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京都地方裁判所 平成12年(ワ)2244号 判決 2001年11月02日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は原告に対し,金1352万9299円及びこれに対する平成10年2月12日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,タクシーの乗務員が,冬季に乗務車両にスタッドレスタイヤないしチェーンを装備しなかった会社の安全配慮義務違反行為により,運転制御の自由を失って欄干に衝突・受傷したとして,損害賠償を求める事案である。

1  請求原因

(1)  事故の発生

被告はタクシー営業をなす会社であり,原告はその乗務員(運転手)として勤務する者であるが,被告の営業車両(以下「本件車両」という。)を運転勤務中の平成10年2月11日午前1時35分,滋賀県甲賀郡a町A先県道b線上(橋,以下「本件事故現場」という。)において,欄干に衝突して受傷した(以下「本件事故」という。)。

(2)  事故原因

本件事故は,原告が京都市内で乗せた乗客を滋賀県甲賀郡c町に向けて運送中,右カーブ・緩い上り坂で凍結した本件事故現場で本件車両がスリップにより制御不能となって発生したものであるが,その原因は本件車両にスタッドレスタイヤを装着していなかったため,通常タイヤによる走行を余儀なくされたことに起因するものである。そして,本件事故現場の小橋は抜け道の上に作られたものであったため,通常の道路と認識し易く,原告としては,凍てついている橋の上とは予想できなかったものである。

なお,被告は,後記のとおり,本件事故原因が原告の速度違反に起因すると主張するが,直前の速度は時速50kmであったにもかかわらず,被告の指摘するタコメーターが事故直前に時速80kmを示しているのは事故の衝撃によるズレである。

(3)  被告の安全配慮義務違反

冬季に積雪又は凍結の道路の走行・営業するタクシー会社にあっては,積雪又は凍結道路上の安全を確保し,タクシー乗務員の生命・身体の危険を保護するため,各運転車両にはスタッドレスタイヤを装備させるべき安全配慮義務があるところ,被告は労働組合の再三の要求にもかかわらず,チェーン3個を準備しているだけで,故意にこれを無視してきた。

ちなみに,京都市北部地域(主に北区内)に営業所を有するタクシー会社は前記安全配慮義務に基づきことごとくスタッドレスタイヤを用意しており,山科区を除くその余の京都市内のタクシー会社は装備しているとは限らないが,山科区内はこの両極の中心にあり,同区内に営業所を有する被告を除くタクシー会社(例えば,京滋タクシー,関西タクシー,MKタクシー山科営業所,ヤサカタクシー山科営業所,比叡山タクシー)もことごとくスタッドレスタイヤを用意して安全をはかっている。山科区地域は京都市内北部(そして北陸地域)に近く,被告の所在地から1kmも東に行けば大津・滋賀県で,滋賀県の中北部は限りなく北陸地方の気象状況と近似し,山科区内に営業所を有するタクシー会社乗務員は滋賀県中北部へも出庫するものである。

(4)  損害

ア 原告は本件事故により頸椎捻挫・右肩関節腱肢断裂を受傷し,頸部運動痛・肩凝り症状・左肩関節の制限及び運動痛が頑固に続き,労災補償保険等級10級9号の認定を受けた。

イ 具体的な損害

(ア) 休業損害

a 原告の被告における給与は,年1万8000円の賞与,月額15万1000円の本給のほか,一定の水揚げを要件とする月平均基準外手当Ⅰとして7万7227円,基準外手当Ⅱとして8万4836円,乗務手当として6000円の合計16万8063円を得ていた(以下,本給以外のこれら手当を「本給外手当」という。)。

b しかるに,原告は本件事故により,平成10年2月から7月まで6ヶ月間の本給外手当100万8378円を失い,同額の損害を被った。

(イ) 逸失利益

a タクシーの運転は,1日平均1000回のギヤーチェンジを必要とするところ,原告の後遺障害の程度からして到底不可能である。

b 原告(昭和21年12月3日生)は,本件事故当時51歳で,被告の定年は63歳であるから,12年間にわたり本給,本給外手当,賞与の年額384万6756円の27%を喪失し,その現価は957万0921円である。

(ウ) 慰謝料

700万円が相当である。

よって,原告は被告に対し,債務不履行に基づき,損害合計1757万9299円から労災給付金405万円を控除した1352万9299円及びこれに対する本件事故発生の翌日である平成10年2月12日から完済まで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  請求原因に対する認否

(1)  請求原因(1)の事実は認める。

(2)  同(2)の事実は否認する。

本件事故原因は,もっぱら原告の過失によるものである。すなわち,本件事故現場は右カーブの凍結道路であり,原告は天候・道路状況に応じた安全走行をすべき注意義務があるのに,本件車両のタコグラフによれば,原告はこれを怠り,本件事故当時時速80~90kmの高速走行をし,右カーブを切ってからアクセルを踏むという運転方法をとったためスリップして本件事故を惹起したもので,原告の一方的過失により起こされた事故である。

(3)  同(3)の事実も否認する。

本件事故当時はおろか,現在でも,その北部に本拠を置く会社は別にして,京都市内のタクシー会社でスタッドレスタイヤ等を装備している会社は少なく,被告同様に山科区内に営業所を有するタクシー会社のすべてがこれらを装備している訳ではない。

被告は,積雪又は凍結の可能性の少ない京都市内をその営業の本拠とし,労働組合からスタッドレスタイヤ等の装備の要求を受けた事実もなく,それでも,本件事故当時すでに会社内にチェーンは12セットを常備してあり,申し出た乗務員には貸し出しをしていた。原告が,積雪・凍結道路を走行する見込みや天候状態等からして必要と考えれば,貸与を申し出るだけで足りたはずである。

(4)  同(4)アの事実中,原告が労災保険により主張の認定を受けたことは認めるが,その余の事実は否認する。原告の後遺障害の内容は主に頸椎捻挫で,6ヶ月もの休業・加療を要したものとは考えられない。

同(4)イの事実は否認する。原告が復職後に乗務する営業車はトルコン(いわゆるオートマチック)車で,原告主張のようなギヤーチェンジを要するものではないから,原告の逸失利益の主張も理由がない。

第3判断

1  請求原因(1)の事実は当事者間に争いがなく,証拠(甲第5ないし第7号証,第10,第11号証,乙第1ないし第4号証,第7,第8,第11号証,証人B,同C,原告本人,弁論の全趣旨)によれば,京都市内で営業するタクシーは,冬季に市内の積雪があった場合,あるいは,市内に積雪がなくとも北部地域又は京滋方面に向かう乗客をさせた場合等は,滋賀県や比叡山の山越えのために路面が積雪で覆われたり凍結している可能性が強く,これら路面における滑走防止のために,市内走行用の通常タイヤにチェーンを装着し,又は冬季だけ通常タイヤをスタッドレスタイヤに装着替えするのが車両走行の安全を確保するために必要であること,このため,北部地域あるいは京滋方面への乗客が予想される区域で営業するタクシー会社では,冬季には車両の一部にスタッドレスタイヤを装着し(車両を運転手にリースしている会社では運転手の負担により),あるいはチェーンの貸し出しをするところがあったこと,京都市山科区内に営業本拠を置き150台の営業車両を擁する被告では,冬季におけるこのような準備はせずに事故時の救援用にタイヤチェーン6セットを準備していただけで,市内が積雪のために営業車の走行不可能な場合は営業車の出庫を停止して乗務員が休み,市内から積雪,凍結の予想される山越えの乗客についてはタイヤの滑走防止装備のないことを理由に,乗務員の判断で乗車を断るようにしていたこと,このため,労組から被告に対し,降雪時でも営業できるように,平成2年11月の秋期付帯要求として「冬季に向けタイヤチェーンを一定数設置すること」との要求がなされていたこと,本件事故は,原告が,平成10年2月10日24時ころ,京都市内祇園付近から通常タイヤを装着した本件車両に,滋賀県雄琴~甲南方面への客を乗車させ,市内から本件事故現場まで路面凍結もなかったのに,登りの本件事故現場でアクセルを踏んだところ,気付き難い場所であったが,同所だけが橋で凍結していたためスリップして欄干に衝突したこと,組合から被告に対しては,本件事故後の平成11年12月の秋期付帯要求として「冬季事故防止対策としてスタッドレスタイヤを全車に装着すること」との要求がなされ(少なくとも,平成9年12月の秋期付帯要求,平成10年の春闘要求,同年の秋期付帯要求はチェーン,スタッドレスタイヤに触れていない。),これに対し被告では「組合の要求を容れられないが,本社,営業所に数セットのタイヤチェーンを新たに配備すること,積雪による出庫停止については振替公休とし,締め切り前の出庫停止で振替のきかない乗務員については,個別に特別休暇扱いの配置をする。」と回答したが,結局,チェーンを12セットに増やし,スタッドレスタイヤ50本を準備したこと,しかし,平成12年から13年の冬季間でも,市内が降雪の時は乗務員が休むため,スタッドレスタイヤは3回程度貸し出しがあっただけで,タイヤチェーンに至っては1度の貸し出しもなかったこと,以上の事実が認められる。

2  そこで,タクシー営業車両に対する冬季におけるタイヤチェーンの準備ないしスタッドレスタイヤの装着に焦点を当てて,被告の安全配慮義務について検討するに,安全配慮義務は,使用者が労働者の労働給付のために設置すべき場所,施設もしくは器具等の設置管理又は労働者が上司の指示の下に遂行する業務の管理に当たって,労働者の生命,身体及び健康等を危険から保護すべき信義則上の義務であるが,その義務内容は,当該職種,地位及び義務の履行が問題となるべき具体的状況により異なるものである。

これを本件についてみるに,一般乗用旅客自動車運送事業に雇用されるタクシー乗務員にあって,冬季に営業車を積雪,路面凍結等の車両滑走の具体的危険が予測される場所へ運行すべき法令上,職務上の義務があってこれを拒否できない場合は,タクシー乗務員の運転技量のみで路面の滑走を防止できないことは自明であるから,乗務員をこのような業務に従事させる使用者において,積雪,凍結路における営業車両の滑走防止策の履行,すなわち,一般的に承認されている技術水準を有するタイヤチェーン,スタッドレスタイヤの装備・装着をなさせるべきことは当然に安全配慮義務に適うことである。しかし,道路運送法13条2号は,このような一般旅客運送事業者に対しても,当該運送に適する設備がないときは運送引受義務を免除しており,本件車両のように車両滑走防止装置を具備しない営業車両に,当然に積雪ないし路面凍結地域への運送を義務づけるものではないと解され,また,被告においても京都市内の降雪の時には出庫を停止し,あるいは,市内からこのような地域への乗客がある場合に,業務命令により運送を業務として命じているような状況は認め難い。

そうとすれば,元来,京都市内からこのような積雪,路面凍結地域への乗客の運送は,いわゆる長距離客としてタクシー会社である被告,乗務員である原告の双方にとって料金(いわゆる水揚げ)の増加に資するところ大であり,同時に公共交通機関としての使命を達することになるが,所詮は,路面滑走防止装置を具備すべき対費用効果を維持できるか否かの営業施策上の問題にすぎず(前記のように,被告と営業区域を同じくするタクシー会社においても,滑走防止装置の装備・装着の程度は一律ではなく,また,それが法令上義務づけられていないことは,この間の事情を物語るものというべきである。),原告が,このような地域での営業を義務づけられていない限り,当該地域に乗客を運送するか否か,被告から滑走防止装置の貸与を受けて営業するか否かは,原告の自由な判断により決すべきもので,被告に対し,一般的な営業を前提として(もとより,法令又は業務命令に基づきこのような地域への運送を余儀なくされる場合は別論である。),このような装置を営業車に装備,装着すべきことは,それが望ましいとはいえても,被告の乗務員に対する安全配慮義務として義務づけることは困難である。

3  以上のとおりであってみれば,原告のその余の主張につき判断するまでもなく,本訴請求は失当として棄却を免れないから,主文のとおり判決する。

(裁判官 渡邉安一)

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