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京都地方裁判所 平成22年(ワ)3672号 判決 2012年1月30日

原告

甲野一郎

同訴訟代理人弁護士

加藤進一郎

被告

乙川和男

同訴訟代理人弁護士

高田良爾

竹中芳晴

主文

1  被告は,原告に対し,平成16年10月15日から平成20年1月6日までの間の甲野香と被告との間の委任契約に基づく委任事務処理状況につき,3か月ごとの報告書を交付せよ。

2  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを3分し,その1を被告の負担とし,その余を原告は負担とする。

事実及び理由

第1  請求の趣旨

1  主文1項同旨

2  被告は,原告に対し,273万3594円及びこれに対する平成22年9月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  仮執行宣言

第2  事案の概要

本件は,司法書士である被告との間で財産管理委任契約を締結した者の共同相続人の1人である原告が,被告に対し,被告には上記財産管理委任契約に基づく債務の不履行があったと主張して,損害賠償を求めるとともに,委任事務処理状況についての報告書の交付を求める事案である。

1  争いのない事実及び容易に認定できる事実(引用証拠のない事実は争いがない。)

(1)  当事者

① 原告は,平成20年1月6日に死亡した甲野香(以下「香」という。)の長男で,その共同相続人の1人である。香の他の共同相続人は,二男甲野二郎,長女丙山花子,二女丁木葉子の3名である。

② 被告は,司法書士である。

(2)  任意後見契約及び財産管理委任契約の締結

香と被告は,平成16年10月15日,公正証書により,香を委任者,被告を受任者とする任意後見契約を締結するとともに,次の内容を含む財産管理委任契約(以下「本件契約」という。)を締結した(甲1)。

① 香は,被告に対し,平成16年10月15日,香の生活,療養看護及び財産の管理に関する事務を委任し,被告は,これを受任する(上記公正証書の第1(委任契約)の第1条。以下,単に「第1条」等という。)。

② 本件契約締結後,香が任意後見契約に関する法律第4条第1項所定の要件に該当する状況になり,被告が任意後見契約による後見事務を行うことを相当と認めたときは,被告は,家庭裁判所に対し,任意後見監督人の選任を請求する(第2条1項)。

③ 香は,被告に対し,本判決別紙任意代理権目録記載の委任事務を委任し,その事務処理のための代理権を付与する(第3条)。

④ 香は,被告に対し,上記委任事務処理のため必要と認める下記証書等を引き渡す(第4条1項)。記

ア登記済権利書,イ実印・銀行印,ウ印鑑登録カード,エ預貯金通帳,オ年金関係書類,カ各種キャッシュカード,キ有価証券,ク建物賃貸借契約書等の重要書類

⑤ 被告は,第4条1項の証書等の引渡しを受けたときは,香に対し,預かり証を交付する(第4条2項)。

⑥ 香は,被告に対し,上記委任事務処理に対する報酬として,毎月1日限り2万円を支払う。被告は,その管理する香の財産からその支払を受けることができる(第6条)。

⑦ 被告は,香に対し,3か月ごとに,上記委任事務処理の状況につき報告書を提出して報告する(第7条1項)。

⑧ 香は,被告に対し,いつでも,上記委任事務処理状況につき報告を求めることができる(第7条2項)。

(3)  郵便貯金の通帳の所在及び払戻等

① 香は,被告に対し,平成16年10月15日ころ,香名義の通常郵便貯金(番号<略>。以下「本件貯金」という。)に係る通帳(以下「本件通帳」という。)を預けるため交付した。

② 被告は,平成22年4月28日当時,本件通帳を保管していなかった。

③ 本件貯金の残高は,平成16年10月15日時点では555万0289円であったが,同月21日に162万4090円が入金されて717万4379円となり,以後,次のとおり推移した(乙4)。

平成17年4月1日 利子252円組み入れにより717万4631円

同年7月26日 1000万円入金により1717万4631円

同年10月3日 200万円払戻しにより1517万4631円

同年12月19日 300万円払戻しにより1217万4631円

同月28日 120万円払戻しにより1097万4631円

平成18年4月1日 利子365円組み入れにより1097万4996円

同年5月15日 500万円払戻しにより597万4996円

同日 利子48円組み入れにより597万5044円

同日 解約により597万5044円支払

(4)  不動産売買契約

香は,平成17年10月18日,その所有に係る京都市左京区一乗寺松田町*番地所在の土地建物を代金2300万円で売り渡した(以下「本件売買」という。)。

(5)  委任事務処理状況の報告

被告は,香又はその共同相続人に対し,本件契約に基づく委任事務の処理状況について書面で報告したことはない。

(6)  報酬の支払

被告は,本件契約に基づき,平成16年11月分から平成19年12月分までの報酬として計76万円の支払を受けた。

2  主な争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  被告の債務不履行─本件貯金の所在不明

① 原告の主張

ア 被告が香から本件通帳を預かった当時,本件貯金は717万4379円存したが,被告は,平成22年4月28日時点で同通帳を保管しておらず,その間に本件貯金は解約され,717万4379円は所在不明となった。これは,被告の財産管理義務違反であり,香は717万4379円の損害を被った。

イ 仮に,被告が香に本件通帳を返還したとしても,そのこと自体が被告に課せられた財産管理義務の不履行であり,これにより,香は,同額の損害を被った。

② 被告の主張

被告は,香の求めに応じて,香に対し,平成16年12月末ころ,本件通帳を返還した。

被告は,香から返還を求められれば,預かった通帳を返還しなければならない立場にあったのであり,本件通帳の返還が債務不履行になることはあり得ない。

被告は,本件貯金の入出金及び解約に関与していない。

(2)  被告の債務不履行─本件売買の代金所在不明

① 原告の主張

香が受領した本件売買の代金2300万円のうち300万円が所在不明となった。これは,被告の財産管理義務違反であり,香は300万円の損害を被った。

仮に,香が取引場所から300万円を持ち帰り,その結果,300万円が所在不明となったとしても,そのこと自体が被告の財産管理義務違反である。

② 被告の主張

ア 香は,平成17年11月24日,滋賀銀行一乗寺支店において,本件売買の代金2300万円を受領し,同年7月14日成立の京都家庭裁判所平成17年(家イ)第120号事件の調停に基づき,原告,甲野二郎,丙山花子及び丁木葉子の指定口座に各500万円,計2000万円を振込送金した。香が受領した上記代金300万円の所在は知らない。

イ 被告は,香から金銭の保管を委任されていない。被告が300万円を保管すべき義務はない。

(3)  被告の債務不履行─ずさんな財産管理

① 原告の主張

被告は,前記第2,2,(1),①,(2),①,後記第2,2,(4),①の各債務不履行のほか,虚偽内容の預かり証や同一日付,同一費目で金額の異なる領収書を作成するなどし,現金を預かりながら預かっていないと供述するなど,その財産管理はずさんである。また,被告は,香の判断能力が低下した場合,後見監督人の選任申立てをする任務があったにもかかわらず,香の判断能力や健康状況を全く把握しておらず,実際に後見監督人の選任申立てが必要な状況にあったのにこれをせずに放置した。

本件契約は,香が被告の主導により締結させられたもので,当初から香が被告をコントロールする関係になかった。香は,同契約時既に89歳と高齢で,数々の疾病を抱え,その後も健康状況が悪化し,判断能力も低下し,平成19年4月には脳萎縮,同年11月には認知症の診断を受けている。このような状況下にある香が,本件契約に関し,専門家である被告をコントロールして自己の意思に沿った財産管理を求めたり,被告に財産管理行為の不履行があればそれを質すことなどは不可能であり,被告の債務不履行にさらされながらも,契約を解除することもできなかった。したがって,被告の上記各債務不履行が継続しながら,香が契約を解除できないために報酬支払義務が発生し続けたという関係があり,被告の上記債務不履行により,香は,支払った報酬相当額76万円の損害を被った。

② 被告の認否

争う。

(4)  被告の債務不履行─報告義務未履行

① 原告の主張

前記第2,1,(5)記載のとおり,被告は,3か月ごとの書面による委任事務処理状況の報告をしていない。

② 被告の主張

被告は,香に対して書面で報告しなければならないような特段の委任事務がないのであるから書面で報告しなかったことが債務不履行とはならない。なお,被告は,香に対し,口頭で財産管理の状況を報告していた。

第3  当裁判所の判断

1  前提となる事実関係

前記第2,1の事実,甲5号証の1ないし4,17ないし19号証,21なし24号証,27号証,乙1号証,5号証,原告本人及び被告本人の各尋問結果によれば,次の事実が認められる。

(1)  香は,大正4年10月*日生まれで,夫の甲野太郎との間に,長男の原告,二男甲野二郎,長女丙山花子及び二女丁木葉子の4人の子をもうけた。甲野太郎は,平成16年4月21日,死亡し,以後,香は,京都市左京区一乗寺松田町*番地所在の建物に独居していた。

(2)  被告は,昭和62年,甲野太郎から登記申請手続を依頼され,同人の死亡後,香から,遺言書の検認の立会い,相続登記手続等を依頼されるようになった。

(3)  香は,平成16年9月,被告の紹介により,有料老人ホームの京都ヴィラへの入所契約をし,同年11月初め,入所した。

(4)  平成16年10月15日,香と被告は,公正証書により本件契約及び任意後見契約を締結し,併せて香は,公正証書遺言をした。

(5)  原告及び丁木葉子は,平成17年,香,甲野二郎,丙山花子を相手方として,甲野太郎の遺産分割調停の申立てをし,同年7月14日,香が甲野太郎の遺産をすべて取得し,香は,その代償として,原告に対し1000万円,丁木葉子,甲野二郎及び丙山花子に各500万円を支払うことなどを内容する調停が成立した(以下「本件調停」という。)。香は,上記調停手続において,代理人を選任せず,上記調停期日にも出頭した。

(6)  香は,京都博愛会病院において,平成16年1月,骨粗鬆症,同年9月,高血圧症,心肥大,虚血性心疾患,上室性不整脈,同年12月,両緑内障,平成17年4月,気管支喘息,同年9月,甲状腺機能亢進症,平成18年5月,両変形性膝関節症,平成19年4月,多発性脳梗塞・脳萎縮(CT検査所見)等の診断を受けた。

(7)  香は,要介護状態区分等につき,平成18年6月,要支援1,同年10月,要支援2,平成19年11月,要介護1,同年12月,要介護3の各認定を受けた。

(8)  香は,平成18年4月ころから下肢筋力低下により転倒することが多くなったが,平成19年10月28日,京都ヴィラの浴室で転倒しているところを翌日発見されて京都博愛病院に搬送された。香は,体幹・両下肢脱力を訴え,高CPK血症,高血圧症の診断名で同院に入院し,同年11月16日には脳血栓性認知症と診断され,同月26日,療養型病棟に転棟したが,間質性肺炎に罹患し,平成20年1月6日,同院で死亡した。

2  本件貯金の管理について

(1)  香が,被告に対し,平成16年10月15日ころ,本件通帳を預けたこと,本件貯金の残高は,同日時点で555万0289円,同月21日時点で717万4379円であったが,平成17年10月3日以降,払戻しにより,次第に減少し,平成18年5月15日,解約されたことは前記第2,1,(3),①,③記載のとおりであるが,乙1号証及び被告本人尋問の結果によると,被告は,香に対し,平成16年12月ころ,香の求めに応じて本件通帳を返還し,その後の本件貯金の払戻し及び解約に関わっていないことが認められる。被告が香から本件通帳の返還を証する書面の交付を受けていないこと(弁論の全趣旨)は,上記認定を揺るがすに足りない。返還したとされる時期が本件契約後2か月しか経過していないことも,香が,京都ヴィラに入所して生活環境が安定した後,当面,自ら本件貯金の管理をする意思で本件通帳の返還を求めたとしても不自然ではないことからすると,上記認定を左右しない。

(2)  一般に,本件契約のような財産管理委任契約を締結するのは,自己の判断能力の相当な低下を自覚した場合には限らない。前記第3,1,(6)ないし(8)認定事実によれば,香は,平成18年ころから身体的な衰えが進行し,同年11月ころには部分的介護を要する状態になり,平成19年11月には認知症と診断されているが,本件契約当時,香の判断能力が年齢相応以上に低下していたことを認めるに足りる証拠はない。香の子であり,香の比較的身近に居たはずの原告が,甲野太郎死亡後の約半年間,香を独居させ,その財産保全のため格別の措置を採った形跡がないことからも,本件契約当時,客観的に見て,香の財産管理能力に差し迫った不安はなかったことが十分うかがえる。そうすると,被告が,同契約の約2か月後に,香に対して本件通帳を返還したことが同契約に基づく被告の財産管理義務に違反すると解することはできない。

3  不動産売買代金の所在不明について

(1)  前記第2,1,(4),第3,1,(5)の事実,乙1ないし3号証,5号証,被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると,香は,本件調停において約した子らへの代償金の支払原資を調達するため本件売買を行い,平成17年11月24日,被告立会の席で同売買の決済がなされ,香は,買主から代金2300万円を受領し,その中から原告,甲野二郎,丙山花子及び丁木葉子の指定預金口座に各500万円,計2000万円を送金し,残額300万円を決済場所から持ち帰ったことが認められ,この認定と異なり,被告が香から上記300万円を預かったことを認めるべき証拠はない。弁論の全趣旨によると,香の死亡時,上記300万円又はその代替物と考えられるものは残されていなかったことが認められ,同300万円の行方は不明というほかないが,上記認定事実によれば,これにつき被告の財産管理義務違反があるとはいえない。

(2)  前記のとおり,本件契約当時,香の判断能力が年齢相応以上に低下していたと認めることはできず,香に300万円を持ち帰らせたことが,被告の本件契約に基づく財産管理義務違反に当たるとはいえない。

4  その他の財産管理義務違反

被告が香に対して報告書により財産管理状況を報告したことはなく(前記第2,1,(5)),甲2号証,7,8号証によると,被告は,本件契約に基づく報酬につき金額の異なる2枚の領収書(証)を発行したこと,平成16年10月15日付けで本件貯金の残高が717万4379円であるとする「お預かり財産目録(甲野香様)」を作成したことが認められるが,これらをもって被告の財産管理がずさんであったと断定することはできない。なお,被告本人の供述中には,香から現金を預かったか否かについて相反する供述をする部分があるが,これをもって被告が真摯に職務に取り組まなかったと推認することはできない(乙1号証によれば,この件は,以前から原・被告間で問題とされており,被告も,300万円の限度では使途を限定されていたというものの預かり自体を否定するものではないことが認められる。)。他に,被告の財産管理上の具体的な不手際等を認めるに足りる証拠はない。

甲26号証の1・2によると,被告は,本件契約後1年間は,平均月2回程度京都ヴィラに香を訪問していたが,平成18年は,年3回,平成19年は年1回に訪問回数が減ったことが認められ,これによると,平成18年以降,香との意思疎通やその状況把握が十分できていたとは考えにくいが,被告本人尋問の結果によると,平成16年末ころまでには,主だった財産管理行為が終わり,その後の主たる財産管理行為は香から預託を受けた通帳,印鑑等の保管にとどまっており,香との関係が疎遠になったことにより,少なくとも財産管理上具体的な問題が生じたことはうかがえない。

前記認定説示によれば,香は,死亡前に事理弁識能力が不十分な状況に陥ったものと推認されるが,死亡の相当以前からそのような状況にあったと認めることはできない。

以上によると,本件契約に基づく被告の財産管理行為には不備があったが,それが著しいものであったとまでは認められず,平成18年ころ以降は,被告は,香の心身の状況把握が不十分であったが,後見監督人選任申立てをしなければならない状況であるのにこれを長期に亘り放置したとは認められない。したがって,香が,本来被告の債務不履行を理由に本件契約を解除すべきところ,判断能力の低下のためそれができない状況に置かれていたと認めることはできないから,原告の被告に対する報酬相当額の損害賠償請求は理由がない。

5  委託事務処理状況報告書の提出

被告は,香又はその共同相続人に対し,本件契約に基づく委任事務の処理状況について書面で報告したことはない(前記第2,1,(5))。財産に変動がなく特段報告すべき事項がないからといって,本件契約に係る公正証書第1の第7条1項所定の3か月ごとの報告書による事務処理状況報告義務がなくなるものではなく,仮に,被告が随時口頭で必要事項を報告したり,香が被告に対して上記報告書の提出を求めたことがなかったとしても,それだけでは被告の上記義務が免除されたと解することはできない。香の被告に対する上記報告書の提出請求権は,3か月ごとに具体的請求権として発生し,香の死亡により本件契約が終了しても,原告らその共同相続人に不可分債権として相続されたものと解すべきである。

したがって,原告は,被告に対し,上記報告書の交付を請求できる。

6  結論

以上の次第で,原告の本訴請求のうち,委任事務処理状況の報告書の交付請求は理由があるが,その余はいずれも理由がない。

よって,主文のとおり判決する(仮執行宣言は相当ではないから付さない。)。 (裁判官 佐藤明)

別紙 任意代理権目録<省略>

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