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京都地方裁判所 平成14年(ワ)3035号 判決 2003年10月03日

主文

1  被告は,原告に対し,11万円及びこれに対する平成14年8月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを9分し,その8を原告の,その余を被告の各負担とする。

4  この判決の第1項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は,原告に対し,100万円及びこれに対する平成14年8月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は,被告から債務者と間違われて支払の催促を受けた原告が,被告との間で,原告の個人情報を抹消し,今後支払催促をしない旨の約束をしたにもかかわらず,再度被告から債務者と間違われて支払の催促をされ,これにより精神的損害を被ったとして,被告に対し,不法行為に基づく損害賠償として慰謝料90万円及び弁護士費用10万円の合計100万円並びにこれに対する不法行為の日(再度の支払催促日)である平成14年8月20日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を請求した事案である。

一  前提となる事実関係

1  原告は,京都市a区内の肩書住所地で,夫及び子と共に居住する者である。被告は,金銭貸付等を業とする大手消費者金融会社である。(弁論の全趣旨)

2  被告は,平成13年4月5日ころ,被告の債務者であったAに対し支払の催促を行うため,京都市営地下鉄四条駅の証明書発行コーナーにおいて同人の住民票の写しを請求したところ,京都市は,原告とAは全く別人であるにもかかわらず,原告をAと誤解し,原告の住民票を被告に交付した。原告の住民票を入手した被告は,原告をAと誤解し,同月13日ころ,Aの残債務の支払に関し,原告に対し督促状を送付した。原告は,被告から金員の借り入れをしたことはなかったため,大変困惑した。(甲4,乙1,原告本人,弁論の全趣旨)

3  被告から支払の催促を受けた原告は,被告から金員を借り入れたことはなく,何ら支払を催促されるいわれがないことを主張し,これに対し被告も調査を行った結果,上記の人違いの事情が判明した。これを受けて,被告は,同月21日,原告に対し,被告大阪支社四条河原町北支店副支店長B名義の文書(以下「本件文書」という。)をもって上記の不手際について謝罪し,今後上記のような誤った支払催促を行わないこと及び被告が保有する原告の個人情報を既に抹消したこと等を本件文書で約束した。また,原告は,同月27日ころ,被告の上記支店を訪問し,Bから,間違って登録された原告の個人情報は被告のみならず関連する信用情報機関の分も含めてすべて抹消済みである旨を約束された。(甲1,4,証人B,原告本人,弁論の全趣旨)

4  しかし,その後も被告のもとに原告の個人情報が残っていたため,原告は,平成14年8月20日,被告の従業員のCから,再度支払催促の電話を受けた(争いなし)。

二  争点

1  被告が原告との間で取り交した個人情報抹消等の約束を履行せず,再度原告に支払催促のために架電をした行為は違法か。

2  原告が受けた精神的苦痛及び原告の損害はいかなるものか。

三  争点に関する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 争点1(被告の行為の違法性)について

被告は,原告に対し,平成13年4月,①原告の個人情報(電話番号等も含む。)は,被告に残っている分のみならず,関連する信用情報機関へ提供した分についても抹消すること,②被告及び関連する信用情報機関に残っている原告の個人情報(電話番号等も含む。)は既に抹消したこと,③今後原告に対して支払催促をしないことを約束したにもかかわらず,上記①ないし③の約束をすべて破り,被告及び関連する信用情報機関に残っていた原告の個人情報に基づき,平成14年8月20日,原告に対し再度支払催促のために架電をしたものであり,かかる被告の行為は違法である。

(二) 争点2(原告が受けた精神的苦痛及び原告の損害)について

(1) 被告は,平成13年4月に原告の個人情報を抹消していなかったにもかかわらず,原告に対し,既に抹消した旨の虚偽の説明をしていたのであるから,平成14年8月20日以降事後的に原告の個人情報を抹消したという被告の主張は,そもそも信用することができない。原告は,原告の個人情報が本当に事後的に抹消されたのか否かについて確認する術を持たず,原告の個人情報が現に抹消されたのか,被告或いは関連する信用情報機関により悪用されることはないのか,原告が不利益に扱われることはないのか等について,原告は今後も不安を抱き続けなければならない。

仮に,平成14年8月20日以降に被告及び関連する信用情報機関から原告の個人情報が事後的に抹消されていたとしても,平成13年4月から上記抹消されるまでの間,被告及び信用情報機関に原告の個人情報は掲載され続け,その間どのように原告の個人情報が利用されたのか或いは原告の個人情報が悪用されてはいないのか等について,原告は不安を抱き続けなければならない。このように,現実に原告の個人情報が漏洩したか否か,悪用されたか否かにかかわりなく,原告は精神的苦痛を受けている。

(2) 被告は,いったん原告の個人情報を抹消すると約束しながら,これを抹消していなかった。原告の個人情報が漏洩していないこと或いは不利益に利用されていないこと等につき被告が立証することができない以上,原告の個人情報につき漏洩や不正利用があったと事実上推定すべきであり,その前提で原告が受けた精神的苦痛は損害評価されるべきである。すなわち,原告が受けた精神的苦痛は,単なる不安感による精神的損害だけでなく,現実に原告の個人情報が漏洩された或いは不正利用された場合の精神的損害と同様に評価されるべきである。被告の違法行為によって原告が受けた精神的苦痛を金銭的に評価すると少なく見積もっても90万円であり,これに対する弁護士費用は10万円が相当である。

2  被告の主張

(一) 争点1(被告の行為の違法性)について

被告が平成13年4月に原告との間で取り交した約束に反して,再度原告に支払催促のための架電をしたことは事実であるが,意図的ではない電話番号の抹消漏れによるものであり架電も1度だけであること,架電内容も穏便なものであること,架電後直ちに人違いに気付いて口頭で謝罪し,再度の連絡を約束したこと等の架電行為の態様や,架電そのものの通信連絡手段としての日常性などを考慮すると,平成14年8月20日の被告の原告に対する架電行為に違法性はない。

(二) 争点2(原告が受けた精神的苦痛及び原告の損害)について

信用情報機関の検索システムでは,個人の氏名及び生年月日により人物判定のふるいにかけられるのであるから,被告及び関連する信用情報機関に登録されている債務者の氏名及び生年月日が原告の氏名及び生年月日と相違すれば,他の個人情報項目を検索するまでもなく,原告の情報は何ら検出されない。被告が,原告の住民票を取り寄せた後に,既に登録されていた被告の債務者であるAの個人情報に対して付加した情報は,原告の住所と被告がNTTを通じて調べた原告の電話番号だけである。原告の住民票取得後も,個人情報として重要性を有する氏名及び生年月日は,真の債務者であるAのものが残されたままであり,1度も書き替えられていない。したがって,原告が被告及び関連する信用情報機関の加盟者によって債務者であると誤認される可能性はない。

原告がこうした情報管理の実情を知らないまま,原告自身の重要な個人情報が被告に残っている旨の誤解をしているとしても,それは根拠のない想像上の被害であり,思い込みによって生じた実現可能性のない懸念であるというほかない。原告の主張する被害若しくは被害感情は余りに実質を欠くものであり,法的保護を受けるに値する被侵害利益は存在しない。

第三当裁判所の判断

一  前記第二の一の事実に,甲1ないし5(枝番を含む。),乙1,証人Bの証言,原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められる。

1  原告の夫は,昭和54年に業務に関して事故に遭い,障害等級第5級に該当する障害を負う身体障害者になったため,それ以降,原告がいわば一家の大黒柱として夫及び2人の子のために稼働し,家族の生活を支えてきた。

2  被告は,金員の貸付をする際,借り入れを行う者の同意を取った上で,その者の氏名(漢字氏名とカタカナ氏名),生年月日,自宅電話番号,住所,勤務先等の個人情報を端末に登録して社内記録として保存するだけでなく,これらの個人情報を全国信用情報センター連合会加盟の信用情報機関及び同連合会と提携する信用情報機関並びに株式会社シーシービー(これらを以下「関連信用情報機関」という。)に提供している。

3  被告は,かつてAに対して金員の貸付をした際,同人の氏名(漢字氏名とカタカナ氏名),生年月日,自宅電話番号,住所等の個人情報を端末に登録した。その後,Aが上記貸金債務の履行を延滞するようになったため,被告は,同人に債務の支払催促をしようとしたところ,同人の連絡先が分からなくなり,同人と連絡が取れなくなったため,平成13年4月5日ころ,京都市営地下鉄四条駅の証明書発行コーナーにおいて同人の住民票の写しを請求した。しかし,京都市は,原告とAは全く別の人物であるにもかかわらず,互いに氏名が類似していることなどから,原告をAと誤解し,原告の住民票を被告に交付した。

4  被告も,京都市から交付を受けた原告の住民票をAの住民票であると誤解し,原告住民票に記載された住所をもとにNTTの電話番号案内で自宅電話番号を調査し,以前端末に登録したAの個人情報のうち自宅電話番号と住所について,上記調査の結果判明した自宅電話番号と原告住民票記載の住所に登録し直し,個人情報を修正した。この新たに書き替えられた個人情報も,前記と同様,関連信用情報機関に提供された。

5  被告は,平成13年4月13日ころ,新たに書き替えて登録し直した上記自宅電話番号をもとに,Aの残債務の支払に関し,原告に対し督促状を送付した。原告は,消費者金融業者から借り入れをしたことが全くなかったため,被告から督促状の送付を受けて,大変困惑した。

6  原告は,被告から金員を借り入れたことはなく,何ら支払を催促されるいわれがないことを主張し,これに対し被告も調査を行った結果,原告をAと取り違えていたことが判明した。原告は,消費者金融業者である被告から債務者と間違われて支払催促を受けたことや消費者金融業者間に原告の個人情報が出回ることに大変不安を抱き,被告に対し苦情を言った。被告は,原告の苦情申立を受け,平成13年4月21日,原告に対し,B名義の本件文書をもって,人違いにより誤って原告に支払催促を行った不手際について謝罪し,今後誤った支払催促を行わないこと,被告が保有する原告の個人情報は既に抹消したこと,消費者金融業者の業界内に原告の個人情報が流れることはないこと等を本件文書で約束した。また,原告は,同月27日ころ,被告の上記支店を訪問したところ,Bから,間違って登録された原告の個人情報は被告のみならず関連信用情報機関の分も含めてすべて抹消済みである旨を約束された。

そこで,原告は,今後は消費者金融業者から電話がかかってきたり債務の支払催促をされることはないと考え,安心し,暫くの間平穏な日々を過ごしていた。

7  しかし,実際には,被告は,原告の個人情報を抹消しておらず,関連信用情報機関にも原告の個人情報は残されたままであった。そのため,平成14年8月20日,被告の従業員Cは,原告に対し,Aの残債務に関し,再度支払催促の電話をした。原告は,Cとのやり取りの過程で,この約1年数か月の間,原告の個人情報が被告の社内に残されたままであることに気付き,その間原告の個人情報がどのように利用されたのか,原告の個人情報が悪用されてはいないのか,原告の個人情報が残っていたことにより原告が今後社会で不利益な扱いを受けることはないのか等について強く不安を抱いた。

8  原告は,Bから前記のとおり約束されたにもかかわらず,個人情報が抹消されることなく,再度債務者と扱われて支払催促を受けたことにつき,不安感を抱くとともに大変憤慨し,今後の対応につき弁護士に相談した。原告は,弁護士から,二度と誤った支払催促を行わないこと等を約束する旨の被告の代表者或いは役員クラスの者の名義の文書を貰ったらどうかとアドバイスを受け,これを承諾し,弁護士を通じてその旨を被告に伝えたところ,被告から,責任ある役員クラスの者の名義の文書を出すことはできない旨の回答を受けた。

9  そこで,原告は,本件訴訟を提起した。

二  争点1について

1  前記認定の事実関係によれば,被告及び関連信用情報機関に流れ出た原告本人の個人情報は,原告のカタカナ氏名,住所及び電話番号であることが認められる。そして,これら個人識別のための単純な情報であっても,一般人の立場に立った場合,むやみやたらと他人に知られることを望まない情報ということができる上,本件では情報の取得先が消費者金融業者であることにかんがみると,上記の個人識別のための単純な情報も,法的保護に値し,原告のプライバシー権に属するということができる。

2  そうすると,前記認定のとおり,被告は,平成13年4月下旬,原告のプライバシーに属する個人情報を保有したまま抹消していなかったにもかかわらず,本件文書により,かつ,当時副支店長のBが直接面会の上,原告に対し,原告の個人情報は既に抹消し,今後二度と支払催促をしない旨の約束をしたこと,被告は,上記約束に反し,残っていた原告の個人情報に基づき,平成14年8月20日,再度の支払催促の架電をしたことが認められる。

3  そして,被告は,消費者金融業者とは全く無縁の一般市民である原告のプライバシーに属する個人情報を誤っていったん取得し,しかも,原告が消費者金融業者間に個人情報が流れることをひどく不安に感じていたことを知っていたのであるから,原告の個人情報を抹消すべく細心の注意を払うべき義務があったものであり,また,被告が原告の個人情報を抹消したか否かを端末操作によって確認するのは容易なことであったと推認することができる。それにもかかわらず,被告は,上記注意義務を怠り,原告のプライバシーに属する個人情報を被告及び関連信用情報機関に保有し続けたまま,その反面で,原告の不安感情を鎮めるため,虚偽の説明ともいうべき上記約束をし,もって原告を安心させ,その約1年数か月後に社内に残存していた原告の個人情報に基づき,再度原告に対し支払催促の電話をかけて原告にひどく不安を抱かせたというのであり,かかる被告の一連の行為は,消費者金融業者とは全く無縁の生活を送る原告との関係で,抹消するとの約束に違反して少なくとも1年数か月間にわたりその個人情報を保有し続けたという点で,自己情報コントロール権としての原告のプライバシー権を侵害したものであり,違法というべきである。

三  争点2について

1  前記認定の事実関係に,甲4,5及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば,被告は,平成13年4月下旬,原告に対し,その個人情報を既に抹消した旨約束した後も,少なくとも1年数か月間にわたり,原告の個人情報を被告の社内に保有し続けたのみならず,関連信用情報機関にも提供し続けたこと,被告から平成14年8月20日に電話で再度支払催促を受けたことにより自己の個人情報が未だ被告の社内記録に残っていることを知った原告は,その約1年数か月間,原告の個人情報がどのように利用されたのか,原告の個人情報が悪用されてはいないのか,原告の個人情報が残っていたことにより原告が今後社会で不利益な扱いを受けることはないのか等について強く不安を抱いたこと,原告は,現時点においても,自己の個人情報が被告及び関連信用情報機関から完全に抹消されたのかについて不安を感じていること,以上の事実が認められる。

そして,被告は,平成13年4月下旬,原告に対し,本件文書により,かつ,Bが直接面会の上,原告の個人情報を既に抹消した旨約束したにもかかわらず,結局抹消していなかったのであるから,被告が本件訴訟で原告の個人情報を既に抹消したと主張し,乙1を提出した後においても,原告が自己の個人情報が被告及び関連信用情報機関から完全に抹消されたのか否かについて不安を感じるのは,原告の社会的地位や家族内での役割等に照らすと,もっともなことであると認められる。

2  前記認定の事実関係から認められる本件の事実経過,被告の対応や態度,被告の社会的立場,原告の社会的地位や家族内での役割,原告の不安感等を総合的に勘案すると,原告の上記不安感は,原告が受けた精神的損害として十分に法的保護に値するものということができ,その慰謝料の額を金銭的に評価すると10万円が相当である。

3  なお,被告は,関連信用情報機関の検索システムでは,個人の氏名及び生年月日により人物判定のふるいにかけられるのであり,関連信用情報機関に登録されている債務者の氏名及び生年月日が原告の氏名及び生年月日と相違すれば,他の個人情報項目を検索するまでもなく,原告の情報は何ら検出されないから,原告が被告及び関連信用情報機関の加盟者によって債務者であると誤認される可能性はない旨の主張をする。

確かに,被告及び関連信用情報機関に残っていた原告の個人情報は,原告のカタカナ氏名,住所及び電話番号であり,原告の漢字氏名と生年月日が情報として残っていたわけではない。しかし,本人の特定という点では,原告のカタカナ氏名,住所及び電話番号の3つの個人情報によって十分に原告本人を特定できるものであり,現に被告は,これら残存していた原告の個人情報に基づき,原告を債務者とみて再度支払催促のために架電をしたのであるから,原告が債務者であると誤認される可能性はないとの被告の主張は失当である。

四  以上を総合すれば,被告の違法行為により,原告の自己情報コントロール権としてのプライバシー権が侵害され,これにより,原告は,自己の個人情報が悪用されて社会的に不利益を受けるのではないか等と強い不安感を抱き続け,もって精神的損害を被ったことが認められるから,原告は,被告に対し,民法709条,710条を根拠に,不法行為に基づく損害賠償として慰謝料10万円を請求することができる。

そして,弁論の全趣旨によれば,原告は,原告訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し,相当額の報酬支払約束をしていることが認められるところ,本件事案の内容,審理経過,結果等に照らすと,被告に賠償を求め得る弁護士費用は1万円とするのが相当である。

五  結論

以上によれば,原告の本訴請求は,被告に対し,11万円及びこれに対する被告の不法行為により原告が精神的損害を被った日である平成14年8月20日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民訴法61条,64条本文を,仮執行宣言について同法259条1項を各適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官 飯野里朗)

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