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京都地方裁判所 平成23年(ワ)930号 判決 2011年12月06日

原告

X株式会社

被告

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告に対し、七三万五〇〇〇円及びこれに対する平成二二年八月一日より支払済みまで年五%の割合による金員を支払え。

二  仮執行宣言

第二事案の概要

本件は、生コンの製造販売を事業とする原告がその従業員である被告に対し、被告が大型ミキサー車に乗務して勤務中、運転操作を誤って、現場内施設に同車両を衝突させて損傷させたことにつき、その修理代相当額の損害賠償を不法行為(民法七〇九条)に基づき請求すると共に遅延損害金を請求する事案である。

第三前提となる事実

以下の事実は、当事者間に争いがなく、または、弁論の全趣旨若しくは後掲の関係証拠により容易に認められる。

一  当事者等

原告は、生コンの製造・販売を事業内容とする会社である。

被告は、昭和五三年二月に入社した原告の従業員である。

被告は、一九九一年二月ころから、原告で製造された生コンを原告のミキサー車で運搬する業務に従事している(被告本人)。

二  本件事故

被告は、平成二一年九月一四日、原告から被告の業務用に当てられている大型ミキサー車(以下「本件車両」という。)に乗務して勤務中、製品搬入先のaビル建築工事現場において、現場への進入時において、被告が後方の確認を十分できず、ハンドルを左に切るのが早すぎたことから、現場の鉄骨大梁に本件車両のホッパーカバーの取り付け金具を接触させ、これを損傷した。(乙二、被告本人)(以下「本件事故」という。)

原告は、本件事故による本件車両の損傷を修理し、修理代七三万五〇〇〇円を修理業者に支払った。

本件事故は、被告の過失によるものである。

第四争点及び争点に関する当事者の主張の概要

本件の争点は、(1)被告の過失行為を原因として発生した本件事故による損害の賠償を請求することは、労働契約上の信義則、労働関係上の公平の原則に照らし許されないかどうか(争点一)、(2)本件事故は被告の重過失によるかどうか(争点二)、(3)本件請求は、請求に至る経緯及び請求の動機に照らし権利濫用として許されないかどうか(争点三)であり、各争点について当事者の主張の概要は以下のとおりである。

一  争点一について

(被告)

(1) 労働者に対する損害賠償請求における判例・学説の考え方

労働契約において、労働者がその労働過程において使用者に生じた何らかの経済的損失に関わることがあったとしても、通常求められる注意義務を尽くしている限りは、労働者に過失が認められず、労働者に使用者に対する損害賠償義務は生じないことは当然のことである。

そして、判例・学説上、労働契約の解釈として、労働過程において通常発生しうる労働者サイドの過失により生じた損害については、信義則、労働関係上の公平の原則に照らし、使用者からの損害賠償請求は許されない。故意・重過失といえるほどの事情がない限り、労働者は損害賠償義務を負わないとされている。

この責任制限の法理は、①報償責任の原理、②危険責任の原理、③就業環境等の整備及び保険制度利用等による危険分散等に関する使用者の責任、④人事権の行使による対応がされるべきであること、⑤労働者の使用者との関係での相対的に劣後する立場、⑥賃金とのバランス、⑦労働者の生存権に対する配慮から認められるものであり、労働過程におけるミスについては、労働者が損害賠償責任を負うべき過失があると認められる範囲はそもそも極めて限定されており、仮に責任を負うべき重大な過失があったと認められる場合でも、その場合に労働者が損害賠償責任を負う範囲も極めて限定される(最判昭和五一年七月八日判例時報八二七号他裁判例等)。

(2) 本件において被告は、本件事故に関しては通常の過失があったに止まるのであり、本件事故により原告に生じた損害について賠償すべき責任はない。

(原告)

否認ないし争う。

被告の解釈であり、都合のよい引用、援用である。

通常過失なら損害賠償義務を負わないという道理はない。

最判昭和五一年七月八日による責任制限は、労働者の業務中の事故というだけで免責されるわけではないことはもちろん、従業員であることから不法行為の加害者であることを微塵も否定するものではなく、責任制限の理論的根拠が信義則にあることも踏まえて、具体的事例への当てはめに当たっては、個別事情を踏まえて検討する必要がある。

従業員に故意、重過失がある場合は、信義則上の責任制限は問題とならない。そして、本件の場合重過失である。仮に重過失に至らないとしても、過失の程度は著しく注意義務を欠いたものであり、負担割合を決めるとすれば、この点が必ず考慮されるべきである。

本件は、従業員が第三者に損害を与え、使用者が使用者責任に基づいて損害賠償をした場合とは異なり、従業員が直接に使用者の資産を損傷した場合である。第三者に損害を与えた場合は、従業員に故意又は重過失がなければ、使用者は支払った損害賠償金を税法上損金に計上できるが、直接に使用者に損害が生じた場合は、損害賠償請求権が従業員に対する債権となり、これは第三者に損害を与えた場合で重過失による場合と税法上同じ扱いとなる。従業員の無資力等で回収不能が明らかにならないかぎり損金処理等はできない。

被告は、原告の生コン運搬車、大型ミキサー車の運転手である。被告の業務は生コンの運搬に特化し、そのためにのみ雇用されている。そして、原告の車両であっても社員には特定の車両を担当車両として提供している。そうして原告から運転業務に専念できる環境を提供され、それに対する賃金が支払われているのであるから、注意義務とその懈怠は厳しく問われるべきである。

判例が考慮すべき事情として指摘する事項に関する本件における個別的事情として、①事業の性格及び労働者の業務内容につき、原告の事業は生コンの製造販売業であり、被告は製品の運搬のみを業務としており、注意義務が多岐にわたるということはなく、原告が提供する車両を適切に運行して生コンを建設現場等に搬入するのが被告の業務であること、②使用者の規模、施設の状況ないし労働条件につき、原告は役員を含めて正社員わずか九名の会社であり、そのうち運転手は被告を含めて本件事故当時四名(現在は三名)で、その他は日雇い運転手により人員をまかなう小規模会社であって、人員は減らしてきた状況で、本件事故のころ運転手には休養は十分あったはずであり、また、プラント施設は充実し、従業員の休憩所、組合事務所もあり、諸手当、年次有給休暇、作業着等支給など労働条件に不足はないこと、③被告の勤務態度につき、就業時間数は社員の中でも最低水準で、組合活動名目での不就業が著しく、原告から業務専念の要請を受けたことがあるほか(甲三)、生コンを道路に散逸させたまま帰社する不祥事を起こしたことがあること、④加害行為につき、著しい不注意により担当車両を損傷させたこと、⑤使用者の加害行為予防・損失分散についての配慮につき、原告は車両整備を怠っておらず、原告施設構内でも、現場でも、危険がある場所では誘導員が置かれて事故防止対策が施されており、運転手の休養には十分配慮し、対物、対人保険は加入しているが車両保険に加入していないのは、盗難等のおそれはなく、運転手のミスによる自損事故は運転手の技能により回避できることを前提としていることと保険料が高額であるという運送業界一般の実情にしたがったものであること、⑥その他の事項につき、被告は、本件事故の責任についても労働組合に隠れて労使問題にすり替えてまじめに対処しようとせず、原告に損害を与えていることの自覚がないことが挙げられる。これらの事情によると、責任制限を認める理由はない。

二  争点二について

(原告)

本件事故現場は、道路ではなく、建築現場であるからいろんな工作物が存在する。被告車両が接触したような鉄骨の梁が存在するのも現場に出入りする運転手なら承知していなくてはならない。入構時に目視して認識できるのであるから、注意するべきは当然である。「後方確認が不十分であった」というがバックしている際の事故ではない。

被告本人の詳細報告書(乙二)によっても、①進入時に現場の梁には気付いていた、②構内に入った時点で安心しきっていた、③早めにハンドルを左に切った、④後方の確認ができていなかったと認めている。つまり、車両を前進させながらのハンドル操作であって、バックする際の後方確認ができなかったというわけではないのである。接触する可能性がある梁の存在に気付いていたのだから、容易に、すなわち、車体がその梁に触れないようにハンドル操作をするだけのほんの少しの注意で接触事故を回避できたはずである。対象物は動いているものではなくて、しかも、そこに在ることを被告は認識していたのであるから、止まっている車両に衝突したにも等しい。見えにくかったとか、急にそこに現れた物という考慮事情はない。相手方の損害に対する過失割合を仮定するなら一〇〇%被告の過失と評価されるものである。それなら、車両の自損についても一〇〇%の過失であり、それは重過失と評価されて然るべきである。

(被告)

本件事故は、現場への本件車両の進入時において、被告が後方の確認が不十分であったために、ハンドルを左に切るのが早すぎたことから、現場の鉄骨大梁にホッパーカバーの取り付け金具を接触させてしまったものである。

本件車両のような大型車両の運転においては、十分に上方や後方の状況を確認しながら運転すべきであったのであり、被告に過失が認められる。しかしながら、かかる注意義務違反は重過失と評価されるものではない。

三  争点三について

(被告)

(1) 本件事故が発生したのは、平成二一年九月一四日であり、同年一〇月一七日には、車両の修理も完了し、損害額も確定している。被告は、同年九月一六日に本件事故についての始末書(乙一)と報告書(乙二)を原告に提出し、原告は受領した。

(2) その後、本件事故について、原告は被告に対して何らの請求や処分をしなかった。

(3) ところが、原告は、平成二二年七月一二日になって突然被告に請求書(乙三)を手渡した。

(4) 同年二月三日、被告が所属する組合は、原告に対し、労働者供給事業の組合間差別に対する損害賠償請求を京都地裁に提訴し、同訴訟につき、同年五月七日に第一回弁論期日、同年七月二日に第二回弁論期日が行われた。第三回期日は八月二〇日に予定され、双方から人証申請がなされる予定であった。

(5) 原告の被告に対する請求は、まさに同訴訟に対する逆恨みとしてなされたきわめて恣意的なものである。同訴訟は、平成二三年一月三一日に判決となり、その内容は、原告に対して一五〇万円の支払いを命ずるものであったが、原告は控訴した。

(6) そもそも、本件事故による車両の修理費は、原告が負担するものとしてすでに処理済みであった。原告において、同様の事故はこれまでも多数起きているが、いままで従業員に対してその損害を請求したことはなかった。

(7) 以上によれば、原告に仮に請求権があったとしても、本件請求は、権利濫用として許されない。

(原告)

(1) 認める。

(2) 否認する。具体的金額の請求をしていないだけである。

(3) 突然を除いて認める。

(4) 認める。

(5) 判決日と主文内容は認めるが、その余は否認する。

(6) 否認する。本件事故による修理費を原告が負担するものとして処理済みという事実はない。

(7) 争う。

第五裁判所の判断

一  争点一及び二について

(1)  従業員の業務上の過失行為により使用者に損害が発生した場合の使用者から従業員に対する損害賠償請求に関しての責任制限の根拠及び考慮事項について

従業員の業務上の過失行為により使用者に損害が発生した場合(第三者に損害が発生して使用者が民法七一五条による責任に基づき損害を賠償した場合と、直接使用者に損害が発生した場合を含む。)の使用者から従業員に対する求償権行使ないし損害賠償請求に関しては、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散について使用者の配慮の程度そのほか諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対して請求することができると解される(最高裁第一小法廷判決昭和五一年七月八日、民集三〇巻七号六八九頁)。

(2)  本件事故における被告の過失の内容ないし程度について

ア 本件事故の態様

関係証拠(乙一二から一四まで、被告本人)によると以下の事実が認められる。

本件事故は、被告が本件車両を運転し、建設中のビルの構内に入り、建設中のビル構内において生コンを下ろそうとし、別紙見取図一及び二(乙一二、一三)記載のとおり、ビル構内に南側西寄りの開口部から進入し、一度右にハンドルを切った後左にハンドルを切り、弧を描いて本件車両の前方を西に向けた状態でビル構内の北西の隅付近に一度停止し、そこから後退して、ビル構内の北東部分に生コンを下ろす作業を行おうとした。開口部のほぼ上方の空中に左右から鉄骨の梁が出ており、その下部の高さは本件車両の上部構造の最も高い部分よりいくらか低くなっていた。本件車両の車幅は二mであり、梁の途切れている部分の幅は、本件車両の車幅と同程度かそれよりやや広い程度であった。本件車両の上部構造で梁と接触する高さにある部分と左右の梁との余裕は、梁の途切れている部分の中央を本件車両が通行した状態でも数十センチ程度であった。

被告は、本件事故に際して、上記ビル構内に進入する際、上記の梁が本件車両の上部構造と接触しうる高さにあることを認識して、それと接触をしないように考えながら、進行したが、開口部に本件車両の前方が入った後、ふり返るなどして、運転席より後部にある本件車両の上部構造が左右の梁と接触せずに通過したことを目視して確認することなどはせず、日測で右へハンドルを切り進路を右に向けたため、予定の進路よりやや早めに右に進路が向いて、左右の梁の間を通過していなかった本件車両後部の上部構造の最も後方部分の右側部分が右側の梁と接触して損傷した。その際、誘導員は付されていなかった。

イ 本件事故における被告の過失について

上記認定にかかる本件事故現場の状況によると、本件車両と上記の梁との間隔は狭く、本件車両の上部構造を上記の梁に接触させずに、安全に構内に入るためには、非常に低速で小刻みに停止しながら、運転席右側窓から顔を出して後方を目視することを繰り返し行い、車体と梁との間隔が保たれていること及び梁の間の部分を通過したことを現に確認しながら進行すべきであったと言える。

そのような方法を採らずに、目測と勘だけで、梁の間を通過したと判断し、右へのハンドルを早く切りすぎて本件車両の一部を梁に接触させた被告の過失は、このような狭い場所での生コン車の運行も通常の業務の一部とする被告にとっては、明らかに過失であり、その程度も軽微とはいえない。ただし、接触か所が本件車両の最後部付近であり、右にハンドルを切るのが早すぎたそのタイミングのズレはわずかであったといえること、接触しない進路とのずれた幅は数十センチ程度に止まることを考慮すると、故意に準ずる重大な過失と評価できないことは明らかであり、著しい過失とも言えず、むしろ、過失の注意義務違反の程度としては、通常の過失であり、どちらかというと比較的小さいと言える。

なお、誘導員の誘導を受けながら進行した方が望ましい状況であったと考えられるが、被告が誘導員をその場で求めて、容易に得られる状況はなかったと認められる(被告本人調書九七項)。

(3)  本件事故に関する付随事情について

ア 原告の事業の性格及び事業規模等

弁論の全趣旨によると、原告の事業は生コンの製造・販売というやや専門性を有するものであり、事業規模は小規模であると認められる。

イ 被告の業務の内容

被告の業務の内容は、生コン運搬のミキサー車の運転手であり、被告は、この業務を本件事故時までに一八年間従事していた。

ウ 労働条件

被告の労働条件として特筆すべき点は、証拠上特に認められない。

エ 被告の勤務態度及び勤務成績

原告は、被告は、休みが多く、生コンを道路に散逸させたまま帰社する不祥事を起こしたとして、被告の勤務態度及び勤務成績に問題があるかの主張をするが、証拠上、無断欠勤等勤務態度や勤務成績において否定的な評価をすることができるほど欠勤が多いとは認められず、また、原告が指摘する不祥事というのは証拠上、被告の過失によるものとは認められず、むしろ、一八年間の長きにわたり大過なく勤務しているのであり、被告の勤務態度及び勤務成績は、通常程度を下回るとする根拠はなく、むしろ基本的には良好と評価すべきである。

オ 加害行為の予防若しくは損失の分散について使用者の配慮の程度

本件事故の際、現場の状況からすると誘導員が配置されることが望ましかったというべきであるが、その配慮は原告によってされていなかった。

原告は、車両保険については、経費負担の観点から加入せず、本件事故による損失を填補するために保険制度を利用できなかった。

カ その他の事情

原告において、ミキサー車運転手をしていた他の従業員らにおいて、本件事故以前に過失による事故を起こし、原告の損害を与えた事例は数件あったが、いずれについても、原告はその従業員に対し損害の賠償を請求したことはなかった(弁論の全趣旨、被告本人)。

(4)  検討

上記認定のとおり本件事故における被告の過失は、重過失ではなく、通常の過失に止まり、その過失の程度は比較的小さかったというべきであることに、上記(3)のアからカ記載の事情を併せて、総合して考慮すると、本件事故による本件車両の修理費に相当する損害について、原告が被告に賠償を請求することは、労働契約関係当事者間における信義則上許されないと言うべきである。

二  結論

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、本件請求には理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 栁本つとむ)

別紙<省略>

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