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京都地方裁判所 平成20年(ワ)2186号 判決 2009年4月23日

原告

被告

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、三三三四万九九〇五円及びこれに対する平成一四年一月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、被告が運転する普通乗用自動車(〔ナンバー省略〕、以下「被告車」という。)とAが運転する普通乗用自動車(〔ナンバー省略〕、以下「A車」という。)との間の交通事故につき、被告車に同乗していた原告が、被告に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づく損害賠償として、損害金三三三四万九九〇五円及びこれに対する上記事故の日である平成一四年一月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  当事者間に争いのない事実等

(1)  次の交通事故(以下「本件交通事故」という。)が発生した(甲二の一ないし四)。

ア 発生日時 平成一四年一月二四日午後九時四五分ころ

イ 発生場所 京都市伏見区東奉行町一番地先

ウ 事故態様 被告は、助手席に原告を同乗させて被告車を運転し、信号機による交通整理の行われていない交差点において、Uターンをすべく右折して右方道路に進入して、同道路を進行してきたA車の前部に被告車の右側部(運転席側)を衝突させた。

(2)  責任原因

被告は、自己のために被告車を運行の用に供していて本件交通事故を発生させたから、原告に対し、自賠法三条に基づく損害賠償責任を負う。

(3)  原告の受傷内容

原告(昭和○年○月○日生)は、本件事故により、頸髄中心性損傷、外傷性頸部症候群、頭部打撲、四肢不全麻痺、全身打撲擦過傷、歯髄損傷の傷害を負った(歯髄損傷については、甲三の二)。

(4)  原告が受けた治療の経緯等

ア 平成一四年一月二四日から同年五月一七日まで

平成一四年一月二四日午後一〇時一六分ころ、医療法人徳洲会宇治徳洲会病院(以下「徳洲会病院」という。)に救急搬送され、同月二五日から同年五月一七日(同日退院)まで入院(一一三日)(甲一三の一―二、四枚目各表)

イ 平成一四年三月八日

医療法人栄仁会宇治黄檗病院(以下「黄檗病院」という。)通院(甲四)

ウ 平成一四年五月一七日から平成一五年二月二日(同日退院)まで

京都府立医科大学附属病院(以下「府立病院」という。)入院(二六一日)(甲一三の二)

エ 平成一五年二月一二日から同年六月三日まで

京都大学医学部附属病院(精神科)(以下「京大病院」という。)通院(実通院日数一七日)(甲七の一ないし三)

オ 平成一五年六月三日から平成一七年二月一九日(同日退院)まで

医療法人稲門会岩倉病院(以下「岩倉病院」という。)入院(六二八日)(甲一三の四)

カ 平成一七年二月二三日から平成一八年三月三一日まで

岩倉病院通院(実通院日数四六日)(甲一三の五)

なお、原告は、この間の平成一七年一〇月二六日から同年一一月九日(同日退院)までの一五日間、同病院に入院している(甲一三の六)。

キ 平成一八年三月三一日

原告は、岩倉病院において、傷病名「PTSD、解離性転換性障害」につき同日症状が固定したとの診断を受けた(甲九)。

(5)  既払金

被告は、原告に対し、次のとおり、本件事故の損害金の内金として合計六五五万四二九一円を支払った。

ア 治療費 五一二万六三八一円

イ 入院雑費 四九万三九〇〇円

ウ 通院交通費 一〇万四〇一〇円

エ 休業損害 三三万円

オ 損害金内金 五〇万円

(6)  医学的知見(甲一二の一ないし五及び八)

精神科において権威のある心的外傷性ストレス障害(以下「PTSD」という。)の診断基準としては、アメリカ合衆国の精神障害診断基準として平成六年に発表されたDSM―Ⅳ及び平成四年に世界保健機構が採択したICD―一〇があり(以下「DSM―Ⅳ等」という。)、これらが示すPTSDの診断基準は、概ね次のとおりである。

① 死や重症の外傷が実際に起き又は起きそうになり、自分や他人の身体的保全が危険にさらされるといった状況を自分自身が体験するなどしたこと、その人の反応は、強い恐怖、無力感又は戦慄に関するものであること。

② 外傷的な出来事が継続的に再体験されていること。

③ 外傷と関連した刺激の日常的な回避及び全体的な反応性の鈍麻があること。

④ 持続的な覚醒亢進症状があること。

三  争点

(1)  本件事故による後遺障害の有無及び内容・程度

(2)  損害

四  争点に関する当事者の主張

(1)  本件事故による後遺障害の有無及び内容・程度

(原告の主張)

原告は、本件事故により、PTSDに罹患し、これに由来する解離性障害を合併したことで、自賠法施行令別表第二(以下「自賠責等級」という)七級四号相当の後遺障害を負った。

そして、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲九)によれば、症状固定日は、平成一八年三月三一日である。

ア DSM―Ⅳ等に照らしても、原告は、本件事故により、PTSDに罹患したことは明らかである。

(ア) DSM―Ⅳ等の要件①について

本件事故は、被告車が、Uターンしようとして無謀にも一時停車をしないで交差点に進入したため、進行中のA車をふさぐ形で激しく衝突し、その勢いで転倒したことで、助手席の原告の上に被告が乗る状態になったというものであるから、当時三〇歳の女性であった原告にとっては、突然全く思いもよらないような恐ろしい体験をしたといえる。

(イ) DSM―Ⅳ等の要件②について

原告には、交通事故時に近い刺激が加わると、受傷直後の四肢麻痺が再現されることや、全身が硬直する、歩けない、顔・頬・顎が熱っぽく感じる、食事を食べたくないなどの症状があり、これらは本件事故に起因するフラッシュバックである。

イ そして、原告を診察した医師も、次のとおり、原告をPTSD、解離性転換性障害と診断している。

原告の症状について、平成一四年三月八日、黄檗病院精神科のB医師(以下「B医師」という。)は、PTSDと診断し(甲四―五、七枚目各表)、京大病院精神科のC医師(以下「C医師」という。)も、同月二六日、「PTSDが最も疑われる(一番考えられる。)。」と診断している(甲五の一、二)。

また、府立病院のD医師(以下「D医師」という。)は、発作性の硬直はPTSDによるもの、歩行困難は転換性障害によるものと診断していること(甲六の一ないし四)、京大病院のE医師(以下「E医師」という。)は、平成一六年八月三一日付け診断書(甲七の二)において、傷病名を、「PTSD、解離性転換性障害」とした上で、「解離転換症状は、PTSDと関連したものであることが推測される。」と付記しているほか、平成一八年九月五日の所見(甲七の三)においても、診断名として、解離性転換性障害とPTSDを掲記した上で、「PTSDの所見と矛盾しない」と付言していること、岩倉病院のF医師(以下「F医師」という。)も、原告をPTSD、転換性障害と診断して(甲八の一ないし四)入院加療させていることから、原告がPTSDに罹患したことは明らかである。

なお、府立病院作成の退院サマリー(甲六の九)には、原告に対する診断として「転換性障害、演技性人格障害」や「解離性運動障害、演技性人格障害」と記載されているが、府立病院退院時、原告と府立病院の医師との間には、修復困難な信頼関係の喪失があったことから、上記サマリーは、原告に好意的でない医師の感情が吐露されたものとみるべきであること、府立病院の診断書(甲六の一ないし四)及び診療録(甲一三の二)には、原告がPTSDに罹患していることを示す記載がある一方で、原告を演技性人格障害と診断する記述はわずか一箇所にすぎないことなどから信用できない。

(被告の主張)

原告の主張は争う。

原告の症状は、DSM―Ⅳ等の要件を満たしておらず、また、府立病院作成の退院サマリー(甲六の九)には、原告に対する診断として「転換性障害、演技性人格障害」や「解離性運動障害、演技性人格障害」と記載されていることなどからすると、本件事故により、原告は、PTSDに罹患しておらず、後遺障害を負ったとしても、それは外傷性神経症であり、これは自賠責等級一四級九号に該当するにとどまる。

また、原告に対する専門的な治療が開始された府立病院への入院日(平成一四年五月一七日)から起算して一年経過した平成一五年五月ころには、原告の上記症状は固定している。

(2)  損害

(原告の主張)

ア 治療関係費 七七八万一三七一円

(ア) 徳洲会病院(入院) 三四七万六〇七六円

(イ) 府立病院(入院) 一五八万五〇三〇円

(ウ) 岩倉病院(入通院) 二六五万九一九〇円(甲一七の一ないし四八)

(エ) 京大病院、府立病院、黄檗病院(いずれも通院) 六万一〇七五円

イ 入院雑費 一三二万三四〇〇円

一日当たりの入院雑費を一三〇〇円、入院期間を一〇一八日として算出すると上記金額となる。計算式は、一三〇〇円(一日当たり)×一〇一八日=一三二万三四〇〇円である。

ウ 通院交通費 一六万六六七〇円

内訳:平成一五年二月三日から同年六月三日までの府立病院通院分と京大病院通院分(既払分) 一〇万四〇一〇円

平成一五年六月九日から同年一〇月三日までの岩倉病院通院分(タクシー代・未払分六万三九九〇円(甲一八の一ないし九))の内金 六万二六六〇円

エ 休業損害 一三七三万四〇〇〇円

一日当たりの給与を九〇〇〇円(平成一四年度女子の全年齢平均月額給与二七万五一〇〇円を基準として算定)、休業期間を一五二六日として算出すると上記金額となる。計算式は、九〇〇〇円(一日当たり)×一五二六日=一三七三万四〇〇〇円である。

なお、原告が、平成一四年度女子の全年齢平均月額を基礎に休業損害を主張しているのは、原告は、スナック○○でアルバイトをし、その給与は月額二〇万円を超えていたが、これは定職ではなかったため、給与証明書を提出できないからである。

オ 入通院慰謝料 五〇〇万円

カ 後遺障害逸失利益 一四二〇万四八三九円

一日当たりの給与を九〇〇〇円(平成一四年度女子の全年齢平均月額給与二七万五一〇〇円を基準として算定)、労働能力喪失率を五六%、期間を一〇年とし、ライプニッツ係数七・七二一七を乗じて中間利息を控除すると上記金額となる。計算式は、9000円×365日×0.56×7.7217=1420万4839円である。

キ 後遺障害慰謝料(自賠責等級七級四号相当) 一〇五一万円

ク 素因減額等 △一五八一万六〇八四円

上記損害金の合計は五二七二万〇二八〇円であるが、原告のPTSDは原告の心因的素因が寄与していること、好意同乗による過失相殺的要素があることから、その三〇パーセントに当たる一五八一万六〇八四円を控除すると、三六九〇万四一九六円となる。

ケ 既払金 △六五五万四二九一円

コ 弁護士費用 三〇〇万円

サ 合計 三三三四万九九〇五円

計算式は、3690万4196円(ク)-1655万4291円(ケ)+300万円(コ)=3334万9905円である。

(被告の主張)

ア 治療費(ア)のうち(ア)徳洲会病院(入院)三四七万六〇七六円、(イ)府立病院(入院)一五八万五〇三〇円及び(エ)京大病院、府立病院、黄檗病院(いずれも通院)六万一〇七五円については、本件事故と因果関係のある損害として認めるが、(ウ)岩倉病院(入通院)二六五万九一九〇円については、本件事故との因果関係を争う。

イ 入院雑費(イ)は本件事故との因果関係を争う。

ウ 通院交通費一六万六六七〇円(ウ)のうち、平成一五年六月三日までの通院交通費一〇万四〇一〇円については、本件事故と因果関係のある損害として認めるが、同日より後の通院交通費については、本件事故との因果関係を争う。

エ 休業損害一三七三万四〇〇〇円(エ)のうち、三三万円(日額五五〇〇円×六〇日分)については、本件事故と因果関係のある損害として認めるが、その余については、本件事故との因果関係を争う。

オ 入通院慰謝料(オ)、後遺障害逸失利益(カ)、後遺障害慰謝料(キ)、素因減額等(ク)は争う。

カ 既払金(ケ)を認める。

キ 弁護士費用(コ)及び合計(サ)は争う。

第三当裁判所の判断

一  争点(1)(本件事故による後遺障害の有無及び内容・程度)について

(1)  前記当事者間に争いのない事実等、証拠(後掲のもの)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

ア 本件事故態様

被告は、当時交際していた原告と食事に行くために、平成一四年一月二四日午後九時四五分ころ、原告を助手席に同乗させて被告車を運転し、国道二四号線西側道を南から北に向け進行し、京都市伏見区東奉行町一番地先の信号機による交通整理の行われていない交差点に差し掛かった際、同交差点の入り口では一時停止及び指定方向外進入禁止(左折のみ可で右折不可)の交通規制が実施されていたにもかかわらず、同交差点に進入して国道二四号線北行車線を横切り南から東、そして南に向け右折して国道二四号線南行車線を北から南に向け進行しようと、同交差点の入り口で一時停止をすることなく、しかも、国道二四号線北行車線を南から北に向け進行してくる車両の有無及び安全を確認しないまま、時速二〇キロメートルで同交差点に進入し右折進行したため、折から国道二四号線北行車線を南から北に向け進行してきたA車に気付かないまま、A車の前部に被告車の右側部(運転席側)を衝突させた。その結果、被告車は、原告がシートベルトを装着し座っていた助手席を下にする形で横転した。A車が進行していた国道二四号線の最高速度は時速四〇キロメートルであり、Aがブレーキをかけた地点から衝突地点までの距離は二四・八メートルであった。

なお、原告は、本件事故直後に被告がシートベルトに固定され、原告の頭上で宙づりになっている状態を見た後から、徳洲会病院に緊急搬送されるまでの間の記憶がなく、残っている記憶は、ゴンという音に続いて、右顔を叩きつけられ、被告が原告の頭上で宙づりになっていたといったものであった。

(以上、甲二の一ないし四、甲四―八枚目表、甲一一の二―一枚目、甲一一の四、甲一三の一―一枚目裏、甲一三の二―二三枚目表)

イ 診療経過等

(ア) 原告は、近畿大学法学部卒業後暫くしてから××株式会社(消費者金融会社)に就職したが、平成一一年八月五日午前七時二五分ころ交通事故に遭い、一年ほどで退職し(甲一の一、甲一三の二―四、一二一、一三九枚目各表、甲一三の三―三枚目表)、本件事故に遭った当時は、日用品の総合メーカーである□□に販売員登録をし(同社においては、実際に仕事は行っていなかった)、スナック○○において、夜間のアルバイトを行っていた(甲一一の四、甲一三の一―五二枚目裏)。

(イ) 原告の受傷内容及び徳洲会病院における治療の経緯等は次のとおりであった。

a 原告は、本件事故後の平成一四年一月二四日午後一〇時一六分ころ、徳洲会病院に救急搬送され、その際、頭痛、頸部痛、手(特に左手)の痺れのほか、四肢脱力等の症状を訴えたが、チアノーゼ、痙攣、失禁、嘔気、嘔吐、冷汗、四肢冷感は認められず、また、ECG(心電図)、レントゲン検査、CT検査、エコー検査等が行われたが、骨折や出血等は確認されず、特に異常は認められなかった(甲一三の一―四枚目表及び裏、五、七枚目各表)。

原告は、本件事故により、頸髄中心性損傷、外傷性頸部症候群、頭部打撲、四肢不全麻痺、全身打撲擦過傷の傷害を負ったほか、歯髄損傷の傷害を負ったが(甲三の一及び二、甲一三の一―七八枚目表)、他方、被告は、ほぼ無傷であった(甲六の六、七、甲一三の二―二一枚目表)。

b(a) 原告は、平成一四年一月二五日に徳洲会病院に入院し、同日、同病院整形外科医のG医師(以下「G医師」という。)から原告の両親に対し、XP、MRI検査の結果、原告の骨や神経に異常がないことが説明された(甲一三の一―五六枚目表)。

(b) 原告は、四肢不全麻痺を訴えていたことから、原告に対して、ステロイドパルス療法、理学療法を中心とする治療が行われ、四肢不全麻痺様の症状はなくなったものの、同年二月五日、ストレッチャーで移動中に「気持ち悪い」と訴えるとともに、四肢の硬直を訴えたことを機に、その後、同月七日から、原告は、しばしば、他人に車いすを押されて移動する際に、四肢の硬直や、ふるえ、ふらつきを感じたり、また、飛蚊症のように目がチカチカすることがあるなど多様な症状を訴えるようになったことから、同月末ころから、再度、頭部MRI、CT、頸部及び脊椎(頸、胸、腰)MRI、EEG(脳波検査)検査が行われたが、異常所見は認められず、また、器質的、理学的及び神経学的な観点からも異常は認められなかった。

原告は、他人に車いすを押されて移動する場合以外でも、隣のベッドの物音や、他人の携帯電話での話し声、電車の音、MRI検査(撮影)の際の物音などが原因で、四肢硬直を訴え、これに対し、G医師は、四肢硬直の引き金として、目の前を走る電車や車、MRI撮影の際の物音、移動の際の予期せぬ振動等が考えられるとの所見を示し(甲一三の一―四二枚目表及び裏)、また、同年四月一四日の看護計画(甲一三の一―五三枚目表)が達成されたとされる同年五月一六日の欄には、「時、場所などは関係なく、四肢硬直、感情失禁、頭痛等の症状が一週間ないし二週間に一回程度の頻度でみられ」との記載がある。

(以上、甲三の三ないし五、甲四―四枚目表、甲六の五、甲一三の一―八、二三、二四、二六枚目各表、三五枚目裏、三六枚目表及び裏、四〇枚目表、四二枚目表及び裏、五三枚目表、五六枚目表ないし六六枚目表、八八枚目表ないし九三枚目表、甲一三の二―二一、二二枚目各表)

(c) G医師は、原告の病名を、外傷性頸部症候群、頭部打撲、外傷性ストレス障害、立位歩行障害とする、平成一四年五月一〇日付け、同月三〇日付け及び同年一二月一九日付けの各診断書を作成した(順に、甲三の三ないし五)。このほか、G医師作成に係る平成一四年九月五日付け回答書(甲一三の一―二四枚目表)には、「大変、診断、治療に難渋した患者さんです。」との記載があり、また、同医師作成に係る平成一四年一一月一五日付け回答書の「後遺傷・後遺症状の有無・程度」欄(甲一三の一―二六枚目表)には、「PTSD、ヒステリー?を主とした症状が残存していると考えます。」「専門外であるため程度についての判断は出来ません。」との記載がある。

c 原告は、徳洲会病院入院中である平成一四年三月八日に黄檗病院を診療し、同病院のB医師からPTSDとの診断を受けた(甲四―五、七枚目各表)ほか、同月二六日には、京大病院精神科のC医師から、傷病名をPTSDとする診断を受けたが、同診断の根拠は、経過や症状などからPTSDが最も疑われる(一番考えられる。)というものであった(甲五の一、二)。

d その後、原告及びその家族は、原告には発作様の症状があり、立位歩行が安定していないとして、引き続き徳洲会病院での入院加療を希望したが、G医師から、同病院ではこれ以上の精査治療を進めていけないと説明され、同年五月一七日、同病院を退院し、府立医大に入院した(甲一三の一―四〇枚目表、五四枚目表及び裏)。

(ウ) 府立病院における治療の経緯等は次のとおりであった。

a 原告は、平成一四年五月一七日から府立病院に入院したが、同日府立病院に来院する際、タクシーの中で硬直が起こったものの、一、二時間程度で硬直はとけた(甲一三の二―八枚目表)。

b 府立病院における原告の主治医は、精神神経科のD医師、H医師(以下「H医師」という。)、I医師(以下「I医師」という。)の三名であったが、その後、J医師(以下「J医師」という。)が加わり、また、最終的には、H医師がK医師(以下「K医師」という。)に、I医師がL医師にそれぞれ交代した(甲一三の二―八、二一九、二六三枚目各表)。

以下、特に医師個人名を示す必要がある場合を除き、原告に対応した医師が誰であるかを問わず、「D医師ら」と記載する。

c D医師らは、平成一四年五月一七日、原告の症状を、PTSDの疑い、転換性障害とした上で、前者に対する治療として、抗うつ剤(SSRI)であるフルボキサミンマレイン(fluvoxamine)五〇ミリグラムの投与を開始した(甲一三の二―九、二二枚目各表)。その後、フルボキサミンマレインの量は、同月二三日からは一〇〇ミリグラムに、同年六月六日からは一五〇ミリグラムに増やされた(甲一三の二―四八枚目表)。

また、入院サマリー(甲六の六、甲一三の二―六枚目表)には、次の記載がある。

(a) 現症

礼節は保たれており、質問には的確に返答するが、訴えは切迫感に欠ける。ストレッチャーでの移動中もゆっくりでないと頭痛、悪心を訴え、「体がどこかへ行く」と叫び声をあげ、廊下の段差にも過敏に反応する。病室の椅子のきしみ音も嫌がる。

(b) 暫定診断

DSM―Ⅳ Conversion Disorder(転換性障害)S/O

ICD―10 Dissociative motor disorders(解離性運動障害)

(c) 診断に関するコメント

振動などを機に出現する四肢硬直は外傷的出来事の再体験によるものとも考えられるが、反復的なフラッシュバックは見られず、回避・麻痺症状や覚醒充進症状の基準を満たさない。

(d) 特記事項

徳洲会病院入院時には、事故を起こした男友達(被告)に対して激しい怒りをぶつけていた。また、母親はもともと原告に過干渉であり、原告は辟易とすることが多かったという。

d 原告は、平成一四年五月一八日、H医師及びI医師による診察の際、フラッシュバックについては覚えていないから分からない、自動車を運転したい、本件事故を他人事のように感じるなどと答え、同医師らは、原告の症状を転換性障害と考えた上で、フルボキサミンマレインの投与を継続するほか、歩行困難、ヒステリー発作に対しては精神療法を行っていく指針を立てた(甲一三の二―二三ないし二五枚目各表)。

e 原告は、平成一四年五月二二日、整形外科を受診した際、発作性の硬直を訴えた(甲一三の二―四八枚目表)

f 原告は、平成一四年五月二五日、H医師による診察の際、被告との関係について話したほか、今は自動車に対する拒否感があるが、早く自動車に乗りたいなどと答え(なお、原告は、同年九月一〇日の診察の際にも、「車に乗りたい。」「車いじりが好き。」などと述べ、また、同年一〇月二四日には、「(車に)自由に乗りたい。」と、平成一五年一月二一日には、「愛車のカスタム」「シンプルにさりげないドレスアップ」と述べるなど、自動車に対する愛着を示し、自動車に乗ることを望んでいた。)、その表情に不安や焦燥感はみられず、落ち着いた様子を示していた。その際、H医師は、付き合っている被告が毎日会いに来てくれ、原告を優先的に扱ってくれることが疾病利得として想定されること、そして、原告の症状が転換性解離性障害であると考えた上で、原告に対し、どこかに治りたくない思いが解離した状態で存在しているが、原告には、これが分からないことが病気であると説明した。

そして、同年五月二七日には、D医師らによって、原告の疾病利得を探っていく方針が立てられた。

(以上、甲一三の二―三〇ないし三五枚目、一三四枚目、一九七枚目、二九二枚目各表)。

g H医師は、平成一四年六月四日、原告に対し、現在の状態は、無意識にある疾病利得と引換えに解離・転換症状を引き起こしているものであること、器質的な問題がないことは徳洲会病院で確認されているため、発作が生じたとしても問題はなく、特に処置はしないこと、硬直を起こしても、検査やリハビリテーションを受けること、これらについては原告の両親の了解を得ていることを伝え、原告は、これを了解した。その後、同月一二日にMRI検査を受けるまでの間、原告は、発作的硬直を訴えなかった。

(以上、甲一三の二―三九、四二、四八枚目各表)

h 原告は、平成一四年六月五日の診察の際、H医師に対し、□□という会社で販売員登録をしていると話した後、一時間以上にわたって熱心に□□を宣伝するかのような話を続けた。その後、原告は、D医師や、他の患者に対し、□□への勧誘行為と思われるような行動をするようになった。

(以上、甲一三の二―四〇、四一、二〇五枚目各表)

i 平成一四年六月七日から、原告に対し、水曜日と金曜日の週二回のリハビリテーションが開始されたが、原告は、「歩くということがわからない、足の感覚がわからない。」などと述べるのみで、ほとんど進展がみられなかったため、同年九月九日、同月二日のカンファレンスでの方針に従い、リハビリテーションが中止された(甲一三の二―四八、一二六、一三三、二六三枚目各表)。

j 平成一四年六月一二日、脳の器質的障害の鑑別目的で頭部MRI検査が実施されたが、器質的障害は確認されなかった。なお、MRI検査(撮影)の際、原告は、硬直を訴えた。

(以上、甲一三の二―二〇五、二七七枚目各表)

k H医師は、平成一四年六月二八日、原告から、二時間にわたって、母親や被告との関係などについて話を聞いた上で、原告の症状はPTSDに当てはまらない部分が多いとの所見を示した。その際、原告は、落ち着いており、その表情は穏やかで、抑うつ的なところはみられず、H医師の説明を熱心に聞いていた。

(以上、甲一三の二―五八ないし六一枚目各表)

l 平成一四年七月三一日ころには、原告に生ずる解離症状は、府立病院入院時と比べ、かなり減少してきたが、同日、I医師が原告に対して歩くことに対する考えについて質問したところ、頻回の解離が出現し、また、同年八月五日にも、原告は、歩くことについて、突き詰めた質問をされた際、かなり取り乱し、拒絶的な反応を示した(甲一三の二―八三、九四枚目各表)。

m 平成一四年八月九日、H医師及びI医師は、看護師から、原告がうなり声をあげている、発狂しそうと訴えているとの連絡を受け、訪室したところ、ベッドの上でうなり声をあげ、のたうち回っている原告を発見したため、原告から話を聞いた上で、原告に対し、セレネース、アキネトンを処方した(甲一三の二―九六、三六九枚目各表)。

n これまでの診察により、H医師は、原告が、販売員登録をしている□□に傾倒し、これに深く依存しているような言動を示していたことや、自分自身の基準を持ち、型にはまって生きた原告の母親が、自分と同じ生き方を娘である原告にも望んでいることに対する原告の反発といった心の葛藤があると考えた。そこで、H医師は、平成一四年八月一六日、原告には、□□との同一化、母親を代表する既成の価値観への反発といった反動形成、治ることがすなわち歩けることであることを認めない分離などがうかがわれる一方で、病気であることによって、母親と同じ社会の価値観で図られる恐怖を感じない疾病利得や、親の世話になり自立できないのは仕方なく、自分の責任ではないと思える利得があると考え、D医師らは、同日から、疾病利得を検索するため、家族内の葛藤や、□□への依存など、原告の内的葛藤に焦点を当て、分析的アプローチを開始したところ、同月二九日には、J医師は、原告には症状がなくなってしまうことに対する明らかな不安がみられるとの所見を示した。

(以上、甲一三の二―四〇、四一、五六、一〇〇、一〇一、一〇四ないし一〇六、一一一、一一二、一二二、二六三枚目各表)

o J医師は、原告に対し心理テストを実施し、平成一四年八月一六日ころ、原告に対し、原告には、典型的な転換性障害の特徴が表れていること、全体的に未成熟(immature)な印象は顕著で、他者依存的な人格特徴(personality trait)があると思われること、疾病利得は、今の状態が心地よいからという積極的な利得というよりは、病気が治り退院して帰宅すると、否が応でも自立した生活が求められ、母親との依存関係をきっぱりと断ち切る自信も持てないために、帰宅するのをしばらく回避したいというネガティブな利得も考えられるとの所見を示した(甲一三の二―一〇五、一〇七、二七二枚目各表)。

p 原告は、看護師に不満をぶつけるために、平成一四年八月二六日午後一〇時五〇分ころ、ベッドの上で、手足を振り、「自分の症状をわかってもらうため。」などと大声で叫ぶことがあり、また、翌二七日午後一〇時三〇分ころにも、ベッドの上で、足でベッドの柵を蹴り、大声をあげることがあった(甲一三の二―一一五、一一六、一二〇枚目各表、三七二枚目表及び裏)。

q D医師らは、平成一四年九月二日、カンファレンスを行い、同月六日の時点でリハビリテーションの効果を判定すること、リハビリテーションの中止継続にかかわらず、現時点で疾病利得についてはある程度分かってきたことから、今後は、これを明らかにするアプローチはいったん終了し、同月九日から同月三〇日までの間、原告に疾病利得を言語的に直面化していくこと、直面化に対する原告の防衛が強い場合には、治療効果がないと判断し、いったん原告を退院させることなどの方針を立てた。

その上で、D医師らは、同月四日、原告に対し、一か月間疾病利得を言語的に直面化していく方針などを説明したが、原告は、「そんなん嫌だー。」「私は、体が拒否すると思う。嫌だー。」などと述べ、ベッドに突っ伏すといった拒絶的な態度を示した。また、D医師らは、同月六日には、看護師との間でもカンファレンスを持ち、上記方針を伝えた。

(以上、甲一三の二―一二六、一二八、一三〇、三七三枚目各表)

r その後、原告に対し、疾病利得を言語的に直面化させる治療が行われたが、原告は、話題が本件事故のことになったり、原告が抱える葛藤に近づきすぎると、解離を引き起こして、「分からない。」「頭が白くなった。」などと繰り返し、また、D医師らは、原告が□□を理想化することに対し、現実的な見方から批判的なアプローチを試みたものの、原告には、原告にとって得にならない情報については、これを切り捨てる傾向や、終始□□を正当化する傾向がみられるなどしたため、分析的アプローチについても、ほとんど進展が認められなかった。

この間、H医師は、平成一四年九月二〇日の診察の際、原告から、原告の父親は、普段、母親との口論が始まっても、聞く耳を持たないでいるが、特に酒が入ると、暴力を振るうことがあったなどの話を聞いたほか、同日の診察を踏まえて、次の所見を示した。

(a) 自立できていない状態、不満を感じている状態、病気に逃げている状態、母親の生き方等を支持的に接することに対する嫌悪感は、おそらくかなり強く、自分にそういう部分があることは全く認める素振りをみせず、自分にはそのような部分は全くなく、描いている幻想の中の自分像しかみることができない様子である。

(b) 病気であることで、現実的な利得(仕事をしなくてもよい。親に□□のお金を払ってもらえる。被告が毎日来てくれる。)もあるが、それ以上に、現実の自分を見ず、幻想・夢を見続けていられるという側面が非常に強いことを感じさせられた。

また、I医師は、平成一四年一〇月四日の診察において、原告に入院していることに対する疾病利得があるのは確かであるとの所見を持った。

(以上、甲一三の二―一二二、一四四、一五〇、一五二、一六四、一七〇、一七四、二一二、二六三枚目各表)

s D医師らは、平成一四年一〇月一五日、原告に対し、精神科病棟に移るか、退院して車いすの不便さを実感することが必要であると説明し、同月二四日には、同年一一月中旬までに、精神科閉鎖病棟に移る準備をするように伝えた(甲一三の二―一八三、一九八枚目各表)。

t 原告は、発作の治療を先行させることを希望したことから、脱感作的な行動療法を施行すべく、原告の同意の下、平成一四年一一月二五日、一般病棟から精神科閉鎖病棟に任意入院となった。しかし、行動療法を施行する前から、しばしば、原告は、下肢硬直や、上肢脱力発作を訴えたため、結局、一度も行動療法を実施することができなかった。

(以上、甲一三の二―一九、二〇、二一三、二一六、二一七、二六三枚目各表、三四五枚目裏、三七九枚目表ないし三八三枚目裏)。

u D医師らは、平成一四年一二月一〇日、PTSDは否定され、原告の症状については、すべて転換性障害(Conversion)で説明できるとの所見を持ち、発作性硬直、脱力症状及び歩行障害は転換性障害の症状であると考えられるとして、治療焦点を歩行障害に絞った上で、同月一六日から、原告の同意の下、電話や面会を含めた行動制限を開始し、また、車いすから、歩行器へと置換した(甲六の八、甲一三の二―二一八枚目ないし二二〇枚目、二六三枚目各表)。

v その後、原告は、看護者の助力もあり、歩行器による歩行が可能となったものの、「歩くということがイメージできない。」「周りの人は歩けるようになってきたというが、私は、少しもそう感じない。」「今でも硬直発作が起こりそうなのに、それに対しては扱ってくれない。」などと述べ、歩行の改善を否定し、硬直発作を治療で扱うことを訴えた。

そこで、D医師らは、平成一五年一月一八日ころ、原告に対し、一連の症状について、歩行障害だけでなく、硬直自体も転換性障害の一症状であることを説明し、行動範囲の制限は原告の同意の下で行っており、歩行ができた段階で解除すると伝えたところ、原告は、同月二四日、看護者の介助の下、歩行器なしで歩行することができるようになり、同月二六日、歩行器は引き上げられた。

しかし、原告は、同月二七日、「歩けるようになったことでこわいのがすごく強くなった。」「救急車だけでなく、ちょっとした物音とか光を見ても恐怖心が出てくる。」「今までは何とも思わなかった物音も怖くなった。」などと述べるとともに、「こんなんだったら歩けない方がよかった。」「歩けなかった時に戻りたい。」と訴え、翌二八日からは、急に治療者の前で、千鳥足になるなど歩行不安定となり、「体が勝手に自分の意志と違う方向に歩いてしまう。」などと再び演技性(histrionic)とも思える歩行障害を示すようになったが(なお、同月二五日には、K医師によって、原告には、ヒステリーあるいは虚偽性障害、詐病などの可能性があるとの所見が持たれている。)、歩行可能となった以降は、硬直や脱力といった発作は認められなくなった。

(以上、甲一三の二―二二六、二三〇、二三六、二三九、二四三ないし二四五枚目、二六三枚目各表、三八四枚目裏ないし三九〇枚目裏、三九二枚目表)。

w D医師らは、原告に対し、恐怖心の克服は自らの行動療法が重要であり、誰かが手を引いて外に連れ出してくれる環境では、なかなか治療が進まないため、以後は、外来で、恐怖心や強い不安を薬物療法と行動療法を併用する形で行うことにし、平成一五年一月二九日、原告に対し、その旨を説明するとともに、同年二月一五日に退院すること、同日まで入院治療の中で少しずつ外出していくことを提案したところ、原告は、たった二週間で何もできないと述べて、これに抵抗を示すとともに、面接中震え出したり、千鳥足で歩行したりするなどした。

面接終了後、原告は、今から退院すると言いだし、制止されるも、これを振りほどき外出しようとし、興奮気味に大声で叫び、足元もおぼつかず転倒の危険があったことから、同年一月二九日午後一一時一〇分から翌三〇日午前八時四〇分までの間、保護室に隔離された。その間の同日午前二時五五分ころ、原告は、保護室の柵にパジャマをかけ、首つり行為を装うことがあった。

D医師らは、原告に対し、二週間様子をみた後で、外来治療に切り替えていくことが必要であること、外来受診自体が行動療法になることを再三にわたり説明したが、原告は、これを受け入れず、同月三一日午前零時四五分には、自傷行為の危険があるとして、再び保護室に隔離される事態となった。原告は、保護室に隔離される際、興奮して自ら全裸となったり、また、保護室に隔離された後は、毛布やシーツを細くたたんで、首に巻き付けたり、京都地方法務局人権擁護課に電話をするなどの行動を示した。

その後、同日午後五時一〇分、原告は、保護室からの出室を許されたが、同日午後七時二〇分ころ、自室において、椅子を振り上げて、窓ガラスを割る仕草をしたり、大声で怒鳴るなどしたことから、同日午後七時四〇分までの間、保護室に隔離された。

原告は、保護室から出室した後、D医師に、直ちに退院することを告げ、そのまま、府立病院を飛び出したが、同年二月二日まで外出扱いとされた。

(以上、甲一三の二―一七、二四八ないし二六三枚目各表、三九四枚目表ないし三九八枚目表)

x 原告退院後に作成された退院サマリー(甲六の九、甲一三の二―二六三枚目表)には次の趣旨の記載がある。

(a) 診断に関する考察

Ⅰ軸については、整形外科、神経内科の診察上器質的な障害がないにもかかわらず、長期間歩行障害を呈していたことから、Conversion Disorder(転換性障害)と診断されること、疾病利得の存在については、現在無職で将来的なビジョンが立っていないことへの不安や、干渉的な母親との葛藤などが根底にあると推測したが判然としなかった。

Ⅱ軸については、主治医や看護者の前では、ことさら体を震わせたり、新たな歩行障害を増幅するなどし、誇張した情緒表現や関心を引くための身体的外見などから、Histrionic Personality Disorder(演技性人格障害)と診断される。

(b) 治療に対する考察

PTSD様の症状に対し、SSRI(抗うつ剤)を主剤とした薬物療法を開始し、歩行障害に対しては、リハビリテーションと並行して、分析的アプローチを試みたが、いずれも、ほとんど効果がみられなかった。

(エ) 京大病院における治療の経緯等は次のとおりであった。

a 原告は、平成一五年二月一二日、京大病院に車いすで来院し、精神科のC医師に対し、府立病院を退院して以降、歩行ができないと述べた(甲一三の三―八枚目表)。

b 原告は、平成一五年二月二〇日、C医師に対し、硬直が起きていないと伝えたほか、歩行練習を行い、同年三月一二日には、C医師に対し、タクシーなど自動車に乗っているときに「花咲いた自分」が出てくると述べ、これは、幸せな自分、苦しい時に助けてくれる私であると説明した(甲一三の三―一三枚目裏、一四枚目表)。

c C医師は、平成一五年三月一二日まで原告を診察し、同月二〇日からは、精神料のE医師が診察を引き継いだ。しかし、原告は、同日、同月二七日及び同年四月三日にE医師の診察を受けただけで、以後、来院しなくなり、原告の両親らだけが受診した上で、E医師に対し、原告がドライブや、移動の際の自動車に乗るようになったことなどを伝えた(甲一三の三―一四枚目表ないし一五枚目裏、五〇枚目表及び裏、六一枚目表)。

d E医師は、原告が入院を求めたことに対し、入院適応がないとして、これを拒否していたが、平成一五年五月二六日には、PTSDの症状として、転換性解離性障害が生じているとの所見を示した(甲一三の三―三八枚目裏、五七枚目裏)。

e 原告は、平成一五年五月三〇日ころから、自分が何をするのかわからないと自ら警察に電話し、保護されることが毎晩続いた(甲一三の三―六一、六二枚目各表)。

f 原告の両親などによる通院は平成一五年六月三日まで続いたが、原告に対する治療内容としては、検査は行われず、投薬についても、セルシンや、リボトリール、トレドミンといった、不安や、てんかん、うつの症状を抑える薬を、診察の都度、処方していただけであった(甲一三の三―八枚目裏ないし五七枚目裏、六一、六二、六八枚目各表)。

g E医師は、平成一六年八月三一日、原告の傷病名を、PTSD、解離性転換性障害とする診断書(甲七の二、甲一三の三―七一枚目表)を作成し、同診断書に、本件事故以前には、精神状態が安定していたとのことであり、解離転換症状はPTSDと関連したものであることが推測されると付記した。

また、E医師は、平成一八年九月五日、本件事故まで精神的に安定していたが、本件事故直後から、様々な解離転換症状が生じている、事故の話題が出ると、恐怖心が生じて逃げようとする回避行動や、そのような話題に伴って四肢硬直発作が生ずること、さらに、過覚醒や不眠が認められることから、PTSDの所見と矛盾しない旨の所見を示した(甲七の三、甲一三の三―六九枚目表)。

(オ) 岩倉病院における治療の経緯等は次のとおりであった。

a 原告は、平成一五年五月三〇日ころから警察に保護されることが毎晩続いたことから、同年六月三日、一時避難の目的で、岩倉病院に入院した。その際、入院期間は二、三週間の予定とされた(甲一一の一、甲一三の四―二枚目表)。

b 主治医となったF医師は、平成一五年九月ころから、原告に自宅でもやっていけるという自覚・自信を持たせるためや、症状を持ちながらでも行動することが大切であるという体験をさせるため、原告を外泊させ、外の生活に慣らせた上で退院させるという方針を定め、また、同月二七日、カンファレンスを行い、原告の症状を解離性障害であると診断し、原告は、不安やしんどさを解離、硬直として表現するため、病院側でも、これらを本人の性格ではなく、病気として捉えていくこと、そして、一か月後の退院を目指すことを方針として定めた(甲一三の四―一四枚目表、証人Fの供述書)。

c 岩倉病院入院中も、原告は、頻繁に解離症状や下肢硬直、上肢脱力等を訴えたが、平成一五年一二月一九日に転棟して以降は、解離症状はみられなくなった。しかし、硬直については、これを頻繁に訴え続けた。また、平成一五年六月一一日には、車いすの使用を止め、歩行器での歩行が可能となったものの、同月一六日には、原告の希望により、再び車いすの使用に戻った。

その後、原告は、同年六月一九日ころからは、ドライブを含む自動車での移動がみられるようになり、また、同年七月一八日から歩行が可能となったが、歩行ができているという実感がないと訴えた。

(以上、甲八の二、甲一三の四―四、五、六枚目各裏、一〇枚目表、一二枚目表及び裏、二〇枚目表、二三枚目裏、二六枚目表、甲一三の五―三枚目表)

d 入院中の平成一五年六月七日、F医師は、原告の病名を、PTSD、転換性障害とする診断書(甲八の一)を作成した。

また、平成一六年三月一七日の診療録(甲一三の四―三〇枚目表)には、本件事故以前から、原告の意思表示は激しく、本件事故後、それが増長した旨の記載がある。

なお、F医師は、平成一六年九月二九日、同年一〇月二二日及び平成一七年三月一一日にも、原告の病名を、PTSD、解離性障害とする診断書(順に、甲八の二ないし四)をそれぞれ作成している。

e 岩倉病院入院中の原告に対する治療内容は、主にカウンセリング及びリハビリテーションであり、投薬については、定期薬は特に指示されず、解離症状を訴えた際に、リスパダールや、リントンといった抗精神病薬を、不眠やいらだちを訴えた際には、これらを抑える薬剤を処方していた(甲一三の四―五四枚目表ないし一一五枚目表)。

f 原告は、平成一七年二月一九日、岩倉病院を退院し、同月二三日から、岩倉病院への通院を始めた。通院頻度は、概ね一週間に一回程度で、原告に対する治療内容も、入院時とほとんど同じであった。F医師は、原告に自動車の運転を許可・奨励し、原告は、同年六月二二日ころから、自ら自動車を運転して、通院するようになり、同年七月二〇日には、自動車の運転に慣れ始め、その後も、自ら自動車を運転して、通院を継続した。また、原告は、看護師に対し、同年八月一七日には友人と自動車で金沢に、同年一〇月一二日には友人と自動車で舞鶴に行ったことを話したほか、同年一二月一四日には、最高速度違反及び酒気帯び運転や、追越しを禁止する場所での追越し運転により、警察に捕まったことがあると述べている(甲一三の四―五三枚目裏、甲一三の五―三、九、一〇枚目各表、一一枚目表及び裏、一四、一五、一七枚目各表、証人Fの供述書)。

g F医師は、平成一七年三月一〇日、弁護士に対し、原告は自動車を運転して来院しているが、現状では、就労は難しく、理解ある職場において、単純作業なら可能であるとの所見を示した(甲一三の五―二〇枚目表)。

h 原告は、平成一七年一〇月二六日、岩倉病院に入院し、同年一一月九日まで入院したが、その間、原告は、頻繁に解離性の下肢硬直を訴えた(甲一三の六―二、五枚目各表)。

i また、F医師は、同年一〇月二八日、原告が「先生、なんで硬直おこすんやろ、しんどいわ。」と述べたことに対し、おそらく自宅へ帰ると再び辛い日々が待っているので帰宅したくない気持ちの表れと思われるとの所見を示している(甲一三の六―二枚目裏)。

ウ 原告は、本件事故のほか、次の交通事故に遭遇している。

(ア) 本件事故以前の交通事故

原告は、平成一一年八月五日午前七時二五分ころ、京都府八幡市川口東扇一四番地一先路上において、Mの運転する普通乗用自動車に出会い頭に衝突され、頸椎捻挫、腰椎捻挫、腰部打撲傷、骨盤打撲、右股関節捻挫、頭部打撲、両膝打撲の傷害を負った。

原告は、医療法人社団医聖会八幡中央病院において、平成一一年八月五日から同年九月二一日まで入院し(四八日)、同年八月五日から平成一三年九月三〇日まで通院して(実通院日数五六四日)治療を受け、同日症状が固定したとの診断を受け、損害保険料率算出機構において、平成一七年一〇月五日、原告が上記事故で負った後遺障害(長時間うつむくと頸部痛との訴え)が自賠責等級一四級一〇号に該当するとの認定を受けた。

なお、上記事故に係るリハビリ(けい引、マッサージ、マイクロ波治療)は、原告が本件事故に遭った当時も継続されていた。

(以上、甲一の一ないし三、五及び六、甲一三の一―四枚目裏)

(イ) 本件事故以後の交通事故

a 原告は、平成一九年四月三日午後九時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転して京都府久世郡久御山町大字田井小字向野一七番地の一において、N運転の普通乗用自動車に追突した(甲一四)。

b 原告は、平成一九年五月二六日午後一時四〇分ころ、通院していた医療法人社団淀さんせん会金井病院の駐車場で、座りながら電話をしていたところ、後進してきた送迎車に衝突された(甲一五の一、二、弁論の全趣旨)。

(2)  前記認定の事実関係を基に、原告が本件事故の結果PTSDに罹患したか否かについて判断する。

ア まず、DSM―Ⅳ等の要件①について検討するに、本件事故態様は、前記認定のとおり、時速二〇キロメートルで右折進行した被告車の右側部(運転席側)にA車の前部が衝突し、その結果、被告車は、原告がシートベルトを装着し座っていた助手席を下にする形で横転したというものである。ところで、A車が進行していた道路の最高速度は時速四〇キロメートルであり、Aがブレーキをかけた地点から衝突地点までの距離は二四・八メートルであったことからすると、A車が被告車に衝突する直前には、その速度は時速四〇キロメートルを下回っていたものと推認されるから、高速で衝突したとは言い難く、しかも、A車が衝突したのは原告が乗車していた助手席側ではなく運転席側であったことからすると、原告が受けた衝撃の程度はかなり緩和されていたものと推認される。その上、原告及び被告は、いずれもシートベルトを装着しており、特に、被告は、本件事故によりほとんど傷を負っておらず、一方、原告においても、救急搬送された際、頭痛、頸部痛、手(特に左手)の痺れ、四肢脱力等の症状を訴えていたほか、歯髄損傷の傷害を負ったものの、骨折や出血等は確認されず、チアノーゼ、痙攣、失禁、嘔気、嘔吐、冷汗、四肢冷感といった全身状態の異常も認められなかったのであり、負傷の程度が重いとは言えない。以上によれば、原告は、本件事故により、上記要件①が想定するような外傷的な出来事に暴露されたということはできない。

次に、要件②(フラッシュバック)について検討するに、原告は、交通事故時に近い刺激が加わると、受傷直後の四肢麻痺が再現されるなどのフラッシュバックが起きると主張するが、前記認定のとおり、原告は、徳洲会病院での診療の際、他人に車いすを押されて移動する場合以外でも、本件事故の際に原告が体験した状況とは全く異なる、隣のベッドの物音や、隣の患者の電話での話し声、携帯電話の音、MRI検査(撮影)の際の物音などが原因で、四肢硬直を訴えているのであり、また、同病院の平成一四年四月一四日の看護計画にも、時や場所に関係なく、四肢硬直等の症状がみられる旨の記載があること、府立病院において原告に対し疾病利得を言語的に直面化する治療が行われた際にも、話題が原告が抱える葛藤に近づきすぎると、原告は、解離を引き起こしているなど、原告の症状が本件事故と直接の関連性を有しない場面でも出現している。以上によれば、原告の四肢硬直等の症状が本件事故の再体験として生じているとは直ちに言い難い。

さらに、要件③について検討するに、前判示のとおり、原告は、平成一四年二月五日から四肢硬直を訴え始めたが、そこから三か月ほどしか経過していない同年五月二五日には、H医師に対して、早く自動車に乗りたいなどと述べ、その後も、自動車に対する愛着を示し、自動車に乗ることを望んでいる旨を繰り返し述べていることや、E医師による診察が行われた平成一五年四月ころには、ドライブに行くなど、自動車に乗り始めていること、平成一七年六月二二日ころには、自ら自動車を運転して通院を始め、同年一二月一四日ころには、酒気を帯びた上での最高速度違反運転や、追越しを禁止する場所での追越し運転といった、交通事故により心に深い傷を負った者であれば到底行わないような危険な運転をしているだけでなく、平成一九年四月三日には、前方不注意により、衝突事故まで起こしている。以上によれば、原告が本件事故と関連した刺激を日常的に回避しているとは言い難い。

しかも、要件④については、前記認定のとおり、府立病院の入院サマリー(甲六の六、甲一三の二―六枚目表)には、反復的なフラッシュバックは見られないとの記載に続き、回避・麻痺症状や覚醒亢進症状の基準を満たさないとの記載がされているところである。

これに加え、前記認定の事実関係によれば、D医師らは、平成一四年八月一六日、従前の診察結果から、原告には疾病利得があるとの所見に基づき、その疾病利得を検索するため、家族内の葛藤や、□□への依存など、原告の内的葛藤に焦点を当て、分析的アプローチを開始するとともに、原告に対する心理テストの結果や、その後の多数回にわたる診察の結果得た所見等に基づいて、原告には疾病利得があるとの確信を持ち(なお、F医師も、平成一七年一〇月二八日、原告には疾病利得がある旨の所見を示している。)、平成一四年一二月一〇日には、PTSDを否定し、原告の症状については、すべて転換性障害で説明できるとした上で、発作性硬直、脱力症状及び歩行障害は転換性障害の症状であるとの所見を持つに至ったこと、しかも、原告は、平成一五年一月二四日、看護者の介助の下、歩行器なしで歩行することができるようになったにもかかわらず、「歩けるようになったことでこわいのがすごく強くなった。」「こんなんだったら歩けない方がよかった。」などと訴え、急に治療者の前で、千鳥足になり、「体が勝手に自分の意志と違う方向に歩いてしまう。」と述べ、新たな歩行障害を増幅させるなどし、演技性とも思える歩行障害を示すようになったこと、以上を踏まえ、D医師らは、最終的に、原告の症状は、Ⅰ軸については、転換性障害との診断を、Ⅱ軸については、演技性人格障害との診断を下したことなど、原告がPTSDに罹患していないことに沿う事実関係も認められる。

以上によれば、前記認定のとおり、原告には、器質的、理学的及び神経学的な観点から異常は認められないにもかかわらず、本件事故前には生じていなかった前記認定の原告の症状が本件事故を契機として生じていることについては、原告が本件事故に起因して転換性障害に罹患したものと認めることができる。

イ これに対し、原告は、本件事故は、当時三〇歳の女性であった原告にとっては、突然全く思いもよらないような恐ろしい体験であったと主張するけれども、前記認定のとおり、本件事故についての原告の記憶は、ゴンという音に続いて、右顔を叩きつけられ、被告が原告の頭上で宙づりになっていたという程度のものであるから、ある程度の恐怖を感じていたとしても、強い恐怖まで感じていたということはできない。

また、原告は、原告を診察した医師も、原告をPTSD、解離性転換性障害と診断していると主張するが、次のとおり、いずれもにわかに採用することができない。

(ア) 徳洲会病院のG医師は、原告をPTSDと診断している(甲三の三ないし五)。しかし、前記認定のとおり、G医師は、整形外科医であり、PTSDなどの精神神経症状を専門とするものではなく、G医師自身、平成一四年一一月一五日付け回答書において、専門外であるためPTSDの程度についての判断はできない旨を回答している。

(イ) 黄檗病院のB医師は、原告をPTSDと診断している(甲四―五、七枚目各表)。しかし、平成一六年八月二五日付けの診断書(甲四―七枚目表)によれば、同医師がPTSDと診断した根拠は、頭に振動や圧迫が加わるとか、車いすのスピードが速くなるなど、交通事故時の状況に近い刺激が加わると受傷直後の四肢麻痺が再現されることにある。そうすると、同医師は、本件事故がDSM―Ⅳ等の要件①を満たすか否か検討した上で、PTSDと診断したということはできない。しかも、前記認定のとおり、同医師による診察は、平成一四年三月八日の一回だけであり、また、証拠(甲四―四枚目表)によれば、徳洲会病院からの情報は、原告は、他人に車いすを押されて移動する際に、四肢の硬直や、ふるえ、ふらつきを感じたり、また、飛蚊症のように目がチカチカすることがあるなどの症状があること、頭部CTや、MRI等の検査を行ったが、画像上の異変は認められなかったという程度のものであって、前判示のとおり、府立病院のD医師らの診断が長期に及ぶ診察を踏まえ、慎重に所見を積み上げた上で下されたものであったことと比較すると、この程度の情報に一回の診察を行っただけで、PTSDの診断が可能であったとは考え難い。

(ウ) 京大病院精神科のC医師は、原告をPTSDと診断している(甲五の一、二)。しかし、前記認定のとおり、その根拠は経過や症状などからPTSDが最も疑われる(一番考えられる。)という漠然としたものであり、前判示のとおり、徳洲会病院からの前記情報と一回の診察を行うだけで、PTSDの診断が可能であったとは考え難い。

(エ) 府立病院のD医師は、発作性の硬直はPTSDによるものと診断している(甲六の一ないし四)。しかし、前判示のとおり、D医師らの最終的な所見は、PTSDを否定し、転換性障害ないし演技性人格障害であるというものであって、これらを採用することはできない。

(オ) 京大病院のE医師は、原告の傷病名を「PTSD、解離性転換性障害」と診断している(甲七の一ないし三)。しかし、前記認定のとおり、E医師が原告を実際に診察したのは、三回のみであること、また、E医師が原告の傷病名をPTSDと診断した根拠は、本件事故以前には原告の精神状態が安定していたから、解離転換症状はPTSDと関連したものであることが推測されるというというもので、ほかの医師と同様、原告が本件事故の後に精神的に不安定となったことのみを根拠とし、本件事故がDSM―Ⅳ等の要件①を満たすか否か検討した上で、PTSDと診断したということはできないこと、しかも、その根拠は、「解離転換症状は、PTSDと関連したものであることが推測される。」「PTSDの所見と矛盾しない」といった、漠然としたものであり、具体的な根拠に乏しいものと言うべきである。

(カ) 岩倉病院のF医師は、原告をPTSDと診断している(甲八の一ないし四)。しかし、F医師は、書面尋問において、本件事故がDSM―Ⅳ等の要件①に該当するかという質問に対し、「今回の事故の後に精神的に不安定となったので、外傷的出来事の体験といえる。」と供述し(なお、同医師は、これに続けて、『今回の事故が原因で今現在呈している症状がおこっているとは考えにくい。』と供述している。)(原告質問事項三①)、被告質問事項九においても同様の供述をしていることからすると、原告が本件事故の後に精神的に不安定となったことを根拠に、そこから遡って、本件事故がDSM―Ⅳ等の要件①を満たすと判断したものと推認されるところ、このような判断過程は、DSM―Ⅳ等が、外傷的出来事に暴露されたこと(要件①)と、外傷的出来事の再体験(要件②)とを区別して要件化した趣旨に沿わないものと言うべきである。そして、F医師が、上記のような供述をしていることからすると、同医師は、PTSDの診断を行うにあたり、本件事故それ自体が要件①が想定するような外傷的出来事に該当するかや、本件事故による原告の反応それ自体が強い恐怖、無力感又は戦慄に関するものであるかについて十分な検討をしていないものと推認される。しかも、F医師自身も、書面尋問において、本件事故が要件①に該当するか否かは悩むところである旨供述し(被告質問事項九)、また、原告の自覚症状はDSM―Ⅳ等の基準をすべて満たしていると判断されるかという質問(被告質問事項一〇)に対しては供述を回避していることからすると、F医師の上記診断をにわかに採用することはできないものと言うべきである。

二  争点(2)(損害)について

原告は、証拠(後掲のもの)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故により、次の損害を被ったものと認められる。

(1)  治療関係費 五一二万二一八一円

ア 徳洲会病院入院分三四七万六〇七六円、府立病院入院分一五八万五〇三〇円並びに京大病院、府立病院及び黄檗病院通院分六万一〇七五円は、当事者間に争いがない。

岩倉病院入通院分二六五万九一九〇円について、本件事故と相当因果関係のある損害であるか否か(相当治療期間)について判断する。

前記認定の事実関係によれば、府立病院における診療経緯は次のとおりである。

D医師らは、平成一四年五月一七日、原告の症状を、PTSDの疑い、転換性障害とした上で、前者に対する治療として、抗うつ剤であるフルボキサミンマレイン投与を開始するとともに、同年六月七日から、原告に対し、週二回のリハビリテーションを開始したが、原告は、「歩くということがわからない、足の感覚がわからない。」などと述べるのみで、ほとんど進展がみられなかったため、同年九月九日には、リハビリテーションが中止された。また、リハビリテーションと並行して、D医師らは、同年八月一六日から、疾病利得を検索するため、分析的アプローチを開始し、同年九月二日のカンファレンスでは、疾病利得についてある程度分かってきたことから、同月九日から同月三〇日までの間、原告に対して疾病利得を言語的に直面化していくこと、及び、直面化に対する原告の防衛が強い場合には、治療効果がないと判断し、いったん原告を退院させることなどの方針を立てた。しかし、その直後から、原告は、疾病利得を言語的に直面化していくことに抵抗を示し、話題が本件事故のことになったり、原告が抱える葛藤に近づきすぎると、解離を引き起こして、「分からない。」「頭が白くなった。」などと繰り返したため、D医師らは、面談を中断せざるを得なくなるなどした結果、分析的アプローチについても、ほとんど進展が認められなかった。その後、D医師らは、同年一一月二五日に原告を一般病棟から精神科閉鎖病棟に転棟させた上で、原告に対し、行動療法を施行する予定であったが、原告が、しばしば、下肢硬直や、上肢脱力発作を訴えたため、行動療法を一度も施行することはできなかった。このように、D医師らは、原告に対し、リハビリテーションと並行して分析的アプローチを試みたが、いずれも、ほとんど効果がみられなかったことから、恐怖心の克服は自らの行動療法が重要であり、誰かが手を引いて外に連れ出してくれる環境では、なかなか原告の治療が進まないと考え、以後は、外来で、恐怖心や強い不安について、薬物療法と行動療法を併用する形で治療を行うことにし、平成一五年一月二九日、原告に対し、その旨を説明するとともに、同年二月一五日に退院することなどを提案したが、原告は、興奮気味に大声で叫んだり、首つり行為を装ったりなどして、これを強く拒絶し、同年一月三一日、D医師らによる治療を自ら放棄し、事実上、府立病院を退院したというものである。

上記診療経過によれば、D医師らは、原告の症状に対し、入院治療として採りうる治療方法を尽くしたものの、いずれも、ほとんど効果がみられず、D医師らは、入院治療では、原告の治療が進まないと考え、通院治療に切り替えようと試みたが、原告がこれに強い拒絶を示し、自らD医師らによる治療を放棄したこと、前記認定のとおり、原告は、同年二月一二日から京大病院に通院を始めたが、同年四月三日を最後に通院を放棄し、また、この間の原告に対する治療態様をみても、検査は行われず、投薬についても、不安や、てんかん、うつの症状を抑える薬を、診察の都度、処方していただけであったこと、原告は、同年六月三日から岩倉病院に入院したが、その当初の目的は一時避難というものであり、しかも、当初、入院期間は二、三週間と予定されていた上、F医師も、原告を外泊させ、外の生活に慣らせた上で退院させるという方針を定めていたこと、岩倉病院入通院中における治療態様は、主にカウンセリング及びリハビリテーションであり、投薬については、定期薬は特に指示されず、解離症状を訴えた際などに、それを抑える薬剤を処方していたにすぎないこと、このように、京大病院及び岩倉病院において原告に対してなされた治療態様は、ほとんど同じであり、これらの病院における治療を経ても、原告の症状は一進一退を続けており、特に改善は認められなかったことからすると、原告が本件事故により負った転換性障害に対する相当治療期間は平成一四年一月二四日から、長くみても京大病院への通院が終わった平成一五年六月三日までであり(したがって、平成一四年一月二四日及び平成一五年二月一二日から同年六月三日までが通院治療が必要な期間となる。)、同年六月三日には原告が本件事故により負った転換性障害という後遺障害の症状が固定したものと認めるのが相当である。

これに対し、症状固定日を平成一八年三月三一日とする、F医師作成に係る自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲九)があるが、F医師は、原告がPTSDに罹患したことを前提として症状固定日を定めているところ、前判示のとおり、原告はPTSDに罹患したものと認めるに足りる証拠はないから、同診断書を採用することはできない。

イ 以上によれば、本件事故による治療関係費は、入院治療費が、徳洲会病院入院分三四七万六〇七六円及び府立病院入院分一五八万五〇三〇円の合計五〇六万一一〇六円となり、通院治療費は、京大病院、府立病院及び黄檗病院通院分六万一〇七五円となる。

(2)  入院雑費 四八万三六〇〇円

前判示のとおり、原告の入院治療に必要な期間は、平成一四年一月二五日から原告が事実上府立病院を退院した平成一五年一月三一日まで(三七二日間)であり、一日当たりの入院雑費として一三〇〇円を認めるのが相当であるから、上記金額となる。計算式は、1300円(1日当たり)×372日=483,600円である。

(3)  通院交通費 一〇万四〇一〇円

平成一五年六月三日までの通院交通費が一〇万四〇一〇円であることについて、当事者間に争いがない。

(4)  休業損害 二三〇万二七九〇円

原告は、本件事故当時、スナック○○でアルバイトをし、その給与は月額二〇万円を超えていたから、一日当たりの給与は九〇〇〇円であると主張する。しかし、前記認定のとおり、原告がスナック○○でアルバイトをしていたことは認められるものの、その給与が月額二〇万円を超えていたこと、一日当たりの給与が九〇〇〇円であったことについては、これを認めるに足りる証拠はないが、少なくとも、平成一四年度賃金センサス(産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者・全年齢)による平均賃金三五一万八二〇〇円の六割程度の収入はあったというべきであるから、基礎収入を一日当たり五七八三円(一円未満切り捨て)とするのが相当である。計算式は、351万8200円×0.6÷365日=5783円である。

そして、入院治療に必要な期間である平成一四年一月二五日(原告が徳洲会病院に入院をしたのは、同月二四日午後一〇時一六分であるから、翌日から計算することとする。)から平成一五年二月二日までの三七四日は一〇割、通院加療に必要な期間である翌三日から同年六月三日までの一二一日間は二割として算出した上記金額(一円未満切り捨て)を休業損害として計上するのが相当である。計算式は、5783円×374日+5783円×0.2×121=230万2790円である。

(5)  後遺障害逸失利益 七五万五五四五円

前記認定の事実関係によれば、基礎収入を平成一五年度賃金センサス(産業計・企業規模計・学歴計・女性労働者・全年齢)による平均賃金三四九万〇三〇〇円、労働能力喪失率を五パーセント、期間を五年とし、ライプニッツ係数(四・三二九四)を乗じて中間利息を控除するのが相当であるから、上記金額(一円未満切り捨て)となる。計算式は、349万0300円×0.05×4.3294=75万5545円である。

これに対し、F医師は、平成一七年三月一〇日、現状では、就労は難しく、理解ある職場において、単純作業なら可能であるとの所見を示し、書面尋問においても、同趣旨の供述をするが、F医師の所見は、原告がPTSDに罹患したことを前提としたものであるから、同医師の所見をにわかに採用することはできない。

(6)  傷害慰謝料 二六四万円

本件事故の態様、原告の受傷内容、治療経緯等諸般の事情を考慮すると、上記金額が相当である。

(7)  後遺障害慰謝料 七五万円

本件事故の態様、原告の後遺傷害の部位・程度等諸般の事情を考慮すると、上記金額が相当である。

(8)  小計 一二一五万八一二六円

(9)  素因減額 六〇七万九〇六三円

前記認定のとおり、D医師らは、原告の症状については、すべて転換性障害で説明できるとの所見を持ち、この転換性障害について、原告には母親との葛藤などの疾病利得があるとの確信を持っていたことからすると、原告は、本件事故が引き金となって転換性障害に罹患したとしても、本件事故以前から原告が抱えていた心因的要因がこれに大きな影響を与えたというべきであることのほか、原告の治療に対する姿勢及び態度等を考慮すると、衡平の観点からみて、転換性障害によって発生した損害のすべてを加害者である被告に負担させることは、損害の公平な分担という損害賠償法の基本理念に照らし相当ではないことから、民法七二二条二項の過失相殺の法理を類推適用し、その五〇パーセントを減額することが相当である。計算式は、1215万8126円×(1-0.5)=607万9063円である。

(10)  既払金充当後の損害 〇円

過失相殺減額後の金額は六〇七万九〇六三円であるところ、被告は、原告に対し、本件事故の損害金の内金として合計六五五万四二九一円を支払っているから、結局、本件事故により原告に生じた損害はすべて填補されているといえる。このような場合に、弁護士費用を本件事故により原告に生じた損害として認めることは相当ではない。

第四結論

以上の次第で、原告の本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 池田光宏 森里紀之 坂本浩志)

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