京都地方裁判所 平成11年(ワ)2241号 判決 2003年12月18日
原告 X
同訴訟代理人弁護士 木内哲郎
同 神﨑哲
被告 コスモ証券株式会社
同代表者代表取締役 A
同訴訟代理人弁護士 鎌倉利行
同 檜垣誠次
同 鎌倉利光
同 今井俊裕
主文
1 被告は原告に対し、507万円及びこれに対する平成11年5月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを3分し、その2を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告は原告に対し、819万1604円及びこれに対する平成11年5月11日から支払済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2事案の概要
本件は、被告の証券外務員であったB(以下「B」という。)の取引勧誘によって、株式などを継続的に購入した原告が、当該勧誘行為は法令に違反し、社会的相当性を著しく逸脱する違法行為であり、不法行為を構成するとして、被告に対して民法715条に基づき、原告が当該取引によって被った損害の賠償を求めた事案である。
1 前提となる事実(証拠を記載したもの以外は争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告(昭和21年生)は、高等学校を卒業してa電機株式会社(以下「a電機」という。)に就職し、昭和45年に職場結婚をして専業主婦となった。その後、平成4年5月14日に夫が交通事故で死亡したため、死亡保険金や年金で寡婦生活をしている(甲19、30、原告本人)。
イ Bは、平成7年7月ころから同10年3月ころまでの間、被告本店営業部営業第2課課長代理の職にあって、原告との取引を担当した。Bは、平成10年3月に自己都合により被告を退職した。
(2) 原告が被告との取引を開始した経緯
ア 原告は、平成6年ころ、旧大和銀行に勤務していた義兄(亡夫の兄、以下「義兄」という。)に勧められて、被告京都支店において、スマイルと称される金融商品を3000万円で購入したことがあるけれども、そのほかには、証券会社と取引をした経験はなかった。
ところが、原告は、亡夫が遺した資産でa電機の株式を取得しようと思い立ち、株式投資の経験を有する義兄と相談して、長期的に保有できる株式を取得することにした。原告は、新聞の株式欄から業種ごとに、世間的によく知られている企業名を13社選び出して、a電機株と合わせて14銘柄を選定した。
イ 原告は、平成7年7月19日、義兄とともに被告本店を訪れ、a電機株を含む別紙1の取引経過表の番号(以下、番号だけで示す。)1から番号14までの銘柄の株式(以下「本件開始銘柄」という。)を各1000株買い付ける注文をした。その際、応対したのがBであった。翌20日に、本件開始銘柄が代金総額約1550万円(手数料を含む。)で買い付けられた。それ以来、Bが原告の取引担当者となった。
(3) 原告と被告との取引の経過
ア 原告が被告に有価証券の売買等の委託をした期間は、平成7年7月19日から同11年2月2日までである。
イ その間に原告が被告に委託して行った証券等の取引(以下「本件取引」という。)は、取引経過表記載のとおりである(なお、番号274の東海興業株買い付けの株数欄に「2000株」とあるは「1000株」の誤記であるから訂正する。)。
ウ 本件取引における損益状況、資金の回転率、株式の乗換状況及び保有日数は、別紙2(取引損益表1996年1月以降)、同3(吉田氏回転率)、同4(乗換一覧表)及び同5(取引期間による現物一覧)に記載のとおりである。
(4) 本件取引による損益
平成8年1月以降になされた本件取引の損益累計額は、取引損益表記載のとおり、744万1604円の損失、手数料の合計額は613万172円になる。
2 争点
(1) 本件取引に関してBの行った投資勧誘行為が、原告に対する不法行為となるか否か。
(原告の主張)
本件におけるBの行為には、次に述べるとおり、各種の法令違反ないし違法性が存し、不法行為を構成する。
ア 適合性原則違反、過当取引勧誘禁止の違反
(ア) 証券取引法などは、証券会社に対し、勧誘方法・業務遂行方法に関し種々の規制を設け、投資者の保護を図っている。すなわち、証券会社は顧客に対し、誠実・公正に業務を遂行する義務を負い(証券取引法33条)、証券会社及びその使用人による不当な勧誘行為や取引一任勘定取引の禁止(同法42条)、顧客の知識経験及び財産の状況などに照らし不適当と認められる証券取引の勧誘の禁止(適合性原則、同法43条)のほか、いわゆる過当取引の勧誘を禁止されている。
したがって、証券会社及びその使用人は、信義則上、一般投資家を顧客として証券取引に勧誘する場合、当該投資者の知識経験、財産状況及び投資目的・意向などに照らして、不適切に多量又は頻繁な投資活動に勧誘してはならないという義務を負っているというべきであり、短期間に他の有価証券への乗り換えを行わせるなど、投資者の能力、資金の性格などを無視した過当勧誘を行うことは許されない。
そして、証券会社などが上記義務に違反して取引勧誘を行った場合には、当該顧客の知識・経験、投資目的、資産の状況などの具体的な属性と当該過当取引の対象である取引内容、その一般的な危険性の程度、経緯、証券会社側の事情によっては、私法上も違法として不法行為を構成するものというべきである。
(イ) 過当取引勧誘を認定する要件は次のとおりに解すべきである。
a 取引の数量・頻度が顧客の投資知識・経験や投資目的或いは資金の量及び性格に照らして過当であること(過当性の要件)。
b 証券会社などが一連の取引を主導していること(コントロール性の要件)。
c 証券会社などが顧客の信頼を奇貨として自己の利益を図ったこと(悪意性の要件)。但し、abの要件が充足されれば、cの要件は特段の事情なき限り推定される。
(ウ) 本件においては、次のとおり、上記各要件を充足する。
a 過当性の要件
本件取引は、原告の投資意向に反する短期回転売買を頻繁に繰り返したものであり、Bが選択した銘柄は著しく多数にわたり、そのほとんどが原告の社会的、経済的知識や投資経験からみて、全くそぐわない仕手株、材料株であった。すなわち、本件取引は、2年程度の短期間に取引回数が約500回、建玉数にして261回にも及び、現物取引における平均保有日数は、3.76日であり、そのうち、保有日数が0日の取引(日計り商い)が12回(6.9%)、3日以内の取引が111回(63.79%)、10日以内の取引は163回(93.68%)であった。平成8年1月から同9年12月までの原告の証券取引口座の回転率(顧客の資本が証券取引で何回転したかを示す指標)は、22.24倍であった。また、売買単価差額では利益が出るはずなのに手数料が上乗せされるので取引損益がマイナスになった取引(先物取引の世界では「手数料ふぬけ」と呼ばれている手数料稼ぎの手法)が31回(17.82%)、売買単価差額が0円であるのに取引を行って損失を生じた取引が11回ある。本件取引の結果、被告が得た手数料は合計で約600万円に及び、明らかに、原告の採算を度外視し手数料稼ぎを目的としているとしか考えられない過当な取引内容である。
これらの取引の特徴からすれば、過当性の要件の充足は明白である。
b コントロール性の要件
本件一連の取引は、銘柄の決定、売買金額、売買数量、売買の時期などの全てをBが単独で決定しており、Bが本件一連の取引を完全にコントロールしていたことは明白である。
c 悪意性の要件
Bが原告の信頼を奇貨として自己の利益を図らなかったといえる特段の事情は一切窺えず、悪意性の要件は容易に推定される。
イ 説明義務違反
そもそも証券取引自体が経験の乏しい者にとっては非常に危険なものである以上、証券会社ないしその使用人は、証券取引の内容・仕組・危険性などについて、一般的・概括的にはもとより当該銘柄の当該時期における個別的取引に関しても詳細かつ十分に投資者に説明し、投資者の納得の上で各取引を受任すべき義務を負う。
しかるに本件において、Bを含めた被告の使用人は原告に対し、証券取引一般についても個別的な各取引についても全く説明を行っておらず、原告は納得も承諾もしていないままに、取引が行われてしまっている。
ウ 誠実公正義務違反
これら一連のBないし被告の行為は、証券取引法33条に「証券会社並びにその役員及び使用人は、顧客に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない。」と規定されている、いわゆる誠実公正義務に著しく反することが明白である。
エ まとめ
Bないし被告による本件取引行為は、その各々が法令に違反し、あるいは社会的相当性を著しく逸脱する違法行為であると同時に、上記一連の行為は、全体としても、原告名義による大量の取引とそれに起因する多額の損害を生ぜしめた手段ないし原因となっているものであって、いずれにしても不法行為を構成するものである。
(被告の主張)
原告は、当初から株式取引を短期間に頻繁に行っており、その取引についても相当高い関心を持ち、自己の判断のもとで取引を行っていた。すなわち、原告は取引毎に会社から直接顧客に郵送される取引報告書や毎月一回以上残高及び取引内容を記載した月次報告書で取引内容を十分に確認していたはずであるし、被告において行っていたアテンション制度、社内検査の結果からしても原告には再三にわたって被告に本件取引についての不安及び不満を申し入れる機会を持っていたはずであるのに、相当期間が経過するまでクレームを言わなかったのは、原告において取引について認識を有していたからに他ならない。
よって、被告には原告主張のごとき法的責任はない。
ア 適合性原則違反及び過当取引勧誘禁止違反について
(ア) 過当性の要件について
本件取引は、株式の現物取引、累積投資信託が中心であって、ことさら、取引の知識・経験を必要とする複雑な取引ではなく、比較的少額の取引を頻繁に行うものであった。その後、累投・店頭取引や外国証券取引にまでその範囲を拡大していったため、その取引回数や銘柄数が多くなっていったのは当然のことである。これは、累投・店頭取引や外国証券などの多種類の取引や少額取引を頻繁にすることによって、リスクの分散を図る意図で原告が取引を行っていたためである。
原告の属性・投資目的及び資本や本件取引が限定された範囲(資金力)で行われた株式取引であるとすれば、多数回・頻繁な投資活動の勧誘が行われたとしても、それをもって違法な取引勧誘ということはできない。
(イ) コントロール性の要件、悪意性の要件について
原告はBに対し、「売るタイミングが分からないので、営業で連絡がつかないときはよろしくお願いします。」と伝えるなどして、Bに過大な信頼を寄せていたことやBと原告との間で投資スタイルの確認を取り合っていたことからすれば、コントロール性の要件及び悪意性の要件を欠き、過当取引の要件を充足していることは到底言い難いものである。
イ 説明義務違反について
Bは、取引にあたっては、説明書を交付するとともにその取引の内容について十分な説明を行い、原告の署名押印をもらった上で取引申込書を受け取っていた。
(2) (争点(1)が肯定される場合)被告に賠償させるべき損害額及び過失相殺の有無。
第3争点1に対する判断
1 前提となる事実に掲記した取引経過表、取引損益表、吉田氏回転率表、乗換一覧表及び取引期間による現物一覧表は、本件取引の態様を各種の観点から分析したものであるところ、これらによれば、本件取引が継続される過程において、本件取引開始時にはなかった次の(2)記載の特徴(以下「本件特徴」という。)を生じたことが容易に指摘できる。
(1) 取引経過表、取引損益表、吉田氏回転率表、乗換一覧表及び取引期間による現物一覧表に表れた事実
ア 取引経過表、取引損益表によれば、本件取引は総取引回数が約500回、建玉数にして261回ときわめて多く、取引された銘柄も、きわめて広範囲の業種にばらついているだけでなく、取引銘柄の中には一般的な知名度があるとはいえないものがかなりある。
イ 取引損益表、取引期間による現物一覧表によれば、買付株式の平均保有日数が3.76日ときわめて短期間であり、その中には保有日数が0日のものが12回、3日以内が111回、10日以内が163回ある。しかも売買単価の差額をみれば、損失が発生することが明らかであるにもかかわらず売り付けをしているものが42回ある。
ウ 乗換一覧表と吉田氏回転率表によれば、本件取引では、新たな買い付けをするための資金を捻出するために、それ以前に買い付けたものの売付を頻繁に繰り返している。
エ 本件開始銘柄の取得については、投資意図が読みとれないわけではないけれども、その後になされた取引については、そこにいかなる投資意図が働いているのか容易に看取することができない。
(2) 以上の事実から看取できる特徴(本件特徴)
ア わずか2年半の間に、これほど高密度の回数で、これほど銘柄及びその業種の集中度が散漫な取引がなされ続けた事実は、取引経過表を一覧するだけで直ちに看取できることである。この事実自体だけを見れば、本件取引は、証券投資にかなり積極的に取り組んでいる投資家によってなされたのではないか、との印象を受けざるをえないものである。ところが真実は、初めて株式を購入しようとして一見の客として被告を訪れた49歳の未亡人と、その担当者となった被告の従業員の二人だけが関与して、本件取引がなされたものであるから、本件取引はなんとも異様なものであると評するよりほかはない。
本件取引に含まれる銘柄には、証券市場で仕手株、材料株と称される銘柄が少なくないこと、本件取引による手数料の総額が約600万円にのぼり、本件取引の開始時に原告が投資した約1550万円の約4割にあたることを考えれば、さらにその感が強められることになる。
イ 証券投資において、本件取引のような経済的に不合理な行為が長期間にわたって、無造作にそして自覚的に繰り返されるのには、なんらかの明確な思惑あるいは事情があったと見ざるをえない。
ウ 本件取引を投資資金の運用としてみれば、投資資金の短期的乗換を実行し、しかもそれを長期間にわたって絶え間なく継続しているものである。
そのことが、上記1(1)のア及びイの原因となっている。
エ 本件取引を全体としてみると、取引開始時に設定された投資意図がいつの間にか放棄されて、ひたすら、値動きの激しそうな銘柄を場当たり的に追いかけて売り買いを続けただけのことになった、としかいいようがない。
オ 以上によれば、本件取引の具体的内容からはっきりと読みとれることは、株価の短期的な値上がりによる利益の取得をねらって、短期的に激しい値動きをする傾向のある株式を次々と闇雲に買い漁ったが、それが一向に奏功しないで損を重ねるため、さらに無謀な行為へと駆り立てられて損失を膨らませたことに尽きるものである。
2 上記の本件特徴からすると、本件取引は、顧客が証券会社を使って行った投資行為としては極めて異常な態様のものであり、証券会社の外務員であるBのしたことは、原告から注文を受けてそれを執行するという通常の態様のものではなかったことが明らかである。
それだけでなく、原告の生活歴が前記のとおりであって、証券会社を使っての取引について全くの素人であることを考慮すると、本件取引を構成する個々的な取引について、原告が、適切な資料に基づいて取引銘柄の選定、取引数量の決定、買付及び売付時期の指図等の投資判断を自ら形成して、Bに注文を出していたなどということは、ありえないことであるといわなければならない(B自身が、原告に対してどんどん銘柄を勧めたことを認めている。B供述調書5頁下から2行)。
そうであれば、本件取引は、全体としてBが主導し原告がこれに盲従する形で、坂道を転がり落ちていったとしかいいようのない態様で損失を膨らませながら取引が継続されたとみるのが、最も実態に即していることになる(もっとも、本件開始銘柄の買付注文は、原告自らが行ったことは、すでに認定したとおりであるから、これについてBが主導していないことはいうまでもない。)。
3 ところで、株式投資などの証券取引は、証券会社の勧誘を契機とするものであっても、基本的には投資者の自己責任によって行われるものであり、それによって生じた損失は、投資家自身に帰属すべきものである(自己責任の原則)。
しかし、証券の価格変動要因はきわめて複雑であって、その投資の判断には高度の分析と総合能力とを要するため、一般投資家は投資判断にあたっては専門家である証券会社の勧誘ないし助言指導に依存することが通常である。
したがって、証券会社は投資者の投資資金の運用目的、財産状態及び投資経験などに照らして不適合な証券取引をしてはならず、証券会社が顧客に投資勧誘をする場合には、顧客の投資運用目的や投資方針を確認し、それに見合った原則的な投資運用策を示して、それについて顧客の基本的同意を取り付けるなどして、投資金を運用して顧客の利益を保護すべき信義則上の義務を負っているものと解するのが相当である(平成4年改正による証券取引法54条参照)。そして、証券会社などが上記義務に違反して取引勧誘を行った場合には、当該顧客の具体的属性と当該取引内容、その一般的な危険の程度、経緯、証券会社側の事情によっては、私法上も違法として不法行為を構成するというべきである。
このことは、証券会社の取引担当者が、特定の顧客との関係で、それまでの業務姿勢や投資に関するアドバイスの内容が適切であったことなどによって、自分が行う投資勧誘を顧客が疑うことなく受け入れるほどの信頼を得ている場合でも、なんら異なるところはないものである。当該担当者が、当該顧客が自分を信頼しているために、自分が投資勧誘すれば顧客が安易に応諾することを奇貨として、顧客にとって重要な意味を持つ取引であるのに、その点について明確な説明をせず表面的な説明だけをして、顧客の同意を取り付けるなどの勧誘をすることは、当該顧客の自己決定権を侵害する勧誘行為になることはもちろんである。また、自分が勧誘する取引が、顧客の明示している投資方針と実質的に異なるものであるときには、そのことを明確に説明して、顧客に自己の投資方針を変更するのかどうか再検討できるよう配慮すべき義務を負うものである。この義務が尽くされてなければ、生じた結果のすべてについて顧客に対し自己責任を負わせる前提がないことになるものである。
これを本件についてみれば、Bは、本件取引を構成する個々的な契約の一方当事者である被告の業務担当者であるから、契約の当の相手方である原告との間で、個別的な契約締結を前提とする取引上の信頼関係を形成、維持していたことは、すでに認定した事実によって推認することができる。したがってBは、自分が主導する本件取引が上記の本件特徴を持つに至った時点で、それについての説明(以下「本件説明」という。)を原告にして、そのような取引をするかどうかについて、原告が自ら判断する機会を与えるべき義務を信義則上負っているというべきである。このことは、本件取引当時の証券取引法に、証券会社の使用人は顧客に対して誠実かつ公正にその業務を遂行すべき旨を定めた規定(平成4年改正による証券取引法49条の2)が設けられていることからも明らかである。そして、Bが原告に、本件取引が本件特徴を持ち始めたことを説明しなかったために、その後も本件取引が続けられたことは間違いのないことである(Bが原告に本件説明をしたならば、そのような取引を続行することについて原告が難色を示したことは疑いようのないところである。)。
4 以上によれば、Bが本件説明をしないで原告に本件取引を続行させたことは明らかな違法行為であり、本件取引について不法行為が成立するといって、なんら差し支えがないところである。
このことは、次の事実によっても裏付けられるところである。すなわち、<証拠省略>によれば、被告の部内で本件取引に対して次のような対処がなされたことが認められる。
(1) 平成8年6月ころ、Bは当時上司であったC次長(以下「C」という。)から、原告の取引回数が多いことについて注意を受けた。Cは原告に対し、同年6月13日、あいさつという名目で直接電話を入れたが、この電話において原告が本件取引に対する不安や不満などを特に述べるということはなかったので、そのままになった。
(2) 被告は、証券事故や不公正取引を事前にチェックするために、店内検査と称する検査を定期的に実施している。店内検査は、1年から1年半に1度各営業部店の全顧客口座について投資勧誘などの営業活動や顧客管理に関する調査をする制度であり、検査対象期間を直近10か月として、株式取引の回数50回、投資信託取引の回数20回を目処として、これを超える回数の取引口座を要留意口座として取り上げ、顧客との取引の実態を確認することにしている。監査部は、要留意口座を抽出し、それについて各部店長に書面で質問をして、各部店は要留意口座として指摘された口座について調査の上で回答することになっている。
(3) 平成9年2月に実施された店内検査(以下「第1回検査」という。)において、原告の口座は、過去10か月間の株式の取引回数が175回、投資信託の取引回数が47回、債券の取引回数が13回(以上合計回数は235回)、売買損益が株式についてマイナス436万円、投資信託についてマイナス195万円、債権についてプラス2万円(以上合計額はマイナス633万円)となっているので、短期回転売買が認められるなどとして、要留意口座の指摘を受け、被告本店において調査が行われた。
(4) 平成10年4月に実施された店内検査(第2回検査)において、原告の口座は、過去10か月間の株式の取引回数が15回、投資信託の取引回数が57回、債券の取引回数が1回(以上合計回数は73回)、売買損益が株式についてプラス3万円、投資信託についてマイナス55万円、債権についてマイナス4万円(以上合計額はマイナス56万円)となっているので、再び要留意口座の指摘を受けた。
(5) 以上の(1)ないし(4)の事実によれば、証券会社である被告の部内においても、投資家である顧客に対して投資勧誘が適正になされているかどうかの観点から、本件取引に関与しているBの行為は問題であると認識されていたことが端的に表れている。
5 被告は、本件取引を構成する個々的な売買の注文について、原告が投資家として十分な認識を有していたので、Bの行為に違法性はないと主張するので、この点について検討してみる。
(1) <証拠省略>によれば、次の事実が認められる。
ア 被告は顧客と各種の取引をするについて、それぞれ所定の文書を用いて、顧客の意思を確認することにしている。
イ 被告は、本件取引に関して、所定の書式を用いて原告が作成した書面を受領している。それらのうちには、平成7年7月20日付けの保護預り口座設定申込書兼印鑑届出書、平成8年2月16日付けの累積投資業種別オープン口座設定申込書(乙40)、同年3月8日付けの累積投資口座設定申込書(乙41)、さらに累積投資売却申込書(乙6ないし39)、受益証券取引に関する申し込み確認書(乙42ないし47)、同年3月18日付けの月次報告書方式申込書(乙3)、同年4月3日付けの店頭取引に関する確認書(乙4)、同年5月31日付けの外国証券取引口座設定約諾書(乙5)がある。
ウ 第1回検査に基づいて、当時Bの上司で被告本店営業部次長であったD(以下「D」という。)が、Bから原告との取引についてヒアリング調査を行い、原告の属性、預かり残高、取引履歴などを調査した。BはDに対して、本件取引について、アジア製造業ファンドの損を取り返すために取引をしているとの説明をした。
Dは、同年2月13日、原告の本件取引に対する認識を直接確認するために、上司あいさつという名目でBとともに原告宅に赴き、原告と面談(以下「本件面談」という。)を行った。Dは、本当の訪問目的を隠しはしたものの(D供述調書10頁上から6行目ないし15行目)、本件取引を構成する個々的な取引について、Bから原告に話がその都度なされていることを、原告が認めるかどうかを確かめた(同調書13頁上から3行目)ところ、原告はこれを肯定した。それを聞いたDは、株式取引によって生じた損失は顧客の自己責任であるとの一般論を述べた。本件面談時の様子は、本件取引経過や損益について具体的な話をするというよりも、雑談などが中心になされた。そのため原告は、当時取引当初からの損益累計が525万0155円の損失になっていたにもかかわらず、具体的損益を認識することもなく、Dらに対して本件取引についてのクレームをつけることもなかった。
本件面談後、DはBに対し、短期売買を減らし、出来るだけ中長期の投資を行うように指導して、後日「外債(デュアル債)、スポット投信の預かりであり中長期投資を実行中。」と記載した報告書を作成した。
(2) 上記(1)アないしウの事実によれば、本件取引について、原告は本件取引に関し自分の意思を明示した文書をBに交付しており、Bの上司であるDが面談に来た際にも、本件取引についてさしたる不満を述べなかったというべきである。そうであれば、原告は、本件取引の内容をそれなりに認識していて、かつなんらの不満も抱いてなかったかのようである。
(3) しかし、Bが原告に本件説明をしなかったために、Bの主導に原告が盲従して本件取引がなされたことは前記のとおりである。Bの勧誘にほとんど盲従している原告にとって、Bの要求する定型文書に署名、捺印することは当然のことであって、原告がそのような行為をしたからといって、そのことで原告が本件取引の持つ本件特徴を認識していたことになるわけではない。
また、本件取引は、原告がBを信頼しているために、Bが提案すればそれに盲従してなされてきたものであるから、本件面談で、原告がBから個々的な取引の話を聞いているとの態度をとったのは当然のことである。そのことから、Dが、本件取引について原告がBの無断行為であると主張される虞はないと判断して、Bの勧誘行為及び本件取引にある問題性について何も触れることなく引き上げたことは、顧客の適合性を維持すべき証券会社の義務を怠り、Bがそれまでにした勧誘行為の問題性が表面化するのを抑えようとしただけであるといわざるをえない。このような内容の面談がなされたからといって、原告がその当時、本件特徴を持つ本件取引の実態を認識していたなどといえないことは、いうまでもないことである。
(4) 以上のとおりであるから、原告が、本件取引を構成する個々的な売買の注文について、投資家として十分な認識を有していたということはできない。
6 Bは、原告に対して本件特徴の説明をすべき義務があるのに、これを怠っていたことは上記のとおりであるから、Bがどの時点で、本件特徴について説明すべきであったのか、について検討する。
(1) <証拠省略>によれば、本件取引開始後の経過として、次の事実が認められる。
ア 本件取引の開始時の状況
本件取引開始にあたって、義兄はBに対し、「妹(原告のこと)の株式取引は必ず自分を通してやってほしい。」と念を押した。
Bは、原告が選択した株式銘柄の特徴や上記の念押しなどによって、原告が貯蓄性の強い株式を長期間保有するつもりの顧客であることを理解した。
イ 平成7年末までの株式の乗換状況
(ア) 本件取引開始後、本件開始銘柄は取引経過表記載のとおりの値動きを示した。これを見たBは義兄に連絡して、本件開始銘柄のうち値上がりしている三和銀行株と高島屋株の売却を原告に勧めた。両銘柄でおおよそ50万円の売却益が出ることを聞かされた原告は、Bの勧めにしたがって両銘柄を同年8月21日に売却した(番号15、16)。
(イ) その売却直後に、Bは義兄に連絡して、原告に東京ラジエーター株の買い付けを勧めた。同年8月23日に、原告は義兄と相談して上記2銘柄の売却代金を使ってこれを取得した(番号17)。
(ウ) 続いてBは、義兄に連絡して値上がりしているヤマハ株を売却するとともに、値下がりした三和銀行株をもう一度買うことを勧めた。原告はBの勧めに従い(番号18、19)、これに必要な追加資金として約226万円を振り込んだ。
(エ) 同年9月29日、Bは義兄に連絡して、原告にエスアールエル株の買い付けを勧めた。原告と義兄は各1000株を取得することとして、二人の買付代金約560万円を、原告が振り込んでこの株を取得した(番号20)。
(オ) 次いで、Bは原告に対し、三和銀行株をまた売却して、その売却代金で東芝株と三共生興株を取得するよう勧めてきたので、原告はこれに従った(番号21ないし23)。
(カ) その間に、東京ラジエーター株とエスアールエル株(以下、この2銘柄を「本件値下株」という。)が大きく値下がりしてしまった。原告は、義兄が原告に対して本件値下株の株価の値下がりを気にしている様子を見て、義兄に負担をかけないようにするため、Bに対し、自分への連絡は義兄を介することなく直接してほしいと告げた。そのため、原告は同年12月ころからは義兄を通さずにBと直接に連絡を取りあうようになった。
そればかりでなく、原告はBに対し、そのころ、「売るタイミングも内容も私には分かりませんので、留守で連絡がつかないときはよろしくお願いします。」との申入れをした。
(キ) 12月13日、本件値下株のうち義兄が原告名義で取得したエスアールエル株1000株を約60万円の売却損を出して売却した(番号24)。
(ク) 12月20日に積水ハウス株を売却して(番号26)売却益を出し、愛知時計電機株を取得した(番号27)。
(ケ) 12月21日、原告は三共生興株をわずか14日間で約10万円の売却益を出して売却した(番号28)。
ウ 平成8年1月以降における投資資金の乗換状況
(ア) 平成8年になって、1月5日に東芝株を売却益を出して売却し(番号29)、昭和電線電機株と三洋電機株を取得した(番号30、31)のを始めとして、新たな株式の買い付けと買い付けた株式の売付が繰り返された。
(イ) それらの取引の中において、次のとおり、本件取引開始にあたって原告が取得した本件開始銘柄のすべてが売却されて、これらの銘柄が再び取得されることはなかった。
a 1月31日に旭化成工業株、東京放送株、日清食品株がそれぞれ売却益を出して売却され(番号35ないし37)、その売却代金と他の株の売却代金等を合わせてファンド大輪96-02が買い付けられた(番号43)。
b 3月18日に江崎グリコ株、資生堂株、大日本印刷株、阪急電鉄株、INAX株、3月19日にワコール株、3月21日にa電機株がそれぞれ売却益を出して売却された(番号95、97、98、99、102、103、105、111)。
(ウ) 3月19日から26日にかけて、手持ちの本件値下株を売却(これによってそれぞれ手数料を含めて126万7134円、100万1315円の売却損が発生した)したほか、石井鉄工所株、機動建設工業株、京成電鉄株、神鋼電機株、大平洋金属株、ニチメンインフィニチ株も売却された(番号104ないし110、113、115)。
(エ) 同月25日にアジア製造業ファンドを1050万円(手数料除く)で買い付けた(番号112)。この買付額は、原告が当初に支出した投資資金の3分の2の額である。そのほか同日、プロミス株を約48万円で買い付けた(番号114)。
(オ) 以上の取引において、買付株式の売却代金は、別の銘柄の買い付けに充てられたが、買付株の銘柄数が徐々に増えてきたばかりか、著名でない銘柄の比率が高くなってきた。それらの銘柄の中には、石井鉄工所、六甲バター、中山製鋼所及び東海興業といった当時いわゆる仕手株と言われていた銘柄や三共理化学といった店頭銘柄が含まれていた(番号79、141、153、173、189)。
仕手株と称されている銘柄が買い付けられた状況は、別紙6の1996年1月以降取引銘柄一覧表記載のとおりである。
それだけでなく、買い付けた各株式の保有期間も徐々に短くなり、同年4月には、株式の保有期間が0日の取引(いわゆる日計り商い)も行われるようになった(取引期間による現物一覧表の保有日数欄参照)。
こうした中で、Bは市場に注文を出す前に原告と電話連絡がつかないようなときは、事後報告という形で原告に連絡を入れるということも行うようになった。
(カ) 同年5月下旬ころからは、第一興商の転換社債(番号230)、ニッセイTAA株70などの投資信託商品(番号237)及びトレジャリーゼロ97-11などの外貨建て債券(番号238)などの株式以外の金融商品の取引が中心に行われた。
(キ) 同年9月30日、アジア製造業ファンドの売却によって、99万7500円の売却損が発生した(番号260)。
(ク) しかし、同年10月ころには、当時いわゆる仕手株と言われていた銘柄などを対象とした株式取引が再び連日のように行われるようになった(番号271、283、331など)。
(ケ) 平成9年3月以降は、外債の取引が中心に行われた(番号387など)が、同年4月以降、再び株式の取引が行われるようになった。同年10月以降は、投資信託商品であるスーパー・ブル・ベアファンドの取引が中心に行われた(番号451以下)。
エ 投資資金の乗換えに関する原告とBのやりとり
(ア) 原告は、本件取引開始から間もないころに、Bのアドバイスにより本件開始銘柄の一部を売買するなどして、少なからぬ売却益を得ることができた。これによって、原告は徐々にBを信頼するようになり、同人のアドバイスに従って、本件開始銘柄以外の銘柄の株式を買ったりした。その中で、本件値下株の株価が、大幅に値下がりしてかなりの含み損を生じた。
(イ) この含み損を早期に取り返すために、平成8年1月以降、Bは原告に対し、短期的に値上がりが期待できると自分が考える銘柄を次々と選定し、株数、値段などを提示して原告に買い付けを勧めた。原告はBの意図を了承して、買い付けを了承した。Bは、買い付けた株式を数日後には売却して、値動きの期待できる別の銘柄に乗り換えることを繰り返した。
Bは、原告に対して取引勧誘を行う際は、約定案内などを行うほか、各銘柄については、例えば番号49の多木化学について加古川市にある会社であること、また番号153の六甲バターについて仕手筋が集めているとの噂があるといった程度の、出来高や材料を中心とした説明を行っていた。原告は被告本店から遠方に居住していたため、こうしたやりとりはほとんど電話で行われた。
(ウ) Bは、上記6(1)ウの(ア)及び(イ)の投資行動によっても本件値下株の株価値下がりによる含み損をカバーできるほどの売却益が容易に出せなかったため、平成8年3月16日にわざわざ原告宅を訪問して、値上がり益追求型の投機性の強い投資信託商品であるアジア製造業ファンドを、新たな資金を投下して買い付けるように原告に勧めた。ところが、原告は資金の追加を承知しなかった。そこで、Bは、原告に手持ちの本件値下株を損切りするとともに、本件開始銘柄で残存していた銘柄もすべて売却して、これらの代金全部を使って、アジア製造業ファンドを買い付けるように勧めた。同ファンドは、日本を除くアジア諸国の製造業の株式を主要投資対象とする投資信託商品であり、投資対象になっているアジアの製造業の株式というものは原告にとって全く馴染みのないものであった。また同ファンドは、外国の製造業の株式を投資対象とするため為替変動リスクもあり、値上がり益追求型のハイリスクハイリターンの投資信託商品であった。Bはこのような説明はせず、持参した株式チャートを示して、形式的な説明をしたので、原告は、Bの勧誘を承知した。
(エ) 原告は、平成8年5月ころ、株式取引があまりに頻繁に行われることや取引において損を出すことが増えてきたことを不安に思うようになり、Bに対し「株はやめてほしい。」という希望を申し入れた。これに対しBは、原告との取引を続けるために、貯蓄性の高い商品であると称して、株式以外の転換社債、投資信託、外貨建て債券などを勧めては取引を行うようになった。原告は、貯蓄型の商品の取引ならかまわないかという安易な気持ちから、それらの取引を認めてきた。
(オ) Bは、平成8年5月以降の株式以外の金融商品の取引において、大きな売却損を出すこともなかった反面大きな売却益を得ることもできなかったため、同年9月30日のアジア製造業ファンドの売却(番号260)による100万円近い売却損を取り戻すためと称して、同年10月ころ、当時いわゆる仕手株と言われていた銘柄などを対象とした株式取引を再び開始した。このころ、原告が署名押印したものでない売却申込書(乙28ないし32)が作成された。
原告は、再び株式取引が頻繁に行われていることや取引において売却損を出すことが増えてきたことを不安に思うようになり、同年12月ころ、Bに対して「株はやめてほしい。」と再度申し入れた。
(カ) Bは、平成9年3月以降、店内検査で指摘された事項もふまえて、株式取引を控えていたが、外貨建て債券などの取引によっては短期間に多額の利益を得ることができなかったため、同年4月以降徐々に、短期間で多額の利益を得られる可能性のある株式取引を再び開始した。同年10月頃には、Bは、当時被告が推奨していた投資信託商品であるスーパー・ブル・ベアファンドの取引を頻繁に行うようになった(番号451以下)。
(2) 以上の事実に基づいて、平成7年末までについて検討する。
本件取引は、原告が自らの意思で買付委託をする銘柄と株数を決めて、Bに注文を出したことによって開始されたものである。したがって、その取引開始の時点では、Bになんらの違法行為もないといわなければならない。さらにその後の経過のうち、平成7年度中になされた取引については、本件開始銘柄のすべてが値上がりしたことに基づいて、原告は売却益を出す意図で取得株を売却したり、別の株に乗り換えるなどの投資行為をしたものである。そして、それらの取引行為については、前記のような本件特徴はないのであるから、Bが原告に対して説明をなすべき事情も必要もない。したがって、平成7年末の時点においても、Bにはなんらの違法行為はないということができる。
(3) 次に平成8年1月以降について検討する。
ア 以上で認定した事実によれば、平成8年初めから同年3月中頃までの事情は次のとおりである。
(ア) 平成7年末の時点において、Bが勧誘した本件値下株の株価が大きく値下がりして、原告に含み損が生じていた。しかし、本件開始銘柄のすべてが値上がりしていたので、本件開始銘柄のうちの一部を売却して、値上がりの見込める銘柄に乗り換えることで、うまくいけば含み損を取り戻す可能性があった。しかし実際にやってみると、すぐにはうまくいかなかった。そのために、平成8年初めころから、Bは乗り換える株式の銘柄を徐々に短期的に値上がりすると思えるものに移行させていった。
(イ) Bがこのような操作をしても、平成8年3月中旬ころまでに、事態はさほど改善されなかった。そのため、同月18日に、Bは原告に面談して、手持ちの本件開始銘柄を全部売却して、これらの銘柄とは性質が全く異なり、投機性の高い商品であるアジア製造業ファンドを取得し、損益の改善を図ることを提案した。
(ウ) このような投資対象の変更は、本件取引開始時に原告が明示した業界の代表的企業の株式を長期的に保有するとの投資方針にはっきりと背くものである。
しかも、アジア製造業ファンドに原告の投資資金の3分の2を投入することは、きわめてリスクの高い投資行為となるものである。それだけでなく、ひとたびアジア製造業ファンドを取得すれば、その後の経済情勢の変化によって価格変動が生じた場合、これに対応できるだけの経験も知識も原告には全くないものである。
本件値下株によって生じた取引損を補うために、投資資金の大半をこのような金融商品を投入するのが適切かどうかは、Bにとっても容易に判断できるはずのないことである。まして原告には至難のことといわなければならない。
(エ) これらの事情を考えれば、Bは原告に対し、投資資金を本件開始銘柄からアジア製造業ファンドに乗り換えることを提案するにあたって、原告が当初に立てた投資資金の運用目的や投資方針を再度確認し、上記のような乗り換えが原告の知識、経験、投資目的からして原告に見合っているのかを再度検討するなどして、さらに原告に対し当初の目的や方針を変更するかどうかを確かめることによって、その利益を保護すべき義務があったというべきである。そして、平成8年3月16日にBはアジア製造業ファンドの取得を勧誘する目的で原告と面談しているのであるから、その際に以上の事項について、十分説明することができたといわなければならない。
(4) 以上によれば、Bが、平成8年3月16日に、原告にアジア製造業ファンドの取得を勧めたことは、自分が勧めた株式取引で生じた損失を短期間に取り戻すために、株価が安定している各業界の代表的銘柄に投資していた資金を、値動きが激しく証券業関係者にとっても株価等の予測が困難な銘柄に移すことを意味するものである。そして、それは原告が当初に設定した投資方針を完全に否定し、しかも原告の能力では対処しようがない取引をすることも意味している。平成7年度の時点で、原告がBに「売るタイミングも内容も私には分かりませんので、留守で連絡が付かないときはよろしくお願いします。」と頼んでいたことは前記のとおりである。そのことだけからでも、Bは、アジア製造業ファンドの扱いについて、原告が自分で投資判断を形成する能力などないことを十分知っていたはずである。さらに、アジア製造業ファンドを取得することは、Bの能力でも対処が容易でない取引を開始する方向に方針を変更することを意味している。
ところが、Bがした説明は、本件値下株で生じた取引損を取り戻すためにはアジア製造業ファンドを取得するのがよい、そしてそれには手持ちの本件開始銘柄を売却するしかないとの表面的な説明にすぎなかった。
原告がBを信頼していて、その投資意見に依存してしまって、自分で投資意見を形成する労をとろうとしない姿勢をとっていても、Bは上記の方針変更について原告に明確な説明をして、原告の意向を確認すべき義務があることは、すでに述べたところ(第3の3)から明らかである。
したがって、平成8年3月16日にBが原告にした勧誘行為は、原告が自主的に投資判断をするために必要不可欠な具体的取引行為の意味や当該取引によって生じる事態の具体的危険性を十分に説明しなかった点において、前記の義務を怠った違法行為であって、不法行為を構成する。
(5) 以上のとおりであるから、平成8年3月16日にしたBの勧誘行為は不法行為となるので、その後になされた取引経過はBの不法行為が引き続き継続されていたに過ぎないことになる。
第4争点2に対する判断
1 原告がBの違法な勧誘行為によって被った損害は、平成8年3月16日以降になされた売買によって生じた損失の合計653万1608円(計算式①)である。
計算式① 744万1604円-90万9996円(平成8年1月5日から同年3月15日までに買い付けた株式などによって生じた損失、取引損益表番号1から番号38までについて損益欄記載の合計額)=653万1608円
2 被告は、Bを当時使用人として使用していたから、民法715条1項により、原告が被った損害を賠償する責任がある。
3 ところで、すでに認定した事実関係によれば、Bは、原告がBを信頼して、自分が勧誘すればそのとおりに取引をするのをよいことにして、本件説明をすることなく本件取引を主導していたものである。
けれども、原告としても、株式や投資信託の取引に危険が伴うことは一般論としては十分に認識していたはずである。しかも前記のとおり、Bは原告に対し、本件取引に関する取り決めや取引内容及び経過を明示したり記載した文書を交付あるいは送付しているのであるから、それらを見さえすれば本件取引の明細や口座残高を容易に知ることができ、ひいてはその実態を認識することができたはずである。ところが、原告は、Bが積極的に勧誘してくるのを幸いに、Bに依存してしまい、自分で投資意見を形成して投資資産の管理をする労力を惜しんだものである。したがって、原告にも損害の発生につき、落ち度があったというべきである。
しかし、Bが本件説明をしないで本件取引を勧誘し続けた行為と比較すると、原告の落ち度は、Bの行為の半分以下の意味合いを持つにとどまるというべきである。したがって、原告の過失の割合を3割と定めるのが相当である。
そうすると、過失相殺後の損害額は、653万1608円の7割に相当する457万円(端数切捨、計算式②)となる。
計算式② 653万1608円×0.7=457万2125円
4 本件事案の内容、原告の請求が認められた程度などを考慮すると、Bの不法行為と相当因果関係があると認められる弁護士費用は50万円と認めるのが相当である。
第5結論
以上によれば、原告の請求は、被告に対し、損害賠償金507万円と、これに対する不法行為後の平成11年5月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。
(裁判長裁判官 楠本新 裁判官 浅田秀俊 高浪晶子)
<以下省略>