京都地方裁判所 平成13年(ワ)1607号 判決 2005年3月25日
主文
1 被告は、原告Aに対し、2112万2818円及びこれに対する平成13年6月30日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を、原告B及び原告C各自に対し、2208万0440円及びこれに対する平成13年6月30日から支払済みまで年5パーセントの割合による各金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを3分し、その2を被告の、その余を原告らの各負担とする。
4 この判決は、1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告は、原告Aに対し、3606万2662円及びこれに対する平成13年6月30日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を、原告Bに対し3135万0363円及びこれに対する平成13年6月30日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を、並びに、原告Cに対し3135万0362円及びこれに対する平成13年6月30日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を、それぞれ支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(1) 原告らの請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第2事案の概要
本件は、被告の従業員であったEの相続人である原告らが、Eは被告の業務遂行に係る長時間労働、過重な業務内容及び不本意な異動の内示等(以下、あわせて「長時間労働等」ともいう。)に起因するうつ病を発症し平成8年2月15日に自殺したと主張して、雇用契約上の健康配慮義務違反(安全配慮義務違反・民法415条)に基づき、Eの死亡による損害に関する損害賠償金及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年6月30日から支払済みまで民法所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1 争いのない事実等(証拠により明らかに認められる事実については末尾に証拠を示した。)
(1) 当事者
ア 原告Aは、Eの配偶者であり、原告B及び原告Cは、Eの子である。
イ(ア) 被告は、レストランの経営、飲食及び喫茶営業等を目的とする株式会社である。
(イ) 被告の業務概要
Eが死亡した平成8年2月当時、被告が経営する店舗は7店舗で、店長は6人であった。
a hi店(以下「i店」という。)
b(a) hj店(以下「j店」ともいう。)
(b) rj店(なお、店長はhj店店長と兼務である。)
c km駅前店
d sm駅前店
e no店
f po店
(ウ) 被告の経営体制
平成8年2月当時、被告の代表取締役はF(被告では会長職にあったところ、以下「F会長」という。)及びG(被告では社長職にあったところ、以下「G社長」という。)の2名であり、取締役はF会長、G社長、D(被告では専務職にあったところ、以下「D専務」という。)及びH(被告ではj店店長及び営業部長を兼務していたところ、以下「H営業部長」という。)の4名であった。
なお、F会長は被告の実質的なオーナーであり、D専務はF会長の子で、G社長はD専務の夫であった。
(2) Eと被告との間の雇用契約及びEの被告における経歴
ア Eは、昭和22年1月2日生まれで、被告との間で、昭和50年7月16日、アルバイトとして雇用契約を締結し、その後、同年9月、正社員として雇用契約を締結した。
イ Eは、hj店に当初配属され、昭和57年6月からht店店長として、昭和61年2月からi店調理場主任(以下、調理場主任を「チーフ」という。)として、平成4年7月からi店店長として、被告に勤務していた。
(3) Eの平成7年1月21日から平成8年2月14日までのタイムカードによる出勤日数及び労働時間等
平成7年1月21日から平成8年2月14日までの出勤時間及び退勤時間並びに労働時間は、タイムカードによれば、別紙平成7年1月21日ないし平成8年2月14日におけるEの労働時間記載のとおりであり、各期間の労働日数及び合計労働時間等は以下のとおりである(乙4《枝番含む》)。
ア 平成7年1月21日から翌2月20日まで(31日間)
(ア) 出勤日数 29日
(イ) 休日 2日
(ウ) 合計労働時間 345時間14分
(エ) 平均労働時間(1日当たり、特に記載しない限り、以下同じ。)
約11時間54分
イ 平成7年2月21日から翌3月20日まで(28日間)
(ア) 出勤日数 26日
(イ) 休日 2日
(ウ) 合計労働時間 334時間33分
(エ) 平均労働時間 約12時間52分
ウ 平成7年3月21日から翌4月20日まで(31日間)
(ア) 出勤日数 30日
(イ) 休日 1日
(ウ) 合計労働時間 355時間21分
(エ) 平均労働時間 約11時間51分
エ 平成7年4月21日から翌5月20日まで(30日間)
(ア) 出勤日数 29日
(イ) 休日 1日
(ウ) 合計労働時間 334時間52分
(エ) 平均労働時間 約11時間33分
オ 平成7年5月21日から翌6月20日まで(31日間)
(ア) 出勤日数 28日
(イ) 休日 3日
(ウ) 合計労働時間 356時間42分
(エ) 平均労働時間 約12時間44分
カ 平成7年6月21日から翌7月20日まで(30日間)
(ア) 出勤日数 28日
(イ) 休日 2日
(ウ) 合計労働時間 335時間26分
(エ) 平均労働時間 約11時間59分
キ 平成7年7月21日から翌8月20日まで(31日間)
(ア) 出勤日数 29日
(イ) 休日 2日
(ウ) 合計労働時間 358時間34分
(エ) 平均労働時間 約12時間22分
ク 平成7年8月21日から翌9月20日まで(31日間)
(ア) 出勤日数 29日
(イ) 休日 2日
(ウ) 合計労働時間 342時間14分
(エ) 平均労働時間 約11時間48分
ケ 平成7年9月21日から翌10月20日まで(30日間)
(ア) 出勤日数 28日
(イ) 休日 2日
(ウ) 合計労働時間 355時間37分
(エ) 平均労働時間 約12時間42分
コ 平成7年10月21日から翌11月20日まで(31日間)
(ア) 出勤日数 28日
(イ) 休日 3日
(ウ) 合計労働時間 347時間40分
(エ) 平均労働時間 12時間25分
サ 平成7年11月21日から翌12月20日まで(30日間)
(ア) 出勤日数 28日
(イ) 休日 2日
(ウ) 合計労働時間 354時間04分
(エ) 平均労働時間 約12時間39分
シ 平成7年12月21日から平成8年1月20日まで(31日間)
(ア) 出勤日数 27日(ただし、平成7年12月31日及び平成8年1月1日については、平成7月12月31日午後6時06分から平成8月1月1日午前4時23分までの連続勤務であり、あわせて1出勤日として考慮した。)
(イ) 休日 4日
(ウ) 合計労働時間 321時間53分
(エ) 平均労働時間 約11時間55分
ス 平成8年1月21日から翌2月14日まで(25日間)
(ア) 出勤日数 19日
(イ) 休日 6日
(ウ) 合計労働時間 208時間43分(なお、タイムカード上、平成8年2月10日の出勤時間は午前10時25分、退勤時間は午後10時00分であり、労働時間は11時間35分であるが、Eは、同日午前10時20分ころ発生した階段での後記転落事故により遅くとも同時49分からは京都四条病院にて診療を受けていた《甲10》から、同日の労働時間は考慮していない。)
(エ) 平均労働時間 約10時間59分
セ 平成7年1月21日から平成8年2月14日まで(390日間)
(ア) 出勤日数 358日
(イ) 合計労働時間 4350時間53分
(ウ) 平均労働時間 約12時間09分
ソ 平成7年1月21日から平成8年1月20日まで(1年間《12か月・365日》)
(ア) 出勤日数 339日
(イ) 合計労働時間 4142時間10分
(ウ) 平均労働時間 約12時間13分
(エ) 1か月当たりの平均労働時間(上記(イ)の合計労働時間を12で除したもの)
約345時間11分
(4) Eの自殺
Eは、平成8年2月14日のi店での勤務を終えて、翌15日午前1時15分ころ、京都市a区内の団地の4階から投身自殺を図り、全身打撲による内臓破裂により死亡した(以下「本件自殺」ともいう。)。
(5) 相続
原告らは、Eの死亡により同人を相続し、その相続割合は法定相続分に従い原告Aの相続割合は2分の1、原告B及び原告Cの相続割合はそれぞれ4分の1である。
2 争点
(1) Eの長時間労働等の有無
(2) 上記長時間労働等とEの自殺との間の相当因果関係の有無
(3) 被告のEの長時間労働等に関する安全配慮義務違反の有無
(4) 損害額
(5) 過失相殺の可否
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)について
ア 原告らの主張
(ア) i店について(この項は、Eの同店店長就任時である平成4年7月当時のものである。)
a i店の規模等
(a) i店は、昭和59年3月、被告が経営していたナイトクラブ「ベラミ」(以下「ベラミ」という。)の跡地に新規開店した店舗であり、対外的にも対内的にも被告の中心店舗として位置づけられ、被告の屋台骨として社運を賭けた唯一の自社店舗であった。
(b) i店は、Eの店長就任時には、2階客席(約100席)及び3階宴会用座敷(50席)の規模で、和食を中心とする会席料理を基本とし、宴会もあわせて取り扱っていた。
b i店の営業時間
i店の営業時間は午前11時から午後9時30分までであり、従業員の勤務時間は午前8時から午後11時までであった。従業員は、上記勤務時間内において、交代制で1日9時間(休憩1時間)就労することとなっていた。
c i店の定休日
(a) i店の休業日は8月の第4水曜日と元旦の2日だけであった。
(b) しかも、8月の第4水曜日は全店のレクリエーション日なので従業員は休日ではなく、元旦も大晦日から元旦の朝方まで深夜営業していたので休日とはいえないものであった。
(イ) i店店長の業務内容
a 店舗の営業管理全般
(a) 店長は、開店前の掃除・開店準備から閉店後の片付けまで、店の営業の最終責任者として営業が円滑に行われるように店舗全体に目配りし、従業員を指導監督しながら雑用も含めて自ら率先して業務全般を実践していた。
(b) 被告はEが店長として一定の裁量を有していたこと及びi店では各部門にマネージャー1名ずつ2名及び調理場チーフがいたことからEの業務が過重ではなかったと主張する。
しかし、Eの業務内容は、Eがi店店長として一定の裁量を有していたとしても、店長業務の質及び量において過重であった。また、勤務時間は、与えられた仕事の内容や量によって決定されるもので、自己の裁量で決められるものではなく、Eの過重な業務内容に応じて、必然的に長時間労働を強いられていたものである。
さらに、i店の体制も、確かにマネージャーは2名配置されていたが、昼と夜で1名ずつ勤務していたものであるし、しかも、平成7年後半からは、昼出勤のマネージャーは産休や育休でかなりの期間を休んでおり、マネージャーの配置により、Eの業務が軽減されていたとはいえない。
b 客からの注文、調理、提供の管理及び采配
(a) 店長は、来店中の客からの注文伝票がきちんと並べられているか否か、調理場の調理師が注文を正確に把握して調理しているか否か、出来上がった料理をフロアの者が客にきちんと提供したか否かについて常時チェックし、臨機応変に采配を行っていた。なお、i店ではこの業務を「花番」と呼んでいた。
(b) 被告は、Eが、ベテランのアルバイト従業員に花番を任せていた旨主張する。
確かに、Eの部下の従業員が花番を行うこともあった。
しかし、部下の従業員は、Eが他の仕事でできないときに代行していただけであるし、Eは、店長として、平日の繁忙時及び日祭日の終日、花番を行っていた。
(c) そして、花番は、注意して処理することが要求される立ち詰めの業務であり、特に混雑時には処理が錯綜し、身体的にも精神的にも非常に疲れる業務であった。
c 会計管理
(a) 日々の伝票(売上、仕入れ、経費)の記帳・管理、売上金の管理・保管等は店長の業務であり、責任の重い業務であった。
Eは、店長として、1時間ごとにこれらのチェックを行い、閉店後には当日の集計、記帳、現金確認、保管を行っていた。
(b) 被告は、マネージャーが会計管理を行うことがあり、営業時間中の中間点検作業は単純かつ短時間の作業であったと主張する。
しかし、マネージャーが1時間ごとの売上伝票とジャーナルとの照合の中間点検作業を行うことがあっても、店長は、必ず、営業時間終了後には、時間ごとの計算が合っているかどうかの検算及びレジスターの中の金員の金額の確認を行うことになっていた。そして、計算が合わないことも度々あり、それが合うまで計算せざるをえなかったのである。
d 従業員の手配、管理及び交代要員の確保
(a) 従業員は、営業時間中、交代で出退勤するが、その手配、管理、休業・欠勤時の交代要員の確保といった従業員の出勤管理も店長の仕事であった。
(b) 被告は、従業員の出勤管理は1週間ごとに行われ負担となるような業務量ではないと主張する。
しかし、従業員の出勤管理は、学生のアルバイト従業員も多かったことから従業員との連絡が取り難い上に不規則な出勤の希望があり、1週間ごとの作業の他に、突発的に調整を行うことがあったり、出勤に難色を示す従業員を説得したりして、苦労することも度々であった。
e 店長会議への出席
被告では全店舗の店長会議が月に2回開催され、Eは、店長として、これに出席していた。そして、月途中の店長会議では、前月の売上実績に基づき、その成績評価が行われ、月末の店長会議では来月の売上目標として対前年比で5ないし10パーセントの売上増が要求された。
また、月2回の店長会議の他にもしばしば臨時の店長会議が開かれていた。
f 顧客の確保と宴会時の接客
(a) i店は、他の店舗と比べて宴会場も広く、宴会客を多人数を収容できたから、宴会による売上の確保が要請されていた。そして、午後8時以降開始の宴会が行われることもあり、多い場合には、同一会場で夕方から宴会を3回転させなければならないこともあった。
(b) 被告は、被告では営業活動を担当する専任の営業職がおり、上記業務は専らこの営業職が行っていたと主張する。
確かに、被告には営業職がいたが、それは被告専属の従業員ではなく、専属的に勤務していたのは当初の一、二か月のみで、しかも、給与が出来高制だったので、勤務実態がないような状態であった。
その結果、i店の営業活動には、営業職のみではなく、Eも関与せざるをえなかった。
(c) また、被告は、宴会時の客への対応は、宴会担当の店員が行っており、店長が行うのは宴会の幹事への挨拶程度であったと主張する。
しかし、店長は、宴会の際には裏方として、従業員に対する様々な指図を行い、料理の出し方、食器の出し下げのほか、花番のような仕事もこなさなければならなかった。
(d) 顧客の確保が他の店舗以上に要求され、かつ、宴会用座敷があったことから宴会の予約確保に苦労した。これらは、他の店舗にはないi店特有の業務であり、宴会時には客への対応や交流に努め、再度利用してもらえるよう接客する必要があった。
g G社長及びD専務への対応
i店には、同店の敷地内に親会社の事務所があったことから、G社長やD専務が毎日のように来店してEに対して様々な指示や要求を行った。また、G社長、D専務等の役員はi店3階座敷を接待用として使用し、遅い時間帯に「今からみんなを連れて行く。」と急に連絡して宴会を行い、そのため、Eが多数の客を遅くまで接待しなければならないことも度々あった。
また、G社長、D専務等の役員は、昼食時の多忙な時間帯に突然やってきて、メニューにない料理を作るよう命じたりもした。
Eは、上記のような役員の営業時間を無視した「わがまま」な要求にも応じなければならず、いわばオーナー一族の番頭役(お守り役)までさせられていた。
(ウ) Eの長時間労働
a Eの死亡前の平成7年1月21日から平成8年1月20日までの365日間)の労働時間をタイムカードにより計算すると、1(3)ソのとおりであり、また、1日の拘束時間は10時間から13時間という日が圧倒的に多く、合計労働時間は4142時間10分、1か月当たりの平均労働時間は約345時間11分であった。
法定労働時間は週40時間であり、これを1か月に換算すると約176時間であるが、上記1か月当たりの平均労働時間に照らせば、Eの労働時間は、法定労働時間の2倍近くに及んでいる。
Eは、このような長時間労働を少なくとも平成4年7月のi店店長就任時から死亡に至るまで約3年半にわたって続けてきたものである。
b 被告は、Eがアイドル・タイムに昼寝等の休憩しており、上記拘束時間のすべてが就労に当てられていたとはいえないと主張する。
確かに、飲食店の営業時間にはアイドル・タイムと呼ばれる客の少なくなることが多い時間帯が存在する。
しかし、アイドル・タイムにおいても、接客以外の業務があり、満足に休憩できないことがほとんどであった。そして、店長以外の従業員であっても、休憩することなくアイドル・タイム中に交代で10分くらいで昼食の食事をし、また、仮に休憩できたとしてもその時間は多くても30分程度の時間であり、さらに、Eは、店長として他の従業員らが昼食や休憩ができたかどうかを見ながら差配していたため、アイドル・タイムに昼寝等をして十分に休憩することはできなかった。
また、店長には、アイドル・タイムに自由に外出するような時間的余裕などまったくなかったし、Eについては、歯医者に行くために数回外出したことがあった程度である。
c また、Eの帰宅時間は深夜12時ころが通常であり、場合によっては午前1時又は同2時になることも週一、二回あったが、タイムカードにて退勤の処理をしても、すぐに退社できずに、仕事を済ませてから帰宅していたものである。
(エ) i店の売上ノルマの設定及びEに対する叱責
a Eがi店店長に就任した平成4年7月は、バブル経済の崩壊により売上が減少し始めたころであった。
G社長及びD専務は、i店は被告の中心店舗であって同店の営業成績は被告の業績に直結するほどの影響を持っていたことから、同店の売上減少に危機感を抱き、Eに対して売上伸長のための様々な努力を要求した。
Eはこれにこたえるべく必死の努力をしたが、不況が進む中で平成5年、平成6年、平成7年とi店の売上は減少し続け、平成6年12月の冬の賞与の支給額は従前の賞与の支給額の半額となった。
また、G社長及びD専務はi店を訪ねてはEを3階の座敷に呼び寄せて売上減少について叱責し、さらなる売上伸長のための努力を求めた。Eは、頻繁に、G社長らの叱責に1時間ないし3時間ほど拘束されて、そのため通常の業務の処理が遅れて、営業時間終了後の深夜まで業務の処理に当たらなければならなかった。
b 被告は、売上が伸びないことは不況の影響が大きく、一店長であるEが責任を負うべきことではないし、各店の店長会議で営業努力を重ねてきたのであり、店長会議では売上が伸びないことにつきEのみが責任を追及されたわけではないと主張する。
しかし、店長会議では、売上実績に基づく成績評価や売上目標の設定が行われ、また、臨時の店長会議もしばしば開催されていたことからすれば、店長会議において、成績評価が悪く、売上目標を達成できなかった店長に対して責任追及が行われていたことは想像に難くない。
(オ) 飛び込み営業
a 平成7年9月ころから、不況によるi店の売上減少が一層激しくなった。
そこで、G社長は、Eに対し、自ら従業員の先頭に立って京都市内の会社や府庁、市役所などに飛び込みでセールスをしたり、以前に来店した客を訪問したり、街頭で宣伝ビラを配布することなどを命じた。
Eも、率先して上記セールス活動を行ったが、もともと料理が好きで被告に入社し長年チーフとして調理場を中心とする業務を行ってきたことから明らかなように、Eは自ら押し掛けて店を売り込むようなセールス活動は苦手であった。そのため、Eは、セールス活動により著しい心理的ストレスを受けることとなった。
b 被告は、市内のセールス、顧客への訪問、街頭でのビラ配布などの外商活動はG社長の指示ではなく、店長会議で提案されたものであると主張する。
しかし、ここで問題となるのは、業務内容の決定過程ではなく、店長でさえも外商活動をやらざるをえなかったというi店の長時間過密労働である。
(カ) 不本意な異動の内示
a G社長は、平成7年12月下旬、Eに対し、i店店長からj店店長に異動させ、H営業部長をj店店長からi店店長に異動させると言い渡した。
この異動は、Eにとっては、事実上の降格人事、左遷であった。そして、Eは、i店の開店以来約10年間にわたって同店で真面目に働いてきたところ、自らの存在を否定されるに等しいものであった。
b なお、被告は、i店は被告の中核店舗ではなく、売上額が多いj店が中核店舗であったとして、Eのi店店長からj店長への異動が左遷ではないと主張する。
しかし、<1>i店は他店と比べて多人数を収容できる宴会場を備えていること、<2>被告においてi店につき「三条本店」との表示がある看板を設置していたこと、<3>j店はデパート内のテナントであるが、i店はF会長の所有店舗であり、いわば自社店舗というべきこと、<4>年始の全社従業員の仕事始めは、i店にて行われていたこと、及び、<5>朝礼、店長会議を初めとする全社的な行事、並びに、従業員の面接及び入社は、i店にて行われていたことに照らせば、i店が被告における中核店舗である。
また、i店が被告の中核店舗であることは従業員の意識にも浸透していた。
とすれば、i店店長からの異動である上記異動は左遷というべきである。
イ 被告の主張
(ア) i店について
a i店の規模等
(a) i店は、昭和61年2月、ベラミの跡地に開店した。なお、ベラミは、実質的経営者を亡Iとしてアサヒ株式会社が経営しており、被告とは直接の関係はなかった。
i店の建物及び敷地は、F会長個人所有であり、これらを被告の関連会社である株式会社アサヒ産業が賃借し、さらに被告が株式会社アサヒ産業から転借している。つまり、i店は被告の唯一の自社店舗ではない。
また、被告の経営する店舗の中ではj店2店舗の売上が最も多く、実質的な意味で被告の屋台骨を支えていたのはj店であった。
(b) i店はそばと天ぷらを基本としつつ宴会料理として会席料理も一部メニューに取り入れた店舗であった。
(c) なお、原告らは、i店の看板にて本店との表示をしていたこと及びi店で被告の年始の行事、朝礼及び店長会議等の行事が行われたことから、i店がj店よりも被告において格が高かったと主張する。
しかし、i店に本店と表示された看板を設置したのは、平成11年9月ころであって、Eの店長在任中は上記看板は設置されていなかったし、また、そもそも被告においてi店が本店と位置づけられていた実体もない。さらに、被告の年始の行事等は、被告の事務所所在の建物内にて行われることが多く、店舗を会場として使用する場合も、j店では会場とする場所がないことや正月や早朝(午前9時以前)には入店できないなどの単純に物理的な制約があったからi店が使用されていたのであって、j店とi店の格の違いから、i店を使用していたものではない。
b i店の営業時間
i店の営業時間は午前11時から午後9時30分までであって、従業員の勤務時間は、午前9時から午後10時までであり、従業員の就労時間は交代制で1日8時間(休憩45分)であった。
c i店の定休日
原告らの主張のとおり
(イ) i店店長の業務内容
a 店舗の営業管理全般
店長の業務は、店舗全体の運営を総合的に行うことであり、開店前の掃除、開店準備、及び、閉店後の後片付けを自ら行うことではない。つまり、店長は、自己の裁量で、勤務時間を決定した上、部下の店員に業務を分担させ、具体的な業務は部下の店員に行わせて、店の基本的な業務内容を把握して、店長はこれを事後監督するものである。さらに、店長の業務には、業務を分担させられる従業員を育てることも含まれていた。
また、i店には、店長の他に、各部門のパートリーダーとしてのマネージャーが二人及び調理場のチーフが配置され、被告の各店の中で組織として仕事を行っていく体制が最も整っていた。
b 客からの注文、調理、提供の管理及び采配
(a) i店では、原告らが呼称する花番の作業は、「オフ・ピーク」と呼ばれる業務が暇な時間帯にはそもそも不要であり、「ピーク・タイム」と呼ばれる忙しい時間帯は、昼、夜の時間帯のみであったから、花番の作業は、営業時間の昼、夜の一部の時間帯のみで行われていた。なお、店長は、日曜日及び祭日等の繁忙日に花番をすることが多い。
(b) しかも、Eは、花番につき自らの判断で、自ら行ったり、又は、他の店員に任せたりすることができた。また、平成7年当時i店にはベテランのアルバイト従業員が勤務していたところ、Eは、同従業員が出勤しているときは同従業員に花番を任せることが多かった。
(c) つまり、Eにとって花番が過大な負担になることはなかった。
c 会計管理
i店の会計管理は、店長であるE、マネージャー、ベテランのアルバイト従業員の3名で分担しており、また、売上の中間点検作業も行うが、いずれにしても、単純かつ短時間の作業であって、Eにとり過大な負担となっていたわけではない。
d 従業員の手配、管理及び交代要員の確保
店長は、従業員の手配、管理及び交代要員の確保を行っているが、毎日の作業ではなく、1週間ごとにスケジュールを各従業員に申告させ、その調整を行うもので、そのこと自体が毎日の業務に負担となるほどの業務量ではない。
e 店長会議への出席
店長会議は月2回のみである。
f 顧客の確保と宴会時の接客
i店は被告の他店舗に比べれば宴会客を多く確保することが要請されていたが、i店以外の店舗では同店舗の性格に応じた他の要請があるから、上記要請があるからといって、他の店舗の店長よりもi店店長の業務内容が加重されているものではない。
また、被告には、宴会の予約確保、広報等の営業活動を担当する専任の営業職がおり、上記業務は専らこの営業職が行っていた。そして、宴会時の客への対応は、宴会担当の店員が行っており、店長の宴会に伴う業務は、時々、宴会の幹事へ挨拶する程度であった。
なお、同業者の他店では、被告とは比較にならないほど営業活動が活発で、営業活動を店長の重要な業務とするところも多いが、被告においては、営業活動を店長の重要な業務とはしていなかった。
g G社長及びD専務への対応
G社長は、i店に隣接して被告の関連会社の事務所があったので、同店を毎日訪れていたが、G社長の来訪は職責上当然の行為である。
なお、D専務はi店に毎日のように来訪していない。
さらに、原告らは、G社長やD専務がEに対して無理な指示や「わがままな」要求を出したと主張するが、このような事実はない。
G社長及びD専務等の被告の役員がi店の3階座敷を接待用に使用したことはあるが、被告の営業の一環としての使用であり、しかも、ごく少ない回数使用したのみであった。
また、G社長が、遅い時間に急に連絡して、多くの客を連れて来店し、遅くまで接待を求めたり、昼食の多忙な時間帯に突然やってきて、メニューにない料理を作ることを命じたりしたことはない。
(ウ) Eの長時間労働
a Eの出勤から退勤までのすべての時間が就労時間ではなかった。Eは、店長として、自らの裁量で勤務時間を決定でき、i店では、午後3時から午後5時までの間は、アイドル・タイムと呼ばれる時間帯であって、この間、Eは、適宜3階の宴会場等で昼寝などの方法で休憩をしたり、勤務時間中に外出したりしていた。
b また、原告らは、Eがタイムカードにて退勤の処理をした後も被告の業務を従事していたと主張する。
しかし、Eは、店長として、残業手当は支給されておらず、代わりに勤務手当及び役付手当が支給されていたので、タイムカード上の退勤の処理を実際の勤務終了時間より早く行う意味はまったくなく、原告らの主張は事実に反する。
(エ) i店の売上ノルマの設定及びEに対する叱責
a 被告では、各店舗の営業目標を定めているが、企業活動として売上を伸ばすために努力することは当然である。
仮に、被告の営業目標の設定に問題があるとすれば、営業目標の設定自体ではなく、これにより、社会通念上の限度を超えた労働を強制されたか否かという点であろうが、被告における営業目標自体には何らの強制も伴っていなかった。
b 確かに、Eがi店店長に就任した平成4年7月は、バブル経済の崩壊により売上が減少し始めたころであり、Eもi店の売上増加のため様々な努力をしていた。
しかし、i店等被告店舗での売上の減少は、景気後退を原因とするものであって、i店店長であるEが責任を負うべきことではなく、G社長及びD専務がEに対してi店の売上を伸ばすための過度の努力を求めた事実はない。
また、被告は、平成6年12月度には、営業収益の低下にもかかわらず、ほぼ前年並みの支給額にてボーナスの支給を行っていたが、平成7年12月度には、例年の7割程度の額に減額した支給額での支給を余儀なくされた。しかし、ボーナスの減額は、i店の従業員のみに対する措置ではなく、被告全体の営業収益の低下に基づく全店一律の措置であった。
Eも、その一員として営業の拡大、コストの削減等の店長会議に加わっていたものであり、Eのみが売上が伸びないことの責任を追及されたという事実はない。現に、Eは、自ら率先して被告の原価計算のプロジェクトチームのリーダーになり、コストの削減のために様々な提案や検討をしていた。
原告らは、G社長らの叱責によりEの業務処理が遅れてEの帰宅が深夜になっていたと主張するが、Eは、タイムカードの記載のとおり、年末年始の繁忙期においても午後8時から午後10時ないし同11時までには退勤しており、仮にEの帰宅が午前1時、2時となるのが週一、二回を数える状況にあったとすれば、Eは退勤後直ちに帰宅せず、他の場所に立ち寄ってから帰宅していたと考えられる。
c 月2回の定例の店長会議以外に店長会議が開催されたことはないし、毎月の売上目標は、店長と被告経営者との間で、実績分析とこれを踏まえた話合いの結果、前年末に年間売上目標が設定されるもので、原告らの主張するように毎月検討され設定されることはない。しかも、売上目標は、どのような営利企業でも設定されているものであるし、被告経営者が一方的に売上目標を設定して店長に押しつけることはない。売上目標は、店長が自分で策定した原案を基に、店長会議で被告経営者とともに分析・検討の上、最終的に設定するのであるが、店長の無理な売上目標設定に対して、G社長が「それは無理ではないか。」と逆に目標数値を下げることもあった。しかも、売上目標を達成できなかったことによる制裁はまったくなかった。店長会議において売上が伸びない原因を探り、今後の打開策を検討するために店長の意見を聞くことがあったとしても、それはむしろ当然のことであり、単なるいじめのような不合理な叱責は決してなかった。
(オ) 飛び込み営業
被告の店舗の売上は、平成7年以前から、不況の影響により長期低落傾向を見せており、平成7年9月ころから格別に激しく減少したものではない。
原告らは、G社長がセールス活動をするよう命じたと主張するが、店長会議での提案及び議論の結果、セールス活動をすることになったものである。
しかも、被告には、セールス活動を主に担当する営業職が配置されており、Eは、営業職と一緒に、1ないし3回程度セールス活動を行っただけである。
つまり、セールス活動が、Eの過重な負担となったことはない。
(カ) 不本意な異動の内示
a G社長は、平成7年12月ないし平成8年1月、Eに対し、平成8年3月にi店店長からj店店長に異動し、H営業部長がj店店長からi店店長に異動することを打診した。
b 原告らは、上記異動が降格人事又は左遷であると主張する。
しかし、<1>jは被告の重要な取引先であったところ、j店店長は、jの役職者を接待したり、jの役職者との間で業務の打合せをすることもあること、及び、<2>jの売上は被告の他の店舗よりも際だって高かったことから、j店店長は、i店店長よりも被告において重要なポストであった。そして、現に、Eの前任のj店店長であるH営業部長はEのかつての上司で、かつ、当時の営業部長兼取締役であった。
つまり、Eがi店店長からj店店長に異動することは降格人事又は左遷ではなかった。
c G社長は、店舗間で店長の人事交流を積極的に行うという方針であった。この店長の人事交流は各店のばらつきをなくす目的のほか、仕事のマンネリ化を防ぎ、仕事の公平化を図る目的があった。
また、G社長は、Eの異動については、Eをすべてのメニューの総チーフにするつもりで高く評価しており、さらに、Eは当初j店に配属されて育ってきたこともあり、古巣に帰るという意味もあった。さらに、G社長は、Eの能力を高く評価していたため、被告の店舗の中で売上高が最も多く、店長の業績点も最も高いj店の店長への異動をEに打診したものであった。
なお、労働条件の点から見ても、j店には毎週の定休日があり、営業時間もi店と比べて若干であるが短い、しかも、宴会場もないから、宴会客の確保が負担となっていたとの原告らの主張を前提とすれば、Eの負担が軽減する内容になっている。
(2) 争点(2)について
ア 原告らの主張
(ア) Eのうつ病の発症を示す行動等
a Eには、平成7年9月ころから、頻繁に頭痛、腹痛、下痢及び便秘等の症状が生じ、Eは、よく苛立って原告Aに八つ当たりするようになった。
また、Eは、平成7年10月16日の結婚記念日のころには、「やりたくない営業の仕事をやらされている。」と珍しく仕事のことで弱音を吐いた。
b Eは、従前疲労困憊状態にあったが、平成7年12月の異動内示後、その心身に著しい変調を来し、同月末には常に苛立っているようになり(焦燥感)、元気がなく、言葉数も極端に少なくなっていった(思考・行動抑制)。
c Eは、帰宅後の習慣として、まず、入浴し、軽い食事ないしコーヒーをとり、テレビのスポーツニュースを見たり新聞を読んだりしながら原告Aと少し話をして、就寝していた。
しかし、Eは、平成7年12月ころから、帰宅後、無口になり、いつも話題にしていたスポーツのことも話さなくなっていった(関心の低下、快楽感情の消失)。
d E及び原告らは、毎年1月2日に、原告Aの実家にて、親戚と一緒に夜食を食べて、ゲームに興じていた。
しかし、Eは、平成8年1月2日には、夜食に遅れて原告Aの実家に来て、とっておいてもらった蟹すきにわずかに箸をつけただけであり(食思不振)、また、そのまま席に座り、ゲームに加わったり、テレビも見たりせずに暗く硬い表情をしていた(関心の低下、快楽感情の喪失、思考・行動抑制)。
e Eは、原告Aの誕生日の1月13日を記念日として非常に大切にしており、例年、原告ら家族と一緒にカラオケにて歌っており、Eも3ないし5曲程度の歌を歌っていた。
しかし、Eは、平成13年1月13日には、仕事のため原告ら家族とのカラオケの集まりに途中から合流して、自らは1曲も歌わず、また、原告ら家族の一人が、カラオケの利用時間の延長を提案したときにも、いつもと違って「何時だと思っている。明日も仕事だ」と苛立って怒鳴った(焦燥感)。
f Eは、平成8年1月ころから、食欲低下がさらに増強し、「麺類しか喉を通らない。」「職場で何も食べられなかったのでお粥を作ってくれ。」と原告Aにいうことが多くなり、Eの食欲は平成8年2月14日まで回復することはなかった。
また、被告のある従業員は、Eの死亡後、Eにつき「死亡のころは一回り小さくなったように感じていた。」と言っていた。
g Eは、従前、出勤時に、原告ら家族に「行ってくるぞ」と声をかけていたが、平成8年1月初頭からは、出勤時に、声を掛けることなく、暗い顔をして玄関を出るようになっていた(行動抑制)。
h Eは、従前、服装にも気を遣い、髭も夜に入念に剃っており、また、入浴好きだった。
しかし、Eは、平成8年1月ころから、服装や髭にまったく頓着しなくなり(関心の低下)、「しんどい」と言って入浴を避けるようになった(行動抑制、全身倦怠感)。
i i店の従業員が、i店を出た後、財布を取りにi店に戻ると、施錠されていたので、レジスターの所にいたEを扉を叩いて呼んだ。
しかし、Eは、下を向いたまま、茫然自失の状態で立っており、従業員の呼びかけにもなかなか気づかなかった。そして、Eは、財布を取りに一度戻ってきた従業員に対し、「今帰るのかい。」と言い、その従業員は、E店長はどうなっているのかと驚いたことがあった(強度の思考抑制、関心野の狭窄、うつ病性亜昏迷)。
また、被告の従業員は、このころのEにつき「誰が見ても元気がなく、店長と呼ばれるまで上の空のことがありました。」と言っていた。
j Eは、平成8年2月1日、血尿が出たため、医療法人医仁会武田総合病院(以下「武田総合病院」という。)泌尿器科を受診し、さらに、不眠、食欲減退、急に痩せるなどの症状を訴えて、神経内科を受診した。
Eは、神経内科では、「三、四日前から考え事をすると、同じことをグルグル考えてしまう。3日くらい満足に食事摂れない。一、二日前眠り難い。」と訴えている。Eは、「軽いうつ病」と診断され、抗不安剤(デパス)、抗うつ剤(ドグマチール)を処方されたが、精神安定剤を飲んでも効かないと言っていた。
k 平成8年2月5日か同月6日ころ、帰宅したEは元気がなく、原告Aが事情を聞くと「このごろ、毎日社長に呼ばれて、長い話で嫌になる。」「今年になって毎日用事もないのに客席に一人ずーっと座っているので、うっとうしい。」と答えた。
l 死亡の1週間前ころからは、不眠症も強まり、「よく寝られない。」「何回も目が覚める。」「睡眠薬を飲んでも効かない。」等と訴えており、「ああえらー」、「ああしんど」をよく口にするようになり(全身倦怠、強い苦悩)、ため息様に妙に息を吸い込む動作を終始するようになり(焦燥)、動作も緩慢になっていた(思考・行動抑制)。
m Eは、平成8年2月10日午前10時30分ころ、i店店内にある2階から3階に上がる階段から転落して背中を打撲し、救急車で京都四条病院に搬送された(以下、この転落事故を「本件転落事故」という。)。これにつき、Eは、「足もとがふらついてぼーっとなって落ちた。」と言っていた。
また。Eは、このころ、連日食事もほとんどできず、十分に眠られずに夜中に何度も目が覚めてたばこを吸ったりしていた。
さらに、Eは、京都四条病院に駆けつけた原告Aに対し、Eは、「異動の件で悩んでいる。ノイローゼになっている。」と話した。Eは、1週間の入院を指示されたにもかかわらず、「打撲くらいで入院していられない。」と言って、翌日無理に退院してしまった。
n Eは、平成8年2月11日は公休だったので、原告Bと電話で話をしたが、原告Bが何を言っても「すまんなあ。すまんなあ。」と言うばかりで、まったく会話にならなかった(罪責感)。
(イ) うつ病の概念及び診断
精神障害などの労災認定に係る専門検討会報告書には、労災補償の対象とすべき精神障害は、原則として、国際疾病分類第10回改訂版(以下「ICD-10」という。)第V章に示されるように、「精神及び行動の障害」とすることが適切であり、その診断は、「診断ガイドライン」によってなれされるべきであるとされている。
さらに、ICD-10診断ガイドラインによれば、うつ病について次のように述べている。
すなわち、ICD-10におけるうつ病エピソード(F.32.)の診断ガイドラインは、「抑うつ気分」「興味と喜びの喪失」「易疲労感の増大」を3典型的症状とし、他の一般的症状として、<1>集中力と注意力の減退、<2>自己評価と自信の低下、<3>罪責感と無価値感、<4>将来に対する希望のない悲観的な見方、<5>自傷あるいは自殺の観念や行為、<6>睡眠障害、<7>食欲不振を挙げている。
そして、一般的に(診断は専門医による総合的な見地から行われる。)、(ア)典型的3症状のうち、少なくとも2つと、上記<1>から<7>の症状のうち少なくとも2つが存在することが「軽症うつ病エピソード(F.32.0)」の診断確定の必要条件とされ、また、(イ)典型3症状のうち少なくとも2つと上記<1>から<7>の症状のうち少なくとも3つ(4つが望ましい)が存在することが「中等症うつ病エピソード(F.32.1)」の確定診断の必要条件とされ、(ウ)典型3症状のすべて、さらに少なくとも上記<1>から<7>の症状のうち4つ、そのうち幾つかが重症であることが「精神病症状を伴わない重症うつ病エピソード(F.32.2)」の確定診断の必要条件とされている。
なお、長時間労働がストレス対応能力を低下させ、うつ病の原因になりうることは専門家の指摘するところである。
(ウ) Eのうつ病の発症
前記死亡に至る経緯からすれば、平成7年12月末ころには、Eは、うつ病の典型3症状である「抑うつ気分」、「興味と喜びの喪失」、「易疲労感の増大」を示すとともに、「睡眠障害」、「食欲不振」、「集中力と注意力の減退」、「関心の低下」、「動作緩慢」、「思考・行動抑制」、「強い焦燥感」、「罪責感と無価値感」といった各症状を示しており、「中等症うつ病エピソード(F.32.1)」と評価すべき状況にあった。そして、平成8年2月ころよりその程度はさらに悪化し、「精神症状を伴わない重症うつ病のエピソード(F32.2)」となっていたものである。
武田総合病院のJ医師は、平成8年2月1日から2度ほどEを診察しているところ、同医師もEをうつ病と診断している。
(エ) Eの自殺とうつ病の関係
上記(ウ)のとおり、Eは、平成7年12月、うつ病を発症し、次第にこれが憎悪し、平成8年2月には重症化したという経緯に鑑みると、Eの自殺は、うつ病特有の罪責感を伴った自殺念慮に取り付かれて決行したものであり、「精神障害によって正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、あるいは、自殺を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態」で行われたものである。
(オ) Eの自殺及びうつ病と被告における業務の関係
Eの自殺及びうつ病の発症は、以下のとおり、業務に起因するものである。
a Eの被告における業務
(a) Eの自殺直前の8週間の勤務時間は、ほとんどが1日当たり10時間30分ないし13時間台であり、長時間労働が常態化していた。
(b) また、G社長は、しばしば、営業時間の内外を問わず、Eを呼びだして、i店の売上減少及び売上ノルマの未達成につき叱責していた。
(c) そして、Eが店長を勤めていたi店では、チェーン店の中核店舗である上、宴会客を確保するという他の店舗にはない重要な営業目標があったことから、Eは、過重な業務への従事を余儀なくされていた。
b Eへの店長という過重な責任と、G社長から示されるノルマの未達成、G社長からの執拗な叱責(いじめに近いものがあったと推測できる。)が、職場におけるストレスを加えていた。さらに、平成7年12月には、売上が伸びないことを理由にj店への異動を言い渡され、大きな精神的な衝撃を受けるに至った。
こうした中で、Eは、上記の長時間労働により経営状況の改善を図ろうと努力したが、不況は深まるばかりであり、一向に営業成績は向上せず、G社長からは強い叱責と責任追及が強化されるばかりであり、さらにストレスが加重されていった。
c 一方、Eには、気質的な原因はなく、Eの性格的特徴が病的な程度であったとはいえない。
d 以上からすれば、Eは、性格的には何ら問題はなく健康的な家庭人であったものであり、職場以外のストレスとなる事項も見当たらず、業務に関連する出来事による要因によりうつ病に罹患したものとするのが相当である。
e 一般論として、うつ病に罹患することによって自殺に至る危険性は非常に高くなるといわれている。
また、うつ病による自殺は比較的軽症な初期及び回復途上に多いといわれているが、重症うつ病でも、思考・行動抑制は比較的強くなく、一方で、抑うつ気分や焦燥感の強い場合は「激越うつ病」ともいわれるうつ病であり、衝動的自殺を遂げやすいことも知られている。
うつ病においては、その症状である抑うつ気分の存在とともに将来に対する積極的な展望が不可能となり、本人にとって未来が閉塞されているように感じられ、価値観の低下や激しい不安感焦燥感に苦しめられて自殺念慮に至り、ついには自殺行為につながる場合がみられる。
f Eのおかれた状況は、その後も改善せず、むしろ平成8年1月以降も毎日のようにG社長に呼ばれて売上の追及を受け、j店への異動を命令され続けるなどされる中、死亡直前一、二週間には、強度の不眠症、全身倦怠感、苦悩感を示すようになり、さらにうつ病は悪化し、重症化し、死亡するに至ったものである。
g なお、京都下労働基準監督署署長も、平成13年3月19日付で、業務に起因するものとして労働災害として認定している。
(カ) Eの自殺に影響した被告における業務以外の要因
a 被告は、Eにつき不倫関係があったことを主張する。
しかし、仮に、Eにつき不倫関係があったとしても、不倫関係を原因に自殺に至るには、それを巡って、夫婦間での数回にわたる修羅場的葛藤状態を経ているのが通常であるし、そもそも、Eにつき不倫関係があったことやEと原告Aとの間で修羅場的葛藤状態が生じたことは何ら窺えない。
とすれば、Eの自殺にその不倫関係が影響したとはいえない。
b 被告は、住宅ローン等の債務を負っていたEの経済状態がEの自殺に影響した旨主張する。
しかし、Eが、債務の返済につき悩んでいたり、また、債務超過により経済的に破綻していたことは窺われない。
とすれば、Eの自殺にその経済状況が影響したとはいえない。
イ 被告の主張
(ア) Eのうつ病の発症を示す行動等
a 原告らは、Eが平成7年秋くらいから異常な状態に陥っていた旨主張するが、以下の事実に照らせば、Eが異常な状態であったとはいえない。
(a) Eは、平成7年の年末、i店の店員であったKをラーメン店に誘っており、平成8年1月にも、K及びLを深夜サウナに誘っており、Eに元気がなかったとはいえない。
(b) Eは、Mの自宅まで、同人の長女の出産祝いを持参している。
(c) Uは、i店の常連客であったが、Eの自殺の前日である平成8年2月14日に、Eの接客を受けたが、何らの異常はなかったとする。
b 原告らは、Eが平成8年2月5日又は同月6日ころ、原告Aに対し、「このごろ、毎日社長に呼ばれて、長い話で嫌になる。」、「今年になって毎日用事もないのに客席に一人ずーっと座っているので、うっとうしい。」と言っていたと主張するが、G社長が毎日Eを呼んで長話をしたとか、用もないのに客席に一人でずっと座っていたことはない。
c 本件転落事故が、平成8年2月10日午前10時30分ころ発生し、Eは、救急車で京都四条病院に搬送されたが、翌11日退院した。
なお、G社長が自分がかわいがっていたEの身を心配し、同日の朝一番で病院に駆けつけ、Eを見舞い、その際、病院近くのコンビニエンスストアで雑誌を二、三冊購入し、Eに渡したところ、非常に喜んでいた。G社長は、Eに対し、「ゆっくり出ておいでや。」と声を掛けた。さらに、D専務とj店店長のH営業部長がお見舞いに行ったが、Eは、「階段を踏み外したんです。かっこ悪いことですわ。」とおどけて顔を隠すなど終始明るい表情であり、体調が悪い又は心理的負担があるような様子はまったくなかった。それでも、D専務とH営業部長は体調を考えてゆっくり静養するよう強く要請したにもかかわらず、Eはこれを押し切って退院してしまったものであって、被告がEに対し仕事に復帰するよう要請した事実はなく、むしろ、ゆっくり休むよう要請していたのである。
d Eは、平成8年2月13日は、午前9時15分に出勤して、日中に京都四条病院で診察を受けた。しかし、Eが、同日、G社長とともにjに赴き、L対して、Eが同店店長に決定した旨を伝えたことはない。Eは、このころ、理由は不明であるが、異動に難色を示しており、被告の従業員の間では、当時のjh店のチーフであるLとの仲が悪いとの噂があった。
そこで、G社長は、前日の同月12日ころ、E及びH営業部長とで、i店のカウンターで話し合って、i店とj店の店長の異動の話は取りやめにすることで合意した。
e Eは、平成8年2月14日午前中に京都四条病院に診断書を取りに行き、昼前に出勤したが、G社長に対しチーフに戻してくれとの要請をして拒否されたこと、及び、H営業部長から電話で異動について話を受けたことはいずれもない。
f また、Eが、被告に対し、特に体の不調を訴え出た事実はない。
g 上記以外に原告らがEのうつ病の発症を示す行動等として主張する事実は不知ないし否認する。
(イ) うつ病の概念及び診断
原告らの主張は不知。
(ウ) Eのうつ病の発症
a Eは、原告らが主張するICD-10診断ガイドラインの「F32.0 うつ病エピソード」におけるうつ病の症状を呈していたものではない。
b J医師によれば、Eの平成8年2月13日までの症状診断について、「うつ病になり掛かっているのではないかという程度」であったとの回答であり、Eはいまだうつ病に罹患していなかったし、仮にうつ病に罹患していたとしても、これが直ちに自殺に結びつくような症状ではなかった。
(エ) Eの自殺とうつ病の関係
Eの自殺が被告における業務に起因することは争う。
a <1>Eが、平成8年2月10日に本件転落事故を起こし、翌11日、入院の必要があるのに退院した事実、<2>Eが、同日、原告Bとの会話で「すまんなあ。すまんなあ。」とばかり言って会話が成立しなかった事実、<3>Eが飛び降りる直前にもG社長から強い叱責と責任追及を受けていた事実から、Eが、自殺時には、「精神障害によって正常な認識、行為選択能力が著しく阻害されている状態、あるいは、自殺を思いとどまる精神的な抑止力が著しく阻害されている状態」に至っていたということはできない。
b(a) なお、原告らは、京都下労働基準監督署も、平成13年3月19日付で、業務に起因するものとして労働災害を認定していることを、Eの自殺が被告における業務に起因することの根拠として主張する。
(b) しかし、労働災害認定手続は、原告らの一方的な主張に基づいて行われており、雇用者である被告に対して、反論の機会を与えられず、そもそも原告らの労災認定手続における主張内容すら知らされていないから、その認定が適切であるか否か被告にて検討できないものである。
また、労働者の保護を主目的にした労働災害の認定における「業務起因性」の判断基準と使用者の健康配慮義務違反を前提に使用者の民事責任を追及する場合の「因果関係」の判断基準とは、その制度趣旨から当然異なるものであり、上記「因果関係」の判断より「業務起因性」の判断基準がその制度趣旨から軽減されている。
(c) そして、被告及びG社長は、上記労働基準監督署からの事実関係の問い合わせにつき、あえて、Eに不利な事情は知らせず、労災認定に役立つ資料のみを提出した経緯もある。
(d) とすれば、労働災害認定手続の結果をもって、不法行為の因果関係が認められるということはできない。
(オ) Eの自殺に影響した被告における業務以外の要因
a Eは、自殺当時、約2700万円の住宅ローン、150万円の原告Bの大学進学資金の教育ローン、平成5年1月27日現在で288万円、平成8年1月27日現在で126万円の被告からの借入れ、及び、原告Bへの月5万円の仕送りを負担していた。
そして、Eは、平成8年1月当時、毎月、住宅ローンの支払として約12万円、教育ローンの支払として二、三万円、被告への返済金として4万5000円、原告Bへの仕送り5万円の合計23万5000円ないし24万5000円の支払を行い、また、原告Bの大学授業料を支払っていた。
Eは、現に、住宅ローンの借換えに積極的ではなく、また、以前、自宅の売却に手間取り、新住居の手付金の支払に困って、まったく眠られないほどのノイローゼ状態となり、泥棒にでも入ろうかと思い詰めて、被告に借入れを求めたという経緯があった。
そして、Eの自殺後、上記住宅ローンはEの死亡生命保険金により支払われた。
以上の経緯に照らせば、Eは、その経済状況に悩んでいたといえる。
b Eが不倫関係にあったことは、被告の従業員の何名かが気づいており、現に、原告Aも、被告の従業員にEの不倫関係の有無を尋ねているところである。
また、原告Aは、平成7年夏以降、Eの帰宅が翌午前一、二時になることが多く、平成8年1月でも、週に一、二回は、帰宅が翌午前一、二時になったと供述するが、タイムレコードの終業時間に照らせば、Eが、退社後、どこかに立ち寄って帰宅していたというべきである。
さらに、原告Aは上記のとおりEの立ち寄り先を十分に把握していないことからすれば、原告AとEの夫婦関係も円満であったとはいえない。
とすれば、Eは、不倫関係ないし原告Aとの夫婦関係に悩んでいたというべきである。
c 以上のとおり、Eは、自身の経済状況ないし不倫関係及び原告Aとの夫婦関係に悩んでおり、Eの自殺の原因はこれらの事情である。
(3) 争点(3)について
ア 原告らの主張
(ア) 健康配慮義務の内容
使用者は、雇用契約に基づき、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う。
(イ) 被告は、Eの健康に何らの注意も払わず、何らの配慮もしないままに疲労を蓄積させ、大きな心理的負荷を与える労働に従事させ、使用者が尽くすべき業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を怠った。
(ウ) 上記債務不履行が被告の責めに帰すべき事由によらないとはいえないこと(被告の認識)
a 被告は、タイムカードを通じて、Eが連日のように10時間30分ないし13時間に及ぶ長時間労働を行っていたことを知り得た。かつ、G社長は、i店に日常的に出入りしていたところ、Eがi店に関する売上ノルマ、被告の中核店舗であるというi店の性格及び被告の他店舗にはない宴会客の確保という重要な営業目標のために過重な業務に従事していたことを熟知していた。
また、G社長は、しばしば、Eに対しi店の売上減少の責任を追及していたから、売上が回復しないことを理由にj店への異動を言い渡すことが、Eに大きな精神的な衝撃を与えるであろうことは当然予見できたはずである。
b また、G社長らは、i店に近接する事務所にて勤務していたところ、Eが平成7年秋ころから体の不調を訴え同年年末ころからは極度に様子がおかしくなっていたことを十分に知り得た。
階段からの本件転落事故やEが同事故により入院が必要であるにもかかわらず突然退院し会社に出社するというEの行動は、極めて異常であり、これは顕著なものであるから、誰もがその異常性に気づくことができた。
イ 被告の主張
(ア) 健康配慮義務の内容
被告のような中小企業にとって、平成8年当時、従業員に対し原告ら主張の内容の健康配慮義務を負っているとの認識は、一般的ではなかった。
(イ) 被告の責めに帰すべき事由によらないこと(被告の認識及びEの自殺の予見可能性)
a Eの体調不良等に関する認識
(a) Eは、被告に対して、体の不調につき訴えがなかった。また、G社長とD専務及びH営業部長が、本件転落事故により入院したEを見舞いにそれぞれ行ったが、Eは「階段を踏み外したんです。かっこ悪いことですわ。」等と言い、明るく対応しており、うつ病の状態などみじんも感じられなかった。
(b) そして、以下のとおり医師すらEがうつ病に罹患していると診断できなかった以上、G社長他被告の従業員も、Eの心身の不調を容易に知り得たものではない。
<1> J医師は、「平成8年2月当時、上記患者が『うつ』であると他人に告知しない場合、第三者(例えば職場の者)から上記患者が『うつ』の状態にあることは分かりますか。」との質問に対し、「困難と思われる。」と回答している。
<2> 京都四条病院のN医師も、「上記患者が平成8年2月11日の退院時、『うつ』の状態であったと分かりましたか。」という質問に対して、「分かりませんでした。」と回答しており、さらに、「上記患者が、平成8年2月11日の退院時、自己が『うつ』であると他人に告知しない場合、第三者(例えば職場の者)から見て上記患者が『うつ』の状態であることは分かりますか。」との質問に対し、同医師は「ひとつはうつの程度によると思いますが、私が外科医ではありますが、2/10~2/11の2日間診察した範囲では、患者E氏とは初対面で以前の同氏と比較は不可能ですが、特に精神的に病的な状態と判断しませんでした。」と回答している。
(c) Eの被告における業務が過重ではなかったことは上記のとおりであり、しかも、下記電通事件第1審判決の事案のように誰が聞いても常軌を逸した長時間労働の状況になく、被告はもちろん通常人にもEが自殺することを予見することのできないことは明らかである。
b Eの死亡時の過労自殺に対する一般的認識
(a) 電通事件判決
過労自殺の先例となる東京地方裁判所平成8年3月28日判決(以下「電通事件第1審判決」という。)以降、過労自殺に対する認識が一般的となった。
しかし、Eの死亡日は平成8年2月15日であり、Eの死亡時には電通事件第1審判決により過労自殺に対する認識が一般的ではなかった。
(b) 労災認定に関する通達
Eの死亡は、「ICD-10診察ガイドライン」に基づく「心理的負荷による精神障害等に関する業務上外の判断指針」(平成11年9月14日基発第544号)以前であった。
c このような社会的認識の中で、もともと業務起因性の判断自体が困難で微妙な従業員の「自損行為」である自殺を予見して、その対策をあらかじめとること自体、極めて困難な時代であった。そのような状況で、原告らは、被告としては、具体的に一体何を認識、予見し、具体的にどのような措置を講じればよかったと主張するのか、極めて疑問である。
(4) 争点(4)について
ア 原告らの主張
(ア) Eの死亡による損害
a 逸失利益 5346万1095円
E(昭和22年1月2日生)は、平成7年分の給与及び賞与として総額649万2000円の収入を得ており、これを基礎収入とし、また、生活費控除率については30パーセントを採用するのが相当である。そして、Eの就労可能年数を18年とみてライプニッツ方式により年3パーセントの割合の中間利息を控除して計算すると(係数13.75351)、Eが本件自殺により被った死亡逸失利益は、次の算式により、5346万1095円と算出される。
649万2000円(基礎収入)×(1-0.3)(生活費の控除)×13.75351(中間利息の利率年3パーセントによる18年のライプニッツ係数)=上記金額
なお、我が国では、近時、極めて低金利の状況が続いており、預金利率は年1パーセントをはるかに下回っている。また、高度経済成長期を経て、今後、年5パーセントの複利での運用利益を上げることは極めて困難であると考えられる。そこで、年5パーセントの割合による中間利息の控除は不相当であり、年3パーセントの割合による中間利息の控除を行うべきである。
b 葬儀費用 150万円
c 慰謝料 5000万円
d 合計 1億1400万1450円
(イ) 相続
Eの上記損害に係る損害賠償請求権を、原告Aが2分の1の割合にて、原告B及び原告Cがそれぞれ4分の1の割合にて、相続した。
なお、端数処理上、原告Bに2850万0363円を、原告Cに2850万0362円を割り当てた。
(ウ) 原告Aの損益相殺 2093万8063円
原告Aは、本件口頭弁論終結時までに、労働者災害補償保険により、2093万8063円の遺族補償年金の支払を受けた(損益相殺後の原告Aの請求額は3606万2662円)。
(エ) 弁護士費用
原告らは、やむなく本件訴訟を原告ら代理人に委任し、その弁護士報酬として、請求金額の約10パーセントに当たる金額、すなわち、原告Aについては440万円、原告Bについては285万円、原告Cについては285万円を支払うことを約束した。
イ 被告の主張
上記ア(ウ)の損益相殺は認め、その余は争う。
(5) 過失相殺
ア 被告の主張
(ア) 仮に被告にEの本件自殺に関し何らかの責任が認められるとしても、以下のとおりの事情に照らして、賠償額については相当な過失相殺減額がされるべきである。
(イ) そもそも、自殺は、通常本人の自由意思に基づいてなされるものである。そして、Eと同じ環境におかれた者の全員又は多くの者がうつ病に陥って自殺に追い込まれるわけではない。
とすれば、Eの自殺は、多分にEの性格や心因的要素によるところが大きい。
(ウ) 原告らにおいて、Eのうつ状態を異常として感じていた事実があるのであれば、被告にこれを告知し何らかの対応を求めるべきであった。
そして、原告らが、遅くとも本件転落事故の際に、被告に対し、上記告知を行っていれば本件自殺は防げたものと考えられる。
しかし、原告らは、被告に対し、何らの告知も行わなかった。
(エ) 原告らは、Eにつき、予約済みの診療を受けさせることなく、また、入院治療を含めた精神科受診への助言ないし誘導も行うことなく、Eのうつ状態を放置していた。
イ 原告らの主張
被告の主張はいずれも争う。
(6) 原告らの請求のまとめ
よって、原告らは、被告に対して、いずれも、雇用契約上の安全配慮義務違反に基づき、
ア 原告Aは、損害賠償金3606万2662円及び訴状送達の日の翌日である平成13年6月30日から支払済みまで民法所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の支払を、
イ 原告Bは、損害賠償金3135万0363円及び訴状送達の日の翌日である平成13年6月30日から支払済みまで民法所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の支払を、
ウ 原告Cは、損害賠償金3135万0362円及び訴状送達の日の翌日である平成13年6月30日から支払済みまで民法所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の支払を、
それぞれ求める。
第3当裁判所の判断
1 争いのない事実、証拠(甲4ないし34、36ないし43、48、49、51ないし57、乙4、5、11、12、15ないし20、24、39、43《枝番を含む。》、証人O、同K、同L、同P、同G、同H、同Q、原告A本人)、及び、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 当事者等
ア 原告Aは、Eの配偶者であり、原告B及び原告Cは、Eの子であり、Eの死亡により、原告Aは相続割合2分の1にて、原告B及び原告Cは相続割合4分の1にてそれぞれEを相続した者である。
イ(ア) 被告は、レストランの経営、飲食及び喫茶営業等を目的とする株式会社である。
(イ) 平成8年2月当時、被告の代表取締役はF会長及びG社長の2名であり、取締役はF会長、G社長、D専務及びH営業部長の4名であった。
なお、G社長は被告の実質的なオーナーであり、D専務はF会長の子で、G社長はD専務の夫であり、H営業部長は、営業部長及びj店店長を兼務していた。
(ウ) 被告の業務概要
a 被告が経営していた飲食店の種類は以下のとおりであった。
(a) 「h」は、そばを中心とした和食のレストランである。
(b) 「k」は、洋食中心のファミリーレストランである。
(c) 「s」は、フランチャイズ店のハンバーガーショップである。
(d) 「いをり」は、そば懐石料理を提供するレストランである。
(e) 「n」は、総菜及び串焼き等を提供するダイニングバーである。
(f) 「p」は、フランチャイズ店の総菜及び創作料理等の無国籍料理を提供するレストランである。
b 平成8年2月当時、被告が経営する店舗は7店舗で、店長は6人であった。
(a) hi店
7店舗中売上高は最も多かった。
(b)<1> hj店
デパート内のテナント店舗であり、hj店単店の売上高はi店に次ぐが、rj店の売上と合算した売上高は、i店よりも多かった。
<2> rj店(なお、店長はhj店店長と兼務である。)
(c) km駅前店
(d) sm駅前店
(e) no店
(f) po店
(2) Eの経歴及び性格等
ア Eと被告との間の雇用契約及び経歴
(ア) Eは、昭和22年1月2日生まれで、原告Aと昭和45年10月16日挙式を行い、同月26日に婚姻の届出をし、同原告との間で、昭和50年4月17日に原告Bを、昭和56年8月18日に原告Cをもうけた。
(イ) Eは、昭和47年3月以降、喫茶店等の飲食業に従事し、昭和49年7月には調理師免許を取得した。
(ウ) Eは、将来はそば屋を開業することを目指しており、被告との間で、昭和50年7月16日、アルバイトとして雇用契約を締結し、その後、同年9月、正社員として雇用契約を締結した。
(エ) Eは、昭和50年7月16日からhj店にて、調理師見習として勤務していたが、その後、同店調理場チーフとなり、昭和57年6月からht店店長として勤務していた。
(オ) Eは、関東の他社の店舗に研修に行くなどして、調理場の配置、器具及び食器の調達、メニューの作成等のi店の開店準備に関与し、昭和61年2月のi店開店時からi店チーフとして勤務を始めた。
なお、当時のi店店長はH営業部長であった。
(カ) Eは、平成4年7月1日付で、i店チーフからi店店長に昇格し、H営業部長が、i店店長からj店店長に異動した。
Eは、i店店長の就任後もi店チーフを実質的に兼務していたが、Rが、その後、i店チーフに就任した。
イ Eの性格等
(ア) Eの性格は、明るく、几帳面で、責任感が強く、自身の考え方にこだわりがあるが、自己主張は強くなく相手方に合わせる方であり、どちらかといえば短気で、あまり社交的ではなく、部下に対する思いやりがあった。
また、Eのし好は、平成8年2月10日当時で、たばこは1日20本喫煙し、酒はほとんど飲まないというものであった。
(イ) Eの血縁者には精神疾患の既往歴を有する者はなく、Eについては、平成6年5月9日に武田総合病院にて自律神経の機能障害と診断されたことがあるが、他に精神疾患の既往歴は窺われない。
(3) i店店長の業務内容等
ア i店
(ア) i店の営業時間等
a i店の営業時間(平成4年7月以降)
i店の営業時間は午前11時から午後9時30分であり、従業員の勤務時間は午前9時から午後10時であった。
b i店の勤務時間及び休憩時間
従業員は、就労規則上、交代制で1日8時間就労することとなっており、45分間の休憩時間が設けられていたが、従業員は、実際には、午後3時ころのいわゆるアイドル・タイムに交代で30分程度の休憩を行っていた。
店長も、上記アイドル・タイムに休憩することもあり、Eも、アイドル・タイムに休憩をしたり、私用のため外出することがあった。
c i店の定休日(平成4年7月以降)
i店の休業日は8月の第4水曜日及び1月1日の2日であり、8月の第4水曜日は全店のレクリエーション日とされ、1月1日は前日12月31日から早朝まで営業を行っていた。
(イ) i店の位置づけ
a F会長の親族であるIが実質的経営者として、F会長が所有する京都市e区f町g番地(以下、「i店舗所在地」という。)にて著名なナイトクラブであったベラミを経営していたが、F会長は、ベラミの跡地に、i店を開店するために、昭和61年1月、店舗用建物を建築した。
i店舗所在地には、遅くとも、平成4年7月ころには、F会長等の役員及び本部従業員が勤務する事務所が置かれていた(なお、被告の商業登記上は、平成13年4月10日にi店所在地に本店が移転したこととなっている。)。また、i店所在地の隣には、被告の製麺所が設置され、i店チーフが同製麺所の責任者を兼ねていた。
b i店は、開店時の構想として、同じ系列店であるhj店と比べて高級感を特色とするものであった。
そして、i店は、その後、3階の宴会場部分が増築され、そばと天ぷらを基本としつつ宴会料理として会席料理も一部メニューに取り入れた店舗として運営されていた。
c i店は、上記のとおり、hj店とお鷹茶屋の売上を別個に算定した場合は被告の経営する7店舗中最も売上の多い店舗であった。
また、被告の全従業員の年頭の定例会、及び、毎月の全従業員の朝礼はi店にて開催されていた。
(ウ) 平成7年ころのi店の人員構成
a 調理場は、Rをチーフとし、他に4名の調理担当の従業員及び三、四名の洗い場担当のパートタイム又はアルバイトの従業員がいた。
R及び調理担当の従業員は、平日に交代で休暇をとって、平日は4名が出勤し、休日及び土曜日には、5名が出勤していた。
b 接客には、パートタイム又はアルバイトの従業員のまとめ役であるホールマネージャー2名及びパートタイム又はアルバイトの従業員が10名ないし15名であった。
パートタイムの従業員であったMが昼のホールマネージャー、及び、Sが夜のホールマネージャーであったが、Mは、平成7年7月ころから産休として長期休暇を取得しており、代わりに平本某が配属されていた。
また、Tは、下記花番を行えるほどの経験を有するアルバイトの従業員であったが、Tは、平成8年3月卒業予定の4年制の大学の学生であって、平成7年は同年10月まで、就職活動を理由に出勤が少なくなっていた。
イ 店長の待遇
(ア) 被告にて、店長の出勤時間及び退勤時間につき、定めや指示はなかったが、タイムカードによって店長の出退勤は管理されていた。
(イ) 店長の給料は、基本給及び役付手当等の定額であって、時間給ではなかった。
ウ 店長会議
(ア) 出席者及び開催日
店長会議は、G社長、D専務(後に出席しなくなった。)、及び、各店舗の店長等を出席者として、毎月中旬及び毎月27日ころの月2回開催されていた。
(イ) 通常の会議内容
a 毎月中旬の店長会議は、主として各店舗の売上に関する現状報告がなされ、客の動向及び売れ筋商品等の資料、並びに、売上目標と実際の売上高に関する全店又は各店舗別の一覧表等に基づき、主としてG社長と各店長の質疑応答が行われた。
b 毎月27日ころの店長会議は、当月の売上目標の達成に関する報告、並びに、翌月の売上目標及び営業体制の確認が行われ、年2回の全社キャンペーンの開催時には、同キャンペーンの検討が行われた。
(ウ) 年度目標の策定
店長は、各店舗の次年度の年間売上目標案を毎年11月の店長会議にて提出し、G社長の了承を得て年間売上目標を決定する。
店長は、決定された年間売上目標に基づいて月別の売上目標案を作成して、毎年12月の店長会議にて提出し、G社長の了承を得て決定する。
年間売上目標は、前年度の売上を数パーセント増加させた額で定められることが多く、売上目標が達成できない場合は、上記(イ)のとおり、店長会議にて売上増加の施策について協議することとなっていた。
(エ) 懇談会(店長会議以外の店長の会合)
毎月月初めの管理職全員及び事務に支障のない従業員による全社従業員の朝礼の後、店長が集まって懇談会が行われていた。
エ メニューの改訂、新商品の開発
被告の経営するhにおいては、夏メニューと秋冬メニューの2種類があり、Eは、i店及びj店のチーフと調整して、メニューの改訂作業を行っていた。
オ 従業員の手配、管理及び交代要員の確保(毎週の業務)
(ア) 店長は、毎週、時間帯ごとに必要な人員を算定して、被告から指示された売上の一定割合の人件費の範囲内で、各従業員の出勤日、出勤時間、退勤時間を定めて、出勤の手配、管理、及び、休業・欠勤時の交代要員の確保といった従業員の出勤管理を行っていた。
(イ) i店では、昼間に勤務するパートタイム又はアルバイトの従業員は主婦が多く、昼間の出勤管理に関しては負担は軽かったが、夜間に勤務するパートタイム又はアルバイトの従業員は学生が多かったため、同従業員との調整等の負担が重かった。
カ 毎日の業務
(ア) 店舗の営業管理全般
店長は、開店前の掃除・開店準備から閉店後の片付けまで、店の営業の最終責任者として営業が円滑に行われるように店舗全体に目配りし、従業員を指導監督することを業務としていた。
なお、店長は、出勤退勤時間の定めがなく、開店前の掃除、開店準備、閉店後の業務等すべての店舗業務につき、出勤して直接に指導監督する必要はなかった。
しかし、Eは、開店準備、閉店後の業務の時間帯にも勤務して、自ら率先して業務を行っていた。
(イ) 客からの注文、調理、提供の管理及び采配
a i店においては、営業時間中の午後0時から午後2時ころまで及び午後6時から午後8時までの繁忙時間に、客からの注文内容、調理場への注文の伝達、注文に応じた食事の提供を確認し、指示、采配を行う花番と称する業務が行われていた。
b 花番と呼ばれる上記業務を行うことができるのは、一定の経験を有する者に限られ、平成7年当時のi店においては、E、M(産休による長期休暇中は平本が代わりに配属されていた。)、S、及び、Tの4名のみであった。しかし、Mは、平成7年7月以降長期休暇中であり、Tは平成7年10月まで就職活動のためにあまり出勤していなかった。
そこで、Eは、T等に花番を任せることもあったが、自ら花番を行うことが多かった。
c そして、花番は、立って行う注意して処理する必要がある業務であり、特に混雑時には処理が錯綜し、身体的にも精神的にも非常に疲れる業務であった。
(ウ) 会計管理
日々の伝票(売上、仕入れ、経費)の記帳及び管理、並びに、売上金の管理及び保管等は店長の業務であったが、店長が自ら行わなければならないものではなかった。
そして、Eは、閉店後の総集計の便宜を考えて、営業時間中の1時間ごとの売上伝票及びジャーナルの確認作業を従業員に委ねることがあったが、自ら、上記確認作業及び閉店後の当日の集計、記帳、現金確認、夜間金庫への預け入れを行うことが多かった。
(エ) 接客
Eは、店長として、常連客等の接客を行っていた。
キ 被告役員への対応
(ア) F会長、G社長及びD専務
a F会長、G社長及びD専務は、昼食や接待にi店を利用することがあった。
F会長らは、Eに対して、味、食器等に注文を付けることがあったが、F会長ら3名の注文や方針が矛盾することがあったり、また、自己に提供する料理専用の調味料の使用を要求し、売り切れの食材を営業時間中に買いに行かせるなどの特別扱いを求めたりしていた。
b G社長は、ほぼ毎日、i店にてそばの試食を行って、Eに対して、そばの味に注文を出すなどしていた。
(イ) G社長
G社長は、i店の営業時間中に、頻繁に、Eに対し、被告全体の経営の方策やi店の売上増加策等について相談したり、着想を求めたりしていた。
そして、G社長との話は数時間に及ぶこともあり、E自身は、G社長の話を、むしろ、i店の売上減少に関する叱責と捉えることもあった。
ク H営業部長のi店における勤務状況
H営業部長は、Eのi店店長の就任前及び本件自殺後に、i店店長として勤務していた。
Eがi店店長として開店準備等の時間帯も勤務して従業員の指揮監督をしながら自ら率先して開店準備等の業務に関与していたのに対し、H営業部長はi店店長として開店準備の時間帯には出勤しないなど従業員に業務を委ねた上での従業員の監督を重視して店長の業務を行っていた。
また、H営業部長は、i店店長として、平均して、12時間程度勤務していた。
(4) i店の売上減少及びこれに対する対応
ア i店の売上減少
(ア) 年間売上
i店の売上は、平成5年で1億6186万8000円(1千円未満は不明、以下、この項同じ。)、平成6年で1億5193万8000円、平成7年で1億4406万1000円であり、平成6年の年間売上は平成5年分の約93.9パーセントで、平成7年の年間売上は平成5年分の約89.0パーセントであった。
なお、被告の全店合計の売上は、平成5年で7億4881万1000円、平成6年で7億3763万1000円、平成7年で7億2207万0000円であり、平成6年の年間売上は平成5年分の約98.5パーセント、平成7年の年間売上は平成5年分の約96.4パーセント、平成8年の年間売上は平成5年分の約96.5パーセントであった。
(イ) 月別売上
i店の売上は、前年の同月の売上と比較すると平成6年8月から平成7年7月まで売上の低迷が顕著であり、平成7年8月以降は平成5年の同月の水準には及ばないものの平成6年の同月の水準と比較して売上は増加していた。
イ i店の売上減少への対応
上記のとおり、i店の売上は、被告全店の売上の約5分の1を占めており、また、被告全店の年間売上の減少分のほとんどはi店の売上減少によるものであったから、被告において、i店の売上増加は急務とされていたことと推認される。
(ア) G社長は、Eに対し、店長会議の他にも営業時間中に下記のi店の売上減少に関する方策を立案するよう求めており、ときには、数時間、G社長とEが話を行うこともあった。
(イ)a G社長は、i店の売上減少の原因は宴会利用の減少であると考え、店長会議及び役員会を経て、ベラミの会員組織であった「オーナーズクラブ」に以前所属していた優秀な営業職を集めてi店の宴会に関する営業部門を組織し、Eを含めて宴会客の勧誘活動を行わせることとした。
b E自身も、契約社員等とともに、平成7年9月から、官庁や企業への飛び込み勧誘による宴会客獲得の営業活動に従事していた(その頻度などは的確に認定できない。)。
しかし、G社長は、Eが営業の経験及び営業の管理職としての経験を有さず、また、営業活動を苦手としているため、上記営業活動が十分に行われていないと考えていた。
(5) 異動の内示
G社長は、i店の宴会に関する営業活動を活発にするために、営業を不得手とするEに代えて、オーナーズクラブにて営業の指揮を行っていたH営業部長をi店の店長に異動させ、Eをj店の店長に異動させることを決めた。Eは、G社長から、上記異動の内示を受けて、平成8年1月ころ、一度は承諾したものの、その後数回にわたり、G社長に対し、異動に抵抗を示しており、G社長はEを強く説得していた。H営業部長もEに対して説得を試みていたが、異動を拒む理由について具体的な返答をしない状況であった。
(6) Eの自殺に至るまでの精神状態等
ア Eは、平成6年5月9日、二、三日前から熱、咽頭痛及び咳の風邪の症状があり、また、以前から緊張すると腹部が張って下痢をすると訴えて、武田総合病院を受診し、同病院内科で、自律神経の機能障害と診断され、同月11日、半日の人間ドックを受診した。
イ Eは、平成7年夏ころから、原告ら家族から用事を頼まれても面倒くさがるようになり、原告ら家族と例年行っていた8月のキャンプにも行かず、従前は子供の学校行事には出席するようにしていたが、原告Cの合唱コンクールや空手の発表会に欠席した。また、E及び原告らは、平成7年10月16日の結婚記念日に家族揃って食事をしたが、その際、Eは、原告B及び原告Cに対し、「こんな生活ができるのもお母さんが頑張っているからや。お前ら、お母さんをちゃんと大事にしなあかんぞ。」と言っていたが、どこかぎこちない雰囲気であり、さらに、食事の帰りに、原告Aに対し、「宴会が少ないから、新規開拓してこいと言われて、府庁や市役所の辺りを飛び込みセールスして回っている。俺の一番嫌なことで辛いのや。」と言っていた。
ウ Eは、平成7年9月ころから、帰宅するなりトイレに長時間入って、原告Aに対し「下痢なんやけどあまり出ない。腹が痛い。」と言ったりするなど、頻繁に、頭痛、腹痛、腰痛、下痢及び便秘を訴えるようになり、原告Aは、Eに、整腸剤、疲労回復剤及び健康食品等を与えていた。
エ Eは、平成7年12月下旬ころから、原告Aから見て無口になり、時々考え事をしているようであり、また、Eは、毎年年末には、原告Aら家族を誘って忘年会を行っていたが、平成7年の年末には忘年会の誘いはなかった。
オ Eは、従前は、原告Aらに声を掛けて出勤し、帰宅後、風呂に入って入念に髭を剃り、軽い食事を取ったり、コーヒーやビールを飲みながら、新聞を読んだり、プロ野球ニュースを見たりして、原告Aと話をするなどしていたが、平成8年1月ころから、黙って出勤するようになり、帰宅後も、新聞の求人欄をぼんやりと眺めているようになった。
カ Eは、平成8年1月2日の原告Aの親族との新年会では、Eの好物の蟹すきをほとんど食べることなく、また、原告らとのゲームに参加することもなく、伏し目がちで固い表情で黙っていた。
また、Eは、同月に、原告Aに、「このごろ、ご飯が食べられへんから、お粥作ってくれ。」と言ったり、帰宅後、吐き気を催したりしており、痩せた様子であり、同月13日の原告Aの誕生日に、原告ら家族とカラオケ店に行ったが、1曲も歌うことなく、伏し目がちにしており、原告Aらが利用時間の延長を誘うと、「何時だと思っている。明日も仕事だ」と怒鳴るなどした。
キ Eは、転職を考えて、タクシー会社の採用面接を受け、平成8年1月31日、タクシー会社から内定通知が届いた。
ク i店の従業員であったKが、平成8年1月ころ、i店から退社した後に忘れ物を取りに戻って、出入口近くのレジスターの所にいたEに鍵を開けるよう扉を叩いて呼んだが、しばらく、気づかなかったことがあった。
ケ Eは、血尿が出て、平成8年2月1日、武田総合病院の泌尿器科を受診し、さらに、不眠、食欲減退、急に痩せるなどの症状を訴えて、神経内科を受診したが、Eは、武田総合病院の泌尿器科で、会議でノイローゼ状態であること、排尿時の痛み、食欲不振、及び、風邪の症状を訴え、また、同病院の神経内科で、「三、四日前から考え事をすると、同じことをグルグル考えてしまう。3日くらい満足に食事摂れない。一、二日前眠り難い。」と訴え、抗不安剤(デパス)、抗うつ剤(ドグマチール)を処方され、同月13日、同神経内科で、処方された薬はあまり効果がないが、デパスの服用でよく眠れると訴えていた。
コ Eは、平成8年2月上旬ころ、原告Aから見て生気がなく、食事量も徐々に少なくなり、睡眠時間は3時間ないし4時間程度で夜中に何度も目が覚めると訴えており、風呂に毎日入らなくなり、髭や服装にも頓着しなくなった。また、Eは、原告Aに対し、「このごろ、毎日のように社長に呼ばれて、長い話で嫌になる。今年になってから毎日用事もないのに客席に一人ずっと座っているのでうっとうしい。」と言っていた。
サ Eは、G社長に、不眠を訴えて、睡眠導入剤をもらったりしたが、その数日後の平成8年2月10日、i店で、だし汁を持って3階と2階の間の階段の途中で足を滑らせて転落するとの本件転落事故が発生し、左肩部腰部打撲傷及び腹部内臓損傷の疑いがあるとの診断にて、観察目的で京都四条病院に1週間の入院加療を受けることとなった。
Eは、京都四条病院に駆けつけた原告Aに対し、「実は3月からj店へ行けと言われている。そのことで俺はノイローゼになっているんや。」、「もう店長としての自信なくしたんや。ようしていかん。」と言っており、また、付き添ってきたi店の従業員に対し、「早く店に帰れ。」、「付いてなくてもいいから、帰れ。」と怒っているかのような厳しい口調で言っていた。
さらに、Eは、同日、原告Bとの電話で、「すまん、すまん。」と繰り返すのみで、原告Bとの間で会話が成立しなかった。
シ Eは、平成8年2月11日、G社長の見舞いを受けた後、退院を強く希望した。また、Eは、午後9時ころ、i店に電話を掛け、業務の指示を行っていた。
ス Eは、平成8年2月12日、仕事の段取りがあるとして、i店に出勤した(なお、タイムカード上は公休扱いとなっている。)。
セ Eは、平成8年2月13日、会長宅の法事があるとして午前9時15分にi店に出勤した。Eは、同日、本件転落事故による傷害につき、京都四条病院にて診療を受けたが、「2日間、自宅で安静にするも、余りよくならない。」旨を訴えていた。
ソ Eは、平成8年2月14日朝、原告Aからバレンタインデーのプレゼントを受け取ったが、無表情のまま、「Cにはやったか」と尋ねただけで出勤した。
タ G社長は、Eと、同日昼にi店の座敷で、j店店長への異動につき2時間程度話をしたが、Eは、その際に、j店店長をやりたくないので、i店のチーフにして欲しいと言ったが、G社長は、これを断って、異動の話は白紙撤回するなどと話をして、Eを座敷に残して帰った。
(7) Eの自殺
Eは、平成8年2月14日の被告i店での勤務を終えて、翌15日午前1時15分ころ、京都市a区内の団地の4階から投身自殺を図り、全身打撲による内臓破裂により死亡した。なお、Eの遺書は発見されていない。
(8) うつ病について
ア うつ病は精神及び行動の障害であり、ICD-10の「診断ガイドライン」によれば、うつ病エピソード(F.32.)の診断ガイドラインは、「抑うつ気分」「興味と喜びの喪失」「易疲労感の増大」を3典型的症状とし、他の一般的症状として、<1>集中力、注意力の減退、<2>自己評価と自信の低下、<3>罪責感と無価値感、<4>将来に対する希望のない悲観的な見方、<5>自傷あるいは自殺の観念や行為、<6>睡眠障害、<7>食欲不振を挙げている。そして、(ア)典型的3症状のうち、少なくとも2つと、上記<1>から<7>の症状のうち少なくとも2つが存在することが「軽症うつ病エピソード(F.32.0)」の診断確定の必要条件とされ、また、(イ)典型3症状のうち少なくとも2つと上記<1>から<7>の症状のうち少なくとも3つ(4つが望ましい)が存在することが「中等症うつ病エピソード(F.32.1)」の確定診断の必要条件とされ、(ウ)典型3症状のすべて、さらに少なくとも上記<1>から<7>の症状のうち4つ、そのうち幾つかが重症であることが「精神病症状を伴わない重症うつ病エピソード(F.32.2)」の確定診断の必要条件とされている。
イ うつ病の誘因は様々であるが、(ア)職場におけるストレス要因(仕事量や難易度などの仕事の要求、仕事の裁量性、上司、同僚などの仕事の支援)(イ)職場以外のストレス要因(家族からの要求や異性友人との関係、経済的問題など)、(ウ)個体的要因(遺伝的素因、ストレス処理能力など)があり、ストレス緩和要因として、職場の上司同僚、家族友人などからの具体的あるいは精神的支援がある。長時間労働は、心身の極度の疲弊、消耗を来し、うつ病の原因となる場合がある。
ウ うつ病患者は、強い絶望感、無力感、厭世観、虚無感、自責感等に基づく自殺念慮にかられて自殺を図ることが、健常者に比して多い。
エ ICD-10のF0からF4に分類される多くの精神障害では、精神障害の病態として自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから、上記精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定するのが相当される。
上記認定に反する証人G、同H、同Qの供述部分は、上記証拠に照らして、措信できず、以上の認定を覆すに足りる証拠はない。
2 第2、1争いのない事実等欄記載の事実及び以上の認定事実に基づき、判断する。
(1) 争点(1)について
ア 長時間労働及び業務の過重性について
(ア)a Eの平成7年1月21日から平成8年2月14日までのタイムカード上の労働時間は上記第2、1(3)のとおりで、休日は月2日程度しかなく、1日平均労働時間は約12時間に及んでいる。
b 原告らは、Eが上記タイムカード上の退勤時間を超えて仕事に従事していた旨主張する。
しかし、上記第3、1(3)イ(イ)記載の店長職の給与額の決定基準に照らせば、Eにおいて、実際の退勤時に先立ってタイムカードにて退勤の処理を行う動機があったとはいえないし、また、他に上記タイムカード上の処理を日常的に行っていたと認めるに足りる証拠はないから、上記原告らの主張は採用できない。
c また、被告は、Eは、店長の裁量に基づいて自らの勤務時間を決定することができ、現にアイドル・タイムに休憩するなどしていたから、タイムカード上の就労時間のすべてが被告の業務への従事に当てられていたものではないと主張し、乙15、23、24、35、42、証人Qにはこれに沿う供述記載及び供述部分がある。
しかし、上記供述記載等は、一方的なものであったり、あるいは伝聞であって、Eが実際に上記時間帯に休憩することが多かったと認めることはできない。
d むしろ、Eは、上記認定事実のとおり、アイドル・タイムに休憩したり、私用に当てたりすることはあったが、従業員の監督とあわせて自らも率先して業務に従事していたとの勤務態度に照らせば、タイムカード上の勤務時間中はほとんどは業務への従事に当てられていたといえる。
とすれば、Eは、上記第2、1(3)記載のタイムカードによる勤務時間のとおり、被告の業務に従事していたと認められる。
(イ)a 被告らは、Eの業務の過重性に関して、店長の裁量として、勤務時間を決定すること及び業務を他の従業員に委ねることができた旨主張し、上記第3、1(3)によれば、店長としてi店の業務の一部を従業員に委ねるなどして、自らの業務の負担を一定程度軽減することができたと認められる。
b しかし、<1>上記1(3)ク記載のとおり、H営業部長は、Eと比べて自ら業務に従事することよりも従業員の指揮監督を重視してi店店長の業務を行っていたにもかかわらず、勤務時間は平均して12時間程度であったことからすれば、被告からi店店長として与えられていた裁量をもって勤務時間の軽減を容易に図ることができたとはいえないし、また、<2>Eが率先して業務に自ら関与し、かつ、しばしば花番及びレジスターの会計管理を行っていたことは店長業務の遂行の態様として通常であるといえ、自らの負担を殊更に加重していたともいえない。
(ウ) そして、上記認定のEの労働時間、i店店長の業務内容及び店長の裁量により勤務時間の軽減を容易に図ることができたとはいえないことに加えて、上記1(4)記載のとおり、i店の売上は少なくともEの同店店長在任中には十分に回復しておらず、G社長は、Eに対して、売上の回復を求め続けていたことに照らせば、Eは、被告により過重な労働を強いられていたというべきである。
イ 異動の内示について
原告らは、i店は被告の中核店舗であって、Eのi店店長からj店店長への異動は左遷であると主張し、これに沿う上記1(3)ア(イ)の記載の事実が認められ、また、Eにおいても、O及びLと同様に、i店が被告の中核店舗であると認識していたことは推認しうる(証人O、証人L)。
しかし、上記認定事実のとおり、本件自殺時のj店店長であったH営業部長は、Eがi店チーフであったころのi店店長であっていわばEの元上司であり、また、被告の取締役でもあったことからすれば、上記異動が左遷とは認められない。
また、上記異動は、上記1(5)のとおり、i店の売上の回復のために営業が不得手なEに代えて営業を得意とするH営業部長をi店店長とするものであって、経営上の必要に基づく一応正当なものというべきであるが、Eの意思に反するものであって、Eが何度も抵抗を示していたにもかかわらずG社長において強く異動を説得しており、これが、Eに対するストレス要因となったといえる。
ウ 以上によれば、Eのi店における業務の遂行については、(ア)過重な長時間労働が持続し、(イ)店長としての業務内容は過重であるとともに、i店の売上減少により、これを回復するため種々努力を重ねることを要求されたが、その効果が十分に出ていない状況にあり、(ウ)さらに、これに対して、G社長がEをi店からj店への異動を決めて、Eの意に反し実行すべく強く説得するなど、職場におけるストレス要因が積み重なっていたと認めるのが相当である。
(2) 争点(2)について
ア 前記認定事実によれば、Eは、精神疾患の既往症はなく、調理師として被告に入社し、平成4年i店店長に昇格したが、責任感が強い性格も影響して、平成7年秋ころから、快楽感情への興味が減退し、疲労感の増加、頭痛、腹痛を訴えており、上記の長時間労働等の結果、平成7年12月ころからは、抑うつ気分、焦燥感、全身倦怠、疲労感、会話の減少、関心の低下、思考力低下、おっくう感、自信喪失、閉塞感、睡眠障害、罪責感情、食欲変化などのうつ病の症状(上記中等症うつ病エピソード)を呈するようになった末、G社長から意に反する異動の内示を受けて、強く説得されたことがきっかけとなって、うつ病によって、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態にて、衝動的に自殺を図ったと認めるのが相当である。
なお、(ア)J医師は、平成8年2月13日のEの症状は軽度の抑うつ状態、あるいはうつ病になりかかった状態であるとの意見を披瀝している(乙13の1・2、22、32)が、十分な診断及び資料並びに経過観察に基づくものでなく、また、(イ)N医師は、本件転落事故で入院した際、Eから精神的訴えはなく、また病的状態とは判断しなかったとの意見を披瀝している(乙14の1・2)が、同医師は外科医であって精神病の診断は専門分野ではないことや、上記の観点から十分な診察をしたのか否かは明らかでないのであって、いすれもすぐには採用できない。
イ 被告は、(ア)Eは、平成7年末や平成8年1月に同僚をラーメンやサウナに誘い、Mに長女の出産祝いを持参するなどしており、元気を喪失していたといえない、(イ)本件転落事故による入院中に、見舞いに訪れたG社長らに対して明るく対応していたと主張し、甲26、乙42、証人K、同Gにはこれに沿う供述記載及び供述があるが、仮に、ある時点で上記のような事実があったとしても、うつの気分は動揺するものであるし(証人P)、上記自殺に至る経緯の事実に照らせば、Eがうつ病に罹患したことを否定することはできない。
ウ また、被告は、自殺に影響した業務外の要因として、(ア)住宅ローンなどの返済に悩んでいた、(イ)不倫関係ないし原告Aとの夫婦関係に悩んでいたことを主張するが、Eが、これらについて深刻に悩んでいたことを窺わせる事情は証拠上認められず(乙23、35ないし37には、これに沿うかのような供述記載があるが、一方的なものであり、すぐには措信できない。)、上記主張は採用できない。
(3) 争点(3)について
使用者は、雇用契約に基づき、その雇用する労働者に従事する業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないよう注意する義務を負うと解するのが相当である。
そして、G社長は、i店に日常的に出入りしていたのであるから、Eの前記認定の長時間労働及び過重な業務の実態を当然知り得たはずであるが、i店の経営改善を図ることを優先して、同人の業務などを軽減させる措置をとっておらず、本件転落事故の数日前にはEから不眠状態にあることを聞いているほか、本件転落事故の存在や、異動の内示に対してチーフに戻して欲しいなどの自信喪失と窺える訴えをしていたのであるから、Eの異常な精神状態を知り得たはずであったが、何らこれに対する措置もとっていなかったものであるから、被告の責めに帰すべき事由によらずにEの自殺が発生したということはできない。
なお、被告は、(ア)本件転落事故の際、Eは見舞いにきたG社長らに対し、明るく対応していたし、G社長らもEに対しゆっくり静養するよう話しており、(イ)J医師やN医師は、第三者からは、平成8年2月当時Eがうつ状態であることは分からないとの意見を披瀝しており、G社長には予見可能性がなかったと主張する。
しかしながら、(ア)Eは、G社長らの見舞いを受けた翌日には急きょ退院して業務に従事していたが、G社長はこれを放置しており、また、G社長が静養するよう告げた(証人G)ことからすれば、Eが心身の疲労状態にあったことは同社長においても知っていたと窺えるところ、同社長は、Eの業務処理につき代替措置を何ら講じていないのであるから、Eとしては早期に退院せざるを得ない状況にあったというべきであり、のみならず、数日後にはEに対し異動の説得をしていたのであって、上記状態にあったEに対する措置としては到底十分とはいえない。(イ)また、J医師らの意見は、上記(2)ア(ア)(イ)に説示したとおり、十分な診察に基づくものと認められないから、採用できない。
(4) 争点(4)及び同(5)について
ア 逸失利益 5312万1763円
上記認定事実、証拠(甲3)及び弁論の全趣旨によれば、E(昭和22年1月2日生・死亡時49歳)は、67歳までの18年間の就労可能であり、その間、平成7年度の収入である年額649万2000円をえられたはずであるから、Eの家族状況に照らし、同人は一家の支柱であったと認められるから、生活費として30パーセントを控除し、ライプニッツ方式により年5パーセントの割合の中間利息を控除して死亡時の現価を算定すると、以下のとおり、5312万1763円となる。
649万2000円×(1-0.3)×11.6895=5312万1763円(円未満切捨て、以下同じ。)
なお、原告らは、中間利息の控除につき、現在の低金利状態からすれば、その利率を年3パーセントとすべきであると主張する。そして、近時の公定歩合及び定期預金の金利が年1パーセントを下回っていることは公知の事実であり、逸失利益の算定における中間利息の控除は、被害者が将来の一定時点で受けるべき利益を被害者の死亡時における現価として算定するために、その間の一般的な運用利率を控除するものである。
しかし、近時の公定歩合及び定期預金の金利から、将来の運用利益を予測することは極めて困難であり、また、民事法定利率を5パーセントと定める民法404条、同法419条は、民法制定当時の我が国及び諸外国の実情を踏まえて一般的な運用利益を考慮されて制定されたものであって、いまだ、上記規定は改正されていないことに照らせば、中間利息の控除につき、民事法定利率である年5パーセントを採用しても不合理とはいえないのであって、上記原告らの主張は採用できない。
イ 葬儀費用 120万円
本件訴訟は債務不履行責任を追及するものであるが、本件における被告の債務不履行は不法行為にも当たりうることからすれば、葬儀費用も損害というべきであり、本件に現れた諸事情に照らせば、葬儀費用は120万円が相当である。
ウ 死亡慰謝料 2600万円
本件に現れた諸事情に照らせば、死亡慰謝料は2600万円が相当である。
エ 小計 8032万1763円
オ 過失相殺について
(ア) 被告は、<1>自殺は本人の自由意思によりなされるものであり、Eの自殺は多分に性格などの心因的要素によるところが大きい、<2>原告らは、Eのうつ状態に気づいていたのであるから、被告に告知するなど何らかの措置をとるべきであったのに、これをしなかったから、過失相殺減額をすべきであると主張する。
(イ) 上記<1>の被告の主張について
上記のとおり、本件自殺はうつ病により正常な判断能力等が著しく阻害された状態にて行われたものというべきであるから、自殺の事実をもって直ちに過失相殺減額をすべきとする上記主張は採用できない。
また、労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでないときは、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において、使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因としてしんしゃくすることはできないというべきである(最高裁判所平成12年3月24日第二小法廷判決民集54巻3号1155頁参照)が、上記認定のEの性格は上記範囲を外れるものとはいえないから、Eの性格及びこれに基づく業務の遂行の態様等がうつ病の発症及び症状の悪化並びに自殺に寄与しているとしても、過失相殺減額をすべきとする上記主張は採用できない。
(ウ) 上記<2>の被告の主張について
Eの前記損害は被告における勤務状態により生じたものであるところ、Eは自らの意思と判断に基づき被告の業務に従事していたものであり、原告Aらが、Eと同居していたとはいえ、同人の被告における勤務状況を改善する措置を採り得る立場にあったとも容易にいうことはできない。
そして、上記のとおり、G社長は、Eの長時間労働及び過重な業務内容を知り得え、さらに、Eの不眠の訴えを聞き、かつ、本件転落事故の発生を知っても、Eの業務処理につき代替措置を何ら講じることなく、業務に従事していたEを放置していたことからすれば、原告らが被告に対してEのうつ状態の告知を行えば、被告においてEにつき適切な業務内容の軽減等の措置が講じたはずであるともいい難いし、適切な業務内容の軽減等の措置が講じられないままに、Eのうつ病につき治療が行われたとしても、これが奏功したとはいい難い。
とすれば、原告らがEのうつ状態等の告知などの措置を講じなかったことをもって過失相殺減額をすべきとする上記主張は採用できない。
カ 相続
Eの上記損害に係る損害賠償請求権を、原告Aが2分の1の割合で、原告B及び原告Cがそれぞれ4分の1の割合で相続したから、原告らの各相続額は以下のとおりである。
(ア) 原告A 4016万0881円
(イ) 原告B 2008万0440円
(ウ) 原告C 2008万0440円
キ 原告Aの損益相殺 2093万8063円
原告Aが本件口頭弁論終結時までに労働者災害補償保険の遺族補償年金として2093万8063円の支払を受けたことは争いのない事実であるから、これを控除すると、同原告の損害額は1922万2818円となる。
ク 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、原告らは、原告ら代理人に対し、本件訴訟の追行につきを弁護士報酬の支払を約したと認められ、本件訴訟は債務不履行責任責任を追及するものではあるが、本件における被告の債務不履行は不法行為にも当たりうることから、弁護士費用も認められるべきであり、上記認容額、本件訴訟の難易、その他の事情を考慮すると、原告Aについては、190万円、原告B及び原告Cについては、各200万円が相当である。
ケ 原告らの各損害合計
(ア) 原告A 2112万2818円
(イ) 原告B 2208万0440円
(ウ) 原告C 2208万0440円
第4以上によれば、原告らの本件請求は上記の限度で理由があるから認容すべきであり、その余は理由がないから棄却すべきである。よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本久 裁判官 関根規夫 裁判官 稲吉大輔)
(別紙省略)