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京都地方裁判所 平成20年(ワ)871号 判決 2009年9月30日

主文

1  被告は,消費者との間で建物賃貸借契約を締結するに際し,別紙1記載の内容の条項を含む契約の申込み又はその承諾の意思表示を行ってはならない。

2  本件訴えのうち,被告が,その従業員らに対し,被告が消費者との間で建物賃貸借契約を締結し,又は合意更新するに際し,別紙1記載の内容の条項を含む契約の申込み又はその承諾の意思表示を行うための事務を行わないことを指示することを求める部分(後記第1の3項前段)を却下する。

3  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用はこれを2分し,その1を原告の,その余を被告の各負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,消費者との間で建物賃貸借契約を締結し,又は合意更新するに際し,別紙1記載の内容の条項(以下「定額補修分担金条項」という。)を含む契約の申込み又はその承諾の意思表示を行ってはならない。

2  被告は,定額補修分担金条項が記載された契約書雛形が印刷された契約書用紙を破棄せよ。

3  被告は,その従業員らに対し,被告が1項記載の意思表示を行うための事務を行わないこと及び前項記載の契約書用紙を破棄すべきことを指示せよ。

4  (3項が認められない場合の予備的請求)被告は,その従業員らに対し,別紙2記載の内容を記載した書面を配付せよ。

第2事案の概要

本件は,消費者契約法13条に基づいて内閣総理大臣の認定を受けた適格消費者団体である原告が,不動産賃貸業及び不動産管理業を目的とする事業者である被告に対し,定額補修分担金条項が同法10条に反して無効であるとして,同法12条3項に基づき,定額補修分担金条項を含む意思表示をすることの差止め及び同条項を含む契約書用紙の破棄等を求めた事案である。

1  前提事実(争いのない事実並びに各項掲記の各書証及び弁論の全趣旨によって認められる事実)

(1)  当事者

原告は,平成19年12月25日,消費者契約法13条に基づき内閣総理大臣の認定を受けた適格消費者団体である。

被告は,不動産賃貸業及び不動産管理業を目的とする株式会社であり,消費者契約法上の「事業者」に当たる。

(2)  被告は,不特定かつ多数の消費者との間で,建物賃貸借契約を締結し,又は合意更新をするに際し,別紙2のうち(定額補修分担金条項)部分の記載(同条項中「甲」とあるのは賃貸人を,「乙」とあるのは賃借人を意味する。)を含む賃貸借契約書を用いていたが,平成19年7月以降,同条項を含む賃貸借契約の締結はしていない。(乙1)

(3)  原告は,被告に対し,平成20年2月29日,消費者契約法41条1項に定められた請求の要旨,紛争の要点及び内閣府令で定める事項(同法施行規則32条1項)を記載した書面をもって,消費者との間で,建物賃貸借契約を締結し,又は合意更新するに際し,定額補修分担金条項を内容とする意思表示を行わないこと,同条項が記載された契約書雛形が印刷された契約書用紙を破棄すること及びこれらを社内で周知徹底させる措置をとることを請求し,同書面は,同年3月1日,被告に到達した。(甲4,5)

2  争点

(1)  本案前の争点(書面による事前の請求があったか)

(原告の主張)

原告は,被告に対し,平成20年2月29日,消費者契約法41条1項及び同法施行規則32条1項に定められた事項を記載した「差止請求書兼申入書」(甲4)を送付し,同年3月1日,被告に到達した。

(被告の主張)

原告が,被告に対し,平成20年2月29日に送付した「差止請求書兼申入書」(甲4)には,「消費者契約法12条の差止請求ではなく,消費者団体としての申入として申し入れます。」との部分が付加されており,消費者契約法41条1項及び同法施行規則32条1項に記載された必要的記載事項以外にも,過去の契約の定額補修分担金の返還等の記載があり,「本書到達後1週間以内に文書で貴方のご対応をご回答されたい。なお,回答の有無及び回答内容は公表することがあることを申し添える。」と記載されている。

また,消費者契約法は,差止請求権を適切に行使すること及び濫用しないことを義務付けている(同法23条1,2項)。さらに,同法は事業者等に損害を加えることを目的とする場合は,差止請求権の行使を認めていない(同法12条の2第1項1号)。

同法41条の事前請求書面は,同条の規定どおり,「請求の趣旨及び紛争の要点その他の内閣府令で定める事項」だけが記載された書面と解するべきであるから,明らかに差止請求とは無関係の消費者運動としての圧力事項が記載された上記「差止請求書兼申入書」は,同条1項及び同法施行規則32条1項に反し,同法41条1項の事前書面とはいえないから,原告の請求は却下されるべきである。

(2)  本案の争点1(定額補修分担金条項が消費者契約法10条に反するか)

(原告の主張)

定額補修分担金条項は,消費者契約法10条に反し無効である。

ア 消費者契約法10条前段該当性

(ア) 消費者契約法10条前段は,「民法,商法その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し」と規定されているが,消費者契約法1条の趣旨から,また,同法10条が,任意規定の有無によって適用されたりされなかったりするのは極めて不合理であることから,当該不当条項の特約がなかった場合に比して消費者利益が害されている場合に広く適用されるものであって,形式的要件である。

(イ) 仮に消費者契約法10条前段要件を満たすことが必要であるとしても,定額補修分担金条項は,原状回復に関する特約であり,目的物をそのまま引き渡せばよいとする民法483条に比べても,賃料以外の金銭を定める点において民法601条に比べても,消費者の義務を加重しているといえる。

イ 消費者契約法10条後段該当性

(ア) 定額補修分担金条項は,賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗(以下,単に「通常損耗」という。)の原状回復費用を賃借人負担とする内容を含んでいる。この分担金は,形式上は賃借人の過失による損耗があっても,その原状回復費用を定額で賃借人に負担させるものであるが,一般的に賃借人の過失損耗の原状回復費用は多くないこと,同分担金の金額が従来の敷金程度の額を定めていることから,同分担金が賃借人の通常の過失部分をはるかに超えて,結局通常損耗の原状回復費用を賃借人に負わせようとするものであることは明らかである。よって,定額補修分担金条項は,通常損耗の原状回復費用を賃借人負担とする条項が無効であることの潜脱手段となっている。

(イ) 被告のウェブサイトによれば,定額補修分担金の額は,10~30万円程度で,概ね賃料の2~4倍程度であり,定額補修分担金条項が使用されている契約においては敷金が設定されていない。このことからすれば,定額補修分担金条項は,従前敷金条項によって原状回復費用を徴収していた不当な実態を維持するものである。

(ウ) 定額補修分担金条項では,賃借人の故意又は重過失による損耗の原状回復費用は,定額補修分担金とは別に賃貸人が賃借人に請求できることになっている。これにより,故意又は重過失による損耗の原状回復費用については二重取りとなっている。

(エ) 原状回復費用に関する国土交通省ガイドラインによると,賃借人が故意又は過失により損耗した原状回復費用については,減価償却済みの金額によるべきであるとされている(甲15)。従って,故意,過失による損耗の機会が増えることを考慮しても,使用年数が経つほど,賃借人の負担は軽減するはずであるから,長期間居住した場合に賃料の2~4倍もの原状回復費用を負担することはない。

(オ) よって,定額補修分担金条項は信義則に反し,消費者の利益を一方的に害するといえる。

(被告の主張)

ア 消費者契約法10条前段該当性

定額補修分担金条項は,原状回復費用の金額が確定していない賃貸借契約締結の時点において,あらかじめ賃借人の負担部分を定額で確定させることで,契約終了時における賃借人と賃貸人との紛争を回避するものである。

退去時において,賃借人の過失に基づく損傷の修繕費用が定額補修分担金の額を下回る場合には,結果として,賃借人の負担は大きくなるが,他方で,いわゆる自然損耗,通常損耗の範囲を超える汚損又は破損が生じており,あらかじめ定額で合意された賃借人負担額では不均衡が生じる場合であっても,賃貸人は,当初の負担額合意について異議を述べることができない。

このように,定額補修分担金条項は,賃借人と賃貸人が,互いに将来生じ得るリスクの負担を分け合う交換条件的なものであって,消費者の義務を加重する条項であるとはいえない。

イ 消費者契約法10条後段該当性

(ア) 定額補修分担金条項は,賃借人の負担すべき原状回復費用を定額として当事者の予測可能性を確保した上で,賃貸人,賃借人双方が互いにリスクを負担する交換条件的内容の特約であって,賃借人に通常損耗等の原状回復費用の負担を強いるための特約ではない。

(イ) 民法400条によれば,賃貸人は賃借人に対し,善管注意義務に違反した過失による損耗の原状回復費用を請求できるところ,定額補修分担金条項がある場合,賃借人の軽過失による損耗の原状回復費用が定額補修分担金の額を超えた場合であっても,退去時に原状回復費用の追加請求されず,定額補修分担金との差額について,損害賠償義務が免除されるので,一方的に消費者を害するとはいえない。

(ウ) 定額補修分担金条項は,その原状回復費用の紛争が多発する中で,契約時に原状回復費用の負担について定額精算の合意をすることで,入居中,賃借人は過失による損耗の原状回復費用の負担を心配することなく,安心して生活することができ,退去時においても原状回復費用の査定,評価をすることはなく(故意・重過失による損耗があるかを確認するため立会いはなされるが),合意負担した定額補修分担金以上に原状回復費用を負担せずに退去を完了することができる点において,紛争予防機能がある。

(エ) 定額補修分担金の額は,過去の事例なども参考にしながら,契約時の目的物件の状況,契約期間,使用に関する約定など種々の要素を勘案して設定するものであるから,単純に月額賃料との比較によってその相当性が判断できるものではない。よって,月額賃料の2~4倍が不当に高額であって,消費者を一方的に害するとはいえない。

(オ) 原告が提出している物件紹介(甲13)においては,敷金と定額補修分担金が選択的に表示されており,定額補修分担金を選択するかは賃借人の自由意思による。また,契約時,定額補修分担金条項については,重要事項説明及び定額補修分担金についての説明(乙16)で,賃借人になろうとする者に対して,十分な説明がされている。

(カ) よって,定額補修分担金条項は,信義則に反して消費者の利益を一方的に害するものではない。

(3)  本案の争点2(消費者契約法12条3項に基づく差止めの要件を満たすか)

ア 消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示を現に行い又は行うおそれがあるときといえるか

(原告の主張)

被告は,定額補修分担金条項を過去に現に使用していたものであり,また現在も同条が無効であることを争っていることなどからすれば,被告には今後も同条項を使用するおそれがある。

(被告の主張)

被告は,平成19年7月から,定額補修分担金条項を含む賃貸借契約を締結することを廃止しており,同月以降同条項を含む賃貸借契約の申込み又は承諾は一切行っていない。被告は,同月以降,同条項を含む契約書雛形が印刷された用紙は既に破棄しており,使用のための備え置きをしていない。また,同月以降,被告は,被告従業員らに対し,同条項を含む賃貸借契約の締結を廃止していること及び同条項を含む契約用紙を破棄すべきことを周知徹底している。

さらに,被告は,平成20年3月25日,マスコミに対してもプレスリリースをして,定額補修分担金条項を平成19年7月から使用しないことを公表している。

よって,消費者契約法12条3項の「消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示を現に行い又は行うおそれがあるとき」には当たらない。

イ 一律の差止めが相当か

(原告の主張)

被告の設定する定額補修分担金は月額賃料の2~4か月分程度と極めて高額である。

また,無効となり得る可能性がある条項がそのまま使用されることは適当ではないこと,事業者には消費者契約の内容が消費者にとって明確かつ平易なものとなるよう配慮することが求められていること(消費者契約法3条)からして,無効となり得る可能性のある条項については,全部の差止めを認めるべきである。

(被告の主張)

定額補修分担金条項は,額の定め方によっては賃借人に有利となる条項であるから,条項自体が合理性を欠き,消費者を一方的に害するとはいえない。消費者契約法12条3項による差止めは,個々の契約における賃料等の額,定額補修分担金の額,当該物件の経済的価値,使用目的,方法等の個別事情を考慮して決せられるものであって,包括的に定額補修分担金条項そのものの使用を差し止めることはできない。

ウ 合意更新の場合にも差止めができるか

(原告の主張)

合意更新の場合に,定額補修分担金条項が当初の契約時に合意されその履行も完了しているとしても,その拘束力は退去時に生ずるものであるから,差止めによって当初の契約内容の変更という作為を求めることもできるはずである。また,合意更新をするのが一定範囲の消費者であれば,「不特定かつ多数の消費者」であるといえる。

(被告の主張)

合意更新の場合には,定額補修分担金条項が当初の契約時に合意され,その履行も完了しているから,そもそも差止めの対象とはならない。また,既に契約済みの賃借人との合意であって,「不特定かつ多数の消費者との間で」されるものともいえない。

(4)  請求の趣旨3,4項について

(原告の主張)

消費者契約法12条3項の「当該行為の停止若しくは予防に必要な措置」は,同項に例示される「当該行為に供した物の廃棄若しくは除去」のような物的構成要素への手当のほか,従業員という人的構成要素への手当も予定している。

また,請求の趣旨3項前段の請求は,具体的な行為が一義的に明確でないとしても,請求の特定に欠けるところはない。

第3争点に対する判断

1  本案前の争点(書面による事前の請求があったか)

前記第2の1(3)のとおり,原告は,被告に対し,平成20年2月29日,消費者契約法41条1項に定める請求の要旨,紛争の要点及び内閣府令で定める事項(同法施行規則32条1項)を記載した書面をもって,消費者との間で,建物賃貸借契約を締結し,又は合意更新するに際し,定額補修分担金条項を内容とする意思表示を行わないこと,同条項が記載された契約書雛形が印刷された契約書用紙を破棄すること及びこれらを社内で周知徹底させる措置をとることを請求し,同書面は,同年3月1日,被告に到達した。

消費者契約法41条1項に定められた事前の書面による請求は,事業者等に対し,早期の取引の実情を把握して自ら是正する機会を与えるとともに,これにより紛争の早期解決と取引の適正化を図る観点から,適格消費者団体に対し,訴訟に先立ち,訴訟外で,事業者等に差止請求をすることを義務付けたものである。そうすると,書面に,同項及び同法施行規則32条1項に定められた事項以外の事項が記載されていたからといって,事前の書面による請求に当たらないということはできない。

そして,「差止請求書兼申入書」(甲4)又は「申入書」(甲6)において,原告に,差止請求権の不適切な行使があったり,濫用があったりしたと認めるに足りる証拠はないから,原告は,被告に対し,消費者契約法41条1項の定める事前の請求をしたということができる。

2  本案の争点1(定額補修分担金条項が消費者契約法10条に反するか)

(1)  消費者契約法10条前段該当性

ア まず,定額補修分担金条項が「民法,商法その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し,消費者の権利を制限し,又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項」(消費者契約10条前段)に該当するかを検討する。

イ 民法の規定(616条,598条)によれば,賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には,賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ,賃貸借契約は,賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり,賃借物件の損耗の発生は,賃貸借契約の性質上当然に予定されているものといえる。したがって,建物の賃貸借契約において,通常損耗の原状回復費用は使用収益の対価たる賃料に含まれているというべきであるから,原則として賃貸人が負担するべきである。

ウ 定額補修分担金条項においては,賃借人が賃貸借契約締結時に,賃貸借開始時の新装状態への回復費用の一部負担金として,一定の金銭(定額補修分担金)を支払うこととされており,ほかに通常損耗の原状回復費用が定額補修分担金に含まれないとの条項もないから,定額補修分担金条項は,通常損耗分の原状回復費用も含んでいるものと解される。そして,故意又は重過失による賃借物件の損耗・改造費用については,別途賃借人に請求できることが定められていること,いったん支払った定額補修分担金の返還を請求できないとされていることからすると,結局,賃借人の軽過失による損耗の原状回復費用が,支払った定額補修分担金の額に満たない場合には,賃借人は本来負担しなくてもよい通常損耗の原状回復費用を負担させられることになる。

相当額の通常損耗の発生が不可避的であることも考慮すると,この点において,定額補修分担金条項は,民法の規定の適用による場合に比して,賃借人の義務を加重する条項であるということができる。

(2)  消費者契約法10条後段該当性

ア 次に,定額補修分担金条項が「民法第1条第2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するもの」(消費者契約法10条後段)に該当するかを検討する。

この要件に該当するかは,消費者契約法1条の趣旨に照らし,契約条項の内容のみならず,契約当事者の有する情報の質や量及び交渉力の格差の程度等諸般の事情を総合的に考慮して決するべきである。

イ そこでまず,定額補修分担金条項の内容をみると,賃借人の軽過失による損耗の原状回復費用が定額補修分担金の額を超える場合には,賃借人はその差額の支払を免除されるから,その額によっては賃借人の利益になることもあり得るが,前記(1)ウ記載のとおり,賃借人の軽過失による損耗の原状回復費用が,定額補修分担金の額に満たない場合には,賃借人は本来負担しなくてもよい通常損耗の原状回復費用を負担することになる。

ウ 次いで,被告を賃貸人とする定額補修分担金条項を含む賃貸借契約における定額補修分担金の額をみると,原告提出の証拠(甲13,24,25)によれば,別紙3のとおりであり,被告からは特段の立証はない。別紙3によれば,定額補修分担金の額は,7~30万円で平均して18万円強であり,月額家賃の2~4倍で平均して3倍強である。賃借人の軽過失による損耗の原状回復費用がこれらの額になることは,あまりないと考えられる。

エ すすんで,その他の事情について検討する。

証拠(乙17)及び弁論の全趣旨によれば,被告は建物賃貸借,マンション管理,運営等を業としており,建物の修繕に関する知識や情報が豊富であること,定額補修分担金の額は,明確な算定基準はなく,被告が,賃借物件ごとに,賃借人の特性,賃貸物件の広さ,設備・素材の損傷のしやすさ,契約期間,用法などの諸要素を総合的に考慮し,退去時の原状回復費用を予想して提示していたことが認められる。

他方,証拠(乙16)及び弁論の全趣旨によれば,被告が,建物賃貸借契約締結に際し,賃借人に,定額補修分担金について,退去時において入居時と同様の新装状態に回復することが必要で,そのうちの一部として定額補修分担金を負担してもらう旨の説明をしていたことが認められるものの,その有利な点,不利な点を判断するために必要な情報(一般的に生じる原状回復費用の種別と額,賃借人の軽過失による原状回復費用が定額補修分担金の額に満たない場合には本来負担しなくてもよい通常損耗部分の原状回復費用を負担させられる結果となることなど)を提供していたと認めるに足りる証拠はない。

そうすると,賃借人が消費者である場合,賃借人は,定額補修分担金の額が自己に有利か不利かを判断するのに十分な情報なくして定額補修分担金条項に合意することが多くなり,賃借人と賃貸人との間に,顕著な情報の質及び量の格差があることになる。

オ 以上によれば,定額補修分担金は,その額によっては賃借人に有利となることもあり得るが,現実にそのような例があるとは窺えず,定額補修分担金の額の設定方法や賃貸人と賃借人との情報の格差を考慮すると,その額が賃借人に有利に定められることは期待しがたく,軽過失による損耗の原状回復費用はもとよりこれに通常損耗の原状回復費用を加えた額を超えるように定められることが,構造的に予定されているとさえいえるものである。

結局,定額補修分担金の額が賃借人にとって有利な額である場合が観念的にはあり得るとしても,定額補修分担金条項は,基本的に,信義則に反して消費者を一方的に害する条項であるということができる。

3  本案の争点2(消費者契約法12条3項に基づく差止めの要件を満たすか)

(1)  消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示を現に行い又は行うおそれがあるときといえるか。

消費者契約法12条の「現に行い又は行うおそれがあるとき」とは,現実に差止めの対象となる不当な行為がされていることまでは必要ではなく,不当な行為がされる蓋然性が客観的に存在している場合であれば足りる。

被告は,平成19年7月から,定額補修分担金条項を含む賃貸借契約を締結していないと主張するが,被告が,平成20年3月25日における報道関係者に対する報告(乙1)において,定額補修分担金の違法性については争う姿勢を見せていること,本訴訟においてもその違法性を争っていることからすると,今後,被告が定額補修分担金条項を含む消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示を行う蓋然性が客観的に存在するといわざるを得ない。

よって,消費者契約法12条3項の「消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示を現に行い又は行うおそれがあるとき」に当たる。

(2)  一律の差止めが相当か

前記2(2)イのとおり,確かに,定額補修分担金の額が,賃借人の軽過失によって生じる損耗の原状回復費用を下回る場合には,賃借人にとって有利な条項となることもはあり得るが,同ウ,エ,オのとおり,被告において,賃借人の利益になる態様で,定額補修分担金条項を運用していた例があるとは到底認められず,基本的に信義則に反して消費者を一方的に害していたということができる。

そうすると,今後とも,被告において,消費者契約法10条に反する態様で定額補修分担金が運用されるものと考えざるを得ず,その額を問わず一律に当該条項自体の使用を差し止めるのが相当である。

(3)  合意更新の場合にも差止めができるか

定額補修分担金条項は,当初の賃貸借契約締結時に,賃借人が退去時に支払うべき原状回復費用の額を定額に定めることを合意し,あらかじめその支払いを完了させておくものであるから,合意更新時に改めて何らかの意思表示がされることは予定されていないと考えられ,合意更新時における定額補修分担金条項の使用については,差止めの対象を観念できないともいえるが,合意更新の意義によっては,従前の契約内容を変更したり,これに付加したりして,定額補修分担金条項を含む意思表示をすることも観念できないではない。しかし,被告において,合意更新時に定額補修分担金条項を含む意思表示をしたことがあることを窺わせる証拠もなく,今後の合意更新時において被告がそのような意思表示を行うおそれがあるとも認められないから,結局のところ,合意更新時における差止請求には理由がない。

4  請求の趣旨2~4項について

(1)  請求の趣旨2項及び3項後段について

弁論の全趣旨によれば,以前使用されていた定額補修分担金条項が記載された契約書雛形が印刷された契約書用紙は全て破棄され,備え置きがないことが窺われ,他に上記用紙が存在することを認めるに足りる証拠もないから,上記請求には理由がない。

(2)  請求の趣旨3項前段について

事業者に対して不当行為の「停止若しくは予防に必要な措置」を求める請求は,事業者に対して特定の作為を求める給付の訴えであるから,請求の内容が一義的に明らかにならなければ,事業者としてはどのような措置をとれば法的義務を履行したことになるのか不明であるし,強制執行をする際にも支障が生じるから,不適法である。

被告の従業員らに対し,被告が請求の趣旨1項記載の意思表示を行うための事務を行わないことを指示することの請求は,被告のすべき指示が,事業者の労働者に対して有する労働義務遂行に際しての指揮命令権に基づく業務上の指示を意味することは分かるものの,書面によることの要否,その方法,程度等,事業者の義務の内容が一義的に明らかではなく,請求の特定を欠くといわざるを得ず,不適法である。

(3)  請求の趣旨4項について

消費者契約法12条の「当該行為の停止若しくは予防に必要な措置」とは,不当行為の停止又は予防の実効性を図るものであれば,例示にかかる不当行為に供した物の廃棄若しくは除去など,物的手段への対応のみならず,事業活動を実際に担当する従業員といった人的手段への対応も含まれると解することができる。

弁論の全趣旨によれば,被告は,平成19年7月以降に,定額補修分担金条項を含む賃貸借契約の締結を廃止し,同条項を含む契約の申込み又はその承諾の意思表示をしないことを従業員らにも周知徹底したことが認められ,2年近くもの間被告において定額補修分担金条項が使用されていないことからすると,被告に対して同条項を含む契約の申込み又はその承諾の意思表示の差止めをする以上に,上記意思表示をしないことなどを記載した書面の被告の従業員らへの配付を命ずる必要性までは認められず,上記請求には理由がない。

第4結論

以上のとおり,原告の請求は,主文1項の差止めを求める限度で理由があるから認容し,被告の従業員らに対する定額補修分担金条項を含む契約の申込み又はその承諾の意思表示を行うための事務を行わないことの指示を求める訴えは不適法であるから却下し,その余の請求はいずれも理由がないから棄却する。

(裁判長裁判官 瀧華聡之 裁判官 谷口園恵 裁判官 碩水音)

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