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京都地方裁判所 平成21年(ワ)1545号 判決 2010年10月28日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,1億1384万3564円及びこれに対する平成17年12月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,原告が,その経営する別紙物件目録記載のホテル(以下「本件ホテル」という。)に関し,建物の建築確認申請を行った際,同申請書に添付された構造計算書には耐震性に関わる偽装があったのに,被告の建築主事がこれを見過ごして建築確認をした過失により,本件ホテルを改修し,改修等のために休業せざるを得なくなったとして,国家賠償法1条1項に基づき,被告に対し,①改修工事費用6132万円,②休業損害4202万3564円,③弁護士費用1050万円の合計1億1384万3564円及びこれに対する建築確認後の日である平成17年12月3日からの民法所定の遅延損害金の支払を求めた事案である。

1  関係法令の定め

(1)  建築基準法

ア 建築基準法(平成11年法律第160号による改正前のもの。以下,単に「建築基準法」という。)6条1項は,建築主が,同項1号から3号までに掲げる建築物を建築しようとする場合においては,当該工事に着手する前に,その計画が建築基準関係規定(同法並びにこれに基づく命令及び条例の規定その他建築物の敷地,構造又は建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定で政令で定めるもの)に適合するものであることについて,確認の申請書を提出して建築主事の確認を受け,確認済み証の交付を受けなければならず,当該確認を受けた建築物の計画の変更をして同項1号から3号までに掲げる建築物を建築しようとする場合も同様とする旨規定し,同項3号には,「木造以外の建築物で2以上の階数を有し,又は延べ面積が200平方メートルを超えるもの」が挙げられている。

同条6項は,同条1項の確認済証の交付を受けた後でなければ,同項の建築物の建築はすることができない旨規定する。

イ 建築基準法20条は,建築物は,自重等並びに地震その他の震動及び衝撃に対して安全な構造のものとして,同条各号に定める基準に適合するものでなければならない旨規定し,同条1号は建築物の安全上必要な構造方法に関して政令で定める技術的基準に適合することを,同条2号は同号イ(6条1項2号又は3号に掲げる建築物)及びロに掲げる建築物について,同条1号に定めるもののほか,政令で定める基準に従った構造計算によって確かめられる安全性を有することを挙げる。

(2)  建築基準法施行令

ア 建築基準法施行令(平成12年政令第312号による改正前のもの。以下,単に「建築基準法施行令」という。)36条1項は,同法20条1号の政令で定める基準を第三章第一節ないし第七節の二までに定めるところによるとし,36条3項は,同法20条2号に掲げる建築物の構造方法として,①第三章第一節ないし第七節の二までの規定に適合し,かつ82条に規定する許容応力度等計算又は81条1項ただし書に規定する構造計算によって安全性が確かめられた構造方法,若しくは②36条2項2号又は3号のいずれかに該当するものとしなければならない旨規定する。

イ 建築基準法施行令81条1項本文は,同法20条2号に規定する建築物の構造計算は「許容応力度等計算」又は「限界耐力計算」のいずれかによらなければならない旨規定する。

また,82条は,「許容応力度等計算」を同条各号及び同82条の2から82条の5までに定めるところによりする構造計算をいうと規定する。

82条の2~4は,国土交通大臣が定める建築物(以下「特定建築物」という。)について適用されるが,このうち82条の3は特定建築物で高さが31m以下のものについて(なお,同条所定の特定建築物でも地上部分について82条の4各号に定める構造計算を行った場合は82条3の所定の構造計算は不要とされる。),82条の4は特定建築物で高さが31mを超えるものについて適用される。

82条の3第1号は,特定建築物で高さが31m以下のものについて,各階の剛性率がそれぞれ10分の6以上であることを確かめなければならない旨規定する。

82条の4は,特定建築物の地上部分について,同条1号の規定(第3章第8節第4款に規定する材料強度による保有水平耐力の計算)によって計算した各階の水平力に対する耐力(保有水平耐力:Qu)が同条2号の規定(地震力に対する各階の必要保有水平耐力を下記の式によって計算する。)により計算した必要保有水平耐力(Qun)以上であることを確認しなければならない旨規定する。なお,Qunは各階の必要保有水平耐力(単位:キロニュートン),Dsは各階の構造特性を表すものとして,特定建築物の構造耐力上主要な部分の構造方法に応じた減衰性及び各階の靱性を考慮して国土交通大臣が定める数値,Fesは各階の形状特性を表すものとして,各階の剛性率及び偏心率に応じて国土交通大臣が定める方法により算出した数値,Qudは地震力によって各階に生ずる水平力(単位:キロニュートン)である。

[計算式]

Qun=Ds・Fes・Qud

(3)  その他

ア 昭和62年建設省告示第1915号

同告示は,建築基準法施行令82条の2の規定に基づき,特定建築物について規定するところ,その5のイにおいて,鉄筋コンクリート造の建築物については,高さが20m以下であるものを特定建築物から除外している。

イ 平成7年建設省告示第1996号

同告示は,その第3において,鉄筋コンクリート造の建築物に関する構造計算の基準について規定するところ,第3の3は,構造耐力上主要な部分である鉄筋コンクリート造の梁の材端(柱又は壁に接着する部分をいう。)に生ずる曲げモーメントが,当該部分に生じ得るものとして計算した最大の曲げモーメントと等しくなる場合において,構造耐力上主要な部分である鉄筋コンクリート造の柱及び壁の材端(梁その他の横架材又は垂れ壁若しくは腰壁に接着する部分をいい,最上階の梁その他の横架材若しくは垂れ壁に接着する部分又は1階の床版に接着する梁その他の横架材若しくは腰壁に接着する部分を除く。)に生ずる曲げモーメントが当該部分に生じ得るものとして計算した最大の曲げモーメントを超えず,かつ,当該梁,柱及び壁にせん断破壊が生じないことを確認することを求めている。

(4)  構造計算のフロー

上記関係法令に基づき,本件ホテルのような鉄筋コンクリート造建築物の構造計算の基本的な手順を図示すると,別紙「鉄筋コンクリート造建築物の構造計算フロー」(以下「別紙フロー」という。)のようになる。

2  前提事実(争いがないか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実)

(1)  当事者等

ア 原告は,不動産賃貸等を業とする会社であり,京都府舞鶴市で本件ホテルを経営している。

イ 被告は,本件ホテルについて,建築基準法に基づく建築基準関係規定の適合処分を行った京都府舞鶴土木事務所建築主事Aが属する地方公共団体である。

(2)  建築確認申請及び同確認の経緯

ア 原告は,本件ホテルの建設を計画し,平成12年12月14日までに,D株式会社(以下「D」という。)との間で,設計・監理業務委託契約を締結した上,同日,E株式会社(以下「E」という。)に,請負代金を3億4440万円(税込み),工期を同月15日から平成13年5月31日までとして,本件ホテルの建築を請け負わせた(甲5,6の1・2)。

Dは,平成12年8月3日までに,受託した設計業務のうち構造設計業務を一級建築士Bに委託した(甲18)。

イ 原告は,平成12年9月14日,Dの一級建築士であったCを代理人として,被告の機関である京都府舞鶴土木事務所(以下「舞鶴土木事務所」という。)に,建築基準法6条に基づき,本件ホテルの建築につき確認申請を行った(甲6の2)。

Aは,同年10月3日,原告に対し,本件ホテル建築計画が建築基準法6条1項の規定による建築基準関係規定に適合していることを証明する確認済証を交付した(第H12認建舞土000402号。甲6の1。以下「本件建築確認1」という。)。

ウ 原告は,平成13年5月8日,Cを代理人として,舞鶴土木事務所に対し,1階テナント決定による平面変更を理由に,建築基準法6条1項に基づき,本件ホテルの建築計画変更の確認申請を行った(甲7の2)。

Aは,同月18日,原告に対し,変更された本件ホテル建築計画が建築基準法6条1項の規定による建築基準関係規定に適合していることを証明する確認済証を交付した(第H13確更建築京都舞土00012号。甲7の1。以下「本件建築確認2」という。)。

エ 原告は,平成13年6月1日,Cを代理人として,舞鶴土木事務所に対し,1階テナント用途変更による平面変更を理由に,建築基準法6条1項に基づき,本件ホテルの建築計画変更の確認申請を行った(甲8の2)。

Aは,同月12日,原告に対し,変更された本件ホテル建築計画が建築基準法6条1項の規定による建築基準関係規定に適合していることを証明する確認済証を交付した(第H13確更建築京都舞土00019号。甲8の1。以下「本件建築確認3」という。」)。

オ 原告は,平成13年6月22日,Cを代理人として,舞鶴土木事務所に対し,土地利用計画変更による敷地面積の変更を理由に,建築基準法6条1項に基づき,本件ホテルの建築計画変更の確認申請を行った(甲9の2)。

Aは,同月26日,原告に対し,変更された本件ホテル建築計画が建築基準法6条1項の規定による建築基準関係規定に適合していることを証明する確認済証を交付した(第H13確更建築京都舞土00021号。甲9の1。以下「本件建築確認4」といい,本件建築確認1ないし4を併せて「本件各建築確認」という。)。

(3)  本件ホテルの完成後の経緯

ア Aは,平成13年6月27日,原告に対し,本件ホテルの建築工事の完了に伴い,建築基準法7条5項による完了検査済証を交付した。

イ Eは,平成13年7月6日,本件ホテルの建築工事を完成し,同日,これを原告に引き渡した(甲10,11)。

(4)  「耐震偽装事件」の発覚

ア 国土交通省は,平成17年11月17日,Bが関与した構造設計には耐震強度に虚偽があり,建築法規上許容された耐震強度を保有しない建築物が多数存在する旨を公表した。

イ 原告は,平成17年11月末ころ,京都府土木建築部建築指導課からの連絡で,本件ホテルがBが関与した物件であることを知った。

ウ 被告は,平成17年12月2日,本件ホテルの構造計算書が改ざんされていることが判明したとして,原告に対し,本件ホテルの営業を休止するよう指導し,原告は,同日,本件ホテルの営業を停止した。

(5)  改修の経緯

ア 被告は,「京都府耐震強度偽装問題検討委員会」を設置して本件ホテルの調査を進め,平成17年12月20日,その調査結果を公表し,同日,原告に対し,耐震改修計画を作成の上,改修工事を実施するよう要請した(甲13)。

イ 原告は,平成18年1月24日,被告に対し,耐震改修工事計画書を提出し,同年2月3日,被告から同改修計画が適正であるとの承認を得た(甲14)。

ウ 原告は,平成18年2月14日,Eに,請負代金を6132万円(税込み),工期を同月15日から同年3月31日までとして,本件ホテルの耐震補強工事を請け負わせた(甲15)。

エ Eは,平成18年3月末までに本件ホテルの耐震補強工事を完成し,原告は,同年4月10日に本件ホテルの営業を再開した。

(6)  本件ホテルの構造計算フロー

本件ホテルは,建築基準法20条2号に規定する建物であり,同法施行令81条1項が適用されるところ,このうち「許容応力度等計算」による場合には,高さが30.050mである(甲6の2,7の2,8の2,9の2)ことから特定建築物に該当し,別紙フロー記載の「ルート2-1」,「ルート2-2」,「ルート2-3」のいずれかの手順によることを要するが,本件ホテルで採用されている設計ルートは「ルート2-3」である。「ルート2-3」は,「全体崩壊メカニズム」(最上層と最下層以外では柱に塑性ヒンジ(部材端部が降伏して回転が促進された状態)を生じさせない壊れ方の形態)が確実に形成されるように,柱に十分な曲げ強度を保持させた上で各部材の靱性(強さ)を確保する方法である。

(7)  構造計算書の偽装その他設計図書の不備

ア 1階の剛性率(建築基準法施行令82条の3第1号関係)

本件ホテルは,2階以上の階は耐力壁があるが,1階は,別紙構造図のとおり,③通りの<A>通り・<B>通り間以外は耐力壁がなく,1階がいわゆるピロティ形式(当該階において,耐力壁,そで壁,腰壁,たれ壁,方立て壁の量が上階と比較して急激に少なくなっている形式)の建築物であるところ,ピロティ階の剛性は,他の階よりも大幅に低下し,その階の剛性率は建築基準法施行令82条の3第1号が定める0.6未満となることが多い(甲16,19,弁論の全趣旨)。

それにもかかわらず,本件ホテルに関し,Bが作成した構造計算書(以下「本件構造計算書」という。なお,本件構造計算書には,構造計算ソフトとして,建設大臣の指定ないし認定を受けたプログラム(以下「大臣認定プログラム」という。)である「スーパービルドSS1(改訂版)」(ユニオンシステム株式会社)が用いられていた。)では,1階の剛性率(各層のかたさのばらつきを評価する指標値であり,特定層のかたさを平均値に対する割合で表したもの)の,X方向の判定値が0.790,Y方向の判定値が0.898とされていた(甲18)。

イ 柱の耐力に関する事項(平成7年建設省告示第1996号関係)

(ア) 本件構造計算書では,柱の耐力の比較の対象たる2階梁の耐力(曲げモーメント)の計算が,耐力壁の一部として十分な耐力を有するとして省略されていた。

(イ) 柱のせん断破壊が生じないことの確認に当たっては,構造設計上算出した柱にかかるせん断力(設計せん断力:QD)と,当該柱が部材として有している短期許容せん断力(短期間の荷重に対し,当該部材がせん断破壊に至るまで耐えられる力:QAS)とを比較することによって確認し,QD≦QASであれば,地震時において当該柱にせん断破壊は生じないとされるところ,QD値は,下記の計算式により算出される。なお,QMは,柱頭と柱脚に加わる最大のせん断力であり,柱頭に加わる降伏曲げモーメント(Mud柱頭)と柱脚に加わる降伏曲げモーメント(Mud柱脚)の合計値を当該柱の内径で割った数値である。

[計算式]

QD=Q0(長期せん断力。最小値は0)+1.1×QM

QM=(Mud柱頭+Mud柱脚)÷内径(m)

本件ホテルの柱1C1のX方向でのMud柱頭は336.8t,Mud柱脚は305.8t,内径は255.0cmであった(甲18)から,そのQD値は,以下のとおり,約277.2tであった。

[計算式]

QD=Q0+1.1×(Mud柱頭+Mud柱脚)÷内径(m)

=0+1.1×(336.8+305.8)÷2.55

≒277.2t

しかるところ,本件構造計算書では,柱1C1(別紙構造図の<A>通りと④通りが交差する柱)は,QDがX方向において175.3tとされ,QAS値(178.6t)を下回るとされていた(甲18)。

ウ 耐力壁に関する事項

(ア) 開口比率について

外壁における開口面積の壁全体の面積に対する割合の平方根が40%以下であれば壁全体を耐力壁として認めることができるところ,本件構造計算書では,これを偽装して,2~8階の耐震壁とみなせない一部の外壁を耐震壁として評価していた(甲13,18)。

(イ) 耐力壁のモデル化(建築基準法施行令82条の4関係)

本件ホテルは,壁どうしが繋がっておらず,壁をつなげているのが梁のみである部分があり,かつ,かかる壁を一体と評価するに足りるだけの梁の強度を有していなかった(甲16)。

したがって,上記の壁は2枚壁としてモデル化されるべきところ,本件ホテルを2枚壁として計算した場合の耐震強度(Qu(保有水平耐力)/Qun(必要保有水平耐力)。これが1以上であれば建築基準法施行令82条の4の基準を満たす。)は,桁行方向で0.36~0.47,梁間方向で0.53~0.68であり,大きく不足していた(甲13)。

3  争点及び争点に関する当事者の主張

(1)  Aの本件各建築確認の国家賠償法上の違法性の有無

ア 権利侵害の有無

(原告の主張)

(ア) 建築基準法は,個々具体的な国民の利益を保護の対象とし,当該国民には建築物の建築主が含まれ,当該利益には生命身体のみならず財産も含まれる。

建築基準法上の建築確認制度は,建物について建築に関する高度の知識を持った有資格者に設計を独占させその質の向上を図ることを目的とする建築士法(平成11年法律第160号による改正前のもの。以下,単に「建築士法」という。)の規定と相俟って,建築基準関係規定に違反する建築物の出現を未然に防止する制度であるところ,建築基準関係規定に違反する建物が出現した場合に,その損壊・倒壊等によりまず被害を受けるのは建築主であること,建築確認制度において建築主は確認審査の申請料を負担していることなどからすれば,建築確認制度が,建築基準関係規定に違反しない建物を建築するという建築主の利益を保護するものであることは明らかである。

(イ) 原告は,Aによる本件各建築確認により,建築基準関係規定に違反する形で本件ホテルを建築してしまい,本件ホテルの改修・休業を余儀なくされ,上記利益を侵害された。

(被告の主張)

(ア) 建築基準法は,建築物が人々の生活環境等を害することのないよう公益上の見地から建築主の行為に制限を加えるものであり,建築確認制度は,対象となる個々の建築物の資産価値を保証したり,当該建築物の建築主個人の個別的な利益を保障するものではない。

建築確認制度は,第1次的には建築主各自が定められた最低基準を守って建築計画を作成することを命じ,第2次的には資格を有する専門家たる建築士を関与させることにより建築主の法令遵守を確保し,そのことを建築主事が確認する制度であり,建築主の法令遵守を後見的に確保するものにほかならない。

(イ) 建築基準法,建築確認制度が,建築物の建築主の個別的な利益を保障するものではない以上,Aの本件各建築確認により建築主たる原告の個別的・具体的権利ないし利益が侵害されたということはできない。

イ 義務違反(過失)の有無

(ア) 建築主事の義務一般

(原告の主張)

建築基準法は,建築主事の資格要件を定め,極めて高度な知識を有する建築主事に建築確認業務を独占させている。

建築確認制度は,建築主が建築に関する専門的知識を有しないことを前提として,建築の際に高度の専門的知識を有する一級建築士を選任することを求めるとともに,さらに別の高度の専門的知識を有する建築主事にも設計図書を審査させることで危険な建築物の出現を阻止するものである。

そうすると,建築確認制度において,建築士が作成した確認申請図書の誤りを建築主が発見することは予定されておらず,代わって建築主事が確認申請図書の誤りを発見する職責を負う。

(被告の主張)

a 建築主事による確認行為は,建築基準関係規定に適合すると認めた場合に建築禁止が解除されるという監督行政の一場面であることから,裁量の余地のない羈束行為とされ,その適否の判定は明確性が求められる。

建築主事は,建築一般に関する基本的知識を有する専門職ではあるが,構造設計の専門家ではなく,構造設計を自ら行う能力は求められておらず,法令上も構造設計の実務経験などは全く求められていない。

上記のような建築確認の性質や建築主事に求められている資格・能力にかんがみれば,建築主事は,構造設計者の作成した確認申請図書を対象として,建築基準関係規定へのあてはめを行えば足り,確認申請図書の内容の当否や構造計算の正確性を検証する義務はない。

b ①本件各建築確認当時,建築基準法が,建築確認に関して,7日以内又は21日以内という審査期間を定めるのみで,審査事項や審査方法について何ら規定を設けていなかったこと,②平成10年に建設省が示した建築構造審査要領においても応力計算や部材計算の過程を逐一チェックすることとはされていなかったこと,③いわゆる耐震偽装問題が発覚した際に国土交通省が各都道府県に指示した建築確認図書の再チェック事項においても応力計算や部材計算の過程を逐一チェックすることとはされていなかったことにかんがみると,本件各建築確認当時,一般的に,建築主事に,柱,梁,耐震壁,基礎などの構造耐力上主要な部分に係る許容応力度の計算過程の全てについてチェックし,検算や再計算を行う義務はなかった。

(イ) 本件ホテルに関するAの義務違反(過失)の有無

a ピロティ形式の建築物であることに関する義務違反

(原告の主張)

ピロティ形式の建築物では通常剛性率は0.6未満であり,Aは本件ホテルのピロティ階の剛性率が規定値内であることに疑念を持って,構造上特別の配慮がされていないことを発見すべきであったのにこれを見逃した。

(被告の主張)

ピロティ形式の建築物について,建築基準関係規定に規定はなく,これに該当するか否かは建築主事の審査対象ではなく,その点に着目して構造上の配慮がされているか否かについて建築主事が判断する義務はない。

b 柱の耐力に関する義務違反

(原告の主張)

本件構造計算書では,柱の耐力の比較の対象たる2階梁の耐力が省略されており,Aはこれを照査すべきであったのに見逃した。

また,本件構造計算書では,柱1C1のQD値が偽装されていたところ,Aは,構造計算の断面表に基づく計算を行いこれを発見すべきであったのにこれを怠った。

(被告の主張)

本件ホテルに関しては,いわゆる大臣認定プログラムが使用されており,これにワーニングメッセージやエラーメッセージが表示されているかを確認すれば足り,梁の耐力を照査したり自ら計算を行う義務はない。

c 耐力壁の耐力に関する義務違反

(原告の主張)

本件ホテルは,耐力壁に複数の開口があったことから,Aは,開口間の壁が容易に破壊するかどうかを照査すべきであったのに,これを行わず,耐力壁と認められない壁を耐力壁として判断した。

また,Aは,本件ホテルの2枚壁としてモデル化すべき壁が1枚壁としてモデル化されていることを発見すべきであったのに,これを見逃した。

(被告の主張)

耐力壁に複数の開口が存する場合の扱いや,モデル化において1枚壁とするか2枚壁とするかという事項は建築基準関係規定に規定がなく,構造設計者の工学的判断に委ねられるものであり,建築主事が確認すべき事項ではない。

(2)  信義則違反について

(被告の主張)

本件ホテルの耐震偽装が,原告が選定した代理人らにより行われたことからすれば,原告自身が直接偽装工作を行ったものではないにしても,欺罔した相手方である被告に対して損害賠償を請求することは信義に反する。

(原告の主張)

本件ホテルに関し,DやBは,原告から独立して設計・監理業務を行う立場にあったのであり,原告がそれらの者と身分上,生活関係上一体をなす関係にあったとはいえないから,原告が被告に対し損害賠償請求することは信義に反しない。

(3)  損害について

(原告の主張)

原告は,本件各建築確認により,本件ホテルの改修・休業を余儀なくされ,以下のとおり,合計1億1384万3564円の損害を被った。

ア 改修工事費用 6132万円

原告は,別紙補強工事・休業損害明細表の補強工事欄記載のとおり,Eに補強工事を請け負わせ,請負代金として6132万円を支払った。

イ 休業損害 4202万3564円

原告は,平成17年12月2日から平成18年4月9日まで,本件ホテルを休業し,その逸失利益は,別紙補強工事・休業損害明細表の休業損害欄記載のとおり,合計4202万3564円である。

ウ 弁護士費用 1050万円

(被告の主張)

原告は,自ら選定した建築士との契約関係において設計内容を確定し,その設計内容に基づく建築確認を申請し,建築確認を経てそのとおりの建築物を建築したものであるから,それによる損害を観念する余地はない。

第3当裁判所の判断

1  Aの本件各建築確認の建築主との関係での国家賠償法上の違法性の有無

建築基準法は,建築物の敷地,構造,設備及び用途に関する最低の基準を定めて,国民の生命,健康及び財産の保護を図り,もって公共の福祉の増進に資することを目的としている(1条)。ここで,公共の福祉の増進の方法として,国民の生命,健康という個人的利益を保護しており,その中に財産も含まれている。

建築物は場所を固定されているから,そこで保護されている国民は,その建築物内に居住したり,現にいる者,その近隣に居住する者が中心で,通行人なども含まれ,建築基準法は,それらの者の生命,健康のみならず,その財産をも保護していることになる。ここで,建築主自身がそれらに含まれれば,保護の対象となろうが,建築主のその建築物に対する所有権自体を保護の対象にしているかについては疑義がある。そもそも,建築主がどのような建築物を建築するかは,原則として自由であり,仮に建築基準法所定の基準に違反していたため,倒壊,炎上するなどしても,それは自己の責任であり,土地の工作物の所有者として,不法行為責任を負う場合もあるのであって(民法717条1項),その危険を回避しようとすれば,自ら倒壊,炎上等の危険の少ない建築物にするよう努めるか,損害保険契約をするなど,自己の責任で行う必要があるのである。また,建築基準関係法令に違反した場合には,その除却等の必要な措置をとることを命じられることがあり,これに従わなければ行政代執行をされることもあるのである(建築基準法9条)。

建築主は,通常,建築の専門家でないから,建築基準法,建築士法は,大規模又は複雑な建築物については建築の専門家である建築士の関与を要求しており,それにもかかわらず上記の倒壊,炎上等が発生した場合には,建築主は,建築士に対して損害賠償を求めることもできる。本件においては,原告は,設計,監理をしたDや構造計算書を作成したBに対しては,その資力の関係もあってか,損害賠償を求めてはいないが,元来私法上の関係として処理されるべきものである。

もとより,建築の専門家である建築主事においても建築基準関係規定適合性を確認するわけであるから,建築主事も建築物の安全性について責任を負うべき立場にあるとはいえるが,前記のとおり,建築基準法上は,建築物というものが,その建築物内にいる者,その近隣に居住する者,通行人などの利益を侵害する危険があるものなので,特に規制をしているというべきであり,その保護の対象もそれらの者の利益であると考えられるのである。これとは別に,特に建築物に限ってだけ,その所有権という私権を,建築主事又はその属する地方公共団体が,後見的に保護しなければならない理由は見いだせない。

国家賠償法1条との関係でいうならば,建築主のその建築物の所有権については,建築基準法が直接保護の対象としていない以上,建築主事が建築基準関係規定適合性の判断を誤っても,原則として違法とは評価できないことになる。

原告は,建築確認につき,建築主はもとより近隣住民に抗告訴訟の原告適格を認めた判例(最高裁判所平成14年1月22日第3小法廷判決・民集56巻1号46頁など)を引用して,建築主のその建築物の所有権についても法律上保護されているなどと主張するが,建築主に抗告訴訟の原告適格を肯定するのは建築確認申請が却下された場合が通常なのであり,建築確認をした処分につき建築主の原告適格を認めるかどうかは疑義があるところである。いずれにせよ,抗告訴訟の原告適格という観点から,国家賠償法上の違法性を導こうとするのは,観点が異なるので相当とはいえない。

2  結論

以上によれば,その余について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないから棄却する。

(裁判長裁判官 瀧華聡之 裁判官 梶山太郎 裁判官 高橋正典)

別紙物件目録

所在  舞鶴市字a小字b c番地d,e番地f,e番地g

家屋番号  c番d

種類  ホテル

構造  鉄筋コンクリート造陸屋根8階建

床面積  1階 336.32m²

2階 199.50m²

3階 199.50m²

4階 199.50m²

5階 199.50m²

6階 199.50m²

7階 199.50m²

8階 199.50m²

高さ  30.050m1通

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