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京都地方裁判所 平成11年(ワ)1781号 判決 2003年3月25日

原告

甲野花子

同法定代理人親権者父

甲野太郎

同法定代理人親権者母兼原告

甲野春子

原告ら訴訟代理人弁護士

中川泰夫

被告

医療法人社団乙野産婦人科医院

同代表者理事長

乙野次郎

同訴訟代理人弁護士

莇立明

脇田喜智夫

山下信子

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1  請求

1  被告は、原告甲野花子に対し、1億1271万1060円及びうち1億0871万1060円に対する平成11年7月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告甲野春子に対し、1100万円及びうち1000万円に対する平成11年7月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は、被告が開設する乙野産婦人科医院(以下「被告医院」という。)において、原告甲野春子(以下「原告春子」という。)が、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)を出産した際、①被告医院の担当医師が出産前日における検査結果を見誤り、適切な措置を怠った、②出産当日、排便誘発剤の座薬投与をすべきではなかったのに、投与を行い、分娩監視装置による監視をしなかった、③原告花子の気管内挿管を継続すべきであったのに、抜管をした、④再挿管の際、担当医師がチューブを食道に挿管し、また、原告花子を転院のため搬送する際、チューブが抜けないように監視すべきであるのにこれを怠ったことにより、原告花子に重度の脳性麻痺の障害を生じさせたとして、原告春子及び原告花子が、被告に対し、診療契約の債務不履行責任に基づき、損害賠償を請求するものである。

1  前提事実(証拠の記載のないものは当事者間に争いがない。)

(1) 当事者

ア 原告花子は、父甲野太郎及び母原告春子の子として平成8年3月24日に出生した。

イ 被告は、被告医院を開設する医療法人である。

(2) 原告春子の被告医院受診及び原告花子出産の経過

ア 原告春子と被告は、平成7年8月5日、被告が、平成8年3月23日を分娩予定日とする原告花子を出産させるための母体と胎児の適切な管理及び分娩管理並びに原告花子出生後の適切な処置を行う医療義務を負うことを内容とする診療契約を締結した。

イ 被告医院の乙野次郎医師(以下「次郎医師」という。)及び乙野夏子医師(以下「夏子医師」という。)は、平成7年8月5日から平成8年3月24日までの間、適宜、交代で、又は、共に、原告春子の診療を担当した。

ウ 夏子医師は、平成8年3月23日、来院した原告春子を診察し、また、分娩監視装置により、胎児心拍数及び陣痛を計測し、胎児心拍数陣痛図(CTG。以下「本件CTG」という。)を作成した。そして、母子共に正常であると診断し、原告春子に対し、家で様子をみるために帰宅を認めた。

エ 原告春子は、平成8年3月24日、陣痛が発来したので、被告医院に赴き、当直の丙野三郎医師(以下「丙野医師」という。)の診療を受けた後、同医院において、原告花子を出産した。

オ 原告花子には、重度の脳性麻痺の障害が残った(甲6)。

(3) 診療経過は別紙診療経過一覧表のとおりである。

(4) 文中の医学用語

胎児心拍数陣痛図(CTG):分娩監視装置による検査結果。本件では、1分間あたり3cmの紙送り装置が用いられ、胎児心拍図、胎動及び陣痛図が示されている(乙19)。

胎児心拍数基線:胎児心拍図において、胎児心拍数の一過性の上昇又は下降の部分を除いた最も平坦な部分。約10分間が1つの単位として考えられている(乙7 30頁)。

基線細変動:胎児心拍図における基線の変動を示すもの。細変動は更に短期細変動(STV)と長期細変動(LTV)の2つに大きく分けられるが、臨床的に細変動という場合は、1分間に2回ないし6回の比較的緩やかな基線の変化である長期細変動(LTV)を指す。胎児は、約20分毎に睡眠状態と覚醒状態を反復し、これに伴って細変動も周期的に覚醒時に出現する(乙6 25頁、乙7 40頁)。

一過性頻脈:基線より一過性に上昇して最高が15bpm以上となり、基線に戻るまで15秒以上かかるもの(乙6 28頁)

一過性徐脈:子宮収縮に伴って一過性に心拍数基線が低くなるものをいい、子宮収縮の開始点と徐脈の開始点や子宮収縮のピーク点と徐脈の最下点の時間的遅れなどから、(a)早発一過性徐脈、(b)遅発一過性徐脈、(c)変動一過性徐脈に分けられる(乙6 23、28頁)。

正弦波様波形:胎児心拍数基線細変動のうち長期細変動(LTV)の特殊型であり、周期(2〜5/分)と振幅(5〜10bpm)が一定で約10分間以上継続するものをいう(乙6 27頁、乙7 41頁)。

胎児母体間輸血(FMT):胎児の血液が経胎盤的に母体循環血中に移行することにより胎児に生じる病態(乙10ないし12)

レシカルボン座薬:腸内で徐々に微細状態で炭酸ガスが発生するという緩やかな坐剤(乙5)

NST(ノン・ストレス・テスト):陣痛が開始する前の妊娠末期に分娩監視装置で胎児心拍数曲線を約40分間記録して、胎児の健康状態を推測する検査(乙6 43頁)

2  争点

(1) 被告医院担当医師の過失の有無

ア 出産前日における検査結果を踏まえた措置についての過失の有無

イ 排便誘発剤の座薬を投与した判断についての過失の有無

ウ 抜管時期の判断についての過失の有無

エ 再挿管についての過失の有無

(2) 損害額

3  争点についての当事者の主張

(1) 争点(1)ア(出産前日における検査結果を踏まえた措置についての過失の有無)について

【原告らの主張】

ア 本件CTGによれば、胎児心拍数基線細変動の減少、子宮の収縮に遅れた一過性徐脈の出現、これに続く正弦波様波形が認められる。

上記一連の検査結果によれば、被告医院には、胎児貧血や低酸素症を疑い、監視装置による監視を注意深く継続し、胎児仮死の早期発見に努め、さらに、原告春子に入院を促し、状態の変化を見守るべき義務があった。

イ しかるに、同日、原告春子の診療に当たった夏子医師は、上記義務に反し、母子共に正常であると診断し、原告春子に対し漫然と帰宅を認めた。

ウ 被告の主張に対して

(ア) 確かに、本件CTGには、典型的な一過性徐脈は認められないが、慎重に検討すれば、子宮収縮に遅れて一過性の徐脈が認められ、夏子医師は、これを一過性遅発性徐脈と認識し得たはずである。

(イ) 本件CTGにおいて、典型的なものではないが、正弦波様波形も数分間にわたり出現している。その部分は別紙の太線で特定した部分である。基線細変動の減少と正弦波様波形の全体を一連のものとして見れば、当然に胎児貧血症または潜在的胎児仮死を疑うことが可能であった。

(ウ) 仮に、原告花子にFMTが発生したとしても、前記検査結果等を慎重に判断していれば、胎児貧血症を疑うことは十分に可能であった。

エ 鑑定の結果(平成14年4月23日付けの鑑定書に記載された結果。同書面を「鑑定書」という。これに記載された鑑定人の見解を「鑑定意見」という。)に対する批判

(ア) 鑑定意見は、NST診断において、専門医にとって「安心はできない状態」にある患者の状況が客観的に示されている場合に、当該患者をして自宅で様子をみさせることが「明らかな過誤とすることができない」とするが、その間の論理的説明がされていない。

(イ) 鑑定意見は、「現在の妊婦健康審査で(早期のNST検査)を強制して行うことはできない」が故に、「本件において入院加療の適応とすることには無理がある」との理由から「明らかな過誤とすることはできない」と論じているが、これは、原告春子が自宅で様子をみることを希望したために自宅待機させたとの被告の主張を、無批判に前提として論じたものであり、平成8年3月23日の状況を具体的に吟味して検討したものではない。

【被告の主張】

ア 本件CTGにおいて、特段の異常はみられない。したがって、夏子医師に、原告らが主張するような義務及び義務違反は存在しない。

(ア) 胎児心拍数基線について

本件CTGにおける胎児心拍数基線は、155bpmと認められ、正常脈内である。

(イ) 基線細変動について

本件CTGにおける最初の約10分間の胎児心拍の波形が変化に乏しいのは、原告花子の睡眠状態を示すものであり、この時期に基線細変動の減少がみられるのは、当然である。約10分を過ぎたあたりから胎動が始まり原告花子が覚醒状態に入っており、6bpm以上の細変動が確認できる。

(ウ) 一過性徐脈について

原告らが問題とする遅発性一過性徐脈は、定形徐脈の一つであり、波形が画一で、滑らかで反復するという特徴がある(乙8 277頁、乙9 30頁)。しかし、本件CTGにはそのような遅発性一過性徐脈はどこにもみられない。

(エ) 本件CTGには正弦波様波形はみられない。

イ 原告花子の新生児検査等によれば、同人には、分娩前から比較的慢性の強度の貧血が存在したものであり、分娩時には、重症の貧血であった(ヘモグロビン値5.2g/dl)。その原因は、溶血性貧血でなかったこと、ビリルビン値は正常であったこと、血液型不適合でなかったこと、臍帯の断裂等の損傷がなかったこと、前置胎盤でなかったこと、原告花子の体内への出血はなかったこと、ウィルス感染がなかったこと、造血機能に異常がなかったことを総合すれば、FMTによるものとしか考えられない。そうすると、FMTにより比較的慢性の強度の貧血があった原告花子に、原告春子の陣痛発来後、新たに急性のFMTが発生し、失血性ショックを来して強度の仮死が生じたものである。

FMTは、極めて稀であり、妊娠末期又は分娩時に、突発的に発症するケースが多く、出生前診断が非常に困難であるから、現在の医療水準において、被告医院が、原告花子の胎児仮死の状況を予見し結果を回避することは全く不可能であった。

(2) 争点(1)イ(排便誘発剤の座薬を投与した判断についての過失の有無)について

【原告らの主張】

ア 原告春子は経産婦で、初産のときも2日早く出産し、今回も既に出産予定日を1日過ぎていたのであるから、陣痛から分娩までの期間が通常より早まる可能性があった。そして、丙野医師は、平成8年3月24日、出産まで2時間程度であると診断した。

イ 丙野医師は、2時間後に分娩の予定であると診断したのであるから、かかる場合には、座薬を用いるとこれが直腸を刺激して子宮収縮を促し、破水したり胎児が娩出したりする恐れがあることを認識して、原告春子に対して座薬の挿入を指示すべきではなかった。このことは、レシカルボン座薬でも変わりはない。丙野医師は、それにもかかわらず、漫然と座薬を投与した過失により、原告春子に正常な分娩姿勢をとらせる前に破水を生じさせ、また、胎児の娩出のおそれを生じさせた。

そのため、原告春子は、分娩監視装置を装着して分娩に臨むことができなかった。

ウ 仮に、原告花子が仮死状態で生まれた原因が胎児の時の強度の貧血にあるとすれば、このような事態は分娩監視装置の装着により予見することができ、被告医院において分娩前にかかる事態を予見していれば、予見した時点で原告花子に対する救命措置体制を整えることができたはずである。

【被告の主張】

ア 丙野医師が原告春子にレシカルボン座薬を使用したのは、直腸内に便が溜まっていたので、生理的に排便作用を徐々に起こさせ、分娩に至る過程を整えるために必要であったからであり、当然の措置である。

原告春子は、レシカルボン座薬を挿入された後、破水したが、これは本座薬の挿入が原因ではない。

なお、丙野医師は、出産まで2時間程度であるとの診断はしていない。

イ 突然の破水とそれに伴う所要時間がわずかである出産を予見することは困難であり、かかる予見し得ない現象の出現を予め想定して、分娩室に入室する以前の徴候のない段階から一般に妊婦に分娩監視装置を装着させることは、妊婦を徒に緊張させ負担をかけることになり現実的ではない。

ウ 本件においては、仮に原告春子における突然の自然破水の前に分娩監視装置を装着することができたとしても、胎児の出生直前に重症度の貧血状態や低血糖の状態などは到底予測しえなかった。

したがって、仮に、原告花子の出生前に、重度の胎児仮死の診断がされたとしても、分娩経過が非常に急速で短時間であったため、それに対する出生前の準備や救命措置態勢を整えて対処することはできなかった。

(3) 争点(1)ウ(抜管時期の判断についての過失の有無)について

【原告らの主張】

ア 次郎医師は、午後4時45分、原告花子の酸素飽和度が88〜94パーセントの状態で、同人に挿管されていたチューブを抜管した。

しかし、これは、時期尚早であり、抜管は酸素飽和度が95パーセント以上を安定的に示した状態になって初めてすべきであった。

この点において、次郎医師には、抜管の時期を早まった過失がある。

イ 次郎医師が、この時期に抜管した理由が、羊水の自然排出を期待したためであったとしても、酸素分圧が88〜94パーセントの段階では、呼吸管理を行うために気道を十分に確保すべきであったのであり、抜管はすべきではなかった。

【被告の主張】

ア 次郎医師が抜管したのは、午後4時55分ころである(乙1 10頁)。

イ 次郎医師が抜管を行ったのは、羊水多量吸引症も疑い、酸素分圧が88〜94パーセントと改善をみてきたが、さらに改善を図るために羊水の自然排出を期待したためであり、次郎医師の行った抜管は、適切な措置であった。

(4) 争点(1)エ(再挿管についての過失の有無)について

【原告らの主張】

ア 次郎医師は、再挿管の際、チューブを肺に挿管すべきところ、食道に挿管したため、挿管の効果がなく、原告花子が日本バプテスト病院(以下「バプテスト病院」という。)に収容されて再挿管されるまでの間、原告花子の低酸素状態が継続した(乙2 53頁)。

仮に、原告花子においてすでに低血糖や貧血状態が生じていたとしても、上記の長時間にわたる低酸素状態の継続により原告花子の症状が増悪した。

イ 仮に、次郎医師が気管に挿管したとしても、原告花子が救急車で搬送された際、救急車の振動等により挿管が気管内から抜けた可能性は極めて大きい。

次郎医師は、この救急車に同乗して原告花子の容態を注視していたのであるから、挿管が気管内から抜けていないかどうかについても常に確認すべきであったところ、同医師には、かかる確認を怠った過失がある。

ウ 被告の主張に対して

(ア) 原告花子が心臓停止ないし強度の徐脈を呈さなかったのは、原告花子が自発呼吸をしていたからである。また、腹部膨満となっていたか否かは不明である。

(イ) 看護記録は、その場に居合わせた看護婦が医師の確認した事項をありのままに記載するものであるから、バプテスト病院の看護記録における「入院時食道挿管」との記載が明らかな誤記ということはあり得ない。

【被告の主張】

ア 次郎医師は、喉頭を展開し、声門を確認して気管内に挿管し、また、両側の呼吸音を聴診器で確認し、左右の胸部の均等な動きも確認して再挿管を行った。

イ 仮に、原告花子への再挿管が食道にされていたとすれば、原告花子がバプテスト病院に搬送されるまでの間に心臓停止ないし強度の徐脈を招来していたはずであるが、かかる事実は認められない。

また、食道に挿管された場合、胃腸内には空気が充満していたはずであるが、腹部膨満の事実はない(乙2 8頁)。

ウ 原告花子を救急車で搬送中に救急車の振動で抜管したことは考え難い。

エ バプテスト病院の看護記録における「入院時食道挿管」(乙2 53頁)との記載は、明らかな誤記である。

(5) 争点(2)(損害額)について

【原告らの主張】

ア 逸失利益 3343万7796円

平成9年度賃金センサス第1巻第1表産業計全労働者の平均年収は503万9000円であるから、これを基礎とし、原告花子は67歳まで就労可能であるから、中間利息の控除につきライプニッツ方式を用いれば、逸失利益は3343万7796円(503万9000円×(19.2390−12.6032))となる。

イ 介護費用 5527万3264円

原告花子は、自力による生活が不可能であり、一生涯にわたり他人の介護を必要とするところ、現在の1日当たりの介護費用は8000円が相当であり、原告花子の平均余命は80年を超えるが、介護費用としてうち60年分をライプニッツ方式により計算すれば5527万3264円(8000円×365×18.9292)である。

ウ 後遺障害慰謝料 合計3000万円

(ア) 原告花子の慰謝料 2000万円

原告花子は、生まれながらに第1級の後遺障害を負ったものであり、この精神的苦痛を慰謝するためには、2000万円が相当である。

(イ) 原告春子の慰謝料 1000万円

原告春子は、原告花子が上記障害を有しているために、日々辛い思いを余儀なくされており、この精神的苦痛を慰謝するためには1000万円が相当である。

エ 弁護士費用 500万円

原告らは、本訴を提起するに当たり、弁護士に訴訟委任したところ、その費用は、500万円を下らず、うち400万円を原告花子が、うち100万円を原告春子が負担した。

【被告の主張】

争う。

第3  争点に対する判断

1  争点(1)ア(出産前日における検査結果を踏まえた措置についての過失の有無)について

(1) 本件CTGの結果について

ア 胎児心拍数基線は、150〜155bpmで正常値(正常値の範囲は120〜160bpmである。乙7 32頁)であり、基線細変動は2〜6bpm前後であり(正常値の範囲は6〜24bpm)、やや低下といえる(乙26、乙21 3頁、鑑定書 7頁)。しかし、最初の10分間は、大きな胎動がない状態で細変動が低下し、後に胎動と共に細変動が回復しており、睡眠―覚醒(resting-active)の二相性のパターンがみられ、これは、正常と判断する重要な所見である(鑑定書7頁)。

イ 本件CTGの最初の10分間において、1分間弱持続する子宮収縮が認められる。また、上記10分間のモニタリングの終了付近に小さな胎児バーストが2か所みられ、この部分で胎児の小さな動きがあったことを示しているが、この間の胎動数に異常はない(乙19、鑑定書 7、8頁)。

ウ 本件CTGの最初の10分中、9時21分の陣痛後に、持続時間約20秒間の徐脈がみられる(乙19、乙21 3頁、鑑定書 8頁)。これは、従来の定義によれば、遅発一過性徐脈とみなされる(乙6 28、29頁、鑑定書 8頁)。しかし、他の定義(平成4年8月1日の日母医報94ないし95頁)によれば、遅発一過性徐脈は、子宮収縮にほぼ反復して発生し、形がほぼ同じで、子宮収縮のピークに遅れて最下点がくるものとされているところ、上記徐脈は、単発であり、反復しているものではないから、遅発一過性徐脈に該当しない(鑑定書 8頁)。いずれにしても、子宮収縮毎にこれに遅れて反復してみられる徐脈が胎児仮死の徴候として重視されるところ(乙6 29頁)、本件では、このような徴候はみられない。さらに、本件では、子宮収縮後に胎動バースト及びそれに伴う一過性頻脈がみられるところ、これは胎動に伴う交感神経活動に基づく頻脈と考えられ、胎児の自律神経系の反応は存在していたのであって、重篤な仮死状態ではなかった(鑑定書8、9頁)。

エ 本件胎児心拍数曲線は、交感神経系の活動による一過性頻脈と、それを戻そうとする副交感神経の作用が現れているだけの波形であり、胎児の生理的反応を表しているのみで、正弦波様波形が出現しているとは認められない(乙6 27頁、乙21 3頁、鑑定書 9頁)。

(2)  上記によれば、本件CTGにおいて、基線細変動にやや低下が認められ、単発的な一過性徐脈も認められるものの、異常と判断すべきものではなく、正弦波様波形の出現も認められず、心拍数基線は正常脈であり、胎動に合致する一過性頻脈も振幅が小さいものの認められ、睡眠―覚醒の二相が観察されることからすれば、本件CTGの結果からは、ある程度のストレスが胎児にかかっている可能性は示唆しているとしても、それ以上に、胎児貧血、潜在的胎児仮死、FMTを疑うような異常の存在を示しているとはいえず、このような症状を疑うことは不可能であった(乙21 3頁、鑑定書 9、10頁)。そして、平成8年3月23日の原告春子についての外来所見は、子宮口2指開大、下降度マイナス2cmであり、同月12日(妊娠38週)及び同月19日(妊娠39週)のそれと同様であり(甲3 添付写真15、乙16頁)、正常経過であったこと(乙21 3頁、鑑定書 10頁)をも勘案すれば、夏子医師が母子共に正常であると診断し、原告春子を帰宅させた点に過失を認めることはできない。

(3) なお、原告花子が重度の仮死状態で出生した原因は、①原告花子には、著明な赤芽球の上昇(白血球100に対し484)、肝腫大及び胎盤の腫大が認められるなど、比較的慢性の胎児貧血があったことが推定されること(乙2 58頁、乙21 2頁、乙23 1、2頁、鑑定書 2頁)、②原告花子がバプテスト病院に搬送された直後の検査結果では、ヘモグロビンは5.2g/dl、ヘマトクリットは15.9パーセントであり、明らかに重症の貧血であったこと(乙258頁、鑑定書 2頁)、③原告花子の上記貧血の原因については、黄疸が認められないことから、溶血性貧血は否定され、IGMの上昇がみられないことから感染症は否定され、輸血後には貧血がみられないことから、先天的な造血機能異常は否定されるのであって、結局、失血によるものと考えるほかないこと(乙21 1頁、鑑定書 2頁)、④分娩後の胎盤、臍帯所見に剥離や損傷の所見はなく、その後の原告花子の体内への出血も認められないこと(乙21 1頁、鑑定書 3頁)、⑤上記のとおり、分娩前日の本件CTG所見では、顕著な胎児仮死の徴候を示していないことからすれば、原告花子には、出生前からFMTによる失血症状が慢性的に存在したところ、陣痛により、絨毛間腔に存在した胎児血が一気に母体循環へ流入し、急性のFMTを生じたことによることが強く推測される(乙21 1、2頁、鑑定書2ないし5頁)。

そして、FMTの原因は特定することができず、羊水穿刺や胎児採血などの侵襲的操作、母胎外傷、無理な外回転術や胎盤用手剥離などの胎盤を引きちぎる可能性のある事象、絨毛血管腫の存在などが誘因となるとされるが、全く原因がわからないものがほとんどであり(鑑定書 4頁)、急激なFMTは、突発性のものが多く、これに対する適切な処置は存在しない(乙10 28頁、乙11 2277、2279頁、鑑定書 4頁)。また、急性のFMTは、分娩後の診断がほとんどであり、出生前に診断することは現時点では極めて困難ないし不可能である(乙11 2277頁、鑑定書 5頁)。

したがって、原告花子に突発性のFMTが起こったことが強く窺われるところ、FMTについての事前予測は極めて困難であることからすれば、夏子医師が平成8年3月23日の時点で、これを診断ないし予測できなかったとしても、過失を認めることはできない。

2  争点(1)イ(排便誘発剤の座薬を投与した判断についての過失の有無)について

鑑定結果によれば、レシカルボン座薬の使用が本件における急速な分娩経過の誘引であるとは認められない(鑑定書 11頁)。

したがって、丙野医師のレシカルボン座薬使用によって原告春子が早期破水に至ったということはできず、レシカルボン座薬を使用しなければ分娩監視装置を装着して分娩に臨めたということもできないのであるから、丙野医師がレシカルボン座薬を使用した点に過失を認めることはできない。

3  争点(1)ウ(抜管時期の判断についての過失の有無)について

(1) 出生時重篤仮死の児に対して行うべき措置は酸素供給であるところ(乙21 4頁)、次郎医師と夏子医師は、直ちに、気管内吸引を行いながら、マスクバッグで酸素供給を行い、皮膚刺激をしたが、改善がみられないため、5分後に次郎医師が気管内挿管の上、酸素投与を行い、メイロンの投与を行ったものであり(乙14 10頁、乙17 2、3頁、証人乙野次郎《以下「証人次郎」という。》調書27ないし30頁)、適切な措置といえる(乙21 4頁、鑑定書 14、15頁)。

(2)  次郎医師は、酸素飽和度が上がらず、多量羊水吸引症候群を疑ったことから、酸素飽和度が88〜94パーセントの段階で、抜管し(乙14 10頁、乙17 3、4頁、証人次郎 調書31頁)、抜管から再挿管まで約25分あり、この間、酸素飽和度は、徐々に低下し、70台になった(前提事実、乙14 11頁)。この点に関し、成熟児へ酸素投与した場合の酸素飽和度は95パーセント以上になるのが正常であること(鑑定書 12頁)に着目すれば、この段階における抜管自体は適切とはいえないと評価される(上記鑑定書)。しかし、上記のように酸素飽和度が上がらなかった原因は、原告花子の重症貧血によるものと推測されること(乙21 4頁、鑑定書 12頁)からすれば、次郎医師の上記段階における抜管が過失とまでいえるかには、疑問の余地がある。

(3) さらに、原告花子は、妊娠末期からの貧血によって既に脳に損傷を受けていた可能性が高く、分娩時の急性失血により循環不全に陥り、さらに低血糖も加わって脳損傷を深めたものと推測されること(乙21 4頁、鑑定書14頁)からすれば、次郎医師の上記抜管と原告花子の上記低酸素状態及び脳障害との間に因果関係を認めることはできない(鑑定書 12、14、15頁)。

(4) したがって、抜管時期についての過失を理由とする原告らの請求は理由がない。

4  争点(1)エ(再挿管についての過失の有無)について

(1) バプテスト病院の看護記録においては、「入院時食道挿管」との記載がある(乙2 53頁)。しかし、①次郎医師は、原告花子を被告医院からバプテスト病院まで搬送する際、同人に対してバギングを継続していたのであるから(証人次郎 調書34頁)、食道に挿管されていたのであれば、消化管に大量の空気が入ることが当然推測されるところ、バプテスト病院における所見では、アスピレイトエアは殆ど無く(0.5ml、乙2 8頁)、腹部膨満は軽度であったこと(証人田中敏克 調書40、42頁)、②食道に挿管されていたのであれば、バプテスト病院入院後のレントゲン写真で異常なガス像所見がみられるはずであるが、そのような所見の記録はないこと(鑑定書 12頁)からすれば、次郎医師が、再挿管の際、食道挿管をした可能性は少ないといえる(鑑定書 12頁)。

なお、原告花子の搬送中に、チューブが抜ける可能性は全くないわけではないが、救急車の振動によって抜けることは通常は考え難い(鑑定書 12、13頁)。

(2)  上記のことからすれば、上記看護記録の記載のみでは、再挿管の際、食道挿管がされたことを認めるには足りないというべきであり、その他、食道挿管がされていたことを認めるに足りる証拠はない。

なお、仮に、原告花子がバプテスト病院到着時、食道挿管されていたとしても、上記の原告花子の所見からすれば、食道に挿管されていた時間は、救急車から病院搬送に至るまでの短時間であったものと推定され(乙21 6頁)、このことが、原告花子の低酸素脳症に影響を及ぼしたものということはできないから(鑑定書 12頁)、損害との因果関係は否定される。

したがって、いずれにしても再挿管についての過失を理由とする原告らの請求は理由がない。

5  よって、その余の点を判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

第4  結論

以上のとおりであって、原告らの請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・赤西芳文、裁判官・鈴木謙也、裁判官・梶浦義嗣)

別紙診療経過一覧表<省略>

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