京都地方裁判所 平成11年(ワ)1311号 判決 2001年2月23日
主文
1 被告は、原告ら各自に対し、それぞれ1万5000円及びこれに対する平成11年6月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを10分し、その1を被告の、その余を原告らの各負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告ら各自に対し、金33万円及び平成11年6月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らは宇治市民である。
2 宇治市長は、その住民の住民票を世帯毎に編成した住民基本台帳のデータ(以下「本件データ」という。)を管理、保管していた。
本件データは、住民記録が18万5800件、外国人登録関係が3297件、法人関係が2万8520件の、合計21万7617件の情報であり、住民に関しては、個人連番の住民番号、住所、氏名、性別、生年月日、転入日、転出先、世帯主名、世帯主との続柄などの個人情報の記録である。本件データには、原告らの個人情報も含まれていた。
3 被告は、本件データを用いて乳幼児健診システムの開発をすることとし、平成9年6月2日、株式会社甲社大阪支社(以下「甲社」という。)に対し、前記開発に係る業務を委託した。甲社は、前記業務を乙株式会社(以下「乙社」という。)に再委託し、同社はこれを有限会社丙(以下「丙社」という。)に再々委託し、被告は前記再委託及び再々委託を承認した。
4 丙社の従業員の丙村梅夫及び当時大学院生でアルバイトの従業員であったT(以下「従業員T」という。)らは、平成10年3月30日ころから、前記開発業務に従事するようになった。そして、従業員Tらは、被告の担当者の了解を得て、本件データを光磁気ディスク(MO)にコピーして被告庁舎外に持ち出し、同社の社屋内において作業するようになった。
5 ところが、従業員Tは、丙社の社屋内において、本件データを自分のコンピュータのハードディスクにコピーし、平成10年4月又は5月ころ、更にこれを光磁気ディスクにコピーして、名簿等の販売を業とするA社に対し、代金25万8000円で売却した。
A社は、本件データを、結婚相談業者B社、婚礼衣装業者C社、名簿リストの販売業者D社に売却し、D社は、本件データから作成した、<1> 宇治市住民票21万7617件、<2> 大家族(6人以上)1870件、<3> 1人暮らし(独身者)1万4478件の各名簿を、インターネット上で販売した。
6(一) 被告の担当職員が、本件データを乳幼児検診システムのファイル作成のために使用することを決定し、あるいは、丙社の従業員Tらに本件データを被告の庁舎外に持ち出すことを承諾したのは、いずれも、担当職員の注意義務違反である。
(二) 従業員Tの前記売却は、原告らとの関係で、原告らのプライバシー権を侵害する不法行為である。
(三) 前記(一)は、被告の担当職員の行為であり、被告は、前記のとおり、順次委託を受けた丙社の従業員である従業員Tに対し、原告らを含む個人のプライバシーの情報である本件データの扱いについて指揮・監督する関係にあった。従って、被告は、民法715条又は国家賠償法1条により、従業員Tの前記行為により生じた原告らの損害を賠償すべき義務を負う。
7 損害
(一) 慰謝料 30万円
原告らは、本件データに含まれる自己の個人情報を第三者に販売され、インターネットのホームページ上で誰でも購入することのできる状態にされたことによって、精神的苦痛を受けた。
(二) 弁護士費用 3万円
8 よって、原告らは、被告に対し、民法715条又は国家賠償法1条1項に基づき、各自、損害金33万円及びこれに対する不法行為の後である平成11年6月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし5の事実は認める。
2 同6は争う。本件データは、住民基本台帳法(平成10年法律第47号による改正前のもの、以下「旧住民基本台帳法」という。)11条により、何人も閲覧可能な公開されている情報であり、また、原告甲野太郎、同乙山松夫の氏名、住所は電話帳にも掲載されている。従って、従業員Tによる本件データの売却行為は、原告らのプライバシーを侵害するものではない。また、コンピュータシステムの開発業務は、地方公共団体である被告の事務ではなく、また、従業員Tは被告の職員でもない。被告は従業員Tを指揮監督する権限はなく、指揮監督することも不可能であった。被告の担当者は、丙社の従業員が自社で作業を行うために本件データを複写して持ち帰り、同社のコンピューターに入れることは承諾したが、同社が本件データを他の目的に流用することまで承諾したものではない。
3 同7は争う。被告は、その後、A社らから本件データを回収し、またはコピーされていた本件データを消去した。原告らは何ら実害を被っておらず、具体的な損害は生じていない。原告らの主張の損害は、宇治市民のほぼ全員について生じる極めて広範な莫大な損害であって、被告にとって過度の不当な責任である。
理由
一 請求原因1ないし5の事実は当事者間に争いがない。
二 前記一の争いのない事実、〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。
1 原告らは宇治市民である。
2 宇治市長は、被告(宇治市)の住民の住民票を世帯毎に編成した住民基本台帳を作成し、本件データを管理、保管していた。被告は、本件データを用いて乳幼児健診システムの開発をすることとし、平成9年6月2日、甲社との間で、前記開発に係る業務委託契約を締結した。
前記契約の締結に際して作成された業務委託契約書において、「甲社は、この契約の履行により知り得た委託業務の内容を一切第三者に漏らしてはならない。」「甲社は、委託業務にかかる一切のデータを複写又は、複製してはならない。」(第9条)との定めがされた。
3 同社は、前記業務を乙社に再委託し、同社はこれを丙社に再々委託し、被告は前記再委託及び再々委託を承認した。
4 丙社の従業員である丙村梅夫及び当時大学院生であった従業員Tは、平成10年3月30日から、被告庁舎内で前記業務に従事することとなった。従業員T及び丙村梅夫は、同年4月13日、システムに本件データを落とし込む作業を行ったが、エラーが頻発し、所定の作業終了時刻である午後5時までに作業を終了させることができなかった。そこで、従業員Tらは、丙社の社屋内で作業を続けることとし、被告の担当職員の口頭での了解を得て、本件データを持参した光磁気ディスクにコピーして持ち帰り、同社社屋内において、本件データを従業員T使用のコンピュータのハードディスクにコピーした。
5 ところが、従業員Tは、平成10年4月又は5月ころ、コンピュータ内の本件データを自己の光磁気ディスクにコピーし、インターネットのホームページで各種名簿等の販売等を業とするA社を見つけ、電子メールで同社に連絡を取った上、同社に対し、当該光磁気ディスクを代金25万8000円で売却し、これを送付した。
6 A社は、その後、本件データを自社のコンピュータヘ入力した上、それを加工し、兵庫県内にある結婚相談業者B社、京都府内にある婚礼衣装業者C社及び名簿の販売業者D社に本件データをそれぞれ売却し、D社は、本件データから「宇治市住民票」21万7617件、「大家族(6人以上)」1870件、「1人暮らし(独身者)」1万4478件の各名簿を作成し、インターネット上にその購入を募る広告を掲載した。
7 本件データは、住民記録が18万5800件、外国人登録関係が3297件、法人関係が2万8520件の、合計21万7617件という極めて膨大な量の情報であり、住民に関しては、個人連番の住民番号、住所、氏名、性別、生年月日、転入日、転出先、世帯主名、世帯主との続柄などの個人情報が記録されていた。本件データには、原告らの個人情報も含まれていた。
8 その後、平成11年5月ころ、本件データが被告から外部に流出して、その購入を勧誘する広告が、インターネット上でホームページを開設した名簿業者を通じて掲載されているとして、新聞紙上で大きく報道された。
9 被告は、事態を重視し、A社と接触し、同年6月ころまでに、A社から本件データが入った光磁気ディスクを回収し、A社がそのコンピュータに保有していた本件データをA社に消去してもらい、B社、C社からはそれぞれA社が光磁気ディスク等で本件データを回収して返却させた。しかし、被告は、D社へ接触を試みたが、販売の中止、情報の廃棄等を要請したにとどまった。ただし、そのころまでに、インターネット上での前記の販売広告は閉じられた。
10 なお、原告甲野太郎、同乙山松夫は、NTTのハローページ京都市南部版に、その名前、住所及び電話番号を掲載させている。
三 前記二の認定事実を基に、まず、従業員TがA社に対して、本件データの記録された光磁気ディスクを売却した行為が、原告らに対する関係で不法行為を構成するか否かについて検討する。
1 本件データに含まれる情報のうち、原告らの氏名、性別、生年月日、住所は、社会生活上、原告らと関わりのある一定の範囲の者にはすでに了知され、これらの者により利用され得る情報ではあるが、本件データは、前記の情報のみならず、更に、転入日、世帯主名、世帯主との続柄も含まれ、これらの各情報が世帯毎に関連付けられ整理された一体としてのデータであって、原告らの氏名、年齢、性別、住所と各世帯主との家族構成までも整理された形態で明らかになる性質のものである。
このような、本件データの内容、性質に鑑みると、本件データに含まれる原告らの個人情報は、明らかに、私生活上の事柄を含み、また、一般人の感受性を基準にしても、公開を欲しないであろうと認められる事柄であり、更には、一般の人に未だ知られていない事柄であるといえる。したがって、右情報は、原告らのプライバシーに属する情報であって、それは権利として保護されるべきものといえる。
2 確かに、本件データに含まれる個人情報は、当時は、旧住民基本台帳法に基づいて記録されるものであり(同法6条、7条)、同法の上では、何人でも、市町村長に対し、その閲覧を請求することができ(同法11条1項)、住民票の写し又はそれに記載された事項に関する証明書の交付を請求することができるものとされていた(同法12条1項)。
しかし、旧住民基本台帳法においても、前記の閲覧や交付を請求する者は、請求事由のほかその氏名及び住所を明らかにしなければならないとされているなど一定の手続の制約を課せられており(同条2項、前記法改正前の住民基本台帳の閲覧及び住民票の写し等の交付に関する省令)、不当な目的によることが明らかなとき、又は住民基本台帳の閲覧により知り得た事項を不当な目的に使用されるおそれがあることその他請求を拒むに足りる相当な理由があると認めるときは、前記の請求を拒むことができるとされていた(同法11条4項、12条4項)。また、偽りその他不正の手段により、前記請求による閲覧をし、又は住民票の写しの交付を受けた者は5万円以下の過料に処せられることとされていた(同法44条)。そして、住民基本台帳に関する調査に関する事務に従事している者又はしていた者は、その事務に関して知り得た秘密を漏らしてはならないとされており(同法35条)、これに違反すれば刑事罰が課せられるものと規定されていた(同法42条)。のみならず、同法も、その36条において、「市町村長の委託を受けて行う住民基本台帳又は戸籍の附票に関する事務の処理に従事している者又は従事していた者は、その事務に関して知り得た事項をみだりに他人に知らせ、又は不当な目的に使用してはならない。」と明確に定めていたのである。
なお、平成11年法律第87号、法律第133号、法律第160号による改正後の住民基本台帳法では、36条の2において「1項 市町村長は住民基本台帳又は戸籍の附票に関する事務の処理に当たっては、住民票又は戸籍の附票に記載されている事項の漏えい、滅失及びき損の防止その他の住民票又は戸籍の附票に記載されている事項の適切な管理のために必要な措置を講じなければならない。
2項 前項の規定は、市町村長から住民基本台帳又は戸籍の附票に関する事務の処理の委託を受けた者が受託した業務を行う場合について準用する。」と規定された。
このように、住民基本台帳法上も、住民票データは、個々の住民のプライバシーに属する事項であるとして、保護されており、またそのように運用されているものである。
3 次に、前記二の認定事実によれば、本件データは、A社からB社、C社及びD社へ流出し、一定期間インターネット上でその購入を勧誘する広告が掲載されたというにとどまり、原告らを含む個々人の住民票データそのものが、インターネット上に掲載されて不特定の者がこれを直ちに閲覧できる状態になったわけではない。また、原告らは、それ以外に、本件データが前判示のように流出したことによって、これを不正に利用されたり、あるいは、原告らの住民票を利用した者からの商品の勧誘等の具体的な被害があったこと、更には、A社、B社、C社らが原告らの住民票データを検索して閲覧したこと等の事実も一切主張・立証していない。原告らが主張する被害の内容は、この意味で間接的なものといわざるを得ない。
しかしながら、本件デーダ中の原告らの住民票データは、前判示のとおり、原告らのプライバシーに属するものとして法的に保護されるべきものである以上、それは、法律上、被告によって管理され、その適正な支配下に置かれているべきものである。それが、その支配下から流出し、しかも、名簿業者へ販売され、さらに不特定の者への販売の広告がインターネット上に掲載されていたこと、被告が名簿業者から回収したとはいっても、それが完全に回収されたものかどうかは不明であるといわざるを得ないことからすると、原告らの上記データを流出させてこのような状態に置いたこと自体によって、原告らが精神的苦痛を被ったと主張されている本件においては、原告らの権利侵害がなかったとは言い難い。
4 以上のような原告らに係る本件データの内容、性質、及び住民基本台帳法の各規定、前記二で認定の被害の内容、程度に照らすと、従業員Tが本件データが記録された光磁気ディスクを名簿等の販売等を業とするA社に有償で売却したことは、それ自体、従業員Tが故意又は過失によって、A社とともに、原告らのプライバシーとして法的に保護すべき権利を違法に侵害したものといわざるを得ず、原告らに対する関係で不法行為を構成するものといわざるを得ない。
四 そして、本件データが、前判示のとおり、個々の住民のプライバシーに属する情報である以上、被告は、その秘密の保持には万全を尽くすべき義務を負うものというべきである。そして、前記二で認定したとおり、被告は、本件データを使用して乳幼児健診システムの開発をすることを順次委託し、結局、丙社に前記の業務をさせる以上、当然に、丙社の従業員Tを指揮・監督して本件データの管理に万全を尽くすことが要請されていたというべきであり、それは、前記システムの開発を民間に委託するに伴って、当然に、被告に要請されることであったといえる。
したがって、従業員Tの前記の売却行為は、被告の事務の執行についてされたもので、被告は、民法715条に基づいて、前記売却行為によって原告らに生じた損害を賠償する義務を負うものというべきである。
五 原告らの損害について検討する。
1 原告らの被害は、本件データが、A社、B社、C社及びD社へ流出し、インターネット上で本件データの販売を勧誘する広告が掲載されたことによる精神的苦痛及び前記の回収が完全であるか否かについての不安であって、それ以上に、原告らが具体的に何らかの被害を被ったことは、何ら主張立証されていない。したがって、プライバシーの権利自体は、法的に強く保護されなければならないものであるが、その侵害の程度・結果については、本件で原告らによって立証されているものは小さいといわざるを得ない。
しかしながら、前判示のとおりの原告らのプライバシーに属するデータについて、インターネット上で販売の勧誘がされたということ自体でも、それによって不特定の者にいつ購入されて如何なる目的でそれが利用されるか分からないという不安感を原告らに生じさせたことは疑いないことである。
2 そして、本来、本件データの売却よる個々の住民の損害額は、本来的に、個々的に異なるもので、個々の事情に基づいて認定されるべきところ、少なくとも原告ら三名については、差異は認められない。
3 以上の点や、その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告らが本件データの売却により被った前記の精神的苦痛を慰籍する慰謝料は少なくとも1万円であると認めるのが相当であり、それ以上のものであるとの立証は原告らはしていない。そして、前記売却による不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は5000円と認めるのが相当である。
六 よって、原告らの本訴請求は、被告に対し、各自1万5000円及びこれに対する不法行為の後である平成11年6月2日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法61条、64条、65条、仮執行宣言につき同法259条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 八木良一 裁判官 山本和人 吉田静香)