京都地方裁判所 平成19年(ワ)2242号 判決 2008年4月30日
主文
1 被告は,原告に対し,16万円及びこれに対する平成19年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを10分しその7を被告の,その余を原告の各負担とする。
4 この判決は第1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,金22万3000円及びこれに対する平成19年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要など
1 事案の概要
本件は,原告が,被告との間で賃貸マンションの賃貸借契約とともにそれに付随して定額補修分担金特約(以下「本件補修分担金特約」という。)及び更新料特約(以下「本件更新料特約」という。)を締結し,同補修分担金特約に基づいて同特約締結時に定額補修分担金16万円,同更新料特約に基づいて同契約締結2年経過後の更新時に更新料6万3000円を各支払ったところ,被告に対し,同各特約は消費者契約法10条などにより無効であるとして,不当利得返還請求権に基づき22万3000円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年8月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実(ただし,文章の末尾に証拠などを掲げた部分は証拠などによって認定した事実,その余は当事者間に争いのない事実)
(1) 原告は,株式会社長栄の仲介により被告との間で,平成17年3月30日,京都市a区b町c丁目d所在のe号室(以下,「本件物件」という。)について以下の内容の賃貸借契約を締結した(以下,「本件賃貸借契約」という。)。
ア 賃料 月額6万3000円
イ 共益費 月額 6000円
ウ 契約期間 平成17年3月31日から平成19年3月30日まで
エ 更新料 前家賃の1か月分
オ 定額補修分担金 16万円
(2)ア 本件賃貸借契約にかかる契約書(以下,「本件賃貸借契約書」という。)には以下の記載がある(甲1。なお,同契約書中「甲」は賃貸人たる被告のことであり,「乙」は賃借人たる原告のことである。)。
頭書(抜粋)
契約更新料 前家賃の1ヶ月分の円
敷金(保証金) (空白)
定額補修分担金 金160,000円
家賃 金63,000円(月額)
共益費 金6,000円(月額)
第1条省略
第2条[契約期間,更新]
① 省略
② 乙は,契約期間の満了する60日前までに申し出れば,契約更新をすることができる。但し乙に賃料滞納等の契約違反がみられるとき,甲は契約更新を拒めるものとし,乙は契約の更新を主張できないものとする。
③ 乙は,契約を更新するときは,契約期間満了までに更新書類(覚書,乙・丙・丁の印鑑証明書等)提出とともに,頭書の更新料の支払いを済ませなければならない。又,法定更新された場合も同様(乙は更新料を甲に支払わなければならない)とする。尚,契約更新後の入居期間に拘わらず更新料の返還(月割り精算等の返還措置)は一切応じない。
④ 乙は甲に対し,法定更新・合意更新を問わず,契約開始日から2年経過する毎に更新料を支払わなければならない。
第3条[賃料等]
① 乙は,頭書の記載に従い賃料等を甲に支払わなければならない。振込みの場合の振込手数料は,乙の負担とする。
② 一ヶ月に満たない期間の賃料は,一ヶ月の実数を日割り計算した額(円単位は切り上げとする)とする。但し,退去の月については,退去日が月末以外の日であっても,日割り計算はしないものとする。
③ 甲は,次の各号のいずれかに該当するとき,賃料を変更することができる(第2条の更新時にこのような事情がみられるときも同様とする)。この場合,甲から乙に通知することによって,変更の効力を生ずる。
a 土地建物に対する租税その他の負担の増加が生じた場合。
b 物価又は土地建物の価格上昇・その他,経済事情の変動により,家賃が不相当となったとき。
c 近隣の建物の家賃に変動が生じた場合。
d 建物に改良を施したとき(リフォーム・設備投資等)。
④ 乙が,頭書の賃料等の支払いを怠ったときは,納付期日の翌日から一日につき年(365日当たり)14.6%の割合で遅延損害金を甲に支払わなければならない。
⑤ 乙は,電気・ガス・水道・その他の専用設備にかかる使用料を負担するものとする。
第4条省略
第5条[定額補修分担金]
本物件は,快適な住生活を送る上で必要と思われる室内改装をしております。そのために掛かる費用を分担し(頭書記載の定額補修分担金)賃借人に負担して頂いております。尚,乙の故意又は重過失による損傷の補修・改造の場合を除き,退去時に追加費用を頂くことはありません。
① 乙は,本契約締結時に本件退去後の賃貸借開始時の新装状態への回復費用の一部負担金として,頭書に記載する定額補修分担金を甲に支払うものとする。
② 乙は,定額補修分担金は敷金ではないということを理解し,その返還を求めることができないものとする。
③ 乙は,定額補修分担金を入居期間の長短に関わらず,返還を求めることはできないものとする。
④ 甲は乙に対して,定額補修分担金以外に本物件の修理・回復費用の負担を求めることはできないものとする。但し,乙の故意又は重過失による本物件の損傷・改造は除く。
⑤ 乙は,定額補修分担金をもって,賃料等の債務を相殺することはできない。
第6条ないし第9条省略
第10条[退去時の回復・修繕]
① 乙は甲に対し,入居時に頭書の定額補修分担金を支払っているため,退去時においては次の場合のみ,本物件の回復・修繕をするものとする。
a 乙または使用者により,本物件または付属設備に造作・加工・模様替え・その他変更がある場合。
b 検査の結果,乙の故意又は重過失(軽過失を除く)により内装設備の修繕が必要と判断し,甲が乙に通知した時。
② 本契約が終了した時は,乙は前項の回復・修繕箇所について甲の検査を受けるものとする。
③ 乙が本条第1項・2項に定める原状回復をしないときは,甲が乙に代わってこれを実施し,その費用は乙の負担とする。この場合,頭書の敷金(保証金)より精算するものとするが,原状回復費用が敷金(保証金)より不足する場合には,乙は直ちにその支払いに当たるものとする。
第11条ないし第14条省略
第15条[紛争その他]
① 本契約に関する紛争に関し訴訟を提起する必要が生じたときは,京都地方裁判所に提起するものとする。
② 以下省略
イ 本件賃貸借契約書の第5条は,他の条項と異なり,ゴチック体で印字されており,その下部には「私は,本契約締結にあたり以上の説明を受け,上記事項を熟読の上,ここに定額補修分担金の支払いを了承し,その支払いに合意致します。」との記載があり,同記載の下のところに平成17年3月17日の日付及び原告の署名押印がある(甲1)。
(3) 原告は,被告に対し,本件賃貸借契約を締結した際,本件補修分担金特約に基づいて定額補修分担金16万円を支払った。
(4) 原告は,被告に対し,平成19年2月ころ,本件更新料特約に基づき1か月分の賃料に相当する更新料6万3000円を支払った。
(5) 原告は,平成19年4月2日,本件物件を退去した。
(6) 本件訴訟にかかる訴状は,平成19年8月4日,被告に送達された(顕著な事実)。
(7) 被告は,原告に対し,平成20年2月6日の本件口頭弁論期日において,更新料6万3000円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年8月5日から同弁論期日までの遅延損害金全額1604円の合計6万4604円を支払い,原告は同日同金員を受領した(顕著な事実)。
3 争点及び争点に対する当事者の主張
(1) 本件補修分担金特約は消費者契約法10条に該当して無効か(争点(1))
(原告)
ア(ア) 賃借人は,賃借物の使用の対価として賃料の支払をしているところ(民法601条),賃料の他に通常の使用によって生じる賃借物件の損耗・経年変化に伴う回復費用を負担する義務がないが,本件補修分担金特約は同通常の使用によって生じる損耗・経年変化に伴う回復費用を賃借人に負担させる内容を含んでいる。ところで,同分担金特約による分担金によって補修の対象とされる部分には形式上は賃借人の過失による損耗部分の回復費用分も含むものであるが,同分担金の額は従来の敷金として授受されていた程度の金額が定められているうえ,賃借人の過失による損耗部分の回復費用が生じる可能性も一般的に多くはなく,また,賃借人が敷金相当額程度の原状回復義務を負うことは極度に汚く使用しない限りありえないことである。したがって,同分担金特約ないし同分担金は,賃借人に過失損耗部分のみならず通常損耗部分の回復費用を負担させようとするものである。
同分担金特約は,「敷金」を「定額補修分担金」と言い換えているにすぎない。
(イ) また,同分担金特約は,賃借人の故意・重過失による損傷の回復費用について,賃貸人が賃借人に対して同分担金とは別途請求できることになっており補修費用の二重取りの可能性がある。
(ウ) 以上のとおり同分担金特約は,民法の規定の適用による場合に比し賃借人である原告(消費者)の義務を加重している。
イ 本件補修分担金特約は上記アで記載したとおり通常の使用によって生じる損耗に伴う回復費用を賃借人に負担させるもので,故意・重過失による損傷の回復費用について二重取りの可能性もある(不当性)。また,賃貸人は,事業者であり,コスト計算もできる(情報力の格差)。そして,賃借人(消費者)は,通常,賃貸借契約の際,同分担金特約の成否について賃貸人と間で対等の立場で修正削除をめぐって交渉することは期待しがたい(交渉力の格差)。
以上のとおり本件補修分担金特約は民法第1条第2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものである。
ウ したがって,本件補修分担金特約は,消費者契約法10条に該当し無効である。
(被告)
ア 賃貸借契約の賃借人は,賃借物件について善管注意義務を負っている(民法400条)。したがって,賃借人は,軽過失であっても同過失によって賃借物件を損傷などした場合には原状回復義務を負担している。
本件補修分担金特約は,いわゆる自然損耗・通常使用の範囲を超える賃借人の軽過失による汚損・破損について,その原状回復費用を賃借人の負担とせず,故意・重過失による特に著しい汚損・破損が生じた場合のみ,賃借人にその費用を負担させる内容となっている。
以上のとおり,同分担金特約は民法の任意規定の適用による場合に比し,賃借人の義務を軽減しているというべきである。
したがって,本件補修分担金特約は,消費者契約法10条前段に該当しない。
イ(ア) 本件補修分担金特約は,原状回復費用を賃貸人,賃借人の双方がそれぞれ負担することとし,賃貸借契約締結時においては,原状回復費用が確定していないので賃借人負担部分を定額で確定させ,同額を超えて原状回復費用が発生しても賃貸人は,賃借人に費用を請求せず,原状回復費用が同額以下であっても賃借人は賃貸人に異議を述べないこととして,双方がリスクと利益を分け合う交換条件的内容を定めたものである。
なお,原告は,賃借人が16万円相当額の原状回復義務を負うことは極度に汚く使用しない限りあり得ないと主張するが,同主張は経験則に反する。
また,原告は,故意・重過失による汚損・破損の場合は二重取りとなる可能性を指摘するが,同分担金特約によれば,故意・重過失による損耗でも同分担金の額を超えない限り,追加請求をしない内容となっている。
(イ) 仮に定額補修分担金特約の定めのない賃貸借契約の場合,賃借人は,退去時において,自らの過失による破損部分について原状回復費用を負担しなければならないこととなるため,気を遣って居住しなければならない。また,退去時において,賃借人と賃貸人との間でどのような汚損・破損が自然損耗・通常使用の範囲なのかが争われることも多々ある。しかし,同分担金特約が,賃貸借契約締結時になされていれば,賃借人は,退去時における同紛争リスクを回避することがことができるし,また,通常であれば原状回復費用のことを気にかけることなく,安心して居住することができるなど紛争のリスク減少というメリットを享受できる。
(ウ) 本件補修分担金特約は,上記のとおり賃借人の義務を民法の原則よりも軽減したうえで,賃借人・賃貸人の双方がそれぞれのリスクと利益を分け合う交換条件的な内容を定めたものである。したがって,本件補修分担金特約は,消費者の利益を一方的に害するものでもないから,消費者契約法10条後段にも該当しない。
ウ そうすると,本件補修分担金特約は,消費者契約法10条に該当せず有効である。
(2) 本件更新料特約は消費者契約法10条もしくは借地借家法により無効か(争点(2))
(原告)
ア(ア) 更新料が賃料の補充であるとの説明があるが,以下の事情からすると,そのような説明には合理性がない。
すなわち,賃料補充という考えの合理性を裏付ける事由として不動産価格の上昇があるが,同前提事実が存在しないこと,1年ないし2年の賃貸借契約期間中に賃料について不足分が生じるとは考えにくいこと,賃料増額請求による補充が可能であること。
(イ) 更新料が異議権の放棄や異議権行使に伴う紛争回避の対価という説明があるが,以下の事情からすると,そのような説明にも合理性がない。
賃貸人は,期間満了の6か月前まで異議権を行使しなければならない(借地借家法26条1項)ところ,通常,更新料は期間満了のころに支払われており同時期には異議権が発生しないことが確定している。また,異議権の行使の有無にかかわらず,合意更新時に一律に更新料が支払われている。
(ウ) また,更新料特約が賃借権強化の対価という説明があるが,以下の事情からすると,そのような説明にも合理性がない。
合意更新がされず法定更新がなされ期間の定めのない賃貸借契約となった場合であっても,通常,賃貸人の正当事由に基づく解約が認められる場合はほとんどない。さらに,更新期間が1年間もしくは2年間の契約であれば,更新後6か月間もしくは1年6か月間の間に賃貸人に解約申入れの正当事由が発生しなければ合意更新した場合と賃貸借継続の期間の違いが生じないところ,同期間内に同正当事由が発生することは現実的にはほとんどありえない。また,仮に賃貸人の正当事由に基づく解約が認められたとしても合意更新した場合と賃貸借継続の期間の違いは6か月間ないし1年6か月間に過ぎない。以上のとおり,更新期間が1年ないし2年といった短期の賃貸借契約の場合には,法定更新の場合と比べ,合意更新によって賃借権を確保するという実質的な意味は認められず,更新料に賃借権強化の対価という性質が含まれると考えることは契約当事者の合理的意思に反する。
(エ) 以上のとおり更新料は,①賃料の補充,②異議権放棄の対価及び③賃借権強化の対価という複合的な性質を有するものではなく,何ら対価としての合理性はない。
イ(ア) 消費者契約法10条前段の要件は必須要件ではないと解するべきである。仮にそれが必須要件であるとしても,民法上,賃貸借契約における使用の対価としては賃料のみが予定され(同法601条),権利金,礼金,更新料については何ら規定していない。そのような法的根拠のない名目金員を考慮して賃料額の設定を行うことは,民法上,全く予定していないところで,本件更新料特約は同法601条の賃料支払義務に加えて賃借人の義務を加重するものである。したがって,同要件に該当する。
(イ)① 上記のとおり更新料は何ら対価としての合理性を有していない。更新料は賃借人から賃貸人に対して,単に慣行的に支払われてきた贈与としか説明できず,現代の住宅事情のもとで賃借人が賃貸人に一方的に贈与(謝礼)を行う根拠はない。
② また,現在使われている更新料特約は賃借人が賃借物件を選定する際に主に賃料の額に着目する点を利用して,賃借人に対し,賃料については割安な印象を与えて契約を誘引し,結局は割高な賃料を取るのと同じ結果を得ようとする欺瞞的な目的で使用されている。
③ そして,更新料はその賃貸借契約の際,賃借人に対してその意味内容について実質的な説明がなされておらず,賃貸人と賃借人の間には情報格差が存在し,また,賃貸借契約は一般に賃貸人が準備した個別の契約条項に従うか否かであって,そこには契約条項の変更を交渉するという対等性がなく,交渉力の格差があることが明らかである。
④ なお,被告は,借地借家法の制定,改正時に更新料が規制されなかったことをもって立法者の意思は更新料については私的自治に委ねる意思である旨主張する。しかし,借地借家法は更新や賃貸人からの解約において徹底して賃借人の保護を図っているのであり,また,更新にあたって賃借人に対価の支払を要求しておらず,さらに,立退料が明文化されて賃貸人が更新拒絶するためには賃貸人に出捐を求めていることなどからすると,借地借家法の趣旨は更新料の支払については消極であると解するのが相当である。
⑤ 以上のとおり本件更新料特約は民法第1条第2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害する条項である。
(ウ) したがって,本件更新料特約は消費者契約法10条により無効である。
ウ 本件更新料特約は法定更新時にも支払義務があるとされている。借地借家法は法定更新について事前の更新拒否の通知のないこと(26条1項),期間満了後の異議がないこと(同条2項),正当事由のないこと(28条)など,法定更新が認められない場合について厳格な要件を定め,これに反する特約で賃借人に不利なものを無効としている(30条)。
法定更新にも更新料支払条項の適用があるとする本件更新料特約は,借地借家法の法定更新の要件に反して賃借人に不利なものであるから,借地借家法上無効である。
(被告)
ア(ア) 賃貸人は,権利金,礼金,更新料なども含めた全体の収支計算を行ったうえで,毎月の賃料額を設定しており,その結果生じる設定賃料と本来受けるべき経済賃料との差額について更新料によって補充することは十分合理性を有する。したがって,更新料は賃料の補充としての性質を有する。
(イ) 更新料は,異議権の発生が不確定である時点においてなされるものであり,更新料の支払によって画一的に当該契約期間内の異議権行使に伴う紛争を回避することを目的とするものである。また,近時の裁判例では不動産の有効利用の必要性がある場合に賃貸人に異議権が認められる場合がある。したがって,更新料は異議権放棄の対価としての性質を有する。
(ウ) また,更新料は賃借権強化の対価としての性質を有する。
(エ) 以上のとおり更新料は,①賃料の補充,②異議権放棄の対価及び③賃借権強化の対価という複合的な性質を有すると解するべきであり,対価性を有する相当なものである。
イ(ア) 更新料は,上記アで記載したとおり①賃料(民法601条)の補充,②異議権放棄の対価及び③賃借権強化の対価という複合的な性質を有している。
また,更新料併用方式の賃借物件は月払賃料一本方式の物件よりも,月額賃料が低くなるので,更新前に退去予定の者,更新時には収入が見込める者,更新料補助を受けることができる者にとっては,メリットがある。
したがって,更新料特約は民法の規定に根拠を有し,対価性もあり,民法の規定の適用による場合に比して消費者の権利の制限又は義務の加重をするものではなく,消費者契約法10条の前段要件に該当しない。
(イ)① 消費者契約法10条後段の要件は当該契約条項によって消費者が受ける不利益と,その条項を無効とすることによって事業者が受ける不利益を衡量し,両者が均衡を失していると認められる場合を意味すると解される。
また,消費者契約法の立法目的は消費者と事業者との間の情報の質ならびに交渉力の格差を是正し,消費者の利益を擁護することにある(同法1条)。そこで,同法10条後段の「民法第1条第2項…消費者の利益を一方的に害する」場合であるが,事業者の反対利益を考慮してもなお,消費者と事業者との間の情報格差・交渉力格差の是正を図ることが必要な場合を意味するとするのが相当である。
②a 本件更新料特約が無効となると,被告は,更新料という賃料の補充部分を失うことになるところ,契約は守られるという合理的期待に反して計算した収入を得られず,賃貸借の収支関係を覆滅せしめられることになり不測かつ重大な不利益を被る。また,被告は,地震,火災,有害物質,犯罪,自殺,債務不履行などの様々なリスクを抱えている。
他方,原告は,本件更新料特約を承諾して本件賃貸借契約を締結し,本件物件を使用したもので,賃料及び更新料の支払と本件物件の使用との間には対価性がある。原告は,本件更新料特約を有効とされたとしても,本来支払わなければならない月額賃料の補充部分を更新料として支払うだけであるため,特段不利益を被ることがない。また,更新料が設定されていることにより,月額賃料は月払賃料一本方式の賃料よりも低く設定されているため,本件更新料特約が無効とされると,原告は,予期していなかった利益を得ることになり不当な利益を得る。そして,原告は,更新料を支払うことにより更新後の期間において被告から解約申入れを受けることがない地位を獲得しており,更新による地位強化のメリットも享受している。
以上のとおり両者の不利益を比較すれば,本件更新料特約は消費者の利益を一方的に害しているとはいえない。
b 賃借人は,インターネットや情報誌により膨大な賃借物件の情報を入手することができ,同情報をもとに当該賃貸借契約における経済的負担を勘案して賃借物件を選択し,自ら申込を行っている。
したがって,現在の賃貸借契約市場において消費者と事業者の間に情報の格差はなく,また,いわゆる借り手市場であるから,消費者契約法が予定している「交渉力などの格差」の前提が存在しない。
c 建物賃貸借契約は一般的な契約であって,借家契約における「更新料」は約定の契約期間満了後も契約継続する場合にその対価として支払うものであるという意味においては一般に広く理解されている。また,契約締結時の重要事項説明において賃借人に説明されていて,本件においても,原告には重要事項説明書が交付され,更新料の金額について説明を受けたうえで契約締結に至っている。
更新料特約は,消費者の立場からも賃貸借契約の基本的な内容であるといえ,その点においても消費者契約法8条及び9条に具体的に列挙される不利益条項などとは全く性質を異にする。
d 借家契約における更新料の授受はこれまで約40年間以上行われ,更新料の支払を内容とする和解や調停成立が相当数あり,また,生活保護法14条,33条の住宅扶助が規定されその実施要領により京都市の場合,平成19年4月1日現在,1世帯6人まで1回あたり5万5000円,7人以上1回あたり6万6000円の更新料扶助が支給されている。
以上のとおり更新料特約はわが国における借家契約において長年慣行として行われてきたものであり,裁判実務,行政においてもその合意の相当性は確認され,広く社会で承認されてきた。
e 借地法,借家法の改正の際,更新料の法的規制が問題提起されたが,「借地・借家法改正要綱試案」,平成3年制定の借地借家法,同法の平成8年改正,同11年改正においても更新料に関する規制はなされていないことからすれば,立法者の意思としては更新料の合意そのものが不合理なものであるとして法的規制を及ぼすのではなく,専ら私的自治に委ねるべきとの判断が示されていると考えるべきである。
③ 以上によれば,本件更新料条項は,民法第1条第2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害する条項であるとはいえない。
(ウ) したがって,本件更新料特約は消費者契約法10条に該当せず有効である。
ウ 更新料は,賃料の補充の性質を有するものであるから,合意更新の場合だけでなく,法定更新の場合も支払われるべきものである。更新料特約の文言上,法定更新についても更新料支払義務が明確に規定されている場合,更新料支払義務が発生する。
したがって,本件更新料特約が借地借家法により無効となることはない。
第3当裁判所の判断
1 前提事項
前提事実並びに証拠(甲1)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,平成17年3月30日,株式会社長栄の宅地建物取引主任者から本件補修分担金特約を含めた本件賃貸借契約の重要事項について説明を受けたうえで,被告との間で本件補修分担金特約も含めて本件賃貸借契約を締結したことが認められる。
2 本件補修分担金特約が消費者契約法10条により無効となるか(争点(1))
(1) 前提事実によれば,原告は,消費者契約法2条1項の「消費者」に,被告は,同条2項の「事業者」に該当する。
(2) 賃貸借契約は賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするところ,賃借物件が建物の場合,その使用に伴う賃借物件の損耗は賃貸借契約の中で当然に予定されているものである。そのため,建物の賃貸借においては賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少という投下資本(賃借物件)の通常損耗の回収は通常,賃貸人が減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませ,その支払を受けることで行われる。
そうすると,賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務を負うものの(民法616条,598条),原則として,賃借人に通常損耗についての原状回復義務を負わせることはできないものと解するのが相当である。
もっとも,賃借人は,故意や善管注意義務違反などの過失によって生じた賃借物件の汚損ないし損耗部分については修繕費相当の損害賠償義務を負う。
そうすると,賃借人は,民法上,原則として,故意過失による同汚損ないし損耗部分の回復費用を負担すれば足り,通常損耗の回復費用については賃料以外の負担をすることは要しないといわなければならない。
(3) 本件補修分担金特約は,それに基づいて支払われた分担金を上回る回復費用が生じた場合に故意又は重過失による本件物件の損傷・改造を除き回復費用の負担を賃借人に求めることができない旨規定しているところ,回復費用が分担金を下回る場合や,回復費用から通常損耗についての原状回復費用を控除した金額が分担金を下回る場合に賃借人にその返還をする旨規定していないが,同規定していない趣旨からすると,被告も主張するとおりそのような場合,賃借人は,差額の定額補修分担金の返還を求めることができない旨を規定しているといわざるをえない。
そうすると,同分担金特約は消費者たる原告が賃料の支払という態様の中で負担する通常損耗部分の回復費用以外に本来負担しなくてもいい通常損耗部分の回復費用の負担を強いるものであり,民法が規定する場合に比して消費者の義務を加重している特約といえる。
(4)ア 前記のとおり賃借人が本件補修分担金特約に基づいて賃料と別個に負担すべき分担金額は一般的に生じる軽過失損耗部分に要する回復費用を踏まえたうえで算定されるべきところ,賃貸人は,当該物件もしくは同種物件の修繕経験を有するのが通常であり,その経験の蓄積により通常修繕費用にどの程度要するかの情報を持ち,計算をすることが可能である。他方,消費者である賃借人は,通常,自ら賃借物件の修繕をするなどの経験はなく,したがって,一般的に賃貸人が有するような上記情報を有するとは考え難い。本件においても,消費者である被告が同情報を有していたと認めるに足りる証拠はない。
賃借人が負担する同分担金額は賃貸人が有している上記情報を基に設定するのが一般的であると考えられるところ,賃借人となろうとする者が同情報を持ち合わせないままで賃貸人との間で分担金額の程度・内容について交渉することは難しく,仮に交渉できたとしてもその実効性が担保されているとは考え難い。以上の事実を踏まえると,賃貸人が賃借人に負担させるべき分担金額を一方的に決定しているというべきである。
イ(ア) 本件補修分担金特約は軽過失損耗部分の回復費用を定額に設定しているところ,形式的に見ると,軽過失損耗部分が同定額を超えた場合には賃借人に利益となる余地がある。しかし,実質的に賃借人に利益があるというためには結果的に発生した軽過失損耗部分の回復費用が設定額より多額であったという特段の事情のない限り難しく,少なくとも定められた分担金額が一般的に生じる軽過失損耗部分の回復費用額と同額程度であることが必要である。
(イ) 本件補修分担金特約に基づく同分担金額は月額賃料の約2.5倍程度に定められているところ,賃借人に軽過失があって,軽過失損耗が発生することは通常それほど多くなく,一般的にその回復費用が月額賃料の2.5倍であると考えることはできない。そうすると,同分担金特約に基づく分担金額は一般的に生じる軽過失損耗部分の回復費用と同額程度とはいえず,また,本件物件について軽過失損耗部分の回復費用が設定額である16万円を超えたと認めるに足りる証拠もない。
(ウ) 以上によれば,本件補修分担金特約は賃借人である原告にとって有利であるとまではいえず,かえって,賃借人に月額賃料の約2.5倍の回復費用を一方的に支払わせるもので,しかもその額の妥当性について消費者である原告に判断する情報がないこと,以上の事実にあわせて通常損耗にともなう回復費用について賃料とは別個に賃借人に負担させるものであることを総合すると,消費者である原告に不利益を負わせるものと評価せざるを得ない。
ウ そうすると,本件補修分担金特約に基づいて原告に対し,分担金の負担をさせることは民法第1条第2項に規定する基本原則に反し消費者の利益を一方的に害するものといえる。
エ(ア) この点,被告は,本件補修分担金特約は原状回復費用が定額に抑えられていて原告に有利である旨主張する。しかし,上記イ,ウで説示したとおり本件補修分担金特約は実質的にみて賃借人である原告に有利とまではいえない。したがって,被告の同主張は採用できない。
(イ) また,被告は,定額補修分担金特約の定めがある賃借物件では,賃借人が退去時における原状回復費用をめぐる紛争リスクの減少というメリットを享受することができる旨主張する。しかし,かかる紛争リスク減少のメリットは賃借人だけではなく,賃貸人も同様に享受しているのであり,賃貸人も享受するメリットを発生させるために賃借人のみが通常損耗部分の回復費用を含む分担金を負担することは不当であるといわざるをえない。
(ウ) また,被告は,定額補修分担金特約のある賃借物件では賃借人は軽過失は免責されるので原状回復費用のことを気にかけることなく安心して居住することができる旨主張する。しかし,善管注意義務を尽くそうとする賃借人にとって,同分担金特約の定めをした場合であっても賃借物件を損壊しないように注意しながら生活をすることになるし,善管注意義務を尽くそうとしないような賃借人についてはそのような生活態度からして重過失が認定される蓋然性が高くなり,被告が主張するように軽過失にすぎないとして免責される余地は少ないことになる。したがって,被告が主張するように同分担金特約の存在によって一般的に賃借人が安心して居住することになるわけではない。
(5) 以上によれば,本件補修分担金特約は民法の任意規定の適用による場合に比して賃借人の義務を加重するものというべきで,信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するもので,消費者契約法10条に該当し,無効である。
3 更新料について(争点(2))
前提事実記載のとおり原告は,本件口頭弁論期日において,被告から更新料6万3000円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年8月5日からの遅延損害金全額1604円の合計6万4604円を受領している。そうすると,本件更新料特約が消費者契約法10条に該当して無効か否かを判断するまでもなく,更新料にかかる請求は理由がないことが明らかである。
4 結論
以上の次第であるから,原告の本件請求は主文1項の限度で理由があるからその限度で認容し,その余は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,64条を,仮執行宣言につき同法259条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村哲 裁判官 和久田斉 裁判官 波多野紀夫)