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京都地方裁判所 平成16年(わ)516号 判決 2004年8月10日

主文

被告人有限会社Aを罰金50万円に,被告人Bを懲役1年に処する。

被告人Bに対し,この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人有限会社Aは,兵庫県姫路市a町b番地に本店を置き,養鶏の飼育販売等を営むもの,被告人Bは,同社代表取締役社長として,その業務全般を統括掌理するものであるが,被告人Bは,被告人会社の業務に関し,同社代表取締役会長であるCらと共謀の上,法定の除外事由がないのに,平成16年2月22日ころ,京都府船井郡c町d番eほか6筆,同f番ほか8筆,同g番ほか3筆に所在する同社経営のD農場において,同社が所有する家畜である採卵鶏が高病原性鳥インフルエンザの擬似患畜となったことを発見したにもかかわらず,農林水産省令で定める手続に従い,遅滞なく,京都府知事から委任を受けたE家畜保健衛生所長にその旨を届け出なかったものである。

(証拠の標目)

省略

(法令の適用)

1  被告人有限会社A

被告人の判示所為は,行為時においては平成16年法律第68号による改正前の家畜伝染病予防法66条,64条2号,13条1項に,裁判時においてはその改正後の家畜伝染病予防法66条,63条1号,13条1項に該当するが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,その所定金額の範囲内で被告人を罰金50万円に処することとする。

2  被告人B

被告人の判示所為は,行為時においては刑法60条,平成16年法律第68号による改正前の家畜伝染病予防法66条,64条2号,13条1項に,裁判時においては刑法60条,上記改正後の家畜伝染病予防法66条,63条1号,13条1項に該当するが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,所定刑中懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役1年に処し,情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予することとする。

(量刑の理由)

本件は,被告人有限会社A(以下「被告会社」という。)の代表取締役社長である被告人B(以下「被告人」という。)が,被告会社の業務に関し,同社代表取締役会長らと共謀の上,同社が所有する家畜である採卵鶏が高病原性鳥インフルエンザ(以下「鳥インフルエンザ」という。)の疑似患畜となったことを発見したにもかかわらず,農林水産省令で定める手続に従い,遅滞なく,京都府知事から委任を受けた家畜保健衛生所長にその旨を届けなかったという家畜伝染病予防法違反の事案である。

1  関係証拠によれば,本件犯行に至る経緯,犯行時及び犯行後の状況等につき,以下の事実が認められる。

(1)  被告会社は,被告人の実父であるCが昭和48年6月に設立し,鶏卵の生産販売と鶏糞を肥料に加工して販売することなどを事業内容としていたが,鶏卵を生産するための養鶏場として,兵庫県と岡山県に4つの農場を所有するほか,京都府船井郡にD農場を持ち,同農場には10棟の鶏舎があり,約25万羽の採卵鶏を飼育していた。被告人は,昭和63年に被告会社に入社し,平成10年12月,同社の代表取締役社長に就任し,創業者のCが会長に退いてからは,同社の経営全般に携わるようになったが,同人に対しては,日ごろから,日常業務の概要に関する報告を欠かすことはなく,また,被告会社の重要事項については必ず相談して,その指示を仰ぐなどしていた。なお,Cは,本件当時,社団法人F協会の副会長理事,G協会の会長等の要職に就いていた。

(2)  被告会社は,平成15年ころから,大口の取引先と契約を結ぶなどして業績を伸ばし,また,多額の費用を投入して新商品を製造する機械を導入し,事業を順調に拡大させ,従業員約230名,年商約30億円と日本の養鶏業界では5本の指に入るまでに発展していた。そのような中,同年12月ころ,大韓民国において鳥インフルエンザの発生が報告され,以後,アジア各地でその感染が広がり,我が国においても,平成16年1月に山口県で,翌月には大分県で鳥インフルエンザの感染が確認されるに至った。

鳥インフルエンザとは,インフルエンザウイルスに感染することによって引き起こされる家禽類を含む鳥類の疾病のうち,突然の死亡,呼吸器症状,顔面,肉冠若しくは脚部の浮腫又は出血斑等の強烈な臨床症状を伴い,かつ,非常に高い死亡率をもたらす甚急性のものをいい,その毒性は激烈で,感染した鶏の糞や呼吸によってウイルスが短時間のうちに拡散し,感染した鶏は,呼吸中枢を破壊されて急死する。そして,鳥インフルエンザは,既に感染した鳥類や,そのウイルスに汚染された排泄物,飼料,野鳥,人や飼育に必要な機材,車両等との接触によって感染するとされており,外国では,人への感染例,死亡例も報告されているが,鶏卵や鶏肉を食べることによって鳥インフルエンザに感染した例はない。しかも,一部の国ではワクチン接種による防疫対策が行われているが,日本では,鳥インフルエンザに対しては有効な治療法はないとされ,防疫対策としては,原則としてワクチンを使用せず,感染した鶏の殺処分,感染の恐れのある鶏やウイルスに汚染された恐れのある物品等の移動制限,徹底した消毒等のいわゆる摘発淘汰が基本とされていた。

日本でも鳥インフルエンザが発生した事態を受け,家畜伝染病に関する広報活動等を扱うE家畜保健衛生所やH家畜保健衛生所は,被告会社を含む各管内の養鶏業者等に対して,鳥インフルエンザに対する注意喚起や防疫対策の徹底等を促す書面を送付したり,担当職員を派遣させ,聞き取り調査や鳥インフルエンザの症状を示した書面の配布を行ったりしていた。そして,鳥インフルエンザが,上記のとおり,感染力や毒性の非常に強い疾病であり,鳥インフルエンザが発生した場合には,直ちに,摘発淘汰といった防疫対策を講じて,ウイルスの完全消滅を図る必要があることから,異常な鶏を発見したら早期に通報すること,殊に,鳥インフルエンザの症状は多様であるため,症状のみで判断せず,異常な鶏が認められたら,死鶏数の多少にかかわらず連絡することなどを繰り返し指導するとともに,閉庁日等における緊急連絡先を確保して,いつでも通報できるように体制を整えていた。

被告人は,かつて養鶏業に関する研修を受けたことがあり,鳥インフルエンザについての知識も持っていたが,上記のような広報活動や指導等を受けて,改めて鳥インフルエンザの症状を再確認し,養鶏業の存続そのものを揺るがしかねない鳥インフルエンザに大きな脅威を感じるようになった。そこで,被告会社の各養鶏場に対して,鶏舎の衛生管理を徹底するとともに,採卵鶏が通常と異なる死に方をした場合等には必ず連絡するように指示をし,また,同年2月7日に被告会社本社で開催された鶏舎担当者会議においても,鳥インフルエンザの資料を配付し,上記と同様の指示をするなど,危機感を持って鳥インフルエンザの対策に真剣に取り組み,警戒を怠るということはなかった。

(3)  ところが,同月17日ころ,被告会社のD農場8号鶏舎の担当従業員であるIは,同鶏舎の巡回中に,数十羽の鶏がまとまって死亡しているのを見つけ,これまで多数の鶏がまとまって死亡するという経験がなかったので,鳥インフルエンザではないかと思い,同農場の鶏舎担当責任者であったJに報告した。8号鶏舎の状況を確認したJが,同鶏舎の異変を被告人に伝えたところ,被告人は,鳥インフルエンザではないかと不安な気持ちになり,岡山県内にあるK農場の責任者であるLが鶏の病気に詳しいことから,鶏の死因を確認させるため,同人に採卵鶏の診察を指示した。

そこで,LがD農場で死亡した鶏を数羽解剖したところ,腸に若干の腫れやただれがあるだけで呼吸器等に問題がなかったので,腸炎ではないかと思ったが,自信がなかったことから,知人の獣医師に連絡して意見を聞いたところ,二,三日様子を見るようにとの助言を受け,その旨被告人に報告するとともに,獣医師に鶏の診察を依頼するよう進言した。それに対し,被告人は,鶏の死因が鳥インフルエンザではないかという予感を抱いていたものの,獣医師の診断を受けて鳥インフルエンザであることが判明するのを恐れ,結局,Lの進言を無視し,腸炎に効果のある抗生物質の投与を指示するだけで,獣医師に鶏の診断を依頼しようとしなかった。

しかし,同月20日には,8号鶏舎での死鶏数が1000羽を超えたため,再びLが被告人の指示を受けてD農場の鶏を解剖したが,結果は前回と変わらなかったものの,死鶏数が余りにも多かったことから,腸炎ではなく鳥インフルエンザが死因であると思い,被告人に鳥インフルエンザであると思うと告げたところ,被告人は,鳥インフルエンザに感染した可能性が高いことを認識しながら,その現実を直視することの怖さから,「あんたがそんなん言うたらいかんやろ。何で今更そんなこと言うの。」と怒った口調で答え,腸炎であってほしいとの思いもあって,抗生物質の投与を指示し続けた。

そして,同月22日には,8号鶏舎での死鶏数が3000羽を超え,その報告を受けた被告人は,数日間にわたり抗生物質を投与してきたにもかかわらず,死鶏数が減少するどころか,急激に増加していることにショックを受け,同日昼ころ,8号鶏舎に赴いたところ,同鶏舎で,多数の死鶏が水溜めおけでぼろぼろとトラックの荷台にあけられている光景を見て絶句し,足がすくんでトラックに近づくことすらできず,鶏の死因が腸炎ではなく,鳥インフルエンザ以外にあり得ないと認識した。

(4)  ところで,被告人は,この事態を1人で対処しようという社長としての自負と,父親である会長に無用な心配をかけさせたくないとの思いから,それまでの間,会長にD農場の鶏が大量に死亡していることを全く報告していなかった。しかし,ここまで事態が進展してしまった以上,鳥インフルエンザに感染したことをE家畜保健衛生所に届け出なければならないと思う一方で,感染の事実を届け出れば被告会社が倒産してしまうことを恐れ,この際,感染の事実を届け出るか否かという会社の存続に関わる重大事項について,被告会社の創業者である会長の指示を仰ぐしかないと考え,感染の事実を同人に報告することにした。

そこで,被告人は,同日の夕方,会長方で,同人に対し,D農場の8号鶏舎の死鶏数が急増していること,同鶏舎の鶏が鳥インフルエンザに感染している可能性があることなどを報告した。これを聞いた会長は,「何で早よう言わんのや。」,「インフルエンザやったら会社つぶれる。」などと激怒したが,とりあえず鶏を解剖して死因を調べることにし,同日午後10時ころ,被告人,Lと共にD農場8号鶏舎に赴き,Lに数羽の鶏を解剖させたところ,そのうちの1羽の鶏について,鳥インフルエンザの症状の一つである呼吸器症状を発見するに至った。会長は,その症状を見て鳥インフルエンザに感染したことを確信したが,被告人に対し,抗生物質の投与の継続と廃鶏及び鶏卵の出荷等の停止を指示する一方で,すぐには家畜保健衛生所に届け出ず,翌朝の状況をもう一度確認してから感染の事実を届け出る旨2人に伝えた。被告人は,後は会長や家畜保健衛生所の指示に従えばいいと思い,少しは肩の荷が下りたものの,その一方で,本当に被告会社をつぶしてしまうのかという迷いもまた抱いていた。

(5)  翌23日の早朝,被告人は,会長の指示に従って,D農場の鶏卵の出荷や飼料の搬入の停止等を従業員に指示をし,また,家畜保健衛生所に感染の事実を報告すれば立入調査が入る可能性があり,その調査の際に死鶏数が非常に多いにもかかわらず届け出をしなかったという事実が発覚することを恐れ,Jに対し,22日分の生産日報に記載されていた8号鶏舎の死鶏数3713羽を1713羽に改ざんするよう指示をした。

ところが,その後,22日の夕方から23日の朝までの死鶏数が2007羽であるとの報告を受けた被告人が,会長にその数を電話で報告すると,会長は,昨日の夕方から今朝までの短時間の死鶏数が少ないのは当然のことであるのに,それを誤解したのか,「減っとるやんか。薬効いとるやんか。」と言い出し,被告人が改めて家畜保健衛生所に感染の事実を届け出るか否かを確認したところ,「そんなもん電話せんでいい。」と答えた。これを聞いた被告人は一瞬驚いたものの,すぐに,会長が感染の事実を隠して被告会社の存続を図るつもりであることを悟り,心の奥底にあった被告会社をつぶしたくないという気持ちが甦ってきて,隠す以上は徹底的に隠し通そうと考えるに至った。

こうして,同日の朝,被告人は,Lらに対し,感染の事実を家畜保健衛生所に連絡しないという方針を伝えるとともに,従業員には鶏卵の出荷や飼料の搬入等の再開を指示するなどし,更に鶏舎内の異変を察知されないうちにD農場の鶏を一掃する方法をLと相談し,生鶏については,感染する前に処分してしまうことにし,これまで十数年間,鶏卵を産まなくなった廃鶏の処分委託先として取引を続けてきた食肉加工販売業者である有限会社MにD農場の全ての鶏を引き取らせ,また,死鶏については,会長から焼却処分にすればよいとの提案があったものの,その処分の目処もつかなかったため,結局,死鶏を鶏糞に混ぜるなどの方法でD農場内で全て処分をすることに決めた。そして,同日の昼ころ,Mの専務取締役であるNに電話をし,D農場を閉鎖しようと思っている旨嘘をつくなどして,既に引き取りを依頼していた分を含む同農場の全ての生鶏約24万羽の引き取りを依頼したところ,同農場を閉鎖して経営を再建しようとしているものと考えたNは,これまで何かと世話になってきた被告会社のために協力しようと考え,大量の鶏を一度に引き取ることには無理があったので他の引取先を手配するなどした上,同年3月20日までに全群の引き取りを終えるということで,被告人の申し出を了解した。その後,被告人は,Mに鶏を出荷することについて会長に報告をしたが,特に反対されることもなかったので,結局,同月25日に8832羽,翌26日には6732羽の鶏をMに引き取らせた。それらの生鶏のうち,5632羽は愛知県の食肉加工販売業者に引き取られ,その余の生鶏はM自身が食肉処理をして主として近畿各地のスーパー等に出荷され,食品加工の際に生じる残さ物等の廃棄物も,香川県の業者に出荷された。また,D農場から,同月20日から同月26日の間に約98万個の鶏卵が全国各地に出荷され,同月17日から同月26日の間に鶏糞もまた出荷された。

(6)  一方,同月23日以降も,依然として鶏舎内の死鶏数は急増し続け,被告人も,同日以降,連日にわたり,D農場に赴き,自ら陣頭指揮をとって,死鶏の隠匿や生鶏の処分等を行っていたが,同農場の従業員は,死鶏の処理に追われて,ほとんど通常業務ができない状況となり,同月26日には,もはや同農場の従業員の能力では処理できなくなるほど死鶏が増加し,従業員の間でも余りの死鶏数の多さに動揺が広がっていった。そして,被告人がこのようなD農場の現状を会長に報告すると,会長は,幹部らを集めて緊急会議を開き,その席上で,翌27日午前9時に家畜保健衛生所に電話して鳥インフルエンザに感染した事実を届け出る旨告げたが,同月26日の夜,匿名の電話によって感染の事実がE家畜保健衛生所に通報されたため,その日のうちに同保健衛生所のD農場に対する立入調査がなされるに至った。

被告人は,感染の事実が発覚したことを受けて,鳥インフルエンザに感染した状況が少しでも小さいものであったかのように装うため,翌27日には,Jに対し,生産日報に記載されていた20日以後の死鶏数を改ざんするように指示をし,また,会長との間で,立入調査等の際には,鳥インフルエンザ感染の事実には気付かなかった,腸炎だと思っていたなどと話をするように口裏合わせをし,実際にも,行政機関等の質問において,感染の事実を知らなかったなどと嘘の釈明を続けた。

そして,同月27日にO家畜保健衛生所においてなされた簡易検査及びその翌日になされたP研究所における病性鑑定により,D農場において死亡した鶏が鳥インフルエンザに感染していたことが判明した。

その結果,Mは,鶏の引取先である兵庫県の自社工場を中心とする半径30キロメートルの区域において,部外者の立入禁止,鶏や鶏卵の移動自粛等の要請を受け,事実上,営業ができない状況に追い込まれるとともに,同工場にいた他の廃鶏に鳥インフルエンザが二次感染したため,同工場の全ての鶏が処分されたり,得意先に出荷した食肉用の鶏の回収を余儀なくされたりし,その被害額は合計約1億3000万円余りにのぼり,それ以外にも,信用の失墜等により毎月の売上げが減少し,被害が拡大していく様相を呈していた。また,Mから鶏の一部を引き取った業者や,食品加工の際に生じる残さ物を引き取った業者も,商品の回収や焼却処分等による被害を被り,その額は2社合計で約7000万円,更に,Mの上記工場の周辺地域にある養鶏業者にも,鶏卵,鶏肉等の移動自粛要請による損害が生じ,その被害額は数百万円にも上った。

以上のとおりである。

2  そこで,量刑について考えるに,被告人は,上記のとおり,部下から鶏舎内の鶏が多数死亡しているとの報告を受け,鳥インフルエンザに感染したかもしれないという予感を抱いたものの,感染が発覚すれば被告会社の倒産は必至と思い,その現実を目の当たりにすることを恐れ,従業員から専門家である獣医師に死鶏の診察を依頼することを進言されたのに,それを無視し,ただ漫然と腸炎に効果のある抗生物質を与え続け,そのうち,異常なまでに死鶏数が膨れ上がるとともに,死鶏の異様な光景を目にして,いよいよ鳥インフルエンザの感染を確信するに至ると,感染の事実を家畜保健衛生所に届け出なければならないと思う一方で,届け出れば被告会社が倒産してしまうことから,このような会社の存続に関わる重大事項は,到底自分の手に負えるものではなく,被告会社の創業者である会長に判断してもらうしかないと考えて,その指示を仰ぐことにし,その結果,会長と共に鶏舎に赴き,死鶏の一部が鳥インフルエンザ特有の症状を示していることを確認したにもかかわらず,翌朝の状況を見て届け出るか否かを判断するという会長の指示に従うまま本件犯行に及んだというもので,被告会社の存続のことばかりを考えて,食品業者として国民の食生活の安全等にも社会的責任を負っているとの自覚を怠り,鳥インフルエンザの害悪が拡散する危険性や社会に与える不安,動揺等を全く顧みなかったその自己中心的な犯行動機には酌むべき余地は乏しい。また,日本全国で鳥インフルエンザに対する警戒感や危機感が高まる中,家畜保健衛生所等から再三にわたる指導等を受け,鳥インフルエンザには強い感染力があるため,異常な鶏を発見した際には直ちに届け出て,防疫対策等を講じなければならないことを十分に理解していたにもかかわらず,鶏舎内の鶏が鳥インフルエンザに感染したことを確信するに至っても,会長の指示に安易に従い,直ちに家畜保健衛生所に届け出ることをせず,その後,会長から届出をしない旨の指示を受けるや,その意向に従って,鶏卵の出荷等を従業員に指示したり,行政機関に本件が発覚した場合に備えて,従業員に対し生産日報に記載された死鶏数を改ざんさせたりし,しかも,鶏を養鶏場から一掃して鳥インフルエンザ感染の事実を徹底的に隠そうと考え,合計約1万5000羽以上もの鶏を,従前から取引のある食肉加工業者に出荷して引き取らせるなどしたばかりか,鳥インフルエンザに感染していることが発覚すると,会長と口裏合わせをして感染には気付かず腸炎と思っていた旨,行政機関等の質問に対し嘘の釈明を続けるなど,数々の隠蔽工作に走っていたもので,犯行時及びその前後の情状はいたって悪質というほかない。そして,実際に鳥インフルエンザの害悪を拡散させ,上記業者に対し,低く見積もっても約1億3000万円の損害を生じさせている上,上記業者を通じて廃鶏の一部を引き取った業者や廃鶏を食品加工した際の残さ物を引き取った業者,あるいは上記食肉加工業者の周辺地域にあったため移動自粛要請を受けた養鶏業者に対しても,多額の損害を与えており,生じた結果もまた重大である。加えて,本件は,その発覚当時からマスコミによって大きく報道され,消費者の被告会社に対する信頼を裏切ったことはもちろん,養鶏業界全体に大きな打撃を与えるとともに,食の安全等に対する不安感,不信感をも生ぜしめたもので,その社会的影響にも甚大なものがある。

このような事情に照らすと,被告会社及び被告人の刑責は重いというべきである。

ところで,弁護人は,①鳥インフルエンザの対策としては,鶏にワクチンを接種してその感染を防止するという効果的な対応策があり,国内の養鶏各社やワクチンメーカーはワクチン接種等を農林水産省に再三求めていたのに,同省がこれを放置し,ワクチン接種という根本的な対策を採らなかったもので,そのことが本件の大きな要因となっている,また,②養鶏業を営んでいた場合,もし,鳥インフルエンザに罹患したことが発覚すると,政府から保護のない現状では,即倒産を余儀なくされ,会社のみならず,会社経営者の個人の資産をも全て失ってしまう結果になるのであるから,そのような中で,鳥インフルエンザに罹患したことをすぐに届け出ることを義務付けても,実際に届け出ることができる者はほとんどおらず,したがって,被告人においても,届出義務を行う期待可能性は極めて乏しかった旨主張する。

まず,上記①の点については,Qの警察官調書(甲36)及び「捜査関係事項照会書に係る回答について」と題する書面(甲48)によると,鳥インフルエンザのワクチンは開発されていること,しかし,そのワクチンによって養鶏経済は甚大な被害の発生を防げることや感染した鶏群からの環境へのウイルスの排出を1パーセント程度にまで有意義に減少させることができるというメリットはあるが,他方で,ワクチン抗体と野外抗体との鑑別が困難であることから,ワクチンの接種を行った場合,発病に気付かずウイルスを蔓延させてしまう恐れがあること,日本でワクチン接種に踏み切った場合,汚染国とのレッテルを貼られる恐れがあること,欧米先進国の多くは,病原体が存在しないことから,防疫対策としては,日本と同様,ワクチン接種を行わず,摘発淘汰に徹しており,中進国以下の衛生管理等に関する技術の乏しい国でワクチン接種がなされているにすぎないことが認められ,したがって,本件当時,農林水産省がワクチン接種の予防策を採っていなかったことには合理的な理由が存したのであるから,弁護人の上記①の主張は採用できない。

次に,上記②の点は,Nの警察官調書(甲58)等関係証拠によると,養鶏業者の飼育する鶏が鳥インフルエンザに感染した場合には,その鶏の殺処分等徹底的な防疫対策がとられるため,同業者は壊滅的な打撃を受けざるを得ないが,今のところ,行政による十分な補償がなされていないことが認められるところ,Q(甲36),R(甲84)の警察官調書等関係証拠によると,平成16年1月11日には山口県の養鶏場の鶏に,同年2月17日には大分県のチャボにそれぞれ鳥インフルエンザが検査によって確認されたが,いずれの場合も,養鶏業者らが鶏等が異常な死に方をしたのを見て,すぐに家畜保健衛生所に通報がなされたことにより,山口県の養鶏場で飼育されていた鶏3万4000羽余りの全てが殺処分されるなどしたものの,局所的な防疫対策で鳥インフルエンザの蔓延を防止することができたことが認められ,そうすると,被告人が,届出をすれば被告会社が倒産してしまうと思い悩んだことも理解できないではないが,上記の2件の事例では,被告会社とは経営規模が異なっているとはいえ,その養鶏業者らが鶏等の死に方に異常を感じてすぐに行政に通報しているのであるから,被告人としても,鶏肉や鶏卵という国民の健康に直接影響する食品を扱っている被告会社の社会的責任の大きさを十分自覚していれば,上記養鶏業者らのように,届け出ることも十分期待できたと考えられるので,弁護人の上記②の主張もまた採用することができない。

しかしながら,他方で,被告人が逮捕当初から,犯行状況や犯行動機,更には犯行後の隠蔽工作に至るまで,本件の全容を素直に認めるとともに,同業者に損害を与えたことに謝罪の意を表明し,また,社会全体に対して食の安全を脅かしたことの責任の重さを痛感している旨述べるなど,真摯な反省悔悟の態度を示していること,感染の事実を届け出るか否かという本件の核心部分については,会社の存続に関わる重大事項として,創業者である会長が最終的な判断を下しており,被告人は,その指示や意向に従って本件に及んでいるのであって,その意味では,本件の主犯とまではいえないこと,被告会社は鳥インフンルエンザに対し警戒を怠らず,鶏舎の衛生管理を徹底的に行うなど,真剣にその対策に取り組んでいたのであって,そのD農場の鶏が鳥インフルエンザに感染したこと自体は被告会社及び被告人に責任はなく,本件の発端はまことに不運であったといえること,既に各鶏舎内の全ての鶏の埋却処分作業を終了させており,鳥インフルエンザの拡散防止に向けて努力してきたこと,被告会社やその関連会社の従業員らが総掛かりで,被告会社等の全農場から出荷した鶏卵や鶏糞等の回収を行い,消費者から販売店で返品を受けた場合にはその購入代金を返金し,販売店が分からないと言って連絡をしてきた消費者には直接購入代金を返金するなど,信頼回復のため,誠意をもって取引先や消費者等への対応に尽力してきたこと,鳥インフルエンザに感染する以前に出荷していた鶏卵の返品を受けたり,1億数千万円もの売掛金が本件の混乱に乗じて未払いとなるなど,本来負うはずのなかった損害まで負担していること,本件により最も大きな直接的被害を受けたMは,既に行政機関による移動自粛要請も解除されて,4月初旬から営業を再開しており,また,被告人に今後の取引の引き継ぎを依頼するとともに,今回の事件では被告会社だけが非難されるべきではなく,防疫体制や補償問題等で行政にも不備があるなどの理由から被告会社に損害賠償請求をしないという意思を表明するなど,被告人との関係が修復に向かい,その処罰感情も和らいでいることがうかがわれること,マスコミによって本件が大きく報道されたため,被告会社の売上はほとんど途絶え,約230名の従業員が解雇となり,更には数十億もの多額の借金を抱えるに至っており,その結果,会社再建の見通しは全く立たず,グループ企業を含めて自己破産を申し立てざるを得ない状況に陥るなど,厳しい社会的制裁を受けていること,本件の発覚後,連日のように多数の抗議の電話等や報道機関による取材攻勢を受ける中,最愛の両親である会長夫妻が自殺し,また,その同じ日に子供の将来を考えて妻とも離婚し,家族と別居せざるを得ない状況に追い込まれるなど,被告人は,これまで築き上げてきた平和な家庭をわずか10日間の出来事によって失ってしまったこと,被告人及び被告会社にはいずれも前科がないこと,被告人は,これまで被告会社の経営者として真面目に稼働してきたことなど,被告人及び被告会社のために斟むべき事情も認められる。

そこで,以上の諸事情を総合考慮すると,本件は,被告人につき,弁護人の主張のような,罰金刑に処すべき事案とは到底認められず,懲役刑に処するのが相当であるから,主文の懲役刑を,被告会社については,主文の罰金刑をそれぞれ科し,なお,被告人の懲役刑についてはその執行を猶予することとした。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑・被告人有限会社Aにつき罰金50万円,被告人Bにつき懲役1年)

(裁判長裁判官 東尾龍一 裁判官 瀬田浩久)

裁判官 楡井英夫は転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 東尾龍一

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