大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成17年(ワ)1841号 判決 2007年4月26日

主文

1  被告らは,原告に対し,連帯して,630万円及びこれに対する平成17年8月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを10分し,その7を原告の負担とし,その余を被告らの負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告らは,原告に対し,連帯して,2292万円及びこれに対する平成17年8月17日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  本件は,被告Y株式会社(以下「被告会社」という。)に勤務していた原告が,被告会社の代表取締役である被告Zからセクシュアルハラスメント(以下「セクハラ」という。)行為を受け,人格を傷付けられ,退職を余儀なくされたとして,被告らに対し,不法行為(被告Zに対しては民法709条,被告会社に対しては会社法350条。被告Zは被告会社の代表者であるから同条に基づくと解される。)に基づき,損害賠償金2292万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成17年8月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求する事件である。

2  基礎となる事実(当事者間に争いのない事実並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1)  当事者

ア 原告は,昭和43年11月24日生まれの女性である(乙2)。

イ 被告会社は,平成14年5月15日に設立され,イ診断器の開発,製造及び販売等を業とする会社である。従業員は約12名である。

被告Zは,イ診断器の発明をし,これを実用化すべく被告会社を設立した者で,被告会社の実質的経営者であり,同社の代表取締役である。

ウ 原告は,平成8年11月から,株式会社ロの食堂部門にてアルバイトをしていたが,平成9年ころ,同部門の常備勤務に採用され,ラウンジの責任者となり,約6年間勤務した(乙2)。

原告は,やりがいを持って仕事をし,違う生き方をしたいとの気持ちから,再就職のため,高等技術専門学校において,一年間,建築設計・インテリアについて勉強した。しかし,原告は,在学中には希望する分野での就職先を見つけることができなかったため,卒業後に職業安定所に行き,被告会社に応募し,採用された(甲18)。

エ 原告は,平成16年5月1日,被告会社に正社員として採用された。平成17年4月1日,原告は,被告会社から,社長室主任に任命する旨の辞令及び同日から平成18年3月31日までの原告の給与を諸手当を含め月額24万円とする旨の給与辞令を受け取った(甲10,甲11)。

原告は,平成17年6月16日,内容証明郵便により,被告Zから日常的に性交渉を強要されるという執拗で重大な人格侵害(セクハラ)を受けたことを理由として,同月23日をもって退職することを被告会社に通知した(甲1)。

3  争点及びこれに関する当事者の主張

本件の争点は,被告Zが原告に対してセクハラ行為をしたか否か(争点①)及び争点①が肯定される場合の原告の損害(争点②)である。

(1)  争点①(被告Zが原告に対してセクハラ行為をしたか否か)について

(原告の主張)

ア 被告Zは,原告に対し,次に述べるように,セクハラ行為(以下「本件セクハラ行為」という。)をした。

(ア) 被告Zは,平成16年5月6日ころ,原告を被告会社の事務所の隣にある被告Zの自宅居間に呼び,「君はセックス要員で雇った。社長とセックスするのが君の仕事だ。」などと言った。

原告は,驚いて,「それならハローワークの条件に書いておいてください。」と抗議したが,被告Zは「そんなこと書いたら誰もきいひんやろ。」と返答した。

(イ) 被告Zは,原告に対し,その後も,被告会社の事務所の休憩室などにおいて,日常的に,「君はセックス要員で雇った。」,「社長のスケジュール管理とセックス管理をするのが秘書の役目だ。」などと言って性交渉を要求した。

さらに,被告Zは,原告の隙を見つけては,原告の胸,尻,太ももなどを触り,後ろから抱きつこうとしたり,自らのズボンを脱ごうとしたりした。

(ウ) 原告は,平成16年11月17日から18日にかけて,被告Zに同行して一泊で横浜に出張することとなった。

被告Zは,同月16日,原告に対し,「明日は同じホテルに泊まるんやで。分かっているな。」と言った。原告は身の危険を感じ,出張をキャンセルしようかどうか迷ったが,同行した。

被告Zは,同月17日,宿泊先のホテルにおいて,原告を自分の部屋に呼び出し,性交渉を要求した。しかし,原告はこれを拒否して自分の部屋に逃げ帰った。

同月18日,被告Zは,原告に対し,新幹線の車内で,新横浜から京都駅に着くまでの約2時間,酒を飲みながら,「セックスできないなら最初から君を雇わない。」,「何でセックスできないのに俺に同行してグリーンに乗るんや。経費かかるわ。」,「セックスしないなら社長室を退け。お前は降りろ。うちの会社と関係ない。」,「セックスできないなら用はない。」,「君は社長秘書をはずす。一切降りろ。」などと言い,自分と性交渉をするように要求し続けた。

これに対し,原告が,「なんで(社長室にいる)他の二人(の女性職員)はセックスしなくていいのに,私だけセックスしないといけないのですか。」と控えめに反論をすると,「そのために君を選んだからや。」と即座に断言し,「90%仕事で頑張っていると認めても,あと10パーセント,肉体関係がないと君は要らない。」,「セックスが(雇用の)条件。それを了解してもらわないといけない。セックスできなければ終わり。」などと言った。

(エ) 被告Zは,原告に対し,平成17年4月26日または同月27日,被告会社の休憩室において,「家内とはずっとセックスをしてきた。しかし彼女はもうできない。淋しいから君に求めたという事はわかるでしょう。でも,できないと言うなら君はもういいわ。」,「家内の代わりをするだけだから,これは不倫ではない。」,「君はセックス担当。秘書はセックスパートナーだ。A(得意先会社の社長の名前)とB(同社の秘書)との関係もそうだ。」,「C(社長室の女性職員の名前),Xが競え。俺の寵愛を受けてセックスした方が役員。給料も上げる。」,「(仕事をちゃんとしていると言っても)それは俺が判断することで,ポイントは,俺とのセックスだね。君が出来ないと言ったらそれでいい。できないのだったら,じゃあ,もう辞めろ。ありがとう。」などと言い,性交渉を要求した。

(オ) 被告Zは,原告に対し,平成17年5月21日,被告会社の休憩室において,「Xを好きになってるんやけど,これ(男性性器)大変なことになってるで。手で出してくれ。」と言ってズボンを脱ごうとしたため,原告が必死で止めた。さらに,被告Zは,原告に対し,「X,俺を抱いて。」と命令し,さらに「君は社長室の主任,次は課長,役員やぞ。ただしセックスが条件だ。」などと言って,性交渉を迫った。

(カ) 被告Zは,平成17年6月8日,原告に対し,同月9日に自分と共に外出し,食事をした後にホテルに行って性交渉することを業務上命令した。

原告が断ると,被告Zは激昂し,原告に対し,「もう会社に来るな。俺の寵愛を断ったら,君はもう終わりだ。辞めろ。」「俺が君を雇ったのは,君を抱きたかったからだ。それを断ったら,君はもう仕事ないで。」「仕事は俺とセックスするのが条件だ。しなかったら,もう良い。」などと罵倒した。

原告は,被告Zの態度がいつもより遙かに強硬だったので,恐怖を覚え,同月9日は会社を欠勤した。すると,被告Zは,同日,原告の自宅に電話をし,「君は私の寵愛を拒んだから,もう用はない。一身上の都合で辞表を出しなさい。」,「明日はもう来なくていい。ただ,考え直すなら話を聞く。」などと原告を恫喝し,退職を強要した。

(キ) 被告Zは,平成17年6月10日午前8時40分ころ,被告会社の休憩室において,出社して来た原告に対し,「お前何しにきたんや。ここではもう仕事はない。他の会社に行け。雇ってくれるかどうかは別やけど。」,「君を愛した。寵愛をした。でも君断ったやろ。だから終わりや。君もう社長室はだめや。」,「寵愛って知ってるか。社長に抱かれてセックスするのが,まずお前の責任や。イヤやったらそれでいい。君にはもう辞めてもらう。」,「君はもう仕事ないで。どうすんの。え。全部,D(社長室の女性職員の名前)に移転する。仕事ないんやもん,どうすんの。」などと言い,強硬に退職を迫った。

これに対し,原告が,「なんでDさんなら良くて,私ではダメなんですか。」と訊くと,被告Zは,「俺が君を雇ったのは君を抱きたかったからや。それだけ。それを君が嫌やったらもう辞めろ。もう辞めなさい。君,いてくれたら困る。」と言い放った。原告が,「仕事が出来たらいいじゃないですか。」と食い下がると,被告Zは,「いや,君は仕事できない。君は頭がアホや。どっか行き。」,「それは俺とのセックスの問題だけ。セックスしないと俺はもう厳しいからね。」と言い,性交渉をしなければ評価は厳しくなるし,用はない,辞めろと原告を恫喝した。

(ク) 被告Zは,平成17年6月11日,早朝に原告に電話をし,「君を一番にしてやりたかったけど無理やと思う。辞めるか。しかし君はどこでも通用しない。君,辞めるか。君の学歴からしても社長室の主任は出来ない。」,「君は終わり。俺が終わったら終わり。俺が切ったら君は必ず終わるよ。辞表持ってこい。辞めた方がいいよ,君は。」などと言って原告の退職を執拗に迫った。

これに対し,原告が,「解雇ですか。」と訊くと,「解雇というとおかしくなるから。」と口を濁しつつ,「社長はいつもセックスが出来なければ解雇,クビと言っていましたね。」という原告の問いに,「そうやね。」と答え,「俺には支える人間がいるの。女がいるの。」,「君は何をする。もう用がなくなってしまった。」,「君は社長室の能力がない。」,「お前は一番になろうと思った。大変なことやけどそんなんもん出来ない,お前は。はっきり言うたるわ。お前には出来ない。お前,学歴考えろ。」などと罵倒して退職を迫り,そしてこれが最後とばかりに「セックスできなかったら手で出せ。」と要求した。原告が明確にそれを断ると,「じゃあ辞めろ。そういう人を雇う。」と言って電話を切った。

イ 被告らの主張に対する反論

(ア) 原告は,(1)ア(ウ)の平成16年11月17日から18日にかけての出張の際,日頃の被告Zの言動から,泊まりの出張に同行することについて不安を感じたため,同月13日ころ,弁護士にセクハラへの対応方法につき相談をし,録音などの方法で証拠を集めることを勧められた。そこで,原告は,ICレコーダーを購入して準備した。そして,原告は,同月18日の新幹線車内での会話を,ハンドバッグの中から取り出して掌の中に持ったICレコーダーで録音をした。

また,原告は,(1)ア(エ)の平成17年4月26日または27日の会話,同(オ)の同年5月21日の会話,同(キ)の同年6月10日の会話を,飲酒をしていた被告Zから,内線電話で休憩室に呼び出された際,ハンカチに包んで持参したICレコーダーで録音をした。

さらに,原告は,(1)ア(ク)の同月11日の電話での会話を,ICレコーダーで録音した。

(イ) 被告らは,業務日誌の内容から,被告Zの本件セクハラ行為がなかった旨の主張をする。

しかし,原告は,被告会社に就職した当初は,苦労して得た職を失いたくない,せめて失業保険の支給を受けられるよう6か月は勤務したいとの思いで,社長の言動をできるかぎり気にしないようにして勤務しようと努めており,そのうちに被告会社での仕事がおもしろくなってからは,1日も早く仕事に習熟して被告会社の発展に貢献し,被告Zに評価される社員になれば,被告Zがセクハラ発言をしなくなると考え,そのようになろうと努力をしていたのであり,被告Zに対して抗議をするような記載をすることはできなかったのである。

原告が,業務日誌において,被告Zの体調を気遣う記載をしばしばしていたのは,原告は,被告Zは,普段は意欲を持って事業を展開するが,飲酒を始めると自制がきかず,食事もせずに飲酒を続けて衰弱し,本件セクハラ行為などをしていたところ,従業員の立場で被告Zに向かって,あからさまに飲酒をたしなめる内容の記載をすることができないため,体調を気遣う表現をせざるを得なかったためである。

(ウ) 原告が被告Zと肉体関係を持った事実はない。

平成17年4月23日,原告が被告Zと旅館で食事をしたのは,正午から午後2時ころまでであり,10品から12品の料理を仲居さんが一品ずつ運んできていたのだから,肉体関係を持つことはできなかった。

(被告らの主張)

ア 次に述べる事実から,本件セクハラ行為が存在しないことは明らかである。

(ア) 原告は,業務日誌において,被告Zが本件セクハラ行為をしたと主張する日の前後を含め,本件セクハラ行為に対する苦情などは一切記載せず,かえって,被告Zの体調を気遣う内容,被告Zに尊敬や親愛の情を示す内容の記載をしている。

(イ) 原告は,業務日誌において,被告Zに同行して東京に行くことを自ら申し出ており,平成16年11月17日から同月18日にかけての出張について不安を抱いていたとはいえない。

(ウ) 原告は,仕事に一生懸命取り組んでいたが,平成17年1月28日ころから,被告Zに事前に相談をせずに一人で判断をするなどしたために被告Zに厳しく指摘を受けることがあった。

(エ) 平成17年4月23日,被告Zは,原告と,午前9時ころに京都駅で待ち合わせをし,鳥羽市にある旅館に行き,昼食をとって,午後4時ころまで休憩をした。この時,被告Zは,原告と,だんだんといい雰囲気になって,肉体関係を持った。

原告は,同月28日の業務日誌において,被告Zに対して愛情を持っていることを告白している。しかし,被告Zは,原告と肉体関係を持ったことを反省したため,その後の業務日誌の内容は事務的なものになっている。

(オ) 被告Zは,原告の退職届を受け取り,何故原告が被告Zが原告に対してセクハラ行為をしたなどと述べるのか理解できなかった。

イ 原告は,被告Zと原告との会話をICレコーダーにて録音した音声の複製としてテープを証拠として提出しているが,それらに録音された声は被告Zの声ではない。これらのテープの音声は,何らかの方法で,意図的に,被告Zの音声に近い周波数に変換して作成されたものである。

(2)  争点②(原告の損害)について

(原告の主張)

ア 原告は,被告Zの本件セクハラ行為により,精神的苦痛を被り,被告会社を退職せざるを得なくなった。

イ(ア) 原告が,被告Zの本件セクハラ行為により被った精神的苦痛に対する慰謝料は1000万円を下らない。

(イ) 原告は,被告Zの本件セクハラ行為によって被告会社を退職のやむなきに追い込まれ,給与,賞与等の収入を失った。

原告が得ていた給与は毎月24万円であり(交通費は除外),賞与は基本給である19万円の4か月分であったので,原告は被告Zの不法行為によって年間364万円の損害を被るところ,少なくともこの3年分である1092万円を損害として請求する。

(ウ) 原告が本訴を提起せざるを得なくなり,訴訟代理人に訴訟委任をしたことによる損害は,200万円が相当である。

(被告らの主張)

争う。

第3当裁判所の判断

1  争点1①(被告Zが原告に対して本件セクハラ行為をしたか否か(争点①)について)

(1)  原告は,被告Zから,本件セクハラ行為を受けたと主張し,同旨の供述をする(甲18を含む。)とともに,被告Zとの会話内容を録音したICレコーダーの複製としてテープ(甲15から甲17まで,これらの録音反訳書は甲5から甲9まで。以下「本件テープ」といい,これらに録音された音声を「本件音声」という)を提。出する。そこで,以下,これらの信用性について検討する。

(2)  原告の供述の信用性について

ア 原告の供述は,被告Zの原告に対する性的欲求が次第に大きくなり,だんだんと具体的に性交渉を迫るようになる状況,被告Zの発言内容と原告の対応,その時々の原告の心情等,いずれも具体的で迫真性があり,実際に体験した者でなければ語り得ない内容である上,一貫しており,不自然・不合理な点はうかがわれない。

イ また,それらの状況等は,次に述べるように,原告の業務日誌(被告会社において,全社員が作成し,被告Zに直接提出してそのコメントを得て返却を受けていた日誌であり,業務上の報告等を目的とするものである。以下,単に「業務日誌」という。乙5から9まで。)に記載された内容に符合する。

(ア)a 原告は,業務日誌において,平成16年5月6日,業務報告として,午前8時30分から正午まで「社長とお話し。」,午後1時30分から午後4時まで「社長のご自宅でお話し。」と記載し,所感として,「会社に着いたら社長が体調を崩されていておどろきました。」,「1日も早く回復して下さい。」等と記載し,これに対し,被告Zは,「大変申し訳ない。」と記載した。

b 原告は,同月7日,業務日誌において,業務報告として,午前8時30分から午前11時45分まで及び午後1時から午後2時30分まで「社長とお話し」,午後3時から「社長宅にてお話し」と記載し,所感として,「今日も社長の体調がすぐれず心配です。社長とお話しする時間が多いので仕事が覚えられるか不安もありますが,私と話すことで少しでも社長の気持ちが落ちつくのなら・・・とも思います。社員の皆さんも理解して下さっているので,社長の体調が回復次第教えていただけますよね。」,「早く治して仕事与えて下さい。」等と記載し,これに対し,被告Zは,「早く元気になり,仕事の指導をします。(少し待って下さい。)」と記載した。

c 原告は,同月10日,業務日誌において,所感として,「先週は何をすればいいのかわからず,ただ時間が過ぎてしまうこともありましたが,仕事も与えていただき,一気にする事が増え,嬉しいです。」,「社長も早くよくなって,元気なお顔見せて下さい。」などと記載し,これに対し,被告Zは,「体調も少しずつ良くなって来ました。有り難う。」と記載した。

d 業務日誌の「体調不良」の旨の記載は,被告Zが飲酒していた状態を表すことは被告Zも認めるところ(本人尋問),業務日誌の記載内容と併せると,原告が,同月6日から7日の間,勤務時間中に,飲酒した状態の被告Zと仕事とは無関係の会話をし,原告が会話により被告Zが落ち着くのであれば会話をしようとの気持ちで対応していたことが伺われる。

(イ) 原告は,業務日誌において,平成16年6月14日,同月15日,同年7月16日,同月17日,同月31日,同年8月19日,同月20日,同年9月17日,同年10月1日,同月2日,同年11月19日,平成17年3月14日に,業務報告として,「社長とお話し」等と記載している。そして,原告は,業務日誌において,これらの日あるいはこれらの日の前後の日に,所感として,被告Zの体調を気遣う旨の記載もしているところ,これらの日には,原告は,飲酒した被告Zと会話をしたことが伺われる。

(ウ) 原告は,平成16年11月19日,業務日誌において,所感として,「昨日の社長の言葉もあり,かなり悩みました。でも,JR様の予定も入っていたので来てみましたが,いつもの社長に戻っておられて安心しました」等と記載してお。り,同月18日に被告Zの言葉により原告が悩んでいたこと,同月19日にはそのような悩みが一応は解消したことが伺われる。

ウ 原告供述の信用性についての被告らの主張について

被告らは,原告の供述には信用性がないと主張するので,この点につき判断する。

(ア) 原告は,業務日誌において,被告Zの体調を気遣う旨を記載している。

しかし,職場におけるセクハラは,地位的優劣関係を背景に,加害者に対する抗議をすることができない立場にある被害者に対して行われるものである。そして,原告は,業務日誌において,被告Zが業務時間中に飲酒をしていたことについても,「体調不良」という極めて婉曲的,間接的な表現しかできなかったのであり,被告Zに相当に気遣いをせざるを得ない立場であったといえる。そうすると,業務日誌において,原告が被告Zに対して抗議をしていないことをもって原告供述の信用性を左右するものではないというべきである。

(イ) 原告は,平成16年9月13日,業務日誌において,被告Zの東京出張に同行したい旨を記載しており,実際に,同年11月17日から同月18日までの被告Zの横浜出張に同行している。

この点,原告は,被告会社での仕事にやりがいを感じており,仕事面で認められれば被告Zがセクハラ行為をしなくなるのではないかという期待を持っていた,出張先での展示会には出席したかった,一方で,宿泊を伴う出張に同行することに対する不安も抱いていたため弁護士に相談した,いざとなったら同じホテルに宿泊する仕事上の知人に助けを求めようと思っていた等と具体的に述べ,その供述内容は自然である。そして,原告の供述を前提としても,被告Zは,原告に対して,言葉によるセクハラは頻繁にしていたものの,原告を力ずくで押さえつけるといった強引なことはしていなかったのであるから,原告が,出張先で被告Zから性交渉を求められてもきっぱりと断ればよいとの考えで出張に同行したとしても不合理とはいえない。

(ウ) 原告は,平成17年4月23日,被告Zと旅館で昼食をとったが(後述のように,このときに原告と被告Zとの間に肉体関係があった旨の被告Zの供述は採用できない。),本件セクハラ行為の継続中であったとはいえ,被告Zとの関係を円滑にしたいとの気持ちで,被告Zから性交渉を求められてもきっぱりと断ればよいとの考えで同行したとしても不合理ではない。

エ 以上より,原告の供述内容には,十分な信用性が認められるというべきである。

(3)  本件音声と被告Zの声の同一性について

ア 声紋鑑定(以下「本件声紋鑑定」という。)結果によると,鑑定人鈴木隆雄は,本件音声の男声と被告Zの声は同一人の音声である可能性が極めて大きく,本件音声には合成,修正,加工された箇所は無いものと考えられるとの意見を述べている。

イ これに対し,被告らは,本件声紋鑑定は単に周波数分析をするにすぎない,現在の技術では,周波数変換は容易に行うことができるところ,周波数変換をされた場合には周波数分析によっては改ざんの形跡の有無を判断することはできない旨主張し,「高調波技術を用いた音声診断」と題する書面(乙16)を提出する。

ウ(ア) しかしながら,本件音声の男声は,発せられる単語や言葉の抑揚,間合いなど,被告Zの声に酷似していることが明らかである。

また,本件音声には,それぞれ,ある程度の長い時間の会話が録音されており,とりわけ甲15には新幹線車内の販売員とやりとりする声までもが入っており,原告が第三者の協力を得て,その男声部分のみを改ざんして作成したものとは到底考えにくい。

しかも,本件テープの内容は,原告が供述する本件セクハラ行為の内容及び原告が退職するに至った経緯に沿うものである。

(イ) さらに,被告らが提出した乙16によっても,高調波によれば,周波数変換をされても同一人の声か否かを判断しうるというのみで,本件音声が改ざんされたものであることを証明するものでもない。

エ 以上より,本件音声の男声は被告Zの声であるというべきである。

(4)  被告Z(被告会社代表者)の供述の信用性について

ア 被告らは,被告Zは原告に対して本件セクハラ行為をしていない,原告が退職したのは,被告Zが,原告と平成17年4月23日に旅館で肉体関係を持ったが,その後,原告が被告Zに対して甘えるようになったため,距離を置いて厳しく指導する等したためであると主張し,被告Zは,概ねそのように述べるので(乙14を含む。),その信用性について検討する。

イ(ア) 被告Zは,主尋問において,肺気腫のため酒やたばこに気をつけている,二日酔いをするほど飲むことはない,業務が多忙であったため原告が入社した当初に勤務時間中に飲酒をしていたことはない旨述べた。しかし,反対尋問において,酒は好きで1日に缶ビール4,5本飲む,3日で2箱たばこを吸う旨述べ,原告の業務日誌の中の「体調不良」とは飲酒状態を指すことを認めており,短時間でこのように供述が変遷する合理的な理由は伺われない。

(イ) また,被告Zの供述は,次のように,原告の業務日誌の内容と矛盾する。

a 被告Zは,原告が,平成16年5月6日及び同月7日等に,原告が「社長とお話し」等と記載した内容につき,原告に対して仕事上の指導をしていた旨述べるが,同日には,「社長とお話しする時間が多いので仕事が覚えられるか不安」である,「私と話すことで少しでも社長の気持ちが落ちつくのなら」等とも記載されており,仕事上の話をしていたとは考えにくい。

b 被告Zは,原告が平成17年6月10日に泣きながら早退し,その後被告会社に出社することなく,被告会社を退職するに至った理由について,原告が就業規則に違反したことについて,これまでになくきつく怒ったためであると述べる。

しかし,原告は,業務日誌(乙11)において,所感として,業務に関する内容のほか,同月4日には,「来週からも頑張ります。毎日が楽しみです。」,同月7日には,「私は今の仕事が楽しいです。忙しいですが,沢山の人と出会える機会も多く,自分にむいていると思うからです。」などと記載しているところ,かかる記載内容に照らして上述のような経緯で退職するに至るとは考えにくい。

(ウ) 被告Zは,平成17年4月23日,旅館において原告と肉体関係を持った旨述べ,その経緯につき,それまでは原告が被告Zに対して好意を抱いていたと感じたことはなく肉体関係を持ったこともない,同日正午前から午後3時ころまで旅館におり,その間に食事をとり,その後,お互いにどちらからともなくいい雰囲気になり,肉体関係を持った等と述べる。しかし,昼食を中心とするプランでの旅館での滞在中,社長である被告Zと一従業員であった原告が,それまでに特別に好意を寄せ合っていたわけでもないのに,突如,いい雰囲気になって肉体関係に至るという経緯自体,にわかに首肯しがたい上,本件テープ(同月26日か27日,同年5月21日及び同年6月11日に録音されたもの)の内容と明らかに矛盾する。

ウ 以上より,被告Zの供述は信用することができない。

(5)  以上のとおり,原告の供述(甲18を含む。)には十分な信用性が認められるのに対し,被告Zの供述(乙14を含む。)は信用することができない。

そして,原告の供述(甲18を含む。),本件テープのほか,乙11,乙12によれば,原告が被告Zから本件セクハラ行為を受けたことが優に認められる。

そして,被告Zは,原告に対し,本件セクハラ行為を業務時間中に行っており,本件セクハラ行為における発言の内容は職務として性交渉を要求するものであって,最終的に,被告Zとの性交渉を原告が拒否したことを理由として退職を強要している。そうすると,被告会社は,その代表取締役である被告Zの不法行為につき,会社法350条に基づき責任を負うというべきである。

2  争点②(原告の損害)について

(1)  慰謝料

ア 原告が,本件セクハラ行為により精神的苦痛を被ったことは明らかである。

イ 本件セクハラ行為は,被告会社の代表者であり,実質的経営者であった被告Zが,その地位と権限を利用して,行ったものである。そして,原告は,再就職に苦労した経験もあったことから,正社員として採用された被告会社において働き続けたいという気持ちで,仕事で認められるように努力して,入社直後から本件セクハラ行為に耐え続けてきたが,結局,被告Zの性交渉の要求に応じなかったことを理由として退職に追い込まれたものである。

本件セクハラ行為における発言は,原告に対し,セックス要員として雇った,セックスができなければ他の仕事をいくら頑張っても認めない,セックスができないならば退職しろなどと言って職務として性交渉を要求する内容で,原告の人格を全面的に否定するものであって極めて悪質であること,原告の就職直後から退職まで1年2か月にわたって継続的に行われていること,最終的に原告が性交渉を拒否したことを理由として原告に退職を強要したこと等から,卑劣というほかのないものである。

その他本件に現れた一切の事情に照らすと,原告が被った精神的苦痛を慰謝するためには300万円をもって相当とする。

(2)  逸失利益

ア 前記認定事実によると,原告が,本件セクハラ行為により,被告会社を退職するに至ったことは明らかである。

イ このようなセクハラを受けた場合には,自分の能力に自信をなくし,再就職に対する不安を抱いたり,また同じような目にあうことを心配して再就職に向けた活動を行いにくくなることは容易に想定しうるから,再就職には,一般的に再就職に要する期間よりも長期間を要するというべきである。そうすると,原告は,被告会社を退職した後少なくとも3か月間は本件セクハラ行為のために就労することができなかったものであり,また,その後9か月も通常の3分の1以下の就労しかできなかったと認めるのが相当であり,その間の得べかりし給与は本件セクハラ行為と相当因果関係のある損害であるというべきである。

よって,被告会社退職時の原告の年収である364万円(弁論の全趣旨により認められる)を基準。として,273万円(364万円×3÷12+364万円×9÷12×2÷3)が原告が被った損害である。

(3)  弁護士費用

本件セクハラ行為と相当因果関係のある弁護士費用は,57万円を相当と認める。

3  以上の次第で,原告の被告らに対する請求は,630万円の限度で理由があるのでこれを認容し,その余はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,64条本文,65条1項本文,仮執行宣言につき民事訴訟法259条1項に従い,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中村隆次 裁判官 下馬場直志 裁判官 豊田里麻)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例