京都地方裁判所 平成12年(ワ)3551号 判決 2003年5月07日
主文
1 被告らは,原告甲に対し,各自1943万0662円及びこれに対する平成11年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告らは,原告乙に対し,各自1853万0662円及びこれに対する平成11年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,これを2分し,その1を被告らの連帯負担とし,その余を原告らの負担とする。
5 この判決は,1及び2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告らは,原告甲に対し,連帯して4680万9321円及びこれに対する平成11年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告らは,原告乙に対し,連帯して3973万0547円及びこれに対する平成11年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
第2事案の概要
本件は,スクーバダイビングの講習(海洋講習)中に受講生が溺死した事故について,当該受講生の両親が,当該事故が発生したのは当該講習の主催会社の代表者又はその下で指導に当たっていたインストラクターの過失によるものであると主張し,当該主催会社に対しては商法261条3項,78条2項,民法44条,715条,415条に基づき,また,同社の代表者に対しては民法709条に基づき,当該事故により被った損害の賠償及び事故発生日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める事案である。
1 争いのない事実
(1) 当事者等
ア 被告株式会社ギャレトラベル(以下「被告会社」という。)は,ダイビングスクールの経営等を主たる目的とする株式会社である。また,被告丙は,同社の代表者であり,スクーバダイビングの指導団体からインストラクターの資格を与えられていたものである。
イ 原告甲及び原告乙は,被告会社が主催したスクーバダイビングの講習に参加した受講生丁の両親である。
(2) 丁は,平成11年6月26日,友人の戊とともに,被告会社が主催するスクーバダイビング講習会に参加を申し込み,講習を受けることとなった。この講習会は,スクーバダイビングの知識技能の習得及び潜水指導団体が発行する「Cカード」の取得を目的とするものであった。
なお,Cカードとは,スクーバダイビングのインストラクター(指導員)が初心者に対して講習を行い,スクーバダイビングに関して一定の知識技能を習得したと認めたときに,その初心者に対して指導団体から与えられるスクーバダイビングの技能証明書であり,法律上の資格ではないものの,タンクのレンタル,潜水場所への入場などの際に,提示を求められるなど,スクーバダイビングを安全,円滑に行うためその携帯が事実上求められているものである。
(3) 事故の発生
丁は,上記講習会の一環として,平成11年8月11日,和歌山県西牟婁郡a町bc番地a町立d小学校南南西約2キロメートルの海中(以下「本件現場海域」という。)で行われたスクーバダイビングの海洋講習(以下「本件講習」という。)に戊とともに参加し,被告会社から委託を受けたインストラクター己の指導の下で潜水していたが,その講習中の同日午後1時ころ,己により水深約30メートルの海底に沈んで溺死しているところを発見された(以下「本件事故」という。)。
なお,被告丙も,本件事故当時,本件講習と併せて開催されていたダイビングツアー(以下「本件ツアー」という。)の引率者として,本件現場水域で潜水していた。
2 争点
(1) 被告丙及び己の過失の有無
(2) 過失相殺の適否
(3) 損害額
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(被告丙及び己の過失の有無)について
ア 被告丙の講習計画立案上の注意義務違反の有無
【原告らの主張】
(ア) スクーバダイビングの講習は,初心者に対してスクーバダイビングの初歩的な技能を教えることを目的とするのに対し,スクーバダイビングのツアーは,一定の技能と経験を有する者に対してレジャーを提供することを目的とするものであって,それぞれの目的及び提供されるサービスの内容が異なるため,講習とツアーを同時に同一コースにおいて行うと,混乱を生じるおそれがある。したがって,講習の主催者は,講習とツアーを実施する場合には,それぞれ別の機会又は別コースにおいて実施すべきであり,仮に,講習とツアーを同時に同一コースにおいて実施するときには,まず,受講生を先行させ,ツアー参加者がこれを追尾するという形式で実施するよう講習計画を立案すべき注意義務を負う。
(イ) しかるに,被告丙は,上記注意義務に違反し,本件講習と本件ツアーを同時に同一コースにおいて主催した上,本件ツアー参加者を先行させた後に,受講生に追尾させ,よって,本件事故を発生させたという過失がある。
【被告らの主張】
(ア) 講習とツアーを同時に同一コースで実施するとしても,参加者の技能が高いツアー参加者が先発し,その後に講習の受講生が出発すれば,ツアー参加者より受講生の泳力が劣る上,講習のインストラクターも受講生とツアー参加者とが一緒にならないよう,ツアー参加者と一定の距離を保持するように配慮するから,両者の間に混乱が生じることはない。むしろ,講習とツアーを同時に同一コースで実施する際に受講生を先行させると,それを追尾するツアー参加者が受講生に追い付き,かえって,混乱が生じるおそれがある。
したがって,被告丙には,原告らが主張するような講習計画立案上の注意義務違反の過失はない。
(イ) また,本件講習と本件ツアーとが同一コースにおいて実施されたことにより現実に混乱は生じていないから,仮に,被告丙が原告らが主張するような注意義務に違反したとしても,注意義務違反と本件事故との発生には因果関係がない。
イ 被告丙の器材選択上の注意義務違反の有無
【原告らの主張】
(ア) 丁が本件講習の際に使用したタンクの内容積は10リットルであり,これに1900リットルのナイトロックス(通常の空気より酸素の濃度が高い特殊な気体であり,丁が本件講習において使用したものは酸素比率が33.2パーセントであった。)が充填されていた(190気圧)。
(イ) ところで,本件講習における潜水予定時間は40分であったところ,1900リットルのナイトロックスは,水深14.7メートルでは水圧により圧縮されて体積が769.2リットルとなるから,1分間の呼吸により消費される気体量を25リットルとすると,平均水深14.7メートルで潜水を行った場合,30分余りで上記タンク内のナイトロックスはすべて消費されることとなる。
したがって,被告丙には,上記のように30分余りですべて消費される分量のナイトロックスしか充填されていないタンクを丁に使用させ,エアー不足により丁を溺死させたという過失がある。
(ウ) また,人は,酸素分圧1気圧から2気圧までの間以上の酸素を呼吸すると,酸素中毒に罹患して脳損傷,けいれん等の重大な障害を引き起こすおそれがある。そして,丁が本件講習において潜水した最大水深は29.3メートルであったところ,水深30メートルにおいてはタンクから4気圧のナイトロックスを呼吸することとなり,そのうちの酸素分圧は約1.3気圧(=4気圧×33.2パーセント)となる。すなわち,丁は,本件講習において約1.3気圧の酸素を呼吸し,それにより酸素中毒に罹患して溺死するに至ったものとみるべきである。
したがって,被告丙には,本件講習において丁に酸素比率33.2パーセントのナイトロックスを充填したタンクを使用させ,よって,丁を酸素中毒に罹患させて溺死に至らしめた過失がある。
【被告らの主張】
(ア) 丁が使用していたタンク内には,その救助の時点においてもナイトロックスが残存していたから,丁が死亡したのは本件講習中にタンクのナイトロックスが足りなくなったことが原因だったのではない。
(イ) ナイトロックスは,その酸素比率が40パーセントを超えない限り,通常の空気と使用方法が異なることはなく,また,酸素中毒に罹患するおそれのある酸素分圧は1.6気圧とされているところ,本件講習において丁が使用していたナイトロックスの酸素比率は33.2パーセントであって,本件講習中に酸素分圧が1.6気圧を超えることはなかったから,丁が酸素中毒に罹患したとは考えられない。さらに,酸素中毒の症状は,酸素分圧が一定程度を越えた時点で直ちに出現するものであるところ,丁が何らかの異常により急浮上したのは,水深約10メートルの地点であったから,その水深における水圧にかんがみても,本件事故の際に丁が酸素中毒に罹患したものとは考えられない。
ウ 被告丙の本件講習の実施場所決定上の注意義務違反の有無
【原告らの主張】
(ア) 本件現場海域は,岩が重なり合った複雑な地形であるために見通しが悪く,また,岩場の周囲の水深は四,五十メートルに及ぶ上,普段から海流が速い海域であり,中級者及び上級者向けの潜水場所とされていた。また,本件講習の前日に台風が本件現場海域の付近を通過したため,本件現場海域は,本件講習当時,川水が流入し,見通しが5メートルくらいと極めて悪く,海流も急激であった。
(イ) したがって,このような本件現場海域の状況からすれば,被告丙には,本件現場海域において本件講習を行うべきでなかったにもかかわらず,漫然とこれを実施した過失がある。
【被告らの主張】
(ア) 本件講習当日は,天候が回復して日も差しており,本件現場海域は,海面にはやや流れがあったものの,海中には流れがなく,また,水深2メートル以下では20メートル以上の見通しがあったから,本件講習当時,その実施を中止すべき状況ではなかった。
(イ) 被告丙と己は,本件講習の実施に先立ち,自らが実際に本件現場海域に潜水して実施可能と判断したものである。また,最終的にダイビングを実施すべきか否かを決定する権限は,丁及び被告らが本件現場海域まで乗船した船舶(以下「本件船舶」という。)の船長庚(以下「庚」という。)が有していたものであるが,同人も本件講習を実施することに異議を述べなかった。
エ 己の監視・指導義務違反の有無
【原告らの主張】
(ア) スクーバダイビングは,常に生命・身体が危険にさらされている海中という特殊な自然環境において行われるスポーツであり,そのインストラクターは,潜水の最中及び前後を通じ,受講生の習熟度に応じた監視・指導義務を負っており,己も,本件講習のインストラクターとして,初心者である丁の動静を常に監視し,必要なときは直ちに指導・介助すべき注意義務を負っていた。
(イ) ところで,本件事故発生の際,戊が遅れ始めて常に己の介助を要する状態となって,己は,丁に対する監視・指導を怠った過失があり,仮にこれができない状況にあったのであれば,己は,直ちに本件講習を中止して浮上するか,あるいは,被告丙に対して丁の監視・指導について援助を求めるべきであったにもかかわらず,被告丙の援助を求めることなく漫然と講習を継続し,その結果,丁の姿を見失い,本件事故を発生させたのであるから,己には上記注意義務違反の過失があった。
【被告らの主張】
現在のスクーバダイビングの講習においては,1人のインストラクターが2名以上の複数の受講生を指導するのが通常であり,己は,たとえ戊の指導に掛かりきりであったとしても,丁に対しても十分な監視・指導を行っていた。むしろ,己が丁を見失ったのは,己が水中で体勢を崩した戊を指導している間に,丁が己を追い抜いていったことが原因であり,己には丁に対する監視・指導義務違反の過失はなかった。
オ 被告丙の監視・指導義務の有無
【原告らの主張】
(ア) 本件講習は,被告丙が代表を務める被告会社が主催したものであり,己は被告丙の指揮監督の下で本件講習の実施を補助していたにすぎなかったから,被告丙も,本件事故当時,己とともに本件講習の受講生である丁に対する監視・指導義務を負っていた。
(イ) しかるに,被告丙は,己が丁に対して監視・指導を十分に行うことができない状況にあることを認識していたにもかかわらず,自ら丁に対する監視・指導を行わなかったのであるから,本件事故の発生に関しては,被告丙にも丁に対する監視・指導義務違反の過失があった。
【被告らの主張】
(ア) 前記のとおり,本件講習は本件ツアーと同時に同一コースで実施されたものであるところ,本件講習については,己が受講生である丁及び戊(以下,両名を併せて「丁ら」ということがある。)の指導に当たり,被告丙は,本件ツアーにおいてガイドを行っていた。すなわち,被告丙と己との間には役割分担がなされていたものであり,己は,被告会社及び被告丙の指揮監督に服することなく独自に本件講習を実施していたのであって,被告丙は本件講習の受講生である丁に対する監視・指導義務を負っていたものではない。
(イ) 仮に,被告丙が上記義務を負うものとしても,己が丁らに対して十分な監視・指導を行っていたのであるから,被告丙は自らが丁の監視・指導に当たるべき義務を負っていたとはいえない。
カ 被告丙の救助義務違反の有無
【原告らの主張】
(ア) 被告丙は,本件講習中に丁のタンクの残圧が30気圧であること を確認したものであるが,その確認を行った地点は,浮上地点であるアンカーロープまでかなり離れていた上,水深が14メートルであったから,被告丙は,丁に対して海上へ浮上させる等の救助を行うべきであったにもかかわらず,実際には,同人に対して浮上するよう指示することすら行わなかったのであり,この点につき,被告丙に救助義務違反の過失があった。
(イ) また,被告丙は,丁が急浮上したところを目撃した庚の指示する地点を捜索した際,約20分間,水深約1メートルにおいて全方向及び海底を見渡しただけで,それ以上に丁を捜索しなかったのであって,被告丙には,この点についても救助義務違反の過失があった。
【被告らの主張】
(ア) 被告丙が丁のタンクの残圧を確認した地点はアンカーロープまで 十四,五メートルの距離にすぎなかったことや,本件講習中の丁の遊泳状態が良好であったことからすれば,被告丙が,丁をアンカーロープまで遊泳させ,そこで浮上させればよいと判断した点に誤りはなかった。
(イ) また,被告丙は,丁を追いかける形で浮上したことから,丁が海底に沈むのであれば,浮上の途中で接触するか現認できたであろうと考え,海面付近を捜索したものであって,その捜索方法に誤りはなかった。
(2) 争点(2)(過失相殺の適否)について
【被告らの主張】
ア 丁は,本件講習契約を申し込んだ後,被告会社からスクーバダイビングの基礎知識を解説したビデオ及び教科書の交付を受け,ビデオについては,最低2回は見るようにとの指導を受けていた。また,丁は,平成11年7月4日,約10時間の学科講習を受講し,その際,潜水中はバディーと呼ばれる受講生2名が1組となること,バディー同士は互いに手の届く距離で行動すること(このようなきまりを「バディーシステム」という。),潜水中に受講生の前で先導するインストラクターを追い抜かないことについて注意を受けた。さらに,己は,丁に対し,同年8月7日に実施した越前海岸における海洋実習及び本件講習の前の計2回のブリーフィングの際にも,上記と同様の注意を与えた。
イ しかるに,丁は,本件講習中,別紙図面A地点付近において,バディーである戊が遅れ始めたにもかかわらず,戊との距離を保持することなく,かつ,インストラクターである己を追い抜き,アンカーロープに向かって進行し,その結果,己の監視から離れて溺死するに至ったのであるから,丁にも本件事故発生につき過失があるというべきであり,仮に,被告らが本件事故発生について責任を負うとしても,丁及び原告らが本件事故により被った損害については,相当の過失相殺がなされるべきである。
【原告らの主張】
ア 丁は,本件講習中に己を追い抜いてはいない。
イ 仮に,丁がバディーシステムを遵守せず,かつ,己を追い抜いたとしても,丁はスクーバダイビングの初心者であり,本件事故当時,潜水中に自己を防衛する十分な能力を有していなかったのであるから,そのような初心者の行為を理由に過失相殺を行うのは相当でなく,また,バディーシステムとは,本来,海中特有の危険に備えて,バディーの一方の者に危険が発生したときは,他方の者がこれに適切な処置を与えて支援,調整,救助を行うというものであるから,自己を防衛する能力を十分に有しない初心者同士のバディーにおいて,バディーシステムの不遵守を理由に過失相殺を行うことも相当でない。
(3) 争点(3)(損害額)について
【原告らの主張】
丁及び原告らが本件事故により被った損害は次のとおりである。
ア 死亡逸失利益 5346万1095円
丁は,昭和47年9月19日生であり,平成7年3月に大学を卒業して,同年4月に大光薬品株式会社に就職し,本件事故当時,月額20万2000円の収入を得ていたが,同人が本件事故当時満26歳と若年であったことを考慮すると,基礎収入としては,平成11年度賃金センサス第1巻第1表産業計・企業規模計・大卒女子労働者全年齢平均年収である445万0900円を採用するのが相当であり,また,生活費控除率については30パーセントを採用するのが相当である。そして,丁の就労可能年数を40年とみてライプニッツ方式により年5分の割合の中間利息を控除して計算すると(係数17.1590),丁が本件事故により被った死亡逸失利益は,次の算式により,5346万1095円と算出される。
445万0900円×(1-0.3)×17.1590=上記金額
イ 死亡慰謝料 2000万円
ウ 原告ら固有の慰謝料 各300万円
エ 葬儀関係費用 307万8774円
原告甲は,丁の葬儀に関する費用として以下の費用を支出した。
(ア) 葬儀費用 159万5137円
(イ) お布施 33万円
(ウ) 交通費 6万8200円
(エ) 仏壇 77万7000円
(オ) 料理代等雑費 30万8437円
オ 弁護士費用 400万円
カ 原告らは,上記ア及びイの損害賠償請求権を法定相続分の割合で相続取得した。
【被告らの主張】
原告らの主張は不知ないし争う。被告らの主張の要点は次のとおりである。
ア 死亡逸失利益について
丁の本件事故当時における実収入を基礎収入として採用すべきであり,また,生活費控除率については50パーセントを採用すべきである。
イ 死亡慰謝料及び原告ら固有の慰謝料について
原告らは,エイアイユーインシユアランスカンパニーから,契約者を被告会社,被保険者を丁とする保険契約に基づき,本件事故に関して合計4000万円の傷害保険金を受領しており,この点は慰謝料額の算定に当たり考慮されるべきである。
第3争点に対する判断
1 争点(1)(被告丙及び己の過失の有無)について
(1) 前記争いのない事実に加え,証拠(甲2,7《各枝番含む。》,乙7,被告丙本人,証人己,証人戊)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の各事実が認められる。
ア 本件講習前における指導状況等
(ア) 丁らは,平成11年7月4日,スクーバダイビング全般の知識を習得するため,約10時間の学科講習を受講し,その際,バディー同士は互いに手の届く距離内で行動すること及び受講生の前を先導するインストラクターを追い抜かないことについて注意を受けた。
(イ) 丁らは,同月25日,スクーバダイビングの基礎的な技術を体得するため,スクーバダイビングの器材を装着してプール実技講習を受講した。なお,丁はそれ以前にスクーバダイビングを行ったことはなかった。
(ウ) 丁らは,上記各講習を修了したことから,さらに,海中での適応能力の審査を受けるため,同年8月7日,越前海岸において己をインストラクターとする海洋実習を2回受講したが,その際にも,己は,丁らに対し,バディーと離れないこと及びインストラクターである己を追い抜かないことを注意した。なお,同実習の際,丁には波酔いの兆候があったが,丁らの習得レベルは普通程度と評価された。
(エ) 己は,被告丙の指導の下で,平成6年にCカードを,平成8年に はインストラクターの資格を取得した経緯から,インストラクターとしての経験を積むため,被告会社が主催する講習のインストラクターを無給で務めており,本件事故発生日までインストラクターとして約100回にわたり海洋実習の認定に携わった経験があった。
(オ) 被告丙は,上記(ウ)の海洋実習に当たり,実施場所の決定及び丁らが使用する器材の借受け等の準備を行い,また,自らも実際に潜水して,丁らに対する講習の様子を写真撮影するなどしていた。
イ 本件事故発生に至る経緯
(ア) 本件講習当時,本件ツアーも同時に企画され,本件講習は,本件ツアーとほぼ同時に同一のコース(下記本件コース)において行われた。なお,本件ツアーの参加者は4名であり,いずれの参加者も最低でも潜水回数40回程度の潜水歴を有し,中級者ないし上級者の技量を有していた。また,被告丙と己の間においては,被告丙が本件ツアーのガイドを務め,己が本件講習のインストラクターを務めるとの役割分担が定められていたが,本件講習の実施場所の決定及び丁らが使用する器材の借受け等の準備は,被告丙が行った。
そして,当日の潜水前に,己は,丁らに対し,改めて前記ア(ウ)と同内容の注意をした。
(イ) 丁らが潜水した経路は,別紙図面の矢印で示したとおりであり,同図面①地点(以下,地点の記載はいずれも別紙図面に記載されたものを指す。)を出発し,A地点,②地点及び④地点を経て,再び①地点に戻る,全長約150メートルのコースで,所要時間は約30分ないし40分を予定しており,④地点から①地点までの帰路の距離は,10メートルないし20メートルである(以下,この経路を「本件コース」という。)。なお,<ア>地点と①地点はアンカーロープ(潜水開始時及び浮上時につかむ綱であり,錨の印で示されている。)に近接した地点である。
また,本件現場海域の水深は20メートルから30メートルであり,別紙図面に「-9」,「-10」等と記された図形で示された地点には,岩が存在していた(なお,「-10」とは,岩の先端部分の水深が約10メートルであることを意味する。)。
本件コースは,当初予定した他のコースが濁りのため海洋実習に不適切と判断されて変更されたもので,前日の降雨の影響で海面が濁っていたが,約3メートル潜水すると透明度があり,西から東へ向けて多少の潮の流れはあったものの,海洋実習に支障がないものと判断された。
(ウ) そして,ツアー参加者とこれを引率する被告丙が①地点を出発し,これに続いて,己と丁らが同地点を出発した。なお,この3名相互の位置関係は,己が先頭で,丁と戊がその後ろを横に並んで追尾するという配列であり,己は,進行方向を向いて泳ぎつつ,時折後方を振り返って,丁らの動静を監視していた。
(エ) 被告丙及びツアー参加者と己及び丁らとは,互いに近接して本件コースを進行し,A地点北側の「-16」の岩と海底の境目付近の地点においては,ツアー参加者らが集まった状態になって,被告丙と丁とは,2メートル程度に接近し,その地点付近において,本件ツアーに参加していた辛と丁とが互いに手信号で合図を行っていた。
(オ) その後,己は,A地点の約3メートル手前(北)の地点に至った際,自分の後を泳いでいる戊が遅れ始めていることに気づき,戊に対しゆっくりキックするよう手振りで指導するとともに,進行方向を向いて泳いでいた体勢を,進行方向後方を向いて泳ぐ体勢に改め,戊の様子を注視しながら,本件コースを進行した。なお,この時点においては,丁は己の後を泳いでいたものであり,その様子には何ら異常が見られなかったものであるが,己は,丁に対して戊とのバディー関係を維持するよう具体的指示をすることはなかった。
(カ) ところが,その後,戊がバランスを崩して姿勢を水平に保持できない状態となり,そのまま放置すると仰向けの姿勢となって呼吸困難となるおそれが生じたため,己は,A地点に至った時点で,もっぱら戊の様子を監視して,同人に対して足蹴りの方法や姿勢について指示・指導をするようになった。そして,己は戊に付き添って,A地点から約10メートル先で本来のコースからやや東に流された③地点(その正確な位置関係は証拠上明確ではない。なお,被告丙は,同地点は,④地点の直下であると供述するが,己の供述に照らして,すぐには採用できない。)まで,約30秒をかけて進行し,同地点で体勢を立て直したうえ,同地点からアンカーロープまで約2,3分後に到着し,同ロープを伝って1分後に海面に出たが,己はその間丁の存在を確認していなかった。
(キ) 一方,被告丙は,<ア>地点において,④地点の方向を向いてツアー参加者の到着を待っていたところ,丁が④地点の岩陰から辛を追尾するように泳いでいるのが見えた。ところが,被告丙が他のツアー参加者と応対した後に再び④地点を見た際,横向きの体勢で本件コースの順路と逆方向に進む丁のものと思しきフィン(足ひれ)が見え,それがそのまま岩陰に隠れてしまったことから,被告丙は,丁に何らかの異常が発生したのではないかと考え,④地点に急いで泳いでいったが,丁を発見できなかった。その際,被告丙は,③地点で,己が戊の姿勢を直そうとしているところを認めて,己に丁の所在を尋ねたが,己には分からず,被告丙は,さらに周辺を探したが,結局,丁の姿は見当たらなかった。
(ク) また,本件現場海域の海上に停泊していた本件船舶上にいた庚は,丁がいったん④地点上の海面に浮上した後に再び海中に沈むところを目撃したため,異常を察知して,本件船舶の船倉を叩き,これを聞いて海面に浮上した被告丙に上記の丁の様子を伝え,丁が沈んだ地点を指示した。被告丙は,同地点の海面付近を探したが丁を発見するには至らず,結局,その後,己が,本件現場海域の海面付近及び海中を捜索したところ,本件コースを大きく東に外れた,アンカーロープから約20メートルの距離の水深34.4メートルの海底において,既に溺死した丁の姿を発見した。
(2) そこで,上記認定に基づき,本件事故の発生について被告丙及び己に原告らが主張する過失が認められるか否かを検討する。
ア 被告丙及び己が負うべき注意義務の内容について
(ア) スクーバダイビングは,事故発生率が比較的高く,生命に対する危険を伴ったスポーツであるから,インストラクターは,参加者の技術レベルに応じて,その生命,身体に対する危険を回避する措置をとるべき注意義務があり,特に,水中における行動及び器材の取扱いに習熟していない初心の受講生に対して指導を行う場合においては,インストラクターは,当該受講生の動静を常に監視し,受講生に異常が生じた場合には直ちに適切な指導・介助を行うべき義務を負うものと解するのが相当である。そして,本件においては,前記認定によれば,本件講習当時における丁らのスクーバダイビングの経験は,1回のプール実技講習と2回の海洋実習にすぎないのであるから,丁が水中における行動及び器材の取扱いに習熟していない初心者の域を出ていなかったことは明らかであり,本件講習の際にインストラクターとして指導を行っていた己が丁に対して上記程度の義務を負っていたことは明らかである。
(イ) また,被告丙についても,同被告は,本件講習を主催する被告会社の代表者であり,かつ,インストラクターとしての資格及び受講生に対して適切な指導及び介助を行うことができる技量を有し,自ら本件講習の実施場所の決定及び丁らが使用する器材の借受け等の準備を行い,本件講習が実施された際にも本件現場海域において自ら潜水して,本件ツアーを引率し,丁らは同ツアーの参加者らを追尾する状態で進んでおり,しかも,本件ツアーの参加者はいずれも中級者又は上級者の技量を有していて,被告丙が本件ツアーの参加者を常に監視・指導するまでの必要性はなかったことからすれば,被告丙は,己とともに,丁らに対する監視義務を負っていたものと解するのが相当である。
そして,被告丙は,本件ツアーの参加者及び受講生の全員に対して監視義務を負うものであるから,受講生に対しては己が第一次的に監視義務を負うとともに,被告丙は,全員の動向を監視しつつ,受講生らに異常事態が発生したときは,直ちに適切な指示または措置を行う義務を負うものというべきである。
被告らは,被告丙と己との間には役割分担がなされており,本件講習において丁らの指導に当たっていたのは己のみであって,被告丙は本件ツアーのガイドを行っていたにすぎないから,監視義務を負うことはないと主張し,確かに,前記認定によれば,被告丙と己の間において上記のような役割分担がなされていたことは一応認められる。
しかしながら,前記のとおり,丁は,被告会社とダイビングの指導及び技術の認定などの講習を内容とする契約を締結したものであって,前記の被告丙の地位,技能,本件講習に関与していた程度に照らせば,上記役割分担は被告丙及び己の内部的関係にすぎず,これをもって同被告が監視義務を免れるということはできないというべきであり,被告らの上記主張は採用できない。
イ 己に監視義務違反があったか
前記認定によると,己は,本件コース上のA地点に至った時点において,もっぱら戊の様子を監視して同人に対し足蹴りの方法や姿勢について指示・指導をするようになり,その後,③地点へ至るまでの間に丁の姿を見失ったというのであるが,その経緯は,戊がバランスを崩して姿勢を水平に保持できない状態となり,そのまま放置すると仰向け姿勢となって呼吸が困難となるおそれが生じたため,同人に対する監視,さらには,指示・指導に専念せざるを得ない状況に陥ったことにあり,そのような状況下にあって,己に対し,現に異常が生じている戊に対する監視及び指示・指導に加え,丁に対する監視義務を遂行するよう期待することができたとは断じ得ない。しかしながら,前記のとおり,A地点の約3メートル手前の地点で戊が遅れ始めており,既にこの時点で,バディー関係が崩れ始めていたとみるべきであるから,インストラクターとしての己は,丁に対しても監視義務を尽くすことができるよう,丁にバディーとしての位置関係を維持するよう具体的指示や指導をすべき義務があったというべきである。
しかるに,己は,その際,戊に対して遅れを取り戻すようキックの方法などを指導したのみで,丁に対しては何らの指示をせず,以後同人を放置する状況に至ったものであるから,己には,上記義務を怠った過失があるというべきである。
ウ 被告丙に監視義務違反があったか
前記のとおり,被告丙は,本件講習当時,丁に対する監視義務を負っていた上,その位置関係から,比較的容易にその義務を履行しうる状況にあったのであるが,A地点から約3メートル手前の地点から,丁と戊とのバディ関係が崩れ始め,さらに,戊が本件コースを離脱する異常が発生したにもかかわらず,これらの状況に全く気付くことなく,ツアー参加者の引率のみに注意を払い,さらに,前記(1)イ(キ)のとおり,丁が己と離れて④地点で,辛を追尾しているのを認めていながら,その時点でも特段の措置をとろうともしなかったものであって,本件事故発生について,被告丙には丁に対する監視義務を怠った過失があったというべきである。
これに対し,被告らは,仮に被告丙が上記の監視義務を負うものとしても,己が丁及び戊に対して十分な監視・指導を行っていたものであるから,被告丙自らが丁の監視・指導に当たるべき義務を負っていたとはいえないと主張するが,前記認定によれば,己は,A地点に至った以後はもっぱら戊に対する監視及び指導にかかりきりとなり,丁に対する監視義務の遂行を十分に果たし得ない状況にあったのであるから,上記主張は採用できない。
エ 以上のとおり,本件事故の発生に関しては,己及び被告丙の双方において監視義務違反の過失が存したものということになるところ,本件事故は,己が,被告会社に属するインストラクターとして,その指揮監督の下でその義務の履行に従事中に発生したものであるから,同被告は民法709条に基づき,また,被告会社は民法44条及び同法715条に基づき,丁及び原告らが本件事故により被った損害を賠償すべき義務を負うものというべきである。
2 争点(2)(過失相殺の適否)について
(1) 丁が本件事故により溺死するに至った理由,すなわち,丁が,いったん海面へ急浮上し,再び海中に沈んだ原因については,全証拠を精査してもにわかに確定し難いところであるが,その原因がいかなるものであったにせよ,丁が戊の監視及び指導にかかりきりとなっていた己を追い抜いて辛を追尾したことが,本件事故の発生の大きな要因となったことは疑問の余地のないところであり,加えて,丁は,本件講習前に,再三にわたり,バディー同士は互いに手の届く距離で行動すること及び先導するインストラクターを追い抜いてはならない旨の注意を受けており,その必要性について熟知していた筈であることを考慮すると,本件事故の発生について,丁にも過失があったというべきである。
(2) これに対し,原告らは,丁はスクーバダイビングの初心者であったから,過失相殺をするのは相当でなく,また,自己を防衛する能力を十分に有しない初心者同士のバディーにおいてバディーシステムの不遵守を理由に過失相殺をすることも相当でないと主張するが,そもそも,スクーバダイビングの講習において,初心者たる受講生に対して上記のような注意が繰り返しなされる理由は,ダイビング器材を装着することにより行動及び視界が著しく制限される海中において,受講生がバディーのそばを離れたり,インストラクターを追い抜いた場合には,インストラクターの当該受講生に対する監視義務の遂行が極めて困難になるからにほかならないのであって,丁が初心者であったとの一事をもって過失相殺が相当でないとする原告らの上記主張は,たやすく採用し難い。
(3) そして,被告丙及び己の過失と丁の上記過失の内容程度を比較勘案すると,当事者間の衡平の見地から,丁及び原告らが本件事故により被った損害について40パーセントの割合で過失相殺減額をするのが相当というべきである。
3 争点(3)(損害額)について
(1) 死亡逸失利益 4276万8876円
証拠(甲1,4《枝番含む。》,8,原告甲本人)によると丁(昭和47年9月19日生)は,平成7年3月,京都精華大学を卒業し,本件事故当時は大光薬品株式会社に勤務する独身女子で,両親である原告らと同居し,月額20万2000円の給与を得ていたところ,これは,平成11年度賃金センサス第1巻第1表産業計・企業規模計・女子労働者・大卒・25歳から29歳までの平均月収25万5700円の約8割に相当する額であると認められ,以上の事実によれば,本件事故がなければ,丁は67歳までの40年間就労し,その間平均して平成11年度賃金センサス第1巻第1表産業計・企業規模計・女子労働者・大卒・全年齢平均年収445万0900円の8割相当額の年収を得ることができた蓋然性を肯認しうるから,上記平均年収の8割相当額(356万0720円)を基礎収入として採用し,また,丁の年齢,職業,収入,学歴,家族関係等を考慮して,生活費控除率については30パーセントを採用し,ライプニッツ式計算法により年5分の割合の中間利息を控除して,丁が本件事故により被った死亡逸失利益の現価を算定すると,以下の計算式のとおり,4276万8876円となる(円未満切り捨て。以下同じ。)。
356万0720円×(1-0.3)×17.1590=上記金額
(2) 死亡慰謝料 1000万円
証拠(甲14,乙13)及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,本件事故に関し,エイアイユーインシユアランスカンパニーから,契約者を被告会社,被保険者を丁とする保険契約に基づき,旅行特別補償保険金として1000万円,国内旅行傷害保険金として3000万円,合計4000万円の保険金を受領したことが認められ,その他本件に関して明らかとなった諸事情に照らし,丁の死亡慰謝料としては上記金額をもって相当額と認める。
(3) 原告ら固有の慰謝料 各200万円
原告らは,丁の両親として,同人の死亡により多大な精神的苦痛を被ったことが認められ(甲8),その他諸般の事情に照らせば,原告ら固有の慰謝料として上記金額を相当額と認める。
(4) 葬儀費用 原告甲につき 150万円
証拠(甲5《枝番含む。》,原告甲本人)によれば,原告甲は,丁の葬儀費として217万1774円(北真経寺へのお布施20万円を含む。),仏壇の購入及び法要等の費用として90万7000円を支出したと認められるところ,丁の年令,職業,生活及び家族状況などに照らし,150万円をもって,本件事故と相当因果関係に立つ損害と認める。
4 まとめ
(1) 上記3の各損害につき,40パーセントの割合で過失相殺を行うと,その残額は,次のとおりとなる。
ア 死亡逸失利益 2566万1325円
イ 死亡慰謝料 600万円
ウ 原告ら固有の慰謝料 各120万円
エ 葬儀費用 90万円
(2) 上記の各損害のうち,ア及びイに係る損害賠償請求権(3166万1325円)については,原告らがそれぞれ各2分の1の法定相続分の割合(各1583万0662円)で丁から相続取得した(弁論の全趣旨)ものであり,また,エに係る損害賠償請求権は原告甲のみに帰属するものであるから,結局,原告甲の取得額は1793万0662円,同乙のそれは1703万0662円となる。
(3) 原告らの上記取得額,本件訴訟の審理経過,その他諸般の事情に照らし,相当な弁護士費用は原告らそれぞれについて150万円と認められるから,これを上記取得額に加算すると,認容額は,原告甲について1943万0662円,同乙について1853万0662円となる。
第4以上によれば,原告らの本件請求は,被告らに対し,上記の各認容額及びこれに対する本件事故の発生日である平成11年8月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容すべきであり,その余は理由がないから棄却すべきである。よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本久 裁判官 佐藤英彦 裁判官 稲吉大輔)
別紙図面省略