大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成20年(ワ)2006号 判決 2010年3月08日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,790万1895円及びこれに対する平成20年8月7日(訴状送達の日)から支払済みまで年6%の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

被告は,平成10年6月8日から平成15年1月31日まで(実質は平成14年12月末日まで)原告の嘱託社員であり,平成12年1月から退職するまで中国上海に駐在していた。原告は,被告が,この駐在中,原告の中国における事業責任者としての地位にありながら,次の3つの行為をし,これらが雇用契約上の債務不履行に該当すると主張して,これに基づく損害賠償及び商事法定利率による遅延損害金を請求する。

①  売却先からの注文がないのに商品である金粉を原告本社に出荷させ,上海の倉庫に在庫して放置して,前記金粉が錆びて価値を失わせた行為(以下「本件金粉在庫行為」という。)

②  原告と取引先であるA貿易有限公司(以下「A」という。)との間の合意によってAから原告に対して支払われるものとして被告が受領した現金の一部を原告本社に送金するのを怠った行為(以下「本件送金懈怠行為」という。)

③  原告がAを介して大連B貿易有限公司(以下「大連B」という。)に販売した商品の売掛金について,原告本社,Aのいずれの了解も得ずに,大連Bに対しこれを免除した行為(以下「本件売掛金免除行為」という。)

被告は,被告が本件金粉在庫行為,本件送金懈怠行為及び本件売掛金免除行為(以下これらをまとめて「本件各行為」という。)の当時,原告の中国における事業責任者としての地位にあったことを争い,本件各行為についてもそれぞれ争うほか,原告の請求について商事消滅時効が成立しているとの抗弁を主張する。

なお,原告は,本訴提起時には,本件各行為のほか,現地法人を設立するため原告本社から送金を受けた仮払金について,法人の設立ができなかったことからこれを返金すべきであるのに,その一部を返金しなかった行為についても,同様の損害賠償等を請求していたが,弁論準備終結後の口頭弁論期日においてこれを取り下げた。

1  前提事実(証拠等により認定した事実については,その末尾に当該証拠等を挙示する。)

(1) 原告は,捺染用顔料樹脂等の製造販売を業とする株式会社である。被告は,平成10年6月8日から平成15年1月31日まで(実質は平成14年12月末日まで)原告の嘱託社員であり,平成12年1月から退職するまで中国上海に駐在していた。

原告代表者は,当時営業部長ないし副社長であって,被告の上司として中国における事業を職掌していた(以下原告代表者を時期にかかわらず「C副社長」という。)。また,原告の従業員Dは,平成6年10月ころから,原告の中国事業を担当し,被告が退職した後はその業務を引き継いだ。

(甲9から11まで,甲38,甲39,弁論の全趣旨)

(2) 原告は,かつて,中国への商品の輸出について,名古屋市に所在していた商社であるB株式会社を窓口としていた。そして,同社は,その関連会社である上海所在の上海B貿易有限公司に商品を販売し,更に上海B貿易有限公司が,中国国内各地に存在する関連会社の大連B等の各B貿易有限公司(以下「Bグループ各社」という。)に商品を販売し,そこから末端のユーザーに商品が流れるようになっていた。

しかし,平成11年12月ころ,前記B株式会社が倒産し,更に上海B貿易有限公司にも問題が生じたため,上海B貿易有限公司の営業がAに譲渡され,その後,原告は,中国の外貿を通じてAに商品を販売し,Aが中国国内のBグループ各社に商品を売却するようになった。

(乙6,証人D,被告本人,弁論の全趣旨)

(3) さらに,平成12年12月ころには,Aにおける売掛金の管理にも問題が生じたため,原告の中国事務所が,Aの売掛金の実質的な管理をするようになり,被告が同事務所のリーダーという立場でその業務を担当することになった。

(甲10,甲11,甲38,被告本人)

(4) 被告は,原告に対し,平成21年3月19日の本件弁論準備手続において,商事消滅時効を援用するとの意思表示をした。

(当裁判所に顕著)

2  争点

(1) 本件金粉在庫行為

(原告の主張)

原告の中国事業においては,原告本社から中国国内に商品を発送するについて,予め中国国内における販売先がBグループ各社のいずれかに具体的に存在することが求められており,被告には,中国事業の責任者として,雇用契約に基づき,販売先が具体的に存在することを確認してから原告に商品を輸出するよう指示すべき注意義務があった。

しかし,被告は,平成12年1月に上海に赴任した後,具体的な販売先の存在を十分に確認することなく,青島B貿易有限公司(以下「青島B」という。)からの発注分として,金粉(型番E-7,以下「本件金粉」という。)合計3tを原告本社に発注し,原告の上海倉庫に保管した。ところが,実際には,青島Bは前記の発注をしておらず,被告はそのことを原告本社に秘したまま本件金粉を倉庫に放置したため,処分の機会がなくなり,引取先のあった150kgを除く2850kgの在庫が錆びてその価値を喪失した。

したがって,被告は,前記注意義務に違反しており,これにより,本件金粉の現地での単価は,75.60元/kgであり,平成20年6月30日現在,1元=15.33円であるので,原告に330万3001円の損害が生じているので,その損害を賠償する義務がある。

(被告の主張)

ア 被告は,原告の中国事務所において,商品流通の事務を取り扱っていたが,あくまでも,原告本社の指図に従って前記事務を取り扱っており,原告が指図なしに無断で商品を発注し,見込みの在庫をさせたことはない。

イ 仮に,被告が見込みの在庫をさせたとしても,商取引一般からみて雇用契約上の債務不履行には当たらない。また,本件金粉が錆びたことは,すべて被告の発注に起因するものではなく,本件金粉のその後の保管状況等の影響を受けている。

(2) 本件送金懈怠行為

(原告の主張)

被告には,原告の中国事業の責任者として,現地において,Aからの金員の回収等を管理し,回収した金員を適切に記帳するなどして,原告本社に確実に当該金員が送金されるよう配慮すべき雇用契約上の注意義務があった。

ところで,原告とAとは,平成13年12月11日,契約番号DM-04の取引の代金支払に関し,Aの原告に対する過払分を控除し,Aが原告に対し2万9455元を支払う旨の合意をし(この合意を以下「本件合意」という。),Aは,被告に対し,本件合意に基づく弁済の趣旨で,同額の現金を交付した。しかし,被告は,原告本社に対し,340元のみ原告の帳簿に記載するにとどまり,残額2万9115元(44万6332円)を送金しなかった。

したがって,被告は,前記注意義務に違反しており,これにより,原告に44万6332円の損害が生じているので,その損害を賠償する義務がある。

(被告の主張)

被告は,本件合意をするための手続に関与した記憶はあるが,本件合意に基づく支払がどのようにされたかは知らない。

原告の中国事務所における資金は,中国人スタッフの名義の銀行口座によって管理されており,Aの原告に対する支払も同口座において管理されているから,被告が無断でAからの金員を取得することはできない。

(3) 本件売掛金免除行為

(原告の主張)

被告には,原告の中国事業の責任者として,原告のBグループ各社に対する売掛金を適切に管理,回収し,かつ売掛先からの回収が困難な場合,必要な調査を遂げた上で,事前に原告本社及びAの了解を得て債務免除等をすべき雇用契約上の注意義務があった。

被告は,平成12年当時,上記1(3)記載のとおり,Aの売掛金を実質的に管理していた。このころ,Aは,大連Bに対し,27万0878.20元(415万2562円)の売掛金債権を有していたが,被告は,原告本社,Aのいずれの了解も得ずに,上記債権の免除をした。

したがって,被告は,前記注意義務に違反しており,これにより,原告は,Aから,上記金額の負担を求められており,同額の損害が生じているので,その損害を賠償する義務がある。

(被告の主張)

被告は,Aの大連Bに対する売掛金債権の回収の状況などを調査し,把握していたが,Aが大連Bに対し原告主張の額の売掛金債権を有していたかは知らない。また,被告には,その額いかんにかかわらず,前記売掛金債権を免除する権限はなく,免除をしたこともない。

(4) 本件各行為に係る被告の権限

(原告の主張)

C副社長は,中国事業を職掌していたが,形式的なものであり,実際には,中国担当の現地における最終責任者は,被告である。また,Dは,被告の指揮命令に基づいて,業務を執行していたにすぎない。

被告は,設立の予定されていた原告子会社において,総責任者となることが予定されていたし,被告自身が原告の中国担当責任者である旨の確認書に署名捺印していることからして,被告が中国事業の最終責任者である。

(被告の主張)

被告は,原告の中国事務所における売掛金や経費の収支を,すべて上司であるC副社長やDに報告している。また,本件合意や売掛金免除については,C副社長の決裁が必要であり,実際に決裁を得ている。

(5) 商事消滅時効

(被告の主張)

ア 原告と被告との間の雇用契約は,被告会社の行為として商行為であると推定されるので,その債務不履行に基づく損害賠償請求権については商法522条が適用され,その消滅時効期間は5年である。そして,本訴請求債権の時効の起算点は,遅くとも原告と被告との間の雇用契約が終了した平成15年1月31日であり,本訴が提起された平成20年7月1日より前に時効期間が経過しているから,被告は,この時効を援用する。

イ 原告が下記で指摘する最高裁判例は,国が負う安全配慮義務に関し会計法30条の適用の是非が問題となった事案であり,本件とは事案を異にする。また,私企業における雇用契約から信義則上生じる安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権について,民法168条の適用を受ける旨を判示する裁判例もあるが,これらはじん肺事件のような特殊な安全配慮義務違反に関する損害賠償請求権についてのものであり,本件とは事案を異にする。

(原告の主張)

株式会社が使用人との間で締結する雇用契約については,商法522条は適用されないものというべきである。商法522条は,会社と雇用契約関係にある従業員が安全配慮義務違反に基づいて損害賠償を請求する場合(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁)のように,商人が行った行為であっても適用されない場合があるところ,本件の損害賠償請求権は,雇用契約の本来の給付義務である労務の提供をしなかったことに基づく損害賠償請求ではなく,労務提供に際して付随的に会社に損害を与えないようにすべき義務の違反があったことに基づく損害賠償請求であって,前記の最高裁判例等と同様に,商人の取引について早期の権利義務関係の確定を図る必要があるとの同条の趣旨が妥当しないし,本件のような従業員の不適切な業務の執行は,ある程度の期間を経過して初めて発覚するものも少なくないから,本件の損害賠償請求権の消滅時効については,商法522条を適用せず,その期間は民法167条に基づいて10年とすべきである。

第3争点に対する判断

1  本件請求については,上記第2,1(4)記載のとおり,被告が商事消滅時効を援用する旨の意思表示をしているので,この点(争点(5))についてまず判断する。

2  株式会社とその従業員との間の雇用契約は,会社がその事業のためにする行為であるから,商行為である(会社法5条)。そして,商行為によって生じた債権は,5年間の短期消滅時効が定められている(商法522条)。そこで,本件で原告が請求する雇用契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求権が,商法522条の「商行為によって生じた債権」といえるかについて,検討する。

商行為である契約上の債務の不履行に基づく損害賠償請求権は,通常はその債務がその態様を変じたにすぎないものであるから,商法522条の「商行為によって生じた債権」に該当するというべきであるが,その債務不履行責任が,株式会社の取締役の会社に対する損害賠償責任のように,法によってその内容が加重された特殊な責任である,あるいは,商人である使用者の被用者に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任のように,本体的給付から離れた付随的義務を原因とする責任であるなど,契約上の債務が単に態様を変じたにすぎないということができず,商事取引における迅速決済の要請が妥当しない場合には,前記の「商行為によって生じた債権」に該当しないものと解するのが相当である(最高裁昭和47年5月25日第一小法廷判決・裁判集民事106号153頁,最高裁平成6年2月22日第三小法廷判決・民集48巻2号441頁,最高裁平成20年1月28日第二小法廷判決・民集62巻1号128頁参照)。

3  これを本件についてみると,本訴請求に係る債務不履行責任は,雇用契約における被用者の本体的給付義務である労務の提供がないという単純な不履行に基づくものではないものの,労務の提供の内容ないし方法に関する注意義務違反を原因とするものであって,本体的給付から離れた付随的義務を原因とするものということはできない。また,商事取引における迅速決済の要請についても,例えば商人間の売買取引における債権債務関係のような場合と比較すれば,会社における雇用契約についてその要請の程度が異なるということはできるけれども,会社にとって,雇用契約に基づく債権債務関係を他の債権債務と同様に迅速に決済する要請がないとはいえない。原告は,本件のような従業員の不適切な業務の執行による債務不履行は,ある程度の期間を経過して初めて発覚するものも少なくないなどとも指摘するが,会社における従業員の労務の提供については,取締役の任務懈怠行為とは異なり,会社がその内容を適切に管理して把握すべきものであるから,このような指摘は当を得ない。

そうすると,本訴請求に係る債務不履行責任は,商行為である雇用契約上の債務がその態様を変じたにすぎないものとして,商法522条の「商行為によって生じた債権」に該当するものというべきであるから,同条により,その消滅時効期間は5年となる。そして,本訴請求債権の時効の起算点は,遅くとも原告と被告との間の雇用契約が終了した平成15年1月31日であり,本訴が提起された平成20年7月1日より前に時効期間が経過しているから,本訴請求債権についてはいずれも時効が成立する。

第4結語

以上によれば,被告の商事消滅時効の抗弁に理由があるから,本訴請求の請求原因の成否にかかわらず,原告の請求はいずれも理由がなく,棄却する。訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用する。

(裁判官 小堀悟)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例