大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成17年(む)2700号 決定 2005年9月09日

主文

原裁判を取り消す。

本件証拠保全請求中、押収の請求を却下する。

理由

1  本件準抗告申立ての趣旨及び理由

警察官作成の準抗告申立書記載のとおりであるからこれを引用するが、要するに、本件証拠保全手続によって押収されたのは、捜査機関が被疑者の両手首等を撮影した写真28枚(以下「本件写真」という。)であって、当該捜査機関において保管されており、散逸や故意による滅失、報告書化の際の恣意的な取捨選択のおそれはないので、本件写真にはあらかじめ保全しなければ使用することが困難な事情があるとは認められないから、押収の原裁判の取消しを求あるというのである。

2  当裁判所の判断

(1)  本件被疑事実の要旨は、被疑者が平成17年7月中旬ころから同月25日までの間、京都市内又はその周辺において、覚せい剤を自己の身体に摂取して使用した、というものである。

(2)  一件記録によると、本件証拠保全手続に係る事実経過等は、以下のとおりである。

ア  平成17年(以下、年は省略する。)7月25日午前零時15分ころ、被疑者の長女から、京都府山科警察署に電話があり、「母親から「同居している父親(A。被疑者の元夫)が最近覚せい剤を使用しており、今も暴力を加え、覚せい剤を自分に打とうとしている。助けてほしい。」といった携帯電話のメールが来たので、何とかして助けてほしい。」との申告であったので、同署警察官らが被疑者宅に急行したところ、同人宅前に立っていた被疑者が、警察官らに、「元夫から覚せい剤を打たれた。夫が寝ている間に逃げてきた。助けてほしい。」などと言って両腕の内側を見せた。確認すると真新しい注射痕様の傷を認めたので、警察官らは、被疑者に任意同行を求め、これに応じた被疑者は、同日午前1時3分ころ、山科警察署に到着した。そして、被疑者は、尿を任意提出し、同日午前10時35分ころ、その尿から覚せい剤が検出されたとの鑑定結果が得られるなどしたので、同日午後3時4分ころ、覚せい剤使用の本件被疑事実により通常逮捕された。

イ  警察官は、同日午前1時45分ころから同日午前1時55分ころまでの間、山科警察署の取調室で、被疑者の両肘内側や両手首内側に内出血等を認めたので、その状況をポラロイドカメラと通常カメラで写真撮影した。

ウ  本件被疑事件は、7月26日、証拠書類と共に検察官に送致された。その際、上記イで撮影した写真のうち、ポラロイドカメラで撮影した4枚の写真は、7月25日付け写真撮影報告書として検察官に送致されたが、通常カメラで撮影した写真については、検察官に送られず、警察署でなお保管されていた。

エ  被疑者は、同月25日付けの警察官による弁解録取書では被疑事実を認める旨の供述をし、別の同日付け警察官調書では、「自分の元夫は、今までと違って、私に覚せい剤を何回も注射するのです。これまでにも、このようなことがたびたびありましたが、私が拒否でもしようものなら、暴力を振るわれ、それが怖くて拒否できない状態にあったのです。」「私は昨日のことやこれまでの元夫の行為がどうしてもがまんできない状態となり、東京に住んでいる娘にメールで、「自宅に警察を呼んでほしい。早く助けてほしい。」と連絡したのです。」との供述をした。また、被疑者は、翌26日付けの検察官による弁解録取書でも、「元夫に覚せい剤を打たれた。自分の意思で打ったものではない。」旨の供述をした上、同日、勾留された。

オ  警察官は、同月27日、被疑者の身体に対する身体検査令状の発付を請求し、同日、京都地方裁判所裁判官から身体検査令状の発付を得て、翌28日、洛和会音羽病院において、医師Bを立会人として被疑者に対する身体検査を実施し、被疑者の両肘内側、両手首内側、両足及び顔面等の写真を撮影するとともに、同医師に被疑者の身体全体に存在する注射痕様のものや紫斑等についてそれらが注射痕か打撲痕等であるか否かの所見を得るなどした。そして、同日には、医師Bに対し、鑑定嘱託事項を被疑者の身体の注射痕や損傷の有無、成傷用器の種類等を内容とする鑑定嘱託を行い、同日付けで同医師作成の鑑定書が作成された。なお、上記の写真を貼付した身体検査調書は同月30日付けで作成され、上記鑑定書と共に検察官には8月3日に追送致された。

カ  弁護人は、7月26日、被疑者が当番弁護士を希望したことから、翌27日、被疑者と接見し、同月28日、弁護人選任届を京都地方検察庁に提出したものであるが、8月1日になって、京都地方裁判所に対し、被疑者の身体の検証ないし鑑定並びに被疑者の携帯電話の7月24日及び25日の発信履歴の検証と共に、山科警察署が保管する、被疑者の両手首内側及び両肘内側並びに被疑者の身体のあざになっている部位を撮影した写真の押収を求める旨の本件証拠保全の請求をした。

キ  翌8月2日、原裁判官は、本件証拠保全請求を認容し、同日、山科警察署において、被疑者の身体及び被疑者の携帯電話の各検証と併せて、写真の押収については、下記<1><2>写真を対象とする差押状を発付して、本件写真である下記の合計28枚を押収した。

<1> 7月25日警察官が通常カメラで被疑者の両腕を撮影した写真15枚

<2> 7月28日の上記身体検査の際に警察官が被疑者の両腕、両足、顔面を撮影した写真13枚

ク  そして、8月2日、検察官から、本件証拠保全のうち押収の裁判に対して準抗告がなされたが、京都地方裁判所は、同月9日、検察官には準抗告の申立権がないとしてこれを棄却したため、山科警察署長が本件準抗告を申し立てるに至った。

(3)  そこで、原裁判が押収の対象とした本件写真について、保全の必要性の有無を考察するに、刑訴法179条所定の証拠保全手続は、被告人、被疑者又は弁護人も本来自己に有利な証拠を自ら任意の方法で収集、保全すべきではあるが、被告人、被疑者又は弁護人にはそのための強制的な手段が認められていないことから、起訴後の公判段階を待っていては、その証拠が廃棄又は隠匿されるなどのおそれがある場合には、裁判官の強制処分によって、その証拠の収集、保全を図ることができるというものであるところ、本件写真は、上記のとおり、うち上記キ<1>の15枚は被疑者を任意同行した直後に警察官によって撮影されたもの、同<2>の13枚は同月28日身体検査令状に基づき実施した被疑者の身体検査において警察官によって撮影されたもので、いずれも警察官が本件被疑事件の捜査の過程において証拠として被疑者の身体の注射痕様のものなどを撮影し、警察署内部において保管しているものである。そうすると、本件写真は、いわば捜査機関の手によって既に収集、保全がされたものであって、被疑者側は、本件に係る公訴提起がなされた後に、検察官からそれらの証拠開示を受けたり、検察官の手持ち証拠として証拠請求するなどして、公判廷に証拠として提出すれば足りるのであって、通常は、証拠保全手続によって証拠を保全する必要性はないというべきである。

そして、そもそも捜査機関が収集、保全した証拠について、捜査機関が被疑者に有利な証拠であるとして廃棄又は隠匿するおそれがあるとの理由で、広く証拠保全が許容されるならば、捜査機関が事案の真相を解明すべく被疑者にとって有利、不利を問わず、客観的な証拠等の収集を行う適正な捜査を行っているのに、被疑者側が捜査機関の収集した証拠の中から自己に有利な証拠を探し出そうとするなどの行為を招きかねず、ひいては、捜査機関による適正な捜査自体に支障を生じさせ、あるいはその妨げとなり得る場合も考えられ、証拠開示の制度との整合性にも疑問が生じることなどをも考慮すると、捜査機関が収集、保管している証拠について、証拠保全手続によって保全すべき必要性が肯認できるのは、捜査機関が、証拠を故意に毀滅したり、紛失させたりするおそれがあることが疑われる特段の事情が疎明された場合に限られると解すべきである。

(4)  そこで、本件写真についてそのような特段の事情が認められるかどうかを検討するに、まず、この点に関する弁護人の主張を、弁護人作成の8月1日付け証拠保全請求書(1通目の差し替えとして提出され、京都地方裁判所平成17年日記1145号で受け付けされたもの)の記載内容に照らして見てみると、弁護人は、本件の覚せい剤使用は、日ごろから暴力を振るっていた被疑者の元夫が、被疑者の手首をわしづかみにして強く握るなどして、被疑者に無理やり覚せい剤を注射したものであるのに、警察官は、被疑者の弁解に耳を傾けず、被疑者の取調べに際し、連日のように「覚せい剤を打ってもらいたかったのだろう。」「気持ち良くなるために覚せい剤を使ったのではないか。」と追及するなど、被疑者に自己の意思で覚せい剤を使用したことを自供させようとする姿勢で取調べに臨んでおり、そのような捜査状況にかんがみると、捜査機関が被疑者に有利な本件写真(の一部)を毀滅したり調書化の際に殊更に除外するなどのことを故意に行うおそれがある旨主張しているものと解される。

確かに、本件証拠保全請求までの被疑者の供述調書の内容等を検討すると、被疑者は、7月25日、26日には、上記(2)エ記載のとおり、弁解録取書を含め3通の供述調書(身上調書は除く。)が作成され、その内容は、被疑者が元夫から覚せい剤を注射されたもので、自己の意思で打ったものではないというものであったところ、同月27日、28日、29日は取調べは行われたものの、いずれも調書は作成されておらず、8月1日付け警察官調書になって、「平成9年に元夫から初めて覚せい剤を注射してもらった時は快感があったが、その後、三、四回注射してもらっているうち、気分が悪くなるようになった。自分は覚せい剤を使用したいとは全く思わない。元夫が私の言い分を全く聞かず注射してきたのです。しかし、元夫に手を引っ張られるなどしたが、無理やり身体を押さえ付けられたことはない。特に抵抗などしていない。」という旨の、また、同月2日付け検察官調書でも、「覚せい剤を注射されるのが嫌いで、腕を引っ込めて同人から離れたこともありました。しかし、そういう場合でも、元夫が私を追いかけてきてまで、無理やり覚せい剤を注射するということはありませんでした。また、元夫が私の腕を引っ張るということはありましたが、自分で振り切って逃げることは可能でした。」という旨の、当初と異なる供述内容が記載されており、このような被疑者の供述調書の内容の変化、その間、3日連続の取調べがありなから調書が作成されていない事実に加え、7月26日付け送致書中の「犯罪の情状等に関する意見」欄に「元夫の覚せい剤の常習性や悪質性を前面に出し、自己の罪責を免れんがために暗に夫に責任転嫁するような供述に終始しており、その態度からは、微塵の反省心、改悛の情もうかがえない。」旨の記載があり、この記載から警察官が元夫に無理やり注射されたとの被疑者の弁解に矛盾、不合理な点があるとして疑っていたと思われることなどを併せ考えると、被疑者は、取調べに際し、捜査官から、自分の意思で覚せい剤を注射してもらったことを認めるよう厳しく問い糾され、これを認めない自己の弁解を十分調書に残してもらえない状況が存したことがうかがわれるのである。

しかしながら、一件記録によれば、捜査官において、元夫から暴力を加えられて無理やり覚せい剤を注射されたという被疑者の当初の弁解について、不合理、不自然であると疑う事情が存したことは明らかであり、そのような場合、被疑者の供述を詳細に確認したり、あるいは厳しく追及したりするといった取調べの方法は、それが殊更に行き過ぎたものでない限り、違法とされることはないのであって(なお、上記のとおり、3日間の取調べがなされていなから調書が1通も作成されていないのは、供述内容が当初のものと変わっていなかったとしても、犯罪捜査規範177条に照らして、必ずしも妥当な捜査方法であったとはいえない。)、したがって、上記のような、被疑者に対する厳しい取調べがなされているといった事情だけでは、警察官が本件写真を故意に毀滅したり隠匿したりするなどのおそれがあると疑うことはできず、そのことは、警察官が、本件写真のうち7月25日に撮影した15枚について、すぐに写真撮影報告書等の形式の書証化していなかったことなどの事情を考慮しても同様である(なお、上記15枚の写真は、本件写真の押収後である8月10日付けの写真撮影報告書に添付されている。)

むしろ、<1>本件写真は、被疑者の両腕の状況を撮影したものなど、その大部分は、注射痕の存在等の本件被疑事実を基礎付ける証拠としても重要なものであること、また、<2>被疑者が本件写真の存在、すなわち、7月25日警察署に任意同行により赴いた直後及び同月28日身体検査をされた際にそれぞれ警察官に写真を撮られたことを分かっており、弁護人(7月28日選任)もまた、身体検査が行われていたことを含め、被疑者との接見を通じて、上記の2度にわたり写真撮影されていたことを認識していたこと、そして、<3>本件証拠保全請求時ないし原裁判時は、本件被疑事実が発覚してその捜査が開始された7月25日からまだ8日程度しか経っていない比較的早期の段階であって、警察官が故意に本件写真を毀滅したり隠匿したりするなどの行為に出るとは考え難い時期であること、さらに、<4>警察においては、既述のとおり、被疑者の供述内容等にかんがみて、被疑者の任意同行後、速やかに被疑者の注射痕様のものを写真撮影しているばかりか、被疑者の供述を裏付ける必要があるなどとして身体検査令状の発付を請求し、身体検査を実施して、被疑者の注射痕や暴行の痕跡を証拠として保全しようとしている上(裁判官あて7月27日付け身体検査令状請求書の「身体検査を必要とする理由」欄には、「被疑者は、本件犯行状況について「同居中の元夫から殴る蹴るの暴行を受けた挙げ句、無理やり、腕や手首に注射針を何度も刺され、覚せい剤を注射された。」旨申し立てている状況である。被疑者の当該供述を裏付け、更には、本件覚せい剤使用時における注射痕を特定するために被疑者の身体を見分し、暴行の痕跡や注射痕を確認する必要がある。」旨記載されている。)、上記身体検査の立会人の医師に被疑者の身体の注射痕様のものなどの鑑定も嘱託していること、しかも、<5>本件写真は、ネガもある通常カメラによる写真であり、写真の一部を隠匿しようとすれば、ネガまで隠匿せざるを得ないのであって、写真の存在を含め、弁護人が本件捜査の概略を把握している中で、ネガまで隠滅又は隠匿するといった行為に出るといったことは考えにくいこと、以上の<1>ないし<5>の諸点に加え、関係者からの事情聴取等、捜査機関の本件被疑事件に関するその余の捜査の状況を検討しても、捜査機関は、被疑者の当初の弁解に矛盾、不合理な点があるとして疑い、被疑者を厳しく追及する一方で、身体検査や鑑定の実施等により客観的証拠を収集するなどして本件事案の真相解明に向けて捜査を遂行していたと認められるのであり、殊更に本件写真が被疑者の弁解に沿う被疑者に有利なものであって、捜査機関による本件被疑事実の立証の妨げになるなどと考えて、本件写真を故意に毀滅又は隠匿するなどの行為に出るおそれがあるとは認め難いというべきである。

(5)  したがって、警察官が本件写真を故意に毀滅又は隠匿するなどの行為に出るおそれがあることを疑わせる特段の事情は認められないのであって、本件写真については、保全を必要とする事由の疎明はなされていないと解される。

なお、本件準抗告の申立適格について付言するに、前記のとおり、本件被疑事件は、被疑者の逮捕の翌日である7月26日に、検察官に送致されており、以後検察官が本件被疑事件について主体的に捜査を行う地位に立ったものというべきであるから、本件写真が原裁判時にはなお山科警察署に保管され、検察官に送致されていないという事情を考えても、検察官は、本件押収の裁判に対して準抗告を申し立てる正当な利益、権限を有し、その申立適格を有することは明らかである。そして、更には、本件のように事件送致後は、検察官が捜査機関を一元的に代表して当事者資格を持つとするのが、法律専門職としての職務上の性質や職責からしても適当であって、捜査機関内部の主張の対立を防ぐメリットもあるとの見解も成り立つところではあるが、事件送致後であっても、警察官は、事件について、検察官の捜査指揮に反することができないなどの制約はあるとはいえ、新たな証拠の収集等の捜査を継続する責務があるのであるから(犯罪捜査規範196条1項)、本件写真のように、自ら保管している証拠物について押収された場合には、警察官もまた、保管者という立場で本件準抗告の申立権を有するものと解するのが相当である。

(6)  以上によれば、本件準抗告の申立ては理由があるから、刑訴法432条、426条2項により、主文のとおり決定する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例