京都地方裁判所 平成14年(ワ)1814号 判決 2003年12月24日
主文
1 被告は,原告に対し,60万円及びこれに対する平成14年7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,これを10分し,その3を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。
4 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,85万4000円及びこれに対する平成14年7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 本件は,被告の設置する大学の平成14年度入学試験を受験して合格し,被告に対して入学金,授業料,施設設備費,同窓会費及び後援会費(以下「学納金」という。)を支払ったものの入学を辞退した原告が,学納金を返還しない旨の条項が消費者契約法(以下「法」ともいう。)9条若しくは10条又は民法90条により無効であるとして,被告に対し,不当利得返還請求権に基づき,支払った学納金の合計85万4000円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成14年(以下,年の記載のないものは,すべて平成14年である。)7月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。
2 基礎となる事実(証拠を付さない事実は,当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 被告は,教育基本法及び学校教育法に従い,学校教育を行うことを目的として設立された学校法人であり,花園大学(以下「被告大学」という。)を設置している。
イ 原告は,被告大学の平成14年度入学試験を受験して合格し,後記のとおり,被告に対し,2月から3月にかけて学納金を支払ったものの,3月末ころ,被告大学への入学を辞退した者である。
(2) 被告大学の学則の定め及び各種書面の記載について
被告大学の学則(乙1,以下「学則」という。)及び被告大学が原告に対して交付した各種書面には,以下の内容の記載がある。
ア 学納金の不返還に関する規程(以下「本件不返還条項」という。)
(ア) 「一旦納めた入学金及び学費はこれを返還しない。」(学則47条1項)
(イ) 「一旦納付された納付金(具体的には,学費《入学金,授業料,施設設備資金》,諸費《同窓会費,後援会費》を指す。)はいかなる理由があっても返還致しませんのでご了承ください。」(「2002入試ガイド(最新版)」《乙4,以下「『ガイド』」という。》17頁)。
(ウ) 「一旦納入した納付金は理由のいかんにかかわらず返還しない。」(「2002出願手続きハンドブック」《乙3,以下「『ハンドブック』」という。》7頁)
イ 入学,退学等に関する規程
(ア) 「学生の入学,卒業,休学及び退学等,学生の身分に関する基本的事項ならびに調整事項」は,学長を議長とし,教授等をもって組織される連合教授会が審議する(学則52条)。
(イ) 「入学許可者は,…所定の期日までに(入学)手続を完了しない場合は,入学を取り消すことがあります。」(「2002 HANAZONO Univ.入学手続きについて」《乙7,以下「『入学手続について』」という。》2頁)。
ウ 学納金の支払に関する規程
(ア) 「入学を許可された者は,入学金20万円を納めなければならない。」(学則43条2項)
(イ) 入学金(20万円)及び手続金(授業料40万円,施設設備費20万円,同窓会費3万円,後援会入会金4000円及び後援会費2万円)の納付期限は,入学金については2月25日,手続金については3月18日である(「入学金及び手続金の振込依頼書」《乙9,以下「振込依頼書」という。》)。
(3) 事実経過
ア 被告大学は,平成14年度の入学試験の実施に際し,入学願書提出のための案内又は説明として,「ガイド」及び「ハンドブック」を発行し,入学志願者に交付していた。
イ 原告は,被告大学に対し,1月10日から同月24日までの間の入学願書提出期間に入学願書を提出した上,2月6日,平成14年度被告大学社会福祉学部福祉心理学科一般前期入学試験(以下「本件入学試験」という。)を受け,これに合格した(弁論の全趣旨)。
ウ 被告大学は,2月16日,上記イの入学試験の合格発表を行い,同日付けで,原告に対し,合格通知書(乙6),「入学手続について」,「2002年度花園大学入学手続き書類」と題する書面(乙8),「2002(平成14)年度花園大学新入学生納付金表」と題する書面(乙10)及び振込依頼書を送付した。
エ 原告は,被告大学に対し,2月25日までに,入学金20万円を,3月18日までに授業料40万円,施設設備費20万円,同窓会費3万円及び後援会費2万4000円の合計85万4000円を納付した(弁論の全趣旨)。
これを受け,被告大学は,3月18日付けで,原告に対し,入学許可書(乙13)を交付した。
オ その後,原告は,被告大学に対し,3月下旬に電話で入学を辞退する旨通知し,同月28日付けで入学辞退届を送付した。
カ 被告は,原告に対し,7月17日に,上記エの原告が支払った同窓会費及び後援会費のうち合計5万3400円を,平成15年5月26日に,その残額600円(乙17)をそれぞれ返還した。
キ なお,平成14年度の被告大学の入学定員は575名,総合格者数は1195名,学納金を納付した学生数は775名,在籍学生数は764名(5月1日現在)であった。
第3争点
1 本件不返還条項は法9条によって無効となるか。
2 本件不返還条項は法10条によって無効となるか。
3 本件不返還条項は民法90条によって無効となるか。
第4争点に対する当事者の主張
1 争点1(本件不返還条項は法9条によって無効となるか。)について
(原告の主張)
(1) 前提となる法律関係
ア 在学契約の法的性質
在学契約は,大学を設置する学校法人が,大学に入学した学生に対し,広く知識を授けるとともに,知的,道徳的及び応用的能力を展開させるための教育を提供するべき義務(以下「教育役務提供義務」という。)を負担し,学生が,学校法人に対し,上記教育役務の提供に対する対価を支払う債務を負う継続的双務契約であり,大学と学生との間での高度の信頼関係を前提とするものであるから,その法的性質は,教育という事実行為を大学に委託する準委任契約である。
イ 在学契約の成立時期
当事者の合理的意思解釈として,入学案内等の交付が在学契約の申込の誘因,受験生が大学に対して入学願書を提出することが申込,大学が入学試験の合格発表をすることが承諾に当たると解すべきである。
したがって,被告大学の合格発表があった2月16日に原告と被告との間に在学契約が成立したというべきである。
ウ 学納金の法的性質
原告が被告に対して在学契約に基いて支払った学納金は,その名称如何にかかわらず,準委任契約上の前払費用又は前払報酬であり,その支払義務と被告の教育役務提供義務とは対価関係に立つから,原告が被告に支払った学納金は,すべて教育提供役務の対価の内金と理解すべきである。
エ 在学契約の解約
在学契約は,準委任契約であるから,各当事者において,いつでも解約できる(民法651条)。
原告は,3月28日に被告に対して入学辞退届を送付することによって,在学契約を解約した。
オ 解約の効果
在学契約は,双務契約であり,その解除により教育役務提供義務が消滅した以上,その対価である学納金支払義務も消滅しており,被告は,原告に対し,支払済みの学納金を不当利得として返還すべきである。
また,受任者は,委任者に対し,委任事務処理に当たって受け取った金銭その他の物を委任者に引き渡さなければならず(民法646条),委任事務処理に必要でなくなったときは,受領物を受任者が委任者に引き渡さなければならないのであるから(大判大正7年2月13日・民録24巻254頁),被告は,原告に対し,委任契約終了に伴う受取物引渡し義務に基づき,支払済みの学納金を返還すべきである。
(2) 法9条の適用の有無
本件不返還条項は,在学契約を解除した際に消費者が前納した学納金を違約金又は解約料として没収する内容の契約条項であり,かかる契約条項は,法9条1号によって無効である。
ア 法2条の要件該当性
原告は,個人であるから,法2条1項の「消費者」に,被告は,法人であるから,同条2項の「事業者」にそれぞれ該当するので,在学契約は,同条3項の「消費者契約」に該当し,法の適用対象となる。
イ 法9条1号の要件該当性
本件不返還条項は,以下のとおり,法9条1号の要件に該当し,学納金全額について無効である。
(ア) 損害賠償額の予定等
法9条1号の「損害賠償の額を予定し,又は違約金を定める条項」の該当性は,その条項の意図する実質から判断すべきであり,学納金を違約金又は解約料として没収する本件不返還条項は,準委任契約である在学契約の解約によって本来返還されるべき役務未提供分に相当する前払費用又は報酬を返還しないこととするものであるから,「契約の解除に伴う損害賠償の額を予定し,又は違約金を定める条項」に該当する。
(イ) 平均的損害
まず,平均的損害については,返還を拒絶する事業者の側で主張立証することが原則である。
そして,教育役務提供開始前に在学契約を解消した段階において,教育機関に生じる経済的損害(「平均的損害」)等は一般的に考え難い。
平均的損害を原告と被告の1対1の関係でみた場合,被告は,原告が在学契約を解除することによって教育役務提供義務を免れているのであり,原理的に被告に損害は生じない。
また,集団的にみた場合も,原告が在学契約を解除することによって入学者から得られる学納金が減少したとしても,被告は補欠合格等の名目でこれを補充でき,仮に被告が補欠合格制度を採用していないとしても,平成14年度入学試験において575名の定員を上回る1195名の合格者を出し,うち775名の合格者に学納金を納付させているのであって,原告が在学契約を解除しなかった場合に支払うべき学納金の確保はされている。かえって,被告が入学定員の1.47倍を超える学生を入学させた場合は,補助金が削減されるおそれがある以上,被告としては,当初から一定の入学辞退者を予定していたものといえ,この点からも,入学辞退による経済的損害は,入学辞退の時期如何にかかわらず,存しないものといえる。
以上によれば,本件不返還条項は,「当該条項において設定された解除の事由,時期等の区分に応じ,当該消費者契約と同種の消費者契約の解除に伴い当該事業者に生ずべき平均的な損害の額を超える」契約条項に該当する。
(被告の主張)
(1) 前提となる法律関係
ア 在学契約の法的性質
在学契約が準委任契約であるとの主張は否認する。
在学契約は,当事者の合意によって成立する契約であるが,大学の意思表示は,教育関連法令に準拠したものであり,そのような意思表示に合意した学生は,その限りにおいて,大学に包括的権能が生ずることを認める教育法上の合意をしたことになる。また,学生の入学,退学等は,学校教育法施行規則及び学則により,教授会の議を経て学長がこれを定める旨規定されている。さらに,大学は,その財政基盤の強化を図り,在学生にかかる修学上の経済的負担を適正化し,大学の教育水準の向上に努めなければならないが,学生数が定員を下回ると補助金が減額される可能性があり,他方,定員を大きく超えて学生を入学させると文部科学省から是正を命ぜられることから,大学には定員どおりの学生の確保が必要となるという事情もある。
これらの諸点に照らすと,在学契約は,自由に解約できる準委任契約ではなく,特別の混合契約というべきである。
イ 在学契約の成立時期
原告が被告大学に入学願書を提出したことが在学契約の申込の意思表示である。
被告大学から原告に対する合格の通知は,原告を被告大学の入学候補者として選考したことの通知であるとともに,原告の入学の申込に対し,入学手続金を期限までに納付することを条件とする承諾の意思表示であり,これは,原告の入学の申込を拒絶すると共に新たな申込をしたもの(民法528条)である。
原告が被告大学に対し,学納金を納付したことによって,上記新たな申込の意思表示に対する承諾の意思表示が完了し,原告と被告大学の間の在学契約が成立した。
ウ 学納金の法的性質
(ア) 「入学手続について」には,入学許可者は所定の期日までに入学手続を完了しなければ入学を取り消すことがある旨の記載がある。また,振込依頼書の記載によれば,入学手続金とは,入学金及び手続金の両者を合わせたものをいうと解され,入学が成立するためには,入学手続金を入学成立前に納付することが求められており,入学手続についての入学辞退に関する注意事項を併せ考えると,入学を許可された者は,入学手続金を納入して初めて入学できることとされている。
したがって,学納金の納入は,在学契約の成立要件である。
(イ) また,学則が定める入学金,授業料及び施設設備費(以下「授業料等」という。)は,私立学校法その他関連法令に基づいて大学運営を行う上で必要な費用の一部を徴収するもので,教育役務と対価関係にあるとはいえない。また,授業料や施設設備費について,一定の期間に提供された教育役務とその授業料,施設設備費との対価関係が算定されて費用としての過不足について精算がなされなければならないことの定めはなく,そもそもその精算は不可能である。さらに,学納金には,大学という特殊部分社会への勧誘と身分地位取得の対価という要素もあるのであって,原告が被告に対して支払った学納金が準委任契約における前払報酬又は前払費用であるとはいえない。
エ 在学契約の解除
在学契約は,準委任契約ではないから,一方的な解除は認められない。
原告が被告大学への入学を辞退したことは,原告が在学契約を破棄し,同契約に基づく権利(設備の使用と教育役務の提供を求める権利のみならず,学納金の返還請求権も含む。)を放棄したということである。これによって,原告は債務不履行状態に陥ることになるが,被告大学は,これに異議を言わず,入学許可取消手続という処置をとったものであって,原告において,契約解除に基づく原状回復請求権が発生することはない。
そもそも,在学契約に契約の解除を定めた条項は存しない。
(2) 法9条の適用の有無
ア 法2条の要件該当性
在学契約は,教育関連法令によって当事者の合意が補完される契約であるから,大学には,一方的に同契約の仕方を決する権能があり,また,原告は,被告との間で在学契約を締結するにあたり,被告大学への入学をいわゆる滑り止めとして選択したことにより利益を得ているのであって,そのような立場の原告が,契約締結の当事者の交渉力において原告と被告の優劣を論ずる余地はないのであって,在学契約は消費者契約法のみによって律せられるべきものではない。
イ 法9条1号の要件該当性
入学辞退は,原告の正当な解除権の行使による在学契約の解除ではなく,原告の責任においての解除権の行使によらない契約不履行である。被告は,原告の入学辞退により,原告が被告に対して4年間に支払うべき授業料等の額を受領できないことによる損害を被るが,原告が納入した学納金の額が少額であることからすると,学納金の納入契約が,上記損害についての損害賠償の額の予定又は違約金の定め(以下「損害賠償額の予定等」という。)とは認められない。なお,学則において,学生に対して損害賠償請求できる旨の規定はない。
2 争点2(本件不返還条項は法10条によって無効となるか。)について
(原告の主張)
本件不返還条項は,消費者の前払報酬及び前払費用の返還請求権を排除しており,法10条によって無効である。
(1) 法10条前段の要件該当性
本件不返還条項は,民法上準委任契約の解除時に認められる消費者の前払報酬及び前払費用の返還請求権を排除する内容であり,法10条前段の規定する「民法…の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し,消費者の権利を制限…する消費者契約の条項」に該当する。
(2) 法10条後段の要件該当性
本件不返還条項は,被告をして役務提供を前提としない報酬金の取得を可能ならしめ,民法651条2項の損害賠償請求権を超える損害賠償請求を認めることとなる上,浪人生活を避けたいという受験生心理につけ込んで,受験生やその親等から多額の金員を奪うものである上,受験生の大学選択の幅を狭め,受験生の自己決定権や大学選択の自由という憲法上の権利を制約するなど,受験生に多大な不利益をもたらすものである。他方,被告は入学辞退者を見越して定員を設定しており,入学辞退による不利益はないこと,私立大学が公益的性格を有する存在であること,不返還条項の適用が過度に広範なものであり,かつ,それが受験生心理につけ込んだものであること,特定商取引法の規定とのバランスを欠如していることなどに照らすと,本件不返還条項は利益確保の手段として相当性を欠くものというべきである。
これらの諸点に照らすと,本件不返還条項は,法10条後段の規定する「民法第1条第2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害する」契約条項に該当する。
(被告の主張)
原告の入学辞退は,在学契約に対する原告の債務不履行であり,学納金の納付は,契約成立の要件として早期にされた契約の一部履行である。原告は,一方的に在学契約を破棄して契約上の権利を放棄したものであるから,原告に学納金の返還請求権はなく,法10条の適用の余地はない。
3 争点3(本件不返還条項は民法90条によって無効となるか。)について
(原告の主張)
(1) 本件不返還条項は,暴利行為に該当し,公序良俗に違反する無効な特約である。
民法上,暴利行為として無効とされる要件は,①他人の無思慮,窮迫に乗じること,②甚だしく不相当な財産的給付を約させることである。
被告は,学納金の納入期限を他大学の合格発表前に設定し,原告は,入学を希望する他大学の合否が未定の段階で,被告大学に入学するか否かの決断をせざるを得ず,しかも,本件不返還条項について,原告から変更する余地はなかった。仮に,原告が被告に対し,学納金を納入せず,他大学にも不合格であるとすると,原告は,さらに1年間を大学入学の準備に費やすか,大学進学自体を断念しなければならず,その精神的,経済的負担は多大である。このように,本件不返還条項は,原告の窮迫に乗じたものであり,また,大学進学希望者の大学選択の自由を侵害し,憲法26条で保障された教育を受ける権利や教育の自由を不当に干渉するものである。
そして,原告が在学契約を解除した場合,既払の学納金について,対価としての教育役務の提供がされておらず,経済的対価性は全く認められないのであって,被告が学納金を返還しないのは,不当な方法で暴利を得るものである。
(2) また,私立大学は,教育を受ける権利(憲法26条),学問の自由(憲法23条)の保障を実効化するための公益的機関として存在しており,このような私立大学の存在価値に照らすと,私立大学は,受験生にできるだけ経済的負担を増大させないように配慮すべきである。ところが,私立大学は,当該大学に入学しなかった者からも学納金を取得しているのであって,学納金不返還の特約は,私立大学の存在価値に根本から背馳するものであって,それ自体,公序良俗違反を基礎付けるものというべきである。
(3) なお,定員割れによって生じる不利益である補助金の減額の可能性は,あくまで可能性にどとまり,定員が一応の目安として運用されている状況にかんがみると,相当割合かつ相当年数に亘って定員割れが恒常化していない限り,実際に減額される可能性は乏しい。実際,被告大学においては,110パーセントの定員充足率があり,学納金の不返還は,定員確保ではなく,収入の確保を最優先にしたものである。
また,入学辞退が入学資格とその資格を保持し得る権利の放棄であるという被告の主張は,継続的役務提供契約において中途解約を認めず,納入金を返還しないというものであり,特定商取引法において,英会話学校等の継続的な役務の提供を内容とする契約の中途解約の場合の役務未提供部分の対価の返還について厳格な定めがあることに照らすと,不当である。
さらに,被告は,学納金を受験生が複数の大学を受験する場合に,他校の合否結果が判明するまで当該地位を留保すること(いわゆる「滑り止め」)の対価であると主張するが,そのような機能は,当該大学が入学手続期日を意図的に他大学とずらして早期に設定するなどした結果,事実上生じたものにすぎない。入学することができるという地位を入学金という名目の下に先物的に売買することは,いわゆるオプション取引にほかならず,教育という公的役割を担う存在である私立大学がオプション取引をすること自体,理不尽である。被告は,教育役務の提供自体に対する対価以外の費用を徴収することは,その性質上,許されない。
(被告の主張)
本件不返還条項が公序良俗違反であるとはいえない。
被告は,原告が学納金を納入するまでに契約締結に必要な情報を十分提供しており,原告やその保護者の誤解を招くことはなかった。
原告及びその保護者は,原告が被告大学より優先的に志望していた大学の合否発表前に,被告大学の学納金納付期限が定められていたことを認識していわゆる滑り止め入学を行う決断をしているのであって,原告及びその保護者が無思慮であったとは到底認められないし,また,学納金納付期限の定めによって原告の保護者が窮迫状況に陥ったとも認められない。
原告が納付した学納金は,被告が4年間で得られる学納金の約1年分にすぎず,被告が定員を確保し予算上の財政の安定を期する目的を有していること,原告が被告大学を学納金を支払ってまでいわゆる滑り止めとして利用するに値する大学であると評価したことに照らすと,原告が被告大学に対して支払った学納金が高額すぎるものとはいえない。
第5当裁判所の判断
1 争点1(本件不返還条項は法9条によって無効となるか。)について
(1) 前提となる法律関係
最初に,争点に対する判断の前提となる法律関係について検討する。
ア 大学とその学生との間の法律関係について検討するに,大学は,学術の中心として,広く知識を授けるとともに,深く専門の学芸を教授研究し,知的,道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とするものである(学校教育法52条)。したがって,大学は,その学生に対し,通常4年間,上記目的にかなった教育の機会を提供し,これに必要な施設等を利用させることを,主たる内容とする義務を負い,他方で,学生は,大学に対し,大学から教育を受け,大学の施設を利用する費用及び報酬を支払う義務を負う(なお,大学は,学生に対して教育の機会を提供し,施設をその利用に供するのみならず,学生の健康管理,就職活動の支援等をも行っており《以下「付随的役務」という。》,学生が大学に対して支払う金員は,これらの事項についての費用又は報酬の側面も有する。)。
そうすると,大学と学生との法律関係は,それぞれが上記各義務を負担する関係にあるということになるが,大学の義務は,学生に対し,一定の事実行為たる役務を提供することを,学生の義務は,提供される役務に対して対価を支払うことをそれぞれ中核とするものであるから,上記の法律関係は,在学期間中の継続的な関係を前提とし,準委任契約に類似した性質を有する,有償双務の無名契約であると解するのが相当である。
これに対し,被告は,学則において,退学,休学等について教授会の審議等が要件となっており,自由に解約できるものではないことを指摘して,大学と学生との関係は準委任契約ではない旨主張するが,学生に自由に教育を受ける権利等があること等にかんがみると,学生の自由な意思に基づく退学等が教授会の審議等により阻止されると解することはできず,民法上の準委任契約と同様,契約の一方当事者である学生は,他方当事者である大学との契約関係を自由に解消できるものと解すべきであって,学則の当該規定の存在をもって,大学と学生との間の法律関係が準委任契約の性質を有しないとする被告の同主張は採用できない。また,上記に検討したところによれば,原告の主張するように,大学と学生との間の法律関係を準委任契約と言い切ることもできない。
イ 学生(又は受験生)が大学に入学して正式な学生の身分を取得するまでには,受験生による出願(更にいえば,それに先立つ大学による出願書類の配布)から,入学試験,合格発表,入学手続の完了という段階を経るものであるが,学生(又は受験生)と大学との間には,各段階においてその段階ごとの法律関係が存し,学生(又は受験生)と大学のそれぞれがその段階における権利を有し又は義務を負担するというのが契約当事者の合理的意思であると解される。したがって,学生と大学との間の法律関係は,受験生による出願(又は大学による出願書類の配布)から入学手続の完了に至るまでの間に徐々に変化し生成されていくものであると解した上で,各段階ごとの法律関係を具体的に検討するのが相当である。
ウ 学納金の法的性質
原告は,学納金の法的性質について,その費目如何を問わず,教育役務の提供に対する対価又は報酬の前払であると主張するが,学納金には,入学金,授業料等の名称が付されているのであるから,これを無視することは相当ではなく,各費目ごとにその法的性質を考察すべきである。以下,検討を加える。
(ア) 入学金
入学金は,大学の合格通知を受けた受験生が,当該大学に対し,それを期限までに納入することにより,その後の所定の手続が履践されることを条件として,当該大学が,当該受験生に対し,当該大学に入学することができる地位を確保させるとの性質を有するものと解される(被告大学においても,例年,募集定員を上回る合格者数を出しており,入学金納付者も募集定員を上回っているが,募集定員を超える人数について入学を許可しないことができる旨の規定は学則等に存在しない。)。
入学金が上記性質を有することから,複数の大学を受験する受験生の中には,志望順位の高い大学への合否が明らかでない時点において,既に合格通知を受けている志望順位の低い大学に対し,入学金を納付して,当該大学に入学できる地位を確保する者もいる。受験生は,そのような方策をとることによって,後に志望順位の高い大学に不合格になった場合には,入学金を納付した大学に入学して,大学受験浪人を回避することができるのであって,仮に,後に志望順位の高い大学から合格通知を受け,入学金を納付した大学に入学しなかったとしても,入学金を納付した大学に入学できる地位を確保しておくことで,大学受験浪人を回避できることによる精神的安定などの利益を得ているものといえる。
また,入学金は,その名称及び入学後には学生から徴収されることのない金員であることから,受験生の入学手続から入学に至るまでに要する費用等の対価として支払われるものとの側面がある(第2の2の事実,証拠《乙9ないし16》及び弁論の全趣旨によれば,現に,被告大学は,原告が行った入学手続及び入学辞退の手続に対応しており,これにより相当の費用を要していることが認められる。)。
更に,大学は,入学試験に合格した受験生の入学手続を受け付けた場合には,当該受験生が実際に入学するかどうかにかかわらず,入学後の教育役務や施設利用の提供のために一定の準備をすることになり,その費用も出捐することになる。
以上によれば,受験生が上記の利益を無償で得,また,大学が上記の出捐の対価を得られないとするのは,相当ではなく,入学金は,上記の利益及び出捐の対価たる要素を有するものと認めるのが相当である。
したがって,仮に入学金を納付した受験生がその後入学を辞退し,結果的に,当該大学から,同大学での教育機会や施設等の利用機会の提供を受けたりすることがなかったとしても,その返還を求めることはできないと解するのが相当である。
これに対し,原告は,入学金が有する上記の効果は,大学が早期に入学手続期限を定めたことによって事実上生じるものにすぎず,入学金にそのような意味を認めるのは不当である旨主張するが,入学手続期限をどの時点に定めるかについては,大学の運営上の都合等を尊重する必要から大学に裁量があり,かつ,受験生側もその定めを知った上で出願しているものと解されるのであって,原告の同主張は採用できない。
もっとも,入学金の有する上記の利益及び出捐に対する対価としての性質にかんがみ,その金額が社会通念上不相当に高額である場合には,入学金が上記対価とは認められないと解される。
(イ) 授業料等
授業料等については,通常,入学後にも同様の名称で学期毎に講義の受講,施設の利用等の対価として,学生から徴収される金員が存在すること,入学金とは名称も納付期限も別異に定められていることからすると,授業料等は,入学金を納付して被告大学に入学することができる地位を得た学生が,被告大学の1年次の前期における講義の受講,施設の利用等に対する対価及び付随的役務に対する対価として,その前払の約定に基づいて納入したものと解するのが相当である。
エ 大学とその学生との間の法律関係が上記アに説示した準委任契約類似の性質を有するものであり,また,憲法26条が教育を受ける権利を保障していることにかんがみると,受験生又は学生がどの大学で教育役務の提供を受けるか,更には,どの大学の教育役務の提供を受けないかについての意思は最大限尊重すべきである。したがって,大学は,受験生又は学生から,もはや当該大学の教育役務の提供を受けないとの申出を受けた場合には,これを拒否することができないというべきであり,受験生又は学生は,いかなる時点においても,当該大学の学生たる地位を得ることを辞退し,又は,その地位を放棄することができ,学生(又は受験生)のその旨の意思表示が当該大学に到達することによって,学生(又は受験生)と大学との契約関係は,将来に向かって効力を失うと解すべきである。これに反する被告の主張は採用することができない。
(2) 本件における原告と被告との間の法律関係
ア 以上の検討によれば,本件において,原告は,本件入学試験を受験してこれに合格し,被告大学から合格通知を受け取り,入学金を納付したことにより,その時点で,その後の入学手続を経ることを条件として,被告大学に入学することができる地位を確保したものと解される。したがって,原告と被告との間において,原告が被告に対して入学金を納付した時点で,原告においては,以降,所定の手続の履践及び金員の納付さえすれば,被告大学の正式な学生の身分を取得することができ,また,被告においては,上記の条件の下で,原告に対して上記の身分を付与しなければならないという内容の契約関係(以下「本件契約」という。)が成立したものと解するのが相当である(なお,原告は,入学金を納付した時点で,上記の法的地位を確保しているものの,その時点で,被告大学の正式の学生としての身分を取得する意思を有していたものとは限らないが(現実に,原告は,3月末《被告大学の学年は,4月1日に始まることとされている,学則27条》までに,被告大学への入学を辞退して,被告大学の正式の学生とはなっていない。),そのことにより,原告が上記時点で上記地位を確保することが左右されるものではない。)。
そして,遅くとも平成14年3月28日付けの入学辞退届が被告に到達した時点をもって,原告と被告との間の本件契約は,将来に向かって効力を失ったと解するのが相当である。
イ 入学金については,上記説示のとおり,原告が被告大学に入学していない本件においても,原告において利益を得,被告大学において出捐をしているのであって,かつ,本件における入学金20万円が,不相当に高額なものであるとは認められないから,本件不返還条項の有無にかかわらず,被告が原告に対してそれを返還する義務は生じないというべきである(したがって,入学金については,本件不返還条項が,法9条若しくは10条又は民法90条によって無効となるか否かということは問題とならず,また,上記に説示したところによれば,被告大学が原告から入学金の納付を受けること自体が民法90条に違反するとも認められない。)。
しかし,授業料等については,原告の入学辞退届が被告に到達した時点で,原告と被告との間の本件契約が効力を失い,原告は,結果的に,被告から,授業料等の反対給付の履行として,教育役務及び施設の利用機会並びに付随的役務の提供を受けなかったのであるから,上記対価として納入された授業料等は,被告の不当利得となり,被告が授業料等を返還すべき義務を負うのが原則であると解される。
本件においては,授業料等を返還しない旨の不返還条項が存在することから,その効力に関して,上記条項に対する法9条及び10条並びに民法90条の適用の有無が問題となる。
(3) 法9条の適用の有無
ア 法にいう「消費者契約」とは,消費者と事業者との間で締結される契約をいい,「消費者」とは個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)を,「事業者」とは法人その他の団体等をいうところ(法2条),原告は個人であって事業として又は事業のために契約の当事者となったものでなく,被告は学校法人であるから,原告と被告との間に成立した本件契約は,消費者契約法の適用を受ける「消費者契約」に該当する。
そして,上記(2)に説示したとおり,授業料等については,被告が不当利得として返還すべき義務を負うのが原則であることからすると,本件不返還条項中,授業料等を返還しない旨の条項は,民法上返還すべき授業料等の返還義務を免れさせるものであって,法9条1号にいう「損害賠償の額を予定し,又は違約金を定める条項」に該当するというべきである。
そうすると,授業料等(60万円)が,上記条項において設定された解除の事由,時期等の区分に応じ,原告と被告との間の本件契約と同種の契約の解除に伴って被告に生ずべき平均的な損害を超えるときは,当該超える部分は無効となり,被告は,原告に対し,当該超える部分の額を返還すべき義務を負うことになる。
イ 法9条1号の立証責任については,同号の規定の構造が,平均的な損害の額を超える部分に限って損害賠償額の予定等を無効とするというものであり,また,一旦成立した合意の効力を否定する側が立証責任を負うと解するのが公平と考えられることからすると,消費者(本件でいう原告)の側において,損害賠償の予定額が平均的な損害の額を超えることの立証責任を負うものと解すべきである。
ウ 平均的な損害の額を超える損害が存在するか
(ア) 法9条1号に規定する「平均的な損害の額」とは,当該事業者が締結する同種契約事案について,当該契約の性質,解除の事由及び時期,損害填補の可能性,解除により事業者が出捐を免れた経費等諸般の事情を考慮して,契約の類型ごとに合理的な算出根拠に基づき算定された平均値をいうと解するのが相当である。
(イ) 検討するに,第2の2の事実のとおり,原告は,被告大学の合格発表後,被告に対し,平成14年3月下旬に電話で被告大学への入学を取り止める旨通知し,その後同月28日付けで入学辞退届を提出しているところ,被告において,上記時点で新たに合格者を補充することは,不可能又は著しく困難であったものと解される。
しかしながら,上記に説示したとおり,授業料等は講義の受講及び施設の利用等の対価の性質を有するところ,合格通知を受けた受験生が入学前に入学を辞退した場合には,結果的に,大学において,何ら,上記の講義受講及び施設利用に関する役務の提供をすることはないこと,学生又は受験生が,当該大学の学生たる地位を得ることを辞退することは自由であること,入学金が,受験生の入学手続に要する費用等の対価としての性質も併せ持っていること,上記説示のとおり,入学金はたとえそれを納付した受験生が当該大学に入学しなかったとしても返還されないことを前提とすると,受験生の入学辞退により,被告において,損害が発生するものとは解されないというべきである(加えて,第2の2の事実のとおり,平成14年度の被告大学の入学定員が575名であるに対し,合格者数が1195名,入学者数が700余名というように,被告においては,例年,一定程度の割合で入学辞退者が出ることを想定し,これを見越して合格者を発表するといういわばリスク回避のための制度的な工夫を行っており,実際にも損害は生じていないものと認められる。)。
以上によれば,原告が被告大学への入学を辞退したことにより被告が被るべき平均的な損害は存在しないというべきである。したがって,本件不返還条項中,授業料等を返還しない旨を定めた部分は,その全部が原告と被告との間の本件契約と同種の契約の解除に伴い被告に生ずべき平均的な損害の額を超えることになる。
(ウ) よって,本件不返還条項中,授業料等を返還しない旨を定めた部分は,法9条1号により,その全部が無効になるというべきであるから,被告は,原告に対し,授業料等の合計60万円を返還すべき義務を負う。
2 遅延損害金の起算点について
本件訴状送達の日が平成14年7月5日であることは,当裁判所に顕著な事実である。
3 結語
以上の次第で,その余の点について判断するまでもなく,原告の本訴請求は,被告に対し,60万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成14年7月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下寛 裁判官 鈴木謙也 裁判官 梶浦義嗣)