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京都地方裁判所 平成19年(ワ)548号 判決 2007年11月22日

主文

1  被告は原告に対し,25万円及びこれに対する平成18年4月7日から支払済みまで,年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを40分し,その39を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は原告に対し,1030万円及びこれに対する平成18年4月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  本件は,被告が設置,運営する病院(以下「被告病院」という。)において,原告が,内頚静脈からカテーテルを挿入する方法により血液透析を受けたところ,被告病院の医師が,カテーテルを,誤って右総頚動脈に挿入した結果,右頸部を切開して右総頚動脈を縫い合わせる処置を受けることとなり,その結果,右頸部に長さ10センチメートルほどの醜状痕が残ったことについて,被告病院の医師には,①カテーテル挿入にあたって,内頚静脈を確実に確認すべき注意義務を怠った過失,及び,②事前に内頚静脈へのカテーテル挿入の際に生じうる合併症等について十分に説明すべき義務を怠った過失がある等と主張し,被告に対し,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として,慰謝料1000万円及び弁護士費用30万円並びにこれらに対する不法行為の日である平成18年4月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

2  基礎となる事実(争いのない事実及び各項末尾記載の証拠等によって容易に認定することのできる事実)

・※  透析の施行に至る経緯

ア  原告は,平成17年7月ころから,糖尿病の治療のため,被告病院に通院していた。

イ  原告は,平成18年4月3日(以下,特に断らない限り,日付だけ表記のものは,平成18年のものである。),被告病院の循環器内科のA医師により,慢性腎不全増悪,肺水腫,虚血性心疾患との診断を受け,被告病院に入院した。(乙A1,2)

ウ  4月3日午後7時ころ,原告,原告の夫及び原告の次女は,上記A医師から,原告の心臓が肥大して水が溜まっており,クレアチニンの数値も高いため,血液透析を実施する必要があるとの説明を受けた。

エ  同月7日,被告病院循環器内科の医師から同病院腎臓内科の医師に対し,原告の腎機能の低下が顕著になってきたとして,対診の依頼があった。入院後だけをみても,原告のクレアチニン値(単位はmg/dl,正常値は0.3から1.1)は,4.76(4月3日)から7.28(4月7日)に,尿素窒素値(単位はmg/dl,正常値は8から21)は,55.3(4月3日)から82.2(4月7日)にそれぞれ上昇していた。被告病院腎臓内科医長であったB医師は,透析治療なしでは病状の改善は難しいと考え,同日,血液透析を施行することを決めた。(乙B7)

・※  透析についての説明

4月7日午前,B医師と被告病院腎臓内科のC医師が原告の病室を訪れ,原告に対し,血液透析を施行することを告げるとともに,挨拶をした。その後,B医師は,原告の病歴の詳細を確認するためにナースステーションに赴き,C医師が原告に対し,原告の次女D立会いの下,血液透析の説明をした(以下「本件説明」という。)。(乙B7,11)

・※  血液透析の手技について

ア  血液透析は,短時間で大量の血液を浄化する必要があることから,血流量の豊富な血管を確保するために,通常は,手の動脈と静脈をバイパスするように吻合し(「シャント」と呼ばれる),シャントから血液を取り出して行う。しかし,緊急に血液透析をする必要が生じ,シャントを形成していないときは,太い静脈(大腿静脈,内頸静脈等)からカテーテルを挿入し,これを利用して,透析を行うこととなる。(公知の事実)

イ  カテーテル挿入の標準的な手技は次のとおりである。

・※  消毒及び局所麻酔

挿入部分の皮膚の消毒,局所麻酔を行う。

・※  試験穿刺

麻酔用の針で静脈を探し,挿入する。逆流血を確認する。

・※  本穿刺

試験穿刺の針を抜き,試験穿刺での感覚をもとに本穿刺を行う。血管に挿入後,少し陰圧をかけながら針を進め,血液を逆流させる。逆流血の確認後,針を数ミリ進め,内筒を抜き,外筒を通して逆流する血液の勢い及び色によって,静脈に挿入したことを確認する。

・※  ガイドワイヤーの挿入

外筒を利用し,ガイドワイヤー(血管内に挿入し,後に挿入するカテーテル等を血管に沿って挿入しやすくするためのワイヤー)を挿入し,挿入に成功したことを確認すると,外筒を抜く。

・※  ダイレーターの挿入

穴を広げるための管状の器材(ダイレーター)を挿入して,穴を拡げる。

・※  カテーテルの挿入

カテーテルを挿入する。カテーテル自体は柔らかく,それだけでは挿入できないので,芯が入っている。カテーテルの挿入後,芯を抜く。

・※  透析の実施

ア  4月7日午後2時30分ころ,原告は透析室に入室した。B医師は,原告の内頸静脈からカテーテルを挿入することとし,作業を開始した。

イ  B医師は,挿入部の皮膚の消毒,局所麻酔をした後,試験穿刺を経て本穿刺を行い,内筒を抜き,外筒を通して逆流する血液を確認し,ガイドワイヤーを挿入し,外筒を抜き,ダイレーターによって穴を拡げ,カテーテルをガイドワイヤーに沿って血管内に挿入し,ガイドワイヤーを抜き,続いてカテーテルの芯を抜いたところ,逆流血が噴出した。これによって,内頚静脈に挿入すべきカテーテルを,誤って右総頚動脈に挿入したことが判明した。

ウ  その後,誤挿入されたカテーテルの抜去及び右総頸動脈縫合手術が実施された。その結果,原告の右頸部には長さ10センチメートル程度の醜状痕が残った。(甲C1ないし4)

エ  上記醜状痕を除き,原告に後遺障害は発症せず,原告は,同年5月16日,被告病院を退院した。

3  争点及び当事者の主張

・※  カテーテル誤挿入の過失の有無

(原告の主張)

ア B医師は,本穿刺の際,逆流する血液の勢い及び色によって,動脈に穿刺したことに気付くべきであったのに,これに気付かなかった。これは,B医師の過失である。

イ 動脈誤穿刺を確認する方法として,逆流血の確認以外に,①逆流血のガス分析、②圧波形分析の方法があり,安全に内頸静脈に穿刺するための方法として,③エコーガイド下でのカテーテル留置の方法があるところ,B医師は,これらの方法を採用してカテーテルの動脈誤挿入を避けるべきであったのに,これを実施しなかった。これは,B医師の過失である。

(被告の主張)

ア 内頸静脈にカテーテルを挿入する際に,動脈を誤穿刺するということは,一定の割合で起こる合併症である。これは,100パーセント回避することができない現象であり,医師の手技上の過失によるものではない。

イ B医師は,本穿刺時に逆流血の勢い及び色を確認したが,原告の病状等が原因で,逆流血の勢い及び色が,静脈に穿刺した場合と同様のものであったため,針を内頸静脈に適切に穿刺したものと判断した。したがって,B医師にカテーテル挿入に当たっての確認を怠った過失はなく,本件は,医師が通常要求される注意義務を尽くしても起こりうる事故であった。

ウ 原告が主張する,各方法は,次のとおり,いずれも,本件事故当時の医療水準では,一般的な方法ではなく,全国のほとんどの病院で,動脈誤穿刺を穿刺針からの逆流血の勢い及び色によって視覚的に確認する方法がとられていた。

・※  逆流血のガス分析については,検査に時間がかかり,その間の手技を中断しなければならないので,実際的でない。

・※  圧波形分析については,通常の病院では,カテーテル挿入時の確認のために使用できるような圧波形分析器を備えておらず,被告病院においても,そのような圧波形分析器は備えていなかった。

・※  エコーガイド下でのカテーテル留置については,本件事故当時,ようやく主な大学病院で中心静脈穿刺用のエコー装置の導入が始まったころであり,それ以外の多くの病院では,そのようなエコー装置は備えていなかった。被告病院においても同様であった。

・※  説明義務違反の有無

(原告の主張)

B医師及びC医師は,カテーテルによる血液透析の方法として,カテーテルを内頸静脈に挿入する方法と大腿静脈に挿入する方法があること,内頸静脈に挿入する方法を選択した場合,動脈誤穿刺を100パーセント回避することはできないこと,その場合,頸部を切開して修復することになり,頸部に手術による醜状痕が残ることを原告に説明すべき義務があったのに,これを怠った。

B医師又はC医師が上記説明をしていれば,原告は,大腿静脈からのカテーテル挿入を強く要求したはずであるし,その場合,B医師は,大腿静脈からのカテーテル挿入を選択したと考えられる。そうであれば,動脈誤穿刺は発生しなかったし,原告の醜状痕も発生しなかった。

(被告の主張)

合併症の頻度は,頸部(内頸静脈)からのカテーテル挿入よりも,大腿部(大腿静脈)からのカテーテル挿入の方が高い。また,大腿静脈からのカテーテル挿入は,深部静脈血栓の危険性が高く,コロニー(細菌の塊)形成の頻度が高いため,大腿静脈からのカテーテル挿入は他に方法がない場合に限定するとされている。すなわち,内頚静脈からの挿入が不可能な場合を除き,内頚静脈から挿入することが第1選択とされているのであって,原告の希望にかかわらず,B医師が内頚静脈からのカテーテル挿入を選択すべきことは当然であった。

したがって,C医師及びB医師には,カテーテルの挿入につき,内頚静脈からの挿入と大腿静脈からの挿入の2通りの選択肢があることを説明すべき義務はなかった。

また,合併症について説明すべき内容,程度は,それが生じうる頻度や患者の状況に応じて,一定程度医師の裁量により決定されるというべきところ,内頸静脈からカテーテルを挿入した場合に,動脈誤穿刺及びカテーテルの誤挿入を起こして外科的手術まで必要となる可能性は極めて低かったから,C医師及びB医師には,原告主張のような説明まですべき義務はなかった。

・※  損害

(原告の主張)

被告病院の医師の過失の結果,原告は,次の損害を被った。

ア 慰謝料 1000万円

原告は,右総頸動脈縫合の手術を受けることを余儀なくされ,術後に右頸部に長さ10センチメートル程度の醜状痕が残り,精神的苦痛を被った。また,被告病院の医師から,カテーテル挿入について十分な説明を受けることができなかったとの思いを抱いている。これらの精神的苦痛を慰謝するには1000万円が相当である。

イ 弁護士費用 30万円

(被告の主張)

争う。

第3当裁判所の判断

1  カテーテル誤挿入の過失の有無について

・※  証拠(乙B7,証人B)によれば,B医師は,次の手順で,内頸静脈からのカテーテル挿入を実施したことが認められる。

ア  試験穿刺の際,頸部の動脈は静脈と並んで位置しているので,左手で頸動脈に触れ,針の先端が到達しないように頸動脈の走行を確かめながら穿刺を行った。

イ  試験穿刺により血液の逆流が認められたので,試験穿刺を終了し,針を抜いた。

ウ  試験穿刺の感覚をもとに本穿刺を行った。本穿刺用針を刺し,血液の逆流が確認できたため,数ミリ針全体を進め,内筒を抜き,外筒を通して返ってくる血液の勢いが弱く,色も黒ずんでいたことから静脈血であると判断し,ガイドワイヤーを挿入し,外筒を抜いた。

エ  次に,ダイレーターを使用して穴を拡げた。

オ  その後,カテーテルをガイドワイヤーに沿って通常の長さまで血管内に挿入した。ガイドワイヤーを抜き,引き続きカテーテルの芯の部分を引き抜いたところ,突然逆流血が噴出した。

カ  B医師は,内科医として約17年の経験を有し,静脈へのカテーテル留置について100例以上の経験を有しており,本件で行ったと同様の方法で実施してきたが,動脈誤穿刺を経験したのは初めての経験であった。

・※  証拠(乙B1)によると,次の事実が認められる。

ア  一般に,血液透析のためのカテーテル挿入に当たり,動脈に誤穿刺することは避けることのできない合併症と理解されている。

イ  名古屋大学医学部付属病院が作成した「中心静脈カテーテル挿入マニュアル(乙B1)によると,中心静脈へカテーテルを留置す」るために,内頸静脈や大腿静脈から穿刺するが,その際に動脈誤穿刺が発生する割合は,内頸静脈の場合は,6.3パーセントから9.4パーセント,大腿静脈の場合は,9.0パーセントから15.0パーセントとされている。

・※  外部から内頸静脈の位置を確認できないこと,内頸静脈の直近に総頚動脈があること,血管の太さや位置は個体差があること等の事実に鑑みると,内頸静脈への穿刺の際に,誤って総頚動脈に穿刺することはあり得ることであって,それ自体は,医師が注意を尽くしても避けることのできない合併症というべきである。そこで,医師としては,カテーテルの挿入手技に入る前に,動脈誤穿刺を起こしていないことを確認する注意義務があるのであって,本件においても,B医師は,本穿刺用針の逆流血を確認して,静脈血であると判断したのである。結果的にはその判断が誤っていたのであるが,逆流血の勢いと色による判断は,それ自体主観的で,勢いについては,針が刺入された位置や深さ,色については,患者の体調等による影響もあり得るから,確実なものではあり得ず,この判断の誤りもやむを得ないといわなければならない。

・※  ところで,原告は,B医師は,逆流血の確認だけではなく,①逆流血のガス分析、②圧波形分析、③エコーガイド下でのカテーテル留置の方法をとって,動脈誤穿刺を防ぎ,あるいはカテーテル挿入前に動脈誤穿刺に気付くべきであったと主張するので検討する。

ア  証拠(乙B7,証人B)によると,①の方法によるとすると,本穿刺針の外筒だけが血管に刺入されている状態で,外筒内の血液を採取して,ガス分析器まで持参し,検査する必要があり,本穿刺針の外筒だけが血管に刺入されている状態で検査結果を待つこととなるが,その間に,外筒が抜けて出血する危険があることが認められるから,①の方法が実際の医療現場で有用な方法とはいえず,B医師がこの方法をとらなかったことが過失とは評価できない。

イ  ②の方法によるためには,圧波形分析器が,③の方法によるためには,血管穿刺専用のエコー装置が必要であるが,証拠(乙B7,証人B)によると,本件事故当時,被告病院においては,これらの機器が備え付けられていなかったこと,本件事故当時,これらの機器が備え付けられていたのは,一部の大病院に限られていたことが認められる。そうすると,本件事故当時,B医師は,②③の方法を採り得なかったものであるし,圧波形分析器や血管穿刺専用のエコー装置を備え付けていなかった被告病院において,血液透析のためのカテーテル挿入を実施したこと自体が過失であるとも言い難い。

・※  以上の検討の結果によれば,B医師がカテーテルを被告の総頚動脈に誤挿入したことについて,B医師に過失があったと認めることはできない。

2  説明義務違反の有無(争点・※)について

・※  証拠〔証人C,証人B,証人D,原告本人,甲A1,甲A2,乙A2(13頁),乙B7,乙B11〕によれば,本件説明の具体的内容等について,次の事実が認められる。

ア  C医師は,本件説明の際,原告の頸部と大腿部を触診しつつ,原告に対し,透析にはシャントが必要であるが,原告にはシャントがないので,透析用のカテーテルを挿入する必要があること,挿入は首か足の血管から行うこと,普通は首から行うこと,挿入の際に血管を傷つけて出血したり,挿入の際に感染症や血栓を起こす可能性があること等を説明した。(乙A2(13頁))

イ  原告は,以前,心臓のバイパス手術を受けた際に首からのカテーテル挿入術を受けた経験があり,首からの挿入につき恐怖感を抱いていたため,C医師の上記説明を聞き,「首からは嫌や」と言ったが,当時原告の声がかすれていたこと,声の調子が弱かったこと等から,C医師はこれに気付かないまま,原告の病室から退室した。

ウ  B医師及びC医師は,血液透析用カテーテルの挿入は,特段の事情のない限り,内頸静脈から行うこととしていた。C医師は,原告に本件説明をした後,原告から特段の希望表明がなかったこと,触診の結果等から内頸静脈からの挿入を避けるべき特段の事情はないと判断し,B医師に対しては,原告に対する説明結果の報告をしなかった。B医師は,C医師から,特段の報告がなかったため,内頸静脈からの挿入を避けるべき特段の事情がないものと考え,原告の内頸静脈からカテーテルを挿入することとした。

エ  原告は,自らの「首からは嫌や」との発言に対するC医師の反応がなかったが,発言内容はC医師の耳に届いていると考えていたので,カテーテル挿入を足からして貰えるものと考えていた。透析室に入室した原告は,B医師から首の位置について指示を受けたことから,B医師が原告の頸部からカテーテルを挿入しようとしていることを察し,「えー,首からするんですか。」と尋ねた。B医師は,これを首からの挿入を嫌がる趣旨の発言とは理解せず,「首からするのが通常です。」と答えた。原告は,「何を言うてもあかんわ。」と思い,それ以上の発言はしなかった。

・※  証拠(乙B1,9,10)によると,血液透析用カテーテルを挿入する部位に関し,次の事実が認められる。

ア  日本透析医学会雑誌(平成17年9月号)には,社団法人日本透析医学会が策定した「慢性血液透析用バスキュラーアクセスの作製および修復に関するガイドライン」が搭載されているが,短期型バスキュラーカテーテル留置について,右内頸静脈アプローチがもっともよく,それが何らかの理由で不可能な場合,大腿静脈アプローチとする旨,感染の観点からは,内頸静脈から留置したほうが大腿静脈からよりも危険性が少ない旨がそれぞれ記載されている。

イ  名古屋大学医学部付属病院では,中心静脈へのカテーテル挿入についてマニュアルを作成しているが,これによると,穿刺部位としては,内頸静脈,鎖骨下静脈,大腿静脈,肘静脈があるが,手術室やICUで行う場合は,アクセスの良さ,穿刺時の重篤な合併症の少なさから内頸静脈が第1選択とされている。また,動脈穿刺を含む機械的合併症の発生率は,内頸静脈が6.3ないし11.8パーセントであるのに対し,大腿静脈は,12.8ないし19.4パーセントであるとのデータが紹介されている。更に,内頸静脈へのカテーテル挿入例1021例中,動脈穿刺を起こしたのが43例,そのうち動脈誤穿刺の確認方法として逆流血の勢いと色の確認の方法をとったときに,カテーテルの誤挿入まで至ったのは5例であったとのデータも紹介されている。

ウ  国立大学医学部附属病院感染対策協議会病院感染対策ガイドライン(平成14年2月策定)には,カテーテル挿入部は,手術場やICUでは内頸静脈を第1選択とするべきこと,大腿静脈からのカテーテル挿入は,内頸静脈穿刺等の上大静脈系への挿入よりも深部静脈血栓症の危険が高いこと,刺入部が陰部に近くなるので刺入部の清潔性を保つことが難しく,カテーテルのコロニー形成の頻度が高いこと等から,他に方法がない場合に限定する旨の記載がある。

・※  以上の事実に基づいて検討する。

ア  カテーテルを静脈から挿入するに当たって,挿入が可能な静脈が複数ある場合,即ち,挿入する静脈に応じて複数の方法がある場合において,いずれの方法をとるかによって,予想される合併症の内容,危険性の程度等が異なるときは,医師としては,患者に対し,その合併症の内容,危険性の程度等を説明した上,いずれの方法を採用するかについて,患者に自己決定の機会を与える義務があるというべきである。

イ  ・※の事実によると,血液透析用カテーテルの内頸静脈からの挿入及び大腿静脈からの挿入には,合併症の内容,危険性の程度等について違いがあるし,いずれの方法をとっても,動脈への誤挿入の危険があり,その場合,外科手術を余儀なくされる可能性があるところ,とりわけ女性にとっては頸部に醜状痕が残ることは精神的な負担となることであるから,原告に対する説明を担当したC医師としては,内頸静脈から挿入するか,大腿静脈から挿入するかについて,各方法を採用したときに予想される合併症の内容,危険性の程度等を具体的に説明した上,原告に自己決定の機会を与えて結論を出すべきであったということができる。もとより,・※で認定した事実によれば,臨床医学の実践においては,内頸静脈からの挿入が第1選択とされているというべきであるから,医師としては,特段の事情のない限り,内頸静脈からの挿入を強く勧めるのが相当であるが,それでも何らかの理由で患者が大腿静脈からの挿入を希望する場合は,臨床現場において,その方法も相当な治療方法として認められている以上,医師としては,患者の希望を尊重するべきものであると考えられる。

ウ  しかるに,C医師は,原告に対し,カテーテルの挿入を首から行う場合と脚から行う場合があること,普通は首から行うこと,合併症の内容等を説明したが,首から行った場合と脚から行った場合の合併症の内容や危険性の違いを説明せず,首から行うか脚から行うかについて原告の希望を聴取せず,触診の結果も踏まえ,B医師によって内頸静脈からカテーテル挿入が行われることを十分予想しながら,その結論を示すこともなく,説明を終わったのである。原告としては,希望を述べることを求められれば,改めて自己の希望を表明したであろうし,首からカテーテル挿入をする旨の説明を受ければ,これに同意できない旨の意見を述べたと考えられる。しかるに,原告は,これらの機会を与えられなかったのであるから,C医師は,原告が自己決定をする機会を与える義務を怠ったといわざるを得ない。

なお,B医師は,原告に対し,内頸静脈から挿入する旨の結論を伝えたが,血液透析が開始される直前のことであって,原告としては,もはや自己の希望を述べづらい状況であったということができるから,これによって,原告が自己決定する機会が与えられたとは評価できない。また,B医師が,透析室における原告の発言を首からの挿入を嫌がる趣旨の発言と理解しなかったのはやむを得ないというべきである。

3  損害(争点・※)

以上のとおり,C医師は,説明義務に違反したというべきであるので,これによって原告が被った損害について検討する。

・※  原告は,被告医師が説明義務を尽くしていれば,原告は,内頸静脈からのカテーテル挿入に同意することはなかった旨主張する。しかしながら,原告が内頸静脈からのカテーテル挿入を嫌がった理由が,単なる恐怖感であって,合理的な理由ではなかったこと,「首からは嫌や」という発言に対してC医師の反応がなかったのに,C医師に更なる確認をしなかったこと,B医師に対しても,「首からするんですか」と聞いただけで,B医師が首からする意思であることを理解しながら,結果的にこれを容認したこと等の事実に照らすと,C医師が,内頸静脈からのカテーテル挿入と大腿静脈からのカテーテル挿入について,予想される合併症の内容,危険の程度等を具体的に説明して説得した場合,それでも,原告が,最終的に内頸静脈からのカテーテル挿入に同意しなかったとは考えがたい。

また,仮に,原告がC医師から上記説明を受けても,内頸静脈からのカテーテル挿入に同意しなかったと認めるべきであるとしても,B医師が採用した内頸静脈からのカテーテル挿入は,臨床現場において第1選択とされていて,大腿静脈からの挿入よりも合併症の危険性は低いとされている治療方法なのであるから,これによった結果,結果的に,避けることができなかった合併症のため,原告に右頸部醜状痕が残ったとしても,医師の説明義務違反と原告に上記醜状痕が残ったこととの間に相当因果関係を肯認するのは困難である。

・※  しかしながら,原告が身体に対する侵襲を受けながら,その方法について自己決定の機会を与えられなかったことによる精神的苦痛は,独立して法的保護の対象となるというべきであり,これを慰謝するための金額は,本件に現れた諸般の事情を考慮すると,金20万円をもって相当と認められる。

また,本件訴訟の性質,内容,経過,認容額等を考慮し,C医師の説明義務違反行為と相当因果関係のある弁護士費用としては,金5万円が相当である。

4  以上の検討の結果によれば,原告の請求は,被告に対し,不法行為による損害賠償として25万円及びこれに対する不法行為の日である平成18年4月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容すべきであり,その余は失当として棄却すべきである。

なお,認容金額に照らし,仮執行の宣言は必要がないから付さない。

(裁判長裁判官 井戸謙一 裁判官 土井文美 裁判官 大川潤子)

<編注:『※』部分は原文のとおり。>

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