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京都地方裁判所 平成12年(ワ)3349号 判決 2001年10月18日

主文

1  被告は,原告に対し,金7万2090円及びこれに対する平成12年12月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,これを8分し,その1を被告の負担とし,その余は原告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(1)  被告は,原告に対し,56万2090円及びこれに対する平成12年12月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(1)  原告の請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

(3)  仮執行免脱宣言

第2当事者の主張

1  請求原因

(1)  原告(平成3年12月28日生)は,平成12年5月26日当時,京都市立A小学校3年い組に在籍していた。

B教諭は,被告の公務員であって,同日当時,同組の担任であった。

(2)ア  原告は,同日,京都市立A小学校3年い組の教室において,算数の授業中に自席を離れて教室内を歩き回り,自分のいすを他の児童の席まで持って行って座り,その児童と私語を交わすなどしていた。

イ  これを見たB教諭は,やにわに原告の首の後ろを右手で掴み,後方に2,3メートル力強く引きずった(以下「本件暴行」という。)。

ウ  その結果,原告は,安静加療8日間を要する頸椎捻挫の傷害を受け,B教諭の暴行を恐れて,同月30日から翌6月25日まで小学校に登校することができなかった。

(3)  損害

本件暴行によって,原告は次の損害を被った。

治療費等

1万2090円

慰謝料

50万0000円

弁護士費用

5万0000円

合計

56万2090円

(4)  B教諭は,被告の公権力の行使に当たる公務員であり,その職務を行うについて原告に損害を加えたものであるから,原告は,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償として56万2090円及びこれに対する不法行為の後(訴状送達の日の翌日)である平成12年12月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(1)  請求原因(1)及び同(2)アの事実は認める。

(2)  同(2)イの事実は否認する。

B教諭は,原告を自席に戻すため,原告が座っているいすを後ろに引きずったところ,原告がいすからずり落ちたので,両腕で原告の両脇を持ち上げて原告を立たせ,右手で原告のいすを持ち,左手で原告の首の後ろを押しながら原告を自席まで連れていき,着席させたにすぎない。

(3)  同(2)ウのうち,原告が同月30日から翌6月25日まで小学校に登校しなかったことは認め,その余の事実は否認する。

原告は平成12年5月29日には登校して体育の授業を受けており,B教諭が原告の首を押さえたにすぎないことからすると,原告に頸椎捻挫が生じていたとは考えられない。また,原告が同月30日から翌6月25日まで小学校に登校しなかったのは,原告の父であるCの指示によるものである。

(4)  同(3)の主張は争う。

3  被告の主張

仮に,B教諭の行為が原告に対する有形力の行使と評価されるとしても,これは,教室の秩序を回復し他の児童に対する学習上の妨害を排除するために行われたものであるから,教育的指導として正当であり,違法性はない。

4  被告の主張に対する反論

争う。B教諭の行為は,教育的指導の程度を超えている。

理由

1  請求原因(1)及び同(2)アの事実並びに原告が平成12年5月30日から翌6月25日まで小学校に登校しなかったことは,当事者間に争いがない。

2  そこで,請求原因(2)イの事実及び被告の主張,即ちB教諭が原告に対し,本件暴行に及んだか否か,その違法性について検討する。

(1)  上記当事者間に争いがない事実に,証拠(甲9,乙1,証人B,原告本人,原告法定代理人)を総合すると,次の事実が認められる。

ア  B教諭は,平成12年5月26日3校時の算数の授業で,児童に対し,方眼紙にコンパスで様々な模様を作図する作業をさせた。原告を含む3名の児童がコンパスを持参していなかったため,B教諭は,予備のコンパス2本をこの3名の児童に貸し与え,これを順番に使用するように指示をした。原告は,そのうちの1本を使って作図していたが,やがてこれを他の児童に手渡し,自席を離れて教室内を歩き回り始めた。B教諭は,児童の間を回りながら個別指導をしていたが,原告が教室内を歩き回っているのに気づき,自席に戻るよう2,3回注意をした。

イ  個別指導をしていたB教諭は,クラス全員に補充的に説明すべき点があることに気づき,全体指導をするべく教卓に戻ったところ,原告が,教卓から見て最前列のほぼ中央に位置する自席から,2列目の最左端のDの席の左隣にまで自席のいすを運び,いすを斜め右後方に向けて置き,これに座って(教卓からは,原告の右横顔が見える位置関係になる)Dとふざけ合っていることに気づいた。B教諭は,原告に対し,「いすを持ってかえって席に戻りなさい。」と注意したが,原告は,これに従わなかった。

ウ  B教諭は,教卓から原告の後ろに歩み寄り,原告のいすの背もたれを持ち,これをいきなり教室の前方へ後ろ向きのまま引きずったところ,約1メートル移動した地点で,原告がいすから転げ落ちた。B教諭は,原告の両脇に手をかけて原告を立たせ,右手に原告のいすを持ち,左手で原告の首を掴んで後方に2,3メートル引っ張り,原告を自席に着席させた。原告は,これに抵抗を示さなかった。

エ  本件事件当時,原告は,身長約125センチ,体重約25キロ,B教諭は,身長約175センチ,体重70キロ弱であった。

(2)  これに対し,被告は,B教諭は原告の首を前方に押しただけであって,これを掴んで,後方に引っ張る行為はしていない旨主張し,証人Bの供述中にもその主張に添う部分がある。

しかしながら,①原告は,その尋問において,本件事件の前後の事情の多くについて,「忘れた」「覚えてない」等と供述しながら,この点に関しては,「後ろに引っ張られた」と明確に供述しており,この点についての信用性は高いと考えられること,②直前のB教諭の動作及び原告の姿勢・向き等からすると,原告を後ろに引っ張る方が,原告を自席の方向に移動させるための動作としては自然である(首の後部を押して,原告を自席の方向に移動させるには,原告の向きを変えさせた上,自分も原告の後ろに回って向きを変えなければならず,後ろに引っ張る方が,動作としては自然であること),③児童を前方に移動するよう促すためであれば,肩や頭部を押すのが普通であって,首を押すとは考え難いこと等を考慮すると,証人Bの前記供述部分は信用できず,他に上記認定を左右するに足る証拠はない。

(3)  (1)の事実によると,原告の首を左手で持って後方に2,3メートル引っ張ったB教諭の行為は,原告の身体に対する有形力の行使であることは明らかである。

そして,原告が,その時痛かった旨供述していること(甲9,原告本人),原告が座っているいすを原告ごと後方に引きずり,いすから落ちた原告を立たせて首を持って後方に引っ張るというB教諭の一連の行為は相当乱暴なものであること,それまでB教諭の口頭での注意に耳を貸さなかった原告が抵抗することなく自席に戻ったこと等の事実を考慮すると,B教諭は,原告の態度に立腹し,相当程度の力を加えて原告の首筋を持ったものと推認することができる。

これらの事実に原告とB教諭の体格差を併せ考えると,B教諭の行為は「暴行」に当たるというべきであり,教室の秩序を回復し他の児童に対する学習上の妨害を排除するためにされたものであっても,これが違法との評価は免れないものというべきである。

3  次に,原告が「頸椎捻挫」の傷害を負ったか否かについて検討する。

(1)  原告は,陳述書(甲9)においても,本人尋問においても,B教諭から首を掴まれたときに痛かったとは供述するが,その後痛みが継続したとは供述していない。

(2)  証拠(乙1,原告法定代理人)及び弁論の全趣旨によると,次の事実が認められる。

ア  原告は,平成12年5月26日(金曜日)は,本件暴行の後も普通に学校生活を送り,次の登校日である同月29日も普通に登校して体育の授業も受けた。

イ  同日夜,Cは,離婚した元妻(原告の母)からの知らせで,原告がB教諭から首を引っ張り上げられたらしいと聞き,原告に事実を確かめたところ,原告は,本件暴行を受けた事実を認め,「痛い」と答えた。その4年前,小学3年生だった原告の兄であるEが,担任だったB教諭から,「つぼ押し」と称して背中に爪痕をつけられ,原告の母がこれに抗議し,B教諭が謝罪したという事件があったため,Cは,「またか」と立腹し,直ちにA小学校のF校長に電話をかけて抗議し,当夜同校長とB教諭が訪ねてきたのに対しては,同校長のみを自宅に招き入れて抗議し,翌30日,ウで記載するように,原告を医師に受診させて診断書の交付を受け,翌31日,B教諭を告訴した。

ウ  同月30日,Cは原告を京都市北区内のG整形外科医院に連れて行き,受診させた。同医院のH医師は,原告について,「頸椎捻挫,以後3日間の安静を要す」と診断し,湿布薬を処方した。Cは,翌31日も湿布薬の処方を受けるために同医院を訪れたが,以後,本件に関し,原告やCが医療機関を訪ねたことはない。

(3)ア  一般に,「捻挫」とは,関節部に外力が加わり,非生理的な運動を強制されたときに生じる関節包,靱帯等の関節支持組織の軽度の損傷をいい,「頸椎捻挫」は,多くは,頸部の過伸展及び過屈曲によって発生する。ところで,頸部を掴まれ,後方に引っ張られただけでは,掴む力が相当程度強かったとしても,通常,頸部に過伸展,過屈曲等の運動が生じることはないと考えられる。そうすると,本件暴行によって原告の頸部に,暴行直後の疼痛はともかく,頸椎捻挫が生じたと認めることには疑問が残るといわざるを得ない。

イ  なるほど,原告は,同月29日ころ,Cの質問に対して「痛い」と返事をしたことが認められる(原告法定代理人)。しかし,(1)の事実及び(2)のアの事実を考慮すると,当時,原告は,痛みがほとんどなかったのに,Cの剣幕((2)のイの一連の事実から推測される。)に押され,「痛い」と返事をしてしまった可能性を否定できない。また,H医師は上記の診断をしている。しかし,医師としては,患者が痛みを訴える以上,他覚的所見が確認できなくとも,その訴えに符合する診断名をつけることがあるから,前記(1),(2)ア及びウ後段の事実に上記アの事実も考慮すると,H医師が上記のとおり診断をしていること及び原告が同月29日ころにCの質問に痛いと答えていることのみから,原告が客観的にも診断のとおりの受傷をしたことを認めることはできない。その他,原告が本件暴行によって頸椎捻挫の傷害を負ったことを認めるに足りる証拠はない。

4  請求原因3(損害額)について

(1)  治療費等   1万2090円

証拠(甲2,3)によると,原告が上記のとおりG整形外科医院で診察,投薬を受け,診断書の発布を受けた結果,金1万2090円を要したことが認められる。

ところで,上記のとおり,原告が本件暴行によって受傷したとまでは認め難い。

しかしながら,原告のような年端のいかない子供の親としては,子供が大人から首を掴んで引っ張られたことを知り,その子供が現に首が痛いと言っていれば,その部位が身体の枢要部であるだけに,その子供を医師に受診させるのは通常の行動であり,また,その後の刑事,民事の手続をとるために診断書の発布を求めるのも,暴行を受けたものの通常とる行動であるから,上記治療費等1万2090円は,本件暴行と因果関係のある損害であるというべきである。

(2)  慰謝料   5万円

本件暴行の程度,態様,経緯等,本件に現れた一切の事情に照らし,本件暴行によって原告が被った精神的苦痛を慰謝するためには5万円をもってするのが相当と認められる。

(3)  弁護士費用   1万円

本件事件の性質,難易度,審理の経過,認容額等に照らし,原告の弁護士費用のうち,本件暴行と相当因果関係があるのは1万円と認める。

5  以上によると,原告の本訴請求は,被告に対し合計7万2090円及びこれに対する不法行為の後(訴状送達の日の翌日)である平成12年12月19日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余の請求は失当である。よって,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,64条に従い,なお仮執行宣言については相当でないからこれを付さないこととし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水上敏 裁判官 井戸謙一 裁判官 吉田静香)

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