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京都地方裁判所 平成16年(わ)1536号 判決 2006年1月23日

主文

被告人を懲役3年8月に処する。

未決勾留日数中350日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,京都市a区bc町d番地所在の医療法人財団甲病院の3B病棟(特殊疾患病棟)で看護助手として勤務していたものであるが,仕事上のうっ憤を晴らすため,あるいは,同病院の3A病棟(回復病棟)への配置替えがなされることを期待して,

第1  平成16年9月10日午後3時ころ,同病院3階特殊浴室において,脳梗塞等の後遺症治療のために入院中の乙(当時83歳)に対し,その両足の拇指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する両足拇指爪はく脱創の傷害を負わせた,

第2  同月14日午前10時30分ころから同日午後2時ころまでの間,同病院3階323号室において,くも膜下出血等の後遺症治療のために入院中の丙(当時76歳)に対し,その両足の示指,中指及び環指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約2週間を要する両足示指,中指及び環指挫創(爪はく離)の傷害を負わせた,

第3  同日午前10時30分ころから同日午後2時30分ころまでの間,同病室において,乙に対し,その右足の示指及び左足の中指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する右足示指,左足中指爪はく脱創の傷害を負わせた,

第4  同月24日午後4時ころから同日午後5時ころまでの間,同病院3階323号室において,丙に対し,その右手の示指,中指,環指及び小指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約2週間を要する右手示指,中指,環指及び小指挫創(爪はく離)の傷害を負わせた,

第5  同月28日午後3時30分ころから同日午後5時ころまでの間,同病院3階321号室において,無酸素脳症等の後遺症治療のために入院中の丁(当時72歳)に対し,その右足の拇指,示指,中指,環指及び小指並びに左足の拇指,中指及び環指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する右足拇指,示指,中指,環指及び小指並びに左足拇指,中指及び環指爪はく離創の傷害を負わせた,

第6  同月30日午後3時45分ころから同日午後4時40分ころまでの間,同病室において,丁に対し,その右手の示指,中指及び小指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する右手示指,中指及び小指爪はく離創の傷害を負わせた,

第7  上記第6記載の日時ころ,同病院3階322号室において,脳出血等の後遺症のため入院中の戊(当時69歳)に対し,その左手の拇指,示指,中指,環指及び小指,右足の拇指,示指,中指及び環指並びに左足の小指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する左手拇指,示指,中指,環指及び小指,右足拇指,示指,中指及び環指並びに左足小指爪はく離創の傷害を負わせた,

第8  上記第6記載の日時ころ,同病室において,脳内出血等の後遺症のため入院中の己(当時50歳)に対し,その右足の中指,環指及び小指並びに左足の示指及び中指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する右足中指,環指及び小指並びに左足示指及び中指爪はく離創の傷害を負わせた,

第9  上記第6記載の日時ころ,同病院3階320号室において,脳挫傷等の後遺症のため入院中の庚(当時31歳)に対し,その右手の示指,右足の拇指,示指,中指及び環指並びに左足の環指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する右手示指,右足の拇指,示指,中指及び環指並びに左足環指爪はく離創の傷害を負わせた,

第10  同年10月2日午前11時40分ころから同日午前11時44分ころまでの間,同病院3階323号室において,丙に対し,その左手の中指,環指及び小指の各爪と皮膚の間に被告人の手指を差し入れて力任せに各爪をはがし,よって,同女に加療約3週間を要する左手中指,環指及び小指爪はく離創の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人の判示各所為は,いずれも行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法204条に,裁判時においてはその改正後の刑法204条に該当するが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,各所定刑中,判示各罪についていずれも懲役刑を選択し,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により犯情の最も重い判示第1の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年8月に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中350日をその刑に算入し,訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書によりこれを被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

1  弁護人は,本件各犯行当時,被告人は精神発達遅滞や過酷な労働状態の下で精神的に追いつめられていたことなどにより心神耗弱の状態にあった旨主張するので,以下,検討する。

2  関係各証拠によれば,本件犯行に至る経緯,犯行動機及び犯行状況等について,次の事実が認められる。

・ 被告人は,中学校を卒業後,高等専修学校に進学したが,1年の2学期で中退した後,半導体製造会社に就職し,工員として平成16年3月ころまで勤務した。この間,平成11年に父親を脳梗塞で亡くしたが,父親の入院中の看護助手の仕事ぶりを見て,看護助手になりたいとの願望を抱くようになり,平成15年12月から面接指導,実習等を含む訪問介護員2級課程の講座を受講し,平成16年5月に同課程を修了した。

・ 被告人は,同講座受講中の同年2月下旬,人材派遣会社に登録し,同社からの派遣により,同年3月30日から甲病院(以下「本件病院」という。)で勤務し始めた。当初は,リハビリテーションを行う回復病棟で,意思疎通の可能な患者の入院する3A病棟に配置され,患者の食事,入浴,移動等の介助,身体清拭,一部患者のおむつ交換等に従事し,仕事にやりがいを感じていた。

・ しかし,被告人は,同年6月21日に,ほとんどの患者が重症であり,会話ができなかったり,自力で歩行できない状態にある3B病棟に配置換えとなった。もともと要領が良くなかったところへ,40人程の患者を3人くらいの看護助手で介助しなければならず,ほとんどの患者が定期的なおむつ交換や体位交換を要するなど,仕事量が増加したばかりか,患者と会話をすることによって気分転換をするといったこともできず,さらに,先輩の看護助手から指示を受けてもうまく対応することができずに,しばしば注意を受けるなどしたため,被告人は,配置換え直後から,交際相手の男性に職場が自分に合わないなどとたびたびメール等で不満を漏らすなどし,派遣会社にも3A病棟に戻りたい旨相談したが,3B病棟で勤務しないと雇用継続は難しいなどと言われ,生活もあるので仕方ないと諦め,3B病棟での勤務を継続していた。それでも仲の良かった同僚の女性看護助手が8月末で退職するまでは同女に愚痴を言うなどして,募るストレスを発散させていたが,その後は,一層ストレスを蓄積させるようになった。

・ そのような中で,被告人は,割り当てられた仕事に従事中に先輩の看護助手から別の仕事の指示を受けて立腹した際などに,患者の爪をはがすこと及び患者の爪がはがれているのを発見して本件病院の職員があわてる姿を見ることによって苛立ちを発散させるとともに,本件病院が,内部者の犯行であると考えて職員の配置換えをし,これによって自分が3A病棟に戻れるのではないかと期待したことなどから,同年9月10日から連続的に本件各犯行に及んだ。その犯行態様は,寝たっきりで自分の意思を表示できない重症の患者を病室や浴室で介助中に,その手足の爪と皮膚の間に自分の親指を差し入れて力任せに,しかも立て続けに何本かの爪を持ち上げてはがすというものであり,はがした爪を,判示第1の犯行では浴室内に置いておき,判示第2及び第3の各犯行ではゴミ箱に捨てたが,判示第4ないし第10の各犯行では発見されて大きな騒ぎになることを期待して病室のベッドの上に並べて置いておいたほか,第1発見者を装うなどした。なお,被告人は,判示第4と第5の各犯行の間である(なお,判示各犯行は時系列の古い順に並べてある。)同年9月25日,別の病院での採用が内定されており,平成18年1月から同病院で勤務する予定になっていた。

3  ところで,情状鑑定を実施した医師辛の鑑定書及び公判供述(以下,これらをまとめて「辛鑑定」という。)は,被告人の心理状態等,とりわけ被告人の知能について,要旨次のとおり判定している。すなわち,「成人用知能テストであるWAIS-Rを実施したところ,知能指数40台前半と低値を示したが,被告人の生活歴や犯行の内容を考えると,その数値は余りにも低過ぎ,被告人の能力を表しているとは考え難かったことから,主として15歳以下の者に用いられる田中ビネー式知能検査を実施し,被告人の年齢に換算したところ,知能指数は51で,精神年齢は9歳0月との結果が得られ,文章と単語の記憶力は10ないし11歳級の能力であり,特に欲求不満耐性と思考力は7歳級が限界と低くなっており,一般知能は中程度の発達遅滞の水準にある。バウムテストによると,情緒発達はほぼ幼稚園児から小学校低学年児の段階にあり,自分を取り巻く外界の様子が分かっておらず,自分に義務を負わさず,責任もとらず,問題をそのまま放っておく回避的な態度をとっている。SCT(文章完成法)によると,自分がどういうことをしたのかといった本件事件の意味の認識に欠けており,現実的な判断力に乏しい。MMPI(ミネソタ多面人格検査)によると,1人の成人として社会に適応するための適度な防衛力が欠けている。ロールシャッハテストによると,認知の発達の段階は幼児期にあり,現実を正確に見て現実吟味の能力を高め,社会や対人関係を現実的なものとしていく発達の通過点を達成できていない。被告人の性格は,心的耐性が低い,内省力が乏しい,多罰的,実践(適応)力が乏しいなどの面が特記される。結論として,被告人は,精神発達遅滞者であり,それが軽度か中等度かの判定は微妙である。」というものである。

4  被告人が精神発達遅滞であるかどうか,そして,精神発達遅滞であるとしてその程度はどうかという点は,被告人の責任能力の判断にも影響するところ,辛医師は,精神科医として約40年の臨床経験を有し,刑事事件における精神鑑定も約250件と豊富な経験を有しており,辛鑑定は,多種多様な心理テストの結果を総合した判定であることからすれば,基本的に信頼の置けるものであり,同鑑定は情状鑑定であるとはいえ,「被告人は,精神発達遅滞者であり,軽度か中程度かの判定は微妙」という旨の同医師の上記の見解には重みがある上,田中ビネー式知能検査における知能指数51との結果は,アメリカ精神医学会発行の精神疾患の分類と診断(DSM-Ⅳ-TR)では軽度と中程度の境界域の精神発達遅滞を示し,精神及び行動の障害の国際分類(ICD-10)では中程度の精神発達遅滞を示すとともに,知能(指数)の高低は,他の精神面の領域にも深刻な影響をもたらすことから最も重視されており,責任能力の判断も知能によって概ね分類されるという旨の辛医師の供述には傾聴すべきものがあるのであって,これらを併せ考えると,被告人が中程度の精神発達遅滞者である可能性をも視野に入れて検討すべきであることは当然である。

しかしながら,①被告人の知能テストの結果に基づく知能指数は,小学校1年生時(京大NX知能検査),3年生時(教研式新学年別知能検査),5年生時(教研式新学年別知能検査)においては,順に59,44,68であったものの,中学校1年生時(京大NX知能検査),3年生時(京大NX知能検査)には,順に82,75と判定されているところ(なお,以上の点は辛鑑定では検討されていない。),辛医師も,公判廷において,知能指数は年齢によってそれほど変化していくものではなく,中学生時の知能検査の結果が82あるいは75という数値であったのならば,本件の情状鑑定時の知能検査で51という低い数値が出ているのは,被告人が故意に低い点数をとったか,拘禁反応等の外的要因で本来の能力が発揮できなかったと考えるのが妥当ではないかとの見解に対し,異論を述べていないこと,そして,②被告人は,激務や職場の人間関係等による強度の精神的ストレス下において,自分が介助する患者の爪をはがすという異常ともいえる虐待行為を繰り返していたもので,そのことにより初めての身柄拘束を受け,捜査の進展に連れて自己の犯罪を省みるなどする中で,何度も自傷行為に及ぶなど精神的に不安定な状態下で本件情状鑑定における調査や心理テスト等を受けている上,被告人の調査等における言動には明らかな虚偽や誤記憶によると思われるものが散見されることなどから,本件情状鑑定における各種テストの受験においては,本件各犯行当時まで有していた被告人の能力が正確に,あるいは十分に発揮されていない可能性が高いと見られること,さらに,③被告人の学校の成績もまた,小学校の評定では低学年時はほとんど1であったが,3年生時から2も増え出し,中学生になると,基礎学力は不足していると指摘されながらも,ほぼオール2となり,小中学校を通してほとんど欠席もなく,与えられた課題をそれなりにこなしてきたこともうかがわれ,小,中学校時における知能検査の結果にも表れているように,学齢期における一般的な能力は加齢と共に上昇していたと見られること,そして,④専修学校は中退したものの,工員等として長年勤務し,身の回りのことは完全に自立して行ってきただけでなく,社会生活も格別問題なく営んできたこと,しかも,⑤上記のとおり,平成15年12月から平成16年5月にかけて,専門学校においてホームヘルパー2級講座(義務教育修了者を対象としたものである。)を受講して,その期間中3回の添削課題を受け,いずれも合格し(なお,合格点は100点満点中80点のところ,被告人の得点は,1回目85点,2回目92点,3回目88点である。),同課程を修了しているほか,病人の介助という患者への気遣いも必要であり,単純な作業とはいえない業務も,少なくとも本件病院の3A病棟では格別問題なくこなしていたことなどを考慮すると,辛鑑定における各心理テストの結果,とりわけWAIS-R知能検査の結果のみならず,田中ビネー式知能検査における知能指数51との結果も,必ずしも被告人本来の知能を適切に反映したものではない疑いが濃厚である。むしろ,上記の諸事情に照らすと,被告人が,本件各犯行当時,一般に自立的な生活にも何らかの支障を伴うとされる中程度の精神発達遅滞にあったと見ることは困難であり,特に中学生時の上記の各知能検査の結果と知能指数の恒常性にかんがみると,本件各犯行当時の被告人の知能指数は,辛鑑定による51よりは高く,低くとも中学生時の70程度はあったと見るべきであり,被告人は,境界知能か,せいぜい軽度の精神発達遅滞にとどまるものと認めるのが相当である。

5  もっとも,被告人が,上記のとおり,軽度の精神発達遅滞の疑いがあり,通常の知能を備える者にとってさえ,相当な激務と感じられるであろう3B病棟での勤務をうまくこなすことができず,勤務場所の異動を希望するも聞き入れられないという中で,強いストレスを抱いていたことは容易に推察されるものであって,本件各犯行の態様が異常なまでに残忍で執ようであること,そして,被告人の犯行動機が上記のようなものである以上,別の病院での雇用が決まったことは,犯行を抑止する十分な契機となり得るのではないかと考えられるにもかかわらず,なおも犯行を継続し,とりわけ平成16年9月30日には立て続けに4件の犯行を敢行していることなどの事情に照らすと,被告人は,本件各犯行当時,是非善悪を弁別する能力,あるいはそれに従って行動する能力がある程度低下していたことは疑いのないところである。

しかしながら,他方において,仕事上身近におり,抵抗ができない患者に攻撃を加えることや,本件病院内で大きな騒ぎとなっているのを見ることで,ストレスを解消するとともに,本件病院をして,本件各犯行が内部者の犯行であると思わせ,配置換えをさせようと仕向けるというのは,十分了解可能な犯行動機であり,動機と犯行との間に大きな飛躍はみられない。また,本件各犯行の態様は,とりわけ判示第2ないし第10の各犯行については,自己が犯人であることが発覚しないようにするため,本件病院の他の職員や意思疎通の可能な患者から犯行を目撃されない時機を見計らった上で敢行するという,細心の注意を払ったものであり,さらに,犯行後,第一発見者を装って自ら患者の爪がはがれている旨報告したり,発見者をして,人為的に爪がはがされたことが明らかであると思わせ,騒ぎが大きくなることを期待して,はがした爪をベッドの上に並べて置いたりもしているのであり,被告人の一連の行動それ自体は,冷静な判断に基づき,かつ周囲の状況に応じた合理的なものというべきであって,もとより,犯行時の被告人の意識は清明に保たれ,犯行時の記憶にも大きな誤り,欠損等はなく,良く保持されているのである。

なお,弁護人は,被告人が平成16年3月3日の交通事故により頭部を強打し脳挫傷,外傷性くも膜下出血等の傷害を負ったことも,心神耗弱状態に陥った一因であったと主張するが,被告人は上記受傷後約10日間入院したものの,経過良好で退院しており,その後は二,三か月に一度の通院によるフォローアップを受けている状況であるのみならず,その受傷後の被告人の本件病院3A病棟における勤務には格別大きな問題がなく,さらに,情状鑑定における知能検査にも上記受傷による影響は見受けられなかったことなどからすれば,上記受傷が被告人の精神状態に影響を与えていないことは明白である。

6  以上を総合すれば,被告人は,軽度の精神発達遅滞の疑いがある上,本件各犯行当時,本件病院3B病棟における激務や人間関係等にストレスを蓄積させ,是非善悪を弁別する能力,あるいはそれに従って行動する能力がある程度減退していたと認められるが,動機の了解可能性,犯行態様や犯行後の行動の合理性,記憶の保持の状況等からすると,上記能力が著しくは減退していなかったことが明らかであるから,完全責任能力を有していたと認めるのが相当である。したがって,弁護人の上記1の主張は採用できない。

(量刑の理由)

本件は,病院の看護助手として勤務していた被告人が,脳に障害を有し自らの意思を表示できない重症の入院患者6名に対し,10回にわたり,手足の爪合計49枚を自らの手指ではがし,同人らにそれぞれ加療約2週間ないし約3週間の傷害を負わせたという傷害10件の事案である。

上記のとおり,被告人は,脳梗塞のため寝たきりの父親の介護に携わっていた際,同人の介護に当たっていた看護助手の仕事ぶりを見て,看護助手の仕事にあこがれを抱き,平成16年3月30日から派遣社員(看護助手)として本件病院で働き始め,当初は,3A病棟(回復病棟)に配属され,患者の食事や入浴の介助,車椅子での移動や身体の清拭等,仕事にやりがいを感じていた。しかるに,同年6月下旬,3B病棟(特殊疾患病棟)に配置換えになり,同病棟の患者のほとんどが重症で意識がなく会話ができなかったり,ほとんど寝たっきりの状態にあったことなどから,仕事量が増えた上,もともと要領よく仕事ができなかったため,極めて多忙となる一方で,患者と会話をするなどして気分転換をするといったこともできず,さらには,先輩の看護助手から毎日のように助言や指示を受け,それらに適切に対処できずにしばしば注意を受けるなどしているうち,やりがいをなくし,用事を言いつけられても断れない自分が嫌になるとともに,指示する先輩の看護助手らに苛立ちを募らせていった。そのような中で,被告人は,同年9月10日午後3時ころ,特殊浴室において,入浴介助中,同じく入浴介助を行っていた先輩の看護助手から,「きれいに洗ってあげてね。」などと言われ,言われなくても分かっているのにと思って立腹し,その際,被害者の足の爪が目に入り,はがしたら気持ちがすっきりするだろうと思って,判示第1の犯行に及び,以後,仕事中に先輩の看護助手から別の仕事の指示を受けて立腹した際などに,患者の爪をはがすことや患者の爪がはがれているのを発見して本件病院の職員があわてる姿を見ることによって,苛立ちの気持ちを発散するとともに,本件病院が,内部者の犯行であると考えて職員の配置換えをし,それにより自分が3A病棟に異動できるのではないかと期待したことなどから,連続的に判示第2ないし第10の犯行に及んだというものである。被告人が,本件各犯行に至る経緯には下記のとおり同情の余地がないではないが,看護助手として,重症の入院患者に1人でも直接に接することができるという立場を悪用し,かかる患者を攻撃の対象とすることにより,自らのうっ憤を晴らしたり,配置転換を期待したりしたなどという各犯行の動機そのものは,極めて短絡的かつ自己中心的なものであって,酌量の余地は全くない。また,犯行の態様は,看護助手として患者を守るべき立場にある被告人が,自らの意思を表示したり,苦痛を訴えることもできない重症の患者6名に対し,10回にもわたり,自己の親指の爪を患者の皮膚と爪の間に差し入れて力任せに爪をはがすというもので,残忍かつ陰湿なものである。そして,判示第1の犯行の後,それが被告人の犯行であることが発覚しなかったことから,次第に1人の患者からはがす爪の数を増やしたり,1日に何人もの患者の爪をはがすなど犯行をエスカレートさせていき,さらに,判示第10の犯行では,被告人は被害者の中指の爪をはがした後,同人が自らの手を引き寄せ,さらなる被害を防ごうとしていたのに,その腕を押さえつけて環指と小指の爪をはぐなど,良心のかけらすら見られないものである。さらに,いずれの犯行も,自己が犯人であることの発覚を避けるため,看護師らが集う看護詰所から見えにくい病室を犯行場所にしたり,近くに他の職員や会話ができる患者等がいた場合には,同人らの目の届かない隙を見計らって敢行したり,犯行後,第一発見者を装って自ら患者の爪がはがれていたことを報告したりするなど,大胆で狡猾なものがあり,犯情は悪質極まりない。被害者の中には痛みを感じているのか否か不明であったり,痛みが脳に伝達されない患者がいるものの,その他の者は感覚が通常人よりも減退していることがうかがわれるとはいえ,被告人のなすがままに多数の爪をはがされ,あるいは何日にもわたって爪をはがされたりもしており,被害を他人に訴えられない無念さをも含め同人らの受けた肉体的,精神的苦痛には癒し難いものがあると推察される上,いずれの被害者も入院生活で抵抗力が弱まっていることなどから,多数の爪をはがされたことによって感染症を発症して死亡するに至る危険性すらあったもので,結果は重大である。それ故,被害者らの家族が被告人に厳罰を望んでいるのも当然のことである。さらに,本件各犯行は,看護助手が病院内の弱い立場にある重症の患者に虐待を加えたとして社会に多大な衝撃を与えるとともに,患者の生命,身体の安全を守ることを役割とする病院及びその職員に対する社会的信用をも大きく損なわせたもので,この種犯行を防止するため厳罰に処するべきであるとの一般予防の見地も尊重されねばならない。

このような事情に照らすと,被告人の刑責は重いといわねばならない。

他方で,被告人が本件各犯行をいずれも認めて,反省の態度を示していること,被告人は,精神発達遅滞の疑いがある上,3B病棟での仕事が激務で他の看護助手なみの仕事ができず,次第に仕事や他の看護助手との人間関係等にストレスを蓄積させていったもので,本件各犯行当時,是非善悪を弁別する能力,あるいはそれに従って行動する能力がある程度減退していたと認められること,犯行の期間は約3週間とそれほど長期間ではなく,被害者の負傷の程度も,加療期間だけを見ると,約2週間ないし約3週間と幸いにも比較的短いこと,また,上記のような激務の職場に能力的にも劣る被告人を配置していたという本件病院の勤務体制等が被告人の精神状態を悪化させ,それが本件各犯行の一因になったと推察されるのであって,犯行に至る経緯には同情の余地がないではないこと,各被害者の親族あてに謝罪文と共に3万円をそれぞれ送金していること(ただし,2名分については返金されている。),被害者6名のうち4名の親族と本件病院との間で示談が成立して被害弁償金が支払われ,その被害感情も幾分和らいでいると思われること,実妹と母親が今後の被告人の監督を約束するとともに,被告人と二人暮らしであった難聴の同女が被告人の一日でも早い社会復帰を望んでいること,被告人は本件により退職となり,別の病院の採用内定も取り消されている上,新聞等により広く社会に報道されたことなどにより,相当の社会的制裁を受けていること,上記のとおり,専修学校中退以後仕事をし,給料の大部分を高齢の実母との二人暮らしの生活費に充てており,前科前歴もなく,本件病院3B病棟で勤務するようになるまでは問題行動を何ら起こすことなくまじめに生活していたこと,逮捕以来1年3月以上の長期にわたる身柄拘束を受けており,その間に何度も自傷行為等に及ぶなど精神的に不安定になったり,体調を崩したりしていることなど,被告人のために酌むべき事情も存する。

そこで,以上の諸事情を総合考慮すると,やはり,本件各犯行の残忍さや,結果の重大性等を軽く見ることはできず,被告人を主文の刑に処するのが相当であると考えた。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 懲役6年)

(裁判長裁判官 東尾龍一 裁判官 景山太郎 裁判官 炭村啓)

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