京都地方裁判所 平成11年(ワ)2710号 判決 2002年11月20日
主文
1 被告A,同B,同C,同D,同E,同F,同G,同H,同I,同J,同K及び同Lは,原告に対し,各自30万円を支払え。
2 原告の上記被告らに対するその余の請求並びに被告M,同N及び同Oに対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用については,原告と被告A,同B,同C,同D,同E,同F,同G,同H,同I,同J,同K及び同Lとの間に生じたものは,これを20分し,その1を上記被告らの連帯負担とし,その余を原告の負担とし,原告と被告M,同N及び同Oの間に生じたものは原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 被告Aは,原告に対し,5106万9404円を支払え。
2 被告Bは,原告に対し,593万4914円を支払え。
3 被告Cは,原告に対し,593万1140円を支払え。
4 被告Dは,原告に対し,583万3006円を支払え。
5 被告Eは,原告に対し,174万3328円を支払え。
6 被告Fは,原告に対し,175万1419円を支払え。
7 被告Gは,原告に対し,379万6569円を支払え。
8 被告Hは,原告に対し,379万2954円を支払え。
9 被告Iは,原告に対し,290万2824円を支払え。
10 被告Jは,原告に対し,125万8100円を支払え。
11 被告Kは,原告に対し,121万4400円を支払え。
12 被告Lは,原告に対し,119万6000円を支払え。
13 被告Mは,原告に対し,100万円を支払え。
14 被告Nは,原告に対し,200万円を支払え。
15 被告Oは,原告に対し,200万円を支払え。
第2事案の概要
本件は,社会福祉法人が開設経営していた保育園の廃園をめぐり,当該法人の理事と保育士ら及び入所児童の保護者らとの間に生じた紛争に関し,当該理事が,保育園の閉鎖等の禁止を求める仮処分申立てを行った保護者ら及び当該理事を非難するビラを配布するとともに当該理事の自宅に同様の張り紙を貼付した保育士らに対し,不法行為による損害賠償として,慰謝料の支払いを求めた事案である。
1 前提事実
以下の事実は,いずれも当事者間に争いがないか,かっこ内に示した証拠により容易に認められ,これら事実を覆すに足りる証拠はない。
(1) 当事者等(甲31,原告本人,弁論の全趣旨)
ア 原告は,社会福祉法人若竹会(以下「若竹会」という。)の理事であり(ただし,周囲の者からは「理事長」と呼称されていた。以下の「理事長」という文言はいずれも原告を指すものである。),同法人は,かつて,保育所「さがの乳児保育園」(以下「本件保育園」という。)を開設経営していた。
イ 被告A,同B,同C,同D,同E,同F,同G,同H,同I,同J,同K及び同L(以下,併せて「被告保育士ら」という。)は,いずれも本件保育園の保育士であったものである。
ウ 被告M,同N及び同Oは,いずれもその子供を本件保育園に入所させていた保護者である。
(2) 仮処分の申立て(甲3,乙9,16)
被告N及び同O(以下「被告Nら」という。)は,平成10年7月28日,当裁判所に対し,要旨,「若竹会は,同年7月8日,京都市に対し,本件保育園の園舎に使用されているアスベストから乳幼児の命を守るために同月31日付けで本件保育園を廃止する旨の届出をした(以下「本件廃園届」という。)。これに対し,京都市は,同月22日,アスベストは既に改善工事済みであり廃園の理由とならない,年度途中での施設廃止は児童の保育に甚大な影響があるため認められないなどとして,平成11年3月31日をもって廃止の期日をすることを条件に上記廃園届を承認する旨の決定をした。ところが,若竹会の登記されたただ一人の理事であり,代表理事である原告は,その後も『7月31日で廃園,8月1日からは施設閉鎖で入れないようにする』,『電気,ガス,水道も止まる』などと公言し,京都市の上記決定に従う様子がない。若竹会は,これまで,労働基準法,労働組合法,児童福祉法などの法規を完全に無視した原告のワンマン経営によって営まれてきた。原告は,本件廃園届にあっても,児童福祉法の定める京都市の廃止承認も得ないまま,既に解体工事に一部着手し,保育士に対しても,平成10年7月31日付けで解雇するとして,同月に支給されるはずの夏季一時金も支給しないなどの態度をとり続けている。原告のそのような態度に照らすと,今の事態を放置するならば,若竹会が京都市の上記決定に従わず,平成11年3月31日を待たずして実力で本件保育園を閉鎖することは避けられない見通しである。なお,若竹会が原告のワンマン経営によって営まれており,本件廃園届なども原告の一存によってなされていること,原告は本件保育園と隣接する自宅に居住し,これまでも公私混同の行為を繰り返してきたことなどの事情にかんがみると,今後予想される解体工事や電気,ガス,水道などの供給契約の解除等の行為が若竹会の行為としてなされるか,原告個人の名義においてなされるかは判然としない。」などと主張し,若竹会及び原告を債務者として,本件保育園園舎の解体及びその準備行為,解体業者の立入り,什器備品の取壊し・搬出等,本件保育園敷地への園児・保護者・保育士その他の職員の立入りの妨害,その他本件保育園の継続を不可能もしくは困難ならしめる一切の行為の禁止を求める仮処分の申立てを行い(当裁判所平成10年(ヨ)第857号,以下「本件仮処分申立て」という。),当裁判所は,同年7月29日,上記申立てを相当と認め,上記の各行為を禁止する旨の仮処分の決定(以下「本件仮処分決定」という。)をした。
(3) ビラの配布(甲1,原告本人,被告A本人)
被告保育士らは,同日ころ,本件保育園職員一同・保護者会との作成名義で,別紙1記載の各事実ないし論評を示したビラ(以下「本件ビラ」という。)を作成し,本件保育園の近隣に数百枚配布した。
(4) 張り紙の貼付(甲2,73ないし82,86,87,原告本人,被告A本人)
被告保育士らは,同月31日午後10時から午後11時ころにかけて,原告自宅の塀,出窓,玄関ドア及び建物外壁に,別紙2記載のような各事実ないし論評を示した張り紙(以下「本件張り紙」という。)などを貼付した。
2 争点
(1) 本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付について不法行為が成立するか
(2) 本件仮処分の申立てについて不法行為が成立するか
3 争点についての当事者の主張
(1) 争点(1)について
(原告の主張)
本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付は,公然原告を侮辱し,もって,原告の社会的評価を低下せしめて名誉を毀損し,あるいは,精神的平安,私生活の平穏などの原告の人格的利益を不法に侵害したものである。なお,上記の配布及び貼付には,被告保育士らのみならず,入所児童の保護者である被告Nら及び被告Mも関与した。
(被告らの主張)
ア 本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付は,被告保育士らのみで行ったものであり,被告Nら及び被告Mは関与していない。また,本件ビラ及び本件張り紙には,不必要な個人情報の記載はない上,原告の自宅は,本件保育園の園舎と隣接して一体的に建築,使用されていたものであるから,本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付が原告の人格的利益を侵害したものとはいえない。
イ 真実性の抗弁
本件ビラ及び本件張り紙に摘示された事実は,いずれも真実である上,社会福祉法人たる若竹会の運営に関する原告の行状に係るものであって,公共の利害に関する事実に当たる。また,本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付を行った被告保育士らの目的は,原告による若竹会運営の問題点を社会に訴えることにより,社会的関心の高まりや世論の支持を得,もって,本件保育園の廃止強行を未然に防ぐとともに,若竹会運営の正常化を実現し,子供たちの保育を継続することにあったから,本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付は専ら公益を図る目的のもとに行われたというべきである。
ウ 公正な論評の法理
本件張り紙の中には,「人間の敵」,「悪魔のこころ」,「卑怯者」,「悪徳経営者」,「金の猛者」などといった原告の人格に関わる表現があるが,それらは,いずれも不適正な経理処理によって利益を得,保育士たちの人格を尊重せず,その子供にまで暴力を振るい,若竹会の運営適正化のために京都市との間で誓約したことを一方的に反故にするなどの態度を取り続けた原告に対する批判,論評であり,他の事実摘示と併せて考察すれば,それらが人身攻撃を主眼としたものではなく,若竹会の運営適正化を図るとともに,本件保育園の廃止強行を阻止することを主題としていたことは明らかであるから,いずれも公正な論評の範囲にあるというべきである。
エ 正当防衛
原告は,被告保育士らに対し,従前から,低賃金,きものの強制購入,原告の私生活における家事強要,弁明や反論を許さない圧制など極めて劣悪で非人間的な取扱いを続け,被告保育士らが労働組合結成に踏み切ったことを自分への反逆と捉えて嫌悪敵視し,被告保育士らを解雇するために,平成10年7月31日をもって本件保育園を廃止とし,保育を受ける児童と保護者を放置するという暴挙に出たものである。原告はかねてから法令や行政当局による命令を遵守せず,違法の限りを尽くしてきたのに対し,被告保育士らは正常な保育を求めて正当に行動したのであって,何ら落ち度はない。したがって,本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付は,原告による不正の侵害に対する正当防衛として違法性が阻却されるというべきである。
オ 自救行為
被告保育士らは,本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付に先立ち,若竹会の監督官庁である京都市の担当部局と相談し,さらに,本件廃園届についても協議をもって解決しようと努力したが,原告は,本件保育園の廃止の期日を平成11年3月31日とする京都市が定めた本件廃園届承認の条件や,本件仮処分決定を一顧だにせず,園舎を解体してしまえば法律も行政も裁判所も関係ないという態度を取り続けた。そのため,被告保育士らは,すでに行政上及び司法上のあらゆる解決方法を尽くしたにもかかわらず,原告による不正な侵害が間近に迫り,もはや暴力にも匹敵するほどの激烈な表現行為を行うことでしか防衛できない状況に追い込まれ,最後の手段として本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付を行ったのであるから,自救行為として違法性が阻却されるというべきである。
カ 争議行為
本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付は,本件保育園の経営者たる原告が,法令や行政による指導,さらには裁判所の命令をも無視して経営を放棄し,職場に解体業者を引き入れたまま姿をくらますといった状況の中で,被告保育士らが働く者の権利と職場を守ろうとして行った表現行為にほかならないから,労働者対使用者の問題として免責の余地がある。
(原告の反論)
被告らの主張はいずれも争う。
被告らが本件ビラ及び本件張り紙において行った原告に対する誹謗中傷及び人身攻撃は,相当性の範囲を逸脱しているとともに,被告らのいう本件保育園の廃止阻止などの目的との関連性も極めて乏しいから,本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付について違法性が阻却されるものではない。
(2) 争点(2)について
(原告の主張)
本件保育園の廃止はアスベストの危険を回避するためのやむを得ないものであった上,原告個人は被告Nらとは何ら契約関係がなかったのであるから,少なくとも原告に対する関係では,本件仮処分申立ては被保全権利が存在しない違法な申立てであり,原告はこれにより多大な精神的苦痛を被った。
(被告らの主張)
本件仮処分申立てについては,被保全権利及び保全の必要性がともに認められるとして発令に至っており,およそ違法なものではない。
第3当裁判所の判断
1 前記前提事実並びに証拠(甲1ないし15,17,18,22,23,26ないし29,31,37,44,45,49,50,73ないし83,86,87,89,乙2ないし16,23,24,原告,被告O,同A及び同B各本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
(1) 原告による本件保育園の経営状況
ア 本件保育園を開設経営していた若竹会は,京都市の認可のもとに昭和44年11月12日に設立された社会福祉法人であり,原告は,若竹会のただ一人の登記された理事として,本件保育園の園舎に隣接する自宅に居住して本件保育園の経営に当たっていた。なお,原告の夫であるP(以下,原告及びPを原告夫婦ということがある。)は平成10年5月ころまで本件保育園の園長をつとめ,また,原告夫婦の長男であるQも本件保育園の職員として登録されており,本件保育園の経営は,実質的には原告の家業ともいうべき状況にあった。また,原告は,本件保育園を経営する一方で,呉服及び付属和装品の販売等を行うことを目的とする有限会社さがの苑やまざき(以下「さがの苑」という。)も経営していた。
イ 原告による本件保育園の経営状況について,本件ビラ及び本件張り紙における事実摘示に関連して認められる事実は次のとおりであり,本件保育園に勤務する保育士らの間には,これらの事情などにより,かねてから原告に対する不満がうっ積していた。
(ア) 原告は,かねてから,本件保育園の入所児童の各保護者から,利用金という名目で毎月2500円を徴収し,その後,京都市から市の委託による保育においては措置費以外の収入を得ることは許されないとして是正を求められた後も,名目を協力寄附金と変更して,毎月3000円を徴収していた上,その使途については保護者に対して何らの説明も行わなかった。
(イ) 原告は,平成五,六年ころ,ある保護者が「他の保育園に入所する前に1週間だけ子供を預かってほしい。」と相談に来たことに関し,被告Aに対して,「1週間だけなんて,泣くだけ泣いてうちの園に迷惑を掛けてさっさとよその園に行ってしまうんだから,保育料は取れるだけ取ればいいのよ。1日1万円くらいもらうわ。」と話したことがあった。
(ウ) 原告は,かねてから,本件保育園に備付けの日誌に「○月×日は理事会で留守にします。場所は京都ホテルです。」などと記載したり,保育士らに対し,京都ホテル内の中華料理店や喫茶店内で理事会を開いているなどと話したりしたことがあった。
(エ) 若竹会の理事には,原告の友人であるRのほか,かつて,本件保育園に勤務していた被告Aや同Bが就任していたこともあったが,その後,原告と同被告らの関係が険悪になるや,原告は同被告らを若竹会の理事の地位から退任させた。
(オ) 原告は,かつて,被告Aに対し,若竹会の理事の立場では無休であるので雑役婦の立場で若竹会から月額45万円の給料をもらっていると語ったことがある(ただし,原告の平成10年6月分及び7月分の給与支払明細書(甲44,45)には,原告の当時の給与が月額20万円との記載がある。)。また,原告夫婦の長男であるQは,平成9年当時,副園長あるいは事務員の肩書で若竹会から月額36万9800円の給与を得ていたものの,実際の勤務状況は,遠足の引率などをするほかは,時々保育室に顔をのぞかせる程度のものであった。
ちなみに,本件保育園に勤務していた被告保育士らの給与をみると,古参の被告Aは平成10年5月当時で月額28万0520円の給与を支給されていたが,平成8年1月からパートタイム勤務をしていた被告Jにおいては,平成10年5月当時でも月額約11万円ないし14万円程度(時給800円)の給与を支給されるだけであった。
(カ) 原告は,平成6年年末にある保育士が本件保育園を退職するに当たり,被告Aに対し,「あの子がいるとQがおかしくなってしまうから,辞めてもらったのよ。」と発言したことがあった。ちなみに,当時,本件保育園に勤務する保育士の間では,Qが当該保育士に好意を寄せているともっぱらの噂であった。
(キ) 原告は,ある年の母の日の翌日,被告Aと同Bを呼び出した上,「昨日は母の日でお姑さんにプレゼントしたんでしょう。何でお姑さんにはできて私には何にもしてくれへんの。」と言ったことがあり,それをきっかけに,本件保育園に勤務する保育士らは,毎年,原告に対して母の日にプレゼントを贈るようになった。また,原告は,かつて,保育士らに対し,お中元やお歳暮について「バラバラにもらうと,品物が重なって困るから,一つでいいわ。」と発言したことがあり,その後,保育士らは,原告に対するお中元やお歳暮を取りまとめて一つだけ贈ることにした。
(ク) 原告は,かねてから,本件保育園において「着物保育」と称して保育士らに和服を着用させて保育に当たらせることがあり,和服を持っていない保育士に対し,しばしば,代金相当額を特別手当として支給した上,それを天引し,原告が経営するさがの苑から和服を購入して渡すという取扱いを行っていた。
(ケ) 原告は,かねてから,自分に対して反抗的な態度を取ったり,反論をしたりする保育士に対し,「明日から来なくていいわ。」,「経営者のいうことが聞けないならやめてちょうだい。」,「それは経営者に対する口答えよ。あなた保育所辞める。」などと発言することがあった。
(コ) 原告は,かねてから,しばしば,本件保育園に勤務する保育士や栄養士に対し,本件保育園のほか,これに隣接する自宅の掃除を命じたり,炊事洗濯その他の家事あるいは私用をさせたり,マッサージをさせたりしていた。
(サ) 原告は,本件保育園に勤務する保育士らに対し,就業規則や給与規定の提示をほとんど行わなかった上,タイムカードを打刻後に超過勤務手当を支払わずに就労させることも少なくなかった。
(シ) 原告は,後記のとおり,本件保育園に勤務する保育士らが労働組合を結成した後,それに加入する保育士やその子供ら,さらには当該労働組合の上部団体の担当者に対し,しばしば,背中を叩く,水をかける,腕を強く握り締めるなどの行為に及んでいた。また,被告Aの長男は本件保育園に入所していたが,原告は,平成9年9月2日,「この子の親が言うことを聞かんから,子を懲らしめて親への見せしめにしなあかんのよ。」と言って,泣き叫ぶ同被告の長男の手を引っ張り,自動車の通行のある路上へ連れ出して置き去りにした。
(ス) 原告は,平成10年度に入ってから,被告Aが本件保育園の新館を保育室として使用したいと申し入れたのに対して,その新館の扉をチェーン錠で施錠してこれを拒否したことがあった。
(2) 本件保育園における労使対立
ア 原告は,平成9年7月,被告Dが夏季休暇届を提出するに当たって原告の意向に従わなかったことから,同被告に対して解雇通告を行ったが,これをきっかけに,本件保育園に勤務する保育士6名が,同年8月6日,「さがの乳児保育園労働組合」(以下「本件労働組合」という。)を結成し,委員長として被告Aを,書記長として被告Bをそれぞれ選任した。
イ 本件労働組合は,同月12日,原告に対し,組合結成を通告するととともに,被告Dに対する解雇通告について団体交渉の申入れをしたところ,原告は,いったんは上記解雇通告を撤回したものの,同年9月3日,改めて被告A,同B及び同Dに対して解雇通告を行った。
ウ 被告A,同B及び同Dは,同月12日,当裁判所に対し,若竹会を債務者とする地位保全仮処分を申し立てたところ(当裁判所平成9年(ヨ)第1148号),同年10月21日,若竹会が解雇を撤回して上記被告らの職場復帰を認める旨の和解が成立した。
(3) 京都市の若竹会に対する監督指導の状況
ア 上記(2)記載の経緯を受け,若竹会の監督官庁である京都市の担当職員は,同年9月13日以降,本件保育園における保育の実施状況や若竹会の運営状況の調査を行ったが,原告夫婦は,同月初めころから約1か月間,その所在を明かさずに姿をくらまして,京都市の担当職員に対して事情を説明することを拒んだ。また,そのことに伴い,京都市は若竹会に対する平成9年度の一般指導監査を実施することができなかった。
イ その後,上記(2)ウ記載のとおり,被告A,同B及び同Dと若竹会の間に和解が成立したものの,京都市は,若竹会の理事である原告の所在不明が長期に及んでいること,原告が再三にわたる一般指導監査の申入れに対しても応答しなかったことから,若竹会の運営が適正に行われているか否かについて疑念を抱くとともに,上記被告らの解雇をめぐる紛争について事情を確認する必要があると判断して,若竹会に対して特別監査を実施することとし,同年11月22日及び同年12月15日の2回,特別監査の期日を設定したが,原告夫婦がいずれも不在であったため,結局,京都市は若竹会に対する特別監査も実施することができなかった。
ウ 一方,原告は,同年11月ころから,京都市の担当職員に対し,「平成10年度から保育園の定員を減らす。」,「保育園を廃園にする。」などと口にしたり,若竹会の解散をほのめかしたりしていたところ,平成10年1月26日,京都市に対し,本件保育園を同年3月28日付けで廃止する旨の廃園届を提出し,その翌日に様式不備との理由で廃園届を返却されるや,その後,様式を整えた上,同年3月28日付で廃園する旨の廃園届を改めて提出した。
エ これに対し,京都市は,本件保育園に代わる園児の受入れ先を確保することが困難であることから,本件保育園の廃止を認めないという方針のもとに関係者と協議を重ねた結果,原告は,同年2月27日に行われた協議の席上で,上記廃園届を撤回するとともに,同年7月6日付をもって若竹会の理事を退任することを承諾した。ところが,原告は,同年3月16日にも京都市に対して平成9年度末で本件保育園を廃止する旨の廃園届を提出し(なお,同届出は,同月19日に担当職員が原告宅を訪問して説得をしたことにより,撤回された。),事態は一向に沈静化のきざしをみせなかった。
(4) 平成10年4月以降の経緯
ア 原告は,同年5月7日,京都市に対し,同年6月末日をもって本件保育園を廃止する旨の廃園届を再び提出したことから,京都市の担当職員と原告の間で再び協議が行われ,その結果,本件保育園を存続させること,平成9年度分の一般指導監査を平成10年5月19日に実施すること,原告夫婦の後任の理事及び園長を京都市及び若竹会の双方で人選すること等が改めて確認された。
イ ところが,原告は,同日に実施された一般指導監査の数日後に「監査の結果で何か指摘されるようなことがあれば,理事長を辞任しない。」と言いだし,さらに,同年6月5日には,京都市に対し,「理事長以下全理事が次期も残留することを決定した。」と連絡するとともに,Pの後任園長を一方的に選任して同年5月28日付け施設長変更届を提出した。これに対し,京都市の担当職員は,同年6月8日,原告の自宅を訪問し,上記決定及び後任園長選任は従前の確認事項に反するものであると抗議したが,原告夫婦はこれに取り合わなかった。
ウ さらに,若竹会に対しては,同月29日に平成10年度分の一般指導監査の実施が予定されていたところ,原告は,その準備を行っていた際,平成元年ころに本件保育園の園舎においてアスベストをコーキングにより封じ込めるという工事が行われたことを示す資料を発見し,同月25日に京都市の担当職員に対して「本件保育園の園舎に使用されているアスベストが心配であるから,園舎を解体し,若竹会も解散したい。」旨申し入れ,同月29日に一般指導監査が実施された際にも「園舎にはアスベストが使用されているが,アスベストの建物で保育するのは,怖いし,子供にもよくないし,保育士にもよくない。」などと口にした。
エ そのため,京都市は,同年7月2日,本件保育園の園舎についてコーキング箇所の状況確認のための目視調査を行い,その結果,アスベストは壁の裏側に付着しているが,壁の透き間や繋ぎ目等を塞ぐコーキング工事は継続して有効である,天井に設置された空調設備は,部屋の空気を吸入してろ過し,適切な温度にして室内に排出するというものなので問題はないと判断し,原告にもその旨の説明をしたが,原告はそれを受け容れず,同月7日,京都市に対し,アスベスト公害から乳幼児の命を守るとの理由で同年8月末日で本件保育園を廃止する旨の届出をし,さらに,同年7月10日,同月末日をもって本件保育園を廃止とする旨の届出をした(本件廃園届)。
オ 京都市は,原告に対し,アスベストについては既に改善工事が済んでおり使用停止の理由にならないとして,本件廃園届を撤回するよう求めたが,原告は,これに従わず,同月12日には解体業者に本件保育園のアーチ門を撤去させ,同月13日には「本件保育園を7月末日で廃止する。8月1日から園舎の解体を始める。7月末日で保育士は解雇する。」との張り紙を掲示し,同月14日には「8月1日から解体を始める。水道,ガス,電気も止まる。」との張り紙を掲示した。これに対し,本件労働組合は原告に対して廃園阻止のために団体交渉の申入れを行ったが,原告はこれに取り合わず,同年18日には保護者に対して本件保育園を廃止する旨の通知をするに至った。
カ 京都市は,上記のような原告の態度に照らして本件廃園届を撤回させるのは極めて困難であると判断し,同月22日,本件廃園届を受理するとともに,年度途中での入所児童の転園の困難性等を考慮し,廃止の期日を平成11年3月31日とするとの条件付きで本件保育園の廃止を承認する旨の決定をし(以下「本件承認決定」という。),同日,これを原告に通知した。
キ ところが,原告は,本件承認決定に付せられた条件に反し,平成10年7月25日,同月31日午後7時以降の本件保育園への立入りを禁止する旨の掲示を行って,あくまでも同日をもって本件保育園を廃止する態度を表明し,これを翻意させようとする京都市の担当職員の説得にも応じなかった。
(5) 本件仮処分申立て
これに対し,当時本件保育園に勤務していた被告保育士らは,本件保育園にその子供を入所させていた被告Nらに対し,本件保育園の閉鎖強行を阻止するための仮処分の申立てをするよう依頼し,被告Nらは,同月28日,当裁判所に対して本件仮処分申立てを行い,当裁判所は,翌29日,上記申立てを相当と認め,本件仮処分決定をした。
(6) 本件ビラの配布
また,被告保育士らは,本件保育園の廃止強行阻止のために署名運動及びビラの配布を行うこととし,同月29日ころ,「理事長Sに保育園がつぶされる!!さがの乳児保育園の子どもたちをたすけて!」との見出しの下,「私達,さがの乳児保育園職員一同はこのような非常識な理事長始め理事会による私利私欲に走った保育園経営をこのまま許すことはできません。まして身勝手な廃園など言語道断!理由にならない理由で突然園を失う子ども達,働らく保護者,職員は一体どうなるのでしょうか?!私達は保育園を守ります!!園長を始め職員一同は厚生省,京都市に訴え続けます。また廃園阻止の署名活動も行っていきます。子ども達の大切な保育園を守るべく頑張っていきますのでご協力,ご賛同の程よろしくお願いします。」などと記載するとともに,別紙1記載の各事実を摘示した上,原告の顔写真を掲載した本件ビラを数百枚作成し,本件保育園の近隣家庭に配布するととともに,本件ビラを提示して街頭で署名活動を行った。
なお,当時,本件保育園の入所児童の保護者らが結成していた保護者会の副会長の地位にあった被告Oは,本件ビラの作成に当たり,被告保育士らの求めに応じてビラの作成名義を職員一同と保護者会の連名とすることを了承するとともに,他の保護者らとともに上記署名活動に立ち会った。
(7) 本件張り紙の貼付
ア 原告は,前記のとおり,あらかじめ,同月31日午後7時以降の本件保育園への立入りを禁止する旨の掲示を行っていた上,同日午後4時ころには,京都市福祉事務所に電話を掛けて,本件保育園をロックアウトする旨の予告をしていたが,実際には,同日午後7時以降も本件保育園のロックアウトは行われなかった。
イ 京都市は,入所児童の安全確保の観点から,同年8月1日以降,本件保育園の入所児童を近隣の他の保育園へ通園させる方針を決め,同年7月29日には本件保育園の入所児童の保護者らに対してその旨の説明を行っていたが,同月31日午後10時ころ,上記方針を最終的に確定し,上記保護者ら全員に対し,その旨を連絡した。
ウ 被告保育士らは,上記連絡を受け,同日午後10時から午後11時ころにかけて,原告自宅の塀,玄関ドア,出窓及び建物外壁に,「逃げないで保護者,保母にきちんと説明しろ!!」,「京都市との約束をやぶるな」,「早く退陣せよ」,「約束は守って当たり前」,「保育園をつぶすな」,「経営者なら子供のことを考えろ」などと記載した張り紙とともに,本件張り紙を貼付し,また,被告Oも「保護者全員の前に出て,説明せよ。貼紙だけの一方通行はやめろ!」と記載した張り紙を貼付した。
2 争点(1)について
(1) まず,本件ビラ及び本件張り紙における事実摘示による名誉毀損の成否について検討する。
ア 別紙1及び同2によると,本件ビラ及び本件張り紙には,様々な事実の摘示が記載されていることが認められるところ,それらの事実は,原告が専断的な保育園経営を行っていることを指摘するものであって,事柄の性質上,原告の社会的評価を低下させるものであることは明らかである。
イ しかしながら,前記1(1)イ記載の各認定に照らすと,上記摘示に係る事実は,いずれも,その主要な部分において真実であると認められ,あるいは,被告保育士らにおいて真実と信ずるに足りる相当な理由があったものと認められる。
なお,それらの事実摘示のうち,原告とQの給与の額について若干付言すると,前記1(1)イ(オ)記載の認定によれば,原告夫婦の長男であるQは,実際の勤務状況が遠足の引率などをするほかは時々保育室に顔をのぞかせる程度のものであったにもかかわらず,平成9年当時には副園長等の肩書で若竹会から月額36万9800円の給与を得ていたこと,一方,本件保育園にパートタイム勤務する保育士の月給が約11ないし14万円であったというのであるから,Qが保育者の2倍の額の給与の支給を受けていたとの指摘は根拠のないことではないとみられる。また,原告の平成10年6月分及び7月分(本件保育園の廃止強行の直前の時期である。)の給与支払明細書には月給の金額が20万円との記載があるが,上記のとおり,Qが平成9年当時に36万円以上の月給を得ていたことを考えると,原告も,その当時はQ以上に若竹会から月給を得ていたとしても何ら不思議はない上,原告がかつて被告Aに対して雑役婦の立場で月給45万円をもらっていると語ったことがあることにかんがみると,本件ビラにおける原告が保育者の3倍の額の給与の支給を受けている旨の指摘は,仮にそれが真実でなかったとしても,被告保育士らにおいてこれを真実と信ずるに足りる相当な理由があったというべきである。
ウ また,社会福祉法人たる若竹会が開設経営する本件保育園の経営実態やその理事の地位にある原告の行状に関わる事実が公共の利害に関する事実であることも,事柄の性質上,明らかである。
エ そこで,進んで,被告保育士らが本件ビラの配布及び本件張り紙の貼付に及んだ目的について検討する。
(ア) まず,この点,本件ビラの配布についてみると,前記認定によれば,本件保育園においては,かねてから,原告の公私混同したふるまいのため,勤務する保育士らの間に不満がうっ積していたところ,原告が平成9年7月に被告Dに対して解雇通告を行ったことをきっかけに労使の対立が先鋭化し,本件労働組合を結成した保育士らと原告との間の緊張が一気に高まったこと,原告は,その後,京都市に対して,再三にわたり廃園届を提出し,さらに,平成10年6月に本件保育園の園舎にアスベストが使用されていることに気付くや,同年7月末をもって本件保育園の廃止を強行しようとしたこと,京都市や本件労働組合は,原告に廃園強行を翻意させるため,説得を行ったり団体交渉の申入れをしたりしたが,原告はこれに全く取り合おうとしなかったこと,そのため,京都市は,廃止の期日を年度末である平成11年3月31日とすることを条件に付して,本件承認決定を行ったが,それでも,原告は平成10年7月31日をもって本件保育園を閉鎖するとの態度を崩さなかったこと,そのため,被告保育士らは,被告Nらに対して本件仮処分申立てをするよう依頼する一方,本件保育園の廃止強行を阻止するため,本件ビラを作成してこれを配布したことなどが認められ,以上の経緯に照らすと,被告保育士らが本件ビラを配布した目的が本件保育園の廃止強行を阻止することにあったことは明らかであるところ,社会福祉法人が開設経営する保育園の存廃が当該地域の保育需要に関わる重大な公益事項であることもまた明らかであるから,本件ビラの配布はもっぱら公益を図る目的に出たものと認めるのが相当である。
(イ) 一方,本件張り紙の貼付についてみると,前記認定によれば,上記(ア)にみた経緯に引き続き,当裁判所が同年7月29日に本件仮処分決定をしたにもかかわらず,原告は本件保育園の廃止を中止するどころか,同月31日午後4時ころには,京都市福祉事務所に電話をかけて,本件保育園をロックアウトする旨の予告をしたこと,そして,実際には上記ロックアウトは実行されなかったものの,京都市は,入所児童に危険が及ぶことを憂慮し,児童を他の保育園へ通園させる旨の方針を最終的に決定して,同日午後10時ころ,本件保育園の入所児童の全保育者に対し,その旨の連絡したこと,被告保育士らは,その連絡があった直後に本件保育園の園舎に隣接する原告の自宅の塀や玄関ドアなどに本件張り紙を貼付したこと,以上の経緯が認められる。
そして,本件張り紙が貼付されたのが京都市による上記最終決定の後のことであり,その時点ではもはや本件保育園の廃止を阻止することは事実上不可能となっていたこと,本件張り紙の記載内容は,本件ビラのそれとはいささか異なり,被告保育士らの原告に対する強い怒りや事態の推移に対する絶望感を強く窺わせるものであったこと,証拠(甲74ないし82)によると,本件張り紙の掲示が,原告自宅の道路に面した塀一面のほか,玄関ドア,窓等にも及ぶ執拗な態様のものであったと認められることなどにかんがみると,被告保育士らが,自暴自棄の感情に突き動かされ,自らの感情を爆発させるかの如くに本件張り紙の貼付を行ったであろうことは想像に難くないところであって,その意味において,本件張り紙の貼付については,被告保育士らの個人的感情の発露として行われたという側面も見受けられるということができるが,他方,上記にみたような本件の経緯や,別紙2及び前記1(7)ウ記載の本件張り紙の記載内容に照らすと,本件張り紙の貼付については,被告保育士らが,本件保育園の廃止を目前にしたぎりぎりの状況の中で,原告及び地域住民に対し,本件保育園の廃止阻止について最後の訴えを行うことがその主旨であったことは否定し得ないところというべきである。
そうすると,本件張り紙の貼付についても,本件ビラの配布と同様,本件保育園の廃止阻止を訴えるというもっぱら公益を図る目的に出たものと認めるのが相当である。
オ 以上の検討を要するに,本件ビラ及び本件張り紙における事実摘示による名誉毀損については,摘示に係る事実がその主要な部分において真実であるか,あるいは,被告保育士らにおいて真実と信ずるに足りる相当な理由があったものである上,公共の利害に関するものであり,しかも,被告保育士らがこれらの事実摘示を行ったのはもっぱら公益を図る目的に出たものであったと認められるから,不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。
(2) 次に,本件張り紙に記載された,事実の摘示以外の各表現による原告の人格的利益の侵害の点について検討する。
ア 別紙2によると,本件張り紙には,まず,「権力を乱用するな」,「福祉の名をかりて,悪業を重ねるな」,「子供の事を考えろ!!」,「私腹をこやすな」,「恥を知れ!」といった表現が行われていることが認められるところ,これらの表現はいささか抽象的なものではあるが,前記認定の原告による本件保育園の経営状況や本件の経緯に照らせば,上記の各表現は,要するに,原告が本件保育園において専断的な経営を行ったことや,本件保育園の廃止強行に当たり,京都市や本件労働組合ないし被告保育士らとの話合いや協議の一切を拒絶したことを非難するものであることが認められるのであって,原告の人格それ自体に向けられた人格攻撃とは直ちにいい難く,上記の各表現は,本件張り紙における事実摘示と一体をなすものというべきであるから,不法行為を構成しないとみるべきである。
イ しかしながら,他方,本件張り紙には,「人間の敵」,「悪魔のこころ」,「卑怯者」,「悪徳経営者」,「金の猛者!」といった,極めて悪意に満ちた表現がなされているのであり,これらの表現は原告の人格そのものに向けられた攻撃と評せざるを得ず,加えて,前記のとおり,本件張り紙の掲示が近隣住民の目に触れやすい原告自宅の道路に面した塀一面から玄関ドア,窓等に及ぶという執拗な態様のものであったことを併せ考慮すると,被告保育士らが本件張り紙の貼付に当たり上記の各表現行為に及んだことは,原告の精神的平安,私生活の平穏等の人格的利益を著しく侵害したものというべきである。
なお,被告らは,違法性阻却事由として,公正な論評の法理,正当防衛,自救行為及び争議行為を主張するが,これらの主張は原告の人格そのものに向けられた攻撃を到底正当化し得るものではないから,いずれも採用することができない。
ウ なお,本件張り紙の貼付については,被告M及び同Nにおいてこれに参加あるいは関与したことを認めるに足りる証拠はなく,また,前記認定によれば,被告Oにおいては,本件張り紙の貼付に立ち会った上,自らも「保護者全員の前に出て,説明せよ。貼紙だけの一方通行はやめろ!」と記載した張り紙を貼付したことが認められるものの,本件張り紙の貼付,なかんずく,上記イのような原告の人格そのものに対する攻撃に主体的に関与したことを認めるに足りる証拠はないから(この点,常日頃から原告と接し,その下で働いていた被告保育士らと,入所児童の一保護者にすぎなかった被告Oとを同列に論ずることは相当でない。),結局,上記の被告3名については,原告の人格的利益侵害の不法行為の主体であると認めることはできない。
3 争点(2)について
この点,原告は,本件保育園の廃止はアスベストの危険を回避するためのやむを得ないものであった上,原告個人は被告Nらとは何ら契約関係がなかったのであるから,少なくとも原告に対する関係では,本件仮処分申立ては被保全権利が存在しない違法な申立てであると主張するが,本件保育園の園舎にアスベストの危険が現実に存したか否かはさておき,前記のとおり,京都市の目視検査の結果,アスベストは壁の裏側に付着しているが,壁の透き間や繋ぎ目等を塞ぐコーキング工事は継続して有効である,天井に設置された空調設備は,部屋の空気を吸入してろ過し,適切な温度にして室内に排出するというものなので問題はないとの一応の判断がなされたにもかかわらず,原告は,一貫して京都市や本件労働組合ないし被告保育士らとの話合いの一切を拒絶し,本件保育園の廃止を強行したものであり,このような経緯に照らすと,本件保育園の廃止がアスベストの危険を回避するために真にやむを得ないものであったとはにわかにいい難い上,原告が若竹会の理事として本件保育園の経営を専断的に行っていたことを考慮すると,被告Nらが本件仮処分申立てを行うに当たり,原告を債務者としたことには十分な理由があったというべきである。
したがって,原告の上記主張は採用の限りでない。
4 まとめ
(1) 被告保育士らの責任について
ア 以上の検討によれば,被告保育士らは,本件張り紙の貼付に当たって,「人間の敵」,「悪魔のこころ」,「卑怯者」,「悪徳経営者」,「金の猛者!」といった表現行為を行い,もって,原告の人格そのものに向けた攻撃をしたとの限度で,不法行為責任を免れないことになる。
そして,上記の各表現が極めて悪意に満ちた激烈なものであったことや,本件張り紙を近隣住民の目に触れやすい原告自宅の道路に面した塀一面から玄関ドア,窓等に及んで貼付したという態様の執拗さを考慮すると,本件張り紙の貼付が原告の人格的利益を侵害した程度は著しいものであったというべきである。もとより,被告保育士らは,本件保育園の廃止強行を阻止するために行政上及び司法上の手段を尽くしたにもかかわらず,結局は廃園を阻止し得なかったことから,原告に対する強い怒りに駆られて上記の表現行為に及んだものであり,そのような本件の経緯には斟酌すべき点が多々あるが,さりとて,原告の人格的利益が著しく侵害されたことに照らすと,被告保育士らの責任を軽視することは許されるものではない。
イ 他方,被告保育士らが上記の表現行為に至った最大の誘因は,原告が,本件保育園において公私混同も甚だしい極めて専断的な経営を行ってきた上,京都市の指導や本件労働組合との話合いや協議の一切を拒絶するという不誠実な対応をし,さらに,結果的には本件仮処分決定に反する形で本件保育園の廃止を強行したことにあり,被告保育士らに対して支払いを命ずべき慰謝料を算定するに当たっては,この点を看過することはできない。
ウ 以上に検討したことのほか,本件の審理に顕れた諸般の事情を考慮し,被告保育士らによる人格的利益の侵害によって原告が被った精神的苦痛に係る慰謝料については,30万円をもって相当額と認めることとする。
なお,被告保育士らによる原告の人格的利益の侵害は共同不法行為であるから,同被告らの原告に対する賠償責任はいわゆる不真正連帯責任であることを付言する。
エ したがって,原告の被告保育士らに対する請求は,それぞれ30万円の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却する。
なお,仮執行宣言は,相当でないから付さないこととする。
(2) 被告M及び被告Nらの責任について
同被告らが原告に対して不法行為による損害賠償責任を負わないことは,前記2(2)ウ及び3に記載のとおりである。
したがって,原告の同被告らに対する請求はいずれも理由がないから棄却する。
(裁判官 佐藤英彦 裁判官 村上志保)
裁判長裁判官 渡邉安一は,転補のため署名押印することができない。 裁判官 佐藤英彦
file_2.jpg別紙