大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成11年(行ウ)30号 判決 2002年10月25日

原告

原告

原告

原告ら訴訟代理人弁護士

戸倉晴美

中川朋子

原告ら訴訟復代理人弁護士

澤田孝

被告

上京税務署長

生駒和彦

被告指定代理人

鈴木和典

高谷昌樹

森口季夫

上野勝明

塩谷邦彦

村上晴彦

浅野由佳

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が丁(平成11年4月28日死亡、以下「丁」という。)に対して平成9年11月26日付けでした平成7年分の丁の所得税に係る更正の請求について更正をすべき理由がない旨の通知処分(ただし、異議決定により取り消された部分を除く。)を取り消す。

第二事案の概要

丁は、平成7年4月25日、妻の戊との間で別紙・物件目録(1)の①ないし⑤の各不動産(以下「本件不動産」という。)を離婚に伴う財産分与として戊に譲渡する旨の書面を作成し、それを前提に、本件不動産の譲渡による譲渡所得を所得金額に算入した上で、平成7年分の丁の所得税の確定申告をし、その税額を納付したが、その後、本件不動産についての丁の持分はそれぞれ2分の1であったと主張して、被告に対し、同年分の所得税の減額の更正の請求を期限内にしたところ、被告は、更正をすべき理由がないとして、その旨を丁に通知した(この通知を以下「本件処分」という。)。

本件は、丁の納税義務者としての地位を相続した原告らが、被告に対し、本件不動産の所有権は、財産分与の以前に、全部戊の単独所有に属していたか、又は少なくとも戊と丁の持分2分の1ずつの共有に属していたと主張して、本件処分のうち後に異議決定により取り消された部分を除くその余の部分の取消しを請求した事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  丁(昭和2年2月6日生)は、昭和28年12月26日、戊(昭和4年7月15日生、以下「戊」という。)と婚姻し、その間に、原告甲(昭和29年生、以下「原告甲」という。)、同乙(昭和34年生、以下「原告乙」という。)及び同丙(昭和40年生、以下「原告丙」という。)をもうけた。

2  しかし、丁は、平成7年7月6日、戊と協議離婚し、その後、同年8月22日、A(昭和14年1月30日生、以下「A」という。)と婚姻した。

3  丁は、本件不動産の登記名義を有していたが、戊との間で、協議離婚に先立ち、平成7年4月25日、離婚に伴う財産分与として本件不動産を戊へ譲渡すること等を内容とする約定書(乙5、以下「本件約定書」という。)を作成した。

4  丁は、被告に対し、平成7年分の所得税の確定申告を、平成8年3月15日、別表・課税の経緯の確定申告欄のとおり、雑所得金額122万4900円、分離長期譲渡所得金額1億5317万4408円、納付すべき税額3289万7500円として行い、同税額を納付した。丁は、同申告において、平成7年中に、本件約定書のとおり、丁の所有する本件不動産を離婚に伴う財産分与により戊に譲渡したという前提で分離長期譲渡所得金額を算出した。

5  丁は、平成9年3月11日、被告に対し、同別表の更正の請求欄のとおり、更正の請求を行った。その理由は本件不動産は丁と戊の共有財産であるから、戊に譲渡した財産は本件不動産の各2分の1ずつであるというものであった。

6  被告は、平成9年11月26日、丁に対し、前記の更正請求について更正をすべき理由がない旨を通知をした(本件処分)。

7  丁は、平成10年1月26日、本件処分を不服として、同別表の異議申立て欄のとおり、異議申立てを行い、被告は、平成10年6月22日、同別表の異議決定欄のとおり、異議決定を行い、本件処分の一部を取り消した。

8  丁は、平成10年7月22日、前記異議決定により一部取り消された本件処分に不服があるとして、国税不服審判所長に審査請求をし、国税不服審判所長は、平成11年7月23日、審査請求を棄却する旨の裁決をした。

9  丁は、平成11年4月28日に死亡し、原告ら及びAは、丁の平成7年分所得税の納税義務者の地位を相続した。

10  原告らは、平成11年10月28日、本件訴訟を提起した。

二  争点

1  本件不動産は、丁が戊と婚姻中に自己の名で得た財産、すなわち、丁の特有財産であって、離婚時に丁の所有であったか。それとも、戊がその取得代金を負担したもので、その全部、又は少なくともその2分の1の持分を有するといえるのか(争点1)。

(原告らの主張)

本件不動産は、すべて、戊の収入により購入されたものであるから、登記名義は丁であっても、戊の所有物である。登記名義を丁としたのは、当時の世間一般の認識として、不動産登記は一家の長たる夫の名義ですべきものとされていたからである。

仮に、丁に収入があったとしても、それは本件不動産の購入代金の半分にも及ばず、また、丁と戊は共に医師免許を有し、結婚後共に働いていたことは明らかであり、さらに、丁と戊が離婚するに際し、別表・戊貢献度表のとおり、夫婦間の婚姻中の財産形成に対する貢献度について合意したことからも、本件不動産は少なくとも夫婦間の共有に属する。

(被告の主張)

本件不動産は、丁が戊との婚姻中に自己の名義で取得した財産であるから、丁の特有財産である。本件不動産は、いずれも丁の名義で登記されており、丁が買主等の所有権の取得者とされている。

2  本件約定書によって財産分与として不動産の譲渡がされた場合も、譲渡者に譲渡所得が生じるといえるか(争点2)。

(原告らの主張)

被告主張の最判は、夫婦共有財産の性質を有する本件のような財産分与については妥当しない。

(被告の主張)

最三小判昭和50年5月27日・民集29巻5号641頁のとおりである。財産分与については、慰謝料や扶養の性質をもって行われたときはもちろん、夫婦間の財産関係の清算の性質を有している場合であっても、財産分与を経ることによって、初めて具体的な権利として分与を受けた者に権利が帰属することになるのであるから、これによって、分与者は分与義務の消滅という経済的利益を享受したということができ、資産の譲渡として譲渡所得税の対象となる。

第三当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実、甲1ないし56(枝番を含む。)、乙1ないし26(枝番を含む。)、証人Bの証言(以下「B証言」という。)(以上の各証拠を以下「本件各証拠」という。)並びに弁論の全趣旨により認められる事実は次のとおりである。

1  丁は、昭和24年にC大学医学部を卒業し、昭和25年に医師免許を取得した。戊は、昭和26年にD高等医学専門学校を卒業し、昭和28年に医師免許を取得した。そして、丁と戊は、昭和28年12月26日に婚姻した後、昭和29年1月23日、京都府向日市鶏冠井山畑所在の別紙・物件目録(1)の①の土地上にE医院の屋号で医院(以下「E医院」という。)を開設し、同所で同居して生活するようになった。E医院の開設者は、丁であり、開設に当たって、丁の父のF(以下「F」という。)から借金をした。

2  E医院において、丁も戊も、内科・小児科を診療科目とする医師として稼働した。丁は、C大学医学部で、無給で、研究を続け、戊も、C大学医学部病理学第一教室で研究も継続していた。

3  Fは、昭和29年7月、E医院の敷地である別紙・物件目録(1)の①の土地上に、別紙物件目録(2)の①の建物を買い受けた。また、戊の父のGも、E医院の敷地である別紙物件目録(1)の①又は③の土地の購入代金の一部を援助した(乙2、6、甲37)。

4  丁は、昭和34年2月、C大学で博士号を取得し、昭和35年10月から昭和37年9月まで、単身、アメリカに留学し、腎高血圧の研究等を行った。その間、戊は、E医院において診療を続けた。

5  戊も、E医院での診療の傍ら、C大学医学部での研究を続け、昭和34年4月ころから昭和36年2月まで幾つかの研究発表、論文の発表を医学雑誌で行った(乙23の1ないし7)。戊は、昭和38年6月25日、C大学医学部において博士号を取得した。戊がこのような研究に従事した間、E医院における診療に従事する時間は制約された。

6  丁は、留学から帰国した後、昭和42年11月16日から昭和47年10月31日までは、C大学医学部の非常勤講師として講義を持つことがあり(その時給は昭和47年に1750円に上がるまでは1060円であった。)、また、研究にも携った。丁の専攻は、レノグラム(腎臓部の左右一対のシンチレーション検出器(放射線検出器)で、投与後の放射能を経時的に計測して得た曲線のこと)・コンピュータ処理であり、そのため、丁は、昭和46年7月にコンピュータを購入した。しかし、講師の講義の時間数は多くても年10時間程度であり、むしろ、丁は、留学先のアメリカから帰国後は、自宅で研究を行いながら、E医院の診療行為に従事し、その仕事が主たる仕事であった。丁のE医院における診療行為について、医療過誤であるとして、患者の側から損害賠償の請求をされたこともあった。

7  E医院の経営による所得は、昭和29年から昭和47年8月分までは、丁の本業所得として確定申告がされ、戊は事業専従者として申告されていた。その事業所得金額、専従者給与額及び丁の所得金額は、別表・一覧表の(昭和47年8月分まで)のとおりであった。

8  また、丁は、昭和39年分及び昭和40年分に高額所得者として氏名・総所得金額等が公示され、昭和39年分の申告に係る総所得金額は774万9817円、昭和40年分のそれは686万9452円であった。丁の申告に係る総所得金額は、昭和35年分ないし昭和37年分においては200万円以下であり、昭和38年分及び昭和41年分ないし昭和44年分においては500万円以下であった。

9  丁は、昭和47年、C大学医学部の講師として勤務するようになり、同年8月、E医院については廃業の届出をし、代わって、戊がE医院の開設者となった。そして、以後は、E医院の収入は戊に帰属するものとして、戊が所得税の確定申告をするようになった。

10  昭和47年9月以降のE医院の所得は、別表・一覧表のとおりであった。

11  丁は、その後、昭和53年1月1日からは同大学中央情報処理部助教授、昭和57年11月1日からは同部教授、昭和60年4月1日からは分子診療学教授として、それぞれ勤務し、昭和63年にH医大副学長となり、その後、同大学長となり、平成6年3月31日、任期満了により、退職した。

12  ところで、丁及び戊が、婚姻中に取得した不動産(その後売却したものを含む。)は、別紙・物件目録(1)の本件不動産のほか、同目録(2)及び同目録(3)の各不動産がある。そのうち、登記簿上、丁名義で取得したものは本件不動産及び同目録(2)(①を除く。)の各不動産であり、戊名義で取得したものは同目録(3)の各不動産である(②は原告らと共に取得した。)。これらの各不動産が登記簿上、丁又は戊名義になった日付は、同各目録の「取得日付」のとおりである。また、同目録(2)①の建物は、昭和29年7月23日付けで丁の父のF名義で登記された。

13  前記各不動産のうち、別紙・物件目録(1)の①ないし④の不動産は、丁と戊夫婦の自宅及びE医院の診療所の土地・建物である。同目録(1)の①又は③の土地の一部については、前記のとおり、その購入代金の一部を戊の父のGが負担した。同目録(1)の④の建物は、昭和39年9月に新築されて、一部はE医院の一部となり、その余は、居宅であるが、当初戊の弟のIが所有者として同年11月19日付けで保存登記され(なお、Iの住所は同所とされている。乙3)、その後、昭和43年4月1日付けで売買を原因として丁のための所有権移転登記がされた。

14  別紙・物件目録(2)の②③⑤ないし⑨の各不動産及び④の分筆前の土地の一部(④の分筆前の土地である京都市左京区岩倉南池田町が同町(④の土地)とに分筆され、そのうちのの土地)は、丁が登記簿上の所有名義人となった後、いずれも売却された。そのうち同目録(2)の④の分筆前の土地及び⑦⑧⑨は、いずれも、丁が、J不動産の屋号で不動産業を営むK(以下「K」という。)の仲介で、自ら現場に赴いて検分し、契約手続等をした上で購入したもので、同⑨の宅地について丁はKに避暑のための別荘用地としての購入である旨の説明をしていた。④の分筆前の土地は、昭和63年12月22日にその一部(495・96平方メートル)が分筆され、売却された。売却に伴う税金は丁が負担した。

15  別紙・物件目録(3)の①は、大阪府高槻市真上町所在のマンションで、昭和48年11月1日に戊の所有名義になった後、昭和54年8月14日ころ、Lへ売却された。

16  丁は、戊と婚姻した後、前記のとおり留学したほか、外国旅行をするなどし、平成5年ころまでの間、相当裕福な生活をし、研究のためのコンピュータ等の購入や小遣い等にも相当多額の費用を使った。また、丁は、Aと不倫関係を継続するようになった。

他方、戊は、E医院において診療に当たるとともに、3人の子どもを養育した。長女の原告甲は昭和56年12月9日にMと婚姻して2人の子どもをもうけ、2女の原告乙は昭和58年9月9日Nと婚姻して3人の子どもをもうけた。しかし、丁とAとの不倫関係が継続すると共に、夫婦関係は冷たいものとなり、戊は、平成5年12月ころには、夫婦関係の将来に大きな不安を感じるようになっていた。

17  丁は、平成5年12月ころには、パーキンソン病で入院したり、自宅で療養したりの生活を繰り返していた。

18  そこで、戊は、平成5年12月頃、弁護士Bに相談し、丁名義の不動産を自分の名義にして確保したいなどと希望した。戊は、当初は、正式に離婚しようとまでは思っていなかった。しかし、その後、戊は、入院中の丁がAに多額の金員を渡していることを知ったことなどから、丁との離婚の意思を固め、B弁護士に、離婚やそれに伴う財産関係の清算について、丁側と交渉することを依頼した。

19  戊は、B弁護士の指示で、丁との間で離婚についての財産分与等の合意に至るまでの暫定的な措置として、さし当たって、戊が所有権を取得することに丁が同意していた別紙・物件目録(1)の①③④の各不動産について、平成6年3月7日付けで、同年2月28日付けで丁との間で代物弁済予約をしたことを原因とする戊のための所有権移転請求権仮登記を経由した。

20  B弁護士は、戊から事情聴取を重ね、更に、P病院に入院中であった丁と交渉し、平成6年3月31日までに、丁と戊は、協議離婚するに際し、別紙・物件目録(1)の①ないし④の各不動産すべてが原告の所有であること、別紙・物件目録(2)の④の土地の一部を戊の所有とすること、丁は、これらの各不動産について、財産分与を原因とする戊のための所有権移転登記手続をすること、以上の内容が合意され、その旨の書面(甲37添付の①、②)が作成された。この内容は、B弁護士が戊から詳細な本情聴取をし、婚姻期間中の財産の形成についての丁と戊の貢献度を考慮し、概ね、別紙・戊貢献度表の通りである旨の戊の主張を基に、それを逐次、入院中の丁に確認して合意されたものであった。ただし、戊は、別紙・物件目録(3)の各不動産については、戊名義で取得し、そのうちの高槻市内のマンションは売却済みであることは、明らかにしなかった。その際、戊側は、将来の税負担も十分考慮していた。すなわち、戊側は、前記の各不動産の移転登記の原因は、戊の主張によれば本来は「真正な登記名義の回復」でなければならないが、そのような登記をすると戊側に贈与税が課税されるおそれがあるので敢えて「財産分与」を原因とすることにした。この登記原因であれば、不動産を譲渡した丁が譲渡所得税を負担しなければならなくなるものと考えた。前記の合意をする際、B弁護士が丁にその点を教示したところ、丁が「それならば困る」と言って、それまで合意することになっていた丁から戊へ、更に財産分与として3700万円を支払うとの約定を、双方合意の上取り止めた経緯があった(甲37添付②の抹消部分参照)。

21  ところが、その後、丁は、弁護士Oに委任し、O弁護士は、丁と再婚の予定であったAの意向も考慮して、B弁護士に対し、前記の合意の見直しを求めた。そこで、戊、丁、B弁護士及びO弁護士は、更に、話合いを重ね、戊と丁は、平成7年4月25日、本件約定書(乙5、甲37添付③)を再度作成して合意した。本件約定書には、戊及び丁のほかO弁護士とB弁護士も立会人として署名・押印した。本件約定書による合意の内容は、概ね、① 丁が戊に対して本件不動産を財産分与し、直ちに財産分与を原因とする所有権移転登記手続をする、② 丁は、戊に対し、財産分与として1500万円を交付し、戊はこれを受領した、③ 丁は、別紙・物件目録(2)の④の土地(524・60平方メートル分)を売却することにし、そのための一切の代理権を戊に与える、その売却代今は戊が買主から受領して保管し、売却に伴う諸費用をその中から支出する、売却代金の中から前記諸費用を控除した金員のうち、丁が本件不動産を財産分与として戊へ譲渡することによって丁が負担する税金相当額、同目録(2)の④の土地の売却により丁に課せられる税金相当額は丁が取得するものとする、ただし、税金の申告納付手続は戊が丁に代行して行う、前記の売却代金から前記諸費用及び丁の税金分として取得する分を控除した残金は、丁が戊へ財産分与として譲渡する、以上のとおりであった。

22  本件約定書を作成するに際して、戊やB弁護士も、丁やO弁護士も、いずれも、本件不動産について財産分与があったとして課税するのは不当であるが、それは後に争うことにして、一応、前記のような内容の本件約定言による合意をし、それに基づいて、丁の所得税の申告及び納付を行うこととした。

23  戊は、本件約定書では財産分与を原因とする所有権移転登記手続をすることになっていたにも拘わらず、平成7年7月6日、本件不動産につき、「真正な登記名義の回復」を原因とする戊のための所有権移転登記を経由した。

24  その後、丁は、前記第二の一のとおり、本件不動産を戊に財産分与したとして、平成7年分の所得税について申告をしたが、平成9年3月11日、本件不動産は丁と戊の共有であったから、その2分の1の持分については、財産分与による譲渡ではない旨の更正の請求をした。

二  争点1について

1  夫婦の一方が婚姻中自己の名で、すなわち、一方が権利義務の主体となって取得した財産は、いわゆる特有財産であって(民法762条1項)、離婚に伴う財産分与は、このような夫婦の一方の特有財産を他方が財産の共同形成への寄与・貢献したこと等の一切の事情を考慮して他方へ譲渡する制度であって、そもそも他方が所有していた資産(それは他方の特有財産である。)を離婚に際してその旨を確認するのは、すでに生じている法律関係を確認する行為にすぎず、財産分与ではないことは明らかである。争点1についての原告らの主張は、丁と戊とは、本件約定書を作成して、丁が本件不動産を戊へ財産分与した旨合意したことになっているが、実は、それは法律上の財産分与ではなく、本件不動産は戊の特有財産であるか、少なくともその一部は法律上の財産分与ではなく、共有物分割と残部の譲渡である、との主張であると解される。

2  本件各証拠によれば、本件不動産は、いずれも、実質的には、その取得費用の大部分は、E医院の収益によるものということができる。そして、前記一の認定した事実関係によれば、本件不動産についての取得日付は、いずれも、別紙・物件目録(1)に記載のとおり、いずれも、昭和48年より以前であって、丁は、当時、C大学医学部で無給で研究し、あるいはきわめて僅かの収入で非常勤講師をしていた時期で、しかも、丁が米国で研究した昭和35年10月から昭和37年までの期間は、丁がE医院において医師として稼働することはなく、専らE医院の収入は、戊の診療行為や医院の運営等の行為によるものであったと考えられる。

3  しかしながら、証拠上、本件不動産について、それぞれの「取得日付」当時から、戊と丁の夫婦間で、本件不動産の所有権の帰属について合意していたことや、あるいは、共通の認識があったことは認められない。また、前記一で認定した事実関係によれば、丁は、C大学医学部で研究や講義をする傍ら、E医院において診療を担当していたものであり、原告主張のように戊のみがE医院の収益を挙げていたとまでいうことはできない。むしろ、戊は、昭和29年12月1日、昭和34年9月9日、昭和40年10月14日に、それぞれ3名の子を出産していることから、各出産日の前後数か月の期間は、E医院で診療を行うことは困難であったと考えられ、更に、戊の論文発表の状況や昭和38年6月25日に学位を取得していることを併せ考慮すれば、戊も、昭和35年ころから学位取得に至るまでの期間は、E医院で診療に当たることができる時間は限られていたものと考えられる。更に、丁は、昭和39年分及び昭和40年分の所得について、高額所得者としてその氏名等が公示されているが、それらの年分の所得と昭和43年分以降のE医院の経営による丁の事業所得額の推移に照らすならば、昭和39年分と昭和40年分の丁の所得金額はやや突出しており、丁は、これらの年に、E医院からの収入以外の収入があった可能性も否定できないというべきである。このようにみてくると、本件不動産について、その取得のための費用は、専ら戊が出捐したものであるとはいえず、また、主として戊の出捐によるものであったとまでも認め難い。そして、前記一の認定事実によれば、丁は、昭和29年から昭和47年8月までの間、E医院の開設者であったもので、毎年、E医院の事業所得を自己の所得として所得税の申告をしていたこと、本件不動産については、いずれも、その「取得日付」に丁の所有名義で登記されていること、戊は、昭和47年8月以降にE医院の開設者となってからは、別紙・物件目録(3)の①の高槻市のマンションを自己の登記名義で購入し、その後これを売却し、更に、同目録(3)の②の土地を自己と原告ら名義で購入し、その地上に同目録(3)の③の建物を建築して自らの名義で保存登記したことをも考慮すると、本件不動産は、いずれも、その登記名義どおり、丁が権利義務の主体となって取得したもので、その取得や維持について戊に寄与や貢献が相当あったことは確かであるが、丁の特有財産と認めるのが相当である。

4  なお、甲14によれば、丁は、平成10年11月頃、大阪国税不服審判所からの照会に対して、本件不動産については丁と戊のいずれの所有名義でもよかった旨、また、E医院の事業所得を丁の所得として確定申告し、E医院の医療機関としての許認可も丁名義で得ていることについて、戊名義では世間体が悪いのでそのようにした旨、それぞれ文書で回答したことが認められるが、同文書(甲14)は、丁が本件不動産のすべてが丁の特有財産ではなかったと主張して審査請求をした後に作成されたものであり、同文書の内容は前記判断を左右するものではない。

三  争点2について

前記判示のとおり、本件不動産は、丁の特有財産であったもので、本件約定書による合意は財産分与の契約として有効であり、戊は、本件約定書による財産分与の合意によって本件不動産の所有権を取得するに至ったもので、前記一の認定事実によれば、この財産分与は、婚姻中の財産の清算としての性質と丁の戊に対する慰謝料の支払の性質を有するものと解される。そして、このような性質を有する財産分与についても、そこには資産の譲渡による所得があったと解され、譲渡所得として所得税の課税対象になるというべきである(最三小判昭和50年5月27日・民集29巻5号641頁、最一小判昭和53年2月16日・判時885号113頁参照)。したがって、この点についての原告らの主張は採用できない。

第四結論

以上のとおり、本件処分は適法であって、原告らの本件請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八木良一 裁判官 古谷恭一郎 裁判官 谷田好史)

file_2.jpg別紙

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例