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京都地方裁判所 平成11年(ワ)2049号 判決 2001年11月01日

主文

1  被告は,原告に対し,被告が指定した年間30日の中から,原告が選択した3日について,原告の求めに応じて,日中の30分間,京都市a区b町c番の境内地に存する大谷祖廟の祖廟地の門扉の錠を開け,原告及び原告に同行する原告の家族に同祖廟地内において3段に石積みされた壇状の墳墓の墓前に参詣させなければならない。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを2分し,その1を原告の,その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告に対し,原告が求めた日の日中の30分間,京都市a区b町c大谷祖廟の祖廟地の門扉の錠を開け,原告及び原告の家族に同祖廟地内において大谷家墳墓に参詣させなければならない。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

第2事案の概要

本件は,本願寺24世Aの4男である原告が,被告に対し,慣習上,祭祀を主宰実行する権利があると主張して,被告に対し,原告が求めた日の日中の30分間,京都市a区b町c番の境内地に存する大谷祖廟の祖廟地(以下「祖廟地」という。)の門扉の錠を開け,原告及び原告の家族に同祖廟地内において大谷家墳墓に参詣させることを請求した事案である。

1  前提事実(文中に証拠を掲記しないものは,当事者間に争いがないか,弁論の全趣旨により認められる。)

(1)  原告は,Aの4男である。

(2)  原告は,被告の僧侶としての得度式を受け,連枝の待遇を受けていたが,いわゆる真宗大谷派紛争において,昭和57年3月1日,被告審問院から重懲戒7年に処する旨の処分を受け,同年5月7日,内事会議において連枝の身分を除かれ(乙6の1ないし3),平成10年6月8日,内事僧籍簿から削除された(乙7)。

(3)  Aは平成5年4月13日死亡し,原告はAの遺言により(甲4),祭祀承継者に指定された。なお,Aの他の相続人はすべて相続放棄をしている。

(4)  祖廟地は,透墻(すかしがき)と中央にある唐門により閉ざされ,その中に3段に石積みされた壇が設けられている(甲12 以下「本件墳墓」という。)。

祖廟地は被告が管理し,そこに入る唐門は施錠され,その錠は被告が所持している。

(5)  被告は,平成5年5月27日付内容証明郵便(乙8)によって,原告に対し,Aを「先門首彰如上人の先例にならい,同日(同月31日)中後,宗祖親鸞聖人の墳墓の地たる大谷祖廟に御納骨申し上げた」い旨通知したが,原告はこれを拒絶した。また,原告は,母親であるB(平成元年11月15日死亡,甲2)の納骨についても同様に拒絶している。

(6)  原告は,平成11年4月5日,Aの7回忌及び本願寺16世一如上人の300回忌にちなみ,同月12日に大谷祖廟に参廟し,先祖の墓所に参詣したいとして,被告に対し祖廟地の開錠を申し出たが,被告はこれを拒否した。

2  争点

原告に本件墳墓について,慣習上,墓参のための参拝をする権利が認められるか否かであり,具体的には以下のとおりである。

(1)  本件墳墓の性質

(2)  原告の慣習上の権利の実行である墓参と被告の典礼権(宗教団体が自ら主宰して行う宗教的儀式・典礼を施行する権利)との関係

第3争点に関する当事者の主張

1  争点(1)(本件墳墓の性質)について

【原告の主張】

(1) 本件墳墓は大谷家の墓地である。すなわち,本件墳墓の中に納められているのは,大谷家の先祖代々の遺骨である。大谷家にとっては,本件墳墓以外に墳墓は存在せず,墓参をする場所はほかにはない。

(2) 被告は,本件墳墓は,宗祖親鸞聖人の遺骨及び歴代門主をはじめとする大谷家の者の遺骨を納める墳墓であるとともに,全国門信徒同朋の遺骨も等しく納められている「合祀墓・集合墓」である旨主張する。

しかし,被告のいう全国門信徒同朋の遺骨は,本件墳墓の中ではなく,これとは場所的にも明確に区別された一般門信徒のために設けられた納骨所に納骨されている。また,全国門信徒は,各自がそれぞれ被告の末寺寺院等において墳墓を所有しており,そこに納骨している。

(3) 被告は,原告がA及びBの納骨を拒んだことをもって,原告自ら本件墳墓が大谷家の墳墓であることを否定したかのように主張するが,原告としては,原告の墓参が被告によって拒否されている状況のもとで,A及びBの遺骨を本件墳墓に納骨することができないと考えたのであり,墓参が可能であれば,納骨を拒むことはない。

【被告の主張】

(1) 祖廟地は,宗祖親鸞聖人の墳墓と仏堂を中心にして,聖人を慕う真宗大谷派門徒の納骨の聖域として造営され,拡張・整備されてきた土地である。歴史的にも,真宗大谷派が取得し所有する門徒協同の聖人墳墓ゆかりの聖域及び門徒共同の納骨の地であって,被告の所有,管理する納骨所である。このような歴史的経緯を踏まえ,被告の宗憲(昭和56年6月11日 宗達第3号 乙1)14条では「大谷祖廟は,宗祖聖人墳墓の地であって,本派に属する者は,これを敬仰護持しなければならない。」と定め,真宗本廟崇敬条例(乙2)5条では,「1 宗祖聖人墳墓の地たる大谷祖廟は,真宗本廟の飛地境内仏堂であって,本派に属するすべての者は,これを敬仰護持しなければならない。2 大谷祖廟は,宗祖聖人追慕の情により,本派に属する者の納骨所とする。」旨を定め,大谷祖廟規定(乙3)3条により,大谷祖廟の管理について,「大谷祖廟の崇敬及び守護管理は,宗務総長が統轄し,大谷祖廟事務所長がこれに当る。」と定めている。大谷祖廟のすべての崇敬及び儀式は,全国の門徒同朋を代表して門首が主宰している。

(2) 大谷祖廟は,上記のとおり聖人故地としての「聖人墳墓の地」であることに意味があり,聖人墳墓の故地への納骨を通じて聖人を追慕し,聖人の教えを相続していくための聖域であって,これを真宗の本義に沿って観念すれば,死没者を祀る対象としての墓ではないということである。すなわち,元来,墓処,墓塔をもたないのが真宗門徒の通常であって,死没者を祀る対象としての墓は,宗義に照らして戒められてきた。「本山は一般社会の通念で墓を観念することを戒め,真宗の本義に沿って観念することを勧めてきた。すなわち,すべての人間は宗祖親鸞聖人の導きによって阿弥陀仏の本願に出遇うことが出来,阿弥陀仏の光明に摂取されて仏となる存在であって,祖先や死没者は今を生きる私に先立って念仏を修して本願に摂取され,往生を遂げた先達であると教化してきた伝統がある。したがって,門徒の墓参りはそうした本願念仏による成仏の先達である仏に対して導きを願い,報恩感謝する意味のみによってなされるべきものとして,世間通俗の先祖祭祀の意味は有しないとし,まして霊魂浄化のための儀礼や読経については否定してきた」(大谷大学C教授意見書《乙12》,以下「C意見書」という。)のである。すなわち,大谷祖廟の聖人墳墓は,本来的に祖先祭祀施設ではなく,聖人故地にあってあくまで聖人の教えを追慕するための象徴的施設なのである。

(3) 本件墳墓についても,大谷家の墳墓ではなく,唐門を入って正面の石組の虎石と呼ばれる石が置かれた部分の真下に一般門徒の納骨所があって,いわゆる「合祀墓,集合墓」にほかならない。歴代上人の遺骨が聖人遺骨に近い周辺部に納められ,宗主に連なる大谷家一族の遺骨も宗主一族であるがゆえに,聖人追慕において強いものがあるとして本件墳墓の中段部分への納骨が許されてきたとしても,祖廟地は全域が宗祖聖人墳墓ゆかりの聖域,共同納骨地であり,実は祖墳になぞらえた象徴的施設であって,決して大谷家の墳墓や祭祀施設ではない。原告が主張するように,本件墳墓とその他の場所を切り離せるものではない。

(4) 原告は,被告の申し出にもかかわらず,A及びBの合祀を拒んでおり(第1の1(5)),原告自ら本件墳墓が大谷家の墳墓であることを否定しているかのようである。

2  争点(2)(原告の慣習上の権利の実行である墓参と被告の典礼権との関係)について

【原告の主張】

(1) 原告は大谷家の唯一の相続人であり,かつ,祭祀承継者として,先祖の年忌等において,その家族と共に墓に参詣し,自ら祭祀を主宰執行する権利を有している。上記権利は,わが国において古くから認められてきた先祖崇拝という国民感情に根ざした慣習上の権利であって,この権利を否定することは人道上も許されない。

原告は,上記慣習上の権利に基づき,大谷家の先祖代々の墳墓である本件墳墓に墓参することを求めているのであり,具体的には祖廟地に入り,社会通念上認められる方式,すなわち,墓前において焼香・合掌・礼拝という方法により参拝することである。

なお,被告は,真宗大谷派においては,祖先祭祀に基づく墓参という観念はないかのように主張するが,C意見書においても,門徒の墓参そのものを否定する趣旨ではなく,墓参の宗教的意味付けが違うというにすぎない。

(2) 被告は,原告が参拝するとすれば,御廟正面唐扉手前の石段下において参拝すべきであり,それ以上の参拝方法の要求は,被告の典礼権を侵害する旨を主張する。しかし,被告の主張する墓参の方法は,門扉を閉ざしたままで,原告を祖廟の中に入れずに,透墻と唐門の外から墓参を認めるというものであり,世間一般でいう墓参とは到底いえず,およそ非常識というよりほかはない。

確かに,大谷派の一般門信徒など大谷家の関係者以外の者が本件墳墓に参拝するにあたって,被告主張の方法で参拝することは,一般信徒にとって,本件墳墓は,他家の墓の参拝に等しいことからすれば,社会通念上もそれなりに合理性を有するといえるとしても,大谷派の一般門信徒と大谷家の祭祀承継者である原告とを同列におくことは不合理であり,社会通念上是認することができない。大谷家の祭祀主宰者である原告に本件墳墓への参廟が拒否されるとすれば,先祖崇拝という伝統的な個人的宗教感情に根ざした最も基本的な祭祀である墓参を永遠に行えないこととなる。

被告は,大谷家の連枝であるDの平成7年11月納骨の際,親族が石段下で参拝したとして,これが一般的な参拝方法であるかのように主張するが,Dもその親族もブラジルに在住しており日本の事情を理解しているとは言い難いことから,被告に言われるまま石段下で参詣を済ませたものと考えられ,これを一般化することはできないとともに,大谷家の祭祀承継者である原告に当てはめることも相当でない。

(3) 原告は,被告の典礼権の行使の差止を求めているものではない。したがって,被告が,典礼権を根拠に,原告が大谷祖廟に入廟することを拒否することはおよそ失当である。仮に,典礼権を根拠に,墓前における焼香・合掌・礼拝という通常の墓参りの方法まで否定するとすれば,我が国の祖先崇拝という伝統的な宗教感情に著しく背反するもので,権利の濫用である。

典礼権は他宗・他派の者に対して自派の宗教的儀式・典礼の施行を強制する権限まで含むものではないというべきであり,そのような強制が許されるとすれば,それは他宗・他派の者の信仰の自由を侵害することになる。

【被告の主張】

(1) 大谷祖廟は,被告の所有・管理する納骨所であり,他宗,他派の納骨を認めているものではなく,被告における宗教上の崇敬対象である。

したがって,被告は,大谷祖廟における儀式等の宗教的典礼を被告の定める方法によって施行する権限を有しており,何人も大谷祖廟における典礼は,被告の定める方法によってのみ行うことができるにすぎない。墓参方法についても,祖廟地内の墓参である以上,被告の典礼権の範囲内にあることは当然である。

大谷祖廟の崇敬及び守護管理は,典礼権の一環として,被告においては大谷祖廟規程(乙3)により行われている。

その具体例は以下のとおりである。

ア 納骨について

大谷祖廟へは全国のすべての門徒及び僧侶が納骨することができるので,希望する者が所定の申込手続をした上,本堂での読経の後,御廟前に移動し,参衆(式務員)が御廟正面の唐扉を開け,お骨を受け取り,御廟に納めると同時に御廟内(扉の内側)で堂衆(式務員)が読経を行う。参詣者は御廟内には入らず,唐扉の手前の石段下で参詣する。

イ 一般墓参・申経(読経)について

御廟で申経(読経)を希望する者が所定の申込手続をした後,御廟前で参衆が御廟正面の唐扉を開け,法名紙を受け取り,御廟内で読経を行う堂衆の脇に置き読経が始まる。参詣者は御廟内には入らず,唐扉の手前の石段下で参詣する。

ウ 門首,連枝,鍵役の参拝について

一般的な墓参ではなく,以下の真宗本廟の行事の一環として,その行事が無事円成したことを報告する意味を含めて,門首,連枝,鍵役が参拝している。

毎年 1月1日 真宗本廟修正会後の参拝

9月28日 大谷祖廟報恩講後の参拝

11月28日 真宗本廟御正忌報恩講後の参拝

12月28日 年末の参拝

その他,本願寺歴代の法要後の参拝

エ 大谷家の納骨について

近年では,平成7年11月20日,連枝であるDの納骨がされた際,親族は石段下で参拝した。

過去の例では,納骨については大谷家の親族が御廟内に入ることがあったとのことであるが,連枝か鍵役,内事僧籍簿登載者が親族として同席している場合である。

オ 大谷家の墓参について

昭和56年の宗憲改正後の例では,大谷家の者が墓参のみを目的として参拝した例はない。上記のとおり,宗派の儀式・行事の一環として,その終了の報告というかたちの参拝か,納骨の場合の参拝である。

(2) 被告は,原告の参拝そのものを拒否しているのではなく,被告における通常の参拝方法,すなわち御廟正面唐扉手前の石段下での参拝は認めているのであり,原告のそれ以上の参拝方法の要求については,原告が現在被告とは無縁の者である上,被告が大谷祖廟の典礼権を有している以上,被告において拒否することができるのであり,原告は被告の参拝方法を受忍すべきである。

原告の主張するとおり大谷祖廟の門扉を開錠して原告らの墓参を認めるとすれば,それは被告の典礼権の侵害であるばかりか,宗祖聖人の伝統に背き,また,大谷祖廟を聖域として敬仰護持し,宗祖聖人の教えに生きる門徒の宗教的感情にも反することである。

第4争点に対する判断

1  争点(1)(本件墳墓の性質)について

(1)  証拠(甲12,13,原告本人)によれば,祖廟地内の3段の石組の本件墳墓の中央の一番高い段には親鸞聖人の遺骨が埋葬され,2段目には歴代法主(宗憲改正により被告においては門首と呼称している。)の遺骨が埋葬され,3段目の一番外側には大谷家の一族の遺骨が,少なくとも1706年(宝永3年)以降から埋葬されていること,大谷家の一族以外に,同様の埋葬方法により本件墳墓に埋葬されている個人ないし一族はないこと,大谷家一族は,少なくともいわゆる大谷派紛争以前においては,本件墳墓以外の場所に埋葬された者はなかったことがそれぞれ認められる。

上記認定事実によれば,本件墳墓に継続的に埋葬されているのは大谷家の一族のみであり,大谷家の一族には本件墳墓以外に墳墓はないことを併せ考えれば,本件墳墓は,少なくとも大谷家の墳墓たる側面を有するものと認めるほかはない。

(2)  これに対し,被告は,本件墳墓は,一般門徒も埋葬させる合祀墓,集合墓であると主張し,証人Eの証言を援用するので,検討しておく。

証人Eは,①本件墳墓の背後(門扉側からみて)において,石段を3段ほど降りると,畳5,6枚程度の広さのスペースがあり,同スペースには棚が置かれており,また,同スペースの墳墓側下部には鍵がかかった扉がある,②その扉から入ると本件墳墓の真下に至り,現在は使われていないが,以前はそこに一般門徒の納骨をしていたと思われる,③現在は,一般門徒の納骨申込により,上記棚に納骨箱を納めるが(2,300箱収容可能),年間1万体ほどの申込があるところ,背後の丘陵地に戦後造られた納骨所があり,上記棚の収容能力に限界があるので,一定期間を置いて納骨箱をそちらに移す,④昔は背後の丘陵地の地面に埋葬していたのではないかと思われる旨証言する。

ここで,上記②のうち,墳墓の真下に一般門徒の納骨をしていたというのは,全くの伝聞である(「お年寄りの方から,そこで納骨をしたであろうという程度しか知りません。」との証言である。)。また,仮にそのようなことがあったとしても,上記①③④と併せて検討すれば,他に墳墓を有しているが,宗祖親鸞聖人の近くで埋葬されたいという門徒の希望に応じるため,その遺骨の一部を本件墳墓の地下ないしその付近にごく一時的に納め,その後は背後の丘陵地に埋葬していたものと認められる。甲9(F「大谷祖廟史」G発行)250ないし251頁に,文政6年(1823年)ころ,既に祖廟地において門信徒の納骨がされていたことを指摘した上で,「このような大谷での納骨は,それが宗祖の廟所であることにおいて,亡き人の遺骨の一部をわけて,祖骨の納まる同じ御廟の地に納めうる喜びに,競って参詣する多くの人々を思い浮かべることができよう。」とあるのもこれに符合する。以上のような門徒の要望に沿って,本件墳墓の周囲あるいは地下付近に他に墳墓を有している門徒の遺骨の一部をごく短期間納めているとしても,これをもって,本件墳墓を一般門徒の合祀墓,集合墓であると認めることは社会通念上も相当ではない。

被告は,また,墓処,墓塔をもたないのが真宗門徒の通常であって,死没者を祀る対象としての墓は,宗義に照らして戒められてきたとし,大谷祖廟の聖人墳墓は,本来的に祖先祭祀施設ではなく,聖人故地にあってあくまで聖人の教えを追慕するための象徴的施設である旨主張する。しかし,真宗門徒においても納骨の場所としての墓地が存在すること,これが門徒の間においてどのように位置づけられてきたかについては時代や地域によって流動的であり,大谷祖廟設置以降は,次第に門徒個人も墓処,墓塔を築造するようになったことはC意見書からもうかがえるところである。被告がその宗派としての立場から本件墳墓を聖人の教えを追慕する象徴的施設であると位置づけているとしても,これが,他方では,大谷家の墳墓たる側面を有することとは必ずしも矛盾するものではないと考えられる。

2  争点(2)(原告の慣習上の権利の実行である墓参と被告の典礼権との関係)について

(1)  原告の慣習上の権利について

ア 我が国において,少なくとも仏教徒の間においては,その教義上の位置づけは別として,先祖の遺骨が継続的に埋葬されている墳墓の前における焼香・合掌・礼拝という形態における墓参を行い,死者を祀り祖先をしのぶといった素朴な宗教心に基づく慣行があるといえる(甲13,弁論の全趣旨)。したがって,祖先の墳墓があり,これに対する子孫の参拝の実体が認められる場合,当該子孫には慣習上,上記のような墓参をする権利が認められるべきであり,これに基づき,墳墓地を管理する者に対し,参拝を要求することができるというべきである。

イ そこで,本件墳墓について,従来の参拝状況をみるに,証拠(甲10,13,14の1,証人E,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(ア) 原告は,従前,大谷家の一族として,父親や他の家族と共に,あるいは単独で,宗祖親鸞聖人の命日(11月28日)に行われる本願寺の報恩講や9月27,28日の両日に行われる本廟の報恩講の後のほか,先代を含む歴代法主や関係者の年忌の際,あるいは大晦日に祖廟地に立ち入って本件墳墓に参拝していた。これらについては,御堂で行われる宗派の行事が先行する場合もあったが,そうでない場合もあり,また,鍵役が立ち会うこともあったが,そうでない場合もあった。原告は結婚の報告のために妻とのみで参拝したこともある。

(イ) 昭和56年の被告における宗憲改正以降は,墓参を目的として大谷家の一族が祖廟地内に立ち入ることはなくなり,平成7年11月20日,連枝であるDの納骨がされた際は,親族は石段下で参拝した。

ウ 上記認定事実によれば,原告は,被告の宗憲改正以前は,大谷家の一族として,被告の公式行事としてのみではなく,大谷家としての祭祀の際,あるいは私的な目的で,大谷家の墳墓としての側面を有する本件墳墓に参拝してきたことが認められる。そうすると,原告は,アで説示したところに従い,祖廟地において焼香・合掌・礼拝という形態で本件墳墓に参拝する慣習法上の権利を有するというべきである。なお,昭和56年の被告の宗憲改正以降は,原告の参拝がないが,これは,被告側の対応によるものであるから,これによって同権利が消滅したということはできない。

したがって,原告は,上記慣習上の権利に基づき,祖廟地を管理する被告に対し,本件墳墓への参拝を要求することができるというべきである。

(2)  被告の典礼権との関係について

原告に上記の慣習上の権利が肯定される一方,被告は,本件墳墓を聖人の教えを追慕するための象徴的施設であり,祖廟地を宗祖聖人墳墓の地である聖域と位置づけているのであり,被告の宗派としての典礼に基づきこれを管理しているのである。そうすると,原告の有する上記慣習上の権利と被告の典礼執行の権利をどのように調整するかが問題となる。

被告は,被告における通常の参拝方法,すなわち御廟正面唐扉手前の石段下での参拝をすれば足りる旨主張するが,これは一般門徒の参拝形式と変わらず,特段の事情なき限り誰でも入れる場所からの参拝であるという点において本質的には公道からの参拝と異なるところはなく,社会通念上,子孫による祖先の墓前における参拝という観念から隔たり,また,従前の原告ら大谷家の者の参拝形式の態様との差異が大きすぎることからみて相当とはいえない。

原告の要求する墓参が上記のごとき素朴な宗教心に基づく慣習上の権利によるものである以上,その内心的な面において,被告の宗派的な観念と異なることを理由として,これを墓前から遠ざけたり,参拝形式を強いるなど形式面から規制するのは相当ではないといえる。そうすると,被告の典礼権との調整としては,被告の典礼執行に支障を生ずることを可及的に回避すべく,回数的,時間的制約を考慮すべきであるといえる。以上のことを考慮し,我が国における墓参の実態や,大谷家の従来の参拝状況等,あるいは開錠についての被告側の意思決定の手続や手間などを勘案すれば,原告及びその家族の本件墳墓への参拝は,1年に3回,日中の30分間とし,その日時の選択は,被告が年間30日以内で指定した範囲内で,原告に委ねるのが相当である。

3  結論

以上のとおりであって,原告の請求は主文の限度で理由がある。仮執行の宣言は相当でないからこれを付さない。

(裁判長裁判官 赤西芳文 裁判官 本吉弘行 裁判官 矢作泰幸)

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