京都地方裁判所 平成13年(ワ)2820号 判決 2006年11月01日
主文
1 被告国立大学法人京都大学,被告L,被告H,被告I及び被告Jは,原告Bに対し,各自1406万9360円及びこれに対する被告国立大学法人京都大学,被告L及び被告Hについては平成12年2月28日から,被告I及び被告Jについては同月29日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告国立大学法人京都大学,被告L,被告H,被告I及び被告Jは,原告Cに対し,各自1406万9360円及びこれに対する被告国立大学法人京都大学,被告L及び被告Hについては平成12年2月28日から,被告I及び被告Jについては同月29日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らの被告国立大学法人京都大学,被告L,被告H,被告I及び被告Jに対するその余の請求及び被告D,被告E,被告F,被告G及び被告Kに対する請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用のうち,原告らに生じた費用の各8分の1と被告国立大学法人京都大学,被告L,被告H,被告I及び被告Jらに生じた費用の各8分の1を同各被告らの負担とし,原告ら及び被告国立大学法人京都大学,被告L,被告H,被告I及び被告Jらに生じたその余の費用と被告D,被告E,被告F,被告G及び被告Kに生じた費用を原告らの各負担とする。
5 この判決は,1,2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告らは,原告らに対し,各自1億1213万0388円及びこれに対する平成12年2月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告国立大学法人京都大学,被告D及び被告Eは,原告らに対し,各自金200万円及びこれに対する平成12年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要など
1 事案の概要
本件は,被告国立大学法人京都大学(以下「被告京都大学」という。)が運営する京都大学医学部附属病院(以下「京大病院」という。)に入院し,人工呼吸器を使用して治療を継続してきたA(以下「A」という。)の両親である原告ら(以下,原告Bを「原告B」と,原告Cを「原告C」という。)が,Aの死亡について,①被告L看護師(以下「被告L看護師」という。)がAの使用していた人工呼吸器の吸気の加湿に用いていた滅菌精製水を交換する際,4リットル滅菌精製水タンク(以下「精製水タンク」という。)を持ち込むべきところを誤って5リットル消毒用エタノールタンク(以下,同エタノールタンクを一般的に「エタノールタンク」といい,Aの病室に持ち込んだ同エタノールタンクを「本件エタノールタンク」という。)をAの病室に持ち込み,同エタノールタンクのエタノールとの表示があるラベルなどを確認すべきであったのに,その確認を怠って同エタノールタンクからエタノールを吸引してそれを人工呼吸器の加温加湿器に装着されたチャンバー(以下「チャンバー」という。)に注入し,Aにエタノールを吸引させた,②被告H看護師(以下「被告H看護師」という。),被告I看護師(以下「被告I看護師」という。),被告J看護師(以下「被告J看護師」という。)及び被告K看護師(以下「被告K看護師」といい,被告H看護師,被告I看護師,被告J看護師,被告K看護師をあわせて「被告看護師ら」ともいう。)が被告L看護師が持ち込んだ本件エタノールタンクのラベルを確認などすべきであったのにその確認を怠って同エタノールタンクからエタノールを吸引して,それをチャンバーに注入し,Aにエタノールを吸引させた,③被告F看護師長(以下「被告F師長」という。)及び被告G副看護師長(以下「被告G副師長」といい,同人と被告F師長をあわせて「被告看護師長ら」という。)がエタノールタンクと精製水タンクとが類似し,その取り違えの危険性があり,同取り違えを防止すべきであったのに同防止措置をとらなかったため,被告L看護師らが上記のとおりの取り違えをして,Aにエタノールを吸引させた,④被告D医師(以下「被告D医師」という。)及び被告E医師(以下「被告E医師」といい,両医師をあわせて「被告医師ら」という。)が,Aがエタノール中毒を想定させる症状などを呈していたところ,エタノールの誤注入など人工呼吸器の操作異常に気づき,それを解消すべきであったのに,これを漫然と見過ごし,エタノールの誤注入を解消すべき必要な医療措置をとらなかったため,Aにエタノールを吸引させたという各過失(ただし,被告京都大学との関係では同各過失とともに同各過失を基礎とする不完全履行)に基づくものであるとして,さらに,⑤被告医師ら京大病院関係者が原告らに対し,Aに対するエタノールの誤注入の事実を隠蔽する(医療事故隠蔽)故意行為があったとして,Ⅰ上記①ないし④の各行為について,a被告京都大学に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為(但し,使用者責任)に基づき,bその余の被告らに対し,不法行為に基づき,各自1億1213万0388円及び遅延損害金(起算日は原告らの主張する被告らの最後の不完全履行ないし不法行為の日)の,Ⅱ上記⑤の行為について,a被告京都大学に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為(但し,使用者責任)に基づき,b被告医師らに対し,不法行為に基づき,各自200万円及び遅延損害金(起算日は原告らの主張する被告らの不完全履行ないし不法行為の日)の支払をそれぞれ求める事案である。
なお,月日のみで記載する部分は特に断らない限り平成12年のことで,上記エタノールの誤注入を基礎とするAのエタノールの吸引事故を,以下単に「本件事故」ということもある。
2 基礎となる事実など(文章の末尾に証拠などを掲げた部分は証拠などによって認定した事実,その余は当事者間に争いのない事実である。)
(1) 当事者
ア A(昭和57年12月7日生まれ)は,原告らの子で,平成12年3月2日,死亡した。
原告らは,Aの死亡によりAが有していた権利義務を相続により各2分の1ずつ相続した(弁論の全趣旨)。
イ(ア) 被告京都大学は,京大病院を開設,運営している。
なお,被告京都大学は,国立大学法人法(平成15年法律第112号)に基づき,平成16年4月1日に成立したが,その際,国立大学法人法附則9条,同法施行令(平成15年政令第478号)附則4条に基づき,国の権利及び義務のうち被告京都大学が行う業務に関するものを承継した(弁論の全趣旨)。
(イ) 被告医師らは,本件事故当時,いずれも京大病院の小児科に勤務する医師で,被告D医師は,小児神経科を専門とする医師であり,被告E医師は医師免許を取得して2年目の研修医であった。
被告看護師長ら,被告看護師ら及び被告L看護師は,いずれも本件事故当時,Aが入院していた京大病院北病棟3階(以下「北病棟3階」という。)に勤務する看護師で,そのうち,被告F師長は,同病棟3階の看護師長の職に,被告G副師長は,同副看護師長の職にあった(丁1,2)。
(2) Aが出生してから本件事故があった最終の入院(平成11年10月24日)までのAの症状,入院歴などについて
ア Aは,昭和57年12月7日,岡山県倉敷市で出生し,生後10か月ころ,京大病院においてリー脳症(ミトコンドリア脳筋症)と診断された。
イ リー脳症は,中枢神経系の特異的な病変(脳幹部,大脳に局在する両側対称性の壊死性あるいは軟化性病変)を伴い,その病変が脳幹部に及ぶと呼吸中枢の低下などによって死亡する進行性脳変性疾患で,厚生労働省によって小児慢性特定疾患に指定されているところ,根本的治療法は現在のところ存在しないと考えられている。
ところで,Aのようにリー脳症に4歳以下で発症した場合,生存期間の中央値は0.9年で,感染を契機に悪化することが多く,死亡した症例のうち,44%は中枢性の呼吸障害を認め,26%が突然の昏睡で死亡するとの文献がある。
(甲B2,80,乙B4,丙A4,丙B1)。
ウ Aは,昭和58年12月,初めて京大病院に入院し,以後11回ないし12回の入退院を繰り返しながらリー脳症及び感染症などの治療を継続して受けてきた(乙A1ないし3,弁論の全趣旨)。
被告D医師は,平成4年12月ころよりAの主治医として治療を担当してきた(ただし,最終入院後の平成11年12月16日以降は,被告E医師が主治医として,また,被告D医師は,被告E医師の指導医としてAの治療を行ってきた)(乙A1,2,丙A5,被告D医師,被告E医師,弁論の全趣旨)。
(3) Aが最終の入院をした平成11年10月25日以降のAの症状,本件事故の経過などについて
ア Aは,平成11年10月25日,北病棟3階301号室に入院(結果的に最終の入院となった)し(Aは,入院時16歳10か月),同年12月24日ころから継続して人工呼吸器を使用することとなった(乙A1,2,弁論の全趣旨)。
イ 北病棟3階で2月,3月当時使用されていた精製水タンクとエタノールタンクは,その大きさ,色,材質,形状がよく似ていた。
ただし,未使用の場合,精製水タンクはタンク全体がビニール袋で覆われ,蓋には青色の封印がなされていたが,エタノールタンクは同ビニール袋がなく,蓋には白色の封印がなされていた。もっとも,蓋の封印を取り外すと両タンクとも白色の蓋が付いていた。それぞれの内容物を示すラベルは両タンクとも片方の側面にのみ付いており,エタノールタンクのラベルのほうが大きく,濃い青色のラインが入っており,精製水タンクのほうは薄い水色のラインが入っていた。また,エタノールタンクには専用のノズルがついていたが,精製水タンクにはそのようなノズルはついていなかった。
北病棟3階では,2月半ばころからエタノールタンクのノズルを精製水タンクにも流用して使用していた。
なお,精製水タンクが北病棟3階で使用されるようになったのは,1月12日からであった。
(甲B38,41,弁論の全趣旨)
ウ ところで,Aは,2月22日,頭部CT検査を受けているところ,同検査によると,大脳がほとんど萎縮し,リー脳症における最終期(末期症状)であったところ,被告D医師は,同検査結果を踏まえて同検査結果に基づき,原告らに対し,Aのリー脳症が末期症状で,脳幹の萎縮が更に進行する可能性が高く,同萎縮が血圧をコントロールしている部位までそれが及ぶと血圧が低下し,突然死に至ることがあるなど重篤である旨の説明をしている(乙A1〔106ないし108丁〕)。
エ 2月28日午後6時ころ,被告L看護師は,Aの使用する人工呼吸器の吸気の加湿に用いるための滅菌精製水を交換する際,誤って本件エタノールタンクをAの病室に持ち込んだ。
なお,持ち込んだ本件エタノールタンクに在中していたエタノールのアルコール濃度は77.86%で,同病棟で使用されていたエタノールタンク在中のエタノールのアルコール濃度は同持ち込んだものも含めて77%プラスマイナス1%の範囲のものであった(甲B42,43)。
その後,被告看護師らは,別紙エタノール注入表(以下「エタノール注入表」という。)の注入時間,注入量を除いた部分以外の記載のとおり,誤って持ち込まれた本件エタノールタンクからエタノールを注射器で吸い上げて,チャンバーに注入して,Aに吸引させた。
被告K看護師は,3月1日午後11時ころ,チャンバーにエタノールを注入した際,精製水タンクだと思っていた容器が実は本件エタノールタンクであることに気付いた(甲B73,被告K看護師)。
(4) Aの死亡時ないしそれ以降の経過にについて
ア Aは,3月2日午後7時54分,死亡した。
イ 被告D医師は,Aの死亡診断書を作成し,同日午後10時ころ,原告らに対し,Aの死因は敗血症性ショックによるものであると説明し,同死亡診断書を手渡した。
同死亡診断書にはエタノールの誤注入についての記載はなく,「直接死因」欄に「急性心不全」,「直接死因の原因」欄に「ミトコンドリア脳筋症」,「直接には死因に関係しないがⅠ欄の傷病経過に影響を及ぼした傷病名」欄に「慢性呼吸不全」との記載がなされていた。
ウ 同日深夜,原告らは,Aを連れて京大病院から自宅に帰宅した。
エ 同月3日午後4時ころ,被告D医師及び被告F師長は,原告らに連絡を取ったうえで原告ら方を訪問し,そこで初めて原告らに対し,Aへのエタノールの誤注入の事実を報告した。
オ 本件事故が京大病院から警察に届けられていたため,刑事事件として,同月4日,Aの司法解剖が京都府立医大病院で行われた。
同司法解剖の結果,Aの血液から致死量を超える血中エタノール濃度(右心血・左心血とも5.5mg/ml)が確認され,死因は急性エタノール中毒であるとの結論が出された(甲B1,2,169)。
(5)ア 被告L看護師,被告看護師ら及び被告看護師長らの2月28日から3月1日までの勤務の状況は以下のとおりである(甲B63ないし79,88ないし94,弁論の全趣旨)。
(ア) 被告看護師ら及び被告L看護師の勤務状況
エタノール注入表の月日,勤務者欄記載のとおり
(イ) 被告F師長は,2月23日から同月28日まで休暇を取っていて,同月29日から勤務をするようになった。
(ウ) 被告G副師長は,被告F師長が上記休暇を取っていた際,看護師長代理として勤務していた。
イ ところで,被告看護師らを含む看護師の勤務は日勤,準夜,深夜の3交代制が取られているところ,その各時間帯は以下のとおりである。
(ア) 日勤 午前8時00分から午後4時30分まで
(イ) 準夜 午後4時00分から翌日の午前0時30分まで
(ウ) 深夜 同午前0時00分から午前8時30分まで
3 主要な争点及び同争点に対する当事者の主張
(1) 被告L看護師の過失,同被告の行為を基礎とする被告京都大学の不完全履行について
(原告ら)
被告L看護師は,Aに使用されていたチャンバーに滅菌精製水を注入するにあたって,容器のラベルを確認するなどして,その医薬品が滅菌精製水であることを確認すべき業務上の注意義務があった。しかるに,被告L看護師は,漫然とこれを怠り,精製水タンクを持ち込むべきところを誤ってエタノールタンクを持ち込み,さらに,誤って持ち込んだ本件エタノールからエタノールを吸引してチャンバーにそれを注入して,エタノールをAに吸入させた。
(被告L看護師)
認める。
ただし,本件事故の背景には,同事故当時における北病棟3階の過酷な勤務状況,同病棟3階を含む在庫管理をはじめとする薬剤管理体制の不備,京大病院における看護師教育システムの不備など,京大病院における管理監督体制の不備が大きく影響している。したがって,エタノールの誤注入という本件事故は被告L看護師の個人的な過失のみで発生したものではなく,京大病院の管理監督体制の不備が大きく影響している。
(2) 被告看護師らの過失,同被告らの行為を基礎とする被告京都大学の不完全履行及び因果関係について
(原告ら)
ア 被告看護師ら共通
医薬品等を患者に投与する場合,準備時,実施時,終了時の3回確認するという確認の三原則は,看護師であれば必ず指導・教育されている基本原則である。たとえ他の看護師が準備した医薬品であっても,自分が使用する際には当然確認すべき注意義務がある。したがって,被告看護師らは,チャンバーに滅菌精製水を注入するにあたっても,注射器で注入すべきものをタンクから吸い上げる際,そのタンクが精製水タンクであるか,確認すべき注意義務があった。
ことに,精製水タンクとエタノールタンクなどが保管されていた北病棟3階にあった調乳室(以下,単に「調乳室」という。)での薬品管理が杜撰であったこと,両タンクの形状などが酷似していたこと,同エタノールタンクのノズルが精製水タンクに流用されていたこと,従来Aには500ml滅菌精製水ボトル(以下「500mlボトル」という。)が使用されていたのに,本件事故時にはタンクが使用されたこと,本件事故前の平成11年2月にはP病院における医薬品の取り違え事故が大きく報道されていたこと,そして,これらの事実を被告看護師らが認識していたことからすると,患者の体内に入れる医薬品の確認をすべき必要性は極めて高くなっていた。
しかし,被告看護師らは,いずれもその注意義務に違反し,誤って持ち込まれた本件エタノールタンクのラベルを一度も確認することなく同エタノールタンクからエタノールを吸引してチャンバーにエタノールを注入した。
ところで,誤って持ち込まれた本件エタノールタンク自体は軽いものであり,それが設置されていたワゴン下には同エタノールタンク以外の物品は置かれていなかったため,同エタノールタンクの方向を若干ずらすか,あるいは横から覗くだけでも同エタノールタンクに貼られていたラベルの確認はできた。したがって,同エタノールタンクをワゴンに設置したことで,同エタノールタンクからのエタノール吸引時,被告看護師らからラベルが見え難かったとしても,被告看護師らが確認義務を免れることはない。
イ 被告看護師ら各人の特有の事情
(ア) 被告H看護師について
被告H看護師は,本件のエタノールの誤注入時に,チャンバーの水滴が多いと感じていたうえ,Aの顔面紅潮や多い心拍数など,Aを見るようになってから初めての変化も認識していたし,2月28日午後11時ごろにAの装着していた人工呼吸器の異常を示すアラームが鳴っていたことにも気付いていたことから,なおさら誤って持ち込まれた本件エタノールタンクが精製水タンクであるかを確認すべき必要性が高かった。
しかし,被告H看護師は,2回にわたり同エタノールタンクからエタノールを吸引してチャンバーへの注入を行いながら,一度も同エタノールタンクのラベルを確認していない。
被告H看護師のエタノールの誤注入は,医薬品の内容の確認を怠るという基本原則違反であって,サーボ900Cという人工呼吸器の使用に慣れていなかったとか,看護師経験が浅かったということでその責任を免れるものではない。
(イ) 被告J看護師について
被告J看護師は,Aの人工呼吸器の吸気の加湿のため,従前,500mlボトルが使用されていたが,エタノールを誤注入した際,初めて精製水タンクのようなタンクが使用されているのを見たし,また,チャンバーの水の減り方が早いということにも気付いていたから,なおさら誤って持ち込まれた本件エタノールタンクが精製水タンクであるかを確認すべき必要性が高かった。
しかし,被告J看護師は,2回にわたり同エタノールタンクからエタノールを吸引してチャンバーへの注入を行いながら,一度も同エタノールタンクのラベルを確認していない。
(ウ) 被告I看護師について
被告I看護師は,エタノールを誤注入した際,いつもと比べて注入量が多いと感じていたから,なおさら誤って持ち込まれた本件エタノールタンクが精製水タンクであるかを確認すべき必要性が高かった。また,被告I看護師は,6回も同エタノールタンクからエタノールを吸引してチャンバーに注入を行っていながら,一度も同エタノールタンクのラベルを確認していない。
被告I看護師は,忙しさや疲労から誤って持ち込まれた本件エタノールタンクの内容物を確認しなかったというわけでもなく,事故後はすべてにおいて確認することにしており,そのことで特に業務に支障が生じているわけでない。この点からも本件事故当時でも,同エタノールタンクのラベルなどを確認してその内容物を確認することは十分可能であったことを示している。
(エ) 被告K看護師について
被告K看護師は,3月1日午後11時に1回だけチャンバーにエタノールを誤注入した旨主張する。しかし,同看護師は2回エタノールをチャンバーに誤注入している(甲B193)。
また,被告K看護師もチャンバーの曇りが強くなっていった状況を認識するなど異常を感じていたことから,なおさら誤って持ち込まれたタンクが精製水タンクであるかを確認すべき必要性が高かった。しかし,被告K看護師は,2回にわたって同タンクからエタノールを吸引してチャンバーに注入を行いながら,同タンクのラベルを確認しなかった。
ウ 因果関係について
(ア) 被告H看護師は,2月28日午後9時及び午後11時45分と,取り違えが起こってからかなり早い段階でエタノールのチャンバーへの誤注入を行っているため,その時点で誤って持ち込まれた本件エタノールタンクのラベルを確認するなどしていれば,それ以降エタノールが誤注入されることはなく,Aの死の結果は避けられた。
(イ) 被告J看護師は,2月29日の日勤帯において,被告I看護師は,同日午後7時ころに,取り違えが起こってからそれぞれ1回目のエタノールのチャンバーへの誤注入を行っているところ,被告I看護師が同注入を行った直前である同日午後5時ころのAの血中アルコール濃度は未だ致死量に達してはいなかった。したがって,両名が誤って持ち込まれた本件エタノールタンクのラベルを確認するなどしていれば,Aの死の結果は避けられた。仮に被告I看護師がエタノールの誤注入を行う前にAの血中アルコール濃度が致死量に達していたとしても,Aは,その時点において未だ生存し,直ちに死亡するような状況ではなかったことから,被告I看護師のエタノールの誤注入とAの死との間に因果関係があることはいうまでもない。
(ウ) 被告K看護師は,30mlもしくはその2倍以上のエタノールをチャンバーに誤注入しているので,同行為がAの死の結果に何らの影響もなかったとは考えられない。
(エ) 仮に,上記(ア)ないし(ウ)で記載した被告看護師らの各行為が一部なかったとしても他の者のエタノールの誤注入によってAの死の結果が生じる場合,同(ア)ないし(ウ)で記載した被告看護師らの各行為によってAの死が少しでも早められたといえるため,被告看護師らの各行為とAの死との間には因果関係が認められる。被告看護師らは,それぞれが相当量のエタノールをチャンバーに誤注入したのであるから,これらの各行為がAの死に何らの影響も与えなかったとは考え難い。
(オ) 仮に被告看護師らのエタノールの誤注入とAの死との間の因果関係の立証が不十分であるとしても,被告看護師らそれぞれの勤務形態などからすれば,同各看護師間においてはいわゆる強い関連共同体が認められるため,被告看護師らの同各行為について共同不法行為(民法719条)が成立する。したがって,被告看護師らの責任が免れることはない。
もし被告看護師らの同各行為について弱い関連共同体しかないと判断される場合であっても,同各行為とAの死との間の因果関係は法律上推定される。
(被告L看護師,被告看護師ら及び被告看護師長ら)
ア 本件事故の本質について
(ア) 看護師らの過酷な加重労働
本件事故当時,北病棟3階では,明らかな看護師の人員不足があり,しかも1年目など経験の乏しい看護師が数多く配置されていた。
また,同病棟の入院患者は,悪性腫瘍,心臓疾患,代謝疾患,神経疾患などありとあらゆる難病をかかえており,高度先進医療を提供する京大病院であればこそ受け入れられるという特徴を有していた。したがって,同病棟の看護師には複雑かつ高度でしかも緊急性の高い看護対応が求められていた。
さらに,上記のような特徴の他,被告看護師らは,一般に成人の2.5倍程度の看護時間を要するといわれた小児患者を担当していたため,なお一層の時間,手間及び人手を必要としていた。
同病棟の看護師らは,以上のような状況の中,3交代勤務という過酷な勤務形態を行い,しかも,常時2~3時間の残業を強いられ,その結果,慢性的な精神的,肉体的疲労により注意力,集中力が低下するという状況にあった。本件事故直前の同病棟の状況はさらに過密な勤務実態となっており,看護師らにかかる精神的,肉体的負担はかなりのものとなっていた。
本件事故の背景には,以上のような看護師らの加重労働があることは疑いようもない。
(イ) 京大病院の医療事故防止・安全管理体制の不備
京大病院においては,エタノールタンクと類似性の高い精製水タンクを採用していたが,それを保管するにあたって管理を薬剤部や各病棟の薬剤師が統一的に管理することもなく,被告看護師らが勤務していた北病棟3階では調乳室でその保管をしていたが,同所で両タンクの識別を明らかにするための措置はとられていなかったばかりか,両タンクには片面にのみラベルが貼られていたなど,薬剤部の薬品管理が不十分であった。両タンクを含めて薬剤部などできちっとした薬剤管理がなされていれば,本件事故を防ぐことができた。
また,本件事故当時,京大病院において,看護師らに対して医療事故防止のための教育は一切なされておらず,それどころか医療事故を誘発させると考えられる医療器具の流用(エタノールタンクの付属品であるノズルを精製水タンクに流用するなど)が慣行化すらしていた。仮に医療事故防止のための看護教育がなされていれば,本件事故を防ぐことができた。
本件事故は,以上のような京大病院自体の医療事故防止・安全管理体制の不備が本質的な原因となって発生したものである。
イ 被告看護師らの過失及び同被告らの行為を基礎とする被告京都大学の不完全履行がないこと
(ア)① 本件事故当時,被告看護師らを含む京大病院の看護師らにとって,滅菌精製水はその取り扱いが生命に対して危険性を有するものとは考えられておらず,特に滅菌精製水の投与を投薬と同様に扱うとの指導もなく,確認が徹底されている他の薬品とは異なるものと認識されていた。
② また,Aが使用していたチャンバーに注入するため精製水タンクを使用する場合,同タンクから滅菌精製水を注射器で吸い上げやすいように同タンクを設置するにはそのラベルをベッド側に向けて設置する必要があった。したがって,一旦そのように設置してしまうとラベルを確認することが困難であった。本件で誤って持ち込まれた本件エタノールタンクも上記のような態様で設置されていた。
ところで,Aに対する人工呼吸器の吸気の加湿には普段,500mlボトルが使用されていたが,他の患者の人工呼吸器の吸気の加湿のために精製水タンクの滅菌精製水が使用されていたこともあって,被告看護師らは,Aに同タンク様のものが使用されたとしても違和感を覚えることはなかった。
③ さらに,エタノールは,Aが使用していた病室も含めて常時使用されていたため,エタノール臭により取り違えに気付くことは困難であった。
④ 精製水タンクとエタノールタンクは酷似していたうえ,同タンクに付属されていたノズルが精製水タンクにも流用されていたこともあって,一見してほとんど区別がつかない状況であった。
(イ) 以上のような事情に加え,「本件事故の本質について」で記載したことを総合すると,被告看護師らには,精製水タンクとエタノールタンクを取り違えてチャンバーにエタノールを注入してAにそれを吸引させたという本件事故について,精製水タンクに代わって本件エタノールタンクが設置されているとの具体的予見可能性がなく,その誤設置に気づくことができて,エタノールの誤注入を回避でき,Aの死の結果を回避できたという結果回避可能性もないから,法的な過失責任はなく,また,同結果回避の期待可能性もなかった。
それにもかかわらず被告看護師らに過失を認めることは,まさに結果責任を問うことである。
ウ 看護師らのエタノールの誤注入とAの死との間に因果関係がないこと
(ア) 被告H看護師は,チャンバーにエタノールを注入しているが,その時点までのエタノールの誤注入量を合わせても,Aの死の結果が生じるほどのエタノール量でなかった可能性が高い。他方,被告I看護師が最初にエタノールを注入する前,既に他の看護師によるチャンバーへのエタノールの誤注入により,Aについて致死量に達するエタノールが誤注入され,それを吸引していた可能性が高い。
また,いつの時点でAが吸引したエタノールが致死量に達したかは明らかではないから,被告J看護師を含め,被告看護師らの各行為がAの死にどれだけ影響を与えたかは不明である。
(イ) ところで,共同不法行為が成立するためには加害者各自の行為と結果との間に因果関係が必要とされていること,また,被告看護師らのエタノールの誤注入という各行為はそれぞれ独立していることからすると,被告看護師らの同各行為の間には共同不法行為は成立しない。
(被告京都大学)
ア A以外の病室で精製水タンクを使用する場合は,同タンクの注ぎ口が手前になるように人工呼吸器が設置されたワゴンの下に据え置かれ,注ぎ口にエタノールタンクから転用していたノズルを使用し,ノズルを取らずに注射器で滅菌精製水を吸い上げられるようになっていた。誤ってAの病室に持ち込まれた本件エタノールタンクも,キャップが外され,エタノールタンク用のノズルが装着され,注ぎ口部分が手前になるようにしてワゴンの下に据え置かれていた。したがって,被告看護師らは,キャップのラップの色でタンクの違いを見分けることはできず,ラベルもベッド側にあって見えなかったことから,同エタノールタンクをワゴン下から引き出さない限り同エタノールタンクと確認することができなかった。また,Aの病室内も常時消毒用エタノールが使用されていたこともあって,エタノール臭の異常を覚知できない状態であった。
イ 以上のような状況からすると,被告看護師らにはAの病室に据え置かれたタンクの取り違え,具体的には精製水タンクではなくエタノールタンクであると具体的に予見できる可能性はなく,したがって,被告看護師らには,エタノールの誤注入について過失はない。
(3) 被告看護師長らの過失,同被告らの行為を基礎とする被告京都大学の不完全履行及び因果関係
(原告ら)
ア(ア) 本件事故当時,北病棟3階において使用されていた精製水タンクとエタノールタンクは,その大きさ・形状・材質などが酷似しており,その内容物を表示したラベルも側面に1か所しかなく,ラベルに入っているラインも青系の同系色であり,一見して判別しにくい状況にあった。また,両タンクが保管されていた場所は患者や患者の家族が自由に出入りできる調乳室で,両タンクを含めた医薬品などが置き場所の区別もなく,名称の表示もない状態で並べて保管され,その持ち出しにあたっても何らの報告,記録なども要求されていなかった。
(イ) 被告看護師長らは,北病棟3階で使用する滅菌精製水,エタノールなどの医薬品の保管・管理・使用について業務上の責任を負っていたところ,両タンクの著しい酷似性とともに上記保管状況を十分認識していたことからすると,それらを取り違えることが十分認識予見できたため,取り違えが生じないよう被告看護師らを含む看護師らに注意喚起をしたり,容易にその識別ができるようにしたり,置き場所を特定したり,持出し時に決められた書面に記録をするなどの適切な保管をしたりすべき注意義務があった。しかし,何らの注意喚起も行わず,漫然と両タンクの使用を継続させたうえ,エタノールタンクに付属のノズルを精製水タンクにも流用するという取り違えの危険性をさらに高める状況を容認していた。
(ウ) ことに,G副師長は,精製水タンクが2月22日夕方から29日午後まで,500mlボトルは2月27日から29日まで調乳室内に1本もない状態であったにもかかわらず,在庫があると誤認して被告L看護師に,調乳室で滅菌精製水を探すよう指示した。
(エ) 仮に被告看護師長らが,精製水タンクとエタノールタンクについて取り違えが生じないよう置き場所やその識別を意識的に明示するなど適切な管理をしていたら,被告L看護師,被告看護師らが本件の取り違えをすることはなかったため,Aがエタノールの誤注入により死亡することはなかった。
イ ところで,被告F師長は,2月28日まで休暇をとっていたが,同被告が医薬品の管理などについて業務上の責任を負っていたことからすると,その間に精製水タンクとエタノールタンクとの取り違えが生じたとしても,同取り違えないしそれによって生じたAの死亡に対する責任が免れるものではない。
また,薬剤部がどの製薬会社から薬剤を仕入れるかについて決定権限を有していたかも知れないが,仕入れた薬剤のうちどれを使用するかを決定するのは,北病棟3階では被告看護師長らであるから,薬剤部の存在ゆえに同被告らの責任が免れることはない。
ウ 精製水タンクは未使用の状態ではビニール袋で覆われていたが,開封後,同ビニール袋は破棄されるし,未使用の精製水タンクがビニール袋で覆われていることを知らない看護師も多かったため,ビニール袋の有無はエタノールタンクとの識別要素とはならず,その存在故に両タンクの取り違えについて予見可能性がないということはできない。
また,上記のように精製水タンクとエタノールタンクのノズルの流用が行われていたことからすれば,エタノールタンクにその付属品としてノズルがつり下げられているということも識別要素とはならない。
(被告看護師長ら)
ア 精製水タンクとエタノールタンクは,包装形態やラベルの色・大きさなどに違いがあり,保管場所から持ち出す際に通常の注意を払えば見分けることは十分可能であり,また,それぞれのタンクのラベルを見れば取り違える可能性はない。したがって,被告看護師らがラベルを確認するという通常の注意義務を払えば,換言すると,看護師として行うべき基本的なことをすれば薬剤の取り違えを防ぐことができた。そうすると,被告看護師長らには,両タンクの取り違えによる事故が起こることについての具体的な予見可能性はなかったし,同取り違えを回避すべき可能性もなかった。したがって,被告看護師長らには,本件の精製水タンクとエタノールタンクの取り違えについて過失はない。
イ 被告L看護師をはじめ北病棟3階の看護師らは,両タンクの類似性を認識していたが,看護師らがラベルを確認するという通常の注意義務を払っていれば取り違えは起こらなかったと考えられることなどからすると,仮に管理・保管状況が不適切であったり,被告看護師長らが日常的に取り違えについての注意喚起を行っていなかったとしても,そのことと両タンクの取り違えないしAの死との間の因果関係はないというべきである。
本件事故のような単純なミスが発生したのは,被告看護師らも主張するとおり,被告看護師長らではいかんともしがたい北病棟3階における看護師らの加重労働や京大病院薬剤部の管理体制にその根本原因があったのであり,京大病院こそその責任が問われるべきである。
(被告京都大学)
ア 精製水タンクとエタノールタンクには,包装形態やラベルの色・大きさなどに違いがあり,保管場所から持ち出す際に注意すれば見分けることは十分可能であった。したがって,被告看護師長らは,その持ち出し時にその取り違えによる事故が発生することを事前に予見することはできなかった。
滅菌精製水は滅菌措置がなされた水に過ぎないから,それ自体に危険性はなく,エタノールは日常生活でも使用されるものであり,それ自体の危険性は高くない。このような危険性の低い医薬品の保管・管理につき,被告看護師長らに対し,個数管理,持ち出しの届出・制限,医薬品の種別表示及び保管場所への立ち入り制限などを行うべき注意義務があったとは考えられない。また,本来,医薬品はラベルによってその内容物を確認すべきであるから,内容物を明示したラベルの貼付があれば足りるのであって,両タンクの外見が類似しているとしても,内容物を区別するためにはそれ以上の措置をとるべき法的な注意義務まではない。
イ ラベルの確認という作業は容易に行うことができ,かつ医薬品の内容物の確認方法として最も基本的かつ確実な方法であるから,看護師の勤務体制いかんによって,その実施が困難になるということはできない。
(4) 被告医師らの過失,同被告らの行為を基礎とする被告京都大学の不完全履行及び因果関係
ア 2月28日午後8時ころから同日午後11時30分ころまでの過失などについて
(原告ら)
(ア) エタノールの誤注入があった2月28日当時,Aの症状は安定していたが,同誤注入のあった直後ともいうべき同日午後8時ころ,Aは,突然嘔吐した。
同日午後8時30分ころには,Aは,口からの空気漏れがひどくなり,そのため,被告E医師がカニューレのカフを膨らませて隙間をなくしたり,カニューレを交換するなどした。
同日,準夜勤であった被告H看護師は,同日午後4時30分ころの引継ぎ以降,Aの症状として嘔吐,顔が赤い,脈が速いといったことに気付き,このことを被告E医師に伝えていた。
さらに,同日午後11時ころには,Aは,痰が詰まって呼吸が停止するなどの症状を起こした。ナースコールを受けて,被告E医師らがAの痰を吸引したが,吸引後も心拍数は上昇を続けた。このころ,Aは,赤く黒ずんだ顔色をして苦しそうであり,どす黒い舌を押し出すような形でかんでいるような状態であった。また,Aが使用していた人工呼吸器のアラームも頻回に鳴っていた。
同日午後11時30分ころのカルテには,「粘調な痰が塊で引けた」,「吸引を2~3回繰り返した後,Jackson-LeaseにてBaggingを行い」,「しばらくすると左肺野にて気管支狭窄音が聴取されるため,吸引を行うが,少量の白い泡状のゼクレートが引けるのみ」,「吸引後も気管支狭窄音が続く」などの記載がある。これらの記載からは,加湿が不十分なこと,重度感染による痰の増加ではないこと,呼吸器系の異常が認められることなどが読みとれる。なお,ゼクレートは痰のことである。
(イ) エタノールの誤注入があった同日午後8時以降の,以上のようなAの症状の変化はそれ以前のものとは異なる原因の特定しきれない変化であった。しかもその中には呼吸器系の異常を疑うべき事情も十分に有り,被告E医師は,そのことを十分に認識していた。さらに,本件事故当時,各地の医療機関での薬剤の取り違えが大きく報道されていたことに加え,北病棟3階では新人の看護師が多いうえに人数が不足していたこと,極めて杜撰な薬剤管理体制にあったことを被告E医師が認識していたことからすると,同被告は,投薬ミスなどの可能性も考慮し,使用されている医薬品,人工呼吸器などの医療器具を改めて点検すべきであった。
特に,Aには上記のとおり呼吸器系の異常を疑うべき症状もあり,人工呼吸器の異常は患者の生命を左右しかねないので,人工呼吸器については真っ先に点検すべきであり,そうすればエタノールの臭気などからAに対するエタノールの誤注入を容易に発見し得た。
しかるに被告E医師は,以上の各注意義務を怠り,エタノールがチャンバーに誤注入されていることを発見する機会を逸し,さらにはAの人工呼吸器の下に置かれている本件エタノールタンクが精製水タンクではなく,エタノールタンクであることを発見する機会を逸したのである。
(ウ) ところで,Aに対する治療方針などの最終決定権は指導医である被告D医師にあったところ,被告E医師は,被告D医師の補助者的立場にあったというべきであるから,被告E医師の上記注意義務違反は被告D医師の同注意義務違反と同視しうる。
(被告京都大学,被告医師ら)
(ア) エタノールの誤注入が行われた当時,Aは,既にリー脳症の最終期(末期状態)にあり,その予後は極めて不良であった。そして,2月22日に人工呼吸器をサーボ型に戻した後も,Aは,肺炎の憎悪が繰り返し認められるなど,その容態は不安定であった。
また,Aには胃食道逆流症があったため,嘔吐は特に珍しい症状とはいえず,痰が詰まることも,肺炎が憎悪したときにはしばしば認められる症状である。顔面紅潮は発熱によるものと考えられるが,このような発熱はそれまでに何回も認められていた。また,心拍数は除々に上昇していたが,このような心拍数の上昇もそれまでに何回も認められていた。
被告E医師は,2月28日午後11時30分ころから気道内圧の上昇や低下したSaO2を改善するために吸引などの処置をとっているが,これらの処置は従前とられていた処置と本質的に異なることはない。吸引により「粘調な痰が塊で引けた」のは,肺炎の憎悪により痰の量が増えたためであって,加湿が十分かどうかとは関係がなく,「少量の白い泡状の痰が引けた」というのは特に異常なことではなく,加湿不足があったことを示すものではない。
(イ) 原告らが指摘するAの症状はそれまでたびたび繰り返していた肺炎の憎悪などで十分に理解することができる。したがって,それ以上に,エタノールの誤注入を疑って人工呼吸器の異常やそれに注入されていた医薬品を点検などすべき注意義務まではなかった。特に被告D医師は,被告E医師がAを診察していた際,その場にはおらず,Aの同各症状を知らなかった。したがって,被告D医師が同時点で原告らが主張するような注意義務を負うことはなく,また,被告E医師の行為が被告D医師の行為と同視されることはない。
イ 2月29日午前4時30分ころから同日午前7時ころまでの過失(敗血症・敗血症性ショックの発症の有無など)などについて
(原告ら)
(ア) 2月29日午前4時30分ころのAの症状は赤い顔をして,苦しそうに息を吸い上げているというものであった。また,血中酸素飽和度が正常であるにもかかわらず心拍が上昇するというこれまでにない症状も呈していた。
同日午前4時30分ころからのカルテには,「あえぎ呼吸が見られ,HR120であるとのCallあり。」,「HR120,10秒に1回程度のため息様の大呼吸を認めた。」,「吸痰などを行ってもあえぎ様の呼吸は消失しなかった。」,「肺葉全体に渡り,紋状陰影が存在,肺炎が左肺野全体に広がっていると考えられた。」などの記載がある。
同日午前5時5分ころに行われた血液検査結果によると,乳酸値は55.3mg/dlとなっているが,これは通常の範囲の最高値(18mg/dl)の約3倍,エタノールの誤注入が始まる直前の値(3.7mg/dl)の約15倍の数値である。また,血清CRP値(以下,単に「CRP値」という。)は2.5mg/dlと極めて低値を示していた。同検査結果からすると,Aの容態の急激な変化については感染症以外の原因を想定すべきであった。
同日午前6時30分ころのカルテには,メイロンと蒸留水を静注するも,その後も「あえぎ呼吸続いており」,「HRも120のままであった。」,「顔面のやや紅潮を認め,末梢は温かい状態であった。」などの記載がある。
(イ) 以上のようにこの期間におけるAの症状,血液検査の数値は,敗血症性ショックやリー脳症末期の症状では説明しきれないものであった。同月28日午後8時ころから同日午後11時30分ころまでの症状にこれらの症状がさらに加わったことを踏まえると,被告医師らは,人的な過誤の可能性も考慮し,なおさらのこと医薬品,人工呼吸器などの医療器具の点検を行うべきであった。特に,Aの急変の内容を子細に検討すれば呼吸器系すなわち人工呼吸器の異常に気付くことも十分可能であった。人工呼吸器の異常が生命を左右しかねないことも考えると,人工呼吸器についてはとりわけ点検すべき必要性が高かった。しかし,被告医師らは,医薬品や人工呼吸器などの医療器具の点検を怠った。
(ウ) 被告医師らは,Aの症状は敗血症及び敗血症性ショックによるもので,そう診断することに合理性があったため,エタノールの誤注入を疑うような事情はなかった旨主張する。
しかし,2月29日午前4時30分から午前7時ころ,Aの症状は嘔吐,顔面紅潮,末梢の温感など,敗血症及び敗血症性ショックによっては通常見られないものも多く含まれていたし,このころのCRP値は,Aにしては低い値にとどまっており,敗血症性ショックを疑わせるような数値ではなかった。
ところで,敗血症の確定診断は患者の血液培養で菌を検出することによってなされるが,Aの場合,血液培養検査において細菌は検出されていない。
また,被告らは,敗血症の起炎菌としてヘシウム菌の可能性を主張するが,ヘシウム菌は病原性や毒性の弱いものであって,これを起炎菌として敗血症を発症したとは考えられず,ましてや敗血症性ショックに進展することはありえない。
そして,同日午前7時ころ,被告D医師は,原告Cに対し,「何で急にこのような状態になったのかわからないけれども,敗血症性ショックですね,ショック状態です。でも,CRPが2だからフォーカスがわからないけれど,今考えられるのはおしっこかな。でもおしっこでここまでなるかな。」と述べ,被告D医師にしては珍しく迷っている様子だったこと,カルテにおいて唯一感染症を示唆する記載である「膀胱バルーン挿入し,黄色の濁った尿が得られた。~培養提出」との記載は,後に被告E医師が無理矢理挿入したものであり,被告E医師のカルテ改ざんであること,同日午前7時30分ころに原告Cは,病室から出され,血液の専門家や小児循環器の専門家など,原告Cが全く知らないような多数の各専門医が病室を訪れ,被告D医師が意見を聞いていたことなどからすると,被告医師らがAの症状について,そのころ敗血症性ショックと確定診断していたとは考えられない。
以上の事実などからすると,Aは,敗血症及び敗血症性ショックを発症した事実はなく,被告医師らも敗血症性ショックとの診断に強い疑いを抱いていたのであるから,これらを理由に被告医師らに過失がなかったとすることはできないし,また,エタノール中毒によるAの死亡に敗血症などが影響を与えたということもない。
(被告京都大学・被告医師ら)
(ア) 2月29日午前6時ころ,被告D医師は,救急部の当直室で仮眠していたところ,Aの容態が急変した旨の連絡を受けて,Aが入院していた病室に駆けつけ,被告E医師からAの症状及び血液検査の結果などについて報告を受けた。被告D医師は,その報告などから感染症が活発化して代謝性アシドーシスの状態になっていると判断し,急激に代謝性アシドーシスになったこと,あえぎ呼吸,頻脈,血中ブドウ糖が正常値の2倍以上の異常高値を示していたことなどからショック状態に陥っているものと判断した。そして,そのように急激にショック状態を来すような感染症は敗血症であると考えて敗血症性ショックを疑い,被告E医師とともにその治療を開始した。その後,同日午前7時37分ころまでの間,Aに昏睡状態,末梢冷感,血圧低下などの臨床所見が認められたため,被告D医師は,これまでの事情を総合し,敗血症性ショックと確定診断した。そして,Aからの採尿により黄色の濁った尿が得られ,その尿から多数の白血球が認められたので,膿尿と判断し,細菌培養検査に出したところ,大量のヘシウム菌が培養同定された。敗血症の感染経路としては,このヘシウム菌による尿路感染症の可能性が高いが,肺炎から伝播した可能性も完全には否定できなかった。
(イ) ところで,原告らが異常があったとするAの症状は肺炎(感染症)の悪化によって説明することが可能なものばかりで,そのような症状が重畳的に起こってもなんら不思議なことはない。
したがって,被告医師らには敗血症及び敗血症ショックの他,人工呼吸器の異常や医薬品の取り違え(エタノールの誤注入)について具体的予見可能性がなく,したがって,人工呼吸器の異常や医薬品の取り違えなどを疑って,これを発見すべき注意義務まではなかった。したがって,被告医師らには原告らが主張するような過失はない。
(ウ) 原告らは,被告D医師が「何で急にこのような状態になったのかわからないけれども,敗血症性ショックですね,ショック状態です。でも,CRPが2だからフォーカスがわからないけれど,今考えられるのはおしっこかな。でもおしっこでここまでなるかな。」という趣旨の発言をしたと主張するが,被告D医師は,Aの状態が敗血症性ショックと考えられること,極めて厳しい状態にあることを説明したが,同発言をした記憶はない。また,同発言内容自体,敗血症性ショックに疑問を呈したものではなく,その感染源がどこにあるか分からないと述べているに過ぎない。
なお,Aから採取した同日の血液培養検査の結果は陰性であるが,敗血症であっても血液培養検査で菌が検出されない場合も多く,同陰性であったことから直ちに敗血症を否定できるものではない。
また,CRP値の上昇は敗血症性ショックの診断基準に含まれていないから,その数値が低いからといって敗血症性ショックを否定することはできない。CRP値は同日午後11時16分ころから上昇しているが,それまでの数値も正常範囲の8倍前後で推移し,これらの数値から正確に炎症の状態を判断することは困難である。
さらに,アルコール中毒症(エタノール中毒)になると,低血糖となるはずであるから,Aのショック状態がエタノールによるものであるとすると,高血糖の説明がつかない。エタノールの影響によりショック状態に陥るためには血中エタノールの濃度が致死量に近い値を示す必要があるところ,Aがショック状態に陥った時点では血中エタノール濃度は到底致死量には届いておらず,Aのショック状態はエタノールによるものとはいえない。
ウ 2月29日午前7時ころからエタノール誤注入が発見されるまでの過失などについて
(原告ら)
(ア) 2月29日午前7時ころ以降においては,上記ア,イの原告らの主張で述べた事情に加えて,カルベニン,バンコマイシン,フルマリンといった抗生剤を次々と投与したが効果がなく,同日夜には抗生剤の投与を中止したこと,CRP値が同日深夜になっても微増にとどまり,敗血症もしくは敗血症性ショックを裏付けるような数値になっていなかったこと,Aのあえぎ呼吸は3月1日の早朝まで継続していたことがあった。
(イ) したがって,被告医師らとしては,それ以前にも増して,敗血症もしくは敗血症性ショック以外の疾病の発症を考えてその原因を究明するとともに,人為的過誤の可能性も考慮し,医薬品の取り違えの他,特に生命を左右しかねない人工呼吸器などの医療器具を点検する業務上の注意義務があったのにこれを怠った。
(被告京都大学・被告医師ら)
敗血症性ショックはもともと致死率が高いうえに,Aがリー脳症との長い闘病生活で体力を消耗していたことからすると,敗血症性ショックとの診断で開始した治療に対する反応が乏しいことは十分に予想できたことである。Aに対する抗生剤の中止は効果がないことが明白になったからではなく,Aには無尿の状態が続いていたことから,このまま継続すると体内に抗生物質が蓄積するおそれがあると考えたためである。また,2月29日におけるCRP値の検査値の動きやあえぎ呼吸の症状は,敗血症性ショックとの診断と矛盾しないし,あえぎ呼吸は同日午後7時ころにはほぼ消失している。
したがって,被告医師らに原告らが主張するような過失はない。
(5) 説明義務違反(事故隠し)及び因果関係について
(原告ら)
ア 被告医師らは,本件エタノールタンクの設置・管理,本件のエタノールの誤注入のような明白な過誤があり,これによってA(患者)の生命,身体に対する重大な結果の発生が予見される場合には,その事実を速やかに原告らに報告し,その過誤が患者にいかなる影響を与えるのか,どのような治療を行うのかを適宜説明し,今後の方針や治療内容などについて承諾を得るべき注意義務がある。また,患者の生命,身体に重大な影響が考えられる過誤が存在し,その後に患者が死亡したような場合には,その過誤による影響を調査し,調査内容を患者の遺族らに報告すべき注意義務がある。
イ 被告医師らは,Aへのエタノールの誤注入の事実を知った3月1日午後11時ころには,直ちに原告らにそのことを告げるべき注意義務があった。また,遅くともエタノールの誤注入の時期や量を知った同月2日の夕方ころには,それによる影響,今後の方針や治療内容をAの両親であった原告らに説明して今後の治療内容などについて承諾を得るべき注意義務があった。さらに,Aが死亡した後には,速やかにエタノールの誤注入による影響を調査し,その結果を原告らに報告する注意義務があった。しかし,以下の事実からすると,被告医師らを含む京大病院ぐるみでエタノールの誤注入の事実を隠蔽するなどしてそれらをいずれも怠ったことは明らかである。
(ア) エタノールの誤注入の事実が原告らに対して誰からも伝えられなかったこと
原告らは,エタノールの誤注入が発覚した3月1日から被告D医師らが自宅を訪問し,同事実を述べた同月3日午後4時ころまでの間,エタノールの誤注入を知っていた被告医師らを含む京大病院関係者から同誤注入の事実を知らされなかった。また,被告D医師は,同エタノールの誤注入の事実を述べた際も真実はAがエタノール中毒で死亡したにもかかわらず,エタノール中毒で死亡したのではない旨虚偽の事実を告げた。
また,原告らは,3月2日,被告D医師からAの死亡診断書を渡されたが,その際も被告D医師は,原告らにエタノールの誤注入を告げることなく病理解剖を勧めた。仮にその時点で原告らが病理解剖に同意していたら,エタノールの誤注入によりAが死亡したという事実は闇に葬られていた可能性が高い。
(イ) 死亡診断書の虚偽記載
被告D医師は,死亡診断書作成当時,Aの直接死因について「急性エタノール中毒」であると認識していた。したがって,死亡診断書を作成する際,直接死因として「急性アルコール中毒」と,死因の種類を外因死のうち中毒によるものと各記載したうえ,エタノールの誤注入の事実を記載した死亡診断書を原告らに交付すべきであった。しかし,被告D医師は,死亡診断書にはAに対するエタノールの誤注入について一切記載せず,死因について「急性心不全」と虚偽の診断書を作成した。
仮に被告D医師が敗血症性ショックによりAが死亡したと考えていたのであれば,死亡診断書の直接死因欄に「敗血症性ショック」と書くはずである。直接死因を,何ら死因を明らかにしない「急性心不全」との記載にしたのは,後に死因が明らかになれば責任を追及されるおそれがあるので,それを逃れるためであった。
(ウ) カルテにエタノールの誤注入について記載がなかったこと
本来,エタノール誤注入の事実が発覚した時点で,それがAの容態に影響を与えたか否かにかかわらず,その事実はカルテに記載されなければならない。
しかし,被告医師らは,エタノールの誤注入がAの容態に影響を与えたことを認識していたにもかかわらず,本件事故が発覚した後に4頁にもわたってカルテを記載しながらその事実を一切記載していない。
3月2日の欄にエタノールの誤注入について記載されているが,この欄だけ不自然に違う頁に書かれており,同部分が実際に3月2日に書かれたのか疑わしい。
(エ) 看護記録・申し送りノートに誤注入の事実の記載がないこと
被告看護師らは,エタノールの誤注入が発覚した後からAが死亡するまでの間の看護日誌・看護記録・申し送りノートに本来記載されるべきエタノールの誤注入の事実を記載していない。本件で被告となった被告看護師らにも事故隠蔽の意図があった。
ところで,経過記録の3月2日の欄には,エタノールの誤注入の事実が記載され,「詳細は2号紙へ」との記載がある。しかし,2号紙は本件で提出されていないところ,実際には「2号紙」に詳細が記入されたにもかかわらず,被告らにとって不利な内容であったため,隠蔽されたのではないかと疑わざるを得ない。
(オ) カルテの改ざんがあること
カルテの記載からすると,2月29日7時37分の欄の「注射の痛みに対する反応は認められなかった」という一文,「膀胱バルーン‥‥‥培養提出」という一文,同日午後4時30分の欄の「あえぎ呼吸がほぼ消失した」との一文は,いずれも後から不自然に挿入されたものである。
Aに対するカルテを見ると,エタノールの誤注入前には,後から挿入されたり,順番がおかしくなっている箇所は一つもないが,同注入後は上記のように不自然な挿入箇所が複数存在し,しかもそれがすべて被告医師らの主張を裏付ける記載になっている。このような各記載態様,内容からすると,同不自然に挿入された部分も含めて被告医師らによってカルテの改ざんがなされたことが明らかである。
(カ) 血液検査の放棄
エタノールの誤注入がAの容態に及ぼした影響を調べるためには,Aから採取した血液の血中エタノール濃度を測定する必要がある。しかし,被告D医師は,エタノールの誤注入を知った約12時間後である3月2日の午前11時ころになってはじめてAの血液の採取及び検体(血液)の保存を指示したが,採った血液の血中エタノール濃度検査をしていない。
仮に京大病院内で同血中エタノール濃度検査を行うことができず,外部に検査を依頼すれば10日から13日かかり,検査結果がAの生存時に間に合わないとしても,本件事故の事実調査や原告らへの説明のためには血中エタノール濃度を調べることは必要不可欠であった。
(キ) 記者会見における虚偽の報道
京大病院関係者らは,Aの死亡後に行われた記者会見において,エタノールの誤注入が起きた直前の2月24日にはAの症状が安定していたにもかかわらず,非常に厳しい状態にあったとか,本件事故の公表が遅れた理由について家族を説得するのに時間がかかったとか,Aが10年以上前から人工呼吸器を装着していたなどと虚偽の事実を発表している。
ウ 原告らは,被告医師らの事故隠しという上記注意義務違反行為により精神的苦痛を被った。
(被告京都大学・被告医師ら)
ア 医療過誤が発生した場合に,その医療過誤が患者の病状に影響を与えており,それに対する治療行為が必要であると判断された場合であればともかく,本件のようにエタノールの誤注入がAの病状に影響を与えた可能性が小さく,これに対する治療の必要性がないと判断されたような場合は医療過誤との関係で患者の同意を得るべき対象がなく,同同意を得る必要性がない。したがって,原告らが主張するような診療契約上,また,条理上の説明義務は発生しない。
イ 2月29日,被告医師らは,Aの病状が急変した後,これが敗血症性ショックによるものであると判断できることやそれによるAの死の可能性について何度も説明していた。加えて,被告医師らは,3月3日,原告らの自宅で同人らに対し,エタノールの誤注入の事実を説明し,病理解剖を勧めるとともに被告京都大学関係者が本件事故について,所轄警察署に連絡した。
以下の事情からすると,被告医師らは,誠実に対応し,エタノールの誤注入の調査や原告らに対する同調査結果の報告は十分になされたといえるし,被告医師らを含む京大病院関係者の誰にも「事故隠し」の意思がなかったことは明らかである。
(ア) 原告らへの報告が3月3日午後4時ころになったこと
被告D医師は,3月1日午後11時ころにAに対するエタノールの誤注入を聞いたが,その時点では何時から,どれくらいの量のエタノールが注入されていたのか不明であったため,被告F師長の調査で事実関係が明らかになってから原告らに知らせたほうが良いと判断した。患者や家族への説明は治療上,緊急を要する事柄でないため,事実関係の調査を待ったことで多少説明の時期が遅れたとしても,それは医師の裁量の範囲内の行為というべきである。
被告D医師が被告F師長から調査報告を受けたのは3月2日午後6時ころであるが,そのころには既にAの死が間近に迫っていたこともあって,必死の思いで看病をしている原告らに対し,直ちにエタノールの誤注入の事実を知らせることを迷った。そして,同日午後7時54分にAは死亡するに至ったが,被告D医師は,原告らが,Aが死亡して大きな悲しみに打ちひしがれていることから,直ちにエタノールの誤注入の事実を告げて気持ちを一層混乱させるのは忍びないと考え,他の教授らと協議のうえ,できるだけ早く,遅くとも初七日までに原告らにそのことを説明することにした。
(イ) 死亡診断書の記載について
被告D医師は,Aに対する死亡診断書作成当時,Aの死因について敗血症性ショックによる「病死及び自然死」と判断しており,急性エタノール中毒死とは判断していなかった。したがって,直接死因として「急性エタノール中毒」と記載することは不可能である。また,エタノールによって死期を早めた可能性はあるとしても,その可能性は小さいと判断していたから,それがAの死亡に「重大な影響を及ぼしている」とは認識していなかった。以上のことからエタノールの誤注入について死亡診断書に記入する必要性があると考えなかった。
被告D医師は,老年科教授室において,教授らに死因について敗血症性ショックでいいかと尋ねたのに対し,「急性心不全でいいのではないか」と指摘されたため,死亡診断書の直接死因欄に「急性心不全」と記載したのであって,隠蔽の意思は全くなかった。
(ウ) カルテにエタノールの誤注入についての記載がないこと
3月1日午後11時ころ,被告D医師がカルテにエタノールの誤注入の事実を記載しなかったのは,それによる影響が少ないと判断したためであって,同事実を隠すためではなかった。エタノールの誤注入の時期及び量がある程度明らかになった3月2日のカルテには同事実を記載している。そもそもカルテは患者に見せるために記載しているものではなく,したがって,そこへの記載の有無と原告らに対する説明義務とは何ら関係がない。
Aは,エタノールの誤注入が発覚した時点において,それを前提とする新たな治療を行うことができる症状ではなく,エタノールの影響が予見できる状況でもなかった。
以上のことからすると,エタノールの誤注入という事実はカルテの必要的記載事項とはいえなかった。
(エ) 看護記録・申し送りノートにエタノールの誤注入の事実の記載がないこと
被告看護師らが看護記録などにエタノールの誤注入の事実を記載しなかったのは,本件事故当時,医療事故が発生した場合に,それを記録するという習慣がなく,教育もされていなかったためである。
また,エタノールの誤注入の時期及び量がある程度明らかになった3月2日の看護記録にはそのことが記載されている。
(オ) カルテの改ざんはないこと
原告らがカルテの改ざんと主張する部分は,いずれもカルテ記載後に行った検査結果や被告D医師との会話に基づき思い出した症状を,被告E医師が当日のうちに書き加えたに過ぎず,エタノールの誤注入が発覚する前に記載したものである。一連の事項を記載した後で見直しをし,記載漏れがある場合に記載漏れした事項を書き加えることは日常しばしば起こり得ることである。
(カ) 血液検査について
Aから採取した血液の検査を行わなかったのは,同検査を依頼してもその結果が出るのに10日ないし13日かかることが予想され,Aの生前に間に合わないと考えたためで,その代わり,採取した血液を検体として冷凍保存した。ところで,司法解剖以前のAの血液について,血中エタノール濃度が鑑定されているが,このような鑑定が可能となったのは,被告医師らが採取した血清の残りを保存したり,エタノール検査用の血液を保存していたためで,このような事実は原告らの主張する「事故隠し」と矛盾する。
(キ) 記者会見について
京大病院が行った3月7日の記者会見で一部不正確な発表があったことは事実であるが,同記者会見は既に本件事故について警察の捜査が始まった以降の時期であった。
(6) 損害
(原告ら)
ア 積極損害
(ア) 葬儀費用 163万3720円
(イ) 死体検案書代 5000円
イ 逸失利益 3029万7997円
350万1849円(平成11年度賃金センサス女子労働者学歴計に平成12年度の女子増加率1.4%を加えた金額)×(1-0.5〔生活費控除〕)×17.304(ライプニッツ係数)=3029万7997円
Aは死亡当時17歳であったところ,本件事故により死亡することがなければ,将来飛躍的に進歩した医療技術によりリー脳症が治癒し,症状が改善された可能性は十分にあった。
仮に全額の逸失利益の賠償が認められないとしても,本件事故により新しい医療技術によるリー脳症の治療を受ける機会を奪われたことは慰謝料算定において考慮されるべきである。
ウ 死亡慰謝料 7000万円
(ただし,Aが被った精神的苦痛に対する死亡慰謝料及び原告らが被ったA死亡に伴う精神的苦痛に対する慰謝料をあわせて)
(ア) 被告らの過失の重大性
エタノールの誤注入という本件事故は,患者に対する医薬品の種類に間違いがないかどうか,容器であるタンクのラベルなどを確認しさえすれば容易に防げた事故であり,被告L看護師,被告看護師らの過失は極めて重大である。
また,本件事故は,被告L看護師及び被告看護師らの単純な過失が契機となっているが,単なる個人のミスで評価できるものではなく,その背景には被告看護師長らの薬剤管理体制及び監督の不備がある。
さらに,被告医師らは,Aの血液検査の結果及び症状などから人工呼吸器の異常や医薬品の取り違えなどを疑って,容易にエタノールの取り違えなどの原因を発見し,適切な処置をすることにより,Aの死を防止することができた。
被告らの過失の重大性は,A及び原告らに対する慰謝料算定において十分に考慮されるべきである。
(イ) 本件事故によりAが多大な苦痛を受けたこと
本件事故が,Aを17歳の若さで死亡させるというあまりにも重大な結果を招いたことはいうまでもない。それに加えて,Aは,エタノールが誤注入されたその当初から死亡するまで長時間にわたってエタノールを強制的に吸引させられるという耐え難い苦痛を受けた。Aが受けた同苦痛はAに対する慰謝料算定において十分に考慮されるべきである。
(ウ) 原告らの被った精神的苦痛
原告らがAの病気の治療と養育にかけてきた熱意とその月日からもうかがえるように,原告らとAとの関係は通常の親子関係を遙かに超えた極めて緊密なものである。
原告らがAを失った悲しみは計り知れず,その精神的苦痛は極めて大きい。
(エ) 被告ら京大病院関係者による事故隠しの悪質性
被告ら及び京大病院関係者によって,エタノールの誤注入について,組織的な事故隠しが行われたが,このような京大病院の対応は極めて悪質なものであり,医療従事者として有すべき良心や誠意を全く欠いている。この点もAに対する死亡慰謝料の算定において十分に考慮されるべきである。
(オ) 以上の(ア)ないし(エ)を踏まえると,慰謝料としては7000万円が相当である。
エ 弁護士費用 1019万3671円
被告L看護師,被告看護師ら及び被告看護師長らの上記行為と相当因果関係がある弁護士費用としては上記アないしウの合計額1億0193万6717円の1割相当額である1019万3671円が相当である。
オ 説明義務違反にかかる慰謝料 200万円
被告医師らを含む京大病院関係者による事故隠しにより原告らは,精神的苦痛を被ったが,同苦痛を慰謝するための慰謝料は200万円を下ることがない。
(被告ら)
ア 積極損害
知らない。
イ 逸失利益
Aは,今回の入院時点で既にリー脳症の進行によって寝たきりの状態に陥っており,もともと稼働能力がなかった。したがって,Aに逸失利益相当の損害が認められる余地はない。
ウ 死亡慰謝料
(ア) 被告L看護師に過失があることは争わない。しかし,その余の被告看護師ら及び被告看護師長らに過失はなく,また,被告医師らにも過失がないため,被告L看護師以外の被告らの過失が重大であるとして慰謝料が増額されることはない。
Aの死亡が重大な結果であることは間違いない。しかし,本件事故当時のAの症状はリー脳症の末期症状で,容態がいつ急変してもおかしくない状態にあったこと,Aは,血中エタノール濃度が致死量に達する前,既に敗血症性ショックを併発していたこともあってエタノール中毒による肉体的苦痛を感じないで済んだと考えられること,Aは,エタノールの誤注入がなかったとしても敗血症性ショックにより同じころに死亡したと考えられることなどの事情も,慰謝料算定において,考慮されるべきである。
Aを失ったことによる原告らの悲しみが計り知れないことは確かであるが,もともとAの死期は近かったといえるから,Aの死自体による悲しみは避けることができなかったし,1歳未満でリー脳症を発症したAが17歳まで生存することができたのは被告D医師を始めとする京大病院医師らの努力によるところが大きい。
原告らの主張する「事故隠し」は,原告らの誤った思い込みであるうえ,原告らが独立の請求として主張する請求原因としての説明義務違反事実と重なるため,同請求と死亡慰謝料としての請求の両方で請求するのは二重請求にあたる。
(イ) 死亡慰謝料の算定にあたっては,死亡により失われた生命の長さによって精神的苦痛に大幅な差異がある。本件のエタノールの誤注入当時,Aの生命予後は極めて不良であった。したがって,死亡慰謝料の算定にあたってはこの点を十分に考慮すべきである。
エ 弁護士費用
争う。
原告らが本訴を本件原告ら訴訟代理人(同訴訟復代理人を含む。)である弁護士らに依頼したことは認めるが,その余は知らない。
オ 説明義務違反にかかる慰謝料
原告らは,「事故隠し」があった旨主張するところ,同主張は原告らの誤った思い込みである。したがって,原告らに精神的損害が発生する余地はない。ところで,被告医師らが原告らに対し,エタノールの誤注入を直ちに知らせなかったのは原告らへのいたわりの気持ちとともに当時エタノールがAの死に重大な影響を及ぼしていると判断するだけの医学的根拠がなかったからである。
第3当裁判所の判断
1 上記基礎となる事実など,証拠(甲A3,B2,44,45ないし48,50,52,54,55,59,64,67,70,72ないし74,77,79,80,84,90,91,93,188の①ないし⑤,190,191,乙A1,2,丙A4,5,戊A1,己B2,10,庚B6,原告B,被告D医師,被告E医師,被告H看護師,被告J看護師,被告I看護師,被告K看護師)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 最終入院後人工呼吸器が装着されるに至った経緯など
ア Aは,平成11年10月25日,胃食道逆流症,嚥下性肺炎による嘔吐,発熱により北病棟3階に入院した(乙A1〔5,11丁〕,乙A2〔1,4,6丁〕)。
イ その後,同年12月20日の準夜帯(午後4時~午前0時30分)において,Aに口唇蒼白,あえぎ呼吸などの症状が見られたため,血液ガス分析検査が行われたところ,同検査の結果,血中二酸化炭素濃度(PCO2)が異常高値(80.3mmHg)を示したため,呼吸不全と診断され,同月21日午前2時ころ,人工呼吸器(サーボ300A)が装着された(乙A1〔55,56,144丁〕,乙A2〔34丁〕,弁論の全趣旨)。同月22日,SaO2は概ね99%を示し,自発呼吸14回を含めた呼吸数も20回となり,呼吸状況に改善が認められたため,午前11時50分ころ,人工呼吸器の使用が中止された(乙A1〔59丁〕,乙A2〔36丁〕)。
同月24日午後0時ころの血液ガス分析検査の結果,再びPCO2が96.5mmHgと異常高値を示した。そこで,被告D医師は,原告らと話をしたうえ,同日午後6~7時ころ,Aに再度血液ガス分析検査を行い,その結果PCO2が90~100mmHgを超えるようであれば人工呼吸器を装着することとされた。そして,同日午後7時ころの血液ガス分析検査の結果,PCO2が101.3mmHgと異常高値を示したため,Aに対し,再び人工呼吸器(サーボ300A)を使用した。(乙A1〔60,61,148丁〕,乙A2〔38丁〕,弁論の全趣旨)
ウ Aは,その後,継続して人工呼吸器(サーボ300A)を使用するようになったが,2月13日,Aの症状が安定すれば,早期に在宅用の人工呼吸器に変更することが予定された。
同月16日午前11時30分ころ,Aが使用していた人工呼吸器がサーボ300Aから在宅用のPLV-100へ切り替えられた(乙A1〔97ないし99丁〕,乙A2〔78丁〕,弁論の全趣旨)。人工呼吸器を在宅用に切り替えた後,Aの血中酸素飽和度(SpO2)がしばしば低下する症状が現れるなど,呼吸管理がうまくいかなくなったため,同月22日午前11時ころ,在宅用の人工呼吸器(PLV-100)から再びサーボ型の人工呼吸器(サーボ300A)に変更された。その後,Aが使用していた同人工呼吸器をICUに返却しなければならなくなったため,同月24日午後4時10分ころ,それまで使用していたものより旧式のサーボ900Cという人工呼吸器に変更された。(甲B44,45,乙A1〔100ないし108丁〕,乙A2〔78,79丁〕,弁論の全趣旨)
(2) 人工呼吸器(サーボ900C)の仕組みについて
Aの気管切開部位と人工呼吸器(サーボ900C)とは2本の回路で接続されており,一方の回路からAの肺に空気が送り込まれ(吸気回路),他方の回路から空気が排気される(呼気回路)という仕組みになっていた。その際,人工呼吸器から送り込まれる空気に適度な湿度を与えるため,吸気回路を加温加湿器上部の滅菌精製水が入っているチャンバーが装着された加温加湿器を経由させるようになっていた。同加湿に使用する滅菌精製水は時間の経過と共に消費されることから適宜補充する必要があったため,A担当の看護師らは,本件事故までは随時,500mlボトルを人工呼吸器の近くに設置し,同ボトルから直接もしくは注射器を使用して滅菌精製水をチャンバーに注入していた。ところで,本件事故当時使用されていたチャンバーは子供用で滅菌精製水の注入上限が210mlのものであって,チャンバー上部には同注入上限を示す「MAX」ラインが幅3mmで表示されていたところ,本件事故の際も含めて被告看護師らは,概ね「MAX」ラインの下限ないしそこから約3mm下方に注入した滅菌精製水の水線が来た場合に500mlボトルから50ml用の注射器を用いて滅菌精製水を吸引したうえチャンバーに補充していた。(甲B45ないし47,59,弁論の全趣旨)
(3) 被告L看護師が精製水タンクとエタノールタンクを取り違えた経緯など
2月28日,日勤勤務であった被告L看護師は,同日の午前中,夕方にはAが使用していた人工呼吸器の吸引チューブの洗浄と消毒に必要な500mlボトルを交換しなければならないと考えたことから,同ボトルを探すため,これまで同ボトルが保管されていた調乳室を探したが,同部屋で普段,同ボトルが置かれてある場所に1本も見当たらなかった。そこで,北病棟3階の看護師詰所に戻り,そこにいた被告G副師長に滅菌精製水が見当たらないことを伝えた。(甲B90,庚B6)
被告G副師長は,被告L看護師とともに北病棟3階の処置室に行って滅菌精製水を探したが,処置室にも滅菌精製水はなかった。そこで,被告G副師長は,被告L看護師に調乳室を探すよう指示した(甲B77,90,庚B6)。
被告L看護師は,調乳室に向かう途中に会ったその日のリーダー看護師であるM看護師とともに再度調乳室を探したが,やはり500mlボトルは見当たらなかった。その際,M看護師が被告G副師長に相談しようなどと言ったことから,被告L看護師は,再度被告G副師長のもとに行ったところ,被告G副師長は,被告L看護師に,「下のを使ったら」などと言った。そこで,被告L看護師は,被告G副師長の同言葉を500mlボトルではなく精製水タンクを使用するようにとの指示と理解し,再度調乳室に行き,調乳室に入って左側の床に置いてあった白い容器(実際にはエタノールタンク)を精製水タンクと思い込み,滅菌精製水が要るときはこれを使えばよいと考えた。(甲B90,庚B6,弁論の全趣旨)
その後,被告L看護師は,同日午後4時30分ころから被告I看護師,被告H看護師に申し送りを行い,それが終了した午後5時ころからAが入院していた病室でカテーテルなどの交換品の準備を行ったが,その際,滅菌精製水が必要となったため,上記精製水タンクと思い込んでいた本件エタノールタンクを同容器のラベルなどを確認することもなくAの病室へ持ち込み,Aが使用していた人工呼吸器の置いてあるワゴンの下棚に設置した。(甲B90,91,弁論の全趣旨)
(4) エタノールがチャンバーに誤注入された経過など
ア 被告L看護師は,本件エタノールタンクを持ち込んだ後,同日午後6時ころ,同エタノールタンクから約30mlのエタノールを吸引し,エタノール注入表記載のとおりそれをチャンバーに1回注入した(甲B89,91)。
イ 同日の準夜勤務であった被告H看護師は,同日午後3時30分ころ出勤し,午後4時30分ころに被告L看護師からAについて,人工呼吸器がサーボ300Aからサーボ900Cに変更になったこと,少し痰が多いこと及び微熱があることなどの申し送りを受けた。
被告H看護師は,同日午後8時ころ,Aが嘔吐したということでナースコールにより病室に行ったが,その際のAの症状は顔色が赤く,脈拍が早いという状態であった。また,同じころ,被告E医師も訪室し,原告らに対し,感染により熱が出ていると考えられる旨,治療として抗生剤を投与する旨説明をした。
被告H看護師は,同日午後9時ころAを訪室し,エタノール注入表記載のとおり約25mlのエタノールを本件エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに1回注入した。その際,Aが使用していた人工呼吸器の吸気対象の空気を加湿するために使用する滅菌精製水の容器が500mlボトルではなく,タンクに変わっていることに気付いた。また,人工呼吸器で使用されていたチューブ内の水滴が多いと感じたが,そのことを誰にも報告しなかった。
そして,同日午後10時ころから,Aが使用していた人工呼吸器から何らかの問題があることを示すアラームが10分から15分に1回くらいの間隔で鳴ったところ,被告H看護師は,その原因が分からなかったもののその都度,Aに対して痰の吸引処置をした。
午後10時30分ころ,カニューレ横の空気漏れがひどくなったため,被告E医師は,空気漏れを防ぐ趣旨でカニューレを交換し,カフを膨らませる処置をとった。
同日午後11時ころ,被告E医師が訪室し,被告H看護師に対し,カニューレ付近の空気漏れがあったので,カニューレを交換し,カフの圧を上げるなどの処置をしたと説明した。その後,被告E医師と被告H看護師は,Aに対して痰の吸引や体位変換といった処置を行った。その際,被告H看護師は,Aの心拍数が異常に高かったこと,頬が紅潮していたことについて違和感を覚えた。被告E医師は,被告H看護師に対し,Aの左の肺に雑音があるので,左を上にした体位をとらせるよう指示した。なお,人工呼吸器のアラームは,同日午後11時ころに上記処置のため呼吸器を外したため鳴り止んだ。
同日午後11時30分ころのカルテには,「気道内圧上昇とSaO2の70台への低下認める。吸引を行うと粘調な痰が塊で引けた。吸引を2~3回繰り返した後,Jackson-Leaseにてbaggingを行い,SaO2は100%まで上昇。その後人工呼吸器につなぐとSaO2は100から99%にてkeep。しばらくすると左肺野にて気管支狭窄音が聴取されるため,吸引を行うが,少量の白い泡状のゼクレートが引けるのみ。吸引後も気管支狭窄音が続くため,左上側臥位にて様子を見るとSaO2は95~93%にて経過。tappingを2回行うもSaO2の変化なし。SaO2が95%前後を保てていること,吸引にてもあまりゼクレートが引けないことより,左上側臥位にしたまましばらく経過を見ることにする」旨の被告E医師の記載がある。
また,原告らが見た限りでも,Aは顔が赤く,唇を出してしんどそうな様子であり,Sa02が60台に下がり,心拍数が80台と多くなっていた。
なお,原告Bは,普段は午後9時ころには帰宅するところ,この日はAの症状が悪かったこともあって,同時刻以降も病室におり,原告Cは,1人までは泊まり込みの看病を認められていたため,普段どおり泊まり込みで看病をしていた。
同日午後11時45分ころ,被告H看護師は,エタノール注入表記載のとおり約35mlのエタノールを本件エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに1回注入した。
(甲A3〔121丁〕,B64,190,乙A1〔113丁〕,原告B,被告H看護師,被告D医師,弁論の全趣旨)
ウ 2月29日,深夜勤務であった被告L看護師は,被告H看護師からAの容態が悪くなったことなどについて引き継ぎを受けた。
その後,被告L看護師は,同日午前1時30分ころ,Aを訪室し,口や気管の吸引をした後,エタノール注入表記載のとおり約30mlから35mlのエタノールを本件エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに1回注入した。また,原告Bは,このころ,カニューレからの空気漏れの音を聞いた。
被告L看護師は,同日午前2時ころにもAを訪室したが,この時のAの症状は口から空気漏れを起こしていたが,自発呼吸が見られ,あえぎ呼吸が始まっていた。同看護師は,この時も,口と気管の吸引をした後,エタノール注入表記載のとおり約30mlから35mlのエタノールを同エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに1回注入した。
被告L看護師は,同日午前3時ころにもAを訪室し,口と気管の吸引をした後,エタノール注入表記載のとおり約30mlから35mlのエタノールを同エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに1回注入した。なお,原告Bは,いつもの帰宅時間よりも遅く,Aが寝入ったのを確認して,同日午前3時30分ころ帰宅した。
被告L看護師は,同日午前4時ころ再びAを訪室したが,その時のAの症状は依然としてあえぎ呼吸が続き,体温が35.8度(平熱33度程度),脈拍が1分間に120回(通常の心拍数は60回前後),呼吸数が1分間に30回と悪くなっていたため,被告E医師を呼ぶことにした。そして,同病室を出る際に,エタノール注入表記載のとおり約30mlから35mlのエタノールを同エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに1回注入し,その後,自宅にいた被告E医師にAの同症状を連絡した。被告E医師は,自宅が京大病院から歩いて10分くらいのところにあったこともあって,同日午前5時ころまでには北病棟3階に駆けつけ,Aに対して血液ガス分析などを行い,同検査結果(血液pH,乳酸値や血中ブドウ糖は別紙代謝性アシドーシスの指標(血液pH,血液過剰塩基,血中乳酸)と血中ブドウ糖記載のとおり)や当時,Aには感染症のリスクが高かったことから,Aを敗血症と診断し,同診断とともにAの容態が急変したことを,同日,救急部で当直をしていた被告D医師に連絡した。被告D医師は,被告E医師からの同連絡を受けて同日午前6時30分ころには北病棟3階に駆けつけた。
被告D医師は,原告Cに対し,Aの症状について,敗血症性ショックであること,あえぎ呼吸がみられるようになると半日で亡くなる人もいるなどと説明をした。これを聞いた原告Cは,しばらく北病棟3階看護師詰所前のソファで涙を浮かべるという状態であった。
被告L看護師は,同日午前5時ころ,午前6時ころ,午前7時ころ,Aを訪室し,口と気管の吸引をした後,エタノール注入表記載のとおり同各機会に約30mlから35mlのエタノールを上記エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに注入したが,この3回の注入のうち,2回は注入量約30mlから35mlのエタノールを2回分注入し,後の1回は同1回分を注入した。
ところで,胸部レントゲン上,肺葉全体にわたり,紋状陰影が存在し,肺炎が左肺野全体に広がっていたところ,被告E医師は,2月29日のカルテに,上記Aの症状や各種検査結果も踏まえて,「4:30頃よりあえぎ呼吸が見られ,HR120であるとのCallあり。病院到着後HR120,10秒に1回程度のため息様の大呼吸を認めた。VGA施行したところ(5:00過ぎ),pHが7.370,PCO2が31.0,PO2が59.0,乳酸値が55.3(高値),BEが-6.4であるため,PCO2の低下を認めるため,それまでVmin2.8lであったのをVmin2.2lとし,FiO2を25%→35%へ増加。SaO2は100%から99%を維持。吸痰等を行ってもあえぎ様の呼吸は消失しなかった。胸部単純レントゲンにて左肺に肺葉全体に渡り,紋状陰影が存在,肺炎が左肺野全体に広がっていると考えられた。生化学にて,CRP2 mg/dlと↓。再び採血を行ったところ(6:05),乳酸値が55.6,pHが7.287,PCO2が39.6,PO2が67.2と代謝性アシドーシスを認め,6:30頃,メイロン28ml+蒸留水28mlゆっくり静注。静注後も,あえぎ様呼吸続いており,HRも120のままであった。顔面のやや紅潮を認め,末梢は温かい状態であった。」との記載をした。
また,2月28日午後11時から29日午前7時までの看護記録(経過記録B)には,「今後,尿量少なくなる恐れあり,尿バ挿入。挿入直後,流出見られるも,白いモロモロの混濁あり。膀胱洗浄す。」との記載がある。
(甲A3〔121丁〕,B64,84,190,乙A1〔113丁〕,2〔81丁〕,丙A4,5,原告B,被告D医師,被告E医師,弁論の全趣旨)
エ 2月29日,日勤勤務であった被告J看護師は,同日午前8時ころ,被告L看護師からAの症状について,重症で,敗血症性ショックの疑いがある,血圧低下に要注意であるなどとの引き継ぎを受けた。
被告J看護師は,同日の勤務中,エタノール注入表記載のとおり2回程度合計90から300mlのエタノールを本件エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに注入した。その際,通常より注入する量が多いと感じていた。
原告Bも同日午前中,Aの容態が急変したとの連絡を受けて昼前にAの病室に到着した。そして,原告らは,被告D医師からAの容態の急変について,敗血症性ショックと考えられ,生命が危険な状況にある旨の説明を受けた。同日午後4時ころには,無尿になっていることもあり,親類など連絡をとる必要のある人があればとってくださいなどとの説明を受けた。
被告E医師は,上記ウのカルテの記載に続いて,Aの症状,各種検査の結果,Aに対する処置などとして「7:30~ソルメドロール500mg/30min点滴静注,皮肉反応後フルマリン1g静注,バンコマイシン200mgを1時間にて点滴静注,ソルメドロールの静注にても,やや心拍低下(117程度)したものの,特に効果認めず。抗生剤の作用増強をねらって,ヴェノグロブリン2500mg(50ml/H)を20ml/Hにて点滴静注。7:37のVGAにて乳酸値が67.6,pHが7.315,PCO2が42.6,PO2が66.6,BEが-4.8。注射の痛みに対する反応は認められなかった。Aライン確保を試みるも困難であり,末梢の冷感が認められる様になってきたため,イノバン5流速,ドブトレックス5流速にて開始。Aライン(イノバン60mg,ドブトレックス60mg,10ml/H)確保後も,血圧50弱/30台と低いため,イノバン10流速,ドブトレックス10流速へアップ。その後イノバン10流速,ドブトレックス20流速へ変更。Aラインの波形にて頂値が下がっており,波形がきれいに取れたときは血圧60/30程度である。膀胱バルーン挿入し,黄色の濁った尿が得られた。テープにて白血球(+++)。沈渣にて無晶性結晶及び30/HPF程度の白血球を認め,培養提出。」などと記載した。
なお,同日,Aから採取された尿の細菌培養検査をしたところ,ヘシウム菌が10の6から7乗個検出された。
(甲B67,乙A1〔115,185,187丁〕,乙A2〔82丁〕,丙A4,被告J看護師,被告D医師)
オ 2月29日,準夜勤務であった被告I看護師は,被告J看護師からAの症状について容態が改善せず敗血症性ショックと考えられることなどについて引き継ぎを受けた。
被告I看護師は,同日の勤務中,エタノール注入表記載のとおり1回につき50から100mlの量のエタノールを3回,本件エタノールタンクから各吸引し,それをチャンバーに各注入した。被告I看護師は,同各注入の際,チャンバーの水の減り方が通常より早いと感じていた。
被告E医師は,上記エのカルテ記載のやや後に,Aの症状,血液検査,その後に取った処置などを踏まえ,「16:30 採血を行ったところ,乳酸値が118.1,BEが-8.1,PO2が58.9,PCO2が48.7。メイロン30ml静注。また,ラシックス4ml,フルマリン1g静注した。その後,19:00までに13mlの尿が得られた。濁り(-)。HR123,血圧39/27(32)。あえぎ呼吸がほぼ消失した。」,と記載し,また,同日午後9時の欄には「尿の排泄が全く認められないため,抗生剤をそれぞれ2回静注し中止とする。」と記載した。
そして,看護記録(経過記録B)の2月29日午後3時から同日午後11時までの欄には,「あえぎR 3~4回/分+」との記載がある。
(甲B70,乙A1〔116丁〕,A2〔82丁〕,被告I看護師,被告D医師)
カ 3月1日,深夜勤務であった被告J看護師は,同勤務中,エタノール注入表記載のとおり2回程度合計90から300mlのエタノールを本件エタノールタンクから吸引し,それをチャンバーに注入した。その際,通常より注入する量が多いと感じていた。(甲B67,戊A1,被告J看護師)
また,看護記録(経過記録B)の2月29日午後11時から3月1日午前7時までの欄には,「肺雑++,2h毎にSICするも除々に粘調になりほとんどひけず,SaO2が89に一時低下もFiO2upにて調整中,あえぎR時々,日中より軽度」,「BT36.0まで上昇みとめクーリングにて34.0台へ,抗生剤効果みられず全てOFF」との記載がある(乙A2〔82丁〕)。
キ 3月1日,日勤勤務であった被告I看護師は,同勤務中,エタノール注入表記載のとおり1回に50から100mlくらいの量のエタノールを本件エタノールタンクから吸引し,それを3回チャンバーに注入した。また,その際,チャンバーの水の減り方が通常より早いと感じていた。(甲B70,被告I看護師)
(5) エタノールの誤注入が発見されてからの経緯など
ア 3月1日,準夜勤務であった被告K看護師は,同日午後5時ころの定時巡回でAの病室を訪れたが,その際,人工呼吸器を見るとチャンバーが全体的に白く,細かい霧状の水滴のようなもので曇っていて,中の状態がよく見えなかった。そのような様子からチャンバーの温度が高いのかと疑って手のひらでチャンバーを触れてみたが,特に普段と変わらない温度であると感じた。被告K看護師は,同日午後9時ころの定時巡回においてもチャンバー曇りがひどいと感じたため再度温度を確認したが,やはり普段と変わらない温度であると感じた。
被告K看護師は,同日午後11時ころの定時巡回の際,チャンバーの滅菌精製水を補充するため,エタノール注入表記載のとおり本件エタノールタンクから約30ml吸引し,それをチャンバーに注入したが,チャンバーの底のほうにしか液体が入っていなかった。そこで,再度注入しようとして注射器で同エタノールタンクから吸引しようとしたが,なかなかうまく吸い上げることができなかったため,同エタノールタンクを手に取り,傾けたりゆすったりしたところ,同エタノールタンクに貼付してある濃い青色のラインが入っているラベルに気付き,あわててラベルを確認した。そして,注射器の中身を手のひらに少し垂らして臭いを嗅いでみたところ,エタノールの臭いがした。
そこで,被告K看護師は,急いで北病棟3階看護師詰所に戻り,そこにいたQ看護師に,チャンバーに入れられていた水溶液がエタノールかも知れないことを告げたところ,Q看護師は,自分が新しいチャンバーを用意するから被告D医師に連絡するように言った。
被告K看護師は,直ちに被告D医師に連絡した後,同医師の指示を受けてAの病室に行き,本件エタノールタンクを運び出そうとしたが,その際,同エタノールタンクのラベルを原告らから見えないようにして,「交換します」などとだけ言って病室から持ち出した。そして,調乳室から精製水タンクを持ち出し,Q看護師が用意した新しいチャンバーを持ってAの病室に行き,同注入から10分ないし15分程度後にチャンバーを交換した。
その後,被告D医師は,被告K看護師らに対し,「いつからエタノールが入ったか分かるまではミスは家族に言わないでおこう。明日婦長が出てきたら調べてもらおう。」という趣旨の話をした。
被告L看護師は,北病棟3階看護師詰所において,被告K看護師らがエタノールの誤注入についての話をしているのを聞き,これまでのことを思い出し,自分が精製水タンクと本件エタノールタンクを取り違えたことに気付いた。しかし,その場では言い出すことができずそのまま帰宅した。
なお,同日のカルテ,看護記録及び看護管理日誌などには,エタノールの誤注入に係る記載はなかった。
(甲B73,74,93,乙A1,2,丙A4,己B2,10,被告K看護師,被告D医師,弁論の全趣旨)
(ところで,原告らは,「医療事故に係る経過報告」(甲B193)などからして,被告K看護師が3月1日に2回,本件エタノールタンクからエタノールを吸引して,それをチャンバーに注入した旨主張する。しかし,被告K看護師は,本件事故に係る警察官や検察官に対する供述調書(甲B72ないし74)の中で3月1日に上記認定したとおり1回のみ注入した旨述べていることからすると,同「医療事故に係る経過報告」の記載内容は採用できず,その他,同主張を認めるに足りる証拠はない。)
イ 3月2日午前8時ころ,被告D医師は,出勤してきた被告F師長に対し,チャンバーにエタノールが誤注入されていたことを告げ,いつから入っていたのか調査するよう依頼するとともに,同日午前9時ころ,被告E医師及び被告F師長と一緒に小児科長であったR教授に事実を報告した。その際,R教授から事実関係の調査をするよう指示された。そして,同日午前11時ころ,被告E医師に対し,Aの血中エタノール濃度の検査をするため,採血して検体を保存しておくよう指示した。なお,同血液による血中エタノール濃度検査はなされなかった。
ところで,被告L看護師は,被告F師長に電話をしなければいけないと思いつつも決心がつかないでいたところ,同看護師からの電話を受けて,心配して同看護師の自宅を訪れていた同看護師の母親に諭され,同日の午後5時ころ,決心がつき,被告F師長に電話をかけて,誤って本件エタノールタンクをAの病室に持ち込み,Aにエタノールの誤注入をしたことを報告した。
被告L看護師から事情を聞いた被告F師長は,同日午後6時ころ,被告D医師に,2月28日午後6時ころから取り違えがあったことを報告した。それを受けて被告D医師は,被告F師長とともに同事実をR教授に報告し,このことを直ちに原告らに知らせるかどうか検討したが,結論が出なかったため,R教授が老年科のS教授に連絡し,S教授室において,医療事故対策委員会委員長であるT教授も加わって相談することとなった。この際,被告京都大学及び被告医師らの本件訴訟代理人でもある弁護士に電話で相談がなされた。
3月2日午後7時30分ころ,被告D医師は,Aの心拍が落ち,血圧が急速に低下してきたとの連絡を受け,北病棟3階に駆けつけたが,Aは,同日午後7時54分,死亡するに至った。
(甲B80,84,93,丙A4,被告L看護師,被告F師長,被告D医師,弁論の全趣旨)
(6) Aが死亡してからの経緯など
ア 被告D医師は,改めてR教授,S教授及びT教授と相談し,その結果,この場はそっとしておいて,別の機会になるべく早く原告らに本件事故の事実を伝えることになった。また,その際,死因について「急性心不全でいいのではないか」という指摘があった。さらに,S教授から明日の朝一番でアルコールの専門家である法医学のU教授に相談するよう指示された。
その後,基礎となる事実など(4)イで認定したとおり,被告D医師は,3月2日午後10時ころ,原告らに死亡診断書を交付した。その際,被告D医師は,原告らに「病理解剖されますか」と聞いたところ,原告らは,これを断った。
被告L看護師は,同日午後8時ころ寮に帰ったが,3月3日午前0時過ぎ,被告F師長は,同看護師を尋ね,同看護師及び同看護師の母に対し,原告らにエタノールの誤注入の事実を話すことになったこと,エタノールタンクと精製水タンクが似ていることはずっと気になっていたことなどを話した。
(甲B80,93,丙A4,被告F師長,被告D医師,弁論の全趣旨)
イ なお,被告F師長は,Aが死亡した3月2日の午後7時54分の後の看護記録(経過記録B)の欄に,「8:00 3/1 23:00頃レスピレーターの加湿水が70%エタノールであることに気付き交換したとの報告を受け事実関係の調査を開始する 9:00 DrDと共に教授へ途中経過報告後スタッフへ現状調査を続ける 婦長会(不鮮明) 17:00 28日の日勤者が誤ってアルコール缶を運び,加湿器に注入したことが判明。家族へ事実を説明する予定。」との記載をした。なお,同記載の左には,「詳細は2号紙へ」との記載があるが,同2号紙は添付されていなかった(乙A2〔84丁〕)。
また,被告D医師は,Aの死亡が確認されたことの記載がなされている頁の下には余白があったが,カルテの頁を変えた部分に,「3/2 3/1準夜のおわりごろ 受持Nsよりレスピレーターの加温器内に消毒用エタノールが入っているとの報告あり,すぐに精製水に入れ替えるように指示,いつごろよりかを3/2朝婦長に調査依頼 3/2夕,婦長より2/28日勤のおわりより精製水ではなく消毒用エタノールが入っていたらしいことが判明した。事実関係,因果関係の有無を調査のうえ,すみやかに父母へ説明することとした〔D〕」との記載をした(乙A1〔123丁〕)。
ウ 3月3日午前10時ころ,被告D医師は,S教授からの指示を受けてU教授に電話で本件事故の相談をしたところ,エタノールの影響があったかどうかは解剖すれば分かるということで,同教授から遺族に解剖を勧めるよう強く説得された。そこで,原告らに電話をかけ,同日午後4時ころ,同人らと面会する約束をした。
同日午後2時から3時ころ,被告D医師は,京大病院の事務部長から本件事故を警察に届け出るということを聞いた。
同日午後4時ころ,被告D医師と被告F師長は,原告ら方を訪問し,本件事故を報告するとともに謝罪した。その際,被告D医師は,一般細菌検査報告書を原告らに示すなどして,Aが敗血症ショックで,エタノールの誤注入という本件事故がなくても死亡していたなどと説明した。同説明をしていた際,被告D医師は,同事務部長から電話を受け,本件事故を警察に届けたため,Aが司法解剖されることになった旨の報告を受けた。そこで,被告D医師は,原告らにそのことを伝えた。また,本件事故に係る京大病院関係者による記者会見についても言及した。
同日午後6時ころ,警察官が原告ら方を訪問し,司法解剖について原告らを説得した。そして,同日夜,Aは,司法解剖のため,京都府立医大病院へ搬送された。
(甲B80,190,191,丙A4,原告B,被告F師長,被告D医師,弁論の全趣旨)
エ 3月4日,京都府立医大病院でAに対する司法解剖が行われ,それが終了した同日午後11時ころ,原告らは,解剖執刀医から血中エタノール濃度が致死量(血中濃度が3.5mg/mlないし4.5mg/mlになると,昏睡期〔諸反射が消失し,呼吸は深く,緩徐となり,体温が低下する〕となり,4.5mg/mlを超えると通常は,呼吸麻痺により死亡する。)を超えていた旨の報告を受けた(甲B2,55,190,191)。
なお,同司法解剖で得られた鑑定結果による検体の各採取日時における血中濃度(単位はmg/ml)は以下のとおりである(甲B2,48,50,52,54,55)。
採取日
血清/血液
血清中濃度
血中濃度
(ア) 2月29日午後5時ころ
血清
5.3
4.61
(イ) 3月1日午前3時30分ころ
血清
7.8
6.78
(ウ) 同月2日午前7時ころ
血清
10.1
8.78
(エ) 同日午前11時ころ
血液
8.3
(オ) 同月4日司法解剖時
血液
5.5ないし6.8
ただし,上記のうち,(ア)ないし(ウ)の血中濃度は血清中濃度から全血のアルコール含有量に換算した数値である。
オ 3月7日に京大病院関係者による記者会見が行われたが,その翌日の新聞記事の中で同記者会見における京大病院側の説明として,「(ミスが起きる前の)二月二十四日には非常に厳しい状態にあった」,「二月下旬から危篤状態だった。」,「プライバシー保護について家族の強い要望がある」,「10年以上前から人工呼吸器を装着」,「『24日の段階でいつ亡くなってもおかしくないことを家族に告げた。カルテにも記載がある』と述べ,発表が遅れた理由も『家族を説得するのに時間がかかった』」などと報道された(甲188の①ないし⑤)。
(7) A入院後における死亡時までにおける各種の検査数値など
Aの呼吸不全の指標を示す数値は別紙呼吸不全の指標(血液二酸化炭素,投与酸素濃度,酸素飽和度)記載のとおりであり,感染症の指標を示す数値は別紙感染症の指標(血清CRP,血液白血球数,好中球数・%)記載のとおりであり,別紙代謝性アシドーシスの指標(血液pH,血液過剰塩基,血中乳酸)と血中ブドウ糖記載のとおりである(甲B80,乙A1,2,丙A4,弁論の全趣旨)。
2 争点に対する判断
(1) 被告L看護師の過失について
被告L看護師は,看護師として人の生命,身体に直接的に重大な影響を及ぼす業務に従事していたところ,同業務の性質からすると,患者に使用する医薬品(精製水を含む。),特に,患者の身体に入れることが予定される医薬品を準備するにあたっては準備すべき医薬品に間違いがないか,少なくともラベルを見るなどして十分に確認すべき業務上の注意義務があるというべきである。
しかし,被告L看護師は,同注意義務を怠り,上記1(3)で認定したとおり調乳室においてあった本件エタノールタンクを精製水タンクと思い込み,ラベルを見るなどしてその内容を確認することもなく,これをAの病室に持ち込み,Aに使用していた人工呼吸器が置いてあるワゴンの下棚に設置した。
なお,その後の被告L看護師が本件エタノールタンクからエタノールを吸引して,それをチャンバーに注入したことに対する過失の成否は下記(2)において被告看護師らの過失の成否とともに判断する。
(2) 被告看護師ら(被告L看護師を含む。)の過失及び因果関係について
ア 過失の有無
(ア) 被告看護師ら(被告L看護師を含む。)は,看護師として人の生命,身体に直接的に重大な影響を及ぼす業務に従事していたところ,同業務の性質からすると,患者に使用する医薬品(精製水を含む。),特に,患者の身体に入れることが予定される医薬品を準備するにあたっては準備すべき医薬品に間違いがないか,少なくともラベルを見るなどして十分確認すべき業務上の注意義務があるというべきである。
しかし,被告看護師ら(被告L看護師を含む。)は,上記注意義務を怠り,上記1(5)で認定したとおり被告L看護師が誤ってAの病室に設置した本件エタノールタンクからそのラベルなどを確認することなく,同エタノールタンクから注射器によってエタノールを吸引し,それをチャンバーに注入して,Aにエタノールを吸引させたた。
(イ)① ところで,被告看護師らは,本件事故当時,被告看護師らにとって,滅菌精製水はその取扱いが生命に対して危険性を有するものとは考えられておらず,確認が徹底されている他の薬品とは異なる認識がされていた旨主張する。しかし,滅菌精製水それ自体は生命に対して直ちに危険性を有しないとしても,本件事故のように仮にそれが他の医薬品と取り違えられると,取り違えられた医薬品が患者の生命に対して危険性がないとは限らず,したがって,被告看護師ら主張の事実が認められるとしても,そのことで直ちに被告看護師らが同注意義務を免れることにはならない。そうすると,被告看護師らの同主張は理由がない。
② 被告京都大学及び被告看護師らは,本件事故の際,本件エタノールタンクのラベルがベッド側に向くように同エタノールタンクが設置されており,一旦そのように設置されてしまうとラベルを確認することが困難となる旨主張する。確かに,証拠(甲B59,60,弁論の全趣旨)によれば,本件事故当時,本件エタノールタンクを含めてエタノールタンクはラベルが片方の側面にしか貼られていなかったし,Aが使用していた人工呼吸器の下に同エタノールタンクを設置した際,同ラベルもベッド側を向いており,一見してはラベルが見えにくい状況であったことが認められる。しかし,証拠(甲B59,60,弁論の全趣旨)によれば,本件エタノールタンクが上記のように設置されていても,その方向をずらすか,横から覗けば,容易に同エタノールタンクに貼付してあったラベルの表示内容を確認することができたことが認められ,本件エタノールタンクの誤設置を発見した被告K看護師も同エタノールタンクを傾けたりすることで同ラベルの表示に気付き,その確認をしている。そうすると,同エタノールタンクの設置態様によってそれに貼付されたラベルが見づらくなっていたからといって,被告看護師らが上記注意義務を免れることにはならない。したがって,被告看護師らの同主張は理由がない。
③ 被告京都大学及び被告看護師らは,他の患者の病室においても人工呼吸器の吸気の加湿のために精製水タンクが使用され,Aにその形状などが酷似していた本件エタノールタンクが使用されていたため,同エタノールタンクに違和感を覚えなかった,また,エタノールは病室内において常時使用されているから,エタノール臭により取り違えに気付くことは不可能であった旨主張する。しかし,上記説示したとおり患者の体内への医薬品の投与を踏まえた看護師らの医薬品確認義務は,医薬品が在中されている容器の形状や医薬品の臭気の異常いかんにかかわらずその内容物(医薬品)が患者に投与されるが故に発生するものであって,Aに対して初めて精製水タンクが使用されたとしても,また,Aの病室においてエタノール臭がしていたとしても同確認義務が否定されることはない。そうすると,被告京都大学及び被告看護師らの同主張は理由がない。
④ 被告看護師らは,精製水タンクとエタノールタンクはその外見が酷似しており,ノズルが流用されることによって,さらに見分けることが困難となっていた旨主張する。確かに,両タンクはその大きさ,色,材質,形状が似ていたことは上記基礎となる事実など(3)イで記載したとおりである。しかし,本件エタノールタンクにはエタノールと一見して分かる表示が記載されたラベルが貼付され,それを確認することで容易に同エタノールタンクであることを確認することができた。以上のことからすると,社会通念上,両タンクの見分けが困難であったとまでいうことはできない。そうすると,被告看護師らの同主張は理由がない。
⑤ 被告京都大学及び被告看護師らは,本件状況の下では,Aの病室に誤って本件エタノールタンクが持ち込まれることについて,具体的予見可能性がなく,また,Aの死という結果の回避可能性もなく,同回避への期待可能性もなかった旨主張する。しかし,医療現場において,医薬品の取り違えの危険性は常に存在するうえ,本件全証拠によっても,Aの担当の看護師らが精製水タンクとエタノールタンクとを取り違えること,また,本件エタノールタンクが誤って持ち込まれることについて,予見することが社会通念上困難といえるほどの事情は認められず,また,Aの死という結果の回避可能性についてもそれがなかったとまで認めることはできない。そうすると,被告京都大学及び被告看護師らの同主張は理由がない。
(ウ)① ところで,被告L看護師,被告看護師ら及び被告看護師長らは,本件事故の本質的原因として同事故当時の北病棟3階に勤務する看護師らの勤務状況を主張し,その具体的内容として,看護師らの人員不足及び経験不足,同病棟の入院患者がいずれも小児重症患者で一般の成人患者よりも看護に時間を要するという特殊性,3交代勤務及び常時2から3時間の残業を余儀なくされるという過酷な勤務実態などを挙げる。
証拠(己B2,10,戊A1,被告L看護師,被告H看護師,被告J看護師,被告I看護師,被告K看護師,被告F師長,被告G副師長)によれば,被告看護師ら主張のとおり,本件事故当時,北病棟3階に勤務する看護師は,看護師長1名,副看護師長2名,看護師23名,看護助手2名,看護事務1名の体制であったが5年以上の経験がある者が看護師長を含めて7名程度で,1年目の看護師が7名いるなど経験の少ない者が多数いたにもかかわらず,同所で入院していた患者は成人よりも看護に手がかかる小児で,しかも,白血病などの血液の病気や生体肝移植など難症度が高く,その数も平均して45,6名程度と多かったため,被告看護師長ら,被告L看護師,被告看護師らを含む各看護師の労働負担は非常に大きく,苛酷ともいうべき状況で,同人らが慢性的な精神的肉体的疲労を抱えていたことが認められるところ,それらの事実が本件事故の遠因となっていることが窺われ,そのような労働状況はそこで勤務する被告L看護師,被告看護師らを含む看護師らに苛酷な負担を強いていたものといえるが,そのような状況があるからといって,そこで勤務する看護師らの患者に投与する医薬品の確認をすべき上記注意義務が免れるものではないうえ,被告看護師らなどが上記主張する勤務実態であったとしても,同看護師らに本件エタノールタンクのラベルを確認することが社会通念上困難であったとまでいえず,その他,同確認が困難であったとまで認めるに足りる証拠はない。そうすると,被告看護師らの勤務実態ゆえに被告看護師らが上記注意義務を免れることはない。
② また,被告看護師らは,本件事故の本質として,京大病院自体の医療事故防止・安全管理体制の不備を主張し,その具体的内容として,容器の類似した医薬品を採用するなど薬剤部の薬品管理の不十分性,京大病院における看護教育の不十分性,医療事故を誘発させる医療器具流用の推奨などを挙げる。
被告看護師らの主張するような医療事故防止・安全管理体制の不備について,仮に被告看護師ら主張のとおりであるとしても,そのような状況があるからといって,そこで勤務する看護師らに対する上記医薬品の確認をすべき注意義務が免れるものではないうえ,同看護師らに本件エタノールタンクのラベルを確認することが社会通念上困難であったとまでいえず,その他,同確認が困難であったとまで認めるに足りる証拠はない。そうすると,京大病院の医療事故防止・安全管理体制いかんにより被告看護師らが上記注意義務を免れることはない。
イ 因果関係の有無
(ア) 上記基礎となる事実など(3)エで記載したとおり本件事故で使用されたエタノールタンクに入っていたエタノールのアルコール濃度は,77.86パーセントであったところ,証拠(甲B42,43,55)によれば,アルコールを摂取した場合の人体への吸収速度は,摂取からおよそ1時間以内に95パーセントが十二指腸などから吸収され,血中アルコール濃度が最高に到達する時間は,おおむね摂取から30分ないし60分程度であること,一般に,アルコール摂取による致死量は4.5mg/ml以上とされていること,同致死量に達する目安としては,成人で250mlの100パーセントのエタノールを30分以内に服用すると危険とされ,幼少児では6mlないし30mlの100パーセントエタノールを30分以内に服用すると危険であるといわれていることが認められるところ,Aの血中アルコール濃度は2月29日午後5時ころには4.61mg/mlに達していたことは上記1(6)エで認定したとおりである。以上の事実とともに本件事故当時のAの身体状況(16,7歳ではあったが,入院時の体重が23.4kg,身長が130cm,司法解剖時の体重が約22.4kg,身長が約124cmと発育不良であったこと)及び症状(リー脳症の最終期〔末期症状〕で,身体の自己防衛能力がかなり低かったことが想定される〔乙B4〕。)をあわせ考慮したうえ,それらに証拠(甲B2,169)を総合すると,Aは,2月28日午後6時ころから強制的に,かつ,継続的にエタノールを吸引させられ,Aのエタノールの血中濃度は同吸引開始後わずか23時間を経た同月29日には一般に致死量とされる4.5mg/mlを超える4.61mg/mlとなり,その後,死亡するまでの間増加する方向で同致死量をかなり超えていたことからすると,後記(4)イ(ア)②で説示したとおりAの敗血症,敗血症ショックを否定することまではできないが,Aは,少なくとも致死量を超えるエタノールの吸引を原因としてエタノール中毒で死亡したことが推認され,同認定を覆すに足りる証拠はない。
(イ) 上記1(4)(5)において認定した各看護師のエタノールの注入日時,注入量などはエタノール注入表に記載したとおりである。
(ウ)① まず,被告L看護師のエタノールタンクの誤設置及びエタノール誤注入によって,Aは,エタノール中毒に陥り死亡したものといえるから,被告L看護師の各行為とAの死の結果には相当因果関係が認められるというべきである。
② 被告H看護師は,2月28日午後9時ころに約25ml,午後11時45分ころに約35mlのエタノールを誤注入しているところ,Aは,3月1日午後11時ころにエタノールの誤注入が発見されるまで被告H看護師が注入したエタノールにより加湿されたといえるから,同人が注入したエタノールはAの死に影響を与えたといえ,被告H看護師のエタノールの誤注入とAの死との間には相当因果関係が認められるというべきである。
ところで,被告H看護師は,同人が注入したエタノールの量では致死量に達しない可能性が高いから,同人のエタノールの誤注入とAの死との間には因果関係が認められないなどと主張する。しかし,仮に被告H看護師が注入したエタノールの量だけでは致死量に達しなかったとしても,同人が注入した量約60mlは上記致死量に至るアルコール量に比して決して少ない量とはいえず,そのエタノールによりAは継続的に加湿されていたことからすると,同人の注入したエタノールがAの死に影響を与えなかったということはできない。そうすると,被告H看護師の同主張は理由がない。
③ 被告I看護師は,2月29日の準夜勤務の際,また,3月1日の日勤の際,それぞれの際に,1回につき50mlから100mlのエタノールを3回誤注入しているところ,同人が注入したエタノールの量及び注入の時期などからすると,同人のエタノールの誤注入とAの死との間には相当因果関係が認められるというべきである。
ところで,被告I看護師は,同人が最初にエタノールを注入する前に既に他の看護師により致死量に達するエタノールが注入されていた可能性が高いなどと主張する。しかし,仮に既に致死量に達するエタノールが注入されていたとしても,被告I看護師がエタノールを誤注入した時点ではAは生存していたところ,同人が注入したエタノールの量は300~600mlと決して少なくないうえに,Aは,同人が注入したエタノールにより相当時間加湿されていたといえるから,同人のエタノールの誤注入により少なくともAの死が早められたものと考えられ,Aの死に何らの影響もなかったということはできない。そうすると,被告I看護師の同主張は理由がない。
④ 被告J看護師は2月29日の日勤の際,また,3月1日の深夜の際,それぞれの際に,各約90mlから300mlのエタノールを誤注入しているところ,同人が注入したエタノールの量及び注入の時期などからすると,同人のエタノールの誤注入とAの死との間には相当因果関係が認められるというべきである。
被告看護師らは,いつの時点でAのエタノール含有量が致死量に達したかは明らかではないから,被告J看護師を含め同人らのエタノールの誤注入がAの死に影響を与えたか否かは不明であるなどと主張する。しかし,被告H看護師及び被告I看護師については上記のとおり相当因果関係が認められるところ,被告J看護師が誤注入したエタノールの合計量は約180から600mlと上記致死量とされるアルコール量を考慮すると,決して少なくないうえ,Aは,同人が注入したエタノールにより相当時間加湿され,遅くとも2月29日午後5時までにはその血中アルコール濃度が4.61mg/mlまで達しているので,同人の同誤注入がAの死に影響を与えなかったということはできない。そうすると,被告J看護師の同主張は理由がない。
⑤ 被告K看護師は,3月1日午後11時ころ,エタノールを30ml誤注入しているが,その際,精製水タンクと本件エタノールタンクの取り違えに気付いたため,注入から10分ないし15分程度後にチャンバーを交換している。ところで,チャンバーに注入されたエタノールは,徐々に蒸散して人工呼吸器から送られてきた空気と混合され,Aの体内に摂取されていく構造となっていたところ,チャンバーの容量は210mlで,個々の看護師や1回当たりの注入量にもよるが,本件事故当時,概ね2,3時間程度ごとにチャンバー内の液体が一部費消された段階で注入がなされていたことはいずれも上記2(2)イ(イ)で記載したとおりである。そうすると,チャンバーにエタノールが注入されてからそれが人工呼吸器から送られてくる空気と混合されてAの体内に摂取されるまでの間には多少の時間を要するものといえる。そして,被告看護師らによるエタノール注入表記載にかかる注入量を見ると,おおむね2時間程度の間隔で約50ml程度の量であったと考えられるし,被告K看護師の上記注入以前にも,未だエタノールがチャンバー内に残留していたと考えられることからすると,同チャンバー交換に至る10分ないし15分程度の時間では,被告K看護師が誤注入したエタノールは未だAがこれを吸引していたとまで認めることができず,その他,それを認めるに足りる証拠はない。そうすると,被告K看護師のエタノールの誤注入とAの死の結果との間に因果関係を認めることはできない。
ウ 以上のことからすると,被告L看護師,被告H看護師,被告I看護師及び被告J看護師は,民法709条に基づき,被告京都大学は,同看護師らの同各エタノールの誤注入が業務の執行として行われたものであることが明らかであるから,同法715条に基づき,Aの死などによってAもしくは原告らが被った損害を賠償する責任を負うというべきである。
(3) 被告看護師長らの過失について
原告らは,被告看護師長らが滅菌精製水やエタノールなどの医薬品を適切に使用,保管,管理すべき業務上の注意義務を負っているところ,被告看護師長らは,精製水タンクとエタノールタンクの形状や外見などが酷似していることを認識していたにもかかわらず被告看護師らを含む看護師らにその点に関して何らの注意喚起も行わなかったし,かえって,エタノールタンクのノズルを精製水タンクにも流用するという取り違えの危険性を高める状態を容認していた,また,両タンクを調乳室において無造作に保管していた,そして,滅菌精製水の在庫を切らすなど医薬品の在庫管理が不十分であったとして本件事故について同注意義務違反があった旨主張する。
しかし,上記(2)アで認定説示したとおり被告看護師ら(被告L看護師を含む。)は,その業務の特質から患者に対して投与などする医薬品について確認義務を負っていたところ,同義務は看護師として最も基本的な注意義務であったことからすると,被告看護師長らが各看護師においてそのような注意義務を履行すると信頼することには合理性があるうえ,本件事故において,被告看護師ら(被告L看護師を含む。)が本件エタノールタンクのラベルを見れば容易にその識別がつき,同事故が生じなかったことは明らかである。以上の事実からすると,被告看護師ら(被告L看護師を含む。)を監督する立場にあった被告看護師長らは,同被告看護師ら(被告L看護師を含む。)がラベルの確認を怠ったうえで精製水タンクと本件エタノールタンクを取り違え,Aにエタノールを誤注入することを具体的に予見することは社会通念上困難であったといわざるを得ない。確かに,類似した容器の医薬品を同一の保管場所で保管していた場合,それを識別するための措置やそれに対する注意喚起をすることは好ましいことではある。しかし,本件事故は被告L看護師及び被告看護師らが少なくとも本件エタノールタンクのラベルを確認すれば,同事故が起きなかったことが明らかであることからすると,同識別するための措置やそれに対する注意喚起まですべき法的注意義務があったとまではいえない。また,被告G副師長であるが,同被告は,被告L看護師から精製水の所在を尋ねられた際,調乳室を探すよう指示したが,被告看護師長らに上記説示したとおり逐一取り違えについての注意喚起をするまでの法的注意義務まで認められないことからすると,被告G副師長の同行為をもって直ちに注意義務違反と認めることはできない。
したがって,原告らの被告看護師長らに過失がある旨の同主張は理由がない。
(4) 被告医師らの過失について
ア 2月28日午後8時ころから同日午後11時30分ころまで
原告らは,2月28日当時,Aの症状は安定していたにもかかわらず同日午後8時ころに突然嘔吐したこと,同日午後8時30分ころに口からの空気漏れがひどくなり,被告E医師がカニューレのカフを膨らませて隙間をなくしたり,カニューレを交換するなどしたこと,被告H看護師は,嘔吐,顔面紅潮,脈が速いといった異常に気付いており,これを被告E医師に伝えていたこと,同日午後11時ころに痰が詰まって呼吸が停止するなどの症状が起き,被告E医師らが痰を吸引しても心拍数の上昇が続いたこと,このときのAの状態は赤く黒ずんだ顔色をして苦しそうであり,どす黒い舌を押し出すような形でかんでいるような状態であったこと,人工呼吸器のアラームが頻回に鳴っていたこと,E医師が記載した同日午後11時30分ころのカルテには,呼吸器系の異常を認めるべき所見が記載されていることなどから,被告E医師には投薬ミスの可能性も考慮し,使用されている医薬品,人工呼吸器などの医療機器の点検を改めて行うべき注意義務があった旨主張する。
しかし,Aは,そもそも胃食道逆流症により入院したこと(上記1(1)ア),1月19日及び同月24日ころにも嘔吐していること(甲A3〔88丁〕,乙A1〔80,84丁〕,乙A2〔64,69丁〕)を踏まえると,仮に原告CがAの胃に流動食などを入れる量を決めて,嘔吐しない量しか入れないように気を付けていたとしても,Aの嘔吐の可能性がなかったとはいえない。また,カニューレ付近の空気漏れについてもそれまで幾度となく起こしているし(乙A1〔93,102,103,106,108,110丁〕),顔面紅潮もそれまでに何回か見られている(乙A2〔65,69,70,77丁〕)。そして,SaO2が低下したことからジャクソンリースで喚起を行ったり,吸引により粘調な痰が塊で引けたりしたことは2月21日にもあり(乙A1〔105,106丁〕),1月6日や同月8日,2月27日深夜に人工呼吸器のアラームが鳴ったこともある(乙A2〔51,53,80丁〕)。以上の事実からすると,上記Aの各症状や人工呼吸器のアラームなどをもって,被告E医師がそれまでAに認められなかった特別な症状や事態と認識まですることはできず,したがって,それらのことからAに投与していた医薬品や同人が使用していた人工呼吸器の異常を疑うべきであったとまではいえない。その他,被告E医師に対し,同医薬品や人工呼吸器などの異常を疑うべきであったといえる事情を認めるに足りる証拠はない。
また,原告らは,本件事故当時,各地の医療機関で薬剤の取り違えが大きく報道されていたこと,北病棟3階では薬剤の管理が極めて杜撰であったことや看護師らの人員不足,経験不足について被告E医師も認識していたことからすると,被告E医師は,投薬ミスの可能性も考慮してAに使用されている医薬品を点検すべきであった旨主張する。しかし,Aは,当時,リー脳症の最終期(末期症状)で,それにともない容態の急激な変化をもたらす危険性があり,また,Aの容態が悪くなったからといって,被告医師らに同容態の変化について直ちに医薬品や人工呼吸器の異常を疑うべきとまでいえないところ,仮に原告ら主張の各事情が認められるとしても,被告E医師がAの容態の変化のみから医薬品の取り違えや人工呼吸器の異常を想定することは社会通念上,著しく困難であったといえる。そうすると,原告らの同主張は理由がない。
イ 2月29日午前4時30分ころから同日午前7時ころまで
原告らは,嘔吐,あえぎ呼吸,心拍数の増加,顔面紅潮,血中乳酸値の増加,末梢の温感及び2月28日のCRP値が安定していたうえ,同月29日午前4時30分ころのそれも低値にとどまっていたことなどから,被告医師らは,感染症以外の原因を疑い,人工呼吸器の異常や医薬品の取り違えを疑うべき注意義務があった旨主張する。
(ア) この点について,被告京都大学及び被告医師らは,①もともとAが肺炎を繰り返すなど易感染状態にあったことや当時の臨床所見,血液検査結果などから,感染症が活発化して代謝性アシドーシスの状態になっているものと判断し,②容態が急変して代謝性アシドーシスやあえぎ呼吸,頻脈などの症状が現れたのはショック状態になったからと考え,③急激にショック状態を来すような感染症は敗血症であると考えて,敗血症性ショックと判断し,敗血症性ショックに対する治療をしたが,同診断は上記期間ないしそれまでにAに認められた発熱,頻脈,多呼吸,あえぎ呼吸,白血球数増加,代謝性アシドーシス,過剰塩基低下,乳酸値増加,高血糖などの臨床所見や血液検査結果などに照らして行ったもので,被告医師らには感染症以外の原因を疑い,人工呼吸器の異常や医薬品の取り違えを疑う余地はなかった旨主張する。
そこで,まず,Aが敗血症及び敗血症性ショックを発症していたかどうか,検討する。
① 上記期間当時,Aには以下の症状や検査結果などがあった。
a 発熱
発熱であるが,看護記録(乙A2)によれば,Aは,それまでに何度も同様の発熱をしたことが認められる。したがって,発熱のみによって敗血症が積極的に裏付けられるということにはならないが,他の症状,検査結果と相まって敗血症性ショックの診断を裏付ける可能性はある。
b 末梢白血球数及び末梢白血球数の好中球が増加
白血球数及び末梢白血球数の好中球の増加は炎症があることを示す(丙A4,被告D医師,弁論の全趣旨)ところ,2月29日,中央検査部及び緊急検査室の各検査では別紙感染症の指標(血清CRP,血液白血球数,好中球数)の同日欄記載のとおり増加している。
c CRP値
CRP値の上昇も炎症があることを示す(甲B121,丙A4,弁論の全趣旨)ところ,中央検査部及び緊急検査室の各検査では別紙感染症の指標(血清CRP,血液白血球数,好中球数)の2月28日,同月29日欄記載のとおりで,同月2月29日には前日よりも下がったが,同日深夜から上昇し3月1日,2日と上昇傾向にあった。
d 膿尿
2月29日午前7時ころ,Aに膀胱バルーンを挿入したところ,膿尿が得られた(乙A1〔115丁〕,乙A2〔81丁〕)ところ,同尿による細菌培養検査の結果,上記1(4)エにおいて認定したとおりヘシウム菌が10の6~7乗個検出された。
e Aから採取された血液による血液培養検査結果
2月27日に採取された検体と同月29日に採取された検体による血液培養検査によればいずれも陰性となっている(丙A3)。
f 肺炎
肺葉全体にわたり,紋状陰影が存在し,肺炎が左肺野全体に広がっていた。
g その他の症状
Aには,上記症状の他,あえぎ呼吸,顔面紅潮,頻脈,昏睡,欠尿ないし無尿,代謝性アシドーシス,高血糖があった。
h Aの解剖時,嚥下性肺炎や気管支肺炎という肺感染症,急性脾炎,肝臓類洞内の好中球浸潤(炎症細胞の一つ)があった(甲B1,169)。
② そこで,上記aないしhの事実を踏まえて検討する。
敗血症の確定診断のため,血液培養検査がなされるところ,Aに対する同検査の結果では,いずれも陰性となっている。確かに,血液培養検査の結果が陽性であれば敗血症との確定診断がなされるが(甲B107,108,109,112,丙B6),仮にそれが認められなかったとしても当然に敗血症が否定されるわけではなく(甲B7,乙B2),敗血症性ショック時に菌が検出されない場合も存在することがある(甲B106)。また,ヘシウム菌などの腸球菌は通常,その病原性が極めて低いため,宿主との関係で治療の対象にならないことが多く(甲B114,115,119),ヘシウム菌を敗血症の起炎菌と考えることが難しいとする見解もある。しかし,Aは,当時,リー膿症の最終期(末期症状)で易感染状態にあり,自己防御能力が低く,ヘシウム菌でも起因菌になる危険性が存在したうえ,ヘシウム菌自体も敗血症の一般的原因となり得るとの見解もある(丙A4,丙B5,被告D医師)。そして,AのCRP値であるが,平成11年10月26日には12.6,2月20日には13.6とかなり高い値を示していたが,その時点では敗血症と診断されていないことからすると,2月29日深夜からのCRP値の上昇を直ちに敗血症の罹患ということまではいえないものの,同上昇は敗血症の罹患を推測させる要因となる。以上の事実に上記認定したaないしd,f,g及びhの各事実を総合すると,確かに血液培養検査の結果は陰性であるが,Aの敗血症,敗血症性ショックを否定することまではできないといわなければならない。なお,敗血症,敗血症ショックと全身性炎症反応症候群(SIRS)の診断基準(乙B2)との関係である(伊藤宏医師の意見書〔丙B3〕)が,SIRSの診断基準は小児にあてはめると心拍数,呼吸数の項目はすべて陽性値となる(乙B2)ことなどからすると,基準としてはあいまいなものであり,これを直ちに長期間闘病生活をしていたAにもあてはめて診断することは困難であるといわなければならない。
(イ) そこで,次に被告医師らがAを敗血症及び敗血症性ショックを発症したと診断したことが適切であったか否かについて検討する。
①a Aは,しばしば肺炎を起こすなど易感染状態にあったところ,2月29日の早朝にショック状態に陥った(乙A1,2,被告D医師,被告E医師,弁論の全趣旨〔Aが易感染状態であったこと,2月29日の早朝にショック状態に陥ったことは原告らも積極的に争ってはいない。〕)ところ,当時のAの症状について,上記(ア)②で認定,説示したとおりAの敗血症,敗血症性ショックを否定することまではできない。
b また,被告医師らは,Aに対して血液検査を行ったところ,上記(ア)①b,cで記載したとおりの結果が出たうえ,それらに同a,d及びfの各事実を踏まえて,ショック状態を引き起こした感染症を敗血症(敗血症はしばしばショック状態を引き起こす感染症である〔(甲B104,105,107,108)〕)であると判断した。
c 上記a及びbの各事実などを踏まえると,被告医師らがAについて敗血症・敗血症性ショックと診断したことには十分合理性が認められるというべきである。なお,N医師も被告医師らの敗血症性ショックとの診断に誤りはないとしている(甲B26)。
② 原告らは,被告D医師が,2月29日午前7時ころに,原告Cに対し,「何で急にこのような状態になったのかわからないけれども,敗血症性ショックですね,ショック状態です。でも,CRPが2だからフォーカスがわからないけれど,今考えられるのはおしっこかな。でもおしっこでここまでなるかな。」と述べたことなどから,被告医師らも敗血症性ショックとの確定診断をしていなかったなどと主張する。しかし,被告D医師が,原告Cに対し,一字一句上記のとおり説明したかはともかくとして,同日午前7時ころに原告Cに対し,Aが敗血症性ショックに陥ったこと,あえぎ呼吸がみられるようになると半日で亡くなる人もいることなどを説明したことは上記(4)ウで認定したとおりであり,その後も原告らに対し,Aは敗血症性ショックであると説明していることは上記1(4)エで認定したとおりであるうえ,被告D医師が当直から駆けつけてからは抗生剤を投与するなど終始敗血症に対する治療を行っていたことからすると,被告医師らが敗血症性ショックとの確定診断をしていなかったとする原告らの主張は理由がない。
また,原告らは,AのCRP値の推移からすると,本件事故が始まった2月28日のAの症状は安定していたため,Aの容態の変化から肺炎や感染症以外の事情を疑うべきであった旨主張する。しかし,証拠(乙A1〔142丁〕,丙A4)によれば,平成11年10月25日に入院して以降,AのCRP値は別紙感染症の指標(血清CRP,血液白血球数,好中球数・%)記載のとおり一時的に下がったものの再び上昇したりしていることが認められるところ,以上の事実からすると,2月28日当時,一時的にCRP値が下がっていたからといって,そのことだけから直ちに肺炎や感染症以外の事情を疑うべきことにはならない。そうすると,原告らの同主張は理由がない。
(ウ) 以上からすると,Aについて,敗血症性ショックと診断して治療にあたった被告医師らの行為は適切であり,また,それ以前の2月28日午後8時ころから同日午後11時30分ころまでの間においても,上記アで認定説示したとおり,被告E医師には医薬品の取り違えなどを想定させるような事情は認められない。
そうすると,原告らの上記感染症以外の原因を疑い,人工呼吸器の異常や医薬品の取り違えを疑うべきであった旨の主張は理由がない。
ウ 2月29日午前7時ころからエタノール誤注入が発見されるまで
原告らは,被告医師らが次々と抗生剤を投与しながらこれを途中で打ち切ったこと,CRP値が2月29日深夜になっても微増にとどまったこと,あえぎ呼吸が3月1日の早朝まで続いていたことなどから,被告医師らには医薬品の取り違えの他,人工呼吸器などの医療器具などを点検すべき注意義務があったと主張する。
しかし,証拠(乙A1〔116頁〕,被告E医師,被告D医師)によれば,被告医師らがAに対する抗生剤の投与を中止したのはAの無尿によるものと認められ,そのことから被告医師らが敗血症性ショックとの確定診断をしていなかったとまではいえない。また,感染症の指標を示す数値は別紙感染症の指標(血清CRP,血液白血球数,好中球数・%)記載のとおり2月29日のCRP値は微増にとどまっているとはいえ,その後,3月2日にかけて上昇傾向を示していることからすると,そのことから敗血症性ショックを疑うことには合理性があり,人工呼吸器の異常を疑うべきであったとまではいえない。さらに,あえぎ呼吸が敗血症性ショックと矛盾するということを認めるに足りる証拠はなく,あえぎ呼吸があったからといって,そのことから直ちに敗血症性ショックを疑うことには合理性がなく,人工呼吸器の異常を疑うべきであったとまではいえない。
そして,上記ア,イで認定説示したとおり,2月29日以前の段階においても,被告医師らには医薬品の取り違えの他,人工呼吸器など医療器具の異常を疑うべきであったとはいえない。
そうすると原告らの同主張は理由がない。
(5) 説明義務違反(事故隠し)について
ア 原告らは,被告医師らには過誤があった場合,速やかにその事実を原告らに報告するとともに説明すべき注意義務があり,同過誤により患者が死亡したような場合は,その過誤による影響を調査し,調査内容を原告らに報告すべき注意義務があるなどと主張し,①エタノールの誤注入が発覚した3月1日午後11時ころから同月3日午後4時ころまで誰からも本件事故に係る事実が伝えられなかったこと,②被告D医師が死亡診断書に虚偽の記載をしたこと,③カルテにエタノールの誤注入の記載がないこと,④看護記録・申し送りノートにエタノールの誤注入の記載がないこと,⑤カルテの改ざんがあること,⑥血中エタノール濃度を測定するためAから血液を採取したにもかかわらずその検査を行っていないこと,⑦本件事故に関する京大病院関係者による記者会見において虚偽の発表をしたことなどから,被告医師らをはじめとする京大病院関係者が本件事故を隠蔽したとして,被告医師らは,同各注意義務に違反した旨主張する。そこで,原告らが主張する各事情について検討する。
(ア) 3月3日午後4時ころまでエタノールの誤注入の事実が原告らに報告されなかったことについて
① 医師は,患者との間の診療契約に基づいて診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に従った診療を行うべき注意義務を有しているところ,仮にそれに齟齬するような過誤を行った場合,同診療契約に基づき,患者にほとんど影響がない場合などの特段の事情でもない限り,過誤の事実を患者,患者が当該過誤により死亡した場合にはその遺族に対して報告すべき注意義務があると解するのが相当である。しかし,その報告を誰が何時の時点でなすべきかは,当該過誤の内容,過誤の解明度,同過誤の報告をした際の患者ないし遺族への影響の有無,程度,担当医と患者ないし遺族とのそれまでの関係などを総合的に考慮したうえ,時機を失することなく速やかになされるべきとするのが相当である。
② 被告医師らを含む京大病院関係者は,3月1日午後11時ころ,エタノールの誤注入が発覚したにもかかわらず3月3日午後4時ころまでその事実を原告らに報告していない。
しかし,被告医師らを含む京大病院関係者は,本件事故が明らかになった後,その状況を被告F師長を中心にして調査することとし,3月2日午後5時ころ,被告L看護師からの報告を受けて2月28日午後6時ころからエタノールの誤注入がなされたことが明らかになったこと,被告医師らを含む京大病院関係者が本件事故についてある程度解明されてから原告らに報告しようと思っていたことにも一応の合理性が認められること,Aが死亡して大きな悲しみに打ちひしがれている原告らに声をかけづらかったという状況があったこと,3月3日昼ころには本件事故を報告しようとして原告らに連絡をとっていること,同事故が発覚してから原告らに報告するまでの時間が約2日間にとどまっていことなどからすれば,被告医師らを含む京大病院関係者のとった対応が,社会通念上明らかに許されないほどのものとは認められない。
(イ) 死亡診断書にエタノールの誤注入についての記載がないこと
司法解剖の結果,Aの血中エタノール濃度は致死量に達していたのであるから,事後的にみれば直接死因の欄にはエタノール中毒などと記載すべきであったといえる。これに対し,被告D医師は,Aが死亡した当時,死因については敗血症性ショックであると考えており,エタノールが死期を早めた可能性はあるとしても,その可能性は小さいと判断したと主張する。
確かに,被告D医師は,3月2日の午後6時ころ,エタノールの誤注入時期について報告を受けているところ,同誤注入がなされた時間は約53時間にわたり,被告看護師ら(被告L看護師を含む。)が行ったエタノール注入表記載の合計注入量からすると,Aがエタノールによる影響を受けなかったと考えたという被告医師らの説明はにわかに首肯できないところがあり,被告F師長,被告I看護師,被告J看護師,被告K看護師らは,各本人尋問の中で誤注入されたエタノールがAの症状に影響を与えたと思った旨証言していることからすると,なおさら首肯しがたいところがある。しかし,被告D医師が同報告を受けてからそれほど時間を経ていない3月3日午前0時過ぎころ,被告F師長は,被告L看護師を訪ねた際,同看護師と同看護師の母に原告らに本件事故のことを話すことになった旨話していること,同日昼ころには本件事故を報告しようとして原告らに連絡をとっていること,被告D医師は,原告らを訪ねる前の同日午後2時から午後3時ころ,京大病院の事務部長から同事実を警察に届け出る旨聞いていることからすると,被告D医師が,エタノールがAの死に影響を与えたことを認識しながら,あえて事実を隠蔽するために死亡診断書にエタノールの誤注入の事実を記載しなかったとまで認めることができず,その他,同各事実を認めるに足りる証拠はない。そして,上記(4)イにおいて記載したとおり,被告D医師らがAを敗血症性ショックであると診断したことに一応の合理性が認められること,死亡診断書にエタノールの誤注入の事実を記載すれば,Aが死亡して大きなショックを受けている原告らに,その時点で同事実を報告することになり多大な精神的苦痛を与えてしまうことが予想されたことからすると,被告D医師が死亡診断書にエタノールの誤注入の事実を記載しなかったことについて殊更事実を隠蔽する意図をがあったとまで認めることはできない。そうすると,原告らの同主張は理由がない。
(ウ) カルテにエタノールの誤注入についての記載がないこと
エタノールの誤注入という患者への影響が予想される事故があった場合,患者の症状や患者に対する各処置及び今後の治療内容などを記載すべきことが想定されるカルテには同事故の事実は本来記載すべき事項と判断されるが,上記(イ)で説示したとおり被告医師らが,エタノールがAの死に影響を与えたことを認識しながら,あえて事実を隠蔽する意図を有していたとまで認めることができないし,上記1(6)イで認定したとおりエタノールの誤注入の時期が明らかになった3月2日のカルテにはエタノールの誤注入の事実が記載されている。以上のことを踏まえると,エタノールの誤注入が発覚した3月1日午後11時のカルテに同事実の記載がないからといって,被告医師らが事故を隠蔽する意図の下にあえてそのときに記載しなかったとまでいうことはできない。
原告らは,3月2日のカルテの記載は真実その日に書かれたものか疑わしい旨主張する。確かに,前頁後半部分に空白がありながら頁を替えて同記載がなされるという不自然な態様になっていることは上記1(6)イで認定したとおりであるが,このことのみから同記載が後日書かれたものであると認めることはできない。そうすると,原告らの同主張は理由がない。
(エ) 看護記録・申し送りノートにエタノール誤注入の記載がないこと
Aに対してエタノールを誤注入したという事実はAの症状やAの今後の看護などにも影響を与える事柄であるため,そのことが明らかになった後,速やかに,看護記録などに記載されてしかるべき事実であるが,エタノールの誤注入が発覚した後,看護記録(経過記録B)の3月2日の欄以外に,看護日誌・看護記録・申し送りノートにはエタノールの誤注入を示す記載がないことは,上記1(5)ア及び1(6)イで認定したとおりである。しかし,本件全証拠によるも被告医師らが被告看護師長らや被告看護師らにその事実の記載をしないよう指示したとまで認めることができない。そうすると,原告らの同主張は理由がない。
(オ) カルテの改ざんの有無について
原告らは,2月29日7時37分の欄の「注射の痛みに対する反応は認められなかった」という一文,「膀胱バルーン‥‥‥培養提出」という一文,同日午後4時30分の欄の「あえぎ呼吸がほぼ消失した」との一文は後日意図的に書き加えられたものであり,カルテの改ざんである旨主張する。
確かに,これらの記載はいずれも後から書き加えられたものであるが,それが書き加えられた時期が本件全証拠によるも明らかでなく,したがって,同書き加えの事実をもって,原告らが主張するように事故を隠蔽するためことさらに後日書き加えたとまで認めるに足りる証拠はない。そうすると,原告らの同主張は理由がない。
(カ) 血中エタノール濃度を測定する検査に出していなかったこと
原告らは,被告D医師が3月2日の午前11時ころに採血及び検体の保存を指示しながら,その検体の検査をしていないことをもって,事故隠蔽行為の現れであると主張する。
確かに,被告D医師が3月2日の午前11時ころに採血及び検体の保存を指示しながら,その検体の検査をしていない。しかし,仮に事故隠蔽の意図があればAから血液を採取して検体を保存したりすることは考え難いうえ,それを廃棄しようと思えば廃棄することができた機会もあった。また,本件事故当時,Aから採取した血液の血中エタノール濃度の検査をしてその結果が出てくるまでには外注の検査会社に依頼して10から13日かかる(丙A2,弁論の全趣旨)ところ,被告医師らが,Aが生存している間には間に合わないと判断して直ちにAの血液を外注の検査に出さなかったことをもって不合理とまでいうことはできない。そうすると原告らの同主張は理由がない。
(キ) 記者会見における発表について
原告らは,Aの死亡後に行われた記者会見において,2月24日ころにはAが厳しい状況にあったとか,事故の公表が遅れた理由は家族の説得に時間がかかったためであるとか,Aは10年以上前から人工呼吸器を装着していたなどと虚偽の発表を行ったことは,事故隠蔽の意思の現れであるなどと主張する。
確かに,原告らの説得に時間がかかったから事故の発表が遅れたというのは不正確であり(甲189,弁論の全趣旨),Aが連続して人工呼吸器を装着したのは上記1(1)で認定したとおり平成11年12月24日からであって,これらの不正確な事実の公表により原告らが被告医師らを含む京大病院関係者に不信を抱き,不快な思いを抱いたことは無理からぬところである。
しかし,京大病院関係者の本件事故に係る記者会見は同関係者が既に警察に同事故に係る事実を届け出た後のことであって,同会見の内容について虚偽で,不誠実であったとして同関係者が責められるべきであったとしても,そのことから同会見内容が本件事故を隠蔽する意思の下で行われたとまでいうことはできない。そうすると,原告らの同主張は理由がない。
イ 原告らは,その他にも,被告D医師らはS教授室において事故隠蔽についての相談を行ったとか,A死亡後,Aの私物が病院側に回収されたことが隠蔽の事実を推認させるなどと主張するが,上記アにおいて認定説示したことを総合すると,結局,被告医師らがエタノールがAの病状及び死の結果に影響を与えたことを認識しながらその事実を隠蔽する行為を行ったとまではいえず,他に同事実を認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。
(6) 損害
以上に認定説示したとおりAは,被告L看護師及び被告看護師ら(被告K看護師を除く。)の上記各過失を原因として死亡したため,同死亡によってA及び原告らが被った損害について検討する。
なお,原告らは,遅延損害金の起算日をいずれの被告に対しても2月28日から請求するが,被告I看護師及び被告J看護師の不法行為の日は,同各被告がエタノールの誤注入を行った同月29日とするのが相当である。
ア 積極損害 163万8720円
証拠(甲C1ないし3)及び弁論の全趣旨によれば,Aが死亡したため,原告らがAの葬儀費用として163万3720円,死体検案書代として5000円を支出したことが認められるところ,原告らは,同各金額相当の損害を被った。
イ 逸失利益 0円
Aは,本件事故当時,リー脳症の最終期(末期症状)であったところ,同事実に証拠(乙A1,2,3の①ないし⑬,原告B)及び弁論の全趣旨を総合すると,Aは,同疾病の進行により,寝たきりの状態で,完全介護を要する状況で,それが死亡するまで継続する可能性が高かったことが認められる。また,基礎となる事実など(2)イにおいて認定したとおりリー脳症について,現在,根本的な治療法が存在しない。以上の事実を踏まえると,Aは,将来,就労することが著しく困難であったというほかなく,その他に,Aが,就労が可能であったことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると,Aの就労可能性の存在を前提とする逸失利益の損害は認めることができない。
ウ 死亡慰謝料 2000万円(A分)
各200万円(原告ら各自分)
(ア)① 本件事故は,医薬品の確認を怠るという被告看護師ら(被告L看護師を含むが,被告K看護師は除く。)の基本的な注意義務に違反したことから発生したものであり,同各被告らの注意義務違反は重大なものといわざるを得ない。
また,Aは,本来の寿命を全うしたわけではなく,エタノールを長時間にわたって強制的に吸引させられるという本件事故を原因として17歳の若さで死亡するにいたったところ,Aがそれにより被った精神的苦痛は大きい。
Aが被った同精神的苦痛を金銭的に評価すると2000万円とするのが相当である。
② Aは,生後間もなくリー脳症という難病に冒されたが,証拠(原告B,原告C)及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,Aを本件事故によって死亡するまで並々ならぬ愛情で慈しんできたことが認められるところ,原告らは,本件事故でAを失い,それによって精神的苦痛を被ったが,それを金銭的に評価すると各200万円とするのが相当である。
(イ) ところで,原告らは,Aが死亡したことにより,Aの被告京都大学,被告L看護師及び被告看護師ら(被告K看護師は除く。)に対する損害賠償請求権を各2分の1ずつ相続した。
(ウ) 被告京都大学は,Aが敗血症性ショックを併発したことにより,エタノール中毒による苦痛を感じないで済んだこと,エタノールの誤注入がなかったとしても敗血症性ショックにより同じころに死亡したと考えられることなどを慰謝料算定において考慮すべきである旨主張する。しかし,Aが敗血症性ショックを発症していた可能性は否定できないものの上記認定説示したとおり中毒により死亡するほどのエタノールを吸入させられながら,全く苦痛を感じなかったということはおよそ考えられない。そうすると,同各被告らの同主張は理由がない。
また,被告京都大学は,死亡により失われた生命の長さによって被った精神的苦痛に大幅な差異を設けるべきであり,本件事故当時,Aの生命予後は極めて不良であったことを慰謝料算定にあたって十分に考慮すべきである旨主張する。逸失利益に基づく損害はその生命予後や余命の長短によって影響を受けることはいうまでもないが,死という結果に伴う精神的苦痛は,死それ自体に伴う精神的苦痛をもって損害とされるところ,それは生命予後や余命の長短によって相違があるわけではない。そうすると,同各被告らの同主張は失当である。
エ 弁護士費用
原告らは,本件訴訟を提起し,その訴訟追行を本件の原告ら訴訟代理人及び訴訟復代理人である弁護士らに委任した(顕著な事実)ところ,上記ア及びウで認定説示した認容額その他本件に現れた諸般の事情を考慮すれば,被告L看護師,被告看護師ら(被告K看護師は除く。)の各行為と相当因果関係がある損害としての弁護士費用相当額は250万円とするのが相当である。
3 結語
以上の次第で,原告らの不法行為に基づく請求(なお,原告らの本件債務不履行に基づく請求と不法行為に基づく請求は選択的併合請求であるところ,債務不履行に基づく請求が不法行為に基づく請求よりもその賠償額が多くなることがない。)は,主文1,2項の限度で理由があるからこの限度で認容することとし,その余は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,64条,65条1項本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項を適用して,主文のとおり判決する。
なお,被告京都大学は仮執行免脱の宣言を求めるが,相当でないので付さないこととする。
(裁判長裁判官 中村哲 裁判官 竹内努 裁判官 酒井智之)
(別紙省略)