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京都地方裁判所 平成13年(行ウ)21号 判決 2005年5月18日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  京都府知事が,原告らに対し,それぞれ平成11年1月6日付けでした,障害基礎年金を支給しない旨の決定(以下「本件各処分」という。)をいずれも取り消す。

2  被告国は,原告らに対し,それぞれ2000万円を支払え。

第2事案の概要

1  本件は,交通事故あるいは精神病により重度の障害を負うに至った原告らが,それぞれ京都府知事に障害基礎年金の裁定を請求したところ,京都府知事は,各傷病の初診日において,原告らは20歳以上の学生であったが,国民年金に任意加入していなかったので障害基礎年金の支給要件を満たしていないとして,これを支給しない旨の各処分(本件各処分)をした。そこで,原告らが,国民年金法が20歳以上の学生を強制加入の対象外とし,任意加入していない限り障害を負っても年金を支給しないこととしたことなどは,憲法14条,25条に違反するとか,傷病の初診日において被保険者であったから障害基礎年金の支給要件を満たしている(原告B)などと主張して,本件各処分後,障害基礎年金の裁定に関する事務を行うことになった被告社会保険庁長官に対し,本件各処分の取消しを求めるとともに,被告国に対しては,国民年金法に関する立法行為に関して違法があったなどとして,国家賠償法に基づき,障害基礎年金が支給されなかったことなどによる慰謝料の支払を求める事件である。

2  国民年金法の規定と改正の経緯(本件に関連する部分)

(1)  制定時の国民年金法(昭和34年法律第141号。以下「昭和34年法」という。)の規定

ア 被保険者

厚生年金保険法,国家公務員共済組合法等(以下「被用者年金各法」という。)の被保険者,公的年金各法に基づく年金を受けることができる者,それらの配偶者等を除き,日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は,法律上当然に国民年金の被保険者とされていた(7条1項。このことを「強制加入」という。)。しかし,学校教育法41条に規定する高等学校等の生徒,学校教育法52条に規定する大学等の学生等(以下,後記(2)アの学生を含めて,これらの者を「学生」という。)は,強制加入の対象外とされた(同条2項7号。以下,国民年金法において,20歳以上の学生を強制加入の対象から除外する趣旨の規定を,改正後のものも併せて「学生除外規定」という。)。

イ 任意加入制度

強制加入の対象外とされた者でも,都道府県知事の承認を受けて被保険者となることが認められていた(附則6条1項。以下,このようにして国民年金の被保険者となることを「任意加入」といい,このような制度を「任意加入制度」という。)。学生は,この規定により,国民年金に任意加入することができた。

なお,昭和36年法律第167号による改正後は,任意加入に当たり都道府県知事の承認を受けることは不要となった。

ウ 保険料の免除

国民年金の被保険者は,保険料を納付する義務を負い(88条1項),世帯主は,その世帯に属する被保険者の保険料について連帯して納付する義務を負うが(同条2項),国民年金の障害年金又は母子福祉年金の受給権者,生活保護法による生活扶助を受けている者等は当然に保険料の納付を免除されるものとされていた(89条)。また,所得がない者等は,その申請に基づいて都道府県知事が決定をすることによって,保険料の納付を免除されるものとされたが,世帯主等に保険料を納付するについて著しい困難がないと認められるときは,免除を受けられないものとされていた(90条)。

なお,国民年金に任意加入した者については,保険料の納付を免除する旨の規定は適用しないものとされていた(附則6条6項)。

エ 障害年金及び障害福祉年金の支給

(ア) 障害年金の支給

障害の原因となった疾病又は負傷及びこれらに起因する疾病(以下「傷病」という。)について初めて医師等の診療を受けた日(以下「初診日」という。)において国民年金の被保険者であった者等が,その傷病が治った日等(以下「廃疾認定日」という。)において,一定程度の障害の状態にあるときは,一定の保険料を拠出していたことなどを条件として,障害年金が支給されるものとされていた(30条)。

(イ) 初診日において20歳未満であった者に対する障害福祉年金の支給

疾病にかかり,又は負傷し,その初診日において20歳未満であった者(以下「初診時未成年障害者」ともいう。)が,廃疾認定日以後に20歳に達したときは20歳に達した日において,廃疾認定日が20歳に達した日後であるときはその廃疾認定日において,一定程度の障害の状態にあるときには,障害福祉年金が支給されることとされていた(57条)。

この障害福祉年金の支給額は,障害年金と比べて低額とされていた(58条,33条)。

(ウ) なお,初診日において20歳以上の学生であり,国民年金に任意加入していなかった障害者(以下「初診時未加入学生障害者」ともいう。)は,上記のいずれにも該当しないため,障害年金も障害福祉年金も受給できない状態に置かれた(以下,このような状態に置かれた初診時未加入学生障害者を「学生無年金障害者」という。)。

(2)  昭和60年法律第34号による改正(以下「昭和60年改正」といい,改正後の国民年金法を「昭和60年法」ともいう。また,制定から昭和60年改正までの国民年金法を総称して以下「旧法」ともいい,昭和60年改正から現在に至るまでの国民年金法を総称して以下「新法」ともいう。)

ア 被保険者の範囲の拡大

昭和60年改正により,強制加入の対象となる者の範囲は拡大された(昭和60年法7条1項)。しかし,学生(学校教育法41条に規定する高等学校の生徒,同法52条に規定する大学の学生その他の生徒又は学生であって政令で定めるもの。)については,なおも強制加入の対象から除外され(昭和60年法7条1項1号イ),旧法と同様に,都道府県知事に申し出て,国民年金に任意加入することができるものとされたが(昭和60年法附則5条1項),保険料の免除規定は適用しないものとされた(昭和60年法附則5条10項)。そして,「国民年金制度における学生の取扱いについては,学生の保険料負担能力等を考慮して,今後検討が加えられ,必要な措置が講ぜられるものとする。」とされた(昭和60年法附則4条1項)。

イ 障害基礎年金の導入

(ア) 旧法により定められていた障害年金及び障害福祉年金は,障害基礎年金に一本化され,保険料拠出の有無等による支給額の差もなくなった(以下,障害を支給事由とする年金(旧法下の障害年金及び障害福祉年金,新法下の障害基礎年金)を総称して「障害に関する年金」ともいう。)。

a 拠出制の障害基礎年金の支給

疾病にかかり,又は負傷し,その初診日から起算して1年6月を経過した日等(以下「障害認定日」という。)において,その傷病により一定程度の障害の状態にある場合に(以下「障害要件」という。),その初診日において被保険者であった者等は(以下「加入要件」という。),当該初診日の属する月の前々月までに被保険者期間があり,かつ,当該被保険者期間に係る保険料納付済期間と保険料免除期間とを合算した期間が当該被保険者期間の3分の2に満たない場合には該当しないこと(以下「納付要件」という。)を条件として,障害基礎年金が支給されることとなった(以下,旧法下の障害年金及び新法30条に基づく障害基礎年金を併せて「拠出制障害年金」ともいう。)。

b 初診日において20歳未満であった者に対する障害基礎年金の支給(昭和60年法30条の4)

初診時未成年障害者が,障害認定日以後に20歳に達したときは20歳に達した日において,障害認定日が20歳に達した日後であるときはその障害認定日において,障害要件を満たしている場合には,障害基礎年金を支給することとされた。また,従前障害福祉年金の支給を受ける権利を有していた者が,昭和61年4月1日において障害要件を満たしている場合にも,昭和60年法30条の4第1項に該当するものとみなして,障害基礎年金を支給することとされた(昭和60年法附則25条。以下,旧法下の障害福祉年金及び昭和60年法30条の4に基づく障害基礎年金(昭和60年改正附則25条によるものも含む。)を併せて「無拠出制障害年金」ともいい,初診時未成年障害者に対して無拠出制障害年金を支給する旨の規定を総称して「初診時未成年障害者年金支給規定」ともいう。)。

(イ) しかし,初診時未加入学生障害者は,上記のいずれにも該当しないため,障害基礎年金を受給できない状態に置かれた。また,昭和34年法の制定から昭和60年改正までに現に生じた学生無年金障害者に対して,障害基礎年金の受給資格を認めるなどの救済措置等は講ぜられなかった。

(3)  平成元年法律第86号による改正(以下「平成元年改正」といい,改正後の国民年金法を「平成元年法」ともいう。)

ア 学生の強制加入

平成元年改正により,学生についても強制加入の対象とされることとなった(7条1項)。学生の強制加入に関する規定は,平成3年4月1日から施行することとされた(平成元年法附則1条1項4号)。

イ 保険料の免除

強制加入の対象となった結果,学生も保険料納付義務を負うこととなったが,親元世帯の所得が一定額以下である場合等には,都道府県知事に申請をして保険料の免除を受けることができた(平成元年法90条)。

ウ 学生無年金障害者への対応

平成元年改正においても,学生の強制加入に関する規定の施行日(平成3年4月1日)までに現に生じた学生無年金障害者に対して,障害基礎年金の受給資格を認めるなどの救済措置等は講ぜられなかった。

(4)  平成12年法律第18号による改正(以下「平成12年改正」という。)

ア 学生納付特例制度の導入

学生は,所得がない場合等には,親元世帯の所得の程度にかかわらず,社会保険庁長官に申請して,保険料の納付を免れることができるようになった(90条の3)。このようにして納付を免れた保険料については,10年以内に追納することが認められた(94条1項。以下,このような制度を「学生納付特例制度」という。)。

イ 学生無年金障害者への対応

平成12年改正においても,現に生じた学生無年金障害者に対する救済措置等は講ぜられなかった。

3  基礎となる事実関係(争いのない事実のほか,証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実)

(1)ア  原告A(昭和26年1月3日生)は,昭和44年4月,佛教大学文学部に入学し,昭和46年1月3日,20歳に達したが,国民年金に任意加入していなかった。

そして,同大学在籍中の昭和49年1月2日,交通事故によりガラス片で両眼に傷害を負い,上角膜縫合手術,網膜剥離に対する手術,治療等を受けたものの,後遺障害が残った。原告Aは,昭和50年2月,身体障害者手帳(3級)の交付を受け,昭和56年7月,身体障害者手帳の等級変更(1級)を受けた。

イ  原告B(昭和38年1月6日生)は,昭和57年4月,立命館大学文学部に入学し,昭和58年1月6日,20歳に達したが,国民年金に任意加入していなかった。

そして,同大学在籍中の昭和59年1月,妄想に駆られた異常行動が見られたことから,昭和59年1月17日,京都府長岡京市所在の西山病院で受診し,同年3月まで入院した。

原告Bは,昭和62年3月,立命館大学を卒業して就労し,また,平成3年3月には結婚したが,平成4年9月,関係妄想や幻聴が見られ,西山病院に再入院した。その後,平成5年4月に協議離婚し,再び就労したが,平成7年3月から西山病院に入通院し,同年,2級精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた。

さらに,原告Bは,平成9年1月14日,奈良市所在の吉田病院にて診療を受け,「精神分裂病(統合失調症。以下,原則として「統合失調症」と表記する。)」と診断され,平成9年11月28日,1級精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた。

(2)ア  原告Aは,平成10年10月8日,両癒着性角膜白斑により障害の状態にあるとして,京都府知事に対し,障害基礎年金の裁定請求をした。また,原告Bは,同月14日,統合失調症により障害の状態にあるとして,京都府知事に対し,障害基礎年金の裁定請求をした。

イ  これに対し,京都府知事は,平成11年1月6日,原告らが,その傷病の初診日において国民年金の被保険者でなかったことを理由として,原告らに対し,それぞれ障害基礎年金を支給しない旨の決定(本件各処分)をした。

ウ  原告らは,それぞれ,本件各処分を不服として,平成11年3月4日,京都府社会保険審査官に対し,審査請求をしたが,同審査官は,平成12年3月22日,原告らの審査請求をいずれも棄却した。さらに,原告Aは同年4月17日に,原告Bは同年5月1日に,それぞれ社会保険審査会に対し,再審査請求をしたが,同審査会は,平成13年4月27日,原告らの再審査請求をいずれも棄却した。

(3)  平成12年4月1日,地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(平成11年法律第87号)による国民年金法の改正によって,障害基礎年金の給付を受ける権利の裁定に関する事務は,被告社会保険庁長官が行うこととなった。

第3争点

(本件各処分取消請求関係。ただし,1から3までは国家賠償請求の当否についての争点でもある。)

1  国民年金法が,平成元年改正まで学生を強制加入の対象としなかったこと,初診時未加入学生障害者に無拠出制障害年金を支給せず,平成元年改正後も救済措置等を講じなかったことが憲法に違反するか(争点1-1)

2  原告らの障害基礎年金の裁定の請求について国民年金法30条の4を類推ないし拡張解釈して適用することの可否(争点1-2)

3  任意加入制度に関する告知,教示義務の有無(争点1-3)

4  原告Bの障害の原因となった疾病の初診日はいつか(争点1-4)

(国家賠償請求関係)

5  国会議員が,平成元年改正まで,国民年金法の立法,改正について,学生を強制加入の対象とせず,初診時未加入学生障害者に無拠出制障害年金を支給する立法をせず,平成元年改正以後も学生無年金障害者に対する救済措置を講じる立法をしなかったこと,内閣が,このような法律案を国会に提出し,あるいは提出しなかったことは,国家賠償法上,違法であるかどうか。また,これにつき国会議員及び内閣に故意又は過失があったかどうか(争点2-1)

6  本件各処分上記5のほか,本件各処分に関し,国家賠償法上の違法な点があるかどうか(争点2-2)

7  原告らの損害の有無及び額(争点2-3)

第4争点についての当事者の主張

1  本件各処分の効力(争点1-1から争点1-4までのまとめ)

(1)  被告社会保険庁長官の主張

ア 原告Aに対する処分の適法性

原告Aは,その初診日である昭和49年1月2日において,22歳の学生であった者で,国民年金に任意加入していなかったことから,国民年金の被保険者ではなかった。そうすると,原告Aは,障害基礎年金の受給要件のうち,加入要件を充足しておらず,原告Aに対して障害基礎年金を支給しないとした処分は適法である。

なお,国民年金法が,平成元年改正まで学生を強制加入の対象としていなかったこと,初診日未加入学生障害者に無拠出制障害年金を支給せず,平成元年改正後も救済措置を講じていないことが憲法に違反しないことは,後記2(2)のとおりである。

イ 原告Bに対する処分の適法性

原告Bは,その初診日である昭和59年1月17日において,21歳の学生であった者で,国民年金に任意加入していなかったことから,国民年金の被保険者ではなかった。そうすると,原告Bは,障害基礎年金の受給要件のうち,加入要件を充足しておらず,また,その他,原告Bに障害基礎年金を支給すべき根拠規定はないから,原告Bに対して障害基礎年金を支給しないとした処分は適法である。

なお,原告Bの初診日が昭和59年1月17日であることは,後記5(2)のとおりである。

(2)  原告らの主張

ア 平成元年改正前の国民年金法における学生除外規定は,後記2(1)(特にエ)で主張するとおり,違憲,無効であるから,同条項は原告らに適用されないことになり,20歳以上の国民を強制加入の対象とする原則規定が適用されることになる。そうすると,原告らは,20歳に達したときから国民年金の被保険者であったことになるから,初診日において被保険者であったとの要件(加入要件)を充足する。

そうすると,原告らが加入要件を充足していないことを理由にされた本件各処分は違法であり,取り消されなければならない。

また,原告らに対して無拠出制障害年金を支給しないこと,障害基礎年金を支給するための措置を講じないことは,次の2(1)(特にオ及びカ)で主張するとおり,憲法に違反するところ,本件においては救済内容は一義的に障害基礎年金を支給することであるから,本件処分は取り消されるべきである。

なお,原告らは,加入要件を充足しているとしても,納付要件は充足していないことになるのであるが,これについて,行政庁が,本件各処分の取消判決を受けて,納付要件が加入要件と不可分に連動しているという特質等にかんがみ,原告らが保険料を納付し又は保険料を免除されたものと擬制したり,保険料の追納を認めるなどして,原告らに障害基礎年金を支給する旨の処分をし,あるいはその他の是正措置を講じることが求められることは別段,裁判所が,本件訴訟において,原告らが納付要件を充足しているか否かなどについて判断する必要はなく,また,原告らが納付要件を充足していないことや,とるべき是正措置の内容が特定できないことなどを理由に,本件各処分の取消請求を棄却することは誤りである。

イ 後記3(1)で主張するとおり,平成元年改正前の国民年金法30条の4の「初診日において20歳未満の者」とあるのは「初診日において20歳未満の者又は学生」と解釈すべきである(昭和34年法の57条も同様)から,原告らは,国民年金法30条の4(及び昭和60年法附則25条)により,障害基礎年金を受給することができるから,本件各処分は違法であり,取り消されなければならない。

ウ 後記4(1)で主張するとおり,厚生大臣,被告社会保険庁長官及び京都府知事は,原告らに対し,任意加入制度についての個別的な告知,教示を怠ったのに,原告らが国民年金に任意加入していなかったことを理由とする本件各処分をすることは,禁反言の法理により,あるいは信義則に違反するものとして許されない。

エ 原告Bの初診日は,後記5(1)で主張するとおり,昭和59年1月17日ではない(予備的主張)。

2  国民年金法が,平成元年改正まで学生を強制加入の対象としなかったこと,初診時未加入学生障害者に無拠出制障害年金を支給せず,平成元年改正後も救済措置等を講じなかったことが憲法に違反するか(争点1-1)

(1)  原告らの主張

ア 国民年金制度の概要と問題点等

(ア) 国民年金制度の目的,理念

国民年金制度は,国民すべてに等しく年金給付による所得保障を行うべきであるという「国民皆年金」の理念を実現すべく,「日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き,老齢,障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止し,もって健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的」(国民年金法1条)として創設されたものである。

国民年金制度の根本理念である国民皆年金は,全国民を対象として,老齢,障害又は死亡による稼得能力の喪失に対し,あまねく年金給付による所得保障を行い,これにより貧困を防止して,最低限度の文化的生活を保障しようとするものであり,その核心は,悪質な保険料長期滞納者を除いて無年金者の発生を防止しようとするものである。このような国民皆年金の理念は,国民年金の制度設計,すなわち,①原則として20歳以上60歳未満の全国民を強制加入の対象としていること,②国民年金の年金給付のうち,保険料による部分はその3分の2であり,残り3分の1は国庫負担による部分で,また,事務費については全額国庫負担とされていること,③低所得者に対する保険料免除制度があり,保険料免除期間中に保険料を納付しなくても,老齢,障害,遺族のいずれの年金についても給付が受けられることなどにも表れている。

(イ) 障害に関する年金

国民年金法上,障害を負った者に対して支給される年金としては,旧法下においては障害年金及び障害福祉年金があり,新法下においては障害基礎年金がある。これらは,重度障害を受けた障害者が日常生活に著しい制限を受け,その結果,就業することができず稼得能力を失うなどしてその生活が危機に陥ることを防ぐために支給されるものであり,憲法25条の理念に基づくものである。

国民年金制度から除外され,保険料を負担していない初診時未成年障害者についても,無拠出制障害年金が支給されることとなっているが,これは,20歳以上のすべての者について,憲法25条2項の理念に基づく国民皆年金の理念を実現するための制度である。すなわち,20歳未満の者を保険料の拠出能力が十分でないことを理由に制度から除外しながら,拠出がないことを理由に障害基礎年金の支給をしないこととすると,保険料を拠出する能力の十分でない者は年金を受けられないことになるが,それではすべての者に年金を保障しようとする国民皆年金の理念を大きく侵食し,空洞化させることになるからである。また,実際にも,初診時未成年障害者は労働の機会に恵まれず所得保障の必要性が高いことが考慮されたものである。

(ウ) 学生への適用除外と学生無年金障害者の発生

学生は,昭和34年法の制定時から,強制加入の対象から除外されており,任意加入制度は設けられていたものの,ほとんど機能しておらず,任意加入者は極めて少なかった。そのため,20歳以上の学生であった間に交通事故やクラブ活動において事故に遭ったり,精神病等の疾病を発病したりして重度の障害を負いながら,その傷病の初診日において国民年金の被保険者ではなかったとの理由で障害基礎年金を受けることのできない学生無年金障害者が続出した。

そこで,平成元年改正により,学生を国民年金の強制加入の対象とし,併せて保険料について学生に特別の免除制度を創設して,世帯の収入が低い場合に保険料を免除することにより,稼得能力のない学生が国民年金保険料を拠出しなくても障害基礎年金の支給を受けることができるよう改善され,さらに,平成12年改正により,学生本人の収入が一定額以下の場合には,申請をして保険料の免除を受けられるようになった。

しかし,平成元年改正及び平成12年改正によっても,既に生じている学生無年金障害者に対して,障害基礎年金を支給するための措置が講ぜられることはなかった。

イ 国民年金法に関する憲法適合性判定基準

受給者の範囲,支給要件,支給金額等につき何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いがされているときは,国民年金法の当該規定は,憲法14条に違反する。そして,「合理的理由」の有無の判断は,「立法理由に合理的な根拠があり,かつ,その区別が立法理由との関連で著しく不合理なものでなく,立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えているか否か」という基準(いわゆる「合理性の基準」)によるべきであり,①立法理由が,その基礎となる社会的,経済的事実(立法事実)に照らして合理的でない場合,又は,②立法理由が合理的であってもその実現手段である区別の仕方が立法理由との関連で著しく不合理である場合は,当該立法は憲法14条に反することになる。

また,憲法25条に基づく立法の内容が,著しく合理性を欠き明らかに裁量を逸脱,濫用したものと見ざるを得ないような場合には,当該法律は,憲法25条に違反するというべきである。そして,立法の合理性の有無を判断する前提である,その時々における文化の発達の程度,経済的,社会的条件,一般的な国民生活の状況等を考慮する際には,国民年金制度について,国民皆年金という政策理念の下で,現在においては,悪意の保険料滞納者を除いて全国民が拠出の有無を問わず障害基礎年金を受給できる状況に至っていることを看過すべきではない。

ウ 国民年金法の違憲性

国民年金法において,平成元年改正に至るまで,学生が強制加入の対象から除外され,また,初診時未加入学生障害者に対して初診時未成年障害者等と同様に無拠出制障害年金を支給する旨の規定が設けられなかったことは,エからカまでのとおり,著しく不合理であり,憲法14条,25条に違反する。

エ 学生除外規定の不合理性

(ア) 平成元年改正以前の国民年金法において学生を強制加入の対象から除外したことには,以下のとおり合理的な理由がない。

(イ) 被告らは,学生除外規定が設けられた理由として①学生は,稼得活動に従事しておらず,類型的に稼得能力がないと考えられたため,その拠出能力が問題となったこと,②学生は,国民年金に加入していても,卒業後,被用者年金各制度の適用者になるのが通例であるから,国民年金制度の対象者から除外され,多くの場合は,学生の間に納付した保険料が掛け捨てになることが予想されたことを挙げる。しかし,これらは,次の(ウ)及び(エ)のとおり,いずれも学生除外規定の合理性を支えるものということはできない。

(ウ) ①の理由について

国民年金制度は,必ずしも現に稼得活動に従事する者のみを対象とした制度ではない。国民年金法は,現実の就労の有無を問わず,20歳以上の者は稼得活動に従事して一定の所得を得ることが可能であるとして,強制加入の対象としつつ,現実に就労しておらず保険料を納付できない者に対しては,保険料免除で対応することとしている。これは,国民皆年金を実現するために,強制加入によって20歳以上の者に年金給付を受ける権利と保険料納付義務を負わせた上で,拠出能力がない者はその実情に応じて義務を免除して一定の権利を残すことにしたものであり,国民年金制度の根幹部分といっても過言ではない。また,20歳未満の者も,障害福祉年金の対象という形で国民年金制度に取り込まれていたのであって,このことは,国民年金制度が稼得活動従事者に対する保障を本質とするものではないことを示している。特に,昭和60年改正によって,初診日に20歳未満でさえあれば,学生,自営業者又は無職者を問わず,障害基礎年金を受給できることとなったことによって,稼得活動への従事の有無との関連性はより一層希薄化している。したがって,学生が現に就労していないことを理由に強制加入の対象から除外する必然性は全くない。

保険料の負担問題に対しては,学生納付特例制度のほか,一律免除制度,追納制度,半額免除制度など様々な方法が考えられ,このような制度をとらないのであれば,基本的には学生でない者と同じように,強制加入の対象とした上で申請により保険料納付を免除する制度を採用すれば足りたものである。このような制度をとっても,拠出者との均衡を失することはなく,現に,旧法下では,専修学校生には上記のような制度がとられ,特段の不都合は生じていなかった。

このように,学生を強制加入の対象とした上で,保険料免除を認めることが,国民年金制度の基本構造にも沿い,合理的である。しかし,実際には,学生を強制加入の対象とせず,任意加入し得るにとどめたものである。しかも,任意加入した者に対しては保険料の免除が認められないこととされていたため,保険料が支払えない学生はおよそ障害に関する年金の対象から除外されていたのであり,さらに,学生に対して,任意加入制度に関する個別の通知等がされることはなく,学生は,年金制度に興味を持っていない限り,任意加入をするか否かの選択をする機会すら与えられなかった。実際に,学生の任意加入率は約1.25%にとどまったもので,任意加入制度はほとんど機能していなかったというべきであり,このような制度を採用したことは,全く不合理である。

よって,昭和34年及び昭和60年の時点において,学生が一般的に稼得活動に従事していないことが立法事実として認められるとしても,単に学生を強制加入の対象から除外したことは,著しく不合理である。

(エ) ②の理由について

高学歴化に伴い,被用者層が増加した面も一概には否定できないが,学生が卒業後,別の被用者年金制度に加入することが「通例」であるとはいえない。また,保険料掛け捨ての問題は,通算年金通則法(昭和36年法律第181号)が昭和36年11月に施行され,同年4月1日から適用されたことにより,基本的に解消したもので,多少の掛け捨て問題が残ったとしても,一応の解決がされている以上,この点を除外の理由とすることに合理的な理由はない。また,昭和60年改正によって,完全に掛け捨て問題が解消される見込みだったのであるから,遅くとも昭和60年改正の時点においては,このような立法事実は消滅していた。

類型的に稼得能力がない学生は,強制加入とされた場合,保険料の免除を受ける可能性が高いから,掛け捨て問題が発生するのは,保険料支払能力がある一部の学生のみである。私保険においても,老後の備えである貯蓄型のものと異なって,交通事故や火災に備える保険は掛け捨てのものが多いように,突発事故に備える障害年金部分を含む国民年金の保険料が結果的に掛け捨てになったとしても格別不合理ではない。

(オ) このように,平成元年改正前の国民年金法が,20歳以上の学生を国民年金の強制加入の対象から除外して,任意加入の対象としていたことには,何らの合理性もなく,20歳以上の者のうち,学生と学生ではない者とを,その社会的身分によって差別するものである。

オ 初診時未加入学生障害者に無拠出制障害年金が支給されないことの不合理性

国民年金法には,初診時未成年障害者年金支給規定が存在し,初診時未成年障害者に対しては,無拠出制障害年金が支給されるが,初診時未加入学生障害者については,このような規定がない。

そもそも20歳未満の者が国民年金の強制加入の対象から除外されたのは,20歳未満の者は稼得能力がなく,保険料負担が困難であることを理由とするが,20歳未満の学生と20歳以上の学生との間には,「稼得能力がなく,保険料負担が困難」という点で全く差異がない。それゆえ,20歳以上の学生について強制加入の対象から除外するのであれば,20歳未満の学生と同様,保険料負担が定型的に困難な者として,無拠出制障害年金の受給資格が与えられなくてはならないはずである。それにもかかわらず,初診日が20歳の前か後かという偶然の事情によって,初診時未成年障害者には年金の受給資格が認められ,初診時未加入学生障害者には認められないのであり,このことには何ら正当な目的が認められず,何らの合理性もない。

カ 平成元年改正に至るまで学生除外規定が存続し,現に生じた学生無年金障害者に対する救済措置も講ぜられなかったことの不合理性

昭和60年改正時には,昭和34年の国民年金法制定時と比べ,無年金障害者の問題が明確に認識され,その救済を求める運動が昭和50年代から継続して行われていたこと,進学率が大幅に高くなり,必ずしも経済的に恵まれていない層も大学に進学できるようになったこと,それに伴って学生無年金障害者の問題はより一層顕著になったこと,基礎年金制度(二階建て方式)の確立によって,公的年金適用者の配偶者や在外邦人について制度的な無年金者の発生を最大限抑える改正がされたこと,無拠出制の障害福祉年金が,拠出制のものと同額の障害基礎年金に一本化され,従来からの障害福祉年金受給者は障害基礎年金に裁定替えされたことなど,立法事実に変化が生じていた。

にもかかわらず,昭和60年改正によっても,学生除外規定はなお存続し,初診時未加入学生障害者に対して無拠出制障害年金を支給するなどの措置も講じられなかった。また,平成元年改正により,20歳以上の学生が強制加入の対象とされ,平成3年4月1日以降に20歳に達した学生が障害を負った場合には,平成元年法30条に基づく障害基礎年金の支給が受けられることとなる一方で,現に発生した学生無年金障害者に対する経過措置等は何らとられず,同年3月31日以前に20歳に達した初診時未加入学生障害者は,障害基礎年金が全く支給されないこととされたのであり,平成3年4月1日以降に20歳に達した学生と同年3月31日以前に20歳に達した学生とを合理的な理由なく差別することとなったもので,国民年金法の違憲性はより一層明白となった。それにもかかわらず,学生無年金障害者に対して障害基礎年金を支給するための措置が講じられることはなかったし,その他これに代わる救済措置が講じられることもなかった。

キ 原告らの生活状況

原告らは,障害基礎年金を受給できないが故に,生活保護法に定める扶助額を下回る収入に甘んじ,あるいはその扶助額程度の生活を余儀なくされているほか,障害基礎年金の受給者に認められる年金保険料の支払の法定免除も受けられず,更なる出費を強いられている。国民皆年金の理念の下においては,障害者は第一次的には障害基礎年金の受給を受けられ,それが我が国における「健康で文化的な最低限度の生活」を営むための最低水準であると考えられるところ,原告らは,上記のように,憲法25条1項が保障する最低限度の生活すら送ることができない状態にあり,生存権それ自体が侵害されている。

なお,生活保護は,最低生活保障という制度目的から,事前に資産,就学,家族構成,収入等に関する厳重な調査を経た後に支給されるものであり,また,年金の使途は自由であるのに対し,生活保護費は,支給後も適正に使用されているかを日常的にチェックされ,自由に使うことができない。このように,生活保護制度は,行政が受給者の生活に直接,間接に干渉し,受給者に恥辱感を与え,その尊厳と自立を害するものであり,年金制度とは,憲法25条による最低生活保障のための制度という点では共通するものの,その理念や成立の経緯を全く異にするから,年金で生活できなければ生活保護を受ければよいとの考え方は,およそ成り立たない。

(2)  被告らの主張

ア 社会保険方式による拠出年金としての国民年金制度

国民年金制度は,被用者年金各制度と同様に,社会保険制度として組み立てられている。すなわち,一定の要件に該当する者を被保険者とし,被保険者は保険料を拠出する義務を負うが,老齢,障害,死亡といった保険事故が発生した場合に,保険料の納付状況に基づいて,年金給付を受けられるという仕組みである。

国民年金法の制定に際して,国民年金の基本的な制度設計については,国民的な議論がされたが,①老齢のようにだれでもいつかは到達するに違いない事態についてはもちろんのこと,身体障害や夫の死亡といった事態に対しても,あらかじめ稼得能力のあるうちに,自らの力でできるだけの備えをすることは,生活態度として当然であり,社会経済生活はこのような自己責任の原則の下に成り立っているのであるから,拠出制を基本とすることが,国民年金制度の健全な発展にとって不可欠であること,②無拠出制を基本とした場合,その財源は租税等国の一般財源に求めざるを得ない関係上,財政支出の急激な膨張は避けられず,将来老齢人口の急激な増加が予想される中,将来の国民に過重な負担を負わせる結果となること,③無拠出制によると,その支出を賄うための収入がその時々の財政及び経済の諸事情を受けやすく年金制度が本来有すべき安定性,確実性が害されることなどの理由から,国民年金制度を本格的な年金制度として発展させようとするならば,拠出制の保険原理に基づくことが最善であると判断され,上記のような仕組みとするとの結論が導き出されたものである。

したがって,いわゆる国民皆年金とは,すべての国民が加入できる年金保険制度を整備することを意味する。すなわち,全国民が,制度に加入し保険料納付義務を果たせば,年金給付を受けられるということを指すものであって,原告らが主張するように,全国民に無条件で年金給付がされることを意味するものではない。

イ 国民年金法が,平成元年改正まで,学生除外規定を設けていたことの合理性

国民年金制度の創設に当たっては,被用者年金各制度加入者以外の者のみを対象とするのか,被用者年金各制度に加入している者も含めて対象とするのか,議論のあったところであるが,結論として,差し当たり,被用者年金各制度とは別個の新制度を立ち上げ,将来的に,新制度と現行制度との調整を図っていくこととなった。その結果,国民年金法制定当時の年金保障は,被用者年金各制度の体系と,被用者年金各制度の保障が及ばない者を対象とする国民年金制度の体系の大きく2つの体系に分けて行われることとなった。すなわち,当初の国民年金制度は,従来から存在した厚生年金保険制度,共済年金制度といった被用者年金各制度の体系の枠外にあって稼得活動に入っている者を対象とすることを予定した制度として創設されたのである。

そして,学生は,卒業後は,被用者年金各制度の適用者となるのが通例であったこと(その点で被用者年金各制度の体系の枠内にある。),また,仮に,学生を強制加入の対象とすると,卒業後,就職して被用者年金各制度に加入することによって,国民年金制度の対象者から除外されることとなるため,多くの場合は,学生の間に納付した保険料が掛け捨てとなることが予想されたこと,さらには,学生は稼得活動に従事しておらず,類型的に稼得能力がないと考えられたため,その拠出能力が問題となったことから,強制加入の対象とせず(当然には保険料納付義務を課さず),任意に加入することができるとしたものであり,このことには合理性がある。

なお,保険料免除制度は,国民年金制度が20歳以上60歳未満という年齢によって稼得活動に従事している期間を区分し,実際の所得の状況にかかわらず強制加入の対象としていることを踏まえて,自らの意思にかかわりなく一律に加入させられた者のうち,低所得の者については,一定の要件の下に保険料を免除する趣旨で設けられたものである。このような保険料免除制度の趣旨からすると,本人の意思によって加入する任意加入者に対して,免除制度を適用することはできないというべきである。よって,任意加入した20歳以上の学生を保険料免除制度の対象としなかったことには合理性がある。

また,昭和36年に通算年金通則法が制定されたが,同法は,老齢年金及び退職年金に限って,一定の要件を満たす場合に被保険者期間の通算を認めたものであり,給付内容や受給資格期間についてはそれぞれの年金制度で異なったままであったから,通算年金通則法の制定によって,保険料が掛け捨てになるとの問題が解決されたわけではない。

ウ 初診時未加入学生障害者に無拠出制年金が支給されないことが不合理ではないこと

国民年金法において,初診時未成年障害者に対しても障害基礎年金を支給することとされているのは,被保険者となり保険料を拠出して保険事故に備えることができる20歳に達する前の傷病によって障害を負うに至った者について,年齢により一律に区分され,被保険者となり得ないことを考慮した結果であって,この考え方は,制度上任意加入が可能であった学生について,そのまま適用することはできない。すなわち,国民年金制度は拠出制の保険原理の基に成り立つ社会保険の仕組みによるものであり,全額租税財源による給付は,保険事故発生時において制度上拠出が不可能であった者に対し,経過的,補完的に行われるものである。初診時未加入学生障害者のような,制度に加入して拠出することが可能でありながら未加入であった者を年金給付の対象とすることは,国民年金制度の基盤たる拠出制の保険原理の否定につながり,国民年金制度そのものの存立にかかわることとなるため,採り得るものではない。

仮に,初診時未加入学生障害者に対しても障害基礎年金を支給することとした場合には,20歳以上の学生は,任意加入してもしなくても障害基礎年金を受給できることとなり,任意加入制度の意味が失われてしまうとともに,学生を学生でない者よりも手厚く保護することになって,かえって受給者相互間の公平を欠くことともなる。

よって,初診時未加入学生障害者と初診時未成年障害者とで,無拠出制年金の受給資格の有無が区別されることには合理性がある。

また,障害基礎年金は,障害により稼得能力を喪失したことにより国民生活の安定が損なわれることを予防する防貧的な給付である。したがって,この給付が受けられるか否かにかかわらず,この給付を含めて資産や能力などあらゆるものを活用してもなお最低限度の生活を送ることができない場合には,生活保護制度が準備されている。障害者に対しては,国民年金法による所得保障以外に,身体障害者福祉法等による更生援護のための各種福祉サービスの提供も行われることとなっている。

国民年金制度は,全国民に無条件で年金給付を支給する制度ではないから,障害者に対し,拠出制を基本とする国民年金制度をもって所得保障しなければならないとの結論は直ちに導かれるものではない。

エ 平成元年改正後も初診時未加入学生障害者に対して障害基礎年金を支給せず,その他の救済措置を講じなかったことが不合理ではないこと

また,原告らは,平成元年改正において,平成3年3月31日以前に20歳に達した初診時未加入学生障害者に対して障害基礎年金を支給するための経過措置等を講じなかったことが,平成3年4月1日以降に20歳に達した学生との関係で不合理な差別であると主張するが,法改正の前後で取扱いが異なることは当然のことであり,平成3年4月1日以降に20歳に達した学生も無条件に障害基礎年金を受けられることとなったものではないことや,平成3年3月31日以前に20歳に達した学生も任意加入して保険料を納付していれば障害基礎年金を受けられたことなども併せ考えれば,これが不合理な差別であるといえないことは明らかである。

そして,平成元年改正後も保険料を納付しなかったために公的年金の受給権を有しない者は,初診時未加入学生障害者だけではなく,高齢者や遺族等,他にも存在することから,それらの障害者に対していかなる対応を行うかは,年金制度の在り方全体をにらみながら,年金制度の中で対応するか,福祉的措置で対応するかを含め,幅広い観点からの検討が必要である。すなわち,年金制度において対応することとした場合には,保険料を納付しなかったために無年金障害者となった者に対し,保険料を納付した者と同様に給付を行う結果となり,保険料を納付した者との間の公平を阻害するとともに,加入者の保険料納付意欲を損ない,年金制度の存立基盤を危うくするおそれがある。

また,福祉的措置において対応することについては,すべての無年金障害者を救済するため新たな手当を創設する場合には,年金制度において保険料を納付する意欲を阻害することとなるとともに,巨額の財源確保が必要となるなど,問題が存在する。

オ 以上のとおり,平成元年改正前の国民年金法が,20歳以上の学生を国民年金の強制加入の対象から除外し,初診時未加入学生障害者に障害に関する年金を支給せず,平成元年改正後も初診時未加入学生障害者に対して障害基礎年金を支給するための措置を講じなかったことは,何ら不合理ではなく,憲法14条,25条に違反しない。

3  原告らの障害基礎年金の裁定の請求について国民年金法30条の4を類推ないし拡張解釈して適用することの可否(争点1-2)

(1)  原告らの主張

国民年金法30条の4が無拠出の障害基礎年金を定めた趣旨は,20歳以上の学生にも当てはまるから,法30条の4の「初診日において20歳未満であった者」は「初診日において20歳未満の者又は学生」と解釈することが可能であり,このように解釈をすれば,前記2(1)で主張した国民年金法の違憲性を避けることができる。そして,このような解釈をすれば,原告らは,いずれも障害基礎年金の受給資格を有している。したがって,国民年金法30条の4について上記のような解釈をせずにされた本件各処分は,いずれも違法であり,取り消されるべきものである。

(2)  被告らの主張

原告らの主張は争う。前記のとおり,国民年金法が,平成元年改正まで学生除外規定が設けており,初診時未加入学生障害者には年金が支給されないことが,憲法に違反するものではないから,原告らの障害基礎年金の裁定の請求について国民年金法30条の4を原告ら主張のように解釈する余地はない。

4  任意加入制度に関する個別の告知,教示の要否(争点1-3)

(1)  原告らの主張

ア 学生除外規定が存在した当時においては,20歳以上の学生は,国民年金に任意加入していなければ,その間に傷病を負い,後遺障害が残っても,生涯にわたり障害基礎年金が支給されないという重いペナルティが課せられることとなっていた。そのような取扱いをするのであれば,厚生大臣,社会保険庁長官及び京都府知事は,個々の20歳以上の学生に対して,十分な情報を提供し,また,告知及び聴聞の機会を付与して,各自がその保険料負担と生涯にわたって障害に関する年金の給付が受けられなくなる可能性とを比較考量し,主体的に任意加入するか否かを決定できるよう保障すべきであった。

また,福祉社会の理念からは,社会的立法は,単に立法するだけではなく,個々の給付対象者に対し,その内容が周知徹底されて初めてその立法の趣旨にかなう。その理念に従うのであれば,政府は,20歳に達した個々の学生に対して,国民年金制度の存在とその内容を告知し,20歳以上の学生が障害に関する年金を受給できない状況に陥らないように努めるべきであった。

なお,社会保険庁通知(「国民年金被保険者の適用について」,昭和39年4月27日庁保険発第18号)は,国民年金の適用業務について,その手順を具体的に規定しているところ,機関委任により窓口業務を担当する市町村長が学生等の任意加入の対象者を把握することとなった場合には,個別の対象者に対し,任意加入制度に関する情報を,加入しない場合の不利益をも含めて提供して,個別の意思決定を促すことが予定されていた。

しかし,社会保険庁長官等は,任意加入制度の存在や,任意加入しなかった場合のペナルティ(障害に関する年金を受給できないことなど)などについて,原告らに対し,個別的な告知,教示を全く行わなかった。

イ ところが,社会保険庁長官等が,上記のような個別的教示義務を怠った結果,99%に近い学生が,任意加入をせず,障害に関する年金を受給できない可能性のある状態に置かれていた。社会保険庁長官等が,このような義務違反を行ったにもかかわらず,原告らに対し,障害基礎年金を支給しないというペナルティのみを課すという取扱いを行うことは,禁反言の原則又は信義則に反し許されない。

(2)  被告らの主張

ア 法令は,公布によって国民に周知されたものとして,国民の権利義務を創設あるいは規制する効力を発するものであり,法的義務としての個別的教示義務は存在しない。したがって,社会保障制度の告知,教示については,法令で義務付けられている場合を除いて,これを行わないからといって,行政庁に何らかの法的責任が生じるものとは考えられず,まして,個別的な告知,教示の義務が存在することはあり得ない。

障害基礎年金の受給権は,すべての者が無条件に(又は,一定の年齢に達するなど,自然に満たすことが可能な要件に該当することによって)取得するものではなく,社会保険方式を基本として構成されている国民年金制度の下で,加入すべき者,加入が可能な者が加入し,かつ,保険料納付義務を果たして初めて取得する構成となっている。したがって,国民年金に加入しなかった者が年金給付の受給権を取得しないことは,制度の原理上当然のことであり,これに「ペナルティ」という評価を与えた上で,「ペナルティを課す」以上,事前に選択の機会を与えるべき義務があると立論すること自体が失当である。また,福祉社会の理念として,受給者が制度の存在や内容を知ることができるように広報活動を実施することが重要であるとしても,このような一般理念から,法的義務としての広報,個別的教示義務を肯定することはできず,政府が原告ら各人に対して,個別に任意加入制度の対象者であることを告知し,その利害得失を教示すべき義務を負っていたといえないことは明らかである。

また,原告らが指摘する社会保険庁通知は,強制加入の対象となる被保険者に対する適用について一層の徹底を図ることを目的としたものであり,任意加入に関する情報提供等について通知したものではない。

なお,京都府下の各社会保険事務所では,京都府下の各市町村に対し,窓口配布用の機関誌「年金きょうと」,同チラシ「国民年金のしくみ」を配布しており,また,原告Aの住所地である京都市及び原告Bの20歳時点の住所地である向日市は,市民に全戸配布する広報紙上に,学生の任意加入制度を掲載していたもので,これによって,学生の任意加入制度の広報を実施していた。

イ 仮に,政府について個別的告知義務違反が認められたとしても,このことから,本件各処分が違法となることはない。

すなわち,信義則等の法の一般原理の適用により行政処分が違法と評価され得る場合というのは,行政庁の言動を信頼して行動した私人を,明文の法律に反し,法律による行政の原則に反してでも,なお保護する必要性があるような特別の事情がある場合に限られるべきであるところ,本件については,国民年金制度において,加入しなかった者について年金給付の受給権が発生しないことは,制度の原理上当然のことであって,原告らに対して個別に告知,教示がされなかったことによって,原告らを保護すべき特段の事情が生じたものということはできない。

ウ よって,政府が原告らに個別的告知,教示をしなかったことから,本件各処分が違法となることはない。

5  原告Bの初診日(争点1-4)

(1)  原告Bの主張(処分の取消請求についての予備的主張)

ア 以下のとおり,原告Bの障害の原因となった疾病の初診日は,平成9年1月14日,昭和63年4月1日又は平成3年9月27日のいずれかである。そして,原告Bは,上記各年月日の当時,国民年金の被保険者であり,保険料の滞納等もなかったから,原告Bは,障害基礎年金の受給資格を有している。したがって,原告Bに対して障害基礎年金を支給しないとした処分は違法である。

すなわち,原告Bの障害の原因となった疾病は,統合失調症であるところ,これについて初めて医師の診療を受けた日は平成9年1月14日である。原告Bは,昭和59年から医師の診療を受けているが,その疾病は神経衰弱であり,本件障害の原因となった統合失調症とは別のものである。

また,昭和59年から診療を受けていた疾病が統合失調症であったとしても,それについては,昭和60年1月11日(若しくは昭和61年3月1日)から昭和63年3月31日まで,又は,平成元年8月13日から平成3年9月26日までの間に社会的治癒の状態となっていたのに,その後再び症状が現れて,それが本件障害の原因となったのであるから,初診日は,症状が再び現れた後に医師の診療を受けた日である昭和63年4月1日又は平成3年9月27日である。

イ 「社会的治癒」の判断基準について

(ア) 国民年金法において,障害に関する年金は,その障害の原因となった傷病の初診日を基準に受給資格の有無が判断されることとされている。ある傷病が発症した後にこれが治癒して,その後再び又は新たに傷病を発症した場合には,後の傷病は別傷病として取り扱われ,後の傷病の初診日が基準となる。そして,国民年金の運用においては,当該傷病が医学的に治癒したという状態に至らなくとも,「社会的治癒」があれば,治癒と同様の状態とみなされ,後の傷病の初診日を基準として,受給資格の有無を判断することとされている。

(イ) 統合失調症において,社会的治癒の有無は,①完全寛解していること,すなわち,精神障害に関する国際的診断基準(『ICD-10 精神および行動の障害-臨床記述と診断ガイドライン』による基準。以下「ICD-10の基準」という。)に挙げられている症状がないか,残遺症状のみ見られること(以下「第1要件」という。),②仕事(学業),対人関係,自己管理等の面で,病前に獲得していた水準より著しい機能の低下を示していないこと(以下「第2要件」という。),③第1要件及び第2要件を満たす状態が2年以上続いていること(以下「第3要件」という。)の3要件によって判断するのが相当である。そして,抗精神病薬を少量服用することが続いていても,上記要件を充足していれば,社会的治癒に至っていると認めることができる。

ウ 原告Bが社会的治癒の状態にあった時期

(ア) 昭和60年1月11日(又は昭和61年3月1日)から昭和63年3月31日まで

原告Bに関する西山病院の診療録の記載によれば,原告Bには,昭和60年1月11日(又は昭和61年3月1日)から昭和63年3月31日までの期間中,ICD-10の基準に当てはまるほどの精神病症状は認められない(第1要件)。

また,原告Bは,上記期間中,レベルの高い卒業論文をまとめ,卒業に必要な単位も取得したもので,対人関係についても,アルバイトや同人誌の会報作りを行うなどしている。住宅関係の会社に就職してからも,早朝から公共交通機関を利用して通勤し,仕事,対人関係,自己管理とも十分に行うことができており,宅建の取引主任の資格を取得するための学習もしていた(第2要件)。

このような状態が2年以上続いた(第3要件)のであるから,原告Bは,上記期間中,社会的治癒の状態にあったというべきである。

(イ) 平成元年8月13日から平成3年9月26日まで

診療録の記載によれば,原告Bには,平成元年8月13日から平成3年9月26日までの期間中,ICD-10の基準に当てはまるほどの精神病症状は認められない(第1要件)。なお,原告B名義の陳述書(乙5の4の2)には,昭和63年10月31日に住宅関係の会社を退職した後,「自宅で過ごす時間もだんだんと多くなり,この頃から幻聴や妄想が活発になっていったように思います」との記載があるが,これは,審査請求手続において,代理人となったソーシャルワーカーが,原告Bの母であるCからの聴き取りを経て作成したもので,診療録に目を通すこともなく短時間でまとめざるを得なかったため,事実と異なる記載となったものである。

また,原告Bは,上記期間中に結婚し,夫の実家である兵庫県城崎町の神社で生活するようになったが,神社主催の地域の祭りの手伝いにも携わるなどしていた(第2要件)。

このような状態が2年以上続いた(第3要件)のであるから,原告Bは,上記期間中,社会的治癒の状態にあったというべきである。

(2)  被告社会保険庁長官の主張

ア 原告Bの障害は,以下のとおり,昭和59年1月17日に初めて医師の診療を受けた統合失調症に起因するものであり,原告Bの初診日は,昭和59年1月17日である。

イ 原告Bの疾病

西山病院の医師は,遅くとも昭和63年10月19日には,原告Bが統合失調症であると診断していた。

さらに,原告Bが西山病院から転院した後に診察を担当した京都府立洛南病院及び吉田病院の医師は,いずれも,昭和59年1月17日を初診日とする症状がその診察時に至るまで継続しているものと判断しており,原告Bは,昭和59年1月17日の初診日以降,医学的にも治癒したことがないというべきであるから,当初から現在に至るまで,統合失調症にり患していたと認められる。

原告Bについての診療録の中には,非定型精神病,心因反応,神経衰弱等の病名も挙げられている。しかし,非定型精神病とは,統合失調症,そううつ病のいずれにも分類し難い症例,あるいは統合失調症とそううつ病の混合状態を,心因反応とは,心因によって生じた反応性の精神障害一般を,神経衰弱とは,疲労感,頭痛,めまい,不眠,神経過敏等からなる特徴的な症候群をそれぞれ指すものであり,これらの診断が,その後の症状,経過等の検討の結果,統合失調症との診断となることがある。そのような経過をたどる場合には,これらの疾病は別個独立のものではなく,1つの疾病名が明確となっていく過程における症状の発現と見るべきである。

そして,精神科医は,「精神分裂病」との診断を患者本人や家族に伝えることを遠慮することが多く,代わりに,神経症,ノイローゼ,神経衰弱,心因反応等の病名をつけるという実態があったのであり,原告Bの担当医師も,当初から統合失調症であると診断しながら,その旨の記載を極力避けていたものと推測される。

ウ 「社会的治癒」と統合失調症

国民年金制度担当行政庁においては,国民年金制度という社会保障制度の運用の観点から,仮に医学的には治癒に至っていない場合であっても,「医療を行う必要がなくなって社会復帰している」という状態が確認できる場合には,これを「社会的治癒」として,治癒と同様の状態であるとみなしているところ,「社会的治癒」の状態と認められる基準については,個々の傷病,症例によって判断せざるを得ないため,一律の基準を設けることはできないものの,統合失調症に関しては,社会的治癒を判断する際に,病勢の制止や一時的な回復状態にあること(いわゆる「寛解」)についても考慮される。

そうはいっても,少なくとも,医師の管理下での薬物療法や療養所内での諸療法がされている状態にあったり,投薬等の具体的診療が終了していても,経過観察等,医師の管理下に置くべき状態にあったりするときには,一般社会において労働に従事していたとしても,治癒と同様の状態にある「社会的治癒」と認めることはできない。

エ 原告Bの社会的治癒の有無

原告Bは,昭和59年1月17日の初診日以降,平成4年9月の再入院に至るまで,薬物治療を含む治療を継続していたにもかかわらず,統合失調症の症状を繰り返し発現させている。その間,医師により「治療終了」との判断がされたことや,数か月にわたって受診しない時期も存したものの,いずれもわずかな期間しか続かず,自傷行為等を行うなどしたため薬物治療を含む治療が再開されている。そうすると,症状が比較的落ち着いている期間についても,薬物治療を含む治療によりようやく症状を軽減,消退させていた状態にあったにすぎず,常時医療を行う必要があったことは明らかである。また,学生生活や仕事にも支障が生じていたのみならず,就職も結婚も短期間しか継続できなかったのであるから,原告Bが社会復帰していたとは到底いえない。

オ 社会的治癒の判断基準に関する原告Bの主張について

(ア) 原告Bは,社会的治癒の判断基準として3要件を挙げるが,このような判断基準は,D医師の独自の見解にすぎず,その根拠も十分でない。

(イ) また,原告Bは,社会的治癒の判断において薬物治療の有無は問わないこととすべきである旨主張する。しかし,このように考えると,投薬をしなくても発症しないのに念のために薬物治療が続けられている者と,投薬によって初めて発症が抑えられている者とを同列に扱うことになって不合理であるし,投薬によって症状を抑えている者について「治った」と判断することは,社会通念にも合致しない。さらに,他の疾病では,薬物治療が続けられていれば社会的治癒とは認められないにもかかわらず,精神疾患についてのみ別異の取扱いをする理由は存しない。

薬物治療が続けられており,又はその必要がある場合には,社会的治癒とは認められないというべきである。

(ウ) 仮に,原告らの主張する判断基準を前提とするとしても,原告Bは,大学在学中から現在に至るまでの間,上記基準を満たしていたことはなく,いずれにしても,社会的治癒があったものとは認められない。

6  国会(国会議員)が,国民年金法の制定に当たり,学生を強制加入の対象としなかったこと,20歳以上の学生に無拠出の障害に関する年金を支給することとしなかったこと,あるいは,平成元年改正まで,学生除外規定を改正するなどの立法をせず,平成元年改正後も初診時未加入学生障害者に障害基礎年金を支給しなかったこと,その他の救済措置等を講じなかったこと,内閣がこれらの法案を提出し,あるいは提出しなかったことは,国家賠償法上,違法か。また,これについて,国会議員及び内閣に故意又は過失があったかどうか(争点2-1)

(1)  原告らの主張

ア(ア) 立法行為に関する国家賠償法上の違法の要件

国会ないし国会議員の立法行為は,議会制民主主義の適正かつ効果的な機能が果たされておらず,かつ,憲法解釈の多様性を考慮する必要性がない極めて特殊で例外的な場合には,国家賠償法上違法と評価されるべきである。すなわち,①立法内容の違憲性が明白であるにもかかわらず当該立法をし,あるいは立法後違憲性が明白となってから相当期間を経過しても必要な立法措置がされず,②重大な人権侵害等,国民が著しい不利益を受けており,③司法的救済の必要性が認められるという,極めて特殊で例外的な場合には,国会議員及びその総体としての国会において個別の国民の権利に対応した関係での法的義務及びその違反を認めることができるから,これによって国家賠償法1条1項所定の違法性が基礎づけられる。

(イ) 国民年金法に関する立法行為の違憲性及び学生無年金障害者に対する救済措置を講じなかったことが憲法14条,25条に明白に違反することは,前記2(1)のとおりである。

なお,遅くとも昭和60年改正時には,法改正や新たな立法を行うための合理的期間も経過していたものというべきである。

(ウ) 原告らの著しい不利益

原告らが,国民年金法の学生除外規定等によって障害基礎年金を受給できず,これに対する救済措置も講じられないことによって,著しい不利益を受けていることは,前記2(1)キのとおりである。

(エ) 原告らに対する司法的救済の必要性

本来,国民年金制度は国民の社会保障の問題であり,その制度設計に当たっては政府ないし国会の裁量が大きく認められる分野であるから,議会という政治的過程を通してその不合理性が是正されるべき問題である。しかし,学生無年金障害者は,国民全体の中では極めて少数者であり,それゆえ,自らの人権侵害状態を多数決原理に基づく議会制民主主義による政治過程の中で解決していくことがほとんど期待できないことは明らかである。

イ 内閣及び国会議員の過失

(ア) 昭和34年法制定時

昭和34年の国民年金法案の審議に先立つ同年1月の時点で,社会保障制度審議会が法案の任意保険的性格を強く批判してその重大な欠陥を指摘していた上,政府委員Eは,学生について任意加入する者は全体の約3分の1にとどまると予測する答弁をしており,政府及び国会ないし国会議員は,立法当時において,学生の3分の2については国民年金に任意加入せず,それらの者が重度障害者になっても障害に関する年金が一切受給できない危険性があることを認識していたか,又は容易に認識し得た。

また,昭和34年法7条3項は,「前項各号に掲げる者に対する将来にわたるこの法律の適用関係については,国民年金制度と被用者年金各法による年金制度及びその他の公的年金制度との関連を考慮して,すみやかに検討が加えられたうえ,別に法律をもって処理されるべきものとする。」としており,これによれば,政府及び国会ないし国会議員が,当初から学生無年金障害者の発生を予測した上で,学生除外規定の見直しを予定していたことは明らかである。

にもかかわらず,内閣(厚生大臣)は,このような欠陥のある国民年金法案を国会に提出し,また,国会(国会議員)は,このような法を制定したもので,内閣(国会議員)には,重大な過失が認められる。

(イ) 昭和60年改正以降

昭和50年代には,全国脊髄損傷者連合会が,学生無年金障害者を含む障害に関する年金を受けられない障害者(以下「無年金障害者」という。)への年金支給のための取組を開始し,厚生省,国会,衆参社会労働委員会に対し,陳情,請願,要望書の提出を繰り返し行い,粘り強く無年金障害者の実態と障害に関する年金の必要性を訴え続け,昭和59年11月には,衆参両議院の社会労働委員会の議員に対し,国会に上程された年金改正法案の中に無年金障害者の救済が含まれていないことに抗議し,無年金障害者の救済を訴え,改正案に盛り込むことを要請していた。また,国内的にも国際的にも,障害者に対する人権保障の問題がクローズアップされるようになり,厚生省は,昭和58年8月,障害者生活保障問題専門家会議の報告書を提出し,現行の障害者に対する所得保障において保障の手が及び得ないものが見られるので,すべての成人障害者が自立生活を営める基盤を形成する観点から所得保障全般にわたる見直しを行うべきであるとした。

したがって,遅くとも昭和60年改正時には,国会議員及び内閣(厚生大臣)は,既に学生無年金障害者の問題について十分に認識しており,学生についての仮適用,納付猶予,半額納付,無拠出支給等の具体案も出尽くしていたもので,技術的な方法論において検討する必要はあったとしても,最低限,学生無年金障害者の発生を防止する応急的な法改正をすることは十分に可能であった。

にもかかわらず,内閣(厚生大臣)及び国会ないし国会議員は,学生除外規定等に関する法改正を無為に先延ばしにし,また,現に発生した学生無年金障害者を救済するための措置も何ら講じなかったもので,重大な過失が認められる。

ウ 以上のとおり,国民年金法に関する立法行為等について,内閣及び国会ないし国会議員の不法行為が認められ,これによって,原告らは損害を被ったから,被告国は,原告らに対し,国家賠償責任を負う。

(2)  被告国の主張

ア 国民年金法が,学生を強制加入の対象から除外したこと,初診時未加入学生障害者に対して障害に関する年金を支給せず,平成元年改正後も,これを支給するなどの救済措置を講じなかったことは,前記2(2)のとおり不合理なものではなく,何ら憲法に違反するものではない。

なお,昭和34年法7条3項の規定は,被用者年金制度が分立している状況の中で国民年金制度を創設するに当たり,被用者年金制度の対象者と新しい国民年金の制度との関係の整理,とりわけ,国民年金法制定時には未整理となっていた,他制度との間の資格期間の通算を念頭に置かれた規定であって,原告らが主張するような趣旨ではない。

イ のみならず,国会議員が立法を行うについては,画一的な行動規範があるわけではなく,法律は多種多様な意見の対立の中から多数決原理によって形成されるものであって,立法行為の規範たるべき憲法自体の解釈について国会議員間に意見の相違があっても,何ら異とすべきではない。国会議員は自由な立場で討論,評決に加わればよく,そのことによって院外で責任を問われることはなく,選挙を通じて政治的責任が問われるだけである。したがって,国会議員が国民に対して負うべき法的義務に違反したといい得るためには,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらずあえて当該立法を行うというような例外的な場合でなければならない。

しかし,憲法には,原告らが主張するような立法行為を行う義務を明示的に定めた規定は存在せず,20歳以上の学生を任意加入の対象としたこと,学生無年金障害者に対する救済措置の立法をしないことが憲法の一義的な文言に違反するということはできない。したがって,本件が「例外的な場合」に当たると解する余地はない。

ウ よって,国民年金制度に関する内閣及び国会ないし国会議員の立法行為等について,国家賠償法上の違法な点はない。

7  争点2のほかに,本件各処分に関し,国家賠償法上の違法な点があるかどうか(争点2-2)

(1)  原告らの主張

社会保険庁長官等は,前記4(1)のとおり,原告らに対し,任意加入について個別的に教示,告知すべき義務を負っていたのに,これを怠り,原告らが任意加入をする機会を奪ったのであるから,このような義務違反は,国家賠償法上も違法である。

さらに,京都府知事は,国民年金法の学生除外規定等が違憲であり,原告らが障害基礎年金の受給資格を有しているにもかかわらず,これを看過し,あるいは,初診時未成年障害者年金支給規定について憲法適合的な法解釈をする注意義務があったのにこれを怠り,原告らに対して障害基礎年金を支給しない旨の本件各処分をしたもので,このことは,国家賠償法上違法である。

(2)  被告国の主張

社会保険庁長官等に任意加入についての個別的告知,教示をする義務がないこと,本件各処分が適法であることは,前記4(2),1(1)のとおりである。

8  原告らの受けた損害とその額(争点2-3)

(1)  原告らの主張

原告らが障害を負った当時,国が学生無年金障害者を救済する法改正を行っているか又は憲法に従った法運用を行っていれば,原告らは,遅くとも症状固定の翌年には裁定請求を行っていたものであり,原告らはその年から少なくとも国民年金の障害に関する年金の支給最低額の支給を受けていたはずである。しかし,原告らは,国会等による違法行為により,本来受けられるべき障害に関する年金を受けられず,日常生活において多大な精神的苦痛を被っている。一方,原告らは,障害基礎年金の支給を受けられないために,逆に,所得なき状態の中で自らの老後のために老齢年金の保険料を支払い続けなければならない。

原告らが,平成元年から障害基礎年金を受給できたとすると,これまでに約1600万円が受給できていたはずであり,また,障害基礎年金を受給していたならば支払う必要がなかった老齢基礎年金の保険料の合計額は,約250万円となる。したがって,原告らについて現在までに発生した逸失利益は約1850万円となる。

その結果としての原告らの極めて厳しい生活実態及び著しい精神的苦痛等にかんがみると,国会等の違法行為により原告らに支払われるべき慰謝料は,一人当たり2000万円を下ることはない。

(2)  被告国の主張

争う。

第5当裁判所の判断

1  国民年金法が,平成元年改正まで学生を強制加入の対象としなかったこと,初診時未加入学生障害者に無拠出制障害年金を支給せず,平成元年改正後も救済措置等を講じなかったことが憲法に違反するか(争点1-1)

(1)  国民年金制度は,憲法25条の趣旨を実現するために設けられた社会保障上の制度であるが,同条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは,極めて抽象的・相対的な概念であって,その具体的内容は,その時々における文化の発達の程度,経済的・社会的条件,一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに,同条の規定の趣旨を現実の立法として具体化するに当たっては,国の財政事情を無視することができず,また,多方面にわたる複雑多様な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするから,同条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は,立法府の広い裁量にゆだねられており,それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱,濫用と見ざるをえないような場合を除き,裁判所が審査判断するに適しない事柄である(最高裁昭和23年(れ)第205号同年9月29日大法廷判決・刑集2巻10号1235頁,昭和51年(行ツ)第30号同57年7月7日大法廷判決・民集36巻7号1235頁,最高裁昭和60年(行ツ)第92号平成元年3月2日第一小法廷判決・裁判集民事156号271頁等)。

また,憲法25条の趣旨にこたえて制定された国民年金法において,受給者の範囲等につき,それが憲法14条1項に違反するかどうかを判断するに当たっては,前記のような憲法25条2項に基づく立法府の裁量権があることを前提として,それによる区別が何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いかどうかの観点から判断されなければならない。

(2)  国民年金制度は,昭和34年の国民年金法の制定により創設されたものであり,同法は,その後,多数回にわたって改正され,現在に至っている。本件に関連する国民年金法の規定,改正の経緯等の骨子は,前記第2の2のとおりである。

証拠(甲8,甲16,甲21ないし甲68,乙1ないし乙4,乙6,乙7,乙13ないし乙15,乙27ないし乙35)及び弁論の全趣旨によれば,国民年金の制度が創設され,その後,上記のような改正がされた経緯,理由,これを巡る議論の状況,その社会的背景等について,以下のとおり認めることができる。

ア 国民年金法の制定

(ア) 戦後における家族制度の変革に伴う核家族化現象,高齢化に基づく老後の生活の不安を背景に,全国民を包含する老後保障の必要性が指摘されるようになり,社会保障審議会における審議と「国民年金制度に関する基本方策について」の答申(昭和33年6月14日)を始めとして,様々な検討,議論を経て,以下のような制度としての国民年金を創設する国民年金法が制定されるに至った。国民年金は,老齢年金,障害年金及び母子年金を通じた制度ではあるが,老齢年金が中心として検討され,老齢年金を中心とした制度であって,国民の関心も老齢年金におかれていた。

(イ) 国民年金制度の基本的な制度設計としては,年金給付を租税等の国の一般財源によって賄うものとする無拠出制(税方式)も考えられるところであるが,我が国においては,被保険者等が拠出する保険料を主な財源とする拠出制を基本とすることとした。これは,主としては,次の3点が考慮されたものと説明されていた。

a 老齢のようにだれでもいつかは到達する事態はもちろんのこと,身体障害や夫の死亡という事態に対しても,あらかじめ所得能力のあるうちに自らの力でできるだけの備えをすることは,生活態度として当然であり,社会経済生活はこのような自己責任の原則の下に成り立っているから,本格的な国民年金制度を発展させようとするならば,拠出制を基本とすることは社会の側から見ても有意義であること

b 無拠出制を基本とすると,その財源を国の一般財源に求めざるを得ない関係上,財政支出の急激な膨張が避けられず,特に我が国のように老齢人口の急激な増加が予想される国においては,将来の国民に過重な負担を負わせることになりかねず,これを避けようとすれば,年金額等の制度の内容は社会保障制度の名に値しないほどに不十分なものとならざるを得ないこと

c 無拠出制を建前とすると,その支出を賄うための収入がその時々の財政及び経済の諸事情の影響を受けやすく,突発的な財政需要激増のために年金額を引き下げなければならないようなことが起きかねないこと

その一方で,制度発足時点において既に高齢,障害等の事故が発生している者,他制度から移行したことなどにより加入期間が短いため拠出制の年金の支給要件を満たすことのできない者等に対しては,経過的,補完的なものとして,拠出制年金より低額の無拠出制の福祉年金を給付することとした。これは,次のd,e及びfなどを理由とするものと説明されていた。

d 当時の社会状況,すなわち,戦争によって財産や扶養者を失った老齢者,障害者及び母子世帯が多数存在するという状況に照らし,これらの者に年金的保護を及ぼす必要性が高いこと,

e 拠出制の年金については,年金額のうち3分の1は国庫負担とされているところ,拠出制の年金制度しかないとすると,保険料を拠出することのできた者だけが国庫負担を通じて援助が受けられ,貧困等のためにそれができなかった者には国費の支出による援助が行われないという不公平な結果となること

f 拠出制の対象から外れる者は公的扶助で救済すればよいとの考え方もあるが,公的扶助の制度は本質的に事後的な救貧を目的とする制度であり,受給者の収入額によって扶助支給額が調整され,全体として収入水準は最低生活水準にくぎ付けされるという欠陥があること

(ウ) 被用者年金各法の被保険者等(昭和34年法7条2項)を除き,日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は,法律上当然に国民年金の被保険者とされた(昭和34年法7条1項)。

被保険者として保険料を拠出する期間については,国民年金は自営業者を主な対象としているため,就職や退職という区切りをつけることができないので,一律に年齢で区切るという方式によらざるを得なかった。その開始時期については,検討過程において,25歳からとする提案がされるなどしたが,①開始年齢を早めることにより一人当たりの保険料を引き下げることができること,②一方で,余りに開始年齢を早くすると,稼得活動に従事していない被扶養者に保険料を負担させることになること,③当時は,大部分の国民が高校卒業程度で稼得活動に入っており,25歳からでは遅きに失するとされたことなどから,20歳をもって国民年金の被保険者期間を開始することとされた。

また,60歳未満とされたのは,55歳で定年退職となる者の多い被用者年金の被保険者とは異なり,60歳までは所得を得ている場合がむしろ通例であるからと説明された。

(エ) 20歳以上の者であっても,学生は,強制加入の対象から除外された(昭和34年法7条2項7号)。これについては,次のa及びbが理由として挙げられていた。

a 国民年金制度が拠出制年金を基本とすることから,定型的に稼得活動に従事していないと考えられる学生について,強制加入の対象とし保険料納付義務を負わせることには問題があること

b 学生は,通例,大学を卒業して,社会に出た後は被用者年金制度に加入することになるところ,学生を強制加入の対象とすると,多くの場合は,卒業後就職して被用者年金制度に加入して,国民年金の対象者から外れることとなるが,その場合には学生時代に納付した保険料が掛け捨てとなること

(オ) 国民年金の障害年金又は母子福祉年金の受給権者,生活保護法による生活扶助を受けている者等は当然に,所得がない者等はその申請に基づいて都道府県知事が決定することによって,保険料の納付を免除されるものとされた(昭和34年法89条,90条)。

低所得者等について,強制加入の対象とした上で,保険料免除制度を設けることとしたのは,次のaからdまでなどの理由によるものと説明されていた。

a 保険料の拠出能力のない低所得者こそ最も年金による保障を必要とする人々であるが,そのような人々を最初から除外すべきではないこと

b 年金制度のように長期の拠出を基にして成り立つ制度において,ある一時期における拠出能力の有無のみを問題にして適用か不適用かを決めるべきではないこと

c 20歳から59歳までの40年間を通じて拠出能力が全くないという事態は異例であり,被保険者とした上で,拠出能力がないと認められる間は保険料を免除することが合理的であること

d 十分な拠出能力を有する者だけを対象とすると,対象者が非常に限られてしまうこと

(カ) 老齢年金は,①保険料納付済期間が25年以上である者又は②保険料納付済期間が10年以上であり,かつ,保険料納付済期間と保険料免除期間を合算した期間が25年以上である者(①に該当する者を除く。)が65歳に達したときに支給するとされ,年金額は,①,②の別に保険料納付済期間に応じて定められていた(①に該当する者は,保険料納付済期間が25年以上26年未満の場合に2万4000円,以後,1年ごとに増額され,37年以上38年未満の場合に3万8400円,38年以上39年未満の場合に3万9600円,40年の場合に4万2000円)(昭和34年法26条,27条)。

(キ) 障害福祉年金は,制度発足前から障害者であった者等のほか,初診時未成年障害者にも支給することとされた(昭和34年法57条)。

その理由としては,初診時未成年障害者は,保険事故が起こった時点では被保険者としての資格を有さず,あらかじめ保険料を納付して保険事故に備えることができない反面,若年において重度の障害を負った場合,通常その障害が回復することは困難であり,稼得能力を生涯にわたって奪われていると考えられることが挙げられていた。

イ 通算年金通則法(昭和36年法律第181号)の制定

昭和34年法では,国民年金と他の公的年金との被保険者期間の通算措置に関する規定を設けておらず,それについては,速やかに検討を加えた上,別に法律をもとって処理されるべきものとしていた(昭和34年法7条3項)。そのため,昭和34年法においては,国民年金の被保険者が被用者年金各法等の公的年金の被保険者又は組合員になった場合にも,国民年金の支給要件を満たしていない場合には,国民年金は支給されず,国民年金の被保険者期間が他の公的年金の被保険者期間に通算されないため,支払った国民年金の保険料は掛け捨てとなる結果となっていた。この点については,昭和36年11月,通算年金通則法(昭和36年法律第181号)が制定され,各公的年金制度の被保険者で,当該公的年金については老齢年金又は退職年金の支給要件を満たしていないが,各公的年金制度に係る通算対象期間を合算して一定の要件を満たした場合などに,通算老齢年金や通算退職年金を支給することとするなどしたことによって,一応の解決がされた。

ウ 昭和60年改正

(ア) 国民年金法は,昭和34年以降,多数回にわたって改正され,給付水準の改善が図られるなど,年金制度は次第に充実していった。しかし,職種等により各制度が分立していたため,産業構造や就業構造の変化等により,制度ごとに,被保険者数と受給者数の比率が大きく異なり,年金受給者に比して被保険者数が少なく,財政的に不安定になる例が生じており,また,本格的な高齢化社会の到来に伴い,受給者数の増加等により給付金の増大が見込まれることに照らし,その対策が急がれることとなり,年金制度の抜本的な改革の必要性が認識されることとなった。

そこで,公的年金制度を長期にわたり安定して運営できる制度とするため,各年金制度を通じた大改正を行うこととなった。昭和60年改正は,その一環である。

上記の年金制度改正の柱の1つとして,職種等により分立していた公的年金制度を1つの年金制度とするため,国民年金の被保険者を,①日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の者で,②及び③に該当しない者(ただし,学生及び被用者年金各法に基づく老齢又は退職を支給事由とする給付等を受けられる者を除く。),②被用者年金各法の被保険者又は組合員,③②の被扶養配偶者として(昭和60年法7条1項),全国民共通の基礎年金制度が導入され,これによって,一人一年金の原則が確立されるとともに,重複給付の解消が可能となり,また,各年金制度間の通算が完全に確立された。

(イ) 老齢基礎年金は,保険料納付済期間又は保険料免除期間を合算して25年以上の期間を有する者が65歳に達したときに支給され,その額は60万円(ただし,保険料納付済期間が480月に達しない者には,保険料納付済期間及び保険料免除期間に応じた,これよりも減額された額)とされた(昭和60年法26条,27条)。

(ウ) 旧法下の障害年金は,全制度に共通する障害基礎年金として再構成され,給付額の増額等の改善がされた。

また,旧法下の障害福祉年金は廃止となり,障害基礎年金に一本化され,これに伴い,改正時に障害福祉年金の受給者であった者については,障害基礎年金の受給者とする裁定替えが行われ,障害福祉年金の受給者には,より高額の給付がされることとなった。

(エ) 国民年金法の制定以降,20歳以上の学生のうち,国民年金に任意加入をした学生は,少数にとどまっており,国民年金に任意加入をしていなかった結果,障害を負ったものの年金を受給できず,生活に困難を来す者も少なからず生じていた。そこで,学生無年金障害者に対して障害に関する年金の支給を求めるなどの運動がされるようになり,例えば,全国脊髄損傷者連合会は,昭和50年代から,学生無年金障害者を含む無年金障害者に対する障害に関する年金の給付を求める運動として,厚生省との交渉,請願活動,衆参社会労働委員会の議員に対する陳情等を繰り返し行った。

国民年金審議会は,昭和58年11月,昭和60年改正について厚生大臣から諮問を受けた。同審議会においては,複数の委員により,学生無年金障害者の問題が存在し非常に酷な状態になっているとの認識が示され,仮適用にして障害年金の支給対象とすることなどの具体的解決案も提案された。同審議会は,昭和59年1月26日,上記諮問に対して答申をしたが,その中で,今後の課題として,「学生の適用のあり方については,引き続き検討をすべきである。」と指摘した。

また,社会保障制度審議会は,厚生大臣の国民年金法等の改正についての意見を求める諮問に対し,昭和59年2月23日,答申をしたが,その中で,審議中に指摘された「20歳未満で障害の状態になったときには障害基礎年金が受給できるのに対し,任意加入しなかった学生がその期間中に障害の状態になったときには障害基礎年金が受給できない。」等の重要な問題点に留意すべきであるとした。

政府は,昭和59年3月2日,「国民年金法等の一部を改正する法律案」を国会に提出した。同法案の国会審議においては,学生無年金障害者の問題に関し,次のような論議があった。

a 衆議院社会労働委員会における審議の際には,学生無年金障害者の問題が取り上げられ,学生無年金障害者の発生を防止するために,学生を2分の1程度の保険料で強制加入の対象とすることや,初診時未加入学生障害者についても初診時未成年障害者年金支給規定を適用することなどの提案もされた。

b 参議院社会労働委員会における審議の際には,20歳以上の学生及び専業主婦が国民年金に加入せずに障害者になった場合には,障害福祉年金も拠出制障害年金も支給されていないが,保険料不払による資格欠如とは異なり,合法的な対応の中で無年金者となったのであるから,救済措置が必要であるとの意見が述べられた。

c これらの意見等に対し,政府は,学生の保険料の負担能力に疑問があり,直ちに強制加入の対象とすることについてはいまだ議論があること,30歳,40歳の学生もおり,十分ではないが任意加入の道も開かれている20歳以上の学生を,任意加入もできない20歳未満の者と同列に扱えるかについても議論があること,任意加入できるのに任意加入しなかった期間の傷病による障害について,過去にさかのぼって年金支給の対象とすることは難しいことなどを理由として,学生無年金障害者の問題は今後の宿題として検討したい旨答弁した。

このような議論を経て,昭和60年改正においては,学生はなお国民年金法の強制加入の対象とはされず,従前どおり任意加入ができることとされた。

その理由としては,学生が定型的に稼得活動に従事しておらず拠出能力がないことは変わらないところ,保険料の免除基準は本人及び世帯主の所得を基準としており,同居の場合には免除の対象ともならず,結局は,学生の親が,学費の負担に加えて子の保険料まで負担する結果となることから,この点の解決策を検討する必要があったこと,学生が全く年金制度から排斥されているわけではなく,任意加入をすることにより自ら問題を回避できることなどが挙げられている。

そして,学生無年金障害者の問題は,今後の課題とされ,昭和60年法附則4条1項において,「国民年金制度における学生の取扱いについては,学生の保険料負担能力等を考慮して,今後検討が加えられ,必要な措置が講ぜられるものとする。」とされた。また,衆議院においては,「無年金者の問題については,今後とも更に制度・運用の両面において検討を加え,無年金者が生ずることのないよう努力すること。」,参議院においては,「無年金者の問題については,適用業務の強化,免除の趣旨徹底等制度・運用の両面において検討を加え,無年金者が生ずることのないよう努力すること。」との各附帯決議がされた。

エ 平成元年改正

(ア) 平成元年改正により,20歳以上の学生も国民年金の強制加入の対象とされることとなった(平成3年4月1日施行)が,その経緯は以下のとおりである。

(イ) 年金審議会は,昭和63年11月29日,「国民年金・厚生年金保険制度改正に関する意見」を提出したが,その中で「現在20歳以上の国民のうち,唯一,国民年金の強制適用の対象から外されている学生については,従来から障害年金を中心に無年金問題が指摘されているところであり,さらに,基礎年金のフル・ペンションの確保を図っていくという観点からも,この際,これを強制適用の対象とすべきである。」とした。

これを受けて,厚生省は,学生を国民年金の強制加入の対象とすることに含めることを含む「国民年金制度及び厚生年金保険制度改正案要綱」を作成し,平成元年2月,年金審議会及び社会保障制度審議会に対し,それぞれ諮問を行った。年金審議会は,これに対し,平成元年2月27日,これを了承するとの答申をしたが,その中で,「学生に対する国民年金の適用に当たっては,親の保険料負担が過大とならないよう,適切な配慮がなされるべきである。」との意見を付した。

(ウ) 政府は,平成元年3月29日,「国民年金法等の一部を改正する法律案」を国会に提出した。同法案の,国会審議等においては,学生を強制加入の対象とすることに関し,次のような意見が出された。

a 衆議院本会議における審議の際には,学生が強制加入の対象とされると,親が保険料を負担することとなるところ,現行の保険料免除制度では,学生のいる家庭で免除を受けられる世帯はごく限られたものになること,学生に対する新たな保険料免除制度を作るべきなどの意見が出された。

b 衆議院社会労働委員会における審議の際には,学生を強制加入の対象とすることによって,学生である間の傷病により障害を負った者に対する年金保障が可能となるとの改正の趣旨は十分理解でき,また評価できるとの意見が述べられたが,一方で,所得のない学生にとって保険料の負担は困難であり,結局親に負担を求めざるを得ないことになること,その場合,保険料を支払えない学生が増加し,滞納や未加入等が増加して,制度改正の趣旨が損なわれてしまうおそれがあること,親の保険料負担が過大にならないようきめ細かな手を打つ必要があること,従来の任意加入のままで,学生については一律免除にする制度も考えられることなどが指摘された。

また,同委員会の行った公聴会においては,社会保険の原則は強制加入,保険料の強制徴収であり,所得が低い場合の配慮は必要であるとしても,学生を強制加入とすることにはどこにも無理なことはなく,今回の改正で学生を強制加入の対象とすることはむしろ遅きに失したとの意見が述べられたが,一方では,学生を強制加入の対象とした場合に,保険料免除の基準が世帯単位とされている関係で,経済的理由から下宿ができず親と同居している学生については免除を受けられず,経済的に恵まれており親と別居して下宿している学生はかえって免除を受けられることとなり,問題があること,学生に特別な免除制度を設けることは,高校等を卒業して働いている者との間で不公平となること,学生については障害年金のみ強制加入とする制度も考えられることなどが指摘された。

c 参議院社会労働委員会における審議の際には,任意加入制度を採っていために学生無年金障害者が発生したもので,制度に不備があったのではないかとの意見も述べられたが,一方,学生を強制加入の対象とすることは,結局は,親世代に対して学費に加えて保険料の負担を増やすことになるだけであるとの意見も述べられ,奨学金のような一時貸付の制度や,学生が就職するまで保険料を免除しておいて,就職後に割増しの保険料を納付させることなども考えられるとの意見も述べられた。

d これらの意見等に対して,政府は,学生はこれまでも任意加入することができたので,制度自体の不備であったとは思わないが,任意加入制度をとっていると加入が進まず,結果的に学生無年金障害者を発生させる可能性が高いことにかんがみ,今回学生を強制加入の対象とすることに踏み切ったこと,年金審議会において,障害年金のみ強制加入の対象とすることも検討されたが,老齢年金や遺族年金の問題もあるため,全面的に強制加入の対象とした上で適切な保険料免除基準を作ることが望ましいとの結論に達したこと,親の保険料負担の問題については,年金審議会の「学生に対する国民年金の適用に当たっては,親の保険料負担が過大とならないよう,適切な配慮がなされるべきである。」との意見もふまえて,平成3年の施行までに,学生を抱える家庭の保険料負担能力等を調査し,過重な負担とならないように配慮する方向で免除基準の設定に当たっていくことなどとの答弁をした。

(エ) 学生についての保険料免除の基準については,学生以外の者とは異なる「学生に係る保険料免除基準」(平成3年1月30日庁保発第2号)が設けられ,学生の保険料負担能力を親元世帯の所得で判断することとした上で,免除の基準となる所得額を緩和し,学生の親の負担が過大にならないよう配慮された。

(オ) 障害者団体等は,昭和60年改正以降も,引き続き厚生省や衆参両議院及びその議員らに対する陳情活動等を行った。また,平成元年改正の国会審議等でも,制度のはざまに置かれて学生無年金障害者となった者がおり,また,その中には,任意加入制度で保険料免除制度の適用がなく,所得が低いため任意加入できなかった者もいると考えられ,そのようなことも考慮すれば,学生無年金障害者に対する救済措置を講じるべきであるとの意見が述べられた。しかし,政府は,国民年金制度が社会保険方式をとっている以上,事故が発生してから保険料を納められるとすることは,いわゆる逆選択の問題があり,結論としては困難であるとし,平成元年改正において,学生無年金障害者に対する経過措置や救済措置が講じられることはなかった。

オ 平成12年改正

(ア) 平成元年改正後,20歳以上の学生等も国民年金制度の強制加入の対象となったものの,学生は一般的に所得がないために,多くの場合,その親が,学費に加えて保険料も負担しなければならないこととなり,問題視されるようになった。そこで,親の負担を軽減しつつ,稼得能力のない学生に保険料納付という負担を負わせることなく,学生無年金障害者の発生をも防止することを目的として,平成12年改正によって,親の所得ではなく学生本人の所得を基準に学生の保険料納付を猶予するという学生納付特例制度が創設された。

これにより,20歳以上の学生であって,学生本人の前年の所得が一定額以下である場合には,申請の上,承認を受けることにより,学生納付特例期間中は国民年金の保険料納付を猶予されることとなった。この学生納付特例期間は,老齢基礎年金の受給のため必要な加入期間には算入されるが,年金額には反映されないため,10年以内に保険料を追納することができることとされた。また,学生納付特例期間中に学生が障害を負った場合にも,障害基礎年金が支給されることになった。

(イ) 障害者団体等は,平成元年改正以降も,厚生省や衆参両議院及びその議員らに対する陳情活動等を繰り返し行い,新聞等においても,学生無年金者問題を取り上げ,その解決を求める社説を掲載するなどの動きが見られるようになった。

これを受けて,平成4年には参議院で「無年金障害者の救済に関する請願」が採択され,また,平成6年の国民年金法改正案が可決された際に,衆議院においては「無年金である障害者の所得保障については,福祉的措置による対応を含め検討すること」との,参議院においては「無年金である障害者の所得保障については,福祉的措置による対応を含め速やかに検討すること」との各附帯決議がされた。

しかし,平成12年改正によっても,これらをふまえた施策が実現されるには至らなかった。

カ 平成12年改正以降の状況

(ア) 坂口力厚生労働大臣は,平成14年7月,「無年金障害者に関する『坂口試案』」を発表し,その中で,「無年金障害者は本人はもとより,その扶養者である両親をはじめとする親族等は高齢化が著しく,看過できない事態に立ち至っている。純粋に年金制度を中心に考えれば,保険料を負担した者にのみ給付は存在し,それに従わなかった者は排除される。しかし,現在の成熟した年金制度の下では発生しない無年金障害者が,学生など政策的移行期であったが故に発生した側面も否定できない。学生など任意加入であった者を中心に救済する案も存在するが,福祉的措置を講じるためには立法化が必要であり,法制上からも対象者は無年金者をすべて同様にとり扱うことが妥当であるとの結論に達した。(中略)無年金障害者の生活実態は推測の域を出ず,速やかに実態調査を実施して,これらの人達への対応を開始しなければならない。」とした。

(イ) その後,国会は,平成16年12月,特定障害者に対する特別障害給付金の支給に関する法律(平成16年法律第166号)を制定した。この法律は,「国民年金制度の発展過程において生じた特別の事情にかんがみ,障害基礎年金等の受給権を有していない障害者に特別障害給付金を支給することにより,その福祉の増進を図ること」(1条)を目的とし,これにより,学生無年金障害者は,社会保険庁長官の認定を受けて,特別障害給付金(1か月につき4万円,障害の程度が障害等級の1級に該当する者については5万円)の支給が受けられることとなった。この法律の施行期日は,平成17年4月1日とされた。

なお,上記特別障害給付金の財源は全額国庫負担であり,その額は,国民年金法の障害基礎年金の支給額(同法33条)と比較して,低い水準にとどまる。

(3)  平成元年改正まで学生を強制加入の対象から除外していたことが憲法14条,25条に違反するとの主張について

ア 原告らは,国民年金法の制度設計の背景に,全国民を対象として,老齢,障害又は死亡による稼得能力の喪失に対し,保険料拠出の有無を問わず,あまねく年金給付による所得保障を行い,これにより貧困を防止して,最低限度の文化的生活を保障しようとする,「国民皆年金」の理念があるとし,その根拠として,憲法25条や,国民年金法における保険料免除制度,初診時未成年障害者に対する無拠出制障害年金の支給制度等の存在を指摘する。

しかし,国民年金制度は,原告らが主張するような,保険料拠出の有無を問わず全国民に年金を支給することを根本理念として創設されたものであるとは解されず,前記のとおり拠出制を基本とし,被保険者を原則として20歳以上60歳未満の者とし,これらについて拠出を義務付け,保険料の免除制度を設けて拠出制の原則を部分的に修正しつつ,補完的に無拠出制の要素も取り入れたものであって,前記(2)ア(イ)で挙げられているような理由に基づき,上記のような制度設計したことは合理的なものであり,その制度設計自体は,憲法25条の趣旨に反するものではない。

イ 前記のとおり,平成元年改正に至るまで,学生については,20歳以上であっても強制加入の対象から除外されていた。その理由として,学生は,定型的に稼得活動に従事していないと考えられるから,強制加入の対象とし保険料納付義務を負わせることには問題があることが挙げられている。

学生は,類型的に稼得活動に従事しておらず,本人の保険料負担能力は一般に乏しいもので,このような社会的事情は,昭和34年の国民年金法制定当時から,少なくとも平成元年に至るまで,ほぼ変わらず存在していたものと考えられる。

このような学生を,前記のような国民年金の制度上どのように位置付けるかについては,様々な考え方があり得るところである。

そして,国民年金は,前記のとおり,家族制度の変革,高齢化に基づく老後生活への不安を背景として,老後保障の必要性についての国民の要求に基づき,老齢年金を中心として設けられた制度であるところ,そのような老齢年金を中心とした制度である国民年金の保険料を学生に負担させることの問題点については,前記認定のとおり,平成元年改正前においても,年金審議会が,「学生に対する国民年金の適用に当たっては,親の保険料負担が過大とならないよう,適切な配慮がなされるべきである。」との意見を付し,平成元年改正法案の国会での審議の過程においても,学生の保険料負担という観点からは,稼得能力の乏しい学生に原則として保険料納付義務を課すことになり,多くの場合は親が子の保険料を負担せざるを得ない状況となるが,保険料免除の基準次第では,保険料を支払えず,滞納や未加入となる学生が増加して,学生無年金障害者の発生を防止するとの趣旨が没却されるおそれがある,保険料免除の基準が世帯単位とされているため,親と同居しているか否かによって免除の有無に違いが生じ,経済的に恵まれている家庭がかえって免除を受けられるという逆転現象が生じる,学生に特別な免除制度を設けることとすると,高校等を卒業して働いている者よりも学生を優遇することとなり不公平である,などの指摘がされていたところである。また,平成元年改正後も,学生を強制加入の対象としたことの不合理性を指摘する論評が少なからずあり,障害年金部分についてのみ強制加入とすべきであったとの見解も示されている(甲42ないし甲44など。中でも甲44は,学生を全面的に強制加入の対象としたことは,財産権を過度に侵害して違憲の疑いがあるとしている。)。なお,平成元年改正後の保険料は月8400円であったところ(平成元年改正後の国民年金法87条3項),平成元年改正についての国会審議の際には,議員から,後述の障害者の出現率の推計を基に,20歳以上の学生に係る保険料は月189円との試算が示されている(乙35)。

このように,学生の保険料負担の問題点を考慮すると,老齢年金については,20歳時に加入しないと将来老齢年金を満額支給されないことにはなるものの,その不利益はそれほど大きなものではないこと(大学卒業の22歳時に加入した場合には,月200円又は300円少なくなる。一方,当初の保険料額は,35歳未満の場合には月100円(34年法87条)である。),20歳以上の学生である間の傷病のために障害を負う危険性は,大きくはないと考えられること(20歳以上の学生である間の傷病により障害になる危険性がどの程度であるのかは明らかではないが,平成元年12月12日の参議院社会労働委員会における平成元年改正についての法案審議の際,議員から,社会保障研究所の試算として,厚生年金の場合の障害者の出現率は,1級が0.001249,2級が0.0035334であることが紹介されている(乙35)。学生についても,これと大差はないものと推認することができる。)からすると,稼得活動に従事していない学生に対しては,老齢年金を中心とした国民年金に加入を強制する必要性がそれほど大きくはなく,保険料を負担してでも上記の不利益を避けたいと思う者に対し,任意加入を認めて,強制加入の対象から除外することも,一つの在り方であって,不合理とはいえない。

ウ もっとも,原告らは,任意加入については,保険料免除の規定がないなどの不合理な点があり,機能もしていなかった旨主張する。

20歳以上の学生のうち,任意加入をしていた者の割合は少なかった(上記国会審議の際には,政府委員は,20歳以上の学生で任意加入している者は約2万人と推定していると答弁しており,議員からは,そうすると,学生数約160万人の約1.25%にすぎないとの指摘がされていた。)。しかし,任意加入者が少ない原因は,必ずしも明らかではないが,将来に備えて保険料を拠出するとの考え方がなじみにくかったことなどから,老齢年金を中心とした制度である国民年金に対する関心が乏しく,そもそも任意加入制度に対して関心を示さず,任意加入を検討しても,20歳以上の学生である期間は通常数年にとどまり,任意加入しなかった場合の老齢年金の受給額への影響が限定的なものにとどまることや,学生である間に障害を受ける確率はわずかであることなどから,国民年金への加入を選択しないことも少なくなかったと考えられ,加入率が低いことは,必ずしも任意加入制度が機能していなかったことを意味するものではない。

確かに,任意加入した者に対する保険料免除制度は設けられておらず,そのため,保険料の支払能力のない者は,任意加入を希望しても加入することができず,その間の傷病によって障害を負うに至っても障害に関する年金の支給をされない結果となるのであるが,前記のとおり,もともと20歳以上の学生を老齢年金を中心とした国民年金に加入させる必要性は大きくはないのであり,さらに,上記のとおり,20歳以上の学生の老齢年金を中心とした国民年金に対する関心が乏しく,20歳以上の学生の中で任意加入を希望するものの保険料の拠出能力がない者はさらに少なくなるのであるから,あえて,保険料納付免除の制度を設けなくても,不合理とまではいえない。

エ このように,国民年金制度において,類型的に保険料負担能力が乏しいことを理由に,学生を強制加入の対象から除外し,任意加入制度を採用したことは,昭和34年の国民年金法制定時のみならず,昭和60年改正時においても,複数考え得る制度設計のうちの1つとして,一定の合理性があったものというべきであるから,これが,著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱,濫用に当たるとか,何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いであるということはできない(また,昭和34年法においては,前記(2)ア(エ)bの保険料の掛け捨ての問題も理由とされたところ,この点については,昭和34年法の制定時には,妥当する理由であり,通算年金通則法の制定によって,一応の解決が図られたものの,昭和60年改正までは,完全な解決を見ていないのであるから,昭和60年改正までは,この点も,学生を強制加入の対象から除外したことが合理的である一理由となり得たものである。)。

なお,原告Aの初診日は,満22歳であった昭和49年1月2日であり(前記第2の3(1)ア),原告Bの初診日は20歳当時の昭和59年1月17日である(前記第2の3(1)イ。なお,原告Bは,主位的な主張及び国家賠償請求の関係では,昭和59年1月17日が初診日であることを前提とするものと解される。)から,原告らに対する障害に関する年金の資格要件については旧法である(原告Aについては,昭和51年法律第63号による改正前の国民年金法30条(改正同法附則20条),原告Bについては,昭和60年改正前の国民年金法(昭和60年改正法附則32条)。したがって,昭和60年改正の際に,学生が強制加入の対象とされたとしても,原告らが障害基礎年金の資格要件を満たすことにはならない。また,既に保険事故の発生していた原告らの初診時未加入学生障害者に対して,障害基礎年金の支給が可能となる措置を講じなかったことが憲法に違反するものではないことは,後記(5)アと同様である。

(4)  初診時未加入学生障害者に対して年金を支給する旨の規定がないことが憲法に違反する旨の主張について

旧法は,初診時未成年障害者について,20歳に達した日以後に障害福祉年金を支給することとしていた。これは,大部分の者が稼得活動を行っていると考えられた20歳以上60歳未満の者を強制加入の対象とし,その年齢の中でも定型的に稼得活動を行っていない学生については,任意加入は可能とし,強制加入の対象から除外するという,前記判断のとおり不合理とはいえない制度の下で,保険料を負担して国民年金に加入して保険事故に備えることを望んでも加入することができない初診時未成年障害者に限って,前記(2)ア(キ)のような考慮に加えて,親による扶養も考慮して設けられたものであるから,そのような制度は,合理的なものであって,憲法25条はすべての障害者に障害に関する年金を支給することまでも求めるものではないと解されることも考慮すると,初診時未加入障害者に対しては障害福祉年金が支給されることとの差があることも不合理ではないということができる。

そして,昭和60年改正においては,改正についての議論の際,学生無年金障害者の問題も取り上げられていること,初診時未成年障害者が障害福祉年金ではなく障害基礎年金の支給を受け得るようになった点を考慮しても,改正後についても,上記のことは同様である。

原告らは,若年において重度の障害を負えば,稼得能力を生涯にわたって奪われることになるという点で未成年者と20歳以上の学生とで変わりはないことを初診時未成年障害者と初診時未加入学生障害者は変わりがないということから,初診時未成年障害者に障害に関する年金を支給する一方,初診時未加入学生障害者にこれを支給しないことが不合理な差別である旨主張する。しかし,任意加入が可能であったのに加入していなかった者と,任意加入の余地すらなかった初診時未成年障害者との間には,明確な差異が存する。このような差異に基づいて,障害に関する年金の支給に関して異なる取扱いをすることには,それなりの合理性があるといわざるを得ない。

また,初診時未加入学生障害者に対して,国民年金法上の障害に関する年金が支給されず,経済的に生活が困難な者が生じたとしても,そのような者に対する救済としては種々の形態,方法が考えられるのであり,障害者に対するその他の社会保障制度や生活保護制度も存在することを考慮すると,無拠出制障害年金が支給されないことが,直ちに初診時未加入学生障害者の生存権を侵害するものともいえない。

よって,国民年金制度において,初診時未加入学生障害者に障害に関する年金を支給する旨の規定がなかったことが,憲法14条,25条に違反するとはいえない。

(5)  学生無年金障害者に対する救済措置等が講じられなかったことが憲法14条,25条に違反するとの主張について

ア 前記に判示したとおり,平成元年改正まで,初診時未加入学生障害者に対しては障害に関する年金が支給されないものとされたこと自体は,憲法に違反するとはいえないのである。そうすると,平成元年改正の結果,不合理とはいえない制度の下で,既に保険事故の生じていた初診時未加入学生障害者に対しては障害基礎年金が支給されないのに対し,その施行後の20歳以上の学生は,国民年金に加入し,その結果,その後障害を負うに至った場合に障害基礎年金を受け得るという差が生じたが,その差は,いずれも合理的な制度下での国民年金加入の有無の違いによるものであり,不合理なものとはいえない。

そして,学生無年金障害者に対する何らかの救済措置が講じられることが望ましいとしても,平成元年以前に保険事故(障害)が生じていた者に対し,事後的に保険に加入させ保険給付である障害基礎年金を支給することが,保険という制度と整合するかどうか議論もあり得るところである。また,任意加入し得たにもかかわらず加入していなかった者に対し,保険料の支払なくして障害基礎年金を支給するような措置を講じるとすると,被保険者として保険料を拠出した者,とりわけ任意加入をしていた20歳以上の学生との関係で,整合性がとれないこととなる。これらを考慮すると,その救済方法は,一義的に,障害基礎年金を支給する方法となるともいえない。

そうすると,平成元年改正以降も,初診時未加入学生障害者に障害基礎年金を支給する措置が講じられなかったことが,憲法に違反するということはできない。

イ(ア) なお,原告らは,学生無年金障害者に対して,障害基礎年金を支給するという方法以外の福祉的な救済措置も講じられなかったことが憲法に違反するとも主張する。

学生無年金障害者に対して,平成元年改正以降も障害基礎年金の支給に代わる何らかの救済措置が講じられなかったことが憲法25条,14条に違反するとしても,そのことは,障害基礎年金を支給しない旨の本件各処分の効力に影響することはないから,上記の主張は,国家賠償請求に関してのみ主張されているものと解される。

(イ) 一般に,学生無年金障害者は,若年において稼得能力を奪われ,その回復は困難であり,収入を得る手段が極めて限定される一方で,介護や日常生活の援助,タクシーでの移動,補装具の使用等,様々な特別の支出を強いられるという実態があることが認められ,また,証拠(甲6,甲9,甲17,甲18,甲20の3,原告A,証人C)及び弁論の全趣旨によれば,原告Aは,昭和49年1月2日の交通事故により視覚障害を負い,その後鍼灸マッサージ師の資格を取得し治療院を開業するなどして生計を立てているが,収入は十分ではなく,生活費の大半を妻の収入に頼っていることが,また,原告Bは,後に認定判断するとおり,昭和59年1月ころ,統合失調症にり患し,病状が比較的安定して,就労している時期等もあったが,平成7年ころから症状が慢性化し,現在は,仕事をすることはおろか,家事労働も満足にはできず,家族による身の回りの世話を受けながら生活していること,原告Bに収入はなく,両親の年金収入により生活しているが,一方で,国民年金の保険料や介護保険料を支払わなければならず,また,父親は昭和3年生まれ,母親は昭和7年生まれと高齢で,持病もあり,今後の原告Bの生活に大きな不安を抱えていることが,それぞれ認められる。

(ウ) 学生時代の傷病により障害を負うに至った者のうち初診日において20歳以上であった者は,初診日において20歳未満であれば無拠出制障害年金を受給できるのに,国民年金に任意加入していなければ,障害に関する年金を一切受けられないのであり,初診日における年齢という偶然ともいうべき事情によりこのような差異が生じることに,不合理さを感じても無理はない。また,国民年金制度の充実に伴い,国民年金制度の枠内にあるとされた者については,徐々に支給の範囲や支給額等が拡充されることとなる一方で,国民年金制度の枠外にあるとされた学生無年金障害者については,これまで特段の救済措置が講じられることなく長年にわたり放置されてきたもので,両者の格差が広がる一方であったことに対して,強い不公平感を持つことも,もっともであり,学生無年金障害者となった者のほとんどは,任意加入していなかったという以外に特段の落ち度もないだけになおさらである。

そして,前記原告らの生活実態に表れているような学生無年金障害者の実態も考慮すると,学生無年金障害者に対して何らかの救済措置を講ずることが,憲法25条の理念にかなうということができる(なお,平成16年に「特定障害者に対する特別障害給付金の支給に関する法律」が制定されたことは,(2)カのとおりである。)。

(エ) 学生無年金障害者に対して救済措置を講じることが,憲法25条の理念にかなうとしても,同条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は,立法府の広い裁量にゆだねられており,それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱,濫用と見ざるを得ないような場合に初めて憲法違反の問題が生ずるものというべきである。

そして,憲法25条の理念に基づく生活困窮者や障害者に対する制度も存在すること,財源や他の無年金障害者との均衡等の問題を無視できないこと等を考慮すると,平成16年に「特定障害者に対する特別障害給付金の支給に関する法律」が制定されるまで,特別の救済措置が講じられなかったことが,それが著しく合理性を欠き,立法府の裁量の逸脱,濫用に当たるとはいえない。

また,国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらずあえて当該立法を行うというような例外的な場合でない限り国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁)ところ,国会が上記のような救済措置を立法しなかったことは,少なくとも,上記のような例外的場合でないことは明らかである。

(6)  以上のとおり,国民年金に関する制度上の問題を理由として,本件各処分を違法とする原告らの主張は,いずれも採用できない。

また,国民年金制度について,憲法違反があったとは認められない以上,国民年金法に関する立法行為等について,国会等の不法行為は認められず,被告国が原告らに対し国家賠償責任を負うことはない。

2  国民年金法30条の4の類推ないし拡張解釈の可否(争点1-2)について

前記のとおり,国民年金法が,平成元年改正まで学生除外規定を設けていたこと,初診時未加入学生障害者に障害基礎年金を支給する旨の規定を設けなかったことが憲法に違反するとはいえないのであるから,国民年金法30条の4(及び昭和34年法57条)の「初診日において20歳未満の者」を,その文言にもかかわらず「初診日において20歳未満の者又は学生」と解釈すべき根拠はなく,この点についての原告らの主張は理由がない。

3  任意加入制度に関する個別の告知等の要否(争点1-3)について

(1)  法律は,その公布,施行により,特段の周知手続を要することなく効力を生ずるのが原則である。もとより,法律の内容を広報等によって国民の周知を図ることは必要であり,国の責務ではあるが(なお,原告らが学生であった当時,京都市あるいは向日市においても,任意加入についての広報活動が行われていることは,下記認定のとおりである。),それを超えて,社会保険庁長官,京都府知事等が原告らに対して,個別的に任意加入制度について告知し,加入を促すべき法的義務があったとする根拠はない(国民年金制度は,老齢,障害等の事由が生じた場合に年金を支給する受益的制度であって,結果として年金を受けられないことになったとしても,それは,国民年金に加入しなかったことに対する制裁ではないから,年金を受給できない結果となったことから,原告らに対して個別的に告知等をすべき法的義務を導くことはできない。)。

のみならず,証拠(甲6,甲9,甲17,甲18,甲20の3,甲70,乙6の1ないし4,乙9の5,乙12の7,原告A,証人C)及び弁論の全趣旨によれば,原告Aは,佛教大学在学中,京都市内のアパートに居住していたところ,当時,京都市においては,市民に全戸配布する「市民しんぶん」において,1年に1回程度の割合で,国民年金制度に関する記事を掲載していた。また,原告Bは,立命館大学在学中,京都府向日市内の実家に居住していたところ,当時,向日市においては,市民に全戸配布する「広報向日市」において,1ないし2年に1回程度の割合で,国民年金制度に関する記事を掲載していたこと,これらの広報紙の記事では,20歳以上の者は原則として加入しなければならないこと,学生は強制加入の対象ではないが,希望すれば加入できること,国民年金に加入していれば,将来老齢,障害等の事態が生じた場合に年金が支給され,生活の安定が図られることなどを説明して,国民年金への加入を呼びかけていたこと,京都府下の各社会保険事務所は,京都府下の各市町村に対し,窓口配布用の機関誌「年金きょうと」やチラシを配布していたこと,以上の事実が認められ,一般人が通常の注意力をもってすれば認知,理解し得る程度に任意加入制度を含む国民年金についての広報が行われていたというべきである。

(2)  よって,任意加入制度等に関する個別の告知等がなかったことを理由として本件各処分の取消し及び国家賠償を求める原告らの主張は理由はない。

4  原告Bの初診日(争点1-4)について

(1)  統合失調症について

証拠(甲5,甲10ないし甲15,乙18,乙19ないし乙23(いずれも枝番のあるものは枝番を含む。),証人D)及び弁論の全趣旨によれば,統合失調症について,以下のとおり認めることができる。

ア 統合失調症(旧名称・精神分裂病)は,遺伝的な素因の上に外因的な要素が加わって発病するとされる精神疾患であり,連合弛緩,感情鈍麻,意欲減退,言語性幻覚(幻声),被害妄想,自我障害,緊張病性興奮,昏迷等を主要な症状とする。上記症状のうち,感情鈍麻,意欲減退等は「慢性期症状」,「陰性症状」と,幻覚などの知覚障害,妄想などの思考障害,緊張病性興奮,昏迷等は「急性期症状」,「陽性症状」などといわれる。患者は,幻聴妄想状態等において,自殺行為や自傷行為に及ぶこともある。

その症状は,一般的には,思考と知覚の根本的で独特な歪曲,及び不適切あるいは鈍麻した感情によって特徴づけられ,ある程度の認知障害が進行することはあるが,意識の清明さと知的能力は通常保たれるとされ,痴呆とは異なる。

イ 統合失調症は,ある段階で静穏化あるいは病勢の制止,一時的な回復状態に至ることがある。統合失調症は,その原因がなお不明なことや再発の可能性が高いことなどから,治癒があり得ないともいわれ,この病勢の制止,一時的な回復状態を指して,治癒とは異なる「寛解」との概念が用いられている。

現在では,主に薬物療法の発達により,外来で抗精神病薬等の少量維持療法を行うことにより,社会生活を普通に送ることができる程度に症状を制御できるようになった。このような薬物療法等により病勢が静止した状態も「寛解」といわれる。

ウ 統合失調症の発生過程の説明としては,特有の症状群を起こしやすい脳の脆弱性と心理社会的なストレスの相互作用によって発病するとする「ストレス脆弱性モデル」が広く普及している。すなわち,統合失調症は,もともと脆弱性を有している人に一定量のストレスがかかった場合に発症し,一度発症すると,その後寛解しても,以前に比べて少量のストレスでも再発しやすい状態となる,というものである。

エ 統合失調症に対する今日における治療手段は,心理社会的手段(精神療法及び生活療法)と物理化学的手段(薬物療法,まれにショック療法)とに大別され,これらが併用されているが,薬物療法については,急性期症状に対する効果や再発予防効果があることはもとより,慢性期症状に対しても安定状態を維持するなどの効果があるとの実証的研究がある。

統合失調症に対しては,寛解期にあって通常の業務に復帰したりすることが可能な状態であっても,一般的には薬物療法の継続が必要であるとされ,あるいは,過剰投薬とならないよう注意する必要はあるものの,患者の安定状態を維持させるために薬物療法は必要とされている。

現在の治療は,発症脆弱性の表出症状を改善する対症療法にとどまっており,統合失調症の根本原因である発症脆弱性そのものに対する治療法については,研究途上にある。

オ 統合失調症は,その根本原因に対する治療法が未確立であり,再発もしやすいことから,従前,精神医学界において,「統合失調症は治らない」との悲観的な見方が存在した。これに伴い,社会においても統合失調症に対する誤解,偏見等が見られ,このことが,患者の治療やリハビリに悪影響を及ぼすこともあり,また,精神科医も,統合失調症の診断を患者本人や家族に伝えることを遠慮するなどして,このような社会通念を助長する傾向があった。

しかし,統合失調症を発症して再発しやすい状態にあったとしても,一定量以上のストレスを回避できれば,再発を防ぐことができるとされており,近年では,患者や家族の利益を重視する立場から,従前の悲観的治癒観を克服し,統合失調症は再発しやすいが治る疾病であることを前提に,症状が消退し一定期間安定的な社会生活を送ることができていれば,統合失調症から回復したものと見るべきであるとの見解が有力に主張されるようになっている。

(2)  原告Bの精神疾患等の経過

証拠(甲3,甲6,甲18ないし甲20,乙5,乙9,乙24,乙26(枝番のあるものは枝番を含む。),証人C,証人D)及び弁論の全趣旨によれば,以下のとおり認められる。

ア 原告Bは,昭和57年4月,立命館大学文学部に入学し,西洋史を専攻するとともに,演劇サークルに所属して,熱心に活動していた。原告Bは,昭和59年1月,レポートの提出期限が迫り,定期試験も控えて,1週間ほど睡眠不足のまま勉強を続けていたが,そのような状況で,原告Bには,同月15日ころから,両親に暴力を振るったり,パジャマのまま外に飛び出そうとするなどの異常行動が見られたので,同月17日,西山病院を受診し,「心因反応」の診断名で,同日から同年3月14日まで入院した。

原告Bは,退院後,昭和59年4月からの新学期には大学に通い,長期休暇中に学童保育やウエイトレスなどのアルバイトもしていたが,医師の指示で,月1ないし3回の割合で定期的に西山病院を受診し,カウンセリングを受けたり,抗精神病薬等の投与を受けるなどしていた。抗精神病薬の投与は,同年7月20日に7日分が投与されてから,同年12月21日に7日分の投与がされるまでは,投与されていなかったが,その後は,継続的に投与が続けられた。原告Bは,昭和60年1月10日には,はさみを持ちだして,自分ののどや胸を突こうとするなどし,翌11日の受診の際には,「昨日はおかしかった。音がしたら気になって死にたい気分になった」などと訴えた。同年2月ころからは,Cから「4,5日前からおかしかった」(同年3月5日),「元気がない」(同年3月29日)といった不安の訴えがあったり,原告Bも「(大学を)時々辞めたいと考える」などの訴えがあったりしたが,アルバイトや同人誌の会報作りをしたり,ゼミの合宿に行くなど,症状はおおむね安定していた。しかし,昭和61年1月には,医師に電話で「いらいら」する旨訴えて,医師の指示で病院を受診したことがあり,同年3月1日には,医師に対し,「物忘れが激しい。やったと思っていても忘れている。やり放しにしてる。不安に感じなくて後で不安になる。死にたいと思うこともあるが死ねない」などと訴え,医師から,薬を飲んでよく寝ること,翌日から予定していると話したスキー旅行はやめること,アルバイトについては母親と相談することなどの指示を受けた。

原告Bは,昭和61年4月から,4回生になったが,医師の助言を受けて,予定していた教職コースの履修をやめ,卒業できる最低限の単位を履修するにとどめることにし,また,演劇サークルも辞めた。原告Bは,卒業に必要な単位を取得し,卒業論文をまとめて,昭和62年3月,大学を卒業した。

イ 原告Bは,大学卒業後,就職し,月に1回程度の割合で定期的に西山病院を受診し,カウンセリング,薬物治療等を継続的に受けながら会社勤めを続けた。

原告Bは,そのころ,医師に対し,「土日曜,帰り道に死にたい感じがした」(昭和62年4月14日),「人の声が聞こえるので集中出来ない。ミスが多い」(同年5月9日),「不安になるとすぐ結びつける。上司の命令に従わなかった夜,父が酔って帰ってきたら,父は上司と飲んできて,病気を隠していたことでゆすられていると思った」(同年7月11日)などと訴えることがあり,仕事でミスをしたり,朝なかなか起きられないことなどもあったものの,仕事に大きな支障を来すことはなく,おおむね良好な社会生活を営んでおり,抗精神病薬等も同年12月12日に7日分が処方されてから投与されず(その間もカウンセリングは続いていた。),昭和63年3月12日には,医師から「これで治療終了。具合が悪いときは早めに来ること」と告げられるに至った。

しかし,原告Bは,同年4月1日,「自分の指がなくなるような気がする」などと訴えて再び西山病院を受診し,カウンセリング,薬物治療等が再開されたものの,関係妄想が出るなどし,同年10月7日には包丁で腹部を突いて負傷し,救急車で病院に搬送され,約1週間入院した。医師は,Cに対し,自殺の危険があるとして注意を促し,原告Bは,同年10月31日,大学卒業後勤務してきた会社を退職した。

なお,西山病院の医師は,昭和63年10月19日,ロールシャッハテストを実施し,これまでのバウムテストやロールシャッハテストの結果も考え合わせて,原告Bは統合失調症であり,自殺企図の可能性も十分考えられるので,母子関係(家族関係の改善)と保護的な環境下(驚異,ストレスの少ない職場等)におくことが必要と診断した(ただし,平成10年5月18日作成の受診状況等証明書には,「非定型精神病」と記載されている。)。

ウ 原告Bは,昭和63年12月,別の会社に就職し,月に2回程度の割合で定期的に西山病院を受診し,カウンセリング,薬物治療等を継続的に受けながら,勤務するようになった。

平成元年3月ころまでは,仕事の内容や職場環境等に順応して,良好な社会生活を営んでいたが,徐々に不安定になり,医師に対し「ゼミに行って不安定になった。ビールを飲みかけたところを写真に撮られて妄想が出た」(同年8月12日)などと訴え,また,会社でのミスに悩み,出勤に消極的になることが多く,1,2週間に1回休むようになっていた。医師は,同年10月ころから,Cに対し,仕事が難しければ辞めさせ,自殺に注意するよう指示し,原告Bは,同年11月22日,前記会社を退職した。

その後,原告Bは,同年11月末ころから,月に1,2回程度の割合で定期的に西山病院を受診し,カウンセリング,薬物治療等を継続的に受けながら,別の勤務先でアルバイトとして勤務することとなったが,出勤に消極的になることが多く,平成2年7月20日,退職した。

エ 原告Bは,平成2年7月下旬ころ,実家が兵庫県城崎町の神社である高校教員の男性と見合いをし,その後間もなく,平成3年3月25日に結婚することが決まった。原告Bは,結婚するまでの間,月に1回程度の割合で定期的に西山病院を受診し,カウンセリング,薬物治療等を継続的に受けたが,医師は,Cに対し,原告Bにはなお自殺の危険があると述べ,結婚や薬に関する一般的な注意をしたほか,救急の場合で西山病院で対応できないときには京都府立医大病院に頼むよう指示する(平成3年1月12日)などした。

原告Bは,結婚後,城崎町の夫の実家で生活するようになり,西山病院を受診することはなく,薬の服用も中断して,家事のほか,神社主催の行事の手伝いをするなど,おおむね良好な社会生活を営んでいた。しかし,同年9月ころ,神社主催の祭りの世話に関して心労が重なったこともあって,精神的に不安定になり,義母を払いのけて便所に走って転倒し,壁に頭をぶつける,電話のコードで首をしめる,薬を大量に飲むなどの異常行動が見られるようになった。原告Bは,同月25日,連絡を受けたCに京都府向日市の実家に連れ帰えられ,同月27日,西山病院を受診して,再びカウンセリング,薬物治療等を受けることとなった。

原告Bは,同年11月,城崎町に戻り,同町で生活をすることとしたが,その後も月に1ないし3回程度の割合で西山病院を受診し,カウンセリング,薬物治療等を継続的に受けたものの,病状は安定せず,医師に対して「城崎から京都に来る途中に行動がおかしくなった。しようと思うことができなかった」(平成4年4月3日),「親しい友人の声が聞こえる。名前を呼ばれたりする。不安で仕方ない。死んでも仕方ないと思う」(同年6月30日)などと訴えた。医師も,同年5月26日,Cに対し,原告Bの攻撃性が高まっており,姉の子供や自分自身に対する攻撃に注意するよう指示していたところ,原告Bは,同年8月31日,昼食中に突然包丁を持ち出し,制止されると物を投げたり,かばんを引き裂いたりしたため,翌9月1日,西山病院に再度入院することになった。

原告Bは,同月11日,西山病院を退院したが,その後も病状は安定せず,平成5年4月17日,協議離婚した。原告Bは,実家で両親と同居して,アルバイトなどを始めたものの,幻聴や特に食物についての関係妄想等が見られ,平成7年3月28日から同年4月11日まで,及び同年7月3日から同年9月5日まで,西山病院に入院した。医師は,Cに対し,原告Bに仕事を辞めさせるよう指示し,以後,原告Bは,仕事をせず,自宅に引きこもりがちになった。原告Bは,平成7年,2級精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた。

オ 原告Bは,平成8年2月,両親とともに京都府精華町に転居し,通院の便宜のため,西山病院から京都府立洛南病院に転院し,さらに,平成9年1月14日,吉田病院に転院して,同病院の医師であったDの診察を受け,Dから,統合失調症との診断を受けた。

原告Bは,平成9年11月28日,1級精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた。

(3)  原告Bの社会的治癒の有無について

ア 国民年金法において,障害に関する年金は,その障害の原因となった傷病の初診日を基準に受給資格の有無が判断されることとなっているところ,ある傷病が発症した後にこれが治癒して,その後再び又は新たに傷病を発症して障害を生じた場合には,別傷病である後の傷病の初診日が基準となるものと解される。

この場合の「治癒」とは,国民年金という社会保障制度の運用の観点からは,医学的に治癒したとまではいえない場合であっても,社会通念上治癒したものと同視できる程度に達していれば足りるというべきであり,実際の運用においても,このような「社会的治癒」をもって治癒があったものとみなされている。

イ そして,統合失調症に関する社会的治癒について,原告Bは,薬物治療等の有無を問わず,①完全寛解していること,すなわち,ICD-10の基準に挙げられている症状がないか,残遺症状のみ見られること,②仕事(学業),対人関係,自己管理等の面で,病前に獲得していた水準より著しい機能の低下を示していないこと,及び③上記の各要件を満たす状態が2年以上続いていること,の3要件によって判断すべきであると主張し,これに対し,被告社会保険庁長官は,社会的治癒を判断する際に,寛解状態にあることも考慮するものの,少なくとも,医師の管理下での薬物療法等が行われている場合には,一般社会において労働に従事していたとしても,社会的治癒と認めることはできないと主張する。

前記(1)のとおり,近年,精神医学界においては,症状が消退し一定期間安定的な社会生活を送ることができていれば,統合失調症から回復したものと見るべきであるとの見解が有力に主張されているところ,ここにいう症状の消退については,必ずしも薬物治療等の有無にかかわらないものと解される。このことは,統合失調症の治療において,症状の再発を予防するとの観点から,医師が薬物治療の中断に消極的になり,念のため投薬を継続することが少なくないことに基づくものと考えられ,その背景には,統合失調症に関するこれまでの悲観的な治癒観を克服し,患者等の利益を重視すべきであるとの政策的見地が含まれているものと考えられるのであるが,国民年金制度における社会的治癒の判断においては,このような見解を考慮する必要がある。

そして,統合失調症にり患した者について,症状が消退し,一般社会において労働に従事するなどの安定的な社会生活を営むことができ,そのような状態が一定期間継続している場合,仮に再発予防のための薬物治療等が継続していたとしても,社会通念上,これをもって治癒したものとみなし得る場合もあるというべきである。

もっとも,薬物治療等によってようやく症状が抑えられているにすぎず,仮に薬物治療等を中断すれば間もなく症状が現れるような状態にある場合には,ある程度の期間,安定的な社会生活を営むことができていたとしても,社会通念上,これをもって治癒があったものと見るのは困難であるといわざるを得ず,社会的治癒の判断に当たって,薬物治療等を受けていることを全く度外視することも相当ではない。

ウ 以上の観点から,原告Bについて社会的治癒があったか否か,以下検討する。

(ア) 昭和60年1月11日(又は昭和61年3月1日)から昭和63年3月31日までの期間について

前記認定のとおり,原告Bは,昭和59年3月14日に西山病院を退院した後,学童保育やウエイトレスなどのアルバイトや同人誌の会報作りをしたり,ゼミの合宿に行くなどし,大学の卒業に必要な単位を取得して,卒業論文もまとめ,大学を卒業して,就職したものであり,上記の期間は,一応の社会生活を営むことはできていたといえる。

しかし,原告Bは,この間,症状がおおむね安定している時期はあったものの,定期的に西山病院を受診してカウンセリングを受け,薬物治療も継続されていたにもかかわらず,関係妄想や意欲減退,自傷行為を企図するなどの症状が時折現れており,医師も,教職コースの履修等をやめるよう指示していたのであり,不安定な要素が少なからず見られた。そして,原告Bは,昭和63年1月以降は,抗精神病薬を投与されず,同年3月12日には,医師から「これで治療終了」と告げられるに至ったものの,そのわずか約3週間後には「自分の指がなくなるような気がする」などと訴えて再び受診し,薬物治療等が再開され,その後も,関係妄想が出るなどし,同年10月7日には包丁で腹部を突くという自傷行為を行い,会社を辞めるに至っている。

このような,薬物治療等を受けていても症状が出現し,治療をやめると間もなく症状が出現しているなどの経過に照らすと,原告Bは,症状が比較的安定していたと見られる昭和60年1月11日から昭和63年3月31日までの期間においても,カウンセリング,薬物治療等によってようやく症状を抑えていたにすぎなかったものと認められ,大学の卒業や就職等,一定程度の社会生活を営むことができていたとはいえ,社会通念上,これをもって治癒したものとみなし得る状態にあったとは言い難い(西山病院の医師が,昭和63年3月12日,「治療終了」と告げたのも,それに引き続き,具合が悪いときには早めに受診するよう指示していることからすると,「治癒」という判断ではなく,原告Bを医師の保護下にない状態に置いて,様子を観察しようとしたものと見ることもできる。)。

(イ) 平成元年8月13日から平成3年9月26日までの期間について

前記認定のとおり,原告Bは,平成2年7月下旬ころに見合いをし,平成3年3月25日に結婚して,城崎町にある夫の実家で生活するようになり,結婚後は,西山病院を受診することはなく,薬の服用も中断して,家事のほか,神社主催の行事の手伝いをするなど,おおむね良好な社会生活を営んでいたといえる。

しかし,医師は,平成元年10月ころ,Cに対し,仕事が難しければ辞めさせ,自殺に注意するよう指示し,原告Bは,同年11月22日,会社を辞めたのであり,また,医師は,原告Bが結婚するに際しても,Cに対し,なお自殺の危険があることや,緊急時の対応などの助言をしていたもので,原告Bには,不安定な要素が少なからず見られたものと認められる。そして,薬物治療等を中断してから約半年後の平成3年9月には,義母を払いのけて便所に走って転倒し,壁に頭をぶつける,電話のコードで首をしめる,薬を大量に飲むなどの異常行動が見られ,再び西山病院を受診して,カウンセリングや薬物治療等が再開されたのであり,その後も妄想や意欲減退,自傷行為の未遂等が見られて入院するに至ったものである。このように,薬物治療等を中断する前にも不安定な要素が少なからず見られ,薬物治療等を中断したものの,約半年で症状が出現して,薬物治療等を再開し,その後,継続的な症状が出現しているという経過に照らすと,原告Bは,平成元年8月13日から平成3年9月26日までの期間においても,薬物治療等によってようやく症状を抑えていたにすぎなかったものと認められ,会社勤務,結婚等,一定程度の社会生活を営むことができていたものの,社会通念上,これをもって治癒したものとみなし得る状態にあったとは言い難い。

(ウ) その他,原告Bが社会的治癒の状態にあったというべき時期があったことは,証拠上認められず,原告Bは,昭和59年1月の発症以来,現在に至るまで,社会的治癒の状態にあったことはないというべきである。

エ また,前記認定のとおり,西山病院の医師は,遅くとも昭和63年10月19日には,原告Bの病名を統合失調症と診断しており(西山病院の診療録等には,「心因反応」や「非定型精神病」といった記載もあるものの,これは,統合失調症の確定診断に至るまでの暫定的な診断であるか,あるいは,当時の病名である「精神分裂病」という診断名を避けるためにされた記載であると考えられる。),前記認定の経過にも照らすと,原告Bは,昭和59年初診の際から統合失調症にり患しており,この疾病は,現在に至るまで継続していると認めることができ,吉田病院において診断された統合失調症が,昭和59年初診の疾病とは別の疾病であると認めるに足りる証拠はなく,原告Bの初診日が,吉田病院において統合失調症と診断された平成9年1月14日であるということもできない。

(4)  そうすると,原告Bの初診日は,昭和59年1月17日であると認められ,原告Bの初診日は国民年金の被保険者となった後であるから原告Bに対する障害基礎年金を支給しない旨の処分を取り消すべきとする原告Bの主張は理由がない。

5  以上の次第で,本件各処分は,いずれも適法なものであるから,本件各処分の取消請求はいずれも理由がなく,原告らの国家賠償請求も,その余の争点について判断するまでもなく理由がない。

よって,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,65条に従い,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水上敏 裁判官 下馬場直志)

裁判官財賀理行は,転補につき,署名押印することができない。裁判長裁判官 水上敏

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