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京都地方裁判所 平成19年(行ウ)24号 判決 2011年2月01日

主文

1  本件訴えのうち,処分行政庁に対し,原告が平成14年8月1日付けで申請した公務災害認定請求について,地方公務員災害補償法による公務災害認定の義務付けを求める部分を却下する。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  処分行政庁が原告に対し平成17年12月15日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外災害認定処分を取り消す。

2  処分行政庁は,原告に対し,平成14年8月1日付けで申請した公務災害認定請求について,地方公務員災害補償法による公務災害と認定せよ。

第2事案の概要

本件は,平成10年12月12日に自殺した京都市の教職員Aの妻である原告が,Aの死亡は公務に起因するうつ病による自殺であると主張して,処分行政庁が原告に対して平成17年12月15日付けでした地方公務員災害補償法による公務外災害認定処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求めるとともに,Aの死亡に係る公務災害認定請求について,同法による公務災害認定処分の義務付けを求める事案である。

1  前提事実(争いがないか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1)  Aは,昭和53年4月1日,京都市に教職員として採用され,平成9年4月1日から京都市立a中学校(以下「a中学校」という。)に数学担当の教員として勤務していた。

Aは,平成10年12月12日午前6時ころ,縊死により自殺した。

(2)  原告は,Aの妻であり,京都市立b養護学校に勤務している。Aには長女B(昭和56年○月○日生まれ。),長男C(昭和59年○月○日生まれ。),次男D(昭和63年○月○日生まれ。)がおり,Bは1歳から12歳まで気管支喘息を,Cは8歳から13歳までネフローゼ症候群(以下「ネフローゼ」という。)を,Dは生まれつき唇裂口蓋裂を患っていた。(甲2,乙5の6)

(3)  原告は,Aの死亡が公務に起因すると主張して,平成14年8月1日,処分行政庁に対して公務災害認定請求を行い,処分行政庁は,平成17年12月15日付けで,Aの死亡を公務外と認定し(本件処分),同月23日,原告に通知した。(甲3,4)

(4)  原告は,本件処分を不服として,平成18年2月14日付けで,地方公務員災害補償基金京都府支部審査会に対して審査請求を行い,同審査会は,同年9月29日付けで,上記審査請求を棄却する裁決をした。(甲5)

(5)  原告は,上記裁決を不服として,平成18年11月1日付けで,地方公務員災害補償基金審査会に対して再審査請求を行い,同審査会は,平成19年6月18日付けで,再審査請求を棄却する裁決をした。(甲55,56)

2  争点

地方公務員災害補償制度において,災害(負傷,疾病,障害又は死亡)が公務上の災害と認められるためには,職員が公務に従事し,任命権者の支配管理下にある状況で災害が発生したこと(公務遂行性)を前提として,公務と災害との間に相当因果関係があること(公務起因性)が要件とされるところ,本件の争点は,Aの死亡に公務起因性が認められるか否かであり,当事者の主張は以下のとおりである。

(原告の主張)

(1) 公務起因性の判断基準について

ア 労働基準法75条以下に定められている労働者災害補償制度は,労働災害によって生活の危機にさらされる労働者本人とその家族に対して生活保障を行うこと(憲法25条が保障する生存権)を目的とする制度である。地方公務員災害補償法(以下「法」という。)もこれと趣旨を同じくする制度であるから,同法における公務起因性の判断もこのような制度趣旨に基づいて判断されるべきである。

イ 地方公務員災害補償制度において,遺族補償の対象にできるのは,「職員が公務上死亡した場合」(法31条)であり,この公務起因性が認められるためには,当該負傷又は疾病と公務との間に条件関係に加え,「相当因果関係」が必要とされる(最高裁第二小法廷判決昭和51年11月12日・判例時報837号34頁参照)ところ,相当因果関係の存否は,上記制度趣旨に照らせば,公務遂行を唯一の原因ないし他の原因と比べて相対的に有力な原因とする必要はなく,傷病原因のうち,公務が相対的に有力な原因であることを要し,かつ,これで足り,相対的なものである以上,他に競合(共働)する原因があり,それが同じく相対的な有力原因であったとしても,相当因果関係の成立は妨げないと解するべきである(共働原因説)。

特に精神疾患は,単一の病因ではなく,素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因が関与し,環境からくるストレスと個体側の反応性,脆弱性の相関関係で精神的破綻が生じて発病するもので,①業務による心理的負荷,②業務以外の心理的負荷,及び③個体側要因が競合(共働)しており,この3つの要因を切り離していずれが有力かを判断することは不可能であるから,上記労働者災害補償制度の趣旨からすると,上記判断基準によることが相当である。

ウ また,公務過重性判断における心理的負荷の有無,強度については,上記労働者災害補償制度の趣旨に照らせば,「被災職員と職種,職等が同程度の職員」を基準とすることは,そのような「一般人ないし平均人」を想定することが不可能である上,あまりに救済の幅を狭めることになるので相当ではなく,被災職員本人が出来事をどのように受け止めたかによって判断するべきである(本人基準説)。

(2) 本件について

ア 本件において,Aは,1年ぶりに,平成10年4月から担任となり意欲を持って臨んだが,受持ちクラスの男子生徒が不登校となってしまったこと,受持ちクラスに問題行動の改まらない女子生徒がおり,同クラスの他の女子生徒にも影響を与えるなどクラス運営に困難な問題が生じるようになったこと,同年4月に正規の部活動である剣道部の顧問になったほか,バスケットボール同好会を立ち上げたものの,正規の部活動ではなかったため,練習時間や練習場所の確保,生徒の費用負担のために相当の苦労を強いられたこと,長時間労働(校内における時間外勤務,教材・プリント類のパソコンによる作成やテストの採点など自宅への持ち帰り残業,バスケット同好会指導のための土・日出勤等)による肉体的精神的疲労とストレスが蓄積したことが原因で,同年6月ころに軽度のうつ状態を発症するに至った。

さらに,Aは,同年8月ころにはうつ病が悪化していたのに,その後も,同年9月の体育大会前に骨折した受持ちクラスの男子生徒の父親がやくざのような人であったり,同年10月の文化祭にクラス単位で出品するモザイク画の不具合をやり直したり,問題行動のある女子生徒が生徒会役員選挙に立候補したりなどしたため,困難な職務と長時間労働を継続することになり,同年10月28日までは年休をとって精神科を受診することもできず,肉体的精神的疲労とストレスをさらに蓄積させてうつ病を一層悪化させ,同年12月12日に自殺するに至った。

この間の超過勤務時間は,別紙1の月別超勤時間のとおりであり,その詳細は別紙2の被災前の勤務実態のとおりである。

このように,Aの公務遂行とうつ病発症との間には相当因果関係があり,同人の死亡には公務起因性が認められる。

イ なお,Aの性格について,被告は,真面目で几帳面,責任感が強いという性格的傾向にあり,「メランコリー親和型」であったことが,うつ病の発症に相当程度影響していたと主張するが,このような性格的傾向とうつ病発症との具体的な関連性については何の根拠もない。

また,Cのネフローゼは,Aがa中学校に赴任した平成9年以前のことであるし,平成9年度,Aにはうつ病の発症を示す徴候がなく,Cのネフローゼは,Aに精神疾患を発症させるようなストレスにはなっていなかった。

さらに,その他,Aのうつ病発症の原因となるような家庭内の事情もなく,Aのうつ病はもっぱら公務遂行に起因するものである。

(被告の主張)

(1) 公務起因性の判断基準について

ア 被用者の業務の遂行は,使用者の支配管理下において行われ,その利益は使用者に帰属するものであるのに対し,その行う業務には多かれ少なかれ各種の危険性が内在しており,使用者の支配管理下に置かれる被用者には,その危険性を回避することが困難な場合もある。そこで,業務に内在する危険性が現実化して被用者が負傷し又は疾病に罹った場合には,使用者に何らの過失がなくても,その危険性の存在ゆえに使用者がその危険を負担して損失補償に当たるべきであるとする趣旨から,労働基準法75条以下に労働者災害補償制度が設けられた(企業危険説)。地方公務員災害補償制度もこれと趣旨を同じくする。

イ そして,そのような地方公務員災害補償制度の趣旨に照らせば,疾病に係る公務起因性の判断は,疾病を発症させたと考えられる種々の原因のうち,公務が相対的にみて有力な発症原因と認められる場合に限り,公務上の疾病と認められるというべきである(相対的有力原因説)。

ウ また,公務に関連して精神疾患を発症し,自殺に至ったとして公務災害認定を請求されたものについては,精神疾患が,地方公務員災害補償法施行規則別表第1第8号及び「公務上の災害の認定基準について」(平成15年地基補第153号。以下「認定基準」という。)の記の2(3)キの「公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病」と認められ,さらに,死亡が認定基準の記の3の「公務上の疾病と相当因果関係をもって生じたことが明らかな死亡」に該当する必要があるところ,具体的には,「精神疾患に起因する自殺の公務災害の認定について」(平成11年地基補第173号。以下「自殺認定基準」という。)により判断する。自殺認定基準の考え方は以下のとおりである。

(ア) 自殺が公務上の災害と認められる場合

自殺の原因としては公務に関連するものの他に,傷病苦,経済問題,被災職員又は家族等に係る事故・事件の発生,うつ病・統合失調症病等の精神疾患,アルコール依存症,家庭問題,異性問題,交友関係等が考えられ,被災職員の性格等種々の要因も影響する。

このため,精神疾患に起因する自殺が公務上の疾病と相当因果関係をもって生じたことが明らかな死亡として公務起因性が認められるためには,以下の①又は②のいずれかに該当し,かつ,被災職員の個体的・生活的要因が主因となって自殺したものではないこととされている。

① 自殺前に,公務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にし得る異常な出来事・突発的事態に遭遇したことにより,驚愕反応等の精神疾患を発症していたことが,医学経験則に照らして明らかに認められること。

② 自殺前に,公務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にし得る異常な出来事・突発的事態の発生,又は行政上特に困難な事情が発生するなど,特別な状況下における職務により,通常の日常の職務に比較して特に過重な職務を行うことを余儀なくされ,強度の肉体的過労,精神的ストレス等の重複又は重積によって生じる肉体的,精神的に過重な負担に起因して精神疾患を発症していたことが,医学経験則に照らして明らかに認められ,精神疾患の症状が顕在化するまでの時間的間隔が,精神疾患の個別疾病の発生機序等に応じ,妥当と認められること。

(イ) ここに,「強度」の肉体的過労,精神的ストレス等の有無については,

判断の明確性,災害補償の範囲を公平の見地から合理的かつ妥当な範囲に限定するという労働者災害補償制度の趣旨に照らせば,被災職員本人が出来事をどのように受け止めたかではなく,被災職員と職種,職等が同程度の職員との対比において,同様の立場にあるものが一般的にはどう受け止めるかという客観的な基準によって評価する必要がある(一般人基準説)。なぜなら,被災職員本人を基準として判断すべきという考え方によれば,一般人にとってはそれほど強度ではない公務であっても,結果的に当該被災職員が公務遂行中に精神疾患を発症すれば,当該被災職員にとっては強度のストレスであったということになり,その判断は極めて曖昧かつ恣意的なものとならざるを得ず,適正かつ公平な制度運用ができなくなるからである。

精神疾患発症の原因は,様々な肉体的疲労,精神的ストレス等とそれを受け止める個体の脆弱性,反応性の2つの要素が常に複雑に絡み合っていると理解されているが,公務起因性の判断においては,それらの要因の中で,いずれが主要な因子であるかを判定することが求められるものである。しかしながら,個体の脆弱性については,客観的に評価することが困難であるところ,客観的にさほど大きなストレスではないにもかかわらず,当該個体に精神疾患が発症した場合には,その主因は本人の脆弱性にあると結論せざるを得ない。

(ウ) 精神疾患に起因する自殺が公務上の災害と認められる場合の要件については,異常な出来事・突発的事態に遭遇したことにより発症する可能性のある驚愕反応等の精神疾患は,医学経験則上,異常な出来事・突発的事態との遭遇の直後又は数日以内に発症するものとされているが,心因性,反応性等の精神疾患は,過重な肉体的,精神的負担を相当長期間受け続けた後に発症する例が多いとされている。したがって,精神疾患発症の機序に鑑み,自殺の直前から6か月程度における事情を調査するのが相当である。

なお,自殺前の精神疾患発症の時期が,自殺前における医師の診断,診療により明らかである場合又は医学的に推定される場合には,当該精神疾患発症時期の直前から6か月(特別な事情が認められる場合は1年)前程度まで遡って調査を行うのが相当である。

(2) 本件について

ア Aは,平成10年6月ころに「うつ病」を発症していたものと認められる。

イ 本件において,Aが自殺前に公務に関連して驚愕反応等の精神疾患を発症させる可能性のある異常な出来事,突発的事態に遭遇したとの事実は見当たらない。

ウ 不登校であった男子生徒及び問題行動が目立つ女子生徒への指導,骨折した男子生徒の父親への対応等,問題を抱えた生徒の指導や保護者の対応は,教員であれば誰しも体験し得るものであるし,Aが,a中学校に赴任する以前,問題行動を起こす生徒を積極的に担任し,生徒指導において優れた能力を発揮していたことからしても,過重な公務であったということはできない。

また,文化祭直前のモザイク画作成指導についても,一時的な作業であって過重であるとはいえない。

エ Aが20年間バスケットボールの指導に生き甲斐を感じていたこと,バスケット同好会を立ち上げたことで張り切っていたことからすれば,バスケットボール同好会の指導は,Aにとって精神的負担となるものではなく,むしろストレスを解消する「生き甲斐」であったと思われる。

また,剣道部においては,指導は行わず,試合等の引率のみを行うに過ぎないのであることから,通常の公務に従事するような精神的,肉体的負担はないから,勤務時間のみによって過重性を判断することは相当ではない。

オ 勤務時間

(ア) 平成9年10月から平成10年10月までのAの平日の退勤時間は午後6時ころであり,休日の勤務についても,すべてがバスケットボール同好会や剣道部の指導に関するものであるし,時間的にも1か月当たり4~27時間程度であるから,これらの休日出勤が,Aに精神疾患を発症させるほどの肉体的に過重な負担を及ぼしたものとは考えられない。

(イ) また,自宅における作業は,一般的に任命権者の支配管理下になく,任意の時間,方法で行うことが可能で,私的用務に要した時間と作業に要した時間とを特定することも困難であるから,原則として勤務公署における時間外勤務と同等に評価されるものではなく,職務が繁忙であり自宅で作業をせざるを得ない諸事情が客観的に証明された場合について,例外的に,発症前に作成された具体的成果物に基づき,付加的要因として評価されるものである。Aについては,午後6時ころ退勤しており,過重な職務の割当てにより,自宅において作業せざるを得なかった事情は認められない。

カ Aが,昭和53年4月以降,教師として20年以上の勤務経験を有していたことなどの事情も考慮すると,上記ウ~オ記載の業務が,Aに精神疾患を発症させるほどの過重な負担を及ぼしたものとは考えられず,うつ病の発症前後において,公務の過重性は認められない。

キ Aは,いわゆるメランコリック(メランコリー親和型)であり,このような性格的傾向が精神的負担を増大させ,うつ病の発症に相当程度影響したものと考えられるとともに,うつ病発症当時,Aは家庭の問題についても悩んでおり,うつ病発症の大きな要因となったものと考えられる。

ク 以上より,Aの公務遂行とうつ病の発症との間には相当因果関係はなく,公務起因性は認められない。

第3争点に対する判断

1  前提事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)  平成9年度までの状況

ア Aは,昭和53年4月に京都市立学校教諭に採用され,以下の学校において勤務した。(甲6)

昭和53年4月1日~ c養護学校

昭和54年4月1日~ d中学校

昭和56年4月1日~ e中学校

昭和60年4月1日~ f中学校

昭和63年4月1日~ g中学校

平成7年4月1日~  h中学校

平成9年4月1日~  a中学校

イ Aは,原告と昭和54年3月29日に結婚し,結婚後も共働きで生計を立てていた。Aは,結婚直後の同年4月1日にd中学校に異動となったが,帰宅時間は早くて午後10時で,遅ければ深夜に及ぶ日もあった。

昭和56年にBが生まれ,同年4月にAはe中学校に異動となった。e中学校では,困難な生活指導を経験し,日常的に帰宅時間も深夜に及んでいた。また,バスケット部の顧問となり,休日も出勤して熱心に技術指導をし,同部を全国大会に出場させるなどした。

Aは,その後異動したf中学校,g中学校及びh中学校においても,問題行動の多い生徒のクラスを積極的に担任するなどして生徒指導に力を入れるとともに,バスケットボール部の顧問を務め,自ら技術指導を行っていた。(甲51)

ウ Bは1歳から12歳まで気管支喘息を,Cは8歳から13歳までネフローゼを,Dは生まれつき唇裂口蓋裂をそれぞれ患っており,各人においてそれぞれ長期ないし短期の入院,手術,通院,自宅療養などが必要であった。しかし,Aは,平成9年度までは「中学校教師は授業にアナを空けたら取り返しに大変で休むことが難しい。」と言って,子供らのために授業を休むことはなく,夕食の時間(午後7時半ころ)までに帰宅することもほとんどなかった。また,休日や長期休暇中もバスケットボール部指導のために出勤し,部活動ができない年5日間程度を除き,Aが日曜日に自宅にいることはほとんどなかった。(甲51,107,乙5の6)

エ Cは,平成4年(小学校2年生)にネフローゼを発症し,平成6年ころにほぼ快復したが,平成7年(小学校5年生)に学校行事が原因で再発し,小学校を長期欠席せざるを得なくなった。

平成9年4月ころ,Cのネフローゼは快復傾向にあり,通院しながら通学することができるようにはなっていたものの,なお治療のためプレドニン投与を継続し,運動及び食事を制限されている状態であり,通院及び通学には自家用車及び車いすでの送迎を要した。かかる送迎には,原告及び原告の両親の協力を受けることができたが,Aは,平成9年度の異動に際し,Cの看護に協力するため,普通中学校よりは休暇が取得しやすい養護学校勤務を希望した。もっとも,上記異動希望はかなわず,Aは,平成9年4月1日にa中学校に赴任することとなった。

オ Aは,Cのネフローゼ再発の原因が,当時Cが通っていた小学校の連絡不行き届きにあったことや,長期欠席中にプリントが届かない,在宅学習保障が不十分であることなどについて,同小学校や教育委員会に苦情等を訴えるなどし,弁護士に法律相談もしていた。(甲51,原告本人)

(2)  平成9年度におけるAの勤務状況

ア Aは,平成9年4月1日にa中学校に赴任することとなった。Aは,着任の際,当時同校の教頭であったE(平成10年度は同校校長となった。)に対し,Cのネフローゼの治療のため,通勤途中にCを病院に連れて行ったり,検尿を届ける必要があるから,学級担任ではなく副担任にして欲しいとの申し出をした。かかる申し出を受けて,Eは,当時の同校校長と相談をし,Aを平成9年度の学級担任から外し,1年生2学級の副担任とした上,週21時間の1年生の数学の授業,生徒会安全委員会指導,特別活動主任等の職務に従事させた。

Aは,平成9年度,Cの通学及び通院の送迎等のため,1~3時間程度の時間休を,別紙3のとおり,頻繁に取得した。(甲17,19,25,33,乙8,証人E)

イ 平成10年4月ころ,Cは,通学しながら定期的に通院し,運動,食事制限をしながら徐々にプレドニンの服用回数を減らしている状態であった。また,平成10年度に入るころには,1人で一般公共交通機関を利用して通院,通学ができる程度に快復しており,送迎の回数も減っていた。(甲51,107,証人B,原告本人)

ウ Aは,平成9年度の終わりころ,Eに対し,「子供の状態もよくなったので,いつまでも副担任では心苦しいため担任を持たせて欲しい。」との申し出をし,Eは,かかる申し出を受けて,平成10年度,Aに2年1組を担任させることとした(以下,平成10年度のa中学校2年1組を単に「2年1組」という。)。(乙8,証人E)

(3)  平成10年度におけるAの担当業務

ア 学級担任としての業務

Aは,平成10年4月から2年1組の担任を受け持ち,週各1時間の学級指導,道徳指導の他,家庭訪問,教育相談,保護者懇談会,体育大会,文化祭などの学校行事における学級指導,学級通信の発行(Aは,定期的(月に1~2回)に「○○」という学級通信を作成し,担任学級の生徒らに配布していた。)などの業務を行っていた。(甲28,29,46,50,112,証人F)

イ 数学科担当教員としての業務

平成10年度,a中学校には,科目別では最も多い5名の数学教員が在籍しており,Aは,3年生の数学の選択授業を週に2時間,2年生の数学の授業を16時間担当していた。なお,2年生の数学担当教員としては,他にGがおり,平成10年度における他の科目の教員は,英語が3名,国語が4名,社会が3名,理科が4名おり,その担当時間は,英語が週20~24時間,国語が週19~21時間,社会が週19~20時間,理科が週17~20時間であった。(甲26,27,34,108,証人G)

ウ その他の校務分掌

Aは,平成10年度の校務分掌として,研究部の特別活動主任をしていた。特別活動とは,学級活動,生徒会活動,学校行事等であり,各学年にはそれぞれ1名ずつの特別活動係の教員がおり,学年の特別活動の時間の年間計画を作成し,指導案を作成するなどの業務があった。平成10年度,Aは2年生の特別活動係であり,特別活動の計画,立案をし,各学年における特別活動係からの計画,立案の集約,調整をする担当であったが,日程や行事等は前年度に既に決まっており,白紙の状態から立案するものではなく,計画の具体的な作業に向けた下準備や調整等をしていた。(甲28,30,乙6)

また,Aは,平成10年度の校内委員会組織として,特別指導委員会の委員長をしていた。特別指導委員会とは,前記特別活動について,「校長,教頭を含む広い範囲のメンバーで考えていく会」ということで設置されているが,実質的には開催されていない。委員長は特別活動主任が兼ねることになっており,Aは,パソコンで月別の特別活動指導計画表(甲65)を作成して,その活動内容や評価の観点を各教師に指示するなどしていた。

Aは,その他,教育課程委員会,性教育委員会,生涯学習委員会,健康教育委員会に所属していたが,当時開催されていたのは,性教育委員会の会合1回のみで,これに関しての業務はほぼすべて保健主事が行っていた。(甲28,乙6)

エ a中学校では,各教諭はそれぞれ部活動の顧問を受け持つことになっており,平成10年度,Aはバレー部と剣道部の顧問を担当していた。もっとも,Aは,それらの部活動の指導は担当しておらず,公式戦の申込みや試合の引率,胴着の保管指導,他の部との練習時間や練習場所の調整等のみを担当していた。(乙6,8)

(4)  勤務時間

a中学校における勤務については,タイムカード等により管理されておらず,Aの正確な勤務時間は不明であるところ,原告は,平成10年4~10月のAの時間外勤務が別紙1及び2記載のとおりであると主張する。別紙2に記載されたAの勤務実態は,①平成10年度学校日誌(甲63),②平成10年度4~10月行事予定表(甲50),③平成10年度職員会議録,④出勤簿(甲18),⑤平成10年度特殊勤務手当実績簿(甲21),⑥体育館の使用予定表,⑦Aが保存していた「たより」その他プリント,パソコンのデータ,同僚の供述等に基づき作成されたものであり(甲96の1及び2),概ね信用できるが,下記ア~エに照らし,一部修正し,別紙4記載のとおり,4月は66時間20分,5月は87時間10分,6月は80時間10分,7月は90時間20分,8月は31時間30分,9月は90時間20分,10月は82時間10分の各時間外勤務があったものとするのが相当である。

ア 平日の勤務時間

(ア) 平成9,10年度におけるa中学校における勤務時間は,月曜日から金曜日は,午前8時25分~午後0時10分,午後0時55分~午後5時10分(うち,休息時間30分)であり,奇数週の土曜日の勤務時間は,午前8時25分~午後0時25分(うち休息時間15分)である。Aのa中学校への通勤には,片道約8.2kmをバイクで約25分要した。(甲5,22,23)

(イ) Aは,平日はほぼ毎日午前8時ころには出勤していたが,公務の有無にかかわらず習慣として同時刻に出勤していたことが窺われ,午前8時25分までに行っていた公務の内容は明らかではないこと(甲51,原告本人,証人E)に照らし,午前8時から午前8時25分までは時間外勤務とはしないこととする。

(ウ) また,退勤時間については,バスケットボール同好会の練習がほとんど毎日午後5時~5時30分ころに行われていたとのLの供述(甲113を含む。),Aは通常は午後6時,遅くても7時ころには退勤していたとのEの供述(乙8を含む。)及び教頭であったHの供述(乙9を含む。),Aは通常であれば午後7時よりは早く退勤していたとのMの供述によれば,Aは,通常午後6~7時ころ,平均すれば午後6時半ころには帰宅していたといえる。そこで,退勤時間については,午後6時半以降に退勤したことの具体的証拠がある場合を除き,原則として,退勤時に午後5時10分~午後6時半の1日80分間の時間外勤務をしていたこととした。

(エ) a中学校では,月~金曜日には1~6時間目までの授業,土曜日は奇数週のみ4時間目までの授業があったところ(偶数週は休日),Aは,平成10年度4月~10月において,月曜日は2~6時間目,火曜日は1,3,4,6時間目,水曜日は1,2,4時間目,木曜日は1,2,6時間目,金曜日は2,4~6時間目に数学の授業が入っており,火曜日の1時間目には道徳が,木曜日の6時間目には学活が入っていた。なお,奇数週土曜日の3時間目には2年1組の学活,4時間目には学校の裁量で設けられるゆとりの授業を1時間担当していた。(甲24~28)

イ 休日出勤

Aが,平成10年度,剣道部及びバスケットボール同好会のために休日出勤した時間を別紙4から抽出すると,合計199時間20分となる。

そのうち,バスケットボール同好会のための休日勤務は,合計170時間30分である。(甲21)

ウ 持ち帰り残業

(ア) Aは,図形の教材やプリント等を自作で作成するなどしていたほか,当時普及し始めていたワープロやパソコンの技能を自ら習得し,試験問題,成績表,教材研究,選択授業の教科書に代わる教材,プリント等をワープロないしパソコンで作成しており,平成10年度の2年生の数学の中間試験及び期末試験の問題の作成は,すべてAが担当していた。当時Aは,数学試験問題を作成し,問題をワープロないしパソコンで打ち込むのに3~10時間を要し,6クラス分(1クラス34又は35人。A担当の4クラスと他の教員担当の2クラス分。)の問題用紙2枚と解答用紙1枚を印刷するのに約1時間,担当している4クラス分の採点に約8~12時間,日曜参観日等の準備については,指導案の作成及び教材プリントの作成に約3~5時間を要していた。(甲14,26,64~78,91~94,107,108,112,証人G,証人F)

(イ) Aは,上記ア(エ)記載の職務のうち,教科指導で必要な教材研究や教材資料,採点などを家に持ち帰って作成することがあった。(甲27,107,114,乙5の1,5の3,5の5,8,証人B,証人I,証人E)

正確な持ち帰り残業時間は不明であるため,Aのパソコンの更新履歴(甲98,99)及び成果物(甲64~82)により,作成した日時が明らかなものについては,原告主張の持ち帰り残業があったこととし,その他の持ち帰り残業については,平成18年度文部科学省委託調査研究報告(単式学級が1以上ある本校のうち,教諭が1人以上いる公立学校を対象とし,中学校については1か月分の調査当たり180校ずつ,6か月で1080校を抽出して調査したもの。)によれば,全国の中学校教員の平均的な持ち帰り残業時間が,平日約17分,休日約1時間31分であること(甲100),Aは平成7年ころにパソコンを購入しており,3年以上の使用経験があることから,平成10年度においては,少なくとも基本的な操作は習得していたことが窺われること(甲107),平成7~9年度において作成した成績表や教材等のデータを利用することも可能であったと推認され,一部の作業については,パソコンを使用することで効率化されていた可能性もあること(甲75,76,99の3)などを考慮して,原告主張の持ち帰り残業時間のうち相当な範囲(概ね3~6割程度)において時間外勤務があったものとした。

エ 文化祭直前期における残業

(ア) 平成10年10月7~9日に開催された文化祭において,a中学校の2年生は,クラスごとにベニヤ板1枚大のモザイク画を作成し,それをグラウンドでつなぎ合わせるという共同制作をすることとなった。モザイク画は,生徒全員で小さなマス目に全7色の色を入れる作業を行うというものであったが,文化祭直前に,Aの担任する学級のモザイク画の原画の色指定にミスがあることが判明した。Aは,文化祭までの間,生徒と共にやり直し作業を行い,午後6時ころに生徒が下校した後,学校に残って作業を行うこともあった。(甲52,111,証人J)

(イ) なお,その時期のAの残業時間については,通常,最終の校内巡視は教頭のH又は校長のEが行い,巡視後には学校日誌(甲63)に巡視時間を記載していたところ,同学校日誌には,文化祭前の平成10年10月3日は午後5時59分,同月5日は午後7時47分,同月6日は午後8時31分にHが校内巡視を終えたとの記載があり,その後,教員は校内に残っていなかったといえるから,Aも遅くともそれまでには退勤していたといえる。(甲63,乙8,9)

(5)  平成10年度における2年1組の状況

ア 2年1組は,全体的に大人しく,後記イ記載の女子生徒Rがリーダー的な存在であり,学活等においては,主に同女子生徒のみが意見を述べることが多かった。(証人F)

イ 2年1組には,問題行動の目立つ女子生徒がいた(以下「女子生徒R」という。)。女子生徒Rは中学校1年生のころから問題行動が目立っており,2年生以降さらに指導が困難となることが予想されていたところ,平成10年3月ころ,学年会において,同生徒の2年生への進学に関し,生徒指導の経験が豊富なAが担任を持つことが決定された。

女子生徒Rの問題行動は,定期的に開催されていた学年会議においても,しばしば取り上げられ,指導方針について話し合われることがあった。

女子生徒Rは,よく目立つ闊達でリーダー的な性格であったが,中学入学当初からピアスや化粧をし,髪の毛を染めてパーマをかけ,制服のスカートを極端に短くするなど派手な恰好をしていた。また,授業中に無断で教室から出て行ったり,頻繁に無断欠席,無断外泊をするなど問題行動も多く見られた。女子生徒Rは,暴言を吐いたり暴力をふるったりすることはなく,教師等ともよく話し,指導についても一応は「分かった」などと言うものの,実際に指導には従わず,生活態度や服装を改めることはなかった。Aは,女子生徒Rの服装や問題行動に対しては,口頭で注意する程度であり,教室から出て行った際にも,力ずくで連れ戻したり怒鳴ったりすることはなかった。また,Aは,平成10年度の夏休みに,当時の生活指導部長であったIと共に女子生徒Rの家庭を訪問するなどした。

女子生徒Rが,平成10年9月ころから,同年11月に行われる生徒会の役員選挙において,生徒会長に立候補するとの意向を示すようになったことから,Aは,女子生徒Rに対し,選挙に向けて服装,頭髪,生活等を改善するよう指導したが,改善は見られず,選挙には落選した。(甲54,110~112,証人F,証人I,証人J)

ウ 2年1組には,女子生徒Rと親しくなってから,髪の毛を染めたり,化粧をし,教師に敬語を使わずに話すようになった女子生徒(以下「女子生徒S」という。)がいた。(証人F)

エ 2年1組には,授業についていけなくなったことから不登校となった男子生徒がおり,Aは,同生徒の自宅を週に1回訪問し,自主的に登校させる方向で指導を行い,他方で,クラスにおいては,同生徒が戻ってきやすい環境作りをするように努めていた。(甲52)

(6)  バスケットボール同好会

a中学校の部活動規定では,同好会を発足するためには,①5人以上の同好者がいること(公式戦出場人数が5名を超える部については,その最低人数を必要とする。),②顧問を引き受ける教員がいること,③学校長より許可があることという条件を満たした上,年度当初の職員会議で認められる必要があり,正規の部となるためには,1年以上の同好会活動を必要とし,年度末の職員会議で部への昇格が承認されなければならないとされている(同規定25条)。そして,同好会の活動場所及び予算については,他の部活動を優先して考えることとされている(同規定26条)。(甲36)

平成10年度当時,a中学校にはバスケットボール部がなく,生徒からはバスケットボール部創設の要望があった。Aは,a中学校に赴任するまで20年近くバスケットボール部の顧問として技術指導を行っており,全国大会に出場させたこともあるなど,指導者としての実績があり,A自身も,a中学校にバスケットボール部がないことを物足りなく感じていたことから,生徒の要望に応えて,平成10年4月,バスケットボール同好会を立ち上げた。バスケットボール同好会の立ち上げに際し,Aは同僚教諭であるIに相談を持ちかけており,同人より,立ち上げるのであれば4~5年は頑張るようにとの助言を受けた。(証人I,原告本人)

練習場所である体育館は,正規のクラブ活動が同好会に優先するため,剣道部,卓球部(男女)及び女子バレーボール部などの正規のクラブ活動が使用していない時間のみ利用することが可能であった。バスケットボール同好会は,平日はほぼ毎日,午後3時半~5時は外で,午後5時~5時30分は体育館で練習し,土,日曜日及び夏休み期間は,テストや行事がある時を除き,他の部が体育館を使用して練習していない限りほぼ毎日練習をしていた。(甲113,証人K,原告本人)

バスケットボール同好会の練習には必ず顧問が付き添わなければならず,平成10年4月以降,Aはバスケットボール同好会指導のため,平日はもとより,土曜日や日曜日も出勤することが多く,別紙4から抽出すると,4~6月には少なくとも50時間,7~10月には120時間30分(剣道部の指導時間を含めると少なくとも,4~6月に74時間50分,7~10月に124時間30分)の休日出勤をしたことになる。(なお,特殊勤務手当実績簿(甲21)では,4時間以上の勤務の場合にのみ記載されており,休日出勤がすべて記載されていたものではない。)

同好会は,正規のクラブとは異なり予算も限られていたことから,同好会員のユニフォームについては,パンツ代は同好会員の保護者の負担とし,シャツ(ユニフォーム)の代金は寄付金及び広告宣伝費で賄い,デザイン,発注,代金の支払い等の事務手続きは全てAが行った。(甲47~49,113,証人K)

Aは,かつてバスケットボール部の顧問をしていたころの人脈を利用して他校との練習試合を何度か組むなどした上,バスケットボール同好会を,平成8年8月下旬には左京リーグ戦に,同年9月下旬には新人戦に出場させた。同新人戦では予選リーグで敗退し,決勝トーナメントに進出することはできなかったが,Aは,同好会員らを「まだ,これからだ。がっかりすることはない。」などと励ました。同新人戦の予選リーグが終わった同年9月下旬ころから,Aはバスケットボール同好会の練習中にしんどそうにしており,練習を抜け出すことが度々あった。同年10月24,25日の練習には連絡なく欠席した。(甲113,証人K)

(7)  平成10年2学期における出来事

ア 平成10年9月17日開催の体育大会の数日前、Aが担任していた2年1組の男子生徒が3年生の生徒に倒されて指を骨折させられた。Aは,同事故後,怪我をさせた男子生徒の担任であったM,同男子生徒及び同男子生徒の母親とともに,怪我をした男子生徒宅を謝罪のために訪問することとなったが,怪我をした男子生徒の父親が、授業参観の際に派手なスーツに白いエナメル靴で現れるなどしていた人物であったため,同訪問に際し,怪我をした男子生徒の両親とのトラブルを危惧していた。もっとも,訪問時に怪我をした男子生徒の父親が対応するとことはなく,その後怪我をした男子生徒の父親が学校に対して何らかの要求をしてくることもなかった。(甲52,109,証人M)

イ 平成10年10月7~9日に開催された文化祭直前に,Aの担任する学級のモザイク画の原画の色指定にミスがあることが判明し,Aは,文化祭までの間,生徒と共にやり直し作業を行った。(甲52,111,証人J)

(8)  業務以外の事情,個体側の要因等

ア その他の家庭の事情

原告は,精神的な原因により目眩が生じるといった精神疾患のため,平成7年ころ1年余り休職していたことがあったが,平成8年度には勤務を再開している。(原告本人)

イ 基礎疾患等

Aには,精神疾患の既往歴はなく,その他の既往歴は,「接触性皮膚炎」(平成9年9月),「湿疹(胸,背部)」,「アレルギー性皮膚炎(疑)」,「肝機能障害(疑)」(平成9年12月),「両眼急性結膜炎」(平成10年5月)の他,平成10年2月25日実施の健康診断結果における心電図検査で洞性徐脈があると指摘された程度であり,その他の基礎疾患はない。(甲4,5,7,8,乙3)

ウ 性格等

Aに対する周囲の評価は,「考え方が固く,口数は少ないが理屈はよく言う。何事もまず形から入る。自分の考えを否定するとすねる。教育熱心,冗談が通じない。社会的な問題に関心が高い。出不精で真面目,押しつけがましい。」(原告。乙5の1),「穏やかな性格で,協調性もあり,上司や同僚との人間関係は良い。仕事に対する熱意があり,教材研究,プリント作成などを熱心にやっていた。部活動でバスケットボール部を担当し,熱心に指導していた。日曜日なども,練習試合など活動することが多かった。口数は少なく,大きな声を出すということはなかった。学年の同僚とも争うようなことはなく,人間関係は良かった。職員室にいる時は,静かに教材の準備などをしている様子から,穏やかで,落ち着いた性格と感じられた。」(H。乙5の5),「口数は余り多くないが,学年教師集団の中で協力して良心的に行動した。生徒のことについては真剣に考え,生徒のことに対して誠意を持って対応していた。自分のことについても,はっきりと主張し,行動した。」(E。乙5の5),「熱心,丁寧,優しい,包み込んでくれるような先生」(2年1組の生徒であったN。甲112)などである。

(9)  うつ病発症に至る経緯

ア Aは,a中学校に赴任するまでは,夕食時に,家族に対し,学校での出来事や社会事情などの話を演説気味に話したり,クラスでの面白い出来事や,部活動で優勝したこと,補導された受持ちの生徒が自分の指導で良い方向に変わったことなどを自慢気に話すことが多く,愚痴をこぼすようなことはほとんどなかったが,a中学校に赴任してからは,夕食時に話をすることが少なくなり,平成10年5~6月ころからは,Bや原告が話しかけても,投げやりな態度で「もういい。」と返事をすることが増え,「クラスを引っ掻き回す女子生徒がいる。」,「それまでの指導方針では上手くいかない。」などといった愚痴をこぼすようになった。また,同年7月に入ると「a中学校の子供はかわいくない。やりにくい。」などと仕事がしんどいことを話すようになり,そのころから口数が少なくなり,ぼうっとしていることが増えた。(甲51,107,証人B,原告本人)。

イ Aは,毎年夏休みを利用して,率先して家の建具の入れ替えや台所周りの大掃除をしていたが,平成10年8月には,それらの家事を手伝わず,会話も続かず沈んだ様子であった。もっとも,バスケットボール同好会の練習には熱心に行っていた。(原告本人)

ウ 平成10年9月ころには,Aの帰宅時間が1学期に比べて遅くなり,疲れた様子で壁の方を向いて正座をして下の方を見ながら座っていることもあった。同年10月ころには,Aは,それまで夕食後に行っていた風呂の準備をしなくなり,夕食時にも家族の会話に耳を傾けず,下を向いて無言で食事をする様子が見られるようになった。(甲51,107,証人B,原告本人)

エ 平成10年10月ころから,職場においても,Aは空き時間になると机にうつ伏せになっていることが多くなり,同僚教員に対し,あまり寝られないと言うことがあった。2学期の中間テストについては,なかなか作成できず,テストの前日の日曜日に学校に来て印刷していた。(証人I,証人J)

オ Aは,平成10年10月28日,特別休暇を取得して烏丸診療所を受診し,精神科のO医師に対し,学校の教師をしているが,最近ミスが多いこと,採点や合計ができないこと,2週間前から息子がネフローゼで入退院を繰り返していること,1学期から夏休みにかけて頑張ったがここ2~3日は出勤前に吐き気がすること,3~4時間寝た後思い悩むこと,食欲の低下や,3~4kgの体重減少があること,考えたことがうまくいかず先々のことを考えて判断力が鈍っていること,クラス作りの自信を持っていたが今回は20年目にして悩んでいること,自分のクラスから不登校の子供が出てきて子供を満足させてやれないこと,バスケットボール同好会を組織したこと,これまでに希死念慮があり夏休みには包丁を持ち出したことなどを話した。

Aは,抑うつ状態と診断され,抗うつ薬を中心とした薬物療法と支持的精神療法を行うこととなった。(甲31,32,乙3)

カ Aは,平成10年10月28日午後6時ころ,H及びEに1か月の休職を申し出た。Aは,その際休職の理由について「家内のことと子供のことで悩んでいて,夜寝られない。」と話し,Eが,Aに対し,学校についての悩みがないか尋ねたところ,Aは「学級のことでも少し悩んでいる。」と答えたが,それ以上の話はしなかった。Aは,翌29日,抑うつ状態のため3か月の休養を要するとの医師の診断書をEに提出し,同月30日より病気休暇に入った。(甲31,乙8,9,弁論の全趣旨)

(10)  診療経過等

ア Aは,平成10年11月4日の診療時,O医師に対し,気分的には少し楽になったこと,考えることはせずに,1週間の前半はよく寝ていたこと,家事の手伝いをしていること,ふらつく程度の立ちくらみがあること,食欲が徐々に出てきたことなどを話した。

同年11月18日の診療時のカルテには,「だいぶん良くなったと思うが,家では理解してもらえない。嫁が,大したことないのにさぼっている(と)。“あんた見ていると,しんどくなる”」,「この前NHKの“うつ病”の特集をしていて,教師のうつ病が増えている。特にベテラン教師」,「学校でのことは忘れるようにしていて,思い出すことはない。」,「イラつくことがあって,子供をおこった。なるべく話をしないようにしている。」,「島根県に引っこもうかなーと思っている。」,「以前は学校が中心の仕事,学校の方がゆったりできる。」,「wifeの性格に合わせてきたが,衝突しはじめて」,「高3の娘」,「wifeは私のことを悪く思っている・・・」などの記載がある。

同年11月25日の診療時には,Aは,「だいぶん良い」が,時にふらつくことがあること,左後頭部の痛みがあり,ひどいと歩けなくなること,吐き気や頭痛があること,第二子のネフローゼが再発したこと,学校のことはあまり考えておらず,仕事のことは一切していないこと,昼間はテレビを見たり昼寝をしたりしており,デッサンや園芸等もしており,学校のことを除けばそこそこ調子がいいことなどを話している。(甲32)

イ 平成10年12月2日に受診時までのAの快復は順調であり,Aは,同日,O医師に対し,調子が良く午前は家事,午後はパソコンをしたりしていること,実家に帰るのは中止したこと,妻が理解してきており,感情的な部分がましになり,気を遣ってくれること,1月28日からの職場復帰に向けて準備をしていること,人間ドックに行ったところ85~86kgだった体重が,89kgまで増えていたことなどを話している。

ウ Aは,平成10年12月5日ころ,2年1組の生徒ら,バスケットボール同好会の会員ら及び同僚教員らに対し手紙を書き,迷惑を掛けたことを謝罪し,自己の体調は随分良くなり,少しでも早く復帰したいと思っていることなどを伝えている。(甲38~41)

エ 同月9日の受診時,Aは,薬を服用し始めてから胸が押さえつけられる感じがすること,指がスムーズに動かない感じで,記憶力がなくなった感じがすること,呂律が回りにくい感じがすること,さらに悪くなったのではないかと感じていること,クラスの中にしんどい子供がいること,クラス全体に手紙を書いていること,クラブや子供のことが気になっていることなどを話しており,病状が悪化していたことから,O医師は,処方調整をした。(甲32,乙3)

オ Aは,同年12月ころ,不安に思っている事項(クラスのこと,作ったクラブのこと,頭の働き,ふるえのこと,乱雑となること,薬の副作用のことなど)を記載したメモ(甲44)を残している。同メモには,「①異動の件で管理職が会いに来る→緊張すると頭回転しない。判断,口がまわらないことがわかるのです!→そうなると復職できなくなるのでは(ここにくる)。」,「いなかに帰れば変わったのがすぐにわかる。」などと記載されていた。

毎年12月中旬ころには異動希望調査書が配布され、休職者へは学校長が直接自宅へ届ける慣例となっていた。(証人E)

カ 自殺直前に記載したと思われるメモ(甲42。平成10年12月9日付け)には,「お母さんへ。学級がしんどくなったのは事実だ。夏まではなんとかのりきったのだけ(ど),特に2学期に入って荷が重い。本当のわけはお母さんにも話してないが,逃げたと思われてもしかたない。いつも不満申しわけなかった。20年間ありがとう。」,「Bへ。がんばって希望の大学へ入学することを願っている。こんなとき一番しっかりしなければならないはずのお父さんがつらい。いつもお父さんをてつだってくれてありがとう」,「Cへ。お父さんをいつこえるか期待していた子だった。でもこんなお父さんを越えたって何もならない。体のことでおまえにつらい思いをさせたことを考えれば比べものにならない。父をゆるせ!」,「Dへ。おまえのかわいい声いつまでも聞きたかった。たくさん食べて大きくなれよ。医学の本を読んで,こんなつらい病気とは知らなかった。知らなかったのがこの病気なのかな。偏見があるのを知らなかった。この病気と戦うという気持ちがいらん結果にならなければよいが。」と記載されていた。

(11)  ICD-10診断ガイドライン(甲60)

ア ICD(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)の略。以下「ICD」という。)第10版(以下,単に「ICD-10」という。)第Ⅴ章「精神及び行動の障害」はF0~9に分類されており,うつ病はこのうちF3「気分[感情]障害」に分類される。

イ ICD-10第Ⅴ章F3「気分[感情]障害」のうち,F32では,軽症(F32.0),中等症(F32.1),重症(F32.2,F32.3)すべてに共通する典型的な抑うつのエピソードとして,抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされること,わずかに頑張ったあとでも,ひどく疲労を感じることを挙げ,その他の一般的な症状として,①集中力と注意力の減退,②自己評価と自信の低下,③罪責感と無価値感,④将来に対する希望のない悲観的な見方,⑤自傷あるいは自殺の観念や行為,⑥睡眠障害,⑦食欲不振を挙げる。

軽症うつ病(F32.0)エピソードの診断ガイドラインとして,抑うつ気分,興味と喜びの喪失及び易疲労性のうち,少なくとも2つの症状が存在すること,さらに,上記①~⑦の症状のうち少なくとも2つが存在すること,いかなる症状も著しい程度がないこと,エピソード全体が最低2週間以上持続することとされている(以下ICD-10・32のうつ病を単に「うつ病」という。)。

(12)  医学的知見

ア O医師(乙3)

平成10年10月28日の時点で,うつ病を発症していた。うつ病の生物学的機序については明らかにはされていないが,心因,内因,器質因などがあり,その別については長期間の観察を要するが,治療期間中は心因を想定していた。

公務以外(個体的,生活的要因等)の発症原因については,Aが問診において,妻の対応やネフローゼの子供を取り巻く問題を悩みとして訴えていたが,うつ状態に陥れば認知に歪みが生じ,すべてが心理的負荷として感じられるため,訴えをそのまま原因とすることは慎重でなければならない。

また,公務とうつ病の発症との因果関係については,すべての者が同じ状況下で発病するか否かは定かではなく,断定することは困難であるが,自身のクラスから不登校児が出たことや同好会の世話を負担に感じ,従前のようにできないことを自責的に捉えて悪循環に陥ったと思われる。

さらに,自殺については,合理的に自殺を選ばなければならない必然性はなかったと思われ,正常な判断を欠いていたという点で精神疾患に起因したものと思われる。ただし,平成10年12月9日以降の急激な病状の変化については職場復帰への不安等を含めた新たな心理的負荷を想定せざるを得ない。

イ P医師(乙4,11,12。)

(ア) 発症時期

Aがうつ病を発症したのは,以下の理由から,平成10年6月ころであると思われる。

a 平成10年6月ころより,家庭において,「クラスを引っ掻き回す女子生徒がいる。」などと愚痴をこぼし,食事中もぼうっとしてしゃべらなくなった(甲51)。このころより,自信の喪失,抑うつ気分,興味・喜びの消失,食思不振,注意・集中力の低下といううつ病の症状が現れている。

b 平成10年7月以降は,原告に対し,「a中学校の生徒はかわいくない。やりにくい。」などと発言するようになっていることから(甲51),うつ病患者に見られる認知の歪みの1つである「過度の全般化(1つ2つの事象に対するネガティブな評価を全体に対しても当てはめて見なしてしまうこと。)」が見られる。

また,そのころから,Aは「口数が減り,ぼうっとしていることが増え」ており(甲51),症状が徐々に増悪しており,平成10年の夏休みころには,包丁を持ち出すなどの自殺企図が見られ(甲31,32),かなり症状が悪化したといえる。

(イ) 発症原因

うつ病の発症原因については,仕事上の悩みと家庭の問題に慢性的に悩んでおり,器(キャパシティ)を超えてしまい,受診に至ったと思われる。受診後も,希死念慮を繰り返していたが,抑えが効かなくなり,自殺に至ったものと思われる。仕事上の悩みと家庭の問題のいずれがうつ病の主たる発症原因となったかは判断が難しいが,以下のとおり,仕事のストレスだけで発症したとするのは難しく,生活的要因のウエイトが大きかった可能性がある。

a 仕事上のストレスから離れて養生していた病気休暇中の自殺であったことからすれば,本人にとっては家庭での療養が精神的な休養になっていなかったことが窺われる。

b O医師の診療録(甲31,32)や同医師の平成16年7月2日付け回答書(乙3)によれば,Aが,妻の対応や子供のネフローゼについて悩んでいること,以前は,学校が中心の仕事で学校の方がゆったりできていたこと,家庭では原告の性格に合わせてきたが,衝突しはじめたことなどを医師に述べている。これらのことから,Aが,従来から妻やCのネフローゼに思い悩んでいたが,平成10年4月から担任を受け持ち,担任を受け持っていなかった平成9年度のように妻や長男に対して十分に協力できず,夫及び父親としての責務が十分に果たせなくなったことがさらに心理的負担を増したと思われる。

c Aが平成10年6月ころから,珍しく仕事の愚痴をこぼすようになっていたところ,原告の「何故弱気なこと言っているのかなと思っていました」との陳述(甲51)に照らせば,Aは仕事やうつ病の辛さを原告に理解されておらず,そのことへの強い不満とその不満をぶつけられない大きなストレスがあったものと考えられ,うつ病発症後の増悪要因にもなったことが窺える。

d 指導に従わない女子生徒がクラスにいたことや,バスケットボール同好会を立ち上げたことは,Aが平成9年度まで,常に問題行動の多い生徒のクラスを担任し,生徒指導,補導に力を入れていたこと,Aがバスケットボールに生き甲斐を感じており,a中学校にバスケットボール部がないことを不満に感じていたなどの原告の供述(甲51),2年1組及びバスケットボール同好会の運営に特に他の問題がなかったことなどに照らせば,過剰な職務内容であったということはできず,これらを原因としてうつ病が発症したとは考えられない。

e EがAに対し,休職の原因について尋ねた際,妻のことや子供のことが気になって眠れないと述べていた(乙8,証人E)。

(ウ) うつ病を発症しやすい素因,体質等

原告の供述によるAの性格をみる限り,「メランコリックタイプ(メランコリー親和型)」であると思われる。このタイプは,真面目で几帳面,責任感が強く何でも自分で背負ってしまう完璧主義者である。社会的にはいい人であるが,本人にとっては負担になっていたとも思われる。うつ病になりやすかった可能性はある。

(エ) 自殺の原因

Aが,うつ病による抑うつ状態で自殺していることは明らかである。カルテ上では,調子が良くなってきていたところに,病状が悪化し,自殺に至ってるが,一般的に,それまでは自殺するだけのエネルギーもなかった者が,治りかけた時に,自殺するだけのエネルギーが出てきたことにより自殺することが多い。

平成10年12月5日にAがバスケットボール同好会の生徒に宛てた手紙(甲41)に,「また以前のように君たちと一緒に練習できることたのしみにしています。」との記載があること,メモ(甲44)に,薬の副作用に関し,管理職の自宅訪問の際,薬の副作用のために呂律が回らなくなり,そうなると職場復帰できないのではないかとの趣旨の記載があることなどに照らせば,Aには,職場復帰への強い希望と期待があったが,抗うつ薬の副作用である薬剤性パーキンソン症候群による手指振戦と呂律困難が増悪していたところ,これらの症状がEに知れると復職を取り消されるのではないかとの絶望的な認知に駆られ,衝動的に自殺に至ったものと考える。

ウ Q医師(甲116,117。)

(ア) 発症時期

平成10年6月ころ,Aが原告にクラスを引っ掻き回す女子生徒がいることについて珍しく愚痴をこぼし,食事中もぼうっとしていることが目立つようになったことから,このころにはうつ病の症状が出現していることは読み取られるが,ICD-10では症状の持続期間が最低でも2週間必要であり,入手し得る資料からは,うつ病の診断基準を満たす症状が他に読み取れない。

O医師の診療録(甲31,32)には,Aには希死念慮があり夏休み(平成10年7月末ころ~8月末ころ)には包丁を持ち出しているとの記載があり,Bの供述(甲107を含む。)によれば,Aは同年夏ころには表情が暗く投げやりな雰囲気であったと認められることなどから,確定判断はできないものの,同年8月ころにうつ病の診断基準を満たしていた可能性は十分に高いものと考える。

Aは,平成10年9月ころには,職場において,疲れた,眠いなどと言い,度々机でうつ伏せになって寝ていると同僚教諭が供述しており(甲110,111,証人J),易疲労性があったものと判断できる。原告も,そのころにはAは毎日疲れた様子であったと供述している。また,同年10月20日の中間テストの問題作成ができなくなっていたとの同僚教諭の供述(甲108,証人G)によれば,集中力や意欲の減退,興味,喜びの低下などが出現していると判断してよいであろう。同年10月28日にO医師を受診した際には,不眠,食思不振などの症状の訴えがあることから,同年10月後半にはうつ病を悪化させていたと考える。

(イ) 発症原因

まず,家庭内の状況については,原告の精神疾患は平成8年に快復し復職しており,Cのネフローゼも平成10年にはかなり改善し,自力での通院,通学を行い,同年9月には寛解している。Bの喘息やDの口蓋裂については詳細が不明である。O医師の診療録(甲31,32)に「妻が理解してくれない。」との記載があることから,うつ病を発症してから,原告にうつ病の知識と理解がないために,その症状を改善させなかった可能性がある。

他方,職場における状況は,受持ちクラスに平成10年度の1学期途中から不登校になった男子生徒がおり,Aが週に1度家庭訪問をしていた。また,女子生徒Rの指導に悩んでおり,家庭内でも珍しく愚痴をこぼすなど,これまで築き上げた自信を喪失するような状況にあった。また,バスケットボール同好会を立ち上げ,休日返上で指導をしたが結果を残せず,同年9月の体育大会で担当生徒が相手に怪我をさせるといった事故があり,同年10月の文化祭でもミスが発覚するなど,Aにとって負荷のかかる状況が連続して生じている。

当時の勤務状況は,概ね午前8時には出勤し,午後7時には退勤していたようであるが,Bの供述によれば,午前1時ころまで自宅で仕事をしており,同年6月以降の休日はほとんどバスケットボール同好会の練習に費やされるような状況であった。また同僚教師の供述(証人G)によれば,休職直前の中間試験問題もAが作成しており,長時間労働もうつ病発症の一因になったと考えられる。

精神医学では,本人の心的負荷を増大させるイベントが単独で起こった場合には耐え得る場合でも,連続して生じた場合,うつ病を発症させたままそれを増悪させることが広く知られている。今回,単独では本人が耐え得る心的負荷を超えるイベントが不幸にも連続して生じたために,慢性的にストレスを抱える結果となり,うつ病の発症に至ったと考えられる。

以上より,うつ病の原因は家庭内の問題よりもAが従事していた労働に起因すると考えるのが妥当である。

(ウ) 裁量度-要求度-支援度モデルからの相当因果関係の検討

a 裁量度

Aは,平成10年4月より担任に復帰したところ,1学期途中より不登校になった男子生徒とこれまでの生徒指導が通用しない女子生徒Rを受け持つこととなった。

不登校になった男子生徒には,週1度定期的に訪問し,指導をしていたが,保護者の期待と実際の学力にギャップがあり,生徒は悩んでいたようである。Aは,無理矢理登校させることはせず,根気よく話し相手になりながら自主的に登校できるような方向で指導していたようだが,うまくいかず自信を喪失する状況にあったものと考えられる。また,女子生徒Rについても,それまでの指導経験が通用せず,自信を喪失していた。

さらに,バスケットボール同好会の立ち上げについても,技術的な指導からユニフォームの作成まで,すべて1人で行っていた。

このように,Aの平成10年4月から8月までの職務は,仕事を自分でコントロールできないものであり,低裁量であった。

b 要求度

Mの陳述(甲109)によれば,a中学校の親は学歴が高い人が多く,成績や進学する高校のレベルを気にするシビアで独特の雰囲気があり,保護者が教師に要求するレベルは高かった。

c 支援度

同僚や妻の支援はなく,低支援であった。

d 以上より,Aの従事していた労働は,低裁量度,低支援度,高要求度であって,心理的緊迫を求められるものであり(うつ病発症に対する相対リスクは7.16,暴露者寄与割合は86%と推測される。),Aが従事していた労働とうつ病発症には相当の因果関係が推認される。

(エ) 自殺の原因

Aの自殺の原因としては,Aの残したメモ(甲43)からは,異動の件で管理職が会いに来て,自分の病気が改善していないことを知られて復職できなくなることを恐れていた様子が窺える。うつ病に罹患し,現実検討能力を欠いたために,復職できないと思いこみ,追い詰められた心理状況になり自殺に至ったものと考える。

2  検討

(1)  判断基準

ア 労働基準法75条以下に定められている労働者災害補償制度は,労働者が従事した業務に内在し又は通常随伴する危険が発現して労働災害を生じた場合に,使用者の過失の有無を問わず,被災労働者の損害を補填するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を補償するものであるところ,このような制度趣旨に照らせば,業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには,単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,業務に内在し又は通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること,すなわち相当因果関係の存在が必要であると解される。そして,当該業務と精神障害の発症や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには,単に業務が他の原因と共働して精神障害を発症し若しくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず,当該業務自体に,社会通念上,当該精神障害を発症し若しくは増悪させる一定程度以上の危険性が内在し又は随伴していることが必要であると解するのが相当である。

地方公務員災害補償制度も労働基準法上の労働者災害補償制度と趣旨を同じくするものであるから,地方公務員災害補償法31条にいう「職員が公務上死亡した場合」における公務起因性の判断についても同様に解するべきである。

また,被災職員の自由な意思によって発生した故意による事故は,公務との因果関係が中断されるため,原則として公務起因性がなく,災害保険給付の対象外となるが,自殺行為のように外形的に被災職員の意思的行為と見られる行為によって事故が発生した場合であっても,その行為が公務に起因して発生した精神障害の症状として発現したと認められる場合には,被災職員の自由な意思に基づく行為とはいえず,因果関係は否定されない。

特に,ICD-10第Ⅴ章「精神及び行動の障害」のF0~4に分類された精神障害では,精神障害の病態として自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから,公務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し,原則として公務起因性を認めるのが相当である。

イ うつ病の発症メカニズムについてはいまだ十分解明されていないが,現在の医学的知見によれば,環境由来のストレス(業務上又は業務以外の心身的負荷)と個体側の反応性,脆弱性(個体側の要因)との関係で精神破綻が生じるかどうかが決まり,ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとする「ストレス-脆弱性」理論によるのが合理的である。そうすると,公務とうつ病の発症・増悪との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては,うつ病発症前の公務内容及び生活状況並びにこれらが被災職員に与える心身的負荷の有無や程度,さらには被災職員の基礎疾患等の身体的要因や,うつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に検討し,社会通念に照らして判断するのが相当である。(甲58,121,弁論の全趣旨)

そして,公務に内在し又は随伴する危険を要するとする以上,心理的負荷の程度については,当該被災職員を基準とすることはできず,当該被災職員が置かれた立場や状況等の具体的事情を前提に,当該被災職員と同種の業務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する労働者を基準として客観的に判断するべきである。

(2)  本件について

ア うつ病の発症時期

(ア) O医師の診断(甲31,32)によれば,Aが,遅くとも平成10年10月28日の時点でうつ病を発症していたことが認められるところ,それ以前にうつ病を発症していたかを検討する。

(イ) 上記1(9)ア記載のとおり,Aは,平成8年ころまでは,夕食時に家族に学校での出来事を自慢気に話し,愚痴を言うことはほとんどなかったが,平成10年6月ころから,クラスの生徒に関する愚痴をこぼすようになり,家族が話しかけても投げやりな態度で返答することが増えた。また,同年7月ころには,家庭内での口数が少なくなり,ぼうっとしていることが増えるようになった。

このように,Aに,平成10年6~7月ころ,抑うつ気分,自己評価と自信の低下といったうつ病エピソードが現れ始めていたことが認められるが,これらの症状が2週間以上継続していたことを認めるに足りる証拠はない。他方で,この時期は,上記1(6)記載のとおり,バスケットボール同好会の練習には毎日参加し,授業及び授業に使用するプリント等の作成も問題なく行っており,日常の職務に支障を来すような症状には至っていなかったことが窺われる。そうすると,Aが,平成10年6~7月ころに,うつ病を発症したとまでは認めることができない。

(ウ) Aは,平成10年8月ころ,ほぼ毎日バスケットボール同好会の練習には参加していたが,生徒らが夏休みに入り,平日の授業等がなく日常の職務の負担が大きく軽減される時期であったにもかかわらず,上記1(9)イ,オ記載のとおり,家庭においては,毎年行っていた家の建具の入れ替え等の家事を行わなくなり,包丁を持ち出すなどしており,抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活力の減退による易疲労感の増大といったすべてのうつ病に典型的な抑うつのエピソードのほか,自傷あるいは自殺の観念や行為といった症状も現れ始めており,同年6~7月ころの症状が増悪したことが窺われる。

さらに,上記1(9)ウ記載のとおり,2学期が始まった平成10年9月ころには,家庭において,Aが疲労し,無気力にしている様子が目立つようになっており,抑うつ気分,興味や喜びの喪失,活力の減退による易疲労性といったうつ病エピソードが継続していたことが窺われる。また,上記1(9)オ記載のとおり,平成10年10月28日の時点で3~4kgの体重の減少があったことからすれば,この時期から食思不振による体重の減少が始まっていたと推認される。さらに,上記1(9)エ記載のとおり,同僚職員に対してもあまり眠れないこと,中間テストの問題が作成できないことなどを語っており,睡眠障害や集中力の減退があったことが窺われる。そうすると,平成10年9月ころには抑うつ状態が増悪し,遅くともこのころにはうつ病を発症するに至っていた可能性が高い。

(エ) 異常な出来事・突発的事態に遭遇したことにより発症する可能性のある驚愕反応等の精神疾患は,医学経験則上,異常な出来事・突発的事態との遭遇の直後又は数日以内に発症するものとされているが,心因性,反応性等の精神疾患は,過重な肉体的,精神的負担を相当長期間受け続けた後に発症する例が多いとされていることから(甲121,弁論の全趣旨),以下では,Aのうつ病の発症に影響を与えた可能性のあるうつ病発症前概ね6か月の公務上の出来事について,社会通念上,うつ病を発症し若しくは増悪させる一定程度以上の危険性が内在し又は随伴していたか否かについて検討する。

イ 公務上の心理的負荷について

(ア) 平成9年度の業務

上記1(2)記載のとおり,平成9年度,AはCのネフローゼのため担任を持たず,2学級の副担任を受け持っており,週21時間の数学の授業,生徒会安全委員会の指導,特別活動主任等の業務を担当していたが,Cの看護のため,午前中に1~3時間の年休を頻繁に取得するなどしており,公務に過重性があったことは窺われない。

(イ) 平成10年度の数学科担当業務

平成10年度におけるAの数学科担当教員としての業務についてみると,上記1(3)イ記載のとおり,平成10年度,a中学校には数学科を担当する教員が5名在籍しており,他の科目を担当する教員よりも人数が多く,3年生の数学の選択授業を週に2時間,2年生の数学の授業を16時間担当していたが,他の科目に比べると担当授業時間は少なかった。また,数学の問題作成は,参考書や過去に作成した問題を引用することも可能であり,採点についても解答が1つであるため教師の裁量の幅が小さいことからすれば,他の科目との比較においても,作業量が特に多かったということはできない。

また,担当教科以外の特別活動主任等の校務分掌についても,上記1(3)ウ記載の業務内容に照らせば,作業量が多かったとか,内容が困難であったということはできず,部活動の顧問についても,上記1(3)エ記載のとおり,バレー部及び剣道部については,指導を担当せず,公式試合の引率等を担当する程度であったから,過重であったとは到底いえない。

(ウ) 2年1組の担任業務

a Aの受け持っていた2年1組には,問題行動の目立つ女子生徒Rが存在した。上記1(5)イ記載のとおり,女子生徒Rは,入学当初からピアスや化粧をし,髪の毛を染めるなどの派手な恰好をし,授業の無断欠席や無断宿泊をするなど,問題行動が多く見られたものの,暴言を吐いたり暴力をふるったりすることはなく,教師の指導についても,指導内容に従うことはないが,話を聞いた上で「分かった」などと返事をし,Aの女子生徒Rへの指導方法も,家庭訪問をしたり,教室内で口頭で注意する程度であり,教室から出て行った女子生徒Rを力ずくで連れ戻したり,怒鳴ったりすることはなかった。そうすると,女子生徒Rについては,反抗の程度が著しく強かったとまではいえず,それに対するAの指導方法,内容も穏便なものであった。

また,女子生徒Rが生徒会会長選挙に立候補したことについても,客観的には,むしろ学校活動への積極的な参加として肯定的に捉えることも可能であり,必ずしも担当教員に心理的負荷を及ぼすものとはいえず,2年1組では,女子生徒Rがリーダー的存在であり,女子生徒Rから影響を受けた女子生徒Sのような生徒もいたものの,クラス全体は大人しく,女子生徒S以外の生徒が女子生徒Rの影響を受けて問題行動を起こしたようなことも窺えない。

このように女子生徒Rは学年の女子生徒の中では最も問題を抱えた生徒であったが,服装や行動に問題のある生徒への指導をすることは公立中学校ではむしろ日常であり(証人J,証人E),上記女子生徒Rの反抗の程度及び指導の方法,内容,他の生徒への影響などに照らせば,女子生徒Rへの指導が,Aと同種の業務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する労働者を基準として,精神疾患を発症させる程の強い心理的負荷を及ぼすものであったと認めることはできない。

b 上記1(5)エ記載のとおり,2年1組には1名の不登校の男子生徒がいたが,不登校生徒1名に対する指導が,教員に精神疾患を及ぼす程度の心理的負荷を及ぼすものとまではいえない。

c 上記a,b以外に,2年1組の担任業務において恒常的にAに心理的負荷を及ぼすような事情があったことを窺わせる証拠はない。

(エ) バスケットボール同好会の顧問業務

上記1(6)記載のとおり,バスケットボール同好会は,そもそもa中学校にバスケットボール部がないことに物足りなさを感じていたAが,生徒からの要望を受けて立ち上げたものであり,A自身の希望でもあったこと,Aが教員になってから20年間熱心にバスケットボール部の指導をしていたことからすれば,バスケットボール同好会の立ち上げ及びその立ち上げに伴う業務(ユニフォームの購入,練習時間及び場所の調整等)が,客観的に過重であったということができないことはもとより,Aの心理的負荷となったということも考え難い。

また,練習場所である体育館が正規の部活動が使用していない時間の使用に限られることにより午後5時~5時30分となり,それに伴って帰宅時間が遅くなったり,休日については練習のため,少なくとも平成10年4~6月には少なくとも50時間,7~10月には120時間30分の休日出勤をしており,バスケットボール同好会の練習のために十分な休暇を取得できなかったことが窺われるものの,Aが家族や同僚に対して,バスケットボール同好会の指導についての愚痴をこぼしたことはなく,指導には自信を持っており,むしろAの生き甲斐であったといえるところ(証人B,原告本人),練習への参加がAの心理的負荷となっていたことは考え難い。

なお,上記1(6)記載のとおり,バスケットボール同好会の立ち上げに際し,Aが,Iから「立ち上げるのであれば4~5年は頑張るように」との助言を受けていること,正規の部活動として承認されるためには同好会として1年以上活動することを要し,かつ,部の新設には顧問がいることを要すること,平成10年9月下旬に新人戦を控えていたことなどから,Aが責任を感じ,平成10年8~9月以降,体調が優れないのに無理をしてバスケットボール同好会の練習へ参加し,うつ病を増悪させた可能性も否定できない。もっとも,練習内容及び時間については,顧問であるAに一定程度の裁量があり,増減することも可能であった上,休日の練習試合等についてもAが自ら積極的に企画していたことからすれば,客観的にみて,バスケットボール同好会の練習が,精神疾患を増悪させる程度に過重であったとまではいうことができない。

(オ) 時間外勤務

上記1(4)記載のとおり,Aは,平成10年4~10月の間,4月は66時間20分,5月は87時間10分,6月は80時間10分,7月は90時間20分,8月は31時間30分,9月は90時間20分,10月は82時間10分の合計528時間の時間外勤務を行っていた。

もっとも,休日出勤のうち平成10年4~10月の170時間30分はバスケットボール同好会の練習であり,上記1(6)記載のとおり,バスケットボール同好会の立ち上げは自主的なものであり,練習自体もAの心理的負荷となるものではなかったことなどを勘案すれば,平成10年4~10月における時間外勤務が,精神疾患を及ぼす程に過重であったということはできない。

(カ) 平成10年2学期における出来事

上記1(7)ア記載の体育大会開催前に怪我をした男子生徒宅への訪問に係る出来事については,訪問はAだけではなく怪我をさせた男子生徒,同生徒の母親,同生徒の担任であったMと共に訪問したものである上,怪我をした男子生徒の父親が対応することはなく,訪問後にも学校に何らかの要求をしてくるということもなかったのであるから,客観的にみて精神疾患を発症ないし増悪させる程度の心理的負荷を及ぼすものということはできない。

また,上記1(7)イ記載の文化祭直前の作業ミスに係る出来事についても,実際にやり直し作業のためにした勤務は上記1(4)エ(イ)記載のとおり,遅くても平成10年10月3日は午後5時59分まで,同月5日は午後7時47分まで,同月6日は午後8時31分までであったこと,文化祭までにやり直し作業が終わらなかったという事情はなかったこと(弁論の全趣旨)からすれば,客観的にみて精神疾患を発症ないし増悪させる程度の心理的負荷を及ぼすものということはできない。

(キ) その他の事情

原告は,a中学校は医者や大学教授などの高学歴,高額所得者が多い地域であり,保護者は子供の成績や進学する高校のレベルに関心を示し,子供に過度の期待感があること,子供の受けるプレッシャーが大きく,保護者の期待する成績が出せない生徒は,時として荒れることが多いことなどから,生徒指導が困難であると主張するが,生徒の保護者に占める高額所得者の割合などの具体的証拠がないばかりか,他の要因と比較した場合に,上記主張が一般論としてどの程度説得的であるかは疑問がないとはいえず,現に,平成10年度の2年1組において,女子生徒R及びS以外に問題行動を起こす生徒がいたことを窺わせる証拠もなく,原告の上記主張は採用できない。

また,原告は,平成10年度の2年生は,小学校時代から問題が多発する困難な学年であったと主張するが,証拠(甲109~112,証人M,証人I)及び弁論の全趣旨によっても,平成10年度,同学年全体ないし2年1組の生徒指導において,Aに心理的負荷をもたらす程度の大きな問題が生じたことは窺えず,原告の主張は採用できない。

(ク) 以上のとおり,Aと同種の業務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の状態を有する労働者を基準として客観的に判断すれば,平成9年度から平成10年10月にかけてのAの公務に,社会通念上,うつ病を発症し若しくは増悪させる一定以上の危険が内在し又は随伴したということはできない。

ウ 公務起因性

(ア) 上記イ記載のとおり,平成9年度から平成10年10月にかけてのAの公務が過重であったとは認められない。

(イ) ところで,Aは,a中学校に赴任する以前は,生徒指導が特に困難であるといわれているd中学校やe中学校において,学年においても特に問題行動の多い生徒を担任するなど,熱心に生徒指導,補導をし,バスケットボール部の指導においても全国大会に出場させるなどの実績を出していたが(上記1(1)イ),平成9年度においては,Cのネフローゼのため担任を持たずに副担任となり,バスケットボール部の指導をすることもなく,年次休暇を頻繁にとってCの送迎等をするといった平成8年度までの生活とは全く異なる生活を送っていたところ,平成10年度において,Cの体調が快復傾向にあったことから,再び担任を受け持ち,自らバスケットボール同好会を立ち上げて指導することとなったため,新年度開始に当たって意気込んでいたにもかかわらず,それまで自信を持っていた生徒指導が思うようにうまくいかなかったことが,何事にも几帳面で真面目,完璧主義であるというメランコリー親和型の傾向の強いAにとっては(上記1(12)イ(ウ)),大きな精神的な苦痛となっていたものと思われる。また,Aの残したメモ(上記1(10)カ)やO医師の診療録(上記1(9)オ,(10)ア,イ,エ)からは,AがCのネフローゼや妻との関係等の家庭の事情についても少なからず悩みを持っていたことが窺われ,Aのうつ病は,そのような家庭内における心理的負荷も相まって発症ないし増悪したものと考えられる。このように,公務が,Aのうつ病発症の一要因であったことは否定できないが,公務自体に,社会通念上,うつ病を発症若しくは増悪させる一定程度以上の危険性が内在し又は随伴していたということはできず,Aのうつ病の発症には,業務以外の心理的負荷及び個体側の反応性,脆弱性も大きく影響しており,公務はAのうつ病発症の共働原因となったに過ぎないものというべきである。

上記1(12)記載の医学的知見も,各要因の評価やその相互間の重点の置き方にはかなり違いがあるものの,上記判断と矛盾するものではない。

(3)  そうすると,Aのうつ病の発症及び自殺による死亡と公務との間に相当因果関係はなく,公務起因性を認めることはできない。

3  結論

以上によれば,Aの死亡につき公務起因性を認めることはできないから,原告の訴えのうち,処分行政庁が原告対し平成17年12月15日付けでした公務外災害認定処分の取消しを求める請求は理由がないから棄却することとし,平成14年8月1日付け公務災害認定請求について,地方公務員災害補償法による公務災害認定処分の義務付けを求める部分については,上記公務外災害認定処分が取り消されるべきものではないから,これを却下することとする。

(裁判長裁判官 瀧華聡之 裁判官 奥野寿則 裁判官 碩水音)

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