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京都地方裁判所 平成3年(ワ)2914号 判決 1995年3月29日

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地上にある建築資材等(未完成建物)を収去して同土地を明け渡せ。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

仮執行宣言を求めるほかは主文と同旨。

第二  事案の概要

一  請求の類型(訴訟物)

本件は、原告が、別紙物件目録記載の土地(以下「本件境内地」という。)の所有権に基づき、被告に対し、同土地上にある被告所有の建築資材等(未完成建物である。以下同じ。)の収去及び同土地の明渡しを求めた土地明渡等請求事件である。

二  争いがないか、容易に認定できる事実

1  当事者

(一) 原告は、宗教法人法に基づく宗教法人であり、宗教法人浄土宗(以下「浄土宗」という。)の大本山にあたるものである。

(二) 被告は、宗教法人法に基づく宗教法人であり、原告と本山、末寺の関係に立つ塔頭寺院であった。

(三) 平成三年九月一日、安井隆同(以下「安井」という。)は、被告の代表役員に就任し(登記は同年一〇月二日)、現在、被告の代表者である(右各事実は、争いがない)。

2  原告の本件境内地の所有、被告の同土地の現占有(請求原因)

(一) 原告は、本件境内地を含む、別紙物件目録記載の一筆全体の土地(以下「原告土地」という。)を現に所有している。

(二) 被告は、本件境内地上に、木造瓦葺平家建の本堂、庫裡、土蔵等の寺院(以下「旧建物」という。)をかつて所有していたが、その後、後記3の経緯のもとに、旧建物を取り壊し、建物の新築工事を始めた。これに対し、原告は、後記3のとおり、当庁に対し、建築工事の続行中止等の仮処分決定を求め、当庁から右仮処分決定を得てこれを執行した。その結果、現在、本件境内地は、被告所有の建築資材等が存置された状態で執行官保管され、これを通じて、被告が同土地を間接占有している(右各事実は、争いがない)。

3  本件境内地上の旧建物の建替えをめぐる紛争経緯

(一) 昭和二七年頃、浅野霊玉が死亡し、その四男である浅野霊修(浅野修)が被告の代表役員となってからは、同人が医師であり、住職ではなかったため、被告は、次第に宗教法人としての活動を行わなくなっていった。そして、昭和四〇年九月二三日、被告が当時の檀信徒に対し、隣地との境界の石垣の補修と旧建物の建替えのための募金について協力を求める文書を送付したところ、その過半数が協力しないとのことであったため、同年一二月一〇日、被告は、京都府文教課に休寺を届け出るに至った(乙二五ないし二七、争いがない事実)。

(二) 昭和五八年頃、当時の被告の代表役員であった浅野霊修から、原告に対し、旧建物を取り壊して新しく建物を建て替えたいとの申請をしたが、原告は、これを許可しなかった。そこで、被告は、昭和六一年七月九日、京都簡易裁判所に建物建替えの承諾を求める調停を申し立てた(京都簡裁昭和六一年(ユ)第一〇八号)。しかし、原、被告は、右建替えにつき合意に至らず、昭和六三年九月二日、被告は、右申立てを取り下げた。その後、浄土宗の仲介により、原、被告間で再度、右建替えに関する交渉が行われたが、これも不調に終わった(甲四の1、2、乙二八、二九、争いがない事実)。

なお、本件境内地を含む原告土地の使用については、金戒光明寺境内地使用規程(以下「本件使用規程」という。)が定められており、同規程二条には「……境内地内の建物を新築著るしき改築、増築、若しくは除却せんとする時は土地所有者の金戒光明寺の許可を得なければならない。」と、同規程四条には「第二条による申請があった場合には常置委員会に計り諾否を決定し、総代の同意を得なければならない。」と規定されている(甲三の2)。

(三) 平成三年九月初め頃、安井が、原告の執事長を訪ね、自分が被告の再建を行いたいので、旧建物の建替えを認めてほしい旨を申し入れたが、執事長は、安井が被告の代表役員でなかったことから、これを断った。しかし、安井は、自分が代表役員(住職)になるよう手続をしており、一日も早く建替えを許可して欲しい旨を再度、執事長に申し入れた。これに対し、執事長は、安井に対し、申出の件は、本件使用規程及び宗教法人金戒光明寺規則(甲三の1)(以下「寺院規則」という。)に則って信徒総代会、協議会に諮ったうえで、責任役員会に提案してこれを決しなければならない旨を説明し、先ず、これら資料となる書類をとりまとめ、持参するように指示した。同年一〇月二日、安井は、同人が被告の代表役員となった旨の登記簿を、同月二五日頃、資金計画の資料等を執事長にそれぞれ提出した(争いがない)。

(四) 安井は、執事長に対し、旧建物(本堂)が連続して襲来した台風のため、危険な状態になっており、崖下の民家に倒壊する危険があるので、その除却を認めて欲しいとの申し入れをした。執事長は、建替え許可に関する手続の途中ではあったが、急を要する事項であったため、安井の右除却申請を許可した。そこで、安井は、旧建物を取り壊した。ところが、安井は、旧建物の建替えにつき原告の許可を得ていなかったにもかかわらず、同月三一日、本件境内地上で基礎コンクリートの工事を開始する旨を原告に通告した。これに対し、原告は、右工事を認めない旨を回答したが、安井は、掘り方を行い、コンクリートを流して鉄筋を入れてしまっていた(争いがない)。

(五) 同年一一月九日、安井は、原告の許可なくコンクリート土台金枠組みの工事を開始したが、原告から右工事を中止するように申し入れがあったため、これを中止し、金枠を撤去した(争いがない)。

(六) 同月二八日、原告の寺務所において、安井と執事長、協議会議長ら、原告代理人飯田和宏が面談し、原告側は、安井に対し、寺院規則との関係、旧建物の再築後の運営等を説明し、安井から事情を聴取したが、右話合いは、結局、不調に終わった(争いがない)。

(七) 本件境内地は、風致条例に基づく風致地区であり、土地所有者の原告の承諾がない限り、建築確認申請を行い得ない場所であるにもかかわらず、安井は、同月三〇日から、原告に無断で本件境内地上に建物の建築工事を開始した(争いがない)。なお、建築予定の建物は、木造平家建であった旧建物と異なり、木造二階建の構造である(甲四の1、一一、乙二八)。

(八)原告は、当庁に対し、被告及び安井による建物建築工事の続行中止及び本件境内地の執行官保管等を求める仮処分の申立てを行い(当庁平成三年(ヨ)第一五四一号事件)、同年一二月一一日の審尋期日において、被告に対し、前記建築工事の開始が本件使用規程に違反するものであるとして、被告との本件境内地の使用契約を解除する旨の意思表示をした。右同日、原告の申立てを認める仮処分決定が出され、同月一二日、右仮処分決定が執行された結果、被告及び安井による建物建築工事は中止された。現在、本件境内地は、被告所有の建築資材等が存置された状態で、執行官によって保管されている(甲一〇、争いがない事実)。

三  争点

1  被告は、本件境内地の使用権原(抗弁)として、地上権、仮にそうでないとしても使用借権を取得したか。被告が使用借権を取得したとした場合、右使用借権は、原告の解除によって消滅しているか(再抗弁)。

2  右1で、被告が地上権を取得したとした場合、それは、原告に対抗し得るものか、また、原告の解除によって消滅しているか(再抗弁)。

3  原告の被告に対する本件明渡請求は、権利濫用にあたるか(抗弁)。

四  争点に関する当事者の主張

1  本件境内地の使用権原としての地上権ないし使用借権の存否(争点1)

(一) 被告の主張(抗弁)

(主位的抗弁―地上権)

(1) 黙示の地上権設定、大正一〇年の国有財産法による無償貸付

イ 被告は、「社寺領現在ノ境内ヲ除クノ外上地被仰出土地ハ府県藩ニ管轄セシムルノ件」(太政官布告第四号)(以下「社寺領上知令」という。)に基づく処分、あるいは明治六年七月二八日の地租改正条例(太政官布告第二七二号)等に基づく事業(以下両者を併せて「上知処分等」という。)の当時、本件境内地を塔頭寺院として占有、使用していた。

ロ 本件境内地を含む原告土地は、上知(上地、以下同じ。)処分等により国有地となった。

ハ 元来、塔頭寺院の境内地の使用権原については、法律的に明確なものではなく、占有概念と所有概念が明確に分別されたのは明治時代以降であるから、明治初年に上知処分等を受けた寺院側も、本山、塔頭寺院を含めて、上知された権利が何であったかにつき明確な認識を持っていなかった。そうすると、国は、寺院側から土地を上知する代わりに、現実に寺院、仏堂を所有してその境内地を占有、使用していた者に対し、上知処分等の相手方であったか否かを問わず、上知処分等の時点で黙示のうちに地上権を設定したものというべきである。

ニ 大正一〇年国有財産法(大正一〇年四月八日法律第四三号)(以下「旧国有財産法」という。)に基づく無償貸付も、右のとおり、上知処分等の相手方というよりも、現実に寺院、仏堂を所有して境内地を使用していた者を相手方として行われたものというべきであるから、右無償貸付の相手方は、本件境内地を含む原告土地を単に占有、使用している者であり、 旧国有財産法によって被告の右ハの地上権が法的に根拠付けられたものと解すべきである。

ホ 本件境内地を含む原告土地は、「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律<」(昭和二二年四月一二日法律第五三号)(以下「第二次境内地処分法」という。)に基づき、原告への一筆一括譲与がされた。これは、被告が、国から無償で借用していた境内地について本来であれば無償で譲与を受けるべきところを、本件では、原告と被告を含む塔頭寺院との間で、従前の管理運営を継続するという誓約書を取り交わし、その結果、原告が無償譲与を受けるに至ったものであるから、原告は、被告と国との間に発生していた前記ハの地上権を承認したものというべきである。

(2) 推定地上権

イ 民法典施行直後に制定された「地上権ニ関スル法律」(明治三三年三月二七日法律第七二号)(以下「地上権法」という。)一条は、その施行日(明治三三年四月一六日)前から他人の土地において工作物又は竹木を所有する目的でその土地を使用している者を地上権者と推定した。これにより、土地所有者は、その土地を使用している者が賃借権者あるいは使用借権者であることの反証をし得ない限り、右の者は、地上権者であると推定されるのである。

ロ 被告は、地上権法施行日前から原告の塔頭寺院として本件境内地に旧建物を所有して同土地を占有、使用してきたのであるから、 地上権法一条に基づき、地上権者であると推定される。

(仮定的抗弁)

(3) 使用借権

仮に、被告主張の地上権が認められないとしても、被告は、原告から無償で本件境内地の貸し渡しを受けたものであって、少なくとも使用借権に基づく占有権原がある。

(二) 原告の主張(抗弁の認否・再抗弁)

(1) 主位的抗弁の認否及びこれに対する再抗弁

イ 認否

(イ) 前記(一)(1)イ(上知処分等の当時の本件境内地の被告の占有、使用)は不知、同ロ(本件境内地の国有地化)は認め、その余は争う。

最判昭四九・四・九判時七四〇号四二頁の判示からも明らかなとおり、 旧国有財産法による無償貸付は、上知処分等により土地を取り上げられた者を対象として行われたものであり、土地を取り上げられた寺院等にその下戻と同様の効果を与えるものである。そして、これを元所有者である寺院等に無償で返還(譲与)するために制定されたのが、第二次境内地処分法である。したがって、上知処分等の相手方、 旧国有財産法の無償貸付の相手方、第二次境内地処分法の無償譲与の相手方は、全て同一人であることが当然の前提であり、被告が右無償貸付の相手方であることを主張する以上は、自らが土地を取り上げられた、元所有者であることを主張、立証する必要がある。しかるに、右無償貸付の相手方であるといえるためには、事実上、本件境内地を占有、使用していたことを以て足りるとする被告の主張は、主張自体失当である。

(ロ) 前記(一)(2)(推定地上権)は争う。

ロ 再抗弁(推定地上権に対する使用借権の主張)

被告が、原告の塔頭寺院であったことは、被告主張のとおりであるが、被告が本件境内地について地上権を有するとの主張は、いかなる意味においても失当というべきである。即ち、塔頭とは、浄土宗における寺院の格を示す種類の一つで(寺家、子院、坊中とも称する。)、本山や檀林等の本院の境内地にあって本院に隷属し、本院の目的を達する職務を行う者の所在場所として存していたものであり、本院の命によってその場所自体を移動させられ、また、本院の境内地内の建物の建築、改修等の一切の行為は、全て本院の承諾を得て行われていたのである。このような関係にあった塔頭と本山との間において地上権が発生する余地などあり得ないことは明白であって、被告は、原告から本件境内地を無償で貸し渡されたにすぎないというべきである。そして、後記(2)ロ(使用貸借契約の解除)のとおり、原、被告間の右使用貸借契約は、原告の解除によって消滅している。

(2) 仮定的抗弁(使用借権)の認否及びこれに対する再抗弁

イ 認否

仮定的抗弁は争う。

ロ 再抗弁(使用貸借契約の解除)

(イ) 被告の使用貸借契約の義務違反

本件境内地を含む原告土地の使用については、本件使用規程が定められており、同規程二条には「……境内地内の建物を新築著るしき改築、増築、若しくは除却せんとする時は土地所有者の金戒光明寺の許可を得なければならない。」と定められている。ところで、前記第二の二3のとおり、原告は、本件境内地上の建物新築について、過去の経緯にかかわらず、被告の今回の申入れを真摯に検討すべく、被告に原告の各機関における検討のための資料の提出等を求め、平成三年一一月二八日には、各機関の長が揃い、安井から事情を聴取して、その意思決定のための手続に入ろうとしていたのである。それにもかかわらず、被告は、許可の申請の時点で、無断で工事の段取りを決め、早く着工する必要があるなどして、即刻許可をするよう求め、執事長や原告代理人飯田和宏が、建物建て替えに関する手続を説明するのも聞かず、本件使用規程の存在を知りながら、原告に無断で建築工事を行ったのである。被告の右行為が、使用貸借契約の当事者としての義務に違反することは明白である。

(ロ) 被告の建築工事の停止催告、原告の解除の意思表示

原告は、前記第二の二3のとおり、何度も被告に建築工事を止めるように催告したにもかかわらず、被告がこれを止めなかったため、被告に対し、前記仮処分の審尋期日において、本件境内地の使用契約を解除する旨の意思表示をした。

(三) 被告の主張(再抗弁の認否)

(1) 再抗弁(推定地上権に対する使用借権の主張)の認否

右主張は争う。塔頭とは、大寺院の山内寺院や別坊のことをいい、本来は禅宗の用語で、祖師や大寺院の高僧が入若後も、弟子たちが師の遺徳を慕って塔(墓所)の頭(ほとり)を去らず、房舎を設けて住し、塔頭何院と称したことに始まる。原告主張のように本山や檀林等の本院の境内地にあって本院に隷属し、本院の目的を達する職務を行う者の所在場所として存していたものではない。原、被告間の関係も、歴史的には支配、隷属の関係にはなく、境内地もそれぞれが別個に所有していたのである。したがって、被告は、原告に隷属しており、被告に地上権が成立する余地がないとする原告の主張は失当である。

(2) 再抗弁(使用貸借契約の解除)の認否

右主張のうち、(二)(2)ロ(イ)(被告の使用貸借契約の義務違反)は争い、同(ロ)(被告の建築工事の停止催告、原告の解除の意思表示)は認める。

原告は、本件使用規程違反を主張するが、そもそもこの規程は、原告において廃止されており、仮に、廃止されていないとしても、原告の内部手続を定めたものにすぎず、被告がこれに拘束される理由はないのであるから、本件使用規程違反をいう原告の主張は、失当である。

2  地上権の対抗力、解除による消滅(争点2)

(一) 原告の主張(地上権の主張(主位的抗弁)に対する再抗弁)

(主位的主張)

(1) 地上権の対抗力

イ 原告は、第二次境内地処分法により本件境内地を含む原告土地の無償譲与を受けたのであるから、民法一七七条にいう「第三者」である。

したがって、原告は、被告が地上権につき対抗要件を具備するまでは、その権利取得を認めない。

ロ 地上権法二条一項は、「第一条ノ地上権者ハ本法施行ノ日ヨリ一箇年内ニ登記ヲ為スニ非サレハ之ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」と規定している。原告は、第二次境内地処分法により本件境内地を含む原告土地の無償譲与を受けたのであるから、右条項にいう「第三者」である。

したがって、原告は、被告が 地上権法施行日から一年以内に地上権につき対抗要件を具備したのでなければ、その権利取得を認めない。

(仮定的主張)

(2) 地上権設定契約の解除による消滅

仮に、被告が主張する地上権(黙示の地上権設定、推定地上権)が認められ、かつ、その効果が何らかの理由で原告に及び得るものであるとしても、地上権設定契約は、前記第二の二3の経緯により解除されたものであって、被告主張の地上権は、右解除によって消滅している。

(二) 被告の主張(再抗弁の認否、再々抗弁)

(1) 認否

イ 再抗弁(前記(一)(1)(地上権の対抗力))の認否

原告が民法一七七条及び地上権法二条一項の「第三者」にあたるとの主張は争う。原告は、国と被告との間に地上権に基づく使用関係が存続することを承認したうえで、本件境内地を含む原告土地の無償譲与を受けたものであるから、実質的には、「第三者」ではなく、「当事者」と同様の地位にあるというべきである。したがって、本件では、対抗問題は生じない。

ロ 再抗弁(前記(一)(2)(地上権設定契約の解除による消滅))の認否

右主張は争う。被告は、寛永初年から本件境内地を原告の塔頭寺院として占有、使用してきており、被告主張の地上権は、原告において解除し得るような権利関係ではない。

(2) 再々抗弁(前記(一)(1)(地上権の対抗力)に対し―対抗要件の具備)

仮に、本件において対抗問題が生ずるとしても、被告は、その所有の旧建物に、原告が本件境内地を含む原告土地の無償譲与を受けた昭和二七年二月一九日より前の昭和二四年一二月二一日に、保存登記をしている。

したがって、被告は、建物保護ニ関スル法律一条に基づき原告にその地上権を対抗することができる。

(三) 原告の主張(再々抗弁(対抗要件の具備)の認否)

昭和二四年一二月二一日に本件境内地上の旧建物につき保存登記がされたことは不知。右主張は争う。

3  本件境内地の明渡請求と権利の濫用(争点3)

(一) 被告の主張(抗弁)

原、被告間の本件境内地の使用関係、建物工事をめぐる長期間の交渉過程、原告において本件境内地を直ちに使用する必要性が全く存在しないことなどの本件の事情を総合すれば、原告の被告に対する本件境内地の明渡請求は、権利の濫用(民法一条三項)にあたり、許されないものと解すべきである。

(二) 原告の主張(抗弁に対する認否)

右主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  本件境内地の使用権原としての地上権ないし使用借権の存否(争点1)

1  主位的抗弁(地上権)の検討

請求原因は、前記第二の二2のとおり、当事者間に争いがないから、被告主張の地上権の存否から検討を加える。

(一) 黙示の地上権設定、 旧国有財産法による無償貸付の成否

(1) 証拠、争いがない事実、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

イ 慶応三年一〇月一四日、徳川幕府(将軍慶喜)は、大政を奉還したので、その領有地及びその他の公的な財産は明治政府の所有に移された。明治二年七月、諸藩の版籍奉還によって各藩主の領有地も全て明治政府の所有に帰した。しかし、社寺領はまだ旧来の状態にあったので、明治政府は、明治四年正月五日、社寺領上知令によって社寺領の上知を命じた(乙一六(三〇頁)、争いがない事実)。これは、先に各藩の領地の奉還があった以上、社寺領も公領の一種であるから、社寺領の上知もまた当然であるという考え方に基づいている(乙一四の2(四七五頁)、一六(三一頁))。このようにして、幕領、藩領、社寺領の全てが明治政府に帰属することとなった。ただ、右社寺領上知令の適用がある社寺領は、社寺が幕府あるいは藩主から租税徴収権を付与され、又は、租税の免除を受けた朱印地、除地等の地域に限られ、境内地及び社寺の所有地に及ぶものではなかった(乙一六(三二、三九頁))。

ロ 右のとおり、社寺領上知令の対象となったのは、「現在ノ境内地ヲ除クノ外」の社寺領であったが、右境内地の範囲は、数次の令達により次第に狭められ、ついには「祭典法用ニ必需ノ場所」に限定されるに至った(明治八年六月二九日地租改正事務局達乙第四号(社寺境内外区画取調規則))。また、地租改正条例等に基づく事業としてされた土地の官民有区分にあたっては、境内地といえども「民有地ノ証ナキモノ」は全て官有地に編入された(明治八年七月八日地租改正事務局議定(地所処分仮規則))(乙一六(一三五頁))。その後、国有林野法(明治三二年三月二三日法律第八五号)により、「社寺上地ニシテ其ノ境内ニ必要ナル風致林野ハ区域ヲ画シテ社寺現境内ニ編入スルコトヲ得」(同法三条)とされた(乙一六(一四二頁))。

ハ 明治三二年の国有土地森林原野下戻法(明治三二年四月一七日法律第九九号)により、翌三三年六月三〇日までの期限を限って「地租改正又ハ社寺上地処分ニ依リ官有ニ編入セラレ現ニ国有ニ属スル土地」等につき、「其ノ処分ノ当時之ニ付キ所有又ハ分収ノ事実アリタル者」(同法一条)からの申請による下戻の方法が認められた(乙一六(一四三頁))。

ニ 大正一〇年の 旧国有財産法において、国と寺院等との関係が明文をもって規定されるに至った。即ち、寺院等の境内地は、雑種財産(同法二条四号)として取り扱われたが、従来、境内地が寺院等の用に供せられてきた特殊の沿革関係を認めて、同法は、これをその用に供する間、寺院等に永久に無償貸付をしたものとみなし(同法二四条一項)、かつて上知した国有地を境内地に使用する場合も、右と同様に無償貸付できる旨の規定(同条二項)を設けた(乙一六(一二六から一二八頁)、争いがない事実)。この旧国有財産法二四条による国有境内地の無償貸付は、官民有区分の査定にあたり、民有の証があってもその事実を主張せずして官有地に編入された疑いのあるものが少なくなかったことから寺院等にその下戻と同様の効果を与えたものである(乙一六(一四六頁)、弁論の全趣旨)。

ホ 昭和一四年三月二二日、宗教団体法(昭和一四年四月八日法律第七七号)が制定されたのを機会に「寺院等ニ無償ニテ貸付シアル国有財産ノ処分ニ関スル法律」(昭和一四年四月八日法律第七八号)(以下「第一次境内地処分法」という。)により寺院等(神社を除く。)の国有境内地につき譲与処分が開始された(乙一六、争いがない事実)。

ヘ 昭和二一年の日本国憲法の制定とともに社寺境内地の処理は、政教分離の趣旨にしたがって適切な解決をしなければならないことになり、従来、国と社寺との間に存した国有境内地の無償貸付関係を清算し、宗教団体の自主、自存の態勢を確立するため、第一次境内地処分法の全面改正の必要が生じた。そこで、第二次境内地処分法が制定され、これによって神社、寺院等の宗教活動に必要な国有境内地を当該神社、寺院等に譲与又は半額売払することとなった(乙一六、争いがない事実)。

ト 第二次境内地処分法による譲与申請書には、申請地の沿革的な所有の事実を証明するための書類(挙証書類)を添付しなければならないとされた。これは、申請地が上知処分等によって国有となったものであることを挙証書類によって判定するためである(乙一六(二〇八から二一一頁))。

チ 昭和二三年三月二五日、原告は、近畿財務局に黒谷の本件境内地を含む原告土地の一筆一括譲与を申請した(乙一二)。

リ 昭和二五年四月、原告の浄土宗からの分派独立に反対して浄土宗に留まった被告(主管者・浅野霊修)、超覺院、西住院(主管者・戸川霊修)、善教院、常光院、金光院、勢至院、瑞泉院、長安院、栄攝院、顯岑院(主管者・白崎厳正)、龍光院、西翁院の塔頭寺院一三ケ寺は、近畿財務局に各境内地ごとの譲与を求める陳情書を提出した(乙六)。しかし、昭和二六年一二月二日、被告を含む右一三ケ寺は、原告名義での一筆一括譲与に同意した(乙一二)。

ヌ 昭和二五年一一月一六日、原告と浄土宗側との間で、原告の分派独立をめぐる紛争につき、①原告は、適当な時期に浄土宗と合体すると同時に、その離脱登記を抹消して浄土宗に帰一する、②適当な時期は、両者が決め、今後、大浄土宗の建設のために誠意ある協力をする等の内容の和解が成立した。その後、原告は、浄土宗に復帰した(乙三、一九)。

ル 昭和二七年二月一九日、原告は、第二次境内地処分法により国から本件境内地を含む原告土地の無償譲与を受け、昭和三〇年六月二〇日、右無償譲与を原因として右土地につき所有権移転登記を経由した(甲一六、乙二、二二)。

(2) 右(1)認定の事実によれば、次の事実が明らかである。

イ 上知処分等の対象となった寺社の境内地については、国有土地森林原野下戻法により、申請による下戻の方法が認められることとなったが、官民有区分の査定にあたり、民有の証があってもその事実を主張せずして官有地に編入された疑いのあるものが少なくなかったことから、寺院等に下戻と同様の効果を与えるために 旧国有財産法による無償貸付がなされるに至った。しかし、その後、日本国憲法の制定に伴い、従来の国と社寺との間に存した国有境内地の無償貸付関係を清算する必要が生じ、元来所有権者である社寺等に無償貸付中の国有地の境内地等を無償で返還(譲与)することとして第二次境内地処分法が制定された。

ロ 原告は、右第二次境内地処分法に基づき、近畿財務局に本件境内地を含む原告土地の一筆一括譲与の申請をし、昭和二七年二月一九日、国から右土地の無償譲与を受けた。

(3) 右(2)説示の事実に照らすと、第二次境内地処分法は、上知処分等により国有となった無償貸付中の国有財産につき、社寺等がそれ以前において有していた権利が上知処分等がなかったとすれば民法の施行に伴い民法施行法三六条により所有権の効力を有するに至る実質を有していたことを前提として、制定されたものであり、同法にいう「譲与」は、実質的、内容的にみて旧所有権の返還の処置たる性格を備えているものと解するのが相当である(最判昭四九・四・九判時七四〇号四二頁参照)。そうすると、上知処分等の相手方、 旧国有財産法の無償貸付の相手方、第二次境内地処分法の無償譲与の相手方は、全て同一人であることが前提とされていると解される。したがって、被告が、上知処分等がされた当時に黙示に設定された地上権が 旧国有財産法により、法的に根拠付けられたと主張するのであれば、明治以前において被告が本件境内地につき民法施行に伴い所有権の効力を有するに足る実質の権利を有しており、自らが上知処分等により本件境内地を取り上げられた元所有者であることを主張、立証する必要があるというべきである。

しかるに、被告は、右の点を何ら主張、立証しないばかりか、かえって、右(2)ロ説示のとおり、本件境内地を含む原告土地の無償譲与を受けたのは、原告であるから、 旧国有財産法の無償貸付の相手方は、原告であると認められる。

(4) 被告の主張の検討

これに対し、被告は、旧国有財産法の無償貸付の相手方といえるためには、本件境内地を単に占有、使用していることを以て足りるとするが、右(3)の説示に照らし、失当である。また、被告は、上知処分等の時点で国との間に黙示の地上権設定契約がなされた旨主張するが、右(3)説示の事実及び後記(二)(2)の各事実に照らせば、被告主張の黙示の地上権設定が認められないことは明らかである。

さらに、被告は、本件境内地は、本来であれば被告が無償で譲与を受けるべきところを、原告と被告との間で黒谷山内の管理運営は従来どおりとする内容の誓約書に基づき、原告が譲与を受けたものであり、原告は、被告と国との間に発生していた地上権を承認して国から譲与を受けたものであるとも主張し、これに沿う証拠(乙一九、二〇、二四、証人戸川霊俊(以下「証人戸川」という。))を援用する。しかし、被告主張の右誓約書は、現在、紛失して存在しておらず(争いがない)、また、右各証拠の誓約書の存在に関する部分は、あいまいであり、たやすくこれを信用することはできず、他に被告の右主張事実を認めるに足る的確な証拠がない。

よって、被告の主張はいずれも採用できない。

(二) 推定地上権の成否

(1)  地上権法一条は、その施行の日(法例一条により明治三三年四月一六日である。)より前に、他人の土地において工作物又は竹木を所有するためにその土地を使用する者は、地上権者と推定されるとする。本件において、被告が 地上権法施行前から、原告の塔頭寺院であったことは、当事者間に争いがないから、このこと及び後記(2)ニ認定の事実によれば、被告は、 地上権法施行前から、本件境内地に旧建物を所有するため、同土地を占有、使用してきたと認められる。そうすると、被告は、 地上権法一条により本件境内地について地上権を有するものと推定される。

もっとも、 地上権法一条は、民法施行前の土地の使用権原の性質が必ずしも明確ではなく、その当事者の契約上の意思を知り得ないことが多かったため、右使用権原に関する当事者の意思を物権である地上権と推定したものにすぎないから、原告が、被告の使用権原を賃借権あるいは使用借権であるとの反証を挙げて、この推定を破ることができるというべきである(大判明三三・一一・一二民録六輯一〇巻五〇頁参照)。

(2) そこで、地上権法施行前からの被告の使用権原は、使用借権にすぎないとする原告の主張(再抗弁)を検討する。

証拠、争いがない事実、弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。

(塔頭寺院の性格)

イ 本件境内地を含む原告土地には、承安五年(一一七五年)の春、法然上人が四三歳の時、比叡の山を下りて真如堂に詣でた際に、黒谷の山頭の岩根に身を休めて唱名念仏を唱えていたところ、紫雲たなびき光明が四辺を照らす霊相を感得し、教化有縁の地として草庵を結んだとのいわれがある。以来、この地は、法然上人が西山広谷、東山吉水に移った後も説法教化の道場となり、第五世恵顗上人の代に至って仏殿、御影堂などが建立され、原告は、第八世運空上人の代に金戒光明寺と命名された。その後、原告は、応仁の乱等幾度かの火災にあったが、織田家、豊臣家、徳川家の支援を得て、発展してきた(争いがない)。

ロ 「塔頭」とは、浄土宗における寺院の格を示す種類の一つで、寺家、子院、坊中とも称し、本山や檀林等の本院の境内地にあって本院に隷属し、本院の梵唄諷誦をつかさどり、葬祭の事務に従事する寺院である(甲一五(五九〇、六〇〇頁)、証人浦田正宗(以下「証人浦田」という。)・第一三回口頭弁論調書(以下単に回数のみを示す。)一三丁表から一五丁裏)。黒谷では、塔頭寺院のことを山内寺院とも呼んでいる(証人浦田・第一三回五丁裏)。

なお、被告は、塔頭は、一般的にいって本院に隷属する存在ではないと主張するが、本件全証拠に照らしても、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

ハ 原告の開祖である法然上人は、口称念仏(お別時)の行をおこなっていたが、同行の衆が会所に集まり、そこに集まる人々の世話をする「役」を持った者が現れ、その居住のための「役宅」(格庵、道心者寮、道心者庵)が建てられるようになった。「役」には、〓燭の芯切り等の掃除をする「大殿係」や調理等の仕事をする「食堂係」等があった。これらの「役」を持つ者は、本山の法要のために出勤しなければならず、そこでお勤めをし、分施をもらっていた。「役宅」に檀家、信徒が集まって次第に院号、寺号を称するようになり、これらが原型となって塔頭寺院が形成されるようになった(甲一三、証人浦田・第一三回六丁裏から一三丁表、一五丁表及び裏、一七丁表及び裏)。

ニ 原告の塔頭寺院としては、永禄元年(一五五八年)、寳誉真教が創設した金光院を始めとして、善勝院(一五七二年)、大通寺(後の妙蓮院)(一五七三年)等がある(争いがない)。被告は、寛永一一年(一六四四年)、寳誉林廣上人が黒谷の観壽院の後に原告の塔頭寺院の一つとして創設し、遅くともその頃から本件境内地を占有、使用してきた(乙五、弁論の全趣旨)。そのほか、超覺院、西住院、善教院、常光院、金光院、勢至院、瑞泉院、長安院、栄攝院、顯岑院、龍光院、西雲院、西翁院、永運院、光安院、浄源院、蓮池院、松樹院の一八ケ寺も原告の塔頭寺院であった。明治三一年には、原告の塔頭寺院は、二〇ケ寺、末寺、子院を合わせれば、三三〇余ケ寺を数えるようになった(争いがない)。

(江戸時代における寺領、所持地、寺社境内地の私法関係等)

ホ 江戸時代において、寺院は、一種の法人として独立の権利義務の主体と考えられていた(乙一五の2(四四七頁)、一六(九二、一八三頁))。

ヘ 江戸時代では、「所有」のことを「所持」といい、「所有者」のことを「持主」といい、「所有地」のことを「持地」といった(乙一四の2(四五〇頁)、一六(一八三から一八四頁))。

ト 江戸時代では、「寺領」は、幕府や領主の御朱印状、御黒印状、除地免状等の証状をもって寺院に対し租税徴収権が付与され、又は、租税が免除された寺院の領知を意味した。したがって、これらの証状と特権を帯有しない寺院の持地は、単なる寺社の所持地であって、寺領ではない(乙一四の2(四七三、四八〇頁))。

チ 江戸時代では、寺院は、その所持地を自由に他人に譲渡することはできず、右所持地には、幕府によって厳重な処分の制限が加えられていた(乙一四の2(四八一頁))。これに対し、小作人の持つ永小作権は、小作人に不法行為又は小作料滞納があった場合のほかは解約することができず、小作人は自由にこれを他人に譲渡することができ、そして地主が変わっても、その権利関係に影響がない物権的権利と観念されていた(乙一七(三一七頁)、一八(五四二頁))。

リ 江戸時代では、寺院の所持地として最も通常のものは、境内地であるが、寺院の境内地を他の寺院等から借りている場合もあり、これを「借地」と呼んだ(乙一四の2(四八〇頁)、一五の2(四五六から四五九頁))。

ヌ したがって、江戸時代の寺社境内地は、①寺社が単に使用収益の権利のみを有する土地(右借地のほか、預り地、拝借地、御預り地)、②寺社自らが所持する土地(求地、貰地、寄進地、拝領地)に分けることができる(乙一五の2(四八六頁))。このうち、借地は、期間を定めた「年季借地」が通常であるが、時としては「永借」の場合もあった。しかし、境内地借地も、通常の借地同様、地主に対し地代を支払うものとされていた(乙一五の2(四五七頁))。

ル 被告は、原告に対し、本件境内地の地代を支払っていなかった(争いがない)。

ヲ 被告を含む各塔頭寺院の位置は、原告土地内の特定の土地として一定していたわけではなく、時により場所的に移動している。被告寺院の位置についていえば、原告土地内の北門の墓所のねきから(甲一二)、大殿の横に移り(甲一三)、現在の山門の西側(甲二、一四、乙一一、一二)へと三回ほどその場所を移動している。これは、原告が山門を建て替えるとか、経堂を建立するなどの都合からその意向にしたがって塔頭寺院が移動していたものであり、右各塔頭寺院が原告の了解がないのに相互の話し合いにより原告土地内の場所を移動することはなかった(証人浦田・第一三回一四丁裏から一七丁表)。

ワ 被告の境内地の坪数を示す書面(乙五、七、一〇)があるが、乙五は、昭和二年一〇月八日付けの書面、乙七は、明治八年四月頃の書面、乙一〇は、明治一六頃の書面であり(弁論の全趣旨)、また、乙五、一〇ともに被告の境内地の坪数の記載はあるが、所有は官有になっていること等に照らせば、右各書証によっても、明治以前の時代において、被告が原告土地内において使用することを許されていた境内地の面積が一定のものとして明確に定められていたと認めることはできない。

(2) 右(1)認定の事実によれば、次の事実が明らかである。

イ 被告は、江戸時代においては、本山、末寺の関係に立つ原告の塔頭寺院(山内寺院)であって、塔頭寺院は、本山(原告)の法要のための「役宅」に起源を有し、一般的には本山に隷属するものであった。

ロ 被告を含む各塔頭寺院は、原告の意向にしたがって原告土地内の場所を移動し、使用を許された原告土地内の境内地の範囲、面積等は明確に決められていたものではない。

ハ 江戸時代においても、永小作権のように自由譲渡性を有する物権的権利が認められてはいるが、原告が塔頭寺院の被告に対し、本件境内地内の土地利用権を本山とは無関係の第三者に自由に譲渡し得ることまで承認していたとは考えがたい。

ニ 江戸時代の寺社境内地には、寺社が他の寺社から境内地を借りて使用する「借地」があったが、「借地」においては、地主に地代を支払うのが通常であったのに、被告は、原告に本件境内地の地代を一切支払っていない。

(3) 右(2)の認定事実に照らすと、被告の本件境内地の使用は、原告が被告に対し、本山、末寺という宗教上の特殊な関係から、情誼上これを容認していたにすぎないものであって、被告の本件境内地の使用権原は、使用借権にすぎないものと認めるのが相当である。

(4) もっとも、証拠、争いがない事実、弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。

イ 本件境内地を含む原告土地内の各塔頭寺院の組合として、明治時代以前から一山会という団体があった(証人戸川・三丁表)。

ロ 一山会は、岡崎や鹿ケ谷等の原告土地の周囲の農村に、寄進等で入手した土地を共同財産として有していた。一山会は、その寺有地からは、手続の便宜上、原告名義で地代、地料等を徴収していたため、原告に名義料として一定の金銭を支払っていた。そして、右徴収された地代、地料等を箱に入れておく慣習があったため、右慣習は、「箱」と呼ばれていた。「箱」に入れられた金銭は、慶弔費とか、他の寺院への寄付等に使用されていた。「箱」の制度は、原告が後記ホのとおり、黒谷浄土宗として分派独立してからはなくなってしまい、一山会の共同財産の土地は、そのときに処分された(乙一九(一部)、二〇(一部)、証人戸川・三丁裏、四丁裏、五丁表、一一丁裏から一三丁裏)。

ハ 昭和一四年三月二二日、近衛内閣の宗派統制の政策から宗教団体法が制定され、この法律に基づき浄土宗でも宗門体制の確立を考えていた当時の里見内局は、「宗門統制規則」を制定した。その後の宗議会において、一宗本山の確立、本末解体の決議が採択され、昭和一七ないし一八年頃には、本末解体が実現した。それ以降、末寺は、全て浄土宗という一宗の末寺になった(乙三、証人戸川・二丁裏から三丁表、八丁裏から九丁表)。

ニ 本件境内地を含む原告土地内の各塔頭寺院が宗教法人として独立してからは、原告といえども右各塔頭寺院の人事を自由にすることはできなかった(証人浦田・第一四回一三丁表から一四丁裏、二七丁表及び裏)。

ホ 昭和二一年八月一七日(乙三(六二頁)によれば、同年一〇月一四日)、原告は、いくつかの塔頭寺院(直轄寺院)とともに浄土宗から分派独立して、原告を本山とする黒谷浄土宗を創建した。浄土宗に留まった被告を含む他の塔頭寺院及び浄土宗は、原告の分派独立が無効であると主張して、京都地方裁判所に右独立の効力を争う訴えを提起した(争いがない)。このようにして、右時点以降、原告土地内の各塔頭寺院は、原告と包括、被包括の関係に立つ寺院(直轄寺院)と被告のように浄土宗と包括、被包括の関係に立つ寺院とに分かれるようになった(証人浦田・一四回一二丁裏)。

ヘ 寺院規則四三条には「門中寺院台帳に登録された寺院をこの法人の門中寺院とする。2 門中寺院はこの法人の護持に協力しなければならない。3 この法人は門中寺院に対し、護持費の協力を得ることができる。4 門中寺院の規程は別に定める。」と規定されており、右寺院規則は、平成二年四月一六日から施行された(甲三の1)。

ト 門中寺院とは、原告と本山、末寺の関係にある寺院で、右寺院規則に基づき門中寺院台帳に登録された寺院をいうから、原告の塔頭寺院であっても右登録をしていない寺院は門中寺院ではない(証人浦田・第一三回五丁表及び裏、同・第一四回二丁表及び裏、六丁表及び裏)。

チ 被告は、原告の門中寺院ではない(証人浦田・第一四回六丁裏)。

(5) 右(4)認定の事実によれば、塔頭寺院で構成される一山会は、江戸時代において土地を共同財産として所有し、「箱」という慣習を持っており、「箱」の名義料を原告に支払っていたこと、昭和一七ないし一八年頃には、原告とその他の塔頭寺院の本山、末寺の関係は解消し、昭和二一年頃、原告が黒谷浄土宗を創建してからは、被告との間に宗制上の関係もなくなったこと、平成二年四月一六日から施行された寺院規則には、門中寺院は原告の護持に協力しなければならないとあるが、被告は、原告の門中寺院ではないことが明らかである。

(6) しかし、「箱」の名義料の支払をもって本件境内地の地代の支払であるということはできないし、本末解体や原告の分派独立によって、仮に、原、被告間に支配、隷属の関係が消滅したとしても、それは、昭和以降の年代の出来事であることをも考え併せれば、右(5)の事実をもってしても、前記(3)の認定を覆すに足りず、その他、前記(3)の認定を覆すに足りる的確な証拠がない。

(7) 以上のとおり、被告の本件境内地の使用権原は、原告主張のとおり、原、被告間の本山、末寺という宗教上の特殊な関係に基づく使用借権にすぎないものと認められるから、被告主張の 地上権法一条による推定は破られるというべきである。

したがって、本件では、争点1の被告の主位的抗弁(黙示の地上権設定、推定地上権)は、いずれも認められないから、地上権の対抗力、解除による消滅(争点2)の判断に立ち入るまでもなく、被告の地上権に関する主張は、全て理由がない。

2  仮定的抗弁(使用借権)及びこれに対する再抗弁(使用貸借契約の解除)の検討

(一) 被告の本件境内地の使用権原は、右の認定のとおり、使用借権にすぎないものと認められるから、被告の仮定的抗弁(使用借権)が認められる。そこで、原告主張の使用貸借契約の解除(再抗弁)につき検討を加える。

(二) 思うに、土地の使用貸借契約において使用借主が土地上に存する建物と異なる種類、構造の建物に建て替えようとする場合、使用貸主の許諾なくこれを行えば、契約又はその目的物の性質によって定まった用法に違反し(民法五九四条一項)又は使用貸借契約の目的物の保存義務に違反し(民法四〇〇条)、使用貸主は、民法五九四条二項又は民法五四一条に基づき使用貸借契約を解除し得るというべきである。また、本件のように被告が、原告土地の一部である本件境内地内に寺院として建物を所有し、使用する場合、原告土地内の各寺院相互の円満な利用関係を害することがないように配慮して本件境内地を使用する契約上の義務があると解すべきである。

(三) 前記第二の二3によれば、被告は、木造瓦葺平家建の本堂、庫裡、土蔵等の旧建物から木造二階建ての建物に建て替えることを計画し、原告に建替えの許可を申請中であり、いまだ原告からその許可を受けていなかったにもかかわらず無断で建築工事を開始し、原告からの工事中止に関する抗議によっていったんは工事を中断したものの、その後の原、被告間の話し合いが不調に終わったため、再び建築工事を開始した。このため、原告は、当庁に対し、被告及び安井による右建築工事の続行中止及び本件境内地の執行官保管等を求める仮処分の申立てを行い、その審尋期日で、被告に対し、本件境内地の使用契約を解除する旨の意思表示をした。そして、右申立てに基づき仮処分決定が出され、その執行により被告の建築工事は中止されるに至った。このように認められる。

してみると、原告が被告申請の建替えを許可するか否かを検討中であったにもかかわらず、被告がその許可を待たず、無断で本件境内地上に旧建物と構造の異なる建物を建て替えようとした行為は、原、被告間の本件境内地の円満な利用関係を害することは明らかであり、民法五九四条一項又は民法四〇〇条の義務違反として民法五九四条二項又は民法五四一条の解除事由にあたるというべきである。したがって、右解除をいう原告の主張は理由がある。

(四) 被告の主張の検討

これに対し、被告は、本件使用規程は現在では廃止されており、仮に、廃止されていないとしても、被告は、右使用規程の拘束を受けないから、この使用規程違反をいう原告の主張は理由がないと主張する。

しかし、仮に、被告主張のとおり、右使用規程が被告を拘束しないとしても、右使用規程に基づく法律効果と同一の法律効果が法律の規定(民法五九四条一項もしくは、民法四〇〇条)によって発生するのであるから、右使用規程の被告への拘束性を論ずるのは、意味がない。したがって、被告の右主張は失当である。

二  本件境内地の明渡請求と権利の濫用(争点3)

被告は、原告の本件境内地の明渡請求が権利の濫用にあたると主張し、これに沿う証拠(乙二四、三〇から三二)を提出する。なるほど、右各書証に照らせば、本件明渡請求によって被告に損害が生ずることがうかがわれるが、他方、前記一2(三)の認定に照らせば、被告の右損害は、被告自身の使用貸借契約上の義務違反に起因するものであり、被告の本件の無断建築工事が原、被告間の本件境内地の円満な利用関係を害することは明らかであるから、原告の本件明渡請求が権利濫用にあたるとはいえない。他に被告の右主張を認めるに足りる的確な証拠がない。したがって、被告の右主張は、採用できない。

第四  結論

以上のとおり、請求原因は当事者間に争いがないところ、被告主張の地上権取得の事実及び原告の請求が権利濫用にあたることを肯定できる事実は、いずれも認められず、仮定的抗弁の使用借権取得の事実のみが認められるが、これに対する原告の解除の再抗弁事実が認められるから、原告の請求は理由があることになる。したがって、主文のとおり、原告の請求を認容する。ただし、本件事案の性質上、仮執行宣言を付することは相当でないから、これを付さないこととする。

(裁判長裁判官 松尾政行 裁判官 難波雄太郎 裁判官 河村浩)

別紙 物件目録、図面<省略>

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