大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成18年(ワ)1713号 判決 2007年9月19日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告に対し,別紙物件目録1及び2記載の建物(以下「本件建物」という。)につき,別紙建物耐力補強工事目録記載の青色部分のとおりコンクリート新設工事を施工せよ。

2  被告は,原告に対し,本件建物につき,別紙建物耐力補強工事目録記載の緑色部分のとおり鉄骨格子耐力壁設置工事を施工せよ。

3  被告は,原告に対し,本件建物につき,別紙建物耐力補強工事目録記載の桃色部分のとおりブレース他鉄骨補強工事を施工せよ。

4  被告は,原告に対し,本件建物につき,別紙建物耐力補強工事目録記載の黄色部分のとおり木造耐力壁設置工事を施工せよ。

第2事案の概要

1  本件は,本件建物の賃借人である原告が,賃貸人である被告に対し,民法606条1項の修繕義務に基づき,別紙建物耐力補強工事目録記載の各工事(以下「本件工事」という。)の施工を求めた事案である。

2  前提事実(争いがないか,証拠上明白な事実)

(1)  当事者等

ア 原告は,東京都渋谷区内に本店を有し,ブライダルの企画・運営並びにレストラン店舗の運営を主な営業とする株式会社であり,ウィークデーはレストラン,週末はブライダルの会場として使用するレストランクラブの運営を多数手がけてきた。

イ 被告は,別紙物件目録1記載の建物を所有し,同目録2記載の建物を使用あるいは賃貸に供する権利を保有している株式会社であり,長らく京都市a区b町の鴨川沿いの本件建物において川床料理を中心とする料亭「A」を経営してきたものである。

ウ 本件建物は,5棟(甲13,甲17)からなり,登記簿上は二つに区別されているが(甲1の1・2),外見上は一体となっており,古い部分は築80年を超えており,全体として,建築基準法3条2項にいう既存不適格建物である。

(2)  本件建物の賃貸借契約成立に至る経緯

ア 被告は,本件建物において,料亭を経営していたが,平成11年6月ころ,店舗を一時休業し,旅館として建て替えることを検討していたところ,建築士であるBから,飲食ビルとして建て替えて,1階部分で被告が和食店を営業し,2階部分以上を賃貸することを提案され,賃貸先として,原告を紹介された。

イ Bの紹介を受けた原告代表者は,平成11年7月,本件建物を視察したところ,本件建物の持つ和の雰囲気を気に入り,被告に対し,本件建物を建て替えることなく,レストランクラブ運営に適するように改装し,本件建物のイメージを壊さずにブライダルレストラン事業を行いたいとの申出をした。

ウ その結果,平成11年12月25日,原告と被告との間で,被告が,本件建物について,平成12年3月末日までに,原告と協議の上で,レストラン及びブライダルホールとしての機能を充足できるように改装し,レストラン及びブライダル営業業務を原告に委託することを骨子とする覚書が締結された(乙2)。

エ そこで被告は,B及び間組等との間で,本件建物の内装工事を目的とした契約を締結して,平成12年1月末から,原告の意向を反映させた本件建物の改装工事を行わせ,同年4月末には完成した。この改装費合計2億7000万円ないし2億8000万円は,被告が支出した。

オ 原告は,上記改装工事が終了した平成12年5月1日,被告から本件建物の引渡しを受け,レストランクラブ「C」をオープンさせた。

本件建物の地階は,厨房,倉庫,1階は,事務室,レストラン,カフェ,ワイン室,2階は,控え室,3階に,宴会場,控え室,4階は,宴会場,屋上として,それぞれ使用されている。

カ 原告は,平成12年5月ころ,営業委託契約から本件建物の賃貸借契約に切り替えることを希望し,同年7月10日,被告を相手方として,調停を申し立て(京都簡易裁判所平成12年(ユ)第72号),平成14年5月8日,大要以下の内容の調停が成立した(甲2)。

(ア) 原告と被告は,平成11年12月25日に取り交わした覚書に記載された営業委託契約の予約契約を平成12年5月1日限り合意解除したことを確認する。

(イ) 原告と被告は,平成12年5月1日,本件建物のうち別紙物件目録1記載の建物を目的とする建物賃貸借契約を締結したことを確認する。

(ウ) 原告と被告は,平成14年5月31日限り,上記の建物賃貸借契約を解約することに合意し,同時に,以下の約定にて,従前の賃貸借契約の目的物に別紙物件目録2記載の建物を加えた本件建物を目的とする定期建物賃貸借契約を締結する(以下「本件賃貸借契約」という。但し,別紙物件目録2記載の建物の地下1階部分は,使用貸借である。)。

a 使用目的  レストラン運営事業,ブライダル運営事業

b 賃貸期間  平成14年6月1日から同24年5月31日まで

c 賃料     月額750万円

(3)  その後本訴提起に至る経緯

ア 原告は,被告に対し,平成14年5月8日の調停成立時,本件建物を毀損しない外部からの調査方法で構造調査を行うことの同意を求めたところ,被告は,同意した。

イ そこで原告は,一級建築士を擁する株式会社環建築設計事務所及びテクノインターフェイス株式会社に対し,本件建物の構造調査を依頼し,同社から,B建築設計事務所の現有資料を前提に,同事務所でのヒヤリング及び現地調査等を経て,平成14年8月26日付けの「『A』(C)耐震事前診断報告書」(甲3)の提出を受け,前記改装工事によっては,大地震時の構造安全性は改善されておらず,本件建物の鉛直支持能力(通常時での支持能力)及び耐震性能(地震時等の短期支持能力)に疑問がある旨の報告を受けた。

ウ 上記の報告を踏まえて,原告は,被告に対し,本件建物の安全性の根拠について説明を求め,被告からの回答がない場合は,原告自ら調査をする旨何度か申し入れたところ(甲4の1・2,甲6の1・2,甲8の1・2,甲9の1・2),被告は,一級建築士であるD及びEに対し,本件建物の構造調査を依頼し,平成15年1月17日付けの「A木造建物の構造検討の概要」と題する書面(乙6の1)により報告を受け,その結果を,原告に対し,平成15年1月22日付け「本件建物の構造検討結果について」と題する書面(甲10)により,報告するとともに,構造調査の結果に基づき,本件建物について,株式会社ニカク工務店に補強工事(以下「旧補強工事」という。)を行わせ,合計157万5000円を支出した(乙6の2,乙7)。

エ 被告が行った上記構造調査は,長期荷重時及び短期荷重時(地震・風圧・積雪)で検討を行う原則的な方法ではなく,本件建物が,現行建築基準法の適用が除外される既存不適格建築物であり,水平耐力を現行の基準に適合させることは極めて難しいと判断されたことから,長期荷重時における柱,梁の構造の安全性とその補強方法の検討に重点を置いた方法となっている。

そして,調査の結果,一部の柱及び梁の部材の中で,長期荷重に対して耐力不足の部材が発生しており,直ちに建物の崩壊につながる危険はないが,今後の長期の使用に対して構造補強の必要があると判断されたため,被告は,13本の柱を補強する旧補強工事を行った。

オ 原告は,被告を相手方として,当庁に対し,本件建物について構造調査を行うことの妨害禁止を求める仮処分を申し立て(当庁平成15年(ヨ)第420号),当庁は,平成15年8月25日,これを認容する仮処分決定をした(甲11)。

また,原告は,被告を相手方として,同内容の本件建物についての構造調査妨害禁止を求める訴訟(当庁平成15年(ワ)第2691号)を提起した(甲12)。

カ 一級建築士であるFらは,上記訴訟提起後の平成15年12月下旬から平成16年4月5日まで,本件建物を調査し,「C耐震診断報告書」(甲13)を作成した。

この調査は,本件建物が既存不適格建物であることを前提としながらも,本件建物には,構造上耐力が不足しており,現在も床の沈下,柱の傾斜が進行していることから,二次応力の影響が心配されること,大地震時,建物に深刻な被害が予想されることが指摘され,建物の補強に際しては,慎重なる調査と構造計算により劣化部署の補修と予期せぬ部署でのリスクを想定し補強により耐力に余裕を持たせるべきこと,当面建物の荷重を減らすことなどが提言されている。

キ 上記訴訟については,平成17年1月28日,原告の請求を認容する旨の判決が言い渡された(甲12)。

ク そこで,原告は,被告を相手方として,当庁に対し,本件建物について本件工事を自ら行うことの妨害禁止を求める仮処分を申し立てたが(当庁平成17年(ヨ)第141号),当庁は,平成17年5月19日,被保全権利及び保全の必要性のいずれについても疎明がないとして,却下する決定をした(乙1)。

3  争点

本件建物について,被告には,本件工事を行う義務があるか。

4  争点に関する当事者の主張

(1)  原告の主張

賃貸借契約において,賃貸人は賃貸目的物を使用収益させる義務を負っており,かつ当該義務に基づき賃貸物の正常な使用収益に耐えうるだけの修繕義務を負う。

この修繕義務の内容は,賃貸人が負う「使用収益させる義務の内容」により決せられると解されるところ,この「使用収益」とは社会的に相当な安全性が確保された使用収益でなければならず,本件のように多数の集客を前提とした建物賃貸借契約においては,賃貸借の目的に供された建物は,建物自重や積載荷重に耐えられるだけの安全性を有していること,通常の状態において毀損・破壊が生じないという通常時の安全性はもちろん,地震等の災害に代表される緊急時における安全性も含む安全性を保持しなければならず,これを確保する義務は,賃貸人の修繕義務に当然含まれている。

本件賃貸借契約の使用目的は,「ブライダル運営事業,レストラン運営事業」であり,多数の集客を前提とした使用目的であり,このことは被告も十分知悉していたところ,本件建物の構造は,前提事実記載のとおり,耐震性能の見地から,また建物自重・積載荷重を支える通常の支持性能向上の見地からも修繕・補強の必要性があり,現状では本件建物の安全性に不十分なものがあることが判明している。本件のように公に開かれた多数人の来場・滞在が予定される建物は,通常の使用目的に比して特に建物の安全性(通常時の安全性,地震時等緊急時の安全性)が重視されることは言うまでもなく,現状のままでは,本件賃貸借契約の目的に即した使用収益に著しい支障が生じていることは明白である。

したがって,原告は,被告に対し,本件建物について,本件工事の施工を求める。

(2)  被告の主張

賃貸人の修繕義務が発生するためには,目的物について修繕の必要性のあることが要件である。そして,民法の定める「修繕義務」とは,賃貸借契約の締結時にもともと設備されているか,あるいは設備されているべきものとして契約の内容に取り込まれていた目的物の性状を基準として,その破損の為に使用収益に著しい支障の生じた場合に,賃貸人が賃貸借の目的物を使用収益に支障のない状態に回復すべき作為義務をいうのであって,当初予定された程度以上のものを賃借人において要求できる権利まで含むものではない。

本件建物は,既存不適格建物であり,被告は,通常の使用については安全なように平成15年に旧補強工事を行っており,耐震性能を備えた工事まで行う義務はない。

原告は,現在,本件建物においてレストランクラブ「C」の営業を続けており,賃貸人の負担する修繕義務の要件のうちの修繕の必要性を欠いている。

また,原告が本訴において訴求する工事は,修繕工事の範疇を超え,正しく改築改造に該当する。かかる賃貸借目的物に対する改造改築請求権なるものは,民法上賃借人に認められるものではない。

第3争点に対する判断

1  賃貸借契約における賃貸人は,目的物を賃借人に使用収益させる義務を負い(民法601条),その当然の結果として,目的物が契約によって定まった目的に従って使用収益できなくなった場合には,これを修繕すべき義務を負う(同法606条)。

そして,この修繕義務の内容は,当該契約条件のもとであるべきものとして契約内容に取り込まれていた目的物の性状を基準として判断されるべきであり,仮に目的物に不完全な個所があったとしても,それが当初から予定されたものである場合には,それを完全なものにするべき修繕義務を賃貸人は負わないというべきである。

2  原告は,本件建物について,耐震性能の見地から,また建物自重・積載荷重を支える通常の支持性能向上の見地からも修繕・補強の必要性があると主張し,被告に対し,本件工事の施工を求めている。

しかし,前提事実記載の本件賃貸借契約成立に至る経緯からすると,原告は,本件建物の持つ古い和の雰囲気を特に気に入り,被告に対し,本件建物を建て替えることなく,改装して,本件建物のイメージを壊さずにブライダルレストラン事業を行いたいとの申出をし,営業委託を経て,レストランクラブ「C」をオープンさせたもので,その後,平成14年5月8日成立の調停で,本件建物について本件賃貸借契約を締結したものである。

してみると,原告は,本件建物が,古い部分は築80年を超えており,全体として,建築基準法3条2項にいう既存不適格建物であることは,当然認識していたと認められ,本件建物が既存不適格建物であって,同法が定める基準に適合する建物と同等の耐震性能を有していないことは,本件賃貸借契約締結時に当然に前提とされていたものと認めるのが相当である。

したがって,被告に,本件賃貸借契約に基づく修繕義務として,本件建物に建築基準法20条が定める構造耐力を備えさせるべき義務があるとは認められない。

また,乙14の2及び乙14の3によれば,当庁の専門家調停委員が本件建物を逐一確認したところによると,本件建物は,被告の行った旧補強工事によって,災害が起こらない時の通常の使用に対して構造上安全である程度には補強されていることが認められる。

そして,原告は,本件建物を賃借(業務受託)して以来,レストランクラブ「C」を経営し,本件賃貸借契約の目的とされたレストラン運営事業,ブライダル運営事業を継続して営んできており,その間本件建物の構造耐力が欠けていることによって原告の事業に支障を及ぼすような状態が生じたことや,その使用収益が現に損なわれたことを認めるに足りる証拠はない。

3  以上の点を総合すると,被告に,本件賃貸借契約に基づく修繕義務として,本件工事を行う義務があるとは認められない。

第4結論

以上のとおり,原告の被告に対する本訴請求は理由がないので,棄却することとする。

(裁判長裁判官 中村隆次 裁判官 谷口園恵 裁判官 向健志)

(別紙物件目録及び別紙建物耐力補強工事目録 省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例