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京都地方裁判所 平成17年(ワ)1605号 判決 2006年8月08日

主文

1  被告は,原告に対し,670万円及びこれに対する平成17年8月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを10分し,その9を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。

4  この判決の1項は仮に執行することができる。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(1)  被告は,原告に対し,6226万9509円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

(3)  (1)につき仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(1)  原告の請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

第2当事者の主張

1  請求原因

(1)  当事者

ア 被告は消費者金融を営む会社である。

被告の代表取締役社長はCである。

イ 原告は被告に勤務していた者であり,その勤務歴は以下のとおりである。

平成 5年

8月15日

入社

平成13年

9月 1日

営業統括部長

平成15年

1月 1日

管理部長

平成15年

6月 1日

営業部長

平成15年

7月 1日

取締役(営業部長兼務)

平成16年

2月 1日

管理部次長(降格)

平成16年

6月 1日

休職

平成17年

4月 末日

退職

(2)  Cの不法行為(安全配慮義務違反行為)

ア 登記簿謄本取得の件

(ア) 平成15年8月の与信設定限度額勉強会(以下「与信勉強会」という。)の席上,Cから,持ち家顧客の全員について,インターネットで登記簿謄本を取得するようにとの指示がなされ,原告は,上司であるD本部長に報告・相談しながら,持ち家顧客全員の登記簿謄本の取得を実行していった。

(イ) Cは,同年10月になって,その取得費用が総額約1600万円かかり,すでに700万円を出費していることを知り,未決裁のうちにそのような多額の費用を発生させたのがけしからんと,原告に対し,「お前は何をしとるんじゃ」と怒りだした。

(ウ) 原告はこの件で3ヶ月の減給処分を受けた。

イ 原告に対する罵倒の件

Cは,そのころから,原告が社内の会議,ミーティングあるいはCとの面談で何か発言をすると,これにことごとくケチをつけ,否定し,「なめとんのか,われ」,「アホ。ぼけ」などと口汚く罵倒した。

ウ 煙草の火の押し付けの件

(ア) 同年12月29日は年内最終出社日であり,本社会議室で打ち上げの食事会が持たれ,その後,祇園のクラブ「E」を貸し切って,二次会が行われた。

(イ) Cは,同月30日午前0時過ぎころ,二次会の席上,原告の左横に移動して来て座り,右手に持って吸っていたタバコの火を原告の左頬に数秒間押しつけ,全治3週間を要した顔面火傷の傷害を負わせ,かつ,後遺障害として完治2,3年を要する炎症後色素沈着症を負わせた。

エ 同時休暇承認の件

(ア) 平成16年1月14日,原告は,部下の2人の課長が同時に休暇を取得することを承認したことについて,Cから,どちらの休暇を先に許可したのかと訊かれたが,どちらが先だったか思い出せなかったので,「忘れました」と答えると,嘘をつくなと大声で怒鳴られ,「2人の休みがダブっているのに許可したことをごまかすため,嘘をついとる」と詰られ,「嘘をつきましたと言え。そうしたら許したる」と言われたが,原告は嘘をついている意識はなかったので,「嘘はついていません。忘れました」と答えた。すると,Cは激昂し,「そんなはずがあるかい。

明日始末書を持ってこい」と怒鳴り,翌日,原告に始末書を提出させた。

(イ) その結果,原告は,同月29日,被告から,「部門内の管理面において判断を誤り,さらに当該件について会社への報告面においても適切さを欠く状態であった」として,同年2月1日より部長職から次長職2等級への降格処分を受けた。

オ 休暇取り止めの件

原告は,うつ病のため,同月3日から休暇を取っていたが,Cは,同月11日に原告を会社に呼び出し,「何,勝手に休んどんじゃ。休むんやったら,1月に言え,言うたやろ。われ,うつ病や言うてもアホなったんちゃうやろが。なめとんか,われ。どないするんじゃ,来週から出て来えへんやったら,自分から辞めぇ。」と延々1時間も説教され,原告は,やむなく,同月16日から出勤した。

(3)  原告のうつ病の発症及びその増悪

ア 原告は,平成15年10月ころから,不眠,集中力の低下等の症状を呈していたが,煙草の火の押し付けの件の後,強い抑うつ状態に陥り,不眠が続いたため,平成16年1月15日,F医院で受診したところ,うつ病と診断された。

イ 原告は,抗うつ剤等を服薬しながら勤務を続けていたが(但し,同年2月3日から同月15日まで休暇取得),症状は悪化し,同年6月1日から休職したものの,早期治療の機会を失ったため,うつ病は難治性のものとなり,現在でも就労不能の状態にある。

(4)  Cの不法行為と原告のうつ病発症及びその増悪との因果関係

登記簿謄本取得の件,原告に対する罵倒の件,煙草の火の押し付けの件及び同時休暇承認の件は,被告のワンマン社長であるCが,社長対社員という絶対的な優越関係を背景にした人格攻撃,侮辱,いじめであり,これによって原告はうつ病を発症し,さらに,休暇取り止めの件は,うつ病発症の早期治療に一番重要な休養の機会を奪うものであり,これによって原告のうつ病は難治性のものとなった。

(5)  原告の損害

ア 原告がうつ病発症前に受けていた賃金と実際に受けた賃金の差額

(ア) 平成16年2月から同年10月まで

平成16年1月当時の年俸1338万1468円であり,平成16年2月当時の年俸は1060万9350円であるから,この9ヶ月間の損害は,(1338万1468円-1060万9350円)×9÷12の計算により207万9088円であり,健康保険からの傷病手当金140万9418円を控除すると損害は66万9670円となる。

(イ) 平成16年11月から平成17年4月まで

平成16年11月からは年俸500万円に減額されたから,この6ケ月間の損害は,(1338万1468円-500万円)×6÷12の計算により419万0734円であり,同傷病手当金224万4762円を控除すると損害は194万5972円となる。

(ウ) 将来分

原告のうつ病が治癒し,就労可能になるまで,あと数年を要すると予測されるが,労働基準法81条を参考にして退職の日から1200日分の賃金相当額である4399万3867円(=1338万1468円÷365×1200)が損害となる。

(エ) 上記(ア)ないし(ウ)の合計4660万9509円

イ 慰謝料

原告は,うつ病の発症,うつ病による苦痛,うつ病により退職を余儀なくされたこと,煙草の火を押し付けられたこと,言いがかりとしかいえないような理由によって懲戒処分を受けたこと,賃金を従来の2分の1以下の500万円に減俸され,生活が脅かされたことにより,多大の精神的苦痛を受け,これを慰謝する金員は1000万円を下らない。

ウ 弁護士費用

566万円(上記ア及びイの合計額の1割)

エ 上記アないしウの合計6226万9509円

(6)  よって,原告は,被告に対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,損害賠償金6226万9509円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  請求原因に対する認否

(1)  請求原因(1)について

ア及びイは認める。

(2)  請求原因(2)について

ア(ア) そのころ与信勉強会が開かれたこと,その席上,Cが持ち家顧客の登記簿謄本を取得することを提案したこと及び原告が持ち家顧客全員の登記簿謄本の取得を実行していったことは認め,原告がD本部長に報告・相談していたことは不知,持ち家顧客全員の登記簿謄本を取得することがCの指示であったことは否認する。

(イ) Cが原告に「お前は何をしとるんじゃ」と怒り出したことは否認し,その余は認める。

(ウ) 認める。

イ Cが原告の独断専行について叱責,批判したことは認め,その余は否認する。

ウ(ア) 認める。

(イ) Cは従業員の間を回っていたから,原告の席にも行ったことはあったと思われるが,Cが原告の左頬に煙草の火を押し付けたことは否認する。

エ(ア) Cが,原告に対し,課長が同時に2人不在になると業務に支障が出ることから,その点の調整をしなかったことを叱責したことは認め,その余は不知ないし否認する。

(イ) 認める。

オ 原告がうつ病のため平成16年2月3日から休暇を取っていたこと,同月11日に原告が会社に出てきたこと及び同月16日から出勤したことは認め,その余は否認する。

(3)  請求原因(3)について

ア 原告がうつ病を発症したことは認め,その余は不知ないし争う。

イ 原告が平成16年2月3日から同月15日まで休暇を取っていたこと及び同年6月1日から休職したことは認め,その余は否認ないし争う。

(4)  請求原因(4)について

否認ないし争う。

(5)  請求原因(5)について

ア 原告の平成16年1月当時及び同年2月当時の各年俸の金額並びに健康保険からの各傷病手当金の金額は認め,その余は否認する。

イないしエ

否認ないし争う。

(6)  請求原因(6)は争う。

3  抗弁(過失相殺)

(1)  登記簿謄本取得の件については,原告が社内手続の履践を懈怠したことにに基づくものであり,また,その点についての原告の考え方や受け止め方に問題があった。

(2)  煙草の火の押し付けの件については,原告は,ことさらにCが原告に悪意を抱いているものと誤信し,この誤信を前提に自らを精神的に追い込んでいったものである。

また,2度程度の火傷であれば,水ぶくれが破れないように保護して回復を待てば,1,2週間ほどで水ぶくれが治まり,ほとんど痕跡は残らないから,原告は直ちに治療を受けるなどの適切な処置をとらなかったため,症状を悪化させたものである。

(3)  同時休暇承認の件については,原告が同時休暇を認めたこと自体ではなく,その承認の経過をきちんと説明できなかったことが営業責任者として問題があるとされたものである。

(4)  Cは休暇を取るように原告に積極的に働きかけており,勤務を継続し,うつ病が難治化したことは原告の判断によるものである。

(5)  したがって,損害の発生について原告にも過失があり,過失相殺されるべきである。

4  抗弁に対する認否

(1)ないし(4)

否認する。

(5) 争う。

原告に過失があるとしても,うつ病の診断を受けてからも約2週間勤務した点くらいである。

しかし,この点も,Cが休暇中の原告を平成16年2月11日に呼び出して出勤を命じたことに比べれば,うつ病の難治化には何の影響も与えていないというべきである。

理由

第1請求原因について

1  請求原因(1)について

ア及びイは争いがない。

2  請求原因(2)について

(1)  登記簿謄本取得の件について

ア 平成15年8月の与信勉強会において,Cから持ち家顧客(その全部か一部かは別として)の登記簿謄本取得の提案(原告は「指示」と主張しているが,この点はさておき,Cが提案したこと自体は争いがない。)が出された後,原告が持ち家顧客全部の登記簿謄本の取得を実行していったこと,同年10月ころになって,Cは,すでに約700万円の出費をしており,総額では1600万円かかることを知って,未決済のうちに多額の費用を発生させたとして,原告を叱責したこと及び原告が被告から減給3ヶ月の処分を受けたことは争いがない。

イ 与信勉強会の性質について検討すると,甲28,乙1,原告の供述及び被告代表者の供述によれば,与信勉強会は,貸し倒れリスクを減らすために顧客の属性に応じた与信限度額を研究する勉強会であるから,その席上,Cが持ち家顧客の登記簿謄本の取得を提案あるいは指示したとしても,これは与信限度額の管理に当たっての提案というべきものであって,与信勉強会で出された提案が承認されたからといって,その提案に基づく事務処理について,通常の会社の意思決定として行われる手続が不要になると解することはできない。したがって,経費を要する場合には,会社所定の経費支出のための稟議を要すると解される。

また,登記簿謄本の取得費用について検討すると,登記簿謄本を取得する対象が原告の供述(甲28も同旨)するように持ち家顧客の全部であるとしても,該当する顧客数は約1万5000名いるから,取得費用は登記簿謄本1通当たり1000円としても,一戸建住宅では土地と建物で登記簿謄本は2通となり,総額で1500万円で納まるとはいえず,取得費用総額も未確定である。このような臨時の費用であり,かつ総額未確定な多額の経費支出を要するものについて,社長が提案あるいは指示したものであるからといって,経費支出の稟議を要しないとは考え難い。

ウ 原告は,登記簿謄本の取得に当たっては,上司のD本部長に報告・相談をしていたと主張し,甲28及び原告の供述にはこれに沿う部分があり,甲22の4枚目に「許可をもらっていたけど,その人が亡くなった」との記載があることを考慮すれば,甲28及び原告の供述の上記部分は採用できる。

しかし,D本部長がCに報告していたかどうかは明らかではないうえ,甲28によれば,被告においては,C,D本部長及び原告もメンバーとなっている営業戦略会議が月に2回,経営会議が月に1回及び役員会が月に1回開催されているのであるから,原告としては,D本部長に報告するまでもなく,営業の責任者として,これらの会議で直接Cに登記簿謄本の取得開始及び取得状況を報告するべきであり,甲28,甲37,乙1,原告の供述及び被告代表者の供述によれば,これらの会議において,原告が登記簿謄本の取得開始及び取得状況をCに報告したとは認められない。

なお,原告が登記簿謄本の取得開始及び取得状況の報告をしたからといって,経費支出の稟議の必要がなくなるわけではないことは当然である。

エ 以上によれば,原告は,営業の責任者として,登記簿謄本の取得開始及び取得状況を報告せず,かつ,部下である営業担当者が登記簿謄本を取得するにあたって,経費支出の稟議書を作成し,Cの決済を受けることを怠ったものである(甲6の1ないし13によれば,経費支出の稟議書の作成責任者は営業部長である原告であり,決裁権者はCであると認められる。)。

したがって,この件について,Cが原告を叱責し,被告が3ヶ月の減給処分をしたことが安全配慮義務に違反するとはいえないし,およそ不法行為にあたらない。

(2)  原告に対する罵倒の件について

上記(1)において認定したところに加え,甲28によれば,原告は,登記簿謄本取得の件で,そのころからCの不興を買い,Cがことあるごとに原告の発言にケチをつけ,否定することがあったと認められる。また,甲34(65ないし68項)を考慮すれば,そのような際,Cは「なめとんのか」,「ぼけ」などの罵詈雑言を弄したと認められる。

もっとも,甲28によっても,原告に落ち度がなく,Cに一方的に非があったとは直ちに認められない。

しかし,Cの言葉遣いは相手の人格を傷つけるものであり,上司であっても,このような言葉で部下を叱責するのが相当とは認められず,頻繁にそのような罵詈雑言を弄すれば,それ自体が不法行為にあたる(なお,原告がうつ病を発症していることを知りながらしたのであれば,安全配慮義務に違反するいえるが,その点の証明はないから,安全配慮義務に違反するとはいえないものの,不法行為にあたることに変わりはない。)。

(3)  煙草の火の押し付けの件について

ア 平成15年12月29日,二次会が前記クラブ「E」で行われ,原告及びCら被告の役職員が参加したことは争いがない。

イ 甲22の5枚目,甲26の1ないし9,甲28,F(以下「F医師」という。)の証言及び原告の供述によれば,二次会の席上において,火のついた煙草によって原告の左頬に火傷が生じたことが認められる。

ウ 上記火傷が煙草の火を押し付けられたことによって生じたものか,煙草の火が偶然に当たったものかを検討する。

F医師の証言によれば,同医師が診察した平成15年1月15日の時点では水泡がつぶれた状態(2度くらい)であったと認められ,偶然に煙草の火が当たったとすれば,当てた方は慌てて手を動かすであろうし,当てられた原告も顔を背けるの普通であるから,煙草の火と皮膚との接触は一瞬のことと考えられ,この場合,火傷の程度は発赤する程度と考えられ,水疱ができるほどの火傷になるとは考え難い。

したがって,火傷の程度から考えて,煙草の火は偶然に当たったものではなく,押し付けられたもの,すなわち,故意によるものと認められる。

エ 二次会の出席者のうち,原告に対して故意に煙草の火を押し付ける者としては,原告より上位の地位にある者と解するのが相当である上,上記(1),(2)によれば,当時,原告はCの不興を買っていたことを考慮すれば,Cから煙草の火を押し付けられたという甲28及び原告の供述は採用できる。これに対し,乙1及び被告代表者の供述は,誰の行為あるいは過失にせよ,煙草の火が原告の頬に当たったのであれば,そう広くもない宴席であるから,ちょっとした騒ぎになり,記憶に残っているはずであるが,その点の記憶もないというのであり,甲28及び原告の供述に比べて信用性は低い。

また,甲25について,被告代表者は,前記クラブ「E」の経営者であるGは原告がうつ病だということを知っていたから,原告に話を合わせたと同人から聞いていると供述するが,甲25の中の「たばこの後でグーでなったんとちゃいますか?」というGの発言は,グーで殴られそうになったのは年明けの食事会のときのことであるとの原告の説明を前提にして,グーで殴られそうになったのは煙草の後のことではなかったかと質しているのであって,Gの上記発言は原告に話を合わせたというよりも,同人の目撃状況を述べているものと認められ,上記記載はCが煙草の火を押し付けたとの認定を裏付けるものである。

オ したがって,Cは煙草の火を原告の左頬に押し付けたと認められ,この行為が不法行為にあたることは明らかである。

カ なお,甲29の1,2によれば,平成17年10月27日の診断時点でも火傷による色素沈着の痕はうっすらと残っており,消失するまでには半年から1年くらい要すると認められる。

(4)  同時休暇承認の件について

ア 原告が部下である課長2人の同時休暇を承認したことは争いがない。

イ 被告代表者の供述によれば,両課長を交互に休ませることはできなかったのかというCの質問に対して,原告はできると答えたので,じゃなぜ交互に休ませなかったのかとCが質問すると,原告は,わかりません,知りません,忘れましたとの答えであったので,さらに,Cがどちらの課長から先に許可したのかと質問すると,原告は,それに対しても分かりません,知りませんという答えだったので,原告は取締役でもある営業の責任者としては問題があるとして,原告を叱責し,降格処分にしたと供述する。

しかし,なぜ交互に休ませなかったのかとの質問に対して,甲28及び原告の供述によれば,休暇の理由を聞いていたと認められる原告が,わかりません,知りません,忘れましたとの答えをするとは考え難く,この点の被告代表者の供述は採用できない。また,どちらの課長から先に許可したのかとの質問に対しては,思い出せず,答えられなかったことは原告も認めているが,原告代表者の供述によれば,Cが原告に質問したのは同時休暇が終わった後のことであるから,いまさら両課長の休暇承認の先後関係を確認したところで無意味であるうえ,休暇承認の先後関係はそれを記憶していないと管理職としての適格性を欠くというような事柄でもないから,質問自体が無理難題を強いるものであり,その後になされた部長職から次長職2等級への降格処分(甲9)の程度から考えても,叱責のためにわざわざ質問したとしか考えられない。

したがって,このような質問に答えられなかったからといって,叱責し,始末書の提出を求めたこと(甲28)は不法行為にあたる(なお,原告がうつ病を発症していることを知りながら使用したのであれば,安全配慮義務に違反するといえるが,その点の証明はないから,安全配慮義務に違反するとはいえないものの,不法行為にあたることに変わりはない。)。

(5)  休暇取り止めの件について

ア 原告がうつ病のために平成16年2月3日から休暇を取っていたこと,同月11日に原告が会社に出てきたこと及び同月16日から出勤したことは争いがない。

イ 同月11日に原告が会社に出てきたことについて,被告代表者は,自分が呼び出したのではなく,総務部長のHが原告を呼び出そうとしていると聞いたので,時間を設定して会ったと原告に供述するが,Cの指示でないとすれば,Hは何のためにわさわざ原告を呼び出そうとしていたのか明らかでなく,被告代表者の上記供述は不自然であって採用できない。

したがって,原告の供述(甲28も同旨)するように,原告はCの指示を受けたHから呼び出されたと認められる。

そして,原告の休暇中の社内体制検討のために原告の病状を確認するのであれば,電話で話をすれば足りることであり,診断書(甲3)を提出して休暇を取っている者に対し,わざわざ呼び出して休むように説得したとは考え難いから,原告に休むように説得したという被告代表者の供述は採用できない。

以上の点に加えて,甲22及びF医師の証言によれば,平成16年1月15日の初診時以降,原告は投薬治療を継続しているが,症状が改善しているとは認められないこと,原告は給与所得者であり,失職すると生計の手段がなくなること(弁論の全趣旨)を考慮すれば,原告が同年2月16日から勤務を再開したのは,原告が供述するように(甲28も同旨),Cから出勤できないのであれば辞めろと言われたためと認められる。

ウ 以上によれば,Cはうつ病のために休暇中の原告を呼び出して,出勤できないなら辞めろと言ったことが認められ,これは安全配慮義務に違反し,不法行為にあたる。

3  請求原因(3)について

(1)  甲22及びF医師の証言によれば,原告は,平成15年10月ころから,眠れない,大事なことがすぐに思い浮かばない,言いたいことが出ない,頭痛がひどい,社長のプレッシャーを感じ,社長との打ち合わせが苦痛で,社長に言われると返事ができない等の自覚症状があり,平成16年1月15日,F医師の診察を受け,うつ病と診断されたことが認められる。

(2)ア  原告が平成16年2月3日から同月15日まで休暇を取っていたこと及び同年6月1日から休職していたことは争いがない。

イ  甲22及びF医師の証言によれば,うつ病の場合,初期の段階で休養をとって治療すれば,一般的には(特に急性の場合),3ヶ月くらいで仕事に復帰することを検討できる状態になるが,勤務を継続し,初期治療を怠った場合には症状が慢性化するものと認められ,しかも,原告の場合,直近には取締役兼営業部長という役職にあったものが,Cとの軋轢により,登記簿謄本取得の件では減給処分を,同時休暇承認の件では降格処分を受けていることを考慮すれば,発症初期の段階に勤務を継続したことによるストレスがうつ病の慢性化の原因になったことは容易に認められる。

なお,甲28及び原告の供述によれば,原告は,平成16年11月2日に年俸を500万円に減額されたこと(甲10)及び煙草の火の押し付けの件による屈辱感から,Cに対する恨みの感情が強くなり,同人を傷害罪で告訴することとし,証拠収集のために同僚等との会話を録音し(甲24,甲25,甲30,甲31),同年12月10日にはCを告訴している(甲23)が,F医師の証言によれば,このようなCに対する感情も原告の症状の慢性化の原因のひとつになったと認められる。

以上によれば,原告のうつ病は慢性化し,早急な快復は期待できない状態にあると認められる。

ウ  原告の就労可能(見込み)時期については,F医師の平成17年6月11日時点での所見(甲22の後から11枚目)によれば,うつ病による抑うつ症状の改善と心的外傷(F医師の証言によれば,同医師は煙草の火の押し付け及びCの原告に対する叱責はうつ病の原因ではなく,これらによる原告の精神症状は「うつ」とは異なる心的外傷後ストレス障害と判断している)の克服には今後1年程度の時間を要すると。認められる。

原告の労働能力については,F医師は,被告以外の職場についても就労は困難であると証言するが,原告の症状は,うつ病によるにせよ,心的外傷によるにせよ,専ら原告の仕事上のストレス及びCとの軋轢に起因するものと認められ,同医師の証言のみでは,被告ないしCと関係のない職場においても就労が困難とは直ちに断定できない。

なお,この点について,原告の供述によれば,平成17年の春に再就職の話があったが,勤めることができないということで断ったというが,先方は採用すると言ったというのであり,先方は,当然,原告の症状を知った上でのことであるはずだから,仕事自体は原告にもできるものではなかったのではないかとも考えられ,また,平成18年1月ころ,5時間ほど研修のような形で近くのコンビニエンスストアに行ったが,使いものにならなかったというが,コンビニの仕事が原告のような経歴の者に合わなかったとも考えられる。したがって,原告が上記再就職の話を断ったこと及びコンビニエンスストアの仕事に就けなかったことをもって,原告が被告ないしCに関係のない仕事についても就労が困難であるとは直ちに認められない。

4  請求原因(4)について

(1)  原告に対する罵倒の件,煙草の火の押し付けの件及び同時休暇承認の件(登記簿謄本取得の件についてはそもそも不法行為にあたらない。)と原告のうつ病発症の因果関係について

ア 甲22,F医師の証言によれば,原告のうつ病は,午前8時30から午後10時ないし11時までの慢性的な長時間勤務に加えて,原告の上司であるD本部長が平成15年9月24日に急死した(争いがない。)ために,営業に関しては全てが原告の責任となり,その矢先に登記簿謄本の取得の件についてミス(甲22の4枚目において,原告はミスと自認している。)が発生し,これが原因となってうつ病を発症したと認められるから,原告に対する罵倒の件及び煙草の火の押し付けの件は原告のうつ病発症の原因とは認められない。

イ 甲22の5枚目には「どっちが先に休むと言ったのかと社長に問いつめられて,返事ができない」,「社長に言われると返事が出ない」,「昨年からおかしいと思っています」との記載があり,同時休暇承認の件の当時,すでに原告はうつ病を発症していたと認められるから,同時休暇承認の件はうつ病発症の原因とは認められない。

ウ 以上によれば,原告に対する罵倒の件,煙草の火の押し付けの件及び同時休暇承認の件と原告のうつ病発症との間に因果関係は認められない。

(2)  休暇取り止めの件と原告のうつ病難治化との因果関係について

前記2(5)イ及び3(2)イにおいて判示したところによれば,休暇取り止めの件と原告のうつ病の慢性化との間には因果関係が認められる。

5  請求原因(5)について

(1)  原告に対する罵倒の件,煙草の火の押し付けの件及び同時休暇承認の件とうつ病の発症との間には因果関係はないが,原告はこれらによって精神的苦痛を受けたと認められ,その慰謝料としては,原告に対する罵倒の件によるもの50万円,煙草の火の押し付けの件によるもの300万円,同時休暇承認の件によるもの50万円が相当である。

(2)  前記4(2)によれば,Cは原告のうつ病慢性化による損害を賠償する義務があるが,前記3(2)イにおいて判示したところによれば,早期休養による治療をしていれば,原告のうつ病の慢性化は避けられたとは認められるが,休暇取り止めの件によってどのくらい治癒が遅れたのか,また,うつ病の慢性化によって労働能力喪失率がどれだけ増大したのかを認めるに足りる証拠は十分でないから,うつ病の慢性化による損害については,これによる精神的苦痛を慰謝料として考慮するのが相当であり,その金額としては300万円が相当である(なお,後記第2の4(3)において判示するように,過失相殺後の金額は210万円となる。)。

(3)  本件訴訟に要する弁護士費用相当額の損害としては60万円が相当である。

第2抗弁について

1  抗弁(1)について

登記簿謄本取得の件は不法行為が成立しないから,過失相殺について判断する必要はない。

2  抗弁(2)について

煙草の火の押し付けの件は故意による不法行為であるうえ,そのころは年末年始に当たっており,治療が遅れたことをもって,原告に過失があったとはいえない。

3  抗弁(3)について

同時休暇承認の件は,前記第1の2(4)イにおいて判示したところによれば,原告が両課長の同時休暇を承認した経過をきちんと説明できなかったとは認められず,原告に営業責任者として問題があったとはいえないから,原告に過失があったとはいえない。

4  抗弁(4)について

(1)  甲28及び原告の供述によれば,原告がCに対してうつ病に罹っていることを告げた(平成16年1月下旬ころと思われる。)ところ,Cは休暇を取ってはどうかと言ったことが認められ,これによれば,原告は,診断書(甲3)をもらってから直ぐに休暇をとることはできたと認められる。

しかし,原告は,当時,Cの不興を買っており,同年1月14日には同時休暇承認の件があったが,それによる降格処分はまだ発令されていない段階であるから,原告に保身やCの評価を挽回したいとの気持ちがあったとしてもおかしくはない。その結果,原告は,保身やCの評価を挽回することを優先した結果,当面は休暇を取らずに勤務を続けたが,同年2月3日に至って勤務を続けることが困難となるに至って,初めて休暇を取ったと認められる。

(2)  F医師の証言によれば,原告はうつ病の早期治療には仕事を休むことが必要であると聞いていたこと及び原告の部下にもうつ病に罹ったものがいることが認められることを考慮すれば,うつ病が慢性化したことについて,原告には,自己の判断で仕事を優先し,そのために2週間程度の早期治療の機会を逸した過失があるといわざるを得ないから,この点は過失相殺すべきであり,その割合は,上記2週間という期間を考慮すれば3割と認めるのが相当である。

なお,この点について,原告は,Cが休暇中の原告を同年2月11日に呼び出して出勤を命じたこと(休暇取り止めの件)に比べれば,2週間程度の休暇取得の遅れは,うつ病の難治化には何の影響も与えていないと主張するが,原告はうつ病の早期治療のための機会を自ら放棄したものであり,うつ病の慢性化に何の影響も与えなかったとは認められない。

(3)  したがって,うつ病の慢性化による慰謝料300万円について過失相殺すると,過失相殺後の慰謝料は210万円となる。

第3結論

以上によれば,原告の請求は,損害賠償金670万円(原告に対する罵倒の件による慰謝料50万円,煙草の火の押し付けの件による慰謝料300万円,同時休暇承認の件による慰謝料50万円及びうつ病の慢性化による慰謝料210万円並びに弁護士費用相当額60万円の合計)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成17年8月24日(当裁判所に顕著な事実)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが,その余は理由がない。

よって,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,64条1項本文を,仮執行宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官 田中義則)

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