり、被告B4がささいなトラブルではあるが大規模な抗争事件に発展する可能性が高いなどと認識しているはずがない。祇園事件は個人的な喧嘩であり、原告らが自認するようにささいなトラブルであって、傘下組織なるものの構成員が起こしたささいなトラブルについて被告B4がその全ての報告を受けるなどということはありえない。

以上のように、被告B4に本件誤殺事件について予見可能性がない以上、その結果回避可能性もその義務もないことは当然である。

(3) 被告B1の反論

ア 原告らは、被告B4が被告B2及び同B3の使用者であること、また、本件誤殺行為が被告B4の事業執行性を有することを前提に、被告B1につき代理監督者としての責任を主張するが、上記主張に理由のないことは被告B4の主張と同旨である。

五代目山口組、藤和会、山下組、山強会は、それぞれ別個独立の組織構成、決定機関、会計を営んでいる独立の人的集団であるところ、被告B2は山下組の組員であって五代目山口組の組員ではないし、被告B3に至っては山強会の組員であって山下組の組員ですらない。確かに、被告B1は藤和会会長のCと盃を交わした兄弟の関係にあり、Cは被告B4と親子の関係にあり、五代目山口組の組員(若中)であった。しかし、被告B1と五代目山口組との間には何らの関係も存在しない。これを具体的にいえば、まず、山下組組員(本件誤射事件当時30名)の加入、離脱を決定する権限は被告B1にあった。そして、藤和会会長Cは五代目山口組の組員であり、被告B1は藤和会の副会長であったが、同被告は五代目山口組の定例会にも山下組の定例会にも出席していなかった。また、被告B1は、藤和会に毎月10万円の会費を納入していたが、五代目山口組に対して会費や上納金を支払うことはなかったし、山下組において同組員から徴収している会費を個人の用に弁ずることもなかった。さらに、五代目山口組と藤和会とでは代紋が異なるが、山下組組員が使用する代紋は藤和会の代紋であり、五代目山口組の代紋ではないし、また、本件誤殺事件後、藤和会はCの決定に基づき解散したが、山下組は被告B1の判断に基づき解散しなかった。これは、上部の組が解散した場合、その組員を組長とする下位の組が解散するか否かは下位の組の組長が決定するのであり、上位の組の組長には何ら決定権限がないことによる。上記事実によれば、五代目山口組と山下組とは、構成員、人事権、意思決定機関、会計という組織の根幹部分において別個独立の団体であり、被告B1と同B4との間には何らの関係も存在しないのであるから、代理監督関係なるものを観念することはできない。

イ 被告B1の不作為による共同不法行為についても否認する。

原告らは、被告B1について、同被告は、暴力団山下組の組長として、山下組が関与する対立抗争等の過程で、第三者に対する誤殺傷事件の発生を防止すべき作為義務を負担していた旨主張するが、本件誤殺事件は対立抗争に該当しないのであるから、原告らの主張は前提を欠き理由がない。

本件誤殺事件の発生に至る経緯を被告B1の認識、関わりを中心として整理すれば以下のとおりである。

6月14日から15日にかけて発生した14件の発砲事件のうち、8件は福原組組長と山浩組組長との間の金銭問題が原因であったが、山下組は当時、この事件に一切関与せず、しかも、上記問題は、6月16日、山浩組組長の福原組組長に対する負債を会津小鉄執行部が支払うことで円満解決した。

被告B1は、山浩組組長と食事の約束をするなど親しい関係にあったところ、8月24日深夜、組当番から自宅に電話があり、祇園でFが山浩組組長に発砲したこと、これにより山浩組組長とEが負傷したことについて連絡を受けた。しかし、詳しい事情が分からなかったので、山浩組の出方を見ることにし、組員に対して自宅待機を指示した。当時、「山下組がなんぼのもんじゃい。」という発言があったことは聞かなかったし、祇園が現場であるので酒の上での喧嘩であり、山浩組組長と親しい関係にあったことから、重大事件が起きるとは思わなかった。なお、後日、被告B1が山浩組組長と面談したが、山浩組組長も祇園事件が抗争に発展するとは考えていなかった。山下組から藤和会に連絡や報告をする場合、重要事項については被告B1が直接藤和会会長Cに連絡し、重要でない事項については山下組当番が藤和会当番に連絡することにしていたが、祇園事件について被告B1がCに報告したことはなかったし、山下組当番が藤和会当番に連絡したこともなかったものである。その後、Fと山下組当番が相談した結果、組員に対し自宅待機の解除が指示された。なお、山下組では拳銃を持ち歩くことを禁止していた。8月25日明け方、組当番から自宅への電話で、組の誰かが間違って警察官を撃ったということを聞き、誰がしたのか事実関係を調査するよう指示した。警察官誤殺事件という重大事件であったことから、被告B1はCに電話で報告し、Cと協議して、事実関係を早急に調査することにした。なお、被告B1が五代目山口組総本部に連絡したことはなかった。8月25日昼前頃、組当番からの電話で、被告B2と同B3が本件誤殺事件に関与している旨報告を受けたため、被告B1は、Cに電話で報告し、二人を東興ホテルに呼んでCが事実確認することになった。被告B1は、組当番に連絡して被告B2及び同B3に対し、東興ホテルに行くよう指示した。その後、Cが確認したところ、被告B2及び同B3が関与していることに間違いないことが判明し、被告B1がCに対して二人を警察に出頭させるので東興ホテルに迎えに行く旨伝えたところ、名神吹田インターでC、被告B2、同B3と合流することになった。被告B1が吹田インターに行くと、被告B2、同B3、Cの他に五代目山口組若頭Lも来ていた。その後、被告B1は下鴨警察署に被告B2及び同B3を出頭させた。後日Cに聞いたところによると、Lは事が重大なので警察に同行して謝罪することにしたとのことであった。

上記のように、被告B1は、本件誤殺事件に先行する祇園事件について、酒の上での喧嘩にすぎないと受け止め、山浩組組長と親しい関係にあったことから重大事件に至るとは思っていなかった。被告B1は、山浩組の出方を見るために組員に対し自宅待機を指示したが、その後、山下組はこれを解除するに至った。また、被告B1は、組員に対し、日頃から拳銃の持ち歩きを禁止していた。

被告B1の当時の具体的認識は以上のとおりであり、これによれば、本件誤殺事件を予見することはおよそ不可能であったというべきであるし、本件誤殺事件当時は自宅待機を解除し、日頃は拳銃の持ち歩きを禁止していたのであるから、結果回避義務も尽くしていた。

したがって、被告B1に対して本件誤殺事件の発生を防止すべき作為義務違反を認めることはできず、被告B1が共同不法行為責任を負うべき理由はないというべきである。

4  損害論についての当事者の主張要旨

(1) 原告らの主張要旨

本件誤殺事件による損害は以下のとおりである。

ア 逸失利益 9975万4915円

K警察官は、本件誤殺事件当時44歳(昭和26年3月15日生まれ)の健康な成年男子であり、妻子4人をかかえる一家の支柱であった。K警察官の平成6年度の給与所得は947万1989円であり、これを基礎に逸失利益を計算すると、上記金額となる。

(計算式)

947万1989円×15.0451(67歳までの就労可能年数23年に対応する新ホフマン係数)×(1-0.3)(生活費控除率30パーセント)=9975万4915円

なお、京都府警察官の定年は満60歳になって以降の最初の3月31日である(職員の定年等に関する条例)。K警察官の死亡による逸失利益を計算する場合、就労可能年数は67歳までの23年間であるが、京都府警察官の定年を迎えるまでは16年間であり(その間昇給することが見込まれる。)、その後の就労可能期間については再就職することが見込まれる。公務員、会社員のように定収入及び昇給が期待できる一方、就労可能年齢の67歳を前に定年を迎えるような給与所得者の逸失利益の計算方法としては、昇給を考慮しないかわりに就労可能年数まで事故時の年収を基礎とする逸失利益を認める場合もあるし、事故以後の昇給を考慮しつつ、定年以前と以後で基礎年収を区分する場合もある。上記原告ら主張の計算方法は、定年までの昇給を考慮しないかわりに就労可能年数までの事故時年収での逸失利益を主張するものである。

イ 葬儀費用 418万8702円

(内訳)

葬儀費用 217万9702円

お布施  72万円

供花   41万2000円

墓碑   87万7000円

ウ 慰謝料 8000万円

K警察官は、警察官として日夜市民社会の安全確保のため精励し、時には暴力団と対峙して社会に貢献してきた。また、K警察官は、家庭を愛し妻子のために生きてきた。妻子にとって、K警察官は愛しい夫であり、優しい父親であった。そのK警察官が警察官としての職務に従事中に暴力団の凶弾によって倒れたことは、K警察官自身無念極まりないことであったろうし、かけがえのない夫かつ父を失った妻子の悲哀は筆舌に尽くし難い。また、本件は、利己的な意思により決行された組織的犯罪であって、反社会的な許し難いものである。

上記事情、また、本件は一般市民を巻き添えにした悪質極まりない犯行であることに鑑み、再犯防止のためにも、さらには、暴力団関係者に対する警鐘の意味を含め、制裁的意義を加味し、相当慰謝料額として、配偶者である原告A1に5000万円、子であるその余の原告らに各1000万円として総額8000万円を請求する。

エ 弁護士費用 2740万7986円

本件訴訟を提起するにあたり、原告らは、原告ら代理人に対して請求金額の約20パーセントにあたる2740万7986円を報酬として支払うことを約束した。なお、弁護士費用については、交通事故においては、一般的に、その認容額の10パーセントを認めているが、本件は交通事故のごとき過失犯ではなく、あくまで故意に基づくものである。また、本件事案の困難性等を考慮すれば、その認容額の20パーセントが認められるべきである。

オ 過失相殺について

過失相殺が損害の公平な分担を目的とする制度である以上、本件のような極めて違法性及び非難可能性の高い不法行為を実行した被告B2らが、過失相殺の主張をすること自体、許されるものではない。

仮に、過失相殺検討の余地があったとしても、K警察官には山浩組事務所から四十数メートルも離れた明るい場所で警察の腕章を着用して警戒にあたっていたのであり、同警察官を山浩組の関係者と被告B2らが誤認するような客観的な状況は何ら存在せず、同警察官には何らの落ち度もない。

カ 損益相殺について

損益相殺は遺族ごとに行われるところ、退職手当金、遺族共済年金(警察共済組合)、遺族基礎年金(社会保険庁)、公務災害遺族補償年金(地方公務員災害補償基金)の受給権者は、妻である原告A1である。

また、受給権者である原告A1が受けた各年金の給付に関しては、あくまでも原告A1の請求額からのみ損益相殺すべきであり、他の遺族(すなわち原告A2、同A3、同A4ら3名の子)の損害賠償額からは損益相殺できないし、かつ、損益相殺の範囲は上記年金についてはいずれも逸失利益に限られる。

なお、原告らが将来の退職手当金支給見込額を請求していない本件においては、現に受けた退職手当金につき損益相殺の対象とすべき損害はなく、損益相殺の対象とはならない。

(2) 被告B2及び同B3の主張要旨

本件誤殺事件の約5時間前の8月24日午後11時20分頃、発砲事件が起こり、また、上記発砲事件の3時間後の同月25日午前2時半頃にも対立する組の元組員宅が銃撃されたため、下鴨署は同日午前3時頃に57人の署員を非常招集し、抗争が発生する可能性のある場所を警戒させることになり、K警察官は、上記発砲事件の最初の発砲で負傷した組長の事務所周辺に配置された。K警察官は、上記のような危険な現場の警備にあたったにもかかわらず、私服を着用し、防弾チョッキを着用せず、赤色灯の設備のない一般車の傍らに立っていた。被告B2及び同B3が、K警察官を対立する組の関係者であると見誤ったことについて、被害者であるK警察官の着衣、装備、行動には明らかに過失があり、その過失割合は40パーセントに相当する。

(3) 被告B1の主張要旨

ア 損害額

K警察官の逸失利益算定の際の基礎収入は、定年である60歳までは本件誤殺事件前年の給与収入を基礎に、60歳から67歳までは賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計の男子労働者平均賃金を基礎に算定すべきである。また、慰謝料は、K警察官につき2400万円、原告A1につき300万円、その余の原告らにつき各100万円が相当である。

イ 過失相殺

K警察官は、仕事以外でも度々山浩組事務所に出入りし、本件誤殺事件直前も、一人で山浩組事務所に出入りして山浩組組員二人と話をしていた。また、本件誤殺事件当時、同警察官は私服であり腕章もしていなかった。さらに、同警察官が私有車両の中に赤色灯を積んで現場に行ったことまでは確認されているが、一般の私有車両は車両運送法の規定上、緊急自動車としての指定がない限り屋根の上に赤ランプをつけて回して現場に行くことはあり得ないことからすれば、同警察官は、本件誤殺事件当時、赤色灯を点けていない私有車両の傍らに立っていたと推測される。また、同警察官は、防弾チョッキを着用することも怠っていた。したがって、同警察官には重大な過失があり、その割合は40パーセントに相当する。

ウ 損益相殺

退職手当金も損益相殺の対象とするべきである。

第3当裁判所の判断

1  証拠(甲A3ないし6、12ないし21、24ないし49、甲B1ないし29、30の1及び2、甲B31ないし35、37ないし40、41の1ないし3、甲B42ないし69、70及び71の各1及び2、甲B72ないし74、75の1及び2、甲B76の1ないし7、甲B77、78ないし80の各1及び2、甲B81、82、86ないし90、92、甲C1ないし25、27ないし29、甲D1ないし18、証人M、同N、同O、被告B1本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

(1) 暴力団組織について

ア 暴力団組織は、戦前からの博徒、的屋等の伝統やくざと称すべき組織のほか、戦後における愚連隊等の新興不良集団の流れを汲む組織など結成の歴史は異なるが、その存在の主要な動機づけは、暴力を組織化することにより形成される威力を背景に、正当な経済活動の埒外にある力づくの利益、すなわち、縄張りを中心とした賭場開帳、みかじめ徴収、薬物取引、売春等による不法利益、示談への介入、債権取立、倒産企業への介入等による不当利益を獲得することにあり(以下、組員の仕事のうち、これら暴力的威力を背景としてなす生計としての資金獲得行為を「シノギ」ということがある。)、暴力集約に不可欠な強固な組織紐帯を維持するため、一般には、組長と組員は盃事といわれる秘儀を通じて親子(若中)、兄弟(舎弟)という家父長制を模した序列的・擬制的血縁関係を結び、組員は親分(組長)に対する全人格的・包括的な統制の下、内部にあっては組の一家、一門意識を持ち、外部にあっては侵害されない至高の組織として排他的な行動傾向を有しており、新規加入者もこのような思考様式、行動様式を反復して次第にこれを内在化していく。したがって、通常の家庭を有する個々の組員が、社会的批判を甘受して、個人的な任侠心や義理人情という古典的、神話的、情緒的な心理的満足感だけでこの世界に足を踏み入れられるものではなく、その加入動機の多くは、最終的には暴力団の威力を背景とする前記経済的利益獲得という冷徹な計算の上に形成され、シノギという経済活動を除けば、組員共通に負わされる本質的な役割活動のひとつは、組長との間に上記血縁を結ぶことにより一体となった組織暴力、ひいてはこれを背景とする威力(暴力イメージ)を維持する活動である。そして、社会におけるこのような威力の通有性は、行使する側の暴力の強弱に裏打ちされるとはいえ、これを受ける側の心理に依存するという構造を持つから、組織の維持拡大、シノギ活動の維持拡大を図る上では、絶えず直接的暴力を行使して警察の摘発対象となるよりは、むしろ恐怖の暴力イメージを維持拡大することがもっとも経済性、合理性に適うゆえんであり、この点から、暴力団が、その面子をつぶされることは築き上げた威力への大きな減殺要素として、いかなる犠牲を払っても徹底的に排除さるべきとの独特の論理がまかり通ることになる。

イ また、このような組織は、衰退している場合は、稀に、組長の死亡、引退、上部組織からの組長の排除を因として解散されることもあるが、多くは、長年維持されてきた縄張り、組織、活動が一体となって多くの経済的利益を掴取できるシステムとして完成され、これに依拠して生活している多数の組員が存在し、また、組が解散されたからといって組員が翌日から正業に就けるものでもないから、縄張りと組織を承継(跡目承継)した新たな組長との間に改めて盃事がなされ(盃直し)、表面上は組織としての衣替えをしても、組員は同一の縄張りを中心に同様のシノギをなし、それを支える集団的な暴力を背景とする威力の維持継続を余儀なくされる。

(2) 山口組と傘下組織について

ア 法の逸脱を本質的に抱える暴力団の活動様式からすれば、競合する組織に打ち勝って威力の通有性を高めるのは、基本的には、組織された暴力の強さ、大きさであり、組織の自己増殖作用は暴力団組織にとって宿命ともいうべき活動原理であり、新規組員の加入ばかりか既成の弱小組織を併呑することにより寡占化が進み、全国には広域暴力団といわれる大規模組織暴力団の誕生をみることになるが、わが国におけるその最大組織が山口組である。

イ 山口組は、Pが大正4年に神戸市内で山菱の代紋を掲げて博徒集団山口組を結成したのを源流とし、二代目Qが神戸港における港湾荷役に係る人夫供給等に手を広げ、戦時の空白期を超えた昭和21年6月三代目組長にRが就任した後は、神戸港における港湾荷役、興行等の利権の支配権を確立して神戸最大の、さらに、他の組織と大抗争を反復するなどして全国各地に勢力を拡大してわが国最大の暴力団組織となり、昭和59年6月四代目組長にSが就任した後も、これを不服とする幹部の結成した脱退組織(一和会)との間に互いの組織を挙げた全国的な抗争を展開し、このような中、暫時の組長の空席を経て平成元年7月に被告B4が五代目組長に就任し、三代目時代を凌ぐわが国最大の組織暴力団としての勢力を誇示し、その集団的暴力を背景とする威力は、同様の大規模組織である稲川会、住吉会、極東会、会津小鉄等々と並び、あるいは、これを凌駕するほどとなっている。

ウ 一般の暴力団組織にとっても、解体されることなく固有の組織を維持しながら山口組のような強力な組織の下位序列に連なることは、内部の他の組織との摩擦を回避でき、外に向かっては山口組という威力の大きな組織の殻に庇護され、さらに、傘下組織の証である山菱の代紋の利用を許されることになり、一方、山口組にとっても、組織図的には、いわばピラミッド型権力ヒエラルヒーに似た階層的序列組織を構築することは、その裾野が広いほど、傘下組織の組長による組員の管理監督を媒介として第1次的管理監督の手間を省き、山口組組織全体に重みと強さを加えるという利点を有している。

このため、戦後、30名にも及ばぬ組員から活動の再スタートを切った三代目山口組は、五代目となった現在でも本部の直系組長は百名を少し上回る程度であるものの(平成7年末における人数は118名)、被告B4と盃を交わした直系組長は固有の組組織(2次組織)を、2次組織組員は固有の組組織(3次組織)を持ち、3次組織の組員ではいわば部屋住みのような組員もいるが、中には4次組織を持つ者もあり、現在、取締り当局が認知するのは少数ながら5次組織までである。

傘下組織が山口組傘下に下る現実的理由は上記のとおりであるが、同時に、暴力団組織に参加する組員は擬制的血縁関係に対する価値指向、親和性が強いため、たとい間接的であっても擬制血縁関係を重ねて順次上部組織に辿っていけば、1次組織である本部は本家、被告B4は直属組長の親の親、さらにその親(いわゆる本家の親分)という連鎖が共通認識となっており、例えば、山口組の直系組長ともなれば、擁する組織の大小いかんにかかわらず、極端には一人親分になったと仮定しても、被告B4ともっとも近い関係にある兄弟、子であり、数十人の組員を擁する2次組織組員より上位の権威を付与され、2次組織組員からの上納金、義理掛け等の集金システムを通じて、傘下組織組員のような縄張りにおけるシノギをしなくとも、経済的には十分に支えられる立場にある(ちなみに、直系組長の山口組本部に納める毎月の会費は、本件誤殺事件当時、舎弟、若頭補佐以上が105万円、その余が65万円である。)。

原告らのいうところの山口組とは被告B4を頂点とした末端組織まで2万3000名(但し、平成7年2月15日時点)を包括する組織を一団体と捉えての言であり、被告B4、同B1のいうところの山口組とは被告B4と直系組長100名余で構成される1次組織を指すものである。藤和会はこのような2次組織であり、山下組は藤和会から枝分かれしている3次組織である。

(3) 五代目山口組について

ア 三代目組長は、戦後の混乱期という時代背景下に、戦闘的な暴力装置としての傘下組織を持ち、神戸市内の享楽街の一地方暴力団に過ぎなかった山口組を全国的な組織に拡大して今日の礎石を築いた人物とされ、三代目とは銘打っても事実上の組の創業者として君臨してきたが、その死により組織が自然解体するはずのないことは前記のとおりであり、膨張した組織維持のためには擬制血縁関係の頂点に立って統率する組長の存在が不可欠で、四代目、五代目組長は、先代の死亡により指名を受けないまま、若頭の地位にあった者が、基本的には他の先輩・後輩・同輩直系組長と改めて盃直しをして組織を承継した。

イ 五代目山口組の常務は、被告B4の意を忖度した執行部(舎弟頭、若頭、総本部長、副本部長、舎弟頭補佐、若頭補佐で構成)、さらに、重要事項はこれに最高顧問、顧問が加わって決定し、直系組長を本部に招集しての総本部定例会(寄り合い)は毎月5日に開催され、同会においては、本家直系(直系組長)昇格者、2次組織以下の抗争放免者、他の組織との手打ちの結末、2次組織以下の紛争が抗争、私事紛争のいずれであるか、地方における名称を改めた暴力団組織が反山口組の体質を有するか否か、直系組長の引退、除籍等々を発表し、さらに、日常の決定、指示事項は全国8地区のブロック長(直系組長)を通じて直系組長の2次組織に連絡し、山口組のこれら方針を傘下の末端組織まで行き渡るように指示し、時には総本部名で傘下組織にファクシミリで指示事項が送信され、少なくとも、山口組本部は、五代目山口組の組織構成上は直系組長だけを組員と位置付けているが、末端の5次組織の組員をも含めた全体を山口組の指揮命令に従うべき構成員として扱っており、山口組は、社会的実態としても本家の下に傘下組織が配された団体としての序列構造を有する存在である。また、前記のとおり、傘下組織は山口組の代紋の使用を許され、例えば、直系組長である藤和会会長Cは山口組の山菱の代紋を、3次組織の組長、組員、例えば、被告B1や山下組組員の場合は、山口組の山菱の中に所属する2次組織(藤和会)である「藤和」の名称を入れた代紋を使用し、名刺等には「五代目山口組藤和会副会長山下組組長」というように山口組内の直系組長系列を明確にしている。

ウ このため、このような社会的実態を有する山口組の組織全体は、兵庫県公安委員会から、暴対法3条所定の指定暴力団、すなわち、「名目上の目的いかんを問わず、当該暴力団の暴力団員が当該暴力団の威力を利用して生計の維持、財産の形成又は事業の遂行のための資金を得ることができるようにするため、当該暴力団の威力をその暴力団に利用させ、又は・・容認することを実質上の目的とするもの」(同条1項)、「当該暴力団を代表する者又はその運営を支配する地位にある者の統制の下に階層的に構成されている団体」(同条3項)として、「その暴力団員が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれの大きい暴力団」に指定されている。

(4) 山口組、山下組、会津小鉄との関係について

ア 会津小鉄は、幕末時にTが京都に組織し、全盛期には子分1万人ともいわれる京都最大の組織となって覇権を確立したが、二代目の死亡によりいったんは消滅した。戦後、二代目会津小鉄の系統を引くUが起こした博徒集団中島会が京都での覇権を確立し、昭和35年10月、Vが二代目を承継し、中島会を中核とした関連の組組織を統合した中島連合会を結成して会長に就任し、昭和50年に中島連合会を解散して、名跡を継いだ三代目会津小鉄会に再統合し、昭和61年にWが四代目(一時期名称を四代目会津小鉄と改めた。)を、平成9年2月にXが五代目会津小鉄を承継し、主として京滋地区を縄張りとして現在に至っている。

イ 三代目山口組は、積極的に全国に勢力を拡大し、とりわけ、関西では京滋地区を除き最大の組織となっているが、京都では中島連合会(会津小鉄)が依然確固とした縄張りを維持していたため、山口組傘下組織が利権を求めて相次いで京都に進出した昭和30年代半ばごろからは、国会でも採り上げられるほどたびたび抗争を繰り返し、昭和39年ころ、当時の山口組三代目R組長、中島連合会X会長の頂上会談で、山口組及び傘下組織は京都の旧市街には進出しない合意が成立し、昭和47年には双方の幹部が兄弟盃の縁組をするなど関係の修復を図った。しかし、山口組の組織が他の関西地区では飽和状態になって再び矛先を京都に向け始めたため、その後も傘下組織間の抗争は発生しているが、その都度双方幹部の間で和解(手打ち)が、さらに、平成5年6月には親戚縁組がなされ、基本的には共存共栄の均衡関係を維持し、会津小鉄は、傘下組織の組員数を漸次減少させているとはいえ、依然、京滋地区では山口組(平成4年3月現在で取締当局が山口組2次組織として認知しているのは、二代目山崎組、地蔵組のみである。)をしのぐ最大の組織(平成8年12月末日時点の組員約1300名)を有する暴力団である。

ウ 被告B1は、昭和43年ころ、岐阜市内で瀬戸一家内山下組を結成し、その後三代目山口組直系組長Yから親子の盃を受けて藤原会内山下組を組織し、昭和52年ころ藤原会若頭となり、昭和55年ころ京都市山科区内のマンションの1室に事務所を構えていたが、昭和53年7月に松田組系大日本正義団組員による山口組三代目R組長に対する襲撃に端を発したいわゆる大阪戦争といわれる抗争で、昭和58年1月20日から12年の懲役刑に服し、平成7年1月30日に満期出所した。この間の山下組は、長期の組長不在の影響で活動も沈滞気味であったが、被告B1は、服役中に組長Yの死亡により藤原会の組織を承継した藤和会の副会長となり、出所を機に山下組の下部組織である宮田興業の組員全員を直参に格上げするなど組織強化をし、12年振りの組長出所に組員全体が捲土重来を期して意気込む状態にあった。

山下組の構成は、副長Z及びa、組長代行E、舎弟頭b、若頭c、本部長D(山強会会長、以下「D」という。)、舎弟F、若中被告B2など総勢三、四十名であった。被告B3は、Dの配下であったが、山下組員として活動している者で、平成6年12月頃、被告B2と同B3は、山下組定例会で初めて顔を合わせ、その後、藤和会の事務所当番で顔を合わせるなどして顔見知りになった。

(5) 暴力団抗争について

ア 暴力団員のシノギ、それを支える縄張りと組の威力の維持活動、さらには、より多くの利権を求めてのこれらの拡大行為は、当然のことであって、縄張りが競合し、あるいは資金源を求めて新たに縄張り内に他の組織が参入するなど秩序を脅かす要因により緊張・軋轢が生まれるが、事柄の性質上、その活動に業界法の規制や保護の及ぶものではないから、縄張りにおける専権的優位性の確保は、組織同士の裸の力関係、すなわち、人的、物的暴力装置の強さ、それを背景とする威力の大きさに規定される側面が大きく、暴力団にとって、これを不断に維持することは後退の許されない存立目的維持のための不可避的活動とならざるを得ない。そして、そのような軋轢が高じたり、組員が組活動の延長線上で、理由の如何を問わず対立組織から生命身体に攻撃を受けるなど組の威力を脅かす事態が発生した場合、さらには、当初些細な個人間の紛争であって縄張り争いに直接の関係が無くとも、それが飛び火して組の威信(面子)を掛けた争いになった場合には、負け犬になっては暴力団社会から軽んじられ、場合により組織を維持することも困難となるため、組の死命を賭した対立に発展することが多く、問題の最終解決のために互いが組織的対応として一連の暴力を駆使して相手方の組織と凶器を使用した違法な戦闘闘争を行うのがいわゆる暴力団抗争である。

そして、組織上は下位に位置付けられる2次組織(当然にそれに連なる下位組織を含む)同士の固有の抗争であっても、それは一面では1次組織の代紋を背負った抗争であり、これが上位組織に波及してその介入を招く場合は、傘下の組織横断的な抗争参加をみて大規模抗争に至る場合があるが、抗争は幹部組員の検挙、場合により警察の手入れを受けて組織の潰滅を招き、さらには、逮捕勾留された組員の保釈金、弁護費用、差入れ、見舞金、家族の生活費等多大の資金を要して組織の経済的弱体化を招来するのみならず、警察の取締の強化、マスコミによる厳しい指弾、市民の暴力団排除運動等の高まりもあって、上記のような犠牲や社会的非難を補って余りある場合や、組織の面子を掛けても対立組織を組み伏せなければならない場合等を除いては余りにも代償が大きいものであり、大規模組織による寡占化、系列序列化の強化された現在では、下位組織間の抗争段階で上位組織が介入して手打ち(和解)をし、あるいは、互いが面子を維持できる均衡の条件が整った場合等も早期に手打ちをして終息を図り、抗争には絶えず自重的・謙抑的留め金が働かざるを得ない社会情勢にあり、全国の大規模組織を率いる指定暴力団の間にも幹部同士が義兄弟の盃を交わすなど、表面的には友誼関係を結んで、傘下組織同士の抗争が発生しても、できるだけ親(指定暴力団)同士の抗争には拡大しないというのが共通認識となっている。

イ しかし、指定暴力団系列の異なる傘下組織同士、さらには同一系列の傘下組織同士であっても、地元では縄張りを食い合うし烈な競争があることから、組織間の紛争がなくなるわけではなく、これがいったん抗争に発展した場合、組員は組織内の序列に関わりなく戦闘的に抗争に参加することを強要されて敵前逃亡的行為は許されないのが建前であり、その代わり個々の組員が示す犠牲的献身(組長や幹部に検挙等の累が及ぶことを回避し、具体的な指示を受けなくとも、組長の意思、方針を忖度して、いわば鉄砲玉となって抗争の最先端に身を委ねる。)が組への貢献と評価されて、組織内序列を登る糸口となっており、ときには、これを千載一遇の機会として、功を焦って一匹狼的に暴発的行動をとる者もある。

山口組でも、三代目以降、例えば、三代目組長が他組織組員から狙撃された事件や、組織を割った対一和会組抗争では、組織の総力を挙げての大規模抗争を敢行し全国に勢力を拡張した歴史は前記のとおりであるが、直系組長といってもせいぜい100名前後にすぎず、実際には直系組長の判断においてその傘下組織が戦闘部隊となって組織横断的に抗争を敢行してきた。しかし、抗争に参加することの負の計算関係も前記のとおりであり、直系組長とその傘下組織は他から強要でもされない限り、組織として動くか否かは直系組長が将来を見据えた計算で自らが判断し、先の脱退組織一和会との大抗争でも参加した直系傘下組織と参加しなかった組織とが截然と区別された。山口組では「慶弔審議委員会決議事項」により、他組織との抗争に参加し服役した者を、本抗争服役者(山口組組織総力を挙げての抗争による服役者)、準抗争服役者(下部組織だけの抗争で5年以上の服役者)、認定外抗争服役者(他の傘下組織の抗争に参加した服役者)に区分けして、本抗争時に目覚ましい活躍をして服役するという犠牲的献身を示した傘下組織組員については、刑の確定時に系列上の直系組長から山口組本部に対し、抗争の日時、場所、相手方、抗争内容(射殺等)、直属団体名、組員(放免者)氏名、罪名、服役刑務所、刑期、出所日を記載した「本抗争放免祝請願書」を提出させ、これを承認した場合は、時には被告B4も出席して、本部で金メダルや少なからぬ功労金等を交付するなどの放免祝等を実施し、準抗争功労者の放免祝いは、本部慶弔審議委員会に届け出ることにより各ブロック毎にブロック内直系組長を出席させて実施し(なお、認定外抗争の服役者は準抗争功労者扱いとする。)、それ以外の放免祝いは傘下組織内においてその判断で行うという指針を示し、本抗争参加者の中でも顕著な功績のあった事例では、極道歴を考慮して直系組長に昇格させることがあり、これが当該組員や上位直系組長の大きな栄誉というばかりでなく、山口組内での幹部、役職登用等の序列階段を上がる途が開かれる可能性もあり、さらにこれを背景とした大きな威力を獲得して組内部での勢力地図を塗り替えることもある。したがって、直系組長ないし傘下組織組員は、抗争に参加して長期服役した場合は、上記のような栄誉、組織内での地位上昇の処遇期待を持つことになる。

ウ 抗争形態も、戦後、警察力や情報力も十分でなかった時期には、白昼堂々と凶器を携帯して大挙して相手方事務所に殴り込むなども可能ではあったが、警察が抗争の発生ないし予兆情報を獲得した段階から組事務所ほか関係先を張り付け警備する方式が定着した現在では、このような旧時代的抗争型は圧倒的な警察力の前に容易に防圧、検挙され、現在では、必殺を狙う隠密裡に組織された小人数が、綿密な調査・計画の上に確実に対立組織の幹部を狙い、自らの逃走までを実行するという形態が多くを占め(その、効果的防禦方法は、建物内に留まって一切外出しないこととされている。)、前記のとおり、その周縁には所属組織への忠誠心と功名心等が混ぜ合わさって、抗争と思ったら指示を受けなくとも走るという命懸けの一匹狼的組員が跋扈することになる。

(6) 本件誤殺事件に至る経過

ア 会津小鉄内山浩組組長の山口組宅見組内福原組組長に対する借金問題に端を発し、6月14日から同月15日、京都市及び大津市において(結果としてはいわゆるガラス割りに終わり受傷者はなかった。)、会津小鉄関係の、<1>2次組織山浩組事務所(宅見組内の3次組織組員を検挙)、<2>山浩組組長の自宅(宅見組内の3次組織組員を検挙)、<3>会津小鉄の本家事務所である会津会館、<4>3次組織畑組事務所、<5>2次組織園村組事務所、<6>2次組織岩田組事務所(山口組倉本組の3次組織組員を検挙)、<7>2次組織登志会事務所が銃撃される一方、山口組関係では、<1>宅見組内福原組事務所、<2>宅見組組員の自宅、<3>山田組内3次組織の組事務所、<4>山田組関係者の経営するスナック(会津小鉄傘下組織組員を検挙)、<5>山田組内3次組織の事務所、<6>山田組内3次組織の関連会社、そして、双方の組織と関係のない元崇仁協議会役員方のドア、看板等に拳銃が発砲されるという事件が発生し(以下、便宜「14連発抗争」ということがある。)、京都府警では山口組傘下組織と会津小鉄傘下組織の抗争に発展するのを警戒して、下鴨署に「連続銃器発砲事件対策本部」を設置して厳重な警備体制を敷いていた。

上記の件については、同月17日、会津小鉄側が会長のW、若頭X(中島会会長)ら、山口組側が若頭L(当事者である福原組の上部団体である宅見組組長)、d若頭補佐(山健組組長)、e若頭補佐(倉本組組長)が、借金問題の当事者である山浩組組長と福原組組長が話し合いにより問題を解決するように努めるということで五分の和解が成立した。   イ 祇園事件の発生

(ア) しかし、その後も、京都駅前開発に利権を求めて京都に進出し、山口組組織、会津小鉄組織のいずれにも属さない崇仁協議会との軋轢等から、7月11日の山口組3次組織組長宅に対する発砲事件、同月24日の山口組直系組長中野会会長宅への発砲事件、同月27日の崇仁協議会議長宅での発砲事件(協議会会員が受傷)、8月2日の崇仁協議会議長の交友者の射殺事件、同月19日の会津小鉄3次組織組長に対する発砲事件が発生し、京都府警は、発砲事件の再発を警戒して、崇仁協議会議長宅のほか、下鴨署管内では会津小鉄傘下山浩組、中島元成会、山岡総業、刃心会、明大会、さらに、山口組直系組長の2次組織二代目山崎組、前記福原組に対する流動・固定警戒を実施していた。

会津小鉄直系組長(小頭)山浩組組長Hが、会津小鉄の縄張りとされる祇園において、山下組組員Fの拳銃発砲により受傷するという祇園事件が発生したのは、京都府警がこのような厳重警戒態勢を敷いている最中であった。

会津小鉄直系組長のH組長、同じくI組長、J組長の3名は、8月24日午後9時頃から祇園のクラブでそれぞれが水割り数杯を飲んで遊興の帰途、同日午後11時19分ころ、折から食事のために祇園にやってきたG(山口組の地元直参組である二代目山崎組の元本部長であったが堅気となり、H組長とは古くからの顔見知りであった。)及び面識のない同伴者2名(山下組組長代行E、舎弟F)とばったり出会い、GからH組長に「おはようございます。」と挨拶し、H組長がGに「おはようさん。いつ帰って(出所)きたんや。元気にしてはりまっか。」と出所をねぎらったが、何を思ったか、傍らにいたI(山崎組先代組長時代からGの顔だけは見知っていた。)が、Gに対し、「○○○、元気にしてんのか。」「○○○やから○○○やないかい、不服かい。」と見下すような言動をしたため雰囲気が一挙に険悪化し、横からGに加勢したEのIに対する「不服やから不服いうとんやないかい。あんたらどこのもん(組)や。」、これに対するIの「お前らこそどこのもんじゃい」、さらにEの「山下の者や。」というやり取りがこれに拍車を掛け、I、Jがこもごも喧嘩腰で「山下がどないしたんや。」「山下が何ぼのもんじゃ。」などと山下組の面子を壊すような態度に出たため、当初、双方のやり取りを遠巻きに見ていたFが激昂し、「山下組がなんぼのもんじゃと。上等やないかい。」といいざま、至近距離からH組長に拳銃を発射して左腕に命中させ、これに続いてIを狙った弾は、あわてて手を広げて「やめとけ。」等と制止に入ったEやGのうち、Eの右腕を射抜いて負傷させた。Fを除く5名は、警察が警戒をゆるめていない京都の、それも随一の繁華街における拳銃発砲という意想外の展開に驚いたが、H組長がGに対し「○○○ちゃん、俺の手に入っとんねん。このまま散ろな。」と提案したため、H組長ら3名は北方面に、Gに「散ろ、散ろ。」と促されたE、Fは南に逃走した。逃走途中のFは、山下組事務所に対する会津小鉄組織からの報復を恐れて、組当番に「祇園でE代行と居て揉めた。相手は会津小鉄や。連絡を入れてくれ。」と要点だけを連絡をした(捜査当局は、発砲後間もなく事件の発生を認知していた。)。

(イ) Eら3名は、タクシーを山下組事務所付近で降車し、Eが電話で山下組事務所に「会津のH、I、Jと揉めた。わしも手に怪我をしたが大丈夫や。」との連絡をし(身内のFの発砲により受傷した事実までは告げていない。)、3名がそこで別行動をとることになった。Gは、3人の中でH組長に唯一名前を知られていることから、タクシーで兵庫県伊丹市内の友人宅に身を隠し、Eは、発砲者Fにホテルに指示して身を隠させ、自身も知人のマンションに身を隠した。

山下組当番であるfは、Fから祇園事件の連絡を受けた直後、事務所に居合わせたgとともに被告B1に電話連絡し、事態の推移をみるために自宅待機を指示され、山下組組員や山下組本部長のD、宮田興業事務所と連絡を取り、「祇園でE代行とFが揉めた。相手は会津小鉄のH組長とI組長だ。」と自宅待機の連絡を入れたが、間もなく、連絡を受けて事務所に来所した本部長のDと3名で鍵を掛けて事務所への人の出入りを止めて事態の様子を見守った。

一方、山浩組事務所でも、組長代行、本部長ほか1名が、祇園事件勃発直後、会津小鉄本部事務所等から「H組長が撃たれて府立(医大)病院で治療中」との一報を受け、組長代行、本部長が急遽病院に駆け付け、残った組員が他の組員に事務所への招集をかけた。組長代行らは、治療に付き添っていたI、Jから、Gの同伴者(氏名不詳)から撃たれたとの説明を受けたが、すでに病院には多くの警察官が駆けつけており、H組長が「大丈夫、大げさにするな」との意向であったため(なお、H組長と被告B1は、指定暴力団としては別の組織に属するが、以前から知り合いであった。)、同組長から「組員を引き揚げさせること」の承諾を得、そのころ駆けつけた若頭にも「親分は命に別状はない。みんなを事務所に引き揚げさせて、自宅で待機させたらどうや。」と告げて事務所に帰った。すでにこのころの山浩組事務所には、祇園事件発生の報を受けて警察官が警戒警備して、その出入りはボディチェックを受けるような状況であった。

ウ 本件誤殺事件

被告B2は大阪府東大阪市に妻子と居住し、山下組2次組織であった宮田興業の組員として大阪方面を活動の本拠とする者で、前記のとおり、被告B1の出所後に山下組の組織強化のために同組直参に昇格したばかりであったが、8月17日頃から女性を伴って各所のホテルを泊まり歩くなど遊興し、祇園事件の勃発した8月24日夜は京都市内のホテルに投宿中であった。被告B2は、同月25日午前0時ころ、ポケットベルへの連絡から宮田興業事務所に電話を入れ、組員のhから「京都祇園で会津小鉄の者と山下組のE代行、Fが揉めてE代行が怪我をした。お前今どこにいるんや。みんな待機がかかっているし、連絡を取れるようにしておけ。」「会津小鉄の若い衆から組長のタマ(命)を取ってやるとの電話があった。」と教えられたが、hもそれ以上の詳細は知らず、とにかく、自分がかつて親分と仰いだE代行が会津小鉄の者から怪我をさせられ(その後、警察への発覚を恐れるEから、直接電話で警察に通報する可能性のない医者の紹介を依頼されている。)、そればかりか会津小鉄の者が被告B1の命を狙う限りは報復行動が必至で、しかも、自己は女と遊び回りながら、しばらく山下組事務所に顔出しをしていない不義理も重ねていることから、会津小鉄の組員を射殺するという先制攻撃的行動を起こして組への貢献を示そうと決断し、同日午前1時ころ、Dの配下として山下組事務所に詰めていた被告B3を呼びだし、相手方がH組長、I組長であることを確認し、被告B3の運転してきた山下組若頭登録名義の車に同乗して河村組事務所、山浩組事務所への案内を指示し、被告B3の「これから見に行くんですか。」との問いに対して、「いらんこと言うな。とりあえず言われたとおり走っていけ。今日はどうなるか分からんぞ。」と腹をくくらせ、同日午前4時13分ころ遂に本件誤殺事件を敢行した。

なお、これに先立ち、連絡を受けて山浩組事務所に駆けつけた同組員iは、他の組員と警察官の会話内容などから、H組長がGの連れの者(氏名不詳)から拳銃で撃たれたことを知り、Gを脅して発砲者を特定して報復するつもりで単独行動をとり、G方前に出向いたが夜中でもあり、すでに電気が消えて人の気配もなかったことから、午前2時30分頃、G宅の玄関ドアに拳銃7発を発砲して逃走した。

エ 被告B1の行動等

被告B1は、藤和会から、いわゆる14連発抗争事件の大部分は会津小鉄の2次組織である山浩組と山口組3次組織福原組の揉め事と聞かされ、同事件には関係していないが、祇園事件発生直後、組事務所の当番から「祇園でFがH組長に発砲し、同組長とEが怪我をした」という程度の事件のあらましの連絡を受け、事務所に当番者だけ置いて様子を見るよう組員の自宅待機を指示しただけで自宅に籠もり、翌朝になって、警察官射殺という衝撃的な本件誤殺事件の発生を知り、経過からして山下組員の敢行した事件である可能性が強いため、これを上部団体藤和会のC会長に連絡し、その後、被告B2、同B3の犯行であることをC会長に連絡した。

早朝から警察官射殺という本件誤殺事件が報道される中、同日午後、山口組本部で緊急幹部会が開催され、その指示でCと被告B1が祇園事件、本件誤殺事件にかかわった組員3名を警察に出頭させることになり、同日午後9時ころ、山口組L若頭、藤和会C会長に付き添われた被告B2ら3名が京都府警下鴨署の捜査本部に出頭し、L若頭は、「この度は京都府警に大変ご迷惑をおかけしました。誤ってやったこととはいえ、御上を殺め、尊い命を奪ったことについて、当代に代わり心からお詫びします。申し訳有りませんでした。」と恭順の意を表した。

そして、8月26日、京都市内のホテルにおいて、祇園事件から本件誤殺事件を含め、山口組と会津小鉄との間で手打ち(和解)を行った。山口組の出席者は、d、e、jの各若頭補佐3名、会津小鉄側はX若頭、M本部長であり、藤和会会長の破門などを条件に和解し、藤和会会長のCは山口組を破門されて藤和会を解散し、また、元山崎組副組長Gに対する監督不行届という理由で、2代目山崎組組長kを謹慎処分とした。

2  上記事実関係によれば、被告B2、同B3が、民法709条、719条により、本件誤殺事件により生じた損害を賠償すべき責任があることは明らかであるから、まず、被告B1の共同不法行為責任について検討する。

(1) 思うに、暴力団抗争は、擬制的血縁関係による組長に対する絶対的服従関係に支配され、組の威力・面子を維持するいう暴力団特有の組織・行動原理に支配された団体的行動で、その唯一の目的は他人の生命、身体、財産に対する攻撃という違法行為を敢行することにあるから、およそ抗争なるものは、原因・理由、経過のいかんを問わず絶対に排除されるべきことはもとより当然であり、組員を統制支配すべき組長は、組としての抗争時には、条理により組員による他人の生命、身体、財産に対する侵害という結果を防止すべき措置をとる注意義務、すなわち、結果回避義務があり、これを怠って被害が発生した場合は、不作為による不法行為を構成する場合があるというのが相当である。けだし、平時における個々の組員の活動、ことに生活の糧を得るシノギ行為は、暴力団の威力を利用した不当な行為として暴対法による中止命令の対象となるようなことはあっても、個々の組員が日常的に他人の生命、身体、財産を侵害する犯罪行為を行なっているわけではなく、組長の組員に対する支配統制も潜在的・抽象的な統制関係として機能しているにすぎないのに対し、抗争時は平時と異なり、組員により構成される全組織の活動が組を維持するための上記の如き違法行為を行うことに収斂され、同時に、組員が改めて組長の顕在的、具体的な統制支配に厳格に服さざるを得ないことは見やすい道理であり、抗争による損害発生の危険は当該組長の行為支配の範囲内に入り、かつ、組織内にあっては組長のみがこれを回避できる地位にあるからである。その意味で、これを権限と称することの当否は別として、組長が抗争の開始、終結等の事実上の決断ができることを考えれば、組長が原告らのいうところの抗争管理権なるものを有することは原告ら主張のとおりである。

しかのみならず、暴力団抗争への発展過程は、相手方の組織の対応、警察による規制等の諸条件により流動的であるから、抗争原因の発生時から組織全部に伝播して本格的抗争行為に至るまでは相当の情報が錯綜混乱するはずで、組事務所や組長の周囲で正確な情報に接することができない組員が、既往の外形的事実だけに依拠して抗争の存在を誤解すべき状況が生じたり、抗争が終息に向かっていることなどを知らないまま、抗争の存在を前提として相手方組員に対する襲撃を敢行、継続する事態の起こり得ることは容易に予見が可能であるから、組長としては、抗争を開始せず、あるいは終息を図ったとしても、なお、組員が抗争の開始、継続を誤信するおそれのある状況が存在する場合にも、改めて攻撃、報復行為を絶対に禁止する旨を徹底すべき注意義務があるといわねばならない。

(2) これを本件についてみるに、14連発抗争、これに引き続く崇仁協議会関係者の射殺事件等と山下組は直接の関連はなく、現に、山下組組員が食事のために会津小鉄の縄張りである祇園に外出するなど抗争の存在を前提とする緊張関係はなく、前記祇園事件の発端をみても、祇園事件と14連発抗争事件等を直結して、一連の抗争の一環であるとの見方を採用することはできない。しかし、祇園事件は、経過はともあれ、会津小鉄の縄張り内で、その幹部の直系組長が一家、一門を異にする他の組織組員に拳銃で狙撃されて負傷するという山浩組組員を震撼させる出来事で、同時に、それは組の権威に対する最大の挑戦、屈辱であったことは紛れもない事実で、もし、本件誤殺事件を契機とした山口組本部の主導する和解、あるいは山下組が謝罪を入れるなどして和解ができなかった場合は、山浩組がこれを座視することは容易に考えられず、早晩親の敵を討つための報復行動が必至として抗争に発展した可能性の高い状況にあったというべきである。祇園事件は、折から14連発抗争や崇仁協議会関係者の射殺事件等で、京都府警の山浩組その他の組事務所に対する流動、固定警戒という厳戒態勢が敷かれている最中に発生し、祇園事件の発生と被害者は早期に捜査当局に認知されたため、H組長の治療先、山浩組事務所には早々に警察官が出動して張り付け警戒をするなどしていたことから、同組としても直ちに動きのとれない状況にあり、一方、山下組は一方的に第一撃を加えた加害者側で、その後の報復行動等による会津小鉄ないし山浩組の動きを確認すべき立場にあり、組員3名が事務所の鍵を掛けて出入りを制限し、事務所には抗争時の戦闘隊長ともなるべき若頭、また、他の組幹部も詰めていないのであるから、いまだ組同士の抗争段階には至っていなかったものと推測することができる。

それにもかかわらず、被告B2の主導により敢行された本件誤殺事件は、同被告においてEの受傷が会津小鉄の者による発砲(Eの受傷が拳銃によるものであることは、Eから医師の紹介を依頼されている事実から容易に推認できる。)との誤解も一因となっているが、基本的には、前記暴力団組員の行動様式、なかんずく、いったん抗争が起これば闘争心をかき立てられ、抗争と思えば、組長、幹部の指示を待つまでもなく、いわば鉄砲玉となって最前線に身を投じるという団体的原理に支配された行動で、山下組の組長である被告B1(当然、EないしFとの間に電話での祇園事件の詳細の連絡があり、経過は経過で承知していたはずである。)は、山浩組と山下組の前記緊張関係からして、このような事態の発生する可能性は当然予見できたにもかかわらず、組員に対し他人に対する殺傷行為を厳禁しないばかりか、待機指示も徹底しないまま自宅に籠もって放置したのであるから、被告B1の不作為は民法709条の要件を満たし、かつ同不作為と被告B2、同B3の行為には関連共同性が認められ、被告B2、同B3と共同不法行為責任を負担するというのが相当である。被告B1が、待機指示を徹底しなかったことは、祇園事件直後に山下組事務所に駆けつけて事務所の雰囲気を知っていた当の被告B3が、本件誤殺事件に参加していることからも明らかといわねばならない(付言するに、被告B1は、祇園事件後、本件誤殺事件の発生前後までの自己の行動の詳細を供述していないが、自宅に籠もり続けたとの供述一つをとってみても、それが前記襲撃班からの最も効果的な防護方法であって、警護役の組長付きも周囲にいなかったとは限らず、また、祇園事件の場合もそうであったように、山浩組員とおぼしきものに発砲した被告B2が、さらなる返報をおそれて本件誤殺事件直後に山下組事務所に連絡しないはずはなく、後刻、山口組と会津小鉄の間に和解が成立し、また、被告B2らが警察に出頭するまでに多少時間的余裕があったことを考慮すれば、本件証拠として提出された山下組関係者、山浩組関係者の捜査官に対する供述調書は、行間を読むべく証拠評価をなすべきは当然であり、一般論としては、山浩組が組長を負傷させられたにもかかわらず組員に自宅待機を指示するなどの悠長な動きをしていることの不自然さを指摘するなどして、被告B1が同B2らの行為を黙認していたと推認することは不可能ではない。しかし、本件では、全証拠を検討しても前記認定事実を超えた事実を具体的に認定する資料は発見できないというほかない。)。

3  続いて、被告B4の責任について検討する。

(1) 使用者責任

ア 五代目山口組が兵庫県公安委員会から暴対法3条の指定暴力団(数次の傘下組織をも加えた階層的構成の存在を前提とするもの)に指定されていることは前記認定のとおりであって、傘下組織組員は直属する組の組員であると同時に暴対法上は上位にある指定暴力団山口組組員としての地位を併有するが、このような暴対法による指定暴力団の指定という行政処分は、取締規定である暴対法9条所定の暴力的要求行為の規制等、また、同法15条所定の対立抗争時の事務所の使用制限その他の規制(措置命令)を発動するための前提要件の確認であり、組長である被告B4が傘下組織組員の不法行為について民法715条の責任を負担すべきかは、別途、同条の予定する要件を具備するか否かの検討を要し、山口組に対する指定暴力団の指定事実はそのような要件の有無を判断する際の一要素にとどまるものといわねばならない。

イ そこで、被告B4の民法715条所定のいわゆる事業について検討するに、山口組組織にあっては、3次組織組員が組員として3次組織組長に、3次組織組長が2次組織組員として2次組織組長に、2次組織組長が本部(1次組織)組員(直系組長)として本部(被告B4)に、それぞれ定期的な会費(上納金)、義理掛等で財貨を供出し、反対に、直系組長以下、傘下組織組員が山口組の代紋(前記のとおり、直系組長以外の傘下組織組員は、山口組の代紋に2次組織の名前の入った代紋を使用しているが、これとても山口組内の直系組長別の系列を明示するだけで、山口組の代紋に相異はない。)の使用を許され、山口組組織全体の庇護の下に日常的な組活動を行っていること、山口組1次組織(本部)の構成員である直系組長は、いわゆる極道世界で功成り名を遂げた人物で、傘下組織組員のように縄張りで地べたを這うような苦労をして現業に従事する必要がないこと(自らの考えにより固有のシノギをするか否かは別論である。)を考えれば、初代からの組の歴史的由来は別として、少なくとも、1次組織としての五代目山口組は、固有の縄張りを持って固有の現業を行う組織ではなく、外に向かっては、傘下組織の活動に他の暴力団組織が容易く対抗できないように、また、一般市民の間でのシノギが容易になるように、ほぼ全国的に完成、定着したわが国最大の暴力団としての山口組の威力(暴力イメージ)を維持、拡大し、内にあっては直系組長を通じて傘下組織の管理・統合、傘下組織間の利害の調整、さらには他組織との渉外等を行うという組織的、機能的性格を有するものと推測することができる。そして、三代目が狙撃された事件、組織を割った一和会のように、直接1次組織の権威を失墜する行為に対抗した組織的抗争事件、さらに、傘下組織の抗争であっても幹部が襲撃されたり、新たな地域への縄張りの伸張等を意図して、これを1次組織の抗争として取り上げることにより、当該抗争原因に無関係である他の傘下組織が組織横断的に参加するなどの支援抗争の存在は、上記のような山口組の存立目的の中で理解すべきもので、そのような抗争行為が被告B4の山口組の威力維持、拡大の事業を構成する場合は十分にあり得ると考えられる。

しかし、いうところの傘下組織も1次組織である五代目山口組組織(本部)とは別個の組織として存在することも社会的事実で、通常、直属組長及び組員同士の関係は、地元の縄張りを中心に、互いが顔も知り合い、日常的にすべての組員と接触交渉があり、共同行動をとるというように、構成メンバーが互いに直接的に交渉し合っている人的関係があり、かつ、盃事を通じた強い人的紐帯関係に結ばれた固有の集団を構成し、これら傘下組織の山口組組織への包摂の仕方をみても、法人や権利能力なき社団のように法令、定款、就業規則等により一定の目的の下に有機的に結合された権限分配という職位の体系が構築されているわけではないから(その意味では、職位による序列関係ではなく、固有の組織同士が力関係により序列化された仲間集団というに近い。)、傘下組織暴力団として固有の抗争というものがあるはずで、階層的に構成された下位傘下組織の抗争との一事をもって、被告B4の事業に該当するとは必ずしもいいきれないと考えられる。

ウ すなわち、一口に抗争といっても、傘下組織に原因する当該組織固有の抗争もあるし、上部組織、さらには最上位にある指定暴力団に原因し、指定暴力団の抗争として、傘下組織がその兵卒として担う抗争もあるというように、性質の異なる抗争が現存するのであって、そうである限りこれらを峻別して論ずることが必要である。そして、下部組織組員の抗争行為が指定暴力団組長の事業ないし事業密接関連行為と評価される可能性を見いだすことができるのは後者の場合であり、前者の場合は、指定暴力団組長が直接傘下組織組員を指揮したなどの特段の事情のない限り、指定暴力団組長の事業ないし事業密接関連行為とはなし難いというべきである。けだし、山口組の組織において、緊急時に被告B4あるいはその意を忖度した幹部会が、直属組長の傘下組織組員に対する指揮監督系列を飛び越して直接指揮監督できるのかは本件証拠上明らかではないが、少なくとも、被告B4の傘下組織の指揮監督の可能性は、後者の場合にしか考え難いからである。これは、後日、上部組織が間に入って手打ち(和解)したからといって、覆されるものではない。そして、山下組が14連発抗争に関係したと認定すべき証拠はなく、祇園事件は、山下組の代紋を侮辱された同組員が、侮辱した相手方グループの一人に発砲したという山下組固有の原因による紛争で、前記事情で互いが相手の様子を見合っていて、祇園事件の発生の前日午後11時19分から本件誤殺事件発生の当日午前4時13分の約5時間の間に、これが飛び火して山口組本部の抗争に発展した事実もない本件で、かつ、当時の京都における山口組と会津小鉄の各1次組織の関係を考慮すれば、本件誤殺行為が被告B4の事業密接関連行為と断ずることは困難というほかない。もっとも、抗争は、傘下組織間の抗争であっても、一面では上部組織の代紋を背負った抗争という二重構造を持つから、傘下組織の抗争は常に上部組織の抗争の一部を構成するという見方はできないではないが、元来、傘下組織の組員は上位の組の組長と直接の盃を交わして擬制的血縁関係を結ぶものではなく、その関係は、自らの決断により盃事を交わした直属組長を通じた間接的なもので、例えば、直属の組長が上部組織の系列を変えたり、死亡、引退、破門等により上部組織を脱退した場合は、その傘下組織組員一党は、そのこと故をもって上位の組の組長との関係も解消されるのが組織原理となっており、上位の組の組長、さらに頂上にある指定暴力団の組長の支配・監督関係は組織的には間接的、物理的・人的には拡散的で、末端の傘下組織になるほど上位組織組長の指揮命令系統から遠い存在にあると考えられ、被告B4の傘下組織組員に対する組織上の立場がいかに強力であるとしても、傘下組織固有の事情による抗争の前段階における行為について、被告B4の事業性を認めることはできない。本件誤殺事件後、山口組若頭らが実行犯ら3名を早々と警察に出頭させて恭順の意を表明し、さらに、後日会津小鉄と手打ちをした事実も、警戒中の警察官を射殺するという前代未聞ともいうべき事件が発生したことを考慮すれば、前記山口組の目的とする後始末行為と評され、前記判断を左右しない。

(2) 共同不法行為(幇助)

山口組が、抗争を本抗争(山口組の組織総力を挙げて遂行する抗争)、準抗争(傘下組織の抗争)、認定外抗争に区分けして、功績の度合いに応じて総本部での放免祝、直系組長への昇格等の賞揚行為を行っていることは先に認定のとおりである。原告らは、これをもって被告B2らに対する本件誤殺行為の精神的幇助行為に該当すると主張するが、組織に対する犠牲的貢献者の賞揚、優遇行為は何も山口組に限ったことではない暴力団一般の組織運営原理であり、これに応じて暴力団組織の上昇階段を上りたいとの意識は暴力団組員の誰もが有する行動原理の一つであって、3次組織の組員に昇格したばかりの被告B2らが、被告B1による賞揚行為を期待していたとしても、こと本件にかこつけて、被告B4ないし山口組本部での賞揚行為と結びつけて本件誤殺行為に及んだという具体的な因果関係を認めるに足る証拠はないから、原告らの主張は採用できない。

(3) 共同不法行為

原告らは、被告B4にも被告B1同様の不作為による不法行為責任が認められる旨主張するところ、証拠(甲B63)によれば、五代目山口組総本部は、「告」と題する書面で「(報告義務)山口組々員は他団体との抗争発生の場合、速やかにその状況及び理由等を総本部に報告しなければならない。」ことを義務付けていることが認められ、これが抗争発生の場合の関連組織への報復の備え、抗争の性質・軽重の見定め、関係先への警察による家宅捜索への備え等のための情報提供義務と考えられるから、本件における祇園事件がいまだ抗争段階に至っていなくとも、会津小鉄の幹部直系組長を負傷させ、発砲者が山下組組員であることまでは相手方に判明しているだけに、山浩組のみならず会津小鉄が抗争を起こした場合は山下組だけでは対応できないばかりか、直接の上部団体である藤和会にも矛先が向けられる可能性があり、被告B1が祇園事件の発生を知って間もなく、事件の発生の概要を藤和会C組長に連絡し、さらに、相手方が会津小鉄幹部で、祇園という京都市内の繁華街での発砲事件という影響の大きさからすれば、藤和会会長Cから山口組本部の夜間当番の幹部に事件の一報がなされた可能性が強い。しかし、山口組では、常務は最高幹部会で処理されていたばかりか、祇園事件発生から本件誤殺事件発生までの約5時間は幹部会の構成員さえ本部に参集することの困難な真夜中の時間帯であり、本件証拠上認められる幹部会の開催は誤殺が明らかとなった後の8月25日の午後というほかないから、上記5時間の間に、具体的に被告B1が認識したような本件誤殺事件が危惧されるような情報が被告B4に伝わっていたとまで認めるに足る証拠はない。そうとすれば、被告B4の結果回避義務について論ずるまでもなく、この主張は理由がない。さらにまた、傘下組織と会津小鉄傘下組織間の14連発抗争事件の発生という状況を基礎(しかも、これについても祇園事件発生前に手打ちが行われていることは前記認定のとおりである。)に、被告B4の不作為による責任を問責する主張も、同様の理由で採用できない。

4  さらに損害について検討を進める。

(1) 逸失利益 8019万0779円

前記基本的事実並びに証拠(甲F4)及び弁論の全趣旨によれば、K警察官は、本件誤殺事件(死亡)当時44歳(昭和26年3月15日生まれ)で、高校卒業後警察官として奉職し、本件誤殺事件当時は京都府警察下鴨警察署に巡査部長として勤務していた者であり、K警察官の平成6年度の給与所得は947万1989円、警察官の定年は満60歳になっての最初の3月31日であったことが認められる。

したがって、K警察官は、44歳から60歳までの16年間は死亡前年の年収である947万1989円を取得する蓋然性が高いが、定年後の60歳から就労可能年齢である67歳までの7年間については具体的な転職先、収入が準備されていると認めるに足る証拠はなく、生前の同人が高校卒業の同年齢男子労働者の平均賃金を上回る年収があったことなど諸般の事情を考慮し、控えめにみても、賃金センサス平成8年度産業計・企業規模計・高校卒業男子労働者60歳から64歳の平均賃金449万0600円の9割である404万1540円を下回らない収入を得る蓋然性が肯定できるから、生活費控除率を3割として、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、以下の計算式により、8019万0779円を逸失利益と認める。

947万1989円×10.8377(16年に対応するライプニッツ係数)×0.7=7185万8202円(円未満切り捨て、以下同じ。)

404万1540円×2.6508(13.4885(23年に対応するライプニッツ係数)-10.8377)×0.7=749万9319円

7185万8202円+749万9319円=7935万7521円

(2) 葬儀費用 250万円

証拠(甲F5ないし8)及び弁論の全趣旨によれば、原告A1が葬儀、墓碑建立等を行い、418万8702円を支出したと認められるところ、K警察官の年齢、社会的地位、死亡原因、家族構成等本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、本件誤殺事件と相当因果関係のある葬儀費用の損害は、250万円と認めるのが相当である。

(3) 慰謝料 3200万円

本件は、職務命令に服して、夜中に暴力団事務所の抗争警戒という危険職務に従事中の警察官が、あろうことか暴力団組員から射殺されるという悲惨な事案であり、その年齢、家族関係その他諸般の事情を考慮すれば、慰謝料額は妻である原告A1について2300万円、子であるその余の原告らについて各300万円をもって相当というべきである。

(4) まとめ

以上によれば、原告A1の相続分を含む損害額は、逸失利益7935万7521円の2分の1である3967万8760円、葬儀費用250万円、慰謝料2300万円の合計6517万8760円、その余の原告らの相続分を含む損害額は、それぞれ逸失利益7935万7521円の6分の1である1322万6253円、慰謝料300万円の合計1622万6253円である。

5  過失相殺

本件誤殺行為は、拳銃を使用した計画的な殺人行為というおよそ社会的に許容する余地のない不法行為であり、損害の公平な分担という過失相殺の趣旨を考慮すれば、被告B4を除く被告らの主張するような事情は被害者の過失として考慮すべき事情には該当しないと解するのが相当である。

6  損益相殺

(1) 証拠(甲F11)及び弁論の全趣旨によれば、原告A1が、受給している<1>地方公務員等共済組合法に基づく遺族共済年金、<2>国民年金法に基づく遺族基礎年金、<3>地方公務員災害補償法に基づく公務災害遺族補償年金は、各年度(4月から3月)ごとに6回に分けられ、第1期分が6月、以後、8、10、12、2、4月に支給されることが認められる。したがって、原告らにおいて遺族共済年金、遺族基礎年金、公務災害遺族補償年金の受給権が消滅した旨の主張のない本件においては、口頭弁論の終結の日である平成14年4月10日現在で、同年3月分までの上記各年金の支給を受けることができることが確定していたというべきであり、基本的事実において認定した分を含めて整理すれば、次の金員と認めることができる。

ア 京都府退職手当金  1905万4332円

イ 遺族共済年金     475万3943円(原告A1)

(内訳)

平成 7年9月分から平成 8年3月分  41万5622円

平成 8年4月分から平成 9年3月分  71万2496円

平成 9年4月分から平成10年3月分  71万2496円

平成10年4月分から平成11年3月分  72万5165円

平成11年4月分から平成12年3月分  72万9388円

平成12年4月分から平成13年3月分  72万9388円

平成13年4月分から平成14年3月分  72万9388円

ウ 遺族基礎年金     791万3792円(原告A1)

(内訳)

平成 7年9月分から平成 8年3月分  76万5800円

平成 8年4月分から平成 9年3月分 131万2800円

平成 9年4月分から平成10年3月分 123万7500円

平成10年4月分から平成11年3月分 125万9496円

平成11年4月分から平成12年3月分 126万6996円

平成12年4月分から平成13年3月分 103万5600円

平成13年4月分から平成14年3月分 103万5600円

エ 公務災害遺族補償年金 4551万9655円(原告A1)

(内訳)

平成 7年9月 から平成 8年5月分 552万5175円

平成 8年6月分から平成 9年3月分 613万9082円

平成 9年4月 から平成10年3月分 683万9500円

平成10年4月 から平成11年3月分 697万3700円

平成11年4月分から平成12年3月分 710万7800円

平成12年4月分から平成13年3月分 646万7199円

平成13年4月分から平成14年3月分 646万7199円

オ 公務災害葬祭補償金  120万2760円(原告A1)

(2) ところで、被害者が第三者の不法行為によって死亡し、その損害賠償請求権を取得した相続人がその不法行為と同一の原因によって利益を受ける場合には、損害と利益の同一性がある限り、公平の見地から、その利益の額を相続人が加害者に対して賠償を求める損害額から控除することによって損益相殺的な調整を図る必要があるところ、損害と利益との間に同質性があるか否かを判断するにあたっては、当該給付と損害賠償制度との間に被害者への重複填補を排除するとともに加害者が損害填補の負担を免れる不合理を避けるための調整規定が設けられているかどうか等の諸点を総合的に考慮して決するべきである。

そこで検討するに、退職手当金は、本件誤殺事件がなくてもK警察官の退職に伴い支給されるもので、原告らが本件誤殺事件により被った損害の填補を目的とするものではないから、原告らの損害賠償請求額から控除すべき理由はない。

次に、遺族共済年金、遺族基礎年金、公務災害遺族補償年金は、これらが本件誤殺事件により死亡したK警察官の得べかりし利益と実質的に同質であり、これについては既に受けた賠償の限度での補償義務の免除(地方公務員災害補償法58条2項)や補償価額の限度での損害賠償請求権の取得(同法59条1項)などの損害賠償との調整が予定されていることからすると、本件誤殺事件によるK警察官の損害を填補するものであって、損害賠償請求額から控除するべきものと解されるが、地方公務員等共済組合法45条、同法46条、国民年金法41条2項、地方公務員災害補償法32条によれば、公務災害遺族補償年金、遺族基礎年金、遺族共済年金は妻である原告A1に受給権があり、控除は上記各年金の受給権者についてのみ行うべきであり、かつ、各年金をもって損益相殺的な調整を図ることのできる損害は、財産的損害のうちの逸失利益に限られ、各年金額がこれを上回る場合であっても、当該超過部分を他の財産的損害や精神的損害との関係で控除することはできず、また、損害賠償額から控除することが許されるのは、上記各年金請求権が現実に履行された場合又はこれと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合に限られると解される。

以上によれば、原告A1について損益相殺すべき額は、葬儀費用について120万2760円、逸失利益について遺族共済年金475万3943円、遺族基礎年金791万3792円、公務災害遺族補償年金4551万9655円の合計5939万0150円となる。

(3) まとめ

したがって、損益相殺後の各原告の損害額は以下のとおりとなる。

ア 原告A1 2429万7240円

逸失利益から控除すべき額(5939万0150円)は、同原告の相続した逸失利益の額を超過するが、その超過部分を他の財産的損害や慰謝料から控除することはできない。

よって、同原告の請求し得べき損害額は、葬儀費用250万円から120万2760円を控除した残額である129万7240円と慰謝料2300万円の合計2429万7240円となる。

イ その余の原告ら 1622万6253円

その余の原告らについては、それぞれ逸失利益1322万6253円と慰謝料300万円の合計1622万6253円となる。

7  弁護士費用

本件事案の内容、訴訟の経過及び認容額その他諸般の事情に照らすと、本件誤殺事件と相当因果関係のある弁護士費用としての損害は、原告A1につき250万円、その余の原告らにつき各160万円と認めるのが相当である。

8  まとめ

以上によれば、原告らの本訴請求は、被告B1、同B2、同B3各自に対し、原告A1については2679万7240円、その余の原告らについては各1782万6253円及びこれらに対する本件誤殺事件の日である平成7年8月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、被告B1、同B2、同B3に対するその余の請求及び被告B4に対する請求は理由がないからいずれも棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邉安一 裁判官 佐藤英彦 裁判官 村上志保)

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