京都地方裁判所 平成25年(ワ)774号 判決 2013年9月24日
原告
X
被告
医療法人Y
同代表者理事長
A
同訴訟代理人弁護士
村田敏行
同
荒牧潤一
主文
1 被告は、原告に対し、15万円及びこれに対する平成25年3月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを4分し、その3を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
4 この判決は、1項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、58万0414円及びこれに対する平成25年3月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2事案の概要等
1 事案の要旨
本件は、被告が開設する病院において看護師として勤務していた原告が、平成22年9月4日から同年12月3日まで育児休暇を取得したところ、被告が、原告の3か月間の不就労を理由として、平成23年度の職能給を昇給させず、そのため昇格試験を受験する機会も与えなかったことについて、この行為は、育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(以下「育児介護休業法」という。)10条に定める不利益取扱いに該当し公序良俗(民法90条)に反する違法行為であると主張して、被告に対し、不法行為に基づき、昇給・昇格していた場合の給与及び退職金と実際のそれとの差額に相当する損害の賠償並びに慰謝料30万円の支払を求める事案である。
附帯請求は、前記損害賠償金に対する前記不法行為による各損害発生日より後である訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金請求である。
2 前提事実(末尾に証拠を掲げた事実以外は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
被告は、病院、診療所、介護老人保健施設を経営し、看護、介護及び医療等の普及を目的とする医療法人であり、医療法人Y・a病院(以下「被告病院」という。)、医療法人Y・b介護老人保健施設などを開設している。
原告は、平成10年4月、短時間労働者として被告に採用され、平成15年4月から平成25年1月31日まで、被告病院において看護師として勤務した者である。
(2) 賃金に関する被告の定め
被告は、被告病院の従業員に対して支払う賃金について、就業規則(書証<省略>)、就業規則に添付された賃金規定(書証<省略>。以下「賃金規定」という。)、就業規則に添付された育児・介護休業等に関する規定(平成22年10月1日施行。書証<省略>。以下「育児介護休業規定」という。)等で定めているところ、その内容はおおむね次のとおりである。
ア 賃金は基本給及び手当に分けて支給する(賃金規定3条)。
イ 基本給は、就業に対し、資格、経験、年齢その他により、職種別賃金体系による(同4条)。
ウ 基本給は、本人給、職務給、職能給から構成される。
本人給は、従業員の年齢によって変動する給与をいう。20歳の本人給は月額8万5000円であり、20歳から35歳までは毎年1000円ずつ、36歳から45歳までは毎年500円ずつ上昇する。
職務給は、職種ごとに定められた給与をいい、職種によって一定額である。看護師の職務給は、月額6万6000円である(弁論の全趣旨)。
職能給は、経験年数と能力により定まる等級・号俸によって変動する給与をいう。等級が上がることを昇格、号俸が上がることを昇給という。
原告を含む一般職員の等級は、下からJ1、J2、J3、S4、S5、S6がある。
(書証<省略>)
エ 定期昇給は、毎年1回、4月度の賃金から行う(賃金規定6条本文)。
定期昇給は、前年度における私傷病による欠勤が1か月半以上3か月未満の場合は、通常の半額の昇給とし、3か月以上の場合は行わない(同7条)。
育児休業中は、本人給のみの昇給とする(育児介護休業規定9条3項)。
(3) 人事評価に関する被告の定め
被告は、人材育成評価システムマニュアル(書証<省略>)及び評価処遇の運用規定(書証<省略>)により、被告病院における人事評価制度について定めており、当該人事評価制度と前記(2)記載の賃金制度とが密接に結び付いている。
すなわち、被告病院における人事評価は、毎年度行われ、当該従業員の勤務成績が特に優秀である場合はS、優秀である場合はA、良好である場合はB、やや良くない場合はC、良くない場合はDの5段階で評価される。そして、前年度の評価がB以上であれば、当年度の4月度給与から職能給が昇給される(なお、本人給は、前記(2)ウ記載のとおり、従業員の年齢に伴って無条件に昇給する。)。また、A以上の評価を別紙<省略>職能給職種別運用表の「特進」欄記載の年数継続して取得するか、B以上の評価を取得した年数が、同「標準」欄記載の年数(以下「標準年数」という。)に至ると、その翌年度から次の等級に昇格する資格が与えられる(ただし、S4からS5、S5からS6へ昇格するためには、それぞれ小論文及び面接による昇格試験に合格する必要がある(書証<省略>)。)。当時S4であった原告がS5に昇格するための標準年数は、別紙<省略>職能給職種別運用表記載のとおり、4年である。
なお、人材育成評価システムマニュアルには、育児休業、長期の療養休暇又は休職により、評価期間中における勤務期間が3月に満たない場合は、評価不能として取り扱う旨の定めがある(書証<省略>)。
(4) 退職金に関する被告の定め
被告は、退職金について、就業規則添付の退職金規定(書証<省略>。以下「退職金規定」という。)を定めているところ、その内容はおおむね以下のとおりである。
ア 従業員が、在職3年以上で退職した場合には、退職金を支払う(退職金規定1条)。
イ 在職30年未満の従業員に対する退職金は、職種別基礎額に勤続係数、等級係数、退職事由係数及び勤続月数を乗じて算出した額とする。原告の職種別基礎額は1万5000円(看護師)、勤続係数は0.7(9年)、退職事由係数は0.9(自己都合・勤続年数3年から10年)、勤続月数は118である。また、S4に対応する等級係数は1、S5に対応する等級係数は1.1である。(書証<省略>)
(5) 原告の育児休業の取得及び給与額の変化
ア 原告は、平成20年度に等級S4に昇格した。
イ 原告は、平成22年9月4日から同年12月3日まで、育児休業を取得した。なお、原告の同年度の等級・号俸はS4―9であった。
ウ 原告は、平成23年4月1日付けの定期昇給において、本人給については昇給したものの、職能給については昇給せず、その等級・号俸はS4―9のままであった。
被告は、平成23年度、原告に対し、本人給10万2500円、職務給6万6000円及び職能給5万0400円の合計21万8900円の基本給を前提として、各月の給与及び賞与合計376万8900円を支払った。
エ 原告は、平成22年度の不就労期間が3か月間以上に及んだため、当該年度が昇格試験受験に必要な標準年数に算入されず、その結果、未だ標準年数である4年を経過しておらず、受験資格がないという理由で、平成24年度にS5に昇格するための試験を受験することができなかった。
オ 原告は、平成24年4月1日付けの定期昇給において、本人給及び職能給の昇給を受け、等級・号俸はS4―10となった。
被告は、平成24年度、原告に対し、本人給10万3000円、職務給6万6000円及び職能給5万3200円の合計22万2200円の基本給を前提として、各月の給与及び賞与合計328万8560円を支払った。
(6) 原告の退職及び退職金の支払
原告は、平成25年1月31日付けで、被告を自己都合で退職した(書証<省略>)。
被告は、同年2月7日頃、原告に対し、退職金として111万5156円(加算給を除く。)を支払った(書証<省略>)。
3 争点及び争点に関する当事者の主張
(1) 被告が原告を昇給させなかったことの適否
(原告の主張)
ア 原告は、平成22年度に3か月間の育児休業を取得したが、その余の9か月間は就労した。また、同年度末に上司と面接をし、その際、前年度と比べて伸びた点と努力を要する点などについて話し合い、その結果、BBの評価を得ている(書証<省略>)。したがって、原告の平成23年度の等級・号俸は、S4―9からS4―10に昇給されるべきであった。
イ また、被告は、原告が平成22年度に3か月間の育児休業を取得したことから、当該年度は評価の対象外であり、そのため昇給しなかったと主張する。しかし、人材育成評価システムマニュアルには、勤務期間が2月に満たない職員については評価不能として取り扱うと記載されているのみで(書証<省略>)、3か月間の育児休業を取得したときは評価不能であるとは記載されていない。
この点について、被告は、育児介護休業規定において「昇給については、育児休業中は本人給のみの昇給とします。」と定められていることを根拠に、育児休業を取得した年度の翌年度は職能給の昇給がない旨主張するが、前記文言からすれば、4月度の定期昇給時期に育児休業中であった場合には職能給の昇給がない旨を定めた規定であると解すべきである。なお、原告は、平成23年4月度には育児休業を終え復職していた。
ウ 仮に、前記育児介護休業規定を原告の主張するとおり解釈すべきものであるとしても、そのような取扱いは、3か月間育児休業を取得したにすぎない従業員を、育児休業取得年度1年間勤務していないのと同様に取り扱うものであって、被告の従業員をして育児休業の取得を躊躇させるものであるから、育児休業取得者に対する不利益取扱いを禁じた育児介護休業法10条に反し、違法である。
(被告の主張)
ア 育児介護休業規定によれば、育児休業取得者については、育児休業取得年度の翌年度の定期昇給において、本人給のみの昇給を行い、職能給の昇給は行わないものと定められている。被告は、その就業規則において、従来から私傷病による休業が3か月以上に及ぶ者に対しては昇給を行わない旨定めていたところ、育児・介護休業の法制度化に伴い、平成8年4月、就業規則中に育児休業規定(書証<省略>)を定め、育児休業については私傷病休業と同様に取り扱うこととして、その4条3項において、「昇給は行わない。」と規定した。被告は、平成22年10月、育児休業規定と介護休業規定を一本化して育児介護休業規定を定め、その9条3項において、「昇給については、育児休業中は本人給のみの昇給とします。」と規定したところ、その意味するところに変更はなく、私傷病休業同様、育児休業取得年度の翌年度については職能給の昇給を行わないという趣旨である。そして、それは同時に3か月間の育児休業を取得した年度は、人事評価の対象外であることを意味する。なお、被告が、平成22年度、原告に対して人事評価を実施し、総合評価BBと記載された評価書(書証<省略>)を原告に交付したことは認めるが、これは、評価対象外の者を除外することを失念した事務手続上の誤りによるものである。
イ 育児介護休業法10条は、育児休業を取得した者に対する「不利益な取扱い」を禁止しているところ、育児休業を取得しなかった場合と同一の取扱いを要求するものではないのであるから、当該取扱いが「不利益な取扱い」に該当するか否かは、休業に関する他の制度と比較して判断する必要がある。
被告は、育児介護休業法制定以前から、前記のとおり、3か月間以上の私傷病休業を取得した年度の翌年度は職能給の昇給をしないこととしている。そして、職能給は、経験と能力を評価して定めるものであるから、経験や能力の向上の程度について差がない育児休業と私傷病による休業とを同様に取り扱っても、不利益な取扱いとはいえない。
また、子の養育又は家族の介護を行い、又は行うこととなる労働者の職業生活と家庭生活との両立が図られるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針(平成21年厚生労働省告示第509号)は、「解雇その他不利益な取扱い」の例示として、「昇進・昇格の人事考課において不利益な評価を行うこと」を挙げ、更にその例示として、「育児休業した労働者について、休業期間を超える一定期間昇進・昇格の選考対象としない人事評価制度とすること」を挙げているところ、被告が、前記のとおり長年私傷病休業を3か月間取得すると翌年度の職能給の昇給を行わない運用をしてきたこと、労働協約においても育児休業取得年度の翌年度は職能給の昇給を行わない旨定められていること、被告病院が、実際の業務に従事することによる日々の研さんを重視していること、本人給の昇給は対象外とされていないことに照らせば、育児介護休業規定9条3項及びこれに基づく取扱いは合理的であるというべきである。なお、等級・号俸を設けている被告の賃金制度の下では、前年度の勤務月数に応じた一部の昇給などは困難である。
したがって、育児介護休業法10条違反はない。
ウ 人事評価制度が公序良俗に反し違法となるのは、当該制度が、法律上の権利を行使したことにより経済的利益を得られないこととすることによって、権利の行使を抑制し、ひいては前記各法が労働者に各権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められるときである。
これを本件についてみると、被告は、能力向上の観点から現場経験を重視し、私傷病による休業や育児休業など3か月間以上の休業を取得した場合には能力向上を期待できないことから、そのような休業取得年度は人事評価の対象外とし、その翌年度は職能給の昇給をしないこととしているものの、遅刻、早退、年次有給休暇、生理休暇、慶弔休暇、労働災害による休業、通院、同盟罷業による不就労、協定された組合活動離席などは、前記3か月間の不就労期間には算入していない。また、どのような者をどのような場合に昇給させるかという問題は、企業の人事政策であって、よほど限度を逸した場合は別として、本件のように翌年度の昇給が制限されるにすぎない場合に違法となるものではない。むしろ、被告の制度は、多数の従業員の理解に支えられた合理的な制度であるというべきである。
したがって、被告が原告を昇給させなかったことが公序良俗に反し違法であるということはできない。
(2) 被告が原告に昇格試験を受験させなかったことの適否
(原告の主張)
原告は、前記のとおり、平成22年度の人事評価においてBBの評価を受けており、平成23年度の末日をもってS4に昇格してから標準年数4年を人事評価B以上で経過したから、平成24年度にS5に昇格するための昇格試験を受験する資格があった。それにもかかわらず、被告は、原告に昇格試験を受験させず、昇格の機会を与えなかった。この取扱いは、人材育成評価システムマニュアルの内容に反し違法であり、また、就業規則上育児休業取得年度を標準年数に算入しない旨の定めがあるとしても、そのような取扱いは、前記(1)(原告の主張)イ及びウで主張したのと同様に違法である。
(被告の主張)
被告は、原告に対する平成22年度の人事評価を評価対象外として行っておらず、当該年度は原告の標準年数として算入されないから、平成24年度の昇格試験の受験資格はなかった。また、昇格に関する被告の取扱いが、育児介護休業法10条ないし公序良俗に反せず適法であることは、前記(1)(被告の主張)イ及びウ記載のとおりである。
(3) 因果関係
(原告の主張)
ア 原告は、平成23年度、前記(1)(原告の主張)記載のとおりの被告の不法行為により、後記(4)(原告の主張)ア記載のとおりの経済的損害を被った。
イ また、原告は、平成24年度、前記(2)(原告の主張)記載のとおり、被告の不法行為により昇格試験を受験することができなかったところ、仮に原告が昇格試験を受験していれば、S5に昇格する可能性が高かった。したがって、後記(4)(原告の主張)イ及びウ記載の損害についても、被告の不法行為により生じた損害である。
ウ さらに、原告は、前記(1)及び(2)各(原告の主張)記載のとおりの被告の不法行為により、後記(4)(原告の主張)エ記載のとおり、精神的損害を受けた。
(被告の主張)
ア 前記(原告の主張)ア及びウについては争う。
イ 被告の賃金制度において、S4からS5に昇格するための要件は、①総合評価B以上の評価を標準年数の期間受け続けること、②所属上長の推薦があること、③昇格試験に合格することである。
②については、上長は、標準年数を経過した者については推薦するのが通常である。もっとも、③について、昇格試験は、小論文を審査するものであるところ、単なる知識量のみでなく、管理・監督者へ進む準備期間に入るにふさわしい自覚、周辺への配慮・指導力の必要性の自覚、向上心の表明等が求められ、必ずしも合格するとは限らない。なお、この昇格試験は、平成24年度及び平成25年度の実績しかないところ、S5への昇格試験において不合格者は未だいないものの、S6への昇格試験においては相当数の不合格者が生じている。
したがって、被告が原告に昇格試験を受験させなかったことと後記(4)(原告の主張)イ及びウの損害との間の因果関係はない。
(4) 損害及びその数額
(原告の主張)
ア 平成23年度の給与及び賞与
原告は、平成23年度、被告の不法行為がなければ、S4―10に昇給するはずであったから、同年度の原告の基本給は、本人給10万2500円、職務給6万6000円、職能給5万3200円の合計22万1700円であった。しかしながら、被告は、原告の基本給を21万8900円と計算したから、その差額は2800円である。したがって、原告が同年度に被った損害額は、2800円に17か月(基本給12か月分の給与及び基本給5か月分の賞与)を乗じた4万7600円である。
イ 平成24年度の給与及び賞与
原告は、平成24年度、被告の不法行為がなければ、S5―8に昇格するはずであったから、同年度の原告の基本給は、本人給10万3000円、職務給6万6000円、職能給6万1400円の合計23万0400円であった。しかしながら、被告は、原告の基本給を22万2200円と計算したから、その差額は8200円である。したがって、原告が同年度被告を退職するまでに被った損害額は、8200円に14.8か月(基本給10か月分の給与及び基本給4.8か月分の賞与)を乗じた12万1360円である。
ウ 退職金
原告の退職時の等級がS5―8であったことを前提とすると、原告が受領すべき退職金額は、原告の職種別基礎額1万5000円に、勤続年数9年10か月に対応する勤続係数0.7、等級係数1.1、原告の退職事由すなわち自己都合に対応する係数0.9、勤続月数118をそれぞれ乗じた122万6610円である。しかしながら、被告が実際に原告に支払った退職金は、111万5156円であり、その差額である11万1454円が退職金に係る原告の損害額となる。
エ 慰謝料
被告は、原告を昇給・昇格させなかった上、自らの法律違反を認めようとしなかった。そのため、原告は、被告において就労する意欲を失い、退職に至った。原告がそのために被った精神的損害を金銭に換算すると、その額は30万円を下らない。
(被告の主張)
前記(原告の主張)アからウまでについて、給与、賞与及び退職金の計算方法については認めるが、原告の主張する等級・号俸を前提とした金額と実際の支給額との差額が損害となる旨の主張は争う。
前記(原告の主張)エは争う。
第3争点についての判断
1 認定事実
前記前提事実に証拠(書証<省略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 被告病院は、精神科病院として徹底した解放医療を目指しており、この解放医療が、医師や管理者のみでなく被告病院の全従業員の研さんの上に成り立っていると考え、従業員が現場における実務経験を積むことによって自己の能力を向上させることを重視するという観点から、人事評価制度及び賃金制度を構築している。(書証<省略>)
(2) 被告は、育児休業に関し、平成22年9月まで有効であった育児休業規定の4条3項において、「昇給は行わない。」と定めていた(書証<省略>)。もっとも、実際には、前年度に育児休業を取得した場合でも、翌年度の本人給の昇給は行っており、職能給についてのみ昇給しないこととして運用していた。そこで、被告は、被告の労働組合であるc労働組合(以下「被告病院労働組合」という。)に確認した上、平成22年9月、前記条項を、育児介護休業規定9条3項において、「昇給については、育児休業中は本人給のみの昇給とします。」と改めて、これを同年10月1日から適用した。(書証<省略>)
被告は、この条項を、従前どおり、3か月間以上の育児休業を取得した場合には、その翌年度の定期昇給において、職能給の昇給を行わない旨の規定であると解釈し、そのとおり運用しており、この解釈については、c労働組合においても同様の認識であった(書証<省略>)。
(3) 原告は、平成20年度から平成23年度までの各人事評価において、いずれもB以上の総合評価を受けた(弁論の全趣旨、書証<省略>)。
(4) 被告の昇格試験を受験するためには、人事評価において標準年数の期間B以上の総合評価を受けることのほか、所属上長の推薦が必要であるところ、上長は、受験希望者の懲戒事由が発覚した、受験希望者に身体的障害が発生したなどの特段の事情がない限り、総合評価B以上の評価を標準年数の期間受けた者で昇格試験の受験を希望する者については、推薦するのが通常であった。
また、被告の昇格試験は、受験者が、自宅で小論文を作成し、それを被告病院の看護部長、同副部長、生活支援部長、事務長の4人で審査した上、合否を判定するというものである。昇格試験は、平成24年度及び平成25年度の2か年分の実績しかないところ、未だS5への昇格において不合格者はなく、S6への昇格においては不合格者が複数名生じている。
(書証<省略>、弁論の全趣旨)
(5) 昇格する場合には、従前の等級・号俸における職能給金額に、従前の等級における昇給ピッチ(上がり幅)及び昇格後の昇給ピッチを加算し、昇格後の等級表中その金額を上回る直近の金額に対応する号俸が、昇格後の号俸となる。各等級・号俸に対応する職能給金額、各等級における昇給ピッチは、別紙<省略>a病院職能等級表(書証<省略>)記載のとおりである。
(6) 年間の賞与は、平成23年度には基本給の5か月分、平成24年度には基本給の4.8か月分が支給されることと決定された(書証<省略>)。
(7) 被告と被告病院労働組合は、平成25年5月24日、休業の種類を問わず、看護師等の専門職群については、休職期間が3か月以上の場合は評価不能とし、次年度の昇給(能力給部分)はせず、昇格に関わる年数として算定しないこと、事務等の非専門職群については、休職期間が6か月以上の場合には同様の処遇とすることを合意し、協定書(書証<省略>)を取り交わした。
2 被告が原告を昇給させなかったことの適否(争点(1))について
(1) 育児介護休業規定の解釈について
育児介護休業規定は、その9条3項において、「昇給については、育児休業中は本人給のみの昇給とします。」と定めている。そして、文言上は不明確であるものの、前記認定のとおり、被告は、実際に、3か月以上の期間育児休業を取得した者について、育児休業期間取得年度の翌年度における職能給の昇給はないという運用をしてきたこと、前記条項が、そのような実際の運用に合わせて改定されたものであること、この点について、労働組合との間で解釈に齟齬がないことに照らして合理的に解釈すれば、同条項は、3か月間以上の育児休業を取得した従業員について、その翌年度の定期昇給において、職能給の昇給がされない旨の規定であるというべきである。
(2) 育児介護休業規定9条3項に基づく取扱いの適否
育児介護休業法10条は、事業主において、労働者が育児休業を取得したことを理由として、当該労働者に対し、解雇その他不利益な取扱いをしてはならない旨定めているところ、このような取扱いが公序良俗に反し、不法行為法上も違法となるのは、育児介護休業法が労働者に保障した同法上の育児休業取得の権利を抑制し、ひいては同法が労働者に前記権利を保障した趣旨を実質的に失わせる場合に限られると解すべきである(最高裁平成元年12月14日第一小法廷判決・民集43巻12号1895頁、最高裁平成5年6月25日第二小法廷判決・民集47巻6号4585頁参照)。
これを本件についてみると、3か月間の育児休業取得年度の翌年度においても、本人給の昇給は行われること、平成23年度に職能給の昇給がされなかったことにより原告が受けた経済的な不利益は、月2800円、年間4万2000円であり、これは原告の収入(各種手当を除く。)の1.2%程度にとどまること、前記取扱いの趣旨は、被告病院において従業員が担う職務が高度に専門的なものであり、職場における実務経験により従業員の能力が向上すると見込まれることにあるところ、3か月間という評価期間の4分の1にすぎない期間就労しなかったことによって、従業員の能力の向上がないと形式的に判断し、一律に昇給を否定する点の合理性については疑問が残るものの、育児休業の取得を一般的に抑制する趣旨に出たものとは認められないことなどに照らせば、育児介護休業規定9条3項に基づく取扱いは、育児介護休業法10条の趣旨からして望ましいものではないとしても、労働者の同法上の育児休業取得の権利を抑制し、ひいては同法が労働者に前記権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序良俗に反する違法なものとまではいえないというべきである。
(3) 小括
したがって、被告が、平成23年度、育児介護休業規定9条3項を理由に、原告を昇給させなかったことは、違法とはいえない。
3 被告が原告に昇格試験を受験させなかったことの適否(争点(2))について
被告は、原告が平成22年度に育児休業を取得し、3か月間就労しなかったことから、同年度は人事評価の対象外であり、そのため、平成23年度終了時点において、S5への昇格試験を受験する要件である標準年数が未だ経過していなかったと主張する。
しかしながら、被告病院の就業規則上、3か月間以上の育児休業を取得した者は人事評価の対象とならない旨の規定はない上、人材育成評価システムマニュアルには、評価期間中における勤務期間が3か月に満たない者は評価不能として扱う旨明記されている。この人材育成評価システムマニュアルの規定からすると、勤務期間が3か月以上の者については、人事評価の対象になると理解するのが自然である。そして、被告は、実際に、原告が育児休業を取得した平成22年度について、人材育成評価システムマニュアルにおいて定めた手続に従い、原告を人事評価し、BBの総合評価を下している。
また、前記2(1)のとおり、育児介護休業規定9条3項は、3か月間以上の育児休業を取得した従業員について、その翌年度の定期昇給において職能給の昇給をしない旨を定めたものと解されるが、昇給がないことから当然に人事評価が不要となるものではなく、前記定めをもって、3か月間以上の育児休業を取得した者について人事評価の対象とならない旨を定めたものとみることはできない。したがって、原告の育児休業取得年度である平成22年度を人事評価の対象外であるとすることはできない。
そうすると、3か月以上の育児休業を取得した場合でも、その期間が9か月間以下であれば人事評価の対象となるというべきであり、育児介護休業規定9条3項の定めをもって、3か月間以上の育児休業を取得した場合に、翌年度の職能給の昇給を制限する趣旨を超えて、人事評価をしつつもその結果を昇格するための標準年数に算入しない趣旨とまで解することはできない。
以上のとおりであるから、育児休業取得年度である平成22年度を原告の標準年数に算入しない根拠はないというべきである。
したがって、原告は、平成23年度の終了により標準年数4年を経過したのであるから、平成24年度にS5へ昇格するための昇格試験を受験する資格を得たというべきであり、正当な理由なく原告に昇格の機会を与えなかった被告の行為は違法というべきである。
4 因果関係(争点(3))について
前記2及び3で説示したとおり、被告が平成23年度、原告を昇給させなかった行為については違法といえず、平成24年度に昇格するための昇格試験を受験させなかった行為については違法といえるので、後者の行為と原告の主張する経済的損害(給与、賞与及び退職金)との因果関係について検討する。
この点、標準年数を経過した者については、所属上長は昇格試験受験のために必要な推薦をするのが通常であること、昇格試験は、小論文の審査により合否を判断するものであるところ、平成24年度及び平成25年度に行われたS4からS5への昇格試験においては、不合格者はいないことからすれば、仮に、原告が昇格試験を受験した場合には、合格する可能性が高かったということができる。
しかしながら、昇格試験は、平成24年度及び平成25年度の2回分しか実績がないこと、昇格試験の内容が小論文であり、その審査項目は多岐にわたると認められることに照らせば、原告が昇格試験に合格した高度の蓋然性があるとまで認めることはできないというべきである。
したがって、被告が、原告が平成24年度に昇格するための昇格試験を原告に受験させなかった行為と、原告の主張する給与、賞与及び退職金相当の損害との間には、因果関係は認められない。
5 損害及びその数額(争点(4))について
前記1から4までにおいて説示したところによれば、原告は、被告が原告に昇格試験を受験させず、昇格の機会を与えなかったことによって、精神的苦痛を受けたと認めるのが相当である(なお、原告の慰謝料請求は、昇格の機会を奪われたことによる精神的損害の慰謝を求める趣旨を含むものと解される。)。
そして、仮に原告が昇格試験を受験し、合格していた場合には、別紙a病院職能等級表に従い、S4―9からS5―7に昇格しており、これを前提とすると、原告の平成24年度の基本給は、本人給10万3000円、職務給6万6000円、職能給5万8400円の合計22万7400円、年額はその14.8か月分である336万5520円であり、実際の給付額328万8560円との差額は7万6960円であること、等級S5を前提とした退職金は、原告の主張するとおり122万6610円であり、実際の給付額111万5156円との差額は11万1454円であること、前記4で説示したとおり、原告が昇格試験に合格する可能性は高かったと認められること、その他本件に現れた一切の事情をしんしゃくすると、原告の前記精神的損害を慰謝する金額として15万円を認めるのが相当である。
第4結語
以上によれば、原告の請求は、慰謝料15万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその限度で認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大島眞一 裁判官 谷口哲也 裁判官 結城康介)
(別紙略)