京都地方裁判所 平成25年(ワ)579号 判決 2013年10月29日
原告
X
同訴訟代理人弁護士
村井潤
被告
Y
同訴訟代理人弁護士
若宮隆幸
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は、原告に対し、400万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(平成25年3月16日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は、原告が確定申告書の作成・提出などを依頼していた税理士である被告が、被告が代表役員を務める税理士法人に対する弁護士法23条の2に基づく照会に応じて、同税理士法人をして、原告の承諾を得ないまま原告の確定申告書控えなどを開示させたことがプライバシー権を侵害する不法行為であるなどと主張して、原告が被告に対し、民法709条に基づき慰謝料400万円の賠償を求める事案である。
1 争いのない事実等
(1) 当事者
原告は、従前、「a工務店」の屋号で建築工事の請負を業としていた者であり、平成15年分から平成21年分まで、被告に所得税の確定申告を依頼していた。
被告は税理士であり、平成21年7月1日にb税理士法人(以下「訴外税理士法人」という。)を設立し、その代表社員に就任した(甲5)。なお、被告は、長年、訴外株式会社c(以下「c社」という。)の顧問税理士を務めている。
(2) 別件訴訟
c社は、同社の前代表取締役であった訴外A(原告の母。以下「A」という。)に対し、同人が代表取締役に在任中に取締役としての善管注意義務ないし忠実義務に違反してc社に損害を生じさせたなどと主張して、京都地方裁判所に対し損害賠償請求訴訟を提起した(以下「別件訴訟」という。)。
京都地方裁判所は、平成24年11月29日、別件訴訟につきc社の請求をいずれも棄却するとの判決を言い渡した(甲10)。
c社は、同判決を不服として、大阪高等裁判所に控訴した。
(3) 弁護士法23条の2に基づく照会の申出
別件訴訟におけるc社の訴訟代理人であるB(以下「B弁護士」という。)は、別件訴訟控訴審係属中である平成24年12月27日付けで、京都弁護士会に対し、訴外税理士法人を照会先として、別紙記載の「申出の理由」を付して、次の照会事項(以下、照会事項の番号ごとに「照会事項1」などという。)について回答を求めるため、弁護士法23条の2に基づく照会の申出をした(甲1。以下「本件照会」という。)。
「X氏(原告)に関し、下記の点についてご回答ください。
記
1 訴外税理士法人(同法人の所属税理士)において、原告の確定申告を行った、あるいは、関与されたことはありますか。
2 上記1において、あるという場合、その期間は、いつからいつまでですか(平成○年から平成○年まで等)。
3 上記1において、あるという場合、確定申告を行った、あるいは関与された原告の確定申告書及び総勘定元帳の写しを回答書に添付願います(大量にある場合は直近10年分で結構です)。」
(4) 本件照会に対する被告の回答
本件照会を受けた訴外税理士法人は、平成25年1月8日付けで京都弁護士会に対し、①照会事項1につき、原告の確定申告を行っていたこと、②同2につき、その期間は平成15年から平成21年までであることを回答した上で、③同3につき、上記②の期間の確定申告書及び総勘定元帳の各写し(平成21年分の総勘定元帳の写しを除く。)をCD-Rで提供した(甲2。以下、上記①ないし③の回答を併せて「本件回答」という。)。
なお、訴外税理士法人から提供された原告の平成21年分確定申告書(控え)に添付された青色申告決算書における「本年中における特殊事情」の欄には、「平成21年に関しては、体調不良(腰痛)のため就労することが出来なかった」との記載がある(甲4)。
(5) 別件訴訟における本件回答の証拠提出
B弁護士は、別件訴訟の控訴審において、本件回答で得られた原告の平成20年分及び21年分の各確定申告書(控え)を書証として提出した。
2 原告の主張
(1) プライバシー侵害の不法行為
被告は、予めc社に対して原告の申告書の記載内容を漏泄した上で、被告が代表社員を務める訴外税理士法人をして、原告が何らの承諾もしていないのに、平成25年1月8日付け書面で、本件照会への回答として、原告の平成20年分、平成21年分の確定申告書の控えをc社に開示させた(以下、被告によるもしくは被告が訴外税理士法人をして、本件照会への回答として原告の確定申告書控え等を開示したことを「本件開示行為」という。)。
確定申告書の内容は、個人の営業活動の秘密に属することを多く含み、また、財産権のみならず家族関係の秘密をも含むものである。すなわち、確定申告書の内容は、個人のプライバシー権の中核をなすものである。
したがって、被告の本件開示行為は、プライバシー権侵害の不法行為を構成する。
(2) 開示の正当事由がないこと
税理士法38条は、「税理士は、正当な理由がなくて、税理士業務に関して知り得た秘密を他に漏らし」てはならない旨を規定する。
この点、本件回答は、B弁護士による弁護士法23条の2に基づく照会(本件照会)に答える形をとっている。しかし、c社も、c社代理人であるB弁護士も、被告が、原告の各年の確定申告書の記載内容について、予め秘密を漏示し情報提供をしていなければ、本件照会の手続をとることはあり得ないのである。本件回答の本質は、c社の顧問税理士である被告が、別件訴訟を少しでも有利に運ぼうと、B弁護士に提案してされた秘密漏洩であり、23条照会手続は、被告が保持する原告の秘密を原告の承諾なく法廷に証拠提出すべく、正当事由を仮装するためにとられたテクニックにすぎない。
(3) 個人情報保護法違反
個人情報の保護に関する法律(以下「個人情報保護法」という。)は、「個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきもの」(3条)とうたっている。その上で、個人情報取扱事業者に対して、個人情報の利用目的を特定すべきことを定め(15条)、また、「あらかじめ本人の同意を得ないで」個人情報の目的外使用をしてはならないと定めている(16条)。さらに、第三者への情報提供には厳しい制約を課している(23条)。
この点、個人情報保護法23条1項1号は、「法令に基づく場合」に本人の同意を得ない第三者への個人情報の提供を許容している。しかし、23条照会については、これによったからといって、すべての場合に「法令に基づく場合」として免責されるわけではなく、23条照会を受けた者は、照会の趣旨を十分吟味し、回答を行うに当たっての弊害に十分配慮しなければならない。
したがって、被告の本件開示行為は、個人情報保護法にも違反する違法なものである。
(4) 申告書の事実に反する記載内容
開示された申告書の記載内容も、事実に反する記載がされている。
すなわち、原告の平成21年分確定申告書(甲4)の本年中における特殊事項欄に、「平成21年に関しては、体調不良(腰痛)のため就労することが出来なかった」との記載(以下「本件記載」という。)があるが、このような事実はない。被告は、独断で、原告の一身上の事柄について、上記のような事実に反する記載をしている。このことは、被告による開示行為の違法性を増加させる要素である。
(5) 損害
被告の違法行為により原告の被った精神的苦痛は、少なくみても400万円を下らない。
3 被告の主張
(1) 開示行為に正当理由があること
被告が、平成25年1月8日付け書面によって原告の確定申告書等を開示した行為(以下「本件開示行為」という。)は、23条照会に応じて行われたものである。そして、23条照会を受けた照会先には、法律上報告義務があると解されている。
また、税理士法基本通達38-1は、「法38条に規定する『正当な理由』とは、本人の許諾又は法令に基づく義務があることをいうものとする」としている。
したがって、本件開示行為は、形式的には税理士業務に関して知り得た秘密を開示する行為ではあるものの、税理士法38条にいう「正当な理由」が存在しており、不法行為を構成しない。
この点、原告は、予め被告がB弁護士に秘密を漏示していなければ、同弁護士は23条照会の手続をとり得なかったなどと主張するが、そのような事実は一切ない。
(2) 個人情報保護法との関係
そもそも、個人情報保護法が目的外使用を禁止し、第三者への情報提供を制限している対象は、個人情報取扱事業者であるところ、「その取り扱う個人情報の量及び利用方法からみて個人の権利利益を害するおそれが少ないものとして政令で定める者」は個人情報取扱事業者から除外されている(2条3項5号)。そして、上記の「政令で定める者」は、個人情報を取り扱う個人の数の合計が過去6月以内のいずれの日においても5000を超えない者とされている(同法施行令2条)。
この点、訴外税理士法人が個人情報を取り扱う個人の数の合計は5000を超えておらず、被告は個人情報取扱事業者に該当しないから、原告の主張は、法適用の前提を欠くものとしてそもそも失当である。
なお、同法の趣旨に照らせば、個人情報取扱事業者に該当しない場合であっても、みだりに個人情報を開示すれば、プライバシー侵害などにより違法とされることもあると考えられるが、そもそも、23条照会は、個人情報保護法16条3項1号及び23条1項1号の「法令に基づく場合」に該当し、個人情報の目的外使用の禁止及び第三者提供の禁止の例外となっている。このことは、政府の「個人情報保護関係省庁連絡会議」で確認され(乙8)、法務省その他の各省庁が定めるガイドラインでも明記されている(乙9)。
したがって、本件開示行為は、個人情報保護法23条1項1号にいう「法令に基づく場合」に該当し、同法に違反しないことが明らかである。
(3) 確定申告書の記載内容について
原告の平成21年分確定申告書における本件記載については、被告が原告又は被告の妻から聞き取った内容を記載したものであって、独断で記載したものではないし、何ら事実に反してはいない。本件記載中の「就労」というのは、あくまで原告が営む事業(a工務店)に関して業務に従事することができなかったことを指すものである。実際に、平成21年分の確定申告書では、事業収入はゼロ、計上されている費用(軽費)も減価償却費と雑費のみとなっており、ほとんどa工務店としての事業は行われていなかったことが分かる。
4 争点
本件の争点は、被告の本件開示行為が不法行為を構成するか否かである。
第3当裁判所の判断
1 本件開示行為が原告のプライバシーを侵害する不法行為を構成するか
(1) 弁護士法23条の2に基づく照会の趣旨等
弁護士法23条の2に基づく照会(以下「23条照会」という。)の制度は、弁護士が、基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とすること(弁護士法1条)に鑑み、弁護士が受任している事件を処理するために必要な事実の調査及び証拠の収集を容易にし、これにより受任事件の適正な解決に資することを目的として設けられた制度である。
そして、同法23条の2第1項は、制度の適正な運用を確保する観点から、照会する権限を弁護士会に付与し、23条照会の申出を個々の弁護士に係らせつつ、「申出があった場合において、当該弁護士会は、その申出が適当でないと認めるときは、これを拒絶することができる」として、個々の申出が23条照会制度の趣旨に照らして適切であるか否かの判断を当該弁護士会の自律的判断に委ねるという二段階の構造をとっている。
以上の23条照会の制度趣旨に照らせば、23条照会を受けた者は、照会の申出が権利の濫用にあたるなどの特段の事情のない限り、報告を求められた事項について、照会をした弁護士会に対して報告をする法律上の義務を負い、当該報告をしたことについて不法行為責任を免れるものと解するのが相当である。
(2) なお、本件のように、照会事項が、照会を受けた者が扱う第三者(個人)の税務申告に関する情報などのプライバシーに関わる情報の報告を求めるものであって、照会を受けた者がみだりに開示してはならない義務を負っている場合には、23条照会に基づく報告義務との関係をいかに考えるべきかという問題が生ずる。
しかし、前述した23条照会の制度趣旨に照らせば、照会を受けた者は、照会事項が個人情報に該当するようなものであっても、その情報に係る本人の同意の有無にかかわらず、当該照会に対する報告義務を負うものと解するのが相当である。
なぜなら、前述したとおり、23条照会制度は、弁護士の職務の公益性を踏まえ、弁護士が受任している事件を処理するために必要な事実の調査及び証拠の収集を容易にし、これにより受任事件の適正な解決、ひいては我が国の司法制度の円滑な運用に資することを目的として設けられたものであるところ、照会を受けた弁護士会が、その制度趣旨を踏まえて、当該申出を適正であると判断して照会を求めたにもかかわらず、照会を受けた者が、個人情報であるとの理由で報告を拒否することができるとすれば、弁護士法23条の2の趣旨が没却され、弁護士は受任した事件について必要な事実関係の解明をすることが困難となり、ひいては我が国の司法制度の円滑な運営にも支障を来すことになりかねないからである。なお、個人情報保護法23条1項1号は、「法令に基づく場合」には、個人情報取扱事業者が、本人の同意を得ないで個人情報を第三者に提供することを許容しており、23条照会に対する回答は、まさにこの「法令に基づく場合」に当たると解されるところ(後記3参照)、同規定の存在も、前述した報告義務を裏付けるものと考えられる。
(3) 以上を本件についてみると、本件照会については、「申出の理由」の内容や本件に現れた一切の事情に照らしても、申立権の濫用にあたるなどの特段の事情は認められないから、本件照会を受けた訴外税理士法人は、当該照会に応じる法律上の義務を負う。
したがって、訴外税理士法人による本件回答ないし被告がした本件開示行為については、原告の同意を得ないでされたものであっても、プライバシー権侵害の不法行為を構成しないものというべきである。
(4) この点、原告は、別件訴訟におけるc社代理人のB弁護士は、被告からの事前の秘密漏示がなければ、本件照会をなし得なかったはずであり、本件開示行為は、c社の顧問税理士である被告が、別件訴訟を少しでも有利に運ぼうとして、B弁護士に提案してされた秘密漏洩であり、正当事由を仮装するために23条照会を利用したにすぎない旨主張する。
しかし、被告からB弁護士への事前の秘密漏示があったことを認めるに足りる証拠はない。
また、証拠(甲1、10、34)によれば、別件訴訟において、平成21年当時のc社における原告の就労実態の有無が争点の一つとなり、c社側は、当時原告が体調を崩して休んでいた旨を主張をして、原告の就労実態がないとして争っていたことが認められるところ、当時原告が体調を崩していたのであれば、原告がc社における勤務と併せて当時営んでいたa工務店の事業収入にも変動が生じていると考えて、上記争点の立証方法として、当時の原告の事業収入等を証する資料である確定申告書の提出を求めることは、弁護士であれば十分に考えが及ぶ事柄であって、被告から事前に情報を入手しなければ行い得ないことではないといわざるを得ない。
したがって、原告の上記主張は採用できない。
2 税理士法38条との関係
税理士法38条は、「税理士は、正当な理由がなくて、税理士業務に関して知り得た秘密を他に漏らし」てはならない旨を規定し、税理士法基本通達38-1は、「法38条に規定する『正当な理由』とは、本人の許諾又は法令に基づく義務があることをいうものとする」としている(乙1)。
そして、前述した23条照会の趣旨及び回答の性質に照らせば、23条照会に対する回答は、「法令に基づく義務がある」場合に該当し、税理士法38条の「正当な理由」があるものと解するのが相当である。
したがって、被告のした本件回答には「正当な理由」があるから、同法38条に反する旨の原告の主張は採用できない。
3 個人情報保護法との関係
個人情報保護法16条及び23条は、原則として予め本人の同意を得ずに、個人情報の目的外使用や第三者へ提供することを禁じているが、「法令に基づく場合」には、例外として本人の同意を得ない個人情報の目的外利用や第三者への提供を許容している(同法16条3項1号、23条1項1号)。
そして、前述した23条照会の趣旨及び回答の性質に照らせば、23条照会に対する回答は、上記の「法令に基づく場合」に該当するものと解される(乙8、乙9参照)。
したがって、訴外税理士法人が同法2条の定める「個人情報取扱事業者」に当たるか否かにかかわらず、被告のした本件開示行為が個人情報保護法に違反する旨の原告の主張は理由がない。
4 なお、原告は、平成21年分の確定申告書の本件記載について事実に反する旨指摘するが、原告はこの点について、開示行為の違法性を増加させる要素として主張しているにすぎないから(平成25年5月15日付け原告準備書面(1))、本件開示行為自体が違法でないという前記の説示を踏まえると、原告の主張はその前提を欠くものとして失当といわざるを得ない。また、そもそも原告から税務申告を依頼された被告が、原告の同意なく、事実に反する記載をすべき事情は何ら認められないから、この点においても原告の主張は失当である。
第4結論
以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 川淵健司)
【別紙】申出の理由<省略>