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京都地方裁判所 平成21年(ワ)3187号 判決 2011年11月30日

主文

1  被告は,原告に対し,412万6000円及びこれに対する平成21年9月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,これを20分し,その17を被告の,その余を原告の各負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求の趣旨

1  被告は,原告に対し,490万1600円及びこれに対する平成21年9月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  仮執行宣言

第2事案の概要

本件は,生活保護の被保護者であった原告が,被告の職員である社会福祉事務所長から生活保護廃止決定を受けたことに関し,同決定は,保護廃止の要件を満たさない違法なものであるとして,被告に対し,国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づく損害賠償及び訴状送達の日の翌日以降の遅延損害金の支払を求めた事案である。

1  前提となる事実関係(証拠等の掲記のない事実は争いがない。)

(1)  被告は,その所轄区域内に居住地を有する要保護者に対する生活保護の実施に係る事務を取り扱う京都市A福祉事務所(以下「本件福祉事務所」という。)を設置する地方公共団体である。京都市A福祉事務所長(以下「処分行政庁」という。)は,保護の実施機関である京都市長から委任を受けて,生活保護法(以下,単に「法」というときは,生活保護法を指す。)24条ないし28条,62条3項等に規定する保護の決定及び実施に関する事務を行っている(法19条1項,4項,京都市生活保護法等施行細則(昭和31年規則第39号)2条1項)。

(2)  原告は,処分行政庁の所轄区域内に居住するものであり,妻B及び長男Cと同居していたが,平成8年1月5日,処分行政庁に対し,生活保護申請をした。これを受け,処分行政庁は,本件福祉事務所職員による原告世帯に対する調査を実施し,同月23日,申請のあった同月5日から保護を開始する旨の決定をした。

Cは,平成12年3月に高校を卒業し,その後就職に伴い転居したため,同年5月1日,生活保護手続においてCを世帯員から削除する措置がとられた(乙5の91頁)。Cは,平成16年3月初旬ころから,再び原告と同居するようになり,処分行政庁はこれを同月中に把握して,Cを再び原告の世帯員として認識したが,Cの精神科疾患の病状及びCの意思により処分行政庁の職員によるCの面接調査などができず,Cを原告世帯の保護費決定に際して考慮に入れない状態が続き,結局,平成18年4月1日付けで,Cを原告世帯から世帯分離する措置がされた(乙5の13頁ないし27頁及び109頁ないし122頁)。

(3)  原告は,昭和61年以来,自宅において,Dから受注する白地の反物に手描きで柄を付ける手描き友禅の請負仕事(以下「本件請負業務」という。)に従事している(甲19)。

(4)  原告は,平成6年,代金約100万円の新車の小型乗用自動車(日産マーチ。以下「本件自動車」ともいう。)をローンを組んで購入し,現在もこれを使用している(甲19,乙5,原告本人)。処分行政庁は,原告に対する保護開始決定に当たり,事業用資産として本件自動車の保有を認めることとした(乙5の64頁,159頁)。

(5)  処分行政庁は,平成18年5月24日,原告に対し,法27条1項に基づき,書面(以下「本件指示書」という。)により,指示に従わない場合,保護を変更,停止又は廃止することがある旨告知した上,次の指示(以下「本件指示」という。)を行った。

指示の内容 友禅の仕事の収入を月額11万円(必要経費を除く)まで増収して下さい。

指示の理由 世帯の収入増加に著しく貢献すると認められたため平成18年2月以降自動車の保有を容認していたが既に3箇月が経過したものの,目的が達成されていないため。

履行期限 平成18年7月末日

(6)  本件福祉事務所職員は,同年6月15日,原告から,同年3月分(3万8800円),同年4月分(3万1040円),同年5月分(「納品書代」8800円,「支払金額」2万9030円)の支払明細書を添付した収入申告書を受領した(乙5の245頁ないし247頁)。

(7)  本件福祉事務所職員は,同年8月4日,原告に対し,本件指示に従わなかったことを理由として,法62条3項の規定により同年9月1日付で保護廃止処分する予定であること,当該処分について同年8月10日に弁明の機会を与えることを通知する旨記載した同福祉事務所長名義の同日付弁明供与通知書を原告に手渡した(甲6,乙5の123頁,155頁)。

(8)  原告及びBは,同月10日,本件福祉事務所を訪れ,原告が,病気の妻を置いて外へ働きに出ることができない,本件自動車を失ってもDから仕事を回してもらえるか確認できていない,その確認ができるまでは同自動車を処分することはできない旨弁明した。これに対し,本件福祉事務所職員は,同自動車を処分すれば直ぐに保護廃止するということはない,同月末まで同自動車の処分について返事を待つ,同自動車の処分又は増収が達成されなければ同年9月1日付で保護廃止決定をする,それ以降に同自動車の処分をしたような場合には改めて保護の相談に乗る旨伝えた。

(9)  処分行政庁は,同年9月1日,原告に対し,「指導指示の不履行」を理由に生活保護の廃止決定(以下「本件廃止決定」という。)をした。

2  主な争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  本件廃止決定の違法性の有無

(原告の主張)

ア 本件指示は,次のとおり,その内容が原告にとって客観的に実現不可能なものである。法27条は,実現が不可能な指導指示をする権限を本件福祉事務所に与えておらず,法62条1項は,違法・無効な指導指示に従う義務を被保護者に負わせるものではないことから,本件指示に従わなかったことを理由とする本件廃止決定は違法である。

(ア) 原告が従事する在宅での本件請負業務は,必要な労力に比して請負単価が極めて低廉である上,受注量も安定せず,これによる収入は平均して月額約二,三万円であり,多い月でも約5万円程度である。原告は,日常生活において労働に充てることのできる時間は,ほぼ全て労働に費やしており,これ以上労働時間を増やすことも,労働時間あたりの仕事量を増加させることも不可能であった。また,原告が,発注元であるDとの関係において,仕事の種類を選択したり,受注量をコントロールすることは出来ない。原告の収入は,月によって変動があるが,原告の収入が保護受給開始時と比較して低下したのは,同じ仕事量でも,Dから支払われる単価が著しく低下したことによるものであり,原告が増収の努力を怠ったことに起因するものではない。

したがって,本件指示当時,原告は,その置かれた状況において最大限可能な労働をしており,これ以上,原告の努力によって収入を増加させることは不可能であった。

原告は,後記のとおり内職という就労形態をとらざるを得なかったが,本件請負業務以外の他の内職を探すことも実際に考えていたものの,同請負業務は,他の内職より格段に割の良い仕事であり,転職により増収を図ることは不可能であった。

(イ) 原告の妻Bは,生育歴等の影響で早い時期から不安定な精神状態にあったが,30歳のころからその症状が悪化し,医師に対して継続的に不安感・恐怖感・抑うつ気分を訴えている。Bは,特に独りで過ごすことに不安感・恐怖感等があり,症状が悪化すると,リストカットなどの行動に出る危険も抱えている。また,Bは,身の回りのことはかろうじてできるものの,日常生活を送るには適当な援助や保護を要する状態であり,常に夫である原告が身近にいなければ生活することができない。このようなBの症状には多少の起伏変動はあるものの,現在まで基本的な改善を見たことはない。原告は,短時間でも妻を自宅において外に働きに出ることができず,在宅の仕事である本件請負業務に従事する以外に収入を得る方法がない。

(ウ) 本件指示は,月11万円への増収を指示するものであるが,11万円という額には客観的な算定根拠はなく,感覚的な判断により設定されたものに過ぎず,妻の精神科疾患から内職という職業形態を選択せざるを得ないという原告の具体的な生活環境を全く勘案していない。

(エ) 被告は,原告が,被告による自動車処分の指示に従わなかったことを本件指示を出すに至った理由として主張するが,原告が所有する本件自動車は処分価値のないものであり,それを処分させたところで,最低限度の生活の維持に役立てることのできる対価を得ることができないのであるから,法4条1項の定める補足性の原理からは,保有を制限する理由はない。

イ 本件廃止決定は,比例原則に反し,法62条3項に照らし,違法である。

(ア) 生活保護の実施機関が,法62条3項に基づき,被保護者に対し,保護の変更,停止又は廃止という不利益処分を課す際には,法の一般原則である比例原則が当然に適用され,指導指示違反の程度,悪質性と科される不利益処分が均衡している必要がある。

(イ) 本件指示が,仮に違法なものではないとしても,その内容は軽微なものであり,法の趣旨に照らして重要な指導指示とはいえない。また,原告は,虚偽の申告や不正の手段等を用いたわけでもないのであって,違反態様が特段悪質ともいえない。

(ウ) さらに,原告は,保護廃止となれば,僅かな収入での生活を強いられ,直ちに生活困窮状態に陥ることが容易に予想される状況にあったから,保護の廃止の効果は,極めて重大である。したがって,保護の廃止は,極めて慎重であるべきであり,本件指示の違反に対しては,まずは保護の変更により,なお従わない場合には停止によることを検討すべきであった。

(エ) 上記事情等を考慮すると,本件廃止決定は,指導指示違反の悪質性の程度と,科される不利益処分が均衡を欠いており,違法である。

(被告の主張)

ア 以下の理由等から,月11万円への増収を命じた本件指示は,原告にとって客観的に実現不能であるとはいえない。

(ア) 原告は,保護申請をした平成8年1月以前には,月々の平均収入が約13万円あったというのであり,保護受給開始以後も,1か月の収入が11万円を超す月もあった。これら原告の過去の収入状況からすると,処分行政庁が求めた月11万円への増収を図ることは不可能とはいえない。また,原告が仕事を受注しているDは,原告が仕事を処理するペースを上げれば,これに応じて仕事の発注量を増やすことができたのであるから,原告の収入が低調であったのは,ひとえに原告自身が増収に向けた努力を怠ったことによる。

また,本件請負業務では増収が望めないものであるならば,増収を図るべく収入の低い友禅の仕事に見切りをつけ,他の仕事を探すべきであった。また,受注量が少ないことが問題であれば,空き時間を利用して他の内職をすること等によって,収入を増加させる方法はあった。原告は,職業安定所を訪れたものの,電話を架けた内職団体は1か所に止まり,増収を図るべく転職等をする努力を怠った。

(イ) Bの主治医は,平成18年8月15日,本件福祉事務所の職員に対し,Bが常に原告と一緒に行動する必要性は明確に判断できない旨述べており,原告が妻の介護等の必要性から内職という職業形態を選択せざるを得ない状況にあったとする原告の主張は失当である。

(ウ) 本件指示における月11万円という額は,原告と同年代の男性がアルバイトやパート等で1か月間働けば十分得られるであろう程度の月収を目安に算出したものであり,原告が,本件請負業務に執着せず,他の仕事に就いたうえで,その勤労能力を活用すれば,少なくとも当時の収入を上回る収入を得ることは十分可能であった。

(エ) 仮に,月11万円への増収が不可能であるとしても,本件指示における11万円という数値はあくまで目標として設定したものであり,処分行政庁は,原告の増収努力が見られれば,一定の指示履行とみなして保護廃止をしない意向であった。また,処分行政庁は,原告に対し,(ア)保有資産である本件自動車を活用して増収を図るか,(イ)同自動車を処分して新たな職を探すかのいずれかを採るよう指導していたが,原告が,同自動車の処分や転職を硬く拒否したことから,(ア)を選択したものとして,本件指示を発するに至ったものである。処分行政庁は,本件指示の後,増収が達成されなくても,同自動車を処分すれば,上記(イ)に着手したものとして,保護を廃止するには至らない意向を持っており,そのことを原告にも伝えていた。

イ 次の理由等から,本件廃止決定が比例原則に反するとはいえない。

(ア) 原告は,長年にわたり,法の基本原則である補足性の原理(法4条)に反して,友禅の内職に固執し,稼働能力や資産の活用を怠ってきたのであって,本件指示後も,これを改善する意思や行動を何ら示していないのであるから,本件指示の内容は軽微ではなく,指示違反の態様に悪質性がないとはいえない。

(イ) 本件廃止決定当時,原告の長男の預金口座には平成17年に受給した障害厚生年金の残高(平成18年9月20日時点で約165万円)があったこと,原告は,本件廃止決定に対する審査請求を行わず,同廃止決定後生活保護の申請をするも,後にこれを取り下げる等していることからすれば,保護の廃止により原告が直ちに生活困窮に陥ったとはいえない。

(ウ) 本件においては,保護の変更をするとしても,変更後の合理的な支給額を算出することは出来ないことから,保護の変更を検討すべき場合に当たらない。また,保護の廃止と停止では,廃止でも後に原告が被告の指示・指導に従えば保護が改めて開始され,停止でも保護費が支給されなくなる等,処分の効果の点において両者は実質的には異ならず,保護廃止を選択したことが違法とはいえない。

(2)  損害

(原告の主張)

ア 本件廃止決定がなければ受給できていた保護費  345万6000円

本件廃止決定直前の保護費は月額9万6000円であったことから,本件廃止決定がなければ,本提訴日まで36か月にわたり,少なくとも上記金額の保護費は受給することができた。

9万6000円×36か月=345万6000円

イ 慰謝料  100万円

原告は,違法な本件廃止決定により,健康的で文化的な最低限度の水準を下回る生活を強いられてきており,著しい精神的苦痛を被った。これを金銭的に評価すれば,100万円を下回らない。

ウ 弁護士費用  44万5600円

(被告の主張)

ア 原告らの主張アないしウは否認する。

イ 本件廃止決定後,原告は,審査請求を行わず,保護開始を申請することはあったものの,後にこれを取り下げている。法は,申請保護の原則(7条)及び審査請求前置(69条)を定めていることからすれば,この間,処分行政庁が原告に対して保護を実施する義務は発生しておらず,原告に平成18年9月から本件提訴までの期間において保護を受けられなかったことによる損害は発生していない。

ウ 平成17年8月15日にCが障害厚生年金として174万4332円を受給したことから,本件廃止決定後の平成18年9月20日の時点において,原告はC名義の預金口座に約165万円の預金残高を有していた。また,その後,上記預金は払い戻しがされているが,平成19年12月15日の時点においても,51万9268円の預金残高があった。保護廃止後にもこれだけの預金があることからすれば,少なくとも本件廃止決定時から平成20年1月までの間,原告世帯は,生活保護の必要性を欠く状態にあったといえるので,保護廃止により損害が発生したとはいえない。したがって,平成18年9月から平成20年1月までの期間において保護を受けられなかったことを原因とする原告の損害賠償請求は理由がない。

第3当裁判所の判断

1  本件廃止決定の違法性の有無

(1)  認定事実

前記第2,1の事実,証拠(甲2,7,8,12,13の1ないし5,14,15,19,乙5,10,18,証人E,原告本人)及び弁論の全趣旨によると,次の事実が認められる。

ア 原告世帯の生活状況

原告は,本件福祉事務所の所轄区域内の肩書住所地において,妻B及び長男Cと同居して生活している(ただし,前記のとおり,平成12年5月1日から平成16年3月初旬ころまでの間,Cは原告らと別居していた。)。

イ Bの病状

(ア) Bは,生育歴等の影響で,幼いころから神経質な面が見られたが,昭和59年7月ころより,胸苦しさ,不眠,不安等を訴え,F病院の精神科等を受診し,うつ病と診断された。Bは,その後,継続して通院治療を受けることはなかったが,平成8年1月ころ,症状が悪化し,不安等の自律神経症状が強まり,希死念慮等の症状も現れたことから,本件福祉事務所職員の薦めもあり,再び,F病院を受診した。その際,Bは,F病院の担当医により,不安神経症と診断され,以後,月に一,二回のペースで継続的に外来治療を続けた。

平成20年9月ころ,Bは,それまで通院を継続していたF病院が閉鎖されたことから,G病院を受診し,不安障害及び神経症性抑うつ状態と診断され,以後,同院において,外来治療を続けている。

Bは,平成10年11月から障害基礎年金を受給し(当初障害等級1級,平成15年11月に2級に変更),平成11年7月ころに精神障害者保健福祉手帳の交付も受けている。

(イ) F病院への通院開始した平成8年以降,Bの症状は,短期的には多少の起伏があったものの,長期的に見ると大幅に改善をするということはなかった。この間のBの主な症状は,次のとおりである。

a 日常的に抑うつ及び不安発作の症状があり,不安発作が生じると,動悸が激しくなり,息苦しくなる等の症状が現れる。また,希死念慮,目眩,ふらつき,頭痛,不眠及び耳鳴り等の症状が現れるときもあり,思考・運動の抑制が強く,ほぼ自宅閉居の状態が続いた。

b 独りで居ることに対する不安があることに加え,強迫性人格障害等と診断された長男と自宅で二人きりで過ごすことに精神的な負担を感じており,原告がBを置いて外出した際には,不安が強まり,不安発作を起こしたり,リストカットをすることもあった。そのため,原告がDに反物を運搬する際や買い物のために出掛ける際等には,ほとんど常にBも原告と行動を供にしていた。また,Bは,外出した際,急に,不安発作や目眩等の生じることがあることから,一人で外出することに対する恐怖感があり,買い物や通院等,Bが外出する際には常に原告が同伴していた。

c Bは,体調の良いときは簡単な家事をすることもあったが,食事の準備等をはじめ,ほとんどの家事は原告が行っていた。また,Bは,体調が悪いときは,部屋で寝たままの状態で過ごすことがあり,その際は,原告が,Bの世話をしていた。

(ウ) F病院のBの担当医は,Bの症状に関し,次のとおり診断等している。

a 平成10年7月14日・H医師(診断書)(甲2)

抑うつ状態であり,思考・運動の抑制が強く,ほとんど自宅閉居である。気分は憂うつで希死念慮が存在する。このうつ状態が改善することは一年中まずない。日常生活能力の程度は,「精神症状を認め,身のまわりのことはかろうじてできるが,適当な援助や保護が必要である。」(5段階で重い方から2番目)である。労働能力はない。

b 平成11年2月2日・H医師(本件福祉事務所職員の聴き取り)(乙5の80頁)。

不安発作により,一人で居ることができない症状。もっとも,入院する必要性はない。

抑うつ状態が慢性的。抗うつ剤は太るので使用できず,漢方薬を使用しているが,効き目は強くない。抗不安薬は使用できる。生活面については,カプセル状態ではなく,一人で生活出来るように試みる必要があるが,実際は難しいのではないか。精神障害手帳1級に該当する。

c 平成15年5月27日・I医師(診断書)(乙5の339頁)

常に抑うつ気分があり,頭痛,めまい等の身体症状がある。家族間のトラブル等がきっかけで週に二,三回不安発作が起きている。日常生活能力の程度は,上記aと同じ。

d 平成16年10月12日・J医師(本件福祉事務所職員の聴き取り)(乙5・114頁)

ひきこもり及び強迫性人格障害の合併がある長男のことで症状が悪化しており,長男と妻を二人にすることは良くないと思う。よって,原告とできるだけ一緒に居た方が望ましい。しかし,だからといって,原告の内職材料の買い付けや製品の運送等,全ての行動を妻と一緒にしなければならないとまでは,今のところ断言できない。

妻は以前,施設に入所していたらしく,その際,さびしい思いをしたと聞いている。これまで,上記のようにほとんど全ての行動を原告と供にしていたのならば,急に原告と妻の行動を分離すると,妻の不安神経症が悪化し,リストカット等を再びする可能性はある。断言はできない。

e 平成17年5月24日・J医師(診断書)(乙5の346頁)

家族の問題でよけいに抑うつ悪化する。時々不安発作を起こす。日常生活能力の程度は,上記aと同じ。

f 平成18年8月15日・J医師(本件福祉事務所職員の聴き取り)(乙5・124)

以前に比べ,Bの症状は安定している。長男が,障害年金を受給したことにより,妻と長男の関係は落ち着いている。Bと原告の関係も以前と変化は見受けられない。B一人での外出は厳しいかもしれない。ただし,常に原告がBと行動を供にする必要性は明確な判断のしようがない。

(エ) J医師作成の平成22年4月14日付け陳述書(甲15)には,要旨,次の記載がある。

Bの症状は,F病院受診以前からの生育歴等も背景にあり,治療による改善が見込まれるような疾患ではない。短期的に見れば,症状に多少の起伏が見られるものの,中長期的にいえば,基本的には同じ症状が続くものといえる。

平成18年8月15日,本件福祉事務所の職員と面談した際,Bの病状について「安定」という言葉を使ったかもしれないが,Bが以前と同様の症状で推移しているという,いわば「低空飛行」状態にあるという意味で使ったものと思う。また,長男との関係がやや落ち着いていたようであり,Bのストレスがやや軽減され,「やや安定」していたという意味もあったと思う。Bの症状が改善したという意味で「安定」と述べたのではない。その後も,Bの症状が改善したことはない。本件福祉事務所の上記面談記録に,1人での外出は難しいとある後の「原告がBと常に行動を供にする必要性は明確な判断のしようがない」旨の部分は,Bの症状は,身体的な疾患により介護を要する状態とは異なることから,夫が常にBと一緒に行動をする必要性があるか否かについて分かりにくい面があることを説明したものであると思われる。

ウ Cの生活状況等について

Cは,平成12年に高校を卒業した後,織物会社の職工として就職し,原告方から転出したが,その後,躁うつ病に罹患し,稼働継続が困難になったことから,平成14年1月に解雇され,平成16年3月初旬ころから原告方での同居を再開した。Cは,強迫性人格障害を患い,様々な事に対する不安があり,生活全般が障害されていることから,ほぼ自宅閉居の状態であり,原告の代わりに,家事をしたり,Bが外出する際に同伴すること等はできない。むしろ,Cとの同居がBの症状に悪い影響を与えることがあった。Cは,平成17年7月,平成14年8月を受給権取得時期とする障害厚生年金(障害等級3級)の裁定を受けた。

エ 本件請負業務の内容等

(ア) 原告は,昭和61年以降,手描き友禅の職人として発注元業者であるDから業務を請負受注し,反物を預かって自宅に持ち帰り,手描きで反物に柄を付けて納品する在宅での請負業務(本件請負業務)を生業としている。

(イ) 原告の本件請負業務による1か月の平均収入(処分庁が必要経費と認定した額(それが経費と見るべきもののすべてを含んでいるか疑問であるが,ここでは措く。)を控除したもの。以下,「収入」という場合は同様とする。)は,平成8年1月の時点で約13万円であり,平成8年1月以降の原告の収入の推移は,別紙「原告の収入の推移」記載のとおりである。同別紙記載のとおり,原告の月々の収入にはばらつきがあったものの,平成12年以降は,概ね,1か月の収入は約2万ないし6万円程度にとどまり,平成13年11月分を除き,1か月の収入が11万円に達する月はなかった。

(ウ) 原告が,1か月の間に完成させることができる反物の数量は,少ないときは10反くらい,通常は15反前後くらいで,仕事が多い月は20反を超えることもあった。原告が仕事を完成させるのに必要な作業時間は,反物の種類や作業内容によって異なるものの,通常は1反あたり二,三日程度であることが多く,1反の単価が1万円を超える単価の高い仕事は,完成に1週間程度を要する。

友禅業界全体の不況による影響で,保護受給期間中,原告の仕事の請負単価は減少し,本件指示が出された平成18年8月の時点において,1反あたりの原告の請負単価は,平成8年のころと比較して約半額となり,高いもので約1万2000円,安いもので約3000円程度であった。

(エ) 原告は,Bの世話や,自宅から約550メートルの位置にあるF病院にBが通院する際の付き添い,家事等をする時間を除き,朝9時から夕方6時ころまで及び夕食後の約2時間,本件請負業務に従事している。原告は,Bの体調が芳しくないときは,Bの世話や家事等をすべて一人で行う必要があることから,日中も仕事をすることができず,それ故,原告の作業量は,妻の病状により左右される。なお,原告は,本件請負業務のほかに,内職業務等を行っていない。

(オ) 本件請負業務の手順は,まず,Dが原告に仕事の内容及び納期を指定して業務を発注し,原告がこれを受注したうえで反物をDから自宅に持ち帰って柄付けの作業を行い,一定量の仕事が完成すると,原告が完成品である反物をDに運搬するというものであった。納期前に仕事を完成させた場合,予め完成時期を知らせておけば,Dは,通常,納期前でも次の仕事を用意しており,仕事が途切れることはない。原告がDに材料となる反物(1反の重さ約1キログラム)を受取りに行くのは月に1回程度で,仕上がった反物を納品に行くのは週に1回程度であり,いずれも本件自動車を使用している。なお,原告の仕事に使用する染料,シンナー及び薬品等はDから支給されており,材料の反物を受け取る際に併せてペットボトルに入った染料及びシンナー等を受け取って持ち帰り,納品の際に未使用分を返還する。

原告は,自ら受注する仕事の種類を選択することはできず,仕事の請負単価も指定することはできないことから,原告が本件請負業務により得られる収入はDから発注される作業内容に左右され,一定していない。

(カ) Dから発注を受けて本件請負業務と同様の仕事に従事する者は,原告を除き,概ね,年金受給者等であり,Dからの請負仕事のみにより生計を立てている者は少ない。

(キ) 原告は,本件指示が出される以前にも,職業安定所に他の内職の仕事を探しに行ったことが何度かあり,本件指示が出された後には,職業安定所を訪れ,同所において紹介された内職団体のうちの1つに架電して求職中の仕事の有無につき問い合わせをしたものの,本件請負業務よりも高収入が期待できる仕事や,求職中の仕事を見つけることが出来なかった。なお,原告は,保護受給期間中,本件福祉事務所の職員に対し,何か収入増になる仕事がないかと聞くことや,在宅勤務でもっと稼げる仕事があれば,すぐにでも変わりたい旨述べたことがあった。

(ク) 本件福祉事務所の担当職員らは,平成16年10月19日,ケース診断会議において,原告につき,収入が月額約5万6000円と少ないことを理由に,事業用自動車の保有を認めない方針を定め,同年11月8日,本件福祉事務所職員が,原告に対し,現在の就労状況では本件自動車の保有が認められない旨伝えたところ,その翌月である同年12月の原告の収入は9万2150円,平成17年1月の収入は8万9725円に増加した。原告は,本件福祉事務所の職員に対し,増収が実現した理由として,夜寝る間も惜しんで内職に従事したことや,単価の高い仕事が増えたことを述べた。その後,原告の同年2月の収入は7万5660円であり,同年3月ないし5月の月々の収入はいずれも7万円に満たなかった。原告は,本件福祉事務所の職員に対し,同年2月以降に収入が再び元の水準に戻ったのは,単価の低い仕事が増えたことによる旨述べた。本件福祉事務所職員は,原告に対し,同年6月,収入額の減少が続くようであれば,本件自動車の処分が必要になる旨伝えた。

同年6月以降も原告の収入は,約4万円ないし6万円であったところ,同年10月,本件福祉事務所職員は,原告に対し,本件自動車の保有は原則として認められないが,原告が月々10万円の収入が得られれば保有を認める旨述べた。

(ケ) 本件福祉事務所職員は,原告に対し,平成18年2月15日,本件自動車の保有を認めるには「月14万円程度の収入増」(乙5の原文のまま)が必要であり,同年3月末日までに上記増収ができない場合は,本件自動車を処分してもらうことになる旨告知した。

オ 本件廃止決定後の事情等

(ア) 原告は,平成19年12月18日,処分行政庁に対し,生活保護開始申請を行ったが,翌19日,上記生活保護申請を取り下げた(争いがない。)。

(イ) 原告は,平成20年2月1日,再度の生活保護申請を行ったが,処分行政庁は,同月15日,原告から同月8日付の「取下書」の送付を受け,原告の上記申請を取下げ扱いとした(争いがない。)。

カ B及びCの障害年金の額

(ア) Bは,本件廃止決定当時,2か月に1回13万2016円の障害基礎年金を受給していた(乙5の319頁ないし321頁,弁論の全趣旨)。

(イ) Cは,前記のとおり平成17年7月14日,受給権取得年月を平成14年8月とする障害厚生年金の裁定を受け,同年8月,過去に遡って174万4332円の障害厚生年金を受給し,本件廃止決定当時,年額59万6000円の障害厚生年金を受給していた(乙5,弁論の全趣旨)。

(2)  本件廃止決定の違法性について

ア 被保護者が従うべき義務を負う指導指示について

法27条1項は,保護の実施機関に,被保護者に対し,生活の維持向上その他保護の目的達成に必要な指導指示を行う権限を与えているが,上記指導指示は,あくまで,被保護者の自由を尊重し,必要最少限度に止まるものでなければならない(法27条2項)。そして,被保護者にとって実現が不可能又は著しく困難な内容の指導指示をしても,被保護者がこれに応じることを期待することはできず,被保護者の生活の維持向上その他法が定める保護の目的が達成されないことは明らかであるから,法27条1項がそのような指導指示をする権限までをも保護の実施機関に与えるものとは解されず,法27条1項に基づく指導指示の内容が被保護者にとって客観的に実現が不可能又は著しく困難である場合には,当該指導指示は違法であると解される。また,法62条1項は,被保護者に対し,法27条1項に基づく指導指示に従うべき義務を課し,法62条3項は,被保護者が上記義務に違反したときは,保護廃止を含めた不利益処分を課することができる旨定めていることからすれば,法62条3項は,法27条1項に基づく指導指示に従わなかった被保護者に対し,保護廃止等の不利益処分を課すことにより,法27条1項に基づく指導指示を間接的に強制する性格を有する。そして,法27条1項に基づく指導指示が,その内容において違法性を有する場合には,被保護者は上記指導指示に従う義務を有しないことは明らかであり,これを間接的に強制することは,法の趣旨にも反することからすれば,法62条1項が被保護者に対し従うべきことを定めた「必要な指導又は指示」とは,適法な指導指示のみを指すものであると解される。したがって,保護の実施機関による指導指示が違法なものである場合には,被保護者はこれに従う義務を負うものではなく,当該指示に従わなかったことを理由とする同実施機関による不利益処分は,違法というべきである。

以上によれば,本件においても,本件指示の内容が客観的に実現不可能な又は著しく困難な場合には,本件指示は違法となり,その不履行を処分理由とする本件廃止決定も違法になるとするのが相当である。

イ 本件指示の意義

本件指示の内容は,本件指示書の文面上,「友禅の仕事の収入を月額11万円(必要経費を除く)まで増収して下さい。」というものであるが,指示の理由として,「世帯の収入増加に著しく貢献すると認められたため平成18年2月以降自動車の保有を容認していたが既に3箇月が経過したものの,目的が達成されていないため。」とされていること,前記第3,1,(1),エ,(ク)の事情及び原告が友禅の仕事を続けてきたのは妻Bの見守りのため自宅でできる内職である必要があると主張し続けていたことを総合して解釈すると,保有する本件自動車を反物の運搬などに利用する自宅で行う内職の友禅の仕事での収入を1か月11万円まで増収することを求める趣旨と解される。

ウ 本件請負業務による増収の実現可能性について

別紙「原告の収入の推移」記載のとおり,原告の本件請負業務に基づく収入は,本件廃止決定時においては,月約3万円から6万円程度であり,平成12年以降,1か月あたりの収入が11万円に達する月はなかった。また,原告は受注する仕事の種類を選択することができないため,請負単価は一定しないこと,原告が労働に充てることのできる時間は妻の病状等に左右され,月々の作業量も一定ではないことから,原告が,毎月一定額の収入を安定して得ることは困難であったと認められる。さらに,Dは,通常,納期前でも原告が仕事を完成させると,次の仕事を発注し,仕事を途切れさせることはないから,原告が作業量を増やせば,仕事の量を増やすことは可能であるともいえるが,原告は,妻の世話や病院への付き添い,家事等の時間を除き,朝9時から夕方6時及び夕食後の約2時間を作業時間に充てており,これ以上仕事に充てる時間を増やすことは困難であったと認められる。まして原告の収入実績からすると1か月11万円の収入を得るには高単価の仕事を受注できない限り作業時間を極端に増加させなければならないが(多少作業時間を増やしても上記金額まで到底増収できないことは後記のとおりである。),健康を維持しつつ継続的に作業時間を大幅に増加せることはほとんど不可能であったというべきである。本件請負業務の請負単価は,本件指示がなされた時点においては,保護受給開始当時(平成8年1月)と比較して約半額となり,1反あたり,高いもので1万2000円,安いもので3000円であったこと,原告の方から単価の高い仕事を選別して受注することはできないこと,原告は,単価の高い反物を仕上げるのには約1週間,単価の安い反物を仕上げるのには約二,三日間を要することからすれば,仮に,原告が作業時間をいくばくほど増やすことができたとしても,これにより,原告が,月々の収入を本件指示当時の月3万円ないし6万円程度から11万円へと大幅に増加させることは現実的には不可能であったといえる。

なお,被告は,Bの症状に関しても言及するところ,前記認定事実によれば,Bは,精神疾患のため,自宅内においても随時原告の見守りが必要なほか,通院時の原告の付添は不可欠であり,また,家事の大部分若しくは相当部分を原告が担わざるを得なかったものと認められ,原告が,これらBの見守り,介助及び家事等に費やす時間を本件請負業務に振り向けることは極めて困難であったといえるし,上記説示の点からすると,多少の時間を振り向けられたとしても,それによる増収効果はわずかであったことが明らかである。

したがって,本件指示がなされた時点において,原告が,本件請負業務の作業量を増やすこと等により,月額11万円の収入を得ることは客観的に実現不可能であったか,少なくとも著しく困難であったと認められる。

エ 小括

以上によれば,原告が,当時置かれた生活状況の下で,友禅の内職の仕事(本件請負業務)で月11万円へと収入を増加させることは到底期待できず,本件指示は,その内容において客観的に実現不可能又は少なくとも著しく実現困難なものというべきであるから,同指示は違法な指導指示に当たり,同指示の不履行を処分理由とする本件廃止決定も違法であると解すべきである。

(3)  被告の主張について

ア 被告は,原告は,保護受給を開始した平成8年1月の時点においては,月約13万円の収入があり,その後も月11万円を超える収入が得られた月もあったこと,原告が仕事のペースを上げればこれに応じてDの発注も増加したことを理由に,原告が増収への努力を怠らなければ,月11万円までの増収は可能であった旨主張する。

しかしながら,前記第3,1,(1),エ,(イ),(ウ),(2),ウ認定説示のとおり,保護開始後,原告の収入が1か月11万円を超えたのは平成13年11月の1か月のみであり,1か月11万円には達しないものの比較的高収入の得られた平成16年12月及び平成17年1月については,寝る間を惜しんで働いたり,単価が高い仕事が割り当てられたというのであり,本件指示の時点においては,平成8年の時点と比較すると原告の請負単価は半額に低下しており,原告の方から請負単価の高い仕事を選別して受注することはできず,原告の現在の生活状況の下では,大幅に作業時間を増やすこともできなかったことからすると,本件指示を実行できなかった原因が原告の努力不足にあると認めることはできない。

イ 被告は,本件請負業務で増収が望めないなら,収入の低い友禅の仕事に見切りをつけ他の仕事を探すべきであったし,受注量が少ないことが問題であれば,空き時間を利用して他の内職をすること等によって,収入を増加させる方法はあったなどと主張する。

しかし,前記のとおり,本件指示は,自宅で行う友禅の仕事で増収することを求めるものであり,本件指示書の文面上も,自宅において本件請負業務に代え又はこれと共に友禅関係以外の請負仕事等をし,または,自宅以外の場所に赴いて就労することにより増収を図ることまで指示しているとは解されない(このような方法で増収を図ることが本件指示に違反すると解すべきかどうかは別論である。)。被告が,本件指示書で指示する「友禅の仕事」以外の仕事により増収を図らなかったことをもって本件指示に違反し,保護廃止の処分事由になると主張することは,保護の実施機関が,法27条1項に基づく指導指示の違反に対し,法62条3項に基づき被保護者に不利益処分を課す際には,指導指示を書面により行うことを定めた生活保護法施行規則19条の趣旨を顧みないものというべきである。

本件指示書にいう「友禅の仕事」が本件請負業務以外の自宅で行う友禅関係の仕事を含むと解するとしても,本件廃止決定当時,本件請負業務以外の原告の自宅で行う友禅関係の仕事で,それ単独で又は本件請負業務と併せて行うことで,1か月11万円の収入が得られるものが実在したことを窺わせる証拠はない。

ウ 被告は,月11万円への増収という本件指示の内容が達成されなくても,①原告による一定の増収努力が認められた場合,または,②原告が本件自動車を処分した場合には,被告は廃止決定は行うつもりはなかったのであり,本件指示は原告に不可能を強いるものではない旨主張する。

しかしながら,本件指示における指示内容が「1か月11万円までの増収の向けて努力すること」ではなく,「1か月11万円までの増収を達成すること」であることは本件指示書の文面上明らかである。また,指示の理由部分を含めて解釈しても,本件指示書において,増収が達成されなくても,本件自動車を処分すれば廃止決定はしないとされたこと,換言すれば,指示内容が,1か月11万円まで増収するか又は本件自動車を処分することであるということはできない。従前から,本件福祉事務所職員は収入の過少を理由に増収又は本件自動車の処分を求めてきたことからすると,原告も本件福祉事務所職員らが上記②の意図であることは推察していた可能性が高く,現に,平成18年8月10日の弁明の機会にも,上記職員は,原告に対し,本件自動車を処分すれば直ちに保護廃止にはならない旨述べている(前記第2,1,(8))が,前同様,生活保護法施行規則19条の趣旨に照らすと,本件指示書に記載のない本件自動車処分の不実施を指示違反として本件廃止決定をすることはできないというべきである。

もっとも,被告の上記主張は,本件指示の内容は飽くまで1か月11万円までの増収であるが,処分行政庁は,これが実行できない場合も,原告に増収努力が見られるか又は本件自動車を処分したときは,保護廃止処分をしない予定であったとの趣旨とも解される。しかし,上記のような裁量権行使に関する処分行政庁の主観的事情は,実現不可能又は著しく困難な指示の違法性,ひいてはその指示違反を理由としてなされた保護廃止処分の違法性の有無に何ら影響を及ぼすものではない。

2  被告の責任

保護の実施機関たる公務員は,法62条3項に基づき指示違反を理由に保護廃止等の不利益処分をするに当たっては,個別の住民に対する関係で,法27条に従った適法な指示に対する違反がない場合には上記不利益処分をしてはならない職務上の義務を負うと解すべきところ,前記第3,1認定説示によれば,処分行政庁の地位にあった被告の職員は,上記職務上の義務に違反し,違法な本件指示に違反したことを理由として本件廃止決定をしたものというべきであるから,その行為は国賠法1条1項の適用上違法である。また,前記認定のとおり,本件指示が出された平成18年5月の時点において,1反あたりの原告の請負単価は,平成8年のころと比較して約半額になっていたから,保護開始決定当時の月収が約13万円であったことは,原告が1か月11万円まで増収可能であったことの根拠にならない。原告は,本件福祉事務所職員に対し,平成16年12月から2か月増収となった理由として単価の高い仕事が増えたと述べている(前記第3,1,(1),エ,(ク))ほか,単価の低い仕事が増えている(平成17年6月9日),工賃は下がるばかりである(同年9月15日),8年前は今の2倍以上の工賃がある(平成18年6月15日)(乙5の117頁,118頁,122頁)など,再三,単価の切り下げを訴えていたところ,同職員らがこれらの訴えの信憑性を疑わせる資料を入手していたなどの事情を認めるべき証拠は存在せず,これらの点からすると,処分行政庁の地位にあった被告職員は,原告が保護開始決定当時と同水準の収入を得ることが著しく困難であることを認識し得たというべきであるから,同職員に少なくとも過失があることは明らかである。被告は,原告と同年代の男性がアルバイト等で1か月に11万円の収入を十分に得られる旨主張するが,そのことと,原告が本件請負業務で同額の収入を得られるかは別問題であり,仮に,同職員が,上記の理由から1か月11万円までの増収が可能であると考えたとしても,過失は否定する余地はない。

したがって,被告は,原告に対し,国賠法1条1項に基づく損害賠償義務を免れない。

3  損害

(1)  本件廃止決定がなければ受給できていた保護費  345万6000円

ア 証拠(乙5の29頁,323頁)によれば,本件廃止決定直前の保護費は月額約9万6000円であったことが認められ,原告は,本件廃止決定以後,本訴提起日であることが記録上明らかな平成21年8月31日までの36か月にわたり,本件廃止決定がなければ受給することができたはずの上記保護費を受給することができなかった。したがって,本件廃止決定により,原告に,上記損害が生じたと認めることができる。

計算式:96,000×36=3,456,000

イ これに対し,被告は,本件廃止決定時,原告はC名義の預金口座にはCが受給した障害年金の残高があったこと等から,少なくとも本件廃止決定時から平成20年1月までの間,原告世帯は,要保護性を欠く状態であり,上記損害は認められない旨主張する。

しかしながら,ここでいう原告の財産的損害は,本件廃止決定により保護費を受給できなかったことによるうべかりし利益の喪失であり,原告の要保護性の有無にかかわらず,上記損害は発生している。もっとも,処分行政庁が,本件廃止決定とは別に,(同廃止決定を自庁取消しした上)要保護性の欠如を理由に被告主張の上記期間内に原告に対する保護廃止決定をしたというなら別論であるが,上記保護廃止決定をしたとの主張立証はない。いかに法26条所定の保護廃止事由が存在したとしても,現実に保護廃止決定がなされていない以上,有効な保護開始決定に基づく被保護者の受給権を否定することはできない。処分行政庁の地位にあった被告職員は,適法な廃止事由に基づかない本件廃止決定により,原告の上記受給権を違法に侵害したというべきである。したがって,要保護性の欠如を処分理由とする保護廃止決定がなされたと認められない以上,本件廃止決定により原告に保護費相当額の損害が生じたといえる。なお,上記預金はC名義であり,かつその原資はCが受給した障害厚生年金であるから,預金債権はCに帰属する。そして,Cは精神疾患のため就労できず,自宅閉居状態で障害厚生年金を受給していたものであり,年金を遡って受給したことにより多少の預金があったとしても,他の親族を扶養する余力があるものとは到底考えられず,また,処分行政庁により,本件廃止決定に先立ち,Cは原告世帯から世帯分離の措置を受けているのであり,このCの預金を原告世帯の生活費に充てるべきことを前提とする被告の主張は失当である。

したがって,被告の上記主張は採用できない。

ウ 被告は,法は申請保護の原則及び審査請求前置主義を採用しており,原告が,本件廃止決定に対し審査請求を行わず,再び保護申請をするも,後にこれを取り下げたのであるから,本件廃止決定により原告に損害が生じたとはいえない旨主張する。

しかしながら,審査請求前置主義(法69条)は,行政処分の取消訴訟を提起する際に,あらかじめ審査請求を経ることを義務づけるものに過ぎず,行政処分が違法であることを理由として国家賠償請求をするについては,あらかじめ当該行政処分について取消し又は無効確認の判決を得なければならないものではないことからすれば(最高裁昭和35年(オ)第248号同36年4月21日第二小法廷判決・民集15巻4号850頁,同平成21年(受)第1338号平成22年6月3日第1小法廷判決・民集64巻4号1010頁参照),原告が,審査請求を行わなかったことにより,本件廃止決定に関し国家賠償を請求する権利を失うと解することはできない。また,申請保護の原則(法7条)は,新たに保護受給開始決定をする際には,原則として被保護者による申請が要件となることを意味するに過ぎず,従前の保護が違法な処分により廃止された場合に,被保護者に再申請を義務づけ,これを怠った場合に被保護者が保護費相当額の損害を請求する権利を失うことまでを含むものとは到底解されない。

被告の上記主張は採用の限りでない。

(2)  慰謝料について

ア 前記第3,1,(1),カ認定事実,証拠(甲9の1ないし3,19,乙5,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

(ア) Cは,平成17年8月,過去の障害厚生年金174万4332円を遡及して受給し,以後,月額約5万円の同年金を受給している。

Bは,平成10年11月から障害基礎年金を受給し(当初障害等級1級,平成15年11月2級に変更),その額は,平成18年9月1日当時,1か月当たり6万6008円である。

(イ) 生活保護試算シートにより算出される原告世帯(Cを世帯構成員とした場合)の最低生活費は,月額22万4810円である。

(ウ) 本件廃止決定後の平成18年9月20日の時点において,Cの預金口座には,Cが受給した障害年金の残高等約165万円があったが,同廃止決定後,上記口座の預金を払い戻し,原告世帯の生活費に充てていた。平成19年12月15日の時点においては,上記預金口座には51万9268円の預金残高があったが,Cは,同年12月19日,就職時に自宅を出るための準備資金として親戚から借り入れた計38万円の金員を返済するため,上記口座から38万円を引き出した。平成20年2月の時点においては,上記口座の預金残高は約9000円となり,以後,上記口座について預金の預入れ及び払戻しはされていない。

原告及びBは,自己名義の預金口座を有していたが,本件廃止決定後,原告名義の預金口座の残高が10万円を超えることはなく,B名義の預金口座の残高も,前記障害基礎年金の支給分を除いては,月々の生活費の足しになり得る額ではなかった。

(エ) 原告は,本件廃止決定後,食費の節約のために食事を一日三食摂ることができず,服やシャンプー,洗剤等の日用品も知人・友人から譲り受ける等して入手し,冠婚葬祭のための金員を準備することもできない等,苦しい生活を強いられた。

イ 前記認定事実によれば,本件廃止決定により侵害された原告の保護受給権は,保護費相当額の支払を受けることにより回復することができるものの,原告世帯は,同廃止決定により,月々の収入が生活に必要な収入を下回り,Cの預金口座にある預金を払い戻して生活費に充てることを余儀なくされ,さらに,平成20年2月には,上記預金口座の残高もほとんどなくなり,それ以後,原告世帯は,生活に必要な収入額を下回る月々の収入のみによって健康で文化的な最低限度の生活水準を下回るともいうべき貧困生活を送ることを余儀なくされたのであり,原告は,これにより,財産的損害の回復によってはてん補されない著しい精神的苦痛を受けたといえる。そして,原告の上記精神的苦痛を慰謝するには30万円をもってするのが相当である。

(3)  弁護士費用

前記認定の損害額や本件訴訟の経過等に照らし,前記処分行政庁の違法行為と相当因果関係を有する損害としての弁護士費用は,37万円が相当である。

4  結論

以上によれば,原告の本訴請求は,被告に対し,国賠法1条1項に基づき,412万6000円及びこれに対する違法行為の後の日であり,訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成21年9月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその限度でこれを認容し,その余はこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤明 裁判官 柳本つとむ 裁判官 板東純)

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