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京都地方裁判所 平成20年(ワ)2099号 判決 2009年6月15日

主文

1  原告の訴えをいずれも却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

1  被告は,原告に対し,別紙不動産目録記載の建物を明け渡せ。

2  被告は,原告に対し,平成20年4月19日から別紙不動産目録記載の建物明渡済みまで1か月当たり52万3416円の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告に対し,別紙X寺財産目録記載の動産を引き渡せ。

第2  事案の概要

1  本件は,宗教法人である原告が,寺院を占有する被告に対して,所有権に基づき,寺院建物の明渡し及び寺宝等の動産の引渡しを求めるとともに,寺院建物の賃料相当損害金の支払を求める事案である。

被告は,原告代表者の代表権限を争い本件訴えの却下を求めるとともに,被告には寺院建物及び寺宝等の占有権原があるとして請求棄却を求めた。

2  (日蓮正宗に関する前提事実)

本件は,仏教の有力な一宗派である日蓮正宗の内部紛争を背景とした事案である。そこで,日蓮正宗に関する前提事実を,本件事案の理解及び判断に必要な限度で以下に摘記する。

(1)日蓮正宗は,宗教法人法に基づく法人格を取得している。

(2)(日蓮正宗の内部規則)

日蓮正宗の主要な内部規則としては,「宗制」及び「宗規」がある。

「宗制」は,宗教法人法12条所定の事項について制定され,所轄庁の認証を受けた規則である。その主たる内容は,宗教法人としての機関及び財務に関する定めである。「宗規」には,宗教団体としての教義,人事及び財産関係等について様々な規定が置かれている。

(3)(法主,管長及び代表役員)

ア 日蓮正宗の信仰上の最高権威者である僧侶は「法主」と称する。代々の法主は,先代の法主によって選ばれ,「血脈相承」を通じてその権能を引き継ぐものとされている。このことは,宗規(後記の平成16年改正以前のもの。以下「旧宗規」という。)において,以下のとおり規定されていた。

「法主は,宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し,本尊を書写し,……号を授与する。」(14条1項)

「法主は,必要と認めたときは,能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し,緊急やむを得ない場合は,大僧都のうちから選定することもできる。」(14条2項)(判決注:「能化」及び「大僧都」は,いずれも,日蓮正宗における僧侶の位階である。)。

イ 日蓮正宗には,宗務行政を総理する「管長」という地位がある。そして,法主が管長を兼ねることが通例となっていた。このことは,旧宗規において,以下のとおり規定されていた。

「管長は,法主の職にある者をもって充てる。」(13条2項)

ウ また,管長は,宗教法人日蓮正宗の代表役員となる定めである(宗制6条1項)。

(4)(亡細井日達について)

昭和34年11月17日,亡細井日達が,先代の法主兼管長の遷化(死亡)に伴い,日蓮正宗の法主兼管長に就任した。

亡細井日達が先代の法主の生前に血脈相承を受け,正当な法主兼管長となったことについて,日蓮正宗の僧侶及び壇信徒から疑義が呈されたことはない。本件の当事者間にも争いはない。

(5)(亡細井日達の遷化と阿部日顕の登場)

ア 昭和54年7月22日,亡細井日達は法主兼管長に在位したまま遷化(死亡)した。

イ 同日,日蓮正宗の緊急重役会議において,大僧都であった阿部日顕が,亡細井日達の生前の昭和53年4月15日に同人から血脈相承を受け次期法主として選定されていた,と申し述べた。そして,日蓮正宗の僧侶及び壇信徒の大多数は,阿部日顕が日蓮正宗の法主兼管長であることにつき異を唱えなかったため,同人が,法主兼管長として儀式礼拝及び宗務行政を司るようになった。

(6)(正信覚醒運動)

ところで,日蓮正宗の内部では,亡細井日達の生前の昭和52年頃から,一部の僧侶によって「正信覚醒運動」と呼ばれる活動が展開されていた。そして,亡細井日達の死後の昭和55年頃から,その活動が激化し,「正信会」を組織して,阿部日顕を中心とする指導部と鋭く対立するようになった。

そして,正信会所属僧侶らは,阿部日顕が正当に亡細井日達から選定を受けた法主であることについても,公然と異を唱えるようになった。このことは,日蓮正宗では管長の地位は法主の地位を前提とする以上,阿部日顕の管長の地位をも争うことを意味した。

これに対抗して,阿部日顕は,昭和57年2月,日蓮正宗の管長として,正信会所属僧侶の多数を宗規に基づく「擯斥」(僧籍の剥奪)等の懲戒に処した。

(7)(末寺訴訟及び平1蓮華寺最判)

日蓮正宗は,擯斥に処された正信会所属僧侶が住職を務めていた寺院について,当該僧侶は僧籍の剥奪によって当然に住職の地位を失ったとして,別の僧侶を新住職として任命し,これら新住職が各寺院に相当する被包括宗教法人の代表役員として登記された。そして,各被包括宗教法人は,新住職を代表者として,旧住職たる正信会所属僧侶を相手取って,各地の地方裁判所に,各寺院の建物明渡請求訴訟を提起した。

これに対して,旧住職たる正信会所属僧侶らは,阿部日顕は血脈相承を受けていないから法主ではなく,したがって管長でもないから擯斥処分は無効であるなどと主張して争った。そして,逆に,各被包括宗教法人を相手取って,代表役員の地位の確認訴訟を提起した。

これら建物明渡請求訴訟と地位確認請求訴訟は,いずれの裁判所でも併合して審理された(以下,総称して「末寺訴訟」という。)。そして,最高裁判所は,末寺訴訟に関する最初の判決において,法律上の争訟に当たらないという理由によって,双方の訴えをいずれも却下した(平成元年9月8日第二小法廷判決・民集43巻8号889頁。以下「平1蓮華寺最判」という。)。これを受けて,全国の末寺訴訟はすべて訴えの却下によって終了した。

(8)(管長訴訟及び平5管長訴訟最判)

正信会所属僧侶らは,阿部日顕及び宗教法人日蓮正宗を相手取って,阿部日顕の代表役員の地位の不存在確認等を求める訴えをも提起していた(以下「管長訴訟」という。)。

管長訴訟についても,最高裁判所は,法律上の争訟に当たらないという理由によって,訴えを却下した(平成5年9月7日第三小法廷判決・民集47巻7号4667頁。以下「平5管長訴訟最判」という。)。

(9)(新宗規の制定)

ア 平成16年3月5日に,日蓮正宗は宗規を改正した。

イ 改正後の宗規(以下「新宗規」という。)では,法主の選定について,次の規定が置かれた。

「法主は,能化のうちから次期の法主を選び血脈を相承する。」(7条2項)

「法主は,遷化又は自らの意思による以外はその地位を退くことはない。」(同条3項)

「前項により法主がその地位を退いたときは,第2項により血脈を相承された者が法主となる。」(同条4項)

ウ また,管長の選任について,新宗規には次の規定が置かれた。

「新管長は,管長推戴会議において選定する。」(17条1項)

「管長推戴会議は,法主となった者を新管長に選定する。」(同条2項)

「管長推戴会議の結果に対しては,何人も異議を申し立てることができない。」(同条4項)

「管長推戴会議は,管長,学頭,総監,重役及び能化によって構成する。」(18条1項)

「管長推戴会議は,管長がこれを招集し,その議長となる。」(同条2項)

(10)(早瀬日如の管長選任)

ア 平成17年12月15日,新宗規に基づく管長推戴会議(以下「平17推戴会議」という。)が開催され,早瀬日如を日蓮正宗の新管長に選定する議決を行った。

イ 正信会所属僧侶らは,早瀬日如の管長の地位をも争っている。

3  (本件寺院に関する前提事実)

(1)原告は宗教法人日蓮正宗を包括団体とする宗教法人であり,その宗教施設の名称が「X寺」である。

(2)別紙不動産目録記載の建物(以下「本件建物」という。)及びその敷地並びに別紙X寺財産目録記載の動産(以下「本件動産」という。)は,いずれも原告の所有に係るものである(以下,本件建物と本件動産をあわせて「本件建物等」という。)。

(3)原告の宗教法人法上の規則に当たる「宗教法人『X寺』規則」(以下「X寺規則」という。)には,原告の代表役員は,日蓮正宗の規定によって,X寺の住職の職にある者をもって充てる旨の規定がある。

日蓮正宗の宗規は,旧宗規・新宗規を通じ,管長の行うべき宗務の一つとして,住職の任免を定めている。

したがって,日蓮正宗の管長によって任免されるX寺住職が,当然に原告の代表役員となる関係にある。

(4)亡甲野一郎は,昭和49年8月5日,日蓮正宗の亡細井日達管長によってX寺住職に任命され,もって原告の代表役員にも就任した。同日,亡甲野一郎は,X寺住職兼原告代表役員として,本件建物等の占有を開始した。

(5)亡甲野一郎は,正信会に属して活動したことから,阿部日顕を法主兼管長とする日蓮正宗指導部と鋭く対立するに至った。

昭和57年2月,日蓮正宗は,亡甲野一郎を擯斥処分に処した。そして,日蓮正宗は,後任のX寺住職兼原告代表役員を任命した。

(6)これに引き続き,原告及び亡甲野一郎の間で,末寺訴訟が係属するに至った(当庁昭和57年(ワ)第245号事件,同第1767号事件。以下「前件訴訟」という。)。

前件訴訟の第一審では,原告が勝訴した。しかし,その控訴審係属中に平1蓮華寺最判が現れたのを受けて,平成3年4月19日,原告及び亡甲野一郎の訴えをいずれも却下する旨の控訴審判決が言い渡され,平成5年7月20日,上告棄却によって確定した。

(7)前件訴訟が訴え却下という結果に終わったのを受けて,亡甲野一郎は,本件建物等の占有及びX寺の寺務執行を継続した。

(8)平成19年11月24日,亡甲野一郎は病気療養のため住職としての務めを全うすることができなくなったとして,被告に対して寺務の一切を任せた上で,X寺から退去した。

(9)平成20年4月18日,亡甲野一郎が死亡した。

(10)被告は,亡甲野一郎の死亡後,X寺における寺務を執行するとともに,本件建物等の占有を継続している。

(11)平成20年6月17日,早瀬日如は日蓮正宗の管長として,丙川二郎をX寺の住職に任命した。原告の法人登記上も,丙川二郎が同日付で原告の代表役員となった旨の登記がなされている。

第3  争点

1  原告代表者の代表権限について

原告の代表者として表示されている丙川二郎について,代表権限の証明がないことを理由に,本件訴えを不適法として却下すべきか。

2  被告の占有権原について

被告は,原告に対抗し得る本件建物等の占有権原を有するか。

第4  争点1(原告代表者の代表権限の有無)に関する当事者の主張

1  〔原告〕

(1)以下の理由により,被告には,原告代表者の代表権限を争う資格はない。

宗教法人の代表役員の代表権限を争うためには,代表役員の地位について法律上の利害関係を有していることを要する(最高裁平成7年2月21日第三小法廷判決・民集49巻2号231頁。以下「平7最判」という。)。被告は,原告において組織上の地位・立場を有しないし,本件建物等についての占有権原も有しないから,平7最判の法理によれば,被告には原告代表者の代表権限を争う資格はない。

(2)丙川二郎は,日蓮正宗の管長である早瀬日如によってX寺の住職に任命された者であるから,原告の代表役員として代表権限を有する。

2  〔被告〕

(1)原告の上記1(1)の主張はいずれも争う。

平7最判は,宗教法人を被告として宗教法人の代表役員の地位を争う本案訴訟の原告適格に関するものであるから,本件とは事案を異にする。

また,被告は,原告の正当な代表役員であった亡甲野一郎から寺務の一切を任された者として,準委任契約又は事務管理に基づき本件建物等を占有しているから,被告は,本件建物等について法律上の利害関係を有し,平7最判の法理によっても,原告代表者の代表権限を争う資格を有する。

(2)ア原告の上記1(2)の主張のうち,早瀬日如が日蓮正宗の管長であることは否認する。したがって,早瀬日如が行った任命によっては,丙川二郎がX寺住職の地位を取得することはなく,原告代表役員としての代表権限を取得することもない。

イ 早瀬日如が日蓮正宗の管長であることを否認する理由は,その前任の法主兼管長であるとされる阿部日顕が,前々任の法主兼管長である亡細井日達からの血脈相承を受けていないため,法主として「選定」されておらず,したがって管長にも就任していないからである。阿部日顕が法主兼管長ではなかった以上,阿部日顕によって招集された平17推戴会議が,阿部日顕によって新法主に選定された早瀬日如を管長に選定しても,早瀬日如が日蓮正宗の管長になることはない。

第5  争点2(被告の占有権原の有無)に関する当事者の主張

1  〔被告〕

(1)(準委任契約)

平成19年11月24日,被告は,本件建物等の占有権原を有する亡甲野一郎から,X寺の寺務一切を委任され,かかる準委任契約の一環として本件建物等の占有を開始した。委任者の死亡によって準委任契約は終了しないから,亡甲野一郎の死亡後も,被告は準委任契約に基づき本件建物等の占有権原を有する。

(2)(事務管理)

上記準委任契約が,亡甲野一郎の死亡により終了しているとしても,被告は,日蓮正宗の正当な管長によってX寺に次の住職が任命されるまで,いわば事務管理として本件建物等を占有しているものである。

2  〔原告〕

(1)亡甲野一郎との準委任契約は,所有権者たる原告に対抗し得る占有権原とはなり得ないのであって,被告の主張はそれ自体失当である。

(2)事務管理の主張が,所有権者たる原告に対抗し得る占有権原とはなり得ないことは明白である。

第6  争点1に関する判断

1  被告は原告代表者の代表権限を争うことができるか。

(1)民事訴訟の当事者が法人である場合,法人の代表者の地位は訴訟要件の一つであって,裁判所はこれを職権で調査しなければならない。したがって,裁判所は,被告の主張がなくても,法人たる原告に対して代表者の代表権限の証明を求め,その証明がない場合には訴えを却下すべきである。そうすると,本件において,被告が原告代表者たる丙川二郎の代表権限を争うことは,職権の発動を求める申立てとして位置付けられるのであるから,被告のかかる主張が排斥されるいわれはない。

原告の援用する平7最判は,法人の代表者の地位確認を求める訴えを提起するための原告適格に関するものであって,本件とは事案を異にする。平7最判のごとき事案においては,その判旨のように原告適格に一定の絞りをかけておかないと,当該法人の役員等の任免に本来は容喙し得ない者が地位確認請求訴訟の形を取ることでその任免に異議を唱え得るという結果を生じ,いたずらに法人の内部関係の紛糾を招き収拾がつかなくなるおそれがある。これに対し,法人が積極的にみずからの権利の実現のため訴訟制度を利用しようとする本件のごとき事案においては,原告たる法人は,訴訟要件たる代表者の代表権限について裁判所の審査に服するべきである。

(2)原告は,その主張において,「日蓮正宗が従前から保有していた銀行預金を引き出そうとした時に,銀行は血脈相承の存否を問題にして,日蓮正宗の代表役員の地位を争い,預金の引出を拒むことができるのであろうか。否であるというべきである。」という。

たしかに,そのような事案においては,原告代表者の代表権限の証明がないとして訴えが却下される場合は少ないであろう。しかし,それは,原告が代表者の代表権限をどの程度まで証拠によって立証したか,これに対し,被告から,原告代表者として表示された者が真実は代表権者ではないことにつきどの程度説得的な主張立証がなされるか,ということを踏まえた実質的判断の問題である。上記の設例であっても,何らかの理由(例えば真実の代表者が別にいることが明らかであるなど)で,原告の代表者として登記された者が代表権限を有しないという心証が得られたならば,当該原告の訴えは却下されることになる。

(3)原告は,その主張において,被告の主張について「例えてみれば,他人(法人)の所有する建物に勝手に入り込んだ者が,所有者たる法人から明渡しを求められたことに対して,当該法人の代表者に対して,有効に代表者に選任されたことを証明せよと述べているに等しい。かかる無権利者には,代表者が何人であれ明渡義務は避けられないものであって,代表者の地位を争うべき資格は存しない」という。また,「被告はX寺について全くの無権原者であって,法的評価としては,住職に許されて寺院に入った浮浪者が,住職死亡後もそのまま寺院に住み着いているのと全く変わらない」という。

しかし,民事訴訟において,法人たる原告の代表者の代表権限が裁判所の審査の対象となること自体は,被告がいかなる者であるかによって左右されるものではない。たしかに,被告が全くの無権原者であって,単に訴訟の引き延ばしのために原告代表者の代表権限を争っているような事案では,法人登記簿の記載のみによって代表権限の証明があったと認めるべき場合もあろう。しかし,それは,代表権限に関する実質的判断の内容の問題であって,そもそも代表権限について裁判所が職権で調査すべきか,そして,被告が職権の発動を促す意味で代表権限を争い得るか,ということとは,別の問題である。

(4)本件において,被告は,丙川二郎の原告代表者としての代表権限を争っている。そして,上記第4の2(2)イのとおり,被告の主張は,阿部日顕が日蓮正宗の法主兼管長の地位を取得したことの証明がないという主張を出発点としている。

もし,被告が,実際には日蓮正宗と何らの関係もない者であるにもかかわらず,阿部日顕の日蓮正宗の法主兼管長たる地位を争うことによって,原告代表者の代表権限を争おうとしているのであれば,被告のかかる主張は,何らかの理由付けによって排斥すべきものであるかもしれない。しかし,本件の被告は,かつて正信会に所属した僧侶であって,阿部日顕を管長として戴く日蓮正宗によって懲戒処分を受けた者である。そうすると,被告は,平7最判の法理によっても,阿部日顕の宗教法人日蓮正宗の代表役員たる地位の存否の確認を求める訴えの原告適格を有していた者であるから,本件訴訟において,原告代表者丙川二郎の代表権限の有無を判断するための前提問題として,阿部日顕の日蓮正宗の法主兼管長たる地位を争うことは妨げられないというべきである。

2  原告代表者丙川二郎の代表権限の証明があるといえるか。

(1)前記前提事実に摘示した日蓮正宗の宗規及びX寺規則によれば,原告代表者丙川二郎の代表者の地位は,同人のX寺住職としての任命の時点において,任命者たる早瀬日如が日蓮正宗の管長であったことを前提とする。また,早瀬日如の日蓮正宗の管長としての地位は,先代の法主兼管長であった阿部日顕から法主として選定されたことを前提とする。そうすると,結局,原告代表者丙川二郎の代表権限の有無は,阿部日顕が日蓮正宗の法主兼管長の地位を有していたか否かにかかってくることになる。

しかるに,阿部日顕が日蓮正宗の法主兼管長に就いたか否かについて,裁判所の審判権が及ばないことは,確立された判例である(平1蓮華寺最判及び平5管長訴訟最判)。したがって,本件においても,阿部日顕が日蓮正宗の法主兼管長の地位を有していたか否かを明らかにすることはできず,結局,丙川二郎が原告代表者の地位を有しているか否かについても,訴訟上確定することはできないといわざるを得ない。

(2)原告は,早瀬日如の日蓮正宗の管長としての地位は,新宗規に則り,平17推戴会議の議決に基づいて取得されたものであるから,阿部日顕が日蓮正宗の法主兼管長の地位にあったか否かは,早瀬日如の日蓮正宗の管長としての地位の有無とは無関係であり,ひいては丙川二郎のX寺住職兼原告代表役員としての地位の有無とも無関係である,と主張する。しかし,以下のとおり,原告の主張は採用することができない。

ア (手続上の問題)

新宗規(甲16)の18条1項及び2項によれば,管長推戴会議は,管長ほかの高位の僧侶によって構成される会議体であり,管長はその招集権者であるとともに,その議長となるとされている。そして,平17推戴会議の議事録(甲18)によれば,阿部日顕が管長として平17推戴会議を招集し,その構成員となり,議長にも就任して議事を進行させたことが明らかである。

そうすると,阿部日顕が管長の地位を有していなかったのであれば,阿部日顕が管長として議事一切を取り仕切った平17推戴会議の議決には手続上の重大な瑕疵があるから,同議決によって早瀬日如が日蓮正宗の新管長に選任されたと認めることはできない。

イ (資格要件の問題)

(ア)新宗規(甲16)の17条2項は,「管長推戴会議は,法主となった者を新管長に選定する」と定めている。そして,平17推戴会議の議事録(甲18)には「12月15日に新法主となった早瀬日如を宗規第17条の規定によって新管長に選定した」と記載されている。また,12月16日付けの日蓮正宗宗務院通達(甲20)によれば,早瀬日如の法主としての地位は,阿部日顕から血脈相承の儀式を受けて次期法主に選定されたという事実に基づいていることが認められる。

このように,平17推戴会議が早瀬日如を新管長に選任したことは,阿部日顕が前法主として行った選定によって早瀬日如が新法主となったことを前提としている。そうである以上,阿部日顕が法主の地位を有していなかったのであれば,早瀬日如は,新管長に選任されるための資格要件である「法主となった者」に該当しないといわざるを得ない。

したがって,早瀬日如の管長の地位が,新宗規に則った平17推戴会議による選定の議決に基づくものであるとしても,阿部日顕が日蓮正宗の法主兼管長の地位にあったか否かは,なお,早瀬日如の管長の地位の有無を決するについての不可欠の前提問題であることに変わりはない。

(イ)この点につき,原告は,管長推戴会議が早瀬日如を「法主となった者」と認識して管長に推戴するか否かは,管長推戴会議の専権に属する事項であり,管長推戴会議が早瀬日如を「法主となった者」と認識して同人を管長に選定すれば,早瀬日如が前法主たる阿部日顕から血脈相承を受けて次期法主に選定されたか否かを問題とするまでもなく,早瀬日如が管長になる,と主張する。

しかし,新宗規17条2項が「法主となった者」という要件を定めている以上,原告のかかる主張は,同条項の文理解釈としていかにも無理が大きいといわざるを得ず,採用することができない。

(3)上記の次第で,阿部日顕の日蓮正宗の法主兼管長たる地位が裁判所の審判の対象とならない以上,原告代表者の代表権限について証明することもできない,という論理的な帰結が導かれる。よって,本件訴えは,訴訟要件たる法人代表者の代表権限につき証明がないから,却下を免れない。

第7  補論

1  (前件訴訟と本件との事案の比較)

(1)原告と亡甲野一郎との間で本件建物の占有権原が争われた前件訴訟において,亡甲野一郎は,亡細井日達によってX寺住職に任命された者であったから,占有開始の時点では亡甲野一郎に本件建物の占有権原があったことに争いはなかった。すなわち,亡甲野一郎による占有には,元来は十全なる正統性があった。前件訴訟での争点は,亡甲野一郎の占有の正統性が,阿部日顕が日蓮正宗の管長として行った懲戒処分によって失われたか否かであり,比喩的にいえば,阿部日顕の正統性と亡甲野一郎の正統性とが真っ向からぶつかりあっていたのである。かかる状況は,他の末寺訴訟でも同様であった。

本件においては,原告側の正統性は,日蓮正宗において阿部日顕から早瀬日如へ,更には早瀬日如による任命を通してX寺の丙川二郎へと,日蓮正宗宗規及びX寺規則を根拠として受け継がれている。これに対し,被告は,亡甲野一郎から寺務一切を事実上託された者にすぎず,X寺規則上,住職の任免は日蓮正宗管長の専権とされ前住職には何らの権限がない以上,被告側の正統性は,前件訴訟の場合に比べて格段に劣っている。

前件訴訟においては,一審では原告が勝訴したが,控訴審及び最高裁では訴えが却下された。他の末寺訴訟も,同様の経過をたどった。これらの経過にもみられるように,被告側も相応の正統性を有していた前件訴訟においても,双方の正統性は拮抗し,一審段階では原告側の正統性が優越するとされて勝訴していたのである。そうすると,被告側の正統性が大きく減じることとなった本件においては,原告の勝訴となるのが当然であるようにもみえる。

また,阿部日顕の日蓮正宗の法主兼管長としての地位は,前件訴訟ではまさに中心的な争点であったのに対し,本件では,原告代表者の代表権限の有無を定めるについての前提問題として持ち出されているにすぎない。このような争点の構造に照らしても,本件では,阿部日顕の法主兼管長の地位は争点とはならない,という原告の主張に理があるようにみえる。

(2)そして,本件において,丙川二郎の原告代表役員たる地位の証明があるという結論を導くことも,例えば,以下のような理由付けをすることによって十分に可能である。

ア 法人の代表者たる地位は訴訟要件の一つである。訴訟要件の充足の有無は,裁判所が審判権を行使すべきか否かという公益的な観点を加味して判断されるべきものであるから,訴訟要件に関する証明の方法及び程度は,主要事実に関する証明とはおのずから異なる。また,証明があったと裁判所が判断すべきか否かは,最終的には,当事者の主張立証を踏まえた相対的な判断である。

本件において,原告は,法人登記簿謄本の記載その他の証拠をもって,丙川二郎の原告代表役員たる地位について一定程度の主張立証を行っている。これに対し,被告は,丙川二郎の原告代表役員たる地位について,これを否認するにとどまり,同人に代わる正当な代表役員がいるという主張はしていない。これは,阿部日顕及び早瀬日如の日蓮正宗の法主兼管長たる地位についても,同様である。

このように,被告が,丙川二郎に代わる正当な原告代表役員について何らの主張立証をなし得ていない以上,丙川二郎の代表者たる地位について証明があったものとして扱うべきである。

イ なお,被告は,丙川二郎に代わる正当な原告代表役員について,以下のとおり主張する。

① 亡細井日達から選定を受けた法主がいない以上,旧宗規14条3項(「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは,総監,重役及び能化が協議して,第2項に準じて次期法主を選定する。」)に則って日蓮正宗の法主を選定すべきである。

② このようにして選定された新法主が,日蓮正宗の管長として,X寺の住職を任命すれば,その者が原告の代表役員となる。

しかし,30年前の時点にさかのぼって同条項にいう「協議」を行うことは非現実的である。また,前記前提事実に照らせば,亡細井日達の死亡後しばらくの間は,阿部日顕が亡細井日達の後継者であるべきことに異を唱える者はいなかったのであるから,同条項にいう協議が行われていれば阿部日顕が法主兼管長に選定されていたことは明らかである。

さらに,旧宗規14条3項の「協議」によって「選定」される新法主は,前法主からの血脈相承を受けていないのであるから,14条1項の「法主は,宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し,……」との規定との整合性も問題となろう(「血脈の不断に備え」(14条5項)ている前々法主から血脈の相承を受けるということになるかもしれないが,そうであれば,14条3項は退職した前々法主の存命を前提とした条項であるということになり,きわめて適用範囲が狭められる。阿部日顕が,当時,14条3項による協議に基づき選定されたという形を取らなかったのも,同条項は血脈を授け得る前々法主の存命を前提とする規定であり,前々法主が既に存命していない以上は適用の余地はない,と解釈していたからであるとも考えられる。)。

(3)しかしながら,本判決は,本件においても阿部日顕の法主兼管長の地位を再び争点として取り上げ,平1蓮華寺最判や平5管長訴訟最判の法理を援用して訴えを却下する。その理由は,上記各最判の背景にあると思われる,阿部日顕の法主兼管長の地位について裁判所は審判権を行使するべきではないという価値判断を,本件にも及ぼすべきであると考えるからである。

そこで,上記各最判の位置付けを踏まえた本判決の価値判断についても,説示を加えておく必要があると考える。

2  (平1蓮華寺最判及び平5管長訴訟最判の位置付け)

(1)平1蓮華寺最判及び平5管長訴訟最判は,事案限りでの解決を示したものではなく,判例としての一般論を述べたものである。しかし,これらの最高裁判決は,阿部日顕の日蓮正宗の法主兼管長たる地位が何ゆえに問題とされたのか,この問題について裁判所の審判権が及ばないという結論を取ることにしたのは何ゆえだったのか,という考察を要求する。

(2)阿部日顕の法主兼管長としての地位が争われるに至ったそもそもの原因は,阿部日顕が亡細井日達から法主として選定されるに当たって,万人が認めるような形での手順が踏まれていなかったことにあったというべきである。

血脈相承及び選定が宗教的秘儀の側面を有するとしても,純然たる内心の信仰の問題とは別に,かかる宗教的秘儀が実在したことを表象する外形的事実としていくつかのものが挙げられる。例えば,前法主と次期法主による二人きりでの対面の機会,「御相承箱」の継受,次期法主の「学頭」の称号,などである。仮に,これらの外形的事実が揃っていたのであれば,阿部日顕の法主兼管長たる地位は,そもそも訴訟上の争点となり得なかったのではないかと思われる。後に,正信会所属僧侶が,純粋に信仰上の観点から「正しい」血脈相承が行われていなかったと主張しても,かかる主張は裁判所の取り上げるところとはならなかったであろう。

ところが,亡細井日達の生前に,これらの外形的事実は一切存在しなかったようである。本件においても,被告がこれらの外形的事実は存在しなかったと主張するのに対し,原告は,被告の主張を正面から争おうとしない。結局のところ,日蓮正宗としては,阿部日顕が亡細井日達の死後に同人生前の血脈相承及び選定の事実を申し述べ,他の僧侶及び壇信徒の大多数もこれに賛同した,という形でしか,血脈相承及び選定がなされた事実を主張することができないようである。

(3)ところで,亡細井日達が死亡した当時,後継の法主兼管長となるべき最適任者が阿部日顕であることは,日蓮正宗の関係者間において衆目の一致するところだったのであろう。だからこそ,1年以上の間,阿部日顕が法主兼管長の職務を遂行するに当たり,誰からも特段の異議が唱えられなかったものと考えられる。

ところが,その後,正信会所属僧侶が,血脈相承及び選定の有無を正面から争うに至った。この時点で,阿部日顕及び日蓮正宗は,極めて苦しい立場に立たされることとなった。血脈相承及び選定の存在を外形的事実に基づいて説得的に論証することは,上記(2)のとおり困難だからである。

(4)アこのような状況のもとで,阿部日顕が管長としての地位を有するか否かという争点が,裁判所に持ち込まれることとなった。この争点自体が端的に争われたのが管長訴訟であり,昭和56年に訴えが提起され,平成5年の最高裁判決に至るまで12年余りの歳月を要している。また,末寺訴訟は,昭和57年以降各地で訴えが提起され,上記争点は攻撃防御方法の一つとして争われた。

イ(ア)上記(2)のとおり,阿部日顕が亡細井日達から血脈相承及び選定を受けた事実については,阿部日顕の事後の申述以外の客観的な証拠は乏しい。そうすると,阿部日顕が法主たる地位を取得したことの証明がなく,いわゆる「充て職制」を採用する旧宗規及び宗制の規定の下では,日蓮正宗の管長及び宗教法人日蓮正宗の代表役員の地位の証明がない,として本案の判断に進むのが,民事訴訟における素直な結論である。この結論に従えば,末寺訴訟及び管長訴訟のいずれについても,日蓮正宗(阿部日顕)側が敗訴し,正信会側が勝訴することになる。

ところが,そのような結論に従った日蓮正宗(阿部日顕)側敗訴の本案判決は,いずれの事件でも,審級を問わず,一つもなされなかった。その背後には,下記(イ)のような価値判断が働いていたのではないかと推測される。

(イ)a日蓮正宗の僧侶及び壇信徒の多数が阿部日顕を法主兼管長として認めていることからすれば,少なくとも彼らの信仰上は,阿部日顕への血脈相承及び選定は存在したのである。それにもかかわらず,局外者たる裁判所が,裁判上の事実認定の問題とはいえ,血脈相承及び選定の事実は認められないとすることは妥当とはいえない。

b 阿部日顕の法主兼管長の地位を否定することは,収拾不可能な混乱を引き起こすおそれがある。末寺訴訟の一審判決は,最も早い蓮華寺事件でも昭和59年であり,多くのものは前件訴訟と同じ平成元年である。これら一審判決の時点では,昭和54年に亡細井日達が死亡してから既に5年ないし10年の期間が経過し,その間に,阿部日顕を日蓮正宗の法主兼管長として,また同人を宗教法人日蓮正宗の代表者として,宗教上及び世俗上の数多くの行為が積み重ねられてきていた。この時点で,阿部日顕が法主兼管長の地位に就いていなかったことが裁判上確定すれば,過去の宗教的行為及び法律行為はすべて無効とされ,多大な混乱が引き起こされる。

ウ 末寺訴訟の一審段階では,上記イ(ア)の「素直な」結論とは逆に,日蓮正宗側が勝訴し正信会側が敗訴する判決が続いた。これらの判決は,阿部日顕が日蓮正宗の管長の地位に就いたことについて裁判所の審判権が及ぶとした上で,実体判断として,阿部日顕の管長たる地位を認めた。

その実体判断の理由付けとして,蓮華寺事件の一審判決は,阿部日顕が法主となったことにつき1年以上の間何人からも異議が唱えられなかったという間接事実から,血脈相承及び選定の事実が推認できるとした。また,前件訴訟の一審判決は,いわゆる自律結果受容論を採用し,阿部日顕を法主兼管長として認めるという日蓮正宗の自律的決定があったことを理由としている。この2つの理由付けは,日蓮正宗の多数派の意思を結果的に尊重するという点では,趣旨を同じくしていたといえよう。

しかし,これらの一審判決の理由付けについては,学説上は批判的な見解も数多く見られた。また,根本的な疑問として,宗教団体は株式会社等と異なり多数決原理が支配する団体ではないのであるから,宗教団体の内部関係について,裁判所の実体判断を当該宗教団体内の多数派の認識ないし意思に係らしめることが妥当であるとは思われない。

エ このように,阿部日顕の法主兼管長たる地位について判断して本案判決に進む限り,いずれの結論を採るにせよ,実際上または理論上の問題が生じることが避けられない。そうすると,最高裁が末寺訴訟(平1蓮華寺最判)及び管長訴訟(平5管長訴訟最判)の両方において示したように,法律上の争訟ではないとして司法判断を回避するという処理は,裁判所として取りうる唯一の方法であると考えられるのである。

上記各最判についても,学説上の批判は強い。たしかに,阿部日顕の管長たる地位そのものを訴訟物とする管長訴訟はともかくとして,訴訟物自体は世俗的な建物明渡請求権等である末寺訴訟についてまで「法律上の争訟」性を否定したことは,理論的には説明の困難な問題点をはらんでいるといわざるを得ない。また,いずれの最判も,信教の自由(憲法20条)を根拠に挙げているが,信教の自由から当該結論が導かれるかについては疑問の余地があるし,裁判を受ける権利(憲法32条)との調和の点でも問題を残している。

しかし,それでもなお,阿部日顕の法主兼管長たる地位の有無という争点は,これについて実体判断をしようとすれば解決困難な実際上又は理論上の問題に突き当たる以上,裁判所の審判権の外に置かざるを得ないという性質のものなのである。平1蓮華寺最判についての「宗教上の争いに国家機関たる裁判所が介入することは厳に避けなければならない……本件の結果如何では壇信徒の間に深刻な信仰上の混乱が惹き起されることも予想される……このような宗教上の争い及びこれによってもたらされる信仰上の混乱は,本来当該宗教団体の内部において長年月をかけても自治的に解決されるべきものであり,法令の適用によって終局的に解決することの不可能な紛争とみるほかはない」(平成元年最高裁判所判例解説303頁)という見解は,同最判の積極的な理論的根拠というよりも,同最判の背後の価値判断というべきものとして理解される。

3  (本判決の価値判断)

(1)前件訴訟において,控訴審裁判所及び最高裁判所は,平1蓮華寺最判の法理に基づいて訴えを却下することによって,阿部日顕の管長たる地位についての判断を回避した。ところが,その後20年近くの歳月を経て,本件訴訟が提起された。「長年月をかけても自治的に解決されるべき」であるとされた問題は,この間も自治的に解決されることなく,姿を変えて再び裁判所に持ち込まれてきたわけである。

本件訴訟については,上記1(1)のとおり被告の正統性が亡甲野一郎に比して格段に劣っていることからすれば,原告の主張を採用して請求を認容する,という選択肢も十分に考えられるのであり,同(2)のとおり,かかる結論を採るための理由付けも存在する。しかし,本判決は,本件訴訟についても平1蓮華寺最判の法理が及ぶものとして裁判所の審判権の外に置くべきであり,その結果現状がそのまま放置されることになるのもやむを得ない,という価値判断に達し,再び訴えを却下することにした。その理由は,以下のとおりである。

(2)阿部日顕の管長の地位をめぐる紛糾の原因は,元をただせば,亡細井日達が後継の法主を生前に明らかにしていなかったことと,日蓮正宗が旧宗規において管長の地位につき「充て職制」を採用していたことに帰せられる。亡細井日達が生前に血脈相承及び選定にふさわしい儀式を行い,その旨が僧侶及び壇信徒に対して公表されていれば,正信会所属僧侶といえども,阿部日顕の法主たる地位を裁判上争う余地は乏しかったはずである。また,管長の選任が,法主の地位とは無関係に世俗的手続によって行われるべきものであったとすれば,たとえ法主たる地位に疑義が呈されたとしても,管長としての地位については,裁判所が証拠に基づいて認定することは妨げられなかったはずである。

X寺の占有をめぐる前件訴訟及び本件訴訟においても,阿部日顕の管長の地位が問題にされているわけであるが,それは,上記のような亡細井日達及び日蓮正宗の所為によって惹き起こされた紛糾の一端である。原告は,かかる紛糾の原因をみずから生じさせた亡細井日達(その後継者としての阿部日顕及び早瀬日如)並びに日蓮正宗の側に立つ者である以上,前件訴訟に引き続き本件訴訟においても裁判所の本案判断を受けられないという不利益を被ることは,やむを得ない帰結ではないかと思われる。

また,被告が本件建物等を占有してX寺の寺務を取り仕切っているという現状は,それなりに安定したものである。被告に対して本件建物の明渡し等を命じれば,強制執行等の場面でも様々な軋轢や混乱が生じることになろうが,そのような事態を生じさせてまで原告の請求権を実現するための本案判決をなすべき必然性は認められない。

(3)原告は,末寺訴訟の対象となったほとんどの寺院については,正信会所属の前住職の死亡に伴って,日蓮正宗の管長たる阿部日顕及び早瀬日如が任命した住職の管理下に復している,と主張する。原告は,かかる事実を,亡甲野一郎から後事を託されたとして占有を継続する被告の対応の不当性を示す事情として主張するものであろう。

しかし,かかる事情は,X寺について,今般の亡甲野一郎の引退及び死亡によっては問題が解決しなかったとしても,いずれ被告の自発的な退去や死亡等を契機に,X寺が原告のもとに戻るという可能性を示すものでもある。また,被告の退去や死亡に際して,更に第三者へ本件建物等の占有が移転されたとすれば,その者が亡甲野一郎や被告のように亡細井日達の生前から日蓮正宗の僧侶であった者でない限り,原告代表役員の地位を争うことはできず,まさに純然たる不法占拠者として明渡請求が認められて然るべきであろう。したがって,問題は永久に解決しないのではなく,数十年の間には解決するものと考えられる。

(4)本判決の判断は,本件建物等に関する紛争の解決を更に数十年遅らせることは確かである。そして,当該紛争の解決が遅れることによって,権利関係の不安定な状態の継続,自力救済を誘発することのおそれ,X寺に墓地・遺骨を有する檀信徒の参拝に当たっての現実の支障,といった不都合が生じることも想像に難くない。

それでもなお,本判決は,阿部日顕の法主兼管長の地位をめぐる日蓮正宗の内部紛争には,裁判所の審判権を行使しない,という選択をしたものである。

別紙

不動産目録<省略>

X寺財産目録<省略>

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