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京都地方裁判所 平成13年(ワ)560号 判決 2002年5月08日

原告

甲山太郎

右法定代理人親権者父

甲山次郎

右訴訟代理人弁護士

福井啓介

中隆志

白浜徹朗

被告

乙川病院こと

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

置田文夫

後藤美穂

山村忠夫

被告

右代表者法務大臣

森山眞弓

右指定代理人

北佳子

外四名

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

被告らは、各自、原告に対し、一億四四五五万四一七二円及びこれに対する昭和六三年八月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は、重症新生児仮死状態で出生し、脳性麻痺により障害者等級一級(体幹機能障害)の身体障害者手帳の交付を受けるに至った原告が、分娩介助契約を締結した医師、転院先病院を設置する国に対し、原告が上記障害を負うに至ったのは、出産時において病院が適切な処置を怠ったからであるとして、債務不履行に基づき、原告が被った損害の賠償を求めたという事案である。

1  争いのない事実等(証拠により認定する場合は証拠を示す。)

(1)  当事者

原告は、昭和六三年八月二一日、甲山花子(以下「花子」という。)と甲山次郎(以下「次郎」という。)との間の第一子として出生した。花子と次郎は、平成九年四月一日、協議離婚し、次郎がその親権者に指定された。

被告乙川医院こと乙川一郎(以下、「乙川医院」又は「被告乙川」という。)は、肩書住所地において、産婦人科医院を開業している。

(2)  花子の妊娠、出産(原告と被告乙川との間で争いのない事実、甲3、丙1、弁論の全趣旨)

ア 花子(身長一五〇センチメートル)は、昭和六二年一二月二五日、乙川医院にて妊娠していることが判明し、同医院に通院を開始し、経過は良好であった。

イ 分娩の経緯

(ア) 昭和六三年八月二〇日午前一一時頃(以後、特に記載のない限り昭和六三年を指す。)花子の陣痛が初来し、同日午後六時頃、花子は乙川医院に入院した。胎児心音は良好で、花子にはマイリス(子宮頸管を熟化させるための薬剤)が投与され、経過観察となった。

同日午後八時頃、陣痛は多少強くなったが余り変化のない状態であり、子宮口は硬くて開大度は少なく二横指程度であり、さらにマイリスが投与された。

(イ) 翌八月二一日午前一時頃(乙川医院のカルテの記載による。)、自然破水し、陣痛がやや増強したが、子宮口は堅く開大度は二横指程度であり、児頭はまだ骨盤入り口から動かない状態であった。

同日午前二時頃、陣痛は少し強くなったが、その後は強くならないまま推移し、午前三時頃、陣痛を促進するため、アトニンオー(陣痛促進剤)が筋肉注射された。しかし、陣痛の反応は鈍かった。

同日午前四時頃、アトニンオーの点滴を開始したところ、陣痛は増強し、三〇秒程度の陣痛発作が三分間隔であり、児頭は骨盤に入ろうとし、子宮口は四横指の大きさに開大した。

同日午前七時頃、点滴は終了したが、子宮口の開大度は四横指程度で児頭は骨盤広部にあり、陣痛発作時間は二〇秒から三〇秒、陣痛間隔は五分であった。

同日午前七時三〇分、被告乙川は花子の転院を決意し、国立△△病院(以下「△△病院」という。)に受入を要請し、同日午前八時一〇分、花子は△△病院に搬送された。

(ウ) △△病院搬入時、花子にはほとんど陣痛がなかったため、同日午前九時よりプロスタグランディンF2αの投与がなされ、△△病院は花子を経過観察することとした。しかし、同日午前一一時、花子は嘔吐し、同日午前一一時四〇分には分娩台より陣痛車に移送中、足の引き連れ感を訴え、突然意識が消失して全身硬直性痙攣(分娩子癇)発作を起こした。そこで、同日午前一一時四五分より吸引分娩が開始され、同日午前一一時五八分、計六回の牽引により原告を娩出した。

(エ) 生下時の原告は、アプガースコアが二点の重度新生児仮死状態であり、直ちに新生児仮死蘇生術がなされた。

(3)  後遺障害(甲7、8)

平成三年五月三一日、原告は、脳性麻痺により京都府知事から身体障害者等級一級の身体障害者手帳の交付を受けた。

(4)  調停の申立(甲10、23)

原告は、平成一一年一二月二四日、弁護士を代理人として、被告らに対し、本件に関する調停の申立を行ったが、平成一二年九月二九日、不調に終わった。

(5)  訴えの提起

原告は、平成一三年三月七日、本件訴えを提起した。

2  争点

(1)  原告と被告らとの契約関係  (2) 被告らの過失の有無

(3)  損害

(4)  消滅時効の成否

(5)  時効中断、時効援用権の喪失(権利濫用)

3  争点に関する当事者の主張

(1)  原告と被告らとの契約関係

ア 原告の主張

(ア) 次郎、花子は、被告乙川との間で、昭和六二年一二月二五日、花子が被告乙川に入通院する際、生まれる子供に心身の異常があれば乙川医院に診療を依頼する旨の診療契約を、さらに、原告が出生した場合に、原告の法定代理人として、原告に心身の異常があれば乙川医院に診療を依頼する旨の診療契約をそれぞれ締結した。

(イ) 仮に、(ア)の事実が認められなくとも、花子と被告乙川との間で、昭和六三年八月二〇日、花子が乙川医院に入院するに際し、原告の出生を条件として、原告の安全娩出の確保と娩出時の疾患の治療を内容とする診療契約(第三者のためにする契約)を締結し、原告は、出生後、花子と次郎を法定代理人として、上記受益を受ける旨の意思表示をした。

(ウ) 次郎・花子は、被告国との間で、昭和六三年八月二一日、花子が△△病院に入院する際、生まれる子供に心身の異常があれば被告国に診療を依頼する旨の診療契約を、さらに、原告が出生した場合に、原告の法定代理人として、原告の心身に異常があれば被告国に診療を依頼する旨の診療契約をそれぞれ締結し、仮にそうでないとしても、花子と被告国との間で、昭和六三年八月二一日、花子が△△病院に入院するに際し、原告の出生を条件として、原告の安全娩出の確保と娩出時の疾患の治療を内容とする診療契約(第三者のためにする契約)を締結し、原告は、出生後、花子と次郎を法定代理人として上記受益を受ける旨の意思表示をした。

イ 被告乙川の主張

原告の主張(ア)、(イ)は否認する。

ウ 被告国の主張

原告の主張(ウ)は否認する。

被告国は、昭和六三年八月二一日、花子との間で、同人の分娩介助を目的とする診療契約を締結しただけであるところ、被告国と花子との間の診療契約は原告が胎児である時期に母体である花子に対して診療行為を行うことで履行されるのであり、原告に対する履行は観念しえず、原告の出生は上記契約を履行した結果にすぎない。したがって、原告の被告国に対する債務不履行の主張は失当である。

(2)  被告らの過失の有無

ア 原告の主張

(ア) 総論

a 原告は、娩出時、アプガースコア二点の重症新生児仮死状態であったところ、新生児仮死は、胎児仮死の連続した症候群であるから、原告が出生した時点では、すでに、胎児仮死が発生してから長時間を経過し、既に脳に不可逆の障害が発生していたものである。

b しかるに、被告らが、以下のとおり適切な処置をしていれば、原告に胎児仮死が発生し、重症新生児仮死状態で出生することはなかったから、被告らには、以下の適切な処置を怠ったという点で過失があり、また、被告らの過失と原告の現在の症状との間に因果関係があることは明白であるから、被告らは原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(イ) 被告乙川の過失

a 急速遂娩術の準備義務

子宮収縮の頻度や持続時間に異常がある場合には、胎児は低酸素状態に陥り、胎児仮死が発生する可能性が高くなるところ、分娩は、胎児にとってストレスであり、長時間、子宮収縮にさらされた場合には胎児仮死が発生する可能性が高いのであるから、医師は、長時間胎児が子宮内圧や産道の抵抗により全身に強く圧迫を受け、子宮胎盤血行の激しい変化にさらされる事態、つまり、胎児がストレスにさらされる事態は避けるようにすべき注意義務を負っている。したがって、医師は、胎児の状況を詳細に観察すべき義務を負い、胎児仮死が疑われる事実が判明したときは直ちに何らかの方法により胎児を娩出すべき義務を負う。この義務は難産が予見される場合には、さらに高度な義務となる。

花子は身長一五〇センチメートル(低身長)の女性で、本件が初産であり、軟産道強靱であるとの所見があり、陣痛が余り増強しない一方、八月二〇日午後九時三〇分か翌二一日午後一時かについては判然としないものの、早い段階で自然破水が発生しており、胎児にはさらなるストレスがかかり、胎児の循環器系の予備能を低下させるおそれが生じていたのであるから、被告乙川は、早い段階で本件出産が難産であることが予見可能であったというべきであり、帝王切開を含めた急速遂娩術の準備を行う義務が生じていたものである。

b 帝王切開術の判断時期の誤り(転院の時期を失した過失)

帝王切開術を行わない開業医は、出来るだけ早期に帝王切開術を施行するか否かの判断をしなければならない義務を負うところ、乙川病院では帝王切開術を施行する態勢にはなかったのであるから、遅くとも八月二一日午前一時以降午前三時までの間に帝王切開術の施行が出来る病院に転院の措置を採るべきであったにもかかわらず、十分な施設の整っていない乙川病院において分娩監視装置を用いることなく漫然と陣痛促進剤の投与を続け、転院の時期を失した。

c 陣痛促進剤の過剰投与

被告乙川は、花子が既に自然破水しているにもかかわらず、花子に漫然と陣痛促進剤を投与し続け、陣痛促進措置を採ったために、花子の子宮は長時間にわたって過度に収縮を繰り返したため、胎児であった原告に過度のストレスがかかり、胎児仮死を引き起こした。

d 経膣分娩を施行した過失

花子は、初産であり、身長一五〇センチメートルの小柄な女性であり、骨盤が狭い割に胎児が相当発育していたのであるから、CPD(児頭骨盤不適合)を疑うべきであるにもかかわらず、被告乙川は、漫然と経膣分娩を施行しようとした。

e 胎児心音の不測定

胎児仮死が発生する場合、胎児心音に異常を来すことが通常であり、連続的に胎児心音の測定をすれば胎児仮死の診断は容易であるから、胎児心音の測定は不可欠であるところ、被告乙川は、原告出産当時、乙川医院には分娩監視装置が備え付けられておらず、胎児心音を連続して測定することがなかったため、胎児仮死の発見又は急速遂娩術の準備が遅れた。

f 転院の際の説明義務違反

医師が患者を他の医療機関に転送する場合、転院までの間に採られた措置や患者の経過等は転院先の医師がその後の治療方針を決定するにあたり不可欠な情報であるから、転院させる側の医師は、カルテ等を引き渡すなどして転院先の医師にこれを詳細に説明する義務があるところ、被告乙川は、花子を△△病院に転院させるに際し、△△病院に対してこれまでの診療経過を十分説明し、適切な処置が採られるように努める義務を怠ったため、△△病院は原告及び母体の変化に対する適切な対応をすることができなかった。

(ウ) 被告国の責任原因

すでに花子に大量のアトニンが投与されていたところ、△△病院は、前医である被告乙川から十分な情報を得ていなかったため、アトニンと同時併用してはならないとされているプロスタグランディンを投与して花子に過強陣痛を発生させ、長時間にわたって分娩時の子宮収縮と産道による圧迫によりストレスにさらされてきた原告にはさらなるストレスをかけ(なお、花子のショック状態(子癇)も、これら薬剤の併用に起因する可能性が高い。)、△△病院の医師が吸引分娩を実施した時点では、すでに胎児仮死が急速に進展していた可能性が極めて高い。したがって、娩出を行うに際しては、胎児ストレスをできるだけ避け、吸引分娩に比較して胎児ストレスの少ない帝王切開術を行うべきであったにもかかわらず、△△病院医師は、漫然と吸引娩出を行い、しかも、その回数は教科書レベルを超えて六回も行い、さらに原告にストレスをかけた。

また、そもそも、花子についてはCPDを疑うべきであって、経膣分娩が困難であることが容易に予測されたにもかかわらず、帝王切開を採用せず、吸引分娩を行った。

(エ) 原告が新生児仮死状態で生まれたのは、被告ら両名の過失の競合によるものである。

(オ) 原告は、アプガースコア二点という重症新生児仮死状態で出生したが、新生児仮死は胎児仮死の連続した症候群であること前記のとおりであるから、出生時において既に胎児仮死が発生してから長時間が経過し、脳に不可逆的障害が発生していたものである。しかるに、被告らが、上記のような適切な処置をしていれば、原告に胎児仮死が発生し、重症新生児仮死状態で出生することはなかったから、被告らの過失と原告の障害との間に因果関係があることは明白である。よって、原告は、被告らに対し、各自、債務不履行に基づき、損害金一億四四五五万四一七二円及びこれに対する昭和六三年八月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

イ 被告乙川の主張

(ア)aについては「胎児仮死が発生してから長時間経過し」との点は争い、その余は不知。(ア)bの主張は否認する。(イ)a前段は一般論としては争わないが、医師にいかなる注意義務が課せられるかは一義的に論じられるものではなく、発症した客観的症状と当時の臨床医学の水準との関係において具体的に論じられる必要がある。同後段は争う。(イ)bは、乙川医院において帝王切開術を施行する態勢になかったことは認めるが、その余は争う。(イ)のその余の主張(c、d、e、f)は、否認ないし争う。原告は乙川医院にいた段階で胎児仮死の状態にあったと主張するが根拠薄弱である。(ウ)は不知であるが、△△病院が被告乙川から十分な情報を得ていなかったとの点は争う。(エ)(オ)は争う。

ウ 被告国の主張

(ア)aのうち、原告が出生した際にはアプガースコア二点という重症新生児仮死状態であったことは認め、原告が出生した時点で既に胎児仮死が発生してから長時間が経過していたとの点は争う。なお、一般論として「新生児仮死状態が胎児仮死の連続した症候群である」との記載は誤りである。(ア)bの主張については争う。(イ)のうち、a前段は一般論としては争わないが、医師の注意義務の内容、程度は一義的に論じられるものではない。(イ)のその余については認否の限りでないが、(イ)fのうち、「△△病院は原告及び母体の変化に対する適切な対応をすることができなかった。」との部分については、△△病院は適切な対応をしていることから否認する。(ウ)のうち、前医である被告乙川から十分な情報を得ていなかったこと、吸引分娩を六回行ったことは認め、また、娩出の実施に際しては、胎児へのストレスを出来るだけ避けるべきであることは一般論としては認める。また、「既に花子に大量のアトニンが投与されている」、「長時間にわたって、子宮収縮と産道による圧迫によりストレスにさらされてきた原告」との事実は不知。また、「帝王切開を採用せず、吸引分娩を行った過失がある。」との点は争う。その余は否認する。(エ)(オ)は、被告国に過失はないことから争う。

(3)  損害

ア 原告の主張

原告は、身体障害者一級の認定を受け、以下のとおりの損害を被った。

(ア) 逸失利益 四三〇〇万七九九一円

原告は、脳性麻痺により労働能力の一〇〇パーセントを就労可能年齢である六七歳まで喪失したところ、平成一〇年度賃金センサスにおける男子労働者の産業計・全企業規模計・高校卒の平均賃金は年額五六九万六八〇〇円である。よって、以下の計算式により、逸失利益は四三〇〇万七九九一円となる。

(計算式)

569万6800円×1×(19.2390−11.6895)=上記金額

(イ) 後遺障害慰謝料 二六〇〇万円

原告は、治癒不可能な障害を一生持ったまま生きていかねばならず、障害の程度も重篤である。よって、後遺障害慰謝料は二六〇〇万円を下らない。

(ウ) 付添介護費用 六二五四万六一八一円

原告は、脳性麻痺のために生涯にわたり他人の介護を必要とする。その介護費用は一日あたり六〇〇〇円は必要である。また、本件訴え提起時の平均余命は約六五・六六歳である。よって、以下の計算式により、付添介護費用は六二五四万六一八一円となる。

(計算式)

6000円×365日×28.5599=上記金額

(エ) 弁護士費用 一三〇〇万円

請求金額の一割である一三〇〇万円が相当である。

(オ) 合計 一億四四五五万四一七二円

イ 被告乙川、被告国の主張

原告の主張は争う。

(4)  消滅時効の成否

ア 被告乙川の主張

被告乙川の債務不履行時とされる昭和六三年八月二一日から一〇年を経過した平成一〇年八月二一日は経過した。被告乙川は、平成一三年四月一六日の第一回口頭弁論期日において、上記消滅時効を援用するとの意思表示をした。

イ 被告国の主張

(ア) 被告国の債務不履行時とされる昭和六三年八月二一日から一〇年を経過した平成一〇年八月二一日は経過した。被告国は、平成一三年七月二日の第三回口頭弁論期日において、上記消滅時効を援用するとの意思表示をした。

(イ) 仮に、債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効に関し、原告主張のように損害発生の認識可能性という点を考慮しても、その起算点は、遅くとも、原告(の法定代理人)が、医療費免除申請手続に必要な診断書を△△病院の担当医から受領した時点、あるいは、同医師が肢体不自由児のリハビリ施設である聖ヨゼフ園に紹介した時点というべきである。なぜなら、この時点においては、原告(の法定代理人たる親)が原告の出生時に脳損傷を受けた事実を認識していることは明らかといえるからである。

また、仮に損害発生を後遺障害発生時かつ認識時に遅らせたとしても、その時点は、主治医が原告を二歳六ヶ月時で生後二ないし三ヶ月相当の姿勢、運動発達であることを診断し、脳性麻痺による重症心身障害の診断が確定的となっている状況が読みとれる平成三年二月二〇日、あるいは、心理検査士が二歳六ヶ月時で生後三ヶ月未満、対物対人行動もこれに見合った程度と診断した翌二月二一日の時点であるというべきである。

したがって、本件の場合、いかに消滅時効の起算点を遅らせたところで、その時点はカルテ上から、平成三年二月二〇日、二一日の診断日であり、これ以上に消滅時効の起算点を繰り下げる理由は一切見当たらない。

ウ 原告の主張

被告らの主張は争う。

(ア) 本件で、出生後に原告に生じた障害は、乳児段階では脳波等が判然としない上、可塑性もある等の理由で、障害としての確定的診断が得られなかった。次郎も、医師から子供の脳であるからしばらく成長してみないと後遺障害がどの程度残るか分からないし、回復するかもしれないと言われていた。しかるに、原告がある程度成長した時点で、生涯にわたり回復することがない障害が脳に発生していることが分かり、原告は、平成三年五月三一日、京都府から身体障害者一級の認定を受け、同時に原告の症状が固定し、権利行使が可能となったのである。消滅時効は権利を行使しうる時点から進行するところ、本訴の提起は平成一三年三月七日であるから、本件で一〇年を経過していないことは明らかであり、時効は完成していない。したがって、被告乙川の抗弁は理由がない。

(イ) そうでなくても、本件で消滅時効が進行を開始するのは、平成五年一〇月七日の証拠保全手続がなされたときか、そうでなくても、原告の法定代理人である次郎が籠橋弁護士に本訴提起を相談した平成五年四月頃であるというべきである。なぜなら、権利者の地位、権利の性質等諸般の事情に照らし権利行使を期待ないし要求することが事実上不可能な場合にまで時効の進行を容認することは、権利者に対し正当な権利行使を制限することになって過酷であり、引いては時効制度の本旨に悖る不当な結果を招来するに至るから、「権利を行使することを得るとき」とは、債権を行使するについて厳密に法律上の障害がなくなった時を言うのではなく、権利者の職業、地位、教育及び権利の性質、内容等諸般の事情からその権利行使を現実に期待ないし要求できるときを意味するところ、本件では、原告の法定代理人である次郎は法律的には素人であるし、医療過誤訴訟という極めて専門的な訴訟の追行を本人で行うことは困難であったから、弁護士に依頼した時点か、証拠保全によりカルテを取得した時点から本件請求が可能となったというべきだからである。医療過誤訴訟では、カルテ等の書類がなければどのような診療を医者がなしたものかも判然としないため、カルテを取得した時点から権利行使が現実に期待できるというべきなのである。

(ウ) また、原告が権利行使しようとすれば、訴訟提起には両親の共同親権の行使が必要であるところ、次郎と花子との間には、平成六年四月三日に夫婦関係調整(離婚)調停申立事件が係属した後、離婚訴訟が提起され、離婚が成立したのは平成九年四月一日であったから、この間は原告が訴訟提起することについて法律上の障害があり、時効の進行は停止すると見るべきであるから、いずれにせよ本件で消滅時効は完成していないものである。

(エ) いわゆるじん肺訴訟判決(平成六年二月二二日最高裁判決)は、雇用者の安全配慮義務によりじん肺にかかったことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、じん肺法所定の管理区分についての最終の行政上の決定を受けたときから進行するとして、具体的な事案の中で権利行使が困難であった事案について消滅時効の起算点を緩やかに解することで事案の具体的妥当性を図っており、他の裁判例にも同様な判断手法を採用したものが多数ある。これら裁判例に共通するのは、医療という特殊専門的な場面において、権利を行使できるかどうかという専門的な判断を医学的、法律的素人である一般人に負担させることは相当でないという価値判断であり、最高裁もかような流れに従っていると言える。このような判例の流れからすれば、本件では、消滅時効が完成していないことは明白である。

(5)  時効の中断、時効援用権の喪失(権利濫用)

ア 原告の主張

(ア) 原告は、平成一一年一二月二四日、京都簡易裁判所に被告らを相手方として調停を申し立て、平成一二年九月二九日に不調で終了したところ、調停の申立は催告と同様の効果を有し、六ヶ月以内に訴訟提起すれば時効は中断されるところ、本件訴訟の提起は平成一三年三月七日であるから時効は中断されている。

(イ) 時効援用権の喪失(権利濫用)

被告らは、上記調停事件において、時効について何ら触れることなく実質的な答弁をしており、本件訴訟において、突然時効の主張をすることは信義則に反するか、権利の濫用として許されない。

イ 被告国の主張(時効の中断の主張に対して)

調停の申立は裁判上の和解の申立と異なることがないから、民法一五一条を類推する限度における時効の中断事由となるものと解するのが相当であり、調停が不成立によって終了した場合においては、一ヶ月以内に訴えを提起したときに限り調停の申立のときに時効中断の効力が生ずるものであるから、調停が不成立によって終了した平成一二年九月二九日から一ヶ月を超えて訴えが提起された本件においては、調停申立の時に時効中断の効力を認めることができないことは明らかである。

第3  当裁判所の判断

1  本件では、消滅時効の成否が争点の一つとなっているところ、事案の性質上、被告らの過失の有無について検討する前に、まず、この点について判断する。

前記争いのない事実等並びに証拠(甲3、19、20、21、22、23、丙1、5、甲山次郎本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ア  原告の出生

花子(昭和三一年五月一日生まれ)は、昭和六二年一二月二五日、乙川医院にて妊娠が判明して通院を継続し、経過は良好であった。昭和六三年八月二〇日午前一一時頃(以下、前同様に、特に記載のない限り昭和六三年を指す。)、陣痛の初来を見て同日午後六時頃、乙川医院に入院した。

花子は、マイリスを投与されて経過観察となり、翌八月二一日午前一時頃、自然破水したが、子宮口は硬く、児頭が骨盤入り口から動かない状態であった。そこで、陣痛を促進するためアトニンオーが投与され、同日午前七時頃、アトニンオーの点滴が終了したが、子宮口の開大度は四横指程度で児頭は骨盤広部にあり、陣痛は鈍かった。

花子は、被告乙川の判断により、同日午前八時一〇分、△△病院に搬送されたが、同病院への搬入時にはほとんど陣痛がなかったため、同日午前九時よりプロスタグランディンF2αの投与がなされた。しかし、同日午前一一時四〇分、分娩台より陣痛車に移送中、花子は足の引き連れ感を訴え、突然全身硬直して意識消失し、子癇発作が出現したため、同日午前一一時四五分より吸引分娩が開始され、同日午前一一時五八分、計六回の吸引により原告を娩出した(妊娠四〇週四日目)。

次郎は、乙川医院に花子が入院するときからずっと付き添っていたが、原告の娩出時は、看護婦や医師らが一〇人ほど分娩室に入ってバタバタとした状態であり、ただ事ではないと感じていた。次郎は、△△病院医師から「奥さんが痙攣を起こしているので、そちらに付いていてくれ。子供の方は私の方でやるので。」と言われたため、花子に付添ったが、原告が吸引分娩で娩出したことや、花子に子癇が起こったということは、後日、母子手帳を見て知った。

イ  出生後退院まで

出生時における原告の体重は三二一五グラム、身長は46.6センチメートルであったが、泣き声はなく心拍数も緩徐(一〇〇以下)であり、皮膚色は全身蒼白又は暗紫色、アプガースコアが二点の重症新生児仮死状態であった。そのため、原告は、すぐに未熟児室に搬入され、直ちに新生児仮死蘇生術がなされ、五分後にはアプガースコアは六点に回復した。原告の後頭部には吸引分娩による巨大な血腫があり、代謝性アシドーシスは中等症、頭蓋内出血の疑いがあり、モロー反射(原始反射の一つ)は弱かった。原告は、娩出直後は筋肉が強緩していたが、その後緊張に変わり、約二日間、四肢の異常運動(手足を屈曲し、伸展してもすぐに戻る状態)が持続した。痙攣が止まった後の四肢の位置は正常であったが、視線が固定し、表情がなく、モロー反射は全く見られなかった。次郎は、未熟児室に入れられ、酸素や点滴の管を付けられている原告を見て、普通の状態ではないことを感じていたが、主治医の丙田医師からも、「もうちょっとすれば管も外せるようになるかも分からないし、声も出るかも分からないし、とりあえずやってみます。」と言われており、丙田医師に原告の養育医療継続書と診断書を作成してもらい、医療費の免除申請を京都市に対して行った。

八月二四日、未熟児室が満床のため、原告は、未熟児室から小児科病棟に転床された。その際、花子にも車椅子で小児病棟に行ってもらい、「本来は出生時より小児科病棟に入院しておくべきだったが、救急措置を要したので未熟児室に収容していたところ、小児科病棟に転棟となった。治療に関しては変更はなく、特別の療養を始めようとする訳でもない。」との説明がなされた。同日の原告は、痛覚刺激に反応せず、四肢は屈位であり、黄疸は中等、自発呼吸は全く見られず、瞳孔は萎縮していて光反射はほとんどなかった。

原告は、八月三〇日及び九月五日のCTでは脳浮腫やクモ膜下出血の疑いがあり、九月一四日のCTでは脳浮腫は回復していたが、脳壊死像が左右の前頭葉に小さいながら認められ、脳室と脳薄が拡大し脳萎縮が始まっていた。これらCT検査の結果は、CT画像を示しつつ、次郎に対しても説明された。

次郎は、八月三一日に原告に面会するとともに医師から原告について説明を受け、九月一〇日には面会に来て積極的に原告に触れたり質問するなど、度々面会に訪れた。

原告は、八月二六日から鼻注栄養を開始したが、九月一三日頃から明瞭に吸啜するようになり、花子は軽快して九月二日に△△病院を退院していたが、九月二三日頃から花子に付き添ってもらっての哺乳練習が開始され、一〇月五日花子の希望により△△病院を退院した。丙田医師は、次郎に対し、一生懸命訓練すればよくなるかもしれないとして、聖ヨゼブ整肢園で訓練することを勧めた。

ウ  聖ヨゼフ整肢園への入通院

原告は、丙田医師の紹介で、平成元年一月二三日から聖ヨゼフ整肢園に入通院して運動療法を開始した。原告の主治医は丁町医師であり、「三歳までの子供は、どんな状況でもよくなる可能性がある。よくなるよう頑張って訓練してみましょう。」と言われていた。原告は、平成元年八月七日の発達テストでは、膝の上に座れるも一五秒程度で前屈になり、握力も握らせてやれば握る程度で、母親や音楽を意識して喜ぶような状態であったが、同月二九日の発達テストでは頭の正中保持が出来るようになり、ハイハイとの言葉に反応したり、手足をバタバタさせて喜んだり、マンマ(食べ物)を理解して喜ぶようになり、生後二ヶ月相当と診断されたが、平成三年九月になってもお座りは出来ず、入通院中の姿勢運動にほぼ変化は見られなかった。

平成元年八月一四日の脳波検査では診断名「知恵遅れ、脳性麻痺のリスクあり」で正常、平成二年一月一二日の同検査では診断名「中枢性協調障害」で軽度異常、同年六月一三日の同検査でも軽度異常、同年一〇月九日の同検査では診断名「知恵遅れ、てんかん」で軽度異常、平成三年四月一二日の同検査においても軽度異常とされた。

エ  平成三年二月頃、丁町医師は、運動療法を行ってきたが、原告に改善の見込みがないと判断して次郎にもその旨説明し、同年五月三一日、原告は、脳性麻痺により京都府から身体障害者一級(体幹機能障害)の認定を受けた。

オ  平成五年四月、次郎と花子は、原告が脳性麻痺となったことについて籠橋隆明弁護士に相談し、原告の親権者として、同弁護士を代理人として、昭和六三年八月二一日から同年一〇月三一日までの△△病院における産婦人科、小児科における原告の診療に関して作成された一切の資料について証拠保全の申立をし、平成五年一〇月七日、同手続が行われた。しかし、籠橋弁護士は最終的に辞任を申し出たことから、次郎は、高見沢弁護士の紹介を受けた。しかし、平成六年六月頃から、次郎と花子は、原告をどこの病院に通院されるかについて意見が食い違い、その頃から、夫婦間の関係がぎくしゃくし始め、花子は家庭裁判所に夫婦関係調整(離婚)調停の申立をした。次郎は、離婚に関しての合意はまとまっていたのですぐに終わると考えていたが、同調停は、原告の親権者の指定を巡って長引き、高見沢弁護士に相談したところ、「親権がはっきりしない状態では裁判はできないので、ちゃんと離婚が成立したら、またご相談下さい。」とのことであった。しかし、同調停は結局不調に終わって離婚訴訟が提起され、平成九年四月一日、次郎と花子は協議離婚し、原告の親権者は次郎と指定された。

そこで次郎は、原告の親権者として、平成一一年一二月二四日、再度、籠橋弁護士を代理人として、被告らに対し、本件に関する調停の申立を行ったが、平成一二年九月二九日、不調に終わり、平成一三年三月七日、本件訴えを提起した。

以上のとおり認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

2  検討

ア  「消滅時効ハ権利ヲ行使スルコトヲ得ル時ヨリ進行」(民法一六六条一項)するところ、「権利ヲ行使スルコトヲ得ル」とは、期限の未到来とか、条件の未成就のような権利行使についての法律上の障碍のない状態をいうものである(最高裁判所昭和三五年一一月一日第三小法廷判決民集一四巻一三号二七八一頁、最高裁判所昭和四九年一二月二〇日第二小法廷判決民集二八巻一〇号二〇七二頁参照)。そして、債務不履行による損害賠償請求権は、本来の履行請求権の拡張ないし内容の変更であって、本来の履行請求権と法的に同一性を有すると見ることができるから、債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、本来の債務の履行を請求し得る時からその進行を開始するというべきであるが、本件のような診療契約における債務不履行に基づく損害賠償請求権は、診療契約における注意義務違反により積極的に生じた損害についての賠償を求めるものであり、本来の債務の拡張ないし内容の変更として法的な同一性を有するものと見ることはできないから、このような診療契約における債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、その成立要件たる債務の不履行及びそれと相当因果関係にある損害の発生があった時から進行を開始するというのが相当である。

イ  これを本件についてみるに、原告は、娩出直前に母体に子癇発作があり、アプガースコア二点という重症新生児仮死状態で出生し、直ちに未熟児室に収容されたが出生後二日間は痙攣が持続し、その後も約一ヶ月間は哺乳も行えず、CT検査の結果によれば脳浮腫や脳萎縮が見られたことからすれば、原告の脳性麻痺の原因となる中枢神経系の損傷ないし傷害は、生下時仮死に代表される分娩時周辺の呼吸・循環障害(周産期の呼吸循環障害)にあることは明らかであり、また、その後の原告の症状経過を見ても、頭の正中保持が出来るようになるなどの改善が見られるものの、姿勢運動にほぼ変化はなく、また、脳波検査の結果も、平成元年八月一四日に「知恵遅れ、脳性麻痺のリスクあり」として正常と診断されたが、以後は中枢性協調障害、知恵遅れ等で軽度異常と診断されていることからすれば、症状の改善や診断名に変化はあったものの、基本的には、原告の症状は出生時から小児脳性麻痺の症状に合致し、しかも、平成三年五月三一日に脳性麻痺により京都府から身体障害者一級の認定を受けるまで、その症状に著しい変化はなかったと考えられ、原告の損害は、出生時である昭和六三年八月二一日に発生しているというべきである。

ウ  原告は、生下時に脳性麻痺が生じたとしても、担当医から症状回復の可能性も指摘されてリハビリ訓練に取り組み、その確定診断を受けたのは平成三年五月三一日に一級の身体障害者手帳の交付を受ける直前であり、このころまで損害発生を知る由もなかったから、消滅時効は同日をもって進行を開始したというべきであると主張する。確かに、(甲18)によれば、身体障害者程度等級表については、厚生省社会保険局長通知が「乳幼児に係る障害認定は、障害の種類に応じて、障害の程度を判定することが可能となる年齢(概ね満三歳)以降に行うこと」としていることが認められるが、乳幼児の場合は、身心の機能発達が可塑性に富むことから、後遺障害の種類・程度の鑑別判断は、一定程度の期間における予後を追跡しなければ困難であることからすれば、それ自体は容易に理解が可能である。

しかし、原告の場合、母体の子癇の発生、吸引分娩、アプガースコア二点という重症新生児仮死状態による出生であったことからすれば、脳性小児麻痺の原因が感染や外傷、さらに先天性因子等によるものではなく、分娩前後の因子による呼吸・循環障害に起因することが容易に予測できたばかりでなく、証拠(丙6、弁論の全趣旨)によれば、脳性小児麻痺とは、乳児期初期までに中枢神経系に加えられた傷害が原因で運動系を中心とした不可逆的な障害が残った状態をいうところ、その発達過程において臨床症状に変化はあるものの、いずれにせよ中枢神経系の異常を基盤とした発達であること、脳性麻痺一般の診断には臨床的必要性に応じて早期診断と確定診断があるところ、早期診断は早期になればなるほど診断は困難であるが、仮死状態で出生した児の場合の早期診断は、アプガースコアが一応の指標となり、その後障害を残すか否かは生後一ないし二週間の観察(持続する嘔吐、痙攣、哺乳困難など)を加えて判断するのが望ましいこと、確定診断は重度の場合を除き一歳前後となることが認められるものである。

そうとすれば、いま、仮に、本件における消滅時効の起算点の解釈について、原告主張のような主観的要素(権利行使の期待可能性)を斟酌するとしても、医師による確定診断のなされる時期は別論として、遅くとも、△△病院での治療を終えて退院した昭和六三年一〇月五日には、重篤な後遺障害の発生、すなわち、損害を知り得たというのが相当である。

エ  以下によれば、原告の脳性麻痺に基づく損害は、娩出時に原告が受けた中枢神経系の損傷ないし傷害により生じ、原告主張の娩出時の被告らの債務不履行に基づく損害賠償請求権は、昭和六三年八月二一日、遅くとも同年一〇月六日には消滅時効の進行を開始するというべきであるから、原告主張の被告らの債務不履行に基づく損害賠償請求権は、同日から一〇年を経過したことが当裁判所に顕著である平成一〇年八月二一日、遅くとも同年一〇月六日の経過をもって時効により消滅したといわざるを得ない。そして、被告らの消滅時効の援用の意思表示は記録上明らかであるから、被告らの消滅時効の抗弁には理由がある。

オ  これに対し、原告は、未成年者である原告が訴訟を提起するには、法律上、花子と次郎が共同して訴訟を提起することが必要であったところ、次郎と花子が離婚調停を開始した平成六年四月三日から協議離婚するに至った平成九年四月一日まで、原告の権利行使につき法律上の障碍があったものとして時効の進行は停止すると見るべきであると主張するが、次郎と花子の夫婦関係が円満でなく、事実上共同親権の行使に困難があったとの事情は、原告が権利行使するについての事実上の障碍にすぎず、それにより時効の進行が停止すると解することはできない。

その他の原告の主張は独自の見解というほかない。また、引用する最高裁判例は本件とは事案を異にする。

3  次に、時効の中断、時効援用権の喪失について判断する。

原告が平成一一年一二月二四日に京都簡易裁判所に被告らを相手方として調停を申し立て、平成一二年九月二九日に不成立により終了し、平成一三年三月七日に本件訴えを提起したことは前記認定のとおりであるが、遅くとも、平成一〇年一〇月六日の経過をもって消滅時効が完成していることは先のとおりであるから、この主張は前提を欠くものとして失当である。

また、被告らが調停の際に時効について何ら触れずに実質的な答弁をなしたとしても、それのみをもって信義則違反ないし権利濫用と言うには足りない。

4  以上によれば、原告の請求は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・渡邉安一、裁判官・佐藤英彦、裁判官・村上志保)

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