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京都地方裁判所 平成17年(わ)529号 判決 2006年2月21日

主文

被告人を懲役20年に処する。

未決勾留日数中240日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,宗教法人聖神中央教会の主管牧師であったものであるが,

第1

1  平成14年1月13日ころ,京都府八幡市下奈良名越<番地略>所在の聖神中央教会牧師室において,同教会の信者であったA(平成*年*月*日生。当時12歳)が13歳未満であることを知りながら同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

2  同年11月17日ころ,前記牧師室において,同女(当時12歳)が13歳未満であることを知りながら同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

3  平成16年3月ころ,同女が,かねて被告人から被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教され,その旨畏怖し,さらに,その意に反して被告人から性交を重ねられて抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

第2

1  前記教会の信者であったB(平成*年*月*日生。当時12歳)が13歳未満であることを知りながら同女を姦淫しようと企て,平成14年12月上旬ころ,前記牧師室において,自己の陰茎を同女の陰部に押し当てるなどしたが挿入することができなかったためその目的を遂げなかった

2  平成15年3月下旬ころから同年4月上旬ころの間に,前記牧師室において,同女が13歳未満であることを知りながら同女(当時12歳)を姦淫し,もって,同女を強姦した

3  同女が,かねて被告人から被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教され,その旨畏怖し,さらに,その意に反して被告人から性交を重ねられて抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,

(1) 平成16年7月21日ころ,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

(2) 同年8月12日ころ,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

(3) 同年9月ころ,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

第3

1  平成13年3月中旬ころ,前記牧師室において,前記教会の信者であったC(昭和*年*月*日生。当時12歳)が13歳未満であることを知りながら同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

2  同女が,かねて被告人から被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教され,その旨畏怖し,さらに,その意に反して被告人から性交を重ねられて抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,

(1) 平成15年5月10日ころ,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

(2) 平成16年7月21日ころ,前記牧師室において,同女(当時15歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

(3) 同年8月12日ころ,前記牧師室において,同女(当時15歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

第4

1  平成13年8月ころ,前記牧師室において,前記教会の信者であったJことD(昭和*年*月*日生。当時12歳)が13歳未満であることを知りながら同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

2  同女が,かねて被告人から被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教され,その旨畏怖し,さらに,その意に反して被告人から性交を重ねられて抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,

(1) 平成15年5月10日ころ,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

(2) 同年9月ころ,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

第5

1  前記教会の信者であったEが,かねて被告人から被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教され,その旨畏怖し,抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,平成13年8月ころ,前記牧師室において,同女(当時14歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

2  同女が前記第5の1のとおり畏怖し,さらに,その意に反して被告人から性交を重ねられて抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,

(1) 平成14年8月14日ころ,前記牧師室において,同女(当時15歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

(2) 平成15年7月28日ころ,前記牧師室において,同女(当時16歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

第6  前記教会の信者であったFが,かねて被告人から被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教され,その旨畏怖し,抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,

1  平成13年12月ころ,大阪府枚方市南中振<番地略>所在のホテルオオサカにおいて,同女(当時16歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

2  平成14年1月ころ,同市田口山<番地略>所在の被告人方において,同女(当時16歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

3  同年2月ころ,前記牧師室において,同女(当時16歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

第7  前記教会の信者であったGが,かねて被告人から被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教され,その旨畏怖し,抗拒不能の状態にあったところ,これを利用して同女を姦淫しようと企て,平成15年2月ころ,前記牧師室において,同女(当時16歳)の抗拒不能に乗じて同女を姦淫し,もって,同女を強姦した

ものである。

(証拠の標目)

<省略>

(事実認定の補足説明)

第1  弁護人の主張

弁護人は,公訴事実について基本的には争わず,被害者らが抗拒不能状態にあったこと自体についてまで争うものではないが,被告人の説教内容が本件において抗拒不能の要因であったとする限度で事実関係及び法的評価を誤ったものと考える旨主張し,被告人は,捜査段階においては,信者らを姦淫した事実はない旨述べており,被告事件に対する陳述の際には,いずれの事実についても争うことは致しませんと述べるに止まり,その後の被告人質問においても,事件の内容が間違いないか間違いか,それは本人と私と神が知ってることであり,そのすべてを含めて私は争わない,事実関係に関しては,もう争わないと語ったから,語ることはできないなどと述べるとともに,他の関係者らの供述と食い違う供述をしている部分もあるので,以下,検討する。

第2  当裁判所の判断

1(1)  聖神中央教会の信者であったA,B,C,JことD,E,F及びG(以下,それぞれ姓のみで表示し,この7名を総称して「本件少女ら」という。)は,いずれも同教会の牧師室,ホテル又は被告人宅で被告人から姦淫された,被告人は説教の中などで,「牧師は神がつくったもので,牧師に気に入られない者は神の祝福も受けることができない。」,「神の祝福を受けられないということは,天国へ行けず,地獄に堕ちる。」,「牧師を裁けるのは神のみである。」,「牧師である私は,イエス様によって立てられた僕である。」,「私に従わなければならない。」,「私の言葉に従えばそれは従順であり,天国に行ける。」,「教会から離れれば地獄に堕ちることとなる。」,「従順と忍耐が大切である。」などと言っており,また,本件少女らが髪を染めたり,ピアスをしたり,眉を整えておしゃれをすると,被告人から,「世のことに心を奪われて堕落している。」などと怒られ,被告人の言うことを聞かないと,「除名する。」,「除籍する。」などと言われた旨述べている。

(2)  本件少女らの供述は相互によく整合しており,その内容も具体的かつ合理的で自然なものであって,実際に体験した者でなければ語り得ない迫真性に富んだものということができる。本件少女らが教会(以下,枚方エルサレム中央教会等の宗教法人聖神中央教会が関与していた教会も含めて,「教会」という。)に通うこととなった経緯,教会での被告人の説教の内容,被告人と一緒に牧師室に泊まることとなった経緯,本件少女らが姦淫されていることが明らかとなり一緒になって被告人を追及したことなど,それぞれが本件一連の経緯について供述しているところは,その時々における被告人の言動,姦淫されるなどした際の状況,被告人に抵抗することができなかった理由等について自己の心理や感情等を交えて詳細に述べられており,その内容において不自然,不合理な点は全く見当たらない。そして,供述の内容が強姦という女性としては供述することがはばかられる内容にわたるものであることに加えて,本件少女らはいずれも10代の若い女性であり,中には小学生であるときに姦淫された旨述べている者もいることからすると,同女らが敢えて虚構の事実を述べるなどとは考え難く,被告人が説教等で語ったとする内容については,聖書に記載されている内容を被告人が解釈したものであり,到底同女らが作出し得るものでもなく,また,虚偽の事実を作出してまで被告人を罪に陥れなければならない理由や動機も全く認められない。

(3)  さらに,本件少女らの供述内容は,KやQら他の教会の関係者らの述べるところとも整合しているところ,Kらは教会の幹部として,被告人が本件少女らを姦淫していることを知りながら本件少女らを牧師室に連れて行ったことや,被告人が本件少女らを強姦している旨の手紙が届いた際に被告人の指示を受けて,本件少女らにその手紙の内容は嘘であるとする念書を作成させたことなど,自分自身が刑事責任を問われる可能性がある内容についても,曖昧な内容を述べるなどしている形跡は全く窺われず,また,前記Kらは供述する時点においても,被告人のことを「パウロ先生」と呼び,被告人のことを従前どおり敬愛の対象として見ていることが窺われるのであり,敢えて虚偽の事実を述べて被告人を陥れる理由は何ら見当たらないことからすれば,前記Kらは自己の記憶に従って供述しているものと認められる。

(4)  以上の事情を総合すると,本件少女らの供述はいずれも十分な信用性を備えたものということができ,他方,本件少女らの供述に反する捜査段階及び公判廷における被告人の供述は不自然,不合理なものであり,本件少女や教会幹部らの供述と齟齬していることについて何ら合理的な説明をなし得ておらず,到底信用することができないものであるから,結局のところ,本件少女らの供述するところに従った事実を認定することができる。

2  以上の事実に基づいて,以下,本件少女らが抗拒不能状態に陥った原因について検討する。

(1) 弁護人は,被告人が,被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠に苦しみ続ける旨説教した事実はなかったなどと主張し,被告人の説教集である日々の糧,セミナー等資料,被告人の上申書及び被告人供述などをあげており,地獄に堕ちるなどと説教したことによって本件少女らが抗拒不能に陥ったものではなく,抗拒不能の要因として,①性的事件であること,②本件少女らが未成年であったこと,③本件少女らの親族も信者であったことなどが考えられる旨指摘している。

(2) しかしながら,被告人が説教等において,被告人の指示に従わなければ地獄に堕ちて永遠の苦しみを続ける旨説教していた事実は,被害者らがその表現に違いがあるものの趣旨において共通に供述するところであり,それに加えて教会関係者のこれを裏付ける供述があり,被告人が「私の言葉に従えばそれは従順であり,天国に行ける。」,「牧師に従順でないことは神に従順でないことであり,地獄に堕ちる。」などと言っていたことは優に認定できることは既に判示したとおりであるが,地獄に堕ちた場合,「火と硫黄の燃える池があり,高温で人々の魂が焼かれ続け,抜け出せない。」,「地獄では,虫が人の目や口から出たり入ったりし,地獄に堕ちた者たちは,その虫や虫の排泄物を食べて飢えをしのぐしかない。」,「地獄は悲鳴ばかりがこだまし,永遠に滅びることもできずに苦しみもだえるばかりの場所である。」などと聞くだけでも恐ろしい世界が待っていることを説教で述べており,少女らが地獄に堕ちた場合到底耐えられないと思い込む内容のものであると判断できる。

(3) そして,Aは生後まもないころから母親とともに教会に通い始め,1歳のときに洗礼を受け,Bは小学校2年生のころから母親とともに教会に通い始め(母親は同女が中学校2年生の4月ころから教会に行かなくなったが,兄が被告人の教えで韓国に行く前は共に通っていた。),洗礼を受け,Cは小学校1年生のころから母親とともに教会に通い始め,小学校2年生のときに洗礼を受け,Dは2歳か3歳のころから母親とともに教会に通い始め,洗礼を受け,Eは6歳ころから母親とともに教会に通い始め,洗礼を受け,Fは幼稚園の年長のときに母親とともに教会に通い始め,洗礼を受け,Gは幼稚園のころから母親とともに教会に通い始め,洗礼を受けたものである。このように,本件少女らは,いずれも幼いころから母親とともに教会に通い,被告人の説教等を聞き,家庭でも食事の前に神への祈り,感謝の言葉を唱えてから食事をするように教えられ,教会に泊まるようになり,中には学業が疎かになり出席日数が足りないと言われる者もいるなど,家族ぐるみで教会での信仰中心の生活を送っていたものである。また,Dは小さいころアトピーに悩んでいたところ,被告人が牧師をする教会に通い出したころからアトピーが治り,それはイエスを信じたからだと思い込み,Eは,兄の腎臓病の手術が成功したのは被告人の影響であると信じ,他の聖徒がアトピーが治ったことや被告人が指示したとおり笑い出したり踊り出したりしたのを目の当たりにし,自分もお腹を触られてお腹が痛くなったり,手をかざされて倒れたりするなど,被告人には不思議な力があると思い込むなどしており,本件少女らは何らかの体験を通じて教会内では被告人に不思議な力があるように思われていたことを認識させられていた状況にある。その上,本件少女らはいずれも,被告人や他の信者のみでなく,親からも被告人が聖徒などになすことは祝福であり,神の意に添う喜ばしいことであると評価されており,また,被告人に気に入られた者や被告人が説教の際にほめた者は高く評価され,厚遇される一方で,気に入られなかったり非難されると周囲の者から白い目で見られ,神に従順でないものと評価される,ときには被告人によって暴力を受け,あるいは裸で走らされるなどの制裁を受けることを目の当たりにし,あるいは親から叱られるなどしており,それらを通じて本件少女らは被告人の力が絶大なものであり,また,被告人は主管牧師として牧師の中でも一番偉いもので,神に近い存在であると教会内で皆から評価されていることをまざまざと実感し,またそのように教会関係者や親から教え込まれていたものである。

(4) 被告人は,判示第1の3,第2の3の(1)ないし(3),第3の2の(1)ないし(3),第4の2の(1)及び(2),第5の1,第5の2の(1)及び(2),第6の1ないし3並びに第7の各犯行に当たりその行為前に個々的に自己の言うことを聞かなければ地獄に堕ちるなどと言って姦淫したわけではない。しかしながら,本件少女らは被害当時14歳ないし16歳の少女であり十分な判断能力が備わっていないところ,大人ですら被告人のことを神に最も近い存在と信じていたものがいる状況下で,親などが被告人をそのように思っており,小さいころからそのように教え込まれていたのであるから,主管牧師である被告人が神の御言葉を語る神の代理人又は神に最も近い存在であると信じ,被告人を畏怖敬愛し,被告人が説教等において述べているように被告人に逆らうことは神に逆らうことを意味し,牧師である被告人に従順でなければ神の祝福を受けることができず,天国には行けない,神の祝福を受けることができなければ前記のとおり想像するのも恐ろしい地獄に堕ちることになると何らの疑いを抱くこともなく信じ,被告人の言うことを批判することができず従順に行動したことも無理からぬところである。そして,そのような状況に置かれていた本件少女らが被告人から牧師室に来るように,あるいは同行するように求められて牧師室に行き,ホテルや被告人宅に同行し,服を脱ぐように指示され,性的な行為をされ,姦淫されそうになった場合,気持ち悪いなどと感じ内心ではこれを拒否したいと思っても,被告人からそれが祝福などと言われ,神に最も近い存在である被告人から要求され行動されれば,被告人に抵抗し,姦淫されることを拒絶することはおよそ不可能なことであったと認められ,被告人の要求どおり従順に行動せざるを得なかった,すなわち,牧師である被告人には抗拒できない状況で姦淫されたと認められる。そのことは,被告人から牧師室に泊まれなどと言われたときに拒否できず,母親らに泊まることの承諾を得る際に母親らが泊まらないようにと言ってくれることを期待したりしていたが,母親らはまさか牧師が幼い子供らを姦淫しているとは思わずに,牧師室で泊まることなどは祝福を受けることだと言い,泊まるように言われ,仕方なく,泊まっていたとの供述や,何とかして姦淫されないために生理であるなどと嘘を言って姦淫されることを免れようとしたが,それでも要求されると断れず,月に何度も生理はないのでこのような口実を持ち出すことができないときは嫌だと思いながらも被告人の指示に従って姦淫されていたという供述にも現れている。

(5) また,A,B,C,D,Eは,被告人から何度も姦淫されており,とりわけAは小学6年生のころから中学3年生のころまで1か月に二,三回,Dは2年間平均して月に二,三回,Eは中学3年生のころから多いときで1週間に三,四回,少ないときで1か月に三,四回も姦淫されたというのであり,極めて多数回にわたり姦淫されてきたのであるから,個々的な被害意識が薄れ,個々的な抵抗感も次第に弱くなったことは推認できるところである。また前記少女らは母親らに救いを求めるが救われないと知ると諦めてしまっていることにもあるように何度も姦淫されると諦めてしまって被告人の要求に対しそれほどの抵抗をしなくなったとも推認できる。しかしながら,その一方で少女によっては好きな人ができ,その人と関係を持つのはいいが,好きな人ができたなかで被告人から関係を持つことを求められたときの嫌悪感はそれまで以上に増したとも思える状況もあり,幼いころは被告人の行為の意味もよく分からないままに姦淫されていたが年齢を重ねるに従って姦淫されることの意味を理解し姦淫されることに対する嫌悪感をより強くもつようになっている状況も認められる。このように内面的な抵抗感の強さが増す一方であきらめや被告人の要求に唯々諾々と応じてきた状況が認められる。総じて,被告人から姦淫されることを祝福であると思って喜んでいた者は本件少女らにはいない。牧師室に来るように,あるいは牧師室で泊まるように言われるとそれは被告人から姦淫されることであると分かった上で被告人の要求を拒否しなかったのは,それは牧師に逆らえず,被告人から祝福と言われ,嫌だが祝福であるからそれを受けなければ神に最も近い牧師の意思に反し地獄に堕ちると考えて抵抗出来ずに被告人の要求に応じていたのであり,それが抗拒不能の唯一の理由であると評価し,性交を重ねられたことを抗拒不能の事由から除くことも考えられる。ただ,前記のとおり多数回姦淫を繰り返され,内心の嫌悪感は増したもののあきらめの気持もあり順次抵抗意識が薄れ,神の祝福という言葉に救いを求め被告人の要求に応じたという側面もあったと思われるので,起訴事実と同様の事実を認定することにしたものである。

(6) なお,被告人は本件少女らの年齢や判断能力,説教などの内容や自己の言うことに従うかどうかなどの事情はその行動状況から知悉しており,さらには本件少女らが進んで姦淫されていないことは身をもって分かっており,それ故にこそ被告人は行為後被告人のやったことは祝福であると本件少女らに言って自己の行為を正当化したり他の者には言わないように口止めをしたものと認められる。

3  よって,本件少女らが,被告人に従わなければ地獄に堕ちることになるなどと畏怖し,抗拒不能の状態にあったことに疑いを入れる余地はなく,判示の各事実は,いずれも優に認定することができる。

第3  結論

したがって,前記弁護人の主張は採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示第1の1及び2,第2の1及び2,第3の1並びに第4の1の各所為はいずれも行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法177条後段(判示第2の1については更に同法179条)に,裁判時においては同改正後の刑法177条後段(判示第2の1については更に同法179条)に該当するところ,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,判示第1の3,第2の3の(1)ないし(3),第3の2の(1)ないし(3),第4の2の(1)及び(2)並びに第5ないし第7の各所為はいずれも行為時においては前記改正前の刑法178条,177条前段に,裁判時においては同改正後の刑法178条2項,177条前段に該当するところ,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,以上は刑法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により犯情の最も重い判示第1の1の罪の刑に前記改正前の刑法14条の制限内で法定の加重をした刑期(刑の長期は,行為時においては前記改正前の刑法14条の制限内で法定の加重をし,裁判時においてはかかる制限は存しないことになるところ,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑による)の範囲内で被告人を懲役20年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中240日をその刑に算入することとする。

(量刑の理由)

1  本件は,聖神中央教会の主管牧師であった被告人が,同教会の信者であった合計7名の女性信者を,13歳未満であることを知りながら5回にわたり姦淫し(判示第1の1及び2,第2の2,第3の1並びに第4の1),13歳未満であることを知りながら姦淫しようとしたが未遂に終わり(判示第2の1),あるいは,抗拒不能の状態にあることに乗じて16回にわたり姦淫した(判示第1の3,第2の3の(1)ないし(3),第3の2の(1)ないし(3),第4の2の(1)及び(2)並びに第5ないし第7)という事案である。

2  被告人は,主管牧師という聖職者の地位にあったものであり,幼いころから被告人の教えを受けるなどしており,被告人のことを最も神に近い存在であり,被告人に逆らえば地獄に堕ちることになるなどと信じ込まされていた被害者らが被告人に抵抗することができないことに付け込み,年端もいかない被害者らを次々と強姦し,ときには複数の被害者らを同一の機会に強姦するなどの行為にまで及んでいたものであり,被害者らが畏怖・敬愛の対象としてみていた主管牧師たる地位を濫用し常習的に犯行を重ねた本件は,性犯罪事案の中でも他に類をみないほど極めて悪質な事案である。また,被告人は,主管牧師の地位にあったのであるから,信者らを教え導くとともに自らの行動をもって信者らに範を示すべき立場にあったにもかかわらず,姦淫するなかれとの教えとは全く逆に自らの快楽のみを追い求め,欲望のおもむくままに被害者らを次々に強姦したものであり,被害者らの人格を無視し,本件少女らを自らの性欲の対象として見て犯行に及んだもので,その自己中心的で身勝手な犯行動機に酌むべき余地は全くない。被害者らはいずれも10代の若い未婚の女性であり,中には被害時には小学生であった者や性体験を全く有していなかった者も多く含まれているところ,突然,父親あるいは祖父のような存在として慕い,あるいは神に最も近い存在であるとして信頼し,敬愛していた被告人から強姦され,その後も被告人に強姦されることを認識しながらも被告人から牧師室に来るように言われると被告人のことを拒絶することができずその指示に従うしかないと観念し,たびたび弄ばれることとなったものであり,被告人の行為は背信的であると表するほかはない。被害者らは,性的な被害を受けたこと,とりわけ牧師として神のように慕う者から受けたことにより多大な衝撃,精神的な痛手を受けたものであって,今でも被告人の夢をみてしまうと述べる被害者もいるなどその痛手は限りなく深く,被害者らの人生に拭いがたい傷跡を残したものであり,今後成長するにつれてその傷が更に深まることも十分に考えられるのであって,被害者らの今後の成育及び人生に多大な悪影響を与えることも懸念される。にもかかわらず,被告人は,本件各事実について,公判廷において,「いずれの事実についても争うことは致しません。」,「それ以上申し上げることはございません。」,「子どもらに心の痛み,その他もろもろの痛みを与えているのなら」,「仮に傷つけていたとしたら」などと述べ,自らの犯行について何故そのような行為に及んだのかなどの点について何ら自分の言葉で真摯に説明しようとしていないばかりか,本件各犯行に及んだことはないかのような発言に終始しているのであり,被害者らに対する慰謝の措置を何ら講じていないことはもとより,自らの行為を認めた上で,被害者らに対して謝罪の言葉を述べることすらしていない。さらに,被害者を強姦した後に,牧師室の中でのことは口外してはならないと口止めをしたり,教会に被告人が被害者らを強姦しているなどと記載された手紙が届き,被告人の行為が発覚しそうになるや,教会幹部に指示し,被害者らを呼び集めさせ,信仰の拠り所となる教会を存続させたいとする被害者らの気持ちに付け込み,手紙に書かれているような被害に遭ったことはない旨の念書を作成,署名させるなどして,自らの犯行が発覚することを防止し,あるいは揉み消そうと画策するなど,犯行後の情状も極めて悪い。そして,被告人が長期間にわたり日常的に本件各犯行を累行していたことに加えて,捜査段階においては被害者らを強姦した事実はない旨供述していたものであり,公判廷においては前記のように事実については争わないと述べるに止まり,ほとんど事実関係について説明しようとしておらず,説教の内容に関しては虚偽の供述に終始している。かかる一連の被告人の供述態度や犯行後の行動に照らすと,被告人が本件各犯行の重大性や自らの行為により生じた結果の重大性を十分に認識し,被害者及びその両親らの苦しみや悲しみ,怒りなどに思いを致しているとは到底いうことができず,被告人からは反省の態度を看取することができないものといわざるを得ない。

以上からすれば,被告人の刑事責任は極めて重いと認められる。

3  したがって,前記教会が本件起訴に係る被害者のうち5名が申し立てた不動産仮差押えについてなされた仮差押決定に関して仮差押解放金として合計2280万円を供託しており,少なくともその限りにおいて被害弁償がなされる見込みがあること,本件発覚後,被告人が同教会から役員を解任され,除名されるなどしていること,被告人が高齢であること,被告人は事実を認めていないが,調書に同意し実質的には認めたと変わらない状況を作り,本件少女らを証人として呼び出し証言を求めるという二次的な被害を与えることはしなかったこと,自らは刑事責任を問われることを覚悟していると思われることなどの被告人に有利な事情も認められるが,これらを最大限に考慮しても,常習的に敢行された,被害者が7名と多数でかつ複数回にわたって犯行を犯している本件各犯行の悪質性,結果の重大性等に照らすと,被告人の刑事責任が極めて重いことは明らかであり,検察官の求刑は相当であり,被告人に対しては,行為時の法律の下で被告人に科することができる刑の上限である主文掲記の実刑に処するのが相当であると判断した。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・上垣猛,裁判官・三輪篤志,裁判官・佐々木隆憲)

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