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京都地方裁判所 平成18年(ワ)1394号 判決 2008年2月29日

主文

1  被告は,原告Aに対し,金550万円及びこれに対する平成17年3月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告B及び同Cに対し,各金275万円並びにこれらに対する平成17年3月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は,これを7分し,その6を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。

5  この判決第1項及び第2項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は原告Aに対し,金3803万0009円,原告C及び原告Bに対し,各金1901万5004円,並びにこれらに対する平成17年3月4日以降支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  本件は,トラックと停車中の乗用車の間に挟まれる交通事故によって左足関節開放性脱臼骨折及び肋骨骨折を受傷し,被告が設置する病院に救急搬送されたD(以下「亡D」という。)が,心タンポナーデを発症して死亡したのは,同病院の医師らが,亡Dに心タンポナーデを発症する徴候があったのに,これを見逃し,必要な検査及び処置をしなかった過失,及び,心タンポナーデを発症した後,適切な措置をとらなかった過失が原因であるとして,亡Dの相続人である原告らが,被告に対し,不法行為(民法715条)に基づく損害(亡Dから相続した損害及び原告ら固有の損害)の賠償として,原告Aにつき金3803万0009円,原告C及び原告Bにつき各金1901万5004円,並びにこれらに対する不法行為による損害発生の日(亡Dが死亡した日)である平成17年3月4日から支払済みまで,民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。

2  基礎となる事実(争いのない事実及び各項末尾記載の証拠等によって容易に認定することのできる事実)

(1)  当事者

ア 原告Aは,亡Dの妻であり,原告C及び原告Bは,いずれも亡Dの子である。(甲C1)

イ 被告は,京都市a区b町c番地のdに,被告病院を設置しており,被告病院の中には,救命救急センターが設置されている。

「救命救急センター」とは,生命にかかわる重症の患者を24時間体制で収容し,治療にあたる3次救急施設であり,厚生労働省の指定により開設され,現在までに全国で約150施設が設置されている。被告病院の救命救急センターは,京都府に3つある救命救急センターの一つであり,京都市のみならず,近隣市からの救急隊による収容要請にも応じている。日本救急医学会専門医指定施設であり,京都府では唯一,救急医学会認定指導医が専従している。(甲B9)

(2)  亡Dに対する治療の経緯

ア 被告病院搬入から左足手術まで

(ア) 亡D(昭和22年7月6日生)は,平成17年2月21日(以下,特に断らない限り,日付のみ記載のものは,平成17年2月のものである。)午後3時過ぎ,自らが運転していた2トントラックを上り坂に駐車する際,サイドブレーキを引くのを忘れ,降車後,同トラックが後方に動き始めたことに気付き,これを止めようとして,同トラック後部とその後方に駐車していた乗用車前部との間に挟まれ(以下「本件事故」という。),同日午後4時ころ,被告病院に救急搬入された。〔甲A1,6,乙A1(13頁)〕

(イ) 亡Dは,被告病院救命救急科外来で,「左足関節開放性脱臼骨折」と診断された。亡Dは,被告病院搬入時,意識清明であり,頭頸部に異常なく,胸部に圧痛なく,呼吸音は左右差なく清であり,上肢の可動性は良好で,腹壁は平坦で軟らかく,腸管の蠕動音は正常で,骨盤の動揺はなく,直腸,前立腺,肛門括約筋,右下肢等に異常はなかった。亡Dに対しては,胸腹部のFAST(心嚢,腹腔及び胸腔の液体貯留の検索を目的とした迅速簡易超音波検査法,以下「搬入時FAST」という。),胸部正面仰臥位X線単純撮影(以下「搬入時胸部X線撮影」という。),腹部臥位,骨盤,足,膝関節等のX線単純撮影,12誘導心電図検査(以下「第1回12誘導心電図検査」という。)等が実施され,上記の胸部正面仰臥位単純撮影によって,左第6肋骨側胸部に骨折が認められた。被告病院救急救命科医師は,速やかに左足関節の脱臼観血的整復術を実施する必要があると判断した。〔甲A1(65ないし68頁),乙A1(6,7,13頁),乙A2〕

(ウ) 亡Dは,被告病院に入院することとなり,同日午後4時50分,救命救急センター(ICU)に入室した。入室時,SPO2は98%,血圧176/88mmHg,脈拍数70回/分であり,意識清明で,呼吸,循環に異常はなかった。このころ,亡Dは背部痛を訴え,同日午後6時10分にも背部痛を訴えたため,鎮痛剤の投与を受けた。〔甲A1(22,23頁)〕

イ 左足手術から入眠まで

(ア) 同日午後7時40分から午後11時50分までの間,被告病院整形外科医師により,緊急手術(左脱臼観血的整復術,左骨折観血的固定術,左足関節固定術,以下「本件左足手術」という。)が行われた。同手術中,亡Dより,左胸部痛の訴えがあり,鎮痛剤が投与された。亡Dは,手術終了後,ベッドに移動したときにも左胸部痛を訴え,病棟に帰室する際にも,家族や友人に,左胸部痛を訴えていた。〔乙A1(78頁)〕

(イ) 亡Dは,翌22日午前0時15分に帰室したが,その際看護師に対し,背部痛を訴えた。同日午前0時30分,亡Dは,呼吸すると左前胸部痛があると訴えた。同時点で,SPO2は98%であった。〔甲A1(23頁)〕

(ウ) 同日午前2時ころ,亡Dは,足及び左腰の痛みを訴えた。看護師がボルタレン座薬を挿肛中の午前2時20分ころ,亡Dは,心窩部痛を訴えた。看護師から呼ばれた被告病院救命救急科のE医師(以下「E医師」という。)は,12誘導心電図検査を実施した(以下「第2回12誘導心電図検査」という。)が異常を認めず,バイタルサインにも異常がなかったので,亡Dに対し,H2ブロッカーであるガスターを投与した。E医師の診察中,亡Dの心窩部痛は軽減し,同日午前3時ころ,亡Dは入眠した。〔甲A1(23,69ないし72頁),乙A1(22頁),乙A5〕

ウ 開胸手術までの経緯

(ア) 同日午前5時30分ころ,亡Dが足の痛みを訴えたので,鎮痛剤が投与された。同日午前6時ころ,亡Dは,再度心窩部痛を訴えた。そのころ,亡DのSPO2と呼吸音には問題がなかった。看護師は,亡Dにガスターを投与したが,心窩部痛が軽快しなかったので,午前6時45分ころ,E医師を呼んだ。E医師は,淡々血性の血尿を認めたが,腹部エコーでは明らかな所見はみられず,亡Dのバイタルサインにも異常がなかった。E医師は,血液検査を指示するとともに,胸腹部の造影CT検査を実施することとした(以下「本件造影CT検査」という。)。午前7時ころ,亡Dの血圧は,92/55mmHgに低下したが,その後収縮時血圧は100mmHg以上に回復した。午前7時ころの脈拍数は70回~80回/分,SPO2は98%であった。〔甲A1(22,23頁),乙A1(24頁),乙A5〕

(イ) 同日午前7時10分ころ,亡Dは出棟して本件造影CT検査を受けた。その結果,心嚢に血液が貯留していること及び左血胸があることが判明した。午前7時28分に撮影されたCT画像(乙A3)によれば,心嚢液の厚みは1cm以上に及び,心嚢液中には,血腫若しくは凝血塊が存在することが読み取れた。亡Dは,同日午前7時40分ころ帰室した。〔甲A1(23頁),甲B3(7頁),乙A1(25頁),乙A3,5,証人F(13,14頁)〕

(ウ) 同日午前8時10分ころ,亡Dにチアノーゼが生じたため,酸素吸入が開始された。血圧は100ないし110台であった。心窩部痛及び腰痛は持続しており,鎮痛剤が投与された。同日午前8時25分,亡Dについて,「血胸」「肋骨骨折」「心タンポナーデ」がそれぞれ病名登録された。同日午前8時30分ころ,胸腔に左トロッカーカテーテルが挿入された。その後,急に血圧が下がって測定不能となり,橈骨動脈の脈拍に触れることもできなくなり,意識レベルは,ジャパンコーマスケールでⅠ-3(覚醒はしているが,自分の名前,生年月日が言えないレベル)の状態となった。〔甲A1(23,43頁),乙A1(26頁),乙A5〕

(エ) 同日午前8時50分ころ,亡Dの呼吸は浅く,アンビューバッグによって人工呼吸が行われ,ブミネートポンピングがなされ,ドーパミン製剤(昇圧剤)及びアルブミン製剤(血液製剤)が投与され,気管内挿管が施行された。同日午前8時57分ころ,血圧は30ないし40台であり,頚動脈を触知できなかった。心臓マッサージが開始され,心臓マッサージを受けながら,亡Dは,手術室へ移動した。〔甲A1(23頁,),乙A5〕

(オ) 亡Dは,同日午前9時2分に手術室に入室した。同日午前9時4分から午前11時48分までの間,被告病院心臓血管外科医師により,亡Dに対し,開胸(正中切開)による心タンポナーデ解除術が施行された(以下「本件開胸手術」という。)。左第6ないし第8肋骨に1か所ずつ骨折があり,心臓には肋骨骨折によって生じた小骨片1本が刺さっており,左室心尖部に約3cmの裂創があったが,出血は既に止まっていた。心嚢切開により,心嚢内出血約430ミリリットルが排出された。また,トロッカーカテーテルによって,胸腔から360ミリリットルの血液が排出された。術前から心停止状態であったが,心タンポナーデが解除された後,自己心拍が再開した。心停止時間は約20分間に及んだ。〔甲A1(43頁),乙A1(49,252頁)〕

エ 亡Dが死亡するに至る経緯

亡Dは,本件開胸手術後,CT,脳波,ABR検査(脳誘発電位検査)等を受け,「低酸素脳症による脳死」と診断された。心停止中に有効な脳血流が保たれておらず,低酸素脳症になったと考えられた。その後,亡Dに対して脳保護のための低体温療法等の治療が続けられたが,平成17年3月4日午前10時40分,亡Dは死亡した。〔乙A1(30,36,227頁)〕

(3)  医学的知見等について

ア 心タンポナーデについて

(ア) 心タンポナーデとは,心嚢内に貯留した血液等の液体(まれに空気)により心拡張が著しく制限され,循環異常をきたした病態をいう。循環異常をきたしていない単なる心嚢液貯留とは区別される。心嚢液貯留は,心タンポナーデに発展する場合もあるが,心嚢液が体腔に吸収され軽快する場合も多い。循環異常をきたしていない単なる心嚢液貯留は,特異的な身体所見や検査所見に乏しく,心エコー検査又は胸部CT検査を実施しない限り診断できない。(甲B1,乙B2)

(イ) 心タンポナーデの原因としては,ウイルス,心膜炎,外傷等,様々なものがある。

(ウ) 心タンポナーデの理学的所見としては,Beckの3徴(軽静脈の怒張,血圧低下,心音の減弱),奇脈(自発吸気時の収縮期血圧の生理的低下が10mmHgを超える場合),Kussmaulサイン(自発呼吸下の吸気時の中心静脈圧の上昇),中心静脈圧が上昇しているのにもかかわらず脈圧が30mmHg以下であるという所見等があげられる。(甲B1)

(エ) 心嚢液貯留ないし心タンポナーデの検査所見としては,心エコー検査がもっとも有力である。心嚢液貯留によるエコーフリースペースを認める。胸部CT撮影でも心嚢液の貯留を確認できる,胸部X線撮影では,心嚢液貯留のための心陰影の拡大が認められる。(甲B1)

(オ) 心タンポナーデの治療の根本は,心嚢液の排除である。排除の方法としては,心嚢穿刺(胸骨剣状突起左側から横隔膜を経て左肩方向に穿刺し,心嚢腔に穿刺針を到達させ,心嚢液を吸引する。心腔内穿刺,心筋損傷,冠動脈損傷,内胸動静脈損傷,肺損傷,肝動脈損傷等の合併症の危険がある。),心嚢開窓術(剣状突起より下方に約5cmを切開し,胸骨裏面を剥離して心嚢に達し,心嚢を切開して排液する。右気胸,不整脈等の合併症の危険がある。),開胸手術(胸骨を縦切開して心嚢に達し,心嚢を切開して排液する。)等がある。心嚢液が徐々に貯留した場合は,数リットル貯留しても循環異常が生じない場合があるが,急速に貯留した場合は100ミリリットル程度であっても循環異常が生じ,急速に心停止に至る場合があるので,緊急を要する。(甲B1,2,8)

イ 外傷初期診療について

外傷の初期診療については,日本救急医学会がガイドライン(以下「JATEC」という。)を定めている。その中には,次の趣旨の記載がある。(甲B1,7,乙B1,7)

(ア) 患者を受け入れると,A(気道),B(呼吸),C(循環),D(意識),E(体温)を素早く評価して,第1次検査(Primary survey)を行い,緊急度の全体像を把握し,必要な場合は蘇生を行う。Primary surveyにおいて,患者のモニタリングを開始する。心電図,パルスオキシメータ,血圧測定装置の装着は必須であり,ABCのいずれかに異常を認めるか,Dの異常のために気管挿管を行った場合には,胸部X線写真を撮影する。また,Cに異常を認める患者に対しては,FASTを行う。

(イ) Primary surveyにおいては,致死的な胸部外傷病態に対して,適切な観察と検査から診断し,迅速な対応を行うが,その中には,心タンポナーデが含まれる。第2次検査(Secondary survey)においては,Primary surveyと蘇生の段階では顕著な所見を示さないが,見落とした場合には致命的となる大動脈損傷,その他の病態を診断し,適切な治療法を選択する。

ウ 心電図について(甲B6,乙B6)

(ア) 心電図とは,心臓の電気的活動を記録したものである。

(イ) 心電図の波形には,P波,Q波,R波,S波,T波という呼称が用いられる。P波とは心房の興奮過程を,Q波は心室中隔の興奮過程を,R波は心室筋の興奮過程を,S波は電極の位置とは反対側の心室筋の興奮過程を,T波は心室の興奮過程が終了した後の電気的回復過程を表している。T波の後の心臓の静止状態を表す直線部分を基線という。

(ウ) S波の終了部分からT波の開始部分までのほぼ水平の部分を「ST」という。「ST上昇」「ST下降」とは,基線との比較で,STが上昇していること,あるいは下降していることをいう。一般に,心筋の表面に虚血が起こっている場合にはST上昇がみられ,心筋の内側に虚血が起こっている場合にはST下降がみられる。

3  争点及び当事者の主張

(1)  心嚢液を排液すべき時期はいつか

(原告らの主張)

ア 心嚢液貯留がある場合,心嚢液の増加傾向が認められた時点で,心嚢液排液を行うべきである。

イ 本件では,22日午前0時30分までには,亡Dに心嚢液貯留が生じており,同日午前2時20分には,心嚢液が増加しており,その後も時間の経過とともに心嚢液は増加していたものと考えられる。そうすると,22日午前2時20分以降,なるべく速やかに心嚢液の排液がなされるべきであった。

(被告の主張)

ア 心嚢液貯留は軽快する症例もあること,心嚢穿刺,心嚢開窓術,開胸手術にリスクがあること等からすれば,循環動態に異常がない単なる心嚢液貯留の場合には排液する必要はない。循環動態に異常が生じ,心タンポナーデに至った場合排液すれば足りる。

イ 本件では,亡Dに循環異常が生じ,心タンポナーデに至ったのは,22日午前8時30分過ぎであり,それ以前に,心嚢液を排液すべきであったとはいえない。

ウ 22日午前0時30分までには,心嚢液貯留が生じており,同日午前2時20分には,心嚢液が増加しており,その後も時間の経過とともに心嚢液は増加していたとの原告の主張は争う。

(2)  22日午前7時28分ころの心嚢液の発見前に排液措置をとらなかったことについて,被告病院医師の過失の有無

(原告らの主張)

ア 被告病院医師は,22日午前0時30分,午前2時20分,午前6時及び午前6時45分に心エコー検査を実施すべき義務があり,22日午前0時30分の心嚢液貯留,午前2時20分及びその後の心嚢液の増加は,これらの時点で心エコー検査を行っていれば発見することができたのに,これを怠ったため,被告病院医師は,心嚢液の貯留及び増加を把握できず,午前2時20分ないしその後速やかに排液措置をとることができなかった。

イ 上記各時点で心エコー検査を実施すべき義務があった理由は,次のとおりである。

(ア) 本件のように,患者の胸郭に強力な鈍的外力が加わった場合,鈍的心損傷により心タンポナーデを発症する可能性があることに注意し,継続的に心エコー検査を実施し,心嚢液の貯留につき経過観察を行う必要がある。

(イ) 搬入時胸部X線撮影において,肋骨骨折とともに心陰影の拡大が認められ,心拡大が生じているものと判断された。

(ウ) 第1回12誘導心電図検査において,STの上昇がみられた。これは,心筋障害を疑わせる。第2回12誘導心電図検査では,STの上昇幅が更に拡大していた。

(エ) 心嚢液が溜まると心外膜が圧迫され,心窩部痛が起こることがあるところ,亡Dは,21日被告病院への搬入時,左季肋部の痛みを訴え,22日午前0時30分には,左前胸部痛を訴え,同日午前2時20分には心窩部痛を訴えていた。また,同日午前6時からは継続して心窩部痛を訴えていた。

(オ) 亡Dの受傷経過や肋骨骨折があったことからすれば,被告病院医師は,胸部鈍的外傷への視点を持ち,全体の診療をどのように進めるかという計画的な診療計画を設定し,個別の診察結果を総合的に判断しつつ経過観察すべきであった。そして,STの上昇,心陰影の拡大,心窩部痛等の徴候に着目すれば,心嚢液貯留の可能性が認められるから,被告病院医師は,亡Dが左前胸部痛を訴えた22日午前0時30分の時点,亡Dが心窩部痛を訴え,第2回12誘導心電図検査でSTの上昇幅の拡大が認められた22日午前2時20分の時点,一旦入眠した亡Dが再び心窩部痛を訴えた同日午前6時の時点,E医師が異変を感じて本件造影CT検査の実施を決めた同日午前6時45分の時点でそれぞれ心エコー検査を実施して,心嚢液貯留の有無を確認するべきであった。

しかるに,被告病院医師は,胸部鈍的外傷の視点を持たず,上記各徴候を軽視して,上記各時点で心エコー検査をするべき義務に違反した。

被告病院医師が胸部鈍的外傷の視点を持っていなかったことは,血液検査によってトロポニンなる蛋白の湧出,CK-MBなる酵素の上昇をチェックしていないこと(心外傷や心筋損傷を判別するために最も鋭敏と言われている)にも現れている。

(被告の主張)

ア 仮に,心嚢液の増加傾向が認められた時点で排液を行うべきであり,22日午前2時20分ころには心嚢液が増加していたのに,被告病院医師が心エコー検査をしなかったためその事実を把握できなかったとしても,心エコー検査をしなかったことについて,被告病院医師には過失はない。その理由は次のとおりである。

イ 被告病院医師は,初期診療において,搬入時FAST及び第1回12誘導心電図検査を実施したが異常がなかった。その後,被告病院医師は,胸部CT,心エコー検査等の胸部画像検査を,2月22日午前7時10分過ぎに本件造影CT検査を行うまで,実施しなかった。しかし,ICUで継続的にモニタリングしていた心電図に異常なく,バイタルサインも安定していたから,亡Dに対して,それ以上,継続的に心エコー検査をする義務はなかった。

ウ (原告らの主張イに対する反論)

(ア)(原告らの主張イ(ア)に対し)

鈍的心損傷が疑われる場合の初期スクリーニングテストとして最も信頼性の高い検査は12誘導心電図検査である。12誘導心電図検査の結果,異常値が認められれば心エコー検査を行うこととなるが,異常値が認められず,循環動態が安定している患者については,それ以上の検索は不要である。

本件では,初期診療の結果,被告病院医師は,継続的な心エコー検査は不要と判断したものである。

(イ)(原告らの主張イ(イ)に対し)

搬入時胸部X線撮影において,心陰影の拡大が認められたが,同撮影で心陰影が拡大したことの原因としては,仰臥位で腹背方向から撮影されたこと,亡Dの加齢の影響,亡Dが左季肋部の痛みによって十分な呼気状態になかったため,横隔膜が上位に位置していたこと等が考えられ,直ちに心拡大とは評価できない。また,搬入時FASTや第1回12誘導心電図検査において心嚢液貯留等心損傷を疑わせる所見が認められなかったことからも,心陰影拡大が認められたからといって,心拡大が生じていたとはいえない。

(ウ)(原告らの主張イ(ウ)に対し)

第1回12誘導心電図検査でのST上昇,第2回同検査でのSTの上昇幅拡大の事実は認める。しかし,第1回12誘導心電図検査でのST上昇幅は1mm程度であり,第2回同検査においても,その上昇幅は2mmまでに止まっていた。そして,2mmまでのST上昇は健常者においてもみられ,正常値の範囲内である。他方,心嚢液貯留が存在する場合に現れる特徴的な波形である低電位差傾向(上下幅が狭まる状態)や不整脈は認められなかったし,バイタルサインの異常もなかったから,第1回及び第2回12誘導心電図検査の結果が心嚢液貯留を疑わせるとはいえない。

(エ)(原告らの主張イ(エ)に対し)

亡Dの痛みの訴えは,その都度消失していた。心窩部痛は,主として虚血性心疾患,ストレスによる急性胃粘膜病変その他の腹部外傷が存する場合に認められるものであり,心窩部痛の訴えがあったからといって,直ちに心嚢液貯留を疑うべきこととはならない。

(オ)(原告らの主張イ(オ)に対し)

被告病院は,JATECに則ったPrimary Survey,Secondary Surveyを行い,胸部,腹部,四肢及び臓器等につき総括的に検索,監視を行った。

被告は,亡Dに鈍的心損傷が存在する可能性も考慮していたがゆえに,Primary Surveyとして搬入時FASTを行い,搬入時胸部X線撮影の結果及び循環動態等と総合して検討したうえで,心臓に鈍的心損傷,心嚢液貯留その他当面の致命的病態は存しないと判断した。更に,被告病院医師は,Secondary Surveyの一環として12誘導心電図検査も行ったが,同検査によっても鈍的心損傷や心嚢液貯留等の存在を示す所見は得られなかった。

その後も,被告病院医師は,亡Dについて,ICUでの厳重な管理(継続的な心電図のモニタリング及び動脈血酸素飽和度のモニタリング,頻回にわたるバイタルサインのチェック,体温,尿量のチェック等の経過観察)を行い,その病状の変化を監視したが,経過観察時において亡Dの容態は安定しており,異常は認められなかった。

以上のように,被告病院医師としては,胸部鈍的外傷への視点を持ち,総括的な検索,監視を行っていたのである。そして,原告が心嚢液貯留の徴候として主張する心陰影の拡大,ST上昇,心窩部痛についての反論は上記のとおりであるから,被告病院医師には,22日午前0時30分にも,午前2時20分にも,午前6時にも,心エコー検査をする義務はなかった。なお,午前6時45分には,E医師は,本件造影CT検査の実施を決めたのであるが,心エコー検査ではなく造影CT検査を選択したことが過失と評価される理由はない。

なお,CK-MBのみでは不整脈の出現や心不全の予測は困難であり,スクリーニング検査としては適切でない。また,トロポニンも感度,陽性的中率ともに低率であり,いずれも循環動態の安定した患者における鈍的心筋損傷診断と重傷度判定についての有効性は証明されていない。

(3)  22日午前7時28分ころの心嚢液の発見後,排液措置が遅れたことについて,被告病院医師の過失の有無

(原告らの主張)

ア 22日午前7時28分に胸部CT検査で亡Dに心嚢液貯留が認められたから,被告病院医師には,緊急に心嚢液の排液措置をとる義務があったのに,同医師はこれを怠った。

イ 亡Dは,同日8時30分過ぎにショックに陥ったが,その時点では,既に手術の準備はできていたから,被告病院医師には,直ちに心嚢液の排液措置をとる義務があったのに,同医師は,これを怠った。

(被告の主張)

ア 22日午前7時28分に心嚢液貯留が確認できたが,その時点においては,未だ循環異常が生じておらず,心機能にも特段の問題はなかったものであるから,被告病院医師には,直ちに排液の処置を開始すべき法的義務はなかった。

心嚢液貯留を確認したE医師は,被告病院心臓外科のG医師と協議し,心臓外科において開胸手術により心嚢液を排液することとした。そして,同病院心臓外科の医師は,インフォームドコンセントをするために,亡Dの家族に電話をかけて被告病院に呼び出したが,到着まで1時間程度を要するとの回答であったため,家族の到着を待って手術を開始することとした。そして,手術室の確保,麻酔科,外科チーム等の人員確保,輸液及び輸血,各種検査の手配,心機能,循環動態並びに貯留心嚢液の量及び性状の確認等のための心エコー検査等,緊急手術実施に向けた諸準備を行い,午前8時30分ころには,手術準備を整えたが,そのときに亡Dにショックが生じたのである。

被告病院医師の以上の判断に何らの過失はない。

イ 午前8時30分過ぎに亡Dにショックが起こったので,被告病院医師は,まずICUにおいて蘇生措置を講じ,その後手術室に搬入して開胸手術によりショック症状を緩和し,速やかにバイタルを改善すべく,昇圧剤等を投与し,心臓マッサージ,人工呼吸を行うための気管内挿管等の各種蘇生措置を講じた上で,午前9時2分に亡Dを手術室に搬入し,緊急手術を行ったものである。以上の被告病院医師の判断に何らの過失はない。

(4)  被告病院医師の過失と亡Dの死亡との因果関係

(原告らの主張)

ア 被告病院医師が22日午前0時30分,午前2時20分,午前6時,午前6時45分に心エコー検査をしていれば,そのころまでに心嚢液の貯留及び増加を発見でき,排液措置をするべきとの正しい判断をすれば,速やかな措置によって,亡Dがショックに陥った午前8時30分過ぎまでに心嚢液を排液することができ,亡Dを救命することができた。

イ 22日午前7時28分に胸部CT検査で心嚢液貯留が認められた後,被告病院医師が即座に排液措置をとることを決定すれば,午前7時43分ころには手術に着手できたから,亡Dを救命できた。

ウ 22日午前8時30分過ぎに亡Dがショックに陥った後,被告病院医師が直ちに手術に着手すれば,10分程度で心嚢液を排液できたから,亡Dを救命できた。

(被告の主張)

争う

(5)  損害

(原告らの主張)

亡Dの死亡により生じた損害は次のとおりである。

ア 葬儀費用  150万円

イ 逸失利益  2764万5470円

亡Dの平成16年当時の年収は445万6000円であり,本件事故当時,亡Dは一家の支柱として稼働していたものであるから,生活費控除率は3割とすべきである。亡Dは,死亡当時57歳であり,就労可能年数は平均余命までの24.44年の2分の1である約12年であり,これに対応するライプニッツ係数は8.863である。

よって,亡Dの逸失利益は,2764万5470円となる。

(計算式)445万6000円×(1-0.3)×8.863=2764万5470円

ウ 慰謝料

(ア) 亡D  3000万円

(イ) 原告A  500万円

(ウ) 原告B及び原告C  各250万円

エ 弁護士費用  691万4547円

弁護士費用としては,アないしウの小計6914万5470円の1割が相当である。

オ 合計  7606万0017円(原告Aの損害額は,ア,イ,ウ(ア),エの合計額の2分の1にウ(イ)を加算した3803万0009円,原告C及び同Bの損害額は,それぞれ,ア,イ,ウ(ア),エの合計額の4分の1にウ(ウ)を加算した1901万5004円)

(被告の主張)

争う。

第3当裁判所の判断

1  心嚢液を排液すべき時期(争点(1))について

(1)  心タンポナーデについて,第2の2(3)アに記載したほか,証拠(各項末尾記載)によれば,次の事実が認められる。

ア 心嚢液貯留が心タンポナーデに移行する例は僅かである。もっとも,外傷を原因とする心嚢液貯留の場合は,心タンポナーデに移行する事例が多い。一般に,炎症を原因とする心嚢液貯留は,ゆっくりと進行するが,外傷を原因とする心嚢液貯留は,進行が早い。〔証人H(34,47頁)〕

イ 外傷による心タンポナーデは,内科的疾患による心タンポナーデと異なり,少量の血液でもショックに至る。外傷直後の心タンポナーデ患者の場合,タンポナーデ症状が出現してから心停止までの時間は,5ないし10分とされている。〔乙B1(44頁),証人F(35頁)〕

ウ 心タンポナーデによるショックは,貯留心嚢液の量がある閾値を超えると急激に生じる場合がある。〔証人F(12頁)〕

(2)  第2の2(3)アの事実に上記事実を総合すると,次のようにいうことができる。

ア 心嚢液の排液措置は,心嚢穿刺,心嚢開窓術,開胸手術のいずれの方法であっても,侵襲性が高く,リスクを伴うこと,心嚢液貯留が認められても,多くの場合は,自然に吸収されて,軽快することに鑑みると,心嚢液貯留が認められたからといって,医師に,直ちに排液措置をとる義務がないことは明らかである。心嚢液が貯留した後に生じる循環異常は,多くの場合,Beckの3徴,奇脈,Kussmaulサイン等であって,必ずしも緊急性が高い症状とまではいえないから,これらの循環異常が生じた後に排液措置をとっても,通常は,患者の生命を危険に陥れることにはならない。

イ しかしながら,一般に,外傷性の心嚢液貯留は,心臓の破裂や心筋の挫傷等によって血液が貯留する場合が多いから,それ以外の心嚢液貯留よりも進行が早いし,心タンポナーデに移行する割合も高い。タンポナーデ症状が出現してから心停止までの時間が5分ないし10分とされているのは,受傷直後に心タンポナーデに陥った場合だけであるが,それ以外の場合であっても,それまで循環動態に異常がないのに貯留心嚢液量が閾値を超えることによって,急激にショックに陥ることがあり,その場合,患者は生命の危機にさらされるのであるから,これらの事実に鑑みると,少なくとも外傷性の心嚢液貯留の場合,貯留の原因,貯留量の変化等から,近い将来,心タンポナーデに移行する可能性が高いと判断される状況になれば,排液措置がとられるべきである。

(3)  そこで,本件において,心嚢液の排液措置がとられるべき時期について検討する。

ア 開胸手術によって確認された心嚢内出血の量が430ミリリットルであり,トロッカーカテーテルによって胸腔から排出された血液量が360ミリリットルであるが,これは,心嚢から胸腔に漏れ出たものと考えられるから,結局,亡Dの心尖部挫傷部位からの出血は合計で790ミリリットルに及んだと考えられる。

イ 搬入時FASTでは心嚢液貯留が認められなかった。

ウ 本件造影CT検査の結果,血腫ないし凝血塊が認められたが,これにつき,証人Hは,血腫部分の輝度が高く,これはその血腫が新しいことを意味しており,大量の急激な出血があったことが考えられると証言している(尋問調書48頁)ところ,その証言内容を否定するに足る証拠はない。

エ 亡Dの心嚢液貯留の原因が,本件事故によって生じた肋骨骨折の結果,小骨片が心尖部に刺さったことによる心尖部挫傷であることに,アないしウの事実を併せ考慮すると,本件造影CT検査から長く遡らない時間帯に,急激な大量出血があったとしても,出血自体は,本件事故後間もなくからじわじわと始まっており,搬入時FASTでは,未だ確認できるだけの量には至っていなかったものの,時間の経過とともに,徐々に貯留量が増大していったものと認めるのが相当である。そうすると,遅くとも2月22日の早朝には,既に心尖部挫傷部位からの出血量及び心嚢内の貯留量は相当量に達していたと考えられるし,今後も出血量の増加が予想されたということができるから,そのころには,客観的には,排液措置がとられるべき段階に至っていたと認めるのが相当である。

2  22日午前7時28分ころの心嚢液の発見前に排液措置をとらなかったことについて,被告病院医師の過失の有無(争点(2))

(1)  原告は,被告病院医師には,22日午前0時30分,午前2時20分,午前6時及び午前6時45分の各時点で心エコー検査を実施すべき義務があったのに,これを怠ったため,心嚢液の貯留及び増加の事実を把握できず,排液措置が遅れた旨主張するので,以下,被告病院医師に,上記各時点で心エコー検査を実施する義務があったか否かを検討する。

(2)  本件事故の態様,亡Dに肋骨骨折が生じたこと等に照らすと,本件事故によって亡Dの胸郭に強力な鈍的外力が加わったことは容易に推認できる。したがって,被告病院医師としては,亡Dが,鈍的心損傷によって心タンポナーデを発症する可能性があることを考慮してその治療に当たる必要があったということができる。そして,本件において,被告病院医師は,Primary surveyとして,搬入時エコー検査をしたものの,心嚢液貯留は認められなかったが,これは,心タンポナーデの発症の可能性を考慮したものと考えられる。

(3)  ところで,証拠(甲B1,7,乙B1)によると,JATECでは,鈍的心損傷について,明確な診断基準や診断のためのgold standardがない旨,鈍的心損傷が疑われる場合の初期スクリーニングテストとして最も信頼性の高い検査は12誘導心電図検査であり,全例に必須である旨,多発する心室性期外収縮や他の病態からは説明できない洞性頻脈,心房細動,右脚ブロック,ST変化などが鈍的心損傷でよくみられるが,循環動態が安定している患者で来院時の心電図が正常ならば,治療を要する心損傷の危険性は少なく,それ以上の検索は必要でない旨,もし来院時の心電図が異常ならば,持続心電図モニターで24時間から48時間監視する旨がそれぞれ記載されていること,FASTについて,循環に異常を認める患者には必須の検査であり,循環に異常を認めなくとも,ショックに陥る可能性のある損傷を除外する意味でルーチンに行うのがよい旨,最初に液体貯留が認められなくても,必ず時間を置いて再評価し,繰り返して行うことが重要である旨,循環異常の検索モニターとして,ショックの有無にかかわらず繰り返し行うことを推奨する旨,循環に異常を認める場合は繰り返し行う旨がそれぞれ記載されていることが認められる。

そうすると,JATECによれば,鈍的心損傷が疑われる場合,FAST及び12誘導心電図検査を行うことは必須であり,これらに異常があれば,繰り返しのFASTその他の検査で厳重な監視が必要であるが,これらに異常がなく,循環動態が安定している場合には,繰り返しFASTを行うことが望ましいとはいえ,行わなくともJATECに反するとはいえないことになる。もっとも,その後循環異常が認められれば,FASTを行うべきことは明らかである。

そして,証拠(乙B7,8)によると,JATECは,我が国における外傷診療の質の向上のため,日本外傷学会及び日本救急医学会の監修によって,外傷初期診療において共通言語となるべき標準的診療指針として策定されたものであることが認められるところ,医師が,そのような趣旨で策定されたJATECに定められた診療をしたのであれば,特段の事情のない限り,過失があるとは評価できないというべきである。

(4)  本件において,被告病院医師は,亡Dに対し,搬入時FASTを行って異常がないことを確認し,第1回12誘導心電図検査を実施して異常を認めなかったが,なお,亡DをICUに収容し,持続心電図モニター等での監視を続けた。そうすると,被告病院医師に,原告が主張する上記各時刻に心エコー検査を実施する義務があったか否かは,第1回12誘導心電図検査で異常所見があったのか否か,その他の検査結果や亡Dの容態に循環動態の異常を示唆する所見があったか否かによって決せられることになる。

ア 第1回12誘導心電図検査について

証拠〔甲A1(65ないし68頁),乙B6〕によると,第1回12誘導心電図検査の結果,Ⅰ,Ⅱ,aⅤL,Ⅴ1,Ⅴ2,Ⅴ3で,STの上昇がみられたが,その上昇幅は1mm未満であり,他に異常所見はみられなかったこと,STの上昇は2mmまでであれば,健常者でもみられることが認められる。そうすると,第1回12誘導心電図検査の結果に異常所見があったということはできない。

イ 搬入時胸部X線撮影について

証拠(乙A2,乙B5)によると,搬入時胸部X線撮影の画像で心胸郭比(心陰影の最大横径と胸郭最大内径の比)を測定すると約63.4%であること,一般に成人では,50%以下が正常とされていることが認められる。しかしながら,他方,証拠(乙B5,証人F)によると,一般に,単純X線写真による心拡大の評価は,立位,背腹(後前)方向で,かつ吸気時撮影による心胸郭比でなされるのが基本であるのに対し,亡Dに対する搬入時胸部X線撮影は,仰臥位,前後方向でなされたこと,肋骨骨折による胸痛は呼吸抑制をきたすから,十分な吸気時撮影をすることが困難であること,一般に,右側横隔膜頂点の高さは,前方で第5,6肋間であるが,上記画像では,第3,第4肋間の高さに位置していること,横隔膜高位の原因としては,呼気不足又は中心性肥満が考えられるが,いずれにしても,横隔膜高位は,心陰影を拡大させる要因となること,以上の事実が認められ,これらの事実に鑑みると,搬入時胸部X線撮影の上記画像だけから,亡Dに心拡大が生じていたと認めることはできない。

ウ 第2回12誘導心電図検査について

証拠〔甲A1(69ないし72頁),証人F〕によると,第2回12誘導心電図検査の結果,Ⅰ,Ⅱ,aⅤL,Ⅴ1,Ⅴ2,Ⅴ3,Ⅴ4,Ⅴ5,Ⅴ6でSTの上昇がみられたが,その上昇幅は,第1回12誘導心電図検査の結果よりも拡大していたものの,なお2mm未満であったこと,他に異常所見は認められなかったことが認められる。そして,上記のとおり,STの上昇は2mmまでであれば,健常者でもみられる上,証拠〔乙B6,証人F(9頁)〕によると,心嚢液の貯留が著しいと肢誘導,胸部誘導ともに低電位差となること,心電図検査を複数回した場合,患者の状態に変化がなくとも,電極の位置のずれによって波形の僅かな変化が生じることが認められるから,第2回12誘導心電図検査の結果に異常所見があったということはできないし,心嚢水貯留を示唆する所見があったということもできない。なお,証人Hの証言(12頁ないし14頁)中には,健常者にみられるST上昇は,早期再分極と呼ばれる事象であって,STは凹型の波形を示すが,亡DのSTは凸型ないし水平であり,これは心外膜ないし心筋の障害を示しているとの部分がある。しかしながら,第1回及び第2回各12誘導心電図検査の結果〔甲A1(65ないし72頁)〕をみても,これらにみられるST上昇が,明確に凸型ないし水平の波形を示していると判断するのは困難である。

エ 亡Dが訴えた痛みについて

証拠〔証人E(7頁),証人H(17頁),証人F(8,51頁)〕によると,心嚢液貯留は基本的に痛みを伴うものではないこと,心窩部痛の原因としては,一般的には,虚血性心疾患,急性の胃粘膜病変が考えられるが,心外膜が心嚢液に圧迫された場合に患者が心窩部の不快感ないし圧迫感を訴えることがあること,しかし,その場合,循環動態の変化が同時に現れるのが通常であること,以上の事実が認められる。

そうすると,亡Dが本件左足手術前から訴えていた背部痛,同手術中に訴えていた左胸部痛,同手術が終了した後訴えていた背部痛,左前胸部痛は,肋骨骨折によるものと考えて矛盾がないから,心嚢液貯留とは関係がなかったと認めるのが相当である。しかし,亡Dが2月22日午前2時20分ころ及び同日午前6時ころから訴えた心窩部痛は,心嚢液貯留に由来するものであった可能性はある。しかしながら,2月22日午前2時20分及び午前6時の段階では,亡Dのバイタルサインに異常がなかったこと,午前3時ころには,鎮痛剤の効果があったとはいえ,亡Dの心窩部痛は,入眠できる程度に収まっていたのであるから,亡Dの心窩部痛の原因の一つとして心嚢液貯留を想定するのは困難であったというべきである。

(5)  以上の事実を総合すると,亡Dに対する搬入時の諸検査及び第1回12誘導心電図検査では異常が認められず,亡Dの循環動態も安定していたこと,その後ICUに収容して持続心電図モニター等での監視を続けたが,バイタルサイン及び心電図モニター上異常がなく,搬入後の検査結果にも循環動態の異常は認められなかったのであるから,22日午前0時30分,午前2時20分,午前6時の各時点において,被告病院医師に心エコー検査をする義務があったということはできない。

これに対し,原告は,患者の胸郭に強力な鈍的外力が加わったのだから,心タンポナーデを発症する可能性があることに注意をすべきであった旨主張し,証人Hの証言中には,心筋の挫傷から生じるにじみ出るような出血,冠状動脈の損傷,心外膜の損傷,不整脈等の発生を把握するために,2時間ごとの心電図検査の外に,4時間毎の心エコー検査をすべきであったとの部分がある。また,同証言中には,STの上昇は心筋障害によっても起こるから,たとえその上昇幅が健常者でもみられる範囲であっても,胸郭に強力な鈍的外力を受けた患者であるとの視点を持てば,心筋損傷を疑うべきであったし,時間の経過とともにそのSTの上昇幅が拡大したのであるから,より慎重な検査の追加や厳重な経過観察をするべきであったとの部分がある。そして,この証人Hの指摘は,貴重な指摘であり,それがより望ましい医療であることは否定できないと考えられるし,まして被告病院は3次救急を担う救急救命センターであるから,期待される医療のレベルも高いものがある。

しかしながら,JATECが策定された上記趣旨に鑑みれば,3次救急医療機関であっても,JATECに定められたレベルの診療が医療水準であるというべきであって,被告病院の医師にこれに超えた注意義務を課すことはできないというべきである。

(6)  次に,E医師が本件CT検査を実施するに至った経緯として,証拠〔乙A5,証人E(11,12,28,29頁)〕によると,看護師から亡Dの心窩部痛が軽快しない旨の連絡を受けて,22日午前6時45分ころ亡Dを診察したE医師は,心窩部痛に加えて血尿がみられたことから,腹部のスクリーニングとして腹部エコー検査を行ったが,異常は認められなかったので,何らかの予測し得ない病態の変化があるのではないかと考え,胸腹部の造影CT検査を実施することにしたこと,腹部エコー検査を実施したのに,心エコー検査を実施しなかったのは,亡Dの心窩部痛が心臓由来の痛みとは考えていなかったからであることが認められる。このように,E医師は,本件造影CT検査を実施するについて,心嚢液貯留の疑いを抱いていたものではないところ,E医師がこの時点で心嚢液貯留を疑っていれば,直ちに心エコー検査を実施することによって,現実に心嚢液貯留貯留の事実を把握した午前7時28分ころよりも約30分程度早い時間帯に心嚢液貯留の事実を把握することができたと考えられる。しかしながら,この時点でも,亡Dのバイタルサインに異常はなかったこと,上記のとおり,心窩部痛の原因として一般的には心嚢液貯留は考えないこと等に照らすと,E医師がその場で心嚢液貯留に思い至らなかったことについてはやむを得ない面があるし,E医師は,慎重な配慮のもと,胸腹部の造影CT検査を実施したのであるから,このときに心エコー検査を実施しなかったことを過失とまでいうことはできない。

(7)  以上の検討の結果によれば,被告病院医師に,22日午前0時30分,午前2時20分,午前6時及び午前6時45分の各時点で心エコー検査を実施すべき義務があったとはいえず,これらの時間帯に心嚢液貯留の事実を把握できなかったことはやむを得なかったというべきであるから,22日午前7時28分ころの心嚢液の発見前に排液措置をとらなかったことが被告病院医師の過失ということはできない。

3  22日午前7時28分ころの心嚢液の発見後,排液措置が遅れたことについて,被告病院医師の過失の有無(争点(3))

(1)  証拠〔乙A5,証人E(10,30頁)〕によると,心嚢液貯留が発見されてから開胸手術に至までの経緯として,第2の2(2)ウの事実のほか,次の事実が認められる。

ア 本件造影CT検査で心嚢液貯留及び左血胸に気付いたE医師は,同日午前7時40分ころ,CT室から被告病院循環器科当直のG医師に電話で連絡した。亡DとE医師がICUに帰室すると,G医師が待機していた。E医師はG医師と相談の上,①心嚢液貯留の原因が外傷であり,止血と損傷部位の修復をする必要があること,②バイタルサインが安定しており,緊急に排液が必要な状況ではないこと等から,開胸手術によって心嚢液を排除することを決定し,そのための準備を進めることとした。

イ E医師とG医師は,手術準備や処置のために,亡Dを広いベッドに移動させ,手術室に連絡し,執刀することとなる心臓血管外科や麻酔科の医師を招集し,手術のための採血や輸血の準備を整えた。また,招集を受けて直ちに駆けつけた心臓血管外科医長のI医師は,インフォームドコンセントをするために,原告の家族に連絡をとって,来院を依頼したところ,到着まで1時間程度かかるとの返事であった。被告病院医師らは,インフォームドコンセントをしてから開胸手術を実施することとした。その後,E医師は,心エコー検査をして,亡Dの心機能,循環動態が良好に保たれていることを確認した。

ウ 午前8時30分ころ,既に手術準備は整っていた。そのころ亡Dの左胸腔にトロッカーカテーテルが挿入された。その後,亡Dの血圧が急に低下し,亡Dはショック状態となった。被告病院医師は,直ちに開胸手術に着手するのではなく,第2の2(2)エ記載のように,人工呼吸,薬剤の投与,気管内挿管,心臓マッサージ等に時間を費し,ようやく午前9時2分に手術室に入室し,午前9時4分から開胸手術が実施された。

(2)  上記事実及び第2の2(2)ウの事実によると,次のとおりいうことができる。

ア 原告らは,被告病院医師は,午前7時28分の時点で心嚢液の排液措置をとるべきであったと主張するが,当時は未だ亡Dの循環動態に異常がなく,差し迫った緊急性があると判断するべき事情はなかったから,心嚢液の貯留を把握したE医師が,専門である心臓外科のG医師と相談して対応を検討した結果,方針が決まるのが午前7時40分過ぎになったのはやむを得ないというべきである。

イ なお,G医師及びE医師は,午前7時40分過ぎに,開胸手術によって心嚢液を排除することを決定した。心嚢液の排液措置のうち,準備時間は心嚢穿刺の方法が最も短いと考えられるが,被告病院医師は,(1)アに記載した理由で開胸手術の方法を選択したのであって,その決定をした当時も未だ差し迫った緊急性があると判断するべき事情はなかったから,その判断も相当であったというべきである。なお,証拠(甲B2)によると,心嚢内の凝血塊に穿刺針が刺入した場合は,血液を吸引できないことがあることが認められるところ,亡Dの心嚢液中には,血腫若しくは凝血塊が存在していたから,その点においても,心嚢穿刺の方法は相当でなかったというべきである。そして,心嚢液の排液方法のうち,開胸手術は,相当の準備時間を要するし,侵襲性が最も高いから,亡D本人のみならず,家族にもインフォームドコンセントをした上で実施するのが望ましいことも明らかであり,差し迫った緊急性があると判断するべき事情が認められない段階では,家族の到着を待ち,インフォームドコンセントをした後に開胸手術に着手しようとした被告病院医師の判断に過失があるとは認めがたい。

ウ 次に原告らは,午前8時30分ころには手術の準備が整っていたから,午前8時30分過ぎに亡Dがショックに陥った際,被告病院医師には,直ちに心嚢液の排液措置をとる義務があった旨主張するところ,なるほど,亡Dがショックに陥った時点において,その原因が心タンポナーデであることが明らかであり,心嚢液を排液して心タンポナーデを解除しなければショックから回復させるのは困難であるし,排液できればショックから回復することが十分期待できたというべきであるから,被告病院医師としては,何よりも優先して心嚢液の排液措置に取り組むべきであったというべきである。この点は,証人Fも,排液措置を緊急にせざるを得ない旨供述しているところである(尋問調書46頁)。しかるに,被告病院医師は,人工呼吸,薬剤の投与,気管内挿管等に時間を費やして心嚢液の排液措置を後回しにした結果(しかも,被告病院医師がしたこれらの措置は功を奏せず,後記のとおり,午前8時50分ころには亡Dは心停止に至った。),亡Dがショックに陥ってから排液措置に着手するまでに約30分もの時間を費やしたのであって,これは,医療水準に応じた診療行為とは言い難く,過失という評価を免れないというべきである。

4  被告病院医師の過失と亡Dの死亡との因果関係

(1)  以上の検討の結果によれば,原告らが主張する被告病院医師の過失のうち,亡Dがショックに陥った後,直ちに心嚢液の排液措置をとるべき義務を怠った点において過失を肯認できるが,その余の過失は認めることができない。

(2)  そこで,上記過失と亡Dの死亡との因果関係について検討する。

ア 亡Dの心停止時間は約20分間であった(第2の2(2)のウ)。証拠〔甲A1(44頁)〕によると,本件開胸手術の際の麻酔記録には,22日午前9時10分ころ,亡Dの自己心拍が再開した旨の記載があることが認められるから,亡Dが心停止に陥ったのは,午前8時50分前後であったと認められる。

イ 次に,亡Dがショックに陥った時刻について,本訴訟手続においては,「午前8時30分過ぎ」ということで当事者間に争いがない(「午前8時30分」と書かれている準備書面もあるが,午前8時30分ころトロッカーカテーテルが挿入され,その後にショックに陥った経過については争いがないから,厳密には,当事者の主張は「午前8時30分過ぎ」であると解する。)が,証拠〔甲A1(43頁)〕によると,開胸手術が終了した後,I医師が原告Aに対して説明した内容は,「午前8時40分から急に血圧が下がり,意識がなくなった」というものであったことが認められるから,午前8時30分過ぎとはいえ,午前8時40分に近い時刻であった可能性もある。

ウ 心停止時間と蘇生率の関係については,3分間で50%程度,10分間を超えると殆ど零%に近くなることは,一般的な認識であるといってよいと思われる。そうすると,本件において,被告病院医師が亡Dにショックが発生したことを確認後,直ちに心嚢液の排液措置をとった場合に,午前8時50分ないしその後数分以内に排液することができたかを検討しなければならない。

エ これを検討するに当たっては,排液の方法として,手術室で開胸手術を行うことを想定するのが相当である。この方法よりも,ベッドサイドで心嚢穿刺又は心嚢開窓術を実施する方が短時間で排液に至れると考えられるが,3(2)イに記載したとおり,本件において心嚢穿刺を選択するのは相当ではなかったし,証拠〔証人F(46,47,53頁)〕によると,ベッドサイドで心嚢開窓術を行うのは,救命救急センターのレベルの医療機関においても困難な手技であると認められるからである。

オ そこで,ショックを確認後,直ちに開胸手術を施行することとした場合に要した時間について検討する。

(ア) 証拠〔証人E(38,39頁)〕によると,被告病院において,ICUから手術室に患者を移動させるために要する時間は,モニター等をつけた状態で安全を図って移動させる場合は少なくとも20分,そうでなく,最短時間で運ぶのであっても5分程度は要することが認められる。

(イ) そうすると,亡Dのショックを確認した後,被告病院医師が直ちに開胸手術を施行することを決めたとしても,その実施までに10分程度は要したと考えられること,手術に着手してから心嚢液を排除するまで数分を要することを併せ考えると,午前8時50分までに亡Dの自己心拍を再開させるのは困難であり,午前8時50分以後,なお数分間を要したと考えられる。

カ 以上を総合すると,被告病院医師の上記過失がなかった場合,亡Dを救命できた高度の蓋然性を認めることはできない。しかし,心停止時間は現実の20分間よりも短くて済んだことは明らかであるから,亡Dが死亡した平成17年3月4日においてもなお生存していた相当程度の可能性はあるというべきである。

ところで,疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が,その過失により,当時の医療水準にかなったものでなかった場合において,その医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども,医療水準にかなった医療が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は患者に対し,不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。(最高裁判所平成12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁参照)

よって,被告は,民法715条によって,亡Dが死亡の時点でなお生存していた相当程度の可能性を侵害されたことによって生じた損害を賠償する責任がある。

5  損害

以上のとおり,被告病院医師の過失と亡Dの死亡との間に因果関係が認められないから,亡Dの死亡を前提とする亡Dの損害及び原告らの損害を認めることはできない。

しかしながら,亡Dは,死亡の時点でなお生存していた可能性を奪われたことにより精神的苦痛を被ったものと認められる。そして,その慰謝料の金額について検討するに,4で認定した事実によれば,亡Dが死亡の時点で生存していた可能性は決して低いものではないばかりか,単に延命をはかれたのみでなく,回復して日常生活に復帰できた可能性も相当程度認められるというべきであり,その他本件で現れた一切の事情を総合考慮すると,慰謝料金額は,1000万円をもって相当と認められる。また,被告病院医師の過失と相当因果関係のある弁護士費用としては,100万円が相当である。

そして,原告らは,相続分にしたがい,原告Aはその2分の1である550万円,原告B及び同Cは各4分の1である275万円ずつを相続取得したものである。

6  結論

よって,原告らの本訴各請求は,原告Aについて550万円,原告B及び同Cについて各275万円並びにこれらに対する不法行為による損害発生の日である平成17年3月4日から支払済みまで,民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容するべきであり,その余は失当として棄却するべきである。

(裁判長裁判官 井戸謙一 裁判官 土井文美 裁判官 大川潤子)

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