大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成2年(ワ)79号 判決 1992年3月23日

主文

一  被告は原告に対し、金九三万五、〇〇〇円及びこれに対する平成元年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを九分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行できる。

理由

【事 実】

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、金八一四万九、三六八円及びこれに対する平成元年四月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び第一項に限り仮執行宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

一  原告(請求原因)

1  診療経過

(一) 原告は、平成元年四月八日、左足首に痛みを覚え、左足の歩行が急に困難になつたので、足関節の脱臼ないし捻挫ではないかと思い、被告経営の接骨院において、被告の診療を受けた。

(二) 被告は、原告の左足を触診等により診察したうえで、原告に対し、通院を指示した。原告は、初診日から約四〇日間、右接骨院に通院し被告の治療を受けた。

(三) 原告の左足首の痛み及び歩行障害は一向に改善されず、原告は不安を覚え、同年五月一九日、訴外大津赤十字病院(以下、赤十字病院という)で診察を受けた。同病院では、原告は、左足首がアキレス腱断裂を起こしており、既に断裂から四〇日近くが経過しているため、もはや手術して断裂部を縫合することは不可能であると診断された。

(四) 原告は、さらに、訴外京都市立病院(以下、市立病院という)で診察を受けたが、左足関節部は十分機能を回復していない。

2  責任原因

(一) 診断過誤

被告は、原告の左足アキレス腱部の症状を、左下腿部挫傷と診断した。

ところが、原告の左足アキレス腱部は、不全断裂を起していたのであつて、被告は、右診断過誤により、左足アキレス腱不全断裂の場合にとるべき最も適切な治療をしなかつた。

(二) 治療過誤

(1) 被告は、原告の左足をギプスにより固定し治療すべきであつた。しかし、被告は、原告の左足に対し、十分な固定をしておらず、原告の左足の不全断裂した筋なし腱は萎縮したま硬直し、治癒しなかつた。

(2) 仮に、原告の患部が固定術によつても治癒しなかつたとするならば、被告は早期に縫合手術をするために、原告を外科医ないし整形外科医へ転送すべきであつた。

3  損害

(一) 治療過誤に対する慰藉料 一〇〇万円

(二) 治療過誤により生じた後遺症に対する慰藉料 四三四万円

(三) 通院に伴う休業損害 一七万〇、八三三円

102、500÷30日×50日=170、833

(四) 後遺症に伴う逸失利益

102、500円×12ケ月×0.27×7.945=2、638、535円

(五) 以上損害額合計 八一四万九、三六八円

4  よつて、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、金八一四万九、三六八円及びこれに対する加害の日である平成元年四月八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告(認否及び主張)

1  認否

(一) 請求原因1(診療経過)(一)の事実のうち、原告が、平成元年四月八日、被告経営の接骨院を訪れ、被告の診療を受けたことを認め、その余は知らない。

(二) 同1(二)の事実を認める。

(三) 同1(三)、(四)の事実は知らない。

(四) 同2の事実(責任原因)を否認する。

(五) 同3の事実(損害)を争う。

2  主張

(一) 被告は、原告の症状をアキレス腱の不全断裂と診断し、負傷名としては左下腿部挫傷とした。したがつて、被告に診断過誤はない。

(二) アキレス腱断裂に対して、保存療法と観血療法があるが、最近は保存療法が見直され、若いスポーツ選手以外は保存療法がなされることが多い。したがつて、手術療法のみがアキレス腱不全断裂の適切な治療法ではない。

被告は原告の左足を尖足位にして金属副子をあて、圧迫包帯をし十分固定したうえで、松葉杖を貸与し、左足を地面に着かないように指示した。しかし、原告が副子を取つて欲しい旨強く希望したので、被告は、副子をはずし、患部をテーピングした。もし、原告が被告の指示どおり患部を固定し、かつ左足を接地するなどして力を加えることをしないで、患部の安静を保つていれば、本件後遺障害は発生することなく早期に治癒していた。したがつて、被告に治療過誤はない。

(三) 仮に、被告に何らかの過失があつたとしても、原告が副子固定という被告の指示に従つていれば、早期完治していた筈であつて、原告に重過失があり、過失相殺をすべきである。

三  原告(被告の主張に対する認否)

被告の主張をすべて争う。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1(一)の事実のうち、原告が、平成元年四月八日、被告接骨院を訪れ、受診した事実及び同1(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  診療経過等について

右争いがない事実と《証拠略》を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  平成元年四月八日(土曜日)、原告の自動車の前に邪魔な自動車が駐車していた。そこで、原告は、同車のハンドルを手で持ち、左足を右足より後ろにつま先立ちして、全身に力を入れて同車を前に押して、動かそうとした。そのとき、左足首にパキンという大きな音がした。しばらく、同足首にしびれを感じた。原告は、すぐ自動車を運転し、帰宅した。

(二)  右同日、原告は、被告接骨院を訪れ、被告の治療を受けた。原告は左足がしびれ激痛が走つて痛いと訴えた。被告は、原告から前示受傷の経緯について説明を受け、原告をうつ伏せにして触診した。左下腿部の下から三分の一のアキレス腱と腓腹筋の移行部辺りが紫色になり内出血し、腫れていた。同部位に圧痛及び硬結があつた。被告は、触診の結果、原告の同部位に、陥凹を認めなかつたという。カルテには、病名を左下腿部挫傷と記載した。柔整師必携によれば、柔道整復師の場合、挫傷というものを、介達外力による筋、腱の断裂、いわゆる肉ばなれをいうとされている。

(三)  同日、被告は、原告に肉離れで二週間位で治るといつて、ベッドの上に寝かさせ低周波をかけ、マッサージをした。そして、冷湿布と包帯をして、風呂に入らないことを指示した。副木、副子はしなかつた。

(四)  翌九日は日曜日で原告は治療を受けていない。一〇日(月曜日)も同じ低周波治療、マッサージ、包帯、冷湿布を受けた。

(五)  同月一一日、被告は、治療方針として、患部の固定と冷すことが必要であると判断した。被告は、負傷部位に湿布をした。その上に市販の金属製の副子を下腿部の裏のひざの下から足の先まであてて、左足首を尖足位にし、圧迫包帯をした。被告は、原告に、左足首の固定のために地面に足を着かないように指示を与え、松葉杖を貸与した。

(六)  それ以後、原告は、毎日、被告接骨院に通院し、マッサージ、湿布、金属副子、圧迫包帯の治療を続けた。

(七)  同月一五日、原告は市立病院へ内科疾患(S状結腸症)で通院する必要があつた。そのために、副子をはずして欲しいと強く希望した。被告は、副子をはずして、ひざの下から足関節までをやや尖足位になるようにテーピングした。その結果、患部の固定はゆるくなつた。そこで、被告は、原告にステッキをついて歩行するように指示した。

(八)  同月二四日、被告は、このままでは治りそうにないと判断し、原告に対し、副子をさせるよう説得し、副子を左下腿部の裏のひざの下から足の先まであてた。

(九)  同月二七日、原告は市立病院へ通院するため副子をはずすように強く希望した。被告は、再び副子をはずしてテーピングした。

(一〇)  同年五月一八日、被告は原告に対し、これ以上治らないといつた。右同日の段階で、原告の患部は内出血が終わつたものの、圧痛、硬結が取れなかつた。

(一一)  同年五月一九日、原告は、大津日赤病院に通院し、医師泰永募の診察を受けた。原告は、右泰永に対し、左下腿部の疼痛、腫張を訴えた。泰永は、視診、触診をした。腫張、圧痛があること、腓腹筋からアキレス腱への連続性が十分あることを確認している。原告の病名を腓腹筋の不全断裂であると診断した。

(一二)  原告は、平成三年九月一四日まで、合計九回、大津日赤に通院し、湿布、痛み止めの薬の投与、リハビリを受けた。

(一三)  原告は、この間、市立病院にも通院したが、同病院の医師大辻孝昭は病名をアキレス腱不全断裂と診断した。その際、浮腫、硬結を認めたが、陥凹は認められなかつた。原告は、同病院で、痛み止めと腫れを止める薬の投与を受け、四、五か月通院したが、症状が固定したので、通院を止めた。

(一四)  原告は、現在、歩くことはできるが、ときどき痛みが走り、つま先立ち、走ること、重い荷物を持つことはできない。

三  被告の診断過誤の検討

1  前認定二(一)、(二)の事実のとおり、被告は、原告から受傷の経緯、とくに断裂音がしたことを聞いたうえで、原告を触診し原告の左下腿部の下から三分の一のアキレス腱と腓腹筋の移行部辺りに内出血、圧痛及び硬結を確認して、カルテには、左下腿部挫傷と記載している。

2  被告は、アキレス腱と腓腹筋の移行部に不全断裂が起きているんやないかと思つた。カルテに左下腿部挫傷と記載したのは、これが柔整師必携では、アキレス腱不全断裂と同じことを意味するからであると述べている。

3  柔道整復理論によると、筋損傷(肉ばなれ)は、一般に、筋、腱の一部または全部の断裂をいう。下腿部の肉ばなれは、腓腹筋に多くみられるが、ヒラメ筋にもおこるとされ、アキレス腱断裂とは明らかに区別されている。その症状は、筋損傷部位に限局した圧痛、軽度の腫張、皮下出血があり、ときには硬結を触知できる。治療は、受傷後数日間冷湿布、必要により絆創膏固定、厚紙副子固定、弾性包帯をし、五、六日後より温罨法、電気治療、手技療法を施すとしている。被告は、原告にアキレス腱不全断裂という言葉をもつて、病名を告知していなかつた。そして、前認定二(三)のとおり、被告は、原告に対し肉ばなれと告知して冷湿布をし、低周波、マッサージ、弾性包帯の施療をしている。ところが、右整復理論によると、アキレス腱断裂の症状は、断裂部に陥凹が生じ圧痛があるとし、治療としては副子固定、温熱療法、手技療法、等尺療法を挙げている。

4  なお、被告は柔道整復の場合は、下腿部挫傷という上位概念は広く、その中にアキレス腱断裂も含むもので、被告は下腿部挫傷の病名の下にアキレス腱不全断裂を診断した旨主張する。

なるほど、柔道整復師の施術の療養費の算定基準につき、下腿部挫傷の項において、これが下腿部を走行する筋の負傷、損傷を指すものとされている。また、挫傷とは、柔道整復後独自の解釈として運動筋の収縮のアンバランスによつて疼痛が発生するもので、<1>基礎的状態のもとに、<2>種々の外力が加わり、<3>各部に損傷、障害をひきおこすという幅広い考え方である。しかし、これには正確な病因の把握と理論づけが必要で、他疾患との鑑別に留意を要すると説かれている。

そして、柔道整復理論でも、下腱部の軟部組織損傷の項の下に、<1>肉ばなれ、<2>挫傷、<3>向こう脛打撲、<4>こむら返り、<5>アキレス腱断裂などを区別して、それぞれの症状、治療法などを掲記している。

したがつて、下腿部挫傷の病名の下にアキレス腱断裂と診断することのみでは不十分かつ不正確なもので、被告の右主張は採用できない。

5  以上のとおりであるから、被告は当初原告の病名につき疾患相互の鑑別の注意を怠つた過失によりアキレス腱不全断裂とせず、左下腿部の肉ばなれないし挫傷と不正確かつ不十分な診断をしていたものと認めることができる。これに反する被告本人尋問の結果の一部は《証拠略》に照らし、遽かに採用できず、他に右認定を動かすに足る証拠がない。

四  被告の治療過誤の検討

1  アキレス腱断裂の治療方法について

《証拠略》によれば、以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一) アキレス腱断裂は、腓腹筋腹の腱移行部、踵骨の付着部又はその上部に生ずる断裂をいう。原告の病名は整形外科医により、左アキレス腱不全断裂(京都市立病院大辻孝昭の診断)、左下腿三頭筋(腓腹筋)不全断裂(大津日赤病院医師泰永募の診断)と診断されている。

(二) アキレス腱断裂の場合、縫合手術をする観血療法とギプス固定による保存療法があり、いずれの療法がより治療効果があるかについては、見解が分れている。

(三) 原告のように、筋腱移行部に断裂がある場合、アキレス腱自体の断裂と異なり、縫合がかなり困難であつて、手術に適さない。

(四) 患部に陥凹が見られ断裂が大きい場合であれば、局所の安静を保つため、副木でなく、足首を尖足位にして、ギプス固定をする必要がある。軽い筋肉の腫れ、挫めつという程度の軽い症状であれば、湿布、疼痛に対する投薬のみで足る。もとより、副木固定をしてもよい。

(五) 副木は取外しが容易で、包帯固定がゆるみ易い。また、患者が勝手に外すことも多い。そのため、整形外科医は副木固定を用いず、ギプス固定を行つている。

2  被告の治療過誤の検討

(一) 治療の経緯

(1) 前四1(二)認定事実に照らすと、原告のように筋腱移行部に断裂がある場合は、縫合手術がかなり困難であつて、手術に適さない。したがつて、被告が手術による観血療法を採るため、整形外科医へ転送せず、そのまま保存療法を行つたこと自体に過誤はない。

(2) 前示三のとおり、被告は初診当時、原告のアキレス腱不全断裂を肉ばなれないし下腿部位挫傷と診断した。冷湿布、低周波、マッサージ、弾性包帯をしたのみで十分な固定をしなかつた。その三日後に、初めて金属副子で固定した。ギプス固定はしなかつた。

(3) 被告は、前認定二(二)のとおり原告の負傷部位に陥凹を認めなかつたところから、その症状を軽度のものとして、当初固定を行わなかつた。三日後の右金属副子による固定も金属副子(クラメール)によるものである。これは、手軽で自在に変化がつけられるので、応急固定として利用に便利であるが、その固定の強度に劣るところがある。

しかも、被告は原告の求めに応じて、四月一五日(同日から同月二七日まで)、二七日(同日以降)の二度に亘り、副子をはずし、テーピングに切替えたため、患部の固定はさらにゆるくなつた。

(二) 治療の過誤

(1) 右(一)認定の治療の経緯に照らすと、被告は、次の点に治療過誤が認められる。

イ 初診当初、原告の負傷の程度を軽視して、固定をしなかつた。

ロ その三日後の金属副子による固定は、ギプス固定と異なり、原告の負傷に対応するものとしては、固定の強度が不十分であつた。

ハ 原告の負傷が当初の診断の二週間を経過しても容易に治療しないのに、整形外科医に転送していない。

ニ 原告の求めに応じて、安易に金属副子の固定をはずし、テーピングに切り替えた。

(2) 被告には、柔道整復師として、次の注意義務がある。

<1> 柔道整復師法により許された範囲で、皮下損傷につき、その範囲、経過、現症等を観察、その症状を的確に把握して、患部に適応した処置をうながし、軟部組織損傷部修復の早期完了を施すべき義務。

<2> 業務外のもの又は手術又は医師の治療が必要となる重度の負傷については、整形外科などへ転送すべき義務。

被告の右(1)認定の治療の過誤はこれらの注意義務を怠つたもので、被告の過失によるものというほかない。

四  原告の損害

1  《証拠略》によると、原告は被告の右治療過誤により、現在つま先立ちができず、歩行に若干の困難が生じていることが認められ、これにより、次の損害があると認めるのが相当である。

(一) 精神的苦痛による慰藉料 五〇万円

(二) 後遺症による慰藉料 一三七万円

(つま先立ちができないという機能障害は第一三級をもつて相当とする-一足の第一の足指又は他の四つの足指の用を廃した場合にはつま先立ちができないが、アキレス腱断裂の場合はつま先立ち以外の機能が失われていないので第一三級が相当である)。

2  原告は右損害のほか、通院に伴う休業損害、後遺症に伴う逸失利益を主張するが、《証拠略》によつても、原告が本件アキレス腱の本来治療すべき時期及びこれを経過後の休業とこれによる具体的な損害額は不明で、これを認めることができず、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。

五  過失相殺

《証拠略》によると、原告は被告の松葉杖やステッキの使用の指示を厳重に守らず、セールスの仕事に回つていること、前認定二(七)、(九)のとおり、二度に亘つて、金属副子を外すように強く求めて被告にこれを外させていること、遅くとも被告の説明した治療期間二週間を過ぎた時期には自らもその判断で整形外科医に受診すべきであるのにこれをしなかつたことなどに、少なからぬ過失があると認められる。そして、この過失割合を五割とみて、これを斟酌し、損害額の五割に当る金九三万五、〇〇〇円もつて賠償額と定めるのが相当である。

六  結論

したがつて、被告は原告に対し、本件施術過誤に基づく不法行為による損害賠償金として、金九三万五、〇〇〇円及びこれに対する不法行為による損害発生の日である平成元年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある(なお、前認定三、四の説示に照らし、不法行為による損害発生の日は早くとも平成元年四月二七日であつて、原告主張の同月八日とは認められない)。

以上のとおり、原告の本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却する。訴訟費用の負担につき民訴法九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用する。なお、仮執行免脱宣言は相当でないから、これを付さない。よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉川義春 裁判官 菅 英昇 裁判官 岡田 治)

《当事者》

原告 馬場泰治

右訴訟代理人弁護士 竹下義樹

被告 本間利忠

右訴訟代理人弁護士 川瀬久雄

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例