京都地方裁判所 平成18年(行ウ)14号 判決 2009年12月14日
平成18年(行ウ)第14号 生活保護変更決定取消等請求事件
平成19年(行ウ)第43号 生活保護変更決定取消請求事件
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 京都市山科福祉事務所長が原告に対してした平成18年3月24日付け生活保護変更決定及び平成19年3月23日付け生活保護変更決定を取り消す。(以下「本件各取消請求」という。)
2 京都市山科福祉事務所長は,原告に対する生活保護の種類及び程度を,平成18年4月1日以降,生活扶助10万9710円,住宅扶助5万5000円の合計16万4710円,生業扶助及び医療扶助現物給付と決定せよ。(以下「本件義務付けの訴え」という。)
第2事案の概要
本件は,生活保護を受けている原告が,厚生労働大臣が生活保護基準を改定したことにより,15歳に達した日の翌日以後の最初の4月1日から18歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にある児童のみを養育するひとり親世帯に対する加算(母子加算)が削減・廃止され,処分行政庁である京都市山科福祉事務所長がこの母子加算の削減・廃止を内容とする保護変更決定を原告に対して行ったところ,これら決定は憲法25条や生活保護法の規定に照らし違憲・違法であるとして,その取消しを求める(本件各取消請求)とともに,上記福祉事務所長が母子加算の削減・廃止のないことを前提とする保護決定をすることの義務付けを求めた(本件義務付けの訴え),という事案である。
1 前提事実(争いがないか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実)
(1) 当事者等
ア 原告
原告は,昭和38年2月18日に出生した。昭和61年4月に結婚し,平成3年3月22日に,夫との間に長男をもうけたが,平成15年8月25日に協議離婚し,そのころ夫の元から引越して長男と2人で生活するようになった。同年5月に手術をした乳がんの影響のために就労することができなかったことなどから,平成15年9月8日付けで保護申請を行い,同日を開始日として京都市山科福祉事務所から保護を受けるようになった。以後現在まで継続して保護を受給し,生活保護費と児童扶養手当によって生計を維持しているほか,現物給付による医療扶助を受けている。(甲11等)
イ 処分行政庁
京都市山科福祉事務所長は,保護を必要とするその所管区域内の者に対し,地方自治法2条9項1号の法定受託事務である生活保護に係る決定,支給等の事務を行う者である。
(2) 本件各取消請求の対象たる処分
京都市山科福祉事務所長は,原告に対し,平成18年3月24日付けで,母子加算の減額等を内容とし,同年4月1日を実施年月日とする生活保護変更決定(以下「本件処分1」という。)を行い,平成19年には,同年3月23日付けで,母子加算の廃止を内容とし,同年4月1日を実施年月日とする生活保護変更決定(以下「本件処分2」といい,本件処分1と合わせて「本件各処分」という。)を行った。(甲10,11,49)
本件処分1直前の原告の受給していた保護費の月額は,生活扶助11万3710円(母子加算及び冬季加算を含む),住宅扶助5万5000円,教育扶助5540円の合計17万4250円であったが,本件処分1により,生活扶助9万4200円(母子加算を含む。冬季加算は削除),住宅扶助5万5000円の合計14万9200円となった。なお,上記教育扶助は,長男の中学校卒業により終了したものであったが,これに代わって,本件処分1とは別の処分により,同年4月1日から,月額6760円の生業扶助(高等学校への就学に必要な経費)が支給されることとなったので,これと合計すると,原告の同日以降の合計受給月額(その他の一時扶助を除く)は,15万5960円となった。(甲11の57,59頁)
本件処分2直前の保護費の月額は,生活扶助9万8360円(母子加算及び冬季加算を含む。なお,本件処分1の後に児童扶養手当額の変更に伴い収入認定額が変更されたことが反映されている),住宅扶助5万2000円,生業扶助6760円の合計15万7120円であったところ,本件処分2により,生活扶助8万6610円(母子加算,冬季加算が削除),住宅扶助5万5000円と,生業扶助6760円の合計14万8370円となった。(甲11の85,87頁)
(3) 不服申立て等
ア 本件処分1について
原告は,平成18年3月26日,本件処分1を知ったところ,同年5月19日付けで,同処分を不服として,京都府知事に対し審査請求(生活保護法64条。以下の審査請求につき同じ。)を行ったが(甲1),その50日後に初めに到来する平日である同年7月10日までに,同請求に対する裁決がされなかったため,同請求は棄却されたものとみなすことのできる状態になった(生活保護法65条2項)。その後同月12日付けで,原告は,本件処分1の取消し等を求める訴訟(平成18年(行ウ)第14号事件)を提起した。
イ 本件処分2について
原告は,平成19年3月25日,本件処分2を知ったところ,同年5月21日付けで,同処分を不服として,京都府知事に対し審査請求を行った。同年10月10日,これが棄却されたため,原告は,同年11月7日付けで,本件処分2の取消しを求める訴訟(平成19年(行ウ)第43号事件)を提起した。(甲47,48)
(4) 関係する法の定め及び生活保護制度の概要
ア 基本原理
(ア) 憲法25条
1項 すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2項 国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
(イ) 生活保護法(以下「法」ともいう。)
1条 この法律は,日本国憲法第25条に規定する理念に基き,国が生活に困窮するすべての国民に対し,その困窮の程度に応じ,必要な保護を行い,その最低限度の生活を保障するとともに,その自立を助長することを目的とする。
2条 すべて国民は,この法律の定める要件を満たす限り,この法律による保護を,無差別平等に受けることができる。
3条 この法律により保障される最低限度の生活は,健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。
4条1項 保護は,生活に困窮する者が,その利用し得る資産,能力その他あらゆるものを,その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
5条 前4条に規定するところは,この法律の基本原理であつて,この法律の解釈及び運用は,すべてこの原理に基いてされなければならない。
イ 生活保護実施上の原則
(ア) 申請保護の原則
保護は,要保護者,その扶養義務者又はその他の同居の親族の申請に基づいて開始するものとされている(法7条)。
(イ) 基準及び程度の原則
保護は,厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし,そのうち,その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うこととされている(法8条1項)。
そして,その基準は,要保護者の年齢別,性別,世帯構成別,所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであって,かつ,これを超えないものでなければならないとされている(法8条2項)。
(ウ) 必要即応の原則
保護は,要保護者の年齢別,性別,健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して,有効かつ適切に行うものとされている(法9条)。
ウ 生活保護制度の概要
(ア) 扶助の種類及び内容
a 生活扶助
生活扶助は,困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して,衣食その他日常生活の需要を満たすために必要なもの及び移送の範囲内において行うものである(法12条)。
生活扶助は,金銭給付によって行うものとされているが,これによることができないとき,これによることが適当でないとき,その他保護の目的を達するために必要があるときは,現物給付によって行うことができる(法31条1項)。
b 教育扶助
教育扶助は,困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して,①義務教育に伴って必要な教科書その他の学用品,②義務教育に伴って必要な通学用品,③学校給食その他義務教育に伴って必要なものの範囲内で行うものである(法13条)。
教育扶助は,金銭給付によって行うものとされているが,これによることができないとき,これによることが適当でないとき,その他保護の目的を達するために必要があるときは,現物給付によって行うことができる(法32条1項)。
c 住宅扶助
住宅扶助は,困窮のため最低限度の生活を維持することができない者に対して,住居及び補修その他住宅の維持のために必要なものの範囲内において行うものである(法14条)。
住宅扶助は,金銭給付によって行うものとされているが,これによることができないとき,これによることが適当でないとき,その他保護の目的を達するために必要があるときは,現物給付によって行うことができる(法33条1項)。
d 医療扶助
医療扶助は,困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して,①診察,②薬剤又は治療材料,③医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術,④居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護,⑤病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護,⑥移送の範囲内において行うものである(法15条)。
医療扶助は,現物給付によって行うものとされているが,これによることができないとき,これによることが適当でないとき,その他保護の目的を達するために必要があるときは,金銭給付によって行うことができる(法34条1項)。
e 生業扶助
生業扶助は,困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者又はそのおそれのある者に対して,①生業に必要な資金,器具又は資料,②生業に必要な技能の修得,③就労のために必要なものの範囲内において,これによってその者の収入を増加させ,又はその自立を助長することのできる見込のある場合に限り行われるものである(法17条)。
生業扶助は,金銭給付によつて行うものとされているが,これによることができないとき,これによることが適当でないとき,その他保護の目的を達するために必要があるときは,現物給付によって行うことができる(法36条1項)。
f その他
その他,介護扶助,出産扶助及び葬祭扶助がある(法11条)
(イ) 保護の程度
保護の行われる程度は,保護基準に基づき算定したその者の属する世帯の最低生活費のうちその世帯の収入(ただし,「生活保護法による保護の実施要領について」(昭和36年4月1日付け厚生省発社第123号厚生事務次官通知。以下「次官通知」という。乙3)に基づき認定する収入。以下「収入充当額」という。)で補えない部分,すなわち,最低生活費から収入充当額を差し引いたものであり,その差額が保護費として金銭で給付されるのが通常である。
収入充当額の充当順位は,生活扶助,住宅扶助,教育扶助及び高等学校等への就学に必要な経費(生業扶助の技能修得費の一類型。以下「高等学校等就学費」という。),介護扶助,医療扶助,出産扶助,高等学校等就学費を除いた生業扶助,葬祭扶助の順に充当する運用とされている(次官通知第8の後段)。
(ウ) 厚生労働大臣の保護基準
厚生労働大臣が定める保護基準は,要保護者の年齢,世帯構成,所在地域等による一般的な需要が考慮されているほか,健康状態等による当該個人又は世帯の特別の需要の相違等をも考慮し得るものとなっており,この基準に従って,要保護者に属する世帯における最低生活費や保護費が算出される。概要は以下のとおりである。(乙4~6)
a 全国の市町村を1級地-1,1級地-2,2級地-1,2級地-2,3級地-1,3級地-2の6区分の級地に分類し,それぞれに応じて基準が定められ,各世帯に適用される(おおむね,大都市及びその周辺市町は1級地に,県庁所在地をはじめとする中都市は2級地に,その他の市町村は3級地に分類されており,京都市は1級地-1である。)。
b 生活扶助基準
基準生活費は,個人単位に消費される経費(飲食費,被服費等)に対応する基準として年齢別に定められた第1類の表に定める個人別の額を合算した額(第1類費)と,世帯全体としてまとめて支出される経費(高熱水費,家具什器費等)に対応する基準として世帯人員数別に定められた第2類の表に定める世帯別の額(第2類費)の合計額とされる。なお,第2類の表に定める額には,冬季(例年11月から翌年3月まで)の暖房費等の経費に対応する基準として冬季加算基準額が含まれるが,この額は,都道府県を単位とした区分を基に定められている。
基準生活費において配慮されていない個別的な特別需要を補てんすることを目的として,加算の制度が設けられている。障害があるため最低生活を営むためには健常者に比してより多くの費用を必要とする障害者や,通常以上の栄養補給を必要とする在宅患者,胎児のための栄養補給を必要とする妊婦等のように,特別需要を有する者について,これらの特別需要に対応できるよう,基準生活費に加え,加算制度が設けられている。母子加算も,このうちの一つである。
c 教育扶助基準
教育扶助基準は,小学校の基準額,中学校の基準額,教材代及び学校給食費等について規定されている。
d 住宅扶助基準
住宅扶助基準は,級地によって異なる上限額が規定されており,さらに,都道府県,政令指定都市及び中核市ごとに別に厚生労働大臣が上限額を設定し,上限額の範囲内で,家賃等の実額を住宅扶助基準額としている。
e 生業扶助基準
生業扶助基準は,技能修得費としての高等学校等就学費(基本額,教材代,授業料及び通学のための交通費など),生業費及び就職支度費等が規定されている。
2 本案前の争点
本件義務付けの訴えに係る訴えの適法性
(原告の主張)
原告は,本件処分1の実施された平成18年4月以降,憲法25条で保障された健康で文化的な最低限度の生活を下回る暮らしを余儀なくされているところ,削減以前の母子加算に相当する金額が支給されない限り,憲法25条に反する状態は是正されず,他に適当な方法もないことは明らかであるから,行政事件訴訟法3条6項1号,37条の2第1項に基づき,保護変更決定の義務付けを求める。
(被告の主張)
原告は,平成15年9月8日から生活保護法に基づく保護を受けている者であるから,仮に原告に対する本件処分1を取り消す旨の判決がされれば,当然に,本件処分1より前の内容,すなわち母子加算削減前の内容の生活保護費を支給されることになる。原告が本件義務付けの訴えにおいて,本件処分1の前と同一内容の生活保護費の支給を求めるというのであれば,本件処分1の取消しを求めれば足りることであり,それ以外に新たな保護変更決定を求める必要はないし,そのような新たな処分が二重にされることはあり得ない。
したがって,本件義務付けの訴えは,求める対象となるべき処分がされる可能性のない訴えというべきであり,不適法である。
3 本案の争点
本案の争点は,本件各処分の違憲性・違法性である。より具体的には,以下の各項目について争いがある。
①違憲性・違法性の判断方法等(争点①)
②生活保護制度の在り方に関する専門委員会(以下「専門委員会」という。)における検証の合理性(争点②)
③平成16年12月15日付け「生活保護制度の在り方に関する専門委員会報告書」(以下「専門委員会報告書」という。)と厚生労働大臣による保護基準変更との関係(争点③)
④高等学校等就学費の意義(争点④)
⑤母子加算の削減・廃止による原告の最低生活の侵害の有無(争点⑤)
⑥厚生労働大臣の保護基準改正告示日との関係(争点⑥)
以下,これらの項目ごとに,当事者の主張を示す。
(1) 違憲性・違法性の判断方法等(争点①)
(原告の主張)
ア 保護受給権の性質と厚生労働大臣の裁量の範囲
憲法25条1項の規定の趣旨を具体的に実現するために生活保護法によって与えられた保護受給権は,法3条の規定等に照らせば,「健康で文化的な生活水準」=「生存権」を保障する適正な保護基準による保護を受け得る権利であると解されなければならず,厚生労働大臣が最低限度の生活を維持するに足りると認めて設定した保護基準による保護を受ける権利しかないと解することはできない。したがって,厚生労働大臣の保護基準設定行為は,客観的に存在する最低限度の生活水準の内容を合理的に探求して,これを金額に具現する法の執行行為でなければならず,その判断を誤れば違憲・違法となって裁判所の審査に服すべきこととなる。
そして,法8条1項は,生活保護基準を厚生労働大臣が定め,それは要保護者の需要を基としなければならないこととしており,同条2項は,厚生労働大臣の定める保護基準は,最低限度の需要を満たすに十分なものであって,かつ,これを超えないものでなければならないと規定しているが,生活保護法におけるすべての規定の解釈及び運用は,法1条(目的),3条(最低生活保障)等の基本原理に基づいてされなければならない(法5条)のであるから,法8条1項及び2項についても,上記の保護受給権の性質に関する理解に基づいて解釈することとなる。そうすると,厚生労働大臣は,最低限度の水準が客観的に特定し得る一定の生活水準としてあることを前提に,要保護者の需要を基として,そのような水準を維持できるような保護基準を定めなければならないことになり,その裁量の範囲は極めて限定されている。また,法8条2項は,基準設定に際して考慮すべき要素を列挙しているが,これらはいずれも生活に密接に関連する生活内的要素であり,仮に財政事情等の生活外的要素を考慮するとしても,それは生活実態に基づく需要の補足的な考慮要素と位置付けられなければならない。
イ 基準切り下げの場合の判断基準について
保護基準によって保護受給権が具体化され,ひと度あるレベルの生活が最低生活の内容として一般に受け入れられる状況が形成されれば,その生活を切り下げることについては原則として許されず,国側において,切り下げ後の基準が,憲法規範として吸い上げられている社会通念としての健康で文化的な最低限度の生活に妥当しているか否か具体的に論証しない限り違憲となる。しかも,切り下げの際の違憲審査基準としては,例えば厳格な合理性基準を用いるなど,切り上げの際の基準よりもより厳格な審査基準が用いられなければならない。制度後退禁止原則は,右肩下がりの時代にこそ意味を持ち,切り下げは容易に許されず,社会通念上容認されるか否か,切り下げを行おうとする側による論証がされなければならない。
被告は,最高裁昭和42年5月24日判決に基づき,健康で文化的な最低限度の生活であるか否かの認定判断は,厚生労働大臣の合目的的裁量にゆだねられており,裁量権の逸脱・濫用がない限り違法とならない旨を主張するが,健康で文化的な最低限度の生活の判断について,同判決が厚生労働大臣に極めて広範な裁量を認めたものであると解釈するのは誤りである。
ウ 以上ア,イによれば,母子加算の削減・廃止によって厚生労働大臣が保護基準を適法に変更するためには,憲法25条,法1条,3条,8条,そして必要即応の原則を規定する法9条との関係から,以下の要件が必要である。
① 国民の生活水準とりわけ母子世帯の生活実態が何らかの理由によって大きく変化し,保護基準の切り下げを妥当ならしめる事情が生じたこと
② 生活保護利用者とりわけ母子世帯の生活保護利用者の生活実態を調査し,母子加算を削減・廃止しても母子世帯の生活保護利用者の健康で文化的な最低限度の生活が維持されることが実証されること
③ 保護基準の減額処分が①,②で示した要件を充足するものであることを検証するために,審議会等において十分な論議が尽くされ,国民ないし関係者の共通認識が得られたこと
エ 法56条について
本件各処分は,母子加算の削減・廃止を内容とするものであり,生活保護法56条の「不利益に変更」された場合に当たる。同条は,保護を受けることを国民の権利であるとした以上,一度決定された保護を,単に保護の実施機関の義務とするだけでなく,被保護者の権利として法律上確立するとともに,保護の実施機関の保護の決定及び実施を慎重,適正なものにならしめるために規定されたものであり,法律上いったん確立されたはずの生存権という重要な権利の一部を奪う以上,不利益な処分を行う被告において,当該処分によって被保護者の生存権を侵害することにはならない「正当な理由」を主張立証しなければならない。
また,この法56条の「正当な理由」の観点からも,被告は,前記ウで原告の主張した①~③の実体的・手続的要件を主張立証しなければならない。
オ 母子加算の削減・廃止の違憲性・違法性
後記(2),(3)のとおり,専門委員会の意見は,母子加算の削減・廃止を正当化する根拠とはなり得ないものであるし,被告の主張する根拠も加算の削減・廃止を正当化するものではなく,前記①~③の要件を満たしていないのに,厚生労働省が母子加算を削減・廃止する保護基準変更を行った結果,本件各処分が行われたのであり,これらは憲法25条,法1条,3条,8条,9条,56条等に反し違憲・違法である。
(被告の主張)
保護基準は法8条2項所定の事項を遵守したものであることを要し,憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りるものでなければならないが,健康で文化的な生活なるものは,抽象的で相対的な概念であり,その具体的な内容は,文化の発達,国民経済の進展に伴って向上するのはもとより,国民一般の所得水準・生活水準や社会経済情勢等の多数の不確定要素を総合的に考慮して初めて決し得るものであるから,何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断(保護基準の設定)は,厚生労働大臣の合目的的裁量にゆだねられており,裁量権の逸脱・濫用がない限り,違法とされることはない(最高裁判所昭和42年5月24日大法廷判決・民集21巻5号1043頁参照)。
また,このように,保護基準は,各種の不確定要素を総合的に考慮して決定されるものであるから,いったん厚生労働大臣がその裁量の範囲内で合理的なものとして設定した保護基準であっても,それは絶対的・永続的なものではなく,上記の所得水準や社会情勢等の変化に応じて変動し得るから,厚生労働大臣は,各種加算制度についても,上記の所得水準や社会情勢等の変化に応じて,その裁量の範囲内で変更し得るし,加算の廃止等も含め保護費の減額を伴う保護基準の改定も,その合目的的裁量にゆだねられている。法8条2項も,保護基準の設定と改定を何ら区別していない。
そして,厚生労働大臣が本件各処分に適用される保護基準等を実施したことについて,何ら裁量権の逸脱・濫用も認められない以上,その保護基準に基づき行われた本件各処分も憲法25条等に違反しない適法なものである。
(2) 専門委員会における検証の合理性(争点②)
(原告の主張)
ア 検証手法が不十分・不合理であること
(ア) 生活扶助基準を用いて比較することの不合理性
専門委員会においては,生活保護を利用する母子世帯の生活扶助基準額と第1-10分位,第1-5分位,第3-5分位の一般勤労母子世帯の消費支出額ないし生活扶助相当消費支出額を比較するという手法が採られた。(なお,第m-n分位とは,調査対象者を年間収入額順に並べ,対象者数をn等分した場合における年間収入額が低い側から数えてm番目のグループのことをいう。以下同じ。)
しかし,資産・預貯金を保有していない被保護世帯にとっては,臨時の出費に対する対応が困難なため,緊急時の備えのために生活を切りつめて蓄えを残すことを余儀なくされ,保護費をすべて消費できない実態もあり,そもそも被保護世帯の消費実態と生活扶助の基準額は違っているから,このように生活扶助基準と一般低所得世帯の消費実態とを単純に比較することは,正確な検証とは到底いえない。
(イ) 母子世帯同士で消費支出を比較することの不合理性
貯蓄ゼロ世帯が増加し,年金の切り下げ等に対する生活不安が続く中で,母子世帯を含めた多くの市民が,需要があるにもかかわらず,消費を強く抑制されていることは明らかであり,また,母子世帯は,従来から貧困を強いられてきたのであり,切りつめながら生活を送っていることは明らかであるし,子供の不慮の事故や将来の教育費などを考えながら生活しており,消費支出をできるだけ抑制して生活しようとするのも当然である。
したがって,母子世帯同士で消費支出を比較しても,需要を測定することはできない。
(ウ) 低所得層同士の比較をすることの不合理性
各種調査では生活保護の捕捉率はせいぜい20%台であることが示されており,本来生活保護が支給されるべき人に保護が行き渡らず,膨大ないわゆる漏給層が存在する。第1-5分位,第1-10分位という層は,もともと,生活保護を利用している世帯,生活保護基準以下の生活を送っている世帯が大半を占めているはずである。
そして,昭和55年から58年にかけての検証当時において,母子世帯の平均実収入が被保護母子世帯の平均実収入を下回っていたことや,各種調査研究の結果(甲13,17,19,75~78)などからすると,母子世帯の場合には,第3-5分位であっても低所得層であり,生活保護を利用している世帯,生活保護水準以下の生活を送っている世帯が大半を占めているはずである。
このように,低所得層同士の比較をする手法は不合理である。
(エ) 勤労世帯と比較することの不合理性
母子世帯の生活扶助基準額と比較対照されたのは,一般勤労母子世帯の第3-5分位であるが,専門委員会の資料によれば,一般母子世帯(勤労)の第3-5分位の「生活扶助相当消費支出額」が11万8136円であるのに対して,一般母子世帯(全世帯)の第3-5分位の「生活扶助相当消費支出額」は13万0299円となっており,同じ第3-5分位との比較であっても,一般母子世帯(全世帯)と比較すれば母子加算には合理性が認められることになる。そして,一般母子世帯に比べて被保護母子世帯の就労率が低い実態に鑑みれば,むしろ,全世帯と比較対照することに合理性があるのであって,勤労世帯と比較することには何らの合理性が認められない。厚生労働省は,母子加算廃止後の数値に合わせて,恣意的に,比較対象を選定したのが実態である。
(オ) また,専門委員会では,母子加算廃止の影響も検証できておらず,不十分である。
イ 検証手法の変更の問題と特別需要の存在
(ア) 検証手法の変更
昭和55年から昭和58年にかけての検証は,被保護母子世帯の生活実態のみならず,男女差,一般世帯と比較した被保護世帯の食料費の格差,生活保護の運用状況などを多角的に検証した上で実施されていたのであり,その検証内容は極めて合理的であるが,これに対し,今回の母子加算の削減・廃止は,形式的な一般勤労母子世帯の消費支出との比較が根拠とされているにすぎない。
被告は,検討すべきとされた新たな視点を加味し,それに応じた検証手法が採用されるのは当然であって,過去の検討時と同じ検討手法を採用しなくても合理性を欠くことにはならないなどと主張しているが,現実に専門委員会において母子加算削減・廃止の必要性を基礎付ける積極的根拠として顕出されたものは,被保護母子世帯の生活扶助基準額と一般勤労母子世帯の消費支出額ないし生活扶助相当消費支出額の比較だけで,それ以外には一切ない。そして,被告の主張する国民の所得・生活水準の変化は,母子加算を廃止する根拠とはならない。これらは,基準生活費に影響を及ぼすとしても,母子家庭の特別需要の消失に繋がるものではなく,検証手法を変えることの根拠となるものでもない。また,仮に一般国民の所得水準の低下を理由に母子加算の廃止を行うとすれば,母子世帯は同一の理由で,基準生活費の引下げと加算の廃止という二重の負担・犠牲を強いられ,不合理な結果を導くことは明らかである。
(イ) 過去の検証手法と特別需要の存在
昭和55年から58年にかけての検証では,片親世帯の需要・根拠に照らして,母子加算の存続の要否ないし金額の妥当性が検証され,その後,母子加算が維持されてきたのであり,母子加算が充足する特別需要についての当時の説明内容からもわかるように,母子世帯の生活実態に対し十分な配慮がされていた。
今回,当時と異なる検証手法が採られたのは,当時のような手法を採用してしまうと母子加算を削減・廃止する結論が導き出せないために,あえて恣意的で抽象的な資料を提供して検証手法を変えたのが実態である。
また,昭和55年から昭和58年にかけての検証では,加算創設後の時代の変化を踏まえた上で,詳細な検討を行って母子世帯の消費の特徴を分析し,その消費の特徴を踏まえて加算の対象とする需要を明らかにして,将来予測も含めた加算額の算出を行っていた。ところが,専門委員会の検討では,今日的な母子世帯の需要の特徴を掌握する検討が行われていない。
(ウ) その他の特別需要の存在の根拠とあるべき検証手法
母子世帯について,①被保護世帯は,保育についても金銭により購入する必要があるという特徴的な消費行動を示すこと,②被保護世帯の大半は,親や親族からの援助が得られない中で,自己の収入(稼働収入,児童扶養手当及び保護費)により保育等のサービスを金銭で購入しなければならないのであり,決して生活保護を利用していない世帯と同列には扱えないこと,③被保護世帯は,健康に問題を抱えていることが多く,就労支援だけでは不十分であること,④被保護世帯の無職者にとっては,母子世帯になることは母親を仕事に向かわせるより辞めさせる傾向が強いこと,⑤学歴や過去長く勤めた職業・職種,現在の職種についての調査からは,被保護世帯の母親は,初職の段階から比較的恵まれている事務や専門職の仕事に就くことは難しく,離婚後の就労や就労による自立も非常に難しいこと,⑥被保護世帯の有職者では,母子世帯になる前の結婚,出産を挟んだ時期の仕事の継続性が最も高く,つまり,離婚前から仕事を続けているが,収入が上がっていないこと,単に就労の問題だけでなく,社会関係に問題を抱える母親が少なからず無職者に含まれていることが推測されること,⑦既に仕事を有しておりしたがって就労支援の対象にならない母子世帯の労働状況も,雇用形態,職種,賃金,労働時間のいずれの観点からも,現状は厳しいことなどからすると,被保護母子世帯は特有の困難性を有していることが明らかであり,そして当該困難性はすなわち,被保護母子世帯の特別需要そのものである。とすれば,仮に母子加算の見直しを検討しようとする場合には,当該特別需要についての詳細な検討を行い,当該特別需要が消失していると認められて初めて,削減・廃止が正当化されるというべきであり,生活扶助基準額と,一般勤労母子世帯の生活扶助相当消費支出額との単純な比較によって母子加算の削減・廃止をすることは許されない。
ウ 検証の基礎資料たる平成11年全国消費実態調査特別集計(以下「特別集計」という。)に信頼性がないこと
(ア) 特別集計は,基のデータの内容が正しく反映されているかどうか検証されておらず,どのような資格を持った者が集計を担当し,どのような手法をもって集計したのかも全く明らかではなく,集計完了後に速やかにデータを消去し,そのデータ自体が後に残存していないものであって,正確性も検証されていなければ,客観性も妥当性も全くない。
(イ) また,特別集計の基となった平成11年全国消費実態調査は,母子世帯の集計世帯数が少なく,生活実態を反映していない。比較対象であるところの第3-5分位についても,専門委員会において,集計世帯数が少なく,統計的な意味がどの程度あるのか疑問との指摘がされているし,厚生省児童家庭局「全国母子世帯等調査」の1993年のデータによる収入階層別累積分布とも齟齬している。このような母子世帯の生活実態を反映していないデータに基づいて,母子加算の廃止を正当化することは許されない。
(ウ) また,一般低所得母子世帯と被保護母子世帯の消費構造には違いがあり,一般低所得母子世帯に支出が多い費目があるのに,特別集計では,そのような費目である教育費や医療診療代などが控除されており,需要が小さく見積もられるように恣意的な操作が加えられている。さらに,一般勤労母子世帯の「生活扶助相当消費支出額」として消費支出額全体から控除されているものの中には,自動車に関する費用など,被保護母子世帯の消費構造との対比において控除すべきでないものも含まれ,また,被保護世帯が,生活扶助費からどの程度住居費に流用しているかも検討されていない。
エ 専門委員会の進行に関する問題
厚生労働省は,専門委員会の発足当初から,母子加算の削減・廃止に向けて恣意的に誘導した。委員に対して何らの説明なしに,昭和55年から58年にされた検証手法とは異なる検証手法を前提とした資料を提供し,その資料のデータについても恣意的な特別集計に基づくデータを提供した。また,漏給層を無視するなど不合理な内容の検証手法を採った。
専門委員会の設置の経緯,財政制度審議会等の各種提言などからすると,専門委員会の審議と結論のまとめに当たっては,もともと,母子加算について,最初から削減・廃止の結論ありきの経過があった。
オ 被告の主張に対する反論
被告は,母子加算以外の生活保護費によって被保護母子世帯の生活需要がすべて充足されると主張するようである。しかし,これまでの基準生活費の改定において,特に母子加算以外の生活保護費によって母子世帯の特別需要を満たすような改定がされた経緯はない。
(被告の主張)
ア 専門委員会における検証の意義と合理性
母子加算は,基準生活費が低劣な時代にあって,乳幼児の養育に伴って必要になる追加栄養所要量の補てんが創設の目的であった。その後,格差縮小方式によって基準生活費自体の引上げが図られた結果,一般国民の消費実態との比較において十分な水準になった。生活保護制度において加算制度が想定する「特別需要」とは,基準生活費ではカバーされない需要であって,当該加算対象者の最低生活に必要なものをいう。母子加算は,それまで母子であれば一律・機械的に加算額を上乗せすることとされていたが,基準全体の底上げが図られてきたこと及び近年の社会経済情勢の変化を踏まえて,専門委員会において20年振りに検証が行われ,その見直しの方向性が示された。その検証内容も,合理的かつ妥当なものであった。
イ 消費支出(生活扶助相当消費支出)を指標とすることについて
法3条にいう「生活水準」とは,消費生活の具体的内容を示す言葉で,消費生活がどのような仕方で営まれているかをその内容とするものであり,生活保護法で保障すべき最低限度の生活水準は消費生活における水準と解するべきである。そして,消費とは,生活の必要を満たすために財やサービスを購入し,消耗することをいい,生活水準は消費に依存する程度が高いと考えられることからすれば,消費支出額によって需要を測定することには合理性がある。
また,生活保護には8種類の扶助(生活扶助,教育扶助,住宅扶助,医療扶助,介護扶助,出産扶助,生業扶助及び葬祭扶助)があるところ,母子加算は生活扶助についての加算であるから,母子加算の妥当性を検証するに当たり,生活扶助に相当する需要以外の需要を除外することは当然である。したがって,生活扶助相当消費支出を指標とすることには合理性が認められる。
ウ 低所得層同士の比較であるとの点について
(ア) 漏給層の関係
原告が引用する生活保護の捕捉率が20%程度と推計している研究は,低所得世帯率の推計においてフロー所得のみを用いて推計しており,資産を考慮していない。したがって,所得が保護基準以下であっても,最低生活費を超える資産を保有している可能性がある。また,推計低所得世帯層の保有資産の状況を考慮すれば,生活保護の捕捉率はもっと高くなるはずであるし,所得が保護基準以下であっても最低生活費を超える資産を保有している者は生活困窮者とはみなせない。また,稼働能力不活用によって保護の対象にならない場合もある。
また,捕捉率に関する研究の多くは,低所得世帯の定義として保護基準そのものか保護基準を割り増ししたものを用いている。このため,一般国民の所得水準と比べ保護基準が相対的に高ければ,低所得世帯の定義も高くなり,低所得世帯率は高く,捕捉率は低くなるという関係にある。
生活保護の捕捉率が20%程度と結論づける研究があることは認めるが,低所得世帯の定義や前提条件が異なるため,研究者によって結果は様々であるし,それらの研究における捕捉率の推計値が低いのは,以上に指摘したことがその理由として挙げられる。したがって,膨大な漏給層が存在するとの原告の主張には理由がない。
(イ) 第3-5分位について
専門委員会において,生活扶助基準額との比較対象とされたのは,特別集計における中位所得,すなわち第3-5分位の母子世帯であって,この分位の平均年収は,母子2人世帯(全世帯・子ども1人)で320万5964円,母子2人世帯(勤労世帯・子ども1人)で289万5912円である(乙9の8の資料16頁)。母子加算の見直しは,低所得母子世帯の消費支出の比較に基づいて行われたわけではない。
エ 検証手法の変更と特別需要について
昭和58年から20年が経過し,当時とは社会経済情勢が著しく異なっている。右肩上がりの経済成長が終わり,一般国民の賃金や所得についても減少傾向があり,消費者物価が下落するデフレ状態に陥っている。このように社会経済情勢が変化する中で,正に国民生活を取り巻く状況の変化に応じた加算の在り方が求められていたところ,専門委員会においては,特別集計を基に,合理的と考えられる手法により検証を行ったのである。このように,社会経済情勢の変化に伴って,それに応じた保護基準の在り方が検討される際に,専門委員会が20年前と同一の検証手法を採用しなければならない必然性は全くなく,むしろ,検討すべきとされた新たな視点を加味し,それに応じた検証手法が採用されるのは当然であって,過去の検証時と同じ検証手法を採用しなかったからといって,その検証結果に合理性がないことにはならない。
オ 検証の基礎資料たる特別集計の信頼性について
特別集計は,厚生労働省において,適法な手続によって入手した,それ自体極めて資料としての価値の高い調査票を基礎として集計したものであるから,その内容が正確なものであり,かつ客観性,妥当性を有するものであることはいうまでもない。
(3) 専門委員会報告書と厚生労働大臣による保護基準変更との関係(争点③)
(原告の主張)
ア 専門委員会報告書では,母子加算制度があってもなお,ひとり親等世帯の生活実態に対する扶助としては必ずしも十分ではないことが確認されているし,専門委員会報告書や専門委員会の議事録の記載内容等をみる限り,直ちに母子加算の廃止の結論が導き出されるようなものではない。専門委員会の結論では,母子加算を見直す場合の方向性が確認されたにすぎず,母子加算が充足してきた特別需要が消失したとは一切述べられていないし,むしろ生活保護制度の在り方として自立の助長の視点が重視されていたほか,母子加算の存否については結論を出さず,別の専門機関での更なる検討に見直しをゆだね,その専門機関で将来行われる見直しについて方向性を示したにすぎない。
別途の専門委員会における検討を抜きにして母子加算を廃止することは,上記の専門委員会の結論に明らかに反しており,厚生労働大臣は,専門委員会の報告書の内容に従わずに母子加算の削減・廃止を行ったものである。
イ そして,本件では,被告が専門委員会の意見に依拠したと主張し,厚生労働省が専門委員会とは別個に同委員会の報告及び一般母子世帯の消費実態を検証した事実はないと主張しているが,母子加算の廃止が専門委員会の意見に反する以上,被告の論拠が失われるのであって,専門委員会の意見に反した点について被告がその合理性を主張立証しない限り,母子加算の廃止に裁量の濫用・逸脱があることは明らかである。
(被告の主張)
ア 厚生労働大臣が母子加算の一部の年齢層における段階的廃止をその内容に含む保護基準変更を行ったのは,専門委員会において一般勤労母子世帯の消費実態を検証した結果,母子加算に相当するだけの特別な消費需要がないことが認められたという国民の所得・生活水準の変化や,新たに高等学校等就学費を支給することとしたことに伴うものであり,厚生労働大臣がその裁量の範囲内において実施したものである。
そうすると,その保護基準変更に基づき行われた本件各処分も適法である。
イ 原告は,専門委員会では,母子加算を見直す場合の方向性を確認したにすぎないとか,母子加算の存否につき結論を出さず,別の専門機関での更なる検討に見直しをゆだね,その専門機関で将来行われる見直しについて方向性を示したにすぎないなどと主張するが,専門委員会報告書は,母子加算の水準の妥当性の検証及び母子世帯の消費実態の検証を踏まえた上で,①一般母子世帯の消費水準との比較の観点からは現行の母子加算は必ずしも妥当とはいえないこと,②見直しの方向性としては,現行の一律・機械的な給付を見直し,ひとり親世帯の親の就労に伴う追加的な消費需要に配慮するとともに,世帯の自立に向けた給付に転換すること,としており,母子加算の見直しについて明確に提言している。様々な意見があったことを極力報告書に盛り込む方針であったことは事実であるとしても,検証結果及びその結果に基づく見直しの方向性については明言しているのであり,専門委員会報告書のすべてが多様な意見を列挙したものにすぎず,何ら制度変更を提言したものではないとの解釈は採り得ない。
また,専門委員会報告書は,「支給要件」,「名称」,「支給名目」まで見直すことが考えられると提言しているのであって,廃止という用語は使っていなくても,一律・機械的な母子加算を廃止し,世帯の自立に向けた給付に転換するという見直しの方向性については結論を出しているというべきである。
委員の中にも,母子加算の見直しを積極的に支持する委員もいたのであり,最終的な報告書は,起草委員会が報告書案のたたき台を作成し,それを各委員に送付し,各委員から意見が出されたものを再び集約して修正あるいは加除添削をするという作業を,少なくとも2回程度は行った上で取りまとめられたものであるから,報告書の提言部分については集約された意見である。専門委員会が,母子加算廃止の結論に至っていないとの主張は失当である。
ウ なお,生活保護基準は,法8条に基づき厚生労働大臣が定めることとされているが,厚生労働大臣が保護基準を策定するに際して,社会保障審議会福祉部会など第三者の意見を聴くことが法令上の要件とされているものではない。したがって,専門委員会を開催せず,その審議を経ていなかったとしても,この点のみから,策定された保護基準が違法となるものではなく,厚生労働大臣に裁量権の逸脱・濫用があったかどうかは,あくまで厚生労働大臣がその判断の根拠とした資料及びそれに基づく判断の合理性について検討されるべきである。
本件訴訟において,被告は,厚生労働省が行った保護基準改定は,専門委員会の集約された意見に基づく提言に沿ったものである旨主張しているが,仮に,専門委員会は検討課題を羅列したものにすぎず,何ら結論を出していないと評価される場合であっても,母子加算の廃止は,厚生労働大臣の責任において政治的,政策的判断の下に行ったものであり,専門委員会の結論を経ていないことをもって直ちに違法となるものではない。
(4) 高等学校等就学費の意義(争点④)
(原告の主張)
ア 高校進学を果たした子どもについては,生業扶助として高等学校等就学費が支給されることになったが,その金額は,公立高校の授業料,教科書などの教材費,交通費などに限られ,学校生活に必要なクラブ活動費や修学旅行費などは支給されないし,私立高校に進学する子どもの場合は全く足りない。
また,高等学校等就学費は,高校就学における授業料や教材費の実費額であって,これにより,生活費の必要分がカバーされるのでもないし,母子世帯における生活費や必要経費を賄うものではない。
このように,そもそも高等学校等就学費は母子加算とは別の需要に基づくものであって,支給根拠,金額等が異なっている以上,母子加算の代わりになり得るものでは到底ない。
また,子どもの中学校卒業に伴い教育扶助の支給も終了することにも留意されなければならず,その上,子どもの交友関係などに関する支出は,幼少のころから比較すれば交友関係の広がりに伴って増大しており,特別な需要はいまだ存在しているといえる。
イ そもそも,高等学校等就学費の支給は,母子加算の廃止に伴う代替措置ではなく,最高裁が,被保護世帯においても高校進学は当然に保障されるべきであるとして,そのための学資保険への加入が正当なものであると判示したことを受けて,教育扶助の追加的措置として支給されたものにすぎない。
ウ また,母子世帯を構成する子女が高校に就学している場合であろうとも,就学していない場合であろうとも,同じように母子加算は支給されていたのであるから,この点からも,高等学校等就学費を母子加算廃止の代替措置であるかのように主張することは誤りである。
(被告の主張)
ア 厚生労働省は,専門委員会報告書の提言を受け,平成17年度基準改定において,生活保護を受ける有子世帯の自立を支援する観点から,生業扶助に「高等学校等就学費」を創設した。これにより高等学校等の就学費用を生活保護制度において支給することが可能となった。
イ 専門委員会報告書において,母子加算の見直しに当たっては,「生活保護制度において高等学校の就学費用への対応を検討することとすることなど,子供の成長に伴って養育に必要な費用が変化すること」などの要素をも十分勘案して検討する必要がある旨提言されており,かかる提言を受けて,高等学校等就学費の創設に至ったものである。
(5) 母子加算の削減・廃止による原告の最低生活の侵害の有無(争点⑤)
(原告の主張)
ア わが国における「健康で文化的な最低限度の生活」,「健康で文化的な生活水準」は,衣食住が事足りることは当然として,それだけでなく,被保護者が様々な面で自己実現及び社会参加を行い,自立に向けた足がかりとなり得るだけの内容を持つものでなければならない。
貧困という概念の定義,理解や,健康で文化的な最低限度の生活の構成要素と考えられる「機能」やそのような生活を達成するための「能力・手段」といった視点をもって,健康で文化的な最低限度の生活の内容は把握するべきであり,この視点を全く欠いた被告の主張には正当性がない。
イ 母子加算は,憲法25条の生存権保障の下,ひとり親等世帯の生活を維持するとともに,子どもの健全な生育を守り,いわゆる「貧困の再生産」を防止して自立ないし社会参加を実現するため,極めて重大な役割を担っており,15歳以上の子を養育するひとり親等世帯の最低生活は,平成17年3月まで,母子加算が支給されることによってかろうじて保障されていた。しかし,生活保護を受けつつ15歳からおおむね18歳までの子を育てているひとり親等世帯は,母子加算の削減・廃止によって,健康で文化的な最低限度の生活を奪われる結果となった。
ウ 原告が母子加算の削減・廃止によって余儀なくされた現在の生活は,それまでの生活レベルよりも更に悪化した,極めて厳しいものになった。
例えば,原告は,生活保護の利用を開始したころは,家計をやりくりして毎月1万円程度のタンス預金をして突然の出費に備えることができたし,生活費についても必要費目に応じ封筒に分けて管理するなどしていたが,母子加算の削減・廃止後は,タンス預金など到底ままならないし,すぐに使い切ってしまい空の袋ばかりになってしまうため,生活費を封筒に分ける意味すら失われてしまった。食事についても,たまの外食すらほとんどなくなってしまった。何か買おうと思っても,支払日が保護費支給日の前ころに到来するものは購入困難である。原告の長男は育ち盛りであり,食事の量は減らせないため,安価な献立ばかり作らざるを得ない。水道光熱費を少しでも節約するため,昼間は電灯を極力つけないようにしている。買い物は100円均一の店やスーパーマーケットで済ませ,欲しいものがあっても容易に手が出ない。楽しみである音楽鑑賞,読書についても,コンサートに行く費用は捻出困難だし,同じ本を何度も読み返すなどしている。節約を強いられ,長男ともども欲求を抑えることを余儀なくされ,体調の悪化などの影響も出ている。また,原告の住環境も必ずしも良いものではないし,持ち物の少なさも際だっている。交友関係も希薄化し,外出も制限されている。
このような暮らしは,それまで母子加算によってかろうじて保障されていた原告の人間としての尊厳を奪うものであって,憲法25条がすべての国民に保障した「健康で文化的な最低限度の生活」とは到底いい難いものである。
(被告の主張)
原告の陳述書が作成された平成20年1月当時,原告世帯の生活保護費は15万2370円あり,児童扶養手当4万1720円と合わせると,19万4090円である。
また,原告は,原告本人尋問において,原告本人の携帯電話代が約1万9000円かかると述べたが,携帯電話代として1万9000円は,一般世帯と比べて決して低い水準ではない。すなわち,平成16年全国消費実態調査特別集計によれば,夫婦子1人世帯(3人世帯)の交通・通信に係る支出の平均額は1万8571円であるところ(乙30),原告1人の1か月当たりの携帯電話代である1万9000円はこれを上回っており,母子加算の廃止により原告が最低生活を下回る生活を余儀なくされたとは到底考えられない。
(6) 厚生労働大臣の保護基準改正告示日との関係(争点⑥)
(原告の主張)
本件処分2は,平成19年4月1日を実施年月日とし,同年3月23日付けでされたものであり,平成19年度の厚生労働大臣告示(同年3月31日付け)よりも先行しており,したがって,本件処分2は厚生労働大臣の告示(法8条1項)に基づかない処分である。よって,本件処分2は法8条1項に違反し,手続的違法という点から取消しを免れない。
(被告の主張)
生活保護は,要保護者に対して保護を行い,その最低限度の生活を保障することを目的としていることから,生活扶助のための保護金品は,原則として金銭給付により,1か月分以内を限度として前渡しすることとされている(法31条1項,2項)。このため,保護の実施機関は,おおむね毎月1日ないし5日を保護費の定例支給日と定めており,4月分の保護費の支給を適切に行うためには,前月に支給決定のための準備を行う必要がある。そして,保護の実施機関は,保護の変更決定を行い,これを被保護者に対し書面をもって通知しなければならないとされており(法25条2項,24条2項),告示を待って保護の変更手続を行っていては支給事務に支障を来すおそれがある。このため,厚生労働省においては,例年,3月初旬に全国生活保護担当係長会議を開催し,全国の自治体に対して次年度の基準改定告示案を示すとともに,改定の趣旨及び留意点等について周知している。被告のした本件処分2は,この厚生労働省が示した告示案に基づくものである。
本件処分2の決定日が告示日前となっている事情は上記のとおりであるし,その実施年月日は平成19年4月1日であり,その時点では,上記告示による改正が既にされている上,実際にも,処分行政庁が前提とした告示案どおりに保護基準の改正が告示され,同日から適用となっている。告示案どおりに基準改正が行われ,その適用日において法的要件を満たしているのであるから,決定日が告示日前であることのみをもって,瑕疵ある処分ということにはならないというべきである。
したがって,本件処分2がこの点で違法となるものではない。
第3当裁判所の判断
1 本案前の争点に対する判断
(1) 本件義務付けの訴えは,行政事件訴訟法3条6項1号の規定によるいわゆる非申請型義務付け訴訟であり,一定の処分がされないことにより重大な損害を生ずるおそれがあり,かつ,その損害を避けるため他に適当な方法がないときに限り提起することができる(同法37条の2第1項)。以下,これらの要件について検討する。
(2) 「重大な損害を生ずるおそれ」
本件義務付けの訴えは,母子加算の削減・廃止がない状態を前提とする保護決定を求めるものである。仮に原告の主張するとおり,母子加算の削減・廃止によって健康で文化的な最低限度の生活が侵害されており,削減・廃止が違法であると判断されるのであれば,原告は,上記のような内容の保護決定がされていないことによって,加算相当の保護費を受給できずに健康で文化的な最低限度の生活を下回る状況に置かれているということになるから,重大な不利益を受けているといえる。
以上によれば,本件義務付けの訴えは,「重大な損害を生ずるおそれ」の要件を満たす。
(3) 「損害を避けるため他に適当な方法がないとき」
ア 取消判決の拘束力
行政事件訴訟法33条1項によれば,処分を取り消す判決は,その事件について,処分をした行政庁その他関係行政庁を拘束するとされており,この拘束力は,主文を導き出すのに必要な判決理由中の認定判断についても生じるものと解されるから,仮に,本件各取消請求が認容され,その理由として,母子加算の削減・廃止が違法であるとの判断がされれば,処分行政庁は,その判断に従って,当該取り消された処分に代わる保護決定を新たにし直すほか,当該判断と抵触する他の保護決定を変更することになるものと考えられる。
イ 本件各取消請求の判断内容との関係
そして,以上のような判決の拘束力によれば,原告は,本件各取消請求をすることにより,前記の重大な損害を避けることができるようにも思われる。
しかし,本件各取消請求の認容に際し,母子加算の削減・廃止が違法であると判断されるとしても,それには種々の理由があり得る。例えば,①削減・廃止によって健康で文化的な最低限度の生活を下回ることとなったことを理由に削減・廃止が違法であると判断された場合には,処分行政庁は,取消判決の拘束力によって,当該取り消された処分に代わる保護決定を新たにし直すのみならず,母子加算の削減・廃止を前提としたすべての保護決定を変更することになると考えられるが,②削減・廃止の判断過程や判断資料が不十分であり,削減・廃止に十分な根拠がないことが違法の理由であるとされた場合には,拘束力はその範囲でしか生じないと解されるから,処分行政庁及び厚生労働大臣は,再度の検討により別の判断根拠,判断資料によって母子加算の削減・廃止を再度決定し,当該取り消された処分に関しても,母子加算の削減・廃止を内容とする保護決定を再度行うこともできると解される。
そうすると,本件において,原告は,本件各取消請求の認容とその判決の拘束力を前提としても,前記の重大な損害を必ずしも避けられるとはいえないことになる。
ウ 被告の主張について
被告は,保護変更決定が取り消されれば,それ以前の処分が効力を有することになるから,取消請求の認容により,義務付けの訴えの内容が実現される旨を主張している。
しかし,前記イのように,再度母子加算の削減・廃止を内容とする保護決定がされる可能性もあること,また,原告については,毎年4月1日を実施年月日として,冬季加算の削除による保護変更決定が行われているから,本件各取消請求が認容された場合も,各処分行政庁は,少なくとも冬季加算の削除を内容とする,取り消された処分と同一の実施年月日の新たな処分を行う可能性が極めて高いことなどに照らすと,被告の主張するように,以前の処分が効力を有する状況になるとは考え難い。
よって,被告の上記主張は採用できない。
エ 以上によれば,原告の本件義務付けの訴えは,「損害を避けるために他に適当な方法がないとき」に該当する。
(4) まとめ
以上のとおり,本件義務付けの訴えは,行政事件訴訟法37条の2第1項の「重大な損害を生ずるおそれ」及び「損害を避けるために他に適当な方法がないとき」の要件を満たし,適法である。
2 本案の争点に対する判断
(1) 母子加算制度の創設から削減・廃止までの経緯
本案の争点の検討の前提として,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,標記の点に関し,以下の事実が認められる。
ア 生活扶助基準の算定方法の推移(乙9の2の資料2の26~27頁)
生活保護制度創設の当初は,当時の経済安定本部が定めた世帯人員別の標準生計費を基に算出する標準生計費方式が採用されていた。
昭和23年8月からは,最低生活を営むために必要な飲食物費や衣類,家具什器,入浴料といった個々の品目を一つ一つ積み上げて算出するマーケットバスケット方式により算定されていた。この方式では,一般国民の消費構造の変化や,一般労働者の賃金の上昇に対応して保護基準を大幅に引き上げることは容易ではなかった。
そこで,昭和36年度からは,マーケットバスケット方式に代わってエンゲル方式が採用された。飲食物費のみをマーケットバスケット式に積み上げによって求め,低所得世帯の実態調査から,この飲食物費と同額を支出している世帯のエンゲル係数の理論値を求め,更にその飲食物費をエンゲル係数で除して最低生活費とする方式である。これによって,昭和36年度において18%の高い改定率が実現された。
昭和39年12月に社会福祉審議会生活保護専門分科会から提出された生活保護水準の改善についての審議内容の中間報告が,「第Ⅰ・10分位階級における消費水準の最近の上昇率に加えて,第Ⅰ・10分位階級と生活保護階層との格差縮少を見込んだ改善を行なうべきである。」などとしたこと(乙13)などを受け,昭和40年度からは,一般国民と被保護世帯との消費水準の格差を更に縮小させるべく,格差縮小方式が導入された。格差縮小方式とは,政府経済見通しにおける個人消費の対前年度伸び率に格差縮小分をプラスアルファして翌年度の保護基準改定率を決定する方式である。
その後,昭和58年12月23日付けの中央社会福祉審議会の「生活扶助基準及び加算のあり方について(意見具申)」(乙8。以下「昭和58年意見具申」という。)が,「生活保護において保障すべき最低生活の水準は,一般国民の生活水準との関連においてとらえられるべき相対的なものであることは,既に認められているところである。」,「国民の生活水準が著しく向上した今日における最低生活の保障の水準は,単に肉体的生存に必要な最低限の衣食住を充足すれば十分というものではなく,一般国民の生活水準と均衡のとれた最低限度のもの,即ち家族全員が必要な栄養量を確保するのはもちろんのこと,被服及びその他の社会的費用についても,必要最低限の水準が確保されるものでなければならない。」とし,「このような考え方に基づき・・・分析検討した結果,現在の生活扶助基準は,一般国民の消費実態との均衡上ほぼ妥当な水準に達している」としたことを受けて,昭和59年度から,水準均衡方式が導入された。政府経済見通しにおける当該年度の民間最終消費支出の伸び率を基礎として,前年度までの一般国民の消費水準との調整を行い,改定率を決定する方式である。
以後,現在までこの水準均衡方式が採用されている。
イ 母子加算の意義
母子加算は,父母の一方若しくは両方が欠けているか又はこれに準ずる状態にあるため,父母の他方又は父母以外の者が児童(18歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にある者等)を養育しなければならない場合に,当該養育に当たる者の生活扶助費の算定に当たり計上されるものである(乙9の14の資料1の1頁)。
ウ 制度の創設等
母子加算は,母子世帯の母による養育は中程度以上の労働に従事していると考えられ,その労働の程度に応じた熱量摂取の必要から,勤労意欲も加味してその必要量を満たし得るようにするなどの理由から,昭和24年5月に創設され,当初は,満4歳以下の乳児又は幼児を2人以上養育している母又はこれに準ずる者等に対して認められた。その後,対象者及び加算額が順次拡大され,昭和32年には18歳未満の児童を有する母及びこれと同等の者等に改められた。昭和35年4月には,母子福祉年金が創設されたことに伴って,加算額は原則として母子福祉年金の月額と同額に改定され,以後,昭和50年まで,母子福祉年金の額と連動して改定されていた。昭和50年には,福祉年金の額が大幅に増額・改善され,基礎的生活需要に対応するという性格が強められたため,生活扶助基準額と調整する必要が生じ,昭和51年1月から,1級地65歳以上第1類基準額男女平均の2分の1とされた老齢加算の1.3倍の額とされ,その後は,生活扶助基準改定率によって改定されるようになった。(乙9の8の資料8頁,乙12)
エ 昭和55年時の母子加算についての検討
(ア) 昭和55年5月17日に行われた生活保護専門分科会では,参考資料として,「加算の考え方について」との題名の資料が提出され,検討が行われた。
同資料では,母子加算における特有の需要として,「(1)食料費・・・現在の成人の保護基準は軽労作における栄養所要量をもとに算定しているが,母子世帯における母親は配偶者が欠けることにより児童の養育にあたるための負担が片親にかかることになるため,軽労作ではまかなうことのできない栄養所要量が必要となる。このため,増加エネルギーの補てんのための費用が余分に必要となる。」,「(2)住居費・・・施錠の強化,防犯ベルの設置等家庭の安全維持のための費用が余分に必要となる。」,「(3)被服費・・・片親であることから,PTA,町内会等外出の機会も多く,かつ,身ぎれいにすることが必要となることから,被服費,身の回り品に余分な費用が必要となる。」,「(4)雑費・・・①片親がいないことによる児童の精神的負担を柔げ,健全な育成を図るためには,レクリエーション等の面でも特別な配慮が必要であり,そのための交通費,入園料等余分な費用が必要となる。②片親であることから近隣に託児を依頼することも多くなり,余分な費用が必要となる。③その他配偶者の供養料,墓参のための費用及び生活相談,扶養相談等の交通費など目にみえない費用が余分に必要となる。」とされていた(甲24の2の資料13頁)。
(イ) 以上のような検討も経た上で,中央社会福祉審議会生活保護専門分科会の昭和55年12月付けの「生活保護専門分科会審議状況の中間的とりまとめ」(乙7。以下「昭和55年中間的とりまとめ」という。)では,「母子については,配偶者が欠けた状態にある者が児童を養育しなければならないことに対応して,通常以上の労作に伴う増加エネルギーの補てん,社会的参加に伴う被服費,片親がいないことにより精神的負担をもつ児童の健全な育成を図るための費用などが余分に必要となる。」とされた(乙7の7頁)。
オ 昭和58年時の母子加算についての検討等
(ア) 昭和58年10月5日に行われた生活保護専門分科会では,「加算の定性的説明について」との資料が提出され,検討が行われた。
同資料では,母子加算に関し,「加工食品・・・母の就労等に伴い,調理時間が制限されるため,出来合いのものを買う 栄養的には,非効率であり,かつ割高となる。」,「外食・・・母の就労等に伴い,機会が多くなる(就労先の給食機会も少ない)又母の就労中等 子の外食の機会も増える。」,「家具什器・・・離婚等で転居の場合が多く,家材道具等の買い増しの場合が多く費用が余分にかかる。」,「被服・身の廻り品・・・就労や社会のつき合い等外出機会が多いため,一般家庭の主婦よりも余分に必要となる。」,「理容・衛生・・・同上」,「教養娯楽・・・片親の欠けた子の養育のため,遊園地に行ったり等の機会が両親そろった子の場合よりも多くなる。また留守中の子のため,遊具等を余分に買う。」とされていた(甲39の2の資料3頁)。
(イ) 当時の国民生活の変化及び保護基準の改善等の結果,加算額の妥当性について再検討が必要との認識のもとに,以上のような資料も踏まえ,中央社会福祉審議会生活保護専門分科会において検討が行われた結果,同審議会の昭和58年意見具申では,母子の「特別需要としては・・・片親不在という社会的・心理的障害・・・に対応する食費,光熱費,保健衛生費,社会的費用,介護関連費などの加算対象経費が認められているが,その額は,おおむね現行の加算額で充たされているとの所見を得た。」とされ,加算の「実質的水準が今後とも維持できるようにすることが必要であるが・・・特定の需要に対応するものであることから,その改定に当たっては,生活扶助基準本体の場合とは異った取り扱いをするよう検討すべきである。」とされた(乙8)。
(ウ) この意見具申を踏まえ,母子加算については,昭和59年4月から,生活扶助第1類費相当の消費者物価伸び率をもって改定する方式が採用された(乙9の8の資料8頁)。
カ 母子加算の削減・廃止
(ア) 各種の提言(乙9の2の資料2の7~8頁)
a 平成12年5月の社会福祉事業法等一部改正法案に対する附帯決議(衆議院,参議院)では,介護保険制度の全般見直しの際に,生活保護の在り方についても十分検討を行う旨が明記された。
b 平成15年6月16日の社会保障審議会意見では,「生活保護については・・・今後,その在り方についてより専門的に検討していく必要がある。」などとされた。
c 同月19日の財政制度等審議会建議では,「近年,高齢化の進展や経済活動の低迷等を受けて生活保護受給者が急増してきている・・・保障水準やその執行状況によっては,モラルハザードが生じかねず,かえって被保護者の自立を阻害しかねないという面も指摘される。このため,制度・運営面について・・・しっかりとした点検と見直しが必要である。」,「生活扶助基準・加算の引下げ・廃止・・・など制度・運営の両面にわたり多角的かつ抜本的な検討が必要である。」,「母子家庭についてみた場合,一般の母子世帯の平均の所得金額(21.1万円,世帯人員平均2.64人)と被保護母子世帯の最低生活費(22.1万円,世帯人員平均2.91人)を比較した場合,母子加算も同様(廃止に向けた検討が必要である旨の意味)である」などとされた。
d 同月27日の,骨太の方針と呼ばれる経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003(閣議決定)では,「生活保護においても,物価,賃金動向,社会経済情勢の変化,年金制度改革などとの関係を踏まえ,老齢加算等の扶助基準など制度,運営の両面にわたる見直しが必要である。」などとされた。
(イ) 生活保護制度の在り方に関する専門委員会の設置
厚生労働省は,以上のように生活保護制度見直しの必要が指摘されたことなどから,生活保護制度全般について議論するため,社会保障審議会福祉部会内に,生活保護制度の在り方に関する専門委員会を設置し,平成15年8月6日,第1回委員会が開かれ,以後議論が重ねられた。
(ウ) 第4回専門委員会
平成15年11月18日に開かれた第4回専門委員会において,特別集計等に基づいて作成された「母子世帯における消費実態と生活扶助基準との比較について」という資料が各委員に配付された(乙9の8の資料15~16頁)。
この資料によると,一般勤労母子世帯の第1-5分位から第3-5分位までの生活扶助相当消費支出額(消費支出額の全体から,生活保護制度中の生活扶助以外の扶助に該当するもの,生活保護制度で基本的に認められない支出に該当するもの,被保護世帯は免除されているもの及び最低生活費の範疇になじまないものを除いたもの。)は,子供が1人の母子世帯の場合で,順に,7万8626円,9万8120円,11万8136円であり,また,子供が2人の母子世帯の場合で,順に,10万4049円,10万2250円,12万8859円であるところ,被保護母子世帯の母子加算を除いた生活扶助基準額は,子供が1人の母子世帯で11万6086円,子供が2人の母子世帯で15万5527円となっており,被保護母子世帯の母子加算を除いた生活扶助基準額は,子供が1人の場合,子供が2人の場合のいずれにおいても,第1-5分位から第3-5分位までの一般勤労母子世帯の生活扶助相当消費支出額より高いかあるいはおおむね均衡している状況となっていた。
(エ) 第6回専門委員会
第6回専門委員会では,「生活保護制度の在り方についての中間取りまとめ(案)」(乙9の12の11枚目以下。以下「中間取りまとめ(案)」という。)が配付され,その内容のうち,母子加算に関するものは,以下のとおりであった。
① 一般低所得母子世帯との比較において,母子加算を加えた被保護母子世帯の生活扶助基準額が高いことが認められる。
② しかしながら,母子加算の見直しについては,これがひとり親世帯等における子どもの養育への特別需要に対応していることも踏まえ,母子世帯の生活実態を把握した上で検討することが必要であり,その際には,母子世帯に対する自立支援の在り方,勤労控除や他の扶助の在り方,他の母子福祉施策等との連携の在り方について議論した結果を踏まえることが適当である。
第6回専門委員会では,この案について議論が行われ,その結果,平成15年12月16日,意見集約をした文書として,「生活保護制度の在り方についての中間取りまとめ」(乙2。以下「中間取りまとめ」という。)が作成された。その内容のうち,母子加算に関するものは,上記中間取りまとめ(案)と比べて,多少の表現の変更を除き,内容的には同一のものとなっていた。
(オ) 第14回専門委員会
第14回専門委員会では,母子世帯と一般世帯の消費特性の違いを明らかにするために母子世帯の消費支出額と夫婦子供世帯の消費支出額とを支出科目別に比較した資料(乙9の14の資料1の2頁)が各委員に配付された。
同資料によると,母子世帯の第3-5分位の消費支出額と夫婦子供世帯の第1-5分位の消費支出額とを比較すると,①格差が大きい費目は,第1類費相当の「こづかい」と,第2類費相当の全体であること(母子世帯の方が高い),②世帯人員が1人少ないにもかかわらず,食料費の支出額はそれほど大きい格差がなく(母子世帯の方が1000円~2000円低い),子供1人の世帯では,外食は母子世帯の方が多いこと,③被服及び履き物費の支出額は,世帯人員が少ないにもかかわらず母子世帯の方が多いことなどが認められた。
(カ) 第17回専門委員会
第17回専門委員会では,各委員に,勤労世帯と非勤労世帯の消費特性の違いを明らかにするため,勤労者世帯の消費支出額と勤労者以外の世帯(無職世帯のほかに世帯主が会社役員の世帯を含む)の消費支出額とを支出科目別に比較した資料(乙9の16の資料1の5頁)が配付された。
同資料によると,ひとり親世帯に関して,勤労者世帯の消費支出額と勤労者以外世帯の消費支出額との比較においては,勤労者世帯の方が全体の消費支出額が少ないにもかかわらず,外食費,婦人用洋服等に関し勤労者世帯の消費支出が多い。
(キ) 専門委員会報告書
専門委員会は,以上の検討を踏まえ,平成16年12月15日付けで,専門委員会報告書(乙1)を作成した。
その内容のうち,母子加算に関するものは,以下のとおりである。
① 母子加算を加えた被保護母子世帯の生活扶助基準額は一般母子世帯の消費支出額よりも高い。また,母子加算を除いた生活扶助基準額は,一般勤労母子世帯の生活扶助相当消費支出額と概ね均衡している。
② 一般勤労母子世帯の消費支出額と一般勤労夫婦子供世帯の消費支出額の比較においては,外食費や被服及び履き物費等について母子世帯の方が支出額が多い。
③ ひとり親勤労世帯の消費支出額とひとり親勤労以外世帯の消費支出額との比較においては,外食費,洋服費等に関し勤労世帯の支出額の方が多い。
④ これらの結果より,一般母子世帯の消費水準との比較の観点からは,現行の母子加算は必ずしも妥当であるとは言えない。
⑤ しかし,母子世帯は一般的に所得が低いことや・・・統計調査における一般母子世帯の客体数の少なさから,一般母子世帯の消費支出額との単純な比較により被保護母子世帯の基準の妥当性を判断することはできないのではないかという指摘があった。また,一般勤労母子世帯において,勤労しているが故に生じる追加的な消費需要があることにも留意する必要がある。
⑥ これに関し,社会生活に関する調査及び全国母子世帯等調査等により把握された一般母子世帯の生活実態として,家計,子の教育やしつけ等の悩みを抱える世帯が少なくなく,暮らし向きの意識についても,多くが何らかの形で就労しているにもかかわらず,約8割が苦しい状況にあると回答しており,このように,一般母子世帯も苦しい生活状況にあることから,養育のための追加的支出にも対応する必要がある,との意見も見られた。また被保護母子世帯においては交際費や子供との外出等の充足が低いなどの特徴もあったことから,これらの点も考慮する必要があるとの意見もあった。
⑦ 以上を考え合わせれば,母子加算の見直しの方向性としては,現行の一律・機械的な給付を見直し,ひとり親世帯の親の就労に伴う追加的な消費需要に配慮するとともに,世帯の自立に向けた給付に転換することとし,これに沿って支給要件,支給金額,名称・支給名目等を見直すことが考えられる。
⑧ ただし,この見直しに当たっては,①子供が大きくなるにつれ,養育に係る手間が減少し,また子供が家事を行うことが可能になることから,就労可能性や就労可能時間が拡大するとともに,勤労しつつ子育てをすることに伴う支出(外食費等)も減少し,世帯としての自立の可能性が増すこと,②・・・生活保護制度において高等学校の就学費用への対応を検討することとすることなど,子供の成長に伴って養育に必要な費用が変化すること,③・・・自立支援プログラムの実施状況,④・・・生活扶助基準設定方法の見直しなどの要素をも十分勘案して検討する必要がある。
(ク) 母子加算の削減・廃止
厚生労働省は,専門委員会の上記報告書を受けて,15歳に達した日の翌日以後の最初の4月1日から18歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にある児童のみを養育する母子世帯に対する母子加算につき,平成17年度から3年間かけて,順次保護基準を変更して(以下「本件各保護基準変更」という。),段階的に廃止した(なお,別途,上記の年齢以下の児童を養育する母子世帯については,一律・機械的な母子加算が平成19年度から3年間かけて段階的に廃止された(乙24の1)が,この母子加算の廃止は本件では問題とされていないので,以下,単に「母子加算の削減・廃止」という場合には,本件各保護基準変更により行われた母子加算の削減・廃止のことを指す。)。
母子加算の削減・廃止により,京都市では,児童が1人だけの場合,平成17年3月まで月額2万3260円であった母子加算が,15歳に達した日の翌日以後の最初の4月1日から18歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にある児童を養育する者に対して,同年4月からは1万5510円とされ(7750円の減額),更に平成18年4月からは7750円(削減開始前からは1万5510円の減額)とされ,平成19年4月からは廃止された。
(ケ) その他の制度の創設
a ひとり親世帯就労促進費の創設
母子加算の削減・廃止の一方,厚生労働省は,平成19年度から,「ひとり親世帯就労促進費」を創設し,就労中又は職業訓練中のひとり親世帯に対し,一定額の支給をすることとした。(乙19,24の1)
b 高等学校等就学費の創設
また,厚生労働省は,専門委員会報告書を受けて,平成17年度に,生活保護制度において,生業扶助に「高等学校等就学費」を創設した。
その内容は,①学用品費,通学用品費等を内容とする基本額が月額5300円,②学級費,生徒会費,PTA会費等を内容とする学級費が月額1460円以内,③教科書,副読本的図書等を内容とする教材代が実費支給,④授業料が公立高校授業料相当額,⑤入学料が公立高校入学料相当額,⑥入学考査料が公立高校入学考査料相当額,⑦通学のための交通費が実費支給,⑧学生服,カバン,靴等を内容とする入学準備金が6万1400円以内というものであった。
(2) 違憲性・違法性の判断方法等について(争点①)
ア 厚生労働大臣の裁量の範囲
(ア) 本件各処分は,厚生労働大臣が告示によって変更した保護基準に基づいて行われたものであるが,厚生労働大臣が保護基準を定める際の裁量は,法8条2項により制約されており,厚生労働大臣は,最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであってかつこれを超えない程度の範囲で,保護基準を定めなければならない。
(イ) そこで,この「最低限度の生活」の意義が問題となるところ,憲法25条1項は,「健康で文化的な最低限度の生活」と規定しているが,法においても,保障されるべき生活水準に関し,「最低限度の生活は,健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。」という表現(法3条)をしているにとどまり,その文言は,憲法25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活」をより具体化したものとはなっていない。
そもそも,健康で文化的な最低限度の生活は,抽象的・相対的概念であって,それを言葉でより具体化することができず,法8条では,せいぜい要保護者の需要を基とすることとし,その需要を測定するための基準を厚生労働大臣が定めるとしか規定できなかったものである。その基準を定めるための考慮要素は法8条2項に列挙されているが,いずれにせよ,需要の具体的内容は,その時々における文化の発達の程度,経済的・社会的条件,一般的な国民生活の状況等との相関関係において,多数の不確定要素を総合考量して初めて決定できるものであって,厚生労働大臣がその定める基準を通じて行使する合目的的な見地からの裁量にゆだねられていると解すべきである。また,そもそも健康で文化的な最低限度の生活を具体化するに当たっては,国の財政事情を無視することができず,多方面にわたる複雑多様な,高度の専門技術的考察とそれに基づいた政策的判断を必要とする面があることも否定できない。そうすると,上記の厚生労働大臣の判断は直ちに違法の問題を生ずることはないが,現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定するなど,憲法及び生活保護法の趣旨・目的に反し,裁量権の限界を超えたり,裁量権を濫用した場合には,違法となるものと解される(以上につき,最高裁判所昭和42年5月24日大法廷判決・民集21巻5号1043頁,最高裁判所昭和57年7月7日大法廷判決・民集36巻7号1235頁参照)。
(ウ) 原告は,保護基準を切り下げる場合には,上記最高裁判決の理は妥当せず,憲法や生活保護法の趣旨からは,原則として切り下げは許されず,国の側で切り下げ後の基準が健康で文化的な生活に妥当しているか論証しなければならないとか,切り下げの際にはより厳しい審査基準によって厚生労働大臣の裁量の範囲が画されるべき旨を主張している。しかし,法1条,3条,8条2項及び憲法25条等の規定からは,保護基準の設定は,健康で文化的な最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであって,かつ,これを超えないものでなければならないということしか導き得ず,特に基準切り下げの場合について何らかの特別の要件が設定されているものではない。したがって,原告の主張を直ちに採用することはできない。
イ 法56条について
(ア) 法56条は,「被保護者は,正当な理由がなければ,既に決定された保護を,不利益に変更されることがない。」と規定している。
まず,「正当な理由」の意義について検討すると,法56条の趣旨は,被保護者は,法の定めるところの事情の変更の場合に被保護者が該当し,かつその変更についての手続を正規に採らない限り,保護を不利益に変更されない,というところにあるものと解されるから,「正当な理由」とは,法の定めるところの保護の変更,停止等が行われるべき場合に被保護者が該当し,かつその変更等の手続が正規の要件を充足することをいうものと解される。
同条が,厚生労働大臣による保護基準設定行為,すなわち保護基準の定立及び変更にも適用されるのかについては当事者間に争いがあるところ,保護基準が不利益に変更されれば,個々の被保護者に対して行われる保護も,これと軌を一にして不利益に変更されることとなるといえるから,厚生労働大臣の保護基準設定行為にも同条が適用され,「正当な理由」が必要となるといえる。
(イ) 本件各保護基準変更は,前記アのような厚生労働大臣の裁量にゆだねられたものであるところ,その裁量の範囲内である限りは,保護基準の変更は適法かつ正当であるから,原則として,上記のような保護の変更,停止等が行われるべき場合に該当するものといえる。逆に,本件各保護基準変更が厚生労働大臣の裁量の範囲を逸脱するものであった場合には,保護基準の変更自体が違法であり,上記のような保護の変更,停止等を行うべき場合に該当しないことになるといえる。
要するに,法56条の正当な理由は,保護基準設定行為時の厚生労働大臣に与えられた裁量に対する制約と同様の制約を意味するにすぎず,これらの判断も重なり合うものである。
(ウ) そして,本件各保護基準変更が裁量の範囲内で行われ,法56条の正当な理由も認められる場合には,処分行政庁は,法8条1項により,その変更後の保護基準に従って,保護を変更する処分をすることになるから,原則として,本件各処分にも法56条の正当な理由が認められ,逆に,本件各保護基準変更が裁量の範囲を逸脱し,正当な理由が認められない場合には,本件各処分についても,法8条1項により保護を変更すべき場合に該当せず,正当な理由も認められないことになる。
ただ,保護基準変更自体は,裁量の範囲を逸脱していないとしても,その基準に基づいてその被保護者に処分をすることが,従来有していたその被保護者特有の需要を満たさなくなるという場合には,例外的に,法56条を根拠に,変更処分が違法となる余地がある。その特有の需要が具体的なものであって金額で測れる場合は,原則としてその部分がその被保護者特有の需要となるが,需要の総額が基準によって得られる金額を超えるがどの部分が特有といえるのか不明な場合には,結局のところは,総額としてみたときに健康で文化的な最低限度の生活を下回る結果をもたらしている部分をもって,被保護者特有の需要というほかないであろう。
(エ) 原告の主張について
以上のような理解によれば,原告の主張するように,法56条が,「正当な理由」を,前記アのような厚生労働大臣の裁量の範囲を更に限定する加重要件として定めたものとは解されないし,法56条の解釈から,厚生労働大臣が保護基準を切り下げる際の特別の要件が導かれるとも解されない。
ウ まとめ
(ア) 以上のとおり,厚生労働大臣が保護基準を不利益に変更する場合に,その裁量について,原告が主張するほどの特別な制約を課されるとは考えられないが,変更前の保護基準は,厚生労働大臣が法8条2項の要件を充足する基準としていたものであり,変更が被保護者に不利益を与えるものであることを考慮すると,全く新たに保護基準を定立する場合に比べて,厚生労働大臣の裁量の幅は小さくなるというべきである。
そこで,以下では,本件各保護基準変更がこのような厚生労働大臣の裁量の範囲内であったか否かを判断することになるが,その際には,本件各保護基準変更の内容,そこに至る判断過程,判断資料の合理性等を検討した上で判断すべきである。
(イ) 立証責任について
法56条の正当な理由についての立証は,保護基準設定行為が厚生労働大臣の裁量の範囲内であったか否かの立証と重なることになる。そして,本件においては,理論上は,本件各処分の適法性を主張する被告に,本件各処分の適法性を根拠付けるところの,本件各保護基準変更の適法性,すなわち,これらが厚生労働大臣の裁量の範囲内であったこと(法56条の正当な理由があったこと)を立証する責任があるが,これについては,その裁量の範囲内であることを基礎付ける事実についての主張立証が行われれば足りる。他方,原告は,この裁量の範囲外であることを基礎付ける事実について主張立証を行うべきことになる。
当事者双方が主張立証した事情を前提に,現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定するなど,憲法及び生活保護法の趣旨・目的に反し,裁量権の限界を超えたり,裁量権を濫用したといえるかどうかは法的判断であるから,立証責任の問題は生じないが,その際,上記(ア)記載の保護基準を不利益に変更する場合の裁量の幅の限定を加えることになる。
なお,仮に厚生労働大臣の保護基準変更がその裁量の範囲内にあったとしても,上記イ(ウ)記載の原告に特有の需要があるかどうかは,その判断の必要が生じた場合に,最後に検討することとする。
(3) 専門委員会における検証の合理性について(争点②)
ア 厚生労働大臣の判断
前記(1)カで認定した母子加算の削減・廃止の経緯に係る事実及び弁論の全趣旨によれば,厚生労働大臣は,第4回専門委員会で各委員に配付された資料(乙9の8の資料15~16頁)における検討の結果,被保護母子世帯の母子加算を除いた生活扶助基準額が,子供が1人の場合,子供が2人の場合のいずれにおいても,第1-5分位から第3-5分位までの一般勤労母子世帯の生活扶助相当消費支出額より高いかあるいはおおむね均衡している状況となっているという点(前記(1)カ(ウ)。以下「比較①」という。)と,この比較①も踏まえてまとめられた専門委員会報告書の,一般母子世帯の消費水準との比較の観点からは,現行の母子加算は必ずしも妥当であるとはいえないとの判断(前記(1)カ(キ)④)を主な根拠に,加算のない基準生活費の水準で妥当であると判断して,本件各保護基準変更を行ったものと認められる。
そこで,以下,このような厚生労働大臣の判断の根拠となった上記比較①やこれを踏まえた専門委員会における検証及び専門委員会報告書の判断の合理性等について検討する。
イ 最低限度の生活の判断方法等からの検討
(ア) 前記(1)アのような生活扶助基準の算定方法の推移に関する事実によれば,生活扶助の基準は,絶対的な需要の積み上げによるものではなく,一般国民の消費水準との関係で相対的に定められてきたものということができる。また,前記(2)ア(イ)のとおり,そもそも健康で文化的な最低限度の生活は,抽象的・相対的な概念であって,その具体的内容は,その時々における文化の発達の程度,経済的・社会的条件,一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断されるべきものである。
(イ) そうすると,生活扶助についての加算である母子加算制度についても,母子加算のみに対応する絶対的な需要というものを念頭において加算額を検証するのではなく,母子加算も含めた全体の生活扶助基準額が,その時々の社会的諸事情や一般的な国民生活の状況との相関関係によって相対的に検証され,それによって加算に対応する需要の有無が測られ,加算自体や加算額の妥当性が判断されると考えるのが,合理的である。
この点,母子加算などの加算については,絶対的な基準によって上乗せするものであるという考えも成り立ち得なくはない(例えば,第4回専門委員会におけるA委員長の発言(乙9の7の11頁)参照)が,これは一つの考え方にすぎないし,母子加算が生活扶助についての制度であること,その生活扶助基準の改定については,昭和40年度以降,相対性を前提とした格差縮小方式,水準均衡方式が採用されていたこと,母子加算も昭和51年以降,生活扶助基準改定率による方式によって改定されていたこともあったことなどの事情からすると,母子加算も生活扶助の一部として,一般的な国民生活の状況との相関関係によって決められるものであるという考え方には,相応の根拠があるといえる。
(ウ) そうすると,生活扶助相当消費支出額によって,生活保護を受給していない世帯との消費水準を比較検討し,母子加算も含めた生活扶助基準額が相当かどうかを判断することにより,上記のような相対的な捉え方による母子加算に対応する需要を測ることができるし,このような比較検討の結果を母子加算削減・廃止の根拠とすることにも十分な合理性が認められる。
したがって,生活扶助相当消費支出額と生活扶助基準額の比較である比較①も,母子加算に対応する需要を測るための検討手法として合理的であるということができる。
そして,比較①の内容からすると,一応,母子加算がなくても,母子世帯の消費支出を充足するに足りていると考えることができ,これはすなわち,被保護母子世帯には,上記のような相対的な捉え方によったところの特別の需要というものが認められないことを意味するものである。
したがって,比較①及びこれを踏まえた専門委員会報告書の判断等を根拠に,厚生労働大臣が本件各保護基準変更を行い,母子加算を削減・廃止したことも,合理的であって,一応,厚生労働大臣の裁量の範囲内であるものと考えられる。
ウ 原告の主張の検討
原告は,前記第2の3(2)のように,本件各保護基準変更の根拠となった専門委員会の検証や比較①には合理性がない旨,種々の根拠を挙げて主張しているので,次に,この原告の主張を検討しつつ,比較①及びこれを含む専門委員会における検証及び専門委員会報告書の合理性について検討する。
(ア) 生活扶助基準額を比較に用いたことについて
まず,消費支出と需要との関係について検討すると,法3条の「生活水準」とは,消費生活の具体的内容を示す言葉で,消費生活がどのような仕方で営まれているかをその内容とするものと考えられ(乙27),したがって,生活保護法の予定する最低限度の生活水準とは,消費生活によって測られるべきものと解される。そして,消費とは,生活の必要を満たすために財やサービスを購入し,消耗することをいうと解されるから(乙28),消費支出の額は,生活上の需要の有無,程度を反映したものということができる。したがって,生活扶助相当消費支出額と生活扶助基準額を比較することによって,特別需要の存否を判断し,最低限度の生活水準が満たされているかを判断することには合理性がある。
また,前記イで指摘したように,母子加算も含めた全体の生活扶助基準額が,その時々の社会的諸事情や一般的な国民生活の状況との相関関係によって相対的に検証され,それによって加算に対応する需要の有無が測られるものと考えるべきである。
以上によれば,生活扶助基準額を比較に用いることは正当である。
(イ) 母子世帯同士で消費支出を比較したことについて
前記(1)カ(オ)のとおり,第14回専門委員会では,母子世帯の消費支出額と夫婦子供世帯の消費支出額とを支出科目別に比較した資料(乙9の14の資料1の2頁)が配付されており,母子世帯と一般世帯との消費支出を比較している。この資料によれば,生活扶助相当消費支出額は,夫婦・子供1人世帯では,全体平均が18万8608円,第1-5分位が13万7142円であり,母子・子供1人世帯では,全体平均が12万1061円,第3-5分位が11万8136円であり,夫婦・子供2人世帯では,全体平均が20万4467円,第1-5分位が14万7636円であり,母子・子供2人世帯では,全体平均が13万8841円,第3-5分位が12万8858円である。ただ,母子世帯と夫婦子供世帯とでは,親の数が違うため,上記の結果から,一般世帯との比較という意味での母子世帯に増加する消費支出額を算定することは難しい。また,専門委員会では,生活扶助基準額が多人数世帯ほど割高になるため,第1類費と第2類費との構成割合につき第2類費の割合を高める必要があると指摘されていたこと(乙1,2,9の9~12)からすると,その時点での第1類費,第2類費,母子加算の基準額を前提に,被保護世帯における母子世帯と夫婦子供世帯との生活扶助基準額を算定し,その相違の程度と,上記の生活保護を受給していない世帯における母子世帯と夫婦子供世帯との生活扶助相当消費支出額の相違の程度とを比較しても,必ずしも適切な比較とはならなかったといわざるを得ない。そうすると,上記資料をもとにした母子世帯と一般世帯との消費支出の比較を,母子加算削減・廃止の検討結果に反映しなかったことはやむを得ないといえるし,他にこの点について適切な資料があったと認めるに足りる証拠はない。
また,上記(ア)のとおり,需要は相対的に測定されるべきものであることからすると,仮に母子世帯の消費が抑制されているというような事情があったとしても,そのことから,母子世帯同士の比較により的確な需要が測定できないということにはならないし,むしろ,それが母子世帯に関する一般的な国民生活の状況なのであれば,それを前提に消費支出を比較することも,直ちに不合理であるとはいえない。したがって,母子世帯同士で消費支出を比較しても需要が測定できないとはいえない。
以上のとおり,原告のこの点の主張には理由がない。
(ウ) 低所得層同士の比較をしたことについて
a 漏給層に関する原告の主張について
生活保護受給者の捕捉率について,確かに生活保護が受給可能であるのに受給していない者が存在することはあり得るが,仮にその割合が原告の主張するとおりの20%程度であったとしても,これらの者の生活が健康で文化的な最低限度の生活を下回っているとは限らない。すなわち,水準均衡方式の採用された昭和59年から平成14年までの消費支出額の実質伸び率は,平均が0.7%であるのに対し,第1-5分位は5.8%,第1-10分位は7.2%であり,同時期の生活扶助相当消費支出額の実質伸び率は,平均が0.5%であるのに対し,第1-5分位は6.7%,第1-10分位は7.9%であること(乙9の8の資料5~6頁)などによると,第1-5分位及び第1-10分位の者のうち,その生活が健康で文化的な最低限度を下回っていない割合がそれなりに高い可能性も十分に認められる。
b 第3-5分位について
専門委員会において配付された資料(乙9の8の資料15~16頁)によれば,第3-5分位の母子世帯は,全国消費実態調査特別集計における中位所得であり,平均年収は,母子2人世帯(全世帯・子ども1人)で320万5964円,母子2人世帯(勤労世帯・子ども1人)で289万5912円であると認められる。
そうすると,原告の主張するように,この分位に属する母子世帯が,仮に生活が苦しいと感じるような状況があったとしても,低所得層に当たるとは必ずしもいえない。また,原告が提出している各種調査研究等の証拠を検討しても,この判断は左右されない。
c 低所得層と比較することの合理性
そもそも,低所得層ではなく,一般国民の平均的な消費支出額と比較して保護基準を設定すると,健康で文化的な最低限度の生活水準からは乖離してしまい,保護基準の性質にそぐわないこととなる。
そして,一般国民のうちのどの層の消費支出額と比較するかについては,一般的・客観的基準が存在するとは認められないところ,健康で文化的な最低限度を測るという意味からしても,低所得層の消費支出額との比較を行う手法には一定の合理性がある。
また,生活扶助基準の改定方式の面から検討しても,第1-10分位階級と生活保護階層との格差縮小を見込むものとして格差縮小方式が導入され(前記(1)ア),その結果,一般世帯と被保護世帯の消費支出格差が縮小し,その後昭和58年意見具申においては,これらの事情を前提に,「現在の生活扶助基準は,一般国民の消費実態との均衡上ほぼ妥当な水準に達している」とされて,昭和59年度から水準均衡方式が導入されたことや,そのほか,勤労者3人(夫婦子1人)世帯について,その生活扶助基準額の平成8年~12年の平均値(14万3409円)は,全体平均の生活扶助相当消費支出額(20万7013円)の約69.3%に達し,第1-10分位平均の生活扶助相当消費支出額(13万7708円)を上回り,第1-5分位平均の生活扶助相当消費支出額(14万6126円)に近いものとなっている状況となったこと(乙9の8の資料1頁)などからすると,前記のように,第1-10分位という低所得層との比較の観点から改定されるなどしてきた生活扶助基準は合理的なものであったということができ,したがって,同様に,生活扶助の一部である母子加算の妥当性の検証においても,低所得層との比較をして,最低限度の生活水準に必要な需要に対応するものとして母子加算が必要かどうかを検討することにも,十分合理性が認められる。
d 以上のとおり,漏給層,第3-5分位に関する原告の主張は,その前提が必ずしも認められない上,低所得層と比較すること自体についても,十分な合理性が認められる。むしろ,比較①では,中位所得層である第3-5分位との比較を行っているところである。
したがって,低所得層同士の比較をするのは不合理である旨の原告の主張は失当である。
(エ) 勤労世帯と比較したことについて
原告は,専門委員会の資料によっても,一般母子世帯(全世帯)の第3-5分位と比較すれば,その生活扶助相当消費支出額は母子加算を除いた生活扶助基準額より高いことを挙げ,勤労世帯と比較することには何らの合理性がない旨主張している。
確かに,専門委員会で配布された資料(乙9の8の資料15~16頁)によると,原告の主張するように,一般全母子世帯(子供1人)の第3-5分位の生活扶助相当消費支出額は,13万0299円であり,母子加算を除いた生活扶助基準額(子供1人)の11万6086円を超えている。しかし,同分位の一般全母子世帯(子供2人)では,生活扶助相当消費支出額は13万1302円であり,子供2人の母子加算を除いた生活扶助基準額15万5527円を下回っている。また,その他に,第2-5分位,第1-5分位及び第1-10分位の一般全母子世帯と比較してみても,子供1人の場合,2人の場合のいずれにおいても,母子加算を除いた生活扶助基準額の方が高くなっている。
以上によれば,一般全母子世帯とも比較することによる違いは,第3-5分位において,一般勤労母子世帯と比較した場合よりも生活扶助基準額との差が大きくなるということのみであって,これは,一般勤労母子世帯のみと比較した比較①から導かれるところの,加算のない基準生活費の水準で妥当であるという判断に,大きな影響を与えるような事情ではないといえる。
そもそも,一般全母子世帯の生活扶助相当消費支出額が一般勤労母子世帯よりも高いのは,一般全母子世帯には,世帯主が会社役員の世帯が含まれているし,無職世帯であっても資産を有しているか親や親族の援助などで勤労収入がなくとも生活ができる世帯が含まれているからであろうと考えられ,このような世帯を除外して,一般勤労母子世帯のみと比較しても不合理とはいえない。
したがって,原告のこの点の主張は,比較①の合理性の判断を左右しない。
(オ) 検討手法を変更したことについて
原告は,昭和55年から58年にかけての検証手法が合理的であるのに,これを変更した専門委員会における検証は合理的でない旨を主張している。
しかし,過去の検証時の検証手法が合理的であったからといって,必ずしもそれと同じ検証手法を採用しなければならないということはなく,また,同じ検証手法を採用しなかったからといって,その検証結果に合理性がないことにはならない。
そして,専門委員会における比較①は,前記イのとおり,それ自体一応の合理性を有するものである。
したがって,原告のこの点の主張は失当である。
(カ) 母子世帯の特別需要の存否について
原告は,被保護母子世帯は特有の困難性を有しており,これが被保護母子世帯の特別需要そのものであって,これについて詳細に検討して特別需要が消失していると認められて初めて加算の削減・廃止が正当化されると主張している。
原告の主張するような困難性が,被保護母子世帯に認められることはあり得るとしても,前記イで述べたように,母子加算も含めた全体の生活扶助基準額が,その時々における状況との相関関係において相対的に検証され,それによって加算に対応する需要の有無が測られ,加算やその額の妥当性が判断されるべきであるから,上記の原告の主張のように,絶対的な観点からの特別需要の有無が,加算の削減・廃止に当たって考慮されなくても,検証の合理性は左右されない。
また,上記の困難性が仮に認められるとしても,これらは,各被保護世帯に個別的な事情であり,被保護母子世帯に共通のものとして,需要を測定する基準になるとはいえない。
したがって,上記の原告の主張は採用できない。
(キ) 検証の基礎資料(特別集計)の信頼性について
原告は,検証の基礎資料である特別集計には信頼性がない旨主張している。
特別集計に関しては,以下の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。すなわち,①総務省は,旧統計法2条の指定統計を作成するための指定統計調査(同法3条)の一つとして全国消費実態調査を行っていたが(乙21の1),②厚生労働省は,平成14年2月8日付けで,総務省に対し,平成11年の全国消費実態調査の調査票の使用を申請したところ,③平成14年3月19日,総務大臣は,厚生労働大臣に対し,旧統計法15条2項に基づきその使用の承認をするとともに(乙22の1),その旨を同年4月23日付けで告示し,同項所定の公示を行った(平成14年総務省告示第256号。乙22の3)こと,④同調査票は,その使用目的が,「厚生労働省が,生活保護制度における生活扶助基準等の検証を行う基礎資料として属性別の収入・支出額を把握するため・・・全国消費実態調査の・・・調査票(いずれも磁気テープに転写分)から所要の事項を転写し,集計する。」とされ,さらに,その使用者の範囲も限定されていた上(上記告示。乙22の3),⑤上記磁気テープについては,承認された目的以外の使用の禁止,知り得た事項の漏洩の禁止,複製,貸与,再提供の禁止,集計完了後のデータ消去とその総務省統計局長への報告,集計結果報告書への出所の明示,結果報告書の総務省統計局長への提出などの遵守事項が課されていたこと(乙22の2),⑥以上の経過を経て適法に入手した平成11年全国消費実態調査の調査票データに基づき,厚生労働省が,特別集計を作成したことが認められる。
以上のような特別集計の作成経過,その基となった資料の信頼性,資料の使用に関し厳格な制約があった事実等に照らせば,特別集計は,客観性と妥当性を有するものであると認められる。
また,調査票の様式(乙21の1)によれば,調査票のデータには,家族構成,収入,財産等の私生活上の秘密に属する事項が多数記載されているものと認められ,上記のデータ使用の制約に関する事実も併せ考慮すれば,集計完了後にデータが消去され,データ自体が残存していないとしても,それは特別集計の正確性や客観性に影響を及ぼす事情とはいえない。
また,原告は,特別集計の基となった平成11年全国消費実態調査は,母子世帯の集計世帯数が少なく生活実態を反映していないなどと主張している。確かに,専門委員会で配付された資料では,同じ分位において,子供2人世帯の方が子供1人世帯より生活扶助相当消費支出額が低い場合があったり,第1-10分位の方が第1-5分位より生活扶助相当消費支出額が高い場合があるなどの状況がみられ(乙9の8の資料15~16頁),これらは自然な結果とはいい難いものの,必ずしも起こり得ない事柄であるともいえないから,これらが特別集計の信頼性を損ねる事情であるとまではいうことができない。したがって,母子世帯の集計世帯数が少ないことが,特別集計の信頼性を損ねるものではなく,原告の上記主張には理由がない。
また,原告は,一般低所得母子世帯と被保護母子世帯の消費構造に違いがあり,特別集計では,そのような費目であるところの,一般低所得母子世帯に支出が多い教育費や医療診療代などが控除されており,需要が小さく見積もられるように恣意的な操作が加えられているとか,一般勤労母子世帯の生活扶助相当消費支出額の算出に際し,自動車に関する費用など,被保護母子世帯の消費構造との対比において控除すべきでないものが控除されているなどと主張している。しかし,生活保護が最低限度の生活の需要を満たすのに十分かつこれを超えないものとされていることからすると,母子世帯の生活扶助基準額が相当か否かを判断するため,これと一般勤労母子世帯の生活扶助相当消費支出額とを比較することは合理的であるし,そもそも母子加算は生活扶助についての加算であるから,生活扶助相当消費支出額の算出に際し,生活扶助に相当する需要以外の需要,例えば,原告の主張する教育費や医療診療代,自動車関係費用などの費目は除外されるべきである。したがって,母子世帯に,原告の主張するような消費の傾向が仮にあったとしても,原告の上記主張には理由がなく,生活扶助相当消費支出額の算出の点で,特別集計が恣意的なものであるとか,特別集計の信頼性が害されるということはない。
(ク) 専門委員会の進行に関して
原告は,厚生労働省が,母子加算の削減・廃止に向けて,恣意的な検証手法や資料を提供し,当初から専門委員会を誘導したなどと主張する。
前記(1)カ(ア),(イ)のとおり,専門委員会の設置自体が,経済活動の低迷等を受けて生活保護受給者が急増してきた状況を背景に,生活扶助基準・加算の引下げ・廃止など制度・運営の両面にわたり多角的かつ抜本的な検討が必要であり,母子加算についても廃止に向けた検討が必要であるとの各種提言を契機にされたものであるから,専門委員会においても,廃止を視野に入れた資料や検証手法で検討が進められたことは否定できない。
しかし,そもそも,保護基準は,最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであって,かつ,これを超えないものでなければならず(法8条),その時々の社会的諸事情や一般的な国民生活の状況との相関関係によって決定しなければならないものであることからすると,昭和58年の生活保護専門分科会の検討以来20年間も基準が見直されなかったこと自体が問題であるともいえるのであり,状況を踏まえた検討をすることに問題はない。そして,上記で検討したように,専門委員会における資料や検証手法はそれ自体不合理なものとはいえず,恣意性があるとはいえないものである。
また,原告は,専門委員会の審議と結論のまとめに当たっては,母子加算の削減・廃止の結論ありきの経過があったなどとも主張するが,専門委員会の審議経過を検討すれば,各委員から活発な議論がされ,それを踏まえた上で専門委員会報告書が作成されたことも明らかであり(後記(4)),原告の主張には何ら理由がない。
(ケ) まとめ
以上のとおり,専門委員会における検証や比較①には合理性がない旨の原告の主張には,いずれも理由がない。
なお,原告は,上記検証が不合理であることの根拠として,専門委員会の委員であったB委員の意見書(甲57),C委員の意見書(甲60)などを提出し,C委員は証人としても上記意見書と同旨を供述しているが,以上までの検討に照らし,これらの内容はいずれも合理的であるとはいえず,専門委員会における検証の合理性についての判断を左右するものではない。
エ 以上によれば,比較①及びこれを踏まえた専門委員会における検証は合理的であり,これを根拠として厚生労働大臣が本件各保護基準変更を行い,母子加算を削減・廃止したことも,その判断資料の点で合理的であるといえる。
(4) 専門委員会報告書と本件各保護基準変更との関係及び高等学校就学費の意義について(争点③,④)
ア 原告の主張
原告は,専門委員会報告書では,母子加算を見直す場合の方向性が確認されたにすぎず,母子加算の存否については結論を出さず,別の専門機関での更なる検討に見直しをゆだね,その専門機関で将来行われる見直しについて方向性を示したにすぎない旨を主張しており,専門委員会の委員であったC委員(証人尋問,意見書・甲60)や,B委員(意見書・甲57,他の裁判所での同種事件における証人尋問調書・甲58)も,その旨を述べているところである。
イ 専門委員会報告書の内容
そこで,まず,専門委員会報告書の内容(前記(1)カ(キ))をみると,「一般母子世帯の消費水準との比較の観点からは,現行の母子加算は必ずしも妥当であるとは言えない」との記載があり,これは,「削減・廃止」という文言を用いてはいないものの,現行の母子加算制度自体の見直しを明確に提言したものと解することができるものである。
ウ 専門委員会での議論の経過
次に,専門委員会での議論の経過を検討すると,まず,第4回から第6回の専門委員会では,母子加算の意義,加算の在り方,見直すべきか否かについて各委員それぞれの考えに基づいた意見交換が行われている(乙9の7,9,11)。
そして,母子加算の検討が主な議題となっていた第14回専門委員会においても,各委員から,それぞれが考えた母子加算の在り方についての意見が述べられており,加算という表現を使うかは別にして,ひとり親家庭に対する援助が必要であり廃止に反対する,母子世帯であることを根拠に継続して加算することには疑問がある,加算という形かどうかは別にして母子世帯に優遇策を取るべきである,問題のあるところに集中的に援助するのを母子加算の新しい形にすべきである,加算は廃止すべきである,女性の傷つきやすさ等の事実からは,加算を削ることには反対である,など,様々な意見が述べられた(乙9の13の7頁以下)。そして,その後,A委員長が,自らの意見を述べた上で,「報告書では,(考慮すべき問題点等を)ある程度書いた上でどういうふうに加算を存続させ,あるいはどの程度の額が妥当かということは・・・もう少し専門的な委員会で精査する。あるいは保護課の方で精査されて,提案されるということでいかがでしょうか。この委員会ではこれ以上のことはできないのではないかと思います。」と発言し,議論をまとめている。
また,第17回専門委員会においても,数名の委員から,母子加算の在り方についての意見が述べられた上,A委員長から,「母子加算については,母子加算という従来の一律的な在り方についてそれでいいかどうか,やはり検討の余地がある。そして,資料として必ずしも十分でないかもしれないが,その中で比較をすれば加算がついた分やや高めに出るということは読みとれます。しかし,他方で,これまでの経緯や,1人で子供を育てて,しかも働く,自立するということは大変困難である状況もまた社会生活調査等で出ています。そのあたりに対する配慮を,従来のような加算方式でやるのか,それとも少しいろいろな条件をつけた加算ないしは別のやり方でプラスアルファするのかを今後検討していく。そういう書きぶりであれば,両論併記でなくても済むということにならないでしょうか。」,「(母子)加算については,委員会としては明確な結論というよりは,幾つかの変更の可能性をお示しするということで,その後については基準の委員会で詰めていただく・・・とまとめてはいかがでしょうか。」,「この委員会では母子加算について,平成11年度の全国消費実態調査を基に議論していましたが,もう・・・新しい調査の時期になっているわけですから,その結果が出た時点で十分検証していただくという結論にするのが妥当だろうと思います。ただし,余りに無責任ですから,いろいろな意見については,こういう方向があり得ると列挙してはどうかと思います。」というようにまとめられている(乙9の15)。
そして,以上のほか,A委員長ほか2名の委員によって構成された起草委員会で文案を作成し,各委員に同案を送付して意見を聴取した上,修正作業を行って,報告書案が作成され,第18回専門委員会での議論で多少の修正を経て(ただし,母子加算の部分の訂正はなかった),専門委員会報告書が作成された(乙9の13,甲8)。
エ 専門委員会の結論
以上のような議論の経過,A委員長の議論のまとめについての発言内容,及び前記イの専門委員会報告書の内容を総合すると,これに反対をする委員も存在したものの,専門委員会としては,当時の現行の母子加算制度を見直すこと自体については,これを提言したものと認められる。
ただし,その見直しをどのように行うかの方向性については,様々な異なる意見があって,専門委員会では結論が出ていないため,それらの意見を報告書に盛り込んだと認められ,そして,その見直しの方向性についての大きな可能性として,現行の一律・機械的な給付を見直し,ひとり親世帯の親の就労に伴う追加的な消費需要に配慮するとともに,世帯の自立に向けた給付に転換することを挙げ,その見直しに際し勘案すべき要素も,専門委員会での意見を考慮した上で,列挙したものと解される。
なお,A委員長からは,前記ウのとおり,見直しの方向性について別個の委員会での検討にゆだねる旨の発言がされているが,専門委員会の結論としては,上記のように見直しの方向性についての可能性を示すということで足り,その先にどのような委員会等でその問題が検討されるかは,専門委員会が決定すべき事項ではないこと,専門委員会報告書にも,この点に関する記載はされていないことからすると,別個の委員会での検討がされるべきことが,専門委員会の結論の一部になっているとは解されない。
以上によると,現行の母子加算制度の見直し自体も結論が出ておらず,これを別の機関にゆだねた旨の前記アの原告の主張には理由がない。
オ 厚生労働省による母子加算の削減・廃止
そして,厚生労働省は,以上のような専門委員会報告書を受け,まず現行の母子加算についての見直しとして,16歳以上の児童のみを養育する母子世帯に対する母子加算については,平成17年度から3年間かけて,順次保護基準を変更した上,その見直しの方向性についての専門委員会報告書の提言に従い,「ひとり親世帯就労促進費」を創設し,就労中又は職業訓練中のひとり親世帯に対し,一定額の支給をすることとして(乙19),「ひとり親世帯の親の就労に伴う追加的な消費需要に配慮し,世帯の自立に向けた給付に転換する」ことを目指したものと解される。
カ 高等学校等就学費について
以上のような理解によると,高等学校等就学費についても,専門委員会報告書において,母子加算の見直しに当たり,「生活保護制度において高等学校等の就学費用への対応を検討することとすることなど,子供の成長に伴って養育に必要な費用が変化すること」との要素を十分勘案して検討する必要があるとされていたことから,これを受けて創設されたものと考えるのが合理的である。
そして,本件で問題となっている母子加算の削減・廃止は,16歳以上の児童のみを養育する母子世帯に対するものであるから,高等学校等就学費は,そのような世帯に対する代替措置と捉えることも不可能ではなく,少なくとも,それら世帯の健康で文化的な最低限度の生活を支えているものの一つということができる。
キ まとめ
以上によれば,厚生労働省による母子加算の削減・廃止は,専門委員会の意見を受けたものであるということができ,その結論に反しているということはない。
(5) 以上(3),(4)で検討したところからすると,比較①及びこれを踏まえた専門委員会における検証,専門委員会報告書の判断は不合理なものではなく,その内容に沿って,これらを根拠に行われた本件各保護基準変更は,判断過程及び判断資料の点で不合理ではないということができる。そうすると,本件各保護基準変更が原告に不利益を与えるものであるから,新たに保護基準を定立する場合に比べて,厚生労働大臣の裁量の幅は小さくなるとの前記(2)ウ(ア)の視点を考慮しても,本件各保護基準変更が,現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定するなど,憲法及び生活保護法の趣旨・目的に反し,裁量権の限界を超えたり,裁量権を濫用したものであるとはいえず,基準の変更自体に違憲・違法はない。
(6) 母子加算の削減・廃止による原告への影響について(争点⑤)
次に,前記(2)イ(ウ)記載の原告に特有の需要があったかについて検討する。
ア 原告の生活状況(甲50,94,原告本人尋問等)
平成18年7月ころの生活状況は,京都市a区内のアパート(6畳の部屋が2つ,4畳半の台所,浴室,トイレの間取りで,6畳の2部屋は母子それぞれの部屋)で,浴室もトイレも狭かった。
平成19年3月31日に,京都市a区内の木造2階建て家屋に引越したが,建物は老朽化している。1階は6畳の居間と台所,風呂,トイレがあり,2階は6畳2間で,使っている電化製品や家具などは,転居のときに一番安いものを購入したり,タンス,ドレッサーは,結婚したときに親が嫁入り道具として買ってくれたものを使っている。こたつは実家から持ってきた20年以上使っているもので,壊れているのでテーブルとしてのみ使っている。必要な物品は,100円ショップで買うことが多い。
原告は,平成15年に手術をした乳がんの検査のために通院し,その治療のための服薬を続けているほか,4週間に1回ほど神経内科にも通院し,血圧も高めであることから,これに関しても4週間に1回通院している。病気を抱えた状態で,体調を崩すこともあり,定職に就いて働くのは難しい。
趣味は音楽を聴くことだが,たまにCDを買うくらいである。最近は,新しい音楽は携帯電話にダウンロードしている。また,猫3匹を飼っている。
長男は,平成18年3月に中学校を卒業し,同年4月から定時制の高校に通学している。中学時代に卓球部に所属し,高校進学後も卓球部の部活動に参加しているほか,ギターを週に1回習いに行っている。原告の生活は,基本的に長男の生活に合わせたものとなっている。
食費は月約5万円,母子加算廃止後は約4万円でやりくりしている。長男の食欲は旺盛で,長男のための食費は減らせない。長男に多く食べさせるため,原告の分は少なくなったり,食べないこともある。衣類の購入に関しても,節約をしている。
母子加算の削減・廃止により,外食には行かなくなり,不規則な出費に充てるために貯金をする余裕もなくなった。長男のよそ行きの服も買えなくなったし,散髪の回数も減った。長男は学校の給食を含め1日4食食べていたが,給食出費を減らすために給食をやめた。長男は,生活が苦しいことを理解している言動をしている。
原告の世帯(長男と2人の母子世帯)の月々の主な支出は,家賃が6万円,食費が約4万円,光熱費が1万5000円,携帯電話代が1万9000円,長男の小遣いが3000円,その他,長男の衣類や靴,散髪代,新聞代,体調の悪いときの通院時のタクシー代などである。
イ 検討
(ア) 上記のうち最も大きな需要は,原告の医療費であるが,この点は現物給付による医療扶助で賄われているが,体調の悪いときの通院時のタクシー代は,原告に特有の需要となるといえるが,一時的なものにすぎない。
(イ) 原告と長男の住む住居は,老朽化しており,住環境が快適とまでいうことはできないが,住居の基本的な機能に支障があるとまでは認められず,健康で文化的な最低限度の生活を営むことのできない住環境にあるとはいえない。また,家具,電化製品も安価なものや古い物が多く,不便な面もあるけれども,その保有状況が,健康で文化的な最低限度の生活を下回っていることを示すものとまではいえない。衣服や食事についても,節約のため,衣類や食材の購入や外食等が制約されている状況にあることが認められ,原告が不自由な思いをしていることや,節約のために多大な努力をしていることは認められるけれども,生活をしていくのに必要な食事を採ることはできているものと認められるし,衣類についても,生活していくのに必要なものは入手できていると認められ,これらの点から,健康で文化的な最低限度の生活を下回っていると評価することはできない。
(ウ) 原告は,携帯電話代に月額1万9000円程度を使用しており,趣味である音楽についても,携帯電話のダウンロードで楽しむことができ,また,猫を3匹飼って,心を和ませるための費用を支出することもできている。長男に関しても,上記のような不自由な生活状況にはあるものの,週に1度ギターを習いに行ったり,また,月額3000円の小遣いを受け取ることもできている。
(エ) また,原告の収入総額と支出の内訳をみても,生活状況が苦しいことは窺えるが,そこから,健康で文化的な最低限度を下回っていることまでは窺われない。
ウ 以上のとおり,原告に特有の具体的な需要は見いだせないし,本件各保護基準変更の結果,原告に対して具体的に行われる保護が,健康で文化的な最低限度の生活を下回る結果をもたらしているとはいえず,結局,法56条を根拠に,本件各処分を違法であるということはできない。
(7) 厚生労働大臣の保護基準改正告示日との関係について(争点⑥)
原告は,本件処分2は,厚生労働大臣の告示前にされた処分であり,告示に基づかない処分であるから法8条1項に違反し,違法である旨主張している。
この点,本来は,保護変更の処分は厚生労働大臣の告示に基づかなければならない(法8条1項)から,告示後に処分がされるのが通常である。
しかし,生活扶助のための保護金品は,原則として金銭給付により,1か月分以内を限度として前渡しすることとされていること(法31条1項,2項),保護の実施機関は,保護の変更決定を行い,これを被保護者に対し書面をもって通知しなければならないとされていること(法25条2項,24条2項)からすると,4月分の保護費の支給を適切に行うためには,前月に支給決定のための準備を行うのが望ましく,したがって,告示を待って保護の変更手続を行うよりも,その告示の内容が既に明らかになっているのであれば,告示に従った保護変更決定を実際の告示よりも先に行った上で被保護者に通知しておくのが合理的であり,これは被保護者の利益にこそなれ,不利益となることはない。
厚生労働省においては,このような観点から,例年,3月初旬に全国生活保護担当係長会議を開催し,全国の自治体に対して次年度の基準改定告示案を示すとともに,改定の趣旨及び留意点等について周知しており,被告のした本件処分2は,このようにして厚生労働省が示した告示案に基づいている(乙24の1,2)。
また,本件処分2の実施年月日は,平成19年4月1日であり,その時点では,上記告示による保護基準の改正が既にされている上,内容面でも,処分行政庁が処分の前提とした告示案どおりに保護基準の改正が告示されている(乙23)。
以上によれば,原告の主張するように,本件処分2のされた日が厚生労働大臣の保護基準改正告示日の前であることのみをもって,本件処分2に違法とされるべき瑕疵があるということはできない。
したがって,本件処分2に手続上での違法はない。
3 結論
以上検討したとおり,本件各保護基準変更にも,本件各処分にも違憲・違法はない。したがって,本件各取消請求にはいずれも理由がないし,本件義務付けの訴えについても,処分行政庁が当該義務付けるべきとされる処分をすべきことが法令の規定から明らかであるとも,当該処分をしないことに裁量権の逸脱又は濫用があるともいえないから,請求には理由がない。
したがって,原告の請求をいずれも棄却する。
(裁判長裁判官 瀧華聡之 裁判官 谷口園恵 裁判官 梶山太郎)