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京都地方裁判所 平成21年(わ)620号 判決 2009年8月21日

主文

被告人を懲役8月に処する。

理由

(犯罪事実)

被告人は,a病院の医師であり,かねてから同僚医師のA(当時32歳)の勤務態度等に反感を抱いていたものであるが,同人に睡眠薬等を密かに摂取させて意識を喪失させるなどして失態を演じさせようと考え,

第1  平成21年3月21日午後1時ころ,京都市<以下省略>所在の上記病院<省略>看護室前廊下において,上記Aに対し,フルニトラゼパムを含有する睡眠薬の粉末を混入させた洋菓子を提供した上,同日午後1時10分ころ,同病院<省略>小会議室において,その情を知らない同人に同菓子を食させ,よって,同人に約6時間にわたる意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の傷害を負わせた。

第2  同月27日午後9時ころ,同病院<省略>研究室において,上記Aが同人の机上に置いていた飲みかけのアルミ缶入り飲料水にフルニトラゼパムを含有する睡眠薬の粉末等を混入した上,同日午後9時30分ころ,同所において,その情を知らない同人に同飲料水を飲ませ,よって,同人に約2時間にわたる意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の傷害を負わせた。

(証拠) <省略>

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法204条に該当するところ,各所定刑中,判示各罪についていずれも懲役刑を選択し,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により犯情の重い判示第1の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役8月に処することとする。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,被害者に睡眠薬入りの洋菓子を食べさせ,あるいは被害者の飲みかけの飲料の缶に睡眠薬等を混入させ,被害者に数時間にわたり意識喪失等の傷害を負わせた事案である。

被告人は,被害者の研究態度等に蔑視感を抱き,あるいは被告人の研究等についての被害者の言動に対して立腹し,被害者に睡眠薬等を密かに飲ませて意識を喪失させ,失態を演じさせて恥をかかせてやろうと考え,本件に至ったものである。そのため,自己が動物実験に使用していた麻酔剤等に加え,睡眠薬を用いようと考え,不正に処方箋を発行して睡眠薬を入手し,その錠剤を粉末状に加工し,被害者にそれを服用させる機会をうかがい,いつでも使用できるように常時所持していた。そして,判示第1の当日,差し入れを装って被害者に睡眠薬を混入した洋菓子を勧め,これを摂取させて判示第1の犯行に至り,次いで,判示第2の当日,たまたま被害者が飲みかけの飲料の缶を置いたまま席を立った隙に,睡眠薬や上記麻酔剤等をその飲料に混入して摂取させて判示第2の犯行に至ったものである。

被告人の供述する動機については,被害者の言動に立腹したこと自体は理解できないわけではないが,その報復として本件に至ったことについては,何ら酌量の余地は見いだせない。

犯行態様は,およそ人の飲食物に薬物を混入させてこれを被害者に摂取させるということ自体,到底許されないが,本件では,それに加え,被告人の医師としての専門的知識と権限を不正に活用し,本来であれば正規の処方を受けなければ入手できない睡眠薬を不正に入手し,それを効果的に利用すべく,医師としての専門的知識を悪用したものであって,その悪質さは言うに及ばない。

被害結果は,被害者の身体的な後遺障害等は確かに残存していないようであるが,被害者は,本件被害を受けることで,何らかの身体的な障害を持っているのではないか,故意に薬物等を混入されているならば犯人は誰なのかなどと疑心暗鬼に陥るといった大きな精神的衝撃を受けている。そして,被害者の被害感情も厳しいものがある。さらに,判示第2の被害により,自動車の運転中に薬の影響が出始め,被害者らの生命,身体等に危険が生じかねない状況になっていたものである。

そもそも,医師とは,医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し,もって国民の健康な生活を確保する職分を担っているのであって,医療を受ける者に対し,良質かつ適切な医療を行うように努めなければならないのである。そして,患者に対する良質かつ適切な医療を行うべく,医師は高度な専門的知識を有し,一般国民には認められていない様々な処置等を行うことが許されているのである。つまり,医師は,上記のような理念の実現のために,その専門的知識等を活用することが期待されているのであり,およそ自ら患者を作り出す,あるいは国民の健康な生活を害する行為に及ぶべく,その専門的知識等を悪用することなど許されるはずがない。被告人が行った本件各犯行は,正に,被害者の健康を害するため,その専門的知識等を活用したという,およそ医師として許されざる行為であって,言語道断である。しかも,被告人は,判示第1の犯行の際,被害者が医療業務に携わっている最中であることを認識しながら犯行に及んでいるのであって,被告人の犯行により,被害者が睡眠薬の影響下にある中で,救急医療行為等に手違いを生じさせたりして取り返しのつかない結果が生じかねなかったものである。現に,その影響により,被害者の当日の医療業務には相当の支障が生じていた。すなわち,被告人は,自己の報復を優先させ,被害者のみならず,不特定の患者の身体等を危険にさらしたといえる。もはや,これは,医師としての倫理や使命を忘れた許されざる行為である。

そして,このような,高度の専門的知識等を悪用して行った犯罪に対しては,厳重処罰をもって臨まなければ,適正な医療等を保持することは適わないといえる。

そこで,被告人が自首をして反省していること,被害者に対して慰謝措置を講じるべく努力していること,被告人の父が出廷して被告人の更生に協力することを約束していること,元勤務先の医師が出廷して被告人の寛大な処分を願っていること,被告人には前科前歴が見当たらないこと,本件により一応ではあるが勤務先からの制裁を受けた等の社会的制裁を受けていること,本件刑事処分を受けて行政処分を受ける可能性があることといった被告人に有利に斟酌できる事情を最大限に斟酌しても,上記のような本件事案の内容,悪質さ等に鑑みれば,本件では主文の実刑をもって臨むのが相当な事案である。

(検察官濵田剛,私選弁護人丸山惠司各出席)

(求刑:懲役1年)

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