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京都地方裁判所 平成13年(わ)1330号 判決 2003年5月23日

主文

被告人は無罪。

理由

1  本件公訴事実

被告人は,平成12年5月18日午後5時10分ころ,足踏式二輪自転車を運転し,京都府甲市【以下省略】先の東西に通ずる道路の北側の路外施設前の歩道上で一時停止した後,同道路を西進するために発進右折するに当たり,左方から進行してくる車両の有無を確認するはもとより,発進右折して自車が道路中央付近に差しかかったとき,徐行又は一時停止して左方から進行してくる車両の有無及びその安全を確認して右折すべき注意義務があるのにこれを怠り,前記歩道上で一時停止したとき,左方からの車両がなかったことに気を許し,左方からの車両はないものと軽信し,道路中央付近で徐行又は一時停止して左方から進行してくる車両の有無及びその安全確認を欠いたまま漫然時速約8キロメートルで右折した重大な過失により,折から左方から進行してきたA(当時58年)運転の普通自動二輪車に気付かないまま同車前部に自車後輪左側を衝突・転倒させ,よって,同人に入院加療約397日間を要する頭蓋骨骨折等の傷害を負わせたものである。

2  本件各証拠によれば,以下の各事実を認めることができる。

(1)  本件の衝突現場である道路(以下「本件道路」という。)は,東西に通ずる片側1車線の見通しの良い直線道路であり,東方から西方に向かって約3パーセントの勾配率の上り勾配となっており,衝突現場付近は頂上に近く緩やかである。本件道路の制限速度は,40キロメートル毎時である。

本件道路の各車線の幅員は,約3.0メートルで,本件道路の東行車線の北側には,幅約0.6メートルの路側帯と幅約1.7メートルの歩道(以下「歩道」という。)があり,この歩道の北側は,甲市役所(以下「市役所」という。)の敷地に接している。本件道路の西行車線の南側には幅約0.7メートルの路側帯があり,この路側帯の南側は甲町競輪場の外壁となっている。

本件現場近くの歩道の北側には市役所出入口が接しており,市役所出入口の西側にはaバス甲市役所前停留所の標識が設置されている。市役所出入口の西端から東へ約41.3メートルの地点には,信号機のない三叉路交差点がある。この交差点で本件道路と交差する道路は,北方に伸びる片側1車線の道路(以下「北向道路」という。)で,北行車線の幅員は,約3.5メートル,南行車線の幅員は約3.0メートルである。歩道上の市役所出入口付近から東方を見た場合には,上記三叉路交差点の北西部分にある甲市職員駐車場が,北向道路に対し高台となっているため,北向道路上の車両を視認することはできない。さらに,三叉路交差点の東方には,信号機の設置された五叉路交差点がある。本件現場から五叉路交差点までは相当な距離があるが,現場付近からは五叉路交差点まで見通すことができる。

(2)  被告人は,平成12年5月18日午後5時10分ころ,足踏式二輪自転車(以下「自転車」という。)で市役所の敷地内を南進し,市役所出入口西端付近の歩道上において,自転車を一旦停止させて左右を確認し,本件道路上を進行してくる車両がないことを確認した後,再び自転車を発進させた。

被告人は,本件道路の中央付近で左(東)方から進行してくる車両の確認をしないままセンターラインを越え,西行車線の中央付近を西に向かって進行した。

被告人が西行車線を進行していたところ,本件道路の西行車線をAが排気量101CCのバイク(以下「バイク」という。)で進行してきて,自転車の後輪左側にA自身又はそのバイクが衝突し,被告人もAも本件道路の西行車線上に転倒した。

(3)  事故後の実況見分時には,衝突地点付近の路面には擦過痕があり,その東端は,上記バス停留所の標識から南西方向に8.8メートル,西行車線の南端から1.3メートルの位置にあり,その西端は,上記バス停留所の標識から南西方向に11メートル,西行車線の南端から0.8メートルの位置にあった。擦過痕の長さは,検9号証の実況見分調書添付の縮尺200分の1の見取図上の長さが約1.4センチメートルであることから,約2.8メートルであった。擦過痕の北側の路面には血痕が認められ,擦過痕の西側の路上にはヘルメットが落ちていた。擦過痕の南端にバイクが,その前に自転車が西向きに立ててあった。バイクの損壊状況は,前かご曲損,ヘッドライトガラス割損・右レッグシールド擦過等であり,自転車の損壊状況は,後輪が右に曲損・右前ライト割損等であった。

(4)  本件により,Aは入院加療約397日間を要する頭蓋骨骨折等の傷害を負い,被告人は,通院加療約10日間を要する左前腕擦過,右下腿打撲等の傷害を負った。Aは,本件事故当時の状況について全く記憶がない状態にある。

(5)  本件当時,天候は晴れで,本件道路の路面は乾燥していた。本件当日の日没時刻は,午後6時56分であった。被告人の裸眼視力は右0.06,左0.7,矯正視力は右0.7,左0.9であり,被告人は,本件事故当時眼鏡をかけていた。

(6)  平成13年11月1日午後5時20分から30分までの間に本件現場において行われた交通量調査の結果によれば,上記の10分間の西行車線の交通量は,車83台,二輪25台,自転車11台,人7人であり,東行車線の交通量は,車86台,二輪9台,自転車8台,人6人であった。

3(1)  上記認定事実のうち,被告人の自転車が本件道路に進入した状況,被告人の自転車とA又はそのバイクとが衝突した状況に関する事実の主要部分は,被告人の捜査段階の供述に依拠しているところ,弁護人は,検25の警察官調書並びに検26及び27の検察官調書は任意性及び信用性がない旨主張するので,以下検討する。

まず,任意性について,弁護人は,上記各供述調書は,被告人の知識のない事項や法律的な論理に関する供述を含んでおり,捜査官の誘導による供述であるから任意性がない旨主張するが,上記各供述調書における被告人の供述内容を検討するに,任意性に疑いを挟むような不自然な供述は認められず,捜査官の取調べ方法は,正当な記憶喚起の範囲内にあると認められるのであって,被告人の上記の各供述調書の任意性に疑いの余地はない。

次に,被告人の供述の信用性について検討するに,衝突地点において自転車の後部に衝撃を受け,自転車ごと本件道路上に転倒したとの被告人の供述は,自転車の損壊状況,擦過痕等の客観的事実と符合している上,歩道上で自転車を停止させて左右を確認した状況,本件道路に進入した状況,A又はそのバイクと衝突した状況等の事実関係の基本部分につき,被告人の供述は一貫しており,その内容も特段不自然な点は見当たらないから,被告人の捜査段階の供述は信用できる。

(2)  これに対し,被告人は,当公判廷において,本件道路の中央付近で足を付いて左(東)方を確認したところ,進行してくる車両はなかった旨供述する。

しかしながら,被告人は,捜査段階では,本件道路の中央付近で左(東)方を確認しなかったと供述していたにもかかわらず,当公判廷では,左(東)方を確認した旨供述を変遷させた理由について合理的な説明しておらず,また,左足を付いて左(東)方を確認したと供述する一方で,右足を付いて確認したとも供述するなど,本件道路の中央付近で左方を確認した状況についての供述内容もあいまいである。

以上により,被告人の公判供述は信用することができない。

(3)  なお,本件各証拠を検討しても,自転車及びバイクの衝突時の正確な速度を認定することはできないが,被告人の自転車の速度については,一般に自転車がゆっくり走る速度は,時速約11キロメートルであること(図解交通資料集15頁参照 編集交通実務研究会 立花書房),被告人が歩道上で停止した位置から走り出してから数秒しか経過していないこと,本件道路は西に向かって緩やかな上り勾配であること等から,時速約8キロメートルという公訴事実記載の速度には一応の合理性が認められる。また,バイクの速度については,本件道路上には上記のとおり約2.8メートルの滑走痕跡があり,捜査報告書(検30)の計算式に従うと,衝突後の速度は時速約18.7キロメートルと認められることからすると,衝突時の速度は時速約18.7キロメートル以上であったとは認めることができる。

4(1)  以上の認定事実に基づいて,以下判断する。

検察官が主張する被告人の重過失は,本件道路の中央付近におけるいわゆる安全確認義務違反である。

そこで検討するに,上記認定のとおり,被告人は本件道路の中央付近で左方の確認をしなかったことが認められるが,かかる被告人に注意義務違反を認めるには,その前提として,被告人が本件道路の中央付近を通過した時点において,バイクが被告人の視野に入り得ない場合,例えば,遠方から直進急接近して衝突した場合や,側道から本件道路に進入してきて衝突した場合等には,被告人に注意義務違反を認めることはできないというべきである。

そして,本件各証拠からは,バイクが本件現場に到達するまでの走行経路が明らかになっておらず,被告人が本件道路の中央付近を通過した時点におけるバイクの位置が明確でないところ,バイクの走行経路については,Aの職場と自宅の位置関係からすれば,①上記三叉路交差点よりも更に東方の五叉路交差点方面から本件道路の西行車線を直進してきた可能性が高いとはいえるが,②北向道路から三叉路交差点を右折して本件道路の西行車線に進入し,進行してきた可能性も排除できないので,以下,それぞれの場合につき,Aのバイクが被告人の視野に入るところに存在していたか否かについて検討する(なお,Aのバイクの走行経路として,市役所出入口から右折して本件道路に進入した可能性について検討しておくと,市役所出入口から本件道路に進入しようとする場合,交通量の少なくない本件道路の状況を考慮すると,Aもバイクを一時停止させる必要があったと推認できるところ,衝突地点と自転車の転倒後の停止地点との距離,上記衝突後のバイクの速度並びに転倒後の自転車及びバイクの各停止地点が近いこと等からみて,バイクが被告人の自転車の後部に衝突することは極めて不自然であるといえるから,バイクが市役所出入口から右折して本件道路に進出したとは考えられない。)。

(2)  Aのバイクが五叉路交差点方面から直進してきた場合(上記①)

この場合,本件道路は道路中央付近から五叉路交差点まで見通すことができる見通しの良い直線道路であること,本件道路は東方から西方に向かって約3パーセントの勾配率の上り勾配となっていること,バイクの排気量が101CCであることなどから,被告人が本件道路の中央付近を通過する時点においては被告人の視野に入らない位置にあったバイクが,五叉路交差点方面から直進急接近して被告人の自転車に衝突したとは到底考えられず,被告人が本件道路の中央付近を通過した時点においてはバイクが被告人の視野に入るところに存在していたことは明らかであるといえる。

(3)  Aのバイクが三叉路交差点から右折し,進行してきた場合(上記②)

ア  上記②の場合につき,北向道路の南行車線の本件道路への出口から衝突地点までに相当する経路のバイクの最短走行時間を鑑定した結果は7.91秒であった(職権4)(なお,鑑定に際しては,バイクの衝突後の速度が時速約18.7キロメートルと認められるので,衝突時の速度はそれ以上であったことが認められるが,鑑定においては,鑑定人に走行実験を求めることができる概数であり,かつ,被告人に不利にならないように衝突後の速度にほぼ近い遅い速度である「時速約20キロメートル」と設定した上で走行実験を行った。)。

イ  検察官は,被告人が歩道上で停止した地点からバイクと衝突した際の被告人の位置までの距離は実況見分調書(検8)の現場見取図上約10.6メートルであることから,これを被告人の自転車の速度である時速約8キロメートル(秒速約2.2メートル)で除することにより,その所要時間は約4.8秒であると計算した上で,北向道路の南行車線の本件道路への出口から衝突地点までの最短所要時間が7.91秒であるという鑑定の結果を前提とすると,バイクは被告人の視野に入る位置にあったことは明らかである旨主張する。

ウ  しかしながら,検察官の上記計算方法は,自転車の加速度を全く考慮していない点で妥当でなく,被告人が70歳の高齢であること,本件道路が西に向かって緩やかな上り勾配であることなどを考慮すれば,自転車の平均速度は秒速約2.2メートルより遅かった可能性がある。そして,そもそも,本件においては,被告人が歩道上で停止した地点から衝突地点までどのように進行したかを認定するに足りる証拠はないのであり,仮に,被告人が公判廷で供述するように,南に真っ直ぐ本件道路を横断し,センターラインを過ぎた後直角に右折して西進したとすれば,道路中央付近から衝突するまでの自転車の走行距離は,証拠(検8)上,合計して約10メートル程度には達するものと認められる上,自転車を南進から西進へ方向転換するために減速した可能性も否定できない。

要するに,本件においては,自転車の速度及び歩道上で停止した地点から衝突地点までの被告人の走行経路についての客観的証拠が十分に存在していないため,自転車の平均速度が秒速2.2メートルよりも遅かった可能性があり,道路中央付近からの自転車の走行距離が約10メートル程度であった場合が否定できないといわざるを得ない。

そうすると,被告人が本件道路の中央付近から衝突地点まで進行するのに7.91秒を要しなかったと断定することはできず,被告人が本件道路の中央付近を通過する際,Aのバイクが未だ三叉路交差点から本件道路に進入しておらず,被告人の視野に入らない位置に存在していた可能性を排除することはできない。

5  以上によれば,被告人は道路中央付近において左方から進行してくる車両の安全確認をしなかった事実が認められるが,Aのバイクが三叉路から本件道路に進入してきた可能性を排除できず,その場合には,道路中央付近においてはAのバイクが被告人の視野に入り得なかった可能性を排除できないことから,被告人が本件道路中央付近を通過した時点でAのバイクが被告人の視野に入る位置に存在していたとして被告人に注意義務違反を認めるには,なお,合理的な疑いが残ると言わざるを得ない。したがって,結局,本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから,刑事訴訟法336条により,主文のとおり被告人に対し無罪の言渡しをする。

(求刑 罰金30万円)

(裁判長裁判官 古川博 裁判官 楡井英夫 裁判官 瀬田浩久)

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