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京都地方裁判所 平成12年(ワ)838号 判決 2001年7月27日

原告 島隆康

他1名

上記両名訴訟代理人弁護士 河本光平

被告 A野太郎

上記訴訟代理人弁護士 久保哲夫

同 岩橋多恵

被告 株式会社 コウノ

上記代表者代表取締役 A野松夫

上記訴訟代理人弁護士 浜田次雄

被告 株式会社 都ホテル

上記代表者代表取締役 八軒敏夫

上記訴訟代理人弁護士 桑嶋一

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、原告島隆康に対し、各自金一四七〇万六四五三円及びうち金一二七八万八二二〇円に対する、被告株式会社コウノ及び同株式会社都ホテルについては平成一二年五月一二日から、被告A野太郎については同月一七日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告島隆二に対し、各自金一四七〇万六四五三円及びうち金一二七八万八二二〇円に対する、被告株式会社コウノ及び同株式会社都ホテルについては平成一二年五月一二日から、被告A野太郎については同月一七日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、三条通の車道部分で清掃作業中に自動車に衝突されて死亡した被害者の遺族である原告らが、自動車の運転者に対して民法七〇九条により、同運転者の親族が経営する会社に対しては民法七一五条により、被害者の勤務先に対しては民法四一五条(安全配慮義務違反)により、それぞれ被害者死亡に係る損害賠償と遅延損害金の支払いを請求した事案である。

第三当事者間に争いのない事実及び《証拠省略》により容易に認められる事実

一  当事者

(1)  原告島隆康(以下「原告隆康」という。)は、後記本件事故により死亡した島万里子(以下「万里子」という。)の夫であり、原告島隆二(以下「原告隆二」という。)は、万里子と原告隆康との間の子である。

(2)  被告A野太郎(以下「被告A野」という。)は、後記本件事故の加害者である。

(3)  被告株式会社コウノ(以下「被告コウノ」という。)は、被告A野の一族が経営するビル管理等を目的とする株式会社である。

(4)  被告株式会社都ホテル(以下「被告都ホテル」という。)は、ホテル経営を目的とする株式会社である。万里子は、パートタイムで被告都ホテルに勤務し、管理部施設課に所属して、主としてホテル内外の清掃に月間二〇日前後従事していた。

二  本件事故の発生

以下の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(1)  発生日時 平成一〇年一一月二二日午前九時三六分ころ

(2)  発生場所 京都市東山区粟田口華頂町一番地先府道四ノ宮四ツ塚線(通称「三条通」、以下、右通称をもって呼称する。)路上(以下「本件事故現場」という。)

(3)  加害者 被告A野

(4)  加害車両 普通貨物自動車(滋賀《省略》)

(5)  被害者 万里子

(6)  態様 山科方面から西行中の被告A野運転の加害車両が、道路清掃中の万里子に衝突し、万里子は、同日、死亡した。

すなわち、万里子は、本件事故当日午前七時三〇分に出勤し、通常の業務である都ホテル内外の清掃に取りかかり、ホテル七階にある佳水園の道、チャペル付近から一階に至り、さらにホテル従業員出入口付近から歩道を清掃しながら東へ進み、本件事故現場付近において、歩道と車道の間の段差部分にたまっていた銀杏の落ち葉を掃き集めるため、車道に出て清掃を行っていたところ、被告A野が運転していた加害車両が、三条通を西進して本件事故現場にさしかかり、万里子に衝突したものである。

第四争点

一  被告A野の責任、殊に責任能力の有無

二  被告コウノの責任の有無

三  被告都ホテルの責任の有無

四  万里子に生じた損害額

第五当事者の主張

一  争点一について

(1)  原告らの主張

被告A野は、前方注視義務を怠り、漫然と走行して本件事故を生じさせた過失があり、民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負う。

(2)  被告A野の主張

同被告は、本件事故当時、睡眠時無呼吸症候群に罹患していたとともに、高血圧及び狭心症の薬を服用していたことから、突如入眠して意識を失い、心神喪失の状況下で本件事故を惹起したものであり、本件事故を惹起した際、責任能力を有していなかった。

すなわち、同被告は、本件事故当時、高血圧症、左心室肥大、狭心症等の治療のため病院に通院し、医師の指示に従い、ニバジール錠、インヒスベース錠、ニトロールRカプセル、セロケン錠を毎日服用していたが、これらの薬は、いずれも、めまい等を起こすことがあるので、車の運転や危険な機械操作等には十分気をつけるよう、使用上の注意が能書に記載されるような薬であるにもかかわらず、同被告は、これらの薬に上記の使用上の注意があることを知らされていなかった。

また、同被告は、当時、著しい肥満の状態にあり、睡眠時無呼吸症候群に罹患していた(なお、同被告が、同症候群に罹患していたことを知ったのは、平成一二年三月に病院に入院して検査した結果である。)。睡眠時無呼吸症候群は覚醒時にも傾眠傾向等を呈する病気であり、重篤の場合には、重要な仕事中や車の運転中にも入眠してしまうことがある。

そして、同被告は、本件事故当日、午前七時に起床し、朝食後、普段のとおり上記の薬を服用し、午前九時過ぎに自宅を出て、午前九時三六分ころ、加害車両を運転して本件事故現場の一つ手前の信号のある蹴上交差点にさしかかったが、そのころに意識を失い、本件事故を惹起した後に意識を取り戻したものである。

したがって、同被告は、睡眠時無呼吸症候群に罹患していたことから、常日頃服用していた薬によって正常な意識を喪失した中で本件事故を惹起したものであり、同被告が責任能力を欠いていたことは明らかである。

二  争点二について

(1)  原告らの主張

被告コウノは被告A野の使用者であり、同法七一五条に基づく損害賠償責任を負う。

被告コウノが被告A野の一族の親族会社であること、被告A野が現実に被告コウノの指示によりその業務を執行していたこと、加害車両は被告A野個人の所有名義であるが、被告コウノの名称が表示されており、被告コウノは右表示を許容していたことから、被告コウノが上記責任を負うことは明らかであり、仮に、被告A野が被告コウノの完全な指揮監督に服していなかったとしても、被告コウノは被告A野に自己の商号の使用を許諾していたものであるから、被告コウノは被告A野を事実上指揮監督すべき立場にあるものとして、上記責任を免れない。

(2)  被告コウノの主張

被告A野は、被告コウノの役員でも従業員でもなく、被告コウノとは別個独立して自らビルの清掃管理の事業を行っていた。すなわち、被告A野が被告コウノで仕事をしていたのは平成四年一二月一一日から平成五年八月二六日付で退職するまでの九か月弱にすぎず、右退職直前の同年八月一六日からタクシー会社に運転手として勤務し始めていた。被告A野が被告コウノの業務を遂行することがあったとしても、それは法的には委任または請負であり、被告コウノが被告A野を指揮監督していたものではない。被告コウノは、本件事故当日に被告A野に仕事を依頼しておらず、被告A野は、被告コウノの業務とは無関係の用事で加害車両を運転していたものである。

なお、加害車両には被告コウノの名称が表示されていたが、それは、被告A野が同車両を購入する際、販売店から、車体に会社名を記載していると盗難防止になると聞かされたため、自己の判断でなしたものであり、被告コウノがその使用を許諾したものではない。本件事故につき、被告コウノに責任はない。

なお、本件事故についての被告A野の責任の有無については、同被告の主張を援用する。

三  争点三について

(1)  原告らの主張

被告都ホテルは、万里子に対し、都ホテル付近の歩道を清掃するに当たり、車道には絶対に出ないで作業するよう指示すべき安全配慮義務を負っていたにもかかわらず、これを懈怠し、上記指示を行わなかったのであり、民法四一五条に基づく損害賠償責任を負う。

(2)  被告都ホテルの主張

同被告には安全配慮義務違反はない。

すなわち、同被告は、管理部施設課所属員に対し、都ホテル外の三条通の清掃をさせていたが、それは三条通南側歩道上の清掃であって、車道上の落ち葉やゴミの清掃まで命じていたものではなく、その趣旨は万里子も十二分に承知していた。車道と歩道の間の段差部分に落ち葉が滞ることは事実であるが、本件事故当日、見苦しくなるほど落ち葉が散乱していたことはなく、もし、万里子がその落ち葉が気になり、集めようとしたとしても、携帯の清掃用具を用いれば、何の支障もなく歩道上からかき集めることができたのであり、被告都ホテルは、万里子が車道に出ることは予想もしなかった。また、右段差部分については、京都市が清掃車を使って清掃を行っているので、被告都ホテルとしては、従業員に清掃を命じる必要はなかった。

したがって、万里子が車道に出て清掃していたのは、被告都ホテルが命じた業務の執行に必要な範囲を自らの判断で超えたものであり、予備的に、仮に被告都ホテルに安全配慮義務の違反が認められるとしても、過失相殺を主張する。

四  争点四について

(1)  原告らの主張

ア 損害額

本件事故により万里子が被った損害額は、合計金五一八六万一五九一円であり、その内訳は、次のとおりである。

① 治療費 金二万二一四〇円

② 葬祭費 金一五〇万円

③ 逸失利益 金二五三三万九四五一円

万里子は、有職主婦として、家事を行う一方でパートタイムで被告都ホテルに勤務し、月額平均一〇万円の収入を得ていた。平成一〇年度の五〇~五四歳女子労働者平均年収三六六万〇八〇〇円を基礎収入とし、生活費控除を四〇パーセント、就労可能年数を一六年(ホフマン係数一一・五三六三九〇七九)として逸失利益を算出した。

④ 慰謝料 金二五〇〇万円

イ 既受取額 金二六二八万五一五〇円

自賠責保険から支払いを受けた金額である。

ウ 弁護士費用 金三八三万六四六六円

(4)の金額から(5)の金額を控除した金額の一五パーセント

(2)  被告A野の主張

(1)ア及びウは争う。

(3)  被告コウノの主張

(1)アないしウは、不知ないし争う。

(4)  被告都ホテルの主張

ア (1)アのうち、①及び②は認め、その余は否認する。

なお、万里子は、原告隆康の扶養控除対象配偶者となっていたことから、適当に休暇を取って、収入額が年間一〇三万円を超えないように調整していたものであり、禁反言の原則に照らし、女子労働者平均年収をもって万里子の逸失利益の算定の基礎収入とすることは許されない。

イ (1)イについて、原告らが自賠責保険から金二六二八万五一五〇円の支払いを受けたことは認めるが、原告らは、さらに労災給付金三〇〇万円の給付を受けており、右給付金もまた損益相殺の対象となるものと解すべきである。

ウ (1)ウは否認する。

第六争点に対する判断

一  争点一について

(1)  《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められる。

ア 本件事故が発生した三条通は、本件事故現場付近において、ほぼ東西方向に直線に走る片側二車線のアスファルト道路である。東行車線・西行車線とも、外側車線の幅員が三・五メートル、内側車線の幅員が三・二メートルであり、道路中央の東行車線と西行車線の境目には幅員三・〇メートルのゼブラゾーンが設けられている。三条通の北側と南側にはそれぞれ歩道があり、車道と歩道との間には鉄製の防護柵がそれぞれ設けられている。三条通を本件事故現場から約二〇〇メートル東方へ行くと、信号機により交通整理がされている交差点(以下「蹴上交差点」という。)があり、三条通は同交差点付近からほぼ南東へ方向を変えて、同交差点から約二キロメートル離れた京都薬科大学の前を通る。本件事故直後に警察官によって行われた実況見分によると、本件事故現場の路面は乾燥していたが、加害車両のスリップ痕は路面に印象されておらず、また、通行量は車・人とも少なかった。

イ 被告A野は、本件事故当日の午前九時過ぎ、滋賀県大津市の自宅を出発し、加害車両を運転して三条通を西進し、京都薬科大学前を通過し、蹴上交差点を経て、京都市東山区三条通《番地省略》所在の被告コウノ所有のマンション(以下「B山」という。)に向かった。B山は、本件事故現場から約四〇〇メートル西方の地点で三条通北側に接している建物であって、その所在場所は別紙三のとおりであり、建物北側に駐車場が設けられていた。

ウ 被告A野は、加害車両を運転して京都薬科大学前を通過した際、中央線の近くを進んだり、中央線から少し離れて車線の真ん中を進んだり、ふらふらと蛇行運転をした。

エ その後、加害車両は、蹴上交差点を左折して三条通を西進し、時速三、四十キロメートルの速度で都ホテル前を通過した。蹴上交差点と本件事故現場との間の距離は約二〇〇メートルであるが、その間、加害車両は、当初は外側車線を進行していたが、別紙二のとおり、徐々に進路が道路中央(進行方向右方)に寄っていき、ついにはゼブラゾーンを越えて東行の内側車線にまで進出した後、突然、左方に方向を変え、約四〇度の角度で三条通南側歩道と車道との間に設けられた防護柵及びその側に立てられていたコンクリート製の電柱に前部を衝突させたが、その際、折柄、同衝突箇所付近の車道上で清掃作業を行っていた万里子に衝突した。加害車両が左方に方向を変えた地点から万里子に衝突した地点までの距離は一四・一メートルであった。なお、加害車両が左方に方向を変えた際、三条通の東行の内側車線には走行車両がなかったが、外側車線には数台の車が走行していた。また、被告A野は、万里子と衝突した際、警音器を鳴らさなかった。

オ 被告A野は、運転経験が三〇年以上に及び、大型二種、牽引車等の自動車運転免許を有し、タクシー運転手の経験もある、いわゆるプロの自動車運転手であった。

カ 被告A野は、平成一二年三月、京都第一赤十字病院呼吸器科に入院して医師中山昌彦の診察を受け、かなり高度の睡眠時無呼吸症候群と診断された。

睡眠時無呼吸症候群とは、入眠の間に、舌の根本が下がって(舌根沈下)気道が狭窄されるため、呼吸運動をしているにもかかわらず無呼吸となり、その結果、眠りが非常に浅くなるとともに、高炭酸ガス、低酸素の状態が睡眠中絶えず繰り返されるため、昼間も傾眠傾向が見られるようになる病態であり、主として高度の肥満が原因とされている。睡眠時無呼吸症候群の症状として、昼間であっても突然深い眠りに入ってしまうことがある。被告A野は、上記診察当時、身長が一六〇センチメートル、体重が九四キログラムで、高度の肥満であり、いびきが強く、睡眠中にしばしば二〇秒程度の無呼吸と激しい体動が認められた。そして、上記入院の際に行われた検査の結果、動脈血中の炭酸ガス分圧値が六〇・一と非常に高く(正常値は三六ないし四八)、一方、酸素分圧は四七・八と非常に低く(正常値は八〇ないし一〇〇)、換気不全の状態にあり、夜間持続動脈血酸素飽和度(正常値九七パーセント以上)は、睡眠時間の約七〇パーセントにおいて五〇ないし七〇パーセント、睡眠時間の約三〇パーセントにおいて七〇ないし九〇パーセントで、常に著しい低酸素状態であることが判明した。そのため、夜間の睡眠は常に浅く不十分であり、換気不足による高炭酸ガス血症と相まって、日中の傾眠傾向が著しく、上記入院当初の予診の際にも、直前まで病気の話をした後、診察のためにベッドに横になった途端に寝てしまったことがあった。そして、睡眠時無呼吸症候群は肥満と非常に関連した病態であるところ、平成一〇年八月に撮影された写真によると、被告A野はその当時から上記診察時とほとんど変わらない体型であったことが認められた上、上記診察時の検査結果によると、ヘマトクリットとヘモグロビンが高値であり(二次性多血症)、低酸素・高炭酸ガス血症がかなり長期間にわたって続いていたと考えられたことから、被告A野は本件事故当時も睡眠時無呼吸症候群に罹患していたと判断されたが、被告A野は、上記診察時まで、自分がこの病気に罹患していることを知らなかった。

以上のとおり認められる。なお、上記ウ及びエ記載の認定事実は、本件事故直前に加害車両の直後を走行していた干場美代子の実況見分における指示説明及び検察官に対する供述に沿うものであるが、同人は、京都薬科大学前付近でふらふらと蛇行運転をしていた加害車両に気づき、本件事故発生までの間、加害車両の動静を注意深く観察していたものであり、また、同人は、本件事故につき何ら利害関係を有しない第三者であって、その指示説明及び供述の内容は、大筋において信用すべきものと考えられる。

(2)  前記認定事実によると、加害車両が、本件事故発生直前に蹴上交差点から本件事故現場までの約二〇〇メートルの間を走行する間、当初は三条通西行の外側車線を走行していたのに、進路が徐々に道路中央寄り(進行方向右方)に寄っていき、ついには反対車線にまで進出したこと、その際、東行の内側車線を走行していた車両はなかったにもかかわらず、被告A野が、約四〇度の角度で防護柵に衝突するほどの急激な左転把を行い、その後、万里子や防護柵に衝突するまでの間、警音器も鳴らさず、また、ブレーキ操作をした形跡もうかがわれなかったことが認められ、これらの事情に照らすと、被告A野が、蹴上交差点通過後上記左転把の時点までの間、正常な意識を保持していたとは到底考え難い。まして、被告A野が運転経験が三〇年以上に及ぶプロの自動車運転手であって、自動車の運転に習熟していたことを考慮すればなおさらである。そして、被告A野が本件事故現場から約二キロメートル手前の京都薬科大学前付近でふらふらと蛇行運転をしたこと、被告A野が、平成一一年四月九日に検察官の取調べを受けて以来、本件事故に係る刑事訴訟及び本件の審理を通じて、一貫して、本件事故を起こした時の記憶がない旨供述していること、被告A野が本件事故当時睡眠時無呼吸症候群に罹患していたことを総合考慮すると、被告A野は、京都薬科大学前を通過したころから、睡眠時無呼吸症候群による傾眠傾向あるいは高炭酸ガス血症による中枢神経の働きの低下の症状が出現し、蹴上交差点を通過直後に入眠し、正常な意識を欠いたまま、本件事故を惹起したものと認めるのが相当である。

なお、《証拠省略》によると、被告A野は、本件事故当時、社団法人愛生会山科病院に通院し、高血圧症、左心室肥大、狭心症等の診断名の下、ニバジール(高血圧症・脳梗塞後遺症治療剤)、インヒスベース(高血圧症治療剤)、ニトロールR(狭心症・心筋梗塞・冠硬化症治療剤)、セロケン(高血圧症・不整脈・狭心症治療剤)等の薬剤の処方を受け、本件事故当日の朝も、これらの薬剤を服用したこと、これらの薬剤は、めまい、ふらつき等をおこすことがある。血圧低下によりめまい等をおこすことがある、注意力が散漫になりがちであるなどの理由により、車の運転等には十分に気をつけるようにと使用上の注意がされていることが認められ、被告A野は、これらの薬剤の副作用が本件事故の際に入眠した原因をなしている可能性を主張するが、その間の因果関係を認めるに足りる証拠はない。

(3)  これに対し、原告らは、被告A野は、約四〇度の角度で防護柵に衝突するほどの急激な左転把を行ったところ、このような急転把は意識的な筋肉動作であり、入眠状態下ではなし得ない動作であるとして、被告A野は本件事故発生当時入眠していなかったと主張し、また、証人中川昌彦も、入眠状態では、急転把のような意識的な筋肉動作はできないだろうと思われる旨証言する。

しかしながら、他方、被告A野が本件事故直前に左に急転把した際、三条通の東行の内側車線には走行車両がなく、外側車線に数台の走行車両があったに過ぎなかったというのであるから、加害車両が対向車両と正面衝突する危険性はさほど差し迫ったものでなかったと考えられるにもかかわらず、被告A野は、約四〇度の角度で防護柵に衝突するほどの急激な左転把を行った上、万里子と衝突するまでの間、ブレーキ操作もせず、警音器も鳴らさなかったことを考慮すると、上記急転把の際、被告A野が全く意識を欠いていたわけではなかったとしても、自動車の運転操作を誤りなくできるほどの清明な意識を有していたものとは認め難く、原告らの上記主張は採用することができない。

(4)  また、《証拠省略》によると、被告A野は、本件事故発生直後、被告都ホテル管理部保安課勤務の喜多基範に対し、「三条通から北側に入る道を探していたため、センターラインを越えてしまい、気が付いてあわててハンドルを左に切った。」旨説明し、また、実況見分及び取調べの警察官に対しても、要旨、「B山へ向かう途中、近道でもないかと道を探しながら、後続車に迷惑がかからないように道路中央に設けられたゼブラゾーン内を時速四〇キロで走っていたところ、前方へと目を戻すと、すぐ目の前に対向車が東進してくるのが見え、対向車線へと進入したことに気づき、とっさにハンドルを左へ急転把した。」旨供述していたことが認められるが、被告A野のこれらの説明及び供述は、次のとおり、にわかに信用することができない。

ア まず、被告A野は、本件事故発生直前、三条通道路中央のゼブラゾーン内を走行していた旨供述するが、この点、加害車両の直後を走行していた前記干場美代子の供述と全く異なる。すなわち、被告A野が警察官に対して説明した加害車両の進路は別紙一のとおりであり、干場美代子の説明は別紙二のとおりである。そして、この点、干場美代子の供述を信用すべきことは前記(1)末尾記載のとおりであって、被告A野が本件事故発生直前に上記ゼブラゾーン内を走行していたと認めることはできない。

イ そして、本件事故発生直前の加害車両の進路が前記(1)エ及び別紙二のとおりだとすれば、その進路は、三条通から北側に入る道を探している運転者がとるであろう進路として、極めて不自然であるといわざるを得ない。加えて、B山は、別紙三のとおり、本件事故現場から約四〇〇メートル西方の地点で三条通北側に接しており、本件事故現場付近からB山北側の駐車場に行くためには、三条通を同別紙※五の丁字路で右折し、同別紙※六の丁字路で左折するのが最も近道で、かつ、簡明な道筋であることが認められ、被告A野も、本人尋問において、普段、上記の道筋でB山の駐車場へ行っていた旨供述している。そうすると、被告A野が、本件事故現場付近で、近道でもないかと北側に入る道を探していたという供述自体もたやすく信用することができないといわざるを得ない。

ウ そうすると、被告A野が、上記の説明及び供述をなしたのは、本件事故直後に目撃者の話を聞いたり、本件事故の発生状況を考え併せた上で、上記のような虚偽の説明をしたものと認めるほかない(もっとも、同被告がいかなる理由でそのような虚偽の説明及び供述をしたかは不明といわざるを得ない。)。

(5)  以上のとおり、被告A野は、睡眠時無呼吸症候群により、入眠状態の下で、精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力(責任能力)を欠く状態にある間に本件事故を惹起したものであるから、民法七一三条本文により、被告A野は本件事故につき、損害賠償責任を負わないものと認めるのが相当である。

二  争点二について

民法七一五条に基づく損害賠償責任が成立するためには、被用者の第三者に対する加害行為が、それ自体として、不法行為の成立要件を具備することを要するものと解すべきところ、上記のとおり、被告A野は本件事故の惹起につき責任能力を欠いていたと認められるから、その余の点を判断するまでもなく、被告コウノは、本件事故につき、損害賠償責任を負わない。

三  争点三について

《証拠省略》によると、被告都ホテルは、万里子を含む清掃作業担当者に対し、ホテル前の三条通南側歩道の清掃をするよう指示していたものの、車道部分の清掃は命じていなかったこと、殊に、証人浜田勝之は、平成一〇年一一月の始めころから本件事故当日まで、万里子と二人でコンビを組んで都ホテルの館内等の清掃をしていたものであるが、その間、職場の先輩である万里子から、三条通南側歩道の清掃作業について、「歩道から絶対車道に出るな。車道がどんなに汚れていても、掃除しなくていい」と度々言われていたことが認められる。

そうすると、万里子は、三条通の車道部分が清掃作業の範囲に入っていないこと、及び、車道部分に出て清掃作業することの危険性を十分に認識していたものと考えられるから、被告都ホテルには、原告らが主張するような安全配慮義務の違反はなかったものと認めるのが相当である。

四  結論

以上に検討したところによると、原告らの被告A野、被告コウノ及び被告都ホテルに対する請求はいずれも理由がないから、棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤英彦)

<以下省略>

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