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京都地方裁判所 平成12年(ワ)3044号 判決 2002年3月20日

主文

1  被告Aは,原告Bに対し,1258万9560円及びこれに対する平成11年4月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告Aは,原告C,同D及び同Eに対し,それぞれ448万2653円及びこれに対する平成11年4月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告らの被告Aに対するその余の請求及び被告同仁会に対する請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用のうち,原告らと被告Aの間に生じたものについては,それぞれ5分し,その各3を同被告の負担とし,その余を原告らそれぞれの負担とし,原告らと被告同仁会との間に生じたものについては,いずれも原告らの負担とする。

5  この判決は,1,2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  被告らは,原告Bに対し,各自,3418万8804円及びこれに対する平成11年4月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告らは,原告C,同D及び同Eに対し,各自,それぞれ1139万6268円及びこれに対する平成11年4月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告Aは,原告Bに対し,49万8342円及びこれに対する平成11年2月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  被告Aは,原告C,同D及び同Eに対し,それぞれ16万6114円及びこれに対する平成11年2月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,交通事故により受傷して,入院先の病院の病室からの転落事故により死亡した被害者の遺族が,交通事故の加害者に対しては民法709条又は自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)3条に基づき,病院を経営する医療法人に対しては民法715条又は民法415条に基づき,連帯して,被害者に生じた損害の賠償及びこれに対する民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うよう求めた事案である。

第3基本的事実

1  交通事故の発生(以下「本件交通事故」という。原告らと被告A間で争いのない事実,甲2,3の1,甲16)。

(1)  日時

平成11年2月12日午後8時50分ころ(以下,月日の記載は,断りのない限り,平成11年の月日を示す。)

(2)  場所

京都市a区b町c番地先T字路交差点(以下「本件T字路交差点」という。)

(3)  加害車両

被告Aの所有及び運転に係る普通貨物自動車(京都deをfghi,以下「被告車両」という。)

(4)  被害者

F(昭和20年5月27日生,以下「F」という。)。なお,Fは,若年緑内障により,視力が左右とも0.01程度で,視野狭窄が著明な視力障害者であった。

(5)  態様

被告車両が,本件T字路交差点を直進路から突き当たり路へ右折進入しようとしたところ,折から直進路に沿って同交差点を歩行横断中であったFに衝突した。

2  被告Aの責任原因(原告らと被告A間で争いがない。)

被告Aは,被告車両を運転し,前方及び右方の安全を十分に確認しないまま本件T字路交差点を右折して本件交通事故を発生させたものであり,また,本件交通事故当時,被告車両を自己の運行の用に供していたものであるから,民法709条又は自賠法3条に基づき,Fが本件交通事故により被った損害を賠償すべき責任を負う。

3  Fの受傷内容及び治療経過(原告らと被告同仁会間で争いのない事実,甲4の1,甲5の1ないし3,丙1,3ないし5,弁論の全趣旨)

(1)  Fは,本件交通事故後,救急車で医療法人清仁会洛西シミズ病院(以下「洛西シミズ病院」という。)に搬送され,さらに,その日のうちに被告同仁会が経営する京都九条病院(以下「被告病院」という。)に転送され,本件交通事故発生日である2月12日から,後記本件転落事故が発生した4月9日までの間(57日間),同病院に入院して治療を受けた。なお,Fに対する治療については,同病院脳神経外科G医師(以下「G医師」という。)が主治医として担当することとなった。

(2)  Fは,被告病院に搬入された直後の頭部CT検査の結果,頭蓋骨骨折,外傷性クモ膜下出血,左急性硬膜下血腫,右急性硬膜外血腫及び右頭頂葉に径1センチメートルの脳挫傷が認められ(なお,その後に実施された検査結果において,両側前頭葉底部及び脳梁部にも脳挫傷が認められた。),全身打撲によるショック状態にあり,意識レベルはⅡ-10(ジャパン・コーマ・スケールによる。以下同じ。刺激すると覚醒するが,刺激を止めると眠り込む状態。普通の呼びかけで容易に開眼する。)で不穏状態にあり,また,左下肢には単麻痺が認められた。そして,搬入後1時間及び3時間のCT検査の結果において脳挫傷や血腫の拡大の所見がなく,また,神経学的所見にも変化がなかったことから,G医師は,Fに対し,保存的治療を行う方針を決め,所要の治療を行ったところ,Fの容態が安定してきたことから,Fは,2月15日,集中治療室から一般病棟である被告病院病棟4階の701号室(6人部屋,以下「本件病室」という。)へと転床された。

(3)  Fの意識レベルは2月20日ころから徐々に改善し,Fは,4月に入ると家族と談笑するまでになったが,高次脳機能障害のため,記銘力障害や時間や場所などに関する見当識障害が残っており,3月31日ころにおける意識レベルはⅠ-2(刺激しないでも覚醒している状態。見当識障害がある。)であった。

一方,左下肢の単麻痺も徐々に改善し,3月3日から左下肢のリハビリテーションが開始され,同月18日ころには左下肢を挙上することができるようになり,同月23日ころには左下肢に自発的な動きが見られるようになり,そのころ,歩行器を押しながらの歩行訓練も始められた。

(4)  ところで,Fは被告病院に入院した当初から不穏状態が強く,体幹や上下肢に抑制帯を装着されても自分で外してしまうことが多く,また,しばしば,夜間にベッドから降りたり病室内や廊下を徘徊する状況も見られた。

(5)  G医師は,以上のようなFの不穏状態に対処するため,Fに対し,睡眠前に鎮静効果のある抗精神薬ベゲタミンBを内服させ,それでも安静にならないときには抗精神薬セレネースを筋肉内注射により投与するよう看護婦に指示をしていた。

4  転落事故の発生(以下「本件転落事故」という。争いがない事実,甲6,丙2の1ないし4,丙8,10)

(1)  Fは,4月9日午後8時30分ころ,ベゲタミンBを服用し,本件病室の自己のベッドに臥床したが,準夜勤務の看護婦が同日午後9時ころに本件病室を訪れたところ,Fがベッド柵を乗り越え,ベッド伝いに廊下に出ようとしていたことから,同看護婦はFをベッドに連れ戻した上,その両上肢に抑制帯を装着した。ところが,同看護婦が同日午後10時ころに再び本件病室を訪れた際,Fはベッドを抜け出しており,捜索の結果,同日午後10時15分ころ,本件病院病棟4階バルコニー(以下「本件バルコニー」という。)から地上に転落してうめき声を上げているFの姿が発見され,Fは,直ちに救急室に搬入されて救急処置を受け,さらに,集中治療室に搬入されて集中治療を受けたが,肋骨骨折,肺損傷の傷害を負っていたため,翌10日午前0時10分,外傷性血気胸により死亡した。

(2)  ところで,本件バルコニーは本件病室の外側にあったが,本件病室と本件バルコニーを隔てる外壁(本件病室の出入口から見て正面奥の壁)には左右に2か所の腰高窓(床面から窓枠の下端までの壁(以下「窓下壁」という。)の高さが90センチメートルで,2枚のガラス戸がはめ込まれ,床面から高さ150センチメートルのところに鍵が設置されていた。)が設置されていたが,本件病室から本件バルコニーに出入りするための扉は設置されていなかった。そして,本件病室には出入口の左右に各3床(計6床)のベッドが頭部を左右の壁側として置かれていたところ,Fのベッドは,出入口から見て右奥,上記腰高窓のうち右側のもの(以下「本件腰高窓」という。)から100センチメートルの距離に置かれていた。また,本件バルコニーは,張り出した幅が120センチメートルで,手すりの部分を含めて高さ117センチメートルの落下防止のための防護壁が設置されていた。

(3)  以上の状況から,本件転落事故は,Fがベッドを抜け出し,自ら窓下壁を乗り越えて本件腰高窓から本件バルコニーへ出て,さらに,自ら本件バルコニーの防護壁を乗り越えて地上に転落したために発生したものと推測された。

5  相続関係(原告らと被告A間で争いのない事実,甲1の1ないし3)原告B(以下「原告B」という。)はFの妻であり,同C,同D及び同EはFの子である。したがって,Fの遺産について,原告Bの法定相続分は2分の1,その余の原告らの法定相続分はそれぞれ6分の1である。

6  損害の填補(原告らと被告A間で争いのない事実,甲15の1,2)F及び原告らは,Fが本件交通事故により被った損害の賠償として,次のとおり,合計3234万5510円の支払いを受けた。

ア  被告A加入の損害保険会社からの支払分

(ア) 死亡による損害についての自賠責保険金  2900万円

(イ) 被告病院における治療費  139万5510円

(ウ) その他の仮払金  95万円

イ  被告Aからの支払分  100万円

第4争点

1  本件転落事故発生についての被告同仁会の責任の有無

2  本件交通事故とFの死亡との間の相当因果関係の存否

3  本件交通事故についての過失相殺の適否

4  損害額

5  損益相殺

第5争点に関する当事者の主張

1  争点1(本件転落事故発生についての被告同仁会の責任の有無)について

(1)  原告らの主張

ア 一般に,医師は,その業務の性質上,患者に対し,危険防止のために必要とされる最善の注意をして治療に当たるべき義務を負い,これに付随して,患者が入院している場合には,当該患者が不慮の事故により,その生命を失ったり,身体を毀損したりすることがないように対処すべき注意義務を負う。

イ Fは,両眼がほぼ全盲の視力障害者で,しかも,本件交通事故による脳挫傷等のため知的障害を起こしていた。そして,本件転落事故当時には,左下肢の運動麻痺が改善し,ベッド柵を乗り越えたり,立位になって徘徊することができる状態にあり,かつ,夜間の不穏状態は悪化していたのであるから,G医師及び被告病院は,Fが自らの行動を理解せず,あるいは発作的に,病棟から飛び降りる,あるいは転落する可能性のあることを予見することができた。

ウ したがって,G医師及び被告病院は,Fが本件腰高窓から本件バルコニーへ出て,そこから地上に転落することを防止するため,①Fが容易に本件腰高窓の方へ向かうことができないよう,Fのベッドの位置を窓際から離れたところへ配置する,②本件腰高窓の施錠を厳重にしたり,厳重な施錠の付いている病室に転床させる,③本件腰高窓のすぐそばに棚等を置くなどの工夫をすることにより,Fの手が容易に本件腰高窓に届かないようにする,④Fの不穏状態は,特に夜間において激しく,また,本件転落事故の直前である4月8日及び同月9日における不穏状態は更にひどくなっていたのであるから,Fに対する監視を一層強めるため,Fを安全な病室又はそれに代わるべき場所に移すか,夜勤看護婦に巡視を強化させたりするなどの措置を講じたり,家族等の協力を得ながらFを24時間看視する看護態勢をとる,などの配慮をするべきであったのに,これを怠り,本件転落事故を発生させたものある。

また,後記のとおり,被告同仁会は,本件転落事故当時,Fに対するセレネースの投与頻度が減少していた旨主張するが,Fの運動麻痺が改善し,自分で立位になることができるようになった3月10日以降も,Fの不穏状態は治まらずに徘徊が続いており,特に夜間は激しい不穏状態にあったのであるから,セレネースの投与頻度を減少させるべきではなかった。仮に,Fの不穏行動が頭部外傷治療の回復期に一過性に見られる通過症候群であって,不穏状態は次第に沈静化するものという理由からセレネースの投与頻度を減じていたのだとしても,Fが回復するまでの間は,せん妄,幻覚妄想状態等の症状が現れ,Fが異常行動に出ることを予見することができたのであるから,Fの精神状態を鎮静させるための処置を継続するべきであった。それにもかかわらず,本件転落事故のあった4月9日には,午後8時30分ころにベゲタミンBを投与しただけであり,また,看護婦が午後9時ころに徘徊していたFを発見した際にも,Fの両上肢を抑制帯を使用して固定しただけで,Fに対してセレネースを投与しなかった。

エ 以上のとおりであるから,被告同仁会は,G医師の使用者として民法715条に基づき,また,管理責任を負う者として同法415条に基づき,本件転落事故によりFに生じた損害を賠償する責任を負う。

(2)  被告Aの主張

ア Fは,特に夜間において,しばしば不穏状態になっていたものであり,少なくとも4月6日の時点において,主治医であるG医師は,Fが徘徊などの異常行動をとることを認識していたものである。また,Fは,本件転落事故当時,左下肢の麻痺が改善途中にあり,近い場所であれば自力で歩行して徘徊する運動能力があったものであって,そのことをG医師を初めとする被告病院関係者も認識していた。

イ すなわち,Fは,本件転落事故当時,「目が離せない状態」にあり,かつ,これを被告病院の担当者も認識していたところ,G医師及び被告病院は,Fが本件腰高窓から出入りする可能性を考慮して,ベッドを窓際でない位置に置くべきであったにもかかわらず,これを怠り,また,窓下壁及び本件バルコニーの防護壁の高さ(それぞれ,90センチメートル,117センチメートル)を乗り越える可能性について検討するべきであったのに,これを怠り,さらに,看護記録の記載に照らすと,Fの動静に対する看視態勢も不十分であったと考えられるから,G医師及び被告病院のFに対する安全確保措置及び看視態勢は不十分であったといわざるを得ない。

(3)  被告同仁会の主張

本件転落事故は,Fの突発的行動によるもので,被告同仁会には責任がない。

ア G医師及び被告病院には,本件転落事故について,予見可能性がなかった。

(ア) Fの不穏状態は,ベゲタミンBの定期的投与により,本件転落事故当時,発生頻度が減少し,程度も軽度のものとなっており,不穏時に投与していたセレネースの投与頻度もそれ以前に比して明らかに減少していた。

(イ) また,Fの意識状態は4月3日以降安定していたが,本件転落事故当時の意識レベルはあいかわらず低い状態であり,Fには自発的,積極的な発語がほとんどみられず,また,自分の意思で病室の窓から外へ飛び降りるような積極的行為に出る意思は全く窺われなかった。

(ウ) Fは,本件転落事故当時,左下肢の麻痺障害が完全に回復していたわけではなく,片足での伝い歩き,介助及び歩行器によるやっとの歩行しかできない状態にあった。しかも,上記のとおり,意識レベルが低く,ほぼ全盲の視覚障害者であったから,平らな廊下での少しの段差でも一人では乗り越えられない状態であった。

(エ) 以上のような本件転落事故当時のFの不穏状態の状況,意識レベル及び運動能力にかんがみれば,G医師及び被告病院としては,Fが夜間に室内や廊下を徘徊することを予見することはできたとしても,床面から高さ150センチメートルにある施錠を外し,本件腰高窓を開け,同じく床面から90センチメートルの高さの窓下壁を自力で乗り越えて,本件腰高窓から本件バルコニーに降り立ち,さらに,本件バルコニーの防護壁を自力で乗り越えて地上に飛び降りることを予見することはできなかった。

イ 被告病院は,Fに対する患者管理義務を尽くしていた。

(ア) Fの不穏状態は頭部外傷治療の回復期に一過性に見られる通過症候群と呼ばれる範疇のものと考えられたところ,G医師は,3月下旬以降も,夜間の不穏状態に対処するため,睡眠前に鎮静効果のあるベゲタミンBを投与し,さらに,不穏時にはセレネースの投与も行い,両上肢や体幹部の抑制も行うなど,Fの精神的肉体的状態を認識理解した上,必要かつ十分な危険防止のための治療を行っていた。

(イ) また,被告病院は,Fに危険が及ばないよう,背中に本人と判別できるゼッケンをつけ,「Fには必ず声をかける。病室はナースステーションに近い部屋とする。看護婦は,昼間,夜間を問わず頻回に巡視する。不穏状態のときは,Fをナースステーションに移動させて寝かせて監視する。廊下の階段側のドアは閉めておく。抑制帯を必要に応じて必要箇所に使用する。不穏時には鎮静剤を投与する。車椅子を使用させ,使用時には立ち上がらないように指導して安静を確保する。」などの看護方針を立て,格別の配慮,注意を払い,夜間の巡視なども増やしていた。

(ウ) 被告病院の看護婦は,本件転落事故発生の1時間前に訪床し,Fがベッド周囲を伝って歩いているところを発見し,危険が及ぶのを避けるため,両上肢をベッドの柵にひもでくくって抑制したのであり,被告病院の患者管理は十分であった。

(エ) なお,被告病院は精神病院ではなく,一般病院である。また,Fは,精神病患者ではなく,頭部外傷により脳挫傷型の一時的な精神障害にあった者である。このような患者は,一般病院に多数入院しているのであり,その障害の程度によるとしても,そのような患者を一人部屋に収容して出入口を施錠するとか,体幹部を太い縄などでしばり上げて身動きできない状態にするなどの特別な行動抑制をすることはできないし,また,一般病院としての看護基準や人員配置の関係でも,Fについてのみ特別に看視人員を配置できるものでもない。それでも,被告病院は,Fについて,巡視などで格別な配慮,対応を行ってきたが,その間隙をぬって本件転落事故が発生したものである。

2  争点2(本件交通事故とFの死亡との間の相当因果関係の存否)について

(1)  原告らの主張

Fの死亡と本件交通事故の間には相当因果関係がある。

(2)  被告Aの主張

ア Fは,本件交通事故発生から2か月も経過した後,入院中の病院の病棟から転落して死亡したというのであって,このように,本件転落事故から相当長期間を経過した後の不可解な原因によるFの死亡と本件交通事故との間には相当因果関係は認められない。

イ 仮に,Fの死亡と本件交通事故の間に相当因果関係が認められ,被告AがFの死亡に伴う損害について賠償責任を負担するとしても,被告Aの行為とG医師の行為の間には客観的関連共同関係がなく,両者は共同不法行為の関係にないから,被告Aの負うべき損害賠償の範囲は,被告同仁会との間で決せられる負担割合の範囲に限定されるべきである。

3  争点3(本件交通事故についての過失相殺の適否)について

(1)  被告Aの主張

被告Aは,本件T字路交差点中央付近で,右折のため停止していたが,対向車両が停止して道を譲ってくれたため,本件T字路交差点を右折したところ,本件交通事故が発生したものである。そして,Fは,上記対向車両が停止したのであるから,それに応じて被告車両が本件T字路交差点を右折してくるであろうということを予見することができたのであり,したがって,被告車両の動向に十分注意して本件T字路交差点を横断すべきであったにもかかわらず,これを怠り,被告車両の動向を十分確認することなく,その直前を横断したものであって,さらに,本件交通事故が夜間に発生したこと等に考え併せると,Fが視力障害者であることを考慮しても,Fが本件交通事故により被った損害については,2割の過失相殺がなされるべきである。

(2)  原告らの主張

Fには,被告Aが主張するような注意義務がそもそも存在しないし,Fが被告車両の直前を横断したとの事実もない。Fには,本件交通事故について,歩行者としての不注意は存在しなかった。

4  争点4(損害額)について

(1)  原告らの主張

ア 治療費  145万0026円

(ア) 洛西シミズ病院における治療費  5万4516円

(イ) 被告病院における治療費  139万5510円

イ 付添看護費  23万6920円

原告らは,3月5日から4月9日までFの付添をしたが,同期間のうち,3月10日のみ,家政婦に付添看護を依頼し,9420円を支払った。

(計算式)

6500円×35日+9420円=23万6920円

ウ 入院雑費  8万5500円

(計算式)

1500円×57日=8万5500円

エ 付添交通費  26万6030円

オ 休業損害  80万3718円

(計算式)

42万3010円(本件交通事故前3か月のFの平均賃金)÷30日×57日=80万3718円

カ 傷害慰謝料  150万円

キ 死亡慰謝料  3000万円

ク 死亡による逸失利益

(ア) 給与分  3698万6133円

(計算式)

42万3010円×12か月×(1-0.3)×10.409(53歳の新ホフマン係数)=3698万6133円なお,Fの収入はいわゆるあんまやさんでの雇用によって得られたものである。

(イ) 障害年金分  2283万3963円

(計算式)

139万4100円×1×16.379(26年に該当する新ホフマン係数)=2283万3963円

なお,Fが受給していた障害年金に生活保障としての性質はないから,生活費控除率は0とする。また,平成10年簡易生命表によれば,53歳男性の平均余命は26.84歳である。

ケ 葬儀費用  142万8605円

(ア) 葬儀費  137万8605円

(イ) 検案書料  5万円

コ 車両修理代  12万8908円

Fは,本件転落事故の際,被告病院駐車場内に駐車中であった車両のボンネット上に落下した後,地面に落ちた。その際,同車両が損傷したが,その修理代は12万8908円であった。

サ 弁護士費用  600万円

シ 以上の損害のうち,被告ら双方に対して請求するものは,上記キからサまで(本件転落事故により生じた損害)であり,その合計は9737万7609円である。そして,これから前記基本的事実6ア(ア)記載の既払額2900万円を控除すると,その残額は6837万7609円であって,このうち,原告Bはその2分の1である3418万8804円,その余の原告らはそれぞれその6分の1である1139万6268円及びこれらに対する本件転落事故の発生日である平成11年4月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を連帯して支払うよう求める。

ス これに対し,以上の損害のうち,被告Aに対してのみ請求するものは,上記アからカまで(本件交通事故から転落事故までに生じた損害)であり,その合計は434万2194円である。そして,これから前記基本的事実6ア(イ)(ウ),イ各記載の既払額合計334万5510円を控除すると,その残額は99万6684円であって,このうち,原告Bはその2分の1である49万8342円,その余の原告らはそれぞれその6分の1である16万6114円及びこれらに対する本件交通事故の発生日である平成11年2月12日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

(2)  被告Aの主張

原告らの主張のうち,被告病院における治療費は認め,その余は不知ないし争う。同被告が特に強く争う点は次のとおりである。

ア 休業損害について

Fの平成9年分納税証明書によると,同年の所得金額は,年額183万4000円(月額約15万2833円)であって,休業損害を算出するに当たり,基礎収入として42万3010円を採用することは妥当でない。

イ 傷害慰謝料及び死亡慰謝料について

原告らの主張は高額に失する。

ウ 後遺障害逸失利益について

(ア) 給与分の主張については,基礎収入及び生活費控除率を30パーセントとする点を争う。

(イ) 障害年金分については,障害年金の逸失利益性を認める点及び生活費控除率を0とする点を争う。

(3)  被告同仁会の主張

原告らの主張は不知ないし争う。

5  争点5(損益相殺)について

(1)  被告Aの主張

ア 原告Bは,Fの死亡を原因として,平成11年5月から本件訴訟の口頭弁論終結時までの32か月間,月額10万7475円,合計343万9200円の遺族年金(遺族厚生年金及び遺族基礎年金)を受領したから,この受領額全額が損益相殺として過失相殺後の損害額から控除されるべきである。

イ 仮に,遺族年金の受給額の全額が損益相殺の対象とならないとしても,原告Bが平成11年5月から受給を一時停止させている障害基礎年金の受給額(月額8万3775円)と遺族年金の受給額との差額(月額2万3700円)について,平成11年5月から本件訴訟の口頭弁論終結時までの32か月分の合計75万8400円が損益相殺の対象とされるべきである。

(2)  原告らの主張

原告Bは,自らも障害基礎年金1級の受給者であって,その場合,遺族年金と自らの障害基礎年金の受給調整をしなければならず,その結果,原告Bは,自らの障害基礎年金の受給を一旦停止させ,原告Eが18歳になるまでは遺族年金を受給することにしたにすぎないから,原告Bの遺族年金を損益相殺の対象とすべきでない。

第6争点に対する判断

1  争点1(本件転落事故発生についての被告同仁会の責任の有無)について

(1)  前記基本的事実,証拠(甲17,18,丙1,3,8,10,証人G,証人H,原告B本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の各事実が認められる。

ア Fは,被告病院に入院した当初,左下肢が全く動かない完全麻痺の状態であったが,3月3日にリハビリテーションが開始され,また,原告BもFの左下肢のマッサージをしていたため(同原告は,かつて,病院に勤務して,脳障害や脳卒中の患者のリハビリテーションを担当していた時期があった。),少しずつ左足を動かすことができるようになり,同月中下旬ころからは,左足を引きずりながらも,一人で,ベッドの柵,手すり,壁などを伝って病室内や病棟の廊下を歩くことができるようになったが,左下肢の運動麻痺はいまだ強く残っており,G医師や原告らが観察する限りでは,転倒しても自分で立ち上がることができない状況であった。

イ また,Fには,本件交通事故により負うに至った右頭頂葉の脳挫傷等による高次脳機能障害のため,見当識障害(時,場所,周囲の状況を正しく理解する能力が障害された状態)が残存しており,自分の病室が分からなくなって病棟の廊下を歩き回ったり,別の病室に入ろうとしたりする状態であったことから,同月下旬ころから,Fのパジャマの背中に,氏名,病院名,病棟名などが書かれたゼッケンが付されるようになった。

ウ さらに,Fには,3月以降,夜間,不穏状態となったり,ベッドを抜け出して周囲を徘徊したりする行動がしばしば見られるようになったため,G医師は,同月2日,Fの夜間の不穏状態に対する対処策として,就寝前に抗精神薬ベゲタミンBを服用させ,それでも安静にならないときに抗精神薬セレネースを筋肉内注射により投与するよう看護婦に指示した。また,看護婦間の協議の結果,必要箇所に抑制帯を装着すること,頻回に巡視すること,必要に応じてFをナースステーションに移動させて看視すること,階段部分の防火扉を閉めて,Fが徘徊中に階段から転落することを防止すること等の方針が決定され,かつ,実行された。

なお,看護記録によると,3月1日から4月8日までのFの夜間の不穏状態の具体的状況は,概ね,次のとおりである。

① 3月1日

午後10時ころ,抑制帯をはずし,四つんばいになって隣のベッドまで移動していた。

午後11時ころ,再び抑制帯をはずし,騒いでいた。

② 同月2日

午後3時30分ころ,抑制帯をはずし,ベッドからずり落ちていた。

③ 同月3日

午前0時45分ころ,抑制帯を装着していたが,ベッドの柵で音をがんがんと立てていた。セレネースが投与された。

④ 同月5日

午後9時ころ,ベッドから降りてズックを片方はいていた。バルンの接続部がはずれ,尿汚染があった。

午後11時30分ころ,ベッドの柵をはずして下へ落とし,体動も激しかった。セレネースが投与された。

⑤ 同月7日

午後10時ころ,抑制帯をはずし,隣のベッドのところまで歩いてきていた。

⑥ 同月8日

午後8時ころ,便の汚染があり,「トイレはどこ。」と騒いだり,バルンパックを引きちぎり,抑制帯を全部はずして起きあがっていた。

⑦ 同月9日

午後10時ころ,床を這っていた。セレネースが投与された。

午後11時30分ころ,同室者のベッド脇に倒れているところを発見され,再び,セレネースが投与された。

⑧ 同月10日

午後8時ころ,ベッド脇で立位になっていた。

⑨ 同月11日

午前0時ころ,抑制帯をはずし,床に転倒していた。

午前0時50分ころ,起きあがろうとするなどの体動があった。セレネースが投与された。

⑩ 同月12日

午後8時ころ,床に落ちていた。

午後10時ころ,セレネースが投与されたが,あまり効果がみられなかった(この際のFの不穏状態の具体的状況については,看護記録に記載がない。)。

⑪ 同月13日

午後10時ころ,抑制帯をはずし,ベッドから転落しようとしていた。セレネースが投与された。

⑫ 同月16日

午後10時30分ころ,抑制帯をはずし,ベッド脇にもたれていた。

⑬ 同月18日

午後10時ころ,抑制帯をはずし,ベッドから床に降りていた。

午後10時45分ころ,抑制帯をはずし,ベッド上で座位をとっていた。

⑭ 同月20日

午後10時ころ,抑制着を脱ぎ,おむつをはずしていた。セレネースが投与された。

⑮ 同月21日

午前1時30分ころ,立位になり,ベッドの柵をはずし,ベッドの周囲をうろうろしていた。看護婦は,Fのベッドをナースステーションに移動させるとともに,セレネースを投与した。

午後8時ころ,ベッドから降りていた。

午後10時ころ,セレネースが投与された(この際のFの不穏状態の具体的状況については,看護記録に記載がない。)。

午後11時30分ころ,看護婦にベッド上に臥床させられたが,すぐに起きあがり,ごそごそしていた。

⑯ 同月22日

午後10時30分ころ,ベッドの柵をはずし,座位をとっていた。

⑰ 同月24日

午前1時15分ころ,抑制帯をはずして床上に座位になっていた。ベッドの柵をはずしたり,体動が多かった。セレネースが投与された。

⑱ 同月28日

午後8時45分ころ,ゴトッと強い音がしたため,看護婦が本件病室に行ったところ,Fは,抑制帯をはずし,ベッド柵がそのままの状態で,ベッドから降りて膝を付いており,「痛かったな,ふう。」と言っていた。

⑲ 同月31日

午前0時45分ころ,ベッドから降りて車椅子に乗っていた。セレネースが投与された。

⑳ 4月1日

午前0時ころ,抑制帯を再三はずして同室の患者に迷惑をかけた。

午前0時55分ころ,体動が激しくなってきたため,車椅子に乗せられ,セレネースが投与された。

file_2.jpg4月8日

午後11時30分ころ,4階病棟の廊下で寝そべっていた。看護婦がFに問い質したところ,Fは「ここ,ベッドちゃうの。」と言っていた。セレネースが投与された。

エ 原告らは,Fが深夜の不穏状態により,何らかの怪我を負うことを心配し,3月初めころ,被告病院に対し,24時間態勢の付添人を付けさせてほしいとか,夜間の原告らの付添を許可してほしいと数回にわたり要望したが,被告病院は,同病院は基準看護を取得している病院であり,また,Fの病状に照らして家族の付添は必要ではないとして,これに応じなかった。

オ 本件転落事故発生当日である4月9日,準夜勤務の看護婦が午後9時ころに本件病室を巡視した際,Fがベッド柵を乗り越え,ベッド伝いに廊下に出ようとしていたため,同看護婦はFをベッドに連れ戻した上,その両上肢に抑制帯を装着したが,セレネースは投与しなかった。ところが,同看護婦が午後10時ころに再び本件病室を訪れた時には,Fは本件病室を抜け出しており,さらに,午後10時15分ころ,被告病院の玄関脇でうめき声を上げているFの姿が発見された。そして,Fの受傷状況(肋骨骨折,肺損傷)に加え,本件バルコニーにFのパジャマのズボンとおむつが脱ぎ捨てられていたことから,Fは本件バルコニーから地上へ転落したものと推測された。

(2)  そこで,上記認定に基づき,検討する。

ア 上記認定によると,Fは,3月以降,就寝前に抗精神薬ベゲタミンBを服用していたにもかかわらず,しばしば夜間に不穏状態となり,殊に,一人で伝い歩きをすることができるようになった同月中下旬以降,病室内や病棟の廊下を徘徊する状況がみられたこと,しかも,Fには,高次脳機能障害に起因する見当識障害があり,自分がいる場所や周囲の状況を正しく理解する能力を著しく欠いていたことが認められ,加えてFに視力障害があったことを考え併せると,Fについて,深夜,自分がいる場所や周囲の状況を理解しないまま,病棟内を徘徊し,その結果,何らかの事故を生じさせ,あるいは,これに巻き込まれて,自らの身体を毀損する高度の危険性が存したことは明らかである。

また,Fに対するセレネースの投与回数をみると,3月2日から同月21日までの20日間においては10回であったのに対し,同月22日から4月9日までの19日間においては4回であったことが認められるから,Fに対するセレネースの投与頻度,ひいては,Fがセレネースの投与を必要とするほどの激しい不穏状態に陥る状況は次第に減少していたということができるが,他方,Fが,本件転落事故発生前日の4月8日の深夜,本件病室から病棟廊下に出て徘徊し,廊下に寝そべっているところを発見され,セレネースの投与を受けたこと,本件転落事故発生の約1時間前にも,ベッドの柵を乗り越えて,ベッド伝いに廊下に出ようとしていたことにかんがみると,本件転落事故発生当時,Fが深夜に病棟内を徘徊する可能性はいまだ小さいものではなかったことは明らかであり,かえって,Fの左下肢の運動麻痺が次第に改善し,その行動範囲が徐々に拡大していた状況を考慮すると,上記のような身体毀損の危険性は,以前より,むしろ高まっていたとみることもできる。

イ しかしながら,本件病室及び本件バルコニーの状況及び構造は前記基本的事実4(2)記載のとおりであって,本件病室から本件バルコニーへ出入りするための扉は設置されておらず,しかも,本件バルコニーには,高さ117センチメートルの落下防止のための防護壁が設置されていたというのであるから,Fが,深夜に病棟内を徘徊している最中,偶然に本件バルコニーに出てしまい,さらに,その意に反して地上へ転落して本件転落事故が発生したとは,にわかに考え難い。

それゆえ,本件転落事故の発生状況については,前記基本的事実4(3)記載のとおり,Fがベッドを抜け出し,自ら窓下壁を乗り越えて本件腰高窓から本件バルコニーへ出て,さらに,自ら本件バルコニーの防護壁を乗り越えて地上に転落したために発生したものと推測せざるを得ないのであるが,前記(1)ウ記載のFの不穏状態の具体的状況をみても,Fが本件腰高窓に手を触れていたり,本件バルコニーへ出ようとする挙動を示したという事実は認められず,また,前掲各証拠に照らしても,Fが,昼間,そのような行動を示したとの事情も窺われない。

ウ そして,もし,本件転落事故の発生状況に係る上記推測が真実に合致しているのだとすれば,結果的には,本件転落事故発生当時,Fには,自力で高さ90センチメートルの窓下壁を乗り越え,さらに,自力で高さ117センチメートルの本件バルコニーの防護壁を乗り越えるという行動を実行し得るだけの運動能力があったといわざるを得ないのであるが,少なくともG医師や原告らの観察する限りにおいて,その当時,Fは転倒しても自分で立ち上がることができない状態であったというのであって,G医師を初めとする被告病院関係者にとって,Fが上記のような運動能力を有していることを認識することができなかったのもやむを得なかったものというべきである。

エ 要するに,本件転落事故発生当時,Fが深夜に徘徊して何らかの事故を生じさせ,あるいは,これに巻き込まれて,自らの身体を毀損する危険性は決して小さいものではなかったとはいえ,本件病室及び本件バルコニーの状況及び構造に照らすと,Fが,深夜に病棟内を徘徊している最中,偶然に本件バルコニーに出て,その意に反して地上へ転落して本件転落事故が発生したものとはにわかに考え難く,本件転落事故は,Fがベッドを抜け出し,自ら窓下壁を乗り越えて本件腰高窓から本件バルコニーへ出て,さらに,自ら本件バルコニーの防護壁を乗り越えて地上に転落したために発生したものと推測されるところ,本件転落事故発生以前に,Fが不穏状態の下で本件腰高窓に手を触れていたり,本件バルコニーへ出ようとする挙動を示したという事実が認められなかった上,そもそも,G医師を初めとする被告病院関係者にとって,本件転落事故当時,Fが,自力で高さ90センチメートルの窓下壁を乗り越え,さらに,自力で高さ117センチメートルの本件バルコニーの防護壁を乗り越えるという行動を実行し得るだけの運動能力を有していることを認識することすら極めて困難であったというのであって,これらの事情を総合勘案すると,本件転落事故については,同医師及び被告病院にとって,その発生を予見することが極めて困難であったというべきである。

オ 加えて,被告病院のFに対する管理の状況をみると,上記認定によると,G医師が,Fの夜間の不穏状態に対する対処策として,就寝前にベゲタミンBを服用させ,それでも安静にならないときにセレネースを投与するよう看護婦に指示していたこと,また,看護婦間の協議の結果,必要箇所に抑制帯を装着すること,頻回に巡視すること,必要に応じてFをナースステーションに移動させて看視すること,階段部分の防火扉を閉めて,Fが徘徊中に階段から転落することを防止すること等の方針が決定され,かつ,実行されたこと,本件転落事故発生の約1時間にも看護婦が巡視をしたことが認められ,これらの事情に照らすと,被告病院はFに対する管理を適切に行っていたものと認められる。

なお,原告らは,被告病院は,原告らの協力を得るなどしてFを24時間看視する看護態勢をとるべきであったと主張し,また,本件転落事故発生の約1時間前に看護婦がFに対してセレネースを投与しなかった点を問題とするところ,確かに,原告らが夜間にFの付添をしていたり,看護婦が本件転落事故の発生直前にFに対してセレネースを投与していたならば,本件転落事故を防ぐことができた可能性はなかったとはいえないが,他方,被告病院が原告らの夜間の付添の要望に応じなかった理由は前記(1)エ記載のとおりであるところ,当時のFの病状や被告病院の看護態勢に照らし,被告病院が原告らの上記要望に応じなかったことが不適切であったと断ずべき事情は全証拠を精査しても見当たらないし,また,Fにセレネースを投与すべきか否かの点は,被告病院の裁量において判断すべき事柄であるところ,その判断に裁量権の逸脱があったと認めるべき事情も見当たらないから,原告らの上記主張は当裁判所の上記認定を左右するに足りるものではない。

カ したがって,本件転落事故の発生について,G医師の過失及び被告病院の管理責任違反はいずれも認められないから,被告同仁会は本件転落事故によりFに生じた損害を賠償すべき責任を負わないというべきである。

2  争点2(本件交通事故とFの死亡との間の相当因果関係の存否)について

本件転落事故の発生状況については,前記のとおり,Fがベッドを抜け出し,自ら窓下壁を乗り越えて本件腰高窓から本件バルコニーへ出て,さらに,自ら本件バルコニーの防護壁を乗り越えて地上に転落したために発生したものと推測せざるを得ない。

そこで,Fが上記の行動に出た原因について検討すると,前記1(1)イ記載のとおり,本件転落事故当時,Fに右頭頂葉の脳挫傷等による高次脳機能障害が存し,Fの精神能力は相当に低い状態にあったと考えられる上,Fが自ら死を選んだことを窺わせるに足りる事情も見当たらないから,Fが真意に基づいて自殺したものとみることは到底不可能であり,結局,Fは,高次脳機能障害に起因する見当識障害のため,自分のいる場所や周囲の状況を認識しないまま,上記の行動に出たものと認めるほかない。

そして,同記載のとおり,Fの高次脳機能障害は本件交通事故により負うに至った右頭頂葉の脳挫傷によるものであったというのであるから,結局,本件交通事故に遭わなければ,Fが本件バルコニーから転落して死亡することはなかったといわざるを得ないのであって,Fの死亡の結果と本件交通事故との間に相当因果関係が存在することは否定できないというべきである。

なお,被告Aは,仮に,Fの死亡と本件交通事故との間に相当因果関係が認められるとしても,被告Aの負うべき損害賠償の範囲は被告同仁会との間で決せられる負担割合の範囲に限定されるべきである旨主張するが,前記のとおり,被告同仁会は本件転落事故によりFに生じた損害を賠償すべき責任を負わないと解されるから,被告Aの上記主張は,その前提を欠き,採用することができない。

3  争点3(本件交通事故についての過失相殺の適否)について

(1)  証拠(甲3の1,2,原告B本人)によると,次の各事実が認められる。

ア 本件T字路交差点は,東西に走るアスファルト道路(車道部分の幅員は,交差点西側が5メートル,東側が4.2メートル。以下「本件直進路」という。)に,南北に走るアスファルト道路(車道部分の幅員は5.7メートル。以下「本件突き当たり路」という。)が南方から突き当たる,信号機により交通整理の行われていないT字路交差点である。本件直進路の南側には幅員2メートルの路側帯(以下「本件路側帯」という。)が設けられているが,本件T字路交差点南詰を東西に横断するための横断歩道は設けられていない。なお,本件交通事故が発生した時刻は午後8時50分ころであったが,本件T字路交差点付近は,周辺に照明があったため,明るかった。

イ 被告Aは,被告車両を運転し,本件直進路を西から東進して本件T字路交差点に至り,同交差点を右折して本件突き当たり路に進入しようとしたが,本件直進路を東から西進する1台の対向直進車両があったことから,右の方向指示器を点滅させて本件T字路交差点西詰で被告車両を停止させ,上記の対向直進車両を先に通過させた。

ウ その後,更にもう1台の車両(以下「本件停止車両」という。)が本件直進路を東から西進して本件T字路交差点に差しかかったが,被告車両を先に右折させるために本件T字路交差点東詰で停止したことから,被告Aは,時速約5キロメートルの速度で被告車両を発進させ,本件T字路交差点を右折して,本件突き当たり路に進入しようとした。

エ ところが,被告Aは,その際,道を譲ってくれたことに対する感謝の意を伝えようとして,本件停止車両の運転者の方に注意を向けていたことから,被告車両の進行方向に対する注意がおろそかとなり,折から本件T字路交差点南詰を東から西へ歩行横断中のFの姿に気付かずに被告車両を進行させ,その前部をFに衝突させた(本件交通事故)。

オ なお,Fは,前記基本的事実1(4)記載のとおり,視力障害者であって,ほぼ全盲の状態であり,強い灯りの明るさを認識し得る程度の視力しかなかった。

(2)  ところで,被告Aは,本件交通事故の際,本件停止車両が停止したのであるから,Fは被告車両が本件T字路交差点を右折してくるであろうということを予見することができたとして,Fにおいても,被告車両の動向に注意して本件T字路交差点を横断すべき注意義務の違反があった旨主張するが,上記オ記載のとおり,Fの視力は強い灯りの明るさを認識し得る程度のものにすぎなかったことにかんがみると,Fは,本件交通事故の際,本件停止車両や被告車両を視認することができなかったと推認されるから,被告Aの上記主張はその前提を欠くものというべきであり,これを採用することはできない。

(3)  したがって,Fが本件交通事故により被った損害については,過失相殺を行わないのが相当である。

4  争点4(損害額)について

(1)  治療費について

本件交通事故によるFの受傷の治療費のうち,被告病院における治療費が139万5510円であるとの点は当事者間に争いがなく,また,証拠(甲4の2)によると,洛西シミズ病院における治療費は5万4516円であったことが認められるから,Fが本件交通事故により被った治療費の損害は合計145万0026円と認められる。

(2)  付添看護費及び通院交通費について

ア 証拠(甲8,17,18,丙8,証人横尾重子,原告B本人)によると,被告病院は基準看護を取得している病院であったこと,3月以降,Fの不穏状態が激しくなり,ベッド上で暴れるようになったことから,原告らは,Fがベッドから落ちて怪我をするのではないかと心配し,被告病院に対して,24時間態勢の付添人を付けさせてほしい,あるいは,原告らが夜間にFに付き添うことを許可してほしいと要望したが,被告病院がこれに応じなかったこと,そのため,原告らは,せめてFとの面会が許される昼間(午前11時から午後7時まで)だけでも,自分たちがFに付き添ってその様子を見守りたいと考え,3月5日から本件転落事故が発生した4月9日までの間,毎日(ただし,3月10日は家族が付き添えず,職業付添人に依頼し9420円を支払った。),交替で入院中のFに付き添ったことが認められる(合計35日間)。

イ そして,前記認定及び上記認定の事実に基づき判断すると,たしかに,Fは,基準看護により看護されていたが,もともと視力が左右とも0.01程度で,視野狭窄が著明な視力障害者であったところ,本件交通事故により頭蓋骨骨折,外傷性クモ膜下出血,左急性硬膜下血腫,右急性硬膜外血腫及び右頭頂葉脳挫傷等の重傷を負い,見当識障害や左下肢の単麻痺が生じ,食事や排便もままならない状態にあったと推認されることに加え,3月以降は不穏状態が激しくなり,ベッド上で暴れるようになったというのであるから,その受傷の部位及び臨床経過にかんがみ,原告らが,基準看護により満たされないFの細々とした身の回りの世話や安定した治療生活のため,必要によりFに付き添ったと認められ,その付添看護費は,通院交通費を含め日額5500円と認めるのが相当であるから,次の算式により,20万1920円を本件交通事故と相当因果関係に立つ付添看護費の損害と認める。

5500円×35日+9420円=上記金額

(3)  入院雑費について

前記基本的事実3(1)記載のとおり,Fは,本件交通事故による受傷のため,2月12日から4月9日までの57日間,被告病院に入院して治療を受けたものであるから,入院雑費として日額1300円,合計7万4100円を本件交通事故と相当因果関係に立つ入院雑費の損害と認める。

(4)  休業損害について

原告らは,本件交通事故発生から本件転落事故発生までの57日間につき,Fに休業損害が発生した旨主張するが,後記のとおり,Fには死亡逸失利益の発生が認められるのであって,休業損害はその中に吸収されるものと解すべきであるから,この点に係る原告らの主張は採用しない。

(5)  慰謝料について

Fが死亡時53歳であったこと,妻子である原告ら4人を扶養する家族の支柱であったこと,その他本件審理に顕れた諸般の事情にかんがみ,2700万円をもって,相当な死亡慰謝料と認める。

なお,原告らは,傷害慰謝料として150万円の損害を主張するが,これは,上記の死亡慰謝料に吸収されるものと解すべきであるから,上記主張は採用しない。

(6)  死亡逸失利益について

ア 給与分について

原告らは,Fは,本件交通事故当時,Iに勤務してマッサージ業務に従事し,本件交通事故前の平成10年11月から平成12年1月までの3か月間に合計126万9030円(月額平均42万3010円)の収入を得た旨主張し,これを裏付ける書証としてIが作成した休業証明書(甲10)を提出するが,証拠(乙1)によると,Fの平成9年度の申告所得額は183万4000円(月額平均15万2833円)であったことが認められ,上記休業証明書の記載はにわかに信用することができない。したがって,Fの給与分の死亡逸失利益を算定するに当たっては,基礎収入として年収183万4000円を採用するのが相当である(なお,証拠(甲11の1ないし4,甲24,26)によると,本件交通事故当時,Fは障害厚生年金を年額139万4100円,原告Bは障害基礎年金を年額100万5300円受給していたことが認められ,これらの受給額を併せると,F及び原告Bは年間423万3400円(月額平均35万2783円)の収入を得ていたことになる。)。

そして,生活費控除率を3割とし,また,就労可能年数を67歳までの14年間とみて(死亡時53歳),ライプニッツ方式により中間利息を控除すると(係数9.899),Fの給与分の死亡逸失利益は,次の算式により,1270万8336円と認められる。

183万4000円×(1-0.3)×9.899=上記金額

イ 障害年金について

上記のとおり,Fは,本件交通事故当時,障害厚生年金として年間139万4100円を受給していたところ,Fは,本件交通事故により死亡しなければ,平均余命の26年間,同年金を受給した蓋然性が高いものと認められるから,生活費控除率を3割とし(なお,原告らはFの障害厚生年金に生活保障としての要素はないとして,生活費控除を行うべきでない旨主張するが,上記ア記載のとおり,上記受給は,Fや原告Bの生計維持にとって不可欠の要素をなしていたと認められるから,原告らの上記主張は採用しない。),ライプニッツ方式により中間利息を控除すると(係数14.375),Fの障害年金分の死亡逸失利益は,以下の算式により,1402万8131円と認められる。

139万4100円×(1-0.3)×14.375=上記金額

なお,被告Aは障害厚生年金の逸失利益性を争うが,障害厚生年金は,原則として,保険料を納付している被保険者が所定の障害等級に該当する障害の状態になったときに支給されるものであり,保険料が拠出されたことに基づく給付としての性格(いわば,給与の後払い,掛け金の払い戻しとしての性格)を有することにかんがみると,その逸失利益性を認めるのが相当であるから(最高裁判所平成11年10月22日第2小法廷判決民集53巻7号1211頁参照),被告Aの上記主張は採用しない。

ウ したがって,Fの死亡逸失利益は,合計2673万6467円と認められる。

(7)  葬儀費用について

経験則に照らし,120万円をもって相当な葬儀費と認め,これに検案書料5万円(甲13)を加算した125万円を本件交通事故と相当因果関係に立つ損害と認める。

(8)  車両修理代について

証拠(甲14の1ないし3)及び弁論の全趣旨によると,Fは,本件転落事故の際,地上に駐車中の車両上に落下して同車両を損壊したこと,そのため,原告Bが,同車両の所有者に対し,修理代として12万8908円を支払ったことが認められるから,これを本件交通事故と相当因果関係に立つ損害と認める。

(9)  以上の損害を合計すると,その金額は5684万1430円となる。

5  争点5(損益相殺)について

証拠(甲19ないし32,原告B本人)によると,原告Bは,Fの死亡を原因として,平成11年5月から本件訴訟の口頭弁論終結時である平成13年12月までの32か月間,遺族年金(遺族厚生年金及び遺族基礎年金,月額10万7475円)の支給を受けたものであるが,原告Bは自らも障害基礎年金の受給者であったところ,上記遺族年金を受給するため,国民年金法20条に基づき,平成11年5月から障害基礎年金の支給(月額8万3775円)を停止させたことが認められ,上記認定によれば,原告Bの本訴請求については,平成11年5月から平成13年12月までの32か月間について,遺族年金の受給額と受給停止中の障害基礎年金のそれとの差額月額2万3700円,合計75万8400円を損益相殺的な調整の対象とするのが相当である。

そして,この場合,損益相殺的な調整は,遺族年金の生活保障的性格に照らし,その受給権を取得した原告Bが相続したFの財産的損害のうちの逸失利益に限って行うのが相当である(前掲最高裁判所判決参照)。

6  以上に検討したところをまとめると,次のとおりとなる。

(1)  まず,Fは,本件交通事故により,次の損害を被った。

ア 治療費  145万0026円

イ 付添看護費  20万1920円

ウ 入院雑費  7万4100円

エ 死亡慰謝料  2700万円

オ 死亡逸失利益  2673万6476円

カ 葬儀関係費  125万円

キ 車両修理代  12万8908円

ク 合計  5684万1430円

(2)  このうち,原告らは,上記アからウ(合計172万6046円)については本件交通事故の発生日である平成11年2月12日を,上記エからキまで(合計5511万5384円)については本件転落事故の発生日である同年4月9日を,それぞれ遅延損害金の起算日と主張しているので(前記第5,4(1)シ及びス),以下,これを分けて検討する。

(3)  172万6046円の損害額について

原告らは,上記損害額について,損害の填補として,前記基本的事実6ア(イ)(ウ),イ各記載の既払額合計334万5510円を控除すべきと主張しているから,結局,上記損害額については既に填補済みということになる(さらに,上記既払額のうち,上記損害額を超える161万9464円は,別に控除する必要がある。)。

したがって,原告らの請求のうち,平成11年2月12日を起算日とするものは理由がないことになるから,いずれも棄却することとする。

(4)  5511万5384円の損害額について

ア まず,上記損害額を原告らの法定相続分に応じて分割すると,原告らの取得額は,原告Bが2755万7692円(法定相続分2分の1),その余の原告らが各自918万5897円(法定相続分各6分の1)となる。

イ そして,上記の原告Bの取得額について,Fの死亡逸失利益の相続部分(1336万8238円)の限度で,Fの死亡により受給するに至った遺族年金の受給額と受給停止中の自らの障害基礎年金の受給額の32か月分の差額合計75万8400円について損益相殺的な調整を行うと,原告Bの取得額は2679万9292円となる。

ウ さらに,原告らの取得額から,前記基本的事実ア(ア)記載の自賠責保険金2900万円及び前記(3)記載の161万9464円,合計3061万9464円を控除する必要があるから,同金額を原告らの法定相続分に応じて割り振ると,原告Bについては1530万9732円,その余の原告らについてはそれぞれ510万3244円となるから,原告らの取得額からそれぞれ上記金額を控除すると,その残額は,原告Bについては1148万9560円,その余の原告らについては各408万2653円となる。

エ さらに,上記認容額,本件訴訟の審理経過その他諸般の事情を考慮すると,原告Bについては110万円,その余の原告らについては各40万円が相当な弁護士費用と認められるから,これを加算すると,原告Bについては1258万9560円,その余の原告らについては448万2653円となる。

(5)  したがって,原告らの被告Aに対する請求は,原告Bについては1258万9560円,その余の原告らについてはそれぞれ448万2653円及びこれらに対する本件転落事故の発生日である平成11年4月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(6)  これに対し,原告らの被告同仁会に対する請求は,前記1記載のとおり,理由がない。

(裁判長裁判官 渡邉安一 裁判官 佐藤英彦 裁判官 村上志保)

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